御書は人生の羅針盤。
学び深めた教学は
魂の滋養となる!
自身の弱さに打ち勝つ
揺るがぬ土台となる!
十字御書 P1491
『我等凡夫はまつげのちかきと虚空のとをきとは見候事なし、我等が心の内に仏はをはしましけるを知り候はざりけるぞ』
【通解】
私たち凡夫は、まつげが近くにあるのと虚空が遠くにあるのとは見ることができない。私たちの心の中に仏がおられるのを知らないでいたのである。
名字の言 「活字が笑っている」——校閲マンの名言 2021年4月21日
春本番。草木が勢いよく芽吹き、若葉輝くにぎやかな山の様子を「山笑う」と言う。都心から山は見えないが、公園の木々や街路樹がほほ笑んでいるように見える▼次元は異なるが、「活字が笑っている」という言葉が本社にある。刊行物にミスがあってはならない。一字一句の誤りをも見逃さない担当者を校閲マンと呼ぶが、先の言葉は文章の中に潜むミスが目に映るさまを端的に表現した、ベテラン校閲マンの名言▼本紙の特長の一つに、ルビ(振り仮名)が多いことがある。ルビは漢字より小さいので、校閲マンは拡大鏡を駆使しながら確認する。先のベテラン校閲マンは、ルビも含めて至難とされる単行本一冊の「誤植なし」の金字塔を打ち立てた▼新聞は取材記者、紙面のレイアウト担当者、印刷や輸送を担う方など、多くの人が関わって誕生する。何より、配達をしてくださる皆さまありて読者のもとに届く。きょうも無事故の配達、本当にありがとうございます!▼超高齢社会をふまえた大文字化、カラー紙面の倍増を柱とした紙面刷新が始まった。「新聞をつくろう。機関紙をつくろうよ。これからは言論の時代だ」とは、戸田先生の言葉。創刊の原点を忘れず、希望の日々を開く言論を紡ぎたい。(側)
寸鉄 2021年4月21日
人を思いやる会長の姿は最高の模範—博士。一人を大切に。皆もこの心で
「只信心の二字」御書。祈り抜いた人は必ず勝つ—大確信で試練に毅然と
愛媛青年部の日。勇気の対話で友情の輪を!熱き志胸に勝利の自分史綴れ
「人ごと意識」の広がりが染再拡大の一因—学者「自分は平気」の油断禁物
子の近視は脳の発達にも悪影響—医師。スマホの使用等、親子で規則決め
☆Switch(スイッチ)——共育のまなざし 不登校という「山」を親子で共に〈池田先生の励ましの言葉から〉
◇心がふわりと大空へ上がるまで
子育てや教育の視点をスイッチ(転換)する意味を考える企画「Switch——共育のまなざし」。今回は、かつて池田先生が創価の教育者や婦人部の代表と「不登校」を巡って語り合った内容から、励ましの言葉を抜粋します。(編集・構成=大宮将之)
◇「共戦」の決意を
〈わが子が不登校になった時、どうすればいいのか——そんな母親たちの声に、池田先生は答えます〉
やはり、一つ言えることは、「焦らないで、長い目で見ていこう」ということです。これが、大切な根本の姿勢だと思います。子どもによって、それぞれ原因や背景が違う。育てられ方も、気質とか素質、習慣も学校の状況も異なる。「こうすればいい」という一律の方法は、ありえないと言っていい。
だからこそ、母親がじっくりと構えて、我が子をよく見ていくのです。"学校に行けない、行きたいのに体がいうことをきいてくれない"という我が子の「叫び」に応えていけるのは、何といっても、お母さんです。お母さんも我慢の時です。耐える時です。長期戦の覚悟で、我が子と「共戦」の決意をしてください。
その信念が大切です。その上で、「1年や2年、遅れてもいいではないか」というくらいの楽観主義で、大らかに進んでいただきたい。
〈それは、父親にも通じる点でしょう。特に「学校に行くのが当たり前だった」時代を過ごし、「競争社会」を生きてきた大人にとっては"不登校の捉え方"の転換が必要です。先生は語りました〉
時代はどんどん変化しているのです。「競争社会」から「実力社会」へ、そして21世紀には、必ず「人道社会」へと動き始めることでしょう。これは、牧口先生が大著『人生地理学』に記された卓見です。人道的な行動が、価値を持つ時代です。子どもに対しても、社会全体が、人道的にやさしく包み込むことが必要でしょう。「不登校の体験が人生の大きな宝になった」「家族の絆が強くなった」「学ぶことの本当の意味が分かった」という多くの体験も聞いています。
不登校になったからといって、子どもを責めたり、自分の子育てが悪かったと嘆いても問題解決にはならない。貴重な体験をしていると思ってください。
人生に意味のないことなど何もないのですから。
◇気球に例えるなら
〈不登校はどんな人にも起こりうるものです。「決して、恥じたり、臆することはありません」と池田先生は語ります〉
今の社会は、「否定する」「序列をつける」ことなど、「自信」を失わせる方向にばかり力が働いています。その結果、少なからずの子どもたちが、「自分はダメな人間だ」と思い込まされている。
ある不登校の娘さんがいました。お母さんは、ふとしたことから、机の上の娘さんのノートを目にしたのです。そこには、「こんなつらいめにあうんだったら、なんで産んだんだ!……お母さんなんてキライ。皆キライ。後は死ぬだけ」と。
学校に行けないことを認めない社会が、子どもたちを追い詰めている。
自分は「なぜ、生まれたのか」「なぜ、学校に行かなければいけないのか」。成績のためでもない。お金もうけのためでもない。いい大学に行ったり、いい会社に入ることが、どれだけ意味があるのか。学校も親も、この「なぜ」に答えてくれない。
〈それが、子どもたちの心に「不安」や「怒り」、そして「不信感」を募らせているのかもしれません。そればかりか、一方的に大人の期待を背負わされている……池田先生は言葉を継ぎました〉
「気球」を例にとれば、嵐や大雨などの圧力をうけると、「気球」は「グニャ」と押しつぶされて、フラフラと落下して壊れてしまうでしょう。子どもたちが、ストレスによって学校に行けなくなるのも、まさに同じような状態です。しかし、地上にしっかりした「基地」があれば、傷んだところを修理することもできるし、ガスを補給することもできる。
やりなおせばいい
〈子どもたちにとっての「安心の基地」——それこそ家庭にほかなりません〉
そう、親子の「信頼関係の絆」こそが、子どもたちに「生命のエネルギー」を注ぎ込むパイプなのです。家族の信頼に包まれて、子どもたちは、傷ついた「心」を癒し、失った「自信」を回復していきます。"何のため"という目的観も確立してくるはずです。
反対に、その信頼のパイプが詰まっていたり、途中で切れて、つながっていなかったら、子どもたちは、エネルギーを失って、学校どころではなくなってしまうでしょう。
親と子の間に「信頼」と「安心」のパイプがつながった時、ちょうど、気球にガスが注ぎ込まれるように、子どもの心はどんどんふくらんでいきます。そして、いっぱいになると、自然にフワリと大空に上がっていきます。
子どもたちには、もともと上昇していく力があるのです。本来、持っているのです。"よい子"だとか"悪い子"だとか決めつけるのでなく、「あなたは、あなたのままでいい」「ありのままでいい」と、子どもたちの存在そのものを認めてあげることです。それでいいのです。
〈不登校は決して子育ての「失敗」ではありません。子育てに「手遅れ」もありません。もし愛情や信頼が足りなかったと親が気付いたなら、そこから「やりなおせば」いい——先生は語りました〉
私も青春時代、病弱で苦しい思いをしました。結核が悪化し、十代の後半は、まさに、寝汗と咳の連続。しかし、戦時中の世の中の雰囲気は、青年が家で休んでいたりすれば、それだけで「気合いが入っていない」といった感じで見られた(笑い)。
それでも、体が弱かった分、一日を大切に懸命に生きた。また、「人生とは」「生命とは」といった大事な問題に、考えをめぐらせることができたのです。
失敗から、学べばいいのです。偉大な発明も、すべて、何千何百という失敗から生まれたのですからね。
敗北者とは、失敗をした人ではなく、失敗を恐れて、何も挑戦できない人のことをいうのです。
失敗を認めない、「やりなおし」を認めないような社会が、実は不登校を生んでいる。根本は、そこから変えていかなければいけないのです。
◇一歩一歩、進めば
〈親がわが子の可能性を信じ抜いて笑顔でいる限り、家庭は安心の居場所になります。親の変化や成長は、必ず子どもの心にも伝わっていきます〉
そうです。不登校をきっかけに、「家族の信頼の絆が強まった」となればいいのです。不登校という「山」を、ともに登っていってください。その過程が大事なのです。「もっとすばらしい人間」になるためのチャンスと、とらえるのです。
〈「学校に通うこと」自体が目的ではありません。「学ぶこと」が目的であり、自分も他人も幸せにできるための力をつけることこそ、教育の本来の目的でしょう。池田先生は呼び掛けました〉
学びは一生です。人間は、死ぬまで学び続けるのです。ゆえに一歩一歩でいい。どうしても学校に行けなければ、家で一歩一歩、進むのです。一歩一歩、進めば、悩みの向こうから、必ず何かが見えてきます。お母さんも、そしてお父さんも、家族の皆が、お子さんといっしょに進んでください。
歩みを止めなければ、必ず勝利の日が来るのですから。