2022年5月8日日曜日

2022.05.08 わが友に贈る

◇今週のことば
薫風の「励まし週間」だ。
共に「仏を敬うがごとく」
宝友の奮闘を讃えよう!
新しき人材を温かく育み
わが地区に金剛の絆を!
(新1989・全1383等)
2022年5月8日

寂日房御書 P902
『夫れ人身をうくる事はまれなるなり、已にまれなる人身をうけたり又あひがたきは仏法是も又あへり、同じ仏法の中にも法華経の題目にあひたてまつる結句題目の行者となれり、まことにまことに過去十万億の諸仏を供養する者なり』

【通解】
およそ人身を受けることはまれである。すでに、そのまれな人身を受けている。また、あいがたきは仏法であるが、これもまたあうことができた。しかも、同じ仏法のなかでも、法華経の題目の行者となった。まことにまことに、あなたは過去世で十万億の諸仏を供養した方であろう。

名字の言 音楽が与える"生き抜く力" 2022年5月8日
遠藤周作氏の短編小説「戦中派」に演奏会のシーンが出てくる(『十一の色硝子』所収)。戦時中、名バイオリニストの巌本真理さんが演奏会前夜に空襲で焼け出された実話から着想を得たという▼翌日、奏者の女性は焼け野原を歩き、演奏会場へ。途中、群衆とすれ違う。"出演者行方不明のため、音楽会は中止"と知らされ、肩を落として帰る人たちだった。だが彼女を見るや、一群は「音楽会はあるぞ」と会場に戻った。逃げた時の格好のままで彼女は奏でた。聴衆は目を閉じ、静かに聞き入った……▼いつの世も、音楽は"生き抜く力"を渇望する民衆に希望を与える。宗教学者のガイヤ博士は「宗教は、芸術や音楽を通して、その精神を人々に最良の形で伝えていくことができる」と▼仏法を基調とした妙音で、世界を幸福に包む実践者の使命を帯びて音楽隊、鼓笛隊は結成された。以来、両隊は渾身の演奏で、宿命に泣く友へ希望を届け、苦難と格闘する同志に勇気を送り続けた。これまで音楽隊が災害からの復興に歩む人々を励まそうと開催した「希望の絆」コンサートは174回を数える▼今月も両隊は各地のパレードで勇壮な音律を響かせた。この妙なる調べの共鳴が、平和の心を呼び覚ます。

寸鉄 2022年5月8日
永遠に残る広布の歴史を戦い綴れる自身に—戸田先生。金字塔築く時は今
今日、常勝埼玉師弟の日。鉄桶の団結固く勇躍前進 正義の対話拡大で凱歌を
真の財宝は我らの力の中にあるもの—哲人ヒルティ。信心は無限の可能性開く根源
子どもの話聞く時は評価せず・否定せず・遮らず—識者。まず思い受け止め
母の日。「手紙・感謝の言葉」が嬉しい贈り物1位。ありがとう伝える一日に

〈社説〉 2022・5・7 5・9「音楽隊の日」
◇試練の時代に響く希望の旋律
5月9日は「音楽隊の日」。その淵源は、1954年(昭和29年)の同日に行われた、青年部総登山での初出動にある。
池田先生の提案で音楽隊が結成されたのは同月6日。出動3日前のことだった。隊員はわずか十数人。楽器をそろえるだけでも困難を伴った。当日は激しい雨の中、番傘で楽器を守りながら、ずぶぬれになっての演奏だった。
「悪条件にひるんだら負けだ。悪条件だからこそ、成功すれば、歴史に輝く壮挙になる!」——そう闘志を燃やす奏者を前に、青年部の室長だった先生は渾身の指揮を。その学会歌の調べは参加した青年部員の士気を鼓舞した。
不屈の原点から68年。今や音楽隊は全国に100を超える楽団を擁する一大音楽集団に成長。吹奏楽、マーチング、合唱などの各種コンクールでは、幾度も全国大会で金賞、グランプリを受賞するなど、名実ともに日本一の音楽団体に発展を遂げた。
このコンクールへの挑戦を、全国に先駆けて開始したのは関西吹奏楽団だった。74年(同49年)の大阪府吹奏楽コンクールに初出場。3年後には、関西大会に出場し、全国大会まであと一歩と迫った。その後、直面したのが、79年(同54年)の池田先生の「会長辞任」の知らせだった。
同志の中に不安や戸惑いが広がる中、団員たちは歯を食いしばり、誓い合った。
"我らの勝利で、創価の偉大さを満天下に示してみせる!"
それまでにない程の猛練習を重ね、翌80年(同55年)には、音楽隊史上初めて、全日本吹奏楽コンクールに出場し金賞を受賞した。
翌年、第3回関西総会に出席した先生は、関西吹奏楽団が奏でる「嗚呼黎明は近づけり」にあわせて、扇を手に勇壮な舞を披露。その後も、各地の音楽隊が奏でる学会歌と共に、日本中・世界中に平和の連帯を広げてきた。
逆境の時こそ一歩踏み出し、試練の中で希望の光彩を放つ音楽隊の使命は、感染症の拡大や深刻な国際情勢など不安が広がる現代にあって、一層輝きを増している。
池田先生はつづっている。
「音楽隊は、皆、私のかけがえのない戦友である。いかなる嵐にも絶対に怯まぬ、不敗の楽団なのである」
文化の闘士を先頭に、共々に勝利の歴史を打ち立てていこう。

☆法華経に勝る兵法なし 千葉への指針から 第6回 生命の充実得る休日の過ごし方
◇生命の充実得る休日の過ごし方
休日の過ごし方は人さまざまである。いな休日の使い方にこそ、人それぞれの生き方が鮮明に映しだされるのかもしれない。
なんとなくテレビを見て終わる人、趣味に使う人、家族サービスに努める人。なかには休日のたびに、夫婦ゲンカを恒例行事のように(爆笑)繰り返す人もいるかもしれない(笑い)。張りきって旅行に出かけ、楽しいのかと思うと、「疲れた、疲れた」とグチばかり言う人もいる。(爆笑)
それはそれとして、だれしも休日は自由である。自由であるがゆえに、もっとも価値的に、もっとも充実して過ごしたいものだと私は思う。
結論的にいえば、仏道修行こそ、最高の生命の充実をあたえてくれる。かりに、初めはイヤイヤでも(笑い)、行動したあとは、他では味わえない、深いさわやかさと歓喜がある。
また家族の幸せへの根本の貢献でもある。自身も成長し、他の人にもつくしていける。社会への最大の奉仕でもある。時とともに永遠に輝く思い出をきざむことができる。その他、あらゆる価値と福徳が集まっているのが、妙法の世界のありがたさである。その世界に徹して生きぬくとき、すべてが生かされ、全く無駄はない。
ともあれ貴重な休日を、広布への尊き現実の行動に費やしておられる皆さま方を、私は最大に讃えたい。いな、御本仏の称讃は絶対であることを深く確信していただきたい。(1988年4月、第3千葉県記念幹部会でのスピーチ、『池田大作全集』第70巻所収)

◇魔に紛動されない実直な信心
私はこの四十年間(当時)、数多くの人々の信仰の姿を見てきた。人間の「心」の表も裏も、信心の眼で鋭く見すえてきたつもりである。
その結論として言えることは、"学会の信心の組織のなかで、厳しく先輩から指導され、また激励されながら真面目に信心に励んでいる人は、まちがいなく成長している"という事実である。そうした方々は、つねに生き生きとして、生命がはずんでいる。また責任感、使命感も強く、生活のうえでも後輩の良き模範となっている場合が多い。
一方、その反対に、過去にいかに功労があるように見えても、自分一人の力で偉くなったと錯覚し、慢心を起こし、いつしか厳しい指導や注意を避け、自分勝手な行動に走ってしまう人もいる。これは要するにエゴに翻弄され、名聞名利に執着し、信心を忘れてしまった姿にほかならない。
(中略)
"慢心"や"虚偽"の者が、和合僧を乱し、信心を破ろうとすることが、これからもあるだろう。(中略)
しかし、そうした魔の眷属に魅入られて、仏の眷属となった自分自身を無にしてはならない。退転者や反逆者はだれが悪いのでもない。その人自身の責任である。
ゆえに、破仏法の魔の蠢動とその結末は、いつの時代でも同じであることを鋭くとらえ、善悪ともに、自身の信心を深め、境涯を高めていく"鑑"としていっていただきたい。(同)