2022年5月25日水曜日

2022.05.25 わが友に贈る

創価の誓願とは
人類の幸福と安穏の道を
切り開きゆくことだ。
不信の連鎖を断ち切る
信頼の絆を足元から!

同生同名御書 P1115
『人の身には同生同名と申す二のつかひを天生るる時よりつけさせ給いて影の身にしたがふがごとく須臾もはなれず、大罪小罪大功徳小功徳すこしもおとさずかはるかはる天にのぼて申し候と仏説き給う、此の事ははや天もしろしめしぬらん、たのもししたのもしし』

【通解】
人の身には、同生と同名という二人の使いを、天は、その人が生まれたときからつけておられ、(この二人の神は)影が身に随うように、寸時も離れず、その人の大罪・小罪・大功徳・小功徳を少しもおとさず、かわるがわる天に昇って報告していると、仏は説いておられます。このこと(=日眼女が夫の四条金吾を佐渡までつかわせたこと)は、すでに天も知っていることでありましょう。まことに、頼もしいことです。

名字の言 思い出となって残る"人格の薫り" 2022年5月25日
北原白秋の詩に「香ひの狩猟者」がある。「香ひはほろびない。花は了へても香ひはのこる。始めもなく終りも無い。消えるやうに思へるのは色を眼のみで観る人の錯覚である。香ひは染みこむ、分解する」(『日本の名随筆「香」』作品社)▼白秋は、花の香りは消えるのではなく、染みこみ、分解して残ると捉えた。同じように、"人格の薫り"も他者の胸中にさまざまな形で刻まれる▼ある池田華陽会のメンバーは5年前、父が末期がんの宣告を受けた。父は広布の第一線に戻ることを祈りつつ、友に励ましを送り続けた。最期まで広布に尽くす姿は、彼女の心に信心の大切さを残した▼父が他界した後、彼女は壮年から「君のお父さんに信心を教わったんです」と声を掛けられた。父は娘だけでなく、多くの人に信心の喜びを語り広げてきた。彼女は、心から感謝を伝える壮年の姿に、自他共の幸福に尽くした父の思いを感じて誇りに思った。「父は、今も私を包み守ってくれています」▼御聖訓に「法華経を信ずる人は、せんだんにこうばしさのそなえたるがごとし」(新2037・全1492)と。信心を貫いた気高き魂は、縁する人の心に宝の思い出となって残る。いつまでも薫り、生き続けていく。

寸鉄 2022年5月25日
「大地の底にかくしおきたる真の弟子あり」御書。地涌の使命に生きる誉れ(新1221・全905)
信心で自身を磨いていけ—戸田先生。学会活動は錬磨の道場。今日も前へ
開拓者に、勇気があればあるほど続く者は多く—ノルウェー詩人。突破口開くは私と
小中高生のSNS上でのいじめ増加と。大人は子の小さな変化にも敏感に
世界の難民・避難民、初の1億人超—UNHCR発表。悲劇克服へ人道支援の連帯強く

☆希望の指針——池田先生の指導に学ぶ 信仰の姿勢
◇題目は形式ではない
題目は形式ではない。最も大切な、この宇宙で最も強力な、魂の王者の武器である。その祈りを合わせることが、無敵の正義の陣列を組むことになるのだ。
散漫な祈りは、焦点の合わないレンズと同じだ。互いに心がバラバラでは、皆の力も結果も出ない。
「団結」とは、個性を押し殺した自己犠牲ではなく、エゴの殻を破る、自己の境涯の拡大である。崇高な目的に向かって心を合わせ、それぞれが持てる力を存分に発揮しゆく戦いだ。ゆえに、異体同心の信心のなかに、前進があり、勝利があり、幸福があるのだ。
(「随筆 新・人間革命」〈わが青春の舞台・文京〉、『全集』第134巻、13ページ)

◇戦いがあるから幸福
私は、強く、強く思った。
「戦いを起こす」——この一点に、日蓮仏法の精髄が脈動していることを。
仏の生命とは、勇気を奮って、来る年も来る年も、元初の決意をもって、厳然と戦い勝ちゆく法理であることを。
それは何よりも、自分自身の惰性、油断、臆病などの、内なる魔を破る戦いだ。
さらにマンネリ化した古い発想、人びとを縛る固定観念などを打破しゆく戦いだ。
戦いがあるから、人は自己の建設と、境涯を開くことができる。そこに、限りなく広げられた幸福の大海原が待っているのだ。
(「随筆 新・人間革命」〈神奈川の大精神〉、『全集』第133巻、338ページ)

◇一念が全てを変える
「断じて勝つ!」と決めた瞬間、己心の壁は破れる。
「さあ来い!」と困難に挑みかかる、胸中の師子が目覚めるのだ。
一念が変われば、行動が変わり、執念が変わる。
この人を絶対に救いたいと思えば、どうして通り一遍の対応ですまされようか! 会えなければ会えるまで、話せなければ話せるまで、ぶつかるだろう。
祈りも具体的になる。相手の悩みは何なのか、どう話せば一番心に響くのか。悩んでは祈り、祈っては悩み、知恵を絞りに絞るだろう。一念の不思議さである。
(「随筆 新・人間革命」〈中部五十年——大勝の源流〉、『全集』第134巻、245ページ)

◇題目は形式ではない
題目は形式ではない。最も大切な、この宇宙で最も強力な、魂の王者の武器である。その祈りを合わせることが、無敵の正義の陣列を組むことになるのだ。
散漫な祈りは、焦点の合わないレンズと同じだ。互いに心がバラバラでは、皆の力も結果も出ない。
「団結」とは、個性を押し殺した自己犠牲ではなく、エゴの殻を破る、自己の境涯の拡大である。崇高な目的に向かって心を合わせ、それぞれが持てる力を存分に発揮しゆく戦いだ。ゆえに、異体同心の信心のなかに、前進があり、勝利があり、幸福があるのだ。
(「随筆 新・人間革命」〈わが青春の舞台・文京〉、『全集』第134巻、13ページ)

◇戦いがあるから幸福
私は、強く、強く思った。
「戦いを起こす」——この一点に、日蓮仏法の精髄が脈動していることを。
仏の生命とは、勇気を奮って、来る年も来る年も、元初の決意をもって、厳然と戦い勝ちゆく法理であることを。
それは何よりも、自分自身の惰性、油断、臆病などの、内なる魔を破る戦いだ。
さらにマンネリ化した古い発想、人びとを縛る固定観念などを打破しゆく戦いだ。
戦いがあるから、人は自己の建設と、境涯を開くことができる。そこに、限りなく広げられた幸福の大海原が待っているのだ。
(「随筆 新・人間革命」〈神奈川の大精神〉、『全集』第133巻、338ページ)

◇一念が全てを変える
「断じて勝つ!」と決めた瞬間、己心の壁は破れる。
「さあ来い!」と困難に挑みかかる、胸中の師子が目覚めるのだ。
一念が変われば、行動が変わり、執念が変わる。
この人を絶対に救いたいと思えば、どうして通り一遍の対応ですまされようか! 会えなければ会えるまで、話せなければ話せるまで、ぶつかるだろう。
祈りも具体的になる。相手の悩みは何なのか、どう話せば一番心に響くのか。悩んでは祈り、祈っては悩み、知恵を絞りに絞るだろう。一念の不思議さである。
(「随筆 新・人間革命」〈中部五十年——大勝の源流〉、『全集』第134巻、245ページ)