2020年2月16日日曜日

2020.02.16 わが友に贈る

「折伏」とは
幸福への最極の道。
世界平和の最短距離だ。
慈悲を勇気に代えて
朗らかに挑み抜こう!

開目抄下 P235
『我が弟子に朝夕教えしかども疑いををこして皆すてけんつたなき者のならひは約束せし事をまことの時はわするるなるべし』

【通解】
わが弟子に朝に夕に教えてきたが、難にあって疑いを起こし、みな退転してしまったようである。愚かな者の習いは、約束したことをまことの時には忘れてしまうという事であろう。

名字の言 知ってますか?「がん哲学外来」 2020年2月16日
多くのがん患者が、そこを訪れると笑顔になるという。医学的な治療ではなく、「対話」によって患者や家族を支援する交流の場「がん哲学外来」。今、各地で開かれ、注目を集めている▼この活動のモットーは「偉大なるお節介」を焼くこと。担当医は、時に自分の時間や用事より優先してでも、心を込めて利用者に寄り添う。意識を集中して相手の話をじっくり聴き、一緒に使命や希望を見いだしていく。それこそが「偉大なるお節介」▼逆に、一方的にしゃべったり、自分の思いを押し付けたりすると、相手は心を閉ざしてしまいがち。それでは「余計なお節介」になる(樋野興夫著『がん哲学外来へようこそ』)▼多宝会の先輩が、励ましの秘訣を教えてくれた。一つは「あえて暇そうにすること」。誰しも、忙しそうにしている人に心を開いての会話はしづらい。次に「相手の話を最後まで聴く。そして話が一区切りついたと思っても、しばらく待つこと」。一番言いたいことや本音は、語り終えた後に出てくることが多いからという▼悩んでいる友は、具体的な助言以上に、気持ちを受け止めてほしいと願っているもの。だからこそ忍耐強く耳を傾け、真剣に寄り添うよう努める——人を励まし、共に成長するために、その姿勢を貫きたい。(実)

寸鉄 2020年2月16日
日蓮と同じく—この法華弘通の魂は学会に脈々。大聖人御聖誕日に心新た
千葉の日。さあ皆で勇敢に拡大へ!新時代の勝利の旭日を有縁の天地から
広宣流布といっても要は人材の城をつくることだ—恩師。励まし、幾重にも
職場で挫折克服した人ほど仕事でやりがい感じる—調査。苦難は宝と前へ
ヘルプマークの認知度が向上。見掛けたら配慮を。その善意が共助社会の力

☆明日を照らす テーマ:仏法は勝負 2020年2月11日
「御書を拝することは、御本仏の魂に直接、触れることだ。仏の生命を湧き出し、いかなる試練も必ず乗り越えていける。教学は、希望の大光なり。教学は、励ましの泉なり。教学は、破邪顕正の剣なり」(『池田大作先生が贈る 青春勝利の大道』)
新連載「明日を照らす」では、日蓮大聖人の御聖訓を拝しながら、私たちの正しき人生の航路を示す光源となる仏法の法理を学んでいきます。初回のテーマは「仏法は勝負」。日々のあらゆる局面を勝ち越えるための、勇気と智慧を胸に刻んでいきましょう。

◇御文
『夫れ仏法と申すは勝負をさきとし、王法と申すは賞罰を本とせり、故に仏をば世雄と号し王をば自在となづけたり』(四条金吾殿御返事、1165ページ)

◇"必ず勝つ"と一念を定め
【通解】そもそも、仏法というのは勝負を第一とし、王法というのは賞罰を根本としている。故に、仏を世雄と号し、王を自在と名づけるのである。

"正しい仏法は必ず勝つ"との日蓮大聖人の御確信が込められた一節です。
本抄を頂いた四条金吾は、幕府の有力な一族である江間氏に仕えた武士です。
極楽寺良観の信奉者であった主君・江間氏を折伏したため不興をかった金吾は、建治3年(1277年)には、同僚の讒言を信じた江間氏から"法華経の信仰をやめなければ所領を没収する"と迫られました。
金吾はこれを敢然と拒否し、不退転の決意を大聖人に報告します。そうした中、苦境の弟子を励ます書信に認められたのが、この御文です。
当時の中世武家社会では主従関係が重んじられ、武士たちの命運を左右するのは、主君による「賞罰」でした。よって、王法(世法)においては"賞罰を根本としている"と仰せられていると拝されます。
ところが、大聖人は、"仏法においては勝負こそが第一である"と仰せになりました。これは、主君による弾圧という苦難を「賞罰」という世間の表面的な次元から捉えるのではなく、信心の眼で仏と魔との「勝負」として捉え、"絶対に負けてはならない"と励まされているのです。
渾身の激励を受けた金吾は、その後、主君の信頼を勝ち取り、以前の3倍の所領を与えられたのでした。
ある意味で、人生は困難の連続であるからこそ、信心を根本に一つ一つの課題を勝ち越えることで自身が鍛えられ、幸福をつかんでいけるのです。
何よりもまず、奥底の一念を"断じて勝つ"と定めることが勝利の因となることは間違いありません。

◇御文
『師子王は前三後一と申して・ありの子を取らんとするにも又たけきものを取らんとする時も・いきをひを出す事は・ただをなじき事なり』(経王殿御返事、1124ページ)

◇弛まず全力を尽くす
【通解】師子王は前三後一といって、蟻の子を取ろうとする時にも、また、猛々しいものを取ろうとする時にも、その飛びかかる勢いは、全く同じである。

師子王はどんな相手にも全力で挑み、打ち破ると仰せです。
本抄を頂いた門下には病を抱える子どもがいました。日蓮大聖人は、仏の大生命力を師子王の振る舞いに譬えられ、病魔を打ち破るための、強盛な信心や確信の祈りについてつづられています。
ある年頭、池田先生はこの御文を拝して語りました。
「小事が大事である。広布の活動のうえでも、仕事のうえでも、家庭も人生も、すべて油断なく、知恵をしぼり、努力を重ねて、堂々たる栄光の一年を勝ち取っていただきたい」
地道な日々の"勝利"なくして、人生の"大勝利"はつかめません。努力を怠っていながら、立派な成果を求めるのは夢物語にすぎないのです。
"これくらいなら"と手を抜く油断や、"誰も気付かないだろう"といった慢心に敗北の原因が潜んでいます。
信心の眼で見れば、最も注意すべきは環境ではなく、自身の心の隙だといえます。
ゆえに、小さなこと、簡単に思えることを軽んじることなく、全魂を傾けて挑戦していくことが肝要です。
本抄で示されたように、どんな小さなことも御本尊に強盛に祈念する——そうすれば諸天善神の働きで必ず守られていきます。また、仏界の生命を開いて、どんな苦難にも勇気を奮い起こして挑んでいくことができるのです。
一日一日を焦らず、弛まず勝ちゆく先に、自身の幸福境涯が築かれることを確信して前進していきましょう。