「地区」の躍動こそ
広布拡大への要だ!
全リーダーが勇んで
最前線に飛び込み
皆の底力を引き出そう!
御講聞書 P813
『父母の成仏即ち子の成仏なり、子の成仏即ち父母の成仏なり』
【通解】
父母の成仏は、すなわち子の成仏である。子の成仏はすなわち父母の成仏である。
名字の言 人生にムダは何一つない 2022年5月31日
アンパンマンの原作者・やなせたかし氏の詩「ぼくの道」にある言葉。「他になんにも方法がない 一足とびにあそこへいけない」。"あそこ"とは漫画家としての成功を指す。40代当時、全く売れなかった▼先が見えない中で、テレビ番組の脚本や舞台美術など多くの仕事をこなした。54歳で絵本『あんぱんまん』を出版。後年アニメ化され、コンサートが催されると、かつての経験が生きた。「人生にムダなことは、何一つありません」と語る(『何のために生まれてきたの?』PHP研究所)▼ある壮年部員は、中学時代から始めた剣道を大学進学後も続けようとした。だが、実家の経済苦を理由に断念。落胆する彼に、学生部の先輩が語った。「必ず意味がある」▼ある日、彼はアルバイト先の常連客から「知人の会社で働かないか」と声を掛けられた。きっかけは「いつも深々とあいさつしているから」。さらに後年、取引先の会社の関係者から"剣道教室で教えてほしい"との依頼が。彼はあの日の先輩の励ましを心から実感した▼積み重ねた努力が、望んだ結果をもたらすとは限らない。だが、努力なくして道が開けることはない。地に足を着けて進む——その一歩が、全てを意味あるものに変えていく。
寸鉄 2022年5月31日
燃え立つ信心があれば、祈りは叶う—戸田先生。諸天を揺り動かす題目で
今日は誰を励ましたか—日々の積み重ねが勝利開く。電話・メール一本でも
釈尊は言葉を自在に使う人—哲人ヤスパース。平和を願い、友の幸祈る心を声に響かせ
世界禁煙デー。望まない受動喫煙の防止を社会で更に。互いにマナー順守
有名企業騙った詐欺の増加傾向続く。偽サイトで情報盗む手口等。警戒を
☆随筆「人間革命」光あれ さあ広布へ 心新たに! 2022年5月24日
「時」とは、宇宙の大生命が刻む、妙なるリズムそのものであろう。
ゆえに、妙法を唱え弘めゆく人生は、「時」に適い、「時」を味方にして、必ずや幸福そして勝利の春夏秋冬を飾れるのだ。
御本仏・日蓮大聖人は、決然と宣言された。
「今、日蓮が時に感じて、この法門広宣流布するなり」(新1388・全1023)
この師子吼に呼応して、戸田城聖先生の指揮のもと「今こそ大法弘通の時」と定め、大行進を開始したのは七十年前、まさしく立宗七百年にあたる一九五二年(昭和二十七年)であった。
師恩に報いる誓願で、不二の弟子が「慈折広布」へ突破口を開いた東京・蒲田支部の「二月闘争」は、この年であり、わが関西もまた、時を同じくして出陣した。
立宗の月・四月には、創価学会版の御書全集が発刊された。「御書根本」という永遠の軌道の確立である。
◇"大楠公"の誓い
恩師の甚深のご配慮で、その翌五月の三日に、私と妻は簡素な結婚式を行い、出発をさせていただいた。
先生は一言、「これからの長い人生を、広宣流布のために、二人で力を合わせて戦い切ってもらいたい」と語られ、祝宴の歌に"大楠公"を所望された。
「青葉茂れる桜井の」と謳われた、父・楠木正成と子・正行の誓いの劇は、旧暦の五月のこととされる。
「父は兵庫に赴かん」との覚悟の旅に、子は「御供仕えん」と訴えた。
しかし厳父は"早く生い立て""民守れ"と後事を託して、故郷の母のもとへ帰すのである。
思えば、戸田先生ご自身が十九歳で牧口常三郎先生に師事して以来、この歌に脈打つ"正行の心"で仕え抜いてこられた。そして、法難の獄中に殉教された師父の仇を討つ正義と人道の巌窟王となり、戦後の荒野で、妙法流布の大願へ一人立たれたのだ。
戸田先生の事業が最悪の苦境にあった折、先生は正成のごとく、私は正行のごとく、師子奮迅の力で一切を超克し、第二代会長就任の五月三日を飾った。
その私の志を全て知悉された先生は、新たな門出に一年後の五月三日を選んでくださり、"大楠公"の合唱を求められたのである。
尽きせぬ報恩感謝の一念で、広宣流布の大誓願へ「父子同道」の旅を貫き、同志を広げ、後継を育てて、七十星霜となる。
◇民衆第一に進め
立宗七百年から十年後の一九六二年(昭和三十七年)を、わが学会は「勝利の年」と銘打った。
この年の一月、私は事実無根の選挙違反容疑で逮捕された大阪事件の裁判で、無罪判決を勝ち取った。民衆勢力として台頭する学会を陥れんとする権力の謀略と戦い、公判八十四回に及ぶ法廷闘争を通し、正義を満天下に示したのである。
迎えた五月三日、私は色紙に認めた。
「大阪事件 初公判 昭和三十二年十月十八日なり
最終陳述 昭和三十六年十二月十六日なり
判決 無罪 昭和三十七年一月二十五日なり」
そして、最後に記した。
「多くの尊き友が尽力下されし真心に 心より感謝の意を表しつつ……その名、永久に忘れず」と。
関西の母たちをはじめ、多くの同志が私の勝利を信じ、ひたぶるに題目を送り続けてくれた。同心の一人ひとりの姿が、私と妻の命から離れることはない。
判決の前夜に兵庫・尼崎の天地で、青年と語った。
——牧口先生、戸田先生の遺志を継ぐ私には、自分の命を惜しむ心などない。
不幸な人の味方となり、どこまでも民衆の幸福を第一に、さらに堂々と前進を開始しようではないか、と。
以来、大関西をはじめ、各地の地涌の勇者が、まぎれもなく"正行の心"を受け継いで、師弟の共戦譜を勝ち綴ってくれていることが、何よりの誉れである。
◇断じて不戦を!
一九六二年は、東西の分断が日に日に深まる時代であった。前年に「ベルリンの壁」が築かれ、十月には「キューバ危機」が起こっている。世界は核兵器の脅威に怯え、日本では、不安の中、核戦争、第三次世界大戦が起きるかどうかを予想・論評するマスコミも少なくなかった。
しかし、そうした議論は、私が選ぶところではない。核兵器の本質を"絶対悪"と喝破された恩師のお心を継いだ弟子の決意は、微動だにしなかった。
"第三次世界大戦は断じて起こさせない"——当時、我らはこの決心で強盛に祈り、世界平和の道を開こうと誓い合ったのである。
◇勝利へ東奔西走
この年早々、私は厳寒の北海道へ向かった。中東を歴訪した後、日本列島を、中国、四国へ、さらに東北、関東、九州、東海道、中部、関西、信越、そして沖縄へと東奔西走した。訪問できなかった恩師の生誕の天地・北陸の宝友とも、常に連携を取り合っていた。同志の全世帯に一声ずつの題目でも送りたいと願い、日々、勇猛の唱題行を重ねながらの旅路である。
私は声を限りに訴えた。
東京では「広宣流布という大目的に立って、仏道修行に励んでいこう」。
埼玉では「"広宣流布は絶対にできる"との大確信を持って前進を」。
福岡では「強い団結で、世界中の人が"さすがだ"と驚く先駆の実証を」。
神奈川では「私たちが"日本の柱"となって、本当に住みよい、幸せな国をつくろう」。
愛知では「誰が何と言おうが絶対に勝ち抜いて、平和と安泰のために進もう」。
兵庫や大阪の闘士が結集した関西での集いでは「皆が安心して暮らせる社会をつくるために戦おう」。
また、この動きに合わせ、可能な限り、各地で御書講義を行い、質問会も設けて、求道の友と研鑽し合った。
ある時は「心の師とはなるとも、心を師とせざれ」(新1481・全1088)との御文を拝し、どこまでも「御本尊根本」「御書根本」に進もうと確認した。
ある時は「かかるとうと(尊)き法華経と釈尊にておわせども、凡夫はし(知)ることなし」(新1723・全1446)を拝読し、いまだに偉大な仏法を知らずにいる多くの人びとに、他の誰でもない、この私たちこそが語り切るのだと自覚を深め合った。
地区担当員(現・地区女性部長)の方から、「南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり」(新1097・全788)との一節を、生活に当てはめると、どう拝すればいいかと、真剣な質問を受けたこともある。
私は申し上げた。
"どんな悩みがあっても、「苦楽ともに思い合わせて」題目を唱えていけば、歓喜の生命が必ず涌現します。
自分が歓喜して、その喜びに溢れた姿を見た人までが、同じ喜びに燃え立っていく。自分だけでなく、友をも同じ歓喜の境涯と生活にあらしめる。これこそ、「歓喜の中の大歓喜」ではないでしょうか"と。
私と同じ心で、全国各地の友が、いずこでも生き生きと躍動し立ち上がってくれた。学会は、この年、恩師から遺言として託された「三百万世帯」という目標を達成し、新しき創価勝利の歴史を開いたのだ。
◇勢いあれば栄う
それから、さらに十年。「地域の年」と掲げた一九七二年(昭和四十七年)の一月、私は愛する沖縄へ飛んだ。復帰の年に、真実の「幸福島」の建設へ、皆で決意を新たにしたのである。
「依正不二」の原理の上から、「仏法を持った学会員が元気で勢いがあれば、必ず社会は栄え、絶対に平和になる」とも語り合った。
この半世紀、尊貴なる宝友たちは「柔和忍辱の心」を体し、あらゆる試練を越え、「命をかけて ひと筋に」、仏法中道の智慧の光で広布の理想郷を開いてきた。
「御志、大地よりもあつ(厚)く、虚空よりもひろ(広)し」(新1882・全1551)
「日蓮が道をたす(助)けんと、上行菩薩、貴辺の御身に入りか(替)わらせ給えるか。また教主釈尊の御計らいか」(新1583・全1163)等の仰せは、そのまま、わが沖縄家族への御照覧・御賞讃なりと、私には拝されてならない。
◇「時」は今! 対話の旋風で 希望の大道を
「シンク・グローバリー、アクト・ローカリー(地球規模で考え、地域で行動する)」
これは、著名な医学・細菌学者のルネ・デュボス博士が提唱した標語である。
この精神が、今ほど求められている時はあるまい。
たとえ、道がいかに遠く険しくとも、一人ひとりが今いる場所で信念の行動を起こすことが、地球全体を変えゆく希望となるのだ。
デュボス博士は、トインビー博士にご紹介いただき、お会いした一人である。
「世界に対話の旋風を! 永遠の平和の道をつくるために」とは、いうなれば、五月に対談を重ねたトインビー博士と私の"青葉の誓い"であった。
一つ一つの縁を大切に、一人ひとりと信頼を育むことが、「時」を創ることだ。
わが同志は今、不軽菩薩のごとく、あの地この地で、勇んで友のもとへ足を運び、友情を広げている。大誠実の対話で結ばれた絆こそ、新しい「変革」をもたらす力になると確信する。
デュボス博士は、"危機"の意義をこう語られた。
「危機こそ、ほとんど例外なしに豊かさへの源泉である。危機は新しい打開の道を追求させるからである」
大変な時に勇敢に立ち上がるから、宿命転換できる。変毒為薬できる。
これが、創価の師弟に漲る「師子王の心」である。
御本仏の御聖誕満八百年。そして、立宗七百七十年の今この時、我らは胸を張り、「立正安国」という大いなる希望に向かって進もう! 威風堂々と対話の旋風を巻き起こし、民衆の幸と凱歌の旗を、未来へ、はためかせようではないか!
2022年5月31日火曜日
2022年5月30日月曜日
2022.05.30 わが友に贈る
◇今週のことば
「眼前の証拠」は雄弁だ。
我らの行動の足跡を
見てくれ給えと
胸を張って語り歩こう!
民衆の柱はここにあり。
(新1419・全1045)
2022年5月30日
佐渡御書 P957
『肉をほしがらざる時身を捨つ可きや紙なからん世には身の皮を紙とし筆なからん時は骨を筆とすべし』
【通解】
肉をほしがらない時に身を捨てるべきだろうか。紙のない時代には身の皮を紙とし、筆のない時には骨を筆とするべきである。
名字の言 プロ野球中継を見ていた父子の会話 2022年5月30日
父と息子がプロ野球のテレビ中継を見ていた。その日、初勝利を挙げた投手は、息子と同世代。インタビューで「この喜びを誰に伝えたいですか」との質問に、投手は「両親です」と答えた▼息子が「僕もそう言うかな」と共感すると、父が言った。「喜びや感謝の言葉は、母さんに伝えればいい。反対に、お前が"俺はもう駄目だ"と心が折れた時は、必ず、父さんに連絡をよこしなさい」と▼順調な時よりも、苦悶の渦中の時こそ、必要としてほしい——そう思い思われるかは、人間関係の深さを測る一つの物差しだろう。以前、ある壮年部員が心身の不調で職を辞した。言い知れぬ不安にさいなまれる彼が、真情を語りたいと連絡を取ったのは、学生部時代の先輩だった▼数十年ぶりの再会。自責の言葉を並べる彼に先輩は語った。「君が自分を諦めても、僕は絶対に諦めないよ」。2人は唱題を始めた。祈るほどに彼の声に張りが出てくる。心ゆくまで題目を唱えた後、「ありがとうございました」と涙する彼の肩を、先輩は無言でたたいた▼古代ローマの哲学者キケロは「(友情は)逆境を分かち担い合うことで軽減してくれる」(中務哲郎訳)と。苦難を共に勝ち越える創価の同志こそ、最高の友である。
寸鉄 2022年5月30日
浄土も穢土も「ただ我らがむねの間にあり」御書。希望の舞も心の変革から(新1832・全1504)
人に会うことが広宣流布だ—恩師。大誠実の対話で前へ。敵をも味方に!
正義を創り出す事によってのみ平和は存在—哲人アラン 生命尊厳の思潮を拡大!
今夏の電力供給厳しく—経産省。無理ない範囲で節電を。今から意識高く
ごみゼロの日。捨てる物でも、生かせば資源。持続可能な社会へ足元で行動
〈社説〉 2022・5・30 きょう「ごみゼロの日」
◇「5R運動」で地球を守ろう!
コロナ対策の象徴となった使い捨てマスクは、世界で毎月1290億枚使われ、深刻なごみ問題に発展しつつある。細かく砕いた使い捨てマスクと、解体された建築物の破片を道路の素材にすることで、大量の資源を埋め立てずにリサイクルすることが可能になるという研究結果が発表され、リサイクルへの関心が高まっている。
きょうは「ごみゼロの日」。また6月5日までを「ごみ減量・リサイクル推進週間」として、各地で啓発活動が行われる。環境省と日本財団は、増加し続ける海洋ごみ対策事業の一環として、全国一斉清掃キャンペーン「春の海ごみゼロウィーク2022」を開催。2019年から始まったこの取り組みは昨年度、全国440カ所で行われ、約15万人が参加した。
現在、国内でのごみ総排出量は年間4167万トン。1人1日当たりだと901グラムで、リサイクル率はわずか20%という(令和2年度、環境省調査)。リサイクルできなかったごみは、焼却などに回され、燃やした際に発生する二酸化炭素や、灰を処理する埋め立て地問題などが山積。ごみ削減に向けた運動は急務だ。
ごみ問題の対策として、「3R運動」は聞きなじみがあるだろう。リデュース(発生抑制)、リユース(再利用する)、リサイクル(再生利用)の三つ。最近はリフューズ(不要な物は買わない)、リペア(修理して使う)を加えた「5R運動」が推進され、ごみのもとになるものを使わずに減らすことが重要となっている。
学会青年部は気候変動問題への意識啓発を進める「マイ・チャレンジ10」のウェブサイトを立ち上げた。具体的な対策として、マイバッグやマイボトルを使用し、ごみを減らすなど、生活を見直す10以上の実践を呼び掛けている。
池田先生は気候変動など、山積する課題に対し、「一段と対話を繰り広げて英知を結集し、新たな価値創造の力を発揮していかねばならない。地涌の世界市民が先頭に躍り出て、人類の宿命転換への連帯を拡大するのだ」と随筆でつづられた。
大河の流れも一滴の水から始まるように、小さな一歩の積み重ねで現状を変えることができる。まず一人一人が身近なところからごみを減らす「5R運動」の実践で、ごみ削減という課題に挑み、この美しい地球を守っていきたい。
☆アメリカ創価大学第18回卒業式への池田先生のメッセージ
◇創価の世界市民の真価を発揮し
◇使命の舞台から21世紀を晴らせ
一、使命深き18期生の皆さん、また、大学院新教育プログラムの7期生の皆さん、晴れのご卒業、誠におめでとう!
いつにもまして、ご苦労の多い中、勝利の日を共に迎えられたご家族にも、心よりお祝い申し上げます。
人類の宝たる英才たちを支え育んでくださった教職員をはじめ、全ての関係者の方々、誠にありがとうございます!
今この時、まさに試練の時代に旅立つ皆さんへ、私ははなむけとして「創価の世界市民の真価を勇気凜々と発揮せよ」と贈ります。
世界市民にとって普遍の規範というべき「世界人権宣言」——その作成に重要な役割を果たされたブラジル文学アカデミーのアタイデ総裁の最晩年、私はご一緒に対談集『21世紀の人権を語る』を発刊し、採択までの尊き歴史を留めました。
東西冷戦下の当時、政治情勢、思想・信条の相違などから議論は激しく対立し、紛糾する中で、最も力を注いだことは何であったか——。
それは、「世界の各民族の間に"精神的なつながり"を創り出すこと、すなわち、"精神の世界性"を確立すること」であったといいます。
皆が同じ「人間」という原点に立ち返り、「共通の目標」へ粘り強く語り合う中で、やがて対立を乗り越え、ついに世界人権宣言が採択されたのです。
私には、この奮闘の昇華が、コロナ禍にも負けず、世界から集った友と熱い議論を交わしながら、共に学び抜き、「平和の建設者」として力を磨き上げてきた卒業生の皆さんの青春と、深く重なるように思えてなりません。
◇差異を超えて「人間尊敬」の道を
一、本日、来賓としてお迎えしたシリン・エバディ先生は、投獄など命にも及ぶ迫害にも屈せず、人権と人道の信念の闘争を貫いてこられました。
先生は2003年、ノーベル平和賞受賞記念のスピーチで、「世界人権宣言」の精神に触れつつ、"21世紀を暴力から解放する唯一の道は、人種、性別、宗教、国籍、社会的な立場の違いを超えて、全ての人々の人権を理解し、擁護する実践にある"と叫ばれました。
生命尊厳の哲学を体し、価値創造の力を蓄え、人間尊敬の連帯を培ってきた皆さんは、創価の世界市民の真価を、いよいよ賢くたくましく朗らかに発揮し、自らの使命の舞台から21世紀を明るく晴らしていただきたいのです。
かけがえのない皆さん一人一人と、私はこれからも陽光きらめく「平和の池」の畔で語らう思いで、健康幸福と栄光勝利を祈り抜いてまいります。
最後に「君よ、あなたよ、地球民族を照らす"希望の光"と輝け!」と申し上げ、お祝いの言葉とします。
☆勝ちゆく君へ 第29回 創価の信仰は宿命転換の直道
◇苦難こそ青春の誉れ
「難を乗り越える信心」とは、学会永遠の指針です。
仕事、家庭、勉学など、悩みは尽きなくとも、妙法を持った青春は、全てを必ず勝ち越えていける。そのための信仰です。
私も、闘病や事業の艱難、冤罪との戦い等、一つ一つ越えてきました。
戸田先生は言われました。
「問題があるから、力がつく」「そう達観して、大きく強く生き抜いていくことだ」と。
険しい試練の坂に挑む若人には、富士のごとく何ものにも揺るがぬ境涯が開かれます。
悩みの深い人こそ使命も深い。大確信で題目を唱え抜き、難を乗り越えてくれ給え!
◇j試練に挑む「賢者」の歩みを
「君が愁いに 我は泣き
我が喜びに 君は舞う」
(大阪高等学校全寮歌、作詞=沼間昌教。JASRAC 出2203823-201)
これが創価家族の絆です。
英才の男女学生部も、宝の新入生を迎え、心の通い合う、麗しい兄弟姉妹のスクラムを強めていただきたい。
ともあれ、広布のリーダーは、苦難と戦う友に寄り添い、温かな激励を送ってください。
日蓮大聖人は、池上兄弟に、「必ず三障四魔と申す障りいできたれば、賢者はよろこび愚者は退く」(新1488・全1091)と仰せです。
共々に励まし合い、喜び勇んで「賢者の信心」に立つ中に、人材育成はあります。
それぞれの誓いの檜舞台で、前進勝利の名指揮を頼みます。
「眼前の証拠」は雄弁だ。
我らの行動の足跡を
見てくれ給えと
胸を張って語り歩こう!
民衆の柱はここにあり。
(新1419・全1045)
2022年5月30日
佐渡御書 P957
『肉をほしがらざる時身を捨つ可きや紙なからん世には身の皮を紙とし筆なからん時は骨を筆とすべし』
【通解】
肉をほしがらない時に身を捨てるべきだろうか。紙のない時代には身の皮を紙とし、筆のない時には骨を筆とするべきである。
名字の言 プロ野球中継を見ていた父子の会話 2022年5月30日
父と息子がプロ野球のテレビ中継を見ていた。その日、初勝利を挙げた投手は、息子と同世代。インタビューで「この喜びを誰に伝えたいですか」との質問に、投手は「両親です」と答えた▼息子が「僕もそう言うかな」と共感すると、父が言った。「喜びや感謝の言葉は、母さんに伝えればいい。反対に、お前が"俺はもう駄目だ"と心が折れた時は、必ず、父さんに連絡をよこしなさい」と▼順調な時よりも、苦悶の渦中の時こそ、必要としてほしい——そう思い思われるかは、人間関係の深さを測る一つの物差しだろう。以前、ある壮年部員が心身の不調で職を辞した。言い知れぬ不安にさいなまれる彼が、真情を語りたいと連絡を取ったのは、学生部時代の先輩だった▼数十年ぶりの再会。自責の言葉を並べる彼に先輩は語った。「君が自分を諦めても、僕は絶対に諦めないよ」。2人は唱題を始めた。祈るほどに彼の声に張りが出てくる。心ゆくまで題目を唱えた後、「ありがとうございました」と涙する彼の肩を、先輩は無言でたたいた▼古代ローマの哲学者キケロは「(友情は)逆境を分かち担い合うことで軽減してくれる」(中務哲郎訳)と。苦難を共に勝ち越える創価の同志こそ、最高の友である。
寸鉄 2022年5月30日
浄土も穢土も「ただ我らがむねの間にあり」御書。希望の舞も心の変革から(新1832・全1504)
人に会うことが広宣流布だ—恩師。大誠実の対話で前へ。敵をも味方に!
正義を創り出す事によってのみ平和は存在—哲人アラン 生命尊厳の思潮を拡大!
今夏の電力供給厳しく—経産省。無理ない範囲で節電を。今から意識高く
ごみゼロの日。捨てる物でも、生かせば資源。持続可能な社会へ足元で行動
〈社説〉 2022・5・30 きょう「ごみゼロの日」
◇「5R運動」で地球を守ろう!
コロナ対策の象徴となった使い捨てマスクは、世界で毎月1290億枚使われ、深刻なごみ問題に発展しつつある。細かく砕いた使い捨てマスクと、解体された建築物の破片を道路の素材にすることで、大量の資源を埋め立てずにリサイクルすることが可能になるという研究結果が発表され、リサイクルへの関心が高まっている。
きょうは「ごみゼロの日」。また6月5日までを「ごみ減量・リサイクル推進週間」として、各地で啓発活動が行われる。環境省と日本財団は、増加し続ける海洋ごみ対策事業の一環として、全国一斉清掃キャンペーン「春の海ごみゼロウィーク2022」を開催。2019年から始まったこの取り組みは昨年度、全国440カ所で行われ、約15万人が参加した。
現在、国内でのごみ総排出量は年間4167万トン。1人1日当たりだと901グラムで、リサイクル率はわずか20%という(令和2年度、環境省調査)。リサイクルできなかったごみは、焼却などに回され、燃やした際に発生する二酸化炭素や、灰を処理する埋め立て地問題などが山積。ごみ削減に向けた運動は急務だ。
ごみ問題の対策として、「3R運動」は聞きなじみがあるだろう。リデュース(発生抑制)、リユース(再利用する)、リサイクル(再生利用)の三つ。最近はリフューズ(不要な物は買わない)、リペア(修理して使う)を加えた「5R運動」が推進され、ごみのもとになるものを使わずに減らすことが重要となっている。
学会青年部は気候変動問題への意識啓発を進める「マイ・チャレンジ10」のウェブサイトを立ち上げた。具体的な対策として、マイバッグやマイボトルを使用し、ごみを減らすなど、生活を見直す10以上の実践を呼び掛けている。
池田先生は気候変動など、山積する課題に対し、「一段と対話を繰り広げて英知を結集し、新たな価値創造の力を発揮していかねばならない。地涌の世界市民が先頭に躍り出て、人類の宿命転換への連帯を拡大するのだ」と随筆でつづられた。
大河の流れも一滴の水から始まるように、小さな一歩の積み重ねで現状を変えることができる。まず一人一人が身近なところからごみを減らす「5R運動」の実践で、ごみ削減という課題に挑み、この美しい地球を守っていきたい。
☆アメリカ創価大学第18回卒業式への池田先生のメッセージ
◇創価の世界市民の真価を発揮し
◇使命の舞台から21世紀を晴らせ
一、使命深き18期生の皆さん、また、大学院新教育プログラムの7期生の皆さん、晴れのご卒業、誠におめでとう!
いつにもまして、ご苦労の多い中、勝利の日を共に迎えられたご家族にも、心よりお祝い申し上げます。
人類の宝たる英才たちを支え育んでくださった教職員をはじめ、全ての関係者の方々、誠にありがとうございます!
今この時、まさに試練の時代に旅立つ皆さんへ、私ははなむけとして「創価の世界市民の真価を勇気凜々と発揮せよ」と贈ります。
世界市民にとって普遍の規範というべき「世界人権宣言」——その作成に重要な役割を果たされたブラジル文学アカデミーのアタイデ総裁の最晩年、私はご一緒に対談集『21世紀の人権を語る』を発刊し、採択までの尊き歴史を留めました。
東西冷戦下の当時、政治情勢、思想・信条の相違などから議論は激しく対立し、紛糾する中で、最も力を注いだことは何であったか——。
それは、「世界の各民族の間に"精神的なつながり"を創り出すこと、すなわち、"精神の世界性"を確立すること」であったといいます。
皆が同じ「人間」という原点に立ち返り、「共通の目標」へ粘り強く語り合う中で、やがて対立を乗り越え、ついに世界人権宣言が採択されたのです。
私には、この奮闘の昇華が、コロナ禍にも負けず、世界から集った友と熱い議論を交わしながら、共に学び抜き、「平和の建設者」として力を磨き上げてきた卒業生の皆さんの青春と、深く重なるように思えてなりません。
◇差異を超えて「人間尊敬」の道を
一、本日、来賓としてお迎えしたシリン・エバディ先生は、投獄など命にも及ぶ迫害にも屈せず、人権と人道の信念の闘争を貫いてこられました。
先生は2003年、ノーベル平和賞受賞記念のスピーチで、「世界人権宣言」の精神に触れつつ、"21世紀を暴力から解放する唯一の道は、人種、性別、宗教、国籍、社会的な立場の違いを超えて、全ての人々の人権を理解し、擁護する実践にある"と叫ばれました。
生命尊厳の哲学を体し、価値創造の力を蓄え、人間尊敬の連帯を培ってきた皆さんは、創価の世界市民の真価を、いよいよ賢くたくましく朗らかに発揮し、自らの使命の舞台から21世紀を明るく晴らしていただきたいのです。
かけがえのない皆さん一人一人と、私はこれからも陽光きらめく「平和の池」の畔で語らう思いで、健康幸福と栄光勝利を祈り抜いてまいります。
最後に「君よ、あなたよ、地球民族を照らす"希望の光"と輝け!」と申し上げ、お祝いの言葉とします。
☆勝ちゆく君へ 第29回 創価の信仰は宿命転換の直道
◇苦難こそ青春の誉れ
「難を乗り越える信心」とは、学会永遠の指針です。
仕事、家庭、勉学など、悩みは尽きなくとも、妙法を持った青春は、全てを必ず勝ち越えていける。そのための信仰です。
私も、闘病や事業の艱難、冤罪との戦い等、一つ一つ越えてきました。
戸田先生は言われました。
「問題があるから、力がつく」「そう達観して、大きく強く生き抜いていくことだ」と。
険しい試練の坂に挑む若人には、富士のごとく何ものにも揺るがぬ境涯が開かれます。
悩みの深い人こそ使命も深い。大確信で題目を唱え抜き、難を乗り越えてくれ給え!
◇j試練に挑む「賢者」の歩みを
「君が愁いに 我は泣き
我が喜びに 君は舞う」
(大阪高等学校全寮歌、作詞=沼間昌教。JASRAC 出2203823-201)
これが創価家族の絆です。
英才の男女学生部も、宝の新入生を迎え、心の通い合う、麗しい兄弟姉妹のスクラムを強めていただきたい。
ともあれ、広布のリーダーは、苦難と戦う友に寄り添い、温かな激励を送ってください。
日蓮大聖人は、池上兄弟に、「必ず三障四魔と申す障りいできたれば、賢者はよろこび愚者は退く」(新1488・全1091)と仰せです。
共々に励まし合い、喜び勇んで「賢者の信心」に立つ中に、人材育成はあります。
それぞれの誓いの檜舞台で、前進勝利の名指揮を頼みます。
2022年5月29日日曜日
2022.05.29 わが友に贈る
限界を決めるのは自分。
勝つと決めるのも自分。
生命の無限の可能性を
強く確信して祈るのだ。
信心で破れぬ壁はない!
松野殿後家尼御前御返事 P1393
『師子の声には一切の獣声を失ふ虎の影には犬恐る、日天東に出でぬれば万星の光は跡形もなし』
【通解】
師子のほえる声には他のいっさいの獣が声をひそめてしまい、虎の影を見ただけで犬は恐れる。太陽が東天に昇れば、万星の光は、跡形もなく消えてしまう。
名字の言 思いを込めた「文字」の力 2022年5月29日
ある家族の三男が、就職試験の面接を受ける日のこと。共働きの両親は早朝に、息子へのエールにそれぞれの名前を記した一枚のメモ用紙を食卓に残し、出勤した▼数時間後、出発前の三男から、両親に写真付きのメールが送られてきた。写っていたのは"朝のメモ"だった。そこには夜勤から帰宅した長男と、大学に登校する前の次男の2人分の名前が書き加えられていた。日頃から多忙な皆が、直接、顔を合わせることは少ない。それでも思いを込めた「文字」には、心を通い合わせる力がある▼戦争によって十分な教育を受けられなかった高齢の婦人。後年、結婚したものの、経済苦と家族の病気で苦しむ年月が長く続いた▼その婦人を、近所に住む学会員の女性が励ましに足しげく通った。婦人のもとには折々に、女性から聖教新聞が届いた。その紙面を飾る笑顔の写真に心を奪われた。"私もこんな笑顔になれるなら"と本紙を購読。日々、熟読する中で文字を覚えた。信心の確信に触れ、やがて入会する▼しばらくして、婦人は手紙をしたためた。「池田先生、こんにちは。○○村にくらす◎◎です。私は信心できて幸せです」——その飾り気のない一字一字に、感謝と報恩の心があふれていた。
寸鉄 2022年5月29日
「臨終只今にあり」御書 今の決意と行動が未来を創る。悔いなき日々を!(新1775・全1337)
激闘の兵庫。新たな力と関西魂で栄光峰へ登攀!圧倒的拡大を今日も皆で
正義の大神奈川が勇戦!平和広げる対話旋風を今こそ。総力で勝利を掴め
埼玉の友が力走。鉄桶の団結で民衆凱歌の劇を!勇気と執念で突破口開け
ストレス減の最高の薬は良き友人との会話—研究 友情は豊かな人生彩る宝
☆御書根本の大道 池田大作先生の講義に学ぶ 第11回 人間学の要諦
◇河合殿御返事
『人にたまたまあわせ給うならば、むかいくさきことなりとも、向かわせ給うべし。えまれぬことなりとも、えませ給え。』(新1952 ※新規収録)
◇勇気の指標
状況を良く変えるのも、悪く変えるのも、自らの一念から起こす行動いかんによって決まる。とりわけ、周囲との人間関係を大切にすることで、自分も守られる——。大聖人は、自分が苦手と思う相手にも、賢明に闊達に接していくことを教えられています。
◆◇◆
着実に一人一人と妙法の仏縁を結ぶことで、自身の環境を仏国土へと変えていくことができる。依報たる環境を変える主体者は、正報である自分の生命にほかなりません。
日本全国はもとより、世界の各地で、学会員は社会に、地域に勇んで幸の仏縁を広げてきました。立正安国の対話さながらに「主人咲み」(新34・全24)です。
同じように相手を笑顔で大きく包容し、一人また一人と味方にする努力を営々と重ねて、今日の壮大な世界広布の道が開かれてきたのです。
◆◇◆
今、慈折広布に生きゆく創価の地涌の陣列が、「世界市民」のモデルを提示していると多くの識者が語る時代になりました。
どこまでも、目の前の一人を敬い大切にしていく私たちの「人の振る舞い」が、実は、社会の基底部を変革していく漸進的、かつ確かな挑戦として期待されているのです。
◇仏縁の拡大で広布に先駆 平井由里子 総福岡女性部長
今回拝する「河合殿御返事」は、御書の新版に新たに収録された御文です。
私たちが職場や地域で出会う人の中には、性格的に合う人もいれば、そうではない人もいます。
日蓮大聖人は御文の中で、"苦手だなと思う人に、たまたま出会ったなら、勇気をもって向き合っていきなさい。笑顔になれないことであっても、笑顔を向けていきなさい"と御教示になっています。
池田先生は、「大白蓮華」3月号で本抄を講義してくださいました。
その中で、「自らの環境をより良く築き、困難な状況を打ち破るために、自分から人に接する態度を変えていきなさいとの仰せと拝されます」「着実に一人一人と妙法の仏縁を結ぶことで、自身の環境を仏国土へと変えていくことができる」と教えてくださっています。
どんな時も、どんな人とも、カラッと笑い、聡明に仏縁を結び広げていく。この「人間学の要諦」を胸に刻み、いよいよの心で仏国土の建設へと先駆していきたいと思います。
◇出会いを大切に
環境ではなく、あくまで自分自身の一念と振る舞いこそ、全てを変革していく源泉——私自身、元来、人と接することが苦手でしたが、学会活動の中で、このことを学ばせていただきました。
10年前には脳梗塞を発症。母も同じ脳の病で亡くなっていました。幸い、後遺症はなく投薬での治療に。しかし、子どもたちのことを思うと言い知れない不安に駆られました。
先輩に相談すると、"信心は不安との戦いだよ"と力強い励ましを。その言葉に勇気を奮い起こし、"絶対に生き抜いてみせる。使命を果たさせてください"と祈りに祈り、広布に駆けました。
病魔との闘いを通して、変化したことがあります。それは、訪問・激励にせよ、友人との対話にせよ、一回一回の「出会い」にかける一念です。
"これが最後かもしれない"と、たとえ自分の心が悩みに覆われている時でも、真心を込めて、笑顔で、接することを心掛けてきました。自身の闘病の体験も率直に打ち明けながら語り合うと、「実は……」と悩みを打ち明けてくださる方もおられ、固い絆を結び合うこともできました。
発病から10年がたち、師匠と共に元気に戦ってこられたことに感謝は尽きません。
一つ一つの出会いと、その出会いを大切にしていく祈りと誠実さが、自他共の人生を豊かにしてくれると深く実感します。
◇労苦を誇りと
女性部発足から1周年を刻み、世代を超えた励ましの絆で、新しい人材が各地で輝いています。
博多総県の、あるヤング白ゆり世代の友は、多忙な仕事に疲れ、将来を思い悩むように。持病も悪化し、苦しい日々を送っていた時、女性部の先輩が彼女の話をじっくり聞いてくれました。池田先生の言葉を通して励ましてもらい、希望を取り戻した彼女は、その日から信心根本に人生を切り開こうと決意。真剣に唱題し、学会活動にも挑戦しました。
また、職場で信心に無理解な人から、心ない批判を浴びることもありましたが、同志の励ましを胸に、学会の真実を語り抜きました。
そうした中で、重要な役職に就くことに。女性では初、史上最年少での抜てきでした。異動先でも変わらずに笑顔で業務に当たる彼女に対して、上司から、"あなたのように誠実で心がきれいな人は初めてだ"と信頼を寄せられています。彼女は「温かな地区の中で励ましていただいた感謝を胸に、自分らしく仏縁を広げていきます!」と決意に瞳を輝かせていました。
1967年(昭和42年)7月9日、先生は「常に先駆の九州たれ」との永遠の指針を発表してくださいました。今夏で55周年を刻みます。
かつて先生は、こう語られました。
「先駆とは、挑戦を使命とすることです。先駆とは、労苦を誇りとすることです。そして先駆とは、一番弟子の栄光です」
今こそ、師匠のあふれんばかりのご期待に応える時!
創価の三代会長、なかんずく池田先生に、不惜身命で打ち込んでいただいた「先駆の魂」を燃え上がらせる時です。
目指す広布の最高峰へ、あの友、この友に勇気の対話を広げ、立正安国のスクラムを勝ち広げていきましょう!
◇メモ
「河合殿御返事」は、弘安3年(1280年)4月19日の著作と考えられる。御文は、手紙の末尾の一紙か、もともとこの一紙のみの手紙である可能性もある。河合殿は、西山氏の一族と考えられているが、詳細は不明。
勝つと決めるのも自分。
生命の無限の可能性を
強く確信して祈るのだ。
信心で破れぬ壁はない!
松野殿後家尼御前御返事 P1393
『師子の声には一切の獣声を失ふ虎の影には犬恐る、日天東に出でぬれば万星の光は跡形もなし』
【通解】
師子のほえる声には他のいっさいの獣が声をひそめてしまい、虎の影を見ただけで犬は恐れる。太陽が東天に昇れば、万星の光は、跡形もなく消えてしまう。
名字の言 思いを込めた「文字」の力 2022年5月29日
ある家族の三男が、就職試験の面接を受ける日のこと。共働きの両親は早朝に、息子へのエールにそれぞれの名前を記した一枚のメモ用紙を食卓に残し、出勤した▼数時間後、出発前の三男から、両親に写真付きのメールが送られてきた。写っていたのは"朝のメモ"だった。そこには夜勤から帰宅した長男と、大学に登校する前の次男の2人分の名前が書き加えられていた。日頃から多忙な皆が、直接、顔を合わせることは少ない。それでも思いを込めた「文字」には、心を通い合わせる力がある▼戦争によって十分な教育を受けられなかった高齢の婦人。後年、結婚したものの、経済苦と家族の病気で苦しむ年月が長く続いた▼その婦人を、近所に住む学会員の女性が励ましに足しげく通った。婦人のもとには折々に、女性から聖教新聞が届いた。その紙面を飾る笑顔の写真に心を奪われた。"私もこんな笑顔になれるなら"と本紙を購読。日々、熟読する中で文字を覚えた。信心の確信に触れ、やがて入会する▼しばらくして、婦人は手紙をしたためた。「池田先生、こんにちは。○○村にくらす◎◎です。私は信心できて幸せです」——その飾り気のない一字一字に、感謝と報恩の心があふれていた。
寸鉄 2022年5月29日
「臨終只今にあり」御書 今の決意と行動が未来を創る。悔いなき日々を!(新1775・全1337)
激闘の兵庫。新たな力と関西魂で栄光峰へ登攀!圧倒的拡大を今日も皆で
正義の大神奈川が勇戦!平和広げる対話旋風を今こそ。総力で勝利を掴め
埼玉の友が力走。鉄桶の団結で民衆凱歌の劇を!勇気と執念で突破口開け
ストレス減の最高の薬は良き友人との会話—研究 友情は豊かな人生彩る宝
☆御書根本の大道 池田大作先生の講義に学ぶ 第11回 人間学の要諦
◇河合殿御返事
『人にたまたまあわせ給うならば、むかいくさきことなりとも、向かわせ給うべし。えまれぬことなりとも、えませ給え。』(新1952 ※新規収録)
◇勇気の指標
状況を良く変えるのも、悪く変えるのも、自らの一念から起こす行動いかんによって決まる。とりわけ、周囲との人間関係を大切にすることで、自分も守られる——。大聖人は、自分が苦手と思う相手にも、賢明に闊達に接していくことを教えられています。
◆◇◆
着実に一人一人と妙法の仏縁を結ぶことで、自身の環境を仏国土へと変えていくことができる。依報たる環境を変える主体者は、正報である自分の生命にほかなりません。
日本全国はもとより、世界の各地で、学会員は社会に、地域に勇んで幸の仏縁を広げてきました。立正安国の対話さながらに「主人咲み」(新34・全24)です。
同じように相手を笑顔で大きく包容し、一人また一人と味方にする努力を営々と重ねて、今日の壮大な世界広布の道が開かれてきたのです。
◆◇◆
今、慈折広布に生きゆく創価の地涌の陣列が、「世界市民」のモデルを提示していると多くの識者が語る時代になりました。
どこまでも、目の前の一人を敬い大切にしていく私たちの「人の振る舞い」が、実は、社会の基底部を変革していく漸進的、かつ確かな挑戦として期待されているのです。
◇仏縁の拡大で広布に先駆 平井由里子 総福岡女性部長
今回拝する「河合殿御返事」は、御書の新版に新たに収録された御文です。
私たちが職場や地域で出会う人の中には、性格的に合う人もいれば、そうではない人もいます。
日蓮大聖人は御文の中で、"苦手だなと思う人に、たまたま出会ったなら、勇気をもって向き合っていきなさい。笑顔になれないことであっても、笑顔を向けていきなさい"と御教示になっています。
池田先生は、「大白蓮華」3月号で本抄を講義してくださいました。
その中で、「自らの環境をより良く築き、困難な状況を打ち破るために、自分から人に接する態度を変えていきなさいとの仰せと拝されます」「着実に一人一人と妙法の仏縁を結ぶことで、自身の環境を仏国土へと変えていくことができる」と教えてくださっています。
どんな時も、どんな人とも、カラッと笑い、聡明に仏縁を結び広げていく。この「人間学の要諦」を胸に刻み、いよいよの心で仏国土の建設へと先駆していきたいと思います。
◇出会いを大切に
環境ではなく、あくまで自分自身の一念と振る舞いこそ、全てを変革していく源泉——私自身、元来、人と接することが苦手でしたが、学会活動の中で、このことを学ばせていただきました。
10年前には脳梗塞を発症。母も同じ脳の病で亡くなっていました。幸い、後遺症はなく投薬での治療に。しかし、子どもたちのことを思うと言い知れない不安に駆られました。
先輩に相談すると、"信心は不安との戦いだよ"と力強い励ましを。その言葉に勇気を奮い起こし、"絶対に生き抜いてみせる。使命を果たさせてください"と祈りに祈り、広布に駆けました。
病魔との闘いを通して、変化したことがあります。それは、訪問・激励にせよ、友人との対話にせよ、一回一回の「出会い」にかける一念です。
"これが最後かもしれない"と、たとえ自分の心が悩みに覆われている時でも、真心を込めて、笑顔で、接することを心掛けてきました。自身の闘病の体験も率直に打ち明けながら語り合うと、「実は……」と悩みを打ち明けてくださる方もおられ、固い絆を結び合うこともできました。
発病から10年がたち、師匠と共に元気に戦ってこられたことに感謝は尽きません。
一つ一つの出会いと、その出会いを大切にしていく祈りと誠実さが、自他共の人生を豊かにしてくれると深く実感します。
◇労苦を誇りと
女性部発足から1周年を刻み、世代を超えた励ましの絆で、新しい人材が各地で輝いています。
博多総県の、あるヤング白ゆり世代の友は、多忙な仕事に疲れ、将来を思い悩むように。持病も悪化し、苦しい日々を送っていた時、女性部の先輩が彼女の話をじっくり聞いてくれました。池田先生の言葉を通して励ましてもらい、希望を取り戻した彼女は、その日から信心根本に人生を切り開こうと決意。真剣に唱題し、学会活動にも挑戦しました。
また、職場で信心に無理解な人から、心ない批判を浴びることもありましたが、同志の励ましを胸に、学会の真実を語り抜きました。
そうした中で、重要な役職に就くことに。女性では初、史上最年少での抜てきでした。異動先でも変わらずに笑顔で業務に当たる彼女に対して、上司から、"あなたのように誠実で心がきれいな人は初めてだ"と信頼を寄せられています。彼女は「温かな地区の中で励ましていただいた感謝を胸に、自分らしく仏縁を広げていきます!」と決意に瞳を輝かせていました。
1967年(昭和42年)7月9日、先生は「常に先駆の九州たれ」との永遠の指針を発表してくださいました。今夏で55周年を刻みます。
かつて先生は、こう語られました。
「先駆とは、挑戦を使命とすることです。先駆とは、労苦を誇りとすることです。そして先駆とは、一番弟子の栄光です」
今こそ、師匠のあふれんばかりのご期待に応える時!
創価の三代会長、なかんずく池田先生に、不惜身命で打ち込んでいただいた「先駆の魂」を燃え上がらせる時です。
目指す広布の最高峰へ、あの友、この友に勇気の対話を広げ、立正安国のスクラムを勝ち広げていきましょう!
◇メモ
「河合殿御返事」は、弘安3年(1280年)4月19日の著作と考えられる。御文は、手紙の末尾の一紙か、もともとこの一紙のみの手紙である可能性もある。河合殿は、西山氏の一族と考えられているが、詳細は不明。
2022年5月28日土曜日
2022.05.28 わが友に贈る
御聖訓「人を憑んで
あやぶむことなかれ」
誰かに頼る心が
油断に通じる。
決然と一人立とう!
(新2085・全1451)
曾谷殿御返事 P1056
『何に法華経を信じ給うとも謗法あらば必ず地獄にをつべし、うるし千ばいに蟹の足一つ入れたらんが如し』
【通解】
いかに法華経を信じていても、謗法があれば必ず地獄に堕ちるのである。漆千ばいの中に蟹の足を一つ入れたようなものである。
名字の言 40年ぶりに会った先輩から渡された「一枚の色紙」 2022年5月28日
先日、ある友の大学時代の先輩が青森県から上京した。2人は年賀状のやりとりはしていたものの、直接、会うのは40年ぶり。今年67歳の先輩は「会える時に会っておきたいし、戻したいものがある」と▼先輩は、信仰の素晴らしさを教えてくれた一番身近な存在だった。学生部時代を共に広布に走り、人生の土台を築いた青春の日々が思い起こされた。しかし、先輩が言う「戻したいもの」に心当たりはなかった▼先輩がかばんから取り出したのは、黄色くなった一枚の色紙。その瞬間、45年前の学生部結成20周年を記念する部大会の光景がよみがえった。会合後、入会間もない友が"生涯、不退転の誓い"を記し、当時、学生部グループ長だった先輩に手渡したものだった▼「半世紀近くも自分の成長と活躍を祈り、見守ってくれていた。この先輩をはじめ、多くの人々に支えられてきたからこそ、今の自分がある」。感動が全身を貫いた。心からの感謝は共戦の新たな決意となり、今再びの前進の力となった▼話を伺い、創価家族のありがたさを改めて痛感した。ひとたび結んだ絆を大切にし、たとえ場所は離れていても、共に励まし、共々に進む——これが創価学会の世界である。人材育成の方程式である。
寸鉄 2022年5月28日
生命力が強いほど幸福に—恩師。青年よ師子吼の題目で逞しく試練に挑め
福岡が猛進。平和建設の先駆はわれらが。民衆の大連帯で断じて凱歌を!
愛知の友が勇気の前進! 勝ってこそ堅塁城は輝く 今こそ総立ちで壁を破れ
高齢者の虚弱予防�栄養�運動�社会参加—医師 広く声掛け合い皆で実践
60歳以上の人など4回目接種が開始。重症化防ぐために有効。対策緩めず
〈社説〉 2022・5・28 「怒る」「叱る」に頼らない
◇心に寄り添う"伴走者"に
ずっとバレーボールが嫌いでした——そう語ったのは、バレーボール元日本代表の益子直美さんだ(本紙2月20日付)。選手時代を通して、監督やコーチから怒られ続け、「自分はダメな人間なんだ」と自信が持てなくなったという。
そうした経験を踏まえて、現在は小学生向けの「監督が怒ってはいけないバレーボール大会」を主催する。子どもたちは怒られないと分かっているので、いつも以上に伸び伸びとプレーするそうだ。
さらに益子さんは「子ども自身が考えるプロセス」を大切にし、質問をされても「どうしたらいいと思う?」と問い、自発性を引き出すよう心掛けているという。
こうした取り組みは、子どものスポーツに限らず、さまざまな教育の分野においても示唆的である。指導的立場の人の中には、「怒る」と「叱る」は違うと考える人もいるだろう。だが、どちらも相手を威圧し、恐怖心を与える意味では同じという意見は多い。
『〈叱る依存〉がとまらない』(紀伊國屋書店)の著者で臨床心理士の村中直人氏は、「叱る」という行為は自分の欲求を満たす「快楽のための行為」でもあり、他者を叱ることには依存症と似た構造があると指摘する。
そしてこの「叱る依存」は、ある一つの組織において、「立場にかかわらず、誰でも率直な意見や素朴な疑問を発言しても良い」という「心理的安全性」を脅かす一番の敵であると強調している。
活発に意見を交わし合える組織には、創造的なアイデアが生まれやすく、状況の変化にも対応できる力が培われていく。先行きが不透明で答えのない今の時代にあって、そうした自由な雰囲気や柔軟性が組織を持続し、発展させていく要諦となろう。
ゆえにリーダーは、一人一人が生き生きと語り、軽やかに挑戦の一歩を踏み出せるよう心を砕きたい。御書に「人がものを教えるということは、車が重くても油を塗ることで回りやすくなり、船を水に浮かべて進みやすくする、というように教えるものです」(新1918・全1574、通解)と。
「怒る」「叱る」に頼ることなく朗らかに、一人が持つ内発性を信じ、尊重する。そこから、持てる力が何倍にも発揮されていく。どこまでも相手の心に寄り添い、共に課題に挑みゆく"伴走者"となって進みたい。
☆共生の地球社会へ〜仏法の英知に学ぶ テーマ:メディア・リテラシー
登場人物
【娘・ミライさん】好奇心旺盛な女性部員。世の中の出来事について、父・ホープ博士と語り合うことを楽しみにしている。
【父・ホープ博士】勉強熱心な壮年部員。毎月1回、家族と一緒に教学を研さんしている。「博士」はニックネーム。本業は会社員。
◇賢明な眼を養い、情報に向き合う
ホープ 同僚から転送されてきた感動的なメールを送ったけれど、読んでくれたかな?
ミライ 興味を引く内容だろうけれど、出所不明で真実味がないから、広げない方がいいと思うよ。
新型コロナウイルスの感染拡大が始まった頃を思い出してみて。
"感染の影響で、中国から紙の輸入が途絶えるから、トイレットペーパーが品薄になる"といった情報がインターネットで拡散されたことで、買い占められ、店頭から相次いで消えたよね。けれども実際は、トイレットペーパーの多くは日本製。供給力に問題はなかった。
ホープ そうだったね!
ミライ 疫病の流行期や災害時には、デマが広まりやすいから注意が必要だよ。
人は、不測の事態に直面すると不安に陥り、情報の空白を埋めようとして、信ぴょう性に欠ける情報までも広めてしまうことがあるんだ。
ホープ 「一刻も早く教えたい」という善意の人も多いと思うけどね……。でも、結果的にデマの拡散に加担してしまいかねないんだね。
ミライ そうだよ。SNS(会員制交流サイト)大手のツイッターの実験によると、フェイクニュースの方が真実よりも、速く広まるとの結果が出ているよ。
テレビやインターネットが普及した現代の情報伝達力は、スペイン風邪が流行した百年前と比べて、150万倍との試算もあるんだ。
その恩恵で、自然災害といった危機に対して、地球規模で迅速に対応することもできているけれどね。
ホープ いずれにしても、玉石混交の情報を、受け手がどう選び取るかにかかっている。
◇分断を生むデマ
ミライ 情報を読み解く能力のことを、「メディア・リテラシー」というよ。情報を適切に判断・分析して、決定を下す力を、一人一人が身に付けていくことが重要なんだ。
ホープ 注意しなければいけないのは、人々の不安な気持ちにつけこんで、社会を扇動したり、特定の人・団体に憎しみの感情を向けさせたりするような情報だね。
差別や偏見が広まると、社会の基盤を損ね、分断が加速する。何より、虚偽を広めるのは、悪の常とう手段ともいえる。
日蓮大聖人は、女性問題がある「犯僧」と喧伝され、ありもしないデマを流されたんだ。
ミライ 卑劣な手口で人を陥れる構図は、いつの時代も同じだね。
ホープ 真言宗の弘法が、自身の著作で"夜中に太陽が出た"などと異常現象が起きたと書いている。これに対して、大聖人は、"それは、いずれの月の何日、何時の出来事なのか""仏典にもその他の書物にも記録がない"と、具体的に追及し、「明確な証拠もないのに信用できるわけがない」と喝破されているんだ(新248・全319、趣意)。
ミライ 徹底した証拠主義は、メディア・リテラシーを高めることに通じるね。
ホープ 大聖人の門下は、放火や殺人といったデマを流されたんだ。そうした悪縁に触れることで、信心が揺れ動いてしまう弟子もいた。
御書には、こうも仰せだよ。
「菩提心を発す人は多けれども、退せずして実の道に入る者は少なし。すべて凡夫の菩提心は、多く悪縁にたぼらかされ、事にふれて移りやすきものなり」(新1990・全1384)
大聖人は、門下が誤った思想に陥らないよう、真実を見抜く眼を持つことを訴えられたんだ。ある意味、大聖人の御闘争は、民衆を賢明にするためのものだったとも拝されるね。
◇知識を生かす知恵
ミライ 私たちも情報に翻弄されることなく、賢く向き合わなければいけないよね。
フェイクニュースを見抜く自信があると感じている人は、約2割にすぎないとの調査もあるよ。不確かな情報は絶対に流さない方がいいね。
ホープ 池田先生は、メディア・リテラシーの浸透を念願した上で、次のように語られているよ。
「情報を整理し、正しく認識していくことが、ますます大事ではないでしょうか。さらに言えば、知識は、ただちに人間を幸福にしません。人間の幸福を左右するのは、知識を生かす知恵を持っているかどうかである」(『見つめあう西と東』第三文明社)
ミライ 確かに、情報そのものは知恵ではないよね。
豊かな知恵を得るためには、一部の情報だけを過信せず、いろいろな考えをもつ人と触れ合っていくことが大切だと思う。
間違った思い込みに気付くことができたり、新たな発見が生まれたりするからね。
一人一人の幸福と、社会の繁栄のために情報を活用するという目的観を忘れないことが重要なんだね。
◇御文
『菩提心を発す人は多けれども、退せずして実の道に入る者は少なし。すべて凡夫の菩提心は、多く悪縁にたぼらかされ、事にふれて移りやすきものなり。』(松野殿御返事、新1990・全1384)
◇メモ
さまざまな縁に触れて移ろいやすいのが人の心です。困難に直面する中で、「悪縁」にたぶらかされてしまえば、愚痴や不平不満に心が支配され、信心を全うすることはできなくなってしまいます。
玉石混交の情報があふれている時代だからこそ、信頼できる同志と何でも語り合い、視野を広げ、目の前の課題を乗り越える知恵を育むことが大切です。そうした信心の姿勢が聡明な自身を築いていくのです。
◇[コラム:"いま"を知る]"脊髄反射"をしない
新型コロナウイルスの世界的大流行に伴い、SNSなどを通じ、うわさやデマなどを含んだ真偽不明の情報が大量に拡散された。
不確かな情報が大量に広がることを、インフォメーションと、エピデミック(感染症の広がり)を組み合わせて「インフォデミック」と呼ぶ。国連が注意喚起をするほど、地球規模の問題となった。
千葉大学の藤川大祐教授は、ネットの情報を扱う上で、"脊髄反射"をしないことを訴えている。具体的には、目にした情報を即座に拡散したり、反対意見をすぐに、たたいたりしないこと。なぜ、こういうことを書いているのか、一呼吸置いて情報と向き合う癖をつけることが大切だという。
仏典には、「浅きを去って深きに就くは、丈夫の心なり」(新612・全509)とある。一時の感情に流されることなく、物事の本質や優劣をより深く問いながら、"情報の洪水"に抗う冷静な判断力を養っていきたい。
あやぶむことなかれ」
誰かに頼る心が
油断に通じる。
決然と一人立とう!
(新2085・全1451)
曾谷殿御返事 P1056
『何に法華経を信じ給うとも謗法あらば必ず地獄にをつべし、うるし千ばいに蟹の足一つ入れたらんが如し』
【通解】
いかに法華経を信じていても、謗法があれば必ず地獄に堕ちるのである。漆千ばいの中に蟹の足を一つ入れたようなものである。
名字の言 40年ぶりに会った先輩から渡された「一枚の色紙」 2022年5月28日
先日、ある友の大学時代の先輩が青森県から上京した。2人は年賀状のやりとりはしていたものの、直接、会うのは40年ぶり。今年67歳の先輩は「会える時に会っておきたいし、戻したいものがある」と▼先輩は、信仰の素晴らしさを教えてくれた一番身近な存在だった。学生部時代を共に広布に走り、人生の土台を築いた青春の日々が思い起こされた。しかし、先輩が言う「戻したいもの」に心当たりはなかった▼先輩がかばんから取り出したのは、黄色くなった一枚の色紙。その瞬間、45年前の学生部結成20周年を記念する部大会の光景がよみがえった。会合後、入会間もない友が"生涯、不退転の誓い"を記し、当時、学生部グループ長だった先輩に手渡したものだった▼「半世紀近くも自分の成長と活躍を祈り、見守ってくれていた。この先輩をはじめ、多くの人々に支えられてきたからこそ、今の自分がある」。感動が全身を貫いた。心からの感謝は共戦の新たな決意となり、今再びの前進の力となった▼話を伺い、創価家族のありがたさを改めて痛感した。ひとたび結んだ絆を大切にし、たとえ場所は離れていても、共に励まし、共々に進む——これが創価学会の世界である。人材育成の方程式である。
寸鉄 2022年5月28日
生命力が強いほど幸福に—恩師。青年よ師子吼の題目で逞しく試練に挑め
福岡が猛進。平和建設の先駆はわれらが。民衆の大連帯で断じて凱歌を!
愛知の友が勇気の前進! 勝ってこそ堅塁城は輝く 今こそ総立ちで壁を破れ
高齢者の虚弱予防�栄養�運動�社会参加—医師 広く声掛け合い皆で実践
60歳以上の人など4回目接種が開始。重症化防ぐために有効。対策緩めず
〈社説〉 2022・5・28 「怒る」「叱る」に頼らない
◇心に寄り添う"伴走者"に
ずっとバレーボールが嫌いでした——そう語ったのは、バレーボール元日本代表の益子直美さんだ(本紙2月20日付)。選手時代を通して、監督やコーチから怒られ続け、「自分はダメな人間なんだ」と自信が持てなくなったという。
そうした経験を踏まえて、現在は小学生向けの「監督が怒ってはいけないバレーボール大会」を主催する。子どもたちは怒られないと分かっているので、いつも以上に伸び伸びとプレーするそうだ。
さらに益子さんは「子ども自身が考えるプロセス」を大切にし、質問をされても「どうしたらいいと思う?」と問い、自発性を引き出すよう心掛けているという。
こうした取り組みは、子どものスポーツに限らず、さまざまな教育の分野においても示唆的である。指導的立場の人の中には、「怒る」と「叱る」は違うと考える人もいるだろう。だが、どちらも相手を威圧し、恐怖心を与える意味では同じという意見は多い。
『〈叱る依存〉がとまらない』(紀伊國屋書店)の著者で臨床心理士の村中直人氏は、「叱る」という行為は自分の欲求を満たす「快楽のための行為」でもあり、他者を叱ることには依存症と似た構造があると指摘する。
そしてこの「叱る依存」は、ある一つの組織において、「立場にかかわらず、誰でも率直な意見や素朴な疑問を発言しても良い」という「心理的安全性」を脅かす一番の敵であると強調している。
活発に意見を交わし合える組織には、創造的なアイデアが生まれやすく、状況の変化にも対応できる力が培われていく。先行きが不透明で答えのない今の時代にあって、そうした自由な雰囲気や柔軟性が組織を持続し、発展させていく要諦となろう。
ゆえにリーダーは、一人一人が生き生きと語り、軽やかに挑戦の一歩を踏み出せるよう心を砕きたい。御書に「人がものを教えるということは、車が重くても油を塗ることで回りやすくなり、船を水に浮かべて進みやすくする、というように教えるものです」(新1918・全1574、通解)と。
「怒る」「叱る」に頼ることなく朗らかに、一人が持つ内発性を信じ、尊重する。そこから、持てる力が何倍にも発揮されていく。どこまでも相手の心に寄り添い、共に課題に挑みゆく"伴走者"となって進みたい。
☆共生の地球社会へ〜仏法の英知に学ぶ テーマ:メディア・リテラシー
登場人物
【娘・ミライさん】好奇心旺盛な女性部員。世の中の出来事について、父・ホープ博士と語り合うことを楽しみにしている。
【父・ホープ博士】勉強熱心な壮年部員。毎月1回、家族と一緒に教学を研さんしている。「博士」はニックネーム。本業は会社員。
◇賢明な眼を養い、情報に向き合う
ホープ 同僚から転送されてきた感動的なメールを送ったけれど、読んでくれたかな?
ミライ 興味を引く内容だろうけれど、出所不明で真実味がないから、広げない方がいいと思うよ。
新型コロナウイルスの感染拡大が始まった頃を思い出してみて。
"感染の影響で、中国から紙の輸入が途絶えるから、トイレットペーパーが品薄になる"といった情報がインターネットで拡散されたことで、買い占められ、店頭から相次いで消えたよね。けれども実際は、トイレットペーパーの多くは日本製。供給力に問題はなかった。
ホープ そうだったね!
ミライ 疫病の流行期や災害時には、デマが広まりやすいから注意が必要だよ。
人は、不測の事態に直面すると不安に陥り、情報の空白を埋めようとして、信ぴょう性に欠ける情報までも広めてしまうことがあるんだ。
ホープ 「一刻も早く教えたい」という善意の人も多いと思うけどね……。でも、結果的にデマの拡散に加担してしまいかねないんだね。
ミライ そうだよ。SNS(会員制交流サイト)大手のツイッターの実験によると、フェイクニュースの方が真実よりも、速く広まるとの結果が出ているよ。
テレビやインターネットが普及した現代の情報伝達力は、スペイン風邪が流行した百年前と比べて、150万倍との試算もあるんだ。
その恩恵で、自然災害といった危機に対して、地球規模で迅速に対応することもできているけれどね。
ホープ いずれにしても、玉石混交の情報を、受け手がどう選び取るかにかかっている。
◇分断を生むデマ
ミライ 情報を読み解く能力のことを、「メディア・リテラシー」というよ。情報を適切に判断・分析して、決定を下す力を、一人一人が身に付けていくことが重要なんだ。
ホープ 注意しなければいけないのは、人々の不安な気持ちにつけこんで、社会を扇動したり、特定の人・団体に憎しみの感情を向けさせたりするような情報だね。
差別や偏見が広まると、社会の基盤を損ね、分断が加速する。何より、虚偽を広めるのは、悪の常とう手段ともいえる。
日蓮大聖人は、女性問題がある「犯僧」と喧伝され、ありもしないデマを流されたんだ。
ミライ 卑劣な手口で人を陥れる構図は、いつの時代も同じだね。
ホープ 真言宗の弘法が、自身の著作で"夜中に太陽が出た"などと異常現象が起きたと書いている。これに対して、大聖人は、"それは、いずれの月の何日、何時の出来事なのか""仏典にもその他の書物にも記録がない"と、具体的に追及し、「明確な証拠もないのに信用できるわけがない」と喝破されているんだ(新248・全319、趣意)。
ミライ 徹底した証拠主義は、メディア・リテラシーを高めることに通じるね。
ホープ 大聖人の門下は、放火や殺人といったデマを流されたんだ。そうした悪縁に触れることで、信心が揺れ動いてしまう弟子もいた。
御書には、こうも仰せだよ。
「菩提心を発す人は多けれども、退せずして実の道に入る者は少なし。すべて凡夫の菩提心は、多く悪縁にたぼらかされ、事にふれて移りやすきものなり」(新1990・全1384)
大聖人は、門下が誤った思想に陥らないよう、真実を見抜く眼を持つことを訴えられたんだ。ある意味、大聖人の御闘争は、民衆を賢明にするためのものだったとも拝されるね。
◇知識を生かす知恵
ミライ 私たちも情報に翻弄されることなく、賢く向き合わなければいけないよね。
フェイクニュースを見抜く自信があると感じている人は、約2割にすぎないとの調査もあるよ。不確かな情報は絶対に流さない方がいいね。
ホープ 池田先生は、メディア・リテラシーの浸透を念願した上で、次のように語られているよ。
「情報を整理し、正しく認識していくことが、ますます大事ではないでしょうか。さらに言えば、知識は、ただちに人間を幸福にしません。人間の幸福を左右するのは、知識を生かす知恵を持っているかどうかである」(『見つめあう西と東』第三文明社)
ミライ 確かに、情報そのものは知恵ではないよね。
豊かな知恵を得るためには、一部の情報だけを過信せず、いろいろな考えをもつ人と触れ合っていくことが大切だと思う。
間違った思い込みに気付くことができたり、新たな発見が生まれたりするからね。
一人一人の幸福と、社会の繁栄のために情報を活用するという目的観を忘れないことが重要なんだね。
◇御文
『菩提心を発す人は多けれども、退せずして実の道に入る者は少なし。すべて凡夫の菩提心は、多く悪縁にたぼらかされ、事にふれて移りやすきものなり。』(松野殿御返事、新1990・全1384)
◇メモ
さまざまな縁に触れて移ろいやすいのが人の心です。困難に直面する中で、「悪縁」にたぶらかされてしまえば、愚痴や不平不満に心が支配され、信心を全うすることはできなくなってしまいます。
玉石混交の情報があふれている時代だからこそ、信頼できる同志と何でも語り合い、視野を広げ、目の前の課題を乗り越える知恵を育むことが大切です。そうした信心の姿勢が聡明な自身を築いていくのです。
◇[コラム:"いま"を知る]"脊髄反射"をしない
新型コロナウイルスの世界的大流行に伴い、SNSなどを通じ、うわさやデマなどを含んだ真偽不明の情報が大量に拡散された。
不確かな情報が大量に広がることを、インフォメーションと、エピデミック(感染症の広がり)を組み合わせて「インフォデミック」と呼ぶ。国連が注意喚起をするほど、地球規模の問題となった。
千葉大学の藤川大祐教授は、ネットの情報を扱う上で、"脊髄反射"をしないことを訴えている。具体的には、目にした情報を即座に拡散したり、反対意見をすぐに、たたいたりしないこと。なぜ、こういうことを書いているのか、一呼吸置いて情報と向き合う癖をつけることが大切だという。
仏典には、「浅きを去って深きに就くは、丈夫の心なり」(新612・全509)とある。一時の感情に流されることなく、物事の本質や優劣をより深く問いながら、"情報の洪水"に抗う冷静な判断力を養っていきたい。
2022年5月27日金曜日
2022.05.27 わが友に贈る
煩悩即菩提の仏法だ。
題目を根本に
悩み挑んだ分だけ
境涯は大きく開く。
粘り強く前へ進もう!
種種御振舞御書 P917
『日蓮が仏にならん第一のかたうどは景信法師には良観道隆道阿弥陀仏と平左衛門尉守殿ましまさずんば争か法華経の行者とはなるべきと悦ぶ』
【通解】
日蓮が仏になるための第一の味方は、(大聖人を憎み、命をねらった)東条景信であり、僧侶では(権力と結託し、大聖人を陥れようとした)極楽寺良観、建長寺道隆、道阿弥陀仏であり、また(権力を発動して大聖人を迫害した)平左衛門尉、北条時宗殿である。彼らがおられなかったならば、日蓮はどうして法華経の行者になれたであろうかと悦んでいる。
名字の言 「法華経は随自意なり」 2022年5月27日
「なぜ山に登るのか——。そこに友の家があるからです」と笑顔で語る壮年は、宮崎県北部の山間部で活躍している▼旧習深い地域で57年前に入会。当時は学会の話をすると、塩をまかれ、罵声を浴びせられたという。だが壮年は地域の人の幸せと繁栄を懸命に祈り、仏法対話に挑み続けた。「悪口や圧力があると、かえって闘志が湧いてね。御書の仰せ通りだ。これで宿命転換できるって」▼一人また一人、弘教を実らせた。入会した友は病や家庭不和などを克服し、信仰の功力を確信した。皆で"日本一心豊かな場所にしよう"と誓い、集落のさまざまな役を担い、住民に尽くした。そして対話を繰り広げ、今では「聖教新聞を一生読ませてもらいます」「学会員さんがいれば未来は明るい」など理解と称賛の声が続々と寄せられるように▼御聖訓に「法華経は随自意なり」(新2059・全1437)と。対話する際、相手の意見を聞くことは大切だが、心からその人のことを思うのなら、慈悲を根本に自らの信念を堂々と語ることだ。そうすれば確かな信頼が残る▼人からどう思われるかよりも、相手の幸福をどれだけ真剣に思い行動するか。それを自身に問いながら、誠実に勇気を出して対話に挑もう。
寸鉄 2022年5月27日
「目的なしの行動は暗中模索」牧口先生。明確な目標を定め一日一日勝利
常勝兵庫が破竹の攻勢! 師子は強い。断じて勝つ。全ての創価家族が大応援
神奈川女性部の日。勇気と確信の対話広げる広布の太陽。さあ栄光の峰へ
来年、広島でG7。公明が要請。被爆の実相伝え核なき世界へ日本が旗振れ
首都直下地震、対策次第で被害大幅減少と。初期消火等の訓練を日頃から
☆異体同心の信心は不敗——各部代表者会議行う
第16回各部代表者会議が25日、原田会長を中心に、東京・信濃町の広宣会館(学会本部別館内)で行われた。
池田先生はメッセージを贈り、新しい力の脈動を広げた常勝関西大躍進大会(今月10、11日)の大成功を改めて祝福。1956年(昭和31年)に雨の大阪球場(当時)で開かれた「大阪・堺二支部連合総会」以来、関西に脈打つ"目立たない、陰での辛抱強い行動が大きな仕事を成就する"との誇り高き大確信で、今再び威風堂々と跳躍しようと呼び掛けた。
次いで、1275年(建治元年)5月25日、御本仏が女性門下のたゆみない信心をたたえ、贈られた「この功徳は、父母・祖父母、乃至無辺の衆生にもおよぼしてん」(新1705・全1231)を拝読。広布のため、社会のために行動した分だけ、縁する一人一人に無量無辺の功徳を及ぼし、幸の仏種を広げていけると強調した。
さらに、戸田城聖先生の「異体同心の信心が強ければ強いほど、いかなることがあっても、青年は敗れることはない」との指導を紹介しつつ、宝の全同志の健康と福運を祈り抜きながら、いよいよ燃え上がる異体同心の信心と団結で、険路を勝ち越えよう!と述べ、メッセージを結んだ。
原田会長は、「人々すくなく候えども、大事を成じ」(新2055・全1463)を拝し、いかなる環境の変化にも、師弟を根幹に団結第一で進む中に広宣流布の勝利はあると語り、師弟の月・7月を民衆の凱歌で飾ろうと訴えた。長谷川理事長、池田主任副会長、新福総福岡男子部長、野中総埼玉青年部長、力武総神奈川男子部長があいさつした。
☆みんなで学ぶ教学 第28回 五十展転
◇自らが歓喜の"起点"に
どの地域でも、創価学会の会合は、信心の素晴らしさを実感した"喜びの声"にあふれています。今回の「みんなで学ぶ教学」は、「五十展転」がテーマです。地区の会合で体験発表を聞いた新入会者のカツヤくんは、ユタカ支部長に感動を伝えているようです。
カツヤ 信仰の素晴らしさを語る、学会員の体験発表や活動報告は、感動的ですね! それに、聞いた自分も、誰かに信心の偉大さを語りたくなるから不思議です。
ユタカ そうだね。信心の功徳を実感し、歓喜している姿は、仏法の偉大さの証明といえるんだ。その信仰の喜びは、必ず周囲に伝わっていくんだよ。
カツヤくんは、「五十展転」という法理を聞いたことはあるかな?
カツヤ 「五十展転」ですか……。初めて聞きました。
ユタカ 法華経の随喜功徳品第18に、記されているんだ。"法華経を信じる人々が、法華経を聞いて随喜、つまり喜ぶならば、どれだけの福徳を得るだろうか"との問いから始まるんだ。その問いに対する、釈尊の答えとして語られるのが「五十展転」なんだよ。
カツヤ どのようなことが、説かれているのでしょうか?
ユタカ その内容は、"仏の滅後に、法華経を聞いて喜んだ人が、その喜びを人に伝え、さらに、それを聞いて喜んだ人がまた他の人に喜びを伝える。そのようにして、法を聞いた喜びを伝え広げていき、50番目の人になったとする。その50番目の人の功徳ですら莫大なものである"というものなんだ。
法華経を聞くことによる歓喜は、どこまでも広がり続けていくんだね。
カツヤ すごいことですね。
ユタカ 経文の文字通りに読めば、50番目の人は喜んだだけで、誰かに法を説いていないといえるんだ。それでも、莫大な功徳があると記されているのは、法華経を聞いて喜ぶことにも、大きな功徳があることを表しているんだよ。
カツヤ 仏法を聞いて喜ぶだけでも、素晴らしいことなんですね。
ユタカ でも、"最初に語る人"がいなければ、50人どころか、誰にも伝わっていかない。そして、日蓮大聖人が、「『喜』とは、自他共に喜ぶことなり」(新1061・全761)と仰せのように、心から仏法に歓喜したならば、必ず誰かに語って、共に喜びたくなるものだよ。
「五十展転」は、50番目の人の功徳を説いた上で、"まして、最初に法華経を聞いて歓喜して法を説いた人の功徳は計り知れない"ということも表しているんだ。
カツヤ 最初に法を説く人には、とてつもない功徳がありそうですね。
ユタカ だから、自らが歓喜の"起点"となって仏法を語り広げていくことが大事なんだね。
その"喜びの声"は、"自身の人間革命を成し遂げる声"となっていくんだよ。
カツヤ 朗らかに対話に挑戦している、地区の皆さんが輝いて見える理由が、分かった気がします。
ユタカ 池田先生は「『随喜』とは喜びです。私たちの立場でいえば、南無妙法蓮華経という最高の法を聴いて湧き起こる喜びであり、大歓喜です。(中略)歓喜と躍動の生命は、既に大幸福境涯といってよい。そして、随喜すれば、人びとに妙法を語らずにはいられなくなり、おのずから折伏・弘教の実践が始まる。それが、ますます大功徳を積んでいくことになる」と、つづられているんだ。
"信心の素晴らしさを語らずにはいられない"——学会員一人一人の歓喜の姿が、世界広布を進める原動力となってきたんだね。
カツヤ なるほど……。僕も誰かに信心の喜びを伝えたくて、うずうずしてきました。これから友人に連絡を取って、会いに行ってきます!
ユタカ カツヤくんの姿を見て、私もそうしようと思っていたところだよ。
題目を根本に
悩み挑んだ分だけ
境涯は大きく開く。
粘り強く前へ進もう!
種種御振舞御書 P917
『日蓮が仏にならん第一のかたうどは景信法師には良観道隆道阿弥陀仏と平左衛門尉守殿ましまさずんば争か法華経の行者とはなるべきと悦ぶ』
【通解】
日蓮が仏になるための第一の味方は、(大聖人を憎み、命をねらった)東条景信であり、僧侶では(権力と結託し、大聖人を陥れようとした)極楽寺良観、建長寺道隆、道阿弥陀仏であり、また(権力を発動して大聖人を迫害した)平左衛門尉、北条時宗殿である。彼らがおられなかったならば、日蓮はどうして法華経の行者になれたであろうかと悦んでいる。
名字の言 「法華経は随自意なり」 2022年5月27日
「なぜ山に登るのか——。そこに友の家があるからです」と笑顔で語る壮年は、宮崎県北部の山間部で活躍している▼旧習深い地域で57年前に入会。当時は学会の話をすると、塩をまかれ、罵声を浴びせられたという。だが壮年は地域の人の幸せと繁栄を懸命に祈り、仏法対話に挑み続けた。「悪口や圧力があると、かえって闘志が湧いてね。御書の仰せ通りだ。これで宿命転換できるって」▼一人また一人、弘教を実らせた。入会した友は病や家庭不和などを克服し、信仰の功力を確信した。皆で"日本一心豊かな場所にしよう"と誓い、集落のさまざまな役を担い、住民に尽くした。そして対話を繰り広げ、今では「聖教新聞を一生読ませてもらいます」「学会員さんがいれば未来は明るい」など理解と称賛の声が続々と寄せられるように▼御聖訓に「法華経は随自意なり」(新2059・全1437)と。対話する際、相手の意見を聞くことは大切だが、心からその人のことを思うのなら、慈悲を根本に自らの信念を堂々と語ることだ。そうすれば確かな信頼が残る▼人からどう思われるかよりも、相手の幸福をどれだけ真剣に思い行動するか。それを自身に問いながら、誠実に勇気を出して対話に挑もう。
寸鉄 2022年5月27日
「目的なしの行動は暗中模索」牧口先生。明確な目標を定め一日一日勝利
常勝兵庫が破竹の攻勢! 師子は強い。断じて勝つ。全ての創価家族が大応援
神奈川女性部の日。勇気と確信の対話広げる広布の太陽。さあ栄光の峰へ
来年、広島でG7。公明が要請。被爆の実相伝え核なき世界へ日本が旗振れ
首都直下地震、対策次第で被害大幅減少と。初期消火等の訓練を日頃から
☆異体同心の信心は不敗——各部代表者会議行う
第16回各部代表者会議が25日、原田会長を中心に、東京・信濃町の広宣会館(学会本部別館内)で行われた。
池田先生はメッセージを贈り、新しい力の脈動を広げた常勝関西大躍進大会(今月10、11日)の大成功を改めて祝福。1956年(昭和31年)に雨の大阪球場(当時)で開かれた「大阪・堺二支部連合総会」以来、関西に脈打つ"目立たない、陰での辛抱強い行動が大きな仕事を成就する"との誇り高き大確信で、今再び威風堂々と跳躍しようと呼び掛けた。
次いで、1275年(建治元年)5月25日、御本仏が女性門下のたゆみない信心をたたえ、贈られた「この功徳は、父母・祖父母、乃至無辺の衆生にもおよぼしてん」(新1705・全1231)を拝読。広布のため、社会のために行動した分だけ、縁する一人一人に無量無辺の功徳を及ぼし、幸の仏種を広げていけると強調した。
さらに、戸田城聖先生の「異体同心の信心が強ければ強いほど、いかなることがあっても、青年は敗れることはない」との指導を紹介しつつ、宝の全同志の健康と福運を祈り抜きながら、いよいよ燃え上がる異体同心の信心と団結で、険路を勝ち越えよう!と述べ、メッセージを結んだ。
原田会長は、「人々すくなく候えども、大事を成じ」(新2055・全1463)を拝し、いかなる環境の変化にも、師弟を根幹に団結第一で進む中に広宣流布の勝利はあると語り、師弟の月・7月を民衆の凱歌で飾ろうと訴えた。長谷川理事長、池田主任副会長、新福総福岡男子部長、野中総埼玉青年部長、力武総神奈川男子部長があいさつした。
☆みんなで学ぶ教学 第28回 五十展転
◇自らが歓喜の"起点"に
どの地域でも、創価学会の会合は、信心の素晴らしさを実感した"喜びの声"にあふれています。今回の「みんなで学ぶ教学」は、「五十展転」がテーマです。地区の会合で体験発表を聞いた新入会者のカツヤくんは、ユタカ支部長に感動を伝えているようです。
カツヤ 信仰の素晴らしさを語る、学会員の体験発表や活動報告は、感動的ですね! それに、聞いた自分も、誰かに信心の偉大さを語りたくなるから不思議です。
ユタカ そうだね。信心の功徳を実感し、歓喜している姿は、仏法の偉大さの証明といえるんだ。その信仰の喜びは、必ず周囲に伝わっていくんだよ。
カツヤくんは、「五十展転」という法理を聞いたことはあるかな?
カツヤ 「五十展転」ですか……。初めて聞きました。
ユタカ 法華経の随喜功徳品第18に、記されているんだ。"法華経を信じる人々が、法華経を聞いて随喜、つまり喜ぶならば、どれだけの福徳を得るだろうか"との問いから始まるんだ。その問いに対する、釈尊の答えとして語られるのが「五十展転」なんだよ。
カツヤ どのようなことが、説かれているのでしょうか?
ユタカ その内容は、"仏の滅後に、法華経を聞いて喜んだ人が、その喜びを人に伝え、さらに、それを聞いて喜んだ人がまた他の人に喜びを伝える。そのようにして、法を聞いた喜びを伝え広げていき、50番目の人になったとする。その50番目の人の功徳ですら莫大なものである"というものなんだ。
法華経を聞くことによる歓喜は、どこまでも広がり続けていくんだね。
カツヤ すごいことですね。
ユタカ 経文の文字通りに読めば、50番目の人は喜んだだけで、誰かに法を説いていないといえるんだ。それでも、莫大な功徳があると記されているのは、法華経を聞いて喜ぶことにも、大きな功徳があることを表しているんだよ。
カツヤ 仏法を聞いて喜ぶだけでも、素晴らしいことなんですね。
ユタカ でも、"最初に語る人"がいなければ、50人どころか、誰にも伝わっていかない。そして、日蓮大聖人が、「『喜』とは、自他共に喜ぶことなり」(新1061・全761)と仰せのように、心から仏法に歓喜したならば、必ず誰かに語って、共に喜びたくなるものだよ。
「五十展転」は、50番目の人の功徳を説いた上で、"まして、最初に法華経を聞いて歓喜して法を説いた人の功徳は計り知れない"ということも表しているんだ。
カツヤ 最初に法を説く人には、とてつもない功徳がありそうですね。
ユタカ だから、自らが歓喜の"起点"となって仏法を語り広げていくことが大事なんだね。
その"喜びの声"は、"自身の人間革命を成し遂げる声"となっていくんだよ。
カツヤ 朗らかに対話に挑戦している、地区の皆さんが輝いて見える理由が、分かった気がします。
ユタカ 池田先生は「『随喜』とは喜びです。私たちの立場でいえば、南無妙法蓮華経という最高の法を聴いて湧き起こる喜びであり、大歓喜です。(中略)歓喜と躍動の生命は、既に大幸福境涯といってよい。そして、随喜すれば、人びとに妙法を語らずにはいられなくなり、おのずから折伏・弘教の実践が始まる。それが、ますます大功徳を積んでいくことになる」と、つづられているんだ。
"信心の素晴らしさを語らずにはいられない"——学会員一人一人の歓喜の姿が、世界広布を進める原動力となってきたんだね。
カツヤ なるほど……。僕も誰かに信心の喜びを伝えたくて、うずうずしてきました。これから友人に連絡を取って、会いに行ってきます!
ユタカ カツヤくんの姿を見て、私もそうしようと思っていたところだよ。
2022年5月26日木曜日
2022.05.26 わが友に贈る
一言を大事にする人は
心を大切にできる人だ。
どうすれば友が喜び
自信を持てるか。
言葉に祈りを重ねよう!
阿仏房御書 P1304
『抑宝塔の御供養の物銭一貫文白米しなじなをくり物たしかにうけとり候い了んぬ、此の趣御本尊法華経にもねんごろに申し上げ候御心やすくおぼしめし候へ』
【通解】
さて、宝塔への御供養の品として、銭一貫文と白米、それに種々の贈り物を、確かに受け取りました。あなたのこの志を、御本尊・法華経に丁重に申し上げました。御安心ください。
名字の言 「妙音会」の集いに参加して 2022年5月26日
聴覚に障がいのある友のグループ「妙音会」の集いに参加した。会合前、館内のホワイトボードを会場前方に移動し、御書の御文や通解等を書いていく▼御書講義が始まった。健常者のリーダーの言葉を手話通訳者が伝える。通訳者の"手の動き"を真剣に見入る妙音会の友。この時、御文等を板書した意味が分かった。健常者は御書を見ながら講義を耳で聞くことができるが、それと同じ環境——御書と手話通訳者を同時に見ることができる状況を提供するためだった▼相手の立場に立って行動することは、何と難しいことだろう。自分が世界の中心にいる限り、自分の目でしか相手を見ることができない。そんな小さな自分への執着を捨てて、相手の世界に入って行動する時、共感が生まれる。新しい目が開かれる▼会合が終わり、妙音会の友が帰宅する時のこと。会合の模様を聞いた会館警備を担当する壮年が、にわか仕込みの手話で「ありがとうございました」と伝えた。妙音会の友は満面の笑みで同じ手話を返した。「心が通じました」と壮年も目を細めた▼相手を完全に理解することは困難だが、だからといって相手の立場に立つ努力は惜しむまい。さあ、きょうも心と心を通わせる対話の一日を!
寸鉄 2022年5月26日
幹部の熱と確信が発展の要諦—戸田先生。闘魂を燃やし拡大。率先の将に
広島県女性部の日。地域照らす平和の太陽。"私の対話"から希望の連帯を
佐賀県女性部の日45周年 栄えの国に広がる語らいの薫風。友好の花、万朶と
御聖訓「鉄は炎い打てば剣となる」。全ての労苦が糧に。鍛えの道を邁進(新1288・全958)
子を乗せた自転車の転倒事故に注意。ヘルメットやベルトの着用等を必ず
〈社説〉 2022・5・26 進化する自動運転車
◇人間のための科学技術を
先日、車の試乗に出掛けた時のこと。その性能の向上ぶりに驚かされた。速度を一定に保つ機能やブレーキアシスト……。少し前までは高級車にしか搭載されていなかった技術が、コンパクトカーや軽自動車にまで使われるようになっている。
自動運転技術には、レベル0からレベル5までの6段階がある。レベル0というのは、自動化技術が何もない状態。いわゆる従来の自動車だ。レベル1、2は、衝突被害軽減ブレーキ、車間距離制御装置などのように、アクセルやブレーキ操作を支援する仕組み。運転支援はこれに当たる。
レベル3になると、高速道路などの限定された領域で、自動運転する仕組みになる。限定された領域とはいえ、ドライバーの操作なしに走行が可能なため、このレベルからが自動運転と言える。ただ、自動走行中に何かあった時のため、ドライバーがすぐに運転に戻れなければならない。
レベル4は、決められた条件下であれば、ドライバーを介在せず、システムだけでの走行が可能になる。現在、各地でラストワンマイル(主に中山間部で、公共交通の最終地と自宅など最終目的地を結ぶ移動システム)などの実証実験が行われている。レベル5は完全自動運転車のことだ。
自動運転技術は、交通事故の軽減だけでなく、いろいろな効果が期待されている。タクシーやバスなど公共交通機関のドライバー不足の解消、地方在住の高齢者の移動手段、物流の効率化など。そのための社会実験が行われている。
ただ、便利な科学技術には必ず"影"も存在する。「科学は本来、善でも悪でもない。良いことに使えるし、悪いことにも使える。毒にも薬にもなる性格を持っている」との湯川秀樹博士の指摘は今も説得力がある。核エネルギーが核爆弾に利用されたように、どのような技術でも軍事利用は可能だ。航空機の自動操縦技術が無人ドローン偵察機などに使われているのは周知の事実だろう。
科学技術をどのように利用するのか。それは使う側の倫理観にかかっている。便利にしたいというだけでなく、弱者に対する思いやりという視点があるか。子どもや高齢者など交通弱者のためになるのか。"人間を幸福にするための科学技術"という視座から、社会の進歩を見つめていきたい。
☆勝ちゆく君へ 第28回 希望の声を凜と響かせ
◇理想は高く挑戦は足元から
荒波の社会へ勇敢に船出した新出発の友、おめでとう!
尊き使命の職場です。勇気に燃えて、失敗を恐れず、自分らしく挑戦を貫いてください。
朝に勝つ。元気な挨拶。体調管理。約束を守る。基本を大切にすることが一流への道です。
青年時代に積み上げた信用こそ、一生の財産と輝きます。
戸田先生は望まれました。
——理想は高く、社会・世界への貢献を! そして、身近な足元を固めていけ! と。
張りのある勤行で生命力を漲らせ、日々、新たな価値創造を! 多忙な中でも、工夫して創価家族との連携を大事に! 励ましの絆こそ、活力の源泉です。
◇心を結ぶ友情交流を
御書には、「日蓮はこの法門を申し候えば、他人にはにず多くの人に見えて」(新2120・全1418)と仰せです。
この御本仏の立正安国の大精神を受け継ぐのが、創価の師弟の対話運動です。
半世紀前、対談を開始した英国の大歴史学者トインビー博士をはじめ、私は世界中に友情と平和の橋を架けてきました。あらゆる差異を超え、胸襟を開いて語らい、心と心を結んできたのです。
「人のため」「社会のため」との志を分かち合う友がいる。その人生は豊かであり、幸福です。
さあ、人間の中へ、希望の声を凜と響かせ、縁する一人一人と心の交流を!
☆質問BOX 決意はするのですが、なかなか行動に移せません。
◇答え
信心の実践を決意しても、行動に移そうとすると、いろいろと考えてしまい、一歩踏み出すことができない——。そういう経験をした人は、少なくないのではないでしょうか。
そんな時は、活動を共にする同志に、決意を述べてみることが、最初の一歩となっていきます。心にある誓いを声に出すことは、それ自体が行動に移すことにほかならないからです。そして、決意を聞いた同志が、その一人の目標を"わが事"として祈り、共に励まし合っていくのが創価学会の伝統です。
池田先生は「同志が集い合っては、仏法の教えを語り合い、確認し合っていく。それによって、"よし、頑張るぞ!"と決意し、新しい挑戦の歩みを踏み出すことができる」とつづっています。
同志と共に"決意の声"を響かせ合いながら、歓喜の前進をしていきましょう。
心を大切にできる人だ。
どうすれば友が喜び
自信を持てるか。
言葉に祈りを重ねよう!
阿仏房御書 P1304
『抑宝塔の御供養の物銭一貫文白米しなじなをくり物たしかにうけとり候い了んぬ、此の趣御本尊法華経にもねんごろに申し上げ候御心やすくおぼしめし候へ』
【通解】
さて、宝塔への御供養の品として、銭一貫文と白米、それに種々の贈り物を、確かに受け取りました。あなたのこの志を、御本尊・法華経に丁重に申し上げました。御安心ください。
名字の言 「妙音会」の集いに参加して 2022年5月26日
聴覚に障がいのある友のグループ「妙音会」の集いに参加した。会合前、館内のホワイトボードを会場前方に移動し、御書の御文や通解等を書いていく▼御書講義が始まった。健常者のリーダーの言葉を手話通訳者が伝える。通訳者の"手の動き"を真剣に見入る妙音会の友。この時、御文等を板書した意味が分かった。健常者は御書を見ながら講義を耳で聞くことができるが、それと同じ環境——御書と手話通訳者を同時に見ることができる状況を提供するためだった▼相手の立場に立って行動することは、何と難しいことだろう。自分が世界の中心にいる限り、自分の目でしか相手を見ることができない。そんな小さな自分への執着を捨てて、相手の世界に入って行動する時、共感が生まれる。新しい目が開かれる▼会合が終わり、妙音会の友が帰宅する時のこと。会合の模様を聞いた会館警備を担当する壮年が、にわか仕込みの手話で「ありがとうございました」と伝えた。妙音会の友は満面の笑みで同じ手話を返した。「心が通じました」と壮年も目を細めた▼相手を完全に理解することは困難だが、だからといって相手の立場に立つ努力は惜しむまい。さあ、きょうも心と心を通わせる対話の一日を!
寸鉄 2022年5月26日
幹部の熱と確信が発展の要諦—戸田先生。闘魂を燃やし拡大。率先の将に
広島県女性部の日。地域照らす平和の太陽。"私の対話"から希望の連帯を
佐賀県女性部の日45周年 栄えの国に広がる語らいの薫風。友好の花、万朶と
御聖訓「鉄は炎い打てば剣となる」。全ての労苦が糧に。鍛えの道を邁進(新1288・全958)
子を乗せた自転車の転倒事故に注意。ヘルメットやベルトの着用等を必ず
〈社説〉 2022・5・26 進化する自動運転車
◇人間のための科学技術を
先日、車の試乗に出掛けた時のこと。その性能の向上ぶりに驚かされた。速度を一定に保つ機能やブレーキアシスト……。少し前までは高級車にしか搭載されていなかった技術が、コンパクトカーや軽自動車にまで使われるようになっている。
自動運転技術には、レベル0からレベル5までの6段階がある。レベル0というのは、自動化技術が何もない状態。いわゆる従来の自動車だ。レベル1、2は、衝突被害軽減ブレーキ、車間距離制御装置などのように、アクセルやブレーキ操作を支援する仕組み。運転支援はこれに当たる。
レベル3になると、高速道路などの限定された領域で、自動運転する仕組みになる。限定された領域とはいえ、ドライバーの操作なしに走行が可能なため、このレベルからが自動運転と言える。ただ、自動走行中に何かあった時のため、ドライバーがすぐに運転に戻れなければならない。
レベル4は、決められた条件下であれば、ドライバーを介在せず、システムだけでの走行が可能になる。現在、各地でラストワンマイル(主に中山間部で、公共交通の最終地と自宅など最終目的地を結ぶ移動システム)などの実証実験が行われている。レベル5は完全自動運転車のことだ。
自動運転技術は、交通事故の軽減だけでなく、いろいろな効果が期待されている。タクシーやバスなど公共交通機関のドライバー不足の解消、地方在住の高齢者の移動手段、物流の効率化など。そのための社会実験が行われている。
ただ、便利な科学技術には必ず"影"も存在する。「科学は本来、善でも悪でもない。良いことに使えるし、悪いことにも使える。毒にも薬にもなる性格を持っている」との湯川秀樹博士の指摘は今も説得力がある。核エネルギーが核爆弾に利用されたように、どのような技術でも軍事利用は可能だ。航空機の自動操縦技術が無人ドローン偵察機などに使われているのは周知の事実だろう。
科学技術をどのように利用するのか。それは使う側の倫理観にかかっている。便利にしたいというだけでなく、弱者に対する思いやりという視点があるか。子どもや高齢者など交通弱者のためになるのか。"人間を幸福にするための科学技術"という視座から、社会の進歩を見つめていきたい。
☆勝ちゆく君へ 第28回 希望の声を凜と響かせ
◇理想は高く挑戦は足元から
荒波の社会へ勇敢に船出した新出発の友、おめでとう!
尊き使命の職場です。勇気に燃えて、失敗を恐れず、自分らしく挑戦を貫いてください。
朝に勝つ。元気な挨拶。体調管理。約束を守る。基本を大切にすることが一流への道です。
青年時代に積み上げた信用こそ、一生の財産と輝きます。
戸田先生は望まれました。
——理想は高く、社会・世界への貢献を! そして、身近な足元を固めていけ! と。
張りのある勤行で生命力を漲らせ、日々、新たな価値創造を! 多忙な中でも、工夫して創価家族との連携を大事に! 励ましの絆こそ、活力の源泉です。
◇心を結ぶ友情交流を
御書には、「日蓮はこの法門を申し候えば、他人にはにず多くの人に見えて」(新2120・全1418)と仰せです。
この御本仏の立正安国の大精神を受け継ぐのが、創価の師弟の対話運動です。
半世紀前、対談を開始した英国の大歴史学者トインビー博士をはじめ、私は世界中に友情と平和の橋を架けてきました。あらゆる差異を超え、胸襟を開いて語らい、心と心を結んできたのです。
「人のため」「社会のため」との志を分かち合う友がいる。その人生は豊かであり、幸福です。
さあ、人間の中へ、希望の声を凜と響かせ、縁する一人一人と心の交流を!
☆質問BOX 決意はするのですが、なかなか行動に移せません。
◇答え
信心の実践を決意しても、行動に移そうとすると、いろいろと考えてしまい、一歩踏み出すことができない——。そういう経験をした人は、少なくないのではないでしょうか。
そんな時は、活動を共にする同志に、決意を述べてみることが、最初の一歩となっていきます。心にある誓いを声に出すことは、それ自体が行動に移すことにほかならないからです。そして、決意を聞いた同志が、その一人の目標を"わが事"として祈り、共に励まし合っていくのが創価学会の伝統です。
池田先生は「同志が集い合っては、仏法の教えを語り合い、確認し合っていく。それによって、"よし、頑張るぞ!"と決意し、新しい挑戦の歩みを踏み出すことができる」とつづっています。
同志と共に"決意の声"を響かせ合いながら、歓喜の前進をしていきましょう。
2022年5月25日水曜日
2022.05.25 わが友に贈る
創価の誓願とは
人類の幸福と安穏の道を
切り開きゆくことだ。
不信の連鎖を断ち切る
信頼の絆を足元から!
同生同名御書 P1115
『人の身には同生同名と申す二のつかひを天生るる時よりつけさせ給いて影の身にしたがふがごとく須臾もはなれず、大罪小罪大功徳小功徳すこしもおとさずかはるかはる天にのぼて申し候と仏説き給う、此の事ははや天もしろしめしぬらん、たのもししたのもしし』
【通解】
人の身には、同生と同名という二人の使いを、天は、その人が生まれたときからつけておられ、(この二人の神は)影が身に随うように、寸時も離れず、その人の大罪・小罪・大功徳・小功徳を少しもおとさず、かわるがわる天に昇って報告していると、仏は説いておられます。このこと(=日眼女が夫の四条金吾を佐渡までつかわせたこと)は、すでに天も知っていることでありましょう。まことに、頼もしいことです。
名字の言 思い出となって残る"人格の薫り" 2022年5月25日
北原白秋の詩に「香ひの狩猟者」がある。「香ひはほろびない。花は了へても香ひはのこる。始めもなく終りも無い。消えるやうに思へるのは色を眼のみで観る人の錯覚である。香ひは染みこむ、分解する」(『日本の名随筆「香」』作品社)▼白秋は、花の香りは消えるのではなく、染みこみ、分解して残ると捉えた。同じように、"人格の薫り"も他者の胸中にさまざまな形で刻まれる▼ある池田華陽会のメンバーは5年前、父が末期がんの宣告を受けた。父は広布の第一線に戻ることを祈りつつ、友に励ましを送り続けた。最期まで広布に尽くす姿は、彼女の心に信心の大切さを残した▼父が他界した後、彼女は壮年から「君のお父さんに信心を教わったんです」と声を掛けられた。父は娘だけでなく、多くの人に信心の喜びを語り広げてきた。彼女は、心から感謝を伝える壮年の姿に、自他共の幸福に尽くした父の思いを感じて誇りに思った。「父は、今も私を包み守ってくれています」▼御聖訓に「法華経を信ずる人は、せんだんにこうばしさのそなえたるがごとし」(新2037・全1492)と。信心を貫いた気高き魂は、縁する人の心に宝の思い出となって残る。いつまでも薫り、生き続けていく。
寸鉄 2022年5月25日
「大地の底にかくしおきたる真の弟子あり」御書。地涌の使命に生きる誉れ(新1221・全905)
信心で自身を磨いていけ—戸田先生。学会活動は錬磨の道場。今日も前へ
開拓者に、勇気があればあるほど続く者は多く—ノルウェー詩人。突破口開くは私と
小中高生のSNS上でのいじめ増加と。大人は子の小さな変化にも敏感に
世界の難民・避難民、初の1億人超—UNHCR発表。悲劇克服へ人道支援の連帯強く
☆希望の指針——池田先生の指導に学ぶ 信仰の姿勢
◇題目は形式ではない
題目は形式ではない。最も大切な、この宇宙で最も強力な、魂の王者の武器である。その祈りを合わせることが、無敵の正義の陣列を組むことになるのだ。
散漫な祈りは、焦点の合わないレンズと同じだ。互いに心がバラバラでは、皆の力も結果も出ない。
「団結」とは、個性を押し殺した自己犠牲ではなく、エゴの殻を破る、自己の境涯の拡大である。崇高な目的に向かって心を合わせ、それぞれが持てる力を存分に発揮しゆく戦いだ。ゆえに、異体同心の信心のなかに、前進があり、勝利があり、幸福があるのだ。
(「随筆 新・人間革命」〈わが青春の舞台・文京〉、『全集』第134巻、13ページ)
◇戦いがあるから幸福
私は、強く、強く思った。
「戦いを起こす」——この一点に、日蓮仏法の精髄が脈動していることを。
仏の生命とは、勇気を奮って、来る年も来る年も、元初の決意をもって、厳然と戦い勝ちゆく法理であることを。
それは何よりも、自分自身の惰性、油断、臆病などの、内なる魔を破る戦いだ。
さらにマンネリ化した古い発想、人びとを縛る固定観念などを打破しゆく戦いだ。
戦いがあるから、人は自己の建設と、境涯を開くことができる。そこに、限りなく広げられた幸福の大海原が待っているのだ。
(「随筆 新・人間革命」〈神奈川の大精神〉、『全集』第133巻、338ページ)
◇一念が全てを変える
「断じて勝つ!」と決めた瞬間、己心の壁は破れる。
「さあ来い!」と困難に挑みかかる、胸中の師子が目覚めるのだ。
一念が変われば、行動が変わり、執念が変わる。
この人を絶対に救いたいと思えば、どうして通り一遍の対応ですまされようか! 会えなければ会えるまで、話せなければ話せるまで、ぶつかるだろう。
祈りも具体的になる。相手の悩みは何なのか、どう話せば一番心に響くのか。悩んでは祈り、祈っては悩み、知恵を絞りに絞るだろう。一念の不思議さである。
(「随筆 新・人間革命」〈中部五十年——大勝の源流〉、『全集』第134巻、245ページ)
◇題目は形式ではない
題目は形式ではない。最も大切な、この宇宙で最も強力な、魂の王者の武器である。その祈りを合わせることが、無敵の正義の陣列を組むことになるのだ。
散漫な祈りは、焦点の合わないレンズと同じだ。互いに心がバラバラでは、皆の力も結果も出ない。
「団結」とは、個性を押し殺した自己犠牲ではなく、エゴの殻を破る、自己の境涯の拡大である。崇高な目的に向かって心を合わせ、それぞれが持てる力を存分に発揮しゆく戦いだ。ゆえに、異体同心の信心のなかに、前進があり、勝利があり、幸福があるのだ。
(「随筆 新・人間革命」〈わが青春の舞台・文京〉、『全集』第134巻、13ページ)
◇戦いがあるから幸福
私は、強く、強く思った。
「戦いを起こす」——この一点に、日蓮仏法の精髄が脈動していることを。
仏の生命とは、勇気を奮って、来る年も来る年も、元初の決意をもって、厳然と戦い勝ちゆく法理であることを。
それは何よりも、自分自身の惰性、油断、臆病などの、内なる魔を破る戦いだ。
さらにマンネリ化した古い発想、人びとを縛る固定観念などを打破しゆく戦いだ。
戦いがあるから、人は自己の建設と、境涯を開くことができる。そこに、限りなく広げられた幸福の大海原が待っているのだ。
(「随筆 新・人間革命」〈神奈川の大精神〉、『全集』第133巻、338ページ)
◇一念が全てを変える
「断じて勝つ!」と決めた瞬間、己心の壁は破れる。
「さあ来い!」と困難に挑みかかる、胸中の師子が目覚めるのだ。
一念が変われば、行動が変わり、執念が変わる。
この人を絶対に救いたいと思えば、どうして通り一遍の対応ですまされようか! 会えなければ会えるまで、話せなければ話せるまで、ぶつかるだろう。
祈りも具体的になる。相手の悩みは何なのか、どう話せば一番心に響くのか。悩んでは祈り、祈っては悩み、知恵を絞りに絞るだろう。一念の不思議さである。
(「随筆 新・人間革命」〈中部五十年——大勝の源流〉、『全集』第134巻、245ページ)
人類の幸福と安穏の道を
切り開きゆくことだ。
不信の連鎖を断ち切る
信頼の絆を足元から!
同生同名御書 P1115
『人の身には同生同名と申す二のつかひを天生るる時よりつけさせ給いて影の身にしたがふがごとく須臾もはなれず、大罪小罪大功徳小功徳すこしもおとさずかはるかはる天にのぼて申し候と仏説き給う、此の事ははや天もしろしめしぬらん、たのもししたのもしし』
【通解】
人の身には、同生と同名という二人の使いを、天は、その人が生まれたときからつけておられ、(この二人の神は)影が身に随うように、寸時も離れず、その人の大罪・小罪・大功徳・小功徳を少しもおとさず、かわるがわる天に昇って報告していると、仏は説いておられます。このこと(=日眼女が夫の四条金吾を佐渡までつかわせたこと)は、すでに天も知っていることでありましょう。まことに、頼もしいことです。
名字の言 思い出となって残る"人格の薫り" 2022年5月25日
北原白秋の詩に「香ひの狩猟者」がある。「香ひはほろびない。花は了へても香ひはのこる。始めもなく終りも無い。消えるやうに思へるのは色を眼のみで観る人の錯覚である。香ひは染みこむ、分解する」(『日本の名随筆「香」』作品社)▼白秋は、花の香りは消えるのではなく、染みこみ、分解して残ると捉えた。同じように、"人格の薫り"も他者の胸中にさまざまな形で刻まれる▼ある池田華陽会のメンバーは5年前、父が末期がんの宣告を受けた。父は広布の第一線に戻ることを祈りつつ、友に励ましを送り続けた。最期まで広布に尽くす姿は、彼女の心に信心の大切さを残した▼父が他界した後、彼女は壮年から「君のお父さんに信心を教わったんです」と声を掛けられた。父は娘だけでなく、多くの人に信心の喜びを語り広げてきた。彼女は、心から感謝を伝える壮年の姿に、自他共の幸福に尽くした父の思いを感じて誇りに思った。「父は、今も私を包み守ってくれています」▼御聖訓に「法華経を信ずる人は、せんだんにこうばしさのそなえたるがごとし」(新2037・全1492)と。信心を貫いた気高き魂は、縁する人の心に宝の思い出となって残る。いつまでも薫り、生き続けていく。
寸鉄 2022年5月25日
「大地の底にかくしおきたる真の弟子あり」御書。地涌の使命に生きる誉れ(新1221・全905)
信心で自身を磨いていけ—戸田先生。学会活動は錬磨の道場。今日も前へ
開拓者に、勇気があればあるほど続く者は多く—ノルウェー詩人。突破口開くは私と
小中高生のSNS上でのいじめ増加と。大人は子の小さな変化にも敏感に
世界の難民・避難民、初の1億人超—UNHCR発表。悲劇克服へ人道支援の連帯強く
☆希望の指針——池田先生の指導に学ぶ 信仰の姿勢
◇題目は形式ではない
題目は形式ではない。最も大切な、この宇宙で最も強力な、魂の王者の武器である。その祈りを合わせることが、無敵の正義の陣列を組むことになるのだ。
散漫な祈りは、焦点の合わないレンズと同じだ。互いに心がバラバラでは、皆の力も結果も出ない。
「団結」とは、個性を押し殺した自己犠牲ではなく、エゴの殻を破る、自己の境涯の拡大である。崇高な目的に向かって心を合わせ、それぞれが持てる力を存分に発揮しゆく戦いだ。ゆえに、異体同心の信心のなかに、前進があり、勝利があり、幸福があるのだ。
(「随筆 新・人間革命」〈わが青春の舞台・文京〉、『全集』第134巻、13ページ)
◇戦いがあるから幸福
私は、強く、強く思った。
「戦いを起こす」——この一点に、日蓮仏法の精髄が脈動していることを。
仏の生命とは、勇気を奮って、来る年も来る年も、元初の決意をもって、厳然と戦い勝ちゆく法理であることを。
それは何よりも、自分自身の惰性、油断、臆病などの、内なる魔を破る戦いだ。
さらにマンネリ化した古い発想、人びとを縛る固定観念などを打破しゆく戦いだ。
戦いがあるから、人は自己の建設と、境涯を開くことができる。そこに、限りなく広げられた幸福の大海原が待っているのだ。
(「随筆 新・人間革命」〈神奈川の大精神〉、『全集』第133巻、338ページ)
◇一念が全てを変える
「断じて勝つ!」と決めた瞬間、己心の壁は破れる。
「さあ来い!」と困難に挑みかかる、胸中の師子が目覚めるのだ。
一念が変われば、行動が変わり、執念が変わる。
この人を絶対に救いたいと思えば、どうして通り一遍の対応ですまされようか! 会えなければ会えるまで、話せなければ話せるまで、ぶつかるだろう。
祈りも具体的になる。相手の悩みは何なのか、どう話せば一番心に響くのか。悩んでは祈り、祈っては悩み、知恵を絞りに絞るだろう。一念の不思議さである。
(「随筆 新・人間革命」〈中部五十年——大勝の源流〉、『全集』第134巻、245ページ)
◇題目は形式ではない
題目は形式ではない。最も大切な、この宇宙で最も強力な、魂の王者の武器である。その祈りを合わせることが、無敵の正義の陣列を組むことになるのだ。
散漫な祈りは、焦点の合わないレンズと同じだ。互いに心がバラバラでは、皆の力も結果も出ない。
「団結」とは、個性を押し殺した自己犠牲ではなく、エゴの殻を破る、自己の境涯の拡大である。崇高な目的に向かって心を合わせ、それぞれが持てる力を存分に発揮しゆく戦いだ。ゆえに、異体同心の信心のなかに、前進があり、勝利があり、幸福があるのだ。
(「随筆 新・人間革命」〈わが青春の舞台・文京〉、『全集』第134巻、13ページ)
◇戦いがあるから幸福
私は、強く、強く思った。
「戦いを起こす」——この一点に、日蓮仏法の精髄が脈動していることを。
仏の生命とは、勇気を奮って、来る年も来る年も、元初の決意をもって、厳然と戦い勝ちゆく法理であることを。
それは何よりも、自分自身の惰性、油断、臆病などの、内なる魔を破る戦いだ。
さらにマンネリ化した古い発想、人びとを縛る固定観念などを打破しゆく戦いだ。
戦いがあるから、人は自己の建設と、境涯を開くことができる。そこに、限りなく広げられた幸福の大海原が待っているのだ。
(「随筆 新・人間革命」〈神奈川の大精神〉、『全集』第133巻、338ページ)
◇一念が全てを変える
「断じて勝つ!」と決めた瞬間、己心の壁は破れる。
「さあ来い!」と困難に挑みかかる、胸中の師子が目覚めるのだ。
一念が変われば、行動が変わり、執念が変わる。
この人を絶対に救いたいと思えば、どうして通り一遍の対応ですまされようか! 会えなければ会えるまで、話せなければ話せるまで、ぶつかるだろう。
祈りも具体的になる。相手の悩みは何なのか、どう話せば一番心に響くのか。悩んでは祈り、祈っては悩み、知恵を絞りに絞るだろう。一念の不思議さである。
(「随筆 新・人間革命」〈中部五十年——大勝の源流〉、『全集』第134巻、245ページ)
2022年5月24日火曜日
2022.05.24 わが友に贈る
人の心は刻々と変わる。
先入観にとらわれず
友の生命を揺り動かす
真剣と誠実の語らいを!
勇気を奮い起こして!
開目抄下 P232
『善に付け悪につけ法華経をすつるは地獄の業なるべし』
【通解】
善きにつけ悪しきにつけ、法華経を捨てるのは地獄の業因となるのである。
名字の言 淡路島のタマネギが生まれる条件 2022年5月24日
兵庫県の淡路島を訪れた。神戸市からバスで1時間ほど移動すると、一面のタマネギ畑が広がる。今は「中生」と呼ばれる種類の収穫の時季だ▼全国的に有名な淡路島のタマネギは柔らかく、通常のものより糖度が高い。年間の平均気温が16度前後という気候は、タマネギ栽培に適するといわれる。海のミネラルが豊富に含まれた土壌も、特有の辛みを少なくしている▼淡路島独自の工程も見逃せない。一般的には4カ月ほどで収穫されることが多いが、淡路島の栽培期間は約7カ月だ。しかも、収穫された後すぐには出荷されず、屋根と骨組みだけの小屋につるされる。1週間ほど自然の風で乾燥させることで熟成し、甘みが増すという▼「環境」と「手間」が、良質なタマネギを育む。人を育てるにも、この二つの力は決定的な条件だ。育成する側はひたすら手塩に掛け、触発を与えること。何より、自らが挑戦を重ね、成長の歩みを続けること。人材育成における最大の"環境"とは、良き育成者の存在そのものにほかならない▼御聖訓に「鉄は炎い打てば剣となる」(新1288・全958)と。どんな人も、必ず広布の人材に育つ。そう決めて、共に動き、共に語り、わが地域に新しい力を育てよう。
寸鉄 2022年5月24日
学会は人の和を理想的な形で実現した団体—恩師 信心の励ましこそ生命線
愛知広布原点の日。対話拡大の大波を総立ちで!師弟勝利の一番星と光れ
長年の実戦の訓練が最後の勝利の支えに—歴史家トゥキュディデス 壮年が黄金柱の力示す時
SMSで偽サイトに誘導等、携帯決済狙う犯罪増。安易に開かぬなど警戒を
コロナ後遺症対策の予算確保、公明が政府に提言。国内外の知見の結集急げ
☆栄光の共戦譜 第5回 1964年(昭和39年)「団結の年」
◇間断なき出発だ! 間断なき前進だ!
池田先生の第3代会長就任60周年を記念して発刊された年譜『栄光の共戦譜』には、黄金の"師弟の足跡"がとどめられている。本連載では、年譜を1年ごとに追いながら、現在の広布の活動に通じる"学会の原点"を確認していく。第5回は、「団結の年」と銘打たれた1964年(昭和39年)を掲載する。
◇「4・2」戸田先生の七回忌
池田先生にとって、戸田先生の七回忌を迎える1964年(昭和39年)は、恩師の構想を実現する一つの決着点だった。
60年(同35年)5月3日、第3代会長に就任した池田先生は、恩師の七回忌までに、戸田先生から託された会員300万世帯の願業を達成することを掲げた。会長に就任した翌日の日記には、こう記した。「恩師の七回忌までの四年間の構想を練る。ただ一筋に、昭和三十九年を」
誓いを成し遂げるため、池田先生が自身に課したのは、"自らが誰よりも動くこと"だった。「席が温まる暇がないというよりは、席そのものがないといってもよいほど動いた。動くことしか、道は開けない」と当時を述懐している。
先生の間断なき闘争によって、62年(同37年)11月、300万世帯を晴れて成就。64年4月の七回忌までには、400万世帯を突破した。
4月1日の七回忌法要で、先生は小説『人間革命』の執筆を発表。翌2日の恩師の命日には、自ら執筆し、この日に刊行された「報恩抄」の講義録を恩師の墓前に献じた。「報恩抄」を含む御書の十大部の講義録の刊行は、戸田先生の構想だった。教学の軌道の確立は広布の重要な柱であり、同日、『仏教哲学大辞典』の編纂会議を行っている。
さらにこの日、池田先生は、恩師の墓前で、次なる広布の峰である会員600万世帯の完遂を誓った。当時、日本の総世帯数は約2300万世帯。600万は、日本の4分の1が信心する時代の到来を意味していた。
先生にとって、決着点は、新たな出発点でもあった。「間断なき出発だ! 間断なき前進だ! 連続闘争だ!」——創価の師弟の魂は、挑戦し続ける実践の中にこそある。
◇「6・7」高等部結成記念日
「いよいよわが創価学会も、本門の戦いの時代に入りました」——1964年(昭和39年)4月、恩師の七回忌を迎え、池田先生はこう言明した。
「本門の時代」とは、仏法を根底にした平和・文化の花を咲かせる総仕上げの時代である。その新たな時代を担う人材を育成すべく、「本門の時代」の最初に結成されたのが「高等部」であった。
6月7日、東京の各本部で高等部の結成式が行われ、池田先生は、東京第2本部(当時)の男子高等部結成式に出席。
「これからの10年間、しっかり勉強し、学びに学んで、堅固な人生の土台をつくっていってください」「将来は、人びとの幸福のために、人類の平和のために、諸君が学会の土台となって、広宣流布を支えていただきたい」と訴えた。
高等部結成から2年後の66年「黎明の年」は、先生の提案によって、別名「高等部の年」と名付けられた。年頭、高等部員との記念撮影を行い、1月から代表への御書講義をスタート。そして、高等部の人材グループ「鳳雛会」「鳳雛グループ」が結成された。
先生自ら、高等部への激励を重ね、後継の人材城を築いていったのである。
部結成55周年を刻んだ2019年(令和元年)の8月、全国の高等部員800人が参加し、全国未来部夏季研修会が行われた。先生は、「新時代の大鳳として飛翔しゆく栄光凱歌の未来を、私は何よりの楽しみとして祈り、見守っていきます」と万感のメッセージを寄せた。
今、6月7日は、「高等部結成記念日」として、後継の原点の日に。学会創立100周年への栄光凱歌の新たなドラマも、尽未来際にわたる広布の大河の流れも、創価の鳳雛たちによって紡がれていくに違いない。
◇「12・2」小説「人間革命」の起稿
「戦争ほど、残酷なものはない。戦争ほど、悲惨なものはない。だが、その戦争はまだ、つづいていた」……。
1964年(昭和39年)12月2日、池田先生は、小説『人間革命』の執筆を、太平洋戦争で凄惨な地上戦の舞台となった沖縄の地で開始した。
池田先生が、第2代会長・戸田先生の生涯を書き残そうと考えたのは、入会から間もない19歳の時だった。軍部政府の弾圧と戦い抜いた恩師と出会った感動は、あまりにも大きかった。
以後、戸田先生から妙悟空のペンネームで連載する小説『人間革命』の原稿を見せてもらった時(51年春)や、戸田先生と恩師の故郷である北海道・厚田村を訪ねた時(54年夏)に、執筆への思いを温める。57年(同32年)8月、長野・軽井沢で恩師と語らう中で、戸田先生の歩みを書き綴ることが師の期待であると確信した。
64年4月、恩師の七回忌法要の席上、池田先生は小説『人間革命』の執筆を発表した。池田先生のペンネームは法悟空。最初の文字「法」は、戸田先生が使用した妙悟空の「妙」と合わせて"妙法"となる。壮絶な"師弟不二の言論闘争"は、全12巻の執筆と、その後の小説『新・人間革命』へと続いていった。
先生は、小説『人間革命』のあとがきで、次のように言及した。
「私のなすべきことは、恩師に代わって、『世界の平和』と『人類の幸福』のために戦い、生き抜き、この世の使命を果たしゆくこと」「それが、弟子としての報恩の道であり、先生が開き示された人間革命の道であるからだ」
この「人間革命の道」に連なることが、広布の命運を決する私たちの戦いである。
◆年表◆ 1964年
〈4月1日〉
池田先生の発願によって建立寄進された大客殿が落成
法華講総講頭に就任
小説「人間革命」執筆を発表(静岡)
〈4月2日〉
戸田先生の七回忌
日蓮大聖人御書十大部講義第5巻『報恩抄』を発刊し、墓前に献じる(静岡)
〈4月9日〉
九州指導(〜12日。宮崎、大分、福岡)
〈5月3日〉
第27回本部総会で翌年から始まる「第六の鐘」の目標を示し、正本堂の建立を発表(東京)
〈5月12日〉
オーストラリア・セイロン・インド訪問(〜24日)
オーストラリアでメルボルン支部を結成(13日)
〈6月7日〉
各地で高等部の結成式が行われるなか、東京第2本部の男子高等部結成式に出席(東京)
十代、二十代の努力で一生は決まると強調し、正しい人生観の確立と勉学第一の基本指針を示す
〈6月30日〉
第7回学生部総会で創価大学の設立構想を発表(東京)
〈9月5日〉
中部指導(〜7日。愛知、三重)
第1回中部文化祭(6日、愛知)
〈9月15日〉
千葉会館落成入仏式(千葉)
〈9月23日〉
静岡本部落成入仏式(静岡)
〈10月2日〉
東南アジア・中東・欧州訪問(〜19日。香港、タイ、イラン、トルコ、イタリア、フランス、チェコスロバキア、ハンガリー、スイス、ノルウェー、デンマーク)
〈11月3日〉
関西・四国指導(〜4日。兵庫、徳島)
第2回関西文化祭(3日、兵庫・甲子園球場)
〈11月8日〉
第2回東京文化祭(東京・国立競技場)
3万人の人文字の一大絵巻が展開される
〈11月17日〉
公明党結成大会に祝電を打つ(東京)
〈12月1日〉
沖縄指導(〜3日)
〈12月2日〉
小説「人間革命」の執筆を開始
最も戦争の辛酸をなめた沖縄から幸福と平和の波を広げたいと筆を執り、その冒頭には「戦争ほど、残酷なものはない。戦争ほど、悲惨なものはない」と綴る
12月22日付の聖教新聞に小説の主題について、「一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命の転換をも成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする」と記す
先入観にとらわれず
友の生命を揺り動かす
真剣と誠実の語らいを!
勇気を奮い起こして!
開目抄下 P232
『善に付け悪につけ法華経をすつるは地獄の業なるべし』
【通解】
善きにつけ悪しきにつけ、法華経を捨てるのは地獄の業因となるのである。
名字の言 淡路島のタマネギが生まれる条件 2022年5月24日
兵庫県の淡路島を訪れた。神戸市からバスで1時間ほど移動すると、一面のタマネギ畑が広がる。今は「中生」と呼ばれる種類の収穫の時季だ▼全国的に有名な淡路島のタマネギは柔らかく、通常のものより糖度が高い。年間の平均気温が16度前後という気候は、タマネギ栽培に適するといわれる。海のミネラルが豊富に含まれた土壌も、特有の辛みを少なくしている▼淡路島独自の工程も見逃せない。一般的には4カ月ほどで収穫されることが多いが、淡路島の栽培期間は約7カ月だ。しかも、収穫された後すぐには出荷されず、屋根と骨組みだけの小屋につるされる。1週間ほど自然の風で乾燥させることで熟成し、甘みが増すという▼「環境」と「手間」が、良質なタマネギを育む。人を育てるにも、この二つの力は決定的な条件だ。育成する側はひたすら手塩に掛け、触発を与えること。何より、自らが挑戦を重ね、成長の歩みを続けること。人材育成における最大の"環境"とは、良き育成者の存在そのものにほかならない▼御聖訓に「鉄は炎い打てば剣となる」(新1288・全958)と。どんな人も、必ず広布の人材に育つ。そう決めて、共に動き、共に語り、わが地域に新しい力を育てよう。
寸鉄 2022年5月24日
学会は人の和を理想的な形で実現した団体—恩師 信心の励ましこそ生命線
愛知広布原点の日。対話拡大の大波を総立ちで!師弟勝利の一番星と光れ
長年の実戦の訓練が最後の勝利の支えに—歴史家トゥキュディデス 壮年が黄金柱の力示す時
SMSで偽サイトに誘導等、携帯決済狙う犯罪増。安易に開かぬなど警戒を
コロナ後遺症対策の予算確保、公明が政府に提言。国内外の知見の結集急げ
☆栄光の共戦譜 第5回 1964年(昭和39年)「団結の年」
◇間断なき出発だ! 間断なき前進だ!
池田先生の第3代会長就任60周年を記念して発刊された年譜『栄光の共戦譜』には、黄金の"師弟の足跡"がとどめられている。本連載では、年譜を1年ごとに追いながら、現在の広布の活動に通じる"学会の原点"を確認していく。第5回は、「団結の年」と銘打たれた1964年(昭和39年)を掲載する。
◇「4・2」戸田先生の七回忌
池田先生にとって、戸田先生の七回忌を迎える1964年(昭和39年)は、恩師の構想を実現する一つの決着点だった。
60年(同35年)5月3日、第3代会長に就任した池田先生は、恩師の七回忌までに、戸田先生から託された会員300万世帯の願業を達成することを掲げた。会長に就任した翌日の日記には、こう記した。「恩師の七回忌までの四年間の構想を練る。ただ一筋に、昭和三十九年を」
誓いを成し遂げるため、池田先生が自身に課したのは、"自らが誰よりも動くこと"だった。「席が温まる暇がないというよりは、席そのものがないといってもよいほど動いた。動くことしか、道は開けない」と当時を述懐している。
先生の間断なき闘争によって、62年(同37年)11月、300万世帯を晴れて成就。64年4月の七回忌までには、400万世帯を突破した。
4月1日の七回忌法要で、先生は小説『人間革命』の執筆を発表。翌2日の恩師の命日には、自ら執筆し、この日に刊行された「報恩抄」の講義録を恩師の墓前に献じた。「報恩抄」を含む御書の十大部の講義録の刊行は、戸田先生の構想だった。教学の軌道の確立は広布の重要な柱であり、同日、『仏教哲学大辞典』の編纂会議を行っている。
さらにこの日、池田先生は、恩師の墓前で、次なる広布の峰である会員600万世帯の完遂を誓った。当時、日本の総世帯数は約2300万世帯。600万は、日本の4分の1が信心する時代の到来を意味していた。
先生にとって、決着点は、新たな出発点でもあった。「間断なき出発だ! 間断なき前進だ! 連続闘争だ!」——創価の師弟の魂は、挑戦し続ける実践の中にこそある。
◇「6・7」高等部結成記念日
「いよいよわが創価学会も、本門の戦いの時代に入りました」——1964年(昭和39年)4月、恩師の七回忌を迎え、池田先生はこう言明した。
「本門の時代」とは、仏法を根底にした平和・文化の花を咲かせる総仕上げの時代である。その新たな時代を担う人材を育成すべく、「本門の時代」の最初に結成されたのが「高等部」であった。
6月7日、東京の各本部で高等部の結成式が行われ、池田先生は、東京第2本部(当時)の男子高等部結成式に出席。
「これからの10年間、しっかり勉強し、学びに学んで、堅固な人生の土台をつくっていってください」「将来は、人びとの幸福のために、人類の平和のために、諸君が学会の土台となって、広宣流布を支えていただきたい」と訴えた。
高等部結成から2年後の66年「黎明の年」は、先生の提案によって、別名「高等部の年」と名付けられた。年頭、高等部員との記念撮影を行い、1月から代表への御書講義をスタート。そして、高等部の人材グループ「鳳雛会」「鳳雛グループ」が結成された。
先生自ら、高等部への激励を重ね、後継の人材城を築いていったのである。
部結成55周年を刻んだ2019年(令和元年)の8月、全国の高等部員800人が参加し、全国未来部夏季研修会が行われた。先生は、「新時代の大鳳として飛翔しゆく栄光凱歌の未来を、私は何よりの楽しみとして祈り、見守っていきます」と万感のメッセージを寄せた。
今、6月7日は、「高等部結成記念日」として、後継の原点の日に。学会創立100周年への栄光凱歌の新たなドラマも、尽未来際にわたる広布の大河の流れも、創価の鳳雛たちによって紡がれていくに違いない。
◇「12・2」小説「人間革命」の起稿
「戦争ほど、残酷なものはない。戦争ほど、悲惨なものはない。だが、その戦争はまだ、つづいていた」……。
1964年(昭和39年)12月2日、池田先生は、小説『人間革命』の執筆を、太平洋戦争で凄惨な地上戦の舞台となった沖縄の地で開始した。
池田先生が、第2代会長・戸田先生の生涯を書き残そうと考えたのは、入会から間もない19歳の時だった。軍部政府の弾圧と戦い抜いた恩師と出会った感動は、あまりにも大きかった。
以後、戸田先生から妙悟空のペンネームで連載する小説『人間革命』の原稿を見せてもらった時(51年春)や、戸田先生と恩師の故郷である北海道・厚田村を訪ねた時(54年夏)に、執筆への思いを温める。57年(同32年)8月、長野・軽井沢で恩師と語らう中で、戸田先生の歩みを書き綴ることが師の期待であると確信した。
64年4月、恩師の七回忌法要の席上、池田先生は小説『人間革命』の執筆を発表した。池田先生のペンネームは法悟空。最初の文字「法」は、戸田先生が使用した妙悟空の「妙」と合わせて"妙法"となる。壮絶な"師弟不二の言論闘争"は、全12巻の執筆と、その後の小説『新・人間革命』へと続いていった。
先生は、小説『人間革命』のあとがきで、次のように言及した。
「私のなすべきことは、恩師に代わって、『世界の平和』と『人類の幸福』のために戦い、生き抜き、この世の使命を果たしゆくこと」「それが、弟子としての報恩の道であり、先生が開き示された人間革命の道であるからだ」
この「人間革命の道」に連なることが、広布の命運を決する私たちの戦いである。
◆年表◆ 1964年
〈4月1日〉
池田先生の発願によって建立寄進された大客殿が落成
法華講総講頭に就任
小説「人間革命」執筆を発表(静岡)
〈4月2日〉
戸田先生の七回忌
日蓮大聖人御書十大部講義第5巻『報恩抄』を発刊し、墓前に献じる(静岡)
〈4月9日〉
九州指導(〜12日。宮崎、大分、福岡)
〈5月3日〉
第27回本部総会で翌年から始まる「第六の鐘」の目標を示し、正本堂の建立を発表(東京)
〈5月12日〉
オーストラリア・セイロン・インド訪問(〜24日)
オーストラリアでメルボルン支部を結成(13日)
〈6月7日〉
各地で高等部の結成式が行われるなか、東京第2本部の男子高等部結成式に出席(東京)
十代、二十代の努力で一生は決まると強調し、正しい人生観の確立と勉学第一の基本指針を示す
〈6月30日〉
第7回学生部総会で創価大学の設立構想を発表(東京)
〈9月5日〉
中部指導(〜7日。愛知、三重)
第1回中部文化祭(6日、愛知)
〈9月15日〉
千葉会館落成入仏式(千葉)
〈9月23日〉
静岡本部落成入仏式(静岡)
〈10月2日〉
東南アジア・中東・欧州訪問(〜19日。香港、タイ、イラン、トルコ、イタリア、フランス、チェコスロバキア、ハンガリー、スイス、ノルウェー、デンマーク)
〈11月3日〉
関西・四国指導(〜4日。兵庫、徳島)
第2回関西文化祭(3日、兵庫・甲子園球場)
〈11月8日〉
第2回東京文化祭(東京・国立競技場)
3万人の人文字の一大絵巻が展開される
〈11月17日〉
公明党結成大会に祝電を打つ(東京)
〈12月1日〉
沖縄指導(〜3日)
〈12月2日〉
小説「人間革命」の執筆を開始
最も戦争の辛酸をなめた沖縄から幸福と平和の波を広げたいと筆を執り、その冒頭には「戦争ほど、残酷なものはない。戦争ほど、悲惨なものはない」と綴る
12月22日付の聖教新聞に小説の主題について、「一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命の転換をも成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする」と記す
2022年5月23日月曜日
2022.05.23 わが友に贈る
◇今週のことば
「極楽百年の修行」に勝る
我らの「一日の功」だ。
今日も勇気に燃えて
広布と人生の開拓を!
黄金の日記文書を綴れ。
(新261・全329)
2022年5月23日
上野殿御消息 P1527
『父の恩の高き事須弥山猶ひきし母の恩の深き事大海還つて浅し、相構えて父母の恩を報ずべし』
【通解】
父の恩の高いことは須弥山さえもなお低いほどであり、母の恩の深いことは大海もかえって浅いほどである。心して父母の恩を報ずべきである。
名字の言 座談会で行われた即席の表彰式 2022年5月23日
学生時代から剣道の鍛錬を重ねる地区部長は、今も武術関連の本を読み、心と頭を鍛える日々。「法華経の兵法が最強だけどね」と笑顔で語る▼そんな彼の座右の銘は「構はありて構はなき」。宮本武蔵の『五輪書』にある「有構無構」の教え。彼は自分流に"型にはまらず、固執せず、自在の心で目的達成へ突き進む"と捉えている。それを感じさせる場面を、彼の地区の座談会で見た▼一人の少女部員が、出品した絵画展の主催団体から賞状が郵送されてきたと報告。その場で開封すると、中身は全応募者に贈られる「参加賞」だった。少女は複雑な表情を浮かべた。そこで地区部長は即席の表彰式を開催。会場の皆が"わが地区の未来部員が、頑張ったことがうれしくて"と笑顔で喝采を送った▼会場には新来の友人もいた。デザイン事務所を営む女性だった。その場では、彼女は「努力で築いた技巧と実力でやっていけます」と、信心することはなかった▼だが後日、苦難に直面した彼女は、座談会での情景を思い出し、"まず心を鍛錬したい"と入会した。一人の少女を励ましたいという地区部長の一念は、自然な振る舞いに表れ、別の女性をも信仰に導いた。強き信心こそ、自他共の幸福を生む源泉である。
寸鉄 2022年5月23日
「常に南無妙法蓮華経と唱えさせ給うべし」御書 題目第一で活路は開ける(新533・全941)
「自分が責任を持つのだ」戸田先生。自分発の気概で戦えば全てが歓喜に!
創価の人々には嘘のない率直な対話がある—識者 真っすぐな言葉は伝わる
会議・打ち合わせは要点定め価値的に。全幹部が最前線に飛び込み波動を
定年後も働きたい人」が6割超。豊かな経験は社会の宝。広布の舞台でも
☆ミネソタ大学「名誉人文学博士号」授与式 池田先生の謝辞
◇大学は尽きない"精神の水源" 英知と活力で新たな価値創造を
一、最初に、コロナ禍等の幾多の試練を勝ち越えて、晴れの門出を迎えられた誇り高き卒業生の皆さんに心からのお祝いを申し上げます。
誠に誠に、おめでとうございます!(拍手)
大学と共に人生の年輪を重ね、毎年、万感の思いで、卒業生を送り出してきた一人として、同窓の友たちと大切にしている仏典の言葉があります。それは、「去って去らず」「去らずして去る」と。
たとえ、「身」は離れても、「心」は自在です。
ミネソタ州内に源を発し、貴大学のキャンパスを貫くミシシッピ川は、たゆまず流れ去りつつ、しかも、どの水もつながり合って、広大な大地を潤し続けていきます。
それと同じように、大学という尽きることのない精神の水源に融合する卒業生一人一人の生命は、満々たる英知と活力を湛えて、学友たちと絶妙なる連携をとりながら、社会へ、世界へ、未来へ、新たな価値を創造していけるのではないでしょうか。
◇人間教育の大河を悠々と広げ 生命尊厳と人道の世紀を共に
一、貴ミネソタ大学の紋章には、「あらゆる学術のための共通の絆」という、誠に素晴らしきモットーが刻まれております。
この最高峰の名門学府より、光栄にも、本日、私は「名誉人文学博士号」を賜りました。
最も誉れある人間教育の大河の「絆」に連ならせていただいた栄誉を、共に「生命尊厳と人道の世紀」を目指して行動する、貴国アメリカをはじめ、192カ国・地域の創価の世界市民と分かち合わせていただくことができ、これほどの喜びはございません。
心から御礼を申し上げます。誠に誠にありがとうございます(拍手)。
一、貴大学との尊き「絆」は、実は、私にとりまして、ちょうど50年前(1972年)の5月に対話を開始した、20世紀を代表する歴史学者アーノルド・J・トインビー博士との忘れ得ぬ縁にもつながっております。博士との対話は翌年も行い、合計40時間に及びましたが、その中で、全米各地をはじめ世界中を旅された思い出も伺いました。
博士は1955年11月、貴大学で重要な講演をされております。
すなわち、人類が破滅を避ける唯一の道は、世界が社会的融合を成し遂げ"一つの家族"となっていくことだと訴えられました。
そして"人類が、必要としているものは、互いの差異から学び、差異を人類共通の未来の宝と認識して、異なる人々の生き方に学んでいくことである"と語られたのであります。
40歳も若い私を、西洋と東洋を結ぶ対談に招いてくださったのも、博士がこの信念を体現されていたからであると、今、あらためて感謝が込み上げてまいります。
博士が託してくださった、この「差異から学び合う」対話の道を、私も報恩と後継の一念で、半世紀にわたり貫き通してまいりました。
◇ミネソタ大学出身のノーベル賞受賞者 ボーローグ博士
◇「飢えと悲惨のない世界へ 競争から協力の時代に!」
「インド近代農業の父」と仰がれるM・S・スワミナサン博士も、共に対談集を発刊した一人です。
くしくも、その一書の中で、満腔の敬意をもって偲んだのが、貴ミネソタ大学の出身で、世界の民衆を食糧危機から救い、ノーベル平和賞を受賞されたノーマン・ボーローグ博士だったのであります。
ボーローグ博士は、若き日に貴大学で結んだ師弟の絆を原点とし、そして「あらゆる学術のための共通の絆」を世界中に広げながら、「ネバー・ギブ・アップ」の不屈の努力で、奇跡の小麦を生み出し、「緑の革命」を成し遂げられました。
この博士が、「飢えと悲惨がある限り、平和な世界を築くことはできない」と喝破し、「時代の流れは、競争ではなく、協力に向かわなければならない」(レオン・ヘッサー著『"緑の革命"を起こした不屈の農学者 ノーマン・ボーローグ』岩永勝監訳、悠書館)と叫ばれていたことが、私の胸に、ひときわ深く強く迫ってならないのであります。
一、東洋には、「源遠ければ流れながし」という箴言があります。
貴ミネソタ大学は、1851年、「全ての人間は、知の力によって豊かになる」との崇高な理念を掲げて創立されました。まさしく、かけがえのない「知の力」の源たる貴大学から、迸る勢いで危機の時代に立ち向かっていく卒業生の皆さん方の使命が、どれほど偉大か。
かの民衆詩人ホイットマンが「地上で最も重要な流れ」(『ホイットマン自選日記〈下〉』杉木喬訳、岩波書店)と謳い上げたミシシッピ川の流れのごとく、悠々と、また堂々と、地球民族の明日へ、幸福と栄光の花々を爛漫と咲かせていかれることを、私は念願するとともに確信してやみません。
私も、わが後継の世界の青年たちと共々に、貴大学の絆に勇んで連なりながら、平和と文化と教育の大河を、いやまして未来へ流れ通わしていくことを、固くお誓いするものであります。
結びに、貴ミネソタ大学の無窮の発展と、ご臨席の全ての方々のご健勝を心から祈念し、御礼のスピーチとさせていただきます。
サンキュー・ベリー・マッチ!(大拍手)
「極楽百年の修行」に勝る
我らの「一日の功」だ。
今日も勇気に燃えて
広布と人生の開拓を!
黄金の日記文書を綴れ。
(新261・全329)
2022年5月23日
上野殿御消息 P1527
『父の恩の高き事須弥山猶ひきし母の恩の深き事大海還つて浅し、相構えて父母の恩を報ずべし』
【通解】
父の恩の高いことは須弥山さえもなお低いほどであり、母の恩の深いことは大海もかえって浅いほどである。心して父母の恩を報ずべきである。
名字の言 座談会で行われた即席の表彰式 2022年5月23日
学生時代から剣道の鍛錬を重ねる地区部長は、今も武術関連の本を読み、心と頭を鍛える日々。「法華経の兵法が最強だけどね」と笑顔で語る▼そんな彼の座右の銘は「構はありて構はなき」。宮本武蔵の『五輪書』にある「有構無構」の教え。彼は自分流に"型にはまらず、固執せず、自在の心で目的達成へ突き進む"と捉えている。それを感じさせる場面を、彼の地区の座談会で見た▼一人の少女部員が、出品した絵画展の主催団体から賞状が郵送されてきたと報告。その場で開封すると、中身は全応募者に贈られる「参加賞」だった。少女は複雑な表情を浮かべた。そこで地区部長は即席の表彰式を開催。会場の皆が"わが地区の未来部員が、頑張ったことがうれしくて"と笑顔で喝采を送った▼会場には新来の友人もいた。デザイン事務所を営む女性だった。その場では、彼女は「努力で築いた技巧と実力でやっていけます」と、信心することはなかった▼だが後日、苦難に直面した彼女は、座談会での情景を思い出し、"まず心を鍛錬したい"と入会した。一人の少女を励ましたいという地区部長の一念は、自然な振る舞いに表れ、別の女性をも信仰に導いた。強き信心こそ、自他共の幸福を生む源泉である。
寸鉄 2022年5月23日
「常に南無妙法蓮華経と唱えさせ給うべし」御書 題目第一で活路は開ける(新533・全941)
「自分が責任を持つのだ」戸田先生。自分発の気概で戦えば全てが歓喜に!
創価の人々には嘘のない率直な対話がある—識者 真っすぐな言葉は伝わる
会議・打ち合わせは要点定め価値的に。全幹部が最前線に飛び込み波動を
定年後も働きたい人」が6割超。豊かな経験は社会の宝。広布の舞台でも
☆ミネソタ大学「名誉人文学博士号」授与式 池田先生の謝辞
◇大学は尽きない"精神の水源" 英知と活力で新たな価値創造を
一、最初に、コロナ禍等の幾多の試練を勝ち越えて、晴れの門出を迎えられた誇り高き卒業生の皆さんに心からのお祝いを申し上げます。
誠に誠に、おめでとうございます!(拍手)
大学と共に人生の年輪を重ね、毎年、万感の思いで、卒業生を送り出してきた一人として、同窓の友たちと大切にしている仏典の言葉があります。それは、「去って去らず」「去らずして去る」と。
たとえ、「身」は離れても、「心」は自在です。
ミネソタ州内に源を発し、貴大学のキャンパスを貫くミシシッピ川は、たゆまず流れ去りつつ、しかも、どの水もつながり合って、広大な大地を潤し続けていきます。
それと同じように、大学という尽きることのない精神の水源に融合する卒業生一人一人の生命は、満々たる英知と活力を湛えて、学友たちと絶妙なる連携をとりながら、社会へ、世界へ、未来へ、新たな価値を創造していけるのではないでしょうか。
◇人間教育の大河を悠々と広げ 生命尊厳と人道の世紀を共に
一、貴ミネソタ大学の紋章には、「あらゆる学術のための共通の絆」という、誠に素晴らしきモットーが刻まれております。
この最高峰の名門学府より、光栄にも、本日、私は「名誉人文学博士号」を賜りました。
最も誉れある人間教育の大河の「絆」に連ならせていただいた栄誉を、共に「生命尊厳と人道の世紀」を目指して行動する、貴国アメリカをはじめ、192カ国・地域の創価の世界市民と分かち合わせていただくことができ、これほどの喜びはございません。
心から御礼を申し上げます。誠に誠にありがとうございます(拍手)。
一、貴大学との尊き「絆」は、実は、私にとりまして、ちょうど50年前(1972年)の5月に対話を開始した、20世紀を代表する歴史学者アーノルド・J・トインビー博士との忘れ得ぬ縁にもつながっております。博士との対話は翌年も行い、合計40時間に及びましたが、その中で、全米各地をはじめ世界中を旅された思い出も伺いました。
博士は1955年11月、貴大学で重要な講演をされております。
すなわち、人類が破滅を避ける唯一の道は、世界が社会的融合を成し遂げ"一つの家族"となっていくことだと訴えられました。
そして"人類が、必要としているものは、互いの差異から学び、差異を人類共通の未来の宝と認識して、異なる人々の生き方に学んでいくことである"と語られたのであります。
40歳も若い私を、西洋と東洋を結ぶ対談に招いてくださったのも、博士がこの信念を体現されていたからであると、今、あらためて感謝が込み上げてまいります。
博士が託してくださった、この「差異から学び合う」対話の道を、私も報恩と後継の一念で、半世紀にわたり貫き通してまいりました。
◇ミネソタ大学出身のノーベル賞受賞者 ボーローグ博士
◇「飢えと悲惨のない世界へ 競争から協力の時代に!」
「インド近代農業の父」と仰がれるM・S・スワミナサン博士も、共に対談集を発刊した一人です。
くしくも、その一書の中で、満腔の敬意をもって偲んだのが、貴ミネソタ大学の出身で、世界の民衆を食糧危機から救い、ノーベル平和賞を受賞されたノーマン・ボーローグ博士だったのであります。
ボーローグ博士は、若き日に貴大学で結んだ師弟の絆を原点とし、そして「あらゆる学術のための共通の絆」を世界中に広げながら、「ネバー・ギブ・アップ」の不屈の努力で、奇跡の小麦を生み出し、「緑の革命」を成し遂げられました。
この博士が、「飢えと悲惨がある限り、平和な世界を築くことはできない」と喝破し、「時代の流れは、競争ではなく、協力に向かわなければならない」(レオン・ヘッサー著『"緑の革命"を起こした不屈の農学者 ノーマン・ボーローグ』岩永勝監訳、悠書館)と叫ばれていたことが、私の胸に、ひときわ深く強く迫ってならないのであります。
一、東洋には、「源遠ければ流れながし」という箴言があります。
貴ミネソタ大学は、1851年、「全ての人間は、知の力によって豊かになる」との崇高な理念を掲げて創立されました。まさしく、かけがえのない「知の力」の源たる貴大学から、迸る勢いで危機の時代に立ち向かっていく卒業生の皆さん方の使命が、どれほど偉大か。
かの民衆詩人ホイットマンが「地上で最も重要な流れ」(『ホイットマン自選日記〈下〉』杉木喬訳、岩波書店)と謳い上げたミシシッピ川の流れのごとく、悠々と、また堂々と、地球民族の明日へ、幸福と栄光の花々を爛漫と咲かせていかれることを、私は念願するとともに確信してやみません。
私も、わが後継の世界の青年たちと共々に、貴大学の絆に勇んで連なりながら、平和と文化と教育の大河を、いやまして未来へ流れ通わしていくことを、固くお誓いするものであります。
結びに、貴ミネソタ大学の無窮の発展と、ご臨席の全ての方々のご健勝を心から祈念し、御礼のスピーチとさせていただきます。
サンキュー・ベリー・マッチ!(大拍手)
2022年5月22日日曜日
2022.05.22 わが友に贈る
「南無妙法蓮華経は
歓喜の中の大歓喜なり」
友のため祈り走る時に
生命は最も躍動する。
進もう! 幸の大道を!
(新1097・全788)
四条金吾殿女房御返事 P1135
『大将軍よはければしたがうものもかひなし、弓よはければ絃ゆるし風ゆるければ波ちゐさきは自然の道理なり』
【通解】
大将軍の心が弱ければ従う兵卒もふがいない。弓が弱ければ絃もゆるい。風がゆるやかであれば波も小さいのは自然の道理である。
名字の言 手と靴を泥だらけにして働いた研究者 2022年5月22日
先日、池田先生に名誉人文学博士号を授与した米ミネソタ大学は、25人のノーベル賞受賞者を輩出している。その一人が、「緑の革命」の立役者であるノーマン・ボーローグ博士だ▼博士が品種改良を行った小麦は、世界で数億もの人を飢餓から救ったといわれる。その開発は、手間のかかる交配の繰り返しだった。博士自身が「時間はかかるし、叫び出したくなるほど退屈」と述べている。しかも、交配が成功する割合は、1000回に1回程度だったという▼交配の時には、日の出から日没まで作業を行い、野外のたき火で食事をし、寝袋で睡眠をとった。博士は自らを「手と靴を泥だらけにして働く研究者」と称した(レオン・ヘッサー著『ノーマン・ボーローグ』悠書館)▼地道で単純で労多い作業によって、多収穫品種の小麦は誕生した。後世に刻まれる偉大な事業には、先人の並はずれた努力の結晶がある。創価学会の今日までの歴史も、幾多の草創の同志が"靴を泥だらけ"にするような献身によって切り開かれた軌跡にほかならない▼広布に近道はない。歩いて語って、一人また一人と妙法の灯をともしていくしかない。その行動を貫いてきた人の胸中には、誉れ高き生命の勲章が輝いている。
寸鉄 2022年5月22日
大事なのは足元だ—戸田先生。わが地域こそ主戦場。使命の場所で勝利を
奈良広布誓願の日。常勝関西の柱は厳たり。師弟共戦の新たな歴史今こそ
沈黙は悪との共犯—文豪ゾラ 正義は語らなければ広がらない。信念の炎赤々と
修学旅行先に被災地が増加と。風化防ぐ事が命を守る。防災意識、緩みなく
暑さ対策を着々と。適度に汗かく事で体は順応。空調の試運転も早い内に
☆四季の励まし 沖縄本土復帰50年——生命尊厳の「永遠の都」を 2022年5月15日
◇池田先生の言葉
一番苦しんだ人が、
一番幸せになる
権利がある。
最も侮蔑され、
虐げられてきた
民衆こそが、
最も誇り高く凱歌を
轟かせる権利がある。
その大転換へ、
宿命に涙してきた
一人一人が、
永遠の幸福を
勝ち開くためにこそ、
日蓮大聖人の仏法はある。
「イチャリバチョーデー
(出会えば、皆、兄弟)」
——沖縄には、
人と人との出会いを
大事にし、
いかなる出会いも
深き友情に高めゆく
豊かな精神性がある。
その平等に
語り合う場には、
海風が薫り、
明るい青空や
星空が広がる。
我らの「沖縄精神」は、
まさに「対話の精神」だ。
一人の声に耳を傾け、
一人の友を励まし、
一対一の対話を広げる。
この最も地道な
菩薩道こそ、
新たな平和の潮流を
起こす第一歩だ。
広宣流布とは、
平和と文化と教育の
「永遠の都」をつくる
大事業である。
正義と幸福の「永遠の都」。
民衆勝利の「永遠の都」。
人間讃歌の「永遠の都」。
生命尊厳の「永遠の都」。
常楽我浄の「永遠の都」。
これらの大建設は、
人類が何千年来、
求めてきた夢である。
目標である。
妙法を持つ人は皆、
尊極の生命の宝塔であり、
人間主義の柱である。
それぞれの地域にあって、
広布の使命に
一人立つ同志は、
まさしく希望の柱だ。
苦難に負けない強さ、
人のために尽くす生き方、
その姿そのものが
平和の柱なのである。
【写真説明】白い砂浜にエメラルドの海。寄せては返す波が、さざめいていた。1994年(平成6年)2月、池田大作先生がアジア歴訪の平和旅を終え、沖縄を訪問。かりゆしの海にカメラを向けた。
この折、先生は沖縄広布40周年記念総会に出席。沖縄戦の惨禍に触れつつ、「沖縄からアジアへ、そして世界へ、広宣流布の旅を続ける決心である」と語った。
先生が小説『人間革命』を起稿したのも沖縄の地。この深き思いに応えて、沖縄の友は、平和の楽土を築く人間革命の挑戦を貫いてきた。きょう本土復帰50年。「命どぅ宝(命こそ宝)」の心に学び、平和への誓いを新たにしたい。
歓喜の中の大歓喜なり」
友のため祈り走る時に
生命は最も躍動する。
進もう! 幸の大道を!
(新1097・全788)
四条金吾殿女房御返事 P1135
『大将軍よはければしたがうものもかひなし、弓よはければ絃ゆるし風ゆるければ波ちゐさきは自然の道理なり』
【通解】
大将軍の心が弱ければ従う兵卒もふがいない。弓が弱ければ絃もゆるい。風がゆるやかであれば波も小さいのは自然の道理である。
名字の言 手と靴を泥だらけにして働いた研究者 2022年5月22日
先日、池田先生に名誉人文学博士号を授与した米ミネソタ大学は、25人のノーベル賞受賞者を輩出している。その一人が、「緑の革命」の立役者であるノーマン・ボーローグ博士だ▼博士が品種改良を行った小麦は、世界で数億もの人を飢餓から救ったといわれる。その開発は、手間のかかる交配の繰り返しだった。博士自身が「時間はかかるし、叫び出したくなるほど退屈」と述べている。しかも、交配が成功する割合は、1000回に1回程度だったという▼交配の時には、日の出から日没まで作業を行い、野外のたき火で食事をし、寝袋で睡眠をとった。博士は自らを「手と靴を泥だらけにして働く研究者」と称した(レオン・ヘッサー著『ノーマン・ボーローグ』悠書館)▼地道で単純で労多い作業によって、多収穫品種の小麦は誕生した。後世に刻まれる偉大な事業には、先人の並はずれた努力の結晶がある。創価学会の今日までの歴史も、幾多の草創の同志が"靴を泥だらけ"にするような献身によって切り開かれた軌跡にほかならない▼広布に近道はない。歩いて語って、一人また一人と妙法の灯をともしていくしかない。その行動を貫いてきた人の胸中には、誉れ高き生命の勲章が輝いている。
寸鉄 2022年5月22日
大事なのは足元だ—戸田先生。わが地域こそ主戦場。使命の場所で勝利を
奈良広布誓願の日。常勝関西の柱は厳たり。師弟共戦の新たな歴史今こそ
沈黙は悪との共犯—文豪ゾラ 正義は語らなければ広がらない。信念の炎赤々と
修学旅行先に被災地が増加と。風化防ぐ事が命を守る。防災意識、緩みなく
暑さ対策を着々と。適度に汗かく事で体は順応。空調の試運転も早い内に
☆四季の励まし 沖縄本土復帰50年——生命尊厳の「永遠の都」を 2022年5月15日
◇池田先生の言葉
一番苦しんだ人が、
一番幸せになる
権利がある。
最も侮蔑され、
虐げられてきた
民衆こそが、
最も誇り高く凱歌を
轟かせる権利がある。
その大転換へ、
宿命に涙してきた
一人一人が、
永遠の幸福を
勝ち開くためにこそ、
日蓮大聖人の仏法はある。
「イチャリバチョーデー
(出会えば、皆、兄弟)」
——沖縄には、
人と人との出会いを
大事にし、
いかなる出会いも
深き友情に高めゆく
豊かな精神性がある。
その平等に
語り合う場には、
海風が薫り、
明るい青空や
星空が広がる。
我らの「沖縄精神」は、
まさに「対話の精神」だ。
一人の声に耳を傾け、
一人の友を励まし、
一対一の対話を広げる。
この最も地道な
菩薩道こそ、
新たな平和の潮流を
起こす第一歩だ。
広宣流布とは、
平和と文化と教育の
「永遠の都」をつくる
大事業である。
正義と幸福の「永遠の都」。
民衆勝利の「永遠の都」。
人間讃歌の「永遠の都」。
生命尊厳の「永遠の都」。
常楽我浄の「永遠の都」。
これらの大建設は、
人類が何千年来、
求めてきた夢である。
目標である。
妙法を持つ人は皆、
尊極の生命の宝塔であり、
人間主義の柱である。
それぞれの地域にあって、
広布の使命に
一人立つ同志は、
まさしく希望の柱だ。
苦難に負けない強さ、
人のために尽くす生き方、
その姿そのものが
平和の柱なのである。
【写真説明】白い砂浜にエメラルドの海。寄せては返す波が、さざめいていた。1994年(平成6年)2月、池田大作先生がアジア歴訪の平和旅を終え、沖縄を訪問。かりゆしの海にカメラを向けた。
この折、先生は沖縄広布40周年記念総会に出席。沖縄戦の惨禍に触れつつ、「沖縄からアジアへ、そして世界へ、広宣流布の旅を続ける決心である」と語った。
先生が小説『人間革命』を起稿したのも沖縄の地。この深き思いに応えて、沖縄の友は、平和の楽土を築く人間革命の挑戦を貫いてきた。きょう本土復帰50年。「命どぅ宝(命こそ宝)」の心に学び、平和への誓いを新たにしたい。
2022年5月21日土曜日
2022.05.21 わが友に贈る
換気や消毒等を万全に
安心と喜びの語らいを!
会場提供者や近隣への
こまやかな配慮忘れず
決意の出発を共々に!
同生同名御書 P1114
『此の御文は藤四郎殿の女房と常によりあひて御覧あるべく候』
【通解】
この手紙は、藤四郎殿の夫人とつねに寄りあってご覧なさい。
名字の言 「流水濁らず、忙人老いず」 2022年5月21日
テレビ番組「料理の鉄人」などで活躍した、和食料理人の道場六三郎氏。「何かやり続けている人のほうが、いつまでも生き生きしている」との意味を込めて、自身が考えた「流水濁らず、忙人老いず」との言葉を信念としている▼日課は4000歩以上の散歩。91歳の今もスッと背筋を伸ばし、「銀座ろくさん亭」の調理場に立つ。料理の道に入って70年を超えてなお、新しい料理のアイデアを生み出し続けている(『91歳。一歩一歩、また一歩。必ず頂上に辿り着く』KADOKAWA)▼身体に負荷がかからない状態だと、どれほど筋力が低下するかを調べた実験がある。被験者は、ほぼ寝たきりの状態で生活した。実験開始から2週間後、太ももの筋肉は14%も減少していたという。1日1%の割合だ。動かなければ身体的機能は衰える。それは「心」も同じだろう▼日蓮大聖人は御入滅の直前にも、病を押して門下に「立正安国論」を講義したと伝えられる。令法久住のため、最後の最後まで弟子を薫陶し、広布に生き抜かれた。この"戦い続ける心"こそ学会精神だ▼さあ、きょうも動こう! 語ろう! 「水のごとくと申すは、いつもたいせず信ずるなり」(新1871・全1544)の御聖訓を胸に。
寸鉄 2022年5月21日
御書「信心のいさぎよきはすめるがごとし」。広布誓願の強盛な祈りは叶う(新2135・全1262)
「山光提言」の日。拡大に先駆の鳥取と島根の同志 愛する郷土を光の天地に
正義が誠実さの因—哲人プラトン 青年よ胸張り堂々と語れ 真剣な声が友の心動かす
対面は"画面会議"より創造的アイデア多く—研究 長所・短所を理解し活用
帯状疱疹が若年層に増加 感染禍のストレスが因の恐れも。早期治療が重要
〈社説〉 2022・5・21 きょう世界文化多様性デー
◇差異から学び合う対話の道を
「9・11」米同時多発テロが起きた直後の2001年11月、国連教育科学文化機関(ユネスコ)は、異文化間の対話による相互理解と共生を訴える宣言を採択。翌年の国連総会で宣言されたのが、5月21日の「対話と発展のための世界文化多様性デー」である。多様で豊かな文化は、長い歴史の中で、多くの人々の知恵と努力の結晶が連綿と受け継がれてきた人類の財産だ。異文化に触れ、理解を深めることは、新たな創造の活力ともなろう。
昨今、世界では文化的相違を背景とした対立や外国人の排斥、ヘイトクライム(偏見や憎悪が動機の犯罪)が続発する。14日、米ニューヨーク州で10人が死亡する銃乱射事件が起きた。遺族と面会したバイデン大統領はその後「白人至上主義は毒だ。その毒はこの国にはびこっている」と演説した。
いかに偏見と社会の分断を克服するのか。ドイツの哲学者でボン大学のマルクス・ガブリエル教授は近著で、「住む世界が違う人同士が出会う機会を社会に作る」ことを提唱。「自分が他者だと考えている人々と腹を割って話す」ことで今まで見えなかった現実を知る「すばらしい学び」があると強調する(大野和基インタビュー・編、月谷真紀訳『わかりあえない他者と生きる』PHP新書)。
創価学会は座談会をはじめ多様な人々が出会う"語らいの場"を地域と社会に提供してきた。そして「一切衆生に皆仏性有り」(新210・全291)との仏法の生命観に基づき、互いの尊厳と個性を尊重しながら「人間革命」という生命変革の潮流を広げている。
14日に行われた米ミネソタ大学「名誉人文学博士号」授与式の謝辞で池田先生は、差異を「人類共通の未来の宝」とし、異なる人々に学んでいくべきだ、との歴史学者トインビー博士の主張を紹介。そして「博士が託してくださった、この『差異から学び合う』対話の道を、私も報恩と後継の一念で、半世紀にわたり貫き通してまいりました」と述べている。
差異に学ぶ対話から、新たな信頼と友情が広がる。新たな連帯が生まれ、新たな平和の創造へとつながっていく。それは、多様性を破壊する最大の愚行である戦争をなくす道でもある。池田先生が歩んできた「対話の道」に連なる誇りを胸に、私たちは今日も心弾む語らいの薫風を広げよう。
☆学ぼう「黄金柱の誉れ」Q&A 第26回 地域のため奮闘するのが仏法者
〈一人一人が「貢献の行動」を〉
かつては、定年後の生活を"余生"ととらえる人が多かった。しかし、これからは、長年培ってきた力をもって、地域に、希望を、活力を与える"与生"であらねばならない。
仏法即社会であり、地域広布即地域貢献である。一人ひとりが、地域のため、人びとのために、何ができるかを考え、果敢に貢献の行動を起こしていくなかに、幸せの拡大があり、広宣流布の建設もあるのだ。
日蓮大聖人は仰せである。
「一切衆生の異の苦を受くるは悉く是れ日蓮一人の苦なるべし」(全758・新1056)
人びとが苦しむ問題があれば、それをわが苦ととらえ、その解決のために奮闘していくのが、仏法者の生き方といえる。壮年が、その使命を自覚し、地域建設の中核となり、推進力となっていってこそ、わが地域の建設も、繁栄も、勝利もある。
(小説『新・人間革命』第28巻「広宣譜」)
〈垣根をつくらず、友情と連帯を〉
壮年は尋ねた。
「これから地域社会の建設に取り組んでいくうえで、どういう努力が必要でしょうか」
伸一は言下に答えた。
「一人ひとりの同志が、なんらかのかたちで、『自分は、こうやって地域のために貢献している』と言えるものをもつことです。社会と学会の間に垣根をつくるのではなく、信仰を原点として友情の翼を大きく広げ、新しい人間の連帯を地域につくり上げていくことです」
(小説『新・人間革命』第17巻「本陣」)
〈自らが「模範の存在」と光る〉
地域を大切に! この思いは、壮年部や男子部も同じ。だが一般的に、男性陣は、普段、地域でなじみが薄いようだ。
しかし実際には、行事の設営や、防火・防犯のために近隣を回る夜警など、男性に求められる役割も少なくない。
では、どうすれば、男性の地域参加を促進できるのか。
そこで大切なのが、地域貢献に励む、身近な模範の存在だ。それは「自分にもできるかも」「やってみたい」という前向きな気持ちにさせてくれる。
今、各地の壮年部や男子部の中には、そんな先駆の姿が光っている。
仕事もある。家庭も大事。学会活動も忙しい。それでも「地域のために」と、自治会や青年会、PTAの役員など、推されて地域役職に就き、奔走している。近隣の清掃など、地道な地域貢献に励む友も多い。
(中略)
地域に幸福と平和の花を! その花々で世界を包みたい——そこに恩師の深き願いもあった。
(本紙2015年2月13日付、「随筆 民衆凱歌の大行進」)
安心と喜びの語らいを!
会場提供者や近隣への
こまやかな配慮忘れず
決意の出発を共々に!
同生同名御書 P1114
『此の御文は藤四郎殿の女房と常によりあひて御覧あるべく候』
【通解】
この手紙は、藤四郎殿の夫人とつねに寄りあってご覧なさい。
名字の言 「流水濁らず、忙人老いず」 2022年5月21日
テレビ番組「料理の鉄人」などで活躍した、和食料理人の道場六三郎氏。「何かやり続けている人のほうが、いつまでも生き生きしている」との意味を込めて、自身が考えた「流水濁らず、忙人老いず」との言葉を信念としている▼日課は4000歩以上の散歩。91歳の今もスッと背筋を伸ばし、「銀座ろくさん亭」の調理場に立つ。料理の道に入って70年を超えてなお、新しい料理のアイデアを生み出し続けている(『91歳。一歩一歩、また一歩。必ず頂上に辿り着く』KADOKAWA)▼身体に負荷がかからない状態だと、どれほど筋力が低下するかを調べた実験がある。被験者は、ほぼ寝たきりの状態で生活した。実験開始から2週間後、太ももの筋肉は14%も減少していたという。1日1%の割合だ。動かなければ身体的機能は衰える。それは「心」も同じだろう▼日蓮大聖人は御入滅の直前にも、病を押して門下に「立正安国論」を講義したと伝えられる。令法久住のため、最後の最後まで弟子を薫陶し、広布に生き抜かれた。この"戦い続ける心"こそ学会精神だ▼さあ、きょうも動こう! 語ろう! 「水のごとくと申すは、いつもたいせず信ずるなり」(新1871・全1544)の御聖訓を胸に。
寸鉄 2022年5月21日
御書「信心のいさぎよきはすめるがごとし」。広布誓願の強盛な祈りは叶う(新2135・全1262)
「山光提言」の日。拡大に先駆の鳥取と島根の同志 愛する郷土を光の天地に
正義が誠実さの因—哲人プラトン 青年よ胸張り堂々と語れ 真剣な声が友の心動かす
対面は"画面会議"より創造的アイデア多く—研究 長所・短所を理解し活用
帯状疱疹が若年層に増加 感染禍のストレスが因の恐れも。早期治療が重要
〈社説〉 2022・5・21 きょう世界文化多様性デー
◇差異から学び合う対話の道を
「9・11」米同時多発テロが起きた直後の2001年11月、国連教育科学文化機関(ユネスコ)は、異文化間の対話による相互理解と共生を訴える宣言を採択。翌年の国連総会で宣言されたのが、5月21日の「対話と発展のための世界文化多様性デー」である。多様で豊かな文化は、長い歴史の中で、多くの人々の知恵と努力の結晶が連綿と受け継がれてきた人類の財産だ。異文化に触れ、理解を深めることは、新たな創造の活力ともなろう。
昨今、世界では文化的相違を背景とした対立や外国人の排斥、ヘイトクライム(偏見や憎悪が動機の犯罪)が続発する。14日、米ニューヨーク州で10人が死亡する銃乱射事件が起きた。遺族と面会したバイデン大統領はその後「白人至上主義は毒だ。その毒はこの国にはびこっている」と演説した。
いかに偏見と社会の分断を克服するのか。ドイツの哲学者でボン大学のマルクス・ガブリエル教授は近著で、「住む世界が違う人同士が出会う機会を社会に作る」ことを提唱。「自分が他者だと考えている人々と腹を割って話す」ことで今まで見えなかった現実を知る「すばらしい学び」があると強調する(大野和基インタビュー・編、月谷真紀訳『わかりあえない他者と生きる』PHP新書)。
創価学会は座談会をはじめ多様な人々が出会う"語らいの場"を地域と社会に提供してきた。そして「一切衆生に皆仏性有り」(新210・全291)との仏法の生命観に基づき、互いの尊厳と個性を尊重しながら「人間革命」という生命変革の潮流を広げている。
14日に行われた米ミネソタ大学「名誉人文学博士号」授与式の謝辞で池田先生は、差異を「人類共通の未来の宝」とし、異なる人々に学んでいくべきだ、との歴史学者トインビー博士の主張を紹介。そして「博士が託してくださった、この『差異から学び合う』対話の道を、私も報恩と後継の一念で、半世紀にわたり貫き通してまいりました」と述べている。
差異に学ぶ対話から、新たな信頼と友情が広がる。新たな連帯が生まれ、新たな平和の創造へとつながっていく。それは、多様性を破壊する最大の愚行である戦争をなくす道でもある。池田先生が歩んできた「対話の道」に連なる誇りを胸に、私たちは今日も心弾む語らいの薫風を広げよう。
☆学ぼう「黄金柱の誉れ」Q&A 第26回 地域のため奮闘するのが仏法者
〈一人一人が「貢献の行動」を〉
かつては、定年後の生活を"余生"ととらえる人が多かった。しかし、これからは、長年培ってきた力をもって、地域に、希望を、活力を与える"与生"であらねばならない。
仏法即社会であり、地域広布即地域貢献である。一人ひとりが、地域のため、人びとのために、何ができるかを考え、果敢に貢献の行動を起こしていくなかに、幸せの拡大があり、広宣流布の建設もあるのだ。
日蓮大聖人は仰せである。
「一切衆生の異の苦を受くるは悉く是れ日蓮一人の苦なるべし」(全758・新1056)
人びとが苦しむ問題があれば、それをわが苦ととらえ、その解決のために奮闘していくのが、仏法者の生き方といえる。壮年が、その使命を自覚し、地域建設の中核となり、推進力となっていってこそ、わが地域の建設も、繁栄も、勝利もある。
(小説『新・人間革命』第28巻「広宣譜」)
〈垣根をつくらず、友情と連帯を〉
壮年は尋ねた。
「これから地域社会の建設に取り組んでいくうえで、どういう努力が必要でしょうか」
伸一は言下に答えた。
「一人ひとりの同志が、なんらかのかたちで、『自分は、こうやって地域のために貢献している』と言えるものをもつことです。社会と学会の間に垣根をつくるのではなく、信仰を原点として友情の翼を大きく広げ、新しい人間の連帯を地域につくり上げていくことです」
(小説『新・人間革命』第17巻「本陣」)
〈自らが「模範の存在」と光る〉
地域を大切に! この思いは、壮年部や男子部も同じ。だが一般的に、男性陣は、普段、地域でなじみが薄いようだ。
しかし実際には、行事の設営や、防火・防犯のために近隣を回る夜警など、男性に求められる役割も少なくない。
では、どうすれば、男性の地域参加を促進できるのか。
そこで大切なのが、地域貢献に励む、身近な模範の存在だ。それは「自分にもできるかも」「やってみたい」という前向きな気持ちにさせてくれる。
今、各地の壮年部や男子部の中には、そんな先駆の姿が光っている。
仕事もある。家庭も大事。学会活動も忙しい。それでも「地域のために」と、自治会や青年会、PTAの役員など、推されて地域役職に就き、奔走している。近隣の清掃など、地道な地域貢献に励む友も多い。
(中略)
地域に幸福と平和の花を! その花々で世界を包みたい——そこに恩師の深き願いもあった。
(本紙2015年2月13日付、「随筆 民衆凱歌の大行進」)
2022年5月20日金曜日
2022.05.20 わが友に贈る
受け身の姿勢では
本当の力は出ない。
何事も主体者の自覚で
自発能動の挑戦を!
そこに喜びと充実が!
金吾殿御返事 P999
すでに年五十に及びぬ余命いくばくならず、いたづらに曠野にすてん身を同じくは一乗法華のかたになげて雪山童子薬王菩薩の跡をおひ仙予有徳の名を後代に留めて法華涅槃経に説き入れられまいらせんと願うところなり
【通解】
すでに年も五十近くになった。残された寿命もいくばくもない。いたずらに広野に捨てる身であるならば、同じくは一仏乗を説く法華経の方に投げて雪山童子や薬王菩薩の跡を追い、仙予国王や有徳王がその名を後の時代にとどめたように、日蓮もその名を後の時代にとどめて、末法の法華経・涅槃経に説き入れていただこうとら願うところである。
名字の言 竹が成長するスピードの秘密 2022年5月20日
兵庫県を訪れた際、旬のタケノコとサンショウのつくだ煮を食した。シャキシャキとしたタケノコの食感と、サンショウの香りが見事に調和し、ご飯が進んだ▼タケノコとは、竹の地下茎から出てくる若芽のこと。地上に顔を出すか出さないかの時に掘り出すのが、一番の食べ頃。薄い皮に幾重にも覆われているのは、イノシシなどの外敵から身を守るためのようだ▼竹の成長は早く、ピーク時には1日1メートル以上伸びた記録も。その秘密は「節」にある。一本の竹には約60個の節があるといわれるが、その一つ一つの節に成長点があり、それらが"同時に"成長するのだ。それでいて倒れないのは地下茎でつながっているからである▼人間社会も同じだろう。立場や状況などは人それぞれ異なる。それでも心を一つにして同じ目的に立ち、一人一人が時を逃さずに行動することで、全体として天を突く勢いで真っすぐに成長できる。信仰の世界で言えば、異体同心の前進である▼矛盾するようだが、異体同心の前進のためには「たとえ一人になっても私は進む」という「一人立つ」強さが不可欠となる。竹のようにしなやかに、一人一人が強く、支え合う。そこに真の団結が生まれ、勝利の快進撃につながる。
寸鉄 2022年5月20日
皆で座談会の大成功を。体験あり決意あり。歓喜の会座から勝利の頂へ!
岩手「女性部の日」「青年部の日」。今日も広布へ。尊き奮闘を諸天も賛嘆!
新潟県女性部の日。誓願の祈りで勇敢に対話拡大 地域を照らす希望の太陽
壮年部・男子部が力を合わせれば広布は加速。互いに励まし清々しい命で
課題の明確化がストレス減の近道—医師。何事も挑戦は具体的に一歩ずつ
〈社説〉 2022・5・20 東京スカイツリー開業から10年
◇歴史をつくる主体者の自覚で
2012年5月22日、墨田区・押上の地に、自立式電波塔として世界一の高さ(634メートル)を誇る東京スカイツリーが開業した。
この10年、来場者数は「天望デッキ」で4000万人に達し、商業施設などが人気の東京スカイツリータウンでは3億人を突破。
近年は、新型コロナの影響で集客に苦労しているものの、緊急事態宣言中に、都内の小中高生を対象にした天望デッキの貸し切り営業を行うなど、地域を大切にする姿勢も当初から貫いている。
節目ごとに実施する特別なライトアップも定着し、東京の新たなシンボルとして日夜、温かな光を放っている。
建設当時、これだけの巨大な建造物を造ることは大きな挑戦だった。
延べ約58万人もの技術者や職人が携わり、数々の困難に直面したが、特に鉄材の仕入れ、管理、溶接は困難の連続だったという。
作業には複数の鉄骨加工メーカーが参加していたため、細かい連携を取ることが重要だった。
そこで、携わる複数社が集まり「鉄骨ワーキンググループ」を結成することに。毎週のように議論を積み重ね、多くの課題を解決する意見や提案が生まれる場となった。
当時、鉄骨の管理を担当した大林組・大塚英郎さんは振り返る。
「結成当初は、皆どこか腰が引けているところがありました。しかしながら、すぐにこのプロジェクトはメンバー全員が一致団結しないと実現できないということに気付きました。その瞬間から、メンバー全員の結束力が一気に強まっていきました」(山田久美著『東京スカイツリー 天空に賭けた男たちの情熱』マガジンハウス)。
「世界一のタワーをこの手で造る」——。その主体者としての自負と誇りが、偉業を成し遂げたといえまいか。
池田先生は、かつて「偉大なる仕事というものは、自ら責任を担い立つ、勇敢なる人間によって為されていくということである。嫌々ながら、人に『やらされている』という暗い意識があるかぎり、本当に一流の仕事は、絶対にできるものではない。(中略)われらの広宣流布という"仕事"は、本質的に深き使命感と責任感に発する崇高な戦いだ」とつづった。
我らの"立正安国、立正安世界"への戦いは日々、続く。一人一人が広宣流布の歴史をつくる主体者としての誇りを胸に、師弟の月・7月を目指し進もう。
☆Switch——共育のまなざし 池田先生の励ましの言葉から 家庭教育の根本とは?
◇「負けない」「真剣」の姿を見せること
21世紀は「女性の世紀」——これは、池田先生が一貫して訴えてきた信念です。ゆえに先生は、地域や家庭、職場で社会で懸命に献身する全ての女性をたたえ、温かなエールを送ってきました。今回は、子育てに奮闘する友への励ましの言葉を『21世紀への母と子を語る』(『池田大作全集』第62巻所収)の中から抜粋して紹介します。
◇生き方の骨格
<母ゆえの悩みがある。苦しいことも多いかもしれない。しかし、「そこで負けないで、子どもや家族を、そして自分に縁した人々をすべて『幸福の大道』へと導いていく——これほど尊貴な存在はありません」と、池田先生はたたえます>
日蓮大聖人の時代にも、夫を失いながら、懸命に子どもを育てた女性の信仰者が何人もいました。
大聖人は、そのなかの一人の方を「日妙聖人」とまで呼ばれ、「信心の心を強くして生きていきなさい。そうすれば、諸天は必ずやあなた方を守っていくでしょう」(新1689・全1220、趣意)と励まされている。この御指南のままに、日妙聖人は純粋な信心を貫き、娘を立派な信心の後継者に育てあげ、勝利の人生を見事に開いたのです。
<女性リーダーが子どもの頃の思い出を述懐しました。母は自宅で折あるごとに御書を開いていたそうです。その母の姿を見て、"御書はそんなにすごいものなのか"と心がひかれ、お小遣いやお年玉を貯めて"自分の御書"を購入。母子で机を挟み、御書を一緒に読み合ったことが忘れられないと語ります>
それはすばらしいね。子ども時代の思い出は、一生の財産になっていくものです。まして、親子が一緒になって築いた信心の思い出は、なおさらでしょう。
親の役目の一つは、子どもが人生を生きていくうえでの"骨格"をつくってあげることです。試験の科目みたいに、これとこれだけ教えておけばよい、というわけにはいかない。たんに話をして言い聞かせればよいというものではないし、いくら親が気負ったところで、子どものほうが心を向けてくれなくては"空まわり"になりかねない。
そうではなく、真剣に何かに打ち込む親の姿を見ながら、子どものほうがしぜんに興味や関心をいだいていく。その姿から、何かを学んでいく——それが「家庭教育」の根本となるものです。
「われわれが内に向かってわれわれのなすべきことをしたら、外に向かってなすべきことはおのずとなされるでしょう」(『ゲーテ格言集』高橋健二編訳、新潮文庫)とはゲーテの言葉ですが、子育てにも通じる人生の極理と言ってよいでしょう。
"どうして、お母さんはあんなに一生懸命なのだろう?""ああしている時のお母さんは、本当に楽しそうだな"と、母親の表情や声の調子から、子どもは敏感に感じ取って、知らずしらずのうちに、「生き方」の骨格が築かれていくものなのです。
◇自ら善縁となって
<先生は、かつて対談したニューヨーク市立大学クイーンズ・カレッジの学長のエピソードを紹介します。物理学者でもあった学長にとって、幼少時代に「科学への目」を開いてくれたのは、母親でした>
家でかんたんな「科学実験」を見せたりして、子どもが「知識」を肌身で感じられるように、努力をしてくれたというのです。学長は、当時を振り返り、こう述懐しておられた。
「母は、何が良いとか悪いとか決めつけたり、優劣をつけたりもせず、ともかく『知的なもの』に接するようにしてくれたのです。そのためなら、私たちが何をやろうと、母は怒りませんでした。
"科学実験"のおかげで、家の中をめちゃくちゃにしたり、眠ったふりをして、ふとんの中に懐中電灯を持ちこんで、明け方の4時まで本を読んだりしていても、見て見ぬふりをしてくれました。なんでもいいから、学んだほうがいい——そういう考えだったのです」と。
<"自らが善縁となり、子どもの豊かな可能性を育んでいく使命が親にはある"と、先生は訴えます。その使命と役割は、母親であれ父親であれ、変わりません>
わずかな時間であったとしても、ともに語りあったり、何かを一緒に体験したり、感動しあった時間というのは、子どもの心に深く残っていく。今は社会も豊かになり、親がなんでもしてあげられる環境が整ってきていますが、何か形にとらわれたり、特別なことを追い求める必要はありません。親から子へ、子から親へと通いあう「心の時間」こそが大事なのです。
◇飛行機のように
<一方で、この「心の時間」が近年、持ちづらいのも実態です。自宅という"同じ場所"にいても、それぞれ別々に食事をとり、それぞれが好きなことをして、別々の部屋で自由に過ごし、別々の時間に休む……ある調査では、子育てをつらいと感じている女性が、その理由として最も多く挙げたのは「自分の自由な時間がなくなること」でした。
共働き世帯が増加した現代では、そのつらさを抱える人も一段と増えているでしょう。また親だけでなく、"自分の好きなように時間を過ごしたい"と考える子どもも多いようです>
家族の団欒が大事といっても、生活形態や生活リズムがこれだけ多様化しているのだから、すべてが昔と同じようにいかないのも現実でしょう。また、お母さん方の「自分の自由な時間がほしい」という気持ちも、ある面で分かります。いまだに育児は母親の負担が重く、とくに精神面で周囲がどう支えていくかは、大きな社会的課題と言えます。
とはいっても、家族がたがいのことを思いやる気持ちだけは失ってはいけません。めいめいが別々の方向を向いて生活している"ホテル"ではなく、たとえ離れた席に座っていても、同じ目的地に向かって進む"飛行機"のように、心あわせて「家庭」を築いていくことが大切ではないでしょうか。
◆◇◆
飛行機といえば、戸田先生が、ある時、こんな話をされたことがあった。「昔、私は仙台から飛行機で東京へ帰ってきたことがあるが、その途上、阿武隈川の川下のあたりで、烈風にあった。そのころの飛行機は、今どきのと違って、6人乗りのかんたんな飛行機だから、上下に激しく振動して、なかなか前には進まない。仙台から東京までの間、飛行機が気流と闘争していたが、その闘争は見ていてじつに立派な闘争であった」と。
具体的な話を通して、すべては闘争だという本質を教えてくださる師でした。子育ても家庭のことも、すべて現実との格闘です。もとより楽なはずはないし、思いどおりにならないことのほうが多いかもしれない。しかし、目的地に向かって心を定め、苦悩の乱気流を突きぬければ、そこには澄みきった希望の青空が広がっている。
仏法では、「苦」と「楽」は表裏一体であり、「労苦」のなかにこそ「遊楽」はあると説きます。大事なことは、負けないことです。あきらめないことです。飛行機も飛び続けてこそ、目的地にたどりつけるように、人生の醍醐味は、深い労苦を勝ち越えてこそ満喫できるのです。
◇母は世界の希望
<家族全員を"幸福"へと運ぶ"名操縦士"にと願い、先生は重ねて励ましを送ります>
ヨーロッパ統合の推進者であったクーデンホーフ=カレルギー伯と対談したことがあります。その中で、「女性の幸、不幸の姿こそ、一つの社会、一つの国が安泰であり、健全であるかどうかの具体的な表れである」と述べた私に対し、クーデンホーフ=カレルギー伯はこう語っておられた。
「女性がより大きな役割を果たす機会が与えられれば、それだけ世界が平和になるということです。なぜなら、女性は本来、平和主義者だからです」「世界中で女性が議会と政府の半分を占めるようになれば、世界平和は盤石になるだろう」——と。
忘れることのできない、含蓄深い言葉でした。
<ガンジーやタゴールをはじめアルゼンチンの人権の闘士エスキベル博士など、世界一級の知性の人々も、"平和の世紀を築くのは女性である"と訴えています。ガンジーの弟子として非暴力闘争を貫いた女性ウシャ・メータ氏の言葉を、先生は紹介しました。「ガンジーは『勇気をもって、正義のために戦え。真実を語れ』と教えてくれました。また『女性が心の平和を確立することによって、社会の平和は築き上がる。その時、女性のもつ平和の力は爆発的な偉大な力となり、社会は変えられる』と教えてくれました」>
皆さま方は、みずからの行動をもって、その時代の最先端を切り開かれている。世のため人のため、懸命に活動しておられる。本当に尊いことだ。合掌する思いです。
皆さん方が、世界の希望です。人類が皆さんの未来への行動を見つめています。一つ一つの行動は目立たないかもしれないが、着実に、社会を世界を、「幸福」の方向へと導いている。その行動は、そのまま、お子さんたちの「希望の未来」を開いていることにもなるのです。
誇りをもって進みましょう。
「平和の世紀」を築くために!
「使命の人生」を勝ち取りながら!
本当の力は出ない。
何事も主体者の自覚で
自発能動の挑戦を!
そこに喜びと充実が!
金吾殿御返事 P999
すでに年五十に及びぬ余命いくばくならず、いたづらに曠野にすてん身を同じくは一乗法華のかたになげて雪山童子薬王菩薩の跡をおひ仙予有徳の名を後代に留めて法華涅槃経に説き入れられまいらせんと願うところなり
【通解】
すでに年も五十近くになった。残された寿命もいくばくもない。いたずらに広野に捨てる身であるならば、同じくは一仏乗を説く法華経の方に投げて雪山童子や薬王菩薩の跡を追い、仙予国王や有徳王がその名を後の時代にとどめたように、日蓮もその名を後の時代にとどめて、末法の法華経・涅槃経に説き入れていただこうとら願うところである。
名字の言 竹が成長するスピードの秘密 2022年5月20日
兵庫県を訪れた際、旬のタケノコとサンショウのつくだ煮を食した。シャキシャキとしたタケノコの食感と、サンショウの香りが見事に調和し、ご飯が進んだ▼タケノコとは、竹の地下茎から出てくる若芽のこと。地上に顔を出すか出さないかの時に掘り出すのが、一番の食べ頃。薄い皮に幾重にも覆われているのは、イノシシなどの外敵から身を守るためのようだ▼竹の成長は早く、ピーク時には1日1メートル以上伸びた記録も。その秘密は「節」にある。一本の竹には約60個の節があるといわれるが、その一つ一つの節に成長点があり、それらが"同時に"成長するのだ。それでいて倒れないのは地下茎でつながっているからである▼人間社会も同じだろう。立場や状況などは人それぞれ異なる。それでも心を一つにして同じ目的に立ち、一人一人が時を逃さずに行動することで、全体として天を突く勢いで真っすぐに成長できる。信仰の世界で言えば、異体同心の前進である▼矛盾するようだが、異体同心の前進のためには「たとえ一人になっても私は進む」という「一人立つ」強さが不可欠となる。竹のようにしなやかに、一人一人が強く、支え合う。そこに真の団結が生まれ、勝利の快進撃につながる。
寸鉄 2022年5月20日
皆で座談会の大成功を。体験あり決意あり。歓喜の会座から勝利の頂へ!
岩手「女性部の日」「青年部の日」。今日も広布へ。尊き奮闘を諸天も賛嘆!
新潟県女性部の日。誓願の祈りで勇敢に対話拡大 地域を照らす希望の太陽
壮年部・男子部が力を合わせれば広布は加速。互いに励まし清々しい命で
課題の明確化がストレス減の近道—医師。何事も挑戦は具体的に一歩ずつ
〈社説〉 2022・5・20 東京スカイツリー開業から10年
◇歴史をつくる主体者の自覚で
2012年5月22日、墨田区・押上の地に、自立式電波塔として世界一の高さ(634メートル)を誇る東京スカイツリーが開業した。
この10年、来場者数は「天望デッキ」で4000万人に達し、商業施設などが人気の東京スカイツリータウンでは3億人を突破。
近年は、新型コロナの影響で集客に苦労しているものの、緊急事態宣言中に、都内の小中高生を対象にした天望デッキの貸し切り営業を行うなど、地域を大切にする姿勢も当初から貫いている。
節目ごとに実施する特別なライトアップも定着し、東京の新たなシンボルとして日夜、温かな光を放っている。
建設当時、これだけの巨大な建造物を造ることは大きな挑戦だった。
延べ約58万人もの技術者や職人が携わり、数々の困難に直面したが、特に鉄材の仕入れ、管理、溶接は困難の連続だったという。
作業には複数の鉄骨加工メーカーが参加していたため、細かい連携を取ることが重要だった。
そこで、携わる複数社が集まり「鉄骨ワーキンググループ」を結成することに。毎週のように議論を積み重ね、多くの課題を解決する意見や提案が生まれる場となった。
当時、鉄骨の管理を担当した大林組・大塚英郎さんは振り返る。
「結成当初は、皆どこか腰が引けているところがありました。しかしながら、すぐにこのプロジェクトはメンバー全員が一致団結しないと実現できないということに気付きました。その瞬間から、メンバー全員の結束力が一気に強まっていきました」(山田久美著『東京スカイツリー 天空に賭けた男たちの情熱』マガジンハウス)。
「世界一のタワーをこの手で造る」——。その主体者としての自負と誇りが、偉業を成し遂げたといえまいか。
池田先生は、かつて「偉大なる仕事というものは、自ら責任を担い立つ、勇敢なる人間によって為されていくということである。嫌々ながら、人に『やらされている』という暗い意識があるかぎり、本当に一流の仕事は、絶対にできるものではない。(中略)われらの広宣流布という"仕事"は、本質的に深き使命感と責任感に発する崇高な戦いだ」とつづった。
我らの"立正安国、立正安世界"への戦いは日々、続く。一人一人が広宣流布の歴史をつくる主体者としての誇りを胸に、師弟の月・7月を目指し進もう。
☆Switch——共育のまなざし 池田先生の励ましの言葉から 家庭教育の根本とは?
◇「負けない」「真剣」の姿を見せること
21世紀は「女性の世紀」——これは、池田先生が一貫して訴えてきた信念です。ゆえに先生は、地域や家庭、職場で社会で懸命に献身する全ての女性をたたえ、温かなエールを送ってきました。今回は、子育てに奮闘する友への励ましの言葉を『21世紀への母と子を語る』(『池田大作全集』第62巻所収)の中から抜粋して紹介します。
◇生き方の骨格
<母ゆえの悩みがある。苦しいことも多いかもしれない。しかし、「そこで負けないで、子どもや家族を、そして自分に縁した人々をすべて『幸福の大道』へと導いていく——これほど尊貴な存在はありません」と、池田先生はたたえます>
日蓮大聖人の時代にも、夫を失いながら、懸命に子どもを育てた女性の信仰者が何人もいました。
大聖人は、そのなかの一人の方を「日妙聖人」とまで呼ばれ、「信心の心を強くして生きていきなさい。そうすれば、諸天は必ずやあなた方を守っていくでしょう」(新1689・全1220、趣意)と励まされている。この御指南のままに、日妙聖人は純粋な信心を貫き、娘を立派な信心の後継者に育てあげ、勝利の人生を見事に開いたのです。
<女性リーダーが子どもの頃の思い出を述懐しました。母は自宅で折あるごとに御書を開いていたそうです。その母の姿を見て、"御書はそんなにすごいものなのか"と心がひかれ、お小遣いやお年玉を貯めて"自分の御書"を購入。母子で机を挟み、御書を一緒に読み合ったことが忘れられないと語ります>
それはすばらしいね。子ども時代の思い出は、一生の財産になっていくものです。まして、親子が一緒になって築いた信心の思い出は、なおさらでしょう。
親の役目の一つは、子どもが人生を生きていくうえでの"骨格"をつくってあげることです。試験の科目みたいに、これとこれだけ教えておけばよい、というわけにはいかない。たんに話をして言い聞かせればよいというものではないし、いくら親が気負ったところで、子どものほうが心を向けてくれなくては"空まわり"になりかねない。
そうではなく、真剣に何かに打ち込む親の姿を見ながら、子どものほうがしぜんに興味や関心をいだいていく。その姿から、何かを学んでいく——それが「家庭教育」の根本となるものです。
「われわれが内に向かってわれわれのなすべきことをしたら、外に向かってなすべきことはおのずとなされるでしょう」(『ゲーテ格言集』高橋健二編訳、新潮文庫)とはゲーテの言葉ですが、子育てにも通じる人生の極理と言ってよいでしょう。
"どうして、お母さんはあんなに一生懸命なのだろう?""ああしている時のお母さんは、本当に楽しそうだな"と、母親の表情や声の調子から、子どもは敏感に感じ取って、知らずしらずのうちに、「生き方」の骨格が築かれていくものなのです。
◇自ら善縁となって
<先生は、かつて対談したニューヨーク市立大学クイーンズ・カレッジの学長のエピソードを紹介します。物理学者でもあった学長にとって、幼少時代に「科学への目」を開いてくれたのは、母親でした>
家でかんたんな「科学実験」を見せたりして、子どもが「知識」を肌身で感じられるように、努力をしてくれたというのです。学長は、当時を振り返り、こう述懐しておられた。
「母は、何が良いとか悪いとか決めつけたり、優劣をつけたりもせず、ともかく『知的なもの』に接するようにしてくれたのです。そのためなら、私たちが何をやろうと、母は怒りませんでした。
"科学実験"のおかげで、家の中をめちゃくちゃにしたり、眠ったふりをして、ふとんの中に懐中電灯を持ちこんで、明け方の4時まで本を読んだりしていても、見て見ぬふりをしてくれました。なんでもいいから、学んだほうがいい——そういう考えだったのです」と。
<"自らが善縁となり、子どもの豊かな可能性を育んでいく使命が親にはある"と、先生は訴えます。その使命と役割は、母親であれ父親であれ、変わりません>
わずかな時間であったとしても、ともに語りあったり、何かを一緒に体験したり、感動しあった時間というのは、子どもの心に深く残っていく。今は社会も豊かになり、親がなんでもしてあげられる環境が整ってきていますが、何か形にとらわれたり、特別なことを追い求める必要はありません。親から子へ、子から親へと通いあう「心の時間」こそが大事なのです。
◇飛行機のように
<一方で、この「心の時間」が近年、持ちづらいのも実態です。自宅という"同じ場所"にいても、それぞれ別々に食事をとり、それぞれが好きなことをして、別々の部屋で自由に過ごし、別々の時間に休む……ある調査では、子育てをつらいと感じている女性が、その理由として最も多く挙げたのは「自分の自由な時間がなくなること」でした。
共働き世帯が増加した現代では、そのつらさを抱える人も一段と増えているでしょう。また親だけでなく、"自分の好きなように時間を過ごしたい"と考える子どもも多いようです>
家族の団欒が大事といっても、生活形態や生活リズムがこれだけ多様化しているのだから、すべてが昔と同じようにいかないのも現実でしょう。また、お母さん方の「自分の自由な時間がほしい」という気持ちも、ある面で分かります。いまだに育児は母親の負担が重く、とくに精神面で周囲がどう支えていくかは、大きな社会的課題と言えます。
とはいっても、家族がたがいのことを思いやる気持ちだけは失ってはいけません。めいめいが別々の方向を向いて生活している"ホテル"ではなく、たとえ離れた席に座っていても、同じ目的地に向かって進む"飛行機"のように、心あわせて「家庭」を築いていくことが大切ではないでしょうか。
◆◇◆
飛行機といえば、戸田先生が、ある時、こんな話をされたことがあった。「昔、私は仙台から飛行機で東京へ帰ってきたことがあるが、その途上、阿武隈川の川下のあたりで、烈風にあった。そのころの飛行機は、今どきのと違って、6人乗りのかんたんな飛行機だから、上下に激しく振動して、なかなか前には進まない。仙台から東京までの間、飛行機が気流と闘争していたが、その闘争は見ていてじつに立派な闘争であった」と。
具体的な話を通して、すべては闘争だという本質を教えてくださる師でした。子育ても家庭のことも、すべて現実との格闘です。もとより楽なはずはないし、思いどおりにならないことのほうが多いかもしれない。しかし、目的地に向かって心を定め、苦悩の乱気流を突きぬければ、そこには澄みきった希望の青空が広がっている。
仏法では、「苦」と「楽」は表裏一体であり、「労苦」のなかにこそ「遊楽」はあると説きます。大事なことは、負けないことです。あきらめないことです。飛行機も飛び続けてこそ、目的地にたどりつけるように、人生の醍醐味は、深い労苦を勝ち越えてこそ満喫できるのです。
◇母は世界の希望
<家族全員を"幸福"へと運ぶ"名操縦士"にと願い、先生は重ねて励ましを送ります>
ヨーロッパ統合の推進者であったクーデンホーフ=カレルギー伯と対談したことがあります。その中で、「女性の幸、不幸の姿こそ、一つの社会、一つの国が安泰であり、健全であるかどうかの具体的な表れである」と述べた私に対し、クーデンホーフ=カレルギー伯はこう語っておられた。
「女性がより大きな役割を果たす機会が与えられれば、それだけ世界が平和になるということです。なぜなら、女性は本来、平和主義者だからです」「世界中で女性が議会と政府の半分を占めるようになれば、世界平和は盤石になるだろう」——と。
忘れることのできない、含蓄深い言葉でした。
<ガンジーやタゴールをはじめアルゼンチンの人権の闘士エスキベル博士など、世界一級の知性の人々も、"平和の世紀を築くのは女性である"と訴えています。ガンジーの弟子として非暴力闘争を貫いた女性ウシャ・メータ氏の言葉を、先生は紹介しました。「ガンジーは『勇気をもって、正義のために戦え。真実を語れ』と教えてくれました。また『女性が心の平和を確立することによって、社会の平和は築き上がる。その時、女性のもつ平和の力は爆発的な偉大な力となり、社会は変えられる』と教えてくれました」>
皆さま方は、みずからの行動をもって、その時代の最先端を切り開かれている。世のため人のため、懸命に活動しておられる。本当に尊いことだ。合掌する思いです。
皆さん方が、世界の希望です。人類が皆さんの未来への行動を見つめています。一つ一つの行動は目立たないかもしれないが、着実に、社会を世界を、「幸福」の方向へと導いている。その行動は、そのまま、お子さんたちの「希望の未来」を開いていることにもなるのです。
誇りをもって進みましょう。
「平和の世紀」を築くために!
「使命の人生」を勝ち取りながら!
2022年5月19日木曜日
2022.05.19 わが友に贈る
"日蓮が慈悲曠大ならば
未来までもながるべし"
立正安国を成し遂げゆく
大確信と大情熱で
希望の哲学を広げよう!
(新261・全329)
唱法華題目抄 P1
『かりそめにも法華経を信じて聊も謗を生ぜざらん人は余の悪にひかれて悪道に堕つべしとはおぼえず、但し悪知識と申してわづかに権教を知れる人智者の由をして法華経を我等が機に叶い難き由を和げ申さんを誠と思いて法華経を随喜せし心を打ち捨て余教へうつりはてて一生さて法華経へ帰り入らざらん人は悪道に堕つべき事も有りなん』
【通解】
法華経を信じていささかも謗法を起こさない人は、謗法以外の悪があったとしても、その悪が原因となって悪道に堕ちるとは思われない。
ただし、悪知識といって、すこしばかり権教を知っている人が、智者らしく見せて、
法華経が末法われわれの機根にあわないという主張を和らげてのべているのを真実であると思い、今までに法華経を随喜していた心を捨て、
法華経以外の教えに移ってしまい、一生そのまま法華経に帰ってこない人は、悪道に堕ちることもあるだろう。
名字の言 絵本「ぐりとぐら」に込められた思い 2022年5月19日
児童文学作家の中川李枝子氏は保育士2年目の時、一つの物語を書いた。主人公は双子の野ネズミ。大きな卵でカステラを作って動物たちと一緒に食べる内容にした。世界10カ国語に翻訳されている絵本『ぐりとぐら』である▼"園児たちを喜ばせたい"との思いから、氏は『ぐりとぐら』を書いた。保育士から作家に転身し、執筆を続けたのも、「目の前にいる子どもたちと幸せな時間をもちたいと思って」。縁する人を大切にしたいという心が、多くの人を魅了する作品を生む原動力だった▼ある80歳の女性部員の日課は、玄関前の花に水やりをすること。10年以上前のある日、水やりをしていると、寂しそうに肩を落とす女性を見掛けた。声を掛けると、「母が亡くなって……」と言葉を詰まらせた。以来、彼女は折々に、その女性を励まし続けた▼昨年、女性は夫を亡くし、独り身になった。この時も、彼女は寄り添った。10年以上も変わらぬ温かな真心に、今年の3月、女性は入会。2人は今、親子のように仲良く、学会活動に挑戦する▼御書に「『喜』とは、自他共に喜ぶことなり」(新1061・全761)と。他者に尽くす喜び、社会に貢献する誉れ——そのことを深く知る人は幸福である。
寸鉄 2022年5月19日
「創価学会常住御本尊」記念日。師弟の大願に生きる誓い新たに共に前進
熊本の日。火の国の難攻不落の人材城は厳たり。民衆凱歌の先駆の拡大を
庶民が強くなるとは学会が強くなる事—戸田先生 勝利の劇をわが地区から
「百人千人なれども、一つ心なれば、必ず事を成ず」御書。団結こそ飛躍の要(新2054・全1463)
特殊詐欺の始まりは固定電話が大半と。留守電の活用等が有効。賢く撃退
☆御書と未来へ 第17回 語った分だけ功徳が広がる
〈御文〉
『この娑婆世界は耳根得道の国なり。以前に申すごとく、「当に知るべし、身土」云々。一切衆生の身に百界千如・三千世間を納むる謂れを明かすが故に、これを耳に触るる一切衆生は功徳を得る衆生なり。』〈一念三千法門、新363・全415〉
〈通解〉
この娑婆世界
は耳根得道の国である。以前に述べたように「当に知るべし、身土は一念の三千なり」等とある。一切衆生の身に百界千如・三千世間を納める理由を明かすがゆえに、妙法蓮華経を耳に触れる一切衆生は功徳を得る衆生である。
〈池田先生が贈る指針〉
我らの地球は、妙法に触れることで成仏できる世界である。ゆえに声が心を動かし、声が社会を変えるのだ。
祈りを込めた対話が、友の心田に仏種を蒔く。語った分だけ功徳が広がり、一念三千の法理の上から国土に平和と安穏が築かれる。全て尊い仏縁となる。誓願の題目を響かせ、立正安国の語らいを勇気凜々と!
☆5・8「常勝埼玉師弟の日」15周年 池田先生のスピーチから �=完
「破邪顕正」といっても、あくまで「破邪」が先である。まず悪と戦い、悪を打ち破るのだ。それでこそ「顕正」がある。悪を倒してこそ、初めて正義を明らかにし、宣揚することができるのである。
◇
戸田先生は晩年、繰り返し、"第三代を中心に団結せよ"と語ってくださっていた。
「第三代は、第二代よりも、もっと大きな仕事をするよ。いいかい。みんなで、第三代を大事にするんだぞ!」と。これは当時の最高幹部がよく知っていることである。
この戸田先生の遺言のままに、第三代の推戴に、真っ先に立ち上がり、声を上げたのが、埼玉青年部であった。
◇
団結は美しい。団結は楽しい。そして団結こそ力だ。「異体同心」こそ、絶対勝利の法則である。「鉄桶の埼玉」の団結は、今や世界中に轟いている。「異体同心なればかちぬ」(全1463・新2054)である。
「鉄桶の埼玉」が勝ち抜いていくことが、仏法の御聖訓の証明なのである。
◇
民衆と共に! 民衆のために!
この原点を忘れてしまえば、もはや指導者の資格はない。
リーダーは、皆の意見をよく聞いていただきたい。そして、皆から好かれる存在であってもらいたい。
人の心がわからない。わがまま。そんな人間が指導者だったら、皆、どれほど嫌な思いをすることか。道理に合わないことで叱られ、文句を言われる——それでは、何のための組織かわからない。
皆さんは、本当の人間性が輝く、慈愛のリーダーであってもらいたい。そして、異体同心で進んでいただきたい。
◇
わが埼玉は、広布発展の原動力である。創価学会の前進にとって、そしてまた、日本全体の前進にとって、どれほど大事な天地であるか。
埼玉の勝利が、全首都圏の勝利であり、全学会の勝利である。
未来までもながるべし"
立正安国を成し遂げゆく
大確信と大情熱で
希望の哲学を広げよう!
(新261・全329)
唱法華題目抄 P1
『かりそめにも法華経を信じて聊も謗を生ぜざらん人は余の悪にひかれて悪道に堕つべしとはおぼえず、但し悪知識と申してわづかに権教を知れる人智者の由をして法華経を我等が機に叶い難き由を和げ申さんを誠と思いて法華経を随喜せし心を打ち捨て余教へうつりはてて一生さて法華経へ帰り入らざらん人は悪道に堕つべき事も有りなん』
【通解】
法華経を信じていささかも謗法を起こさない人は、謗法以外の悪があったとしても、その悪が原因となって悪道に堕ちるとは思われない。
ただし、悪知識といって、すこしばかり権教を知っている人が、智者らしく見せて、
法華経が末法われわれの機根にあわないという主張を和らげてのべているのを真実であると思い、今までに法華経を随喜していた心を捨て、
法華経以外の教えに移ってしまい、一生そのまま法華経に帰ってこない人は、悪道に堕ちることもあるだろう。
名字の言 絵本「ぐりとぐら」に込められた思い 2022年5月19日
児童文学作家の中川李枝子氏は保育士2年目の時、一つの物語を書いた。主人公は双子の野ネズミ。大きな卵でカステラを作って動物たちと一緒に食べる内容にした。世界10カ国語に翻訳されている絵本『ぐりとぐら』である▼"園児たちを喜ばせたい"との思いから、氏は『ぐりとぐら』を書いた。保育士から作家に転身し、執筆を続けたのも、「目の前にいる子どもたちと幸せな時間をもちたいと思って」。縁する人を大切にしたいという心が、多くの人を魅了する作品を生む原動力だった▼ある80歳の女性部員の日課は、玄関前の花に水やりをすること。10年以上前のある日、水やりをしていると、寂しそうに肩を落とす女性を見掛けた。声を掛けると、「母が亡くなって……」と言葉を詰まらせた。以来、彼女は折々に、その女性を励まし続けた▼昨年、女性は夫を亡くし、独り身になった。この時も、彼女は寄り添った。10年以上も変わらぬ温かな真心に、今年の3月、女性は入会。2人は今、親子のように仲良く、学会活動に挑戦する▼御書に「『喜』とは、自他共に喜ぶことなり」(新1061・全761)と。他者に尽くす喜び、社会に貢献する誉れ——そのことを深く知る人は幸福である。
寸鉄 2022年5月19日
「創価学会常住御本尊」記念日。師弟の大願に生きる誓い新たに共に前進
熊本の日。火の国の難攻不落の人材城は厳たり。民衆凱歌の先駆の拡大を
庶民が強くなるとは学会が強くなる事—戸田先生 勝利の劇をわが地区から
「百人千人なれども、一つ心なれば、必ず事を成ず」御書。団結こそ飛躍の要(新2054・全1463)
特殊詐欺の始まりは固定電話が大半と。留守電の活用等が有効。賢く撃退
☆御書と未来へ 第17回 語った分だけ功徳が広がる
〈御文〉
『この娑婆世界は耳根得道の国なり。以前に申すごとく、「当に知るべし、身土」云々。一切衆生の身に百界千如・三千世間を納むる謂れを明かすが故に、これを耳に触るる一切衆生は功徳を得る衆生なり。』〈一念三千法門、新363・全415〉
〈通解〉
この娑婆世界
は耳根得道の国である。以前に述べたように「当に知るべし、身土は一念の三千なり」等とある。一切衆生の身に百界千如・三千世間を納める理由を明かすがゆえに、妙法蓮華経を耳に触れる一切衆生は功徳を得る衆生である。
〈池田先生が贈る指針〉
我らの地球は、妙法に触れることで成仏できる世界である。ゆえに声が心を動かし、声が社会を変えるのだ。
祈りを込めた対話が、友の心田に仏種を蒔く。語った分だけ功徳が広がり、一念三千の法理の上から国土に平和と安穏が築かれる。全て尊い仏縁となる。誓願の題目を響かせ、立正安国の語らいを勇気凜々と!
☆5・8「常勝埼玉師弟の日」15周年 池田先生のスピーチから �=完
「破邪顕正」といっても、あくまで「破邪」が先である。まず悪と戦い、悪を打ち破るのだ。それでこそ「顕正」がある。悪を倒してこそ、初めて正義を明らかにし、宣揚することができるのである。
◇
戸田先生は晩年、繰り返し、"第三代を中心に団結せよ"と語ってくださっていた。
「第三代は、第二代よりも、もっと大きな仕事をするよ。いいかい。みんなで、第三代を大事にするんだぞ!」と。これは当時の最高幹部がよく知っていることである。
この戸田先生の遺言のままに、第三代の推戴に、真っ先に立ち上がり、声を上げたのが、埼玉青年部であった。
◇
団結は美しい。団結は楽しい。そして団結こそ力だ。「異体同心」こそ、絶対勝利の法則である。「鉄桶の埼玉」の団結は、今や世界中に轟いている。「異体同心なればかちぬ」(全1463・新2054)である。
「鉄桶の埼玉」が勝ち抜いていくことが、仏法の御聖訓の証明なのである。
◇
民衆と共に! 民衆のために!
この原点を忘れてしまえば、もはや指導者の資格はない。
リーダーは、皆の意見をよく聞いていただきたい。そして、皆から好かれる存在であってもらいたい。
人の心がわからない。わがまま。そんな人間が指導者だったら、皆、どれほど嫌な思いをすることか。道理に合わないことで叱られ、文句を言われる——それでは、何のための組織かわからない。
皆さんは、本当の人間性が輝く、慈愛のリーダーであってもらいたい。そして、異体同心で進んでいただきたい。
◇
わが埼玉は、広布発展の原動力である。創価学会の前進にとって、そしてまた、日本全体の前進にとって、どれほど大事な天地であるか。
埼玉の勝利が、全首都圏の勝利であり、全学会の勝利である。
2022年5月18日水曜日
2022.05.18 わが友に贈る
「行学の二道を
はげみ候べし」
挑戦の日々の中で
御書を学び抜こう!
そこに勝利の軌道が!
(新1793・全1361)
法華初心成仏抄 P552
『とてもかくても法華経を強いて説き聞かすべし、信ぜん人は仏になるべし謗ぜん者は毒鼓の縁となつて仏になるべきなり』
【通解】
とにもかくにも法華経を強いて説き聞かせるべきである。信ずる人は仏になり、謗る者は毒鼓の縁となって仏になるのである。
名字の言 幸福の旅路を歩み始めた福島の壮年 2022年5月18日
「種」を意味する"シード"ちゃんという主人公が幸せを探す旅に出た。途中で出会う人や動物にアドバイスを受けながら、旅は続く——本紙連載「創価家族の種まき絵本」で紹介された物語「しあわせをさがすたび」である▼"幸せとは一生懸命、誰かのために働くこと"などと教わり、"シードちゃんだけが咲かせられる、きれいな花を咲かせてね"と励まされる中、主人公は気付く。"幸せとは、つまり、独りぼっちじゃないってことね"と▼原発事故で他県に避難した福島の、ある多宝会の壮年部員は5年前、夫婦で故郷に戻った。だが、復興を目指して苦楽を共にした妻が本年、霊山へ。悲嘆に暮れる壮年の姿に、友も心を痛めた▼ある日、地域のリーダーが壮年を訪ね、言った。「最寄りの会館に"復興の象徴"である『ど根性ひまわり』と『奇跡のコスモス』の種をまきます。あなたに、その花々の成長を見守る責任者をお願いしたいのです」。種をまく当日、壮年は同志の前に元気な姿を見せた▼『古今和歌集』に紀貫之は記した。「和歌は、人の心を種として、万の言の葉とぞなれりける」と。妻との思い出を心に、同志と共に使命に生きる彼は決して独りではない。今再び、幸福の旅路を力強く歩み始めた。
寸鉄 2022年5月18日
戦えば戦うほど仏法勝負の実証は早く出る—牧口先生。青年は激戦で成長
秋田の日。師弟共戦で進む"日本海の雄"。勇気の拡大で新たな広布史綴れ
困難は人々の臆病から生まれる—思想家。断じて勝つ!確信の人に壁なし
子は成人より視力の低下早く—医師。携帯等の過度な使用は親が声掛けを
5月は心身不調が起こりがち。規則正しい生活と適度な運動を。健康第一
☆新たな広布の勝利山へ 常楽我浄の大境涯へ飛躍を 2022年5月10日
妙法と共に生きる生命は常に勢いを増していける。
日蓮大聖人は、広宣流布の伸展のリズムについて、「木はしずかならんと思えども風やまず、春を留めんと思えども夏となる」(新1711・全1241)と譬えられている。
この仰せさながらに、日本全国そして世界の宝友と我らの「5月3日」を飾り、いやまして明るく力強く、新たな前進を開始できた。
各界からの祝賀は全て、発足1周年を刻む女性部をはじめ創価家族への信頼の証しであり、先師・恩師に捧げゆく師弟の宝冠である。
横浜、福岡、和歌山、東京・八王子、大阪のパレードで、鼓笛隊・音楽隊の友らの熱演が感動を広げたことも嬉しい。
今月、ブラジルの音楽隊は、結成60周年を迎えた。世界でも、創価の妙音菩薩たちが、希望と勇気の調べを奏でてくれている。
文化の力で心を潤し、対話の力で命を結ぶ。これが我らの価値創造の挑戦だ。
* *
青葉茂れる5月は、関西の同志と飛躍を遂げた共戦譜が、鮮やかに蘇る。
障魔が競い起こるなか、「師子王の心」で強く朗らかに、大阪支部が1万1111世帯の折伏の金字塔を打ち立てたのは、1956年(昭和31年)の5月である。
第3代会長に就任した5月、真っ先に訪れたのも、関西だ(1960年)。
その翌年の5月11日には、兵庫支部と神戸支部が結成された。激しい雨だったが、合同結成大会は荒天を吹き飛ばす熱気に包まれていた。心を一つに「勇敢なる実践第一の信心」を約し合ったのである。
広布の記録映画の製作を発表したのは、文化の先進地たる兵庫でのこの大会であった。現在、SOKAチャンネルVODや聖教新聞の動画配信などに大きく発展した起点が、ここにある。
未来部の幸福と成長と栄光を願って、5月5日を「創価学会後継者の日」にと決定したのも、関西の地であった(1976年)。
この5月、今再び、わが大関西が従藍而青の青年を先頭に、威風堂々の大躍進へ出発する。この陣列こそ、私の誇りであり、希望であり、宝なのである。
* *
70年前、恩師は、私と妻の結婚に際し、法華経に説かれる「大白牛車」の意義を込めて、御所車の置物を贈ってくださった。
御書には、「法性の空に自在にとびゆく車をこそ、大白牛車とは申すなれ」(新2050・全1584)と記されている。
全宝友が、広布の前進と共に、福運に満ち満ちて、常楽我浄の大境涯へ、いよいよ飛躍しゆくことこそ、今も変わらざる、私と妻の報恩・誓願の祈りである。
はげみ候べし」
挑戦の日々の中で
御書を学び抜こう!
そこに勝利の軌道が!
(新1793・全1361)
法華初心成仏抄 P552
『とてもかくても法華経を強いて説き聞かすべし、信ぜん人は仏になるべし謗ぜん者は毒鼓の縁となつて仏になるべきなり』
【通解】
とにもかくにも法華経を強いて説き聞かせるべきである。信ずる人は仏になり、謗る者は毒鼓の縁となって仏になるのである。
名字の言 幸福の旅路を歩み始めた福島の壮年 2022年5月18日
「種」を意味する"シード"ちゃんという主人公が幸せを探す旅に出た。途中で出会う人や動物にアドバイスを受けながら、旅は続く——本紙連載「創価家族の種まき絵本」で紹介された物語「しあわせをさがすたび」である▼"幸せとは一生懸命、誰かのために働くこと"などと教わり、"シードちゃんだけが咲かせられる、きれいな花を咲かせてね"と励まされる中、主人公は気付く。"幸せとは、つまり、独りぼっちじゃないってことね"と▼原発事故で他県に避難した福島の、ある多宝会の壮年部員は5年前、夫婦で故郷に戻った。だが、復興を目指して苦楽を共にした妻が本年、霊山へ。悲嘆に暮れる壮年の姿に、友も心を痛めた▼ある日、地域のリーダーが壮年を訪ね、言った。「最寄りの会館に"復興の象徴"である『ど根性ひまわり』と『奇跡のコスモス』の種をまきます。あなたに、その花々の成長を見守る責任者をお願いしたいのです」。種をまく当日、壮年は同志の前に元気な姿を見せた▼『古今和歌集』に紀貫之は記した。「和歌は、人の心を種として、万の言の葉とぞなれりける」と。妻との思い出を心に、同志と共に使命に生きる彼は決して独りではない。今再び、幸福の旅路を力強く歩み始めた。
寸鉄 2022年5月18日
戦えば戦うほど仏法勝負の実証は早く出る—牧口先生。青年は激戦で成長
秋田の日。師弟共戦で進む"日本海の雄"。勇気の拡大で新たな広布史綴れ
困難は人々の臆病から生まれる—思想家。断じて勝つ!確信の人に壁なし
子は成人より視力の低下早く—医師。携帯等の過度な使用は親が声掛けを
5月は心身不調が起こりがち。規則正しい生活と適度な運動を。健康第一
☆新たな広布の勝利山へ 常楽我浄の大境涯へ飛躍を 2022年5月10日
妙法と共に生きる生命は常に勢いを増していける。
日蓮大聖人は、広宣流布の伸展のリズムについて、「木はしずかならんと思えども風やまず、春を留めんと思えども夏となる」(新1711・全1241)と譬えられている。
この仰せさながらに、日本全国そして世界の宝友と我らの「5月3日」を飾り、いやまして明るく力強く、新たな前進を開始できた。
各界からの祝賀は全て、発足1周年を刻む女性部をはじめ創価家族への信頼の証しであり、先師・恩師に捧げゆく師弟の宝冠である。
横浜、福岡、和歌山、東京・八王子、大阪のパレードで、鼓笛隊・音楽隊の友らの熱演が感動を広げたことも嬉しい。
今月、ブラジルの音楽隊は、結成60周年を迎えた。世界でも、創価の妙音菩薩たちが、希望と勇気の調べを奏でてくれている。
文化の力で心を潤し、対話の力で命を結ぶ。これが我らの価値創造の挑戦だ。
* *
青葉茂れる5月は、関西の同志と飛躍を遂げた共戦譜が、鮮やかに蘇る。
障魔が競い起こるなか、「師子王の心」で強く朗らかに、大阪支部が1万1111世帯の折伏の金字塔を打ち立てたのは、1956年(昭和31年)の5月である。
第3代会長に就任した5月、真っ先に訪れたのも、関西だ(1960年)。
その翌年の5月11日には、兵庫支部と神戸支部が結成された。激しい雨だったが、合同結成大会は荒天を吹き飛ばす熱気に包まれていた。心を一つに「勇敢なる実践第一の信心」を約し合ったのである。
広布の記録映画の製作を発表したのは、文化の先進地たる兵庫でのこの大会であった。現在、SOKAチャンネルVODや聖教新聞の動画配信などに大きく発展した起点が、ここにある。
未来部の幸福と成長と栄光を願って、5月5日を「創価学会後継者の日」にと決定したのも、関西の地であった(1976年)。
この5月、今再び、わが大関西が従藍而青の青年を先頭に、威風堂々の大躍進へ出発する。この陣列こそ、私の誇りであり、希望であり、宝なのである。
* *
70年前、恩師は、私と妻の結婚に際し、法華経に説かれる「大白牛車」の意義を込めて、御所車の置物を贈ってくださった。
御書には、「法性の空に自在にとびゆく車をこそ、大白牛車とは申すなれ」(新2050・全1584)と記されている。
全宝友が、広布の前進と共に、福運に満ち満ちて、常楽我浄の大境涯へ、いよいよ飛躍しゆくことこそ、今も変わらざる、私と妻の報恩・誓願の祈りである。
2022年5月17日火曜日
2022.05.17 わが友に贈る
新しい人だからこそ
新しい力と発想がある。
それを尊重し称えよう!
桜梅桃李の個性が花咲く
人材の園をわが地域に!
教機時国抄 P438
『謗法の者に向つては一向に法華経を説くべし毒鼓の縁と成さんが為なり』
【通解】
謗法の者に対しては、ひたすら法華経を説き折伏するべきです。それは毒鼓の縁を結んで、相手の人を将来、成仏させんがためなのです。
名字の言 小さな声のもつ力 2022年5月17日
「停電なので、ここからは音声だけでもいいでしょうか」。気候変動の問題に取り組むウガンダの環境活動家、バネッサ・ナカテさんを取材した時のこと。彼女はこう言うと、ビデオ通話の画面を切って話を続けた▼電力供給の問題からウガンダでは停電が頻繁に起こるらしい。端末の消費電力を抑えるため音声通話に切り替えた対応に、厳しい社会・経済状況の中で活動しているのだと実感した▼彼女は25歳。気候変動による自然災害に苦しむ「アフリカの声」を世界に伝えようと奮闘してきた。黒人、女性であることへの偏見から、心ない中傷も浴びた。しかし"世界を変えるのに小さすぎる声はない"との信念で行動してきた。今、その「声」はSNSやメディアを通じて広がり、若者の連帯を育んでいる▼大きな問題を前にした時、人は自分の小さな声や行動に無力感を覚えることがある。だが、小さな波も集まれば岩をも砕く大波となる。そして寄せては返す「繰り返し」の営みが、やがて大地の形をも変える巨大な力となる▼広布の活動も同じであろう。日々の「対話」や「励まし」は、ささやかなものに思えるかもしれない。しかし、その積み重ねは確実に人々の心を変え、社会の土壌を変えていく。
寸鉄 2022年5月17日
「いわずば慈悲なきににたり」御書。声を惜しまず語ろう!あの友この友に(新70・全200)
広布への信心がある所が仏国土—戸田先生。わが地域に正義の陣列を構築
高貴な人生を生きる為の力は魂の中に—賢帝アウレリウス。胸に誓願燃える我らは無敵
親切行為続ければ幸福感は大幅増—学者。他者に尽くす学会活動は幸の源
世界高血圧デー。聡明な生活リズムで健康に。睡眠・食事・運動の改善賢く
☆勇気の舞 凱歌の行進� 第8回 東京の友へ
◇東天から日が昇る!
月の光が
穏やかに消え
新しい世界の太陽が
燃え上がらんばかりに
赫々たる力を持ちながら
あらゆる空間を
孤独にせずに
森の奥深くまで照らし
輝きながら光る。
東天から
日が昇る!
全世界を大きな
輝きの顔にさせてゆく
休みなき
太陽の光は 連綿!
本当に素晴らしき
無限の力ある存在!
人間も
太陽と共に
生きるのであるならば
心に太陽を
持たねばならない。
◆◇◆
東京は
最上の
広宣流布の城!
ゆえに
幸福の眼の光も
使命の眼の輝きも
戦いの眼の厳しさも
完全なる
大勝利のためへの
すべてが驚く
勇んだ魂を持っている。
我らの存在は
何のためにあるか?
それは
広布という
栄光の実在のためだ!
それを思うと
無限の感動の
生き甲斐を
象徴するがごとく
我らの生命は
再び躍る。
生きるために躍る!
勝つために躍る!
◆◇◆
いかなる約束なるか
大聖人が入滅なされた
この国土に
仏意仏勅の創価学会は
誕生した。
初代・牧口会長も
二代・戸田会長も
そして三代の私も
ここ東京を本陣と定めた。
大東京は
広布の原点である!
大東京は
広宣の都である!
我らは
この大東京こそ
全国の勝負を決めゆく
天地であることを
知っている。
私は勝った!
私は勝った!
私は遂に勝った! と
世界中に燃えゆく
歓喜の高らかな声を
持ちながら
伝えゆくために
満ち足りた戦いを
し抜いていくのだ。
◆◇◆
殉教の決意で
立ち上がった我らには
何があっても
すべてが
大前進への交響楽と
化してしまう力がある。
我らは
断じて負けない!
永遠の約束を
果たすために
今日も戦っていく!
そして夢に描いている
あの輝かしき
美しき
我らの運命の道を
堂々と
壮大に歩む!
今日も
悠久の凱旋の姿をした
あの太陽と共に!
おお
東京!
断固たる
勝利の人生を!
厳然たる
栄光の東京!
新しい力と発想がある。
それを尊重し称えよう!
桜梅桃李の個性が花咲く
人材の園をわが地域に!
教機時国抄 P438
『謗法の者に向つては一向に法華経を説くべし毒鼓の縁と成さんが為なり』
【通解】
謗法の者に対しては、ひたすら法華経を説き折伏するべきです。それは毒鼓の縁を結んで、相手の人を将来、成仏させんがためなのです。
名字の言 小さな声のもつ力 2022年5月17日
「停電なので、ここからは音声だけでもいいでしょうか」。気候変動の問題に取り組むウガンダの環境活動家、バネッサ・ナカテさんを取材した時のこと。彼女はこう言うと、ビデオ通話の画面を切って話を続けた▼電力供給の問題からウガンダでは停電が頻繁に起こるらしい。端末の消費電力を抑えるため音声通話に切り替えた対応に、厳しい社会・経済状況の中で活動しているのだと実感した▼彼女は25歳。気候変動による自然災害に苦しむ「アフリカの声」を世界に伝えようと奮闘してきた。黒人、女性であることへの偏見から、心ない中傷も浴びた。しかし"世界を変えるのに小さすぎる声はない"との信念で行動してきた。今、その「声」はSNSやメディアを通じて広がり、若者の連帯を育んでいる▼大きな問題を前にした時、人は自分の小さな声や行動に無力感を覚えることがある。だが、小さな波も集まれば岩をも砕く大波となる。そして寄せては返す「繰り返し」の営みが、やがて大地の形をも変える巨大な力となる▼広布の活動も同じであろう。日々の「対話」や「励まし」は、ささやかなものに思えるかもしれない。しかし、その積み重ねは確実に人々の心を変え、社会の土壌を変えていく。
寸鉄 2022年5月17日
「いわずば慈悲なきににたり」御書。声を惜しまず語ろう!あの友この友に(新70・全200)
広布への信心がある所が仏国土—戸田先生。わが地域に正義の陣列を構築
高貴な人生を生きる為の力は魂の中に—賢帝アウレリウス。胸に誓願燃える我らは無敵
親切行為続ければ幸福感は大幅増—学者。他者に尽くす学会活動は幸の源
世界高血圧デー。聡明な生活リズムで健康に。睡眠・食事・運動の改善賢く
☆勇気の舞 凱歌の行進� 第8回 東京の友へ
◇東天から日が昇る!
月の光が
穏やかに消え
新しい世界の太陽が
燃え上がらんばかりに
赫々たる力を持ちながら
あらゆる空間を
孤独にせずに
森の奥深くまで照らし
輝きながら光る。
東天から
日が昇る!
全世界を大きな
輝きの顔にさせてゆく
休みなき
太陽の光は 連綿!
本当に素晴らしき
無限の力ある存在!
人間も
太陽と共に
生きるのであるならば
心に太陽を
持たねばならない。
◆◇◆
東京は
最上の
広宣流布の城!
ゆえに
幸福の眼の光も
使命の眼の輝きも
戦いの眼の厳しさも
完全なる
大勝利のためへの
すべてが驚く
勇んだ魂を持っている。
我らの存在は
何のためにあるか?
それは
広布という
栄光の実在のためだ!
それを思うと
無限の感動の
生き甲斐を
象徴するがごとく
我らの生命は
再び躍る。
生きるために躍る!
勝つために躍る!
◆◇◆
いかなる約束なるか
大聖人が入滅なされた
この国土に
仏意仏勅の創価学会は
誕生した。
初代・牧口会長も
二代・戸田会長も
そして三代の私も
ここ東京を本陣と定めた。
大東京は
広布の原点である!
大東京は
広宣の都である!
我らは
この大東京こそ
全国の勝負を決めゆく
天地であることを
知っている。
私は勝った!
私は勝った!
私は遂に勝った! と
世界中に燃えゆく
歓喜の高らかな声を
持ちながら
伝えゆくために
満ち足りた戦いを
し抜いていくのだ。
◆◇◆
殉教の決意で
立ち上がった我らには
何があっても
すべてが
大前進への交響楽と
化してしまう力がある。
我らは
断じて負けない!
永遠の約束を
果たすために
今日も戦っていく!
そして夢に描いている
あの輝かしき
美しき
我らの運命の道を
堂々と
壮大に歩む!
今日も
悠久の凱旋の姿をした
あの太陽と共に!
おお
東京!
断固たる
勝利の人生を!
厳然たる
栄光の東京!
2022年5月16日月曜日
2022.05.16 わが友に贈る
◇今週のことば
「仏になるみちは
善知識にはすぎず」
楽しき座談会の善友と
一生成仏の前進を!
人間共和の拡大を!
(新1940・全1468)
2022年5月16日
可延定業書 P985
『当時の女人の法華経を行じて定業を転ずることは秋の稲米冬の菊花誰かをどろくべき』
【通解】
末法の女性が法華経を修行して、定まった寿命を転じて延ばせることは、秋に稲が実り、冬に菊の花が咲くようなもので、だれが驚くでしょうか。
【先生の指導から】
長生きして幸福になるに決まっているのですよと最大に励ましておられるのである。まさしく、白樺の皆さまこそ、「全世界の人の病を治す良薬」をもって、全女性、全民衆の「健康」「長寿」「幸福」の道を開きゆかれる菩薩であり、仏に等しい方々である。仏の境涯は、「抜苦与楽」の振る舞いとなって表れていく。
名字の言 メラビアンの法則 2022年5月16日
対面で語らう際に、人は相手の�会話の内容�声�表情や視線から、それぞれどの割合でメッセージを受け取るか。心理学者メラビアンが実験によって明らかにした、有名な法則がある▼結果は�7%�38%�55%。ただ、「話の内容に意味はない」わけではない。この法則は「���の表れ方が矛盾していた場合、人は��を優先して判断する」ことを示したものだ。例えば口で「感動した」と言いながら、つまらなそうな態度をしていたら、人は声や表情から本音を汲み取る▼「目は口ほどに物を言う」し、「言葉は心の使い」ともいう。「声は人なり」とも。言葉と声と表情、その全てが同じ心で貫かれた時に、発する言葉は言葉以上の力を持って相手に届く▼釈尊は「対話の名手」と呼ばれた。その言動が、万人を「我が如く等しくして異なること無からしめん」(法華経)とする心に貫かれていたがゆえに、多くの人の心を動かしたに違いない。仏がこの世に出現した目的は、「人の振る舞い」を示すことであったと御書に仰せだ(新1597・全1174)▼友の幸福や平和への願いを伝えることに遠慮はいらない。話の巧拙でもない。「ただ心こそ大切なれ」(新1623・全1192)である。
寸鉄 2022年5月16日
師と苦楽を目的を勝利を共にする弟子たれ—戸田先生。新たな師弟の劇を
「題目を唱うる人、如来の使い」御聖訓。強き祈りで仏の生命を輝かせ対話!(新1616・全1181)
「SGIにこそ、真の人間主義の運動がある」識者。自他共の幸福の連帯更に
未来をはらんでいるのは今の行動—哲人アラン。後回しは敗北の因。決意即行動
気温・湿度上昇で食中毒に注意。手洗い、加熱調理等の基本徹底。油断せず
〈社説〉 2022・5・16 就活に励む友にエール
◇試練も糧に ぶれない人生の軸を
来年春の入社に向けた就職活動が本格化している。すでに内定をもらった人、"ここからが勝負"という人もいるだろう。先日、社会人2年目の東京の学生部員が語っていた。"自分と社会のつながり"を就活を通して深く考えたことが、社会に出て、理想と現実のギャップに直面した時にも、希望を見失わない力になっている、と。
自身の人生を通して、社会にどのような価値を生み出していくか——この目的観を深めることは、あえて言えば、就活の成否を超えて、一層、重要ではないか。今、悩み考えた分、ぶれない人生の軸ができ、来春から生き生きと働いていける"強い自分"が築かれる。
就活で苦労している友には、コロナ禍の試練に耐えてきた世代として、自らの生き方に自信を持ってもらいたい。自身の魅力を表現する知恵を、今一重、深い祈りで湧かせることが重要である。
やりたいことが見つからない人は、小さな縁を大切に、時には大胆に飛び込む勇気も必要だ。
熊本出身のある池田華陽会の友は、高校2年の春休みに転機が訪れた。ボランティア活動をしていた双子の姉が、海外に行って直接、子どもたちに学用品を届けたいと行動。経済的余裕はなく、進学のための塾代と引き換えが条件だったが、妹も共に渡航。それが妹にとって塾代以上に価値ある旅となった。"子どもの幸福に尽くしたい"という夢を見つけたのだ。塾には通わず、自力で創価大学へ。充実の4年間を経て今春、児童養護施設の職員となり夢をかなえた。
働き方が多様化する時代だが、"働くこと"には大きな意味がある。哲学者ヒルティは、真面目に没頭すれば興味が湧くのが、どんな仕事にも共通する性質であるとし、「ひとを幸福にするのは仕事の種類ではなく、創造と成功とのよろこび」(草間平作訳)とつづっている。一番大切なのは、どう働き、成長するか。胸中に挑戦の炎が燃えていれば、どの職場であれ、必ず自身を輝かせていける。
池田先生は「自分のありったけの力を仕事にぶつけたか、そして、生命を完全に燃焼させて、その時代、その社会に自己の燃焼のエネルギーによっていかなる利益をもたらしたか」と述べ、"各人の仕事の姿勢が人生と社会をも決する"と。最高の使命ある進路を、最後まで諦めずつかみ取ろう。その若き力が社会の閉塞を破る力となる。
☆仏法思想の輝き 波涛会書記局員 舩津広宣
◇海洋調査船のエンジニア
【プロフィル】ふなつ・ひろのり 山口県下関市の水産大学校卒。2017年(平成29年)から海洋調査船で機関長を務める。1987年(昭和62年)入会。58歳。東京都江東区在住。本陣長(ブロック長)。
◇人に尽くす航路に喜びが
多くの謎に包まれる海。私が機関長を務める海洋調査船は、海水の成分や海底の地質、生物など、幅広い分野の研究に当たっています。
機関長は、船の動力であるエンジンをはじめ、さまざまな機械・装置の運転管理を行う機関部の責任者です。機械のメンテナンスは、乗組員の命に直結します。船員一人一人が、担当する部門で役割を果たし、協力しながら、安全第一で運航を支えています。
限られた時間や変動する気象条件の下、研究目的の達成を目指して、研究者の要望に応えます。
◇海運業界の危機
ひとたび出航すれば、帰宅できるまで最長4カ月。過ごす空間や、触れ合う人は限られ、単調な風景が続きます。
船員が海での生活に幸福を見いだせるかは、仕事の質に影響するので、とても大切です。特に、船を下りてから余暇をどう過ごすかが、仕事のモチベーションの維持にもつながります。
私は、波涛会(海外航路に従事する壮年・男子部のグループ)の活動のおかげで、仕事に張り合いをもつことができました。
——機関士として駆け出しの頃、波涛会の先輩から「写真を出展してみないか?」と勧められました。
その前年の1987年(昭和62年)から、波涛会による「波涛を越えて——働く海の男の写真展」が始まっていたのです。
作品には、船乗りだからこそ出合える珍しい景色、迫力ある船体、寄港した異国の町並みや人々の笑顔などが並んでいました。
当時、急激な円高が進み、日本の海運業界は不況の大打撃を受け、船員の職を失う人も相次いでいました。
この写真展には、波涛会一人一人の"海運業界をもり立てよう!"との熱意が込められていたのです。また、人生のあらゆる試練に立ち向かう希望の大切さを、多くの人に伝える内容でした。
以前から趣味程度で写真を撮っていたので、"写真が広宣流布につながるんだ"と、活動の幅の広さに驚きました。
◇写真展が使命に
写真展では、うれしそうに笑顔で鑑賞する方が何人もいました。感想ノートには、「生きる勇気をもらいました」「頑張ろうと思う」などと記され、鑑賞者の背中を押せたことに、私も感動しました。
日蓮大聖人は、「人のために火をともせば、我がまえあきらかなるがごとし」(新2156・全1598)と仰せです。"あの人のために頑張ろう""この人を勇気づけたい"——そんな思いで人に尽くし抜き、相手が喜ぶ姿に触れた時、充実感がいっそう増すことを学びました。
写真展に自身の使命を見いだした私は、休暇を使って、展示会場の選定や、写真の梱包・積み下ろしなど、多くの作業を率先して担ってきました。
2008年(平成20年)6月、英国ロンドンにあるIMO(国際海事機関)の本部で、写真展が行われることになりました。IMOは、海運に関する世界のルールを決め、国際協力を促進する国連の関連機関です。
展示の準備中、窓外に目を向けると、テムズ川の向こうに時計塔・ビッグベンとウェストミンスター宮殿が。写真展に携わって約20年、日本でコツコツ続けてきた努力が、世界へつながったことに感慨を深くしました。
展示は、英国王室や各国の大使にも鑑賞してもらい、大好評を博しました。
何より、この模様を、小説『新・人間革命』第22巻「波濤」の章につづっていただけたことは生涯の思い出です。
◇共通の祈り
ロンドンでの展示の翌月、うれしい知らせが届きました。当時、3歳の長女の心室中隔欠損症が自然完治したのです。
長女は生まれてまもなく、心臓に穴が見つかりました。かつて、同じ病を患っていた私の妹は、13歳の時に不慮の事故で帰らぬ人に……。一家の宿命を痛感しました。
妻と共に「自分たちの祈りで必ず治そう」と誓い合いました。
わが家の場合は、夫婦が遠く離れていても、"娘の幸福"という共通の祈りで心がつながっていました。
信心していたからこそ、前を向いて船に乗ることができたと思います。私は船室で一人、深々と題目を唱え抜きました。記録を続ける唱題表は、18年目になります。
娘は現在、創価高校へ元気に通っています。妻の支えにも感謝は尽きません。
船上では、データ通信の制限はありますが、リアルタイムで連絡が取れます。地元の地区の皆さんの活躍に触れると元気をもらい、孤独感が和らぎます。
海洋調査はまだまだ続きます。乗船する皆が笑顔で仕事に臨めるように、安全第一で、皆に尽くす航路を進んでいきます。
◇[視点]水の信心
船上で一人、地道に信心を貫く舩津さんは"水の信心"を体現していました。
御書には、「聴聞する時はもえたつばかりおもえども、とおざかりぬればすつる心あり。水のごとくと申すは、いつもたいせず信ずるなり」(新1871・全1544)と仰せです。たとえ華々しい行動がなくても、水がたゆまず流れるように、不退の志と使命感をもって、生涯、信行学の実践を持続し抜いていくことが大切です。成仏とは、絶え間なき生命錬磨の異名にほかなりません。
"昨日より今日、今日より明日へ"——日々の生活に根差した祈りと努力によって、自身を向上させる。そうして人間性を輝かせることが、創価学会の信仰なのです。
「仏になるみちは
善知識にはすぎず」
楽しき座談会の善友と
一生成仏の前進を!
人間共和の拡大を!
(新1940・全1468)
2022年5月16日
可延定業書 P985
『当時の女人の法華経を行じて定業を転ずることは秋の稲米冬の菊花誰かをどろくべき』
【通解】
末法の女性が法華経を修行して、定まった寿命を転じて延ばせることは、秋に稲が実り、冬に菊の花が咲くようなもので、だれが驚くでしょうか。
【先生の指導から】
長生きして幸福になるに決まっているのですよと最大に励ましておられるのである。まさしく、白樺の皆さまこそ、「全世界の人の病を治す良薬」をもって、全女性、全民衆の「健康」「長寿」「幸福」の道を開きゆかれる菩薩であり、仏に等しい方々である。仏の境涯は、「抜苦与楽」の振る舞いとなって表れていく。
名字の言 メラビアンの法則 2022年5月16日
対面で語らう際に、人は相手の�会話の内容�声�表情や視線から、それぞれどの割合でメッセージを受け取るか。心理学者メラビアンが実験によって明らかにした、有名な法則がある▼結果は�7%�38%�55%。ただ、「話の内容に意味はない」わけではない。この法則は「���の表れ方が矛盾していた場合、人は��を優先して判断する」ことを示したものだ。例えば口で「感動した」と言いながら、つまらなそうな態度をしていたら、人は声や表情から本音を汲み取る▼「目は口ほどに物を言う」し、「言葉は心の使い」ともいう。「声は人なり」とも。言葉と声と表情、その全てが同じ心で貫かれた時に、発する言葉は言葉以上の力を持って相手に届く▼釈尊は「対話の名手」と呼ばれた。その言動が、万人を「我が如く等しくして異なること無からしめん」(法華経)とする心に貫かれていたがゆえに、多くの人の心を動かしたに違いない。仏がこの世に出現した目的は、「人の振る舞い」を示すことであったと御書に仰せだ(新1597・全1174)▼友の幸福や平和への願いを伝えることに遠慮はいらない。話の巧拙でもない。「ただ心こそ大切なれ」(新1623・全1192)である。
寸鉄 2022年5月16日
師と苦楽を目的を勝利を共にする弟子たれ—戸田先生。新たな師弟の劇を
「題目を唱うる人、如来の使い」御聖訓。強き祈りで仏の生命を輝かせ対話!(新1616・全1181)
「SGIにこそ、真の人間主義の運動がある」識者。自他共の幸福の連帯更に
未来をはらんでいるのは今の行動—哲人アラン。後回しは敗北の因。決意即行動
気温・湿度上昇で食中毒に注意。手洗い、加熱調理等の基本徹底。油断せず
〈社説〉 2022・5・16 就活に励む友にエール
◇試練も糧に ぶれない人生の軸を
来年春の入社に向けた就職活動が本格化している。すでに内定をもらった人、"ここからが勝負"という人もいるだろう。先日、社会人2年目の東京の学生部員が語っていた。"自分と社会のつながり"を就活を通して深く考えたことが、社会に出て、理想と現実のギャップに直面した時にも、希望を見失わない力になっている、と。
自身の人生を通して、社会にどのような価値を生み出していくか——この目的観を深めることは、あえて言えば、就活の成否を超えて、一層、重要ではないか。今、悩み考えた分、ぶれない人生の軸ができ、来春から生き生きと働いていける"強い自分"が築かれる。
就活で苦労している友には、コロナ禍の試練に耐えてきた世代として、自らの生き方に自信を持ってもらいたい。自身の魅力を表現する知恵を、今一重、深い祈りで湧かせることが重要である。
やりたいことが見つからない人は、小さな縁を大切に、時には大胆に飛び込む勇気も必要だ。
熊本出身のある池田華陽会の友は、高校2年の春休みに転機が訪れた。ボランティア活動をしていた双子の姉が、海外に行って直接、子どもたちに学用品を届けたいと行動。経済的余裕はなく、進学のための塾代と引き換えが条件だったが、妹も共に渡航。それが妹にとって塾代以上に価値ある旅となった。"子どもの幸福に尽くしたい"という夢を見つけたのだ。塾には通わず、自力で創価大学へ。充実の4年間を経て今春、児童養護施設の職員となり夢をかなえた。
働き方が多様化する時代だが、"働くこと"には大きな意味がある。哲学者ヒルティは、真面目に没頭すれば興味が湧くのが、どんな仕事にも共通する性質であるとし、「ひとを幸福にするのは仕事の種類ではなく、創造と成功とのよろこび」(草間平作訳)とつづっている。一番大切なのは、どう働き、成長するか。胸中に挑戦の炎が燃えていれば、どの職場であれ、必ず自身を輝かせていける。
池田先生は「自分のありったけの力を仕事にぶつけたか、そして、生命を完全に燃焼させて、その時代、その社会に自己の燃焼のエネルギーによっていかなる利益をもたらしたか」と述べ、"各人の仕事の姿勢が人生と社会をも決する"と。最高の使命ある進路を、最後まで諦めずつかみ取ろう。その若き力が社会の閉塞を破る力となる。
☆仏法思想の輝き 波涛会書記局員 舩津広宣
◇海洋調査船のエンジニア
【プロフィル】ふなつ・ひろのり 山口県下関市の水産大学校卒。2017年(平成29年)から海洋調査船で機関長を務める。1987年(昭和62年)入会。58歳。東京都江東区在住。本陣長(ブロック長)。
◇人に尽くす航路に喜びが
多くの謎に包まれる海。私が機関長を務める海洋調査船は、海水の成分や海底の地質、生物など、幅広い分野の研究に当たっています。
機関長は、船の動力であるエンジンをはじめ、さまざまな機械・装置の運転管理を行う機関部の責任者です。機械のメンテナンスは、乗組員の命に直結します。船員一人一人が、担当する部門で役割を果たし、協力しながら、安全第一で運航を支えています。
限られた時間や変動する気象条件の下、研究目的の達成を目指して、研究者の要望に応えます。
◇海運業界の危機
ひとたび出航すれば、帰宅できるまで最長4カ月。過ごす空間や、触れ合う人は限られ、単調な風景が続きます。
船員が海での生活に幸福を見いだせるかは、仕事の質に影響するので、とても大切です。特に、船を下りてから余暇をどう過ごすかが、仕事のモチベーションの維持にもつながります。
私は、波涛会(海外航路に従事する壮年・男子部のグループ)の活動のおかげで、仕事に張り合いをもつことができました。
——機関士として駆け出しの頃、波涛会の先輩から「写真を出展してみないか?」と勧められました。
その前年の1987年(昭和62年)から、波涛会による「波涛を越えて——働く海の男の写真展」が始まっていたのです。
作品には、船乗りだからこそ出合える珍しい景色、迫力ある船体、寄港した異国の町並みや人々の笑顔などが並んでいました。
当時、急激な円高が進み、日本の海運業界は不況の大打撃を受け、船員の職を失う人も相次いでいました。
この写真展には、波涛会一人一人の"海運業界をもり立てよう!"との熱意が込められていたのです。また、人生のあらゆる試練に立ち向かう希望の大切さを、多くの人に伝える内容でした。
以前から趣味程度で写真を撮っていたので、"写真が広宣流布につながるんだ"と、活動の幅の広さに驚きました。
◇写真展が使命に
写真展では、うれしそうに笑顔で鑑賞する方が何人もいました。感想ノートには、「生きる勇気をもらいました」「頑張ろうと思う」などと記され、鑑賞者の背中を押せたことに、私も感動しました。
日蓮大聖人は、「人のために火をともせば、我がまえあきらかなるがごとし」(新2156・全1598)と仰せです。"あの人のために頑張ろう""この人を勇気づけたい"——そんな思いで人に尽くし抜き、相手が喜ぶ姿に触れた時、充実感がいっそう増すことを学びました。
写真展に自身の使命を見いだした私は、休暇を使って、展示会場の選定や、写真の梱包・積み下ろしなど、多くの作業を率先して担ってきました。
2008年(平成20年)6月、英国ロンドンにあるIMO(国際海事機関)の本部で、写真展が行われることになりました。IMOは、海運に関する世界のルールを決め、国際協力を促進する国連の関連機関です。
展示の準備中、窓外に目を向けると、テムズ川の向こうに時計塔・ビッグベンとウェストミンスター宮殿が。写真展に携わって約20年、日本でコツコツ続けてきた努力が、世界へつながったことに感慨を深くしました。
展示は、英国王室や各国の大使にも鑑賞してもらい、大好評を博しました。
何より、この模様を、小説『新・人間革命』第22巻「波濤」の章につづっていただけたことは生涯の思い出です。
◇共通の祈り
ロンドンでの展示の翌月、うれしい知らせが届きました。当時、3歳の長女の心室中隔欠損症が自然完治したのです。
長女は生まれてまもなく、心臓に穴が見つかりました。かつて、同じ病を患っていた私の妹は、13歳の時に不慮の事故で帰らぬ人に……。一家の宿命を痛感しました。
妻と共に「自分たちの祈りで必ず治そう」と誓い合いました。
わが家の場合は、夫婦が遠く離れていても、"娘の幸福"という共通の祈りで心がつながっていました。
信心していたからこそ、前を向いて船に乗ることができたと思います。私は船室で一人、深々と題目を唱え抜きました。記録を続ける唱題表は、18年目になります。
娘は現在、創価高校へ元気に通っています。妻の支えにも感謝は尽きません。
船上では、データ通信の制限はありますが、リアルタイムで連絡が取れます。地元の地区の皆さんの活躍に触れると元気をもらい、孤独感が和らぎます。
海洋調査はまだまだ続きます。乗船する皆が笑顔で仕事に臨めるように、安全第一で、皆に尽くす航路を進んでいきます。
◇[視点]水の信心
船上で一人、地道に信心を貫く舩津さんは"水の信心"を体現していました。
御書には、「聴聞する時はもえたつばかりおもえども、とおざかりぬればすつる心あり。水のごとくと申すは、いつもたいせず信ずるなり」(新1871・全1544)と仰せです。たとえ華々しい行動がなくても、水がたゆまず流れるように、不退の志と使命感をもって、生涯、信行学の実践を持続し抜いていくことが大切です。成仏とは、絶え間なき生命錬磨の異名にほかなりません。
"昨日より今日、今日より明日へ"——日々の生活に根差した祈りと努力によって、自身を向上させる。そうして人間性を輝かせることが、創価学会の信仰なのです。
2022年5月15日日曜日
2022.05.15 わが友に贈る
「各々思い切り給え」
広布に生きると決めた時
境涯の飛躍は始まる。
さあ打って出よう!
心を結ぶ語らいへ!
(新1227・全910)
四条金吾殿御書 P1111
『当世の僧を見るに人にかくして我一人ばかり供養をうくる人もあり是は狗犬の僧と涅槃経に見えたり、是は未来には牛頭と云う鬼となるべし』
【通解】
当世の僧侶をみると、人には隠して、自分一人ばかり供養を受ける人もある。この人は狗犬の僧であると涅槃経に説かれている。この者は未来世には牛頭という鬼となる。
名字の言 本土復帰50年を迎えた沖縄 2022年5月15日
「行きかう『ドル』と『円』」——1972年5月15日、沖縄の地元紙に躍った見出しである。輸送艦で運ばれた540億円の紙幣と硬貨が、ドルとの通貨交換に使われた▼この日、沖縄は戦後27年間に及ぶ米国施政権下から日本へ復帰した。通貨の変更をはじめ、県民の日常が一変した"世替わり"。生活の向上が期待された一方、本土との経済格差や米軍基地の存続など、喜びと失望は交錯した▼池田先生が沖縄返還に関する提言を発表したのは復帰の5年前。施政権の即時返還や沖縄総合開発銀行の設立など、各分野にわたった詳細な提言は"地に足のついた内容""時代の進むべき道を示した"と評された▼72年1月、先生は沖縄を訪問。復帰直前の揺れ動く社会情勢の中で、師の励ましは友の力となった。葛藤を抱えながら、米軍基地で働いていた女性は"私も幸せになっていいんだ"と涙した。3日間で、師と出会いを刻んだ同志は約8千人を数えた▼御聖訓に「心の一法より国土世間も出来する」(新713・全563)と。楽土建設は人の心の変革から始まる。ゆえに、人間革命の哲理を語り広げていく——その師弟共戦の大道を、本土復帰50年を迎えた沖縄の同志は、これからも歩み続ける。
寸鉄 2022年5月15日
「強敵を臥せ伏して始めて大力を知見す」御聖訓。青年よ勝って新時代開け(新150・全332)
副役職の幹部が活躍する組織は発展。全員が長と同じ自覚で勝利の峰へ!
沖縄本土復帰から半世紀 最も苦しんだ地こそ最も幸福に。平和島の使命大
SNSの中傷被害、1年で1割の人が経験。20代最多。言葉の暴力許すな
国連の「国際家族デー」。人間革命の本舞台は家庭なり。一家和楽の信心で
☆御書根本の大道 池田大作先生の講義に学ぶ 第10回 師子王の心
◇佐渡御書
『畜生の心は、弱きをおどし、強きをおそる。当世の学者等は畜生のごとし。智者の弱きをあなずり、王法の邪をおそる。諛臣と申すはこれなり。強敵を伏して始めて力士をしる。悪王の正法を破るに、邪法の僧等が方人をなして智者を失わん時は、師子王のごとくなる心をもてる者、必ず仏になるべし。例せば日蓮がごとし。』(新1285・全957)
◇勇気の指標
「佐渡御書」は、"川越講義"の第一回と最終回の二度にわたって研鑽しています。(中略)
私自身、恩師と共に苦境を乗り越えて新たな前進を始める中、本抄の一節一節を深くわが精神の力としました。この師弟の魂を、何としても埼玉の同志にも伝えたい! その思いで、一生懸命に講義しました。
◆◇◆
創価の師弟は師子王の陣列です。我らは軽薄な誹謗など痛烈に笑い飛ばしながら、そして、昇りゆく太陽の如く明るく朗らかに「師子王の心」で威風も堂々と進むのです。
「佐渡御書」は「創価学会の御書」と言っても過言ではありません。
御書を身に当てれば、いかなる無理解の悪口罵詈があろうが、何も恐れることはない。
御本仏が大賞讃してくださる、一番正しい広宣流布の人生を進んでいるのです。
◆◇◆
私たちが偉大な生命哲学を抱き前進していけば、社会の根底の精神土壌が変わります。だからこそ、最も根源的な変革へ、共戦の炎を胸中に燃やしていくのです。(中略)
いざや前進! 師子の子は恐るるものなし! です。この世悔いなく、この道を進まん! です。
さあ、不二の師子吼で、正義の歴史を綴り、汝の勝利は確かなりと、共戦の凱歌を轟かせようではありませんか!
◇今再び 広布の旗高く 本橋俊之 総総玉長
あす8日は、「常勝埼玉師弟の日」です。
2007年(平成19年)のこの日、池田先生は緑輝く埼玉池田研修道場を初訪問してくださいました。今年で15周年の佳節を刻みます。
同研修道場で先生は、若き日に恩師・戸田先生の事業の苦境を打開するため、埼玉の地を奔走した歴史などを述懐され、「仏法の根本は『師弟』だ。真実の弟子であるならば、師匠のために体を張ってでも戦うのだ。師の勝利を祈りぬいていくのだ」と、万感こもる重要な指導をしてくださいました。
埼玉は、師弟の魂が刻まれた池田先生手づくりの人材城です。
その原点ともいえる師弟の軌跡が、「川越地区講義」です。1951年(昭和26年)9月から足かけ3年、10回にわたって開催された講義を通して、御書根本、師匠直結の人材を育成してくださいました。
その初回と最後に講義された御書こそ、「佐渡御書」です。今回、この佐渡御書を拝し、師が示してくださった「師子王の大道」を勇敢に歩んでいきましょう。
◇一人立つ勇者こそ
今回学ぶ一節で、日蓮大聖人は、法華経の行者への「迫害の構図」を浮き彫りにされています。
世俗の権力者と嫉妬にまみれた「邪法の僧等」が結託して智者を亡き者にしようと迫害を加える——。佐渡流罪の当時、念仏者らの悪僧や、極楽寺良観が幕府の要人と結託して大聖人を陥れようとした状況の本質を鋭く喝破されています。
先生は「一人立つ勇者こそ仏です」と講義されています。苦難の渦中で「師子王のごとくなる心」を持って立ち上がる人こそが、成仏の境涯を勝ち開いていけるのです。
先生はさらに、「例せば日蓮がごとし」について、次のように講義されています。
「"弟子たちよ、この私を見よ"と断言されているのです。師匠は命に及ぶ大迫害の渦中にあって、仏の大境涯で、厳然とそびえ立っている。そして、今度は弟子たちに向かって、"この『師子王の大道』に続け"と、身をもって教えられているのです。私たち創価の師弟は、真っ直ぐにこの道を貫いてきました」
大聖人に直結し、「師子王の大道」を身をもって示してくださったのが創価三代の会長、なかんずく池田先生です。
私自身の信心の原点となっているのは、1978年(昭和53年)4月の第1回埼玉文化合唱祭で、中等部の一員として"大楠公"を歌ったことです。池田先生は私たちに、ピアノを弾いて応えてくださいました。その後、先生は第3代会長を辞任。創価高校、創価大学に在学中、障魔の嵐の中で、厳然と一人立ち、友を励まされる師子王の雄姿を幾度も目の当たりにし、"自分も同志を守れる人材に"と誓いました。
卒業後、就職した広告代理店では、仕事と学会活動の両立に悩み、壁にぶつかった時もありましたが、そのたびに師弟の誓いに立ち返ることで乗り越えることができました。その後、仕事で独立してからも、創価家族の励ましを力に、学会活動に励む中で大きく境涯革命をすることができたと実感しています。
◇鉄桶の団結固く
"川越講義"から70周年を迎えた昨年、埼玉では教学研さん運動を展開。各部で団結し、最前線の支部等の単位で、同講義で先生が講義してくださった十数編の御書を学んできました。
その中で埼玉の同志は、生き抜く勇気と広布拡大の原動力を湧き立たせてきました。そして埼玉に刻まれた師弟の足跡を改めて学び、師匠手づくりの天地で広布に走れる誇りと喜びをみなぎらせてきました。また壮年部では、数人の同志を担当する「希望長」を中心に、こまやかな激励を重ね、師弟不二の心で立ち上がる人材の裾野が広がっています。
さあ、いよいよ師弟の誓願を果たす「まことの時」です。
鉄桶の団結固く、「広布の旗」を高く掲げながら、勇気と信念の対話拡大で、師弟常勝の新たな歴史をつづっていきましょう!
◇メモ
「佐渡御書」は文永9年(1272年)3月20日、佐渡・塚原で御述作になり、広く弟子檀那の全てに与えられた書である。前年の竜の口の法難、そして佐渡流罪の渦中にあって、弟子の疑念を晴らし、信心を貫くよう指導・激励されている。
広布に生きると決めた時
境涯の飛躍は始まる。
さあ打って出よう!
心を結ぶ語らいへ!
(新1227・全910)
四条金吾殿御書 P1111
『当世の僧を見るに人にかくして我一人ばかり供養をうくる人もあり是は狗犬の僧と涅槃経に見えたり、是は未来には牛頭と云う鬼となるべし』
【通解】
当世の僧侶をみると、人には隠して、自分一人ばかり供養を受ける人もある。この人は狗犬の僧であると涅槃経に説かれている。この者は未来世には牛頭という鬼となる。
名字の言 本土復帰50年を迎えた沖縄 2022年5月15日
「行きかう『ドル』と『円』」——1972年5月15日、沖縄の地元紙に躍った見出しである。輸送艦で運ばれた540億円の紙幣と硬貨が、ドルとの通貨交換に使われた▼この日、沖縄は戦後27年間に及ぶ米国施政権下から日本へ復帰した。通貨の変更をはじめ、県民の日常が一変した"世替わり"。生活の向上が期待された一方、本土との経済格差や米軍基地の存続など、喜びと失望は交錯した▼池田先生が沖縄返還に関する提言を発表したのは復帰の5年前。施政権の即時返還や沖縄総合開発銀行の設立など、各分野にわたった詳細な提言は"地に足のついた内容""時代の進むべき道を示した"と評された▼72年1月、先生は沖縄を訪問。復帰直前の揺れ動く社会情勢の中で、師の励ましは友の力となった。葛藤を抱えながら、米軍基地で働いていた女性は"私も幸せになっていいんだ"と涙した。3日間で、師と出会いを刻んだ同志は約8千人を数えた▼御聖訓に「心の一法より国土世間も出来する」(新713・全563)と。楽土建設は人の心の変革から始まる。ゆえに、人間革命の哲理を語り広げていく——その師弟共戦の大道を、本土復帰50年を迎えた沖縄の同志は、これからも歩み続ける。
寸鉄 2022年5月15日
「強敵を臥せ伏して始めて大力を知見す」御聖訓。青年よ勝って新時代開け(新150・全332)
副役職の幹部が活躍する組織は発展。全員が長と同じ自覚で勝利の峰へ!
沖縄本土復帰から半世紀 最も苦しんだ地こそ最も幸福に。平和島の使命大
SNSの中傷被害、1年で1割の人が経験。20代最多。言葉の暴力許すな
国連の「国際家族デー」。人間革命の本舞台は家庭なり。一家和楽の信心で
☆御書根本の大道 池田大作先生の講義に学ぶ 第10回 師子王の心
◇佐渡御書
『畜生の心は、弱きをおどし、強きをおそる。当世の学者等は畜生のごとし。智者の弱きをあなずり、王法の邪をおそる。諛臣と申すはこれなり。強敵を伏して始めて力士をしる。悪王の正法を破るに、邪法の僧等が方人をなして智者を失わん時は、師子王のごとくなる心をもてる者、必ず仏になるべし。例せば日蓮がごとし。』(新1285・全957)
◇勇気の指標
「佐渡御書」は、"川越講義"の第一回と最終回の二度にわたって研鑽しています。(中略)
私自身、恩師と共に苦境を乗り越えて新たな前進を始める中、本抄の一節一節を深くわが精神の力としました。この師弟の魂を、何としても埼玉の同志にも伝えたい! その思いで、一生懸命に講義しました。
◆◇◆
創価の師弟は師子王の陣列です。我らは軽薄な誹謗など痛烈に笑い飛ばしながら、そして、昇りゆく太陽の如く明るく朗らかに「師子王の心」で威風も堂々と進むのです。
「佐渡御書」は「創価学会の御書」と言っても過言ではありません。
御書を身に当てれば、いかなる無理解の悪口罵詈があろうが、何も恐れることはない。
御本仏が大賞讃してくださる、一番正しい広宣流布の人生を進んでいるのです。
◆◇◆
私たちが偉大な生命哲学を抱き前進していけば、社会の根底の精神土壌が変わります。だからこそ、最も根源的な変革へ、共戦の炎を胸中に燃やしていくのです。(中略)
いざや前進! 師子の子は恐るるものなし! です。この世悔いなく、この道を進まん! です。
さあ、不二の師子吼で、正義の歴史を綴り、汝の勝利は確かなりと、共戦の凱歌を轟かせようではありませんか!
◇今再び 広布の旗高く 本橋俊之 総総玉長
あす8日は、「常勝埼玉師弟の日」です。
2007年(平成19年)のこの日、池田先生は緑輝く埼玉池田研修道場を初訪問してくださいました。今年で15周年の佳節を刻みます。
同研修道場で先生は、若き日に恩師・戸田先生の事業の苦境を打開するため、埼玉の地を奔走した歴史などを述懐され、「仏法の根本は『師弟』だ。真実の弟子であるならば、師匠のために体を張ってでも戦うのだ。師の勝利を祈りぬいていくのだ」と、万感こもる重要な指導をしてくださいました。
埼玉は、師弟の魂が刻まれた池田先生手づくりの人材城です。
その原点ともいえる師弟の軌跡が、「川越地区講義」です。1951年(昭和26年)9月から足かけ3年、10回にわたって開催された講義を通して、御書根本、師匠直結の人材を育成してくださいました。
その初回と最後に講義された御書こそ、「佐渡御書」です。今回、この佐渡御書を拝し、師が示してくださった「師子王の大道」を勇敢に歩んでいきましょう。
◇一人立つ勇者こそ
今回学ぶ一節で、日蓮大聖人は、法華経の行者への「迫害の構図」を浮き彫りにされています。
世俗の権力者と嫉妬にまみれた「邪法の僧等」が結託して智者を亡き者にしようと迫害を加える——。佐渡流罪の当時、念仏者らの悪僧や、極楽寺良観が幕府の要人と結託して大聖人を陥れようとした状況の本質を鋭く喝破されています。
先生は「一人立つ勇者こそ仏です」と講義されています。苦難の渦中で「師子王のごとくなる心」を持って立ち上がる人こそが、成仏の境涯を勝ち開いていけるのです。
先生はさらに、「例せば日蓮がごとし」について、次のように講義されています。
「"弟子たちよ、この私を見よ"と断言されているのです。師匠は命に及ぶ大迫害の渦中にあって、仏の大境涯で、厳然とそびえ立っている。そして、今度は弟子たちに向かって、"この『師子王の大道』に続け"と、身をもって教えられているのです。私たち創価の師弟は、真っ直ぐにこの道を貫いてきました」
大聖人に直結し、「師子王の大道」を身をもって示してくださったのが創価三代の会長、なかんずく池田先生です。
私自身の信心の原点となっているのは、1978年(昭和53年)4月の第1回埼玉文化合唱祭で、中等部の一員として"大楠公"を歌ったことです。池田先生は私たちに、ピアノを弾いて応えてくださいました。その後、先生は第3代会長を辞任。創価高校、創価大学に在学中、障魔の嵐の中で、厳然と一人立ち、友を励まされる師子王の雄姿を幾度も目の当たりにし、"自分も同志を守れる人材に"と誓いました。
卒業後、就職した広告代理店では、仕事と学会活動の両立に悩み、壁にぶつかった時もありましたが、そのたびに師弟の誓いに立ち返ることで乗り越えることができました。その後、仕事で独立してからも、創価家族の励ましを力に、学会活動に励む中で大きく境涯革命をすることができたと実感しています。
◇鉄桶の団結固く
"川越講義"から70周年を迎えた昨年、埼玉では教学研さん運動を展開。各部で団結し、最前線の支部等の単位で、同講義で先生が講義してくださった十数編の御書を学んできました。
その中で埼玉の同志は、生き抜く勇気と広布拡大の原動力を湧き立たせてきました。そして埼玉に刻まれた師弟の足跡を改めて学び、師匠手づくりの天地で広布に走れる誇りと喜びをみなぎらせてきました。また壮年部では、数人の同志を担当する「希望長」を中心に、こまやかな激励を重ね、師弟不二の心で立ち上がる人材の裾野が広がっています。
さあ、いよいよ師弟の誓願を果たす「まことの時」です。
鉄桶の団結固く、「広布の旗」を高く掲げながら、勇気と信念の対話拡大で、師弟常勝の新たな歴史をつづっていきましょう!
◇メモ
「佐渡御書」は文永9年(1272年)3月20日、佐渡・塚原で御述作になり、広く弟子檀那の全てに与えられた書である。前年の竜の口の法難、そして佐渡流罪の渦中にあって、弟子の疑念を晴らし、信心を貫くよう指導・激励されている。
2022年5月14日土曜日
2022.05.14 わが友に贈る
環境を嘆いても
何も変わらない。
題目で自身を奮い立たせ
勇気の挑戦を開始する。
そこに人間革命の道が!
諸法実相抄 P1358
『凡夫は体の三身にして本仏ぞかし、仏は用の三身にして迹仏なり』
【通解】
凡夫は体の三身にして本仏である。仏は用の三身であって迹仏である。
名字の言 世紀を超えて作者とつながる読書の醍醐味 2022年5月14日
太宰治の『人間失格』の中に「ドストイエフスキイ」との記述がある。その場面で主人公は"罪と罰"について語る。ドストエフスキーの"人間とは、また善悪とは何か"という問題提起に、太宰が作品を通して自分なりの思考を展開しているとも捉えられるシーンだ▼19世紀の海外の文学に、20世紀の日本の作家が学び、その小説を21世紀を生きる自分が読む。まるで時代も場所も超えて作者とつながっているように感じる。ここに、読書の醍醐味の一つがあろう▼本を通じて時空を超えた絆に思いをいたし、歴史と人生とこの世界を貫く普遍に迫る。それは、池田先生の小説『人間革命』『新・人間革命』に触れる中で、私たちが実践していることだ▼師が全精魂を注いだ作品を通して、鎌倉時代に立宗した日蓮大聖人の精神を学び、仏法の本義を深める。その研さんの輪は地球を包み、平和の礎を築く大きな力となっていく▼『人間革命』第10巻「展望」の章で、戸田先生は"創価学会が人類の平和と文化を担う中核的な存在となる"と述べ、その傾向は山本伸一の後半生の終わり頃から顕著に現れる、と予見した。恩師が語った広布の潮流を、未来へ流れ通わせる使命を担うのは、今を生きる私たちである。
寸鉄 2022年5月14日
「正しい宗教は生命力を強める」戸田先生。朝の祈りから生き生きと出発
激戦の中で新たな人材が育つ。励ましを絶やさず皆で青年を伸ばしゆこう
聡明な人は常に人類との合一を意識する—文豪トルストイ。今日も広布即平和の一歩
熱中症予防、暑さに体を慣れさせる事が重要と。軽い運動や筋トレも有効
奨学金制度拡充へ—公明がリード。教育こそ未来を創る力。さらに旗振れ
〈社説〉 2022・5・14 あす、沖縄日本復帰50年
◇生命尊厳の心つなぐ対話を
あす15日、沖縄が日本に復帰してから50年の節目を刻む。
共同通信社が沖縄県民を対象に行った世論調査(3〜4月)によると復帰して「良かったと思う」は94%に。一方、復帰後の歩みに「満足していない」が55%に上った。今も残る重い基地負担。厳しい経済的環境。複雑な思いが交錯するが、それでも85%の人が沖縄出身であることに「誇りを持っている」と回答した。
琉球王国時代から、沖縄は独自の文化を形成してきた。それだけに「復帰」という言葉には、沖縄が歩んできた長い苦渋の歴史が凝縮されているようにも感じる。
第2次世界大戦で沖縄は凄惨な地上戦の舞台となった。戦後も、1952年(昭和27年)4月28日にサンフランシスコ講和条約が発効され、日本の主権が回復した際、沖縄は日本と切り離され、アメリカの施政権下に置かれ続けた。東西冷戦の構造下で沖縄は"基地の島"となり、ピーク時の67年(同42年)、沖縄には1300発の核兵器があった。
沖縄返還の具体的な道筋が見えない中、池田先生は同年8月24日、学生部総会の席上、沖縄の日本復帰を求める提言を行った。施政権の即時返還、核基地の撤去のほか、沖縄総合開発銀行の設立など、提言は各分野にわたった。
「いちばん苦しんだ沖縄が、いちばん栄え、幸福になる権利がある。どこよりも沖縄が繁栄してほしい——そうした真情からの叫び」と後年、述懐した。
5年後の72年(同47年)5月15日、沖縄は復帰した。「非核三原則」が国是となったのは沖縄返還を巡る国会議論からである。
沖縄返還を前に核は撤去されていった。4カ所あった核ミサイル「メースB」の発射基地。今、唯一、恩納村の沖縄研修道場に発射台跡が残る。池田先生の提案で「世界平和の碑」として残され、人類の愚行の歴史を厳然と伝えている。
60年(同35年)7月の初来島以来、先生は常に仏法の視座から沖縄独自の言葉や歴史などに光を当て、沖縄の使命を訴えてきた。
「人間を分断する『武器』ではなく(中略)『暴力』に屈せぬ『文化の力』を重んじてきたのが、沖縄の生き方である」と。
世界の民衆が平和を希求する今こそ、あらゆる差異と分断を乗り越え、生命尊厳の心をつなぐ対話を重ねたい。
〈KANTO 広布史ファイル〉松戸会館初訪問から40周年
「千葉の心臓部、大きく言うならば日本の心臓部ともなっていただきたい」——「松戸の日」の淵源となった、1982年(昭和57年)6月9日。この日、池田先生は松戸会館(現・松戸平和会館)を初訪問され、松戸、市川、柏の3圏(当時)の代表幹部の集いに出席した。席上、先生は参加者と厳粛に勤行・唱題し、千葉広布のますますの発展を祈念。さらに、21世紀の長期的展望の上から"信心即生活""健康即勝利"の在り方や、後継の青年部の鍛錬について懇談的に語った。
先生が広布の足跡を残された松戸の地にはその後、松戸文化会館〈1990年(平成2年)4月30日〉、松戸池田講堂〈2009年(同21年)3月28日〉が落成し、盤石な体制に。"日本の心臓部たれ!"との不滅の指針を胸に、松戸会館への初訪問から40周年を迎える本年、広宣拡大の新たな歴史を開く。
☆ヒーローズ 逆境を勝ち越えた英雄たち 第19回 エベレストの登攀者
〈イギリスの登山家 ジョージ・マロリー〉
私たちは進み続ける。
道が困難であればあるほど、勝利も大きい。
「なぜ山に登るのか」
「そこに山があるからだ」
イギリスの登山家ジョージ・マロリーが、ある新聞記者と交わしたとされる有名な言葉である。
「山」とは、世界最高峰のエベレスト。標高8848メートルにも達するその頂は、北極・南極に次ぐ地球の「第3の極地」と呼ばれ、長い間、登攀は不可能とされてきた未踏の地であった。
エベレストへの挑戦が始まったのは、約100年前。第1次世界大戦後の1921年、イギリスが最初の遠征隊を派遣し、その一員として参加したのが、当時34歳のマロリーだった。
彼はウィンチェスター校、ケンブリッジ大学で登山技術を磨き鍛えた一流のクライマー。それでも眼前にそびえるエベレストは「全ての山々を領有する支配者」のように見えたという。
エベレストの過酷さは想像を超えていた。高山病や悪天候との熾烈な戦いに加え、切り立つ巨大な岩峰が行く手を阻んだ。この時の真情を記した手紙がある。「山頂に到達できる望みはもうほとんどありません。しかし、もちろん私たちは、到達を期しているかのごとく前進をつづけるでしょう」「われわれは最後まで最大限の希望を持ちつづけていきます」
絶望的な状況に陥ってもなお、彼を突き動かしたものは何か。それは飽くなき探求心であり、「道が困難であればあるほど、また危険が多ければ多いほど、勝利も大きい」という不屈の信念だった。
数週間に及ぶ偵察の末、ついにマロリーは山頂へと続くルートを発見する。翌22年の第2次遠征では、最高到達点記録を更新。しかし、登頂まであと一歩に迫った24年の第3次遠征中、マロリーと同行者は帰らぬ人になってしまう。
幾度にわたる捜索を経て、遺体が見つかったのは失踪から75年後のことであった(1999年)。
彼が頂上にたどり着いたかどうかは、今も謎のままだ。だが、勇気ある先駆者の遺志は後世の登山家に厳然と受け継がれていく。
——1953年、イギリスは9度目の遠征隊を送り込んだ。
その隊員に選ばれたのは、ニュージーランドのエドモンド・ヒラリーと、現地人のシェルパ(案内人)であるテンジン・ノルゲイ。人類の挑戦を何度もはね返してきたエベレストに、国籍も境遇も異なる2人の青年が挑んだ。マロリーの最初のアタックから、32年の歳月が流れていた。
〈人類初のエベレスト登頂者 エドモンド・ヒラリー〉
我々が征服するのは、山ではなく、自分自身である。
ヒラリーは20歳の時、旅行で訪れたニュージーランド南島の山々に魅了され、登山活動を開始。国内の名峰で経験を積んだ。
イギリスのエベレスト遠征隊に参加したのは、1951年からである。この年の挑戦は失敗に終わるが、彼に「諦め」の文字はなかった。
「必ず舞い戻って、登頂してみせる。なぜなら、山はこれ以上大きくならないが、私はもっと成長できるからだ」
一方、テンジンはエベレストの南麓にある山岳民族の村の出身。貧しい家計を支えるため、ヨーロッパからやって来る登山隊の案内役や荷運びを生業としながら、シェルパとして優れた実績を残していった。
53年5月29日の午前6時半。遠征隊の第2アタックに名を連ねた2人が最終キャンプ地を出た。極寒と烈風、酸素濃度は地上の3分の1という「デスゾーン(死の地帯)」の中を敢然と踏破していく。
"我々が征服するのは、山ではなく、自分自身である"(ヒラリー)
——午前11時半、出発から5時間に及ぶ死闘を乗り越え、ついにヒラリーとテンジンはエベレストの頂に立つ。彼らは頂上で握手を交わし、互いの背中をたたいて喜びを分かち合った。そこには、銀嶺に輝く麗しい"同志の絆"があった。
「山には友情がある。山ほど人間と人間を結びつけるものはない。どんな難所ででも、手をたずさえ、たがいに心をかよわすことができる」と、後にテンジンは語っている。エベレスト登攀の最大の力は「友情」と「団結」にこそあったのだろう。
歴史的な壮挙に世界は沸き立った。ヒラリーには英国王室から「サー(卿)」の称号が与えられ、テンジンはネパール・インド両国に英雄として迎えられた。
その後、「最初に山頂に立ったのはどちらか」との論争が熱を帯びていくが、2人は一貫して同じ答えを繰り返した。
「一緒に頂上を踏んだ」と——。
〈ヒラリーとテンジンを語る池田先生〉
いかなる勝負も、「先んずれば人を制す」である。
自分らしく、全力で、勝利への準備をすることだ。
その人には誰もかなわない。
後年、ヒラリーは登山を共にしたシェルパたちへの謝意を込め、彼ら(シェルパ族)の住む村に学校や医療施設を建設。さらには、2008年に亡くなるまで、ヒマラヤ山脈の環境保全に尽力した。
03年には、池田大作先生に署名入りの書籍を贈っている。
1995年10月31日、池田先生はネパールを初訪問。諸行事の合間に首都カトマンズ郊外を訪れ、荘厳な夕映えに雄姿を現したヒマラヤ山脈をカメラに収めた。その際、集まった近所の村の子どもたちに、こう語り掛けている。
「ここは仏陀(釈尊)が生まれた国です。仏陀は、偉大なヒマラヤを見て育ったんです。あの山々のような人間になろうと頑張ったのです。堂々とそびえる勝利の人へと自分をつくり上げたんです。皆さんも同じです。すごい所に住んでいるのです。必ず、偉い人になれるんです」
その光景は、まるで美しい名画のようであった。
「広宣流布」を「山」に例え、マロリーの言葉を交えた先生の指導に、こうある。
「『大志をいだき、それにむかって努力することこそ人間を人間たらしめるものだ』(中略)
困難な試練の山に、勇敢に挑むからこそ、自分自身の秘められた力が発揮できる。広布の山への登攀——それは、人類の境涯を最上の高みへと導きゆかんとする、壮大にして荘厳なる仏の大偉業であります。いかなる断崖絶壁に直面しようとも、妙法に生き抜く不二の師弟には、無限の仏の力が涌現しないわけがありません」(2011年12月3日、新時代第54回本部幹部会へのメッセージ)
また、ヒラリーとテンジンの初登頂の成功は「早くからの準備」「先入観を捨てたこと」「中心者の執念」「不滅の友情」にあったと述べ、次のように訴えた。
「いかなる勝負も、『先んずれば人を制す』である。自分らしく、全力で、勝利への準備をすることだ。『準備がある人』『勝利の決意がある人』には、だれ人もかなわない」(2003年2月5日、第25回本部幹部会でのスピーチ)
さあ、誓いの「5・3」から、民衆凱歌の頂へ、勇気の登攀を!
私たちは進み続ける。そこに目指すべき山がある限り。越えるべき山がある限り。
何も変わらない。
題目で自身を奮い立たせ
勇気の挑戦を開始する。
そこに人間革命の道が!
諸法実相抄 P1358
『凡夫は体の三身にして本仏ぞかし、仏は用の三身にして迹仏なり』
【通解】
凡夫は体の三身にして本仏である。仏は用の三身であって迹仏である。
名字の言 世紀を超えて作者とつながる読書の醍醐味 2022年5月14日
太宰治の『人間失格』の中に「ドストイエフスキイ」との記述がある。その場面で主人公は"罪と罰"について語る。ドストエフスキーの"人間とは、また善悪とは何か"という問題提起に、太宰が作品を通して自分なりの思考を展開しているとも捉えられるシーンだ▼19世紀の海外の文学に、20世紀の日本の作家が学び、その小説を21世紀を生きる自分が読む。まるで時代も場所も超えて作者とつながっているように感じる。ここに、読書の醍醐味の一つがあろう▼本を通じて時空を超えた絆に思いをいたし、歴史と人生とこの世界を貫く普遍に迫る。それは、池田先生の小説『人間革命』『新・人間革命』に触れる中で、私たちが実践していることだ▼師が全精魂を注いだ作品を通して、鎌倉時代に立宗した日蓮大聖人の精神を学び、仏法の本義を深める。その研さんの輪は地球を包み、平和の礎を築く大きな力となっていく▼『人間革命』第10巻「展望」の章で、戸田先生は"創価学会が人類の平和と文化を担う中核的な存在となる"と述べ、その傾向は山本伸一の後半生の終わり頃から顕著に現れる、と予見した。恩師が語った広布の潮流を、未来へ流れ通わせる使命を担うのは、今を生きる私たちである。
寸鉄 2022年5月14日
「正しい宗教は生命力を強める」戸田先生。朝の祈りから生き生きと出発
激戦の中で新たな人材が育つ。励ましを絶やさず皆で青年を伸ばしゆこう
聡明な人は常に人類との合一を意識する—文豪トルストイ。今日も広布即平和の一歩
熱中症予防、暑さに体を慣れさせる事が重要と。軽い運動や筋トレも有効
奨学金制度拡充へ—公明がリード。教育こそ未来を創る力。さらに旗振れ
〈社説〉 2022・5・14 あす、沖縄日本復帰50年
◇生命尊厳の心つなぐ対話を
あす15日、沖縄が日本に復帰してから50年の節目を刻む。
共同通信社が沖縄県民を対象に行った世論調査(3〜4月)によると復帰して「良かったと思う」は94%に。一方、復帰後の歩みに「満足していない」が55%に上った。今も残る重い基地負担。厳しい経済的環境。複雑な思いが交錯するが、それでも85%の人が沖縄出身であることに「誇りを持っている」と回答した。
琉球王国時代から、沖縄は独自の文化を形成してきた。それだけに「復帰」という言葉には、沖縄が歩んできた長い苦渋の歴史が凝縮されているようにも感じる。
第2次世界大戦で沖縄は凄惨な地上戦の舞台となった。戦後も、1952年(昭和27年)4月28日にサンフランシスコ講和条約が発効され、日本の主権が回復した際、沖縄は日本と切り離され、アメリカの施政権下に置かれ続けた。東西冷戦の構造下で沖縄は"基地の島"となり、ピーク時の67年(同42年)、沖縄には1300発の核兵器があった。
沖縄返還の具体的な道筋が見えない中、池田先生は同年8月24日、学生部総会の席上、沖縄の日本復帰を求める提言を行った。施政権の即時返還、核基地の撤去のほか、沖縄総合開発銀行の設立など、提言は各分野にわたった。
「いちばん苦しんだ沖縄が、いちばん栄え、幸福になる権利がある。どこよりも沖縄が繁栄してほしい——そうした真情からの叫び」と後年、述懐した。
5年後の72年(同47年)5月15日、沖縄は復帰した。「非核三原則」が国是となったのは沖縄返還を巡る国会議論からである。
沖縄返還を前に核は撤去されていった。4カ所あった核ミサイル「メースB」の発射基地。今、唯一、恩納村の沖縄研修道場に発射台跡が残る。池田先生の提案で「世界平和の碑」として残され、人類の愚行の歴史を厳然と伝えている。
60年(同35年)7月の初来島以来、先生は常に仏法の視座から沖縄独自の言葉や歴史などに光を当て、沖縄の使命を訴えてきた。
「人間を分断する『武器』ではなく(中略)『暴力』に屈せぬ『文化の力』を重んじてきたのが、沖縄の生き方である」と。
世界の民衆が平和を希求する今こそ、あらゆる差異と分断を乗り越え、生命尊厳の心をつなぐ対話を重ねたい。
〈KANTO 広布史ファイル〉松戸会館初訪問から40周年
「千葉の心臓部、大きく言うならば日本の心臓部ともなっていただきたい」——「松戸の日」の淵源となった、1982年(昭和57年)6月9日。この日、池田先生は松戸会館(現・松戸平和会館)を初訪問され、松戸、市川、柏の3圏(当時)の代表幹部の集いに出席した。席上、先生は参加者と厳粛に勤行・唱題し、千葉広布のますますの発展を祈念。さらに、21世紀の長期的展望の上から"信心即生活""健康即勝利"の在り方や、後継の青年部の鍛錬について懇談的に語った。
先生が広布の足跡を残された松戸の地にはその後、松戸文化会館〈1990年(平成2年)4月30日〉、松戸池田講堂〈2009年(同21年)3月28日〉が落成し、盤石な体制に。"日本の心臓部たれ!"との不滅の指針を胸に、松戸会館への初訪問から40周年を迎える本年、広宣拡大の新たな歴史を開く。
☆ヒーローズ 逆境を勝ち越えた英雄たち 第19回 エベレストの登攀者
〈イギリスの登山家 ジョージ・マロリー〉
私たちは進み続ける。
道が困難であればあるほど、勝利も大きい。
「なぜ山に登るのか」
「そこに山があるからだ」
イギリスの登山家ジョージ・マロリーが、ある新聞記者と交わしたとされる有名な言葉である。
「山」とは、世界最高峰のエベレスト。標高8848メートルにも達するその頂は、北極・南極に次ぐ地球の「第3の極地」と呼ばれ、長い間、登攀は不可能とされてきた未踏の地であった。
エベレストへの挑戦が始まったのは、約100年前。第1次世界大戦後の1921年、イギリスが最初の遠征隊を派遣し、その一員として参加したのが、当時34歳のマロリーだった。
彼はウィンチェスター校、ケンブリッジ大学で登山技術を磨き鍛えた一流のクライマー。それでも眼前にそびえるエベレストは「全ての山々を領有する支配者」のように見えたという。
エベレストの過酷さは想像を超えていた。高山病や悪天候との熾烈な戦いに加え、切り立つ巨大な岩峰が行く手を阻んだ。この時の真情を記した手紙がある。「山頂に到達できる望みはもうほとんどありません。しかし、もちろん私たちは、到達を期しているかのごとく前進をつづけるでしょう」「われわれは最後まで最大限の希望を持ちつづけていきます」
絶望的な状況に陥ってもなお、彼を突き動かしたものは何か。それは飽くなき探求心であり、「道が困難であればあるほど、また危険が多ければ多いほど、勝利も大きい」という不屈の信念だった。
数週間に及ぶ偵察の末、ついにマロリーは山頂へと続くルートを発見する。翌22年の第2次遠征では、最高到達点記録を更新。しかし、登頂まであと一歩に迫った24年の第3次遠征中、マロリーと同行者は帰らぬ人になってしまう。
幾度にわたる捜索を経て、遺体が見つかったのは失踪から75年後のことであった(1999年)。
彼が頂上にたどり着いたかどうかは、今も謎のままだ。だが、勇気ある先駆者の遺志は後世の登山家に厳然と受け継がれていく。
——1953年、イギリスは9度目の遠征隊を送り込んだ。
その隊員に選ばれたのは、ニュージーランドのエドモンド・ヒラリーと、現地人のシェルパ(案内人)であるテンジン・ノルゲイ。人類の挑戦を何度もはね返してきたエベレストに、国籍も境遇も異なる2人の青年が挑んだ。マロリーの最初のアタックから、32年の歳月が流れていた。
〈人類初のエベレスト登頂者 エドモンド・ヒラリー〉
我々が征服するのは、山ではなく、自分自身である。
ヒラリーは20歳の時、旅行で訪れたニュージーランド南島の山々に魅了され、登山活動を開始。国内の名峰で経験を積んだ。
イギリスのエベレスト遠征隊に参加したのは、1951年からである。この年の挑戦は失敗に終わるが、彼に「諦め」の文字はなかった。
「必ず舞い戻って、登頂してみせる。なぜなら、山はこれ以上大きくならないが、私はもっと成長できるからだ」
一方、テンジンはエベレストの南麓にある山岳民族の村の出身。貧しい家計を支えるため、ヨーロッパからやって来る登山隊の案内役や荷運びを生業としながら、シェルパとして優れた実績を残していった。
53年5月29日の午前6時半。遠征隊の第2アタックに名を連ねた2人が最終キャンプ地を出た。極寒と烈風、酸素濃度は地上の3分の1という「デスゾーン(死の地帯)」の中を敢然と踏破していく。
"我々が征服するのは、山ではなく、自分自身である"(ヒラリー)
——午前11時半、出発から5時間に及ぶ死闘を乗り越え、ついにヒラリーとテンジンはエベレストの頂に立つ。彼らは頂上で握手を交わし、互いの背中をたたいて喜びを分かち合った。そこには、銀嶺に輝く麗しい"同志の絆"があった。
「山には友情がある。山ほど人間と人間を結びつけるものはない。どんな難所ででも、手をたずさえ、たがいに心をかよわすことができる」と、後にテンジンは語っている。エベレスト登攀の最大の力は「友情」と「団結」にこそあったのだろう。
歴史的な壮挙に世界は沸き立った。ヒラリーには英国王室から「サー(卿)」の称号が与えられ、テンジンはネパール・インド両国に英雄として迎えられた。
その後、「最初に山頂に立ったのはどちらか」との論争が熱を帯びていくが、2人は一貫して同じ答えを繰り返した。
「一緒に頂上を踏んだ」と——。
〈ヒラリーとテンジンを語る池田先生〉
いかなる勝負も、「先んずれば人を制す」である。
自分らしく、全力で、勝利への準備をすることだ。
その人には誰もかなわない。
後年、ヒラリーは登山を共にしたシェルパたちへの謝意を込め、彼ら(シェルパ族)の住む村に学校や医療施設を建設。さらには、2008年に亡くなるまで、ヒマラヤ山脈の環境保全に尽力した。
03年には、池田大作先生に署名入りの書籍を贈っている。
1995年10月31日、池田先生はネパールを初訪問。諸行事の合間に首都カトマンズ郊外を訪れ、荘厳な夕映えに雄姿を現したヒマラヤ山脈をカメラに収めた。その際、集まった近所の村の子どもたちに、こう語り掛けている。
「ここは仏陀(釈尊)が生まれた国です。仏陀は、偉大なヒマラヤを見て育ったんです。あの山々のような人間になろうと頑張ったのです。堂々とそびえる勝利の人へと自分をつくり上げたんです。皆さんも同じです。すごい所に住んでいるのです。必ず、偉い人になれるんです」
その光景は、まるで美しい名画のようであった。
「広宣流布」を「山」に例え、マロリーの言葉を交えた先生の指導に、こうある。
「『大志をいだき、それにむかって努力することこそ人間を人間たらしめるものだ』(中略)
困難な試練の山に、勇敢に挑むからこそ、自分自身の秘められた力が発揮できる。広布の山への登攀——それは、人類の境涯を最上の高みへと導きゆかんとする、壮大にして荘厳なる仏の大偉業であります。いかなる断崖絶壁に直面しようとも、妙法に生き抜く不二の師弟には、無限の仏の力が涌現しないわけがありません」(2011年12月3日、新時代第54回本部幹部会へのメッセージ)
また、ヒラリーとテンジンの初登頂の成功は「早くからの準備」「先入観を捨てたこと」「中心者の執念」「不滅の友情」にあったと述べ、次のように訴えた。
「いかなる勝負も、『先んずれば人を制す』である。自分らしく、全力で、勝利への準備をすることだ。『準備がある人』『勝利の決意がある人』には、だれ人もかなわない」(2003年2月5日、第25回本部幹部会でのスピーチ)
さあ、誓いの「5・3」から、民衆凱歌の頂へ、勇気の登攀を!
私たちは進み続ける。そこに目指すべき山がある限り。越えるべき山がある限り。
2022年5月13日金曜日
2022.05.13 わが友に贈る
局地的な大雨の発生に
十分に警戒しよう!
"私は大丈夫"と油断せず
災害時への備えを万全に。
安全第一の行動を!
四条金吾殿御返事 P1136
『大難来れども憶持不忘の人は希なるなり、受くるはやすく持つはかたしさる間成仏は持つにあり』
【通解】
大難が来ても、この法華経を常に思い持って忘れない人はまれである。法華経を受けることはやさしく、持ち続けることは難しい。そして、成仏は持ち続けることにある。
名字の言 「北九州市平和のまちミュージアム」の企画展を見て 2022年5月13日
長崎の原爆投下は当初、福岡の小倉陸軍造兵廠が目標だった。その跡地に今春、命の尊さや戦争の実態を伝える「北九州市平和のまちミュージアム」が開設された▼同館で「模擬原爆」を解説する企画展を見た。核物質の代わりに火薬の入った模擬原爆は丸みを帯びた形からパンプキン(かぼちゃ)と呼ばれた。終戦直前、日本各地に49発も投下され、甚大な被害をもたらした。いわば民間人を大量殺戮する実験であり、予行演習である▼事実に衝撃を受けた来館者が語気を強めた。「戦争がどれほど人間を狂わせ、残酷にするか。絶対に起こしてはならないし、起こさせてもならない!」▼第2代会長・戸田城聖先生は北九州の地で「原爆などを使う人間は最大の悪人だ」と語った。そして65年前の1957年9月8日、「原水爆禁止宣言」を神奈川で発表した。核兵器は存在自体が絶対悪だ。それを正当化する思想の奥にひそむ生命軽視の魔性の爪をもぎとり、人類の生存の権利を断じて守る。この烈々たる宣言に触れると、平和構築への闘志が湧く▼御聖訓に「ちかいし願いやぶるべからず」(新114・全232)と。戦争と核の時代に終止符を打つまで祈り、動き、対話に挑む。それが我らの誓いである。
寸鉄 2022年5月13日
小事つもりて大事となる—御書。一日一日挑戦を。その積み重ねが勝利開く(新2046・全1595)
同志の一歩前進を皆で称えよう!互いに喜び進めばわが地区の勢いは倍加
社会の為に活躍する若人を育てるのが学会の目的—恩師。共に戦い、成長!
自転車事故増加と。感染禍で通勤利用や新サービスも多く。絶対無事故で
3回目接種を終えた人は重症化率と致死率が低下—厚労省。賢明に検討を
☆共生の地球社会へ〜仏法の英知に学ぶ テーマ:識字率の向上
登場人物
【娘・ミライさん】好奇心旺盛な女性部員。世の中の出来事について、父・ホープ博士と語り合うことを楽しみにしている。
【父・ホープ博士】勉強熱心な壮年部員。毎月1回、家族と一緒に教学を研さんしている。「博士」はニックネーム。本業は会社員。
◇教育で"内なる尊厳"を開花
ミライ コロナ禍によって進んだオンライン授業。捉え方はさまざまあるけれど、子どもたちにとって、より良い教育環境を整えていかないとね。
ホープ 世界には、貧困や紛争のせいで、また、学校が近くにない等の理由で、学校に行けない子ども(6〜14歳)が約1億2100万人いるとされているんだ。
さらに、教育を受ける機会がないまま大人になったために、世界には文字の読み書きができない人が、15歳以上の7人に1人の割合でいるんだよ(約7億7300万人=国連教育科学文化機関〈ユネスコ〉)。
ミライ 文字の読み書きができない生活なんて、想像したことがなかった。
ホープ 自給自足の伝統的社会では大きな問題とはならないけれど、科学技術が発達し、グローバル化が進む今日では、深刻な問題となっているよ。
例えば、薬の説明書きを理解することができないから、農薬を薬と間違えて飲んでしまうといったケースもあるんだ。
内容が理解できないまま、契約書にサインをしてしまい、悪意のある人に騙されてしまう場合もある。
読み書きを身につけることは、命や生活を守ることに直結するんだ。また、将来の夢に向かって学び、貧困を克服する第一歩にもなるんだよ。
池田先生は、「識字は『人間』らしさを支える核の一つ」と言われているよ(『21世紀の人権を語る』)。
◇学べる喜び
ミライ 現在の日本は識字率の高い国になっているけど、日蓮大聖人の御在世当時はどうだったの?
ホープ 当時の正確な記録は残されていないけれど、多くの民衆は文字が読めなかったようだよ。
だけど大聖人は、文字が読める、読めないで、門下を差別なんかされなかった。たとえ、文字が読めなくても、不退の信心を貫いた門下が何人もいたんだ。
大聖人は、そうした門下を思いやり、御自身が認めたお手紙の読み聞かせを、周囲に勧められていたよ。武士や一般の庶民など、幅広い人々が読みやすいように、仮名交じりのお手紙を数多く書かれたんだ。
ミライ 門下に対する、大聖人の深い御慈愛が拝されるね。
ホープ 創価学会もまた、庶民の団体であり、同じだよ。草創以来、戦争や貧しさゆえに、教育を受けられなかったが、御書などの研さんを通して、読み書きを学んだという人も多くいたんだ。
御書は現在、10言語以上で翻訳・出版されているよ。各国の人たちが、慣れ親しんだ言語で仏法の哲理を学ぶことができ、喜びが広がっているんだ。
ミライ 日本では昨年、御書新版が発刊されて、一段と仏法を学ぶ機運が高まっているね。
仏法を"学べる"ということは、決して当たり前ではないんだね。
◇四仏知見
ホープ ブラジルSGI(創価学会インタナショナル)教育本部では、1980年代から識字教育のボランティアを始めたんだ。
当時のブラジルは、15歳以上の非識字率が約18%。長年続いた軍事政権による支配や、経済危機を背景に、教育が虐げられてきた歴史を改革しようと取り組んできたんだよ。
ミライ 読み書きは、社会の基盤を形作る、最重要の分野だよね。
ホープ ブラジルSGIの教育運動には、創価学会初代会長・牧口常三郎先生が掲げられた「子どもの幸福のための教育」との理念が流れている。
牧口先生は、法華経方便品(別掲)に説かれる「四仏知見」に、教育の鍵を見いだされたんだ。
ミライ 詳しく聞かせて!
ホープ 「仏知見」とは、「仏の智慧」のことだよ。仏法では、万人の生命には偉大な智慧が秘められていて、かけがえのない尊厳性を見いだしている。
仏知見を「開」かせ、「示」し、「悟」らせ、仏道の道へ「入」らしめる——このことを「開示悟入の四仏知見」というんだ。
池田先生は、「四仏知見」について語られているよ。
「『開く』とは、その無限の智慧を『開発』すること、『示す』とは『顕示』、教え顕し示すことです。さらに『悟らせ』とは、具体的な活動を通して、その智慧を実感、体得させることです。そして『入らせる』とは、あふれでる智慧を自由自在に使って、自ら幸福の大道へと入らせるようにしていくことなのです。これが、仏法の究極の目的であり、『教育』の目的とも完全に軌を一にしています」(『明日をつくる"教育の聖業"』潮出版社)
ミライ 教育の大切さが改めてよく分かったよ。識字率の向上も含め、教育を通して、人生の選択肢が広がり、誰もが"内なる尊厳"を開花できる社会にしていきたいね。
◇法華経から
諸仏世尊は衆生をして仏知見を開かしめ、清浄なることを得しめんと欲するが故に、世に出現したまう。衆生に仏知見を示さんと欲するが故に、世に出現したまう。衆生をして仏知見を悟らしめんと欲するが故に、世に出現したまう。衆生をして仏知見の道に入らしめんと欲するが故に、世に出現したまう。(妙法蓮華経並開結121ページ)
◇メモ
法華経方便品では、あらゆる衆生に本来、具わっている仏知見(仏の智慧)を開かせ、示し、悟らせ、その境地に入らせることが、諸仏が世に出現する根本目的(一大事因縁)であると明かされています。
"あらゆる人を幸福に""すべての人を救いたい"という、慈悲の実践こそ、尊き仏の振る舞いなのです。
[コラム:"いま"を知る]読み聞かせ
大型連休は目前。幼い子どもとのコミュニケーションとして"読み聞かせ"はどうだろうか。子どもに絵本を読み聞かせることは、子どもの感情表現や想像力、国語力を豊かにするといわれている。
英国の大歴史学者トインビー博士は、小学生の時の授業より、母による歴史の読み聞かせがおもしろかったので、歴史への関心を持つようになった。
池田先生は、「良書に親しむことから得られる心の滋養は計り知れません。とくに幼年期から、本になじむ習慣を身につけることの意義は大きい」と語っている。
「子にすぎたる財なし」(新1753・全1322)——家庭にとっても、地域・社会にとっても、子どもは未来を開きゆく宝であり、今を生きる存在だ。
コロナ禍で生活の制約が続いても、子どもの可能性を狭めてはならない。
大人も一緒になって良書との触れ合いを心から楽しみ、有意義な時間を刻んでいきたい。
十分に警戒しよう!
"私は大丈夫"と油断せず
災害時への備えを万全に。
安全第一の行動を!
四条金吾殿御返事 P1136
『大難来れども憶持不忘の人は希なるなり、受くるはやすく持つはかたしさる間成仏は持つにあり』
【通解】
大難が来ても、この法華経を常に思い持って忘れない人はまれである。法華経を受けることはやさしく、持ち続けることは難しい。そして、成仏は持ち続けることにある。
名字の言 「北九州市平和のまちミュージアム」の企画展を見て 2022年5月13日
長崎の原爆投下は当初、福岡の小倉陸軍造兵廠が目標だった。その跡地に今春、命の尊さや戦争の実態を伝える「北九州市平和のまちミュージアム」が開設された▼同館で「模擬原爆」を解説する企画展を見た。核物質の代わりに火薬の入った模擬原爆は丸みを帯びた形からパンプキン(かぼちゃ)と呼ばれた。終戦直前、日本各地に49発も投下され、甚大な被害をもたらした。いわば民間人を大量殺戮する実験であり、予行演習である▼事実に衝撃を受けた来館者が語気を強めた。「戦争がどれほど人間を狂わせ、残酷にするか。絶対に起こしてはならないし、起こさせてもならない!」▼第2代会長・戸田城聖先生は北九州の地で「原爆などを使う人間は最大の悪人だ」と語った。そして65年前の1957年9月8日、「原水爆禁止宣言」を神奈川で発表した。核兵器は存在自体が絶対悪だ。それを正当化する思想の奥にひそむ生命軽視の魔性の爪をもぎとり、人類の生存の権利を断じて守る。この烈々たる宣言に触れると、平和構築への闘志が湧く▼御聖訓に「ちかいし願いやぶるべからず」(新114・全232)と。戦争と核の時代に終止符を打つまで祈り、動き、対話に挑む。それが我らの誓いである。
寸鉄 2022年5月13日
小事つもりて大事となる—御書。一日一日挑戦を。その積み重ねが勝利開く(新2046・全1595)
同志の一歩前進を皆で称えよう!互いに喜び進めばわが地区の勢いは倍加
社会の為に活躍する若人を育てるのが学会の目的—恩師。共に戦い、成長!
自転車事故増加と。感染禍で通勤利用や新サービスも多く。絶対無事故で
3回目接種を終えた人は重症化率と致死率が低下—厚労省。賢明に検討を
☆共生の地球社会へ〜仏法の英知に学ぶ テーマ:識字率の向上
登場人物
【娘・ミライさん】好奇心旺盛な女性部員。世の中の出来事について、父・ホープ博士と語り合うことを楽しみにしている。
【父・ホープ博士】勉強熱心な壮年部員。毎月1回、家族と一緒に教学を研さんしている。「博士」はニックネーム。本業は会社員。
◇教育で"内なる尊厳"を開花
ミライ コロナ禍によって進んだオンライン授業。捉え方はさまざまあるけれど、子どもたちにとって、より良い教育環境を整えていかないとね。
ホープ 世界には、貧困や紛争のせいで、また、学校が近くにない等の理由で、学校に行けない子ども(6〜14歳)が約1億2100万人いるとされているんだ。
さらに、教育を受ける機会がないまま大人になったために、世界には文字の読み書きができない人が、15歳以上の7人に1人の割合でいるんだよ(約7億7300万人=国連教育科学文化機関〈ユネスコ〉)。
ミライ 文字の読み書きができない生活なんて、想像したことがなかった。
ホープ 自給自足の伝統的社会では大きな問題とはならないけれど、科学技術が発達し、グローバル化が進む今日では、深刻な問題となっているよ。
例えば、薬の説明書きを理解することができないから、農薬を薬と間違えて飲んでしまうといったケースもあるんだ。
内容が理解できないまま、契約書にサインをしてしまい、悪意のある人に騙されてしまう場合もある。
読み書きを身につけることは、命や生活を守ることに直結するんだ。また、将来の夢に向かって学び、貧困を克服する第一歩にもなるんだよ。
池田先生は、「識字は『人間』らしさを支える核の一つ」と言われているよ(『21世紀の人権を語る』)。
◇学べる喜び
ミライ 現在の日本は識字率の高い国になっているけど、日蓮大聖人の御在世当時はどうだったの?
ホープ 当時の正確な記録は残されていないけれど、多くの民衆は文字が読めなかったようだよ。
だけど大聖人は、文字が読める、読めないで、門下を差別なんかされなかった。たとえ、文字が読めなくても、不退の信心を貫いた門下が何人もいたんだ。
大聖人は、そうした門下を思いやり、御自身が認めたお手紙の読み聞かせを、周囲に勧められていたよ。武士や一般の庶民など、幅広い人々が読みやすいように、仮名交じりのお手紙を数多く書かれたんだ。
ミライ 門下に対する、大聖人の深い御慈愛が拝されるね。
ホープ 創価学会もまた、庶民の団体であり、同じだよ。草創以来、戦争や貧しさゆえに、教育を受けられなかったが、御書などの研さんを通して、読み書きを学んだという人も多くいたんだ。
御書は現在、10言語以上で翻訳・出版されているよ。各国の人たちが、慣れ親しんだ言語で仏法の哲理を学ぶことができ、喜びが広がっているんだ。
ミライ 日本では昨年、御書新版が発刊されて、一段と仏法を学ぶ機運が高まっているね。
仏法を"学べる"ということは、決して当たり前ではないんだね。
◇四仏知見
ホープ ブラジルSGI(創価学会インタナショナル)教育本部では、1980年代から識字教育のボランティアを始めたんだ。
当時のブラジルは、15歳以上の非識字率が約18%。長年続いた軍事政権による支配や、経済危機を背景に、教育が虐げられてきた歴史を改革しようと取り組んできたんだよ。
ミライ 読み書きは、社会の基盤を形作る、最重要の分野だよね。
ホープ ブラジルSGIの教育運動には、創価学会初代会長・牧口常三郎先生が掲げられた「子どもの幸福のための教育」との理念が流れている。
牧口先生は、法華経方便品(別掲)に説かれる「四仏知見」に、教育の鍵を見いだされたんだ。
ミライ 詳しく聞かせて!
ホープ 「仏知見」とは、「仏の智慧」のことだよ。仏法では、万人の生命には偉大な智慧が秘められていて、かけがえのない尊厳性を見いだしている。
仏知見を「開」かせ、「示」し、「悟」らせ、仏道の道へ「入」らしめる——このことを「開示悟入の四仏知見」というんだ。
池田先生は、「四仏知見」について語られているよ。
「『開く』とは、その無限の智慧を『開発』すること、『示す』とは『顕示』、教え顕し示すことです。さらに『悟らせ』とは、具体的な活動を通して、その智慧を実感、体得させることです。そして『入らせる』とは、あふれでる智慧を自由自在に使って、自ら幸福の大道へと入らせるようにしていくことなのです。これが、仏法の究極の目的であり、『教育』の目的とも完全に軌を一にしています」(『明日をつくる"教育の聖業"』潮出版社)
ミライ 教育の大切さが改めてよく分かったよ。識字率の向上も含め、教育を通して、人生の選択肢が広がり、誰もが"内なる尊厳"を開花できる社会にしていきたいね。
◇法華経から
諸仏世尊は衆生をして仏知見を開かしめ、清浄なることを得しめんと欲するが故に、世に出現したまう。衆生に仏知見を示さんと欲するが故に、世に出現したまう。衆生をして仏知見を悟らしめんと欲するが故に、世に出現したまう。衆生をして仏知見の道に入らしめんと欲するが故に、世に出現したまう。(妙法蓮華経並開結121ページ)
◇メモ
法華経方便品では、あらゆる衆生に本来、具わっている仏知見(仏の智慧)を開かせ、示し、悟らせ、その境地に入らせることが、諸仏が世に出現する根本目的(一大事因縁)であると明かされています。
"あらゆる人を幸福に""すべての人を救いたい"という、慈悲の実践こそ、尊き仏の振る舞いなのです。
[コラム:"いま"を知る]読み聞かせ
大型連休は目前。幼い子どもとのコミュニケーションとして"読み聞かせ"はどうだろうか。子どもに絵本を読み聞かせることは、子どもの感情表現や想像力、国語力を豊かにするといわれている。
英国の大歴史学者トインビー博士は、小学生の時の授業より、母による歴史の読み聞かせがおもしろかったので、歴史への関心を持つようになった。
池田先生は、「良書に親しむことから得られる心の滋養は計り知れません。とくに幼年期から、本になじむ習慣を身につけることの意義は大きい」と語っている。
「子にすぎたる財なし」(新1753・全1322)——家庭にとっても、地域・社会にとっても、子どもは未来を開きゆく宝であり、今を生きる存在だ。
コロナ禍で生活の制約が続いても、子どもの可能性を狭めてはならない。
大人も一緒になって良書との触れ合いを心から楽しみ、有意義な時間を刻んでいきたい。
2022年5月12日木曜日
2022.05.12 わが友に贈る
「納得」から
共感の波動が広がる。
身近な一人を大切に
じっくり語り合おう!
誠実に。心を尽くして。
種種御振舞御書 P916
『依智にして二十余日其の間鎌倉に或は火をつくる事七八度或は人をころす事ひまなし、讒言の者共の云く日蓮が弟子共の火をつくるなりと』
【通解】
依智に滞在すること二十余日、その間、鎌倉で、あるいは放火が七・八度あり、あるいは殺人が絶えなかった。讒言の者どもが「日蓮の弟子どもが火をつけたのである」と。
名字の言 意味が全く異なる「なぜ? どうして?」 2022年5月12日
経験のない出来事に遭遇した際、好奇心旺盛な子どもは驚きながらも目を輝かせ、きっとこう言うだろう。「なぜ? どうして?」。一方、経験豊かな大人でも不条理で想定外の窮地に陥ると、落胆してこんな言葉を発してしまう。「なぜ? どうして?」▼文字にすれば同じでも、意味合いは全く異なる。また、こう口にした後、前進するか、あるいは後退してしまうかによって、未来は大きく変わってこよう▼ある男子高等部員は教員になる夢を抱き、猛勉強の末、大学進学を勝ち取った。だが、在学中に父が急逝。一家に多額の負債がのしかかった▼"大学を辞め、長男の自分が働いて返済しよう"と夢を諦めかけた。そんな彼を、同志は温かく励まし続けた。「全てに意味がある。将来、さまざまな事情に悩む児童を全力で支える教師になるための試練だと腹を決めよう」。彼は奨学金とアルバイトで学費を工面し、晴れて大学を卒業。念願の小学校教諭となり、後年、負債も完済した▼拙速に結論を出す近視眼的、皮相的な判断からは、仏法の冥益は実感できない。"なぜ自分が? どうしてこんなことに?"という、理不尽とも思える苦難を、納得のいく勝利劇で決着させる。その力が信心には厳然とある。
寸鉄 2022年5月12日
「ちかいし願いやぶるべからず」御書。共に広布誓願の山を勇敢に登攀!(新114・全232)
苦難、苦労の中で偉大なものは生まれる—恩師。青年よ嵐にも胸張り挑め
生命守る白樺の尊き献身に感謝。皆様の健康・福徳を祈念。国際看護師の日
警官装い、高齢者を狙う現金詐取事件が相次ぐ。「偽札か調べる」はウソ
ヤングケアラーの7割が誰にも"相談せず"—調査 寄り添う支援の強化皆で
〈社説〉 2022・5・12 国際家族デーに思う親のあり方
◇人生の土台は無条件の愛情
今月15日は国連の「国際家族デー」。家族に関する問題への認識と理解を深め、解決に向けた行動を促すために定められた。最も身近な家族を見つめることは、人が人となる土台を見つめることだ。
現代にあって、親(もしくは親代わりとなる存在)と子どもの関係を考えさせられる言葉が、「機能不全家族」や「毒親」だ。子どもの心身を傷つけ、悪影響を与えてしまう家庭環境や親を指す。
児童精神科医の故・佐々木正美氏は、親の愛情が子どもに伝わっていない状況を示し、警鐘を鳴らした。親としての理想や子どもへの願望はあるだろう。しかし、佐々木氏は「子どもが望む『いい親』になるのではなく、親が望む『いい子』にさせてしまう生き方」は不幸を招き、それは子への愛情ではなく、親の自己愛を大きくしてしまっている状態と指摘した(『はじまりは愛着から』福音館書店)。
安定した愛着が育めないことは子の空虚感や自己否定につながり、心身に影響を与えるとも指摘される。精神科医の岡田尊司氏はそれを「愛着障害」と呼び、そこには「ありのままの自分を受け入れることができない」という課題があると語る(『愛着障害の克服』光文社新書)。一番大切にされたい存在に大切にされることが、子どもには欠かせないのだ。
仏法の哲理とは——小説『新・人間革命』で戸田先生は語っている。「簡単にいえば、『皆宝塔』『皆仏子』なるがゆえに、人間の生命は尊極無上であり、誰もが皆、幸福になる権利をもつというものだ」。仏子であるための条件などない。どういう状況であろうと、そのまま生きているだけで最高に価値ある存在であるとたたえるのが、私たちの運動である。
親子で歩む道に、平たんなものはない。次から次に課題があり、時にすれ違い、ぶつかり合うもの。そんな時、心と行動が、子への"否定"になるか"肯定"になるか、そこが大事であろう。
子は、親に"無条件に"愛されている実感を基盤にして、自分を信じ、人を信じられるようになる。何があろうとも"いい方向に変えていける""また絆が強まる"という親の確信は、積極的な受容となって子を包み込み、未来を開く力となる。親も仏であり、子も仏——信じ合い、価値を創造し合う"成長家族"でありたい。
☆英知の光源 希望の哲理に学ぶ テーマ:中道とは
◇池田先生の指導から
「中道」とは、単に極端な考えや行動を排することではなく、"道に中る"と読むように、自分の判断や行動が「人間としての道」に反していないかどうか、常に問い直しながら、自分の生きる証しを社会に刻み続ける生き方に本義があるといえます。
その意味では、釈尊が最晩年の説法で"ダルマ(法)を洲とせよ"と強調した際、"一人一人が自分自身を拠り所とせよ"と同時に促していた点は、「中道」の本義を示唆したものとも解されましょう。(中略)
一人一人が、自分の行動によって影響を受ける人々の存在を思い浮かべ、その重みを絶えず反芻しながら、「本当の自己」を顕現する手掛かりとし、人間性を磨いていく。
その営みが積み重ねられる中で、政治や経済のあるべき姿への問い直しも深まり、再人間化に向けた社会の土壌が耕されていく——。
「中道」の真価は、この変革のダイナミズムにこそあると、私は強調したいのです。(第40回「SGIの日」記念提言)
◇Q1:右でもなく、左でもない——仏法の中道思想は「折衷案」ですか。
「中道」とは、単に物事が両極端に偏らない「真ん中の道」という意味でも、また両端の間のほど良いところを取るという「折衷」でもありません。
仏教の創始者である釈尊は、人間の根源的な苦悩の解決を目指して、欲望を充足させることが中心の世俗生活から離れ、修行中に苦行に励みましたが、十分な意義を見いだしませんでした。そこで、快楽主義と苦行主義という二つの極端な思想・実践的な立場を超えた、正しい思想・実践のあり方を立て、それを「中道」と称しました。
この中道思想は、大乗仏教において発展します。
日蓮大聖人は「一生成仏抄」で、「有」「無」でもなく、しかも「有」「無」でもあるという、不可思議なあり方をとる一念の心を「中道一実の妙体」(新318・全384)と示されています。
私たちの心は、「有る」と言っても色や形を見ることはできません。しかし、色や形がないからといって、「無い」と言おうとしても、さまざまな心は現れます。
「有」「無」という二つの概念ではとらえられず、しかし、必ず「有」「無」いずれかの姿をとる——。
このようなあり方をとる究極の真理を指して、大聖人は「中道」と言われているのです。
いわば、現象の一つの側面だけにとらわれるのではなく、現象の全体を包みながら、より普遍的な視座に立つことを促すのが、仏法の「中道」の思想です。
◇Q2:生命の全体像を正しく捉えた哲学ということですか。
そうです。「中道」に関して天台大師は「空仮中の三諦」を立てました。「諦」とは「詳らか」「明らか」という意味で、「三諦」とは、あらゆる現象の真のあり方を、三つの次元で捉えたものです。
小説『新・人間革命』第11巻「常勝」の章では、これを生命論の観点から、次のように展開しています。
「『空諦』とは、目に見えない性分であり、主に心、または精神作用にあたる。心や精神は『空』であって、有でもなければ無でもない。冥伏していて、縁に触れて現れる不可思議な実在である」
「『仮諦』とは、主に物や肉体、姿、形、その活動の面をいう。それは種々の条件の組み合わせにより、仮に成立し存在している」
「『中諦』すなわち『中道』とは、生命の本質、本体、または生命の全体をいう。人の生命は、心という『空』の面と、肉体という『仮』の面を兼ねそなえながら、どちらにも偏らずに存在しており、それらを貫く、生命の本源、本質が『中』なのである」
「爾前経では、この『空仮中の三諦』を別々に説いていたが、法華経に至って、『円融三諦』、すなわち三諦のそれぞれが他の二諦を具え、融合し、一体となっていることが明かされる。つまり、完全無欠なる生命の真実の姿が説かれたのである」
この生命観を自在に展開されたのが、日蓮大聖人です。生命の全体像を偏りなく、正しく捉えた日蓮仏法こそ、あらゆる思想・哲学を包みながら高次へと止揚する、最高峰の中道思想といえます。
◇Q3:私たちにとって、どのように実践していくべきですか。
「中道」の思想を、私たちの日々の営みにみれば、(1)極端に走らない、(2)固定的な考えにとらわれない、(3)調和と前進を目指す生き方、ともいえましょう。
私たちは、時に、自分の置かれた状況や相手の考えを固定したものと捉えて、「だから変えられない」と思い込むことがあったりする面があります。
しかし、自分や相手の性分も「それは一つの側面にすぎない」と捉えた上で、「誰しも必ず変わっていける」と信じて、自他共の生命に内在する"無限の可能性"を開くための行動に徹するところに、中道主義の生き方があります。
そこに、大局的見地から全体を大きく包み込む、仏法の寛容の精神も輝きを放ちます。
また、地域・社会をより良くしていくことを願う仏法者として、イデオロギーに左右されず、民衆の幸福を第一義とする中道主義を根底にした政治を実現していくことも、欠くことのできない社会的使命であるといえます。
池田先生は、小説『新・人間革命』第12巻「天舞」の章で、「今や、資本主義も、社会主義も行き詰まり、日本も、アジアも、さらに世界も、大きな歴史の流れは、一日一日、一年一年、この中道主義に向かっている」とつづっています。
現代で言えば、さまざまな状況を的確に把握した上で、安穏と調和の世界を目指して、現実を中道主義へと向けていく智慧の創出と不断の努力が求められています。
生命の全体像に立脚した中道主義の哲理を掲げ、対話によって自他の生命を変革するという具体的な実践を通して、日夜、真の世界平和を実現するために戦っているのが、創価学会なのです。
共感の波動が広がる。
身近な一人を大切に
じっくり語り合おう!
誠実に。心を尽くして。
種種御振舞御書 P916
『依智にして二十余日其の間鎌倉に或は火をつくる事七八度或は人をころす事ひまなし、讒言の者共の云く日蓮が弟子共の火をつくるなりと』
【通解】
依智に滞在すること二十余日、その間、鎌倉で、あるいは放火が七・八度あり、あるいは殺人が絶えなかった。讒言の者どもが「日蓮の弟子どもが火をつけたのである」と。
名字の言 意味が全く異なる「なぜ? どうして?」 2022年5月12日
経験のない出来事に遭遇した際、好奇心旺盛な子どもは驚きながらも目を輝かせ、きっとこう言うだろう。「なぜ? どうして?」。一方、経験豊かな大人でも不条理で想定外の窮地に陥ると、落胆してこんな言葉を発してしまう。「なぜ? どうして?」▼文字にすれば同じでも、意味合いは全く異なる。また、こう口にした後、前進するか、あるいは後退してしまうかによって、未来は大きく変わってこよう▼ある男子高等部員は教員になる夢を抱き、猛勉強の末、大学進学を勝ち取った。だが、在学中に父が急逝。一家に多額の負債がのしかかった▼"大学を辞め、長男の自分が働いて返済しよう"と夢を諦めかけた。そんな彼を、同志は温かく励まし続けた。「全てに意味がある。将来、さまざまな事情に悩む児童を全力で支える教師になるための試練だと腹を決めよう」。彼は奨学金とアルバイトで学費を工面し、晴れて大学を卒業。念願の小学校教諭となり、後年、負債も完済した▼拙速に結論を出す近視眼的、皮相的な判断からは、仏法の冥益は実感できない。"なぜ自分が? どうしてこんなことに?"という、理不尽とも思える苦難を、納得のいく勝利劇で決着させる。その力が信心には厳然とある。
寸鉄 2022年5月12日
「ちかいし願いやぶるべからず」御書。共に広布誓願の山を勇敢に登攀!(新114・全232)
苦難、苦労の中で偉大なものは生まれる—恩師。青年よ嵐にも胸張り挑め
生命守る白樺の尊き献身に感謝。皆様の健康・福徳を祈念。国際看護師の日
警官装い、高齢者を狙う現金詐取事件が相次ぐ。「偽札か調べる」はウソ
ヤングケアラーの7割が誰にも"相談せず"—調査 寄り添う支援の強化皆で
〈社説〉 2022・5・12 国際家族デーに思う親のあり方
◇人生の土台は無条件の愛情
今月15日は国連の「国際家族デー」。家族に関する問題への認識と理解を深め、解決に向けた行動を促すために定められた。最も身近な家族を見つめることは、人が人となる土台を見つめることだ。
現代にあって、親(もしくは親代わりとなる存在)と子どもの関係を考えさせられる言葉が、「機能不全家族」や「毒親」だ。子どもの心身を傷つけ、悪影響を与えてしまう家庭環境や親を指す。
児童精神科医の故・佐々木正美氏は、親の愛情が子どもに伝わっていない状況を示し、警鐘を鳴らした。親としての理想や子どもへの願望はあるだろう。しかし、佐々木氏は「子どもが望む『いい親』になるのではなく、親が望む『いい子』にさせてしまう生き方」は不幸を招き、それは子への愛情ではなく、親の自己愛を大きくしてしまっている状態と指摘した(『はじまりは愛着から』福音館書店)。
安定した愛着が育めないことは子の空虚感や自己否定につながり、心身に影響を与えるとも指摘される。精神科医の岡田尊司氏はそれを「愛着障害」と呼び、そこには「ありのままの自分を受け入れることができない」という課題があると語る(『愛着障害の克服』光文社新書)。一番大切にされたい存在に大切にされることが、子どもには欠かせないのだ。
仏法の哲理とは——小説『新・人間革命』で戸田先生は語っている。「簡単にいえば、『皆宝塔』『皆仏子』なるがゆえに、人間の生命は尊極無上であり、誰もが皆、幸福になる権利をもつというものだ」。仏子であるための条件などない。どういう状況であろうと、そのまま生きているだけで最高に価値ある存在であるとたたえるのが、私たちの運動である。
親子で歩む道に、平たんなものはない。次から次に課題があり、時にすれ違い、ぶつかり合うもの。そんな時、心と行動が、子への"否定"になるか"肯定"になるか、そこが大事であろう。
子は、親に"無条件に"愛されている実感を基盤にして、自分を信じ、人を信じられるようになる。何があろうとも"いい方向に変えていける""また絆が強まる"という親の確信は、積極的な受容となって子を包み込み、未来を開く力となる。親も仏であり、子も仏——信じ合い、価値を創造し合う"成長家族"でありたい。
☆英知の光源 希望の哲理に学ぶ テーマ:中道とは
◇池田先生の指導から
「中道」とは、単に極端な考えや行動を排することではなく、"道に中る"と読むように、自分の判断や行動が「人間としての道」に反していないかどうか、常に問い直しながら、自分の生きる証しを社会に刻み続ける生き方に本義があるといえます。
その意味では、釈尊が最晩年の説法で"ダルマ(法)を洲とせよ"と強調した際、"一人一人が自分自身を拠り所とせよ"と同時に促していた点は、「中道」の本義を示唆したものとも解されましょう。(中略)
一人一人が、自分の行動によって影響を受ける人々の存在を思い浮かべ、その重みを絶えず反芻しながら、「本当の自己」を顕現する手掛かりとし、人間性を磨いていく。
その営みが積み重ねられる中で、政治や経済のあるべき姿への問い直しも深まり、再人間化に向けた社会の土壌が耕されていく——。
「中道」の真価は、この変革のダイナミズムにこそあると、私は強調したいのです。(第40回「SGIの日」記念提言)
◇Q1:右でもなく、左でもない——仏法の中道思想は「折衷案」ですか。
「中道」とは、単に物事が両極端に偏らない「真ん中の道」という意味でも、また両端の間のほど良いところを取るという「折衷」でもありません。
仏教の創始者である釈尊は、人間の根源的な苦悩の解決を目指して、欲望を充足させることが中心の世俗生活から離れ、修行中に苦行に励みましたが、十分な意義を見いだしませんでした。そこで、快楽主義と苦行主義という二つの極端な思想・実践的な立場を超えた、正しい思想・実践のあり方を立て、それを「中道」と称しました。
この中道思想は、大乗仏教において発展します。
日蓮大聖人は「一生成仏抄」で、「有」「無」でもなく、しかも「有」「無」でもあるという、不可思議なあり方をとる一念の心を「中道一実の妙体」(新318・全384)と示されています。
私たちの心は、「有る」と言っても色や形を見ることはできません。しかし、色や形がないからといって、「無い」と言おうとしても、さまざまな心は現れます。
「有」「無」という二つの概念ではとらえられず、しかし、必ず「有」「無」いずれかの姿をとる——。
このようなあり方をとる究極の真理を指して、大聖人は「中道」と言われているのです。
いわば、現象の一つの側面だけにとらわれるのではなく、現象の全体を包みながら、より普遍的な視座に立つことを促すのが、仏法の「中道」の思想です。
◇Q2:生命の全体像を正しく捉えた哲学ということですか。
そうです。「中道」に関して天台大師は「空仮中の三諦」を立てました。「諦」とは「詳らか」「明らか」という意味で、「三諦」とは、あらゆる現象の真のあり方を、三つの次元で捉えたものです。
小説『新・人間革命』第11巻「常勝」の章では、これを生命論の観点から、次のように展開しています。
「『空諦』とは、目に見えない性分であり、主に心、または精神作用にあたる。心や精神は『空』であって、有でもなければ無でもない。冥伏していて、縁に触れて現れる不可思議な実在である」
「『仮諦』とは、主に物や肉体、姿、形、その活動の面をいう。それは種々の条件の組み合わせにより、仮に成立し存在している」
「『中諦』すなわち『中道』とは、生命の本質、本体、または生命の全体をいう。人の生命は、心という『空』の面と、肉体という『仮』の面を兼ねそなえながら、どちらにも偏らずに存在しており、それらを貫く、生命の本源、本質が『中』なのである」
「爾前経では、この『空仮中の三諦』を別々に説いていたが、法華経に至って、『円融三諦』、すなわち三諦のそれぞれが他の二諦を具え、融合し、一体となっていることが明かされる。つまり、完全無欠なる生命の真実の姿が説かれたのである」
この生命観を自在に展開されたのが、日蓮大聖人です。生命の全体像を偏りなく、正しく捉えた日蓮仏法こそ、あらゆる思想・哲学を包みながら高次へと止揚する、最高峰の中道思想といえます。
◇Q3:私たちにとって、どのように実践していくべきですか。
「中道」の思想を、私たちの日々の営みにみれば、(1)極端に走らない、(2)固定的な考えにとらわれない、(3)調和と前進を目指す生き方、ともいえましょう。
私たちは、時に、自分の置かれた状況や相手の考えを固定したものと捉えて、「だから変えられない」と思い込むことがあったりする面があります。
しかし、自分や相手の性分も「それは一つの側面にすぎない」と捉えた上で、「誰しも必ず変わっていける」と信じて、自他共の生命に内在する"無限の可能性"を開くための行動に徹するところに、中道主義の生き方があります。
そこに、大局的見地から全体を大きく包み込む、仏法の寛容の精神も輝きを放ちます。
また、地域・社会をより良くしていくことを願う仏法者として、イデオロギーに左右されず、民衆の幸福を第一義とする中道主義を根底にした政治を実現していくことも、欠くことのできない社会的使命であるといえます。
池田先生は、小説『新・人間革命』第12巻「天舞」の章で、「今や、資本主義も、社会主義も行き詰まり、日本も、アジアも、さらに世界も、大きな歴史の流れは、一日一日、一年一年、この中道主義に向かっている」とつづっています。
現代で言えば、さまざまな状況を的確に把握した上で、安穏と調和の世界を目指して、現実を中道主義へと向けていく智慧の創出と不断の努力が求められています。
生命の全体像に立脚した中道主義の哲理を掲げ、対話によって自他の生命を変革するという具体的な実践を通して、日夜、真の世界平和を実現するために戦っているのが、創価学会なのです。
2022年5月11日水曜日
2022.05.11 わが友に贈る
一つ一つの報告・連絡に
電光石火で手を打とう!
リーダーの真剣な一念は
皆が壁を破る力となる。
誠実第一の名指揮を!
千日尼御前御返事 P1316
『譬えば一の師子に百子あり彼の百子諸の禽獣に犯さるるに一の師子王吼れば百子力を得て諸の禽獣皆頭七分にわる、法華経は師子王の如し一切の獣の頂きとす』
【通解】
譬えば、一匹の師子に百匹の子がいる。その百匹の子が諸の禽獣に犯されようとするとき、一匹の師子王が吼えれば百匹の子は力を得て、諸の禽獣は皆頭が七分にわれるのである。法華経は師子王のようなものであり、一切の獣の頂なのである。
名字の言 沖縄研修道場の"貴重な歴史的遺産" 2022年5月11日
NHK連続テレビ小説「ちむどんどん」が話題だ。同じく沖縄を舞台にした「ちゅらさん」を思い出す方もいるだろう▼その番組で"おばぁ"役を好演した沖縄芝居の俳優・平良とみさん。生前、出演に当たって強く確認したことは、「このドラマは沖縄のためになりますか」。戦前戦後の激動期を生き抜いた彼女の思いがこもった番組は、全国に沖縄ブームを巻き起こす大ヒットとなった▼太平洋戦争で凄惨な地上戦の舞台となった沖縄。東西冷戦の時には、核ミサイル「メースB」の発射基地が設置された。1983年、沖縄研修道場を初めて訪れた池田先生は、敷地内の発射台跡を視察。"人類が戦争という最大の愚行を犯した証し"として、解体せずに残すことを提案した。翌年、発射台跡は「世界平和の碑」に生まれ変わった▼メースB基地は、沖縄本島の4カ所に配備された。当時の基地跡が現存するのは同道場だけである。本土復帰50年を迎える今、その存在は大きな注目を浴び、"貴重な歴史的遺産"としてマスコミの取材・報道が相次ぐ▼ある識者は「軍事施設の跡地利用のモデル中のモデル」と称賛した。池田先生の「沖縄のために、平和のために」との行動は、いや増して輝きを放っている。
寸鉄 2022年5月11日
善人の団結ほど強いものはない—牧口先生。師と同志と心一つ。歴史綴れ
「滋賀女性部の日」45周年 湖国照らす希望の太陽。朗らかに友情の連帯拡大
勇気あれば勝利ゆるぎなし—文豪トルストイ。一歩ずつ前へ。不屈の挑戦王に栄冠輝く
地震頻発。もしもの備え再確認を。家具の転倒防止、非常食や水の備蓄等
感染再拡大の兆しの地域も。希望者の接種、3密回避、マスク着用など徹底
☆希望の指針——池田先生の指導に学ぶ 広布拡大の要諦
◇常勝の軌道を進め!
連載「希望の指針——池田先生の指導に学ぶ」では、テーマごとに珠玉の指導・激励を掲載します。今回は全国各地で語った広布拡大の要諦について紹介します。
◇あらゆる組織の鉄則
〈1989年(平成元年)9月、第1回埼玉県総会・県青年部総会で〉
実際に見てみなければわからない。これが「現場」である。予想もできない"未知の力"が働いている場合も多い。ゆえに、第一線の人、その地域の人、長い活動体験を積んできた人。そうした方々の意見に徹底して耳をかたむけ、最大に尊重していかねばならない。
その、足を運び、耳をすまし、考えぬく努力が不十分で、いかに会議や打ち合わせを重ね、さまざまな企画を立てても、効果は生まれない。
それどころか、的はずれの"机上の空論"となり"観念の遊戯"となっては、むしろマイナスである。人々を苦しめてしまう。その罪は大きい。
「現場を大切にしたところが勝つ」——これはいかなる組織、いかなる企業、団体でも不変の鉄則である。
(『池田大作全集』第73巻、192ページ)
◇信心に徹して幸福に
〈2004年(平成16年)12月、第2総東京の代表協議会で〉
すべてにおいて、徹してこそ、人間はできる。
何より、信心は徹しなくてはいけない。あらゆる勝負は、徹した人が勝つ。徹するなかに、努力がある。忍耐がある。責任感がある。信心に徹した人は必ず幸福になる。真の勝利者になる。永遠に金剛不壊の大境涯と輝く。どこまでも学会活動に徹し、師弟不二に徹することである。
「徹する」とは、決して口先のことではない。
私は、十九歳の時から、戸田先生に徹してきた。創価学会に徹してきた。
人を頼み、「なんとかなる」と手を抜けば、何事も勝利はない。そんな甘いものではない。
努力することだ。行動することだ。そして人との連結を強め、味方を増やすことである。これを実行したところが勝つ。
(『池田大作全集』第97巻、175ページ)
◇現実に即した発想を
〈1990年(平成2年)10月、第12回関西総会で〉
どうすれば皆が心から安心し、納得し、蓄えた力を存分に発揮できるのか。その時、その状況に応じて、最善の選択を重ねていく以外にない。指導者にその億劫の辛労の一念があってこそ、「常勝」の「常勝」たる軌道が、未来へと盤石に伸び、続いていくのである。
過去の形式やパターンにとらわれてはならない。それは保守であり、また安易である。また、体面を気にしたり、意地を張って背伸びをする必要も、まったくない。
現実は刻々と変化している。その変化に応じて、こちらも進歩しなければ、時代に勝利することはできない。
仏法は「現当二世」と説く。未来を見すえ、現実に即した、新しい思考、柔軟な発想こそが必要なのである。
(『池田大作全集』第75巻、256ページ)
◇「能動」にこそ功徳が
〈1983年(昭和58年)3月、第1回福岡県総会で〉
広布における「先駆」ほど誉れ高いものはない。信心にも「能動」と「受動」の二つの姿勢がある。「能動」であってこそ、ほんとうの信心である。受動の信心には、功徳は少ない。信心は、あくまでも能動でなければならない。
「先駆の人」とは能動の人であり、みずから率先の人である。そこに栄光も勝利もある。すべてにおいて先駆をめざし、考え行動していく、根性、努力の人こそ、偉大であるし、平凡をつきぬけた英雄である。
そこにほんとうの充実感と喜びがあることを知っていただきたい。
(『広布と人生を語る』第4巻、247ページ)
◇知恵と知恵との戦い
〈1988年(昭和63年)3月、兵庫広布35周年の記念幹部会で〉
戦いというものは、つねに知恵と知恵との勝負である。相手の動きをどう読むか。そのうえで、どう手を打つか。この"知恵くらべ"を制したものが、栄冠を手にする。これは、時代や社会を超えた、勝負の鉄則である。
広布の舞台にあっても、指導者は賢明でなければならない。広布の活動はますます多岐に、幅広く展開されている。リーダーはそれに応じた知恵と力をもたねばならない。いずこの分野でも、妙法の正しさを証明し、人々に心からの納得と満足をあたえられなければ、もはやリーダーとはいえない。
(『池田大作全集』第70巻、344ページ)
◇深き祈りが我らの力
〈1996年(平成8年)4月、第2回神奈川県総会で〉
「此れ程の不思議は候はず此れ偏に陰徳あれば陽報ありとは此れなり」(全1180・新1614)——これほどの不思議はありません。まさに「陰徳あれば陽報あり」とは、このことです——。
「偏に貴辺の法華経の御信心のふかき故なり」(全1180・新1615)——ひとえに、あなたの法華経(御本尊)へのご信心が深いからです——。
「深き信心」が大事である。「深き祈り」こそ勝利の力である。目に見えない祈り、陰の真剣な行動。その「陰徳」に徹した時に、必ず「陽報」が現れる。これが信心であり、妙法である。
(『池田大作全集』第86巻、419ページ)
◇爽やかな朝の出発で
〈1988年(昭和63年)3月、名古屋広布35周年を記念した中部幹部会で〉
三世永遠の法理にのっとった正しき人生行路を進み、もっとも意義ある一生を過ごすためには、まず朝夕の勤行が根本である。なかんずく「朝朝・仏と共に起き」(全737・新1027)と仰せのごとく、すがすがしい朝の勤行を行うことが大切であろう。朝ねぼうの仏様など存在しない。
朝の敗北は、一日の敗北につながる。一日の敗北は、やがて一生の敗北ともなろう。反対に、さわやかな朝の出発は、一日の充実と、堅実な前進の日々をもたらす。それは必ずや満足と勝利の人生として結実していく。ゆえに、朝に勝ち、一日一日、さわやかなスタートを飾りゆくことだ。
(『池田大作全集』第70巻、366ページ)
電光石火で手を打とう!
リーダーの真剣な一念は
皆が壁を破る力となる。
誠実第一の名指揮を!
千日尼御前御返事 P1316
『譬えば一の師子に百子あり彼の百子諸の禽獣に犯さるるに一の師子王吼れば百子力を得て諸の禽獣皆頭七分にわる、法華経は師子王の如し一切の獣の頂きとす』
【通解】
譬えば、一匹の師子に百匹の子がいる。その百匹の子が諸の禽獣に犯されようとするとき、一匹の師子王が吼えれば百匹の子は力を得て、諸の禽獣は皆頭が七分にわれるのである。法華経は師子王のようなものであり、一切の獣の頂なのである。
名字の言 沖縄研修道場の"貴重な歴史的遺産" 2022年5月11日
NHK連続テレビ小説「ちむどんどん」が話題だ。同じく沖縄を舞台にした「ちゅらさん」を思い出す方もいるだろう▼その番組で"おばぁ"役を好演した沖縄芝居の俳優・平良とみさん。生前、出演に当たって強く確認したことは、「このドラマは沖縄のためになりますか」。戦前戦後の激動期を生き抜いた彼女の思いがこもった番組は、全国に沖縄ブームを巻き起こす大ヒットとなった▼太平洋戦争で凄惨な地上戦の舞台となった沖縄。東西冷戦の時には、核ミサイル「メースB」の発射基地が設置された。1983年、沖縄研修道場を初めて訪れた池田先生は、敷地内の発射台跡を視察。"人類が戦争という最大の愚行を犯した証し"として、解体せずに残すことを提案した。翌年、発射台跡は「世界平和の碑」に生まれ変わった▼メースB基地は、沖縄本島の4カ所に配備された。当時の基地跡が現存するのは同道場だけである。本土復帰50年を迎える今、その存在は大きな注目を浴び、"貴重な歴史的遺産"としてマスコミの取材・報道が相次ぐ▼ある識者は「軍事施設の跡地利用のモデル中のモデル」と称賛した。池田先生の「沖縄のために、平和のために」との行動は、いや増して輝きを放っている。
寸鉄 2022年5月11日
善人の団結ほど強いものはない—牧口先生。師と同志と心一つ。歴史綴れ
「滋賀女性部の日」45周年 湖国照らす希望の太陽。朗らかに友情の連帯拡大
勇気あれば勝利ゆるぎなし—文豪トルストイ。一歩ずつ前へ。不屈の挑戦王に栄冠輝く
地震頻発。もしもの備え再確認を。家具の転倒防止、非常食や水の備蓄等
感染再拡大の兆しの地域も。希望者の接種、3密回避、マスク着用など徹底
☆希望の指針——池田先生の指導に学ぶ 広布拡大の要諦
◇常勝の軌道を進め!
連載「希望の指針——池田先生の指導に学ぶ」では、テーマごとに珠玉の指導・激励を掲載します。今回は全国各地で語った広布拡大の要諦について紹介します。
◇あらゆる組織の鉄則
〈1989年(平成元年)9月、第1回埼玉県総会・県青年部総会で〉
実際に見てみなければわからない。これが「現場」である。予想もできない"未知の力"が働いている場合も多い。ゆえに、第一線の人、その地域の人、長い活動体験を積んできた人。そうした方々の意見に徹底して耳をかたむけ、最大に尊重していかねばならない。
その、足を運び、耳をすまし、考えぬく努力が不十分で、いかに会議や打ち合わせを重ね、さまざまな企画を立てても、効果は生まれない。
それどころか、的はずれの"机上の空論"となり"観念の遊戯"となっては、むしろマイナスである。人々を苦しめてしまう。その罪は大きい。
「現場を大切にしたところが勝つ」——これはいかなる組織、いかなる企業、団体でも不変の鉄則である。
(『池田大作全集』第73巻、192ページ)
◇信心に徹して幸福に
〈2004年(平成16年)12月、第2総東京の代表協議会で〉
すべてにおいて、徹してこそ、人間はできる。
何より、信心は徹しなくてはいけない。あらゆる勝負は、徹した人が勝つ。徹するなかに、努力がある。忍耐がある。責任感がある。信心に徹した人は必ず幸福になる。真の勝利者になる。永遠に金剛不壊の大境涯と輝く。どこまでも学会活動に徹し、師弟不二に徹することである。
「徹する」とは、決して口先のことではない。
私は、十九歳の時から、戸田先生に徹してきた。創価学会に徹してきた。
人を頼み、「なんとかなる」と手を抜けば、何事も勝利はない。そんな甘いものではない。
努力することだ。行動することだ。そして人との連結を強め、味方を増やすことである。これを実行したところが勝つ。
(『池田大作全集』第97巻、175ページ)
◇現実に即した発想を
〈1990年(平成2年)10月、第12回関西総会で〉
どうすれば皆が心から安心し、納得し、蓄えた力を存分に発揮できるのか。その時、その状況に応じて、最善の選択を重ねていく以外にない。指導者にその億劫の辛労の一念があってこそ、「常勝」の「常勝」たる軌道が、未来へと盤石に伸び、続いていくのである。
過去の形式やパターンにとらわれてはならない。それは保守であり、また安易である。また、体面を気にしたり、意地を張って背伸びをする必要も、まったくない。
現実は刻々と変化している。その変化に応じて、こちらも進歩しなければ、時代に勝利することはできない。
仏法は「現当二世」と説く。未来を見すえ、現実に即した、新しい思考、柔軟な発想こそが必要なのである。
(『池田大作全集』第75巻、256ページ)
◇「能動」にこそ功徳が
〈1983年(昭和58年)3月、第1回福岡県総会で〉
広布における「先駆」ほど誉れ高いものはない。信心にも「能動」と「受動」の二つの姿勢がある。「能動」であってこそ、ほんとうの信心である。受動の信心には、功徳は少ない。信心は、あくまでも能動でなければならない。
「先駆の人」とは能動の人であり、みずから率先の人である。そこに栄光も勝利もある。すべてにおいて先駆をめざし、考え行動していく、根性、努力の人こそ、偉大であるし、平凡をつきぬけた英雄である。
そこにほんとうの充実感と喜びがあることを知っていただきたい。
(『広布と人生を語る』第4巻、247ページ)
◇知恵と知恵との戦い
〈1988年(昭和63年)3月、兵庫広布35周年の記念幹部会で〉
戦いというものは、つねに知恵と知恵との勝負である。相手の動きをどう読むか。そのうえで、どう手を打つか。この"知恵くらべ"を制したものが、栄冠を手にする。これは、時代や社会を超えた、勝負の鉄則である。
広布の舞台にあっても、指導者は賢明でなければならない。広布の活動はますます多岐に、幅広く展開されている。リーダーはそれに応じた知恵と力をもたねばならない。いずこの分野でも、妙法の正しさを証明し、人々に心からの納得と満足をあたえられなければ、もはやリーダーとはいえない。
(『池田大作全集』第70巻、344ページ)
◇深き祈りが我らの力
〈1996年(平成8年)4月、第2回神奈川県総会で〉
「此れ程の不思議は候はず此れ偏に陰徳あれば陽報ありとは此れなり」(全1180・新1614)——これほどの不思議はありません。まさに「陰徳あれば陽報あり」とは、このことです——。
「偏に貴辺の法華経の御信心のふかき故なり」(全1180・新1615)——ひとえに、あなたの法華経(御本尊)へのご信心が深いからです——。
「深き信心」が大事である。「深き祈り」こそ勝利の力である。目に見えない祈り、陰の真剣な行動。その「陰徳」に徹した時に、必ず「陽報」が現れる。これが信心であり、妙法である。
(『池田大作全集』第86巻、419ページ)
◇爽やかな朝の出発で
〈1988年(昭和63年)3月、名古屋広布35周年を記念した中部幹部会で〉
三世永遠の法理にのっとった正しき人生行路を進み、もっとも意義ある一生を過ごすためには、まず朝夕の勤行が根本である。なかんずく「朝朝・仏と共に起き」(全737・新1027)と仰せのごとく、すがすがしい朝の勤行を行うことが大切であろう。朝ねぼうの仏様など存在しない。
朝の敗北は、一日の敗北につながる。一日の敗北は、やがて一生の敗北ともなろう。反対に、さわやかな朝の出発は、一日の充実と、堅実な前進の日々をもたらす。それは必ずや満足と勝利の人生として結実していく。ゆえに、朝に勝ち、一日一日、さわやかなスタートを飾りゆくことだ。
(『池田大作全集』第70巻、366ページ)
2022年5月10日火曜日
2022.05.10 わが友に贈る
いかに社会が激動しても
我らは信念の対話を!
眼前の一人と心を結ぶ
地道で弛まぬ実践こそ
平和を築く確かな力だ!
法華初心成仏抄 P557
『一度妙法蓮華経と唱うれば一切の仏一切の法一切の菩薩一切の声聞一切の梵王帝釈閻魔法王日月衆星天神地神乃至地獄餓鬼畜生修羅人天一切衆生の心中の仏性を唯一音に喚び顕し奉る功徳無量無辺なり』
【通解】
ひとたび妙法蓮華経と唱えれば、一切の仏・一切の法・一切の菩薩・一切の声聞・一切の梵王・帝釈・閻魔法王・日月・衆星・天神・地神ないし地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天界の一切衆生の心中の仏性をただ一声によびあらわしたてまつるのであって、その功徳は無量無辺である。
名字の言 祈りがかなうとは…… 2022年5月10日
新年度が始まって1カ月。清新の志で社会人になったものの、「理想と現実の差」に翻弄され、それでも歯を食いしばって奮闘中の友も多かろう▼思い出す話がある。大手外資系企業の内定を勝ち取った学生部員。"実社会で縦横無尽に活躍し、実証を示す人材に成長する"と決意の唱題を重ね、入社式を迎えた。彼の赴任地は、希望と異なる場所だった。落胆する彼に多宝会の壮年が語った。「祈りがかなうとは『欲しいもの』ではなく、『人生に必要なもの』が手に入るということだ。期待してるぞ」▼その後も、思い通りにいかない苦闘の日々が続く。だが彼は、どんな小さな仕事も必死にやり抜いた。学会では男子部のリーダーとなり、広大な地に点在する部員の激励に奔走。こうした八面六臂の活躍で、願った通りの見事な実証と大きな信頼を築いた▼「煩悩即菩提」「変毒為薬」といった仏法の法理を示す言葉の"順序"に思うことがある。「煩悩」や「毒」が先で「菩提」や「薬」が後である。眼前に悩みや苦難があるからこそ、強盛な信心で、それを成長の糧に転換し、偉大な境涯を開いていけるのだ▼新社会人の友だけでなく、先輩たちも心をリフレッシュして、自己の開拓と前進の日々を!
寸鉄 2022年5月10日
題目で「無明・煩悩の闇をてらすべし」御書。希望と蘇生の哲理を地域へ拡大(新1269・全903)
「頭を使え、智慧を出せ」戸田先生。幹部は勝つ為の名指揮を。将の将たれ
悪を憎めぬ者は善を愛さない者—文豪ロラン。男子部よ破邪顕正の声で時代開け
友と笑い合える高齢者は要介護リスク低く—研究 逞しき楽観主義の賢者に
電動自転車事故が10年で2倍。漕ぎ始めや段差で均衡崩す傾向。安全第一
☆御書と未来へ 第16回 自他共に充実と歓喜の舞を
〈御文〉
『法華経を持ち奉るより外に遊楽はなし。「現世安穏、後生善処」とは、これなり。』〈四条金吾殿御返事(衆生所遊楽御書)、新1554・全1143〉
〈通解〉
法華経を受持する以外に遊楽はない。法華経薬草喩品第5の「現世安穏にして、後に善処に生じ」とは、このことをいうのである。
〈池田先生が贈る指針〉
妙法を信受した人は、誰もが一念三千の当体の生命を輝かせていける。仏の力を自在に発揮し、いかなる宿命も必ず転換できる。三世に揺るがぬ安穏福運の境涯を、自他共に勝ち開ける。
この衆生所遊楽の人生と社会を娑婆世界に築き広げるのが、我らの立正安国の対話である。ここにこそ真の充実と大歓喜の舞があるのだ。
☆5月度座談会拝読御書 開目抄
◇御文
『我ならびに我が弟子、諸難ありとも疑う心なくば、自然に仏界にいたるべし。天の加護なきことを疑わざれ。現世の安穏ならざることをなげかざれ。我が弟子に朝夕教えしかども、疑いをおこして皆すてけん。つたなき者のならいは、約束せし事をまことの時はわするるなるべし。』(御書新版117ページ7行目〜9行目、御書全集234ページ7行目〜9行目)
◇[池田先生の指針から]不退の信心を貫く
「我並びに我が弟子」「自然に仏界にいたるべし」(全234・新117)と言われているように、大聖人の生命に本来的に具わる元初の仏の境涯は、私たち一人一人にも具わっているのです。
しかし、衆生は、自身の生命を覆っている迷いや苦悩にとらわれている限り、奥底の仏の境涯に気づくことができないのです。
そこで大聖人は、御自身のお姿、お振る舞いや御教示を通し、また、門下と対話するように手紙を書き続け、一人一人が御自身と同じ仏の境涯を開いていけるように激励を重ねてくださっています。
それは、門下が師子王の心を取り出して、どこまでも不退の信心を貫いた時に、本来自身が持っていた仏と同じ智慧と勇気と慈悲の大境涯を現していけるということです。(2021年9月号「大白蓮華」〈世界を照らす太陽の仏法〉)
◇ ◇ ◇
自分の仏性を信じ、人々の仏性をも信じて行動し抜いていく。
このような精神革命の時代を築いていくこと自体が、実は、広宣流布にほかなりません。私たちは、その偉大なる人類の宿命転換に率先して戦っているのです。
学会員は、自他共の幸福を目指して、広宣流布への「信心」を貫きます。大聖人が仰せのままの「信心の二字」「信の一字」です。(中略)
学会員の「信」には、大いなる真理に生きる智慧、不幸を根絶しようと戦う勇気、そして、"万人が皆、仏なり"との確信に満ちた慈悲が備わっています。永遠の幸福境涯を開いていく「信」が確立されているのです。(『信仰の基本「信行学」』)
◇仏性を呼び覚ます 人間革命の劇を
[キーワード�]苦難は"生命鍛錬"の好機
人生は、順風満帆な日ばかりではありません。宿命の嵐に遭った時には、"なぜ?""自分にはどうすることもできない"と、疑いや諦めの心が生じることもあるかもしれません。
我ならびに我が弟子……。厳しい現実を前に、心が折れそうになった時。困難の壁を前に、信心の前進を止めてしまいそうになった時。多くの学会員が、自身の心を奮い立たせるように拝してきたのが、この御文です。
日蓮大聖人は、命に及ぶ大難を勝ち越え、末法の全民衆を救う妙法を弘められました。本抄には、諸天の加護を求めたり、難を避けたりするような生き方を突き抜けた、大聖人の、末法の御本仏としての大境涯がつづられています。
法華経の経文に照らせば、末法に正法を実践する人には、必ず三障四魔が競い起こります。その障魔に打ち勝つからこそ、自身の生命が鍛えられ、宿命転換していくことができるのです。つまり、法華経の行者にとって、苦難とは"避けるべきもの"ではなく、"生命鍛錬"の好機となるのです。
だからこそ、大聖人は門下に、いかなる難に遭ったとしても、妙法を信じ切っていくように呼び掛けられているのです。仏道修行を貫くならば、「自然に仏界にいたる」と仰せのように"誰でも""必ず"仏の境涯を開くことができるとの御断言です。
学会員一人一人が、この一節を身で読んできました。何があっても朗らかに人間革命のドラマをつづる姿は、初夏の太陽のようにまばゆく、自他の仏性を呼び覚まします。
[キーワード�]常に誓いに立ち返る
人生勝利の歩みを止めるのは、自分自身です。厳しい環境や、難しい境遇ではありません。自身の内に巣くう、不信や臆病の心によって人生を諦め、いつしか、自ら足を踏み出すことをやめてしまうのです。その根底には「元品の無明」があります。
「元品の無明」は、生命に対する根本的な迷いのことです。さまざまな形で法華経の行者の修行を阻み、責め立てる「第六天の魔王」の働きとなって現れるため、簡単に打ち破ることはできません。
御書には「元品の無明を対治する利剣は、信の一字なり」(新1047・全751)とつづられています。無明との戦いに打ち勝つには"信の利剣"が必要であるとの仰せです。
私たちに即していえば"必ず成仏の境涯を開く""絶対に幸福になってみせる"という、強き一念といえます。
今回の拝読御書につづられている「約束せし事」とは、広布に挑む一念を合わせた"師弟共戦の誓い"と拝することができます。
その師との誓いを忘れてしまった時、無明に生命を侵され「つたなき者」となってしまうのです。
どんな人にも"無明の闇"は生じます。それを払うには、常に"師弟共戦の誓い"に立ち返り、広布への一念を、より深く強くしていくことです。その繰り返しが、自身に具わる仏界の生命を必ず輝かせていくのです。
師と共に生きる喜びを胸に、同志と励まし合いながら、きょうも心新たに前進を開始していきましょう。
我らは信念の対話を!
眼前の一人と心を結ぶ
地道で弛まぬ実践こそ
平和を築く確かな力だ!
法華初心成仏抄 P557
『一度妙法蓮華経と唱うれば一切の仏一切の法一切の菩薩一切の声聞一切の梵王帝釈閻魔法王日月衆星天神地神乃至地獄餓鬼畜生修羅人天一切衆生の心中の仏性を唯一音に喚び顕し奉る功徳無量無辺なり』
【通解】
ひとたび妙法蓮華経と唱えれば、一切の仏・一切の法・一切の菩薩・一切の声聞・一切の梵王・帝釈・閻魔法王・日月・衆星・天神・地神ないし地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天界の一切衆生の心中の仏性をただ一声によびあらわしたてまつるのであって、その功徳は無量無辺である。
名字の言 祈りがかなうとは…… 2022年5月10日
新年度が始まって1カ月。清新の志で社会人になったものの、「理想と現実の差」に翻弄され、それでも歯を食いしばって奮闘中の友も多かろう▼思い出す話がある。大手外資系企業の内定を勝ち取った学生部員。"実社会で縦横無尽に活躍し、実証を示す人材に成長する"と決意の唱題を重ね、入社式を迎えた。彼の赴任地は、希望と異なる場所だった。落胆する彼に多宝会の壮年が語った。「祈りがかなうとは『欲しいもの』ではなく、『人生に必要なもの』が手に入るということだ。期待してるぞ」▼その後も、思い通りにいかない苦闘の日々が続く。だが彼は、どんな小さな仕事も必死にやり抜いた。学会では男子部のリーダーとなり、広大な地に点在する部員の激励に奔走。こうした八面六臂の活躍で、願った通りの見事な実証と大きな信頼を築いた▼「煩悩即菩提」「変毒為薬」といった仏法の法理を示す言葉の"順序"に思うことがある。「煩悩」や「毒」が先で「菩提」や「薬」が後である。眼前に悩みや苦難があるからこそ、強盛な信心で、それを成長の糧に転換し、偉大な境涯を開いていけるのだ▼新社会人の友だけでなく、先輩たちも心をリフレッシュして、自己の開拓と前進の日々を!
寸鉄 2022年5月10日
題目で「無明・煩悩の闇をてらすべし」御書。希望と蘇生の哲理を地域へ拡大(新1269・全903)
「頭を使え、智慧を出せ」戸田先生。幹部は勝つ為の名指揮を。将の将たれ
悪を憎めぬ者は善を愛さない者—文豪ロラン。男子部よ破邪顕正の声で時代開け
友と笑い合える高齢者は要介護リスク低く—研究 逞しき楽観主義の賢者に
電動自転車事故が10年で2倍。漕ぎ始めや段差で均衡崩す傾向。安全第一
☆御書と未来へ 第16回 自他共に充実と歓喜の舞を
〈御文〉
『法華経を持ち奉るより外に遊楽はなし。「現世安穏、後生善処」とは、これなり。』〈四条金吾殿御返事(衆生所遊楽御書)、新1554・全1143〉
〈通解〉
法華経を受持する以外に遊楽はない。法華経薬草喩品第5の「現世安穏にして、後に善処に生じ」とは、このことをいうのである。
〈池田先生が贈る指針〉
妙法を信受した人は、誰もが一念三千の当体の生命を輝かせていける。仏の力を自在に発揮し、いかなる宿命も必ず転換できる。三世に揺るがぬ安穏福運の境涯を、自他共に勝ち開ける。
この衆生所遊楽の人生と社会を娑婆世界に築き広げるのが、我らの立正安国の対話である。ここにこそ真の充実と大歓喜の舞があるのだ。
☆5月度座談会拝読御書 開目抄
◇御文
『我ならびに我が弟子、諸難ありとも疑う心なくば、自然に仏界にいたるべし。天の加護なきことを疑わざれ。現世の安穏ならざることをなげかざれ。我が弟子に朝夕教えしかども、疑いをおこして皆すてけん。つたなき者のならいは、約束せし事をまことの時はわするるなるべし。』(御書新版117ページ7行目〜9行目、御書全集234ページ7行目〜9行目)
◇[池田先生の指針から]不退の信心を貫く
「我並びに我が弟子」「自然に仏界にいたるべし」(全234・新117)と言われているように、大聖人の生命に本来的に具わる元初の仏の境涯は、私たち一人一人にも具わっているのです。
しかし、衆生は、自身の生命を覆っている迷いや苦悩にとらわれている限り、奥底の仏の境涯に気づくことができないのです。
そこで大聖人は、御自身のお姿、お振る舞いや御教示を通し、また、門下と対話するように手紙を書き続け、一人一人が御自身と同じ仏の境涯を開いていけるように激励を重ねてくださっています。
それは、門下が師子王の心を取り出して、どこまでも不退の信心を貫いた時に、本来自身が持っていた仏と同じ智慧と勇気と慈悲の大境涯を現していけるということです。(2021年9月号「大白蓮華」〈世界を照らす太陽の仏法〉)
◇ ◇ ◇
自分の仏性を信じ、人々の仏性をも信じて行動し抜いていく。
このような精神革命の時代を築いていくこと自体が、実は、広宣流布にほかなりません。私たちは、その偉大なる人類の宿命転換に率先して戦っているのです。
学会員は、自他共の幸福を目指して、広宣流布への「信心」を貫きます。大聖人が仰せのままの「信心の二字」「信の一字」です。(中略)
学会員の「信」には、大いなる真理に生きる智慧、不幸を根絶しようと戦う勇気、そして、"万人が皆、仏なり"との確信に満ちた慈悲が備わっています。永遠の幸福境涯を開いていく「信」が確立されているのです。(『信仰の基本「信行学」』)
◇仏性を呼び覚ます 人間革命の劇を
[キーワード�]苦難は"生命鍛錬"の好機
人生は、順風満帆な日ばかりではありません。宿命の嵐に遭った時には、"なぜ?""自分にはどうすることもできない"と、疑いや諦めの心が生じることもあるかもしれません。
我ならびに我が弟子……。厳しい現実を前に、心が折れそうになった時。困難の壁を前に、信心の前進を止めてしまいそうになった時。多くの学会員が、自身の心を奮い立たせるように拝してきたのが、この御文です。
日蓮大聖人は、命に及ぶ大難を勝ち越え、末法の全民衆を救う妙法を弘められました。本抄には、諸天の加護を求めたり、難を避けたりするような生き方を突き抜けた、大聖人の、末法の御本仏としての大境涯がつづられています。
法華経の経文に照らせば、末法に正法を実践する人には、必ず三障四魔が競い起こります。その障魔に打ち勝つからこそ、自身の生命が鍛えられ、宿命転換していくことができるのです。つまり、法華経の行者にとって、苦難とは"避けるべきもの"ではなく、"生命鍛錬"の好機となるのです。
だからこそ、大聖人は門下に、いかなる難に遭ったとしても、妙法を信じ切っていくように呼び掛けられているのです。仏道修行を貫くならば、「自然に仏界にいたる」と仰せのように"誰でも""必ず"仏の境涯を開くことができるとの御断言です。
学会員一人一人が、この一節を身で読んできました。何があっても朗らかに人間革命のドラマをつづる姿は、初夏の太陽のようにまばゆく、自他の仏性を呼び覚まします。
[キーワード�]常に誓いに立ち返る
人生勝利の歩みを止めるのは、自分自身です。厳しい環境や、難しい境遇ではありません。自身の内に巣くう、不信や臆病の心によって人生を諦め、いつしか、自ら足を踏み出すことをやめてしまうのです。その根底には「元品の無明」があります。
「元品の無明」は、生命に対する根本的な迷いのことです。さまざまな形で法華経の行者の修行を阻み、責め立てる「第六天の魔王」の働きとなって現れるため、簡単に打ち破ることはできません。
御書には「元品の無明を対治する利剣は、信の一字なり」(新1047・全751)とつづられています。無明との戦いに打ち勝つには"信の利剣"が必要であるとの仰せです。
私たちに即していえば"必ず成仏の境涯を開く""絶対に幸福になってみせる"という、強き一念といえます。
今回の拝読御書につづられている「約束せし事」とは、広布に挑む一念を合わせた"師弟共戦の誓い"と拝することができます。
その師との誓いを忘れてしまった時、無明に生命を侵され「つたなき者」となってしまうのです。
どんな人にも"無明の闇"は生じます。それを払うには、常に"師弟共戦の誓い"に立ち返り、広布への一念を、より深く強くしていくことです。その繰り返しが、自身に具わる仏界の生命を必ず輝かせていくのです。
師と共に生きる喜びを胸に、同志と励まし合いながら、きょうも心新たに前進を開始していきましょう。
2022年5月9日月曜日
2022.05.09 わが友に贈る
新聞休刊日
千日尼御前御返事 P1312
『其の恩徳ををもへば父母の恩国主の恩一切衆生の恩なり、父母の恩の中に慈父をば天に譬へ悲母をば大地に譬へたりいづれもわけがたし、其の中にも悲母の大恩ことにほうじがたし』
【通解】
その恩徳を考えれば、父母の恩・国主の恩・一切衆生の恩である。
父母の恩のなかでも慈父を天に譬え、悲母を大地に譬えている。どちらも優劣を分けがたい大恩である。その中でも悲母の大恩は報じがたい。
☆四季の励まし 「会う」ことから世界は変わる 2022年5月1日
◇池田先生の言葉
平和と幸福の大法を
弘めゆく我らには、
何も恐れるものはない。
「会う」ことが
「世界を変える」ことに
つながる。
直接会って、
相手のことを知っていく。
意見に耳を傾ける。
真剣に、
誠実に語っていく。
それでこそ、
新たな拡大のうねりを
巻き起こしていける。
まず、誠実な対話で
一人の友をつくることだ。
その一人の先に、
二人、三人、さらに十人、
ひいては
千万の友の
笑顔の花また華が
広がっていく。
一切の偏見を排除し、
相手の尊厳なる生命に
接していく時、
そこには
必ず人間の善性が
輝きを放っていく。
相手の仏性を
尊敬していくところから、
深い信頼が育まれ、
対話の扉が必ず開ける。
「声」である。
「勇気」である。
「勇気の声」が、
善を拡大するのだ。
勇気を胸に、
朗らかに、
活力に満ちあふれた声で、
友情の対話を
広げていきたい。
相手を思う深き祈りは、
必ず通じていく。
心が心を
動かしていくのだ。
すべての勝利も栄光も
「一人」から開かれる——
これが、広布前進の
変わらざる鉄則だ。
どこまでも
「一対一」で、
納得と執念の対話に、
敢然と
飛び込んでいくのだ。
遠回りのように見えても、
これこそ
共感と理解を広げゆく
直道であり、
常勝の王道なのだ。
【写真説明】斜塔で有名なイタリア・トスカーナの古都ピサ。バルコニーを緑と花が潤し、通りは、行き交う人々の活気にあふれていた。1994年(平成6年)5月、池田大作先生が撮影した一葉である。
先生は、イタリア滞在中、ボローニャ大学で記念講演を行い、ミラノで世界青年平和文化祭などに出席した。それは、対話と励ましの旅でもあった。識者と語らい、同志を励まし、街角でも、縁した人に気さくに声を掛け、心と心を結んでいった。
新緑の5月、爽やかな薫風を胸いっぱいに吸って、足取り軽く動き、語ろう。心の握手を、あの友、この友と!
千日尼御前御返事 P1312
『其の恩徳ををもへば父母の恩国主の恩一切衆生の恩なり、父母の恩の中に慈父をば天に譬へ悲母をば大地に譬へたりいづれもわけがたし、其の中にも悲母の大恩ことにほうじがたし』
【通解】
その恩徳を考えれば、父母の恩・国主の恩・一切衆生の恩である。
父母の恩のなかでも慈父を天に譬え、悲母を大地に譬えている。どちらも優劣を分けがたい大恩である。その中でも悲母の大恩は報じがたい。
☆四季の励まし 「会う」ことから世界は変わる 2022年5月1日
◇池田先生の言葉
平和と幸福の大法を
弘めゆく我らには、
何も恐れるものはない。
「会う」ことが
「世界を変える」ことに
つながる。
直接会って、
相手のことを知っていく。
意見に耳を傾ける。
真剣に、
誠実に語っていく。
それでこそ、
新たな拡大のうねりを
巻き起こしていける。
まず、誠実な対話で
一人の友をつくることだ。
その一人の先に、
二人、三人、さらに十人、
ひいては
千万の友の
笑顔の花また華が
広がっていく。
一切の偏見を排除し、
相手の尊厳なる生命に
接していく時、
そこには
必ず人間の善性が
輝きを放っていく。
相手の仏性を
尊敬していくところから、
深い信頼が育まれ、
対話の扉が必ず開ける。
「声」である。
「勇気」である。
「勇気の声」が、
善を拡大するのだ。
勇気を胸に、
朗らかに、
活力に満ちあふれた声で、
友情の対話を
広げていきたい。
相手を思う深き祈りは、
必ず通じていく。
心が心を
動かしていくのだ。
すべての勝利も栄光も
「一人」から開かれる——
これが、広布前進の
変わらざる鉄則だ。
どこまでも
「一対一」で、
納得と執念の対話に、
敢然と
飛び込んでいくのだ。
遠回りのように見えても、
これこそ
共感と理解を広げゆく
直道であり、
常勝の王道なのだ。
【写真説明】斜塔で有名なイタリア・トスカーナの古都ピサ。バルコニーを緑と花が潤し、通りは、行き交う人々の活気にあふれていた。1994年(平成6年)5月、池田大作先生が撮影した一葉である。
先生は、イタリア滞在中、ボローニャ大学で記念講演を行い、ミラノで世界青年平和文化祭などに出席した。それは、対話と励ましの旅でもあった。識者と語らい、同志を励まし、街角でも、縁した人に気さくに声を掛け、心と心を結んでいった。
新緑の5月、爽やかな薫風を胸いっぱいに吸って、足取り軽く動き、語ろう。心の握手を、あの友、この友と!
2022年5月8日日曜日
2022.05.08 わが友に贈る
◇今週のことば
薫風の「励まし週間」だ。
共に「仏を敬うがごとく」
宝友の奮闘を讃えよう!
新しき人材を温かく育み
わが地区に金剛の絆を!
(新1989・全1383等)
2022年5月8日
寂日房御書 P902
『夫れ人身をうくる事はまれなるなり、已にまれなる人身をうけたり又あひがたきは仏法是も又あへり、同じ仏法の中にも法華経の題目にあひたてまつる結句題目の行者となれり、まことにまことに過去十万億の諸仏を供養する者なり』
【通解】
およそ人身を受けることはまれである。すでに、そのまれな人身を受けている。また、あいがたきは仏法であるが、これもまたあうことができた。しかも、同じ仏法のなかでも、法華経の題目の行者となった。まことにまことに、あなたは過去世で十万億の諸仏を供養した方であろう。
名字の言 音楽が与える"生き抜く力" 2022年5月8日
遠藤周作氏の短編小説「戦中派」に演奏会のシーンが出てくる(『十一の色硝子』所収)。戦時中、名バイオリニストの巌本真理さんが演奏会前夜に空襲で焼け出された実話から着想を得たという▼翌日、奏者の女性は焼け野原を歩き、演奏会場へ。途中、群衆とすれ違う。"出演者行方不明のため、音楽会は中止"と知らされ、肩を落として帰る人たちだった。だが彼女を見るや、一群は「音楽会はあるぞ」と会場に戻った。逃げた時の格好のままで彼女は奏でた。聴衆は目を閉じ、静かに聞き入った……▼いつの世も、音楽は"生き抜く力"を渇望する民衆に希望を与える。宗教学者のガイヤ博士は「宗教は、芸術や音楽を通して、その精神を人々に最良の形で伝えていくことができる」と▼仏法を基調とした妙音で、世界を幸福に包む実践者の使命を帯びて音楽隊、鼓笛隊は結成された。以来、両隊は渾身の演奏で、宿命に泣く友へ希望を届け、苦難と格闘する同志に勇気を送り続けた。これまで音楽隊が災害からの復興に歩む人々を励まそうと開催した「希望の絆」コンサートは174回を数える▼今月も両隊は各地のパレードで勇壮な音律を響かせた。この妙なる調べの共鳴が、平和の心を呼び覚ます。
寸鉄 2022年5月8日
永遠に残る広布の歴史を戦い綴れる自身に—戸田先生。金字塔築く時は今
今日、常勝埼玉師弟の日。鉄桶の団結固く勇躍前進 正義の対話拡大で凱歌を
真の財宝は我らの力の中にあるもの—哲人ヒルティ。信心は無限の可能性開く根源
子どもの話聞く時は評価せず・否定せず・遮らず—識者。まず思い受け止め
母の日。「手紙・感謝の言葉」が嬉しい贈り物1位。ありがとう伝える一日に
〈社説〉 2022・5・7 5・9「音楽隊の日」
◇試練の時代に響く希望の旋律
5月9日は「音楽隊の日」。その淵源は、1954年(昭和29年)の同日に行われた、青年部総登山での初出動にある。
池田先生の提案で音楽隊が結成されたのは同月6日。出動3日前のことだった。隊員はわずか十数人。楽器をそろえるだけでも困難を伴った。当日は激しい雨の中、番傘で楽器を守りながら、ずぶぬれになっての演奏だった。
「悪条件にひるんだら負けだ。悪条件だからこそ、成功すれば、歴史に輝く壮挙になる!」——そう闘志を燃やす奏者を前に、青年部の室長だった先生は渾身の指揮を。その学会歌の調べは参加した青年部員の士気を鼓舞した。
不屈の原点から68年。今や音楽隊は全国に100を超える楽団を擁する一大音楽集団に成長。吹奏楽、マーチング、合唱などの各種コンクールでは、幾度も全国大会で金賞、グランプリを受賞するなど、名実ともに日本一の音楽団体に発展を遂げた。
このコンクールへの挑戦を、全国に先駆けて開始したのは関西吹奏楽団だった。74年(同49年)の大阪府吹奏楽コンクールに初出場。3年後には、関西大会に出場し、全国大会まであと一歩と迫った。その後、直面したのが、79年(同54年)の池田先生の「会長辞任」の知らせだった。
同志の中に不安や戸惑いが広がる中、団員たちは歯を食いしばり、誓い合った。
"我らの勝利で、創価の偉大さを満天下に示してみせる!"
それまでにない程の猛練習を重ね、翌80年(同55年)には、音楽隊史上初めて、全日本吹奏楽コンクールに出場し金賞を受賞した。
翌年、第3回関西総会に出席した先生は、関西吹奏楽団が奏でる「嗚呼黎明は近づけり」にあわせて、扇を手に勇壮な舞を披露。その後も、各地の音楽隊が奏でる学会歌と共に、日本中・世界中に平和の連帯を広げてきた。
逆境の時こそ一歩踏み出し、試練の中で希望の光彩を放つ音楽隊の使命は、感染症の拡大や深刻な国際情勢など不安が広がる現代にあって、一層輝きを増している。
池田先生はつづっている。
「音楽隊は、皆、私のかけがえのない戦友である。いかなる嵐にも絶対に怯まぬ、不敗の楽団なのである」
文化の闘士を先頭に、共々に勝利の歴史を打ち立てていこう。
☆法華経に勝る兵法なし 千葉への指針から 第6回 生命の充実得る休日の過ごし方
◇生命の充実得る休日の過ごし方
休日の過ごし方は人さまざまである。いな休日の使い方にこそ、人それぞれの生き方が鮮明に映しだされるのかもしれない。
なんとなくテレビを見て終わる人、趣味に使う人、家族サービスに努める人。なかには休日のたびに、夫婦ゲンカを恒例行事のように(爆笑)繰り返す人もいるかもしれない(笑い)。張りきって旅行に出かけ、楽しいのかと思うと、「疲れた、疲れた」とグチばかり言う人もいる。(爆笑)
それはそれとして、だれしも休日は自由である。自由であるがゆえに、もっとも価値的に、もっとも充実して過ごしたいものだと私は思う。
結論的にいえば、仏道修行こそ、最高の生命の充実をあたえてくれる。かりに、初めはイヤイヤでも(笑い)、行動したあとは、他では味わえない、深いさわやかさと歓喜がある。
また家族の幸せへの根本の貢献でもある。自身も成長し、他の人にもつくしていける。社会への最大の奉仕でもある。時とともに永遠に輝く思い出をきざむことができる。その他、あらゆる価値と福徳が集まっているのが、妙法の世界のありがたさである。その世界に徹して生きぬくとき、すべてが生かされ、全く無駄はない。
ともあれ貴重な休日を、広布への尊き現実の行動に費やしておられる皆さま方を、私は最大に讃えたい。いな、御本仏の称讃は絶対であることを深く確信していただきたい。(1988年4月、第3千葉県記念幹部会でのスピーチ、『池田大作全集』第70巻所収)
◇魔に紛動されない実直な信心
私はこの四十年間(当時)、数多くの人々の信仰の姿を見てきた。人間の「心」の表も裏も、信心の眼で鋭く見すえてきたつもりである。
その結論として言えることは、"学会の信心の組織のなかで、厳しく先輩から指導され、また激励されながら真面目に信心に励んでいる人は、まちがいなく成長している"という事実である。そうした方々は、つねに生き生きとして、生命がはずんでいる。また責任感、使命感も強く、生活のうえでも後輩の良き模範となっている場合が多い。
一方、その反対に、過去にいかに功労があるように見えても、自分一人の力で偉くなったと錯覚し、慢心を起こし、いつしか厳しい指導や注意を避け、自分勝手な行動に走ってしまう人もいる。これは要するにエゴに翻弄され、名聞名利に執着し、信心を忘れてしまった姿にほかならない。
(中略)
"慢心"や"虚偽"の者が、和合僧を乱し、信心を破ろうとすることが、これからもあるだろう。(中略)
しかし、そうした魔の眷属に魅入られて、仏の眷属となった自分自身を無にしてはならない。退転者や反逆者はだれが悪いのでもない。その人自身の責任である。
ゆえに、破仏法の魔の蠢動とその結末は、いつの時代でも同じであることを鋭くとらえ、善悪ともに、自身の信心を深め、境涯を高めていく"鑑"としていっていただきたい。(同)
薫風の「励まし週間」だ。
共に「仏を敬うがごとく」
宝友の奮闘を讃えよう!
新しき人材を温かく育み
わが地区に金剛の絆を!
(新1989・全1383等)
2022年5月8日
寂日房御書 P902
『夫れ人身をうくる事はまれなるなり、已にまれなる人身をうけたり又あひがたきは仏法是も又あへり、同じ仏法の中にも法華経の題目にあひたてまつる結句題目の行者となれり、まことにまことに過去十万億の諸仏を供養する者なり』
【通解】
およそ人身を受けることはまれである。すでに、そのまれな人身を受けている。また、あいがたきは仏法であるが、これもまたあうことができた。しかも、同じ仏法のなかでも、法華経の題目の行者となった。まことにまことに、あなたは過去世で十万億の諸仏を供養した方であろう。
名字の言 音楽が与える"生き抜く力" 2022年5月8日
遠藤周作氏の短編小説「戦中派」に演奏会のシーンが出てくる(『十一の色硝子』所収)。戦時中、名バイオリニストの巌本真理さんが演奏会前夜に空襲で焼け出された実話から着想を得たという▼翌日、奏者の女性は焼け野原を歩き、演奏会場へ。途中、群衆とすれ違う。"出演者行方不明のため、音楽会は中止"と知らされ、肩を落として帰る人たちだった。だが彼女を見るや、一群は「音楽会はあるぞ」と会場に戻った。逃げた時の格好のままで彼女は奏でた。聴衆は目を閉じ、静かに聞き入った……▼いつの世も、音楽は"生き抜く力"を渇望する民衆に希望を与える。宗教学者のガイヤ博士は「宗教は、芸術や音楽を通して、その精神を人々に最良の形で伝えていくことができる」と▼仏法を基調とした妙音で、世界を幸福に包む実践者の使命を帯びて音楽隊、鼓笛隊は結成された。以来、両隊は渾身の演奏で、宿命に泣く友へ希望を届け、苦難と格闘する同志に勇気を送り続けた。これまで音楽隊が災害からの復興に歩む人々を励まそうと開催した「希望の絆」コンサートは174回を数える▼今月も両隊は各地のパレードで勇壮な音律を響かせた。この妙なる調べの共鳴が、平和の心を呼び覚ます。
寸鉄 2022年5月8日
永遠に残る広布の歴史を戦い綴れる自身に—戸田先生。金字塔築く時は今
今日、常勝埼玉師弟の日。鉄桶の団結固く勇躍前進 正義の対話拡大で凱歌を
真の財宝は我らの力の中にあるもの—哲人ヒルティ。信心は無限の可能性開く根源
子どもの話聞く時は評価せず・否定せず・遮らず—識者。まず思い受け止め
母の日。「手紙・感謝の言葉」が嬉しい贈り物1位。ありがとう伝える一日に
〈社説〉 2022・5・7 5・9「音楽隊の日」
◇試練の時代に響く希望の旋律
5月9日は「音楽隊の日」。その淵源は、1954年(昭和29年)の同日に行われた、青年部総登山での初出動にある。
池田先生の提案で音楽隊が結成されたのは同月6日。出動3日前のことだった。隊員はわずか十数人。楽器をそろえるだけでも困難を伴った。当日は激しい雨の中、番傘で楽器を守りながら、ずぶぬれになっての演奏だった。
「悪条件にひるんだら負けだ。悪条件だからこそ、成功すれば、歴史に輝く壮挙になる!」——そう闘志を燃やす奏者を前に、青年部の室長だった先生は渾身の指揮を。その学会歌の調べは参加した青年部員の士気を鼓舞した。
不屈の原点から68年。今や音楽隊は全国に100を超える楽団を擁する一大音楽集団に成長。吹奏楽、マーチング、合唱などの各種コンクールでは、幾度も全国大会で金賞、グランプリを受賞するなど、名実ともに日本一の音楽団体に発展を遂げた。
このコンクールへの挑戦を、全国に先駆けて開始したのは関西吹奏楽団だった。74年(同49年)の大阪府吹奏楽コンクールに初出場。3年後には、関西大会に出場し、全国大会まであと一歩と迫った。その後、直面したのが、79年(同54年)の池田先生の「会長辞任」の知らせだった。
同志の中に不安や戸惑いが広がる中、団員たちは歯を食いしばり、誓い合った。
"我らの勝利で、創価の偉大さを満天下に示してみせる!"
それまでにない程の猛練習を重ね、翌80年(同55年)には、音楽隊史上初めて、全日本吹奏楽コンクールに出場し金賞を受賞した。
翌年、第3回関西総会に出席した先生は、関西吹奏楽団が奏でる「嗚呼黎明は近づけり」にあわせて、扇を手に勇壮な舞を披露。その後も、各地の音楽隊が奏でる学会歌と共に、日本中・世界中に平和の連帯を広げてきた。
逆境の時こそ一歩踏み出し、試練の中で希望の光彩を放つ音楽隊の使命は、感染症の拡大や深刻な国際情勢など不安が広がる現代にあって、一層輝きを増している。
池田先生はつづっている。
「音楽隊は、皆、私のかけがえのない戦友である。いかなる嵐にも絶対に怯まぬ、不敗の楽団なのである」
文化の闘士を先頭に、共々に勝利の歴史を打ち立てていこう。
☆法華経に勝る兵法なし 千葉への指針から 第6回 生命の充実得る休日の過ごし方
◇生命の充実得る休日の過ごし方
休日の過ごし方は人さまざまである。いな休日の使い方にこそ、人それぞれの生き方が鮮明に映しだされるのかもしれない。
なんとなくテレビを見て終わる人、趣味に使う人、家族サービスに努める人。なかには休日のたびに、夫婦ゲンカを恒例行事のように(爆笑)繰り返す人もいるかもしれない(笑い)。張りきって旅行に出かけ、楽しいのかと思うと、「疲れた、疲れた」とグチばかり言う人もいる。(爆笑)
それはそれとして、だれしも休日は自由である。自由であるがゆえに、もっとも価値的に、もっとも充実して過ごしたいものだと私は思う。
結論的にいえば、仏道修行こそ、最高の生命の充実をあたえてくれる。かりに、初めはイヤイヤでも(笑い)、行動したあとは、他では味わえない、深いさわやかさと歓喜がある。
また家族の幸せへの根本の貢献でもある。自身も成長し、他の人にもつくしていける。社会への最大の奉仕でもある。時とともに永遠に輝く思い出をきざむことができる。その他、あらゆる価値と福徳が集まっているのが、妙法の世界のありがたさである。その世界に徹して生きぬくとき、すべてが生かされ、全く無駄はない。
ともあれ貴重な休日を、広布への尊き現実の行動に費やしておられる皆さま方を、私は最大に讃えたい。いな、御本仏の称讃は絶対であることを深く確信していただきたい。(1988年4月、第3千葉県記念幹部会でのスピーチ、『池田大作全集』第70巻所収)
◇魔に紛動されない実直な信心
私はこの四十年間(当時)、数多くの人々の信仰の姿を見てきた。人間の「心」の表も裏も、信心の眼で鋭く見すえてきたつもりである。
その結論として言えることは、"学会の信心の組織のなかで、厳しく先輩から指導され、また激励されながら真面目に信心に励んでいる人は、まちがいなく成長している"という事実である。そうした方々は、つねに生き生きとして、生命がはずんでいる。また責任感、使命感も強く、生活のうえでも後輩の良き模範となっている場合が多い。
一方、その反対に、過去にいかに功労があるように見えても、自分一人の力で偉くなったと錯覚し、慢心を起こし、いつしか厳しい指導や注意を避け、自分勝手な行動に走ってしまう人もいる。これは要するにエゴに翻弄され、名聞名利に執着し、信心を忘れてしまった姿にほかならない。
(中略)
"慢心"や"虚偽"の者が、和合僧を乱し、信心を破ろうとすることが、これからもあるだろう。(中略)
しかし、そうした魔の眷属に魅入られて、仏の眷属となった自分自身を無にしてはならない。退転者や反逆者はだれが悪いのでもない。その人自身の責任である。
ゆえに、破仏法の魔の蠢動とその結末は、いつの時代でも同じであることを鋭くとらえ、善悪ともに、自身の信心を深め、境涯を高めていく"鑑"としていっていただきたい。(同)
2022年5月7日土曜日
2022.05.07 わが友に贈る
人の心に響くのは
誠意と熱意の対話だ。
自ら動いた分だけ
信頼と共感の輪が広がる。
さあ 友のもとへ!
経王御前御書 P1123
『如何に申さじと思うとも毀らん人には弥よ申し聞かすべし』
【通解】
どんなに、言うまいと思っても、妙法を毀る人には、いよいよ強く、言い聞かせなさい。
【先生の指導から】
そこに自他ともの幸福の道があると教えておられる。山越え、谷越え、歩いていくから、ハイキングはおもしろい。歩くのは大変だが、歩くから、いい景色を楽しみながら、目的地にたどり着ける。それを、飛行機でパッと行って帰っても、つまらない。人生も同じだ。仏道修行は、自分が自分らしく輝き、永遠の幸福を築く法則である。大変なようだが、苦難と戦うなかに偉大な人間になる道がある。大聖人のお言葉に間違いはない。金吾は、その仰せのままに純真な信心を貫き、大聖人に敵対する人間に立ち向かった。勇敢に、恐れなく、正義を叫びぬいた。四条金吾の名は、今も歴史に厳然と輝いている。
名字の言 墨が表現する真実の色 2022年5月7日
中国に「墨に五彩あり」という言葉がある。目に見える色は限りなくあるが、墨はあらゆる色を含んでいる、との意味という▼水墨による抽象表現で国際的に活躍した芸術家・篠田桃紅氏。107歳で亡くなるまで創作活動を続け、作品は大英博物館やニューヨークのメトロポリタン美術館などに収蔵されている▼氏は、夕日に染まる富士山の美しさを「絵の具で描き表すことは到底できない」と墨で描いた。「墨は目に見える色を、人の想像力で、心の色に置きかえることができる」「真実の色は、見たいと希う人の心のなかでしか、再び、会うことはできない」と(『一〇三歳、ひとりで生きる作法』幻冬舎文庫)▼目の前に広がる光景をどのように感じ、それをどう表現するか。同じ人が同じものを見ても心の在り方によって、描く作品に違いが生まれる。人生もまた同じだろう。苦境に立たされた時、"自分にはもう無理だ"と投げ出すのか、"よしやるぞ"と挑むのか。捉え方によって「心の色」は変わり、結果は大きく異なってこよう▼仏法では「心は工みなる画師のごとし」と説かれる。その心を磨く根本が信心だ。豊かな"心の五彩"で、人生という名のカンバスを彩り、わが栄光の名画を描きたい。
寸鉄 2022年5月7日
小さな仕事を完成できねば大きな仕事はできぬ—恩師。目前の課題に全力
中国青年部の日。正義は勝ってこそ光る。開拓の先陣を!勇敢な師子たれ
他者の幸せを願う人ほど"幸福感"が高く—研究。学会活動の正しさを証明
「手上げ横断」で事故減少と。大人も手を上げて—警察。命守る実践皆で
日本の携帯料金、世界で最安水準に。公明が推進。生活者目線の政策を更に
〈社説〉 2022・5・7 5・9「音楽隊の日」
◇試練の時代に響く希望の旋律
5月9日は「音楽隊の日」。その淵源は、1954年(昭和29年)の同日に行われた、青年部総登山での初出動にある。
池田先生の提案で音楽隊が結成されたのは同月6日。出動3日前のことだった。隊員はわずか十数人。楽器をそろえるだけでも困難を伴った。当日は激しい雨の中、番傘で楽器を守りながら、ずぶぬれになっての演奏だった。
「悪条件にひるんだら負けだ。悪条件だからこそ、成功すれば、歴史に輝く壮挙になる!」——そう闘志を燃やす奏者を前に、青年部の室長だった先生は渾身の指揮を。その学会歌の調べは参加した青年部員の士気を鼓舞した。
不屈の原点から68年。今や音楽隊は全国に100を超える楽団を擁する一大音楽集団に成長。吹奏楽、マーチング、合唱などの各種コンクールでは、幾度も全国大会で金賞、グランプリを受賞するなど、名実ともに日本一の音楽団体に発展を遂げた。
このコンクールへの挑戦を、全国に先駆けて開始したのは関西吹奏楽団だった。74年(同49年)の大阪府吹奏楽コンクールに初出場。3年後には、関西大会に出場し、全国大会まであと一歩と迫った。その後、直面したのが、79年(同54年)の池田先生の「会長辞任」の知らせだった。
同志の中に不安や戸惑いが広がる中、団員たちは歯を食いしばり、誓い合った。
"我らの勝利で、創価の偉大さを満天下に示してみせる!"
それまでにない程の猛練習を重ね、翌80年(同55年)には、音楽隊史上初めて、全日本吹奏楽コンクールに出場し金賞を受賞した。
翌年、第3回関西総会に出席した先生は、関西吹奏楽団が奏でる「嗚呼黎明は近づけり」にあわせて、扇を手に勇壮な舞を披露。その後も、各地の音楽隊が奏でる学会歌と共に、日本中・世界中に平和の連帯を広げてきた。
逆境の時こそ一歩踏み出し、試練の中で希望の光彩を放つ音楽隊の使命は、感染症の拡大や深刻な国際情勢など不安が広がる現代にあって、一層輝きを増している。
池田先生はつづっている。
「音楽隊は、皆、私のかけがえのない戦友である。いかなる嵐にも絶対に怯まぬ、不敗の楽団なのである」
文化の闘士を先頭に、共々に勝利の歴史を打ち立てていこう。
☆忠北大学「名誉教育学博士号」授与式 池田先生の謝辞
◇開拓の人材の大河を世界へ 対話と交流の大海原を進め
◇教育こそ価値創造の源泉
一、世界の大学には、それぞれに尊き創立の物語があり、気高き建学の歴史があります。私は大学の創立者として、その一つ一つを合掌する思いで、学んでまいりました。
なかんずく、1951年の9月、開学の一歩を踏み出された貴・忠北大学の足跡には、感激そして感涙を禁じ得ません。
民衆が引き裂かれ、塗炭の苦しみにあった動乱のただ中で、郷土の心ある方々が「今こそ、未来をリードする人材の育成が急務である」との切なる願いを、米一升、麦一升に込めて大学建設のため寄贈されたことが淵源であると伺っております。
そして熾烈な戦火に屈せず、平和と正義を願う父母たちの声に後押しされて、果断に大学の建設を開始されたのであります。
なんと崇高な、なんと荘厳なる原点でありましょうか。
この精神を厳然と受け継いでこられた、「真理の殿堂」「正義の使徒」「開拓の旗手」たる名門学府から、光栄にも、私は名誉教育学博士号を授与賜りました。
本日、このように、苦楽を共にしてきた、敬愛してやまない韓国の友人方と一緒に拝受できますことは、何よりの喜びであります。
金銖甲総長はじめ諸先生方、誠に誠にありがとうございました(大拍手)。
◇清州ゆかりの長編詩歌 「源の深き水は日照りに乾かず」
一、貴大学が聳え立つ、ここ風光明媚な忠清北道の清州の天地は、世界史に不滅の光彩を放つ、15世紀の名君・世宗大王が、「訓民正音」(後のハングル)創製の最後の作業を行ったとされる文化の都であります。
大王は、"世界三大鉱泉"の一つとたたえられる椒井の薬水で眼を癒やし、心身に活力を漲らせて、大業の総仕上げに打ち込まれたのであります。
「訓民正音」を用いた長編詩歌「龍飛御天歌」の名高い一節は、この椒井を謳ったものと伝えられております。すなわち、「源の深き水は ひでりに乾かず 川をなし海にいたるなり」と。
一、本日は、このロマンあふれる史跡をしのびつつ、貴大学の校風に学び、簡潔に3点、申し述べさせていただきます。
第一に、「教育という価値創造の源泉を満々と!」ということであります。
清州の地は、1377年、現存する世界最古の金属活字本が刊行されたことでも有名であります。
貴大学は、この文化の遺産を誇り高く継承し、創造的なチャレンジ精神として止揚されています。
まことに教育こそ、若き生命が一人一人、自分らしく価値創造の力を尽きることなく汲み取り、幸福な人生を自在に開いていくための源泉であります。これは、私たち創価教育の創始者であり、戦時中、平和と人道に殉じた牧口常三郎先生の信念でもありました。
過酷な"ひでり"のような様相を呈する時代であるからこそ、学生を大切にして、創造的生命を育む大学は、まさに限りなき希望の泉であります。
この点、貴大学は、学生の満足度でも常に最高峰の模範と光る、人間教育の最高学府なのであります。
一、第二に申し上げたいのは、「開拓の人材の大河を滔々と!」ということであります。
貴大学の憲章には「逡巡なき勇気で新たな世界を開拓する」と誇らかに掲げられております。
そして目指すべき人材の六大力量として、「創意性」「ヒューマニズム」「能動性」「共同体意識」「グローバル」「専門性」という指標を明快に示されていることを、私は広く世界の青年たちに伝えたいのであります。
本年の入学式で、金総長は慈父のごとく新入生に語りかけられました。
「時には耐え難い苦痛が訪れ、眠れぬ夜を過ごすこともあるでしょう。しかし賢明な人は、苦難や困難さえも、自身を成長させる機会へ転換できるのです」と。心に染み入る励ましです。
韓国の友人たちと私が命に刻んできた大先哲の金言にも、「賢者はよろこび愚者は退く」とあります。
コロナ禍や悲惨な紛争の拡大、地球規模の気候変動など、山積する人類の危機を打開し、突破しゆくために、この不撓不屈の開拓力に満ちた若き人材の大河を、私たちはいよいよ滔々と流れ通わせていきたいと思うのであります。
◇"戸田大学"で学んだ世宗大王の業績 「智慧を広げるためには人の話を多く聞け」
一、第三に、「対話と交流の大海原を洋々と!」と、申し上げたい。
貴大学が創立された71年前、私が人生の師と仰ぐ戸田城聖先生は、「文化の大恩」深き貴国の民衆の苦悩に、深く強く胸を痛めておりました。
愛する祖国の安穏をひたぶるに祈る貴国の一人の母を最大にたたえながら、東洋そして地球民族の平和へ、香しき白ゆりをシンボルとする、新たな女性の連帯を結成したのも、この年であります。
この恩師から一対一の薫陶を受けた「戸田大学」で、私は世宗大王の偉大な業績と思想についても学んだのであります。
現代に響く世宗大王の箴言に、こうあります。
「智慧を広げるには、まず必ず人の話を多く聞き、耳を傾けることであり、智慧を増やすには、本を読む以上のことはない」
いやまして世界は、開かれた対話を要請しております。相互に敬い、学び合う文化・教育の交流を大海原のごとく洋々と広げていかねばなりません。
貴大学の素晴らしき校歌に、「正義の松明掲げた学問の殿堂 世紀の鐘が響くところ」とあります。
今日より私も、誉れ高き貴大学の一員として、尊敬する先生方と共に、また敬愛する韓国の宝友と共に、「人間教育の世紀」へ凱歌の暁鐘を高らかに打ち鳴らしていく決心であります。
最後に貴・忠北大学の無窮の栄光、さらに清州市そして忠清北道はじめ大韓民国の永遠の平和と繁栄を心よりお祈り申し上げ、私の謝辞とさせていただきます。
テダニ・カムサハムニダ!(韓国語で「誠にありがとうございました!」)
誠意と熱意の対話だ。
自ら動いた分だけ
信頼と共感の輪が広がる。
さあ 友のもとへ!
経王御前御書 P1123
『如何に申さじと思うとも毀らん人には弥よ申し聞かすべし』
【通解】
どんなに、言うまいと思っても、妙法を毀る人には、いよいよ強く、言い聞かせなさい。
【先生の指導から】
そこに自他ともの幸福の道があると教えておられる。山越え、谷越え、歩いていくから、ハイキングはおもしろい。歩くのは大変だが、歩くから、いい景色を楽しみながら、目的地にたどり着ける。それを、飛行機でパッと行って帰っても、つまらない。人生も同じだ。仏道修行は、自分が自分らしく輝き、永遠の幸福を築く法則である。大変なようだが、苦難と戦うなかに偉大な人間になる道がある。大聖人のお言葉に間違いはない。金吾は、その仰せのままに純真な信心を貫き、大聖人に敵対する人間に立ち向かった。勇敢に、恐れなく、正義を叫びぬいた。四条金吾の名は、今も歴史に厳然と輝いている。
名字の言 墨が表現する真実の色 2022年5月7日
中国に「墨に五彩あり」という言葉がある。目に見える色は限りなくあるが、墨はあらゆる色を含んでいる、との意味という▼水墨による抽象表現で国際的に活躍した芸術家・篠田桃紅氏。107歳で亡くなるまで創作活動を続け、作品は大英博物館やニューヨークのメトロポリタン美術館などに収蔵されている▼氏は、夕日に染まる富士山の美しさを「絵の具で描き表すことは到底できない」と墨で描いた。「墨は目に見える色を、人の想像力で、心の色に置きかえることができる」「真実の色は、見たいと希う人の心のなかでしか、再び、会うことはできない」と(『一〇三歳、ひとりで生きる作法』幻冬舎文庫)▼目の前に広がる光景をどのように感じ、それをどう表現するか。同じ人が同じものを見ても心の在り方によって、描く作品に違いが生まれる。人生もまた同じだろう。苦境に立たされた時、"自分にはもう無理だ"と投げ出すのか、"よしやるぞ"と挑むのか。捉え方によって「心の色」は変わり、結果は大きく異なってこよう▼仏法では「心は工みなる画師のごとし」と説かれる。その心を磨く根本が信心だ。豊かな"心の五彩"で、人生という名のカンバスを彩り、わが栄光の名画を描きたい。
寸鉄 2022年5月7日
小さな仕事を完成できねば大きな仕事はできぬ—恩師。目前の課題に全力
中国青年部の日。正義は勝ってこそ光る。開拓の先陣を!勇敢な師子たれ
他者の幸せを願う人ほど"幸福感"が高く—研究。学会活動の正しさを証明
「手上げ横断」で事故減少と。大人も手を上げて—警察。命守る実践皆で
日本の携帯料金、世界で最安水準に。公明が推進。生活者目線の政策を更に
〈社説〉 2022・5・7 5・9「音楽隊の日」
◇試練の時代に響く希望の旋律
5月9日は「音楽隊の日」。その淵源は、1954年(昭和29年)の同日に行われた、青年部総登山での初出動にある。
池田先生の提案で音楽隊が結成されたのは同月6日。出動3日前のことだった。隊員はわずか十数人。楽器をそろえるだけでも困難を伴った。当日は激しい雨の中、番傘で楽器を守りながら、ずぶぬれになっての演奏だった。
「悪条件にひるんだら負けだ。悪条件だからこそ、成功すれば、歴史に輝く壮挙になる!」——そう闘志を燃やす奏者を前に、青年部の室長だった先生は渾身の指揮を。その学会歌の調べは参加した青年部員の士気を鼓舞した。
不屈の原点から68年。今や音楽隊は全国に100を超える楽団を擁する一大音楽集団に成長。吹奏楽、マーチング、合唱などの各種コンクールでは、幾度も全国大会で金賞、グランプリを受賞するなど、名実ともに日本一の音楽団体に発展を遂げた。
このコンクールへの挑戦を、全国に先駆けて開始したのは関西吹奏楽団だった。74年(同49年)の大阪府吹奏楽コンクールに初出場。3年後には、関西大会に出場し、全国大会まであと一歩と迫った。その後、直面したのが、79年(同54年)の池田先生の「会長辞任」の知らせだった。
同志の中に不安や戸惑いが広がる中、団員たちは歯を食いしばり、誓い合った。
"我らの勝利で、創価の偉大さを満天下に示してみせる!"
それまでにない程の猛練習を重ね、翌80年(同55年)には、音楽隊史上初めて、全日本吹奏楽コンクールに出場し金賞を受賞した。
翌年、第3回関西総会に出席した先生は、関西吹奏楽団が奏でる「嗚呼黎明は近づけり」にあわせて、扇を手に勇壮な舞を披露。その後も、各地の音楽隊が奏でる学会歌と共に、日本中・世界中に平和の連帯を広げてきた。
逆境の時こそ一歩踏み出し、試練の中で希望の光彩を放つ音楽隊の使命は、感染症の拡大や深刻な国際情勢など不安が広がる現代にあって、一層輝きを増している。
池田先生はつづっている。
「音楽隊は、皆、私のかけがえのない戦友である。いかなる嵐にも絶対に怯まぬ、不敗の楽団なのである」
文化の闘士を先頭に、共々に勝利の歴史を打ち立てていこう。
☆忠北大学「名誉教育学博士号」授与式 池田先生の謝辞
◇開拓の人材の大河を世界へ 対話と交流の大海原を進め
◇教育こそ価値創造の源泉
一、世界の大学には、それぞれに尊き創立の物語があり、気高き建学の歴史があります。私は大学の創立者として、その一つ一つを合掌する思いで、学んでまいりました。
なかんずく、1951年の9月、開学の一歩を踏み出された貴・忠北大学の足跡には、感激そして感涙を禁じ得ません。
民衆が引き裂かれ、塗炭の苦しみにあった動乱のただ中で、郷土の心ある方々が「今こそ、未来をリードする人材の育成が急務である」との切なる願いを、米一升、麦一升に込めて大学建設のため寄贈されたことが淵源であると伺っております。
そして熾烈な戦火に屈せず、平和と正義を願う父母たちの声に後押しされて、果断に大学の建設を開始されたのであります。
なんと崇高な、なんと荘厳なる原点でありましょうか。
この精神を厳然と受け継いでこられた、「真理の殿堂」「正義の使徒」「開拓の旗手」たる名門学府から、光栄にも、私は名誉教育学博士号を授与賜りました。
本日、このように、苦楽を共にしてきた、敬愛してやまない韓国の友人方と一緒に拝受できますことは、何よりの喜びであります。
金銖甲総長はじめ諸先生方、誠に誠にありがとうございました(大拍手)。
◇清州ゆかりの長編詩歌 「源の深き水は日照りに乾かず」
一、貴大学が聳え立つ、ここ風光明媚な忠清北道の清州の天地は、世界史に不滅の光彩を放つ、15世紀の名君・世宗大王が、「訓民正音」(後のハングル)創製の最後の作業を行ったとされる文化の都であります。
大王は、"世界三大鉱泉"の一つとたたえられる椒井の薬水で眼を癒やし、心身に活力を漲らせて、大業の総仕上げに打ち込まれたのであります。
「訓民正音」を用いた長編詩歌「龍飛御天歌」の名高い一節は、この椒井を謳ったものと伝えられております。すなわち、「源の深き水は ひでりに乾かず 川をなし海にいたるなり」と。
一、本日は、このロマンあふれる史跡をしのびつつ、貴大学の校風に学び、簡潔に3点、申し述べさせていただきます。
第一に、「教育という価値創造の源泉を満々と!」ということであります。
清州の地は、1377年、現存する世界最古の金属活字本が刊行されたことでも有名であります。
貴大学は、この文化の遺産を誇り高く継承し、創造的なチャレンジ精神として止揚されています。
まことに教育こそ、若き生命が一人一人、自分らしく価値創造の力を尽きることなく汲み取り、幸福な人生を自在に開いていくための源泉であります。これは、私たち創価教育の創始者であり、戦時中、平和と人道に殉じた牧口常三郎先生の信念でもありました。
過酷な"ひでり"のような様相を呈する時代であるからこそ、学生を大切にして、創造的生命を育む大学は、まさに限りなき希望の泉であります。
この点、貴大学は、学生の満足度でも常に最高峰の模範と光る、人間教育の最高学府なのであります。
一、第二に申し上げたいのは、「開拓の人材の大河を滔々と!」ということであります。
貴大学の憲章には「逡巡なき勇気で新たな世界を開拓する」と誇らかに掲げられております。
そして目指すべき人材の六大力量として、「創意性」「ヒューマニズム」「能動性」「共同体意識」「グローバル」「専門性」という指標を明快に示されていることを、私は広く世界の青年たちに伝えたいのであります。
本年の入学式で、金総長は慈父のごとく新入生に語りかけられました。
「時には耐え難い苦痛が訪れ、眠れぬ夜を過ごすこともあるでしょう。しかし賢明な人は、苦難や困難さえも、自身を成長させる機会へ転換できるのです」と。心に染み入る励ましです。
韓国の友人たちと私が命に刻んできた大先哲の金言にも、「賢者はよろこび愚者は退く」とあります。
コロナ禍や悲惨な紛争の拡大、地球規模の気候変動など、山積する人類の危機を打開し、突破しゆくために、この不撓不屈の開拓力に満ちた若き人材の大河を、私たちはいよいよ滔々と流れ通わせていきたいと思うのであります。
◇"戸田大学"で学んだ世宗大王の業績 「智慧を広げるためには人の話を多く聞け」
一、第三に、「対話と交流の大海原を洋々と!」と、申し上げたい。
貴大学が創立された71年前、私が人生の師と仰ぐ戸田城聖先生は、「文化の大恩」深き貴国の民衆の苦悩に、深く強く胸を痛めておりました。
愛する祖国の安穏をひたぶるに祈る貴国の一人の母を最大にたたえながら、東洋そして地球民族の平和へ、香しき白ゆりをシンボルとする、新たな女性の連帯を結成したのも、この年であります。
この恩師から一対一の薫陶を受けた「戸田大学」で、私は世宗大王の偉大な業績と思想についても学んだのであります。
現代に響く世宗大王の箴言に、こうあります。
「智慧を広げるには、まず必ず人の話を多く聞き、耳を傾けることであり、智慧を増やすには、本を読む以上のことはない」
いやまして世界は、開かれた対話を要請しております。相互に敬い、学び合う文化・教育の交流を大海原のごとく洋々と広げていかねばなりません。
貴大学の素晴らしき校歌に、「正義の松明掲げた学問の殿堂 世紀の鐘が響くところ」とあります。
今日より私も、誉れ高き貴大学の一員として、尊敬する先生方と共に、また敬愛する韓国の宝友と共に、「人間教育の世紀」へ凱歌の暁鐘を高らかに打ち鳴らしていく決心であります。
最後に貴・忠北大学の無窮の栄光、さらに清州市そして忠清北道はじめ大韓民国の永遠の平和と繁栄を心よりお祈り申し上げ、私の謝辞とさせていただきます。
テダニ・カムサハムニダ!(韓国語で「誠にありがとうございました!」)
2022年5月6日金曜日
2022.05.06 わが友に贈る
「いよいよ強盛の御志
あるべし」御聖訓。
仏法は惰性との戦いだ。
朝晩の勤行を真剣に!
今日の課題を明確に!
(新1690・全1221)
四信五品抄 P339
『信を以て慧に代え信の一字を詮と為す』
【通解】
信をもって智慧に代え、信の一字を究極としている。
名字の言 「台詞」と「科白」の違い 2022年5月6日
「せりふ」には2通りあると、劇作家・別役実氏は言う。言葉だけの「台詞」と、それにしぐさが加わった「科白」である▼例えば、煙草を吸う演技。「それでね(と煙草を出し)言ってやったんだよ、私は(と一本くわえ)あっちへ行けってね(と火をつける)」。すると、「台詞」は、質感のある「科白」となり、「一度身体をくぐらせてきたもののように、手触りのあるものに変質している」(日本経済新聞2013年8月18日付)。行動によって、言葉は真実味を増す▼ある男子部員の父母は、耳が全く聞こえない。父は酒だるを作る職人として黙々と働いた。母はいつも御本尊の前に座る"題目の人"だった▼そんな両親から「言葉以上に教わるものがあった」という彼は"障がい者を法律の分野で守りたい"と、創価大学法科大学院へ進学。昨年、司法試験に合格し、学会の庭では男子部大学校5期生として成長を刻む▼池田先生は「親が前向きに懸命に生きる姿を、子どもは、見ていないようで、きちんと見ているものです。百の言葉よりも、一の行動です」と。子どもは親の背中を見て育つ。だからこそ、言葉にも行動で責任を持つ生き方を貫きたい。それが、わが子を使命の道へ導く力になると確信して。
寸鉄 2022年5月6日
「いずれもいずれも功徳にならざるはなし」御書 広布の闘士は希望の長者(新1494・全1098)
人類の未来思う池田博士の思想こそ世界結ぶ力—インド識者。信念の行動に続け
悩みがあるから人を救えるんだ—戸田先生。「願兼於業」の崇高なる菩薩道
「みずがめ座η流星群」が見頃に。宇宙のドラマに思いを馳せて心広々と
交通事故は夕暮れ時に多数。絶対に起こさない、遭わない。心の隙排して
☆御書と未来へ 第15回 広布の人生こそ最上の誉れ
〈御文〉
『あまつさえ、広宣流布の時は、日本一同に南無妙法蓮華経と唱えんことは、大地を的とするなるべし。ともかくも法華経に名をたて身をまかせ給うべし。』〈諸法実相抄、新1791・全1360〉
〈通解〉
そればかりか、広宣流布の時は、日本中が一同に南無妙法蓮華経と唱えることは大地を的とするように確かなことである。ともかくも、法華経に名を立て、身を任せていきなさい。
〈池田先生が贈る指針〉
広宣流布は必ず実現できる。いな、断固として実現する。この大確信、この大誓願こそ、「5・3」を貫く創価の師弟の魂である。
大地を的とするごとく、我らの信心に不可能はない。全てを希望へ、幸福へ、勝利へ、断じて転じていくのだ。
学会と共に、同志と共に、真剣に祈り、勇敢に動き、明快に語りゆこう!
☆御書根本の大道 池田大作先生の講義に学ぶ 第9回 共戦の同志
◇生死一大事血脈抄
『金は大火にも焼けず、大水にも漂わず、朽ちず。鉄は水火共に堪えず。賢人は金のごとく、愚人は鉄のごとし。貴辺あに真金にあらずや。法華経の金を持つ故か。(中略)
過去の宿縁追い来って、今度日蓮が弟子と成り給うか。釈迦・多宝こそ御存知候らめ。「在々諸仏土、常与師倶生(いたるところの諸仏の土に、常に師とともに生ず)」、よも虚事候わじ。』(新1776・全1337)
◇勇気の指標
師弟とは、弟子が自ら決意してこそ成り立つ「魂の結合」です。
一般的にも、師弟が人生を豊かに深くする——これは、私が世界の識者と語らう中で深く一致した一つの結論です。(中略)
仏法の師弟に生きることは、深遠であり峻厳です。そして、永遠であり、無窮なのです。
◆◇◆
師と弟子が、いかなる場所をも仏国土へと変えるため、また全民衆の宿命転換のために戦っていく。そのことは、久遠(遠い昔)からの約束であり、自らの誓願にほかなりません。まさしく、妙法を根本とした「師弟の絆」は、生死を超えて、三世永遠にわたるのです。
◆◇◆
地涌の菩薩は、妙法の偉大さを証明するために、それぞれの時を選んで生まれてくるのです。皆さんの先輩たちは、一人一人が師弟の絆を自覚し、強い使命感に生きるがゆえに、現実の困難にも負けることなく、経済苦や病気といった宿命も転換し、最高に価値ある人生を歩み、今日の壮大な広布の道を開いてきたのです。(中略)
皆さんは、その晴れ舞台で勇んで舞いゆくのです。皆さんが立ち上がることで、人類の未来を照らす希望の連帯は、いよいよ地球を大きく包んでいくのです。
◇勝利を開く正義の陣列を 鈴木貴博 東海道青年部長
目前に迫った「5・3」、そして「青年の月」7月へ。東海道青年部は、弾む生命で拡大へ駆けています。
2009年(平成21年)4月14日、池田先生は全国代表協議会の席上、「共戦」の御揮毫を初めて披露してくださいました。脇書には、「五十四年 五月三日夜 生涯にわたり われ広布を 不動の心にて 決意あり 真実の同志あるを 信じつつ 合掌」と。
1979年(昭和54年)の5月3日、神奈川文化会館に来館された池田先生が、「誓」の揮毫とともに認められていたのです。
衝撃にも似た感動を覚えたことを鮮明に記憶しています。以来、自分自身が、共戦の弟子であろうと祈り、戦ってきました。
今回、「生死一大事血脈抄」を拝し、共戦の同志として生き抜く誓いを新たにしていきたいと思います。
◇魂の結合
御文では、金と鉄の譬えを通して、苦難があろうとも法華経の信仰を貫く賢人こそ、真金であることを教えられています。
金か鉄か、賢人か愚人か——。苦難に直面した時こそ、その人の真価、信心が明らかになります。
本抄を頂いた最蓮房は、法難の渦中に大聖人の弟子となり、自らも難に屈せず、弟子の道を貫きました。先生はこのことに触れ、「師弟とは、弟子が自ら決意してこそ成り立つ『魂の結合』」と講義されています。
私自身、苦境の中で、池田先生、学会にしがみつくようにして戦ってきました。
男子部のリーダーとして全力で戦っていた数年前、妻が流産。さまざまな悩みも重なり、苦しい日々が続きましたが、"今こそ師匠に心を合わせ、信心で勝負する時"と夫婦で懸命に広布に奔走しました。その後、長男が誕生。今、3人の子宝に恵まれ、感謝は尽きません。
困難の壁にぶつかり、乗り越えるたびに、師弟の「魂の結合」が強固になるのだと、体験を通して、教えていただきました。
◇勝ってこそ正義
「勝ってこそ正義」——。
東海道の青年部は、この先生の指導通り、立正安国の勝利を開きゆく"正義の陣列"を構築するため、対話拡大、訪問・激励に全力を注いでいます。私自身も自らの体験と実践を通して一対一の励ましに取り組んでいます。
私が日々勝負していることは、「朝の祈り」です。仕事で多忙を極める青年時代。毎日の難局を乗り越えていく鍵は、何にもまして生命力です。
仕事や家庭の悩みと格闘している方をはじめ、男子部メンバーと語り合う際は、朝の祈りの大切さを共有。題目根本のリズムを刻む中で、共に広布拡大と人間革命に挑んでいます。
また、もちろん信頼関係があることが前提ですが、友が自らの課題と向き合い、乗り越えていけるよう、表面的な対話ではなく一歩踏み込んで、目標や悩みを共有できるように心掛けています。真実の絆で結ばれた同志の連帯を広げていきます。
◇"師の側"に
「魂の独立」から30年を迎えた昨年、静岡で、極悪との戦いを貫いてきた多くの方々からお話を伺う機会がありました。
皆が口々におっしゃっていたことは、宗門の堕落した醜い実態と"私たちは池田先生と学会に信心を教えていただき、幸せになることができた"ということです。
30年を経た今、皆が勝利と幸福の実証を示されています。ある女性部の方が語られた、"この極悪との闘争があったからこそ、師匠と共戦できました"との言葉に、「共戦」の2文字に込められた意味の深さを学ばせていただきました。
師弟共戦とは、"師の側"に立ち、先生の心をわが心として、心の師と対話しながら、自分の振る舞い、行動に落とし込んでいく不断の闘争ではないでしょうか。
不思議な縁で、今この時を選んで偉大な師匠のもとに生まれてきた私たちです。
師匠との共戦、同志との共戦に生き抜く中で、広布と人間革命のドラマは生まれます。
私たち青年部が、破邪顕正の師子吼を放ち、東海道の天地に正義の勝利の旗を、断固と打ち立ててまいります。
◇メモ
「生死一大事血脈抄」は、文永9年(1272年)、佐渡・塚原で認められ、同じく佐渡に流罪中の最蓮房に与えられたとされる。生死一大事血脈という成仏の要諦に関する法門についての質問に答えられた書。最蓮房は天台宗の学僧だったが、何らかの理由で佐渡に流され、そこで日蓮大聖人の弟子になったと伝えられている。
あるべし」御聖訓。
仏法は惰性との戦いだ。
朝晩の勤行を真剣に!
今日の課題を明確に!
(新1690・全1221)
四信五品抄 P339
『信を以て慧に代え信の一字を詮と為す』
【通解】
信をもって智慧に代え、信の一字を究極としている。
名字の言 「台詞」と「科白」の違い 2022年5月6日
「せりふ」には2通りあると、劇作家・別役実氏は言う。言葉だけの「台詞」と、それにしぐさが加わった「科白」である▼例えば、煙草を吸う演技。「それでね(と煙草を出し)言ってやったんだよ、私は(と一本くわえ)あっちへ行けってね(と火をつける)」。すると、「台詞」は、質感のある「科白」となり、「一度身体をくぐらせてきたもののように、手触りのあるものに変質している」(日本経済新聞2013年8月18日付)。行動によって、言葉は真実味を増す▼ある男子部員の父母は、耳が全く聞こえない。父は酒だるを作る職人として黙々と働いた。母はいつも御本尊の前に座る"題目の人"だった▼そんな両親から「言葉以上に教わるものがあった」という彼は"障がい者を法律の分野で守りたい"と、創価大学法科大学院へ進学。昨年、司法試験に合格し、学会の庭では男子部大学校5期生として成長を刻む▼池田先生は「親が前向きに懸命に生きる姿を、子どもは、見ていないようで、きちんと見ているものです。百の言葉よりも、一の行動です」と。子どもは親の背中を見て育つ。だからこそ、言葉にも行動で責任を持つ生き方を貫きたい。それが、わが子を使命の道へ導く力になると確信して。
寸鉄 2022年5月6日
「いずれもいずれも功徳にならざるはなし」御書 広布の闘士は希望の長者(新1494・全1098)
人類の未来思う池田博士の思想こそ世界結ぶ力—インド識者。信念の行動に続け
悩みがあるから人を救えるんだ—戸田先生。「願兼於業」の崇高なる菩薩道
「みずがめ座η流星群」が見頃に。宇宙のドラマに思いを馳せて心広々と
交通事故は夕暮れ時に多数。絶対に起こさない、遭わない。心の隙排して
☆御書と未来へ 第15回 広布の人生こそ最上の誉れ
〈御文〉
『あまつさえ、広宣流布の時は、日本一同に南無妙法蓮華経と唱えんことは、大地を的とするなるべし。ともかくも法華経に名をたて身をまかせ給うべし。』〈諸法実相抄、新1791・全1360〉
〈通解〉
そればかりか、広宣流布の時は、日本中が一同に南無妙法蓮華経と唱えることは大地を的とするように確かなことである。ともかくも、法華経に名を立て、身を任せていきなさい。
〈池田先生が贈る指針〉
広宣流布は必ず実現できる。いな、断固として実現する。この大確信、この大誓願こそ、「5・3」を貫く創価の師弟の魂である。
大地を的とするごとく、我らの信心に不可能はない。全てを希望へ、幸福へ、勝利へ、断じて転じていくのだ。
学会と共に、同志と共に、真剣に祈り、勇敢に動き、明快に語りゆこう!
☆御書根本の大道 池田大作先生の講義に学ぶ 第9回 共戦の同志
◇生死一大事血脈抄
『金は大火にも焼けず、大水にも漂わず、朽ちず。鉄は水火共に堪えず。賢人は金のごとく、愚人は鉄のごとし。貴辺あに真金にあらずや。法華経の金を持つ故か。(中略)
過去の宿縁追い来って、今度日蓮が弟子と成り給うか。釈迦・多宝こそ御存知候らめ。「在々諸仏土、常与師倶生(いたるところの諸仏の土に、常に師とともに生ず)」、よも虚事候わじ。』(新1776・全1337)
◇勇気の指標
師弟とは、弟子が自ら決意してこそ成り立つ「魂の結合」です。
一般的にも、師弟が人生を豊かに深くする——これは、私が世界の識者と語らう中で深く一致した一つの結論です。(中略)
仏法の師弟に生きることは、深遠であり峻厳です。そして、永遠であり、無窮なのです。
◆◇◆
師と弟子が、いかなる場所をも仏国土へと変えるため、また全民衆の宿命転換のために戦っていく。そのことは、久遠(遠い昔)からの約束であり、自らの誓願にほかなりません。まさしく、妙法を根本とした「師弟の絆」は、生死を超えて、三世永遠にわたるのです。
◆◇◆
地涌の菩薩は、妙法の偉大さを証明するために、それぞれの時を選んで生まれてくるのです。皆さんの先輩たちは、一人一人が師弟の絆を自覚し、強い使命感に生きるがゆえに、現実の困難にも負けることなく、経済苦や病気といった宿命も転換し、最高に価値ある人生を歩み、今日の壮大な広布の道を開いてきたのです。(中略)
皆さんは、その晴れ舞台で勇んで舞いゆくのです。皆さんが立ち上がることで、人類の未来を照らす希望の連帯は、いよいよ地球を大きく包んでいくのです。
◇勝利を開く正義の陣列を 鈴木貴博 東海道青年部長
目前に迫った「5・3」、そして「青年の月」7月へ。東海道青年部は、弾む生命で拡大へ駆けています。
2009年(平成21年)4月14日、池田先生は全国代表協議会の席上、「共戦」の御揮毫を初めて披露してくださいました。脇書には、「五十四年 五月三日夜 生涯にわたり われ広布を 不動の心にて 決意あり 真実の同志あるを 信じつつ 合掌」と。
1979年(昭和54年)の5月3日、神奈川文化会館に来館された池田先生が、「誓」の揮毫とともに認められていたのです。
衝撃にも似た感動を覚えたことを鮮明に記憶しています。以来、自分自身が、共戦の弟子であろうと祈り、戦ってきました。
今回、「生死一大事血脈抄」を拝し、共戦の同志として生き抜く誓いを新たにしていきたいと思います。
◇魂の結合
御文では、金と鉄の譬えを通して、苦難があろうとも法華経の信仰を貫く賢人こそ、真金であることを教えられています。
金か鉄か、賢人か愚人か——。苦難に直面した時こそ、その人の真価、信心が明らかになります。
本抄を頂いた最蓮房は、法難の渦中に大聖人の弟子となり、自らも難に屈せず、弟子の道を貫きました。先生はこのことに触れ、「師弟とは、弟子が自ら決意してこそ成り立つ『魂の結合』」と講義されています。
私自身、苦境の中で、池田先生、学会にしがみつくようにして戦ってきました。
男子部のリーダーとして全力で戦っていた数年前、妻が流産。さまざまな悩みも重なり、苦しい日々が続きましたが、"今こそ師匠に心を合わせ、信心で勝負する時"と夫婦で懸命に広布に奔走しました。その後、長男が誕生。今、3人の子宝に恵まれ、感謝は尽きません。
困難の壁にぶつかり、乗り越えるたびに、師弟の「魂の結合」が強固になるのだと、体験を通して、教えていただきました。
◇勝ってこそ正義
「勝ってこそ正義」——。
東海道の青年部は、この先生の指導通り、立正安国の勝利を開きゆく"正義の陣列"を構築するため、対話拡大、訪問・激励に全力を注いでいます。私自身も自らの体験と実践を通して一対一の励ましに取り組んでいます。
私が日々勝負していることは、「朝の祈り」です。仕事で多忙を極める青年時代。毎日の難局を乗り越えていく鍵は、何にもまして生命力です。
仕事や家庭の悩みと格闘している方をはじめ、男子部メンバーと語り合う際は、朝の祈りの大切さを共有。題目根本のリズムを刻む中で、共に広布拡大と人間革命に挑んでいます。
また、もちろん信頼関係があることが前提ですが、友が自らの課題と向き合い、乗り越えていけるよう、表面的な対話ではなく一歩踏み込んで、目標や悩みを共有できるように心掛けています。真実の絆で結ばれた同志の連帯を広げていきます。
◇"師の側"に
「魂の独立」から30年を迎えた昨年、静岡で、極悪との戦いを貫いてきた多くの方々からお話を伺う機会がありました。
皆が口々におっしゃっていたことは、宗門の堕落した醜い実態と"私たちは池田先生と学会に信心を教えていただき、幸せになることができた"ということです。
30年を経た今、皆が勝利と幸福の実証を示されています。ある女性部の方が語られた、"この極悪との闘争があったからこそ、師匠と共戦できました"との言葉に、「共戦」の2文字に込められた意味の深さを学ばせていただきました。
師弟共戦とは、"師の側"に立ち、先生の心をわが心として、心の師と対話しながら、自分の振る舞い、行動に落とし込んでいく不断の闘争ではないでしょうか。
不思議な縁で、今この時を選んで偉大な師匠のもとに生まれてきた私たちです。
師匠との共戦、同志との共戦に生き抜く中で、広布と人間革命のドラマは生まれます。
私たち青年部が、破邪顕正の師子吼を放ち、東海道の天地に正義の勝利の旗を、断固と打ち立ててまいります。
◇メモ
「生死一大事血脈抄」は、文永9年(1272年)、佐渡・塚原で認められ、同じく佐渡に流罪中の最蓮房に与えられたとされる。生死一大事血脈という成仏の要諦に関する法門についての質問に答えられた書。最蓮房は天台宗の学僧だったが、何らかの理由で佐渡に流され、そこで日蓮大聖人の弟子になったと伝えられている。
2022年5月5日木曜日
2022.05.05 わが友に贈る
後継の未来部の友よ
君の可能性は無限大!
それを引き出すのが
信心であり勉強だ。
負けじ魂で前へ 前へ!
華果成就御書 P900
『常にかたりあわせて出離生死して同心に霊山浄土にてうなづきかたり給へ』
【通解】
常に語り合って生死の迷苦を離れ、同心に霊山浄土においてうなずき合って話しなさい。
【先生の指導から】
今世も、ともに戦い、語りあいなさい。死んでも、霊山で語りあいなさい、と。三世永遠に語りあい、励ましあって、ともに幸福へと歩んでいく。これが広布の同志である。このうるわしい創価の世界に、学会利用の悪人や、仏子をいじめる意地悪な人間、そして忘恩の反逆者など、絶対に入れてはいけない。「日蓮大聖人の仏法のために」そして「仏意仏勅の創価学会のために」「戦争なき平和のために」戦う同志の連帯が、わが学会の前進である。三世を見通して、価値ある、そして偉大なる平和と幸福と勝利の大道を、朗らかに前進していくのが、仏法の方程式である。小さなことを嘆いてはいけない。少々の苦難で、へこたれてはいけない。絶対に退転してはいけない。それは卑怯者である。裏切り者である。三世永遠の勝利の人生を、断固たる信念の不滅の人生を生きぬいていくことだ。これが人間最極の意義ある生き方なのである。
名字の言 きょう「創価学会後継者の日」 2022年5月5日
ある会合で池田先生が会場の未来部員たちに問い掛けた。「成績の良い人?」。友が元気よく挙手する中、先生は言った。「手が挙がらなかった人もいましたが、先は長いよ。戦いは、これからです」▼さらに先生は"親孝行の人に"と願いつつ、こう語った。「皆さんにも何かと不満はあるだろうが、お父さん、お母さんも、苦しみながら生きている。そのなかで、君たちを立派にしたいと頑張っている。その心が分かる皆さんであってください」▼この会合に参加した同志と、先日語らった。当時は思春期で、両親に反発ばかりしていたという。「でも、不思議と先生の言葉には素直になれて……。気付けば涙を流していました」と述懐する彼も、今や1児の父となった▼御聖訓に「親が子を捨てないように、子どもが母親から離れないように、御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱えることを信心というのです」(新1697・全1255、趣意)と▼"わが子を立派な人材に育ててみせる"という親の心。"親孝行のできる正しい人生を歩みます!"という子の心——両者の美しい心が共鳴する中に、本物の信心と広布の前進がある。5月5日の「創価学会後継者の日」に、親子の麗しくも深遠な絆を思う。
寸鉄 2022年5月5日
難に負けぬ信心こそ永遠の幸福の城築く力—恩師 師子吼の題目で勝利劇を
神奈川の日。師弟共戦の炎は赤々と。正義の闘魂で壁破れ!断固勝ち進め
東京・豊島の日。三代有縁の地に輝く人材城。"私の対話"で新たな陣列拡大
尊敬が友情の大切な要素—哲人エマソン。友の仏性信ずる誠実な振舞で信頼の輪を
ベランダからの子の転落事故多発。踏み台になる家具等置くな。再度点検
〈社説〉 2022・5・5 きょう創価学会後継者の日
◇全員が平和を担う世界市民に
きょうは「創価学会後継者の日」。1976年5月5日、池田先生が関西戸田記念講堂で行われた鳳雛会・未来部の記念勤行会に出席し、この日を「創価学会後継者の日」とすることを発表した。
席上、先生は「創価学会にとって『後継者の日』は、5月3日の『創価学会の日』に続く重要な日である。一切の建設は『人』で決まる。『人』といっても、若い世代に託す以外にないからである」と。また、「21世紀に、何が一番大事か。それは確固たる哲学をもち、なおかつ自在に世界の人々と友好を結べる力である。哲学と語学である」と語られたことも。
世界市民を目指し、まず楽しく英語に触れられるようにと、中部未来部が2011年から企画し、取り組んできた「E—1グランプリ」。4人1組のチームをつくり、英語で劇を披露し合うコンテストで、第1回から好評を博し、7年前、全国開催になった。翌年からは、少年少女部員も参加対象になり、これまで多くの友が挑戦し活躍してきた。
名古屋のある池田華陽会メンバーは、中学1年から「E—1グランプリ」に参加。これまでに4回出場し、昨年は全国第2位に輝いた。練習に励み、同世代の友と池田先生の指導を学ぶ中で、"世界市民として、恒久平和に貢献できる人になろう"と約し合う。その後、彼女は猛勉強の末に、アメリカ創価大学に合格したのである。
共に"E—1"に挑戦してきたメンバーは、彼女が受験勉強で大変な時にも励ましを送り続け、合格した時は、わがことのように喜んだという。未来部の友は、"E—1"を通して、語学という世界へ羽ばたくための"パスポート"を手にするとともに、友情を結び、固い絆を築き、金剛不壊の"心の財"を積むことができたのだ。
創価学会は21世紀の前半を第2の「七つの鐘」と位置づけて前進している。本年はその4番目の鐘が打ち鳴らされる節目の時。
池田先生は「勇んで躍り出て、『人間勝利の鐘』を響かせる、地涌の世界市民は誰か。それは、後継の宝の青年である! 成長頼もしい未来部のみんなである!」と大きな期待を寄せる。
今の未来部員こそ、第2の「七つの鐘」を総仕上げする使命深き人材。わが家の、そして地域の"未来リーダー"と共に、世界広布への勇気の一歩を踏み出そう。
☆第9回本部幹部会 池田先生の指針——さあ登ろう! 共に広布の山を
◇きょうも仏縁広げる対話の先頭に
◇自ら勇んで「動く」「会う」「語る」——この「繰り返し」が境涯を開く
最初に「健康第一で」と申し上げたい。
どうすれば、より健康になるか、あらゆる工夫をし、知恵を働かせていただきたい。
信心は健康の原動力である。信心しているから大丈夫なのではなく、信心しているからこそ知恵を出さなければならない。
いつも生き生きとして、すがすがしい人。健康な色心(心身)で成長している人。その人は、周囲にも清浄な空気を与える。
自分のため、ご家族のため、使命のために、健康で、すがすがしい自分を毎日つくっていく。その自覚をお願い申し上げたい。
御書には「須弥山に近づく鳥は金色となるなり」(全1536・新1863)——須弥山に近づく鳥は金色になるのである——と仰せである。
創価学会は、仏法のために働き、広宣流布をなしゆく地涌の勇者の集いであり、仏意仏勅の団体である。
この学会とともに進む人は、その姿のままで、心も、智慧も、福徳も金色に輝いていく。自分らしく、人間としての価値を最大に発揮できるのである。
華やかではなくとも、広宣流布の世界の中で、みずからの使命の道を黙々と進んでいく人。その人こそ「偉大な人」である。
だれもが、自分にしか果たせない大切な使命をもっている。
ゆえに、すべての人を大切にし、すべての人に光を当て、皆が存分に活躍していけるようにするのが信心の世界であり、創価学会の世界なのである。
皆で一緒に、そして自分らしく、堂々と「広宣流布の山」を登ってまいりましょう!
◇釈尊の行動
人間ブッダ。かの釈尊も、朝早くから外に飛び出して、みずからの足で、歩きに歩いた。
自分から勇んで外に出る。それが釈尊の一日の始まりであった。当時は、裸足である。釈尊の足は、ものすごく大きかったとも言われている。
人を動かすのではなく、まず、自分から動く。みずから率先して行動する。それでこそ人は信頼し、動きだすのである。
こんなエピソードも伝えられている。〈以下、『ブッダ 悪魔との対話』(中村元訳、岩波文庫)を参照〉
ある朝、釈尊は、まだ仏教を信じていないウダヤというバラモンの家に足を運んだ。バラモンは、当時のインド社会で最も高い階層である。托鉢——鉢を持って食事の供養を受ける修行である。この行動を通して、仏縁を結ばせたのである。
広宣流布の活動も一次元からいえば、「仏縁を結び」「仏縁を広げる」活動である。
私も、これまで、日本中、世界中を回りに回ってきた。あらゆる人、あらゆる国に仏縁を広げてきた。
次の朝も、釈尊は彼の家に足を運んだ。また、その次の朝も。
三日目のことである。ウダヤは、釈尊に言った。
「繰り返しやって来るとは、しつこい奴だな!」
この悪口に対して、釈尊は、「繰り返すこと」の意義を悠然と語った。
——たとえば農夫は、「いつも繰り返し」種を播き、「いつも繰り返し」田畑を耕して、収穫をするではないか。
また、天は「いつも繰り返し」雨を降らし、大地を潤すではないか。
また、仔牛も「いつも繰り返し」母に近づいて育っていくではないか、と。
これが道理である。
◇前進のリズム
スポーツでも、芸術でも、大切なのは、基本を繰り返すことである。「繰り返し」のなかで鍛えられるのである。
仏道修行においても、「いつも繰り返し」善根を積みゆく人が、すばらしき福徳の大境涯を得ることができる。
「繰り返し」「繰り返し」善根を積んでいく——。その福徳は無量であり、生々世々に自身を飾っていくことを確信していただきたい。
釈尊はさらに説いた。
同じ「繰り返し」でも、愚者は、いつも苦しみと迷いの生死を繰り返す。だからこそ、仏法によって、智慧を豊かにし、悪道の輪廻を断ち切っていくのだ——と。
「悪の繰り返し」を断ち切り、「善の繰り返し」へと転じていかなければならない。
はじめは、釈尊のことを「しつこい奴だ!」と罵っていたウダヤも、この釈尊との対話によって、ついに仏法を信仰する決意をした。仏典には、こうした多くのドラマが述べられている。
きょうも、そして、あすも。また、きょうも、そして、あすも。
「みずから動こう」「みずから出会おう」「みずから語ろう」
これこそ、釈尊の行動であった。ここにこそ人間としての正道があり、真実の仏法者の誉れがある。
これが、創価学会の「前進のリズム」である。釈尊と同じであり、根本の日蓮大聖人と同じ方程式で学会は進んでいるのである。
私の願いは、ともかく全員が幸福になっていただきたいということである。
どうか皆さまも、それぞれの広布の舞台で存分に活躍していただきたい。
きょうは本当にありがとう。ご苦労さま!
(1995年5月に行われた第88回本部幹部会・第13回中部総会)
君の可能性は無限大!
それを引き出すのが
信心であり勉強だ。
負けじ魂で前へ 前へ!
華果成就御書 P900
『常にかたりあわせて出離生死して同心に霊山浄土にてうなづきかたり給へ』
【通解】
常に語り合って生死の迷苦を離れ、同心に霊山浄土においてうなずき合って話しなさい。
【先生の指導から】
今世も、ともに戦い、語りあいなさい。死んでも、霊山で語りあいなさい、と。三世永遠に語りあい、励ましあって、ともに幸福へと歩んでいく。これが広布の同志である。このうるわしい創価の世界に、学会利用の悪人や、仏子をいじめる意地悪な人間、そして忘恩の反逆者など、絶対に入れてはいけない。「日蓮大聖人の仏法のために」そして「仏意仏勅の創価学会のために」「戦争なき平和のために」戦う同志の連帯が、わが学会の前進である。三世を見通して、価値ある、そして偉大なる平和と幸福と勝利の大道を、朗らかに前進していくのが、仏法の方程式である。小さなことを嘆いてはいけない。少々の苦難で、へこたれてはいけない。絶対に退転してはいけない。それは卑怯者である。裏切り者である。三世永遠の勝利の人生を、断固たる信念の不滅の人生を生きぬいていくことだ。これが人間最極の意義ある生き方なのである。
名字の言 きょう「創価学会後継者の日」 2022年5月5日
ある会合で池田先生が会場の未来部員たちに問い掛けた。「成績の良い人?」。友が元気よく挙手する中、先生は言った。「手が挙がらなかった人もいましたが、先は長いよ。戦いは、これからです」▼さらに先生は"親孝行の人に"と願いつつ、こう語った。「皆さんにも何かと不満はあるだろうが、お父さん、お母さんも、苦しみながら生きている。そのなかで、君たちを立派にしたいと頑張っている。その心が分かる皆さんであってください」▼この会合に参加した同志と、先日語らった。当時は思春期で、両親に反発ばかりしていたという。「でも、不思議と先生の言葉には素直になれて……。気付けば涙を流していました」と述懐する彼も、今や1児の父となった▼御聖訓に「親が子を捨てないように、子どもが母親から離れないように、御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱えることを信心というのです」(新1697・全1255、趣意)と▼"わが子を立派な人材に育ててみせる"という親の心。"親孝行のできる正しい人生を歩みます!"という子の心——両者の美しい心が共鳴する中に、本物の信心と広布の前進がある。5月5日の「創価学会後継者の日」に、親子の麗しくも深遠な絆を思う。
寸鉄 2022年5月5日
難に負けぬ信心こそ永遠の幸福の城築く力—恩師 師子吼の題目で勝利劇を
神奈川の日。師弟共戦の炎は赤々と。正義の闘魂で壁破れ!断固勝ち進め
東京・豊島の日。三代有縁の地に輝く人材城。"私の対話"で新たな陣列拡大
尊敬が友情の大切な要素—哲人エマソン。友の仏性信ずる誠実な振舞で信頼の輪を
ベランダからの子の転落事故多発。踏み台になる家具等置くな。再度点検
〈社説〉 2022・5・5 きょう創価学会後継者の日
◇全員が平和を担う世界市民に
きょうは「創価学会後継者の日」。1976年5月5日、池田先生が関西戸田記念講堂で行われた鳳雛会・未来部の記念勤行会に出席し、この日を「創価学会後継者の日」とすることを発表した。
席上、先生は「創価学会にとって『後継者の日』は、5月3日の『創価学会の日』に続く重要な日である。一切の建設は『人』で決まる。『人』といっても、若い世代に託す以外にないからである」と。また、「21世紀に、何が一番大事か。それは確固たる哲学をもち、なおかつ自在に世界の人々と友好を結べる力である。哲学と語学である」と語られたことも。
世界市民を目指し、まず楽しく英語に触れられるようにと、中部未来部が2011年から企画し、取り組んできた「E—1グランプリ」。4人1組のチームをつくり、英語で劇を披露し合うコンテストで、第1回から好評を博し、7年前、全国開催になった。翌年からは、少年少女部員も参加対象になり、これまで多くの友が挑戦し活躍してきた。
名古屋のある池田華陽会メンバーは、中学1年から「E—1グランプリ」に参加。これまでに4回出場し、昨年は全国第2位に輝いた。練習に励み、同世代の友と池田先生の指導を学ぶ中で、"世界市民として、恒久平和に貢献できる人になろう"と約し合う。その後、彼女は猛勉強の末に、アメリカ創価大学に合格したのである。
共に"E—1"に挑戦してきたメンバーは、彼女が受験勉強で大変な時にも励ましを送り続け、合格した時は、わがことのように喜んだという。未来部の友は、"E—1"を通して、語学という世界へ羽ばたくための"パスポート"を手にするとともに、友情を結び、固い絆を築き、金剛不壊の"心の財"を積むことができたのだ。
創価学会は21世紀の前半を第2の「七つの鐘」と位置づけて前進している。本年はその4番目の鐘が打ち鳴らされる節目の時。
池田先生は「勇んで躍り出て、『人間勝利の鐘』を響かせる、地涌の世界市民は誰か。それは、後継の宝の青年である! 成長頼もしい未来部のみんなである!」と大きな期待を寄せる。
今の未来部員こそ、第2の「七つの鐘」を総仕上げする使命深き人材。わが家の、そして地域の"未来リーダー"と共に、世界広布への勇気の一歩を踏み出そう。
☆第9回本部幹部会 池田先生の指針——さあ登ろう! 共に広布の山を
◇きょうも仏縁広げる対話の先頭に
◇自ら勇んで「動く」「会う」「語る」——この「繰り返し」が境涯を開く
最初に「健康第一で」と申し上げたい。
どうすれば、より健康になるか、あらゆる工夫をし、知恵を働かせていただきたい。
信心は健康の原動力である。信心しているから大丈夫なのではなく、信心しているからこそ知恵を出さなければならない。
いつも生き生きとして、すがすがしい人。健康な色心(心身)で成長している人。その人は、周囲にも清浄な空気を与える。
自分のため、ご家族のため、使命のために、健康で、すがすがしい自分を毎日つくっていく。その自覚をお願い申し上げたい。
御書には「須弥山に近づく鳥は金色となるなり」(全1536・新1863)——須弥山に近づく鳥は金色になるのである——と仰せである。
創価学会は、仏法のために働き、広宣流布をなしゆく地涌の勇者の集いであり、仏意仏勅の団体である。
この学会とともに進む人は、その姿のままで、心も、智慧も、福徳も金色に輝いていく。自分らしく、人間としての価値を最大に発揮できるのである。
華やかではなくとも、広宣流布の世界の中で、みずからの使命の道を黙々と進んでいく人。その人こそ「偉大な人」である。
だれもが、自分にしか果たせない大切な使命をもっている。
ゆえに、すべての人を大切にし、すべての人に光を当て、皆が存分に活躍していけるようにするのが信心の世界であり、創価学会の世界なのである。
皆で一緒に、そして自分らしく、堂々と「広宣流布の山」を登ってまいりましょう!
◇釈尊の行動
人間ブッダ。かの釈尊も、朝早くから外に飛び出して、みずからの足で、歩きに歩いた。
自分から勇んで外に出る。それが釈尊の一日の始まりであった。当時は、裸足である。釈尊の足は、ものすごく大きかったとも言われている。
人を動かすのではなく、まず、自分から動く。みずから率先して行動する。それでこそ人は信頼し、動きだすのである。
こんなエピソードも伝えられている。〈以下、『ブッダ 悪魔との対話』(中村元訳、岩波文庫)を参照〉
ある朝、釈尊は、まだ仏教を信じていないウダヤというバラモンの家に足を運んだ。バラモンは、当時のインド社会で最も高い階層である。托鉢——鉢を持って食事の供養を受ける修行である。この行動を通して、仏縁を結ばせたのである。
広宣流布の活動も一次元からいえば、「仏縁を結び」「仏縁を広げる」活動である。
私も、これまで、日本中、世界中を回りに回ってきた。あらゆる人、あらゆる国に仏縁を広げてきた。
次の朝も、釈尊は彼の家に足を運んだ。また、その次の朝も。
三日目のことである。ウダヤは、釈尊に言った。
「繰り返しやって来るとは、しつこい奴だな!」
この悪口に対して、釈尊は、「繰り返すこと」の意義を悠然と語った。
——たとえば農夫は、「いつも繰り返し」種を播き、「いつも繰り返し」田畑を耕して、収穫をするではないか。
また、天は「いつも繰り返し」雨を降らし、大地を潤すではないか。
また、仔牛も「いつも繰り返し」母に近づいて育っていくではないか、と。
これが道理である。
◇前進のリズム
スポーツでも、芸術でも、大切なのは、基本を繰り返すことである。「繰り返し」のなかで鍛えられるのである。
仏道修行においても、「いつも繰り返し」善根を積みゆく人が、すばらしき福徳の大境涯を得ることができる。
「繰り返し」「繰り返し」善根を積んでいく——。その福徳は無量であり、生々世々に自身を飾っていくことを確信していただきたい。
釈尊はさらに説いた。
同じ「繰り返し」でも、愚者は、いつも苦しみと迷いの生死を繰り返す。だからこそ、仏法によって、智慧を豊かにし、悪道の輪廻を断ち切っていくのだ——と。
「悪の繰り返し」を断ち切り、「善の繰り返し」へと転じていかなければならない。
はじめは、釈尊のことを「しつこい奴だ!」と罵っていたウダヤも、この釈尊との対話によって、ついに仏法を信仰する決意をした。仏典には、こうした多くのドラマが述べられている。
きょうも、そして、あすも。また、きょうも、そして、あすも。
「みずから動こう」「みずから出会おう」「みずから語ろう」
これこそ、釈尊の行動であった。ここにこそ人間としての正道があり、真実の仏法者の誉れがある。
これが、創価学会の「前進のリズム」である。釈尊と同じであり、根本の日蓮大聖人と同じ方程式で学会は進んでいるのである。
私の願いは、ともかく全員が幸福になっていただきたいということである。
どうか皆さまも、それぞれの広布の舞台で存分に活躍していただきたい。
きょうは本当にありがとう。ご苦労さま!
(1995年5月に行われた第88回本部幹部会・第13回中部総会)
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