2022年3月6日日曜日

2022.03.06 わが友に贈る

「一日の命は三千界の
財にもすぎて候なり」
誰もがその無上の宝を
輝かせるために
仏法哲理を語り抜こう!
新1309・全986

太田殿女房御返事 P1007
『月支より漢土へ経論わたす人一百七十六人なり其の中に羅什一人計りこそ教主釈尊の経文に私の言入れぬ人にては候へ』

【通解】
インドより中国に経論を訳出して伝えた人は百七十六人いました。羅什一人だけが教主釈尊の経文に自分の考えを入れなかった人でした。

名字の言 舌がんを乗り越えた女性部員の体験 2022年3月6日
ある朝、駅構内に耳慣れないアナウンスが流れていた。よく聞くと、近くにある大学へ向かう人たちに、改札口を案内している。この日が、入学試験当日のようだ。受験する皆が悔いを残さず、全力を発揮できるよう、心で祈った▼試験ゆえ、合否はある。だがそれは自分という「人間」を判定されたわけではない。どんな結果でも"これには意味がある"と捉え、前進し続ければ、その後の人生の厚みが増す▼ある女性部員は2度の舌がんを乗り越えた。この経験を通し、改めて同志の存在のありがたさなどを実感し、晴れ晴れと信心に励んできた。そんなある日、再々発が判明した▼彼女は祈る中、誓いを立てた。"よし、自分の口で仏法を語り抜き、宿命を転換しよう"。入院中も見舞いに来た知人などに対話を重ねた。手術も無事に終え、彼女は三度、広布拡大に走る境涯を勝ち開いた▼戸田先生は詠んだ。「勝ち負けは 人の生命の 常なれど 最後の勝をば 仏にぞ祈らむ」。人生の途上には成功もあれば、失敗もある。だが、失敗は"敗北"ではない。さまざまな経験を味わってこそ、味わい深い人生を築ける。全ての出来事を自身の成長の糧として、最後は勝って決着をつける。これが本物の勝者である。

寸鉄 2022年3月6日
「一人もおくしおもわるべからず」御書。創価の魂は勇気。正義の対話更に(新1227・全910)
行き詰まっても祈り抜けば仏の力が出る—恩師。何があろうとこの確信で
"上村三代展"好評。とことんまで師に習い続けよと松園。師弟こそ一流道
歩行中の交通事故死76%が高齢者。道路横断中が最多。運転者も安全確認
嘘は拡散で増長—出所が不明の情報には注意を。落ち着いて発信源見極め

☆2月度「御書講義」(上) 一生成仏抄
◆仏とは広布に戦い続ける人
◇はじめに
日蓮大聖人の仏法は、永遠に崩れることのない幸福境涯を築き、最高の人生を約束する希望の宗教です。
私たちの信仰の根本的な目的は、成仏です。そして、日蓮仏法が明かす成仏観は、「一生成仏」にほかなりません。
改めて、大聖人の仏法における「成仏」について確認します。成仏の「成」について、「御義口伝」には「『成』は開く義なり」(新1049・全753)とあります。つまり、成仏とは、自身の内に具わる仏の生命境涯、すなわち仏界を開くことです。
法華経は、どんな人にも仏界が具わっていることを明かしています。そして、全ての人を成仏させようと、仏は願います。法華経には「若し法を聞くこと有らば 一りとして成仏せざること無けん」(法華経138ページ)とあります。
一人も漏れることなく成仏するという意味です。現代的に表現すれば、誰一人として置き去りにすることはないということです。
そのうえで、仏とは特別な存在ではありませんから、桜梅桃李のままに、それぞれの個性や、自分自身が本来もっている特質を生かしきって、自身を最も充実させていく生き方をすることが成仏となります。
言い換えれば、成仏とは、生命の全体が浄化され、本来もっている働きを十分に発揮して、さまざまな困難に直面しても動揺しない、力強い境涯になることをいいます。
いつでも、どこでも、だれでも、内なる仏の境涯を開くことができるということです。私たちの実践でいえば、題目を唱えることで、自身の仏界が涌現するということです。
それとともに、この仏界涌現を繰り返し、現実の人生の向上、社会の変革に不断に挑戦していくことが大切になります。
成仏とは、到着点があるのではなく、妙法を受持して自他共の無明と戦いを続けていく境涯のことであり、間断なく広宣流布に戦い続ける人こそが仏だといえる、ということです。この一生成仏の重要な法理と実践について明かされた御書が、今回学ぶ「一生成仏抄」です。

◇御文
『夫れ、無始の生死を留めて、この度決定して無上菩提を証せんと思わば、すべからく衆生本有の妙理を観ずべし。衆生本有の妙理とは、妙法蓮華経これなり。故に、妙法蓮華経と唱えたてまつれば、衆生本有の妙理を観ずるにてあるなり。』(御書新版316ページ1行目〜3行目、御書全集383ページ1行目〜2行目)

◇人類共通の願望
本抄の冒頭は、一生成仏の根幹となる法理、すなわち、万人の生命に「妙理」(妙法)が具わっているという法理を明かして、その仏の生命をわが身に涌現することが成仏の本義であることが示されています。本抄の結論であり、日蓮仏法の本質が説かれている重要な一節です。
ここでは、池田先生の『一生成仏抄講義』(『池田大作全集』第34巻所収)に沿って、御文を拝していきたいと思います。
最初に「夫れ、無始の生死を留めて」とあります。先生は、この箇所は「人生の根本的な課題と宗教本来の役割が表現されています」と示されています。
「無始の生死」とは、無限の過去から未来にわたって続く、永遠の生と死の果てしない繰り返しのことです。この連鎖からの解放を願うことは、人類に共通する願望です。
「この度決定して無上菩提を証せんと思わば」と仰せです。この箇所は、仏教の大きな特徴が示されています。つまり、「無上菩提」、仏の最高の悟りを求めていくことが、仏教の目的ということになります。
この一節に対して先生は、「宗教的な課題に対する仏教からの英知にあふれた回答です」と示されています。
「無上菩提」の「無上」とは「この上ない、最高の」という意味です。「菩提」とは、「悟り」の意味であり、仏の悟りのことです。
仏教は、一人の現実の人間が悟りを得ることによって、永遠の苦悩からの解放を目指したということです。根源的な永遠の「法」に目覚めるかどうかが、仏教の目的ということになります。

◇衆生本有の妙理
それでは、この無上菩提を証する、得ようとするならば、どうすればよいか。それが、「すべからく衆生本有の妙理を観ずべし」との一節です。
まさに、ここは仏教全般の中で、法華経の持つ特徴が示されている箇所です。先生は、仏教の立場を「法華経思想によって、さらに洗練・深化されたものです」と教えられています。
「衆生本有の妙理」とは、あらゆる生命に本来的に具わっている妙理のことです。先取りしますが、この「妙理」が、南無妙法蓮華経になります。
法華経は、それまでの爾前経に説かれている、仏と衆生との断絶を取り払った教えです。いうならば、それまでは、仏界と九界の間に断絶があった。
成仏とは、"九界の生命を全部断じ尽くしていく"という考え方です。これでは凡夫成仏などありえません。仏とは、人間離れした特別な存在ということになります。これが爾前経です。
ところが、法華経は万人成仏を説きます。爾前経で否定された悪人、女性、二乗が成仏できる経典です。その根拠が、「衆生本有の妙理」です。万人の中に仏の生命を見て、それを開いていく教えです。
一切衆生、生きとし生けるものは、本来、妙理を具えています。そこで大事なのは、その妙理を「観ずる」こと。自分の中に妙理があると見ていくことです。
ところが、この「観ずる」ための具体的な方法が説かれていません。そこで天台大師は、観念観法によって内なる仏界にたどり着く方法を説きます。しかし、これは、誰でも実践できるものではありません。
まして、末法は、迷いや苦しみが充満している人たちが多い時代です。そこで、大聖人は、万人に開かれた修行を確立します。

◇成仏の根本原理
「衆生本有の妙理とは、妙法蓮華経これなり」と仰せです。
先生は「大聖人が開拓された道の第一歩は、妙理に名前を付けられたということです」と示されています。続けて先生は、「大聖人が開拓された大道の次の一歩が、『題目を唱える』という修行の確立です」と教えられています。
御文で示せば「故に、妙法蓮華経と唱えたてまつれば、衆生本有の妙理を観ずるにてあるなり」との一節です。
唱題によって、自身の仏界が涌現する。この修行方法であれば、出家在家を問わず、また、老若男女誰人も実践することができます。
今日の創価学会でいえば、民族、国境、文化の差を超えて、世界中でメンバーが題目を唱えて、その功徳の実証を示しています。まさに、世界中で24時間、途切れることなく題目が地球を包んでいる時代になりました。
先生は、この一節をさらに「宗教的英知を万人が実践できるように大聖人が立てられた修行です。この実践化は、民衆救済を目指す大慈悲の結晶であり、日蓮仏法の深い革新性を示しています」とも示されています。
まさしく、この一段は、私たちが実践している成仏の根本原理を説き明かしています。それとともに、日蓮仏法が、偉大な宗教革命を経て、万人が自身の生命の根本的な変革をもたらす最高の仏道修行を示すことによって、民衆仏法が完成したといえます。
あらためて、私たちが日々実践している唱題こそが、仏界涌現の直道であり、一生成仏の根幹となるということです。