2022年3月8日火曜日

2022.03.08 わが友に贈る

できない理由を探すより
できると決めて挑もう!
その努力は必ず生きる。
わが誓いの成就へ
勇敢たれ! 聡明たれ!

顕謗法抄 P445
『大酒なる者此の地獄の苦免れがたきか』

【通解】
大酒飲みの者は、此の地獄の苦しみを免れ難いのではないだろうか。

名字の言 「体の老化」と「心の老化」 2022年3月8日
「心の老化」をテーマにした健康セミナーで講師の医学研究者が呼び掛けた。「体の老化より心の老化の方が怖いのです」▼体の老化は生まれた直後から始まるとの見方もあり、誰しも避けることはできない。例えば、年齢とともに認知症などの発症リスクは高くなる。このほか、白髪やシワ、シミをはじめ、目に見える形で現れる老化現象は少なくない▼一方、心の老化は年齢に比例せず、若い人でも老化するようだ。講師は心の老化を測るバロメーターとして、ストレスに対する抵抗力を挙げた。「ストレスを受けた時の反応に年齢差はありません。ストレスからの回復力に年齢差、個人差が出てきます」▼サムエル・ウルマンは詩「青春」でうたっている。「精神が皮肉の雪におおわれ、/悲歎の氷にとざされるとき、/二〇歳であろうと人は老いる。/頭を高く上げ希望の波をとらえる限り、/八〇歳であろうと人は青春にして已む」(作山宗久訳)。希望は心の老化を防ぐ▼仏法では、色心不二——肉体面の働き(色法)と心の働き(心法)は分かちがたく関連していると説く。いつも胸中に希望の太陽を昇らせよう! 信心は無限の希望である。「年はわこうなり」(新1543・全1135)である。

寸鉄 2022年3月8日
「この大法のみ一閻浮提に流布すべし」御書。3・16へ広布の聖火を赤々と(新2014・全1489)
芸術部の日60周年。平和人間賛歌を高らかに! 不撓不屈の生命の輝きで
「遅延は時間の浪費である」詩人。励ましも"スピード"が命。時を逃すな
学会として国連機関通じ難民・避難民の人道支援へ。即時停戦を強く望む
消毒液が幼児の目に入る事故に注意。炎症の危険。子の目線に立ち心配りを

☆四季の励まし 平和の花を今いる場所から 2022年2月27日
◇池田先生の言葉
勇気に勝るものはない。
勇敢な
創価の女性の心こそ、
「冬」に打ち勝つ、
「春」の生命そのもので
あるといってよい。

長い人生には、
嵐の夜もある。
しかし、それを越えれば、
苦しみの深かった分だけ、
大きな幸福の朝が
光るものだ。
一番、悲しんだ人が、
一番、神々しく、
慈愛の博士となって、
悩める友を
誰よりも励ましていく
ことができる。

ロマンの宇宙が、
妙法と共に生きゆく
女性の胸中に、
晴れ晴れと広がっている。
断じて不幸に負けない
仏の勇気も、
縁する友どちを
幸福へと導く仏の慈悲も、
今いる場所から
平和を創り広げる
仏の智慧も、
全部、貴女の心にある。

身近な一人を大切に
慈しむ「誠実な行動力」。
温かな優しさで友に
寄り添う「慈愛の包容力」。
皆を笑顔にして共に前へ
進みゆく「快活な対話力」。
創価の女性たちが、
ありのままの振る舞いで
体現している
ヒューマニズムが、
21世紀を
「平和と人道の世紀」へと、
いよいよ香りも高く
光輝あらしめていく。

今いる場所で、
自分自身を変革しつつ、
身近な人を啓発しながら、
幸の連帯を
拡大していく行動こそが、
地味であっても、
一番、確実に
世界を変えていく
平和への戦いなのである。

たゆまぬ題目の音声を、
いよいよ朗々と響かせて、
勇気の対話に
打って出ようではないか!
縁する友の心に、
希望の太陽を
昇らせながら!

【写真説明】可憐にして、気品に満ちた蘭の花は、15年前の2007年(平成19年)2月27日、シンガポール国立植物園が「デンドロビューム・カネコ・イケダ」("香峯子蘭")と名付けた新種の蘭。池田香峯子夫人の世界平和への貢献をたたえ、夫人の誕生日に合わせて命名された。
写真は08年12月、池田大作先生が都内で撮影した一葉である。
蘭は古来、高貴な花として愛されてきた。「美しき厚い友情」を表す花とも。御書には「蘭室の友に交わって」(新43・全31)と。気高く温かい心で友を包み、幸福へと誘う創価の女性の平和の連帯は、香しい蘭の姿にも似て——。

☆ONE GOSHO この一節とともに! 寂日房御書 2022年2月27日
◇使命の自覚が勝利を開く
「伝統の2月」から広布後継の「3・16」へ——誓いに燃えて、弘教・人材の拡大にひた走る男子部。勝負の時に当たり、「師弟不二の信心」と「弟子の使命と実践」を学ぶ。

◇御文
『かかる者の弟子檀那とならん人々は、宿縁ふかしと思って、日蓮と同じく法華経を弘むべきなり。法華経の行者といわれぬること、はや不祥なり、まぬかれがたき身なり。』(新1270・全903)

◇通解
このような日蓮の弟子檀那となる人々は、宿縁が深いと思って日蓮と同じく法華経を弘めるべきである。(末法の悪世で、あなた方が)法華経の行者と言われていることは、もはや(世間の基準からいえば)不運なことであり、免れ難い身である。

◇背景
本抄は、弘安2年(1279年)9月16日、58歳の日蓮大聖人が安房(千葉県南部)方面に住んでいたと考えられる門下のために著され、弟子の寂日房に託されたお手紙である。
本抄を頂いた人は、その内容から、御本尊を授与された女性門下であると考えられる。
本抄では、受けがたい人身を受け、あいがたい仏法にも出合って、「題目の行者」となったと仰せである。
次に、法華経を身で読まれた事実を通して、御自身こそ「日本第一の法華経の行者」であると宣言される。そして、大聖人の弟子となった人々は深い宿縁を自覚して、大聖人と同じく妙法を弘めていくべきであるとつづられている。

◇解説
日蓮大聖人は本抄で、経文通りの難を受けた御自身のお立場を「日本第一の法華経の行者なり」(新1269・全902)と宣言された。さらに、掲げた御文の直前では、法華経に説かれる、地涌の菩薩の上首(リーダー)、上行菩薩の自覚に立って戦い抜かれたことを示された上で、「かかる者」と、御自身のことを表現されている。
「宿縁ふかし」とは、大聖人と門下が、過去世からの地涌の誓いのままに悪世末法に生まれてきたことを教えられている。つまり、末法の広宣流布を担う、「地涌の菩薩」の使命を自覚するよう促されているのだ。
そして「日蓮と同じく」——すなわち、いかなる大難が起ころうとも断じて屈することなく、師と同じ心で、民衆救済の大仏法を弘通し抜いていくのだと、呼び掛けられている。
師弟の契り。それは決して偶然のものではない。私たちが今、あいがたき仏法に巡り合い、偉大な師匠と共に生まれ合わせていることが、どれほど深い宿縁によるか。その"師弟の宿縁"を自覚した時、自身の無限の可能性を発揮することができる。いかなる困難も"成長への好機"に変えることができるのだ。
この後、「法華経の行者」といわれることを「不祥」、すなわち"不運"であると言われている。確かに、困難が多い法華経の行者の姿を「世間的な眼」で見たならば、不運と映ることもあるかもしれない。
しかし、「仏法の眼」で見れば、師と同じく難を受け、一生成仏の道を開くことができること以上の幸福はない。広宣流布を進めるがゆえに、難に遭うことは必然であり、決定した信心に立つよう、覚悟を促されていると拝される。
三類の強敵による、数々の大難に勝利された大聖人の御精神を、寸分たがうことなく受け継いだのは、創価三代の「師弟」にほかならない。創価学会は、「日蓮と同じく」との仰せの通りに"師弟不二の信心"を貫いてきたがゆえに、大聖人の御遺命である世界広宣流布を現実のものとすることができたのだ。
池田先生は、小説『新・人間革命』第24巻「厳護」の章でつづっている。「広宣流布の使命を自覚し、人びとに救済の手を差し伸べる、弘教という行動のなかに、大聖人の大精神が、地涌の菩薩の大生命が脈動するのである」と。
師弟とは、弟子の自発的な意志があってこそ成立する「魂の結合」である。師を求め抜いての、民衆を救いゆく折伏・弘教の実践があってこそ、初めて仏法の偉大さを体得することができる。そして、勝利の人生を開いていくことができるのだ。
広布後継の「3・16」は目前。広宣流布のため、悩める友のため、後継の男子部が勇敢に一歩を踏み出し、拡大の旋風を巻き起こしていきたい。そして「宿縁ふかし」との御聖訓を深く心に刻み、創価三代の師弟に連なる喜びと誇りを胸に、新たな勝利の歴史を開く大闘争に意気揚々とまい進していきたい。