2021年4月28日水曜日

2021.04.28 わが友に贈る

「難来るを以て安楽と
意得可きなり」御聖訓。
広布に生き抜けば
勇気と功徳が湧く。
悩みが喜びに変わる。

三三蔵祈雨事 P1469
『此は日本国の智者愚者一人もしらぬ事なり、しらんとをもはば日蓮が生きてある時くはしくたづねならへ』

【通解】
このことは日本国の智者・愚者は一人も知らないことである。知ろうと思うならば、日蓮が生きている時に詳しく訪ね習いなさい。

名字の言 "方便"に込められた愛情 2021年4月28日
幼い頃、激しい雷雨が起こると、「雷さまにおへそを取られるよ」と、よく親に脅かされた。不安でおなかを押さえる手に力を込めた思い出がある▼後に、その真意は「急な雨による気温の低下でおなかを冷やさないため」「背中を丸め、体勢を低くすることで落雷を避けるため」と親に教わった。説の真偽はともあれ、「雷さまにおへそを……」の"方便"は、子を思う親心だろう▼ある婦人部員は、高等部員の息子に信心を継承させたいと願っていた。そんな折、同居する祖母が一計を案じ、視力が落ちたように装い、孫の彼に言った。「代わりに聖教新聞を読み聞かせておくれよ」。当初は渋ったものの、音読を家族が笑顔で聞くのがうれしくて彼の日課になった▼ある日、祖母に「この池田先生の指導は大事だね。書き写しておくれ」と頼まれた。「自然も、人生も、厳しき冬を越えてこそ、春は美しい。苦難に鍛えられてこそ、金剛不滅の土台は築かれる」——彼が大書きした先生の言葉は、長く仏間に貼られた▼次第に彼も信心に励みだした。後年、社会人となり、悩みに直面した際も、この先生の指導を糧に勝ち越えた。彼は今、祖母に感謝している。方便に込められた愛情の深さを知ったからである。

寸鉄 2021年4月28日
立宗の日。烈々たる民衆救済の魂、創価の師弟に。立正安国の大道を勇んで
北陸から勝利開く挑戦を今!誓願に生き抜く同志は強し。石川・富山の日
友を思う慈悲から具体的な智慧が生まれる—恩師今日も目前の一人のため
熱中症警戒アラート運用開始。発信基に水分・塩分補給を。予防で守れる命
世界の軍事費、前年比で2・6%増。感染下で進む分断。人類結ぶ使命強く

〈社説〉 2021・4・28 きょう「立宗の日」
◇大聖人の誓願の大闘争に続け
きょう4月28日は立宗の日。建長5年(1253年)のこの日、日蓮大聖人は末法の全民衆を救う「南無妙法蓮華経」の題目を師子吼され、妙法流布に一人立たれた。以来、命に及ぶ迫害の連続を勝ち越え、民衆仏法の基盤を厳然と確立された。大聖人の崇高な御精神は、創価学会によって継承され、地涌の菩薩の陣列は全世界へと広まった。今こそ私たちは、御本仏の誓願の大闘争に学びたい。
立宗宣言に始まる大聖人の御闘争は、特定の宗派の排撃や、単に一宗一派のためといった狭小な次元のものでは断じてない。「但偏に国の為法の為人の為にして身の為に之を申さず」(御書35ページ)と仰せの通り、その根底には常に民衆救済への大慈悲が脈打っていた。念仏をはじめとする他宗への舌鋒鋭い破折も、その本質は、民衆を蔑視する、生命軽視の思想との闘争であることを銘記したい。
さらに立宗の際の「退転せじと願じぬ」(同200ページ)との誓いを生涯にわたって貫かれた。中でも、生きては帰れないといわれた極寒の佐渡にあって、衣食にも事欠く中、大聖人の言論闘争の炎はいや増して燃え盛った。「開目抄」「観心本尊抄」等の重書だけでなく、門下への御消息文を次々と認められた。絶体絶命ともいえる状況下で全民衆の幸福の大道を開く闘争を展開されたのである。
今、コロナ禍という未曽有の試練が続き、広宣流布の活動においても、思うようにいかないことも多い。しかし、「よからんは不思議」(同1190ページ)である。これまでも広布の道程が平坦であったためしはない。障魔の嵐が吹き荒れる中、池田先生を先頭に道なき道を切り開いてきたのが、"難こそ誉れ"の創価の歴史である。
池田先生はつづっている。
「『誓願』は、誰かが行動することを期待して事態の変化を待ちわびるような願望でも、状況が厳しくなった時に吹き飛んでしまうような約束でもない。どんな困難や試練が押し寄せても、どれだけ歳月や労力がかかっても、必ず成し遂げていく——自分の全存在を賭けた"生きる証し"の異名ともいうべきものに他なりません」
いかに状況が変化しようとも、大聖人直結の"戦う魂"をいよいよ燃え上がらせ、今いる場所で、勇気の挑戦を貫きたい。その積み重ねが必ず社会を変える。誓いは果たしてこそ誓いである。

☆御書の旭光を 第22回 対話は「如来の使い」の実践
〈御文〉
『法師品には若是善男子善女人乃至則如来使と説かせ給いて僧も俗も尼も女も一句をも人にかたらん人は如来の使と見えたり』(椎地四郎殿御書、1448ページ)

〈通解〉
法華経法師品第10には「もしこの善男子・善女人は、(私<釈尊>が滅度した後、法華経の一句でも説くなら)この人はすなわち如来の使いである」と説かれており、僧も俗も尼も女も、法華経を一句でも人に語る人は如来の使いであるというのである。

〈池田先生が贈る指針〉
広宣流布のため、立正安国のための対話が、いかに尊いか。
祈りを重ね、勇気を出して発する言葉の一つ一つが「仏の声」である。声を惜しまず、労苦をいとわず、誠実に語ること自体が「如来の使い」の実践だ。功徳は大きい。
確信の一言は、幸の種となり仏縁を結ぶ。共に境涯を開き、より良き社会を築く力となるのだ。

☆いのちの賛歌 心に刻む一節 病と向き合う 2021年4月18日
テーマ:病と向き合う
企画「いのちの賛歌 心に刻む一節」では、御聖訓を胸に、宿命に立ち向かってきた創価学会員の体験を紹介するとともに、池田先生の指導選集『幸福と平和を創る智慧』(以下、「指導選集」)の指導を掲載する。今回は「病と向き合う」をテーマに、東京都の壮年に話を聞いた。

◇御文
『日蓮其の身にあひあたりて大兵を・をこして二十余年なり、日蓮一度もしりぞく心なし』(辨殿尼御前御書、1224ページ)

◇通解
日蓮はその身に当たって、仏の大軍を起こして二十余年になる。その間、一度も退く心はない。

◇負けてなるものか
36歳で「がん」の宣告
攻め寄せる魔軍との、熾烈な己心の闘争。武井博さん(72)=東京・品川総区副総区長=は、36歳でがんを発症したあの日、一歩も退くまいと口を真一文字に結んだ。
    ◇
中学を卒業後、東京で就職。男子部では、輸送班、創価班で薫陶を受けた。
35歳で支部長に。創価の金看板を背負うからには、仕事でも広布の活動でも、全てで黄金の実証の旗を打ち立ててみせる——。そう決意を新たにし、奮闘していた時、体に異変が起きた。右の睾丸にチクチクとした痛みを感じるようになり、だんだんと肥大していったのだ。
それは、やがて握り拳ほどの大きさに。36歳の夏、ようやく都内の病院を訪れると、医師はひと目見るなり「よく、ここまで我慢しましたね」。すぐ入院することになり、検査の結果、「がん」の宣告を受けた。
武井さんは話す。
「ある程度は覚悟していたので、正直、『やっぱりそうか』という気持ちでした。家族は、医師から『転移していれば、もって3カ月』とも告げられていたようですが、私自身は詳しい病状を聞くのが怖かったので、あえて淡々と受け止めることにしたんです」
その後の精密検査で転移は見つからず、すぐに手術によって腫瘍のあった右精巣(睾丸)を摘除。抗がん剤と放射線による治療を受けた。
髪の毛は全て抜け落ち、吐き気に襲われて食事もままならなくなった。重く蓄積されていく倦怠感にも苦しんだ。闘う相手は目に見えない。不安と焦りが心を苛んだ。
病魔とせめぎ合う中、頭に浮かんだのが「日蓮一度もしりぞく心なし」(御書1224ページ)との一節だった。それは、武井さんが男子部時代、先輩から「何があっても、魔に負けるな。退転するな」と、人生の"骨格"を打ち込んでもらった御書でもあった。
「この一節の前の箇所で、日蓮大聖人は、第六天の魔王が十種の魔軍を率いて法華経の行者に襲い掛かってくると教えられています。仏と魔が、この娑婆世界を『取られまい』『奪おう』と争っている。その主戦場はどこかと言えば、自分自身の心の中です。だからこそ私は、病床で何度も"絶対に魔軍に負けてなるものか!"と自分自身に強く言い聞かせたんです。"必ず乗り越えて、再び広布の庭に舞い戻るぞ"と」
師匠の真心の激励と、見舞いに訪れる同志の温かさも、武井さんを鼓舞した。
やがて、3カ月間の入院治療を終え、職場復帰を果たす。地域の同志には、髪の毛がなくなった頭をなでて、笑顔を見せることができた。
しかし、武井さんの"闘い"は人知れず続いていたのだ。
腫瘍は摘除したとはいえ、かなり進行していたことと、30代という年齢を考えれば、「再発」の可能性は大きかった。
「むしろそこからが本当の闘いでした。毎回の検査が、見えない恐怖とのせめぎ合い。検査のたびに"使命を果たさせてください!"と祈り、"生かされたこと"に感謝しては、学会活動に励みました。信心で乗り越える——。それしかないですから」
全てが勝負だった。仕事も、復帰した当初は職場に「居場所がない」ところからの再出発。現実を受け止めながら、"信頼を取り戻してみせる"との決意を祈りに込めた。自動車部品販売会社の営業職として、任された仕事を、一つ一つ誠実にこなしていった。学会でも、常に広布の最前線を黙々と走り抜いた。
派手さはなくとも、堅実に、粘り強く己の使命を全うする。その背中に"いぶし銀"の意地も光った。
通院の頻度は、年々、減少。ついに48歳の時、医師から「もう通院の必要はありませんよ」と寛解を告げられた。その言葉を、武井さんは感慨深くかみ締めた。
武井さんは、がんとの闘病を勝ち越え、会社では定年まで営業部長として勤め上げた後、請われて契約社員となり、現在も後進の育成に携わる。
「手を抜かなかった。ただそれだけです。職場でも、学会でも、どの戦いも"ここで自分が倒れるわけにはいかない!"という覚悟でやってきました。何があっても、この信心と池田先生から離れない。御本尊を離さない。そうすることで、己心の魔の軍勢を抑え込む仏の力が湧き出てくるんです」
幾たびも"強敵"をねじり伏せてきた歴戦の誇りがにじむ。
「苦難のない人生はありません。現実は仏と魔との闘争です。だから、勝つためにこの信心が必要なんです。人生は、常に弱い自分との戦いです」
壮年部の愛唱歌「滝の詩」は、池田先生が青森・奥入瀬の滝の雄姿を詠んだ詩だ。
「滝の如く 激しく/滝の如く 撓まず/滝の如く 恐れず/滝の如く 朗らかに/滝の如く 堂々と/男は 王者の風格を持て」
ほとばしる信心の一念こそ、あらゆる苦難に打ち勝つ力にほかならない。
先生は語っている。
「前進していれば、当然、行き詰まる場合がある。その時は、いちだんと題目をあげ、行動することだ。そうすれば、また必ず大きく境涯が開けてくる。ふたたび前に進んでいける。この限りなき繰り返しが信心である。その自分との戦い、行き詰まりとの戦い、魔との闘争に、勝つか負けるか、それが"勝負"なのである。(中略)
絶対に私どもは、永遠に幸福になりゆく法則に従い、崩れざる常楽の世界をつくりゆかねばならない。これが仏法者の使命である」(「指導選集」第2部上巻)
何ものにも押しとどめられない滝の奔流。自らの胸中に、そうした信念が脈打っているかを、繰り返し問い、戦い続けること。その先にあるのが、大河のような堂々たる境涯なのだろう。

[教学コンパス]
がんサバイバー(患者や治療経験者)が治療後の社会生活で直面するさまざまな課題を、社会全体で協力して改善・解決することを目指す「がんサバイバーシップ」が近年、注目されている。その一つに、就労の問題がある。
昨今、がんを経験して社会復帰する人が増えている一方で、診断後に同じ仕事を続けるのが容易ではない現実もあり、自主退職や解雇される例のほか、職場復帰したものの、無力感や疎外感を抱いてしまう場合も少なくない。病と闘う方が、希望を持って再び輝ける包摂的な社会をいかに築くか。
民衆が塗炭の苦しみにあえいでいた鎌倉時代、日蓮大聖人が「立正安国論」で洞察されたのは、生命を軽視する思想のまん延こそ、不幸の原因ということだった。"誰人の生命にも無限の可能性がある"——この哲理を広げていくことが、多様な人が活躍する豊かな社会の土壌になろう。"誰も置き去りにしない"との信念で、「一人」に寄り添い、励ましを送る創価の運動は、計り知れない価値を持つ。