2021年4月15日木曜日

2021.04.13 わが友に贈る

激動の時代を勝つために
弛まぬ挑戦と自己変革を。
失敗を恐れず
躊躇することなく
日々一歩を踏み出そう!

下山御消息 P349
『余法華経の第五の巻の勧持品を拝見したてまつれば末代に入りて法華経の大怨敵三類あるべし其の第三の強敵は此の者かと見畢んぬ、便宜あらば国敵をせめて彼れが大慢を倒して仏法の威験をあらはさんと思う』

【通解】
私が法華経第五の巻の勧持品を拝見するに、末法に入って法華経の大怨敵である三類の強敵が必ず現れるであろうとあるが、その中の第三の強敵・僣聖増上慢こそは、この者(極楽寺良観)であると見定めたのである。折あらば、この国敵を責めて、その大慢の心を倒して、仏法の威力を現そうと思っていた。

名字の言 きょうから紙面を大幅に刷新 2021年4月13日
演劇評論家の戸板康二氏が、ある新聞で劇評の連載を持っていた時のこと。与えられた字数は、見出しを含めて800字。劇評を書くには字数にゆとりがなく、苦労が絶えなかった▼例えば「もう少しほしい」と7字で表現したい箇所を、「足りない」と3字短くする。ところが今度は切り捨てるような響きが出てしまう。悩みながら劇評の妙味を出すことに心を砕き続けたという(『午後六時十五分』三月書房)▼きょうから本紙は、紙面を大幅に刷新。カラー紙面が倍増し、文字が大きくなった。小欄の字数はあまり変わらないが、紙面全体では減少する。その分、レイアウトにも工夫を重ね、さらに充実した紙面作りに全力を注ぎたい▼限られた字数の中で意を尽くすには、自分の命を削るような真剣さ、ひたむきさが欠かせない。その志こそ、希望の言葉を紡ぐ源泉だ。「文は人なり」である▼一本の短い記事であっても、一枚の小さな写真であっても、誰かの魂を触発し、生きる勇気を鼓舞する力になる——それが聖教新聞の信念だ。常に創刊の原点に立ち返り、日々、自らの一念を刷新しながら、「人間の機関紙」の使命を果たす決意である。本紙を支えてくださる全ての方々への感謝を胸に。(芯)

寸鉄 2021年4月13日
青年と心を通わす会長の姿こそ私の手本—博士。後継育成へ師と同じ心で
徳島女性の日。婦女一体で友情の桜花を爛漫と!勝利の春開く正義の連帯
相手の心を知る—これが良き人間関係築く力と。「聞き上手」は名将の条件
まん延防止、各地で。基本は飛沫を散らさぬこと—医師。3密避け、着用徹底
高齢者へのワクチン接種開始。重症化予防に効果と。命守る選択を聡明に

☆人間主義の哲学の視座 第8回 対談集「20世紀の精神の教訓」に学ぶ�
テーマ:連帯
池田先生の著作から、現代に求められる視点を学ぶ「人間主義の哲学の視座」。ここでは、「連帯」をテーマに、旧ソビエト連邦のミハイル・ゴルバチョフ元大統領との対談集『20世紀の精神の教訓』(初版は1996年刊)をひもとく。

【池田先生】
「人間復興の世紀」へ突破口を開く
崇高にして不可避な私たちの責務

【ゴルバチョフ元大統領】
無数の庶民への尊敬を前提とする
新たなるヒューマニズムの時代を

◇至高の価値
日本語版で5章、17テーマからなる池田先生とゴルバチョフ氏の対談集。
文化的背景の異なる二人が、探り当てた共通の精神的価値——それは「人間の生命の尊厳」であった。
語らいを締めくくるテーマは「『人間復興の世紀』への指標」。両者の真情がそのまま表れている。

池田 人間の生命を手段化するような、いかなる思想もイデオロギーも宗教も、決して正当化されてはならないということは、この対談を通して、何回となく確認し合ってきたところです。

ゴルバチョフ 私も、あらゆる多様性と個別化の可能性を秘めた"生命"そのものが、至高の価値であり、すべてに対して唯一の原点であるべきだと考えます。
新しきヒューマニズム、人間存在の精神的価値は、人間自身のなかに求められるべきです。人間こそが、すべての尺度であり、あらゆる主義主張の真偽を見極めるうえでの、評価基準とならねばなりません。

◇我を礼拝する影
生命それ自体が価値であり、その価値を高めるための社会的制度や理論は"従"である。ゆえに、「人間の生命を犠牲にしてもよいという大義名分」「それを裏づける理論や理念」など存在しえない——氏はそう断言する。
だが現実に、生命は、時に目的遂行の"手段"として軽んじられてきた。対談では、戦争、殺人、暴力、そしてテロリズムの例が挙げられている。
テロの芽を断つためには、「無条件に否と断じていくこと」が肝要であると、先生と氏は確認し合った。
では、混沌とした時勢にあって、生命の尊厳という価値を中心に据える精神の力を、いかに鍛えていくのか。
氏は「人間が自分自身でありつづけること、自分らしくあることの権利を護るべき」であると述べ、それこそが「新しきヒューマニズム」の本質であると訴える。近代のヒューマニズムは、人間の特質や多様性から目をそらしてきた。これからは、少数意見を擁護するだけではなく、その中にある真実が普遍性と価値を有していると理解する必要がある——との論である。
こうした多様性の尊重を保障していくためのキーワードとして、先生は、御書の「鏡に向って礼拝を成す時浮べる影又我を礼拝するなり」(769ページ)との一節を紹介する。

池田 仏教における実践の眼目は、"他者"のなかに、「我を礼拝する影」をどのように見いだしていくかにあります。
なによりも重要であり、忘れてはならないポイントは、「我を礼拝する影」を鏡のなかに見いだそうとする以前に、その前提条件として、まずみずからが鏡に向かって礼拝しなければならない、ということです。なぜなら、「鏡に向かって礼拝を成す時」「我を礼拝する影」とは、「礼拝する我」の影であり、その寸分違わぬ投影であるからです。

ゴルバチョフ 人間は、人間自身と、より真剣に、より真摯に対峙する必要があると思います。人間の本質を、何か別のものとさしかえてしまおうとする試みは、すでに踏みとどまるべきときを迎えているように思われてなりません。
新たなるヒューマニズムを志向しゆくうえで、生命に対する宗教的敬虔さが、根本要件となることは明白なのです。
人類文明の依って立つべき大地は何か、それをどこに求めるべきか——この点こそ、生命を擁護し、本来の豊かな多様性を生かしていくために、今、私たちが知らなければならない課題といえましょう。

◇汝自身を知れ
「人間復興の世紀」の実現は、観念ではない。日々の生活を舞台とした、現実の挑戦だ。そして、その主体となるのは、国家や社会だけでなく、人間一人一人である。氏は語る。
「新たなるヒューマニズムは、勇気ある人生への尊敬を前提とするものです。慎しく、愚痴をこぼさず、人間としての責務を果たしつつ、学び、働き、子を育て、代々受け継がれてきた伝統を守って生きる、無数の庶民への尊敬の心を大前提とするものです」
「自分と家族の生活を営々と支えてきた、また今、支えている大勢の庶民のなかにこそ、人生の意義を見いだすべきです」
「汝自身を知れ」。先生はこの古代ギリシャの格言を取り上げ、人々が自己の内面に目を向けることを怠り、知識と知恵を混同し、軽信を確信と錯覚し、快楽を幸福と、効率を価値と勘違いしてきた結果が、20世紀の行き詰まりであったと指摘する。
自分も他者も、絶対の尊厳が備わるかけがえのない存在であると認め合う社会へのパラダイム(規範)の転換を巡り、二人は語り合った。

ゴルバチョフ これまで人類が育んできたあらゆる思想・経験を、たとえそれらがどのようなイデオロギーや政治の流れに資してきたものであっても、それらすべてを包容しうるパラダイムを、人類は必要としているといえます。そして、このパラダイムの根幹をなすものこそ、幾世紀をもかけて培われた全人類的価値であり、人間生命の本然的価値にほかならないと固く信ずるものです。

池田 全面的に賛同しますし、この対談で、私が何回か申し上げてきた、「結合は善」「分断は悪」との文明論的な問題提起を、正しく受けてくださったものとして、感謝申し上げます。
世紀から世紀へ、「人間復興の世紀」「人間の世紀」への突破口を切り開いていく以外に、「20世紀の精神の教訓」を生かしていく道はなく、それはまた、私たちの世代に課せられた崇高にして不可避の責務でしょう。

ゴルバチョフ 私たち一人一人が、あらゆる賢明な政治勢力が、そして、すべての精神的・思想的潮流、すべての宗教が、この移行の一歩、つまり人間性と正義の勝利を助けるという使命を帯びていると、私は確信します。

池田 闇が深ければ深いほど、暁が近いのと同じ道理で、世紀末のカオスが深刻であればあるほど、未来世紀の希望の虹は、間近に迫っているかもしれないのです。否、心にそう決めて、「人間主義」「生命主義」の時代へと、私どもは、絶対にその英知を結集していかなければならない——私は命のつづくかぎり、この正義の主張を叫んでいきたいと決意しているのです。

対談集刊行から四半世紀。コロナ禍という地球規模の難題が、人類に重くのしかかる今こそ、「いかに生きるべきか」「真の幸福とは何か」を真摯に問う人間観の確立が求められている。
自己を見つめ、自他共の尊厳を輝かせゆく努力と挑戦の連帯が広がりゆく先に、新たな「希望の虹」は懸かる。

【編集後記】対談集の末尾には、対談を終えての所感が収録されている。対談の原稿を改めて手に取り、その生きた響きに"満足感を覚えた"とゴルバチョフ氏。池田先生は、人間の内なる革命を可能にする対話にこそ、迂遠な道のようでも、"時代の閉塞状況に風穴をあける王道があり、正道がある"とつづった。20世紀の教訓を巡る語らいは、21世紀に新たな風を吹き込んだ。いかに時代状況が変わろうと、対話を志向し、人間革命の民衆運動に生きる人々に、両者の対談は光を送り続ける。