2020年2月15日土曜日

2020.02.15 わが友に贈る

令和の「二月闘争」も
いよいよ後半戦。
自ら定めた誓いを胸に
「強盛の大信力を致して」
悔いなき一日一日を!

顕仏未来記 P507
『爾りと雖も仏の滅後に於て四味三教等の邪執を捨て実大乗の法華経に帰せば諸天善神並びに地涌千界等の菩薩法華の行者を守護せん』

【通解】
しかしながら、如来滅後五五百歳において、四味・三教への邪な執心を捨てて実大乗教である法華経に帰依するならば、諸天善神ならびに地湧千界等の菩薩が必ず法華経の行者を守護するであろう。

名字の言 名将・野村克也氏の指導者論とは 2020年2月15日
名捕手として一時代を築き、監督としてもヤクルトスワローズを3度の日本一に導いた名将・野村克也氏。先日、84歳で亡くなった▼こうした実績もさることながら、氏が未来へ残した最大のものは「人材」であろう。教え子たちは今、球界を代表する指導者に。訃報に接した彼らが「野球のイロハを教えてもらった」と口々に感謝を語る姿が印象的だった▼野村氏が指導者として心掛けていたのは「つねに自分がレベルアップしていくこと」。「組織はリーダーの器以上には大きくならない」との信念で"この指導方法でいいのか"と自身に問い続けた。氏がこだわった「考える野球」は、選手に触発を与え、彼らの可能性を次々と開花させた(『野村再生工場』KADOKAWA)。氏の哲学は、教え子たちの手でさらに輝いていくに違いない▼人材育成で問われるのは、常に"育てる側"の姿勢であろう。相手の可能性を引き出すためには、"自身を磨き続ける"以外にない。自分の生命が澄んだ"鏡"のようになれば、必ず相手の長所も見えてくる▼その"鏡"を磨く確かな実践が信心といえよう。広宣流布の運動も、未来へ限りない人材の流れを創る絶えざる挑戦である。自分が成長した分だけ、広布のフィールドは広がっていく。(差)

寸鉄 2020年2月15日
難に負けない信心が永遠の幸福の城を築く—戸田先生。逆境こそ成長の時
「当に仏を敬うが如く」が最上第一の相伝。皆に使命。幹部は心して走れ
正義を守ること、これが人の務め—文豪。若師子よ破邪顕正の闘魂燃やせ
高齢者運転の死亡事故、最多要因は「操作の誤り」と。絶対に無事故第一で
四国で春一番。季節の変わり目は体調管理賢く。リズム正しい生活が根本

☆心に御書を 第20回 病は永遠の幸福への転機
〈御文〉
『日蓮此の業障をけしはてて未来は霊山浄土にまいるべしと・おもへば種種の大難・雨のごとくふり雲のごとくに・わき候へども法華経の御故なれば苦をも苦ともおもはず』(四条金吾殿御書、1112ページ)

〈通解〉
日蓮は、この業障(餓鬼道に堕ちる悪業)を消し果てて、未来は霊山浄土へ行くことができると思っているから、種々の大難が雨のように降り、雲のようにわいても、法華経のゆえであるので、苦をも苦とは思わない。

〈池田先生が贈る指針〉
御本仏は、度重なる大難も悠然と勝ち越える姿を示してくださった。
妙法には、重き宿業を軽く受けて消滅させる大功力がある。病も、自身と家族が永遠に幸福になるための転機なのだ。一番大変な時に、一番大きく境涯を変えられる。
広布誓願の題目の師子吼で、断固と変毒為薬し、偉大な使命の勝利劇に転じゆくのだ!

☆対話のツボ 【問い】偏った考えに陥りたくない 2020年2月11日
新連載「対話のツボ」では、日蓮仏法を語るうえで、信仰の大切さをより深めていくポイントを取り上げていきます。

【問い】偏った考えに陥りたくない
宗教に抵抗があるという人から、こんな言葉を聞いたことがあります。
"宗教を信じることで本来の自分を失い、自由が束縛されるなど、望まない自身に変わってしまうのではないか不安だ"と。
また宗教に対して、"信者を狂信的にさせ、家庭や社会からも隔絶してしまう"といった偏頗なイメージを抱いている人も少なくありません。
しかし、日蓮大聖人の仏法は、各人の生き方や自由を束縛するものではありません。
私たち創価学会員は、どこまでも自発性の発露で信仰に励み、それぞれの課題に挑戦しています。また、信仰で磨いた人間性を発揮し、豊かな人間関係を育む場として、家庭や社会を大切にしています。
こうした信仰の実践を通して、本来の自分らしさが存分に生かされる智慧が湧き、思ってもみなかった充実した人生を歩んでいけるのです。
信仰の歓喜と宗教的使命感の自覚のもと、互いの個性や違いを尊重することで、多様な会員同士の団結も生まれます。仏法を学んだり、他者の信仰体験を聞いたりすることで、「考えが偏る」どころか、視野が広がり、幸福の土台を築く必要性を実感するでしょう。
その豊かな幸福の土台こそ日蓮大聖人の仏法です。よって、この仏法を持つことを安易に「偏った考えに陥る」と評するのは、「どの宗教も同じ」という宗教観をうのみにしているにすぎません。
現代に生きる、本当に勝れた宗教にこそ目を開いてほしいと念願します。