◇今週のことば
新入会の宝友を大切に。
進学・就職・転居など
新出発の同志へ応援を。
共に「人間革命」の春だ。
創価桜の道を足元から!
2022年3月21日
四条金吾殿御返事 P1180
『此の法門につきし人あまた候いしかどもをほやけわたくしの大難度度重なり候いしかば一年二年こそつき候いしが後後には皆或はをち或はかへり矢をいる、或は身はをちねども心をち或は心はをちねども身はをちぬ』
【通解】
この法門についた人は数多くいるけれども、公私ともに大難がたびたび重なってきたので、一年、二年はついてきたものの、後々には、皆、あるいは退転し、あるいは反逆の矢を射た。また、あるいは身は堕ちなくても心は堕ち、あるいは心は堕ちなくても身は堕ちてしまった。
名字の言 人類史に残る巨悪を為した人間。それは…… 2022年3月21日
ベルリン郊外のヴァンゼー湖畔で15人のナチス政権の高官が集まったのは80年前のことだった。会議のテーマは"ユダヤ人問題の最終的解決"。「ヴァンゼー会議」と呼ばれる、その会議以降、ホロコースト(大虐殺)が加速したとも指摘される▼会議の詳細な議事録が残されている。作成したのはアイヒマン。ナチス親衛隊の大将からユダヤ人の大量移送の計画・促進を命じられ、実行に移した人物である。戦後、国外に逃亡し、アルゼンチンに身を潜めていたが逮捕され、裁判にかけられる▼人類史に残る巨悪を為した人間——その実像は、考えることを放棄し、命令を淡々とこなす平凡な役人だった。彼はナチスに責任を押しつけ、言い訳に終始した。裁判を傍聴した哲学者のアーレントは「凡庸な悪」と論じた▼フランス文学者の鈴木道彦氏は、本紙で「凡庸さのもたらす悪を克服し、自分の属する民族の汚点をも正確に把握するには、ただ徹底して『考える』ほかに方法はない」と述べている。戦争の悲惨さを見つめ、"正義とは何か"を問い、考え続けることから、平和の芽は育まれよう▼差別も戦争も、人間の心から生まれる。その心を変革し、人間の善性を呼び覚ましていくことが、宗教の使命である。
寸鉄 2022年3月21日
春の彼岸。妙法の功徳を「回し向ける」事が回向。最高の追善は我らの題目
九州の日。"勝利の夏"へ火の国の勇者が総立ち!誇り高き先駆の対話拡大
東北青年部の日。不屈のみちのく魂は皆の希望!今こそ励ましの連帯固く
大学生の就職内定率が小幅改善と。未来創るのは若者。公明よ後押し更に
国際人種差別撤廃デー。万人尊敬の心を世界の潮流に。多様性輝く社会へ
〈社説〉 2022・3・21 あす関西青年平和文化祭40周年
◇師弟の信心が凝結した"青年の塔"
「その瞬間、人文字は、金地に深紅の字で、『関西魂』と描き出した。六段円塔は、雲一つない"常勝の空"に、人間と人間の勝鬨の太鼓を打ち鳴らしながら、そびえ立った」(「随筆 新・人間革命」)
1982年3月22日、第1回関西青年平和文化祭が、大阪・長居陸上競技場(当時)で行われた。
この年、創価学会は「青年の年」と掲げて前進。世界広布へ雄渾の指揮を執る池田先生と共に、全国の青年が勇んで立ち上がった。中でも関西は、"創価の師弟は健在なり"と満天下に示す!——その決然たる誓いに燃えていた。
大雨に見舞われた前日から一転し、晴天の下、10万人の若人が躍動した文化祭。オープニングを飾った新会員1万人の入場行進は、関西中に巻き起こった弘教の勢いを象徴した。現在の大阪女性部のリーダーも、この行進に参加した一人だ。そしてクライマックスは、至難とされた六段円塔だった。
関西文化会館には「六段円塔、立ちましたんやろか」という電話が相次いだ。誰もが固唾をのんで成功の時を待った。関西中の同志が、文化祭に携わる青年の成長を願い全力で応援した。激励のおにぎりを作り続けた婦人も、寒風の中での練習に石油ストーブを持って駆け付けた壮年もいた。異体同心の大連帯がそこにはあった。
あの日、そびえ立った六段円塔には、関西全同志の祈りと信心が凝結していた。それは、「大阪の戦い」以来受け継がれてきた"不可能を可能にする"闘魂の昇華であり、師に勝利を届けようとする一念の結晶だった。
この文化祭には、被爆都市である広島市と長崎市の市長も出席。平和の担い手としての青年たちのはつらつとした姿に、大きな期待を寄せた。その後、中部や埼玉などでも平和文化祭は開催され、創価の青年が立正安国の誓いを胸に、社会変革の人材として雄飛する機会ともなった。
当時の文化祭の出演者世代は、その後、各地の中核として21世紀の広布推進を担ってきた。今、次の世代に、師弟共戦の魂のたすきを確実につなぐことが重要だ。
「新しき時代の扉は青年によって開かれる」(小説『新・人間革命』第30巻〈下〉「誓願」の章)
混迷深き時代に、平和で安穏な世界を築くため、使命の舞台に躍り出る青年と共に、スクラムも固く、皆が青年の心で進みたい。
☆栄光の共戦譜 第2回 1961年(昭和36年)「躍進の年(青年の年)」
◇広布の伸展は青年の飛躍とともに
池田先生の第3代会長就任60周年を記念して発刊された年譜『栄光の共戦譜』には、黄金の"師弟の足跡"がとどめられている。本連載では、年譜を一年ごとに追いながら、現在の広布の活動に通じる"学会の原点"を確認していく。第2回は、「躍進の年(別名・青年の年)」と銘打たれた1961年(昭和36年)を掲載する。
◇1・28〜2・14 アジアへ平和旅
1961年(昭和36年)元日、学会本部で池田先生が新年のあいさつを行った後、戸田先生の和歌が紹介された。
「雲の井に 月こそ見んと 願いてし アジアの民に 日をぞ送らん」
翌日、池田先生は、恩師の墓前で、アジア訪問への決意を報告。そして1月28日、東洋広布を熱願した戸田先生の思いを実現するため、アジアへの平和旅に出発した。
2月14日までの18日間で、香港、セイロン(現・スリランカ)、インド、ビルマ(現・ミャンマー)、タイ、カンボジアの5カ国1地域を訪れる行程だった。当時、香港に10世帯の学会員がいたが、他の訪問地には、ほとんどいなかった。
1月28日、香港に降り立った先生は、早速、海外ではアジア初となる地区を結成。31日には、初めてインドの地を踏む。そして、幾万、幾十万の地涌の人材が誕生することを深く祈念する。さらに、ビルマを訪れ、この地で戦死した長兄をしのびつつ、日本人墓地で戦没者の追善法要を行い、恒久平和を誓う。
この訪問では、先生の"一対一"の激励行によって、アジア各地に平和の種が植えられていくとともに、重要な平和・文化構想も語られた。
「私は、必死になって、平和と文化の道を開こうとしているんです。私が東洋の哲学や民族、文化の研究機関をつくろうというのも、また、音楽の財団を設立しようというのも、そのためです」
その展望はやがて、東洋学術研究所(後の東洋哲学研究所)や民主音楽協会などの設立につながっていく。
日蓮大聖人は、"仏法西還"の未来記を御予言された。先生のアジア訪問は、仏の未来記を実現し、平和と文化の道を開く歴史的な第一歩となった。
◇10・4〜23 初の欧州訪問
池田先生が初の欧州訪問に旅立ったのは、1961年(昭和36年)10月4日。翌5日、デンマークのコペンハーゲンにその第一歩をしるした。東西冷戦の対立の溝が深まり、ドイツのベルリンが「壁」で分断された直後だった。
8日、先生は西ベルリン(当時)を訪れると、建造されたばかりの「ベルリンの壁」へ。「ブランデンブルク門」を仰ぎながら同行の友に語った。
「30年後には、きっと、このベルリンの壁は取り払われているだろう……」
先生の言葉は、単なる願望ではなかった。"分断の壁"を取り除き、平和のために戦おうとの、断固たる決意にほかならなかった。
その後、先生は民族やイデオロギーを超えて、世界の指導者と粘り強い対話を重ねながら、「平和」と「連帯」の潮流を広げていった。そして、28年後の89年(平成元年)11月、「ベルリンの壁」は、東西ベルリン市民の手によって壊されたのである。
61年の初の欧州訪問では、先生は20日間で、デンマーク、西ドイツ(当時)、オランダ、フランス、イギリス、スペイン、スイス、オーストリア、イタリアの9カ国を歴訪。パリの凱旋門、ウィンザー城、ベートーベンの墓碑、サン・ピエトロ大聖堂などの歴史的建造物も視察した。
2度の世界大戦をはじめ、絶えず戦火の舞台となってきた欧州に"ヒューマニズム"の種子をまく開道の旅路だった。
先生は古代ローマの遺跡を訪れた際、「ローマの 廃墟に立ちて 吾思う 妙法の国 とわにくずれじ」と詠んだ。
今、欧州では16万人を超える地涌の陣列が、仏法のヒューマニズムの輪を広げ、一人一人の心に、崩れざる"人間共和の永遠の都"の建設に挑んでいる。
◇11・5 男子部総会 11・12 女子部総会
「躍進の年」と銘打たれた1961年(昭和36年)5月3日、池田先生は男女青年部の幹部と懇談し、こう語った。
「青年の大飛躍の節にするために、今日を出発点として、今年を『青年の年』としたいと思うが、どうだろうか」
先生は自らが、"青年の一人"との思いで、青年部の真っただ中に入り、若人たちに激励を送り続けた。
11月5日、先生が「青年部の室長としての最後の仕事」と位置付けていた"10万結集"の男子部総会が開催された。
"10万結集"は、54年(同29年)に戸田先生が「国士訓」を発表し、「青年よ、一人立て! 二人は必ず立たん、三人はまた続くであろう。かくして、国に十万の国士あらば、苦悩の民衆を救いうること、火を見るよりも明らかである」と呼び掛けて以来、青年部の室長だった池田先生の大きな誓いであった。
恩師との誓いを果たし、男子部総会の会場となった東京・国立競技場で、先生は力説した。「諸君が、それぞれの立場で、全民衆の幸福のため、広宣流布のために、大仏法の正義を証明する、人生の勝利者になっていただきたい」
11月12日には、「原水爆禁止宣言」の発表の場である神奈川・三ツ沢の競技場で、8万5千人の女子部総会が行われ、「次の時代の女性指導者は、最高の哲学をもった皆さんである」と訴えた。
先生は、当時の総会を振り返りながら、「青年の魂とは何か。偉大な目標に挑む気概だ。自ら求めて、新たな戦いを起こす覇気と行動力だ」と述べている。
学会が飛躍する時、そこには必ず青年の躍進がある——。それは、戸田先生の弟子として、さらには第3代会長就任後も、池田先生が示してきた広布の不変の方程式である。
◆年表◆
1961年
<1月8日>
九州3総支部結成大会(福岡)
<1月28日>
アジア訪問(〜2月14日。香港、セイロン、インド、ビルマ、タイ、カンボジア)
香港でアジア初の地区を結成(28日)
仏法西還の意義をとどめ、インド・ブッダガヤで「東洋広布」の石碑を埋納(2月4日)
<2月19日>
東北方面の支部結成大会(〜23日。宮城、青森、秋田)
<3月8日>
関西3総支部合同幹部会(大阪)
<3月16日>
青年部第1回音楽祭(東京)
<4月2日>
戸田先生の四回忌法要(東京)
<4月3日>
上越指導(〜4日。群馬、新潟)
<4月12日>
関西・中部指導(〜16日。大阪、三重、愛知、岐阜)
<4月22日>
中国指導(〜24日。岡山、島根、広島)
<5月3日>
第23回本部総会(東京)
会長就任1年で61支部から139支部に発展・拡大
<5月7日>
九州・関西指導(〜11日。福岡、京都、奈良、兵庫)
<5月14日>
沖縄総支部結成大会
<5月17日>
東北3総支部合同結成大会(福島)
<5月19日>
言論部結成式
正義の言論を展開する使命を語る(東京)
<6月10日>
教育部の結成式が行われる(東京)
中部指導(〜12日。愛知)
<6月17日>
関西指導(〜18日。京都、大阪)
<6月27日>
第14回本部幹部会で200万世帯の達成を発表(東京)
<10月4日>
初の欧州訪問(〜23日。デンマーク、西ドイツ、オランダ、フランス、イギリス、スペイン、スイス、オーストリア、イタリア)
東西対立の象徴であるベルリンの壁を視察(8日)
<11月5日>
第10回男子部総会で、戸田先生の遺訓である「国士10万」の結集(東京・国立競技場)
<11月12日>
第9回女子部総会で8万5千人が結集(神奈川・三ツ沢の競技場)
<11月20日>
東北本部の落成入仏式。「新世紀の歌」が発表される(宮城)
<12月16日>
大阪事件裁判の第83回公判で最終陳述を行う(大阪)