「いつも・たいせず
信ずるなり」御聖訓。
地道な実践を貫く人が
最後は必ず勝つ。
弛みなき前進の日々を!
立正安国論 P26
『蒼蠅驥尾に附して万里を渡り碧蘿松頭に懸りて千尋を延ぶ』
【通解】
小さな青バエも駿馬の尾につかまって万里を行くことができ、葛は大きな松の木にかかって千尋に伸に伸びることができる。
名字の言 小よく大を制す——炎鵬の心意気 2020年2月7日
武道の世界では「小よく大を制す」という言葉が使われる。人気力士・炎鵬は、その代名詞であろう▼幕内力士の平均体重が160キロを超える中、最軽量の99キロの体から繰り出す多彩な技で相手を翻弄する。初場所では4場所連続の勝ち越しを決めた▼大学時代に世界相撲選手権・軽量級で2連覇。だが"自分の体格でプロは無理"と思い、一般就職するつもりだった。そんな彼の素質に注目していたのが横綱・白鵬である。角界入りした炎鵬は、"相撲人生を完全燃焼する"と決め、入門直後から横綱との、ぶつかり稽古を懇願。"横綱に向かっていけば強くなれる"と、何百回、何千回、倒されても挑み続けた。こうして磨き上げた"強さ"が今、土俵の上で発揮されている▼あえて厳しい環境に飛び込み、自らを磨く。この精神は我らの実践にも通じる。御書に「法華経の行者」を「求羅」という伝説上の虫に譬えた箇所が。「求羅」の身は極めて小さいが、風を受けると、それを食べて非常に大きくなる。この「求羅」を倍増させる風とは"大難"であると、日蓮大聖人は示されている▼大いなる目標に挑むことが、大いなる自分への一歩となる。困難の壁にも、思い切ってぶつかる心の強さから、不可能を可能にする勝利が開けていく。(差)
寸鉄 2020年2月7日
会長は仏教の最善の側面を高め人間主義を拡大—名誉教授。共生社会の光
男子部大学校生が対話に挑戦。"若さ"には無限の力が!情熱を込めて語れ
うんと苦労してこそ人間は偉大に—恩師。弱き心に祈り勝ち、境涯を開け
新成人の半数が「未来は明るくない」と。希望紡ぐ創価の青年運動の使命大
受験生はマスク着用を—大学、予備校が呼び掛け。健康第一で栄光の春へ!
☆心に御書を 第18回 折伏は報恩感謝の大道
〈御文〉
『日蓮は・うけがたくして人身をうけ・値いがたくして仏法に値い奉る、一切の仏法の中に法華経に値いまいらせて候、其の恩徳ををもへば父母の恩・国主の恩・一切衆生の恩なり』(千日尼御前御返事、1311ページ)
〈通解〉
日蓮は、受け難い人身を受け、値い難い仏法に値うことができた。一切の仏法の中でも法華経に値うことができたのである。その恩徳を考えてみれば、父母の恩、国主の恩、一切衆生の恩である。
〈池田先生が贈る指針〉
二月闘争で私は呼び掛けた——弘教の大波で、御本仏の御聖誕、恩師の誕生の月を飾ろう!と。 青年の一念に皆が呼応してくれた。
受けがたき人身を受け、値いがたき妙法を持った我らだ。宿命を使命に転じ、友の幸福を祈る。この地涌の歓喜を語り抜こう! ここに最極の報恩があり、仏法者の本懐があるからだ。
☆心大歓喜——紅燃ゆる志の天地・四国 四国教学部長 高橋浩之☆
今回の「心大歓喜——紙上講義で学ぼう」には、高橋四国教学部長が登場。「乙御前御消息」の御文を拝し、広宣流布の闘志が赤々と燃える師弟求道の「志国」の誇りと使命について、つづってもらいます。
= 御文 =
『鎌倉に候いし時は念仏者等はさてをき候いぬ、法華経を信ずる人人は志あるも・なきも知られ候はざりしかども・御勘気を・かほりて佐渡の島まで流されしかば問い訪う人もなかりしに・女人の御身として・かたがた御志ありし上・我と来り給いし事うつつならざる不思議なり』(乙御前御消息、1220ページ1行目〜3行目)
= 通解 =
(私が)鎌倉にいた時には、念仏者等はさておいて、法華経を信ずる人たちは、だれが信心があるのか、ないのか、分かりませんでした。
しかし、御勘気(幕府による処罰)を受けて佐渡の島まで流されると、問い訪れてくる人もなかったのに、あなたは女性の身で、さまざまに信心の御志を示されたうえ、自ら(佐渡まで)来られたことは、現実とは思えないほど不思議なことです。
◇広布の闘志をたぎらせ師弟勝利の大叙事詩を
四国は、客船「さんふらわあ7」号で、障魔の波濤を越えて、師の待つ神奈川へと向かった"師弟求道の航海"から40周年の佳節を勝利で飾ることができました。紅のごとく燃ゆる"師を求める志"が、正義の「志国」の誇りであり、勝利の原点です。
今回拝する「乙御前御消息」は、再びの蒙古襲来が予期され、社会が騒然とする中、娘の乙御前と共に師弟の道を貫き通した母に、いよいよ強盛の信心に励むことを教えられた御書です。
「志あるも・なきも知られ候はざりしかども」(御書1220ページ)と仰せの通り、大聖人が鎌倉におられた時には、だれが信じる心を持っているのか分かりませんでした。しかし、大聖人が流罪され、門下にも迫害が及んだ大難の時、本物の信心かどうか、真正の弟子かどうかが明らかになったのです。
乙御前の母は女性でありながら、鎌倉から佐渡まで足を運ばれました。その志を「うつつならざる不思議なり」(同ページ)と、最大にたたえられたのです。
仏法を破壊しようとする障魔は、大聖人を流罪にすることで、師弟の絆を引き裂こうとしたとも言えます。
しかし、求道心に燃える乙御前の母の信心は、いささかも揺らぐことはありませんでした。私たち四国の同志と池田先生の師弟の絆も、だれも断ち切ることのできない三世の宿縁です。
計3度に及んだ"求道の航海"の翌年(=1981年<昭和56年>)、四国の青年部は、"池田先生の真実を示そう"と、先生の平和・文化・教育の行動を紹介する展示を開催することにしました。
識者との会見や行動をつぶさに調べ、分野別、年代別などに分類していきました。その資料は膨大な数になり、"一人の人間がここまでできるのか"と、師の偉大さを痛感しました。
手作りの展示は、同年10月3日から1カ月にわたって四国研修道場で開催され、6万1000人が観賞。真実の前では誹謗や中傷も無力で、"だれが何を言おうが、自分たちの師匠は池田先生しかない"と、皆が歓喜しました。
その直後の11月、先生が電撃的に四国を訪問。「もう一度、私が指揮を執らせていただきます!」「私の心を知ってくださる方は、一緒に戦ってください!」と師子吼され、反転攻勢の火ぶたを切られたのです。さらに「桂冠詩人」の称号が贈られて最初の作品「紅の歌」を作ってくださったのです。
本抄で「問い訪う」(御書1220ページ)とは、師匠の元に足を運ぶことですが、それは「志をかさぬれば」(同1221ページ)と仰せの通り、どこまでも師匠を求め抜くことであり、わが心を師匠の心に合致させていくことでもあります。あの"行動展"で、師匠を求めたからこそ、師匠と弟子の心が合致することができたのです。
その後も先生は、"師の詩心を宣揚したい"との青年たちの熱き思いをくみ取られ、さまざまな提案等をしてくださいました。こうした師弟の共同作業の結晶である"桂冠詩人展"は、91年に始まり、多くの識者が訪れ、感動の声を寄せてくださっています。
忘れられないのは、池田先生と対談集を編まれたキルギス共和国が誇る文豪チンギス・アイトマートフ氏です。
氏は、先生が四国の同志に贈られた「純白の/心に大雪/思い出と/アジアの交流/果たせし嬉しさ」のお歌について、次のように語ってくださいました。
「雪は非常に不便だし、寒いし、また、この詩がつくられたのは、大雪のために飛行機が飛ばなくて、あやうく移動できなかった折のことと聞いております。私だったら早く溶ければいい、こんなのは邪魔だ、と思うでしょう。しかし、池田先生という詩人は、それを自然の永遠性の表れであると"本質"を見抜かれたんだと思います」
私もこのお歌で、心がパッと晴れ渡りました。先生の詩心は、あらゆる差異を超えて、人間をより強く、幸福にしていく力があるのです。
池田先生は、四国を「志国」「詩国」「師国」とたたえてくださっています。
広宣流布の闘志が真っ赤に燃える「志国」。人間讃歌をつづりゆく「詩国」。師弟共戦の歴史を開く「師国」——を築き上げることこそ、弟子の私たちの使命です。
「万葉の詩 ともどもに」と、師と共に、同志と共に、人間革命の勝利の大叙事詩をつづりゆきましょう。
★池田先生の指針から——
何事も勝つことである。
勝つことは喜びであり、功徳であり、幸福である。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
私は、四国の地から、四国の同志とともに、反転攻勢の指揮を執り始めた。そして今日までの、世界広宣流布の大道を勝ち開いてきたのである。
原点は四国である。
その前年、昭和55年の1月には、四国の千人の同志が、横浜にいる私のもとへ、はるばる船で駆けつけてくださった。これも、広布の歴史に永遠に残りゆく光景である。
四国は、私とともに「正義」の歴史を創り、「闘争」の歴史を残し、そして「勝利」の歴史を開いてきた。そのことを明言しておきたい。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
信仰とは「精神の強さ」である。人間としての「生きる力」の泉である。弱い信仰は、本当の信仰ではないのである。
強き人には、"苦悩の烈風"さえも"歓喜の春風"に感じられる。
弱き人は、すべてが地獄の苦しみとなる。それでは敗北者の姿である。
「友のために」「広宣流布のために」——悪と戦い、一切の苦悩をも楽しみながら、悠然と前進してまいりたい。
(2001年1月、第1回四国総会でのスピーチ、『池田大作全集』第92巻所収)