2021年1月31日日曜日

2021.01.31 わが友に贈る

未来を開く起点は
常に「今」「ここ」にあり!
日に日に新たに
勇猛精進の信心を!
みずみずしい息吹で!

富木殿御書 P969
『夫れ賢人は安きに居て危きを歎き佞人は危きに居て安きを歎く』

【通解】
賢人は安全な状態にあっても危険に備え、心の曲がった人は危険な状態にあっても、それに対処しようとせず安穏を願う。

名字の言 「暮しの手帖」編集長が大切にした「人間の手」 2021年1月31日
雑誌「暮しの手帖」の編集長・花森安治氏は、人間の手を大切にする人だった。編集者の仕事は、自ら事に当たらないと空論になる。それが彼の信念だった▼日用品や家電製品などの商品テストの記事では、機械による検証ではなく、人間の手で何百回と使った実感を読者に届けた。こうした検証は消費者の共感を得るだけでなく、生産者側に品質の向上を促した▼氏は語っている。手を地べたにつけず、泥にまみれることもない——「それで地にはいつくばって生きている人間の暮しが、どうしてわかる」「ひとからバカにされようと、いつもじぶんの手を地につけて、じぶんの手で現実をつかまえろ」と(唐澤平吉著『花森安治の編集室』晶文社)▼「池田先生の手のぬくもりは、今でも忘れません」。多くの同志が、先生と握手した時の「ぬくもり」を記憶している。友と握手を重ねた先生の手は、時に真っ赤に腫れ上がった。その手で、"ただ友のために"とペンを握ることもあった▼池田先生は「たゆみなく、一つ一つ励ましの手を打ち続けてきたからこそ、今日の人材山脈ができ上がった」と。地道に励ましを重ねることが、広布の未来を開く。手を、足を動かすことを厭うまい。その労作業が、わが地域に希望の連帯を広げる。(将)

寸鉄 2021年1月31日
会長の著作に「生命力」の源泉を見つけた—詩人。心に刻むほど勇気は凜々
良き友に守られた人生は絶対に負けない—恩師。我らは励ましの絆を強く
真の英雄とは不幸を乗り越える者—皇帝。嘆かず諦めず。宿命転換の劇を
在宅勤務狙うネット攻撃増加。対策ソフトは最新に。不明な文書も開くな
花粉飛散、昨年の2〜4倍と。早めの対応で症状は軽く。「前前の用心」で

〈社説〉 2021・1・31 あす牙城会結成50周年
◇希望を創造し師弟勝利の道を
あす2月1日で、牙城会は結成50周年を迎える。
1971年(昭和46年)、いわゆる言論問題に端を発した、学会への理不尽な非難・中傷の嵐が吹き荒れる中、牙城会は産声を上げた。
当時、「会館警備」「当番」と呼ばれ、各地で会館の自主警備を行っていたグループが全国組織として統一。
その際、名称については池田先生から、「広宣流布の牙城を守る人材育成の組織だから、『牙城会』は、どうか」との提案を受け、同年の2月1日に新しい体制で任務に就き、事実上の結成となった。
以来、学会の躍進とともに全国の会館も急増し、任務に就く牙城会員も増加。多彩な分野で活躍するメンバーを糾合する人材育成グループとなった。
しかし、昨年は、結成記念日の2月1日を迎えて間もなく、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて学会の会館の使用も自粛となり、牙城会は任務に就けない状況が続いた。
そんな中でも、牙城会の友は"新たな知恵と行動で広布の新たな道を開こう"と、いち早くオンラインを活用しながら対話拡大に挑戦し、小説『新・人間革命』の研さんなどにも取り組んできた。
また、夏以降は、会館の使用再開に伴って、「学会厳護」の誇りを胸に、新しい生活様式に合わせた任務の形を、真剣に協議を重ね、つくってきた。
いかなる状況になろうと、断じて広布を前へ進めていくとの牙城会魂で、社会の激浪に負けず苦境を打破する友は多い。
新時代1期生として奮闘する神奈川の牙城会メンバーは、かつて仕事での過労が重なりパニック障害とうつ病を発症。仕事で知り合った学会員の真心の励ましに触れて、自身の宿命を信心で乗り越えようと入会し、その後、牙城会にも志願した。病状も落ち着き始めた昨年、今度は新型コロナウイルスの影響で職を失ってしまった。
悩みのどん底の中でも、池田先生が結成45周年を記念して牙城会に贈った「君と我 共に師子王 恐れなく 勝って護れや 創価の大城をば」との和歌を胸に戦い抜いた彼は、11月には友人への弘教を実らせ、2度目の緊急事態宣言が出される中、不屈の心で再就職の道も切り開いてきた。
環境が厳しければ厳しいほど、多様なメンバーが新たな知恵と行動で、師弟勝利の道を開拓してきたのが牙城会の誉れの歴史である。
世界が未曽有の試練に直面する中、それぞれの場で、新たな希望を創造していく牙城会。今日も全国の宝城を厳護するメンバーに、改めて感謝とエールを送りたい。

☆御書の旭光を 第4回 祈りは「人間革命」のスイッチ
〈御文〉
『我等も無明の卵にして・あさましき身なれども南無妙法蓮華経の唱への母にあたためられ・まいらせて三十二相の觜出でて八十種好の鎧毛生そろひて実相真如の虚空にかけるべし』(新池御書、1443ページ)

〈通解〉
我らも無明(迷い)の卵で、あさましい身であるけれども、南無妙法蓮華経の唱題の母に温められて、三十二相の觜が出てきて、八十種好の鎧毛が生えそろい、実相真如の大空に飛ぶことができるのである。

〈池田先生が贈る指針〉
御本仏は、万人が「仏にやすやすと」なれる道を示してくださった。
いかに冷酷な宿命でも「南無妙法蓮華経の唱への母」に温められ、必ず旭日の如く蘇生できる。希望と勇気の翼を広げ、幸福勝利の大空へ羽ばたける。
唱題こそ無明の迷いを打ち破り、生命の可能性を全開させる「人間革命」のスイッチなのだ。

☆紙上セミナー 仏法思想の輝き 総群馬白樺会総合委員長 川島佐枝子
◇地域貢献の保健師として慈悲の心で関わり抜く
【プロフィル】かわしま・さえこ 群馬県内の保健所に保健師として定年まで33年間勤める。現在、群馬県在宅保健師の会員として活動。1962年(昭和37年)入会。群馬県桐生市在住。婦人部副本部長。

私は保健師として33年間、群馬県内にある11カ所の保健所で勤務してきました。
乳幼児から高齢者まで幅広い世代の方々が、住み慣れた地域でその人らしい生活を送れるよう、発病のリスクを減らすための予防的な関わりで、心身の健康を守るのが保健師の仕事です。
保健所の業務は、医師・薬剤師・臨床検査技師など、さまざまな分野の専門家と協力して、精神保健や難病の方への対応、母子保健や虐待予防、そして、今回のような新型コロナウイルスや結核といった感染症の対応など、多岐にわたります。
もともと看護師をしていましたが、病院で極低出生体重児への看護を経験する中、私自身の無力さを感じた時があり、また、母子が退院した後も地域で安心して子育てができるよう、より身近に支援していきたいと考えて、保健師になりました。

◇抜苦与楽の励まし
これまで多くの方と関わる中、私自身、一番に心掛けてきたことは、何があろうと「目の前の一人を大切にする」ということでした。
保健所には毎日、電話や窓口に、たくさんの相談が寄せられます。時には、難病の診断を受け、動揺と不安でいっぱいの方を目の前にして、どんな言葉を掛けたらいいか分からないこともありました。
そのたびに、相手のことを真剣に祈り、"つらい思いを抱える方々に、少しでも希望と安心を感じてもらえるよう尽力するのが、保健師である私自身の使命だ"と自らに言い聞かせ、相手の心に寄り添ってきました。
現在、新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、在宅保健師である私にも要請があり、濃厚接触者の方々からの電話相談を受けています。私は、事務的に受け答えするのではなく、受話器の向こう側にある"不安の思い"を丁寧にくみ取るようにしています。そして、最後に必ず「お大事になさってください」と、祈りを込めた一言を添えています。
かつて池田先生が、白樺(女性看護者の集い)のメンバーに贈った指針に「病める人/心の傷ついている人を/私の使命感として/私は堕落させない」とあります。
病気になったことで不安になったり、悲嘆したりする方もいます。そうした方々に寄り添い、励まし、前に進めるよう、仏法が示す「抜苦与楽(苦を抜き楽を与える)」の慈悲の心で関わり抜いていくことが、医療に携わる私たちの使命なのだと確信します。

◇義母の介護を経験
3人の子育てをしながら保健師の仕事を続けてこられたのは、同居する義母が育児や家事の一切を引き受けてくれたおかげでした。はつらつと地域活動に励むほど元気だった義母に認知症の症状が出たのは、子どもたちが独立した頃から。次第に物忘れや被害妄想がひどくなり、日常生活も無気力になっていきました。
私自身、「元気だった義母が、なぜ」とショックを隠せませんでした。デイサービスを利用しながら自宅で介護をしましたが、毎日が"戦い"でした。
義母から「迷惑を掛けるので、早くお迎えが来るといいのに……」と言われた時は、胸を突かれました。
いろんなことがある中で、義母が毎日、食べきれないほどのお米を炊いてしまうことがありました。炊飯器のふたを開けては驚き、何度も注意しましたが、変わりません。
認知症を担当する保健師に相談すると「炊飯は、高度な頭脳の働きが必要です。素晴らしいと思います」とのこと。その日、帰宅するなり「お米を炊けるってすごいって褒められたわよ。お母さん、いつもありがとう」と伝えた時、義母が見せたうれしそうな表情は、今でも忘れられません。
義母にとって、家族が喜んで食べる姿を見ることが生きがいだったのだと実感し、胸が熱くなりました。不思議にも、その日以来、炊飯の量が適量に。その後も認知症状は続きましたが、私自身、義母への感謝の心を深くすることができました。
仏法には、生命と生命が互いに通じ合う「感応妙」の法理が説かれます。心からの尊敬と感謝をもって相手に接する時、こちらの生命は、必ず相手の生命の奥底に通じるのだと確信します。
日蓮大聖人は「命と申す物は一身第一の珍宝なり一日なりとも・これを延るならば千万両の金にもすぎたり」(御書986ページ)と仰せになり、限りない生命の尊さを教えられました。
私は、義母が好きだったこの御聖訓を拝しながら、「お母さんが今日一日、元気でいてくれてうれしいわ。ありがとう」と声を掛け続けました。義母は最晩年、いつも笑顔で周囲を明るくしてくれ、93歳の天寿を全うしました。
こうした経験も今では、同じように悩む人に寄り添う力になっていると実感します。
振り返れば、今日まで目標を持って歩んでくることができたのは、青春時代から、池田先生の限りない励ましがあったからです。現在、新型コロナウイルスの感染が広がり、医療従事者の方々も懸命に対応しています。感染拡大が一日も早く終息するよう、日々、祈らずにはいられません。
先生の振る舞いから学んだ「一人を大切にする」姿勢を忘れることなく、これからも生命を慈しむ"白樺の心"で、地域に尽くしてまいります。

[視点]希望社会を
長崎大学熱帯医学研究所の山本太郎教授は、昨年12月19日付本紙に掲載されたインタビューで「長期化するコロナ禍に対して心が折れないためにも、希望を持てる社会を築くことが必要」と述べています。
日蓮大聖人は「百千万年くらき所にも燈を入れぬればあかくなる」(御書1403ページ)と仰せです。いかに深い苦悩の闇に覆われていようとも、妙法を唱えることによって仏の生命を開き、自身の胸中に希望の太陽を昇らせることができるのです。
どんな状況でも、絶対に希望は生み出せる!——学会員はこの確信を胸に、日々、縁する友へ励ましを広げながら、地域社会を明るく照らす"希望のネットワーク"を世界中に築いています。

2021年1月30日土曜日

2021.01.30 わが友に贈る

「金は・やけば
真金となる」御聖訓。
艱難と戦う中でこそ
幸福境涯は築かれる。
確信の祈りと行動を!

立正安国論 P26
『予少量為りと雖も忝くも大乗を学す蒼蝿驥尾に附して万里を渡り碧蘿松頭に懸りて千尋を延ぶ』

【通解】
自分は器も小さく、取るに足らない人間ではあるけれども、かたじけなくも大乗仏教を学んでいます。青バエは駿馬の尾について万里を行くことができ、葛(カズラ)は大きな松に寄って千尋の高さまでも延びるという例えもあります。

名字の言 似て非なる"二つの問い" 2021年1月30日
生物学の基礎研究に従事する友人が言う。「『その研究は何に役立つのか?』との質問は答えに窮する」。そんな彼の座右の銘は「英知を磨くは何のため」。"何に役立つ?"と"何のため?"——二つの問いは、似て非なるものである▼基礎研究は目先の功利よりも、本質的な学術価値に重きを置く。「それだけに揺るぎない『何のため』という志が必要」と彼は語る▼ある母親が、小学生の息子の不登校に悩んでいた。"早く状況を改善したい"と効果のありそうなことを試みるが、変化はない。うっかり漏らした「何で行けないの?」との言葉に息子は傷つき、自分も悔やんだ▼そんな中、休日になると少年少女部のメンバーらに誘われ、息子が外出するようになった。毎回、表情豊かに帰宅した息子は「今日は遠足に行った」「今日は写生会をやった」と報告した。いずれも欠席した学校行事だった。未来部員の「大好きな友達との思い出づくりだよ」との言葉に母は涙した▼登校できる以上に大事なのは"息子の幸せ"。そう悟った母の祈りに一段と力が入った。やがて息子は学校に復帰。その後、大学院を修了し、社会で活躍する。行き詰まった時、「何のため」という問いが、道を指し示してくれる。人生勝利の羅針盤となる。(白)

寸鉄 2021年1月30日
「知恩をもて最とし報恩をもて前とす」御書。感謝の人は、向上・成長の人と
地道な戦いこそが最も堅実な勝利の道—恩師。友の心に励ましの光を益々
感染拡大防ぐ「黙食」の呼掛広がる。飲食店の苦境打破へ消費者の協力必須
"隠れ近視"の子が増加。スマホ20分使用後は遠くを20秒程見る等、工夫を
日本海側を中心に大雪。皆が無冠の友の絶対無事故を祈る。安全最優先で

☆ストーリーズ 師弟が紡ぐ広布史 第4回 ブラジルに燃える求道の炎 黎明編
◇サウダソン・ア・センセイ(ようこそ、先生)
2万人を超すブラジルの友の大歓声が、サンパウロ州立総合スポーツセンターのイビラプエラ体育館に轟いた。
1984年2月25日に行われたブラジル大文化祭の公開リハーサル。そこに、池田大作先生が激励に駆け付けたのである。
先生は両手のこぶしを掲げ、中央の広い円形舞台をゆっくりと回った。しばらくすると、ブラジルSGI(創価学会インタナショナル)の愛唱歌「サウダソン・ア・センセイ(ようこそ、先生)」の大合唱が始まった。

♪ラ・ラ・ラヤー……
先生!
あなたをブラジルに
迎えることができ
私たちの夢は 叶いました
………… …………
ありがとう 先生!
真心の花を捧げます

その歌声は、18年という長い風雪の日々を耐え抜いたブラジルの友の大勝利宣言でもあった。合唱が終わると先生はマイクを握り、語った。
「これまでに、どれほどの労苦と、たくましき前進と、美しい心と心の連携があったことか。私は、お一人お一人を抱擁し、握手する思いで、感謝を込め、涙をもって、皆さんを賞讃したいのであります」
66年以来、18年ぶり、3度目となる先生の訪問は、ブラジル広布の黎明を告げる鐘を打ち鳴らした。
ブラジル大文化祭から、さかのぼること20年前の64年3月31日。ブラジルでクーデターが起こり、軍事政権が誕生した。
ブラジル政府は経済開発を進める一方、反共政策を打ち出し、言論・思想を統制した。逮捕された政治家は、実に1万人に及ぶといわれる。
軍事政権は創価学会に対しても神経をとがらせた。「ドップス(DOPS)」と呼ばれる政治警察が、学会の動向に監視の目を光らせた。
だが、大逆風の中で、ブラジルの弘教の勢いは増していく。65年の初めは2500世帯だったのが、66年2月には8000世帯を超す陣容となった。
同年3月10日、先生はリオデジャネイロを訪問。翌11日、コルコバードの丘の展望台で、リオの友に語った。
——大事なことは、最初の決意を忘れることなく、一日一日が前進であった、勝利であったという、悔いなき力強い歴史を、わが身につづっていくことです。
この時、リオのメンバーはまだ170世帯ほど。それから18年後、軍事政権下にもかかわらず、6000世帯へと大きく発展したのである。

◇呻吟した分、必ず強くなる
1968年は、世界各地で学生運動が盛んになった。ブラジルでも、軍事政権に対して学生が抗議集会を開催した。
ブラジル屈指の名門総合大学であるパラナ州立「ロンドリーナ大学」は、70年の創立。当局は学生が連帯することを恐れ、校舎と校舎の距離を離して建設させた。
一つの講義を終えると、学生は走って校舎を移動しなければならなかった。そうして、学生が政治に対して意見を交換し合う時間を奪ったのである。
「池田会長を、理不尽にもブラジルに入国させまいとしたのも、この軍事政権です。深い深い憤りを感じています」
2004年、同大学から池田先生に名誉博士号が授与された折、プパト総長(当時)は怒りを込めて語った。
先生が軍事政権から入国を拒まれたのは、1974年3月。アメリカを訪問していた先生は、ブラジルの入国ビザの発給を待っていた。日本を出発する時、許可がおりず、アメリカで再申請した。だが、ビザは認められなかった。
3月12日、ブラジルのリーダーに電話で訪問の中止が伝えられた。嗚咽する友に、先生は全精魂を注いで、励ましを送った。
「ブラジルは、今こそ立ち上がり、これを大発展、大飛躍の因にして、大前進を開始していくことだ。また、そうしていけるのが信心の一念なんだ」
「長い目で見れば、苦労したところ、呻吟したところは、必ず強くなる。それが仏法の原理だよ」
ブラジル訪問を断念した2カ月後、先生は中国に第一歩をしるした。ところが、ブラジル国内では、そのことを取り上げ、「創価学会は共産主義勢力とつながる、危険な団体」などと意図的な中傷が流された。
しかし、ブラジルの同志は地域に根を張り、"良き市民"として社会に貢献した。
74年9月8日、池田先生がソ連(当時)を初訪問したその日、ブラジルでサンパウロ市主催のスポーツ文化祭が開催された。そこに、8000人のブラジルのメンバーが出場した。
きっかけは、その半年前の3月16日、17日の2日間で3回にわたって同市で行われた世界平和文化祭。観賞した同市の関係者らが、深い感銘を受けていた。
本来なら、そこには池田先生の姿があるはずだった。だが、悔し涙を拭い、生命の躍動と歓喜を表現した、友の演技・合唱は、来賓の心を揺さぶらずにはおかなかったのである。
それはまさに、師に代わり、弟子が広布の全責任を担い立つ「3・16」の式典となった。
74年の先生の訪伯は実現しなかったものの、文化的な活動を通して、創価学会はブラジル社会に広く認知されていく。試練の烈風を、友は広布伸展の力へと変えていった。
ブラジルSGIの愛唱歌「サウダソン・ア・センセイ」を作詞・作曲したのは、ハンセン病を患うリオデジャネイロの友。彼が入院していた施設では、多くの人がSGIに入会していた。
サンバを愛する彼は、ある日、「池田先生への思いを歌にしてみないか」と依頼を受けた。その日のうちに、メロディーを作り上げた。
「サウダソン・ア・センセイ」は、同志の心に勇気をともし、瞬く間に全土で歌われるようになった。
冒頭の歌詞にある「先生! あなたをブラジルに 迎えることができ」——現実は、師が入国することすら許されない状況だった。
しかし、友は心に師を抱き、"政府の方から池田先生の訪問を強く求める時代をつくるのだ"と誓い、粘り強く時を待ち、時をつくった。
82年5月、ついに大きな転機が訪れる。フィゲイレド大統領から、池田先生に「ブラジル訪問を歓迎します」との親書が届いた。
大統領は陸軍大将まで務めたエリートの軍人。その大統領からの親書は、ブラジルの友が師への誓いを胸に、新たな時代を開いた、勝利の証しにほかならなかった。
翌83年7月26日、ブラジル青年部の代表ら38人が、先生が滞在する鹿児島・霧島の九州研修道場(当時)に駆け付けた。
先生は青年たちに、「ブラジル霧島会」として励まし合い、前進していくことを提案。また、「はるかなる/ブラジル天地を/飛びたちて/ああ求道の/君ら燦たり」との和歌を贈った。
28日、懇談会の席で、ジュリオ・コウサカさんは「先生、ブラジルに来てください」と訴えた。その叫びは、ブラジルのメンバー全員の思いを代弁していた。先生はうなずくと、宣言するように言った。
「近い将来、必ず行かせていただきます!」
この日、先生は全ての行事を終えると、38人のメンバーを自らの部屋に呼び、「どんなに遠く離れていても、皆さんは愛する家族であり、兄弟です。最も信頼し、尊敬する同志です」と万感の励ましを。
さらに、「厚田村」「熱原の三烈士」「荒城の月」の3曲をピアノで演奏し、全員と握手を交わした。青年たちは決意の涙で顔をぬらしながら、師の手を強く、強く握り返した。
青年たちとの約束から7カ月後の84年2月19日、先生の18年ぶりの訪伯が実現した。
先生はフィゲイレド大統領との会見に臨み、外相、教育・文化相らとも会談。さらに、ブラジリア大学への図書贈呈など、日伯友好の懸け橋を幾重にも築いていった。
その間、先生は行く先々でブラジルの友に励ましを送り、記念のカメラにも納まった。
2月26日、先生が出席して行われたブラジル大文化祭。前日のリハーサルに続き、会場のイビラプエラ体育館には、サンバのリズムに乗って、「サウダソン・ア・センセイ」の歓喜の大合唱がこだました。


【引用・参考文献】池田大作著『新・人間革命』第11巻、『民衆こそ王者——池田大作とその時代』第7巻(潮出版社)、渡辺雅子著『ブラジル日系新宗教の展開』(東信堂)、ボリス・ファウスト著『ブラジル史』鈴木茂訳(明石書店)、金七紀男著『ブラジル史』(東洋書店)


【アナザーストーリー】
1984年2月21日、池田先生はフィゲイレド大統領との会見を終えた後、ブラジル大統領府の文官長ジョアン・アブレウ氏と会談。氏は、最高裁判所の判事などを歴任してきた。
氏がSGIのスタッフと、池田先生の訪伯のスケジュールを打ち合わせた時のこと。「池田会長が大統領と会うために、一つだけ条件がある」と切り出した。「条件」という言葉に身構えるスタッフに、氏は言った。
「大統領と会見した後、短時間でいいので、私とも会っていただきたい」

氏は海外を訪れた折、池田先生と歴史学者トインビー博士との対談集『生への選択』(日本語版のタイトルは『21世紀への対話』)を購入し、読み込んでいた。
『生への選択』は、ブラジル政府の高官をうならせ、大統領との会見を実現する力となったのである。

2021年1月29日金曜日

2021.01.29 わが友に贈る

低気圧の発達による
急激な降雪や暴風
気温の変化に警戒を!
事前の準備を怠らず
体調管理も賢明に!

如説修行抄 P504
『一期を過ぐる事程も無ければいかに強敵重なるともゆめゆめ退する心なかれ恐るる心なかれ』

【通解】
一生は、つかの間に過ぎてしまうのだから、いかに(三類の)強敵が重なろうとも、決して退する心があってはならない。恐れる心があってはならない。

名字の言 寅さんの人生談義 2021年1月29日
映画「男はつらいよ」に、こんなシーンがある。寅さんの甥っ子が大学受験に悩み、「何のために勉強するのかな」と尋ねた。「人間長い間生きてりゃいろんな事にぶつかるだろう」と、寅さんの人生談義が始まる▼「そんな時オレみてえに勉強してない奴は、この振ったサイコロの出た目で決めるとか、その時の気分で決めるよりしょうがないな」。だが勉強した人は違う。「自分の頭で、キチンと筋道を立てて、はて、こういう時はどうしたらいいかなと考える事が出来るんだ」▼受験生に限らず、大人になっても学ぶ意味の重要性は変わらない。特に「不確実性の時代」といわれる現代、正解を出せない"難問"にぶつかることは誰にでもあろう▼頭がいい人とは、どんな人か。未来部員の問いに、池田先生は「絶対にあきらめない人」と答えた。分からないことから逃げるのではなく、何としても分かろうとする「強い心の人」である、と▼創価学会は「学ぶ会」。どんな状況にあっても善の価値を創造するため、「学ぼう!」との思いを持った人たちの集いである。「どうせ自分なんて」と卑下する友がいたら、寅さんではないが、「それを言っちゃあ、おしまいよ」と励まし合いたい。人は学び続ける限り、行き詰まることはない。(恭)

寸鉄 2021年1月29日
本年最初の座談会。安心と希望の光灯し合う会座皆が"主役"の決意で参加
人の為、社会の為に力ある人間に—恩師。志高く。誓願の若人は急速に成長
「音も惜まず」御書。電話の一本でも心は結べる。励ましの声に真心込めて
本の出版売上が堅調と。良書は文化の"根っこ"。繙く時間を見付けよう!
ラベルないペットボトルが増加。プラごみ削減等、環境保全は社会の総力戦

☆ONE GOSHO この一節とともに! 諸法実相抄
◇地涌の使命に勇み立て
2月16日、日蓮大聖人の御聖誕から、数えで800年を迎える。御本仏の御精神と御闘争から、いかなる環境にあろうと"法華経の行者"として広布に生き抜く使命を学ぶ。

◇御文
『いかにも今度・信心をいたして法華経の行者にてとをり、日蓮が一門となりとをし給うべし、日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか、地涌の菩薩にさだまりなば釈尊久遠の弟子たる事あに疑はんや、経に云く「我久遠より来かた是等の衆を教化す」とは是なり』(御書1360ページ)

◇通解
なんとしても、この人生で、信心に励み、法華経の行者として生き抜き、日蓮の一門となり通していきなさい。日蓮と同じ心であるならば、地涌の菩薩でしょう。地涌の菩薩であると定まったならば、釈尊の久遠の弟子であることは疑う余地がありません。経文に、「私(=釈尊)は遠い昔から、これらの者たち(=地涌の菩薩)を教化してきた」と説かれているのは、このことです。

◇背景
本抄は文永10年(1273年)5月、日蓮大聖人が流罪地の佐渡で認められたお手紙であり、弟子である最蓮房が、法華経の方便品に説かれる「諸法実相」について尋ねたことに対する御返事とされている。
大聖人は諸法実相の法理に照らし、本来、一切衆生の生命が妙法蓮華経の当体であることを明かされる。そして大聖人と同じ心で自行化他にわたる唱題の実践に励む人は皆、地涌の菩薩であり、「二人・三人」と妙法が弘まっていく「地涌の義」によって、広宣流布が実現することは間違いないとの確信を示し、どこまでも法華経に身を任せていくよう促されている。

◇解説
日蓮大聖人は貞応元年(1222年)2月16日、安房国(今の千葉県南部)で御聖誕された。民衆救済を願われた御生涯は相次ぐ大難との闘争であり、本抄を執筆されたのも、佐渡流罪という最大の法難の渦中である。
当時、佐渡への流刑は、生きて帰ることは望めない死罪に等しいものであった。極寒の中にあって衣食にも事欠き、念仏者などから命を狙われていた。
さらに門下に対しても追放や所領没収等の迫害が広がり、"1000人のうち999人まで退転した"といわれるほどの大弾圧が起こっていた。
大聖人は、法華経の勧持品に説かれる三類の強敵、刀杖の難等の文に照らして御自身が法華経の行者であるとの確信を深められ、弟子たちに対しても御自身と同じ心で法華経の信心を貫いていくよう励まし抜かれた。
本抄で大聖人は、末法において地涌の菩薩の上首である上行菩薩が弘通すべき妙法を、先立って弘めてきたがゆえに、「地涌の菩薩のさきがけ日蓮一人なり」(御書1359ページ)と仰せになられている。
そして今回の研さん範囲で「日蓮と同意」——すなわち大聖人と同じ心で題目を唱え、広布に生きゆく人もまた地涌の菩薩であり、釈尊の久遠の弟子であると御指南されているのである。
「法華経の行者にてとをり」「日蓮が一門となりとをし」——この「とをし」には"通す""貫く"という意義がある。"どんな困難があろうとも信心を貫いていきなさい"との深い御慈愛が拝される。
弟子にとって、自らが地涌の菩薩であり「日蓮と同意」であるとの深い自覚は、「貫き通す」行動となって現れる。苦境に直面した時にこそ、そうした自覚と行動は、いやまして真価を発揮するといえよう。
学会は、大聖人の御精神に連なり、地球規模で地涌の菩薩の連帯を広げてきた唯一の団体である。
いかなる苦境に立っても、学会員は"私は地涌の菩薩だ!"との深い自覚に立ち、一切を勝ち開いてきた。
池田先生はつづられている。
「末法にあって、題目を唱え、広宣流布の戦いを起こせるのは、地涌の菩薩です」「広宣流布の使命を自覚し、その戦いを起こす時、自らの胸中に、地涌の菩薩の生命が、仏の大生命が厳然と涌現するんです」
本抄で大聖人は「日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし」(同1360ページ)とも仰せである。
まず自分が一人立ち、身近な一人へと妙法を伝えていく一対一の励ましと対話——この地道な行動の重なりが、「地涌の義」を現実のものとするのである。
地涌の誇り高く、励ましの輪を大きく広げながら、学会創立100周年への"勝負の10年"の初陣を、堂々と勝ち飾っていきたい。

2021年1月28日木曜日

2021.01.28 わが友に贈る

危機の時代にこそ
失敗を恐れず
挑戦を重ねよう!
全てを成長の糧とする
逞しき楽観主義で前進!

日女御前御返事 P1244
『此の御本尊全く余所に求る事なかれ只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり、是を九識心王真如の都とは申すなり』

【通解】
この御本尊を決して他の所に求めてはならない。ただわれら衆生が法華経(御本尊)を持って南無妙法蓮華経と唱える、胸中の肉団におられるのである。これを「九識心王真如の都」というのである。

名字の言 医療従事者の方々と、その家族に思いをはせ 2021年1月28日
太平洋戦争末期の実話を基にした映画「ハクソー・リッジ」は、沖縄・浦添市の前田高地にある"のこぎり崖"で、75人の負傷兵の命を救った衛生兵の物語である▼米陸軍の兵士デズモンド・ドスは、武器を持たず戦地へ赴いた。銃弾の嵐の中、彼は米軍兵だけでなく負傷した敵兵も手当てする。"どれほど言っても武器の所持を拒否した。そんな彼こそ最も勇敢だった"——彼に命を救われた上官は証言した▼次元は異なるが、コロナ禍で奮闘する医療従事者を思った。ある婦人はコロナ患者を受け入れる病院で、看護師長を務める。彼女の夫が胸の内を明かしてくれた。日々、命を救う最前線で力を尽くす妻の無事を祈り、帰宅のたび最敬礼する思いで迎えている、と▼今この瞬間も、敢えてリスクを背負いながら、逼迫する医療現場に立つ人がいる。その方々と、ご家族の心労は計り知れない。私たちはその状況に思いをはせ、一日も早い終息を祈り続けたい▼国境なき医師団の加藤寛幸会長は本紙のインタビューで、自分のことを「大勢の中の一人」と思わず、「自分の助けを必要としている人がいる」と考えてほしい、と。自分のできる感染防止に努めることが、友人を、医療現場を、社会を救う——今一度胸に刻み、行動したい。(首)

寸鉄 2021年1月28日
会長のアジア初訪問60周年。地涌の同志が陸続と。仏法の大光は輝き増して
目先にとらわれず信心をやり遂げよ—戸田先生。祈り抜く人が最後に勝つ
「根の弱きは・たうれぬ」御書。青春時代の労苦は生涯の土台に。誓い貫け
子のゲーム依存に悩む親の相談急増と。ルールを決め、守る。大人が模範に
企業の偽サイト等に誘導する詐欺、4倍に増加と。偽のメールに皆で警戒を

〈社説〉2021・1・28 きょう「アジア初訪問」60周年
◇理想を掲げ勝利の一日一日を
きょう1月28日は、池田先生が1961年、初のアジア歴訪の平和旅に出発した日である。
今、アジア各国・各地のSGIの発展は目覚ましい。インドには25万人、タイには20万人を超える創価のスクラムが築かれ、各地に地涌の同志が誕生。国家行事への出演要請が政府から寄せられ、SGIの平和行事に各界の著名な識者が出席するなど、創価の仏法哲学と行動への賛同と称賛が相次いでいる。
60年前、池田先生が香港やインド、ビルマ(現ミャンマー)、タイなど5カ国1地域を初訪問した際、メンバーはほとんどいなかった。そこから、これほどの発展を遂げた要因とは何か。一つのヒントが、当時を記した小説『新・人間革命』第3巻「月氏」の章に示されている。
山本伸一が最初の訪問地・香港をたった機中でのこと。同行の幹部に、近い将来、アジアに総支部をつくる、各地に地区を結成するなど、具体的な広布の構想を提示する。驚く幹部に伸一は語る。
「まず構想を描く。そして、そこから現実をどう開いていくかを考えていくんだ。現実は冷静に見つめなければならないが、大きな構想をもち、向上への意欲を燃やして戦っていかなければ、何も開くことはできないだろう」と。
「現実の壁」に直面した時、人は諦めや無力感にとらわれてしまうことがある。しかし、そんな時にこそ明確な未来図を描くことだ。コロナ禍によって「できないこと」が増えたことは現実である。だからこそ「今年の自分はこうなる!」「10年後にはこれを成し遂げる!」と、自らを鼓舞する目標を定めたい。その一念が現実を切り開く突破口となる。
さらに重要なのは、その理想に向かって、目の前の課題に全力で取り組むことである。同巻「平和の光」の章で、アジア各地にメンバーが少ないことを嘆く幹部に、伸一は次のように語った。
「『0』には、何を掛けても『0』だが、『1』であれば、何を掛けるかによって、無限に広がっていく。だから、その『1』を、その一人を、大切に育てあげ、強くすることです。そのために何が必要かを考えなくてはならない」と。
先生はこれまで、アジア各地を訪問する中で、大地に題目を染み込ませるように祈り、出会いを結んだ一人を抱きかかえるように励ましてきた。訪問できなくとも、メッセージや随筆等を通して、一人一人の心に希望の灯をともしてきた。雨が岩をうがつような日々の行動が、未来の発展の道を開くことを忘れまい。
学会創立100周年へ、10年後の自身の勝利の姿を思い描きながら、この一年、この一日を力強く歩んでいきたい。

☆共生の地球社会へ〜仏法の英知に学ぶ テーマ:多様性の尊重
◇差別のない豊かな世界をつくる
ミライ いま、アメリカの動向に世界が注目しているね。

ホープ そうだね。アメリカは、世界の国々から移住した人々が多い国だよね。社会に豊かな多様性がある一方、長年にわたって深刻な人種差別問題を抱えているんだ。

ミライ 近年は、移民に不寛容な主張や、社会の分断を深める動きも、一部で活発化しているようだね。

ホープ 社会の中で、マジョリティー(多数者)が、マイノリティー(少数者)を、自分たちと違うことを理由に差別し、排除することは、残念ながら、昔から繰り返されてきたんだよ。
根っこは、他者への無理解や"差異へのこだわり"による嫌悪、憎悪がある。しかも、それが暴力や強制に結び付いてきた。
仏教では、内なる「差別する心」と戦い、言葉の暴力や、心の憎悪をかき立てることを戒めているよ。

ミライ ユネスコ憲章の前文には、「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」とうたわれているよね。
多様な人々を結び、調和をもたらす普遍性のある思想・哲学が大切になってくるね。

◇仏法の平等観
ホープ 人の心の中に、"平和のとりで"を築くためにも、仏法の英知を学んでいこう。
法華経薬草喩品で説かれる「三草二木の譬え」は、とても示唆に富んでいるよ。
——世界には、さまざまな種類の樹木や薬草が茂っている。それぞれに名前が違う。形も異なる。厚い雲が空を覆って大地に雨を降らせ、草木を潤す。草と木は、それぞれの性質に従って成長し、花を咲かせ、実をつける。
教えを受ける人々の資質・能力は、もともと、大地の草木のように多様である。仏は、その多様性を十分に理解した上で、雨のように等しく慈悲を注ぎ、自分と同じ境涯に導く——このような譬喩だよ。

ミライ 衆生の多様性と、仏の慈悲の平等性が強調されているのね。

ホープ そうだね。仏は、一切衆生を仏子として、自身と同じ仏の境涯に高めようとしているんだ。さらに、どんな人にも平等に、差別する心なく、目の前の"一人"のために法を説いているんだよ。
ここで大事なことは、"衆生に差異がない"のではなく、"仏が衆生を差別しない"ということなんだ。違いを最大に尊重し、どこまでも一人一人の個性を伸ばしていくのが仏の慈悲なんだよ。

ミライ 私が心に刻んでいる日蓮大聖人の御書の中にも、「桜は桜、梅は梅、桃は桃、李は李と、おのおのの特質を改めることなく、そのままの姿で、本来の仏のありのままの生命を開いていると見ていくのである」(784ページ、趣旨)と、多様性を生かしていく仏法の哲理が示されているよね。

ホープ 「桜梅桃李」の法理だね。この法理の土台となっているのが、すべての人々が、人種・性別・民族・文化・職業・生まれに関係なく、等しく仏性を具えているという、生命の尊厳の思想なんだよ。
さらに、一人一人が尊厳な存在であることに、いかなる差別もないことを、創価学会の世界的な広がりに見いだせると思うんだ。

ミライ 国籍や社会的な立場を超えて、相互に尊敬し合う麗しい連帯が広がっているよね。海外のメンバーと互いに言語や習慣が違っても、同じ妙法を唱え、広宣流布に励む中で宿命転換している姿に、私も勇気をもらうわ。

◇差異を認める
ホープ 人は互いに影響を与え、依存しながら生きている——仏教では万物は相互依存の関係にあると説いているけど、改めて深いつながりを実感するね。この考え方を突き詰めると、矛盾や対立さえも結び付きの一つの表れと見ていけるんだ。

ミライ 調和を目指す上で、矛盾や対立を避けたり、無視したりすることはできないってことね。

ホープ そうだね。池田先生は、平和学者のエリース・ボールディング博士との対談で、「差異を創造的に統御していくこと」という博士の言葉に賛同されているよ。(『「平和の文化」の輝く世紀へ!』、潮出版社)
違いは「なくす」ものでも、恐れるものでもなく、尊重して受け止めていくべきものだね。そうすることで、差異に翻弄されない自身を築いていくことができるんだ。

ミライ 一人一人のそうした意識が社会に反映されれば、より豊かな多様性の社会が生まれていくはずだよね。

ホープ その通りだね。私たちは、生命尊厳の仏法哲理に基づき、差別のない世の中を建設する使命があるんだ。

◇メモ(御義口伝、784ページ)
桜、梅、桃、李、それぞれの木々に咲く花は、その形や咲く時期を異にしながらも、それぞれが美しく花開きます。私たちも、妙法の働きによってそれぞれ本来の姿を変えることなく、もともと具わる「仏の生命」を開き顕すことができるのです。
"自分らしさを最大に開花させるのがこの仏法である"との考え方は、差異によって優劣をつけることの愚かさを分かりやすく示しています。

2021年1月27日水曜日

2021.01.27 わが友に贈る

他者を思う祈りから
智慧は無限に湧き出る。
あの友 この友の状況に
寄り添い続けながら
励ましの声を隅々に!

種種御振舞御書 P925
『されば鹿は味ある故に人に殺され亀は油ある故に命を害せらる女人はみめ形よければ嫉む者多し、国を治る者は他国の恐れあり財有る者は命危し法華経を持つ者は必ず成仏し候、故に第六天の魔王と申す三界の主此の経を持つ人をば強に嫉み候なり』

【通解】
そもそも鹿はいい味があるために人に殺され、亀は油があるために命を奪われる。女人は器量が良いと妬む者が多い。国を治める者は他国にすきを狙われる恐れがあり、富める者は強奪に遇い勝ちなので命が危うい。法華経を持つ者は必ず成仏するゆえに六天の魔王という三界の主が此の経を持つ人を強烈に嫉むのである。

名字の言 "二人の母親"への恩返し 2021年1月27日
広島の爆心地の真北、同じ東経132度27分に、中国平和記念墓地公園の「世界平和祈願の碑」がある。6体のブロンズ像は、世界中の被ばく者を追悼するために建立された▼像の一つに「後継の像」がある。母に高く掲げられた幼子が、大空に向かって両手を広げている。制作者のルイ・デルブレ氏は「未来を担い、大いなる希望をもって『成長していく人間』の姿を幼児として表現しています」と語った▼1歳11カ月で被爆した広島の壮年部員には、"二人の母親"がいる。生みの母は原爆で命を落とした。育ての母も爆心地から1・5キロで被爆。体が弱かった継母は、その体験をほとんど語らずに亡くなった▼二人の母の生涯は、壮年に原爆の悲惨さを痛切に感じさせた。核兵器の恐ろしさを語っていくことが母への恩返しになると、壮年は二人の母への感謝と、自らの被爆体験を語り続けてきた。命ある限り平和を叫ぶ——それが自身の使命と決めている▼22日に発効した「核兵器禁止条約」。広島平和文化センターの小泉崇理事長は、「人道的観点から核兵器を絶対悪として禁止する道筋をつけた」(毎日新聞1月20日付)と。母の命を奪い、思い出したくもない苦悩を母に背負わせる——その一点で、核兵器は「絶対悪」である。(子)

寸鉄 2021年1月27日
地域から世界変える学会の平和運動こそ理想形—事務局長。民衆の力は大
東京・豊島婦人部の日。さあ希望拡大!三代有縁の天地の太陽は不撓不屈
青年幹へ『新・人間革命』の研鑽進む。澎湃と躍り出よ!新時代の山本伸一
本紙通信員制発足の日。心伝わる写真と文。同志鼓舞する言論闘争に深謝
今の感染状況を救うのは若い世代—専門家。3密避けうつらず、うつさず

☆明日を照らす テーマ:地涌の使命
法華経では、大地の底から無数の「地涌の菩薩」が涌出し、末法における妙法弘通を誓ったことが説かれています。
池田先生は「地涌の菩薩とは、われら創価の民衆群像である。苦悩する人びとを救おうと、あえて五濁悪世の末法に出現したのだ。辛酸と忍耐のなかで、たくましく自らを磨き上げ、人生の勝利劇を演じ、仏法の偉大なる功力を証明せんと、勇んでこの世に躍り出たのだ」とつづりました。
今回の「明日を照らす」は、「地涌の使命」をテーマに学んでいきます。

◇諸法実相抄
『日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし、是あに地涌の義に非ずや』(御書1360ページ)

◇広宣流布の不変の原理
【通解】はじめは日蓮一人が南無妙法蓮華経と唱えたが、そこから二人・三人・百人と次第に唱え伝えてきたのである。未来もまたそうであろう。これが地涌の義ではないだろうか。
        ◇
いかなる悪世にあっても、断じて苦難に負けず、人間革命のドラマを演じながら、広宣流布の誓願に生き抜く。これが、私たちに具わる尊極の「地涌の生命」です。
今や世界192カ国・地域に広がる創価の連帯も、師の励ましを受け、地涌の生命を自覚した「一人」が立ち上がり、次なる「一人」を励まし、希望の灯をともすことによって築かれてきました。使命に目覚めた一人から一人へ——この広宣流布の方程式を示されたのが本抄です。
文永10年(1273年)5月、日蓮大聖人は本抄を流罪地の佐渡・一谷で著され、最蓮房に与えられたとされています。
大聖人はまず、「皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり」と仰せになり、末法において題目を唱える私たちが、久遠から広布を誓って生まれ合わせた地涌の菩薩であるとの、深い宿縁を教えられています。
そして、大聖人が、ただ一人、唱え始められた妙法が、一人からまた一人へと唱え伝えられていくことこそ「地涌の義」であると示され、「未来も又しかるべし」と、この原理は永遠に不変であることを示されています。
この大聖人のお言葉を、事実の上で証明してきたのが、「地涌の陣列の教団」である創価学会にほかなりません。
世界広布の潮流は、信心の歓喜を目の前の「一人」に伝えることから始まります。2030年の学会創立100周年を目指し、わが地域から自他共の幸福のスクラムを広げていきましょう。

◇大悪大善御書
『各各なにをかなげかせ給うべき、迦葉尊者にあらずとも・まいをも・まいぬべし、舎利弗にあらねども・立ってをどりぬべし、上行菩薩の大地よりいで給いしには・をどりてこそいで給いしか』(御書1300ページ)

◇歓喜踊躍の勇気で前進を
【通解】あなた方は何を嘆くことがあろうか。(必ず大善がくるとの喜びに)迦葉尊者でなくても、舞を舞うべきところである。舎利弗でなくても、立って踊るべきところである。上行菩薩が大地から現れた時には、まさに踊り出られたのである。
        ◇
本抄は、災難が続き、社会が騒然とする中で、苦闘する門下を励ますために認められたと考えられています。
掲げた御文の前で、日蓮大聖人は「大悪をこれば大善きたる」(御書1300ページ)と、大悪は、大正法が広まる大善の前兆であるとの御確信を述べられます。
そして、釈尊の弟子である迦葉や舎利弗が成仏の法を聞き、大歓喜して舞い踊ったように、また、上行菩薩(地涌の菩薩の上首)が末法の広宣流布のために大地から踊り出てきたように、苦難の中にあっても、喜び勇んで広布に前進していくよう教えられています。
私たちは皆、一人一人が広布を誓願して、悪世末法の時代に自ら願って踊り出た地涌の菩薩です。ゆえに、現実が困難であればあるほど、使命に生きる喜びにあふれ、生命の底力を発揮していけるのです。
65年前、池田先生は「大阪の戦い」で、関西の同志と本抄を拝しながら、異体同心で広布に走り、未曽有の拡大と民衆勝利の金字塔を築きました。
先生はつづっています。
「いかなる試練にも、地涌の菩薩の大生命を燃え上がらせながら、立ち向かい、歓喜踊躍の勇気で、智慧で、忍耐で、勝利の舞を堂々と示し切っていく。これが学会精神です」
私たちは、今一度、広布に生き抜く偉大な使命を自覚し、誇りに燃えて、時代変革の立正安国の行動に打って出ようではありませんか。

2021.01.26 わが友に贈る

自らの使命の大地に
「平和の種」を蒔こう!
慈悲と勇気の振る舞いで
友の幸福と安穏に尽くす
尊き貢献の人生を!

松野殿御返事 P1381
『末世には狗犬の僧尼は恒沙の如しと仏は説かせ給いて候なり、文の意は末世の僧比丘尼は名聞名利に著し上には袈裟衣を著たれば形は僧比丘尼に似たれども内心には邪見の剣を提げて我が出入する檀那の所へ余の僧尼をよせじと無量の讒言を致す、余の僧尼を寄せずして檀那を惜まん事譬えば犬が前に人の家に至て物を得て食ふが、後に犬の来るを見ていがみほへ食合が如くなるべしと云う心なり、是くの如きの僧尼は皆皆悪道に堕すべきなり』

【通解】
末世においては、犬のような僧や尼は、恒河の沙ほどたくさん出現する、と仏は説かれている。この文の意味は、末世の、僧や尼は名聞名利に執着し、外には袈裟・衣を着ているので、姿かたちは僧や尼に似ているけれども、内心には、邪見の剣を携え、自分の出入する檀那のところへは、他の僧尼をよせつけまいとして、檀那を独占しようとするさまは、譬えていえば犬が人の家で餌にありついて食べているところへ、あとから他の犬が来るのを見て、いがみ吠え、噛み合いのけんかをするようなものだ、という意味である。このような僧尼は、当然全て悪道に堕ちるのである。

名字の言 他者がいてこそ、自分は磨かれる 2021年1月26日
哲学的な命題として、よく使われる質問を一つ。「誰もいない森のなかで木が倒れたとしたら、音は聞こえるのか?」。木が大きな音を出して倒れても、それを認知する存在がなければ、聞こえたことにはならない▼「私」という人間が存在するのも、認識してくれる他者がいてこそといえる。伊藤忠商事元会長で駐中国大使を務めた丹羽宇一郎氏は、冒頭の問いを通して、「人生を有意義で幸福なものにしようと思ったら、やはり他者との関係のなかで自分を磨くことを忘れてはならない」と(『死ぬまで、努力』NHK出版新書)▼人間には無限の可能性がある。しかし、「可能性がある」ことと、その力を「発揮する」ことはイコールではない。草木が太陽の光を浴びて葉を茂らすように、人間は、他者との関係性の中で磨かれていく。家族、友人、同僚、そして師匠——と▼コロナ禍によって生活様式が変化し、他者と身体的距離を取ることが定着しつつある。その中で、いかに絆を育むという「価値」を「創造」していけるか。作家の柳美里さんは、「この『創価』の力が今、求められています」(本紙2020年11月17日付)と語る▼厳しい試練が続く"冬"だからこそ、「創価の力」を発揮し、友の心に"春の励まし"を届けよう。(巍)

寸鉄 2021年1月26日
SGI提言発表。万人の尊厳が輝く世界の創出へ共に学び今の試練に応戦
東北女性の日。苦難越え、積んだ「心の財」は不滅!春風の如き励ましを友に
宗教とは生活の法則—恩師。具体的祈りと着実な挑戦。人間革命の日々を
人と会う機会減少で自律神経に乱れ出やすいと。簡単な運動等、意識して
"核禁条約"批准へと動く国、相次ぐ。廃絶へ市民社会の声の結集さらに!

☆御書の旭光を 第3回 明確な目標が勝利への力
〈御文〉
『十方は依報なり・衆生は正報なり譬へば依報は影のごとし正報は体のごとし』(瑞相御書、1140ページ)

〈通解〉
十方世界は依報である。衆生は正報である。例えば、依報は影のようなものであり、正報は体のようなものである。

〈池田先生が贈る指針〉
「依正不二」は希望の極理だ。自分が変われば環境が変わる。深き一念の力で、家庭も職場も地域も全てを変革できる。
ゆえに今年も目標を明確に、具体的に祈り、行動を起こそう。我らの人生と社会に、「人間革命」即「立正安国」の実証を示すのだ。
とともに、地球環境を守るために、足元からの努力と連帯を忘れまい。

☆大学校生とナットクTALK テーマ:信仰の根幹
男子部大学校生からの質問に答える連載「大学校生とナットクTALK」。今回のテーマは「信仰の根幹」。松岡ニュー・リーダーが友達から初詣に誘われたことについて、オンラインで話しています。

登場人物
中村区男子部大学校団長 20歳の時に入会。情熱に燃える新進気鋭のリーダー。34歳。
松岡ニュー・リーダー 信心強盛な家庭で育った学会3世の24歳。明るい性格で友達が多い。

Q初詣に誘われたのですが……
A日々、御本尊に祈ることが僕らの信心
中村区男子部大学校団長 松岡君、聞こえる? お疲れさま! 年末年始はどうだった?

松岡ニュー・リーダー 今年は帰省せずに、家でゆっくりしてました。友達から初詣に誘われたんですけど、親に相談したら「行かない方がいい」って言われたので、行きませんでした。そういえば小さい頃、お祭りの出店とかには行ってたんですが、どうして初詣は行かない方がいいんでしょうか。

中村 いい質問だね。じゃあ、初詣って何をしに行くと思う?

松岡 えーっと、「家内安全」とか「試験合格」とか、そういう願いごとをするためですかね?

中村 そうだね。一年の無事や願いの成就って、僕らは、家に御安置している御本尊に向かって勤行・唱題する時に、祈ってることだよね。しかも毎日。そもそも、「本尊」というのは、「根本として尊敬するもの」という意味なんだけど、"何に祈るのか"というのは、その宗教の根幹に関わる、最も大切なことなんだ。日蓮大聖人は「末法」という"何が正しい教えか分からない時代"に、全ての人が幸福になれる道を示してくださった。それが、南無妙法蓮華経の題目であり、僕たちが日々、拝している御本尊なんだ。大聖人は、誤った本尊を拝んではいけないとも仰せだよ。だから松岡君の親御さんも、初詣に行くことを止めたんだと思う。

松岡 でも、お祭りに参加するのはいいんでしょうか。

中村 お祭りは、由来としては宗教と関係するものが多いけど、今の時代は本来の意味合いが薄れて、地域の親睦のためのイベントや慣習になっているからね。

松岡 確かに、クリスマスとかもそうですよね。

中村 イベントで一年に一回だけ「こうなりますように」と願うのではなく、「こうしていくんだ」という決意を、日々新たにして、真剣に御本尊に祈る。これが僕たちの信心の正しい実践だよ。池田先生は、「御本尊に勤行・唱題する時、私どもの生命の善悪の力も、(中略)すべて自分自身の幸福と価値を創る方向に働いていく」とご指導されているよ。

松岡 毎日の一回一回の祈りを、もっと真剣にやっていきます。

中村 初詣に誘ってくれた友達は、きっとお正月気分を皆で味わいたかったんだろうね。コロナのこともあって、人とのつながりがこれほど重要な時もないから、友情は大切にしていこう!

松岡 新年に皆と会えなかった分、オンラインで同窓会をすることになったので、楽しんできます!

2021年1月25日月曜日

2021.01.25 わが友に贈る

◇今週のことば
「声仏事を為す」
言葉が心を伝える。
会えなくとも心は通う。
祈りから智慧を湧かし
真心の絆を生き生きと!
2021年1月25日

開目抄下 P232
『詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん』

【通解】
詮ずるところは諸天も私を捨て給え。難にいくら遭おうとも問題ではない。身命をなげうって正法弘通に邁進するのみである。

名字の言 渡り鳥に"内蔵"されている能力 2021年1月25日
渡り鳥の群れを見た。北極圏などから日本に飛来する季節である▼人間ならコンパスやナビの助けがなければたどり着けない長距離だが、実際、渡り鳥はそれらに近い能力を"内蔵"するらしい。いわゆる体内時計を、太陽や星の位置と照らし合わせて方角を決めるそうだ。日本鳥学会元会長の樋口広芳東大名誉教授によれば、渡り鳥には特定の遺伝的なプログラムがあり、「何丁目何番地何号」といったレベルで目的地にたどり着く鳥もいるという(『鳥ってすごい!』ヤマケイ新書)▼御書に「虚空に鳥の飛跡あり人此をみず」(1250ページ)との一節がある。鳥は自由に飛んでいるようで、実は一定の軌道を進んでいる。私たちの肉眼では見えないだけだ▼太陽や月や地球にも運行の軌道がある。人間にも、人間らしく生きるための確かな軌道がある。その道を歩む方途こそ仏道修行だと池田先生は言う。「成仏」とは、何か特別な状態ではなく「軌道」を歩むこと。自他共の幸福を願う「心」が定まることであり、その心で常に前進することである——と▼"地図なき旅路"ともいうべき人生において、正しい信仰と師匠を持てることがどれほど心強いか。幸福勝利という"目的地"へ、人間革命の軌道を共々に歩んでいこう。(之)

寸鉄 2021年1月25日
「大白蓮華」の御書講義が書籍化。健康の世紀へ—試練の時代を照らす叡智
大阪事件・無罪判決の日。厳たる歴史の刻印忘れるな!広布の情熱を赤々と
関西婦人部の日。苦悩の友に励ましを!希望を!この連帯こそ常勝の強さ
大事なことは今、ここにいる人だ—詩人。今日も目の前の「一人」を大切に
ネットの使用頻度高い子は言語力低下の恐れと。親子で語らい、賢く活用

〈社説〉 2021・1・25 きょう「大阪事件」無罪判決の日
◇人々を慈愛で包む人権闘争
「大阪事件」——それは1957年7月3日、若き日の池田先生が事実無根の選挙違反容疑で不当逮捕された重大な冤罪事件であった。その法廷闘争は、62年1月25日、大阪地裁の無罪判決により、先生の無実と正義が厳然と証明された。
先生の不当逮捕・勾留は、新たな民衆勢力の台頭を阻もうとする権力の策謀だった。"罪を認めなければ戸田会長を逮捕する"との脅迫的な検事の言葉。先生は、衰弱が激しい恩師を守るため、一旦は検察の要求をのんで罪を認め、裁判で真実を明らかにしたのである。
「創価学会の歩みは、常に権力の魔性との闘争であり、それが初代会長の牧口常三郎以来、学会を貫く大精神である」(小説『新・人間革命』第5巻「獅子」の章)
この言葉通り、牧口先生と戸田先生の獄中闘争は、軍部政府の弾圧の下、信教の自由を貫き、平和への黎明を告げた、峻厳な"学会の原点"となった。その魂を受け継ぐ池田先生の「大阪事件」と裁判の戦いは、「人間の尊厳と自由と平等とを勝ち取る人権闘争」(『人間革命』第11巻「裁判」の章)であった。
創価三代の激闘の歴史は、まさしく人類社会が希求する普遍的な価値と輝く。マハトマ・ガンジー、キング博士、マンデラ氏ら、平和と人権の闘士の魂とも深く共鳴する人間主義の精神は、世界に広がるSGIへの信頼の基盤となっている。
"人権"という言葉について、かつて池田先生は「万人への『優しさ』『人間愛』」と表現した。先生の人権闘争は、人々を慈愛で包み、皆が幸福になる権利をつかむための行動でもあった。
「大阪事件」の公判のため、何度も関西を訪れ、計23回、出廷した先生。その都度、時間が許す限り同志に会い、励ましを重ねた。61年の第2室戸台風の際は、被災地を回った後、法廷に臨んだ。
関西の草創の母は語る。
「先生は、決して裁判のことは語らず、私たちを励まし続けてくださいました。公判に足を運ぶたび、関西を強くしていただいたようなものです。先生への報恩の誓いは、生涯、変わりません」
関西婦人部をはじめ全同志が祈り、戦う中で迎えた無罪判決の「1・25」は、後に「関西婦人部の日」「民衆勝利の日」と定められた。自らが屋根となり柱となって人々を守り、人権闘争を貫いてきた師への感謝と決意を新たにする日である。
『新・人間革命』で、裁判に勝利した山本伸一は友に呼び掛ける。
「私たちは獅子だ。嵐のなかを、太陽に向かって進もう!」(第5巻「獅子」の章)——。いかなる試練を前にしても、師弟の魂を燃やし、平和と人道の時代を開いていきたい。

☆随筆「人間革命」光あれ 打ち鳴らせ希望の暁鐘 2021年1月19日
◇「冬は必ず春」と不屈の前進
年頭より日本海側を中心に大雪が続いている。雪深き地域の皆様に心からお見舞いを申し上げるとともに、尊き友の無事安穏を祈り、真剣に題目を送る日々である。
日蓮大聖人は後半生、佐渡(現・新潟県)、さらに甲斐(現・山梨県)の山で、大雪の冬を堪え忍ばれ、広宣流布と令法久住の法戦を貫かれた。
ある冬は、近隣の年配者たちに尋ねても口々に「いにしへ・これほどさむき事候はず」(御書一〇九八ページ)と驚くほどの酷寒で、「一丈二丈五尺等」(同ページ)という何メートルにも及ぶ積雪であったと記されている。
また、深い雪を物ともせず御供養を届けた門下を、「雪の中ふみ分けて御訪い候事 御志定めて法華経十羅刹も知し食し候らん」(同一三八八ページ)とも讃えておられる。
「無冠の友」をはじめ、雪にも北風にも負けず、誠実に聡明に広布と社会に尽くす同志への御照覧と、拝されてならない。

◇師弟凱歌の春へ
御本仏・大聖人は、人生の苦難と悲嘆にも退かない女性門下に、「法華経を信ずる人は冬のごとし」(同一二五三ページ)と仰せになられた。
法華経の信心は、いわば"冬の信心"である。
「冬は必ず春となる」(同ページ)という生命の法則を確信し、忍耐強く試練の冬に挑み抜き、断じて「福徳と歓喜の春」を勝ち開く信仰なのだ。
一九五一年(昭和二十六年)一月、恩師・戸田城聖先生の事業が絶体絶命の苦境にあった厳冬、日記に私は書き留めた。
「冬来りなば、春遠からじ。極寒の冬なれど、春近しを思えば、胸はときめく。いかなる苦難に遇っても、希望を決して捨ててはならぬ」
ただ師匠をお守りするため、阿修羅の如く戦い抜く日々であった。
苦境を打開して、この年の五月三日、遂に、戸田先生の第二代会長就任という希望輝く「師弟凱歌の春」を迎えたのである。
その翌月の十日、先生が晴れ晴れと「白ゆりの香りも高き集い」と詠まれ、結成されたのが、わが婦人部である。
「ゆり」の花は、古代ローマでも、「希望」の象徴とされていたという。
今、不安の闇に覆われた世界にあって、何よりも明るく温かい「希望の陽光」を放っているのは、本年、結成七十周年を迎える「太陽の婦人部」であると、私たちは声を大にして宣揚したい。
全国津々浦々で、自他共に幸の価値創造の喜びを広げている「ヤング白ゆり世代」の友もまた、新時代の希望の花そのものではないか。

◇絶対「大丈夫!」
御聖訓に「月月・日日につよ(強)り給へ」(御書一一九〇ページ)と仰せなるがゆえに、若き日の私は、とりわけ毎年一月より果敢なスタートダッシュを心してきた。
雪の北海道・夕張を初訪問したのも、一九五七年(昭和三十二年)の一月十三日であった。健気な同志たちの信教の自由が侵害された"夕張炭労事件"に立ち向かい、勝利した年である。幾重にも共戦の歴史が蘇る。
今年の冬、夕張方面は例年に倍する豪雪と伺った。ご苦労が偲ばれる。
これまでも夕張はじめ北海道の同志は、炭鉱の事故や自然災害、また経済苦、自身や家族の病気などを、どれほど勇敢に乗り越えてきたことか。
あの炭労事件の歴史を学び、人権蹂躙の悔しさとともに正義の勝ち鬨を命に刻んだ広布の母は、何があっても「大丈夫!」と、微笑みを湛えた一言で友を励ましてきた。
自らも癌と闘い続けたこの母が語る「大丈夫!」とは、何とかなるという願望でもなければ、なぐさめでもない。
「大難来りなば強盛の信心弥弥悦びをなすべし」(同一四四八ページ)との御聖訓通り、誓願の題目を唱え抜けば、解決できないことは何もないとの揺るがぬ確信なのだ。
夕張の偉大な母たちには、使命の大地に根を張り、地下千メートルの坑道の底までも妙法を染み込ませる一念で、広宣流布と立正安国に命を尽くしてきた誇りがある。
ゆえに、愛する郷土から、福運と人材の宝が無量に湧き出てこないわけがない。絶対に大丈夫!——そう言い切れる地涌のスクラムは、今、試練の時代に挑む地域社会へ、「勇気」即「希望」を限りなく広げているのだ。

◇自他共の幸福勝利へ 「わが発迹顕本」を
◇平和誓う連帯を
また、同年(一九五七年)一月には、「永遠の平和の都」たる広島を、初めて訪れた。
関西青年部への激励と山口開拓指導を戦い切って広島入りし、当時、岡山支部に所属していた広島地区の決起大会に出席したのだ。その日は、一月二十六日であった。
帰京後、山口闘争、また広島、岡山はじめ意気軒昂な中国の同志の様子をご報告すると、戸田先生は会心の笑みを浮かべて喜んでくださった。
先生が歴史的な「原水爆禁止宣言」を発表されたのは、それから八カ月後のことだ。
さらに、世界の平和を願い、「創価学会インタナショナル(SGI)」が発足したのは、奇しくも広島の同志との新出発から満十八年後の、一月二十六日であった。
本年、このSGIの記念日を前にして、来る二十二日には、「核兵器禁止条約」が、いよいよ発効の時を迎える。
"核兵器による悲劇を二度と繰り返させてはならない"との広島、長崎の被爆者の方々の声が、大いなる推進力となった画期的な条約である。
平和原点の天地・広島、長崎をはじめ、不戦を願う市民社会の連帯を一段と強め、「核兵器のない世界」へ人類の希望の一歩前進を誓い合いたい。

◇「最も偉大な力」
「この世で最も偉大な力」とは何か。
奇跡と謳われる戦後の広島の復興に心を砕き、尽力された"アメリカの良心"カズンズ博士は、私との対談で語られた。
「生命の再生能力です。人間は肉体、精神両面において、苦痛や試練を克服し、病を治癒する本然の能力を持っている」と。
しかし博士は、「それ以上に素晴らしいもの」があると言われた。
すなわち、「『希望』の力」である。
「希望こそ私の秘密兵器」——これが、博士の強さの源泉だったのだ。
御聖訓には「妙法の大良薬を以て一切衆生の無明の大病を治せん事疑い無きなり」(御書七二〇ページ)と仰せである。
社会が希望を失い、苦悩の闇の中に沈んでいる時こそ、仏法の智慧は輝き光る。あきらめという無明の大病を打ち払い、万人に未来への光明を赫々と示していけるのだ。
そして、現実の病気と闘う友に、「病ある人仏になるべき」「病によりて道心は をこり候なり」(同一四八〇ページ)と、永遠の次元から究極の希望を贈り、蘇生させていくのも、日蓮仏法なのである。

◇いざ我らの手で
私がアジア歴訪に出発したのは、六十年前の一九六一年(昭和三十六年)一月であった。
希望の大光を放つ「太陽の仏法」を、アジア、そして全世界の苦悩の民衆に伝えたい——そう願ってやまなかった恩師の「仏法西還」「東洋広布」の夢の実現を誓い、不二の弟子として、勇んで先駆けたのである。
この旅を前に、私は福岡県の小倉(現・北九州市)で行われた九州の三総支部結成大会に出席した(一月八日)。開会前から会場に響き渡っていたのは、九州で生まれた「東洋広布の歌」である。
我らの手で新たな広布の道を開かん!——あの日以来、九州の友がどれほど「先駆」の歴史を開いてくれたことか。
本年「希望・勝利の年」も、"創立百周年の主役は青年!"と、いずこにも先駆けて対話の拡大に走り抜いてくれている。
その勇気と団結の行動こそ、まさしく「世紀乱舞の人」ともいうべき地涌の躍動といってよい。

◇青年の心で 世紀の舞台へ先駆せよ!
◇境涯開く時は今
来月十六日は、大聖人が安房国(現・千葉県)に御聖誕されて八百年(数え年)の大佳節である。
相模国(現・神奈川県)で竜の口の法難を勝ち越え、発迹顕本されて満七百五十年でもある。
法難当時(文永八年<一二七一年>九月十二日)、大聖人は御年五十歳であられた。今の壮年部の世代と重なる。
大聖人は頸の座に臨まれて、「今が最期です」と嘆く弟子・四条金吾に対し、「これほどの悦びをば・わらへかし」(同九一四ページ)と雄々しく悠然と励まされた。
最も大変な時に、最大最上の境涯を開く。これが仏法の真髄である。
信心に行き詰まりは断じてない。困難を前に、あきらめて、うなだれる必要などない。堂々と笑い飛ばしていけ。創価の負けじ魂を、烈々と燃え上がらせていくのだ。大信力、大行力を奮い起こして祈り戦うのだ。この人間革命にこそ、「わが発迹顕本」もある。
人類全体の転換期の中で、創価学会は今、新たな発迹顕本の時を迎えているといってよい。
それは決して遠くにあるのではない。一人ひとりが「私が創価学会だ」「今に見よ!」と頭を上げて不撓不屈の挑戦を続けゆく中に、その実相があることを忘れまい。

◇従藍而青を信じ
戸田先生は、未来を切り開く若き地涌の力を信じておられた。
ゆえに「創価の青年のたくましさを吹き込んでこそ、世界の青年層を力強く蘇らせることができる」と断言されたのだ。
「阪神・淡路大震災」から二十六年。
そして「東日本大震災」から十年——。
創価の青年たちは、艱難の冬将軍に幾たびも打ち勝ち、いやまして、たくましく鍛錬されてきた。今、コロナ禍にあっても、この不屈の心を全世界の「従藍而青」の若人が社会に広げてくれている。
未来部の若木たちも、何と力強く、また頼もしく伸びていることか。
地球社会の人道の大城の建設へ、希望の暁鐘を打ち鳴らす「青年部幹部会」の開催も目前だ。
わが国土、わが街の青年の成長と勝利を皆で祈り、共々に青年の心で邁進しようではないか!

2021年1月24日日曜日

2021.01.24 わが友に贈る

友の悩みや決意を聞き
幸福の哲学を語らう。
創価の座談会は
互いを称え 高め合う
生命触発のオアシスだ。

十字御書 P1491
『地獄と仏とはいづれの所に候ぞとたづね候へば或は地の下と申す経文もあり或は西方等と申す経も候、しかれども委細にたづね候へば我等が五尺の身の内に候とみへて候』

【通解】
地獄と仏とは、どこに存在するのかと探究したとき、あるいは地の下にあるという経文もあり、あるいは西方等にあるという経もあります。しかしながら、詳細に探究してみると、私達の五尺の身の内にあると説かれています。

名字の言 視覚障害者柔道の元日本代表・初瀬勇輔氏が気付いたこと 2021年1月24日
「もしも目が見えるようになる手術があったら、受けますか?」。視覚障害者柔道のパラリンピック元日本代表で実業家の初瀬勇輔氏は、青少年を励ます講演会の席上、参加者にそう問われ、言葉に詰まった▼23歳の時、緑内障で失明。人生に絶望したものの、周囲の支えを励みに前を向いた。就職活動では100社以上で不採用になったが、人材派遣会社の特例子会社に入社した。そこで経験を積み、障がい者の人材紹介会社を起業。障がい者と健常者をつなぐ懸け橋となってきた▼失明した直後なら、冒頭の問いに「手術する」と即答していた。しかし、視力を失ってから歩んできた人生が、いかに充実していたかということに改めて気付いた。氏は「いまは楽しくて仕方がない」と(『いま、絶望している君たちへ』日本経済新聞出版社)▼襲い掛かってきた試練に、勇気を奮い起こして立ち向かっていく。その時、「宿命」は「使命」に変わる。思いもよらない苦難の中で重ねた挑戦の日々は、より強く、より大きな自分へと飛躍させてくれる▼池田先生は「仏法では『変毒為薬』と教えている。その逆転劇を生み、勝利しゆくのは、勇気ある信心だ」と。きょうも一歩前へ。その積み重ねが、功徳満開の勝利の春を呼ぶ。(開)

寸鉄 2021年1月24日
心と心の交流が大事だ—戸田先生。学会は励ましの団体。真心の声、地域へ
尼崎の日。常勝の誓いに燃える大関西の心臓部。希望拡大の波を今こそ!
「妨げるものと闘う時に人生は輝く」作家。前進の智慧を出し合い皆で挑戦
オンライン会議5分前の雑談は場を和ませる効果と。一回一回を価値的に
がん検診の受診者、減少傾向続く。早期発見・治療で守れる命。先送りせず

☆2021年「希望・勝利の年」 白樺グループの活動
白樺グループ(女子部の看護者の集い)の本年の活動方針を、山本委員長の声とともに紹介する。
山本委員長の声
世界は今、新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、先の見えない不安に包まれています。そうした中にあって、看護者の役割はますます大きくなっています。グループ名の「白樺」の木は、どんな荒れ地でも、肥沃な土地に変えていく力を秘めています。今こそ、使命を果たす時と決め、どんな環境であっても、祈りを根本に、不安を安心に、孤独を希望に変えていく励ましの連帯を大きく広げていきたいと思います。そして、婦人部・白樺会と励まし合い、切磋琢磨しながら、生命尊厳の看護者として、さらに成長してまいりましょう!

【活動方針】
1.白樺の使命に立ち、生命尊厳の看護を実践!
「私の手は 多くの人々の 尊い生命を 護る武器である。 私の無言の落ち着いた行動は 病と戦い続け 苦しみ抜いている 人々のために ありたい」(長編詩「生命の天使 気高き希望の魂!」)

<活動のポイント>
・今日も先生と共に笑顔で出発しよう!
・全世界の同志の無事故と健康を守ろう
・地域、社会で「白樺の心」を広げ、希望と安心の存在になろう

2.白樺姉妹の絆で、希望の前進!
「皆がともに勝ちゆくために、同じ看護婦として互いに励まし合い、支え合い、使命に生きる心を触発し合っていくことが大事になる」(小説『新・人間革命』第14巻「使命」の章)

<活動のポイント>
・婦女一体の励ましの声かけで、白樺姉妹の絆を強めていこう
・オンラインなどを活用して白樺ミーティングを開催しよう
・未来を担う看護学生を励まし、共に成長しよう

【教材】
小説『新・人間革命』第14巻「使命」の章、第24巻「厳護」の章、冊子「希望の白樺」、指導選集『幸福と平和を創る智慧』

3.誓願の祈りで、全てに勝利!
「広宣流布の使命の炎を赤々と燃やして、頑張り通してこそ、真実の仏道修行がある。それによって、自らの人間性も磨かれ、人の苦しみ、悲しみが共有できる。菩薩の心、慈悲の心を培うことができる」(小説『新・人間革命』第14巻「使命」の章)

<活動のポイント>
・勤行・唱題を根本に、今日一日を勝利しよう
・家族への感謝を忘れず、自身の人間革命を祈り、挑戦しよう
・自他共の幸福を祈り、折伏に挑戦しよう

2021.01.23 わが友に贈る

「御書」を開くことは
「境涯」を開くことだ。
行き詰まった時こそ
御聖訓を真剣に拝そう!
教学は希望の泉なり!

開目抄上 P200
『今度強盛の菩提心ををこして退転せじと願しぬ』

【通解】
今度こそ強い菩提心(悟りを求めて仏道修行する心のこと)を起こして、どんなことがあっても、絶対に退転しないと誓願したのです。

名字の言 病にあった壮年が物置で見つけた一枚の絵 2021年1月23日
ある商店街を歩いていると、通り沿いの街路灯一本一本に白い旗らしきものが掲げられていた。地元の小学生らが布地にしたためた書き初めだった▼「正月」「初夢」といった作品の中に、「へいわ」「春よ来い」という書も見つけた。一生懸命に書いた子どもの字には、大人がまねのできない味わいや温かみがある。その文字を見て"未来を託す子どもたちのためにも無事安穏の年にしたい"という思いが込み上げた▼健康に自信のあった壮年が、思いもかけない大病に倒れ、意気消沈の日々を送っていた。ある日、自宅の物置を整理していると、息子が小学生だった時、絵画展で入選した絵が出てきた。父である壮年と相撲を取っている場面を描いたものだった。タイトルは「負けるもんか!」▼これまで"試練の今"に翻弄され、"希望の未来"などないと嘆いていた。それが"私たち親子で未来を生きるため、今を勝ち開いてみせる"という一念に変わった。あの日のわが子の絵が、壮年を不屈の信心に立ち上がらせた。後年、彼は病魔を克服した▼仏法では、苦難の渦中でも御本尊に強く祈る信心があること自体が「安穏」なのだと説く。因果倶時の妙法である。必ず乗り越えると決めた瞬間、今の逆境も、未来の勝利を開く糧に変えられる。(城)

寸鉄 2021年1月23日
SGIは平和・相互理解・非暴力の文化を普及—会議会長。善の連帯更に
個人の成長なくして、より良い世界は築けない—科学者。今日も勇躍前進
「日輪と星との光くらべのごとし」御聖訓。太陽の仏法で地域社会を明るく
電子メールの日。添付を開き感染する事例多し。見知らぬ送信元は要警戒
症状悪化分かる測定器の配備進む。公明の尽力で。命を守る施策を最優先で

☆学ぼう「黄金柱の誉れ」Q&A 第12回 「師弟」の大切さ
学会創立100周年へ、新しい年がスタートしました。今年は、戸田先生の第2代会長就任70周年であり、婦人部・男子部・女子部の結成70周年、そして我ら壮年部は結成55周年の佳節を迎えます。この尊い広布の歴史を貫くのは「師弟」です。師弟の大切さについて、壮年部指導集『黄金柱の誉れ』から、池田先生の指導を紹介します(指導集72ページから73ページ、76ページを抜粋)。

●「師弟」の大切さ
〈成長への最高の「因」〉
仏法も人生も、成長への最高の「因」となるのが「師匠」の存在です。師と出会い、師に応え、師と共に戦い、師の勇気と智慧を生命に刻んでいく中で、自分の小さな境涯のカラを破ることができる。それこそが、大いなる未来の自己を築きゆく勝利の根源力となるのです。
(『御書と師弟』第1巻)

〈本当の底力が出せる〉
御聖訓には「よき師と・よき檀那(=弟子)と・よき法と此の三寄り合いて祈を成就し国土の大難をも払ふべき者なり」(御書550ページ)と説かれる。
「師弟不二ならば、一切を勝利できる」——これが、仏法の要諦であり、学会精神の真髄である。
「師と共に」戦うから、小さな自分の殻を破れる。
「師のために」戦うから、本当の底力が出せる。
「師弟不二」なればこそ、いかなる苦難も恐れず、生命の最極の軌道を進める。
(『池田大作全集』第139巻、「随筆 人間世紀の光」)

〈生命の大法を会得していくため〉
師弟という言葉に、何か時代錯誤的な、封建時代の遺物のような印象をいだく人も少なくない。しかし、いかなる道を極めるにも、師が必要である。ましてや、仏法という生命の大法を会得していくためには、それを感得し、自らを触発してくれる師の存在が不可欠となる。人間を育むものは、人間以外にない。
(小説『人間革命』第12巻「新・黎明」)

〈「先生だったらどうされるか」と〉
私はいつも、恩師・戸田先生だったらどうされるだろうか、を考えて生きてきた。
恩師なきあと、嵐の時も、ただ「戸田先生なら、どう思われるか。何を言われるか。どうされるだろうか」を己心にさぐり、胸中の先生と対話しながら生きてきた。
「革命には、弾圧も、非難もつきものだ。なにがあっても恐れるな。命をかければ、なにも怖いものはなくなるのだ」「二百年たったら、皆、わかるよ」
生命をふり絞るような先生の声であった。
「あとは頼むぞ」の一言が、私の人生となった。
(本紙1996年9月22日付、「世界の指導者と語る」)

2021年1月22日金曜日

2021.01.22 わが友に贈る

混迷の時代にこそ
生命尊厳・万人尊敬の
仏法の哲学が光る。
諦めの無明を打ち払い
輝く未来を共に開こう!

可延定業書 P986
『命と申す物は一身第一の珍宝なり一日なりともこれを延るならば千万両の金にもすぎたり』

【通解】
命というものはわが身にとって第一の珍宝である。たとえ一日であっても寿命を延ばすならば、千万両の金にもまさるのである。

名字の言 被爆し、やけどの痕が残った指で 2021年1月22日
「アメリカの良心」とたたえられたノーマン・カズンズ博士の自宅を、ある友人が訪ねた折のこと。友人の妻が背中の痛みを訴えた。この時、博士の養女であるシゲコ・ササモリさんが指圧をほどこした▼ササモリさんは13歳の時、広島で被爆。10年後、ケロイド治療で広島から渡米した。しかし指には、やけどの痕が残り、右手の小指と薬指は曲がったまま。その指で、夫人に指圧するササモリさんの姿を見て、友人は涙が止まらなかった▼ササモリさんは自身の被爆体験を、さまざまな場で語ってきた。かつてアメリカ創価大学で開催された「平和の文化」シンポジウムで、「戦争が始まってしまえば、みんな被害者。アメリカの兵士にも戦争の犠牲者がいる。だから、私はアメリカのことを恨んでいません」と▼この言葉を語るまでに、どれほどの心の葛藤があっただろう。加害・被害の恩讐を乗り越える努力を積み重ね、同じ人間として、核兵器の非人道性を直視する。それが、恒久的な世界平和を建設する出発点となる▼きょう、「核兵器禁止条約」が発効する。後世、核兵器の「保有」から「廃絶」への大きな転換点といわれる日にしなければならない。そのために「地球益」に立脚した「行動の連帯」を足元から広げたい。(澪)

寸鉄 2021年1月22日
"核禁条約"発効。人類の生存権を脅かす絶対悪—原水禁宣言の精神が具現
「今日蓮等の類は不軽なり」御書。自他共に仏性あり。希望灯す励ましを
「高知青年部の日」。魁の闘志は赤々と。祈り、智慧湧かせ勇気の対話を拡大
マスクの正しい着用で感リスク低減。鼻を隠す、裏表確認など基本を徹底
長時間の座位姿勢は疾病の危険増。在宅勤務時は適度に運動取り入れ賢く

☆四季の励まし 「偉大な目標」が人間を偉大に 2021年1月17日
◇池田先生の言葉
目標をもつ時、
未来の大空に太陽は輝き、
美しき希望の虹がかかる。
人生に目標があれば、
歩みの一足一足に
力があふれる。

偉大な人間だから
偉大な仕事を成し遂げ
られるのではない。
偉大な目的を目指すから、
人間は偉大になれる。

創価学会が目指す
根本の目的は何か。
それは、
人類の幸福と平和である。
自他共に
生きていること自体が
愉快で、楽しいという
境涯を開いていくことだ。
「広宣流布のため」という
最も偉大な目標に
向かって進めば、
その人自身が偉大になる。
大きな目標が、
大きな希望となる。

広宣流布は
前代未聞の大業であり、
道なき道を開き進む
労作業である。
その道を切り開くには、
人を頼むのではなく、
皆が自発・能動の信心で、
一人立つことである。
自らが目標を定め、
主体者となって取り組む
活動には歓喜がある。

昨日の自分と比べて、
今日の自分は進んだか。
先月の自分と比べて、
今月の自分は進んだか。
去年の自分と比べて、
今年の自分は進んだか。
自分と他人とを
比べるのではなく、
自分の
過去と現在と未来の前進を
比べることである。

歴史とは、
新しい一歩一歩の
積み重ねである。
遙かな未来も
「今」という
一瞬から始まる。
「今」が旅立ちの
第一歩となる。
永遠なる平和絵巻を
織りなすには、
胸中に
勇気の太陽を輝かせ、
希望の虹を描いて
「今」を勝つことだ。

【写真説明】緑の芝生とプラタナスの木々が陽光に映える。首都ロンドンから西へ36キロ。イギリス王室の居城・ウィンザー城の南側の城門の前に立つと、一本の道が真っすぐに延びていた。1991年(平成3年)6月、池田大作先生がシャッターを切った。
池田先生は同国を訪問した折、国家指導者や各界の識者らと相次いで会談し、友情と信頼の絆を結んだ。そして、その合間を縫って、同志のもとへ足を運び、渾身の励ましを送った。
「一対一の対話」こそ、あらゆる差異を超え、分断から結合へ進む「平和への大道」である。師が示したこの道を、私たちも朗らかに進もう。「広宣流布」という偉大な目標に向かって——。

☆広布史アルバム� 楽土・北九州
◇時代建設の先駆者たれ
<九州の使命は永遠に「先駆」である。その九州にあって、広布勝利の黎明を告げてきたのが、北九州の友だ。
1983年(昭和58年)12月8日、池田先生は北九州文化会館(現・北九州平和会館)での勤行会で訴えた>

御本尊には無量無辺の功徳と絶大なる力があられる。また、妙法は、宿命転換と所願満足への大法である。ゆえに何があっても、信心は一歩も退いてはいけない。ひたすら御本尊に南無し奉り、唱題を重ねていくことだ。
御書に「地獄の苦みぱっときへ」(1000ページ)と仰せのごとく、たゆみなき信心さえあれば、かならず宿業を消し、宿命を転換し、所願満足の人生に入っていけることは間違いないのである。それを確信し、つねに一歩前進の潔き信心であっていただきたい。
(中略)純粋にして真剣な、清新にして躍動の信心を、忘れないでいただきたいのである。

<21世紀が開幕した直後の2001年(平成13年)1月、先生は随筆に、北九州の友への深い期待を記した>

一九〇一年(明治三十四年)二月の五日、現在の福岡・北九州の八幡に、新たな世界を錬成し、新たな世紀を動かす、灼熱の炎が燃え始めた。
この日、溶鉱炉に火入れが行われ、有名な「八幡製鉄所」の操業が開始されたのである。この真っ赤にたぎる溶鉱炉の中から、近代化を急ぐ二十世紀の日本が、唸りをあげて回転していったといってよい。
終止符を打つことのない、この怒濤のごとき作業に、敢然と立ち向かい、飛躍の戦いは始まった。「先駆」の二字は、北九州の歴史に、鋭く刻印されたのである。
(中略)今、「戦争の世紀」の鞭を打つ悲鳴を超えて、人類は、「対話と共生の世紀」へ、「平和の世紀」へ、大きく舵を取り始めた。
その時代建設の先駆として、熱血の魂と鋼鉄の信念で、生き生きと立ち上がったのが、わが北九州の同志である。

<今、北九州の友が目指す「広布の山」は、学会創立100周年の2030年。その初陣を飾る本年は、長編詩「青年よ 21世紀の広布の山を登れ」の発表から40周年の佳節を迎える。
「先駆の中の先駆」の誇りに燃え、北九州の友は、きょうも「誓願の師弟旅」を朗らかに進む>

2021年1月21日木曜日

2021.01.21 わが友に贈る

空気が乾燥する季節。
火災に厳重注意!
屋外に可燃物を放置せず
コンセントの埃も点検。
"心に深き用心"を!

三世諸仏総勘文教相廃立 P564
『一人を手本として一切衆生平等なること是くの如し』

【通解】
この法門は、一人を手本として一切衆生に平等にあてはまるのである。

名字の言 夢をつかんだ北九州の壮年 2021年1月21日
北九州市の教員採用試験に、18回目の挑戦で合格した壮年がいる。挫折しかけた時、彼を支えたのは、亡き母の思い出だった▼雨漏りする古い長屋での貧しい生活だった昔。薄給の父を支えながら、母は懸命に働き、自分たち3人の子を育ててくれた。カップラーメン一つをおかずに、家族5人で空腹をしのいだことも。そんな時、母は「題目を染み込ませたけん、世界一うんまかラーメンやろ」と。いつも朗らかな笑顔で家族を包んでくれた▼「お前たちのために幸福の土台を築いておくからね」と仕事、家事、学会活動に全力で、毎日が運動会のようだった母。あの笑顔、あの姿を思い出すだけで勇気が湧いた。"母ちゃんの恩に報いるのは今だ。負けてたまるか!"。壮年は奮起し、昨年、教員になる夢をつかんだ▼人間、ここぞという時の底力は"あの人のため"という心から生み出される。どれだけの人に支えられ、今の自分があるのか。肉親、同志、そして人生の師……。祈り、励ましてくれた人たちへの感謝の心が、不屈の闘志を湧き上がらせる▼御聖訓「知恩をもて最とし報恩をもて前とす」(御書491ページ)をよくよく拝したい。恩人の労苦を、思いを忘れない。報恩感謝の心で進めば、人生勝利の道は必ず開かれる。(誠)

寸鉄 2021年1月21日
世界に平和の文化広げる学会に感銘—元軍縮担当核廃絶へ民衆の声を結集
練馬の日。何があっても勝つ。共戦の友は朗らか。大東京の模範の歴史綴れ
苦難があるから大きな宿命転換ができる—恩師。題目の師子吼で勝ち開け
ワクチンの予約金を請求する詐欺電話が相次ぐ。必ず周囲に相談。警戒を
除雪中の事故死が急増。8割が高齢者と。命綱を装着、作業は2人以上で

〈社説〉2021・1・21 あす「核兵器禁止条約」が発効
◇民衆の連帯で核なき世界を
「核兵器の終わりの始まりに」——核兵器禁止条約が採択された2017年のノーベル平和賞授賞式で、広島出身の被爆者であるサーロー節子氏は、同条約に懸ける思いをそう語った。被爆者をはじめ、核兵器廃絶を願う全ての人々の思いを乗せた条約が、あす22日に発効する。核兵器のない世界の実現に向けた重要な一歩を、心から歓迎したい。
拡散や実験の禁止等、核兵器を「部分的に」制限する条約は存在しているが、核禁条約は製造から保有、使用に至るまで、核兵器を「全面的に」禁止する初の国際法となる。17年7月に国連で122カ国の賛成を得て採択され、昨年10月24日にホンジュラスの批准によって発効に必要な50カ国の批准を満たしたことで、条約で規定された90日後のあす22日から効力を持つ。
核兵器の保有国が参加していないことから、同条約には"実効性がない"との批判もある。しかし、「核兵器は違法」という明確な規範が国際社会に打ち立てられた意義は大きい。既に核兵器に関連する産業から投資を引き揚げる金融界の動きも現れており、今後、政治的・経済的・社会的に、一段と厳しい目が核の存在へ向けられることが予想される。
国連軍縮担当上級代表を務めたセルジオ・ドゥアルテ氏は本紙のインタビュー(15日付)で、同条約の特色を明快に紹介している。これまでの条約は、核兵器そのものより、保有国か非保有国かなど現状の「国」の在り方に焦点を当てる色合いが強かった。しかし核禁条約は、核兵器の「存在自体」を問い直す初の枠組みであり、この条約ができたことによって「なぜ核兵器を保有するのか?」「正当な理由はあるのか?」を保有国に対して問い掛けることができる。それが、条約の発効がもたらす重要な議論の変化である——と。
池田先生は09年に発表した核廃絶提言で、「核時代に終止符を打つために戦うべき相手は、核兵器でも保有国でも核開発国でもありません。真に対決し克服すべきは、自己の欲望のためには相手の殲滅も辞さないという『核兵器を容認する思想』です」と訴えた。
核兵器を造り出したのが人間ならば、廃絶を決断するのもまた人間にほかならない。核兵器廃絶を不可逆の潮流とするには、制度面での規制とともに、一人一人の心に生命尊厳の思想を打ち立て、核を許さぬ土台を築く必要があろう。そこに、創価の日々の対話運動が核兵器廃絶の運動へとつながる理由もある。サーロー氏の言葉通り、核兵器禁止条約の発効は始まりである。核兵器のない世界へ、誓い新たに民衆の連帯を広げたい。

☆御書の旭光を 第2回 "難こそ誉れ"と団結で勝利
〈御文〉
『未来までの・ものがたりなに事か・これにすぎ候べき』(兄弟抄、1086ページ)

〈通解〉
(池上兄弟が団結して苦難を乗り越える姿は)未来までの物語として、これ以上のものはないであろう。

〈池田先生が贈る指針〉
苦難の渦中にこそ偉大な歴史が創られる。寒風に怯まず、立正安国のために団結して先駆する勇者たちを、いかばかり御本仏は御賞讃か。
苦楽を分かち合い、地域社会に貢献しゆく異体同心のスクラムは平和と人道の柱だ。
この一年、青年を先頭に人類の宿命転換の十年を勝ち開き、未来まで輝く「勝利の物語」を!

☆「わが愛する青年に贈る」に学ぶ 第5回 後継<上> 誓願を持ち、貫き、果たし抜く一生を 樺澤学生部長
◇池田先生の指導
「よしにくまばにくめ」との
大精神で、信念の対話に挑む——
この「折伏力」「人間力」を、
皆さんは継承してもらいたい。

1 仏法の真髄は師弟の誓願
創価学会は、日蓮大聖人直結の信心で広宣流布を進める団体です。
学会創立100周年(2030年)へ"勝負の10年"の開幕となる本年。10年後、そしてその先の未来を思い描くとき、今の学生部の世代は、青年部、そして学会の中核として活躍していく使命があります。世界広宣流布をいかに受け継ぎ、発展させていくのか——。今回は「後継」の魂について学んでいきます。

■ 池田先生の講義
"私たちは、師匠のお心のままに、断じて、広宣流布を成し遂げます。師よ。ご安心ください。心配なさらないでください"
——これは、法華経の嘱累品で、仏弟子たちが三度、師匠の前で繰り返した、広宣流布の誓願です。
法華経、そして日蓮仏法の真髄は「師弟」の「誓願」にあります。法華経は、末法のための経典です。
(中略)
いずこの国においても妙法を持った若人が、「わが国の広宣流布は、青年部にお任せください!」「断じて、わが地域を仏国土にいたします!」との誓いに燃えて、尊き世界広布の大道を邁進してくれています。この姿自体が法華経の経文に通じる誓願の証であり、後継の誉れです。
—◆—
今の学生部は、池田先生にお会いしたことのないメンバーがほとんどです。そうした中で、いかに師弟の絆を強く結んでいくか——。私自身も、かつて悩んだことがありました。
その答えを教えてくれたのが、創価大学1年生の冬に、デンマークでの短期研修に参加した際に出会った、現地SGIのメンバーでした。
だれもが、先生にお会いしたことがなくても、師匠を求めて、生き生きと活動に励む姿に、私は大きな衝撃を受けました。ある男子部の方は私に、「題目を唱え抜き、広布を誓った時に、先生が隣にいると感じられるようになるよ」と語ってくれました。師弟の関係は直接、「会う」「会わない」で決まるのではない。師匠を求め、向き合い続ける姿勢こそが大事だと気付いた瞬間でした。以来、私はより真剣に、日々、信心の挑戦を重ねる中で、師の存在を心に強く持てるようになりました。
師弟とは何か。悩み、求め抜いていく中で、自身の成長もあったと実感しています。
師弟とは、空間も時間も超えて弟子の自覚で決まる——世界共通の後継の誓願に立ち上がる時こそ学生部時代であると確信しています。

2 私たちの「如説修行」とは
大聖人が佐渡の門下・千日尼(阿仏房の夫人)に送られたお手紙を通して、池田先生は法華経の行者の実践について教えてくださっています。

【御文】
弥信心をはげみ給うべし、仏法の道理を人に語らむ者をば男女僧尼必ずにくむべし、よしにくまばにくめ法華経・釈迦仏・天台・妙楽・伝教・章安等の金言に身をまかすべし、如説修行の人とは是れなり(阿仏房尼御前御返事、御書1308ページ4行目〜5行目)

【現代語訳】
ますます信心に励んでいきなさい。仏法の道理を人に語っていく者を、男女僧尼が必ず憎むにちがいない。よし、憎むなら憎むがよい。法華経・釈迦仏・天台・妙楽・伝教・章安などの金言に身を任せなさい。如説修行の人とは、こういう人をいうのである。

■ 池田先生の講義
「如説修行」とは法華経の文であり、「仏の説の如く修行する」、すなわち、仏の説かれた通りに実践するとの意味です。
(中略)
折伏行を貫いている大聖人とその門下こそが、末法における「如説修行の行者」にほかならないと断言されているのです。
—◆—
今、青年部で取り組んでいる「新・人間革命」世代プロジェクトは、この「如説修行」の道を進むことと一体であると思います。
というのは、小説『新・人間革命』には、創価の師弟が、大聖人の御精神を胸に刻み、岩に爪を立てるごとく苦闘を勝ち越え、日蓮仏法を現実社会に広めていく姿が描かれているからです。とりわけ、世界広布という大聖人の未来記の実現へ指揮を執り、世界の同志を励まし続ける主人公・山本伸一の振る舞いは、"「如説修行」の模範"です。
そこには、伸一の戦いを通して、創価の青年にとって最も重要な「誓願」、また、心の内面の葛藤を乗り越えていく勇気が描かれています。それを学び、私たちの身に当てていくことが肝要であると思います。
私自身、胸に刻んでいる一節があります。伸一がデンマークを訪れた際、仕事が多忙で思うように学会活動に参加できずにいた男子部員に贈った言葉です(第4巻「大光」の章)。
「人生は長いようで短い。ましてや、青年時代は、あっという間に過ぎていってしまう。今、学会は、未来に向かって、大飛躍をしようとしている。広宣流布の大闘争の『時』が来ているんだ。時は『今』だよ」——悩みに心が負けそうになった時、この一節を励みにし、折伏などの学会活動に挑んできました。
『新・人間革命』を自身の軸に据えて行動し、悩むなかでも小説を通して師匠と"対話"しながら生きていく日々は、「如説修行」の道を共に進む師弟の黄金の歴史なのです。

3 折伏で開く自他共の幸福
池田先生は、折伏の要諦について次のように教えてくださっています。

■ 池田先生の講義
私たち学会員が行う折伏とは、一人の友と一緒に人間革命していく聖業です。
それは、人間の可能性を信じ抜く「励ましの対話」です。そして、真の楽土の建設のため、生命尊厳の思想を広げる運動です。
今、全世界に拡大したSGI(創価学会インタナショナル)のスクラムも、その源流をたどれば、偏見や悪口罵詈にも負けない、無名の庶民の粘り強い対話によって創り上げられてきたものです。
「よしにくまばにくめ」との決定した大精神で、信念の対話に挑む——この「折伏力」「人間力」を、青年の皆さんは継承してもらいたい。
折伏精神の根本は、民衆救済の慈悲です。それは、眼前の一人の宿命の鉄鎖を断ち切らんとする、わが勇気の心から起こるものです。
大事なことは、まず「悩んでいる人を折伏させてください」と祈り抜くことです。
そして、自身が縁する人々に、勇敢に誠実に仏法を語り切っていくことです。
—◆—
私の折伏の原点は、小学校時代の友人との対話です。
彼の父が失業したことをきっかけに、彼は家計を支えるためにアルバイトの日々を送り、大学の授業に出席できない状況にありました。
はじめは折伏の真の意味を理解できていなかった私でしたが、心身ともに疲れ果てていた彼のことを深く知るうちに、「彼を絶対に幸せにしたい」と本気で祈れるまでに変化。7カ月間、対話を重ね、友人も"一家の宿命を自分が変える"と決意し、入会しました。
この経験を通して、折伏は"目の前の一人の幸福を開くとともに、自分自身も強く鍛える"ことだと実感しました。
そうして自身の境涯が、より大きく変われば、悩みを見下ろしていける自分になれます。
ゆえに、友人の反応がどうであれ、友のことを祈り、語り、折伏を重ねていくという、自身の信念を貫く中にこそ、自他共の真の成長があります。
この信念の強さこそ、"にくまばにくめ"の「折伏力」「人間力」なのではないでしょうか。
自分の幸福も、目の前の友人の幸福も、この瞬間の私自身の強盛な信心と地道な実践から開いていける——今後も、この確信を胸に進んでいきます。

4 一生の土台を作る時は今
また、池田先生は、戸田先生の指導を紹介し、青年時代を振り返られています。

■ 池田先生の講義
戸田先生は折伏の要諦について、「自分自身が南無妙法蓮華経で生きているということです」「ただただ、自分は南無妙法蓮華経以外になにもない! と決めることを末法の折伏というのです」と語られていました。
このご指導のままに、私も若き日から折伏に挑戦し抜いてきました。それが、自分自身の揺るぎない信心の土台となりました。
—◆—
折伏をはじめとする学会活動や、勉学、就職活動において、なかなか思い通りの結果が出ないことがあります。壁にぶつかった時に「もう無理だ」という諦めの心を打ち破り、どこまでも自分の可能性を信じて挑戦していく——。その実践の中でつかむのが「自分自身が南無妙法蓮華経で生きている」との確信であると思います。
ある地域の学生部リーダーはかつて、他者に興味を持てず「勉強さえしていればいい人生を送れる」と考えていました。
しかし、学生部員になり、目の前の一人のために全力を尽くす学生部の友の姿に触れ、「人と深く関わり、人のために働く自分になりたい」と、人の中へ飛び込んでいく経営者を志すようになりました。
彼は、所属していた農学部での研究をはじめ、化学やマーケティングなど、さまざまな分野で力をつけるとともに、折伏や人材育成に挑戦。友への弘教も実らせる中で、人間を深く知ることの楽しさと大切さを学びました。
そして昨年、ついに夢をかなえ、父親と事業を起こし、若くして会社役員として奮闘しています。
その原動力は信心の確信であり、自身の可能性を信じることであったと彼は語っています。
まさに、「折伏力」「人間力」で、「自分自身が南無妙法蓮華経で生きている」ことを感じさせる姿そのものです。
一人一人の学生部員の未来には、無限の可能性が広がっています。それを大きく開く土台をつくるための学問であり信心です。このことを皆と確かめ合いながら、本年も対話拡大に勇んで挑んでいきます。

■ 池田先生の講義
たとえ相手がすぐに信心しなくても、この末法で妙法を語った功徳は計り知れません。また、その相手を思う一念の行動から、深い生命の絆が結ばれます。
どこまでも朗らかに仏縁を広げていく——この積み重ねの中でこそ、真の友情が築かれるのです。
そして必ず最後は、賞讃と感謝へと変わり、「よかりけり・よかりけり」(御書1173ページ)と謳われていくのです。

◇さらなる研さんのために
本連載で学ぶ『わが愛する青年に贈る』は、「大白蓮華」に連載中の池田先生の講義「世界を照らす太陽の仏法」の中の、男女青年部への御書講義を収録した書籍です。本社刊。713円(税込み)。全国の書店で発売中。聖教ブックストアへの電話でも注文できます(0120-983-563、平日9時〜17時)。コンビニ通販サイト「セブンネットショッピング」「HMV&BOOKS online」での注文、受け取りも可能。

2021年1月20日水曜日

2021.01.20 わが友に贈る

「青年部幹部会」へ
誓願の若人が躍動!
皆が清新の心で
新たな時代を創る
暁鐘を打ち鳴らそう!

衆生身心御書 P1590
『法華経と申すは随自意と申して仏の御心をとかせ給う、仏の御心はよき心なるゆへにたといしらざる人も此の経をよみたてまつれば利益はかりなし』

【通解】
法華経という経は随自意といって、仏の御心を説かれたものである。仏の御心はもとより素晴らしい心であるから、たとえ法華経の理を知らない人であっても、この経を読み奉れば利益は計り知れない。

名字の言 箱根駅伝で「0区」と呼ばれる"区間" 2021年1月20日
箱根駅伝には、「0区」と呼ばれる"区間"がある。16人のエントリーから漏れ、箱根に出場する選手たちをサポートするメンバーのことだ。彼らはグラウンドの清掃、データの収集など、勝利のための裏方に徹する▼駅伝当日には、タイム計測や給水などの役割を担う。「0区」の誰もが、箱根の晴れ舞台に立ちたい気持ちを抱えながら、チームを支える。その献身の行動が、出場選手の力となり、団結を生む。箱根駅伝は「走力戦」であり、「総力戦」である(佐藤俊『箱根0区を駆ける者たち』幻冬舎)▼広島のある壮年は信心を始めてから46年目で、「網膜色素変性症」と診断された。しかし、襲ってきた宿命の試練に負けなかった。副支部長として、"自身の使命を果たし抜こう"と決め、励ましに率先してきた。その姿に、多くの同志が奮い立った▼広宣流布は、一人一人が自身の誓いの道を真っすぐに駆ける「走力戦」であり、その行動を皆でたたえ合い、励まし合う「総力戦」である。全員が「主役」であり、同時に、友を支える「裏方」でもある▼池田先生は「皆が新時代の『地涌の第一走者』である」と。その誇りを胸に、題目の師子吼を轟かせながら、広布と人生の険難の坂道を力強く走り抜いていこう。(子)

寸鉄 2021年1月20日
山本伸一の自覚で平和へ進む学会員に感動—識者『新・人間革命』を心肝に
香川県婦人部の日。正義の太陽は四国に赫々と!さあ励ましの光を周囲へ
埼玉・戸田県婦人部の日。歴史を開くのは声の力!今こそ対話拡大で勝利を
きょう大寒。天候・社会も厳しき時。だが冬は必ず春と。確信の祈りで前進
ネット犯罪は巧妙化。利用時間増えると警戒心は薄れる傾向と。油断大敵

〈社説〉 2021・1・20 食品ロスを削減しよう!
◇食卓で感謝の「いただきます」
「粟一粒は汗一粒」——粟1粒であっても、その収穫のためには汗1粒に当たる労力がかけられているから、無駄にしてはいけない。農家の方々のご苦労を伝えることわざである。
2015年(平成27年)、国連の「持続可能な開発目標(SDGs)」の目標12にある「つくる責任 つかう責任」には、"2030年までに小売り・消費レベルにおける世界全体の1人当たりの食料の廃棄を半減させる"との具体的な目標が掲げられた。昨年には、世界各地で食料支援を行う国連機関「世界食糧計画(WFP)」がノーベル平和賞を受賞。食料対策を講じる必要性が世界中で注目されている。
「本来、食べられるのに廃棄される食品」のことを食品ロスという。
国内の食品ロスは年間612万トン(平成29年度、農林水産省及び環境省)と推計され、毎日1人当たり"茶わん1杯分"が捨てられている計算になる。食品ロスを減らすためには家で食品ロスを出さないようにするだけでなく、消費者が食べ物を買う店、食べる店の側でも意識することが大切だと考えられる(農林水産省ホームページ「食品ロスとは」を参照)。
消費者庁は、家庭で食品ロスをなくす基本として、「買い物時は『必要な分だけ買う』、料理の際は『食べきれる量を作る』、食事の際は『おいしく食べきる』こと」と訴えている。
最近では、飲食店などで売れ残りの料理や、賞味期限が近づいた食品を安価に購入できるサイト「KURADASHI」や「TABETE」などのスマホアプリが誕生している。店は食材等を捨てなくてすみ、消費者は料理・食品を安く買えるなど、環境にも財布にも優しい仕組みとなっている。
また、食品を買いすぎてしまった際には、生ものを除いた賞味期限内の保存食であれば「フードバンク」(未使用の食品の寄付を受け付け、必要とする個人や福祉施設などに届ける団体)に寄付することも食品ロス削減につながるだろう。
日蓮大聖人は、「食には三の徳あり、一には命をつぎ・二にはいろ(色)をまし・三には力をそ(添)う」(御書1598ページ)と仰せである。「食」には生命を維持する働き、健康を増す働き、さらには心身の力を盛んにする働きがある。また、「人は食によって生あり食を財とす」(同1596ページ)等と仰せのように食べ物の御供養に敬意を払われていた。
食事の際は生産者に思いを馳せ、「いただきます」に感謝を込めたい。命をつなぐ食を大切にすることから、他者を思いやる心も養われていくに違いない。

☆人間主義の哲学の視座 第5回 対談集『20世紀の精神の教訓』に学ぶ�
テーマ:連帯
池田先生の著作から、現代に求められる視点を学ぶ「人間主義の哲学の視座」。第5回からは「連帯」をテーマに、旧ソビエト連邦のミハイル・ゴルバチョフ元大統領との対談集『20世紀の精神の教訓』(初版は1996年刊)をひもといていく。

【池田先生】「分断」は悪であり、「結合」は善。人々を結ぶ"開かれた対話"を。
【ゴルバチョフ元大統領】一体感、連帯感を促す思想の欠如が、深刻な精神の危機をもたらす。

◇選び取るべき道
歴史学的な考察に基づき、人類が直面する諸難題への処方箋を示してきたユヴァル・ノア・ハラリ氏。新型コロナウイルスの感染拡大当初から、一貫して訴えてきたことがある。
「最大の敵はウイルスではない」。本当の敵は、互いを非難し合う「憎しみ、強欲さ、無知」といった「心の中にある悪魔」であるということだ(『コロナ後の世界を語る』朝日新書)。
ハラリ氏は、グローバリズムとナショナリズムが混迷の度を深める歴史的岐路にあって、人類が選び取るべき道は「連帯」であると強く主張する。
池田先生と何度も語らいを重ね、対談集を発刊したゴルバチョフ氏は、冷戦終結の立役者であり、「分断から連帯」「対立から融和」へと、新時代の潮流をつくってきた中心人物である。
40年もの間、人類を戦争の瀬戸際へと立たせてきた超大国による対立は解消に向かった。「それにもかかわらず——」と、氏は池田先生に語る。

ゴルバチョフ 人類は、依然として不安と不透明のなかにいるといってよい。そこで私は、ぜひあなたに尋ねたいのです。来るべき世紀にとって、最大の危険はどこにひそんでいるのでしょうか? いかなる試練が人類を待ち受けているのでしょうか?

池田 やや抽象的な言い方になりますが、それは人々がたえず「分断」の力に翻弄され、ばらばらに孤立したまま、歴史の奔流の中をあてどもなく漂流していることだと、私は思います。世紀末のあまりに荒涼たる、そして喧騒をきわめる現実は、そのことを十分すぎるほどに証拠立てているのではないでしょうか。
隣人同士や民族間の「分断」、自然・宇宙と人間との「分断」、なによりも本来、幸福のハーモニーを奏でるはずの人間の心の「分断」。まるで中世のペスト(黒死病)のように蔓延し、ところかまわず猛威を振るうこれら「分断」の力を、どのように"善"の力で冥伏させていくかが、変革期の世界の不可避の課題となってくると思います。

◇「縁起」の世界観
対談集のタイトル『20世紀の精神の教訓』は、ゴルバチョフ氏の提案によるものだ。氏は「私たちが、戦争で生き残った『戦争の子ども』であるという一点を見逃すと、私たちの世代の人生も、行動も、理解することは不可能でしょう」と言葉を添えている。
同世代の二人が平和な21世紀を志向した同書には、随所に「連帯」への示唆が光る。池田先生は「再確認し総括する意味からも、もう一度申し上げさせていただきたい。『分断』は悪であり、『結合』は善である。この根本認識に立って、『善』の力をもって『悪』の力を顕在化させないことこそ、21世紀を希望の世紀としていくための肝要中の肝要」と。
さらに先生は、仏教のものの考え方の根本を成す「縁起」、いわゆる万物が互いに「縁りて起こる」という関係性にあり、単独で生起する現象はないという世界観を強調する。

池田 私が、モスクワ大学やハーバード大学での講演で強調したのもこの点です。「結合」の力、働きとは、この「縁起」つまり物事の個別性よりも、関係性を重視する仏教思想の根幹であり、現代的な言い換えといえます。

「レリジョン(宗教)」は、神と人間との「結合」に由来する言葉です。その意味からも、「結合」「結びつき」は、宗教を宗教たらしめる本質的な属性ともいえます。そのうえで、神のような超越的な存在を置かず、より内在的に万物の相互関係性、相互依存性を説いているところに仏教の特徴があります。

現代社会の混迷のよって来るところは、人間の善性に根ざした「結合」の力が、人間の悪魔性の発露である「分断」の力によって席捲されている点に、大きな原因があると考えるのですが、いかがでしょうか。

旧ソ連邦のリーダーとして、各共和国の主権を認めつつ、ゆるやかに「結合」させ、連邦全体の存続と発展をはかることに全精力をかけてこられたあなたこそ、この「結合」と「分断」の善悪を、骨身にしみて感じておられると思うのです。

ゴルバチョフ 振り返ってみれば、ロシア人にとって、20世紀は試練の連続でした。3度の革命、兄弟同士の戦争、強制的な集団化、幾世紀もの間に築かれた農民生活の崩壊、強制的な無神論、教会の破壊。それにつづく幾百万の生命を奪った大祖国戦争。飢餓にさいなまれた戦後の復興期。そして、こうしたことはすべて、わずか一世代、二世代のうちに起こったのです。それもすべてが力ずくの分断です。人間を極限に立たせるものでした。

おっしゃるとおり、現在、人々を「結合」し、人々の信念を回復しうる思想、つまり人間が一体感、連帯感を実感できるような思想が欠如している。そのことによって精神の危機は深刻の度を増しています。

人間の恐怖心を煽ることで体制を維持してきた共産主義的な疑似集団主義は、崩壊し、姿を消しました。そこで明らかになったことは、改革思想そのものは、人々を団結させることができなかったということです。

私たちが生活に密着した思想を見つけないかぎり、本当の意味の「結合」を望みえないのは明白です。

◇試練を乗り越える力
「いかなる試練が人類を待ち受けているのか?」との質問に続けてゴルバチョフ氏が問い掛けたのは、「その試練を乗り越えるだけの力を人類は持っているのか?」ということだった。
分断を越え、連帯を生み出す方途の一つとして光が当てられたのは「対話」である。価値観が急速に多様化する現代にあって、無関心やシニシズム(冷笑主義)の蔓延を危惧し、先生は「信念を主張しないのは、解決すべき問題から身を引き、目をそらせ、自閉的世界に閉じこもるエゴイズムです」と述べ、対話の力を訴えた。

池田 積極的に他者と交わろうとする"開かれた精神"と"開かれた対話"にもとづいて、何がどの点で優れているかを、きちんと見分けていく批判力、批判精神こそ、暴力的なカオスへの傾斜を防ぎとめ、真実の寛容、寛仁大度(編集部注=寛大で情け深く、度量の大きいこと)という人間の尊厳を輝かせていく最大のポイントといえましょう。

ゴルバチョフ 賛成です。平和を模索し、すべての政治的な対話によって解決の道を探すこと、そして説得と納得の道を選ぶことが、暴力と戦争よりもどれほど効果的な方法であるかを知らなければなりません。もし、人類の闘争と対立によって、「思想の多様性」が焼き尽くされてしまえば、あとに残るのは「精神の空洞化」だけでしょう。

池田 まさしくあなたは、開かれた対話で、冷戦の核の脅威が覆う現代の世界に、新しい時代の風をもたらした「人道的競争」の第一走者です。その点に、私は心から敬意を表したいのです。

【プロフィール】ミハイル・S・ゴルバチョフ 1931年、ロシアのスターブロポリ生まれ。モスクワ大学卒業。85年に、54歳でソ連共産党書記長に就任すると、国内では「ペレストロイカ(改革)」、外交では「新思考」を掲げて核軍縮などを推進。89年、東西冷戦を終結に導き、90年、初代大統領に就任。同年、ノーベル平和賞を受賞する。91年12月、ソ連解体とともに大統領を辞任した。その後、「社会・経済・政治研究国際財団(ゴルバチョフ財団)」を創設するなど、世界各地で活動を展開している。

2021年1月19日火曜日

2021.01.19 わが友に贈る

地区部長・婦人部長の
人知れぬ労苦ありて
広布はたゆまずに進む!
尊き創価の柱の皆さま
どうか健康・無事故で!

撰時抄 P266
『南無妙法蓮華経と一切衆生にすすめたる人一人もなし、此の徳はたれか一天に眼を合せ四海に肩をならぶべきや』

【通解】
南無妙法蓮華経と一切衆生に勧めた人も一人もなかった。その徳は一天に眼を合せ、四海に肩をならべる者がいるだろうか。

名字の言 本当の「雑草魂」 2021年1月19日
雑草は厳しい環境の中でも、たくましく成長する。「雑草魂」は、そんな雑草のように、どんな不遇にも決して諦めず、不屈の努力を続ける生き方のたとえだ▼雑草は、踏まれても踏まれても立ち上がる、と連想しがちだが、実際は立ち上がるばかりではない。何度も踏まれる環境であれば、横に伸びたり、茎を短くしたり、根を下に伸ばしたりするなど、その環境に適応して成長していく▼農学博士の稲垣栄洋氏は、雑草の優れた力は変化を乗り越えることにある、と指摘する。「踏まれても踏まれても大切なことを見失わない」「これこそが、本当の雑草魂なのです」(『はずれ者が進化をつくる』ちくまプリマー新書)▼道端に目を向けてみると、曲がったり傾いたりしながらも、そっと花をつける姿が見つかる。真っすぐ上に伸びることだけが成長とは限らない、と教えてくれているようだ。環境を嘆くのではなく、今いる場所で自らの目標に向かって前進することが大切、と▼池田先生は「信心には一切のマイナスを転じてプラスに変える力がある。この信仰こそ『無限の希望』の源泉」と語る。コロナ禍によって、社会は変化を余儀なくされている。だからこそ、心のど真ん中に信心を据え、自分が今できることに集中しよう。(誼)

寸鉄 2021年1月19日
心は工なる画師の如く—仏典。一念三千の妙法。希望を創る祈りを今日も
後継育む未来部担当者の奮闘尊し。真心の一言が悩める子や家族らの力に
楽観主義の人ほど若々しい—研究。未来への挑戦止めない多宝の友を見よ
スマホをベッドに持ち込む事が不眠の一因—医師意識して離す等、工夫を
家庭用消火器点検の日。気付いた時に確認・改善—これ防災・減災の基本

☆人間主義の哲学の視座 第4回 対談集『21世紀への対話』に学ぶ(下)
テーマ:利他
危機の時代に求められる哲理を、池田先生の著作から学ぶ「人間主義の哲学の視座」。第4回は、前回(9月27日付)、前々回(8月30日付)に引き続き、20世紀最大の歴史家であるアーノルド・J・トインビー博士との対談集『21世紀への対話』をひもとく。

【池田先生】利他の実践に無上の喜びを感じる。そこに大乗仏教の本質がある。
【トインビー博士】自己超克こそ宗教の真髄であり人類の危機への唯一の応戦となる。
科学をリードする

「(新型コロナウイルスの世界的大流行の原因は)自然と環境に対する人間の危うい接し方、森林破壊、僕らの軽率な消費行動にこそある」
本年、世界的ベストセラーとなった『コロナの時代の僕ら』(早川書房)。物理学博士号を持つイタリア人作家パオロ・ジョルダーノ氏は、人類を75億個のビリヤードの球に見立て、感染症がどう広がるかを伝えた。グローバル化や情報の錯綜、生態系の破壊といった、人類の歩みを考察しつつ、それらを改めない限り、今後も未知のウイルスは頻発するだろうと警鐘を鳴らす。
人類は科学の力で自然の猛威に向き合ってきたが、その一方で、思わぬ脅威を招いてもきた。1970年代、世界が重大な環境汚染に直面する中で、池田先生とトインビー博士は、科学の光と影にこう迫っている。

池田 現代では、人類の生存をおびやかすものは、もはや天災ではなく、人災であることが明らかになってきました。いや、むしろ人災としての要素を含まない天災などありえないほど、科学が駆使しうる力は巨大になってしまっています。

トインビー 環境に及ぼされる人間の力が、すでに人類の自滅を導くところまで達したことは、もはや疑問の余地がないように思われます。もし人間がその力を貪欲を満たすために使い続けるなら、自滅は必至でしょう。

池田 現代文明はたしかに科学を駆使することによって、一面では自然災害を防いできたという実績があります。しかし、もう一面をみるならば、その業績自体が人災の原因となり、新しい災害の起因となった場合が少なくないわけです。

トインビー 科学が発達し続ける結果どうなるかは、倫理上用いられる善悪という意味合いで、科学が善用されるか悪用されるかにかかっているわけです。科学が生み出す諸悪は、科学それ自体で根治することはできません。

池田 これにはまた、科学者をはじめ現代のあらゆる人々が、自己の生命の内奥から自然に対する姿勢を改めていくことが、どうしても要請されます。私は、ここに科学技術文明をリードすべき宗教の役割があると信じます。

トインビー われわれは、人間の生命とその環境に対する宗教的な姿勢を通してのみ、かつて祖先たちがもっていたと同じ認識を、もう一度取り戻すことができるのです。すなわち、人間はずばぬけて巨大な力をもちながらも、やはり自然の一部にすぎない存在であること、また人間は、自然をこのまま存続させ、自らも必要な自然環境のなかで生き続けようとするなら、あくまで自然と共存していかなければならないことを認識できるわけです。

◇明かすべき真理
トインビー博士は、文明興亡の法則を独自の史観で体系化し、「地球人類史観」ともいうべき歴史観を打ち立てたことで知られる。
全ての文明は、発生、成長、挫折、解体、消滅を繰り返す。その盛衰は、環境変化や戦争といった「挑戦」に、どう「応戦」するかで決まる——と。
人類史の転換点に立つ私たちが、試練に応戦するための鍵とは何か。未来の宗教の条件が語り合われる。

トインビー 宗教の説く最重要の教戒とは「自己超克こそ、人間の第一の課題である」ということです。われわれは、貪欲と慢心を克服しなければなりません。しかも、テクノロジーの進歩の結果、人間が自然環境と自分との関係を逆転させてしまっている現代ほど、この二つの決定的な人間の欠点が蔓延した時代は、おそらくかつてなかったでしょう。

自己超克こそ、自己挫折を回避する唯一の方途です。この真理は、これまでも伝統的諸宗教が明らかにしてきたことですが、将来も、真実性ある宗教は、必ずこの真理を明らかにするものと信じます。
思うに、自己超克こそ宗教の真髄です。この伝統的な宗教的教戒である自己超克を説く宗教こそ、未来において人類の帰属心をかちとる宗教であろうと思います。なぜなら、自己超克という教戒こそ、人間としてこの世に生を享けていることの挑戦に対する、唯一の効果的な応戦になるもの、と信ずるからです。

◇人間生命の尊厳とは
対談集の発刊から45年。
語らいが、今もなお人々を啓発し続けているのは、人類の歴史や未来を展望するのみならず、生命の根源に迫っていたことも一つの理由であろう。
40時間に及んだ対談は、多くの意見が一致し、先生が後に「ほとんどが、仏法の法理を証明するかのような言葉であった」と述懐するほどであった。
自己超克を説く宗教の理想を求め、大乗仏教への共感を示すトインビー博士に対し、先生は語っている。

池田 基本的な方向は、いま博士がいわれたように、大乗仏教的な生き方であるべきだと信じています。
利他の実践のなかに無上の喜びを感じていくような自己を、どのようにして確立していくかということのなかに、大乗仏教の本質があるのです。

対談は「生命の尊厳」に及び、目に見えるものだけでなく、生命の本質を見つめるものに。両者は慎重に言葉を選び、その至高の尊厳性を共有した。

トインビー 生命の尊厳こそ普遍的、かつ絶対的な基準です。
大地にも、空気にも、水にも、岩石にも、泉にも、河川にも、そして海にも、すべて尊厳性があり、もしわれわれ人間がそれらの尊厳性を冒すならば、われわれはすでに自身の尊厳性をも冒していることになります。

池田 自然には、目に見えない"生命の糸"が、クモの巣のように張りめぐらされていて、本来は、全体として見事な調和が保たれています。人間といっても、その自然の一部であることには変わりなく、人間がその技術をもって無生の自然を傷つければ、それは人間自身を傷つけることになります。仏法では、このすべてを含んだ自然を——いな、大宇宙それ自体を——"生命"としてとらえているのです。

トインビー われわれ人間は、自らの尊厳を自覚するならば、謙虚になるべきです。たしかに人間性は尊厳ですが、それはまだ不確かなものであり、決して完全ではありません。人間が尊厳であるのは、私心がなく、利他的で、憐れみ深く、愛情があり、他の生物や宇宙そのものに献身的である場合に限られます。貪欲で侵略的であるかぎり、人間は尊厳ではありえません。

池田 生命を真実に、そして事実上、尊厳なものとするためには、人間一人一人の努力が必要です。自らの尊厳に対しては、自身が責任を負っているというべきでありましょう。

詮ずるところ、自己の生命の働きを、人々を傷つけるような醜いものではなく、すべての他の生命を慈しむ、美しいものにすることによって、事実のうえで人間生命を尊厳ならしめる以外にないと考えます。

トインビー 技術的業績の水準は急カーブで上昇し、現代におけるその速度は、記録に残っているどの時代よりも急速です。そして、その結果、われわれの技術と倫理の格差は、かつてなかったほど大きく開いています。これは屈辱的であるだけでなく、致命的ともいえるほど危険なことです。

こうした現状に対して、われわれは恥ずべきであり、かつ、この恥辱感を忘れずに、尊厳性——それがなければわれわれの生命は無価値であり、人生もまた幸福にはなりえないその尊厳性——を確立するよう、一層努力しなければなりません。

編集後記
1973年の対談の最後。池田先生はトインビー博士に「私個人に忠告がありましたら……」と助言を求めた。その折、「戸田先生がいらっしゃらないので」とも。恩師から託された世界広布の旅に出発して12年余り。対談の同席者は、後にこう述懐した。「先生は、戸田先生と共に生きておられるのだと実感しました。博士に恩師の面影を見ておられたのかもしれません」。同対談から大きく広がった世界の指導者・識者との語らいは1600回を超える。博士の逝去から45年。師弟の誓いに貫かれた対談集『21世紀への対話』は、29言語で出版され、世代を超えて読み継がれている。

2021年1月18日月曜日

2021.01.18 わが友に贈る

◇今週のことば
「元品の法性は梵天・
帝釈等と顕われ」
我らの祈りと対話が
心に平和の砦を築く。
核兵器廃絶へ前進を!
2021年1月18日

顕立正意抄 P537
『今日蓮が弟子等も亦是くの如し或は信じ或は伏し或は随い或は従う但だ名のみ之を仮りて心中に染まざる信心薄き者は設い千劫をば経ずとも或は一無間或は二無間乃至十百無間疑無からん者か』

【通解】
今、日蓮の弟子等も同じである。あるいは信じ、あるいは伏し、あるいは随い、あるいは従うとしても、ただ名のみで心に染め抜いていない信心薄い者は、たとえ千劫は経ずとも、あるいは一度は無間大城に堕ち、あるいは二度、乃至、十度、百度、無間大城に堕ちることは疑いないであろう。

名字の言 小説家・吉村昭氏が出会った一人の老漁師 2021年1月18日
小説家・吉村昭氏は"足で書き残す"人だった。戦争の現実を緻密に描き、一つの題材で192人に取材したこともあるという▼建造中、徹底して存在が秘匿された戦艦武蔵。この歴史に迫ろうと、造船所のある長崎を訪れた折、一人の老漁師に出会う。憲兵らの目を盗み、雨戸の隙間から出港する武蔵を見たと語ってくれた。だが急に「今おれが言ったことは、だれにも言わないでくれ」と▼戦争が終結して、20年が過ぎていた。しかし、老人の胸中には憲兵らの監視が、いまだに恐怖として残っていた。老人は、戦艦武蔵をテーマとした別の取材でカメラを向けられると、カメラを制し、手で顔を覆った。戦争の記憶は、老人の心を恐怖で縛り、苦しめ続けていた(『わたしの取材余話』河出書房新社)▼時の経過は、記憶を薄れさせ、風化させていく。だが、戦争体験者が負った"心の傷"は、決して消えることはない。今も、戦時下の経験を初めて語る人がいる。そうした証言を残し、平和を継承していくことは、今を生きる私たちの使命である▼池田先生は「戦争という巨悪への怒りなくして、ヒューマニズムはない」と。今週、核兵器禁止条約が発効される。世界が新たな一歩を踏み出す今、足元から「不戦の連帯」を広げたい。(将)

寸鉄 2021年1月18日
会長の著作を読むと人生は豊かに—識者。ここに希望の指標。地道に研鑽
「マイ ロマン総会」がたけなわ。朗らかに友情広げる女子部は広布の光
できないことよりも何ができるかを考えよ—哲人さあ価値創造の心意気で
コロナ禍での変化、1位は会いたい人に会えぬ事と。電話等使って絆強く
後部座席のベルト着用、一般道では4割。全席で徹底。それで助かる命も

〈社説〉 2021・1・18 「ヤング白ゆり世代」発足から1年余
◇世界の希望と輝く「創春」の連帯
池田先生は、婦人部「ヤング白ゆり世代」の40代までの年代を「『青春』に続く『創春』の時代と意義づけたい」と、つづった。「創春」の二字には、試練の冬を耐え、自行化他の題目を唱えながら幸福の春を創り広げゆく、ヤング白ゆり世代への万感の期待が込められていよう。
発足から1年余り。本年を「ヤング白ゆり・勝利の年」とし、わが家、わが地域の未来部・青年部、未入会家族を大切にしながら、励ましの輪を広げていく。
米国の平和学者、エリース・ボールディング博士は、「創価の女性のように、粘り強く平和活動に取り組み、地域社会で活躍する女性たちの存在がとても重要です。決意に輝く皆さんこそ、世界の希望の存在です」と信頼を寄せた。
家族の在り方や働き方、子育て、介護など、ライフスタイルの多様化が進む地域社会にあって、ヤング白ゆり世代は、その最前線で、日々奮闘している。
本紙連載中の信仰体験「スマイル 自分らしく」では、ヤング白ゆり世代を中心に、そうした日常の場面を切り取りながら、信心根本に悩みと向き合う等身大の姿を紹介してきた。
取材で、口々に語られたことがある。それは、宿命転換のドラマの舞台裏に、「婦人部の先輩たち」の粘り強い励ましがあったということである。
あるヤング白ゆり世代の友は「仕事でなかなか会合に参加できず、申し訳なさを感じています」と先輩に打ち明けた。「大丈夫。ゆっくりでいいのよ。『できないこと』を数えるのではなく、『できること』を少しずつ。私も一緒に手伝うからね」。その励ましに希望を得た彼女は、仏法対話と週2回の本紙の配達に挑戦。「私も広布の力になれている。そう思うたび、喜びと感謝が込み上げてきます」と笑顔で語っていた。
池田先生は、こうした「聡明にして大らかな励まし」をたたえながら、「さくら(桜)はをもしろき物・木の中よりさきいづ」(御書1492ページ)の御聖訓を拝して、次のようにつづっている。
「どんなに綺麗な花を咲かせる樹木も、間近で見れば幹や枝はゴツゴツしていて、武骨な姿です。傷も目につくでしょう。そうであるけれども、冬を耐えて、春を待って、満開の花を咲かせていきます。人も同じでしょう」「長所を見いだし、伸ばしながら、長い目で励まし、見守り続けていくところに、歓喜あふれる桜梅桃李の人華の園を咲き薫らせることができるのではないでしょうか」
誰も置き去りにしない。桜梅桃李の「使命の開花」を信じ抜く——創価の母のスクラムに学び、本年も一人を大切に、真心の励ましに徹していきたい。

☆ヒーローズ 逆境を勝ち越えた英雄たち 第3回 アレキサンダー大王
〈アレキサンダー大王〉
◇すべての財産を分け与えても、私には秘蔵の宝がある。
◇その名は「希望」。ただ一つ、希望という宝を持てるのみ!

池田大作先生は語った。
「『希望』とともに生きる人は強い。負けない。いかなる逆境の扉も開け放つ、知恵と勇気と情熱がわく」
その「希望の人」こそ、アレキサンダー大王である、と——(1990年10月22日、福井、石川、富山第1回合同総会でのスピーチ)。
紀元前4世紀、現在のギリシャ、エジプト、トルコ、インド方面にわたる広大な地域に一大帝国を築いた巨人・アレキサンダー。わずか12年ほどで人類史に轟く大偉業を成し遂げた青年大王の足跡は、幾多の伝記につづり残されている。
マケドニア王フィリッポス2世の子として生まれた彼は、古代ギリシャの大哲学者アリストテレスから学問を教わった。
16歳で父の代わりに摂政としてマケドニアを統治。やがて暗殺された父の後を継ぎ、弱冠20歳で国王に。2年後、国運を懸けた東方遠征へと旅立った。
この時、アレキサンダーは一切の財産を臣下に分け与えた。それは、彼らが妻子への気遣いを果たして出発できるようにするための配慮だったのだろう。
驚いた側近の一人が尋ねた。
「ご自身のためには何を残されるのですか」
するとアレキサンダーは「私は、すべての宝を与えたわけではない。私の秘蔵の宝は、まだ手もとに残してある」と。
「それは、どこにあるのですか。私には見えません」と問う側近に、彼は宣言した。
「わが『秘密の宝』の名前は『希望』という。この宝以上の宝はないのだ!」
ただ一つ、「希望」という宝を持てるのみ! この闘魂に臣下たちは奮い立ち、大いなる希望を胸に長征を開始した。

〈アレキサンダー大王〉
◇指導者は自ら垂範して勇敢な人びとを動かし、勇者の証拠を示さねばならぬ。

アレキサンダーは部下を大切にし、仲間を信じ抜いた。
天下分け目の「イッソスの会戦」で敵のペルシャ軍が接近した時のこと。彼は階級に関わりなく、各部隊で奮闘する一人一人を名指しで呼んで激励して回った。会戦後には、自身も傷を負っているにもかかわらず、負傷した将兵を慰問。活躍を見せた者に対しては、称賛の言葉を掛けてねぎらい、その功績に最大限報いていった。
また、灼熱の砂漠を横断した時のこと。全軍が耐えがたい喉の渇きに苦しむ中、幾人かの兵士が岩のくぼみにたまった水を見つけ、兜に注いでアレキサンダーにささげた。彼はそれを受け取ると、丁寧にお礼を伝えながらも、地面に捨ててしまう。
「なぜならば」とアレキサンダーは言った。「もし余ひとりこれを飲んだならば、残りの者の落胆はどれほどだと思う」
この一言に兵士たちは深く感動し、誰もが自分で水を飲み干した気分になった。そして一斉に立ち上がり、「いざ前進!」と再び歩き始めたという。
疲れて倒れている兵士がいれば元気づけて起こし、列に付いてくるのがやっとの兵士がいれば自分が支えになる。彼は指揮官であると同時に「戦友」のような存在だったともいわれる。
東征の途中、病に侵され、生死をさまよう事態に陥った。そこに少年時代からの親友で侍医のフィリッポスが駆け付ける。だが彼には敵方に通じているとの疑いがかけられていた。フィリッポスが調合したのは薬か、毒か。アレキサンダーは友情を貫き、友を信じて薬を飲んだ。
やがてアレキサンダーの体調は回復し、さらに東へ、東へと行進の勢いを増していった。二人の友愛のドラマは、池田先生の小説『アレクサンドロスの決断』に詳しく描かれている。
勝った時に、次の勝利へ電光石火で手を打つ。常に先頭に立って軍を率い、皆と艱難辛苦を共にする。指導者であるならば「自ら垂範して勇敢な人びとを動かし、勇者の証拠を示さねばならぬ」——アレキサンダーはそう確信していた。

〈アレキサンダー大王を語る池田先生〉
◇行動なくして栄光はない。
◇世界を結ぶ大偉業——それは一歩一歩の積み重ねであった。
◇一日一日の勝利の結果であった。
◇一人一人の奮闘の賜であった。

アレキサンダーの長征は、武力による征服であることは事実だろう。しかし、彼は単なる支配者ではなかった。
「地上のすべての民族が皆、同じ一つの民族であることを理解させたい」——世界の東と西を結ぶ大理想に生きた先駆者でもあった。
統治した都市には自治を与えることを徹底。現地の文化や宗教などを積極的に受け入れた。
また、占領したペルシャの兵と自国マケドニアの兵を同じ待遇にするなど、民族間の融和に尽力。さらに遠征には多くの学者を同行させ、未知の土地を調査。これによりヘレニズム時代の地理学、生物学などが発展することになった。
アレキサンダーは志半ばで、その生涯を閉じる。32歳の若さであった。だが彼がまいた「人類和合」「文化交流」の種は、後世に花開く。仏教というインドの文明とギリシャの文明との融合は、その一つである。
池田先生は1962年1、2月、アレキサンダーゆかりのイラン、イラク、トルコ、ギリシャ、エジプトなどを歴訪。パキスタンで大王の足跡を偲び、広布の未来に思いをはせた。
92年6月には、30年ぶりにエジプトへ。アレキサンダーは、この地で"人類は一つ"との啓示を得たといわれている。同国の古都・アレクサンドリアは、彼が海運の拠点とし、芸術・文化・教育の中心地とするために建てた都市である。
滞在中、先生はエジプトのホスニ文化大臣と再会。アレキサンダーについて語り合った。
この3カ月前、東京で対談した際には、大王が全財産を臣下に分け与え、自らは「希望」だけを携えて長征に出た逸話が話題に。文化大臣は言った。
「大王は『アレキサンダーを持って旅立つ』『自分自身のみを携えて行く』と言いたかったのではないでしょうか。人間は皆、同じように偉大である。この(裸一貫の)自分さえあれば、すべてだと——」
先生は「『不屈の人間』こそが『希望』の当体であり、『希望』そのものです」と賛同。後日の会合では、こうも訴えた。
「『希望』は労苦から生まれる。労苦を惜しまぬ勇気と情熱から生まれる。ゆえに、受け身と惰性は、希望の敵である。流されて生きることは、不幸へとみずから流れていくことである」(92年3月15日、「3・16」記念代表者会議でのスピーチ)
青春時代、『プルターク英雄伝』を愛読した先生にとって、アレキサンダーは憧れの人物だった。93年7月には「アレキサンダー大王とアソカ大王」を巡る語らいを本紙で連載。その信念の生き方を通し、勇気と希望の励ましを送っている。
「今、どれだけの祈りができるか。どれだけの行動ができるか。勝負は、結局、自分自身との勝負です。(中略)一般にも、『絶対に勝つ』と決めたところが勝つ。その一心が限りない力を引き出すからです。アレキサンダーの戦いも徹底していた。『不可能』という壁があれば、彼はそれ以上の『かつてない戦い』で、壁を破った」
「大遠征といっても、一歩一歩の積み重ねであった。一日一日の勝利の結果であった。一人一人の奮闘の賜であった」
何事もまず勝つと決めて、地道にして着実な実践を! ここに「希望・勝利」への道があることを忘れまい。

2021年1月17日日曜日

2021.01.17 わが友に贈る

人と人の結び付きが
災害に負けない
安心・安全の地域の土台。
爽やかな挨拶から
励ましの輪を広げよう!

一生成仏抄 P384
『迷う時は衆生と名け悟る時をば仏と名けたり、譬えば闇鏡も磨きぬれば玉と見ゆるが如し』

【通解】
迷う時は衆生と名づけ、悟る時を仏と名づけたのである。たとえば、曇っている鏡も磨いたならば、輝く玉のように見えるようなものである。

名字の言 スランプに陥った女子部員が決めたこと 2021年1月17日
「好調」「不調」が最大になった時、「絶好調」「絶不調」となる。「絶」には「この上なく」という意味がある▼字義通りには「途切れる」である。「絶好調」だからと油断すれば、その瞬間から失速する。「絶不調」の時、深く自分を見つめ直すことで、新たな飛躍へのきっかけをつかむこともある▼長距離走選手として活躍する群馬の女子部員。5000メートルで学生日本一に輝き、大学を卒業後、実業団チームへ。ある時期、コンディションは絶好調にもかかわらず、成績が伸び悩んだ。かつてないスランプに陥り、もがき苦しんでいた時、彼女は決めた。記録に一喜一憂せず、今日一日にベストを尽くそう、と▼昨年、彼女は自己新記録を樹立。初出場した日本陸上選手権で入賞を果たし、クイーンズ駅伝でも区間2位の成績を残した。「私の走りを通して、皆さんに希望と勇気を送りたい」と、今年はチームの主力として新たな飛躍を期している▼池田先生は語っている。「堅実な一歩一歩が、必ず偉大な使命の人生となっていく。これが『創価の道』であり、妙法の『師弟の道』である」と。人生の途上には、「好調」の時もあれば、「不調」の時もある。いかなる時も、一日一日を悔いなく。その人に、人生勝利の栄光は輝く。(江)

寸鉄 2021年1月17日
「悦んで云く本より存知の旨」御書。試練の時こそ信強く!絶対勝利の信心
本幹が学会HPで配信。共に視聴できずとも心は一つ!皆で創立100周年へ
阪神・淡路大震災26年。不死鳥の如き前進は世界の鑑。我らも負けじ魂で
初の大学入学共通テストが全国で。頑張れ受験生。体調万全に実力出し切れ
大雪後の気温上昇で落雪・雪崩の恐れ。無冠の友の皆様、「心に深き用心」を

〈社説〉 2021・1・17 きょう「防災とボランティアの日」
◇使命の自覚が社会築く原動力
1995年(平成7年)1月17日、神戸や淡路島を中心に甚大な被害をもたらした巨大地震が発生した。あの時、関西の同志の救援活動は、社会を支える民衆の連帯の強さを示した。池田先生は、その慈愛の献身を「世界第一の慈悲の実践の『ボランティア組織』であることを示してくださった」とたたえた。
各地から多くの人が救援に駆け付け、「震災ボランティア」の存在が広く全国的に認識されるようになっていった。現在、1月17日は「防災とボランティアの日」になっている。
地震発生後、学会は、直ちに被災地にある全ての会館を一時的な避難所として開放。男子部を中心に結成された「バイク隊」によって、救援物資が各会館に届けられた。さらにドクター部や白樺会、白樺グループといった医療現場で働く友が、すぐに、24時間態勢で被災者の救護に当たった。
震災時に兵庫県知事を務めた貝原俊民氏は語っている。「震災の当初段階では、必要なところに必要な人を派遣する機能がうまく働かなかった。その点、創価学会の活動は素晴らしかった」と。
当時、1年間で延べ約137万人以上のボランティアが被災地を訪れた。しかし、被災地側には大勢の人々を受け入れる態勢や仕組みが整っておらず、物資や人員の偏在・不足を招いてしまった。こうした経験から、ボランティアと、応援を求める人や組織とを"コーディネート(調整)する"スタッフが必要だという認識が広まっていった。
日本ボランティアコーディネーター協会によると、「ボランティア活動がもつ最大のチカラは、『私』発であること」だという。ボランティア一人一人の自発性や主体性が原動力となり、さまざまな発見や、解決策を生むこともあるからだ。そして、それが市民社会を築く新しい力へと、つながっていくのである。
それでは、その自発性や主体性はどうすれば育まれるのか。先生は小説『新・人間革命』でつづっている。「使命を自覚する時、人間の生命は蘇生する。その時、真の主体性が確立されるのだ」と。
創価学会の強さは、一人一人が地涌の菩薩として、社会建設の主体者となり、励ましの連帯を広げてきたことにある。法華経に説かれた地涌の菩薩は、苦悩する人々を救おうと、広宣流布を誓い、末法に出現する。その使命に生き抜く日々の実践の中に、どのような困難も乗り越えていける無限の知恵と力が湧く。
きょうで阪神・淡路大震災から26年。危機の時代にこそ創価の英知は輝きを増していく。苦しむ友、悩む友にどこまでも寄り添い、希望の光を送り続けたい。

☆ヒーローズ 逆境を勝ち越えた英雄たち 第2回 周恩来
<周恩来総理>
◇社会を変えるには、自らの心の変革から始めよ。
◇報恩の気概で志を立て、大事業を成し遂げるのだ。

「みんなは、何のために勉強するのかな?」。ある学校の授業で、先生が生徒たちに質問した。
「自分の将来のため」「金持ちになるため」——答えはさまざまだった。「では、君は?」と先生が問うと、その少年は立ち上がって答えた。
「中国の興隆のためです!」
少年の名は「周恩来」。当時13歳。"人民の父"と敬愛される周総理の若き日の逸話である。
その大志を育んだのは、試練が続いた幼少・青年期だ。生後すぐに養子に出され、9歳で実母、10歳で養母と死別。貧しい暮らしを強いられた。その後、伯父に引き取られると、一緒に移り住んだ天津で南開学校(南開大学の前身)に入学。1913年8月、15歳の時である。
生活苦で学費を払えない時期もあったが、強靱な意志で学び抜き、成績は常に最優秀。恩師や友人の応援もあり、卒業後は日本に留学した。そうした苦労の経験が「恩」を忘れない生き方の土台になっていった。
留学中の日記に、こうある。
「仏は報恩への道は無上と言うが、恩も返していないのに、どうやって成仏するのか? 『人間は気概を持たなければならない。』と言われるように、私はこの言葉に従って、報恩の気概で志を立て、大きな事業を成し遂げて彼らを安心させ、人生を無駄にしないようにする」
祖国を救う方途を求めて海を渡った周青年。だが、そこで見たのは、軍国主義へと傾斜しゆく希望なき日本の世相だった。
やがて帰国を決めた周青年は日本を去る直前、京都の嵐山へ(19年4月)。雨に煙る桜を眺め、心情を詩に詠んだ。
「この世のあらゆる真理は/求めれば求めるほど曖昧である/——その曖昧さのなかにたまたま一点の光明が見えると/ほんとうにますますあでやかで美しい」
一点の光明——それは救国救民への覚悟だったに違いない。
21歳の指導者は「革心」と「革新」をモットーに、決然と立ち上がった。社会を変えるには、まず自らの心の変革から始めよ! 後に夫人となる�穎超氏らと共に、国家の未来を開く挑戦を開始したのである。

<周恩来総理>
◇一人で閉じこもっていてはだめだ。
◇勇んで人間の中に飛び込む。
◇その人を大いなる勇者と呼ぶのだ。
◇新中国が誕生する半年前、周総理は青年たちに訴えた。

「1人で部屋の中に閉じこもっていてはだめだ。千軍万馬の中で人と関わり合い、人を説得・教育し、或いは人から学び、最も広い範囲で人々と団結して戦うべきである。それが勇気のあることであり、そのような人を大いなる勇者と呼ぶのだ」
"大衆の中で、大衆とともに"——それが不動の信念だった。
1949年10月1日、新中国が成立し、総理兼外交部長に就任。周総理は78歳で生涯を閉じるまで、中国の建設に駆けた。
ある時、不眠不休で働く様子を心配し、周囲が体をいたわるよう勧めたことがあった。すると総理は、三国志の英雄・諸葛孔明の言葉を引き、その覚悟を口にした。「鞠躬尽瘁し、死して後已まん(心身を尽くして、死ぬまで戦い続ける)」と。
経済の回復、国際関係の樹立……。対応すべき課題は膨大であった。その中で、66年から始まった「文化大革命」の動乱期は、最も困難なかじ取りを迫られた。権力の中枢を握ろうとする悪名高き四人組が暗躍し、国家が破壊されようとしていた。無数の人民が犠牲になり、その狂気の刃は総理にも及んだ。
だが"寿命を10年縮めた"という文革の渦中、総理はあえて大火に飛び込み、激流に身を投じる。「私が苦海に入らなければ誰が入るというのか」。あらゆる苦難を恐れず、命懸けで中国を守り抜いた。
文革に加え、対米、対ソ、対日の険悪な関係——内憂外患の状況下にあった68年9月。日本から驚きのニュースが舞い込む。
"創価学会の池田大作会長が、日本の中国への敵視政策を捨てて、両国の国交正常化を主張"
それは、池田先生の日中提言発表(9月8日)の報。光明日報の記者だった劉徳有氏によって、即座に中国へ打電された。
すでに学会を「民衆の中から立ち上がった団体」と注目していた総理は、提言を高く評価。その後、日中友好の先達で、提言に「百万の味方を得た」と語った政治家の松村謙三氏を通じて、先生の訪中を熱烈歓迎する意向を改めて伝えるに至った。

<周恩来総理を語る池田先生>
◇組織も個人も常に困難はある。
◇それは前進している証拠なのだ。
◇試練が何ものにも負けない自身を鍛え、自分たちの崩れぬ「城」を築き上げていく。

周総理と池田先生の会見が実現したのは、1974年12月5日。今月で46年を迎えた。
当時、がんを患っていた総理の体は極度に衰弱していた。医師団は"もし会うなら命の保証はできない"と猛反対。だが総理は「どんなことがあっても会わねばならない」と、頑として譲らない。�穎超夫人の進言もあり、短時間という条件付きで認められることに。先生は固辞するが、総理の強い意志を知り、入院先の病院へと向かった。
会見で総理は言った。「あなたが若いからこそ、大事につきあいたい」。総理76歳、先生46歳。その視線は、自分亡き後の一点に向けられていた。
先生は繰り返し、総理の健康を気遣った。医師からも休むよう書かれたメモが入る。しかし総理は目もくれず、未来への展望を語り続けた。
「これからは世界の国々が互いに尊敬し、励まし合って進むべきです」「中日平和友好条約の早期締結を希望します」
その言々句々を、先生は"遺言"として受け止めた。
結局、会見は30分にも及び、別れの際、総理は病身を押して先生一行を玄関まで見送った。
一期一会。最初の出会いが最後の語らいとなった。
先生は総理を「20世紀の諸葛孔明」とたたえ、その偉大な足跡を通し、勝利への指針を示してきた。
「組織であれ、個人であれ、常に困難はある。それは、むしろ前進している証拠なのだ。すべての試練が、何ものにも負けない自分自身を鍛え、何ものにも崩れぬ自分たちの『城』を築き上げていくのである」(2006年10月28日、創立記念日祝賀協議会でのスピーチ)
「炎の一念で、周総理は人民の胸に火を点した。四人組は打倒された。"私たちの戦いは『人民のため』だ!"(中略)。この心で戦いぬいたのである。広宣流布の長征も同じである。『いかなる状況になっても戦おう! 前進しよう! 必ず勝とう!』。この学会精神で、楽しく、朗らかに、ともに進んでまいりたい」(1996年10月25日、第4回本部幹部会でのスピーチ)
幾多の試練を勝ち越えた「不倒翁」の人生は、時を超えて逆境に挑む勇気を送り続ける。

2021年1月16日土曜日

2021.01.16 わが友に贈る

本部幹部会の視聴を
希望・勝利の回転軸に
求道の炎を赤々と!
尊き同志との絆を
一段と強めゆこう!

弥三郎殿御返事 P1450
『心あらん人人は我等が為にと思食すべし、若し恩を知り心有る人人は二当らん杖には一は替わるべき事ぞかし、さこそ無からめ還って怨をなしなんどせらるる事は心得ず候』

【通解】
心ある人々は、(大聖人が大難を一身に受けていることは)「私たちのためである」と思うべきである。もし「恩」を知り、心ある人々であるならば、(大聖人が)二回、杖で打たれるならば、そのうち一回は代わって受けるべきではないだろうか。それもしないどころか、反対に、(大恩ある大聖人に)怨をなそうなどとされるとは、まったく、どうしたわけであろうか。

名字の言 「君の種 創価の大道 十年後」2021年1月16日
創価大学がかつて、箱根駅伝への挑戦を本格的に開始した年のこと。創立者の池田先生は予選会の出場メンバーらに句を贈った。「君の種 創価の大道 十年後」▼それから10年余を経て、同大の選手が関東学連選抜の一人として箱根路を力走。さらにその12年後、ついにチームとして初出場を果たした。あの日の"種"は芽を出し、幾たびもの風雨に耐え抜き、仰ぎ見る樹木へと成長した。その木は今年、一段と大きな花を咲かせ、多くの人に感動を届けた▼「十年一剣を磨く」という言葉がある。来るべき時のため、ひたすらに精進していく心構えを説いている。何事も一流となるには、その道を究めるための、たゆまぬ鍛錬が欠かせない。この"徹する生き方"によって、技量は高められていく▼とはいえ、その道中には、向かい風も険しい坂道もある。そんな時こそ、険難を乗り越えゆく自身の生命力の強さが試される。池田先生は「『生命力』とは、未来を信じる力、そして希望を日々新たにし続ける力の異名」と教えている▼私たちは今、「勝負の10年」と決めて、学会創立100周年の2030年へ走りだした。自身の人間革命と人類の宿命転換の大道を開くという"未来への一念"を胸に、目下の課題に立ち向かっていこう。(代)

寸鉄 2021年1月16日
社会を変える為の実践と行動を考えよ—戸田先生立正安国の祈り強く前進
「皆我が一念に納めたる功徳善根なり」御書。広布への労苦は全てが福徳に
愛知婦人部の日。使命の「この道」歩む堅塁の母。今いる場所で励まし拡大
厳しい寒さで各地の電力需給が逼迫。生活に支障のない範囲で聡明に節電
海に流れたマスクは15億枚—調査。ポイ捨てが生物の脅威に。正しく廃棄

☆あす阪神・淡路大震災26年 希望と再生の陽は昇る
深い闇を破って、まばゆいばかりの旭日が神戸港に降り注ぐ。
あす17日は、1995年の阪神・淡路大震災から26年。震災で亡くなった全ての方々に追善の祈りをささげ、自他共の幸福へ歩みだす、再生と誓いの一日である。
信仰とは無限の希望の異名。心に希望の太陽を抱く限り、一切の苦悩の闇を払い、前へ前へと進むことができる。この大確信を胸に、励ましの輪を広げていこう。

☆ヒーローズ 逆境を勝ち越えた英雄たち 第1回 ネルソン・マンデラ
池田大作先生は述べている。「歴史を繙き、歴史に学んでこそ、人類の未来に平和があり、勝利があり、栄光の軌道が開けてくる」と。新連載「ヒーローズ」では、逆境を勝ち越えた世界の英雄たちの人生や言葉、その生き方を通じて池田先生が贈った指針から、未来を開くヒントを探る。第1回は南アフリカのネルソン・マンデラ氏。

〈マンデラ氏〉
◇新しい世界を勝ち取るのは腕組みして傍観する者ではない。
◇愚弄されてもくじけない人に、栄誉は与えられる。

獄中生活の過酷さは、経験した者でなければ分からない。それが27年半、日数にして1万日にも及んだ——反アパルトヘイト(人種隔離)運動を率いたマンデラ氏の投獄期間である。
独房は、歩いて3歩ほどの狭さ。体を伸ばすこともできず、向こうが透けて見える薄い毛布で酷寒の夜をしのいだ。孤独から房内の虫に話し掛けようとしたこともあった。「一時間が一年にも感じられた」という。
家族や同志は迫害され、母の病死、長男の事故死を塀の中で知った。嘆願した葬儀への参列も、かなうことはなかった。
だが、言語に絶する地獄のような苦しみを味わっても、氏は希望を失わなかった。全ての人種が平等に暮らせる「虹の国」を築く——心には大いなる理想の炎が燃え続けていた。「自分の信念の正しさを信じ、信念のために闘いなさい」——母の励ましの手紙にも支えられた。
獄中で氏はつづっている。
「新しい世界を勝ち取るのは腕組みして傍観する者ではなく、闘技場に立ち、嵐に服をずたずたにされ、闘いの過程で重傷を負った者なのです」
「愚弄されても、屈辱を受けても、敗北を喫してもくじけない人に、栄誉は与えられます」
氏の静かなる闘争は、同胞を奮い立たせた。それはやがて国際社会をも動かし、アパルトヘイト撤廃への潮流は大きなうねりとなっていった。
そして1990年2月11日。ついに釈放の日がやって来た。
奇しくもその日は、第2代会長・戸田城聖先生の誕生日だった。池田先生は、交友録にこう記した。「南アの『夜明け』に喝采を送りながら、私は同じく巌窟王であった恩師を偲んだ」

〈マンデラ氏〉
◇どんな相手でも、考え方は変わる。
◇だから、あらゆる手段を尽くして揺り動かしていくべきなのだ。

マンデラ氏にとって"闘争"は、釈放されてからが本番だった。収監当時、働き盛りの44歳だった年齢は70歳を過ぎていた。
人種対立は深刻の度を増し、暴力が激化するなど、課題は山積み。黒人の復讐が始まるとの懸念が広がったが、氏は対話の力で融和の道を探った。
「どんな相手でも、たとえ看守だろうと、考えかたが変わる余地はあるのだから、あらゆる手段を尽くして揺り動かしていくべきなのだ」——これが監獄の中で培った氏の確信であった。
粘り強い対話の末、1991年にアパルトヘイト関連法が廃止に。94年には南アフリカ初の全人種参加の選挙が実施され、マンデラ氏が大統領に選出される。氏は就任式で訴えた。
「絶対に、二度とふたたび、この美しい国で、人が人を抑圧するようなことがくり返されてはなりません」
"交渉による革命"は成し遂げられた。しかし、人種間にはぬぐいがたい不信が残ったままだった。そこで氏は、黒人解放運動のシンボルである歌とアパルトヘイト時代の国歌をつなぎ合わせた新国歌の作成や、新たな国旗の制定など「あらゆる手段」を講じていく。
その一つの成果が、95年に開催されたラグビーワールドカップの南アフリカ大会である。
同国においてラグビーは「白人のスポーツ」。「スプリングボクス」の愛称で親しまれる代表チームは、それまではアパルトヘイトの象徴でもあった。
氏はチームカラーの"緑と黄金色"の帽子をかぶり、最前線で応援した。代表のスローガンは「一つのチーム、一つの国」。その人気は勝ち進むにつれ、人種を問わず高まっていく。試合の日には"黒人居住区でも人影が消える"といわれるほど、多くの国民がテレビの前で声援を送った。
迎えた決勝戦。スプリングボクスは強豪ニュージーランドに競り勝ち、初優勝を飾る。スタジアムでは至る所で新国旗が振られ、新国歌が高らかに歌われた。白人と黒人が一つになった大会は、「虹の国」実現への確かな一歩となった。

〈マンデラ氏を語る池田先生〉
◇人生には、思うにまかせぬ境遇に立たされる時が幾たびもある。
◇嘆かず、腐らず、焦らず、「じっとこらえて今に見ろ」と不屈の旗を振り通していくことだ。

池田先生に会うために、マンデラ氏が東京・信濃町の旧・聖教新聞本社を訪れたのは、1990年10月31日。釈放から8カ月後のことであり、会見は氏のたっての願いだった。
先生と共に500人の青年が歓迎し、創価大学生の代表が高らかに叫んだ。「アマンドラ・ンガウェトゥ!(民衆に力を!)」——それは、人種差別の壁を打ち破った南アの人々の合言葉。そして「ロリシャシャ・マンデラよ……」と、同国の愛唱歌の大合唱が始まった。氏は驚き、満面に笑みを浮かべた。
5年後の95年7月、氏は大統領として来日。池田先生と再会を果たしている。
2度の会見は「教育」と「後継」が焦点に。「一本の高い樹だけではジャングルはできません。他の多くの木々が同じような高さまで伸びて、大きな森の茂みができあがる」。先生が訴えると、氏は深く頷いた。
氏の言葉や生き方を通し、先生は友に語り残してきた。
「マンデラ氏は、身近なところから、敵をも味方にしていったのである。地道といえば、じつに地道である。しかし、こうした地道な対話のなかにこそ、勝利の栄光は築かれていく。牧口先生、戸田先生もまた、獄中にあって、果敢に仏法を語られた。そして、看守や検事にも、仏縁を広げられた」(95年6月12日、栃木・茨城代表協議会でのスピーチ)
「人生の行路にあっては、思うにまかせぬ境遇に立たされる時が幾たびもあります。その時が勝負です。嘆かず、腐らず、焦らず、『じっとこらえて今に見ろ』と不屈の旗を振り通していくことです。必ず、そこから反転攻勢の流れを起こせるからです」(2012年3月21日、創価大学・女子短大卒業式へのメッセージ)
大いなる理想がある限り、いつでもどこでも、何歳からでも、希望を紡ぎ出すことはできる。巌窟王の不屈の歩みは、それを私たちに教えてくれている。
——90年の訪日で最もうれしかったのは「池田SGI会長にお会いしたことです」と語った氏。そして、言葉を継いだ。
「その際、若い学生の方々らが温かく迎えてくださり、歌まで歌ってくださった。私は、27年間、囚われの身で戦ってきましたが、"これで、その努力が報われた"と思いました」
忘れ得ぬ出会いから30年。昨日が、その記念日である。

2021年1月15日金曜日

2021.01.15 わが友に贈る

「一人」の友の声に
徹底して耳を傾けるのが
「励まし」の第一歩だ。
相手の状況に思いをはせ
心の扉を開く声掛けを!

御義口伝巻下 P758
『日蓮が云く一切衆生の異の苦を受くるは悉く是れ日蓮一人の苦なるべし』

【通解】
一切衆生のさまざまな苦悩は、ことごとく日蓮一人の苦である。

名字の言 今、大切な三つの「つ」 2021年1月15日
今年の年賀状は例年より多かった。いつもは三が日を過ぎてから届く友も元日に届いた。ステイホームの年末だったからだろう▼「モゥー大変からモゥー安心の年に」などユーモラスなものもあれば、世界中で蔓延する新型コロナウイルスに憂いを抱きながら、「戦争を経験したからこそ、皆さまと心をつなぎ平和を祈りたい」と訴える90代の声楽家も▼目立ったのは「希望」の二文字。「この正月を希望に向かい続ける心の区切りとして素直に祝いたい」と記したのは、ある大学教授。間もなく東日本大震災から10年を迎えるが、心の復興に携わる岩手の友は「復興は道半ばです。何があろうとも全てを『希望』に変えます」と力強い▼先日、先輩が教えてくれた。今、大切なのは三つの「つ」——「つながる」「つたえる」「つづける」の実践。他者とつながり、励ましの心を伝える。この行動を続けることが「希望」になる、と。先が見えない不安の時だからこそ、孤絶した友を一人もつくってはならない。自分の悩みや悲しみなどを理解してくれる人がいないのが一番つらい▼直接会えなくても、電話や手紙、メールをはじめ、つながる手段は無数にある。人と人の距離が求められる中、心と心を結ぶ希望の行動を「今から」開始しよう。(側)

寸鉄 2021年1月15日
「一人もかけず仏に」御書題目を唱えれば、ありのままの生命が最高に輝く
中等部結成記念日。君の成長が未来の光。可能性は無限大。大樹と育て!
東京・新宿の日。常勝こそ本陣の使命!不屈の祈りで師弟勝利の歴史を綴れ
海洋プラごみ、生態系への影響深刻と。国境なき問題は国境超えた連帯で
防災とボランティア週間共助は社会の宝。地域の絆を強める貢献、地道に

〈社説〉 2021・1・15 地方版開始から65年
◇世界宗教を支える「地宝」の力
「"私たちの地方版"も、いよいよこれからが『本門』です」と、池田先生は昨秋の通信員大会にメッセージを寄せた。
常に「聖教魂」を燃やしながら奮闘する通信員と共に、創価家族の一人一人へ光を当てた記事を届けている地方版。
地区・ブロックの紹介や、未来部員の活躍、防災や防犯に貢献した友のエピソードなど、地域に根差したローカル性が魅力であり、強みでもある。
聖教新聞に地方版が新設されたのは、1956年、65年前のきょう。北日本・東京・西日本の3版からスタートし、各地の支社・支局の設置に伴い、各県版も次々と誕生。現在のような都道府県版・方面版になったのは78年からである。
今では、聖教電子版で、世界中の友が全ての地方版を読めるようになった。毎週金曜日の地方版から「わが地域・ふるさと」を感じる読者は多いだろう。
昨年、『池田大作研究——世界宗教への道を追う』(朝日新聞出版刊)を発刊した、元外交官で作家の佐藤優氏も、聖教電子版の愛読者の一人。
「電子版は地方版が全て読めるのがいい。世界宗教として、学会のグローバルな取り組みを紹介する一方で、最前線の会員さん一人一人の話題を各地から発信する。ここが大事なんです」と語っていた。
宝寿会(多宝会)メンバーが多い、第2総東京のある地区は、昨年、東京・山梨版に紹介記事が掲載されると決まり、「一丸となって折伏を頑張ろう」と皆で決意。元気に地域を歩く87歳の地区副婦人部長が掲載直前に弘教を実らせた。
地区の同志もさらに足取り軽く、本紙の購読推進に挑戦。幾重にも広布拡大の原動力となった。
宮崎版には、会場提供者への感謝を、写真に込めて紹介する連載がある。掲載された本人はもちろん、会場に集い合う多くの友にも喜びが広がる。
「わが地域の功労者」を宣揚する記事が、地道に信仰を貫く皆の希望につながっている。
池田先生は、かつて随筆につづった。
「『地方』とは、その土地の無数の宝がちりばめられて輝く、『地宝』ともいえようか。わが郷土が宝土であり、そこで共に生きる隣人が宝の人となるのだ」
世界宗教として飛翔を続ける創価学会。その学会を支えるのは、わが「地宝」を舞台に生き生きと広布に戦う、尊き同志の信心だ。
聖教の地方版は、その一人一人の人間革命のドラマをつづる、まさに「黄金の日記文書」といえよう。
世界各国の姉妹紙誌とも心を合わせ、"地域から地球へ"、勇気と希望を送り続けていきたい。それこそが、聖教新聞そして地方版の「本門」の使命であると確信して!

☆池田華陽会御書30編 阿仏房御書(宝塔御書)
◇前進の姿が友の希望に
さあ、誓願の学会創立100周年の勝利へ!——師匠の心と行動を受け継ぐ「新・人間革命」世代の誇りも高く、女子部は今月から、伝統の「池田華陽会御書30編」を心新たに学んでいきます。毎年10編ずつ、月ごとに掲げる「重点御書」の「読了・研さん」に挑戦し、3年間で全30編を学び深めていきましょう。
今月の重点御書は「阿仏房御書(宝塔御書)」です。池田先生は、本抄の講義につづられました。
「人間の尊厳を見る眼を、人類が持ち得たならば歴史は変わります。焦点は、一個の人間生命の尊厳に気づくことです。一人の存在がどれほど尊いか、目を開くことです」
"一人の尊さ"また"一人の無限の可能性"を心に刻み、「希望・勝利の年」を出発していきましょう。

◇本抄について
本抄は、日蓮大聖人が、佐渡の門下である阿仏房に宛てて認められたお手紙です。大聖人の佐渡流罪中の御執筆とされてきましたが、近年では、身延入山後の御著作と考えられています。
阿仏房は、大聖人が佐渡に流罪されていた時、妻の千日尼と共に、大聖人の生活を支え、懸命にお守りした門下です。
さらに、大聖人が身延に入山されてからも、阿仏房は高齢にもかかわらず幾度も大聖人のもとを訪れ、御供養の品々をお届けするなど、純粋な信心を貫きました。
本抄は、御供養への御礼であるとともに、法華経に説かれる「宝塔」や「多宝如来」とは、何を表しているのかとの阿仏房の問いに対する御返事です。

◇御文
『末法に入って法華経を持つ男女の・すがたより外には宝塔なきなり、若し然れば貴賤上下をえらばず南無妙法蓮華経と・となうるものは我が身宝塔にして我が身又多宝如来なり、妙法蓮華経より外に宝塔なきなり、法華経の題目・宝塔なり宝塔又南無妙法蓮華経なり』(御書1304ページ6行目〜8行目)

◇通解
末法に入って、法華経を持つ男女の姿よりほかには宝塔はないのです。もしそうであるならば、貴賤上下にかかわらず、南無妙法蓮華経と唱える人は、わが身がそのまま宝塔であり、わが身がまた多宝如来なのです。
妙法蓮華経よりほかに宝塔はないのです。法華経の題目は宝塔であり、宝塔はまた南無妙法蓮華経です。

◇解説
一人の人が、どれほど尊く、偉大な存在であるか。そのことを示し切られたのが、日蓮大聖人の仏法です。
法華経見宝塔品第11には、突然、大地から巨大な宝塔が出現し、空中に浮かび上がる場面があります。
この宝塔は、大きさが地球の直径の3分の1にも及ぶとされ、金・銀・瑠璃などの七宝で飾られ、まばゆい輝きを放っています。
想像を絶するほどの、壮麗な姿をした宝塔。"これは一体、何を表しているのでしょうか"——。阿仏房は、そう大聖人にお尋ねせずにはいられなかったのでしょう。
阿仏房の問いに対し、大聖人は掲げた御文で"末法にあって、妙法を受持し、信心に励む人こそ、法華経に説かれる宝塔そのものである"と仰せです。
"偉大な宝塔とは、自分自身"——。この真実を知り、阿仏房は、驚きながらも、大きな感動に包まれたに違いありません。
法華経に説かれる宝塔は、その荘厳な姿をもって、一人の生命の限りない尊さを示し、その巨大さをもって、一人の生命に具わる無限の可能性を教えているのです。
大聖人は「すがたより外には宝塔なきなり」と、現実の「姿」を強調され、広布に前進する人の"ありのままの姿"こそ、輝く宝塔にほかならないことを示されています。
また「貴賤上下をえらばず」とも述べられ、題目を唱える人は、身分や社会的な立場にかかわらず、一人ももれなく尊い宝塔であり、さらに、法華経が真実であることを証明する多宝如来であると教えられています。
現実の悩みを抱えながらも、題目を唱え、負けずに前進する姿が、仏法の素晴らしさの証明であり、友に希望を送る光となるのです。
続いて大聖人は、宝塔とはまた「南無妙法蓮華経」であると仰せです。
宇宙の根源の法である「南無妙法蓮華経」を、大聖人は御本尊として顕されました。私たちは、御本尊を信じ、題目を唱えることで、本来具わる仏の生命を現し、自らを宝塔と輝かせていくことができます。
大事なことは、宝塔の涌現を"経文で説かれた話"あるいは"誰かに向けられた話"と捉えるのではなく、"自分自身のこと"であると知ることです。どんな時にも、自らの無限の可能性を信じ、"勇気の題目"を唱えるところから、私たちの「人間革命」の大いなる前進も始まります。
一人一人が尊い「宝塔」との確信で、友と励まし合いながら、希望の青春、負けない青春を歩んでいきましょう。

◇池田先生の指針から
一人の人間が「わが身」の真実の可能性を知った時に、一人の偉大な人間革命が始まります。自身の尊極にして偉大な可能性に目覚めた人は、他者の存在の尊さにも気づきます。(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第10巻)
◇ ◆ ◇
妙法を持ち、信心に励む私たちの姿、振る舞いが、そのまま多宝如来としての行動となっていく。(中略)
悩んでいるなら、その姿のままで信心に励んでいけばいいのです。何があっても信心を貫き、断じて負けない生き方が、そのまま勝利の証であり、法華経の証明となるのです。(『調和と希望の仏法』)
◇ ◆ ◇
希望——それは、どこまでも「可能性を信じる意志」の異名です。この希望の最大の敵は、"どうせ自分なんて""自分は、こんなものだ"と「卑下する心」です。(中略)
信心とは、自分の可能性を信じ抜く戦いです。そして、題目は胸中の希望の力を強めてくれます。その挑戦の人が、幸福の宝塔、勝利の宝塔にならないわけがありません。(「未来ジャーナル」2019年8月号に掲載の「池田大作先生 誓いの明日へ——日蓮門下を語る」)

◇研さんのために
〇…『勝利の経典「御書」に学ぶ』第10巻(聖教新聞社)
〇…『調和と希望の仏法』(同)

2021年1月14日木曜日

2021.01.14 わが友に贈る

「大悪をこれば
大善きたる」御書。
どんな困難があっても
変毒為薬できる仏法だ。
強き祈りから出発を!

太田左衛門尉御返事 P1015
『予が法門は四悉檀を心に懸けて申すならば強ちに成仏の理に違わざれば且らく世間普通の義を用ゆべきか』

【通解】
私の法門は四悉檀を心掛けて説くならば、成仏の理に大きく違わないのであれば、とりあえず、一般社会の道理を用いるべきである。

名字の言 膨大な日記を残した文豪トルストイ 2021年1月14日
日記帳の売り上げが伸びているという。コロナ禍が一因だそうだ。激変する社会の中で、自身を見つめ直した日々の軌跡を残したいということだろう▼文豪トルストイは、生涯にわたり膨大な日記を残したことで知られる。若き日には、作家として試行錯誤を繰り返した苦悩を赤裸々に記した。「書けず。すっかり萎えた拙い筆」「ほとんどひと月何も書かず」▼それでも「よかろうが、わるかろうが、つねに書かねばならぬ」とペンを執り続けた。そうすることで「仕事に慣れ、文体が出来てくる」からだ。反対に書いていないと心に迷いが生まれ、堕落してしまうと自戒した(中村融訳『トルストイ全集18 日記・書簡』河出書房新社)。池田先生は文豪の挑戦を通し、「ともかく『前へ』進むことである。そこに、『道』は開けていく」と訴えた▼御書には「月月・日日につより給へ・すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし」(1190ページ)と。人生も広布も一日一日が仏と魔との闘争。心に妥協や油断が生じた瞬間から、退歩が始まっている▼釈尊が弟子に託した遺言は「怠ることなく修行を完成なさい」(中村元訳『ブッダ最後の旅』岩波文庫)だった。どんな時も誓いの道を歩き続けよう。その人が、"黄金の自分史"をつづりゆく人である。(恭)

寸鉄 2021年1月14日
人類に尽くす若人を育てるのだ—恩師。青年よ大目的へ今日も確かな一歩
四国婦人部の日。民衆が築きし広布の城。試練の今こそ希望の連帯拡大!
「きわめて・まけじだまし(不負魂)の人」御書。不動の信心で活路を開け
資源なき日本は教育立国るべき—学者。聖業に挑む教育本部の使命深し
無症状でも誰もが感染の可能性。3密回避、マスク等、人にうつさぬ対策を

〈社説〉2021・1・14 あす「中等部結成記念日」
◇未来を生きる宝の友に伴走を
「"成人の日"の十五日は、各地とも晴天に恵まれ」——1965年1月15日に行われた中等部結成の集いを報じる本紙は、この書き出しから始まっている。
中等部が"産声"を上げた日が、当時の「成人の日」であったことに、感慨を深くする。結成から今日に至るまで、池田先生は一貫して「皆さんを"子ども"とは考えていません。日本の、世界の宝と思っています」と、中等部員に最大の尊敬を寄せてきたからである。
思想家ルソーは教育小説『エミール』の中で、10代の青春期を「第2の誕生」と呼んだ。母親の"産みの苦しみ"を伴って生を受ける瞬間が、「第1の誕生」だ。同書では第2の誕生の様子が次のように描かれる。「気分の変化、たびたびの興奮、たえまない精神の動揺が子どもをほとんど手におえなくする。まえには素直に従っていた人の声も子どもには聞こえなくなる。それは熱病にかかったライオンのようなものだ」(今野一雄訳)
いらだち、不安、葛藤——さながら、第2の誕生に伴う"陣痛のうめき"とも言えよう。自我に目覚めた子どもたちが発する"自分らしく生きたい"との心の叫びである。こうした時期を迎えるのは多くの場合、中学時代かもしれない。まして現代の中学生は、コロナ禍による環境の変化にもさらされている。その精神的な負担は推して知るべしだ。
しかし、ある調査によれば、中学生の5人に1人が「悩みを相談できる相手が誰もいない」と答えたという。
先の『エミール』の引用の続きには、「子どもは指導者をみとめず、指導されることを欲しなくなる」とある。彼ら・彼女らが求めているのは、同じ目線で共に悩み、祈り、一緒に歩み続けてくれる"伴走者"ではなかろうか。
ある男子部の友は、中学時代のいじめや不登校の経験を通し、未来部員の悩みに耳を傾けている。彼がいつも伝えるのは、池田先生が『希望対話』(普及版)で寄せた次の言葉だ。「勉強のことで悩み、友だちのことで悩み、親のことで悩み、将来のことで悩み……みなさんの話を聞いて、私は『みんな、何と真剣なのだろう!』と心から感動しました。真剣に生きている人だけが、真剣に悩む力をもっているからです。悩みがいっぱいあるということは、それだけ、心が大きく強く成長している証拠なのです」
人は、自分のありのままを受け入れてくれる存在を得た時に、「安心」する。自身の悩みに明日を開く意味があると感じた時に、「希望」が湧く。あす15日は56回目の"中等部の誕生日"——未来を生きる友に敬意を込めて、創価家族から"エールの花束"を贈りたい。

☆御書カフェ 華陽姉妹の語らい 2021年1月9日
◇御文
『闇なれども灯入りぬれば明かなり』(四条金吾女房御書、1109ページ)

◇通解
闇であっても灯をともせば明るくなる。

◇教えて
苦難の時にも、希望をもって前へ進みたいです。

◇池田先生の指導
妙法を持ち、広宣流布に生きる皆さんは、全員が太陽です。清らかな妙法蓮華の当体です。これが「華陽」の生命なのです。
ですから、胸を張って自信満々と進むことです。わが生命を遠慮せずに輝かせていくことです。地味な仕事や陰の舞台でも構わない。自分の仏の生命が光っていれば、そこが本有常住の「寂光土」となります。(『御書と青年』)
◇ ◆ ◇ 
乱世を照らし、転換しゆく最強のエネルギーは何か。それは君たち若人の情熱である。
使命深き青春には、次々と試練の山が立ちはだかる。一つ一つに勇んで挑む若き不屈の情熱が、偉大な価値を創造していくのだ。(中略)
題目こそ、情熱の極致である。張りのある勤行・唱題で、大宇宙の究極のリズムに則り、生命力を満々と発揮していくのだ。
一日一日、挑戦である。地道な努力を続ける青年には、誰人も敵わない。信行学の基本を大切に、自分自身を大きく鍛え上げよう!(2016・7・20付、「創価新報」掲載の「勝利の人間学」)

☆創立100周年へ第1回本部幹部会 広宣流布大誓堂で開催
学会創立100周年へ出発する「第1回本部幹部会」が7日午後、「希望・勝利の年」の開幕を記念して、広宣流布大誓堂(東京・信濃町)の三代会長記念会議場で開催された。
池田大作先生はメッセージを贈り、日蓮仏法は全民衆の苦悩の闇を照らし晴らす、「世界平和」「永遠の幸福」の最極の哲理であると強調。誓願の国土の安穏と繁栄を祈り抜きながら、この十年を決しゆく勝負の一年、希望・勝利の「不二の旅」を共々に決意し合おうと呼び掛けた。
(全国配信は15日から24日〈配信の会場と時間等は各県・区で決定〉。同期間中、「モバイルSTB」「SOKAnet」でも視聴可能)

◇池田先生がメッセージ「希望・勝利の『不二の旅』を共々に
三代会長記念会議場に、映像を通して、音楽隊・創価ルネサンスバンガードの勇壮なファンファーレが鳴り響く。
いよいよ学会創立100周年への"勝負の十年"が開幕した!
本年は、日蓮大聖人の御聖誕800年。また初代会長・牧口常三郎先生の生誕150周年、戸田城聖先生の第2代会長就任70周年、池田先生の「大阪の戦い」「山口開拓指導」65周年。さらに、聖教新聞創刊70周年、壮年部結成55周年、婦人部・男子部・女子部結成70周年など、幾重にも意義深い節目を刻む。
池田先生はメッセージの中で、これからの十年は、地球の大難をも払い、「生命尊厳」「人間革命」を基軸とした「新たな人類文明」を建設しゆく大事な時であると言及。その勝利を決するのが本年であると強調した。
師への誓いを胸に、未来を見据えて「今なすべきこと」に全力を尽くす。新生の決意と不屈の挑戦に、広布と人生の栄冠は輝く。
その先頭に立つのが、創立100周年の主役である後継の青年だ。

◇未来部・青年部の代表が決意の書き初め
幹部会の冒頭、未来部・青年部の代表による、2030年への決意を記した"書き初め"の映像が映し出された。
「価値創造」としたためたのは、女子部の小松恵美さん。ファッションブランドの新作発表会「パリ・コレクション」にも出品する日本の洋服ブランドで、デザイナーとして奮闘。フランスでの"パリコレ"の舞台裏では通訳も務めた。
信心の原点は、高校時代のカナダ留学。周囲と自分を比べて落ち込んでいた時に読んだ小説『人間革命』『新・人間革命』だった。
「すべてのものには使命がある」——小説につづられた言葉に、小松さんは"どんなことがあっても一切を成長の糧にできる生き方を"と心に決めた。デザイナーを目指し始めたのもこの頃。1枚の布から多彩な洋服を生み出す仕事は、価値創造の哲学に通じると感じた。
「私の夢は、自身が立ち上げたブランドで"パリコレ"に出品すること。洋服を通して『創価』の哲学を世界に広げていきます!
男子部の東山亮さんは「弟子の道」の文字に決意を込めた。
昨年、大手銀行に就職。社会人1年目の緊張や重圧に加え、コロナ禍によって環境は変化の連続だった。
その中で、男子部大学校生として、先輩と共に池田先生の指導や小説『新・人間革命』を研さん。「信頼とは、日々の誠実な行動の積み重ねによって、獲得される」との言葉に心打たれた。以来、山本伸一の振る舞いに自身も挑戦。職場でのあいさつや、どんな仕事も積極的に引き受ける姿勢で周囲からの信頼を得た。
発展途上国のインフラ整備に携わり、貧困にあえぐ人々を救いたいと語る東山さん。「弟子の実践を貫き、必ず社会で勝利の実証を示します!」

◇人間革命の新たな文明建設を!
幹部会は、広宣流布大誓堂の三代会長記念会議場で、参加者のない形で行われた。
田代副会長(創価大学理事長)が、箱根駅伝で大躍進した創大駅伝部への応援に感謝を述べた。次いで、韓国SGIの田正美女子部長がコロナ禍の中で同志の絆を強めた活動体験を語る映像が流された。
特別企画「サンライズステージ」では、昨年12月に収録された、創価ルネサンスバンガードのファンファーレと圧巻の演技・演奏が披露された。
続いて、池田主任副会長が池田先生のメッセージを紹介した。
志賀青年部長は、師匠の誓願を受け継ぐ"「新・人間革命」世代"が挑む、友情と信頼の対話拡大が、創価の勝利を開き、社会の希望になると力説。
永石婦人部長は、自身の一念の変革から希望と勝利は生まれると述べ、「人間革命」即「立正安国」を目指し、朗らかに前進をと呼び掛けた。
原田会長は、冒頭、コロナ禍でさまざまな制約がある中で、懸命に奮闘する同志に心から感謝した。そして、試練に直面する今こそ、"希望の源泉""勝利への羅針盤"である池田先生の指導を身読していく挑戦に、変毒為薬への転換点があると強調。いかなる状況にあっても、心は一歩も退くことなく、人生と広布の勝利の一年にしていこうと訴えた。

※本部幹部会の「モバイルSTB」での配信は、15日午前0時から(インターネットを通してダウンロードが必要)。「SOKAnet」での配信は、同日午後4時からとなります。

2021年1月13日水曜日

2021.01.13 わが友に贈る

自らが一人立つ!
一人を励ます!
そこから共戦の同志も
「二人・三人・百人と」。
これが地涌の義なり!

顕仏未来記 P509
『願くは我を損ずる国主等をば最初に之を導かん』

【通解】
願わくは私を損ずる国主等を最初に成仏の道へ導いてあげたいものです。

名字の言 ロシアの詩人・プーシキン「太陽万歳 闇はかくれよ!」 2021年1月13日
「希望を持ちましょう、——希望を持つことはつねによいことなのです」(池田健太郎訳)。ロシアの詩人・プーシキンの言葉だ。彼が書簡にこう記した時、ロシアはコレラが大流行していた。その中で1831年の新年を迎えた▼1950年(昭和25年)、深刻な不況の打撃を受け、戸田先生の事業が破綻。学会の理事長の職を辞した。池田先生は、給料の遅配が続き、冬にオーバーさえ購入することができなかったが、恩師を支え続けた▼翌51年(同26年)1月6日、池田先生は日記につづった。「激越の、年も刻々と明けて来た。いかなる苦悩にも打ち勝ちて、男らしく、青年らしく、若人らしく、本年も戦いきろう。学会も、会社も、黎明の年であれ」。先生の激闘は、恩師の第2代会長就任への道を開いた▼コロナ禍のまま明けた本年は昨年に続き、変化の連続の一年となろう。社会に閉塞感が漂う時、人は希望を求める。だが、確たる希望は、他から与えられるものではない。自らつくり出すものだ。どんな状況をも勝ち越える力が人間にはある▼プーシキンは詠った。「太陽万歳 闇はかくれよ!」(金子幸彦訳)。闇が深いほど、暁は近いという。苦悩する友の心の闇を破り、希望を届ける存在として、一人一人が輝きたい。(嶺)

寸鉄 2021年1月13日
「学会には信心がある」戸田先生。この大確信が我らの原点。強き祈りで
逆境を経験して絆は固く—孔明。電話等でも真心は伝わる。支え合い前進
創価大学の一般入試出願の締め切り迫る。英才よ来れ!人間教育の殿堂に
110番通報、緊急性なしが2割と。照会・相談等なら「#9110」。使い分け
スマホの見過ぎで若者の目のトラブル増と。健康は宝。生活にメリハリを

☆御書の旭光を 第1回 地球を照らす希望はここに!
<御文>
『「我が滅度の後・後の五百歳の中に閻浮提に広宣流布せん」等云云、仏滅後の多怨は後五百歳に妙法蓮華経の流布せん時と見えて候』(呵責謗法滅罪抄、1130ページ)

<通解>
(法華経薬王品には)「わが滅度の後、後の五百歳のうちに閻浮提に広宣流布するであろう」等と述べられている。(今は)仏滅後で怨嫉が多いので、"後の五百歳に妙法蓮華経が流布する時"であると見える。

<池田先生が贈る指針>
妙法は、末法万年にわたり民衆の苦悩を打開する法理だ。時代の闇が深いほど、太陽の仏法の慈悲と智慧が光る。
地涌の生命という普遍の大地に立ち、差異を超えて尊敬し合い、苦難に挑む地球民族の連帯に、人類の希望がある。
さあ世界広布の誓願を胸に、御書と共に元初の旭光で我らの地球を照らしゆこう!

☆箱根駅伝 創価大学の歴史的快挙の舞台裏——大躍進を支えたサポートメンバーのドラマ
第97回箱根駅伝で初の往路優勝、総合2位に輝いた創価大学。歴史的快挙の舞台裏には、幾つもの苦闘と挑戦のドラマがあった。

鈴木大海選手(4年)は、一昨年、関東学生連合チームとして3区を、昨年は創大で8区を力走し、今大会もチームの主力として活躍が期待されていた。
だが、大会直前の練習中、足にけがを負ってしまう。悩みに悩んだ末、エントリーメンバー発表の数日前、榎木監督に「チームのために自分を外してください」と伝えた。彼の努力を間近で見てきた監督には、その葛藤が痛いほど分かった。
メンバー発表の日、鈴木選手の名前は呼ばれなかった。言い知れぬ悔しさが募ったが、気持ちを切り替え、チームのサポートに徹することを決意した。
そう思えたのは、2度の箱根を経験したことで、サポートメンバーの存在の大きさを誰よりも理解していたからだ。"創大史上最強のサポートメンバーになる"——そう決めた彼は、選手の目線でエントリーメンバーにアドバイスを送り続けた。
大会では1区で福田選手の付き添い役を、7区で原富選手の給水役を担った。共に4年間、切磋琢磨してきた仲間。私生活でも多くの時間を一緒に過ごしたという福田選手は「スタート前、『いつも通り楽しめ』と声を掛けられたことで、気が楽になりました」と振り返る。
「向上心を持つことを学び、周囲のために尽くせる自分に成長できました。この経験を生かし、これからも頑張りたい」と鈴木選手。今後も競技者として陸上を続けていく。

飯嶌友哉選手(4年)にとって、この4年間は苦難の連続だった。
箱根路を走りたいとの一心で創大に入学したが、けがが続き、2年近く、満足に走れなかった。なかなか力が発揮できない中でも、榎木監督は「走ることができれば強い選手だ」と期待をかけてくれた。
昨年の夏合宿では、けがを乗り越え、大きな成長を実感。悲願の箱根路へさらなる練習に励んだ。
しかし、10月にアキレス腱を負傷し、医師から「箱根は諦めなければいけない」と告げられる。目の前が真っ暗になり、悔し涙に暮れた。
そんな中、チームメートや家族が励まし続けてくれ、"最後までサポートメンバーとして、一緒に走り抜こう"と心に誓った。
12月中旬、エントリーメンバーのみで行った直前の合宿。監督たちからの指名で、選外だった4年生のうち、飯嶌選手を含めた数人がサポートとして呼ばれた。「驚きと同時に、一緒に戦えるうれしさでいっぱいになりました」
大会中は、各中継所に選手の荷物などを運び、世話をする「競技者係」を任され、全区間を回った。「自信を持って走るんだ!」との思いを伝え、仲間を鼓舞し続けた。
競技者としては思うような結果が残せなかったものの、諦めずにやり抜いたからこそ、人間力が磨かれたと実感する飯嶌選手。卒業後は民間企業に就職し、新たな道を走りだす。「創大駅伝部で培った不屈の心で、社会でも困難に負けずに進んでいきます!」
「大波乱!!」「下克上」「ビックリ大躍進」「箱根新時代」——各スポーツ紙が驚きをもって報じた今回の"創価旋風"。その原動力はチーム一丸でつないだ"心のタスキリレー"だった。

2021年1月12日火曜日

2021.01.12 わが友に贈る

尊き配達員の皆様の
厳寒の中の奮闘に感謝!
積雪や路面凍結に注意し
無理せず安全第一で!
健康・無事故を祈ります。

如説修行抄 P504
『誰人にても坐せ諸経は無得道堕地獄の根源法華経独り成仏の法なりと音も惜まずよばはり給いて諸宗の人法共に折伏して御覧ぜよ三類の強敵来らん事疑い無し』

【通解】
だれ人であれ、諸経は成仏できない教えであり、人を地獄へ落す根源であり、ただ法華経だけが 成仏の教えである、と声を惜しまず叫んで、諸宗の人々とその邪法を折伏してごらんなさい。 三類の強敵が競い起こってくることは間違いない。

名字の言 「引き算の縁」から「足し算の縁」へ 2021年1月12日
フリーアナウンサーの笠井信輔さんは一昨年の冬、悪性リンパ腫に。昨年6月に完全寛解となるまで、先の見えない不安な心を支えたのが、本年3月で10年となる東日本大震災の取材で得た経験だった▼当初、被災者の多くは"あの人が亡くなった"と失った縁を語っていた。だがある時から"避難所であの人に会えた"と、足し算の縁を語る人が増えていった。氏は「苦境に立たされた時に『引き算の縁』から『足し算の縁』へのスイッチの切り替えをうまくできる人は困難を乗り越えることができる」と感じ、それが闘病の支えになったという(『生きる力』KADOKAWA)▼良き縁は、自身の成長の糧となり、苦境にあっては生きる勇気を呼び覚ます力となる。日蓮大聖人は「三因仏性は有りと雖も善知識の縁に値わざれば悟らず知らず顕れず」(御書574ページ)と仰せだ。私たちの生命に内在する仏性は、「善知識の縁」に触れることで現れる▼善き友と励まし合って進む人生に行き詰まりはない。自らが友の「善縁」となる。病など自分を苦しめる一切を、「善知識」へと変えていく。ここに、仏法者の生き方がある▼広宣流布の運動は、一人一人との縁を強く、深くすること。きょうも工夫して、善縁を広げる挑戦を重ねたい。(銘)

寸鉄 2021年1月12日
大局観を見失ってはならない—牧口先生。広布の為に今できる事を着実に
神奈川・湘南総県の日。立正安国こそ我らの使命希望と正義の哲理を語れ
目標を公言すれば達成しやすく—研究。今日の挑戦を明確に。日々発心を
街の書店が好調、コロナ禍で消費者が回帰と。良書は心の健康保つ"滋養"
商品届かない等、ネット通販のトラブル増。電話相談188も活用し撃退

☆第1回本部幹部会への池田先生のメッセージ
世界広布の久遠の使命を胸に
さあ出発! 「一年で百年分の歴史を」

一、「青年」こそ「希望」の異名です。
いかなる試練の挑戦があろうとも、青年がたくましく応戦し、成長してくれるならば、無限の希望が生まれ広がるからです。
新たな一年、我ら創価の大地には、いやまして凜々しく「青年」即「希望」の価値創造の連帯が躍動しています。
一、日蓮大聖人は、父君・母君のことを偲ばれつつ、法華経神力品の一節を引いておられます。
「太陽と月の光明が諸々の闇を除くことができるように、妙法を受持し弘通する地涌の菩薩は、世間の中で行動して、衆生の闇を滅することができる」(御書903ページ、趣意)と。
民衆仏法の御本仏であられる大聖人は、末法濁悪の闇が最も深い時をあえて選ばれ、「民が子」として「民の家」に誕生されました。
そして泥沼の如き現実社会に飛び込み、全民衆の苦悩を万年先、いな、尽未来際まで照らし晴らす「太陽の仏法」を説き顕してくださったのです。

◇太陽の仏法の大光赫々と 苦悩の民衆を照らせ!
一、この「太陽の仏法」の赫々たる陽光を、二度の世界大戦という前代未聞の大闘諍に喘ぐ20世紀の闇に、黎明の如く決然と放っていかれたのが、牧口先生と戸田先生であります。
創価の師弟は、「十界互具」「一念三千」という、人生観、社会観、生命観、宇宙観まで明かした最極の哲理を掲げて、一人一人の胸奥から元初の希望・勝利の太陽を昇らせていきました。
この人間革命と宿命転換の蘇生のドラマは、今や全地球で「月月・日日に」(同1190ページ)、強く生き生きと繰り広げられているのであります。

◇「地涌の菩薩」の勇気と智慧を
一、今年は、大聖人の御聖誕800年——。
私たちは不思議にも、「今この時」を選んで共に生まれ合わせ、「世界広宣流布」の戦いを起こしております。
久遠からのこの宿縁と使命を自覚するならば、何ものにも負けぬ偉大なる「地涌の菩薩」の勇気と智慧と慈悲が、一人一人に滾々と涌現しないわけがありません。
日蓮仏法は、「世界平和」と「永遠の幸福」という、全人類が力を合わせて目指すべき境涯の最高峰を照らし出し、そこへ至る道筋まで明確に示しております。
「衆生の闇」は、ますます深い。
だからこそ、私たちは「立正安国」「立正安世界」の信念の行動を貫きながら、地域へ社会へ未来へ「太陽の仏法」の大光を、いよいよ、たゆまず明るく温かく、そして普く惜しみなく贈っていこうではありませんか!

◇誓願の国土の安穏を勝ち開け
一、60年前、第3代会長として最初に迎えた元日、私は学会常住の「大法弘通慈折広宣流布大願成就」の御本尊の御前にて、宣言しました。
「力の限り、戦いましょう! 私は、この一年で百年分の歴史をつくります」と。
そして年頭より関西を経由して九州へ入り、さらに東京・関東各地の支部結成を行って、初のアジア訪問へと出発しました。
日本全国を駆け巡り、ヨーロッパを初訪問したのも、この年の秋です。
「一年で百年分の歴史を」と誓った私の先駆の行動は、題目を唱え抜き、心で戸田先生と常に対話しながらの「不二の旅」でした。
御聖訓には、「よき師匠と、よき弟子と、よき法と、この三つが寄り合って祈りを成就し、国土の大難をも払うことができるのである」(同550ページ、趣意)とあります。
「師弟不二」にして「異体同心」なれば、力が湧きます。友が広がります。諸天も動き、勝利の道が開かれます。
あらゆる祈りを成就し、誓願の国土の安穏と繁栄を勝ち開いていくことができるのです。
一、これからの十年は、まさに地球の大難をも払い、「生命尊厳」そして「人間革命」を基軸とした「新たな人類文明」を建設しゆく大事な大事な時であります。
この十年を決しゆく勝負の一年、希望・勝利の「不二の旅」を共々に朗らかに決意し合って、私の年頭のメッセージとします。

2021年1月11日月曜日

2021.01.11 わが友に贈る

◇今週のことば
「冬は必ず春となる」
励ましの陽光を
同志に友人に届けよう!
忍耐の大地には
友情と信頼の花が。
2021年1月11日

佐渡御書 P959
『今謗法の酔さめて見れば酒に酔る者父母を打て悦しが酔さめて後歎しが如し歎けども甲斐なし此罪消がたし、何に況や過去の謗法の心中にそみけんをや』

【通解】
いま、正法誹謗の酔いがさめてみると、あたかも酒に酔った子が父母を打って喜んでいたのが、酒の酔いからさめてその行為を嘆いているようなものである。だが嘆いても意味がない。この謗法の罪は消えがたいのである。まして、久遠の昔から心中深く染まった謗法の罪はなおさらである。

名字の言 漢字文化研究の白川静氏が最も好んだ「遊」の字 2021年1月11日
小学校時代の楽しい思い出に「中休み」がある。授業の合間に設けられた20分の休み時間だ▼チャイムが鳴ると、校庭に勢いよく飛び出した。ドッジボール、サッカー、鬼ごっこ、大縄跳び……よくもあそこまで全力で遊んだものである。休み時間といっても、むしろ体を動かす時間であり、「遊び時間」と呼ぶ方がぴったりだ▼「遊」は、漢字文化研究の大家・白川静氏が最も好んだ一字だった。人間が遊ぶ印象の強い字だが、氏によれば、神の「出遊」に用いられていた字だという。本来動かざるものが動くという、厳かな意義だ。「遊は絶対の自由と、ゆたかな創造の世界である」と(『文字逍遥』平凡社)▼法華経には「遊」の字が数多く見られる。「遊行するに畏れ無きこと師子王の如く」「宝車に乗って四方に遊び」等々。「師子遊戯世菩薩」もいれば、「如来の神通遊戯」も説かれる。そして寿量品には「衆生所遊楽」と。人は、遊び楽しむためにこの世に生まれた。池田先生は言う。「どんな状況にあっても、"楽しみ"をつくっていける——その人こそ、幸福である。そうなるための信仰なのである」▼心は自由。祈りも自在だ。生命力が強ければ、苦難の環境も「遊楽」の舞台となる。価値創造の毎日を楽しく、たくましく!(之)

寸鉄 2021年1月11日
学会員は会長と共に進める事に誇りを持つべき—識者。共戦の道、悔いなく
「成人の日」おめでとう!創立100周年の主役は君。山本伸一の如く歴史開け
危難が優れた魂をつくる—文豪。"あの時があったから"と言える前進を今
テレワークで孤立や不安感じる人が増加と。求められる絆。地道に声掛け
偽報道を信じた—75%。巧妙故に拡散前に情報源認。悪意に加担するな

☆きょう「成人の日」 池田先生がメッセージ
一歩一歩進もう! 世界平和の大理想へ
わが新成人の皆さん、新たな門出、本当におめでとう!
21世紀の夜明けとともに、この地球に躍り出てきた皆さんこそ、人類の試練の闇を照らし晴らしゆく「希望・勝利」の太陽です。
使命が深いゆえに、今、学業や仕事、生活や就職などの苦労も、さぞかし多いことでしょう。
しかし、勝つために生まれてきた「地涌の菩薩」の皆さんです。私は、一人一人に届けと強盛に題目を送り、「断じて負けるな!」とエールを送っております。
日蓮大聖人は、厳然と仰せになられました。
「各各師子王の心を取り出して・いかに人をどすともをづる事なかれ、師子王は百獣にをぢず・師子の子・又かくのごとし」(御書1190ページ)と。
どうか、若くして世界第一の希望と勇気の大哲学を持った皆さんは、「苦楽ともに思い合せて」(同1143ページ)題目を唱え、「師子王の心」を取り出して、どんな苦難にも負けない、価値創造の青春を飾っていってください。
そして、「広宣流布」即「世界平和」という最も偉大な理想を掲げて、良き友と励まし、切磋琢磨し合いながら、「生命尊厳の世紀」を創り開きゆく、誓いの力走を貫いていただきたいのであります。
結びに、今年、生誕満150年を迎える、創価の父・牧口先生の言葉を贈ります。
「地上を踏み占めて、一歩一歩進め」と。
ご家族の皆さま方にも、くれぐれもよろしくお伝えください。
愛する宝の皆さんに——
健康と安穏あれ!
成長と勝利あれ!

☆2030年へ 後継の正義の走者に贈る
Toward 2030 To My Young Successors, the Torchbearers of Justice

◇未来を照らす「希望の太陽」たれ
Be Suns of Hope Illuminating the Future

「希望・勝利の年」の開幕です。
御書には「太陽がひとたび東の空に昇れば、世界の空は全て明るくなる。太陽が大いなる光を備えているからである」(※)と。
時代も社会も不安の闇が深まる今、どんな困難にも負けない希望の光は、どこにあるのか。それは、皆さん自身の生命の中にあります。題目を唱えるたびに、勇気の太陽が皆さんの胸中に赫々と昇りゆくのです。
曇りの日も雪の日も、太陽は自らを燃焼させ、光を放ちます。同じように心が悩みの雲に覆われ、苦難の吹雪に見舞われても、自分らしく、ありのままに輝いていけばよいのです。負けじ魂の太陽は、大変であればあるほど輝きを増して、周囲も明るく温かく照らし晴らせるのです。
さあ、新春の旭日とともに、勢いよく勝利の未来へ出発だ! 「希望は我にあり!」と。
※御書883ページにある一節の現代語訳(趣意)です

☆池田大作先生の2030年へ 希望の王子・王女に贈る
◇伸びゆく喜びと誇りを胸に!
「希望・勝利の年」、おめでとう!
みんなの笑顔こそ「希望」であり、みんなの成長こそが「勝利」です。
地球も、太陽を中心に新しい一年の回転を始めました。みんなも「これをやろう」「こうなりたい」など具体的な目標を決めて、前進していこう!
ぐんぐんと伸びていくことは、楽しく誇らしい。あきらめそうになっても、題目を唱えると、大宇宙を動かす力と同じ力が自分の生命にみなぎり、「必ずできる」と勇気がわいてきます。
「僕は勝った!」「私もできた!」と、希望そして勝利の一年であれ!

2021年1月10日日曜日

2021.01.10 わが友に贈る

"できないこと"より
"できること"を見つけ
前向きに行動しよう!
生命力を湧き出して
日々 勇気の挑戦を!

太田左衛門尉御返事 P1015
『結句は身命よりも此の経を大事と思食す事不思議が中の不思議なり』

【通解】
結局は身命よりもこの法華経を大事と思われるようになったことは不思議が中の不思議である。

名字の言 沖縄で初公開となったモネの「睡蓮」 2021年1月10日
沖縄で開催中の「名画を読み解く——珠玉の東京富士美術館コレクション」展が好評を博している。展示作品のうち、モネの「睡蓮」は沖縄では初公開だ▼モネが印象派の象徴である「睡蓮」の連作に、本格的に着手したのは60歳目前。フランスの自宅で庭の池に浮かぶ花を描き続けた。86歳で世を去るまでに制作した「睡蓮」は300点以上。天候や時間帯によって千変万化する"一瞬の美"を捉えた作品は、どれ一つとして今も色あせない▼官展への入選と落選を繰り返した青春時代、モネは芸術仲間への手紙につづっている。「たいていの人は、だいたいのところで満足してしまっているのではないかと思う。でもね君、僕は闘いたい」「発見に至るには、しつこい観察と省察しかないのだから」(シルヴィ・パタン著『モネ——印象派の誕生』創元社)▼何事であれ"もうこれでいい"と現状に甘んじてしまえば、自身の成長の可能性を狭めてしまう。反対に、何歳になっても挑戦の歩みを止めなければ、生き生きと自分らしく輝いていける▼睡蓮の花言葉の一つは「純粋な心」。日々、自分の使命を見つめ、果たし抜く挑戦を貫く中で、生命を清らかに高めていきたい。「今この瞬間」「今いる場所」を大切に、清新な息吹で進もう。(踊)

寸鉄 2021年1月10日
御書「よからんは不思議わるからんは一定」。覚悟定めた祈りに栄光は必ず
秋田・師弟原点の日。試練の時こそ社会に希望を!誇り高き共戦の魂は赤々
会員に信心して良かったとの喜びを—恩師。幹部はこまやかな激励を更に
自己成長は人生の充実感得る要件—心理学。清新な決意で新しい事に挑戦
雪下ろしの事故に注意。一人では作業せず周囲と協力。命綱の使用忘れず

〈社説〉 2021・1・10 あす「成人の日」
◇失敗も宝に 無限の希望を力に
新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、8日から東京・千葉・埼玉・神奈川に緊急事態宣言が再発令された。例年、「成人の日」(今年は明11日)を中心に成人式が開催されるが、今年は中止を余儀なくされた地域も多い。身近な家族らと祝いつつ、思いを伝え合う機会としたい。
年頭の箱根駅伝での"創価旋風"は記憶に新しいが、"箱根駅伝の生みの親"金栗四三は、今年8月で生誕130年。彼がマラソンで日本初の五輪出場の資格をつかんだのは20歳の時だった。
翌1912年のストックホルム五輪はレース半ばで気を失い倒れた。直後の日記には「雨降って地固まるの日を待つのみ。人笑わば笑え」と悔しさがにじむ。だが金栗はこの時、練習法を立て直すことで日本人も世界と渡り合えることをつかんでいた(佐山和夫著『金栗四三』潮出版社)。
敗北の事実は消せないが、その意味を変えていくことはできる。後に「日本マラソンの父」と称される金栗にとって、この屈辱の経験は成功よりも価値ある"宝"となったに違いない。
今年10月で没後10年となる"IT界の革命児"スティーブ・ジョブズがアップル社を創業したのも、20歳から21歳にかけての頃だ。
彼もまた失敗を財産にした人。自身が大企業に育てたアップル社から30歳で見限られ、失意の底に沈んだのだ。その後、50歳になった彼は、会社を追われたことを「人生最良の出来事」と振り返った。"再び挑戦者となることで身軽になり、最も創造的な時期に入ることができた"と。実際、不遇の時代に手掛けた独創性あふれる仕事は、アップル社復帰後の成功の礎となった。
再起を諦めなかったのは「自分がしてきた仕事を愛していたから」とジョブズ。思えば、金栗が女性のスポーツの裾野を広げるなど、生涯、スポーツの喜びを人々に伝え続けた原動力も、マラソンへの愛、走ることへの愛だったのだろう。
今、夢がある人は失敗を恐れず挑戦してほしい。好きなことを探すさなかの人は、その歩みを止めないことだ。日々を大切に、眼前の一つ一つの課題に真剣に取り組む中で必ず見つかると信じて。
かつて池田先生は、若き後継の友に、未来への夢、そして希望こそが人生の道を開くカギであることを力説した。「『夢こそ力』です。『希望こそ力』です。人間は『絶対に、これだけはやりとげるんだ』と固く固く決意したら、たいていのことはできるものなんです」と。
人は、だれもが希望という宝を持っている。それを無限に引き出すのが信心だ。危機の時代にあっても、新成人の皆さんが、不屈の信心を胸に使命の航路を進みゆくことを念願してやまない。

☆1月度座談会拝読御書 四条金吾殿御返事(梵音声御書)
◇拝読御文
『此の法華経の一字の功徳は釈迦・多宝・十方の諸仏の御功徳を一字におさめ給う、たとへば如意宝珠の如し一珠も百珠も同じき事なり一珠も無量の宝を雨す百珠も又無尽の宝あり』(御書全集1121ページ14行目〜16行目、編年体御書510ページ7行目〜9行目)

[池田先生の指針から] 妙法に行き詰まりはない
(日蓮)大聖人は、「此の法華経の一字の功徳は釈迦・多宝・十方の諸仏の御功徳を一字におさめ給う」と明かされています。
なぜなら釈尊も多宝仏も三世十方の諸仏も、真実の法である法華経を行じて成道したのであり、南無妙法蓮華経の妙法こそ諸仏を成仏させゆく根源の法だからです。
この広大無辺な妙法の功徳を大聖人は「如意宝珠」に譬えられています。如意宝珠とは、無量の宝を意のままに取り出すことができる珠のことです。
この珠は、一珠であっても、百珠であっても、同じく無量・無尽の宝が得られると述べられています。
また別の譬えとして、百草をすって作った薬は、一丸であっても、病気を治せること、さらに大海の一滴であっても、あらゆる川の水を含んでいることを通して、妙法の功徳の大きさを示されています。
この「如意宝珠」について、かつて戸田先生が語ってくださった指導が忘れられません。
それは昭和30年(1955年)7月の杉並支部総会でのことです。
先生はまず、「如意宝珠とは、心のままに宝を出す珠のことをいうのです。家がほしいと思えば家ができ、金がほしいと思えば金ができ、なにひとつとして心のままにならぬものはないという珠を、無上宝珠というのです」と、私たちに分かりやすく教えてくださいました。必要な時に、広宣流布に必要なものは必ず実現します。
そして凜然と語られました。
「御本尊様は、しからば、なにごとを求めても得られるか。はっきりと私は申しあげます。いかなる願いも、かなわないことはないのです」
叶わない願いなど断じてない!——恩師の烈々たる宣言でした。
私たちも、この大確信で心して進んでまいりたい。
妙法を信じ抜き、題目を唱え抜き、果敢に実践し抜いていく限り、絶対に行き詰まりはありません。
信心があれば、私たちの胸中に如意宝珠の御本尊が厳然と輝きわたっているからです。(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第15巻)

◇真剣な唱題で人生を朗らかに
[キーワード1] 衆生を救う仏の声
拝読御文の直前で日蓮大聖人は、釈尊が説いた八万法蔵といわれる膨大な教えは全て真実であり、中でも法華経が最高の経典なので、疑うべきではないと教えられています。
それは、法華経が真実であることを、見宝塔品で多宝如来が証明(保証)を加え、如来神力品で諸仏が舌を梵天に付けて証明しているからであると仰せです。
釈尊、多宝如来、三世十方の諸仏も、真実の法である法華経を行じて成仏しました。
ゆえに拝読御文では、法華経の「一字」には無量の功徳が具わっている、と述べています。
つまり、法華経の肝心である「南無妙法蓮華経」を唱える中に、無量の功徳が納まっているのです。
大聖人は、別の御書で「滅せる梵音声かへって形をあらはして文字と成って衆生を利益するなり」(469ページ)と仰せです。仏が亡くなっても、"衆生を救おう"との慈悲の肉声が、そのまま形となって留められたのが経文の文字です。
「梵音声」とは、仏が具える三十二の勝れた身体的特質の一つで、本抄の拝読範囲後段に、三十二相の中で「第一の相」と示されています。
万人の成仏を願って発せられる「声」こそが梵音声です。「声仏事を為す」(御書708ページ)と説かれるように、声の力で仏の仕事ができるのです。
温かな声、確信の声、生命力あふれる声——友の心を包み、奮い立たせる"励ましの声"を響かせる中で、妙法の功徳は増してゆくのです。

[キーワード2] 御本尊の功徳は絶大
法華経方便品には、「諸仏の智慧は甚深無量なり。其の智慧の門は難解難入なり」(法華経106ページ)とあります。
この仏の難解で深遠な智慧は、日蓮大聖人が覚知された「南無妙法蓮華経」の一法に納まっています。
本抄では、この妙法の功徳の偉大さを、「如意宝珠」に譬えられています。
「如意」——自らの意のままに、自身が願った通りに、「無量(量ることができない)の宝」を取り出すことができる珠です。
偉大な功力のある妙法に巡り合い、題目を唱えられること自体が素晴らしいことなのです。
しかし、宝珠を持っていても、現実に宝を取り出せなければ意味をなしません。
私たちにとって、御本尊の絶大な功力を引き出す要諦は、南無妙法蓮華経の唱題行であり、「強き信心」です。
池田先生は次のように語っています。
「『本当にすごい仏法だ』と感じれば、祈りに感謝が生まれます。『叶わないわけがない』と腹が決まれば、祈りは歓喜に包まれます」
不信や迷い、臆病の心を打ち破る実践こそ、唱題行です。題目に徹した人は、自身の生活の上に仏の生命を自在に発揮し、行き詰まりのない境涯を悠々と開いていくことができます。
真剣な題目を唱え抜き、価値創造の人生を朗らかに歩んでいきましょう。

2021年1月9日土曜日

2021.01.09 わが友に贈る

大切な新成人の友よ!
"これだけは負けない"
といえる一剣を磨こう。
新生の時代を担う
大樹と育ちゆけ!

上野殿御返事 P1544
『今の時法華経を信ずる人あり或は火のごとく信ずる人もあり或は水のごとく信ずる人もあり、聴聞する時はもへたつばかりをもへどもとをざかりぬればすつる心あり、水のごとくと申すはいつもたいせず信ずるなり』

【通解】
今の時代に、法華経を信ずる人がいる。あるいは火の燃えるように信ずる人もあり、あるいは水が流れるように信ずる人もいる。教えを聴いた時は燃え立つばかりに思うが、遠ざかると、信心を捨てる心が起きてしまう。水のように信ずるとは、常に後退することなく信ずることをいう。

名字の言 「30年」——「世」の字義から考える 2021年1月9日
「世」という文字は、「30年」という時の長さや流れを指す意味も持つ。漢字の成り立ちが「十」を三つ並べた「丗」から来ていることからも理解できる▼「一世代」といった場合も約30年を意味する。"一世一代"で終わってしまう事業に永続性はない。偉業は、発展の節を刻みながら、世代から次の世代へ受け継がれてこそ、深遠な価値が広がっていくもの▼広布史も同様である。1930年、学会が誕生。その30年後、池田先生が第3代会長に就任し、恩師の遺志を継いで広布の構想を次々と実現していく。さらに30年後の創立60周年を勝ち開いた際、先生は語った。「1960年以来、約30年で、大聖人の御遺命である世界広宣流布の基盤をつくることができた」と。そして次代の広布を青年に託した▼第2次宗門事件が勃発したのも同時期だった。しかし、創価の同志は師と共に前進し、創立90周年を荘厳。そして今、新たな30年が開幕した。出発を期す今月の本部幹部会を「第1回」とする意義は大きい▼論語に「王者があるとするならば、きっと30年にしてあまねく人の道を守る社会となるであろう」とある。混沌とし、社会の確かな未来が見えない現代。真の人間主義の世界を築く"王者"の出現を、時代は渇望している。(城)

寸鉄 2021年1月9日
「結句は勝負を決せざらん」御書。困難に挑みゆく時こそ誓願の祈りで前へ
東京・目黒師弟正義の日。一人への励ましが壁破る力。真心の声掛け今日も
改めて感染予防、再確認。マスクの着用・3密回避・手洗い・換気。皆で実践
空気が乾燥、火災に呉々も注意。百千万億倍の用心で火の元確認がっちり
各地で大雪。無冠の友よ断じて無事故最優先で。いつも本当にありがとう

☆方面長会議での原田会長の指導 2021年1月7日
◇「立正安国」へ強き信心で出発 励まし拡大へ自ら波を起こそう
一、「希望・勝利の年」の開幕に当たり、創価大学駅伝部が箱根駅伝で見事、往路優勝、そして総合2位という快挙を成し遂げました。大変におめでとうございます!
私たちも創大生の力走に負けず、勇躍の出発を切っていきたいと思います。

一、昨年末の財務につきましては、皆さまの強き祈りと、温かな、また、こまやかな励ましにより、一切無事故で終了することができました。本当にありがとうございました。
コロナ禍にあって、厳しい経済状況が続く中、多くの同志が「創立90周年を飾り、池田先生の会長就任60周年の佳節をお祝いしたい」との気持ちで取り組んでくださいました。
改めて厚く御礼を申し上げます。
仏意仏勅の創価学会を守り、世界広布を支える広布部員の皆さまに福徳は無量です。まして、大変な経済状況の中、宿命転換を懸けて取り組んでくださった赤誠が、大きな功徳となって花開くことは間違いありません。
今後、受領証の配布も行われます。真心を込めて、丁寧にお渡ししていきたいと思います。

◇感染防止の再徹底を
一、創価大学駅伝部の快走に沸いた新年でありましたが、一方で、新型コロナウイルスの感染拡大が止まらない中で迎えた新年でもありました。年末年始の休みも返上し、国民の命を守る聖業に当たってくださっている医療従事者の皆さま、エッセンシャルワーカー(社会の維持に不可欠な仕事の従事者)の皆さまに、心からの御礼と感謝を申し上げます。
昨年末の青年部と医学者による会議でも、「医療現場を守るためにも、私たちにできることは、こうした医療従事者の置かれた状況を想像しながら、基本的な感染防止対策に努めること」と語り合われました。
私たちは改めて「マスクの着用」「身体的距離の確保」「手洗いの励行」「小まめな換気」、さらには「皆で集っての勤行・唱題はしない、学会歌は歌わない」「訪問・激励の際に飲食しない」などを確認・徹底したい。
その上で、首都圏の1都3県には7日にも緊急事態宣言の発令が決定される、と報道されています。宣言に伴う活動様式については該当の方面・県の皆さまと協議し、よく連携を取りながら進めていきたい。それ以外の方面・県については、感染防止に十分注意を払いながら、これまで通り諸活動を進めていきます。
信心の眼で見れば、日蓮大聖人は大疫病をはじめ大地震・大飢饉と、社会を覆う惨状に心を痛められ、「立正安国論」を御執筆されました。そしてコロナ禍にあって池田先生は、私たちの目指すべき指標を「立正安世界」と呼び掛けられ、昨年末の各部代表者会議でも、戸田先生の"全人類を幸福にしていかなくてはならない。そのために命をなげうとうと思うと、力が出る。元気になる。怖いものなど、何もなくなるんだよ"との言葉を紹介され、「これが、我ら創価の師弟の魂である」と教えてくださいました。
創立100周年へ人類の宿命転換を成し遂げる「勝負の10年」、その初陣となる本年です。私たちは、困難に立ち向かう今だからこそ、「結句は勝負を決せざらん外は此の災難止み難かるべし」(御書998ページ)の御金言を生命に刻み、「立正安国」「立正安世界」へ、強き信心で断じて広布を進めてまいりたい。この決意で、一年の出発を切っていきたいと思います。

◇衆望に応える党たれ
一、感染が拡大する中、政治家の言動が耳目を集めています。本年は衆院選・都議選が行われる年でもあり、今年一年を展望する新聞各紙の元日号の社説にも「政治の信頼」「民主政治の再生」が論じられていました。
危機に直面する激動の時代だからこそ、政治の役割は、ますます大きくなっている。その中で、連立与党の要である公明党の使命も、より重要になっています。公明新聞の元日号で山口代表と対談した一橋大学の中北浩爾教授も、次のように話していました。
「(政治指導者は)国民感情に寄り添い、勇気と安心感を広げる言葉を発することが大切です。同時に、地域の感染状況の実情を知る自治体の首長とも足並みをそろえなければなりません。国、地方の両方で与党の立場にいる公明党の役割は大きいと思います」
「政権に公明党がいるからこそ、政策的な広がりが生まれます」「公明党は『公助』があれば頑張れる人を大事にします。その姿勢は『大衆とともに』という結党以来の理念に根差していると感じます」
今や識者も高く評価する公明党の立党精神ですが、小説『新・人間革命』第9巻「衆望」の章には、公明党の結党、また議会改革に奮闘する都議会公明党の模様が描かれています。
明確なる「指導理念をもつ政党」。政治改革のための「清潔な政党」。そして「大衆の味方となり、仏法の慈悲の精神を政治に反映させゆく政党が、今こそ躍り出るべきであろう。それが衆望ではないか——山本伸一は、こう結論したのである。彼は、日本の政治の現状を検証していくなかで、公明党の結成の意志を固め、あえて嵐に向かって、船出しようとしていた」とつづられています。
公明党の議員には、この原点に立ち返って、政治の信頼を勝ち取り、民主政治を再生すべく、衆望に応える活躍を見せてもらいたい。そして私たちも、小説『新・人間革命』を通して、党の創立者である池田先生の思いを学び、立正安国への決意を固めてまいりたい。

◇師弟の覚悟を胸に
一、今後も感染防止に注意しながらの活動になりますが、本年一年間の活動基調として、学会活動の根本、そして今年の勝利を開く根本は、「一対一の励まし」にあることを改めて確認したい。
池田先生はかつて、「一対一で語り合ってこそ、本当のことが分かる。一対一の触発があってこそ、一人一人の持つ『大きな力』を引き出していくことができる」「友の励ましのために、一軒一軒、足を運ぶ。その地道な労苦によって起こした『一波』が、『万波』に広がっていくのだ」と指導してくださいました。
あの二月闘争も、そして本年65周年を迎える「大阪の戦い」も、若き先生は徹底して一人の同志のために動き、一対一の対話を重ねて、広布の歴史を開かれました。
翻って今、コロナ禍だからこそ、一人一人の状況をよく知ることが重要です。そして、皆が力を発揮できなければ、勝利は見えてこない。そのための要諦は、リーダーがどれだけ一人一人のもとに足を運び、一人一人を励ませるのか。これに尽きます。たとえ緊急事態宣言下であっても、電話やオンライン等で励ますことができる。
全ての地区で、担当幹部も含めて「誰が誰を励ますか」を明確にして、自らの激励の一波から万波へと波動を起こしてまいりたい。

一、本年の4月20日で、聖教新聞は創刊70周年の佳節を迎えます。コロナ禍の中でも聖教新聞の紙面充実は目覚ましく、反響の声も数多く届いています。
創刊記念日を目指し、聖教新聞の拡大に各方面・県で工夫しての取り組みを、よろしくお願いします。

一、1月号の「大白蓮華」巻頭言には、1951年(昭和26年)の1月6日、戸田先生が事業の最大の窮地にあって、「私の、この世に生まれた使命は、また君の使命なんだよ」「強く、強く、一緒に前へ進むのだ!」と、池田先生に一切の後事を託されたことをつづってくださいました。
70年前のきょう(6日)、若き日の池田先生が、深き師弟の覚悟を決めて、全てを打開されたように、私たちも師弟の誓いを新たにして出発してまいりたい。
さあ、「希望」を胸に、「勝利」に向けて、池田先生と共に「強く、強く、前へ進むのだ」——この決意で、勇んで出発しようではありませんか!

2021年1月8日金曜日

2021.01.08 わが友に贈る

試練の時にこそ
飛躍の因がつくられる。
感染防止に留意しながら
智慧と工夫で前進を!
"誓願の炎"を絶やさず。

撰時抄 P265
『教主釈尊記して云く末代悪世に法華経を弘通するものを悪口罵詈等せん人は我を一劫が間あだせん者の罪にも百千万億倍すぎたるべしととかせ給へり』

【通解】
教主釈尊が記して言うには、「末法の悪世に法華経を弘通する人を悪口罵詈等する者は、仏を一劫という長い間、あだむ者の罪よりも、百千万億倍以上の罪を得る」と、説いておられるのである。

名字の言 人生の新記録に向かって 2021年1月8日
"幻の沖縄初オリンピアン"と称された陸上円盤投げの宮城栄仁氏。1939年から日本記録を3度更新し、五輪日本代表入りを目前にしたが、戦渦にのまれ出場はついえた▼兵役を終えて帰郷し、沖縄戦の惨状を知った氏は"スポーツで故郷の復興を"と第二の人生を歩む。64年の東京五輪で投てき審判員を務め、米国統治下で沖縄陸上競技協会を設立。同協会の会長としても活躍した▼70歳の時には、同年代の円盤投げ日本新記録を樹立した。戦争に翻弄され、陰に徹した人生にあって、夢を失わず、新たな挑戦を続けた。その氏が後進に強調したこと——それは、成功への道を進むために、自己の秘められた可能性を開花させる努力を惜しまないということである▼人間の生命には、無限の可能性がある。その力を引き出すのは、努力に次ぐ努力だ。諦めや臆病など、自分の「弱い心」という「一丈のほり」(御書912ページ)を越え、挑戦を積み重ねていくことが、「十丈・二十丈のほり」(同ページ)という大きな課題を克服していくことにつながる▼コロナ禍の中、日常生活は大きな変化を強いられている。大変だからこそ、日々、足元を固め、今できることに全力を注ぎたい。その粘り強い前進から、人生の新記録は生まれる。(首)

寸鉄 2021年1月8日
学会は最極の和楽の世界—戸田先生。万人を包む創価家族の励まし今こそ
大阪・堺の日。常勝の電源地は不滅!嵐が吹くほど祈り深く。生命力満々と
希望の王国には冬はない—箴言。勝利へ走る我らの胸中に無限の勇気あり
良質な睡眠・食事で免疫機能が向上。負けない体づくりへ生活リズム整え
数年に一度の寒波到来。吹雪や凍結路、落雪等に注意。安全最優先、心して

〈社説〉2021・1・8 コロナ禍と戦う世界の創価の友
◇試練の時代に輝く希望の連帯
「池田先生は、『不安や恐怖は伝染するが、勇気もまた、伝播する』と言われています。ならば僕たちは、『勇気』を広げる一人一人でありたい」
コロナ禍の中で、多くの友に励ましを送るアメリカの男子部員が語っていた。
全世界の新型コロナウイルス感染者数は8600万人、死者数は185万人を超えた。とりわけアメリカや欧州など、寒さが厳しさを増す北半球の国々で感染拡大が著しい。日本ではこのたび、東京、埼玉、千葉、神奈川の1都3県を対象に緊急事態宣言が再発令された。
経済状況の悪化に伴って生活に困窮する人々も増加しており、貧富の差の拡大も懸念されている。ウイルスへの対策を巡って、政治的な対立や分断が起きている国もある。
不安と困難が増す社会にあって、創価の友は世界のあらゆる地域で、仏法の哲理を根本に「勇気」と「希望」を広げてきた。厳しいロックダウン(都市封鎖)の中でも、オンラインでの座談会や御書学習会等を活発に開催。電話や手紙による励ましにも力を注いできた。
教育機関の閉鎖が長引いたアルゼンチンでは毎月1回、未来部の集いをオンラインで開催。ある支部では月を追うごとに参加者が増え、未入会家族や友人も参加。子どもたちからは「また参加したい!」との声が相次いでいるという。
コロナ禍と戦う各国のメンバーを取材する中で感じるのは、危機の時代だからこそ人々に生きる力を送り、新たな価値を創造していくのだとの強い決意である。立正安国論など御書の一節に触れつつ、"今こそ、より良き社会の建設に立ち上がる時です"と語る友が多くいた。
各国が相互依存を強めたグローバリゼーションの時代だからこそ、コロナが世界にもたらした被害は甚大なものとなった。人類全体が共通の困難に直面する中で、世界宗教である創価学会が果たすべき役割と使命は大きい。
東京大学の市川裕名誉教授は、次のように期待を述べていた。
「今回のコロナ禍に象徴されるように、これからの10年は、先行きが見えない『試練の10年』といえます。人類文明は、今後もさまざまな困難に直面することが予想されます。
その中にあって、創価学会の存在は、世界にとって大きな希望になると確信します。国や民族を超え、宗教的紐帯でつながったネットワークは、社会の分断や対立といった難局に歯止めをかける存在になるでしょう」
時代の闇が深いほど、創価の人間主義の連帯は輝きを増す。世界の友と共に、わが地域で希望の光を広げていきたい。

☆世界の新年勤行会への池田先生のメッセージ
◇仲良く朗らかなスクラムで前進 人々を希望と勇気の光で照らせ
「希望・勝利の年」の開幕、誠におめでとうございます!
創価学会創立100周年の2030年へ、全世界の地涌の同志が共々に、心に元初の太陽を昇らせ、清新にして不屈の息吹で出発することができました。
日蓮大聖人は、大難の連続の中で「うれしきかな末法流布に生れあへる我等」(御書1439ページ)と仰せです。
この御本仏のお心に連なり、創価の宝友は仏法史に燦然と輝く世界広布を実現してきました。打ち続くコロナ禍の試練にも勇んで挑み立ち、人々を希望と勇気の光で照らし続けています。
苦難の時こそ、「師子王の心」を取り出し、最大に「生命の底力」を発揮し、「異体同心の団結」で勝ち越えていく。これこそ、日蓮仏法の真髄であり、創価の師弟の誇りです。
大聖人は厳然と示されました。「所有一切衆生の備うる所の仏性を妙法蓮華経とは名くるなり」(同498ページ)と。
広宣流布とは、自他共の仏性を呼び覚ます運動であり、人類を仏と同じ境涯に高めゆくための、間断なき、そして壮大な戦いです。
とりわけ、これからの10年は、末法万年尽未来際へ大河の流れを安定、恒久化させていく勝負の時であります。その出発となる重要な本年を、いよいよ仲良く、朗らかにスクラムを組んで前進し、一つ一つの課題に勝利していきたいと思うのであります。
一人一人が、後継の青年部・未来部を温かく、大らかに育みながら、共に青年の心で若々しく、福運に満ちて「心の財」を積んで「人間革命」の勝利の実証をいやまして打ち立てていきましょう!
そして、家庭を、地域を、職場を、社会を、妙法の大光で照らしながら「立正安国」「立正安世界」の希望、そして勝利の連帯を幾重にも広げていこうではありませんか!
私と妻も、より一層、皆さん方とご家族の健康、長寿、幸福、安穏を祈り抜いてまいります。どうか、お元気で!