逆境は人間革命の好機!
乗り越えられない
苦難は絶対にない。
この強き信心の一念で
今を真剣に生き抜こう!
十字御書 P1492
『今日本国の法華経をかたきとしてわざわいを千里の外よりまねきよせぬ、此れをもつてをもうに今又法華経を信ずる人はさいわいを万里の外よりあつむべし』
【通解】
今、日本の国は法華経を敵として、禍を千里の外から招き寄せています。このことから考えてみると、今また、法華経を信ずる人は幸いを万里の外から集めることでしょう。
名字の言 会合と個人指導の比率はどう変わる? 2020年2月25日
訪問・激励をすると、必ず新しい発見がある。信仰体験、発心動機、師との原点、同志との思い出等、こちらが学ぶことばかりだ。共通の趣味や、思いがけない特技などが分かり、心の距離が縮まることもある▼そもそも一人一人の本当の「悩み」は、懇談の中でしか出てこないもの。大勢で集まった時の元気な様子しか知らずにいたことに、反省することも少なくない。やはり時間を取って、話を聞いてみなければ分からない▼さらに「励まし」で大切なのは、気の利いた言葉だけではなく、相手を思う真心と、信心への確信を伝えることだろう。じっくりと語り合うこと自体に、大きな意義がある▼池田先生は語っている。「一対一の『草の根の語らい』——それは まことに地味である。しかし『人と人のつながり』をつくっている」「一人ひとりの思いを包み込み、同苦しながら、きめ細かに激励していくことである。これを私は、ただひたすら実行してきた。そして勝った」と▼会合と個人指導の比率が「2対8」となるよう心掛ければ、着実に人材が育ち、自身も大きく成長していく。今は、さらに踏み込んで「0対10」で訪問・激励に取り組める好機。相手の状況に配慮しつつ、希望あふれる声掛けをいや増して進めていこう。(道)
寸鉄 2020年2月25日
妙法の生活とは変毒為薬—牧口先生。題目の師子吼で智慧発揮し一歩前進
賢者とは人生の使命を知る者の謂—文豪。広布に生きる日々こそ最高の宝
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昨年の世界の軍事費、過去10年で伸び率最大と。不信の時代を断じて転換
70歳超えても働きたい—60代の半数以上。公明よ豊かな経験生かす社会を
☆地域を歩く 和歌山・みなべ町 一足早く春が訪れる町 2020年2月20日
◇日本一の梅の里
春告草——厳冬を越え、百花に先駆けて開花する「梅」は、古来、そう呼ばれてきた。毎年2月になると、満開の梅が山あいを真っ白に染め上げ、いち早く春の到来を告げる町がある。
梅の生産量日本一を誇る和歌山・みなべ町だ。代表品種「南高梅」の発祥の地としても有名。町内で梅農家を営む竹田和久さん(支部書記長)・圭子さん(支部婦人部長)夫妻が胸を張る。「南高梅の梅干しは果肉が大きく、皮が薄くて柔らかいのが特長です。日本中の人に食べてほしい」
2月中旬には、日本最大級の梅林「南部梅林」が見頃を迎え、観光客でにぎわう。今でこそ、園内や駐車場が整備され、多くの人が楽しめるようになったが、かつては花見客が無断で農地に入ったり、梅の枝を折ったりすることもあった。
そこで立ち上がったのが、和久さんの父・郁夫さん(故人)だった。梅農家の郁夫さんは"梅の木を守り、観光資源として活用しよう"と、地域住民と共に「梅の里観梅協会」を発足。初代会長に就いた。
行政と連携しながら周辺一帯を整備し、観光地に。開花時には、3万人の人出が見込まれるまでになった。
一方、和久さんは郁夫さんの後を継ぎ、梅の品質向上へ研究を重ねた。15年前からは有機肥料のみを使用し、農薬を5割以上削減した「減農薬栽培」に挑戦。"おいしくて安心できる農産物"として、県の「特別栽培農産物」に認定された。この認定を受けているのは、1000軒以上ある梅農家のうち、10軒程度だという。
竹田和久さんは仕事の傍ら、町内の消防団長として、300人の団員をまとめる。冬場には夜間パトロールを行い、地域の安全を支えてきた。みなべ町を含む日高郡内の美浜・日高・日高川・由良・印南の全6町からなる日高広域消防協議会の会長としても活躍する。
竹田さん夫妻は「学会員の誇りを胸に、地域の無事故を祈りつつ、人に尽くす人生を歩んでいきたい」と口をそろえる。
◇町の魅力をPR
白炭の最高傑作といわれる「紀州備長炭」。みなべ町は、日本有数の紀州備長炭の生産地でもある。また、町内にある千里の浜は、アカウミガメの産卵地として本州最大規模を誇る。
こうした町の魅力を発信してきたのが、細川真由さん(女子部部長)だ。2014年から3年間、町の観光協会の「みなべウェルカムクルー」として活動。南高梅をはじめ、名所や名物などを県内外へPRしてきた。
「みなべ町には海も山もあり、自然豊かな町。クルーとなり、町の素晴らしさを再認識することができました」
現在、JAの窓口業務に従事しながら、梅商品の販売促進も行っている。
誠実第一で仕事に取り組む細川さん。その手本は、白蓮グループの先輩の姿だった。本部幹部会の中継行事の任務に就いた時のこと。雨の日、来館者が使えるように、先輩はタオルを用意。さらに、濡れた杖を拭いてあげるなど、こまやかな心遣いに胸を打たれた。
自分も先輩のようになりたいと懸命に祈りながら、仕事と学会活動に励んだ。その努力が花開き、16年8月、窓口業務サービスの向上のために行われた県コンクールで、最優秀賞に輝いた。「これからも信心根本に真心の接客を心掛けていきます」
◇青年の力で地域を活性化
みなべ町で、毎年の恒例行事となっている「UME—1 フェスタ」。今月9日、町内で盛大に開催され、多くの人が訪れた。
このフェスタの一大イベントが、梅の種を飛ばして距離を競う「やにこい種とばし」である。今年は、昨年を上回る延べ1400人が参加した。
同イベントの実行委員長を務めたのが、男子部大学校2期生の楠谷和弘さん。「『やにこい』は和歌山の方言で『ものすごい』という意味です。南高梅のおいしさを知ってもらうとともに、少しでも地域の活性化につながればうれしい」
仕事では、祖父の代から続く運送会社の専務取締役。そのリーダーシップを買われ、みなべ町商工会青年部の部長に。また、日高郡商工会青年部連合会の会長の重責も担う。「商工会には、梅加工会社や建設会社、電器店など、さまざまな業種のメンバーがいます。皆で一つのイベントをつくり上げる中で絆が強くなっています」
4児の父として子育てにも奮闘。楠谷さんは「愛する故郷の魅力を、子どもたちにも伝えたい」と声を弾ませる。
◇町内一のウスイエンドウ畑
日本有数の「ウスイエンドウ」の生産地としても知られる、みなべ町。「2月は、梅の花も、エンドウマメの白い花も満開になるので、町中が花の香りに包まれます」
そう語るのは、町内でウスイエンドウ栽培を営む熊代学さん(壮年部員)・惠美さん(地区婦人部長)夫妻だ。40年以上、梅栽培中心だったが、20年ほど前から徐々にウスイエンドウ栽培に移行していった。
くぼ地を埋め立てて、平地にするまでに約10年。さらに畑作りにも時間がかかり、2、3年は、ほとんど思うような収穫ができなかった。土の温度や肥料の調合など、試行錯誤を重ねた結果、収穫量は増加。作付面積は町内一の7000平方メートルを誇り、約13トンのマメを出荷する。
「でも、私たち夫婦だけで、成功したわけじゃないんです」と学さん。近隣の農家が肥料の作り方や病気の対処法など、さまざまなことを教えてくれた。
強風が吹き、茎を支える杭がなぎ倒された時も、近隣の人たちが復旧を手伝ってくれた。惠美さんは「自分たちの畑の収穫もあって忙しいのに、力を貸してくれて……。本当にありがたかった」と述懐する。
感謝の思いを胸に、どんな時も前向きに生きる二人の姿に触れ、一昨年、親戚と息子の妻が入会。熊代さん夫妻は地域に恩返しをしようと心に期し、励ましの輪を広げる。
◇支え合う心で新たな価値を
みなべ町の沖合に静かに浮かぶ鹿島。「『みなべ』という地名は、一説によれば、鹿島が三つの鍋を伏せたように見える『三鍋』が由来とされているんです。鹿島は、町のシンボルとして親しまれています」
教えてくれたのは、社会福祉協議会で常務理事を務める川口富士夫さん(支部長)。10年ほど前から、ボランティアでアルコール依存症に悩む人の支援を行ってきた。「話を聞くと、多くの方は孤独を感じていました。だから、まずは自分が友人になろうと思ったんです」
「はあとカフェ」と銘打ち、保健師やケースワーカーなどの講師を招き、喫茶店で懇談会を実施。また依存症で悩む人と共に、折あるごとに、たこ焼きや焼き鳥などの露店を出店。「利用者さんたちの表情が明るくなってきたことがうれしい」と笑みを浮かべる。
町のためになればと、社会福祉士や介護福祉士のほか、調理師免許や大型バスの運転免許など、これまで数々の資格を取得してきた。「最初は人助けのつもりでしたが、振り返れば、皆さんのおかげで自分の可能性を大きく開くことができました。感謝の心を忘れず、悩みを抱える方に寄り添っていきたい」
◇好評の「歌う紙芝居」
同町では、多くの学会員が地域に尽くす。その一人が久保三千代さん(地区婦人部長)である。高校卒業後、保育士に。12年間、勤めた後、結婚を機に退職。みなべ町に転居し、3人の子宝に恵まれた。
3年前、知人に頼まれ、小学校で絵本の読み聞かせボランティアを開始。その時、親しくなったのが芦硲宏仁さんだった。久保さんの夫の友人でもあり、意気投合。ピアノ教室を開いていた芦硲さんの発案で、デュオ「ひろみっちょ」を結成した。
芦硲さんの作詞・作曲した歌をもとに、久保さんが紙芝居を制作。それを歌いながら披露している。「保育士時代によくイラストを描いたことが今、生きています」。これまで「うめぼしおにぎりのうた」「ぼくは びんちょうたん」など、町の魅力を伝える作品を作り、保育所や幼稚園、介護施設などで披露。今月は、南部梅林の特設ステージで野外コンサートも行った。
芦硲さんは、久保さんについて「家族思いで、とても優しい人。まるで自分の家族のように信頼しています」と話す。
子育て、学会活動、ボランティアと充実した毎日を送る久保さん。「地域の皆さんと協力して、未来を担う子どもたちを育んでいきたい」
◇愛する郷土に希望の春を
みなべ町の町民憲章の一つに「交流の輪を広げ 互いに支えあうまちをつくります」とある。
小谷芳正町長は語る。「南高梅は自家受粉ができません。そのため、他種の梅を近くに植え、その花粉で受粉させているのです。人間も梅と同じ。皆それぞれ考えや生き方も違いますが、隣近所が支え合うことで地域が栄えます。町内に住む学会員の皆さんも誠実で明るく、なくてはならない人たちです。皆さんと手を取り合いながら、町民の健康と幸せのために、力を尽くしてまいります」
◇
かつて、池田先生はつづった。「たとえ今、試練の冬にあろうとも、心は閉じこもりはしない。一歩、北風に踏み出す勇気に、戦う力、負けない力が湧き上がる。その心には、もう勝利の春が始まっているのだ。『冬の中に春を生む』梅花のように」
みなべの同志もまた、梅花のように、愛する郷土に"希望の春"を爛漫と広げゆく。