2021年4月3日土曜日

2021.04.03 わが友に贈る

明るいあいさつが
友の心の扉を開く。
「笑顔で」「自分から」
爽やかに声を掛けよう!
一つの出会いを大切に。

佐渡御書 P957
『畜生の心は弱きをおどし強きをおそる当世の学者等は畜生の如し』

【通解】
畜生の心は、弱い者を脅し、強い者を恐れる。いまの世の諸宗の学者どもは畜生のようである。

名字の言 被爆者の母が遺した手紙 2021年4月3日
広島の婦人部員が、母の病室で見つけたもの。それは、92歳で亡くなる1週間前に書かれた手紙だった。1行目に「戦争とは、生きもの全てを不幸にする」と書かれていた▼被爆した母は原爆投下の6日後、重傷を負った家族と対面した。終戦から2年たって男児を産んだが、原爆症により生後18日で他界。婦人にとっての兄だった。悲惨を二度と繰り返さないとの思いを胸に、母は31年もの間、悪魔の兵器の恐ろしさを訴え続けた▼母が気力を振り絞るように書き遺したその手紙は、全ての人に宛てたもの。震える文字で、核兵器なき世界を求める叫びをとどめていた。その母の心を継ぐ婦人は「被爆体験伝承者」として、平和創造の使命に駆けている▼今年発効した核兵器禁止条約の前文には「ヒバクシャの受け入れ難い苦しみに留意する」と明記された。被爆者の声に学ぶ——それが、核兵器の悪魔性を心に刻み付け、「自分事」として捉える出発点となる▼母の手紙は、こう結ばれていた。「世界平和を皆で築きましょう」。原爆で尊い命を、人生を奪われた人々の平和の叫びに耳を傾ける。自分は何ができるのか、一人一人が真剣に考え続ける。勇気をもって行動に移す。その地道な労作業が、一歩ずつ核兵器なき時代を開いていく。(子)

寸鉄 2021年4月3日
「今一重強盛に御志あるべし」御書。拡大の好機。新たな決意で果敢に進め
東京・調布総区の日。立正安国こそ使命!動けば波動が。突破口を開き、勝て
私はどこまでも楽観主義者—偉人。希望を失わぬ事が勝利。今日も勇躍!
体調を崩しやすい季節。自分自身が健康づくりの名医に。祈り強く、聡明に
後遺症の相談窓口開設—都議会公明が推進。命と暮らしを守る政治を貫け

☆ONE GOSHO この一節とともに! 兄弟抄
◇"難こそ誉れ"の大確信で
新たな環境や立場で、新しい生活が始まる春4月。信仰を根幹に、苦境に立ち向かっていった池上兄弟への御指南を拝して、難を乗り越える信心を学ぶ。

◇御文
『各各・随分に法華経を信ぜられつる・ゆへに過去の重罪をせめいだし給いて候、たとへばくろがねをよくよくきたへばきずのあらわるるがごとし、石はやけばはいとなる金は・やけば真金となる』(御書1083ページ)

◇通解
あなたがた兄弟は、懸命に法華経を信じてきたので、過去世の重罪を責め出しているのである。たとえば、鉄を十分に鍛え打てば内部の疵が表面に現れるのと同様である。石は焼けば灰となる。金は焼けば真金となる。

◇背景
本抄は日蓮大聖人が武蔵国池上(現在の東京都大田区)の門下である池上宗仲・宗長兄弟と、その夫人たちに与えられたお手紙である。文永12年(1275年)の御執筆とされていたが、現在では建治2年(1276年)の御述作と考えられている。
池上家は有力な工匠(建物の建築や修理を統括する役)として鎌倉幕府に仕えていたが、父・康光が兄弟の法華経の信仰に反対し、兄・宗仲を勘当した。本抄は、その報告に対する激励のお手紙である。
大聖人は、難に直面するのは法華経を信仰するゆえの必然であり、法華経に説かれる通りに魔と戦うことが、一生成仏の直道であると教えられている。
本抄が認められて以後、宗仲は2度目の勘当に遭うが、兄弟は大聖人の御指導通りに実践し、最後は父を入信に導いている。

◇解説
当時の武家社会にあって、「勘当」されることは家督相続権を失うことであり、経済的基盤も、社会的立場も奪われることに等しかった。また、弟にとって兄の勘当は、信仰を捨てれば自分に家督が譲られることを意味しており、まさに、兄弟の信心の絆を分断しようとする魔の働きであったと言える。
なぜ、法華経の信仰を持つ人に難が競い起こるのか——。日蓮大聖人は拝読御文で、「懸命に法華経を信じてきたので、過去世の重罪を責め出している」(通解)と仰せである。すなわち、過去世で積んだ謗法の重罪を、法華経を持つ功徳によって軽く受け、消滅させるという「転重軽受」の法理の上から兄弟を励まされている。
続いて、強盛な信心によって「過去世の重罪」が現れてくる様を、例えを用いて示されている。鉄を熱して鍛えていくと、脆さの原因である内部の疵、つまり不純物がたたき出されていく。この繰り返しによって、鉄は一段と強靱になる。この不純物とは過去世の重罪のことであり、信心の実践によって「たたき出し」、今世の苦難として軽く受けているのである。苦難に遭うこと自体が法華経を持つ功徳であり、宿命転換の軌道を歩んでいる証しにほかならないのだ。
また、大聖人は、石は焼けば灰となるのに対し、金は焼くことによって真金となると仰せである。困難に直面した時こそ、仏法者の真価が明らかになる。灰となって崩れ散ってしまうのか、真金となってますます輝きを放っていくのか。苦難とは「自身にとっての試金石」なのである。
鉄の"脆さの原因"である不純物は、外ではなく、内部にある。このことは、この生命の鍛錬において真に向き合うべきは、自身の内にある「弱さ」であることにも通じよう。
苦難や悩みに直面した時、逃げ出したくなる弱い心に打ち勝ち、"自身を鍛えるチャンス"と捉えて、前を向く。「石」であるか、「真金」であるかを決めるのは、まさに自らの勇気の信心であることを肝に銘じたい。
新生活がスタートする季節。環境の変化によって、予期せぬ困難にぶつかることもあろう。いかなる状況も、全て乗り越え、意味あるものへと価値創造していけるのが、私たちの信心である。
池田先生はつづっている。
「一番大事なのは、『自分自身の心に勝つこと』『唱題に徹し抜くこと』です。『難を乗り越える信心』に生ききれば、必ず、変毒為薬することができます。必ず、宿命転換することができます。必ず、一生成仏の境涯を築くことができます。必ず、広宣流布の道が大きく開かれていくのです」
師弟不二の男子部は、"難こそ誉れ"との雄々しき気概で、一人一人が使命の天地で、勝利を開いていきたい。