「声仏事を為す」——
慈愛と希望の言葉を
皆が待ち望んでいる。
電話・手紙・メール等で
励ましの声を届けよう!
四条金吾殿御返事 P1143
『苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ、これあに自受法楽にあらずや、いよいよ強盛の信力をいたし給へ』
【通解】
苦を苦と覚り、楽を楽と開き、苦しくても楽しくても南無妙法蓮華経と唱えきっていきなさい。これこそ自受法楽ではないか。ますます強盛な信心を貫いていきなさい。
名字の言 きょうは「うるう日」。2月にこの日があるのはなぜ? 2020年2月29日
太陽の周りを地球が1周する時間は、およそ365・2422日。1年を365日とする現行の太陽暦では1年ごとに約6時間の差が生じる。天体の運行と暦の差を小さくするため4年に1度、2月にうるう日が設けられた▼なぜ1日加わるのが2月なのか。古代ローマでは暦の始まりが農作業を開始する3月とされていたため、"年末"に当たる2月に1年の長さを調整したという。うるう日は英語で「leap day(跳躍の日)」。冬を越えて春へ向かう出発の日ともいえよう▼学会の歴史において、"広布跳躍"の分水嶺となった「二月闘争」。池田先生が指揮した蒲田支部が、限界を破る201世帯の弘教を達成したと発表されたのは68年前の2月29日だった。その波動は学会全体に広がり、恩師の願業実現への突破口が開かれた▼その要因について池田先生は"目の前の一人を徹底して誠実に励ましてきたことに尽きる"と。先生自ら動き、語り抜く中で、一人一人の諦めや先入観の壁を破り、新たな決意の連鎖を巻き起こした▼明日から弥生三月。「弥生」とは、"草木がいよいよ生い茂る"との意味である。「いよいよ強盛に」(御書1192ページ)との心で祈り、語り、困難を跳躍へのバネとして、共に希望の春を勝ち開こう。(叶)
寸鉄 2020年2月29日
小説『人間革命』『新・人間革命』は人類の遺産—元大臣。平和建設の指標
兵庫・長田区、池田先生の訪問20年。不屈の歩みが「妙とは蘇生の義」を証明
完璧な仕事は労苦を要する—戸田先生。青年よ力尽くし職場で信頼の旗を
流水で15秒手洗い—ウイルスは1%に。咳エチケット含め基本を再度徹底
あすから春の全国火災予防運動。火の元始末、可燃物整理など心の守り固く
◇四季の励まし 青年とは「誓願に立つ人」 2020年2月23日
【写真の説明】まばゆい太陽の光が、雲海に降り注ぐ。そのかなたに富士山のシルエットが浮かび上がった——。2000年(平成12年)11月、池田大作先生が東京から福岡に向かう機中、カメラに収めた。
今年も巡りくる3・16「広宣流布記念の日」。
生涯の願業である75万世帯の弘教を達成した第2代会長・戸田城聖先生は1958年(昭和33年)のこの日、富士を仰ぎつつ、池田先生をはじめとする6000人の青年たちに、「創価学会は宗教界の王者である」と宣言し、広布の一切を託した。
さあ、希望の太陽を胸中に輝かせ、広布と人生の最高峰を目指しゆこう。青年と共に、青年の心で——。
◇池田先生の言葉
青年には未来がある。
青年には、
無限の力がある。
ゆえに、青年を育成し、
青年を大事にし、
青年に
バトンタッチしていく
流れを
着実につくったところは、
会社も、社会も、国も、
全部、成功する。
あらゆる世界で、
未来を決定づけるのは、
すべて後継者である。
青年には
進取の気性がある。
活力が溢れ、
柔軟性に富んでいる。
新しい歴史を開くのは、
断じて青年だ。
戸田先生、
そして私の思いは、
この青年を愛し、
信ずる一心である。
先輩は、
伸びゆく後輩を
大切にすることだ。
後輩は、
先輩のよいところを
見習って、
大いに
力をつけていくことだ。
全員が
尊き使命を持った
地涌の菩薩である。
全員が偉大なる
広宣流布の同志である。
我々には何一つ、
差別はないのである。
若さは、
いかなる苦難も
悩みも失敗も、
前進の力に変えていける。
若さには、
人生の至宝の
勇気と情熱がある。
誠実と真剣さがある。
ゆえに、
勇敢なる信心で
偉大な誓願に立つ人は皆、
青年といってよい。
いよいよ、これからだ。
心まで老けてはいけない。
たとえ、年をとっても、
皆が青年らしく進めば、
未来は盤石だ。
日本中、世界中に、
青年が躍り出ている。
青年を増やすことが
広宣流布である。
2020年2月29日土曜日
2020年2月28日金曜日
2020.02.28 わが友に贈る
状況や環境がどうあれ
自分に負けないことだ。
何があっても明るく
前を向いて歩み抜く人に
福徳の春は訪れる。
上野尼御前御返事 P1580
『法華経と申すは手に取れば其の手やがて仏に成り口に唱ふれば其の口即仏なり』
【通解】
法華経というのは、手に取れば、その手がすぐに仏となり、口に唱えれば、その口はそのまま仏である。
名字の言 試練は幸福という花を咲かせるための……。 2020年2月28日
生花店を営む友が語っていた。「花を育てるようになって、雨の日が好きになったという人は多いんですよ」。なるほど。試練や苦労もまた、幸福の花を咲かせるための"雨"と思えば、捉え方も変わってくる▼ある女子部員が体験を話してくれた。脳性まひで生まれ、右半身に障がいが残った。それを理由に、どれほどいじめられたか。一番つらかったのは、最初の就職先から突然、解雇された時。「あなたは足が悪いから仕事を頼みにくい」と言われた▼でも負けなかった。10社、20社と不採用になっても、再就職の活動に挑み続けた。そして、ついに64倍の競争率を勝ち越え、法律支援を行う事務所の職員に採用された。今、職場の弁護士や同僚から寄せられる信頼は絶大だ▼「人生は、きれいな道より、でこぼこ道の方がおもしろいですよ」「だって、つらいと思う時は成長している証しですもの」。人知れず流した悔し涙、一人もらした落胆のため息……。その全てを"成長の雨"にして咲かせた、花のような笑顔である。話を聞き、胸に温かいものが広がった▼仏法では、人それぞれにある尊い使命を「桜梅桃李」と譬える。一つ一つ、色や形は違う。けれど、どれも厳しい冬を越えて咲く"春の花"。人生の庭に咲き薫る美しい花々である。(誠)
寸鉄 2020年2月28日
一日一日、進歩する人が青年である—牧口先生。今日も価値創造の一歩を
他者との「つながり」が生きる力に—識者。心と心結ぶ創価哲学は希望の光
福島県沖の魚介類、出荷制限が全て解除。風評被害の払拭へ後押しさらに
環境に配慮しラベルない飲料が通販で増。ごみ減、廃棄も楽。皆で知恵重ね
肺炎めぐるデマや中傷が拡散。情報は政府や自治体等の信頼できる所から
☆学ぼう「黄金柱の誉れ」Q&A 第2回 弘教拡大
◇折伏の功徳とは
〈人生の豊かさが無限に広がる〉
偉大な人生を歩むためには、折伏が大切なのです。
一人の人の一生は、長いようで短い。そのなかでみずから体験できることは限られている。
しかし、一人また一人と、他の人の悩みをわが悩みとして、共に祈り、共に戦い、共に勝ち越えていけば、人生の豊かさは、二倍、三倍、十倍、百倍と無限に広がっていく。
ほかの人のために悩んだ分だけ、戦った分だけ、「心の財」を積むことができる。そして、どんなことが起ころうとも揺るがぬ幸福境涯を確立していくことができるのです。
(『池田大作全集』第33巻「御書の世界」)
〈生命が鍛え上げられる〉
大聖人は、折伏行の利益として、涅槃経をあげ、「金剛身を成就すること」(御書235ページ)であると示されています。折伏を行ずる人は、誰人も破壊することのできないダイヤモンドのごとき生命をつくり上げることができるのです。
慈悲の戦いを起こすことで、私たちは自分自身に潜む惰性、油断、臆病などの生命の錆を落とすことができる。一人を救おうとする智慧の闘争を貫く人は、人間を束縛する固定観念、人間を疎外する不信の無明を破ることができる。
(『池田大作全集』第34巻「開目抄講義」)
〈一族、子孫をも守っていく〉
スポーツとかピアノとかでも、しょっちゅうやっていれば、力がつく。それと同じように、折伏も、できるときにやっておくことです。その福運が、自分の一族、子孫をも守っていくのです。
ともあれ、折伏を地道にやってきた人は、福運の土台がコンクリートのように固まっている。強い。魔に破られない。弘教の修行を避けた人は、どんなに偉くなっても、メッキのように、いざという時に堕ちてしまう。
(『池田大作全集』第31巻「法華経の智慧」)
〈自分自身が浄化されていく〉
「人を幸せにしたい」と祈り、動くなんて、この末法の世界で、こんな尊い人々はいない。真心から法を説いても、たいていは悪口を言われる。侮辱されることもある。それでも、何も分からない子どもを親が慈しむように、包容しながら対話していく。菩薩です。地涌の菩薩にあらずんば、できるはずのない聖業です。
大事なことは、悪口を言われるたびに、自分自身の生命が浄化されていくということです。だから戸田先生も「折伏のためにせらるる悪口は、心から感謝しなくてはならない」と言われていた。「悪口せらるることによって、われわれの身体の罪障が消えて、幸福生活へとばく進することができるからである」(『戸田城聖全集』1)と。
(『池田大作全集』第31巻「法華経の智慧」)
自分に負けないことだ。
何があっても明るく
前を向いて歩み抜く人に
福徳の春は訪れる。
上野尼御前御返事 P1580
『法華経と申すは手に取れば其の手やがて仏に成り口に唱ふれば其の口即仏なり』
【通解】
法華経というのは、手に取れば、その手がすぐに仏となり、口に唱えれば、その口はそのまま仏である。
名字の言 試練は幸福という花を咲かせるための……。 2020年2月28日
生花店を営む友が語っていた。「花を育てるようになって、雨の日が好きになったという人は多いんですよ」。なるほど。試練や苦労もまた、幸福の花を咲かせるための"雨"と思えば、捉え方も変わってくる▼ある女子部員が体験を話してくれた。脳性まひで生まれ、右半身に障がいが残った。それを理由に、どれほどいじめられたか。一番つらかったのは、最初の就職先から突然、解雇された時。「あなたは足が悪いから仕事を頼みにくい」と言われた▼でも負けなかった。10社、20社と不採用になっても、再就職の活動に挑み続けた。そして、ついに64倍の競争率を勝ち越え、法律支援を行う事務所の職員に採用された。今、職場の弁護士や同僚から寄せられる信頼は絶大だ▼「人生は、きれいな道より、でこぼこ道の方がおもしろいですよ」「だって、つらいと思う時は成長している証しですもの」。人知れず流した悔し涙、一人もらした落胆のため息……。その全てを"成長の雨"にして咲かせた、花のような笑顔である。話を聞き、胸に温かいものが広がった▼仏法では、人それぞれにある尊い使命を「桜梅桃李」と譬える。一つ一つ、色や形は違う。けれど、どれも厳しい冬を越えて咲く"春の花"。人生の庭に咲き薫る美しい花々である。(誠)
寸鉄 2020年2月28日
一日一日、進歩する人が青年である—牧口先生。今日も価値創造の一歩を
他者との「つながり」が生きる力に—識者。心と心結ぶ創価哲学は希望の光
福島県沖の魚介類、出荷制限が全て解除。風評被害の払拭へ後押しさらに
環境に配慮しラベルない飲料が通販で増。ごみ減、廃棄も楽。皆で知恵重ね
肺炎めぐるデマや中傷が拡散。情報は政府や自治体等の信頼できる所から
☆学ぼう「黄金柱の誉れ」Q&A 第2回 弘教拡大
◇折伏の功徳とは
〈人生の豊かさが無限に広がる〉
偉大な人生を歩むためには、折伏が大切なのです。
一人の人の一生は、長いようで短い。そのなかでみずから体験できることは限られている。
しかし、一人また一人と、他の人の悩みをわが悩みとして、共に祈り、共に戦い、共に勝ち越えていけば、人生の豊かさは、二倍、三倍、十倍、百倍と無限に広がっていく。
ほかの人のために悩んだ分だけ、戦った分だけ、「心の財」を積むことができる。そして、どんなことが起ころうとも揺るがぬ幸福境涯を確立していくことができるのです。
(『池田大作全集』第33巻「御書の世界」)
〈生命が鍛え上げられる〉
大聖人は、折伏行の利益として、涅槃経をあげ、「金剛身を成就すること」(御書235ページ)であると示されています。折伏を行ずる人は、誰人も破壊することのできないダイヤモンドのごとき生命をつくり上げることができるのです。
慈悲の戦いを起こすことで、私たちは自分自身に潜む惰性、油断、臆病などの生命の錆を落とすことができる。一人を救おうとする智慧の闘争を貫く人は、人間を束縛する固定観念、人間を疎外する不信の無明を破ることができる。
(『池田大作全集』第34巻「開目抄講義」)
〈一族、子孫をも守っていく〉
スポーツとかピアノとかでも、しょっちゅうやっていれば、力がつく。それと同じように、折伏も、できるときにやっておくことです。その福運が、自分の一族、子孫をも守っていくのです。
ともあれ、折伏を地道にやってきた人は、福運の土台がコンクリートのように固まっている。強い。魔に破られない。弘教の修行を避けた人は、どんなに偉くなっても、メッキのように、いざという時に堕ちてしまう。
(『池田大作全集』第31巻「法華経の智慧」)
〈自分自身が浄化されていく〉
「人を幸せにしたい」と祈り、動くなんて、この末法の世界で、こんな尊い人々はいない。真心から法を説いても、たいていは悪口を言われる。侮辱されることもある。それでも、何も分からない子どもを親が慈しむように、包容しながら対話していく。菩薩です。地涌の菩薩にあらずんば、できるはずのない聖業です。
大事なことは、悪口を言われるたびに、自分自身の生命が浄化されていくということです。だから戸田先生も「折伏のためにせらるる悪口は、心から感謝しなくてはならない」と言われていた。「悪口せらるることによって、われわれの身体の罪障が消えて、幸福生活へとばく進することができるからである」(『戸田城聖全集』1)と。
(『池田大作全集』第31巻「法華経の智慧」)
2020年2月27日木曜日
2020.02.27 わが友に贈る
火災を絶対に起こすな!
暖房器具の消し忘れや
たこ足配線は禁物だ。
皆で声を掛け合い
百千万億倍の用心を!
法華真言勝劣事 P123
『裸形の猛者と甲冑を帯せる猛者との譬の事、裸形の猛者の進んで大陣を破ると甲冑を帯せる猛者の退いて一陣をも破らざるとは何れが勝るるや』
【通解】
裸の猛者と鎧兜を着けた猛者との譬えについていえば、裸の猛者が突き進んで強大な陣を破るのと、鎧兜を着けた猛者が退いて一陣さえ破らないのとは、どちらが勝れているか。
名字の言 日蓮大聖人の御在世当時もたびたび疫病が流行した 2020年2月27日
日蓮大聖人の御在世当時には、たびたび疫病が流行した。そうした中、佐渡の門下・阿仏房が身延にいる大聖人のもとを訪れたことがある。大聖人は阿仏房の顔を見るや、"あの人は大丈夫か""この人はどうしているか"と真っ先に門下らの安否を尋ねたという▼大事な門下の身を案じ、現実の幸福を祈る大聖人の振る舞いを通し、池田先生は語った。「『現実』を離れて仏法はない。ただの理屈でもない。観念でもない。『人間性』を離れて仏法はない」▼先生の同志への励ましも同様であった。会長に就任した翌年の1961年は自然災害が相次ぎ、ポリオ(小児まひ)が猛威を振るった。先生は大阪事件の公判に臨むため、関西を訪問した際、出廷前後の間隙を縫って第2室戸台風の被災者と、小児まひと闘う少女とその母親の激励に走っている▼新型コロナウイルスの感染拡大を警戒する日々が続く。先が見えない不安や不測の事態への恐怖が生まれる場合もある。正しい情報をもとに、適切な判断や行動を心掛けたい▼友、家族、そして自身のために、賢明にして現実的な用心を怠らず、強盛な祈りをともどもに貫いていこう。環境は変わっても、いな、変わっていくからこそ、生命力を湧きいだす不変の励ましがどこまでも大切である。(代)
寸鉄 2020年2月27日
「大風吹けば求羅は倍増するなり」御書。試練の時こそ勇気の信心で進め
各地で「女性の日」。麗しき"婦女"の連帯はわが地域の太陽。希望の春へ
「溌剌な人の元では全てが活気に溢れる」箴言。皆に勇気を灯す幹部たれ
気候変動は全ての子どもに差し迫った脅威—国連未来の宝守るため行動を
高齢女性の1人暮らしが増加。20年後は4人に1人。共助の絆を更に強く
☆2・17「農漁光部の日」に寄せて 池田先生のメッセージ 2020年2月24日
太陽の仏法が放つ生命の光が「生きる力」「地域繁栄の力」に
始めに、昨年の台風や豪雨などで被災された方々に、改めて心からお見舞いを申し上げます。一日も早い復興を、強く強く祈念しております。
昨年10月の「世界食料デー」に寄せて、国連のグテーレス事務総長が、地球の気候変動が「食料の安定確保にとって、ますます大きな脅威となっています」と警鐘を鳴らされました。
近年、異常気象や自然災害が相次ぎ、農漁業を取り巻く環境は、いっそう厳しさを増しています。
加えて、国際情勢も揺れ動くなか、わが誉れの農漁光部の皆さん方は、それぞれが不撓不屈の負けじ魂と創意工夫の智慧を発揮し、また熟練の技と若い情熱、さらに男女の協働の力を活かし合って、たゆまぬ挑戦と努力を貫いてこられました。
そして、素晴らしい価値創造の実証を示し、希望みなぎる信頼のスクラムを地域に築いておられます。
きょう(11日)の三家族の素晴らしい体験主張は、まさにその模範であります。
私は、宝の友の尊き奮闘を仰ぎ見る思いで、全国、いな全世界の同志と共に、万雷の賞讃の大拍手をお送りしたいのであります。
私たちが信奉する日蓮大聖人は「海人が子なり」(御書370ページ)と宣言され、漁村に生まれ育ったことを誇りとされました。農漁村に生きゆく人々の言い知れぬ苦労を常に労われ、その実りを最大に大切にし、讃嘆されました。
「白米は白米にはあらず・すなはち命なり」(同1597ページ)とも述べられております。
さらに、「人に食物を施すのに三つの功徳がある。一つには生命を継ぎ、二つには色つやを増し、三つには力を与えることである」(同1237ページ、通解)と仰せです。
まさしく、わが農漁光部の友が、太陽の仏法を掲げて放ちゆかれる生命の光が、一人一人の生きる力となり、地域の多彩な繁栄の力となり、そして、いかなる試練にも負けない社会の「レジリエンス(困難を乗り越える力)」となっていくことは、断じて間違いありません。
世界的な農業科学者のスワミナサン博士と私は、農漁村の幸せな笑顔こそが、その国の幸福を決め、人類の幸福を決めると一致しました。
何やかやと多事多難な時代だからこそ、この体験主張大会に満ちあふれる歓喜と勇気と連帯の笑顔を共々に、いよいよ明るく大きく朗らかに、世界へ未来へ広げていこうではありませんか!
終わりに、ご列席の方々とご家族の益々の健康長寿、また、この一年の豊作・豊漁、そして愛する郷土の安穏と発展を、深く深くお祈り申し上げ、私のメッセージとさせていただきます。
どうか、お元気で! いついつまでも、お達者で!
☆学ぼう「黄金柱の誉れ」Q&A 第1回 弘教拡大
◇折伏には、どのような意義がありますか?
〈自他共の幸福に生きる自分に〉
大聖人の仏法は、ただ単に、自分が成仏すればよい、自分だけが幸せになればよいという教えではありません。周囲の人びとも共に幸せになり、社会の繁栄があってこそ、自身の安穏、幸せもあると教えているんです。
ゆえに大聖人は、自分だけが題目を唱えていればよいというのではなく、折伏・弘教の実践を、仏道修行の要諦として示されているんです。つまり、エゴイズムに安住するのではなく、人びとの幸福のために正法を弘めるなかに、自身の最高の幸福があるんです。言い換えれば、日蓮大聖人の仏法は、折伏・弘教を掲げた広宣流布の宗教であることが、大きな特色といえます。
(小説『新・人間革命』第27巻「激闘」)
〈全ての活動の原動力〉
学会活動は、弘教をはじめ、座談会、教学の研鑽、機関紙誌の購読推進等々、多岐にわたる。しかし、いずれの活動の目的も広宣流布にあり、その原動力は、どこまでも"折伏精神"である。この精神を失えば、活動は惰性化し、空転を余儀なくされる。
周囲の人びとに真実の仏法を教え、必ず幸せになってもらおうという一念を燃え上がらせてこそ、すべての活動に魂が込められ、歓喜が湧く。
(小説『新・人間革命』第26巻「勇将」)
〈誤解と偏見を正すため〉
私たちの広宣流布の活動は、誤った先入観に基づく人びとの誤解と偏見を正して、本当の学会の姿、仏法の真実を知らしめていくことから始まります。つまり誤解と戦い、偏見と戦うことこそ、末法の仏道修行であり、真実を語り説いていくことが折伏なのであります。
(小説『新・人間革命』第6巻「加速」)
〈偉大なものを「広く」「宣伝」〉
広宣流布の「広宣」とは、「広く」「宣伝」する戦いといえる。
折伏も、仏法の偉大さを宣べ伝える。「宣伝」である。
偉大なものを偉大であると語り、広く伝える。堂々と、声高らかに正義を語り抜く。これこそ、勝利の力だ。そうやって、学会は世界中に発展してきた。
何も言わない。行動しない。それでは、仏法は広まらない。
御書には「法自ら弘まらず人・法を弘むる故に人法ともに尊し」(856ページ)と仰せである。
仏法を語るのに、何も躊躇することはない。遠慮など要らない。
(各部合同協議会 聖教新聞2008年6月28日付)
暖房器具の消し忘れや
たこ足配線は禁物だ。
皆で声を掛け合い
百千万億倍の用心を!
法華真言勝劣事 P123
『裸形の猛者と甲冑を帯せる猛者との譬の事、裸形の猛者の進んで大陣を破ると甲冑を帯せる猛者の退いて一陣をも破らざるとは何れが勝るるや』
【通解】
裸の猛者と鎧兜を着けた猛者との譬えについていえば、裸の猛者が突き進んで強大な陣を破るのと、鎧兜を着けた猛者が退いて一陣さえ破らないのとは、どちらが勝れているか。
名字の言 日蓮大聖人の御在世当時もたびたび疫病が流行した 2020年2月27日
日蓮大聖人の御在世当時には、たびたび疫病が流行した。そうした中、佐渡の門下・阿仏房が身延にいる大聖人のもとを訪れたことがある。大聖人は阿仏房の顔を見るや、"あの人は大丈夫か""この人はどうしているか"と真っ先に門下らの安否を尋ねたという▼大事な門下の身を案じ、現実の幸福を祈る大聖人の振る舞いを通し、池田先生は語った。「『現実』を離れて仏法はない。ただの理屈でもない。観念でもない。『人間性』を離れて仏法はない」▼先生の同志への励ましも同様であった。会長に就任した翌年の1961年は自然災害が相次ぎ、ポリオ(小児まひ)が猛威を振るった。先生は大阪事件の公判に臨むため、関西を訪問した際、出廷前後の間隙を縫って第2室戸台風の被災者と、小児まひと闘う少女とその母親の激励に走っている▼新型コロナウイルスの感染拡大を警戒する日々が続く。先が見えない不安や不測の事態への恐怖が生まれる場合もある。正しい情報をもとに、適切な判断や行動を心掛けたい▼友、家族、そして自身のために、賢明にして現実的な用心を怠らず、強盛な祈りをともどもに貫いていこう。環境は変わっても、いな、変わっていくからこそ、生命力を湧きいだす不変の励ましがどこまでも大切である。(代)
寸鉄 2020年2月27日
「大風吹けば求羅は倍増するなり」御書。試練の時こそ勇気の信心で進め
各地で「女性の日」。麗しき"婦女"の連帯はわが地域の太陽。希望の春へ
「溌剌な人の元では全てが活気に溢れる」箴言。皆に勇気を灯す幹部たれ
気候変動は全ての子どもに差し迫った脅威—国連未来の宝守るため行動を
高齢女性の1人暮らしが増加。20年後は4人に1人。共助の絆を更に強く
☆2・17「農漁光部の日」に寄せて 池田先生のメッセージ 2020年2月24日
太陽の仏法が放つ生命の光が「生きる力」「地域繁栄の力」に
始めに、昨年の台風や豪雨などで被災された方々に、改めて心からお見舞いを申し上げます。一日も早い復興を、強く強く祈念しております。
昨年10月の「世界食料デー」に寄せて、国連のグテーレス事務総長が、地球の気候変動が「食料の安定確保にとって、ますます大きな脅威となっています」と警鐘を鳴らされました。
近年、異常気象や自然災害が相次ぎ、農漁業を取り巻く環境は、いっそう厳しさを増しています。
加えて、国際情勢も揺れ動くなか、わが誉れの農漁光部の皆さん方は、それぞれが不撓不屈の負けじ魂と創意工夫の智慧を発揮し、また熟練の技と若い情熱、さらに男女の協働の力を活かし合って、たゆまぬ挑戦と努力を貫いてこられました。
そして、素晴らしい価値創造の実証を示し、希望みなぎる信頼のスクラムを地域に築いておられます。
きょう(11日)の三家族の素晴らしい体験主張は、まさにその模範であります。
私は、宝の友の尊き奮闘を仰ぎ見る思いで、全国、いな全世界の同志と共に、万雷の賞讃の大拍手をお送りしたいのであります。
私たちが信奉する日蓮大聖人は「海人が子なり」(御書370ページ)と宣言され、漁村に生まれ育ったことを誇りとされました。農漁村に生きゆく人々の言い知れぬ苦労を常に労われ、その実りを最大に大切にし、讃嘆されました。
「白米は白米にはあらず・すなはち命なり」(同1597ページ)とも述べられております。
さらに、「人に食物を施すのに三つの功徳がある。一つには生命を継ぎ、二つには色つやを増し、三つには力を与えることである」(同1237ページ、通解)と仰せです。
まさしく、わが農漁光部の友が、太陽の仏法を掲げて放ちゆかれる生命の光が、一人一人の生きる力となり、地域の多彩な繁栄の力となり、そして、いかなる試練にも負けない社会の「レジリエンス(困難を乗り越える力)」となっていくことは、断じて間違いありません。
世界的な農業科学者のスワミナサン博士と私は、農漁村の幸せな笑顔こそが、その国の幸福を決め、人類の幸福を決めると一致しました。
何やかやと多事多難な時代だからこそ、この体験主張大会に満ちあふれる歓喜と勇気と連帯の笑顔を共々に、いよいよ明るく大きく朗らかに、世界へ未来へ広げていこうではありませんか!
終わりに、ご列席の方々とご家族の益々の健康長寿、また、この一年の豊作・豊漁、そして愛する郷土の安穏と発展を、深く深くお祈り申し上げ、私のメッセージとさせていただきます。
どうか、お元気で! いついつまでも、お達者で!
☆学ぼう「黄金柱の誉れ」Q&A 第1回 弘教拡大
◇折伏には、どのような意義がありますか?
〈自他共の幸福に生きる自分に〉
大聖人の仏法は、ただ単に、自分が成仏すればよい、自分だけが幸せになればよいという教えではありません。周囲の人びとも共に幸せになり、社会の繁栄があってこそ、自身の安穏、幸せもあると教えているんです。
ゆえに大聖人は、自分だけが題目を唱えていればよいというのではなく、折伏・弘教の実践を、仏道修行の要諦として示されているんです。つまり、エゴイズムに安住するのではなく、人びとの幸福のために正法を弘めるなかに、自身の最高の幸福があるんです。言い換えれば、日蓮大聖人の仏法は、折伏・弘教を掲げた広宣流布の宗教であることが、大きな特色といえます。
(小説『新・人間革命』第27巻「激闘」)
〈全ての活動の原動力〉
学会活動は、弘教をはじめ、座談会、教学の研鑽、機関紙誌の購読推進等々、多岐にわたる。しかし、いずれの活動の目的も広宣流布にあり、その原動力は、どこまでも"折伏精神"である。この精神を失えば、活動は惰性化し、空転を余儀なくされる。
周囲の人びとに真実の仏法を教え、必ず幸せになってもらおうという一念を燃え上がらせてこそ、すべての活動に魂が込められ、歓喜が湧く。
(小説『新・人間革命』第26巻「勇将」)
〈誤解と偏見を正すため〉
私たちの広宣流布の活動は、誤った先入観に基づく人びとの誤解と偏見を正して、本当の学会の姿、仏法の真実を知らしめていくことから始まります。つまり誤解と戦い、偏見と戦うことこそ、末法の仏道修行であり、真実を語り説いていくことが折伏なのであります。
(小説『新・人間革命』第6巻「加速」)
〈偉大なものを「広く」「宣伝」〉
広宣流布の「広宣」とは、「広く」「宣伝」する戦いといえる。
折伏も、仏法の偉大さを宣べ伝える。「宣伝」である。
偉大なものを偉大であると語り、広く伝える。堂々と、声高らかに正義を語り抜く。これこそ、勝利の力だ。そうやって、学会は世界中に発展してきた。
何も言わない。行動しない。それでは、仏法は広まらない。
御書には「法自ら弘まらず人・法を弘むる故に人法ともに尊し」(856ページ)と仰せである。
仏法を語るのに、何も躊躇することはない。遠慮など要らない。
(各部合同協議会 聖教新聞2008年6月28日付)
2020年2月26日水曜日
2020.02.26 わが友に贈る
「題目」がある。
「御書」がある。
「団結」がある。
"時"に適った価値創造を
妙法の無限の智慧で!
御義口伝巻上 P715
『根深ければ則ち条茂く源遠ければ則ち流長きが如し』
【通解】
根が深ければ大木となり枝や葉は茂り、源が遠ければ流れが長いようなものである。
名字の言 コミュニケーションについて考えさせられた2つの出来事 2020年2月24日
先日、ある一家のお宅を訪問した。家族で耳に障がいがないのは母一人。父と2人の子は難聴で、補聴器をつけて生活している▼玄関に入ると、子どもたちが手話で「こんにちは」「ようこそ」と歓迎してくれた。手話が分からない記者にも、思いは十分伝わってくる。仏間に上がり、一緒に唱題した。皆の呼吸はぴったり。思いやりにあふれた一家との懇談は、笑顔と温かい雰囲気に包まれた幸せなひとときだった▼その帰途、飲食店に入った。すると別のテーブルにいた中年の男性がスマートフォンを取り出し、部下らしき相手と何やら通話し始めた。店内に響きわたる声は、耳障りなことこの上ない。急ぎの用でもなさそうだ。横柄な口調で話し終えると、そそくさと代金を払い、店を出て行った▼コミュニケーション能力とは何か——。優れた機器を持っていても、相手や周囲を気遣えない人がいる。一方で、音声による「聞く」「話す」ことが困難でも、笑顔で思いを伝え合い、皆を温かく包む人がいる。改めて「心こそ大切なれ」(御書1192ページ)と強く思った▼時代とともに技術は進歩し続ける。だからこそ、より誠実に、より真剣に、真心の対話を。心を通わせ、心を結ぶ語らいを。そう決意した一日の出来事だった。(実)
寸鉄 2020年2月24日
励ましで人々を立ち上がらせる学会の行動は理想—博士。真心の声、今こそ
「真の友情とは、誠実さに満ちている」格言。仏法は振舞。電話一つも大切に
幹部は「これならできる」と皆が膝を打つ指揮を!一人一人の成長に心砕き
特殊詐欺、金融機関装い銀行カード盗む手口増加と。絶対渡すな信じるな
4月に実施の新学習指導要領、防災教育が充実。親子で意識高める契機と
☆人生の価値はここに 創価大学同窓の友を訪ねて 第6回 福島
◇郷里の未来を開くため
古来、福島には人材育成の気風が脈打っている。江戸時代の会津の藩校「日新館」は、全国300藩の中でトップクラスの教育力を誇っていたという。会津と長州といえば、幕末の敵同士だが、実は長州の吉田松陰も若き日の東北遊学の折に日新館を視察している。
「地を離れて人無く人を離れて事無し」。松陰のこの言葉を、創価教育の父・牧口常三郎先生は自著『人生地理学』で引用し、人を育む上で郷土が果たす役割を論じた。「慈愛、好意、友誼、親切、真摯、質朴等の高尚なる心情の涵養は郷里を外にして容易に得べからざることや」と。
会津若松市に生まれ育った青木法之さん(41期、法学部卒)が創価大学に入学したのは、2011年春。東日本大震災の混乱の中だった。上京の直前まで、福島第1原発事故による避難者が身を寄せる避難所に通い、ボランティア活動に当たっていたという。
「こんな時だからこそ、創大創立者・池田先生のもとで、学んできてほしい」——青木さんの背中を押してくれたのは、家族をはじめ、創大卒業生のいとこ、幼い頃からお世話になってきた地域の壮年・婦人たちだった。
同年5月に行われた新入生の集いに、創立者はメッセージを寄せている。
「東日本大震災の被災地からも、最優秀の英才が入学してくれました。『英知を磨くは何のため』——皆さんが今、歯を食いしばって学び抜き、知性の実力を磨き上げていくなかに、未来を照らしゆく希望の旭日が赫々と昇ることを、私は確信してやみません」
在学中、創立者からの励ましは数知れず。学友たちの温かさにも、どれほど支えられたことだろう。「福島の再生に貢献できる人材に」と決め、郷里に戻ったのは15年の春。3次救急医療(重症患者対応)を担う災害拠点病院の事務職員となり、現在に至る。
不安や悲しみの中にある患者家族と、どう接するべきか。もともと内向的な青木さんにとって、仕事は悩みの連続でもある。それでも、自分の表情で、声で、言葉で、少しでも安心と勇気を送れたら——そう思えるようになったのは「創大でたくさんの真心に触れたから」。福島に"福光の春を"との誓いを、日に日に新たにしている。
◇自分の古里
「東京に行ったら、自分の出身地の名前を言う?」
いわき市の山野辺直美さん(42期、経済学部卒)は創大進学を控えた2012年春、地元の高校の同級生からそんな質問を受けた。
原発事故の影響で県外に避難した子どもたちがどんなことを言われているか、知らないわけではない。それでも「私は、世界に向けて自分の古里を自慢できる人になりたい」。山野辺さんは創大在学中、英語で経済学を学ぶIP(インターナショナルプログラム)を履修し、海外の各地を訪れて友情と見識を深めた。
フィリピン、シンガポール、マレーシア、インドネシア、台湾、韓国、タイ、ブルネイ……その中で、食生活がもたらす健康問題に関心を抱いたことが、大学卒業後、郷里の大手スーパーマーケットに就職を決める理由の一つとなった。
早々に、店舗のサブチーフに就任。創大時代に磨いた経済感覚と、コミュニケーション能力が生きていることを実感する日々だ。
店舗が住民同士の交流の場になっていることにも気付く。一日に何度も来店する高齢者も少なくない。いつも笑顔で声を掛けてくれる婦人もいる。福島の食の豊かさと人の温かさに触れられる"最前線"に身を置くことでしか、分からないものがある。「それを伝えていきたい」と、山野辺さんは言う。
福島常磐総県女子未来部長として、子どもたちの励ましにも駆ける。
「創大に行けば、大変な時にこそ支え合える一生涯の友情と、『何のために学ぶのか』という問いへの答えが見つかるよ」と語りながら。
◇子どもの幸福
毎朝、午前7時過ぎになると、その人はいわき市内の通学路に立ち、子どもたちの安全を確かめながら笑顔で見送る。津田直人さん(17期、教育学部卒)。市立中学校の校長である。
「生徒たちが元気に学校に通える日常が、どれほどありがたいことか。その感謝をかみ締める毎日です」
昨秋の台風19号によって学校施設が被災。今なお、その爪痕は残っている。
被害に遭った生徒の胸の内は今、どんな状態か。生活は? 家族は? 一人一人に向けて心を砕く中に、「子どもの幸福こそ第一」と掲げる創価教育の実践もあると決めている。それは創大在学中に、創立者の姿から学んだことでもある。
郷里のいわきを離れ、東京で暮らした4年間。アルバイトで生活費を稼ぎながら学びに学んだ。そんな状況にあることを知っているかのような創立者からの励ましに何度、頬をぬらしたか知れない。「自分も創立者のような教育者に」——そう誓って福島の教員採用試験に挑み、合格した。
教壇に立ってからは悪戦苦闘の連続。生徒と心を通わせることの難しさを思い知らされた。支えとなったのは、「子どもたちにとって最大の教育環境は、教師自身」との創立者の指針である。「まず、自分が変わろう!」との決意で努力と工夫を重ねていった時、固い信頼で結ばれたクラスを築くことができた。
2015年から3年間、福島県教育センターの指導主事を務めた後、現職に。「まだまだ新米校長です」と謙虚に語るが、子どもたちの安全と健康、そして幸福を願い、行動する情熱は、誰にも負けない。
教育によって郷里の未来を開く——福島の天地に脈打つ不変の信念である。
「御書」がある。
「団結」がある。
"時"に適った価値創造を
妙法の無限の智慧で!
御義口伝巻上 P715
『根深ければ則ち条茂く源遠ければ則ち流長きが如し』
【通解】
根が深ければ大木となり枝や葉は茂り、源が遠ければ流れが長いようなものである。
名字の言 コミュニケーションについて考えさせられた2つの出来事 2020年2月24日
先日、ある一家のお宅を訪問した。家族で耳に障がいがないのは母一人。父と2人の子は難聴で、補聴器をつけて生活している▼玄関に入ると、子どもたちが手話で「こんにちは」「ようこそ」と歓迎してくれた。手話が分からない記者にも、思いは十分伝わってくる。仏間に上がり、一緒に唱題した。皆の呼吸はぴったり。思いやりにあふれた一家との懇談は、笑顔と温かい雰囲気に包まれた幸せなひとときだった▼その帰途、飲食店に入った。すると別のテーブルにいた中年の男性がスマートフォンを取り出し、部下らしき相手と何やら通話し始めた。店内に響きわたる声は、耳障りなことこの上ない。急ぎの用でもなさそうだ。横柄な口調で話し終えると、そそくさと代金を払い、店を出て行った▼コミュニケーション能力とは何か——。優れた機器を持っていても、相手や周囲を気遣えない人がいる。一方で、音声による「聞く」「話す」ことが困難でも、笑顔で思いを伝え合い、皆を温かく包む人がいる。改めて「心こそ大切なれ」(御書1192ページ)と強く思った▼時代とともに技術は進歩し続ける。だからこそ、より誠実に、より真剣に、真心の対話を。心を通わせ、心を結ぶ語らいを。そう決意した一日の出来事だった。(実)
寸鉄 2020年2月24日
励ましで人々を立ち上がらせる学会の行動は理想—博士。真心の声、今こそ
「真の友情とは、誠実さに満ちている」格言。仏法は振舞。電話一つも大切に
幹部は「これならできる」と皆が膝を打つ指揮を!一人一人の成長に心砕き
特殊詐欺、金融機関装い銀行カード盗む手口増加と。絶対渡すな信じるな
4月に実施の新学習指導要領、防災教育が充実。親子で意識高める契機と
☆人生の価値はここに 創価大学同窓の友を訪ねて 第6回 福島
◇郷里の未来を開くため
古来、福島には人材育成の気風が脈打っている。江戸時代の会津の藩校「日新館」は、全国300藩の中でトップクラスの教育力を誇っていたという。会津と長州といえば、幕末の敵同士だが、実は長州の吉田松陰も若き日の東北遊学の折に日新館を視察している。
「地を離れて人無く人を離れて事無し」。松陰のこの言葉を、創価教育の父・牧口常三郎先生は自著『人生地理学』で引用し、人を育む上で郷土が果たす役割を論じた。「慈愛、好意、友誼、親切、真摯、質朴等の高尚なる心情の涵養は郷里を外にして容易に得べからざることや」と。
会津若松市に生まれ育った青木法之さん(41期、法学部卒)が創価大学に入学したのは、2011年春。東日本大震災の混乱の中だった。上京の直前まで、福島第1原発事故による避難者が身を寄せる避難所に通い、ボランティア活動に当たっていたという。
「こんな時だからこそ、創大創立者・池田先生のもとで、学んできてほしい」——青木さんの背中を押してくれたのは、家族をはじめ、創大卒業生のいとこ、幼い頃からお世話になってきた地域の壮年・婦人たちだった。
同年5月に行われた新入生の集いに、創立者はメッセージを寄せている。
「東日本大震災の被災地からも、最優秀の英才が入学してくれました。『英知を磨くは何のため』——皆さんが今、歯を食いしばって学び抜き、知性の実力を磨き上げていくなかに、未来を照らしゆく希望の旭日が赫々と昇ることを、私は確信してやみません」
在学中、創立者からの励ましは数知れず。学友たちの温かさにも、どれほど支えられたことだろう。「福島の再生に貢献できる人材に」と決め、郷里に戻ったのは15年の春。3次救急医療(重症患者対応)を担う災害拠点病院の事務職員となり、現在に至る。
不安や悲しみの中にある患者家族と、どう接するべきか。もともと内向的な青木さんにとって、仕事は悩みの連続でもある。それでも、自分の表情で、声で、言葉で、少しでも安心と勇気を送れたら——そう思えるようになったのは「創大でたくさんの真心に触れたから」。福島に"福光の春を"との誓いを、日に日に新たにしている。
◇自分の古里
「東京に行ったら、自分の出身地の名前を言う?」
いわき市の山野辺直美さん(42期、経済学部卒)は創大進学を控えた2012年春、地元の高校の同級生からそんな質問を受けた。
原発事故の影響で県外に避難した子どもたちがどんなことを言われているか、知らないわけではない。それでも「私は、世界に向けて自分の古里を自慢できる人になりたい」。山野辺さんは創大在学中、英語で経済学を学ぶIP(インターナショナルプログラム)を履修し、海外の各地を訪れて友情と見識を深めた。
フィリピン、シンガポール、マレーシア、インドネシア、台湾、韓国、タイ、ブルネイ……その中で、食生活がもたらす健康問題に関心を抱いたことが、大学卒業後、郷里の大手スーパーマーケットに就職を決める理由の一つとなった。
早々に、店舗のサブチーフに就任。創大時代に磨いた経済感覚と、コミュニケーション能力が生きていることを実感する日々だ。
店舗が住民同士の交流の場になっていることにも気付く。一日に何度も来店する高齢者も少なくない。いつも笑顔で声を掛けてくれる婦人もいる。福島の食の豊かさと人の温かさに触れられる"最前線"に身を置くことでしか、分からないものがある。「それを伝えていきたい」と、山野辺さんは言う。
福島常磐総県女子未来部長として、子どもたちの励ましにも駆ける。
「創大に行けば、大変な時にこそ支え合える一生涯の友情と、『何のために学ぶのか』という問いへの答えが見つかるよ」と語りながら。
◇子どもの幸福
毎朝、午前7時過ぎになると、その人はいわき市内の通学路に立ち、子どもたちの安全を確かめながら笑顔で見送る。津田直人さん(17期、教育学部卒)。市立中学校の校長である。
「生徒たちが元気に学校に通える日常が、どれほどありがたいことか。その感謝をかみ締める毎日です」
昨秋の台風19号によって学校施設が被災。今なお、その爪痕は残っている。
被害に遭った生徒の胸の内は今、どんな状態か。生活は? 家族は? 一人一人に向けて心を砕く中に、「子どもの幸福こそ第一」と掲げる創価教育の実践もあると決めている。それは創大在学中に、創立者の姿から学んだことでもある。
郷里のいわきを離れ、東京で暮らした4年間。アルバイトで生活費を稼ぎながら学びに学んだ。そんな状況にあることを知っているかのような創立者からの励ましに何度、頬をぬらしたか知れない。「自分も創立者のような教育者に」——そう誓って福島の教員採用試験に挑み、合格した。
教壇に立ってからは悪戦苦闘の連続。生徒と心を通わせることの難しさを思い知らされた。支えとなったのは、「子どもたちにとって最大の教育環境は、教師自身」との創立者の指針である。「まず、自分が変わろう!」との決意で努力と工夫を重ねていった時、固い信頼で結ばれたクラスを築くことができた。
2015年から3年間、福島県教育センターの指導主事を務めた後、現職に。「まだまだ新米校長です」と謙虚に語るが、子どもたちの安全と健康、そして幸福を願い、行動する情熱は、誰にも負けない。
教育によって郷里の未来を開く——福島の天地に脈打つ不変の信念である。
2020.02.25 わが友に贈る
朗々たる題目から
一日を出発しよう!
満々たる生命力こそ
健康長寿の源泉だ。
信心即生活の実証を!
忘持経事 P977
『国国皆飢饉し山野に盗賊充満し宿宿粮米乏少なり我身贏弱所従亡きが若く牛馬合期せず峨峨たる大山重重として漫漫たる大河多多なり』
【通解】
国々は皆飢饉で、山野には盗賊があふれ、宿々では粮米も乏しくそのうえ身体もよわく、かつ従者もないに等しい。牛馬とてあてにはあらず、大山は峨峨として折り重なり、満々と流れる大河は多い。
名字の言 プロ野球歴代3位の本塁打記録——門田博光氏の「背番号」の話 2020年2月26日
プロ野球選手にとって、背番号は「もう一つの顔」ともいえるものだろう。しかし、節目ごとに自ら進んで背番号を変えた選手もいる。歴代3位の通算本塁打記録を持つ門田博光氏だ▼プロ10年目でアキレス腱を断裂した氏は、再起を懸けて背番号を「44」にした。40本以上の本塁打と、44歳で亡くなった母親への思いを込めたという。けがを乗り越え、翌々年には見事、44本の本塁打を放ち、自身初の本塁打王に輝いた▼その後、"前人未到の本塁打記録"を目指し、背番号を「60」に。強い決意が実を結び、40歳にして本塁打王、打点王の二冠獲得という壮挙を成し遂げた。氏は語る。「目標を高いところに設定して、それを超えたらさらに上をいこうという気持ちをもち続けるのがプロ」(『門田博光の本塁打一閃』ベースボール・マガジン社)▼明確な目標は、苦境を脱するための原動力となる。具体的な行動を生み、さらなる高みへ到達することができる。日々の生活、仕事上の目標だけでなく、広布の目標もまた、自らの境涯革命への飛躍台となろう▼伝統の2月を走り切り、広布後継の「3・16」へ。節目ごとに、自身の目標を明確にし、リズムを刻んでいきたい。努力を重ねる日々の中で、人生勝利の栄冠が輝く。(値)
寸鉄 2020年2月26日
学会の発展の因は信仰による不屈の精神—博士。三代の不惜の闘争が光源
励ましは相手の話を聴くことから。幹部は心の機微知り同志に「万の力」を
SDGsを全く知らない—社会人の74%。希望の未来創る青年部の使命大
受験生が最も親に掛けてほしい言葉「お疲れさま」大奮闘称え最後まで共に
肺炎の便乗詐欺が発生。マスク販売や厚労省騙るメールなど。断固と撃退
☆忘れ得ぬ瞬間 2010年3月卒業式 親孝行こそ人生勝利の道
<2010年3月21日に挙行された創価大学(第36回)、創価女子短期大学(第24回)の卒業式(八王子市の創大池田記念講堂で)。創立者の池田先生はスピーチの中で「親孝行」の大切さを強調した>
皆さんは、まず、ご両親に丁寧におじぎをして、心から感謝の言葉を伝えていただきたい。
親元から離れて生活している人は、電話でもいいから、真心を込めて、「お父さん、お母さんのおかげで、卒業することができました」と連絡を入れてほしい。
なかには、お父さんがいらっしゃらない人、お母さんがいらっしゃらない人もいると思います。その人も、わが胸中の父母に、「立派に卒業しました」と誇り高く報告していただきたい。
創価大学、創価女子短期大学で学び育った人は、必ず幸福になっていく。強い人、正義の人、偉い人、勝利の人になっていく。
私は、そう祈っています。皆さんを見守っています。
これからも努力して、必ず立派になり、社会で成功して、一家の繁栄の力となってください。お世話になった両親や祖父母の皆さん方に、心から喜んでいただける親孝行の人になってください。
成績が優秀なことは、もちろん大事である。
そのうえで、皆さんは、どこまでも楽しく、愉快に、そして強く生きてもらいたい。どんなに優秀でも、人と衝突して、相手を困らせたり、自分や親をも苦しめてしまう生き方は、愚かである。
上手に家族や友人と調和して、仲良く楽しく、成長の道を歩んでいく。その人が勝利の人である。
<席上、中国・西安交通大学から池田先生に「名誉教授」称号が贈られている。先生は、この最高の栄誉を先師・牧口先生、恩師・戸田先生に捧げたいと謝意を述べつつ、西安交通大学にある記念碑に刻まれた「4文字の言葉」を紹介した>
それは「飲水思源」。すなわち「水を飲む時には、その源を思い、感謝を忘れない」との戒めであります。
常に「源」を思い、「原点」に立ち返る。そして、「恩ある人」に報いようと、さらに努力し、前進する。この最も深く強い心が流れ通う人材の大河こそ、偉大なる貴大学なのであります。
私が瞬時も忘れず、常に思いを馳せる「源」は、創価教育の父である牧口先生であり、人生の師匠である戸田先生です。
師匠に報恩の報告ができる喜びが、どれほど大きいか。皆さんもお父さん、お母さんに感謝し、恩返しできるような人生を、青春時代を生き抜いてください。
とともに、日本にとって、絶対に忘れてはならぬ、文化大恩の「源」こそ、中国であることを深く知っていただきたい。
かつて日本は、この大恩ある国を侵略した。愚かな軍国主義の日本でした。
牧口先生、戸田先生は、教育によってこの日本を改革しようとした。牧口先生は逮捕され、獄死された。戸田先生も投獄された。
私も冤罪で牢獄に行きました。悪逆の国家権力は、必ず善人を嫌い、弾圧しようとする。
それではいけない。本当の人間主義、本当の勝利は庶民の連帯にある。
真の学問を身につけた人間にある。こういう社会をつくりたい。それが牧口先生、戸田先生、そして私の思いです。
◇感謝を言葉で!
<続いて先生は、親孝行の具体例を示しながら、創立者としての真情を語った>
ともかく、お父さん、お母さんを明るくしてあげる。ホッとさせてあげることだ。例えば、たまにはお母さんに、「お掃除とご飯の支度は私がやりますので、あとはゆっくりしてください」と言う。感謝の気持ちを伝える。そうすれば、お母さんが、どれほど喜ぶか。親を悲しませてはいけない。嘆かせるようなことがあってはいけない。
皆さん方のお父さんや、お母さんは、厳しい経済不況の中、大切な大切な宝のわが子を、私の創立した大学に送り出してくださいました。親にとって、自分の子どもは宝です。どんな小さなことだって心配する。私はよく知っています。特に母親はそうです。
しかし、子どもは親の気持ちがなかなかわからない。親の心がわかる人が、本当の教育を受けた人です。私は、皆さんのお父さん、お母さんのご健康、一家のご繁栄、そして栄光の人生を、妻と一緒に毎朝、毎晩、祈っています。創立者として、当然のことだと思っています。
どうか、この最高の父母の慈愛に、皆さんは最高の真心の親孝行で応えてください!
それができれば、自分にとって、家族にとって、こんなにうれしい、幸せな、安心の人生はない。
反対に、親を苦しませれば、不幸をつくりだしてしまう。それではいけない。
本当の人間を育てるのが創価大学です。
価値ある人生だ。一度しかない人生だ。
「本当によかった」「楽しかった」「私は成し遂げた」と言える一人一人であってください。
お父さん、お母さんを頼みます。そして、「社会をよくしよう」「不幸の人を幸せにしよう」——こう思って戦ってください。生き抜いてください。
一人だけ満足し、あとは皆、不満ばかり。それでは不幸だ。自分だけでなく、皆の境涯も開き、幸福の道を開く。これが本当の「創価」です。
◇勇気ある人に
<さらに、池田先生は、西安交通大学の足跡に学ぶべき精神として「勇気」を挙げた。そして「親孝行」も、「人間としての正義」であり、「勇気」が必要であると訴えた>
貴・西安交通大学は1956年(昭和31年)、西安へ移られました。
それは、厳しい環境のなか、西部地域の開発を推進するという、重大な挑戦でした。その貴大学を励ましたのが、周恩来総理でありました。
「あまりに快適すぎては、青年を鍛え育てることはできません。風雪に耐えられるよう、鍛えあげねばならないのです。苦難を乗り越えるよう青年を導くには、(西安交通大学の立つ中国西北部は)願ってもない場所です」
周総理は確信を持ち、希望に燃えながら、語っておられた。青年を信じ、青年を心から愛し、期待しておられた。
私も周総理と語り合いました。たくさんの思い出があります。
この崇高なる貴大学の足跡に学ぶべき精神は、あまりにも多い。なかでも学ぶべきは、人々の幸福のため、一番大変な最前線へ飛び込む「勇気」であります。要領がいい。頭もいい。策も上手。しかし、"正義を貫く勇気"が欠落していれば、それは根本的な欠陥となってしまう。
「学ぶ」こと自体、正しい道である。だからこそ、学び抜くためには勇気がいる。親孝行も、人間としての正義です。だから勇気がいるのです。
「勇気」は「正義」につながる。「勇気ある人」「正義の人」として、人生を歩んでいかなければならない。
「自分自身に勝ってみせる!」という心意気です。
これこそ、大事な人生の一点であると思います。
父も母も、自分自身も、晴れやかに楽しく「私は勝った」「親孝行ができた」と言える人になってください! 人生において勇気を忘れてはいけない。小手先のずるさで生きてはいけない。何度でも申し上げておきます。
一日を出発しよう!
満々たる生命力こそ
健康長寿の源泉だ。
信心即生活の実証を!
忘持経事 P977
『国国皆飢饉し山野に盗賊充満し宿宿粮米乏少なり我身贏弱所従亡きが若く牛馬合期せず峨峨たる大山重重として漫漫たる大河多多なり』
【通解】
国々は皆飢饉で、山野には盗賊があふれ、宿々では粮米も乏しくそのうえ身体もよわく、かつ従者もないに等しい。牛馬とてあてにはあらず、大山は峨峨として折り重なり、満々と流れる大河は多い。
名字の言 プロ野球歴代3位の本塁打記録——門田博光氏の「背番号」の話 2020年2月26日
プロ野球選手にとって、背番号は「もう一つの顔」ともいえるものだろう。しかし、節目ごとに自ら進んで背番号を変えた選手もいる。歴代3位の通算本塁打記録を持つ門田博光氏だ▼プロ10年目でアキレス腱を断裂した氏は、再起を懸けて背番号を「44」にした。40本以上の本塁打と、44歳で亡くなった母親への思いを込めたという。けがを乗り越え、翌々年には見事、44本の本塁打を放ち、自身初の本塁打王に輝いた▼その後、"前人未到の本塁打記録"を目指し、背番号を「60」に。強い決意が実を結び、40歳にして本塁打王、打点王の二冠獲得という壮挙を成し遂げた。氏は語る。「目標を高いところに設定して、それを超えたらさらに上をいこうという気持ちをもち続けるのがプロ」(『門田博光の本塁打一閃』ベースボール・マガジン社)▼明確な目標は、苦境を脱するための原動力となる。具体的な行動を生み、さらなる高みへ到達することができる。日々の生活、仕事上の目標だけでなく、広布の目標もまた、自らの境涯革命への飛躍台となろう▼伝統の2月を走り切り、広布後継の「3・16」へ。節目ごとに、自身の目標を明確にし、リズムを刻んでいきたい。努力を重ねる日々の中で、人生勝利の栄冠が輝く。(値)
寸鉄 2020年2月26日
学会の発展の因は信仰による不屈の精神—博士。三代の不惜の闘争が光源
励ましは相手の話を聴くことから。幹部は心の機微知り同志に「万の力」を
SDGsを全く知らない—社会人の74%。希望の未来創る青年部の使命大
受験生が最も親に掛けてほしい言葉「お疲れさま」大奮闘称え最後まで共に
肺炎の便乗詐欺が発生。マスク販売や厚労省騙るメールなど。断固と撃退
☆忘れ得ぬ瞬間 2010年3月卒業式 親孝行こそ人生勝利の道
<2010年3月21日に挙行された創価大学(第36回)、創価女子短期大学(第24回)の卒業式(八王子市の創大池田記念講堂で)。創立者の池田先生はスピーチの中で「親孝行」の大切さを強調した>
皆さんは、まず、ご両親に丁寧におじぎをして、心から感謝の言葉を伝えていただきたい。
親元から離れて生活している人は、電話でもいいから、真心を込めて、「お父さん、お母さんのおかげで、卒業することができました」と連絡を入れてほしい。
なかには、お父さんがいらっしゃらない人、お母さんがいらっしゃらない人もいると思います。その人も、わが胸中の父母に、「立派に卒業しました」と誇り高く報告していただきたい。
創価大学、創価女子短期大学で学び育った人は、必ず幸福になっていく。強い人、正義の人、偉い人、勝利の人になっていく。
私は、そう祈っています。皆さんを見守っています。
これからも努力して、必ず立派になり、社会で成功して、一家の繁栄の力となってください。お世話になった両親や祖父母の皆さん方に、心から喜んでいただける親孝行の人になってください。
成績が優秀なことは、もちろん大事である。
そのうえで、皆さんは、どこまでも楽しく、愉快に、そして強く生きてもらいたい。どんなに優秀でも、人と衝突して、相手を困らせたり、自分や親をも苦しめてしまう生き方は、愚かである。
上手に家族や友人と調和して、仲良く楽しく、成長の道を歩んでいく。その人が勝利の人である。
<席上、中国・西安交通大学から池田先生に「名誉教授」称号が贈られている。先生は、この最高の栄誉を先師・牧口先生、恩師・戸田先生に捧げたいと謝意を述べつつ、西安交通大学にある記念碑に刻まれた「4文字の言葉」を紹介した>
それは「飲水思源」。すなわち「水を飲む時には、その源を思い、感謝を忘れない」との戒めであります。
常に「源」を思い、「原点」に立ち返る。そして、「恩ある人」に報いようと、さらに努力し、前進する。この最も深く強い心が流れ通う人材の大河こそ、偉大なる貴大学なのであります。
私が瞬時も忘れず、常に思いを馳せる「源」は、創価教育の父である牧口先生であり、人生の師匠である戸田先生です。
師匠に報恩の報告ができる喜びが、どれほど大きいか。皆さんもお父さん、お母さんに感謝し、恩返しできるような人生を、青春時代を生き抜いてください。
とともに、日本にとって、絶対に忘れてはならぬ、文化大恩の「源」こそ、中国であることを深く知っていただきたい。
かつて日本は、この大恩ある国を侵略した。愚かな軍国主義の日本でした。
牧口先生、戸田先生は、教育によってこの日本を改革しようとした。牧口先生は逮捕され、獄死された。戸田先生も投獄された。
私も冤罪で牢獄に行きました。悪逆の国家権力は、必ず善人を嫌い、弾圧しようとする。
それではいけない。本当の人間主義、本当の勝利は庶民の連帯にある。
真の学問を身につけた人間にある。こういう社会をつくりたい。それが牧口先生、戸田先生、そして私の思いです。
◇感謝を言葉で!
<続いて先生は、親孝行の具体例を示しながら、創立者としての真情を語った>
ともかく、お父さん、お母さんを明るくしてあげる。ホッとさせてあげることだ。例えば、たまにはお母さんに、「お掃除とご飯の支度は私がやりますので、あとはゆっくりしてください」と言う。感謝の気持ちを伝える。そうすれば、お母さんが、どれほど喜ぶか。親を悲しませてはいけない。嘆かせるようなことがあってはいけない。
皆さん方のお父さんや、お母さんは、厳しい経済不況の中、大切な大切な宝のわが子を、私の創立した大学に送り出してくださいました。親にとって、自分の子どもは宝です。どんな小さなことだって心配する。私はよく知っています。特に母親はそうです。
しかし、子どもは親の気持ちがなかなかわからない。親の心がわかる人が、本当の教育を受けた人です。私は、皆さんのお父さん、お母さんのご健康、一家のご繁栄、そして栄光の人生を、妻と一緒に毎朝、毎晩、祈っています。創立者として、当然のことだと思っています。
どうか、この最高の父母の慈愛に、皆さんは最高の真心の親孝行で応えてください!
それができれば、自分にとって、家族にとって、こんなにうれしい、幸せな、安心の人生はない。
反対に、親を苦しませれば、不幸をつくりだしてしまう。それではいけない。
本当の人間を育てるのが創価大学です。
価値ある人生だ。一度しかない人生だ。
「本当によかった」「楽しかった」「私は成し遂げた」と言える一人一人であってください。
お父さん、お母さんを頼みます。そして、「社会をよくしよう」「不幸の人を幸せにしよう」——こう思って戦ってください。生き抜いてください。
一人だけ満足し、あとは皆、不満ばかり。それでは不幸だ。自分だけでなく、皆の境涯も開き、幸福の道を開く。これが本当の「創価」です。
◇勇気ある人に
<さらに、池田先生は、西安交通大学の足跡に学ぶべき精神として「勇気」を挙げた。そして「親孝行」も、「人間としての正義」であり、「勇気」が必要であると訴えた>
貴・西安交通大学は1956年(昭和31年)、西安へ移られました。
それは、厳しい環境のなか、西部地域の開発を推進するという、重大な挑戦でした。その貴大学を励ましたのが、周恩来総理でありました。
「あまりに快適すぎては、青年を鍛え育てることはできません。風雪に耐えられるよう、鍛えあげねばならないのです。苦難を乗り越えるよう青年を導くには、(西安交通大学の立つ中国西北部は)願ってもない場所です」
周総理は確信を持ち、希望に燃えながら、語っておられた。青年を信じ、青年を心から愛し、期待しておられた。
私も周総理と語り合いました。たくさんの思い出があります。
この崇高なる貴大学の足跡に学ぶべき精神は、あまりにも多い。なかでも学ぶべきは、人々の幸福のため、一番大変な最前線へ飛び込む「勇気」であります。要領がいい。頭もいい。策も上手。しかし、"正義を貫く勇気"が欠落していれば、それは根本的な欠陥となってしまう。
「学ぶ」こと自体、正しい道である。だからこそ、学び抜くためには勇気がいる。親孝行も、人間としての正義です。だから勇気がいるのです。
「勇気」は「正義」につながる。「勇気ある人」「正義の人」として、人生を歩んでいかなければならない。
「自分自身に勝ってみせる!」という心意気です。
これこそ、大事な人生の一点であると思います。
父も母も、自分自身も、晴れやかに楽しく「私は勝った」「親孝行ができた」と言える人になってください! 人生において勇気を忘れてはいけない。小手先のずるさで生きてはいけない。何度でも申し上げておきます。
2020年2月25日火曜日
2020.02.24 わが友に贈る
逆境は人間革命の好機!
乗り越えられない
苦難は絶対にない。
この強き信心の一念で
今を真剣に生き抜こう!
十字御書 P1492
『今日本国の法華経をかたきとしてわざわいを千里の外よりまねきよせぬ、此れをもつてをもうに今又法華経を信ずる人はさいわいを万里の外よりあつむべし』
【通解】
今、日本の国は法華経を敵として、禍を千里の外から招き寄せています。このことから考えてみると、今また、法華経を信ずる人は幸いを万里の外から集めることでしょう。
名字の言 会合と個人指導の比率はどう変わる? 2020年2月25日
訪問・激励をすると、必ず新しい発見がある。信仰体験、発心動機、師との原点、同志との思い出等、こちらが学ぶことばかりだ。共通の趣味や、思いがけない特技などが分かり、心の距離が縮まることもある▼そもそも一人一人の本当の「悩み」は、懇談の中でしか出てこないもの。大勢で集まった時の元気な様子しか知らずにいたことに、反省することも少なくない。やはり時間を取って、話を聞いてみなければ分からない▼さらに「励まし」で大切なのは、気の利いた言葉だけではなく、相手を思う真心と、信心への確信を伝えることだろう。じっくりと語り合うこと自体に、大きな意義がある▼池田先生は語っている。「一対一の『草の根の語らい』——それは まことに地味である。しかし『人と人のつながり』をつくっている」「一人ひとりの思いを包み込み、同苦しながら、きめ細かに激励していくことである。これを私は、ただひたすら実行してきた。そして勝った」と▼会合と個人指導の比率が「2対8」となるよう心掛ければ、着実に人材が育ち、自身も大きく成長していく。今は、さらに踏み込んで「0対10」で訪問・激励に取り組める好機。相手の状況に配慮しつつ、希望あふれる声掛けをいや増して進めていこう。(道)
寸鉄 2020年2月25日
妙法の生活とは変毒為薬—牧口先生。題目の師子吼で智慧発揮し一歩前進
賢者とは人生の使命を知る者の謂—文豪。広布に生きる日々こそ最高の宝
大麻所持の高校生、逮捕相次ぐ。「簡単に入手できる」教育長。対策強化急げ
昨年の世界の軍事費、過去10年で伸び率最大と。不信の時代を断じて転換
70歳超えても働きたい—60代の半数以上。公明よ豊かな経験生かす社会を
☆地域を歩く 和歌山・みなべ町 一足早く春が訪れる町 2020年2月20日
◇日本一の梅の里
春告草——厳冬を越え、百花に先駆けて開花する「梅」は、古来、そう呼ばれてきた。毎年2月になると、満開の梅が山あいを真っ白に染め上げ、いち早く春の到来を告げる町がある。
梅の生産量日本一を誇る和歌山・みなべ町だ。代表品種「南高梅」の発祥の地としても有名。町内で梅農家を営む竹田和久さん(支部書記長)・圭子さん(支部婦人部長)夫妻が胸を張る。「南高梅の梅干しは果肉が大きく、皮が薄くて柔らかいのが特長です。日本中の人に食べてほしい」
2月中旬には、日本最大級の梅林「南部梅林」が見頃を迎え、観光客でにぎわう。今でこそ、園内や駐車場が整備され、多くの人が楽しめるようになったが、かつては花見客が無断で農地に入ったり、梅の枝を折ったりすることもあった。
そこで立ち上がったのが、和久さんの父・郁夫さん(故人)だった。梅農家の郁夫さんは"梅の木を守り、観光資源として活用しよう"と、地域住民と共に「梅の里観梅協会」を発足。初代会長に就いた。
行政と連携しながら周辺一帯を整備し、観光地に。開花時には、3万人の人出が見込まれるまでになった。
一方、和久さんは郁夫さんの後を継ぎ、梅の品質向上へ研究を重ねた。15年前からは有機肥料のみを使用し、農薬を5割以上削減した「減農薬栽培」に挑戦。"おいしくて安心できる農産物"として、県の「特別栽培農産物」に認定された。この認定を受けているのは、1000軒以上ある梅農家のうち、10軒程度だという。
竹田和久さんは仕事の傍ら、町内の消防団長として、300人の団員をまとめる。冬場には夜間パトロールを行い、地域の安全を支えてきた。みなべ町を含む日高郡内の美浜・日高・日高川・由良・印南の全6町からなる日高広域消防協議会の会長としても活躍する。
竹田さん夫妻は「学会員の誇りを胸に、地域の無事故を祈りつつ、人に尽くす人生を歩んでいきたい」と口をそろえる。
◇町の魅力をPR
白炭の最高傑作といわれる「紀州備長炭」。みなべ町は、日本有数の紀州備長炭の生産地でもある。また、町内にある千里の浜は、アカウミガメの産卵地として本州最大規模を誇る。
こうした町の魅力を発信してきたのが、細川真由さん(女子部部長)だ。2014年から3年間、町の観光協会の「みなべウェルカムクルー」として活動。南高梅をはじめ、名所や名物などを県内外へPRしてきた。
「みなべ町には海も山もあり、自然豊かな町。クルーとなり、町の素晴らしさを再認識することができました」
現在、JAの窓口業務に従事しながら、梅商品の販売促進も行っている。
誠実第一で仕事に取り組む細川さん。その手本は、白蓮グループの先輩の姿だった。本部幹部会の中継行事の任務に就いた時のこと。雨の日、来館者が使えるように、先輩はタオルを用意。さらに、濡れた杖を拭いてあげるなど、こまやかな心遣いに胸を打たれた。
自分も先輩のようになりたいと懸命に祈りながら、仕事と学会活動に励んだ。その努力が花開き、16年8月、窓口業務サービスの向上のために行われた県コンクールで、最優秀賞に輝いた。「これからも信心根本に真心の接客を心掛けていきます」
◇青年の力で地域を活性化
みなべ町で、毎年の恒例行事となっている「UME—1 フェスタ」。今月9日、町内で盛大に開催され、多くの人が訪れた。
このフェスタの一大イベントが、梅の種を飛ばして距離を競う「やにこい種とばし」である。今年は、昨年を上回る延べ1400人が参加した。
同イベントの実行委員長を務めたのが、男子部大学校2期生の楠谷和弘さん。「『やにこい』は和歌山の方言で『ものすごい』という意味です。南高梅のおいしさを知ってもらうとともに、少しでも地域の活性化につながればうれしい」
仕事では、祖父の代から続く運送会社の専務取締役。そのリーダーシップを買われ、みなべ町商工会青年部の部長に。また、日高郡商工会青年部連合会の会長の重責も担う。「商工会には、梅加工会社や建設会社、電器店など、さまざまな業種のメンバーがいます。皆で一つのイベントをつくり上げる中で絆が強くなっています」
4児の父として子育てにも奮闘。楠谷さんは「愛する故郷の魅力を、子どもたちにも伝えたい」と声を弾ませる。
◇町内一のウスイエンドウ畑
日本有数の「ウスイエンドウ」の生産地としても知られる、みなべ町。「2月は、梅の花も、エンドウマメの白い花も満開になるので、町中が花の香りに包まれます」
そう語るのは、町内でウスイエンドウ栽培を営む熊代学さん(壮年部員)・惠美さん(地区婦人部長)夫妻だ。40年以上、梅栽培中心だったが、20年ほど前から徐々にウスイエンドウ栽培に移行していった。
くぼ地を埋め立てて、平地にするまでに約10年。さらに畑作りにも時間がかかり、2、3年は、ほとんど思うような収穫ができなかった。土の温度や肥料の調合など、試行錯誤を重ねた結果、収穫量は増加。作付面積は町内一の7000平方メートルを誇り、約13トンのマメを出荷する。
「でも、私たち夫婦だけで、成功したわけじゃないんです」と学さん。近隣の農家が肥料の作り方や病気の対処法など、さまざまなことを教えてくれた。
強風が吹き、茎を支える杭がなぎ倒された時も、近隣の人たちが復旧を手伝ってくれた。惠美さんは「自分たちの畑の収穫もあって忙しいのに、力を貸してくれて……。本当にありがたかった」と述懐する。
感謝の思いを胸に、どんな時も前向きに生きる二人の姿に触れ、一昨年、親戚と息子の妻が入会。熊代さん夫妻は地域に恩返しをしようと心に期し、励ましの輪を広げる。
◇支え合う心で新たな価値を
みなべ町の沖合に静かに浮かぶ鹿島。「『みなべ』という地名は、一説によれば、鹿島が三つの鍋を伏せたように見える『三鍋』が由来とされているんです。鹿島は、町のシンボルとして親しまれています」
教えてくれたのは、社会福祉協議会で常務理事を務める川口富士夫さん(支部長)。10年ほど前から、ボランティアでアルコール依存症に悩む人の支援を行ってきた。「話を聞くと、多くの方は孤独を感じていました。だから、まずは自分が友人になろうと思ったんです」
「はあとカフェ」と銘打ち、保健師やケースワーカーなどの講師を招き、喫茶店で懇談会を実施。また依存症で悩む人と共に、折あるごとに、たこ焼きや焼き鳥などの露店を出店。「利用者さんたちの表情が明るくなってきたことがうれしい」と笑みを浮かべる。
町のためになればと、社会福祉士や介護福祉士のほか、調理師免許や大型バスの運転免許など、これまで数々の資格を取得してきた。「最初は人助けのつもりでしたが、振り返れば、皆さんのおかげで自分の可能性を大きく開くことができました。感謝の心を忘れず、悩みを抱える方に寄り添っていきたい」
◇好評の「歌う紙芝居」
同町では、多くの学会員が地域に尽くす。その一人が久保三千代さん(地区婦人部長)である。高校卒業後、保育士に。12年間、勤めた後、結婚を機に退職。みなべ町に転居し、3人の子宝に恵まれた。
3年前、知人に頼まれ、小学校で絵本の読み聞かせボランティアを開始。その時、親しくなったのが芦硲宏仁さんだった。久保さんの夫の友人でもあり、意気投合。ピアノ教室を開いていた芦硲さんの発案で、デュオ「ひろみっちょ」を結成した。
芦硲さんの作詞・作曲した歌をもとに、久保さんが紙芝居を制作。それを歌いながら披露している。「保育士時代によくイラストを描いたことが今、生きています」。これまで「うめぼしおにぎりのうた」「ぼくは びんちょうたん」など、町の魅力を伝える作品を作り、保育所や幼稚園、介護施設などで披露。今月は、南部梅林の特設ステージで野外コンサートも行った。
芦硲さんは、久保さんについて「家族思いで、とても優しい人。まるで自分の家族のように信頼しています」と話す。
子育て、学会活動、ボランティアと充実した毎日を送る久保さん。「地域の皆さんと協力して、未来を担う子どもたちを育んでいきたい」
◇愛する郷土に希望の春を
みなべ町の町民憲章の一つに「交流の輪を広げ 互いに支えあうまちをつくります」とある。
小谷芳正町長は語る。「南高梅は自家受粉ができません。そのため、他種の梅を近くに植え、その花粉で受粉させているのです。人間も梅と同じ。皆それぞれ考えや生き方も違いますが、隣近所が支え合うことで地域が栄えます。町内に住む学会員の皆さんも誠実で明るく、なくてはならない人たちです。皆さんと手を取り合いながら、町民の健康と幸せのために、力を尽くしてまいります」
◇
かつて、池田先生はつづった。「たとえ今、試練の冬にあろうとも、心は閉じこもりはしない。一歩、北風に踏み出す勇気に、戦う力、負けない力が湧き上がる。その心には、もう勝利の春が始まっているのだ。『冬の中に春を生む』梅花のように」
みなべの同志もまた、梅花のように、愛する郷土に"希望の春"を爛漫と広げゆく。
乗り越えられない
苦難は絶対にない。
この強き信心の一念で
今を真剣に生き抜こう!
十字御書 P1492
『今日本国の法華経をかたきとしてわざわいを千里の外よりまねきよせぬ、此れをもつてをもうに今又法華経を信ずる人はさいわいを万里の外よりあつむべし』
【通解】
今、日本の国は法華経を敵として、禍を千里の外から招き寄せています。このことから考えてみると、今また、法華経を信ずる人は幸いを万里の外から集めることでしょう。
名字の言 会合と個人指導の比率はどう変わる? 2020年2月25日
訪問・激励をすると、必ず新しい発見がある。信仰体験、発心動機、師との原点、同志との思い出等、こちらが学ぶことばかりだ。共通の趣味や、思いがけない特技などが分かり、心の距離が縮まることもある▼そもそも一人一人の本当の「悩み」は、懇談の中でしか出てこないもの。大勢で集まった時の元気な様子しか知らずにいたことに、反省することも少なくない。やはり時間を取って、話を聞いてみなければ分からない▼さらに「励まし」で大切なのは、気の利いた言葉だけではなく、相手を思う真心と、信心への確信を伝えることだろう。じっくりと語り合うこと自体に、大きな意義がある▼池田先生は語っている。「一対一の『草の根の語らい』——それは まことに地味である。しかし『人と人のつながり』をつくっている」「一人ひとりの思いを包み込み、同苦しながら、きめ細かに激励していくことである。これを私は、ただひたすら実行してきた。そして勝った」と▼会合と個人指導の比率が「2対8」となるよう心掛ければ、着実に人材が育ち、自身も大きく成長していく。今は、さらに踏み込んで「0対10」で訪問・激励に取り組める好機。相手の状況に配慮しつつ、希望あふれる声掛けをいや増して進めていこう。(道)
寸鉄 2020年2月25日
妙法の生活とは変毒為薬—牧口先生。題目の師子吼で智慧発揮し一歩前進
賢者とは人生の使命を知る者の謂—文豪。広布に生きる日々こそ最高の宝
大麻所持の高校生、逮捕相次ぐ。「簡単に入手できる」教育長。対策強化急げ
昨年の世界の軍事費、過去10年で伸び率最大と。不信の時代を断じて転換
70歳超えても働きたい—60代の半数以上。公明よ豊かな経験生かす社会を
☆地域を歩く 和歌山・みなべ町 一足早く春が訪れる町 2020年2月20日
◇日本一の梅の里
春告草——厳冬を越え、百花に先駆けて開花する「梅」は、古来、そう呼ばれてきた。毎年2月になると、満開の梅が山あいを真っ白に染め上げ、いち早く春の到来を告げる町がある。
梅の生産量日本一を誇る和歌山・みなべ町だ。代表品種「南高梅」の発祥の地としても有名。町内で梅農家を営む竹田和久さん(支部書記長)・圭子さん(支部婦人部長)夫妻が胸を張る。「南高梅の梅干しは果肉が大きく、皮が薄くて柔らかいのが特長です。日本中の人に食べてほしい」
2月中旬には、日本最大級の梅林「南部梅林」が見頃を迎え、観光客でにぎわう。今でこそ、園内や駐車場が整備され、多くの人が楽しめるようになったが、かつては花見客が無断で農地に入ったり、梅の枝を折ったりすることもあった。
そこで立ち上がったのが、和久さんの父・郁夫さん(故人)だった。梅農家の郁夫さんは"梅の木を守り、観光資源として活用しよう"と、地域住民と共に「梅の里観梅協会」を発足。初代会長に就いた。
行政と連携しながら周辺一帯を整備し、観光地に。開花時には、3万人の人出が見込まれるまでになった。
一方、和久さんは郁夫さんの後を継ぎ、梅の品質向上へ研究を重ねた。15年前からは有機肥料のみを使用し、農薬を5割以上削減した「減農薬栽培」に挑戦。"おいしくて安心できる農産物"として、県の「特別栽培農産物」に認定された。この認定を受けているのは、1000軒以上ある梅農家のうち、10軒程度だという。
竹田和久さんは仕事の傍ら、町内の消防団長として、300人の団員をまとめる。冬場には夜間パトロールを行い、地域の安全を支えてきた。みなべ町を含む日高郡内の美浜・日高・日高川・由良・印南の全6町からなる日高広域消防協議会の会長としても活躍する。
竹田さん夫妻は「学会員の誇りを胸に、地域の無事故を祈りつつ、人に尽くす人生を歩んでいきたい」と口をそろえる。
◇町の魅力をPR
白炭の最高傑作といわれる「紀州備長炭」。みなべ町は、日本有数の紀州備長炭の生産地でもある。また、町内にある千里の浜は、アカウミガメの産卵地として本州最大規模を誇る。
こうした町の魅力を発信してきたのが、細川真由さん(女子部部長)だ。2014年から3年間、町の観光協会の「みなべウェルカムクルー」として活動。南高梅をはじめ、名所や名物などを県内外へPRしてきた。
「みなべ町には海も山もあり、自然豊かな町。クルーとなり、町の素晴らしさを再認識することができました」
現在、JAの窓口業務に従事しながら、梅商品の販売促進も行っている。
誠実第一で仕事に取り組む細川さん。その手本は、白蓮グループの先輩の姿だった。本部幹部会の中継行事の任務に就いた時のこと。雨の日、来館者が使えるように、先輩はタオルを用意。さらに、濡れた杖を拭いてあげるなど、こまやかな心遣いに胸を打たれた。
自分も先輩のようになりたいと懸命に祈りながら、仕事と学会活動に励んだ。その努力が花開き、16年8月、窓口業務サービスの向上のために行われた県コンクールで、最優秀賞に輝いた。「これからも信心根本に真心の接客を心掛けていきます」
◇青年の力で地域を活性化
みなべ町で、毎年の恒例行事となっている「UME—1 フェスタ」。今月9日、町内で盛大に開催され、多くの人が訪れた。
このフェスタの一大イベントが、梅の種を飛ばして距離を競う「やにこい種とばし」である。今年は、昨年を上回る延べ1400人が参加した。
同イベントの実行委員長を務めたのが、男子部大学校2期生の楠谷和弘さん。「『やにこい』は和歌山の方言で『ものすごい』という意味です。南高梅のおいしさを知ってもらうとともに、少しでも地域の活性化につながればうれしい」
仕事では、祖父の代から続く運送会社の専務取締役。そのリーダーシップを買われ、みなべ町商工会青年部の部長に。また、日高郡商工会青年部連合会の会長の重責も担う。「商工会には、梅加工会社や建設会社、電器店など、さまざまな業種のメンバーがいます。皆で一つのイベントをつくり上げる中で絆が強くなっています」
4児の父として子育てにも奮闘。楠谷さんは「愛する故郷の魅力を、子どもたちにも伝えたい」と声を弾ませる。
◇町内一のウスイエンドウ畑
日本有数の「ウスイエンドウ」の生産地としても知られる、みなべ町。「2月は、梅の花も、エンドウマメの白い花も満開になるので、町中が花の香りに包まれます」
そう語るのは、町内でウスイエンドウ栽培を営む熊代学さん(壮年部員)・惠美さん(地区婦人部長)夫妻だ。40年以上、梅栽培中心だったが、20年ほど前から徐々にウスイエンドウ栽培に移行していった。
くぼ地を埋め立てて、平地にするまでに約10年。さらに畑作りにも時間がかかり、2、3年は、ほとんど思うような収穫ができなかった。土の温度や肥料の調合など、試行錯誤を重ねた結果、収穫量は増加。作付面積は町内一の7000平方メートルを誇り、約13トンのマメを出荷する。
「でも、私たち夫婦だけで、成功したわけじゃないんです」と学さん。近隣の農家が肥料の作り方や病気の対処法など、さまざまなことを教えてくれた。
強風が吹き、茎を支える杭がなぎ倒された時も、近隣の人たちが復旧を手伝ってくれた。惠美さんは「自分たちの畑の収穫もあって忙しいのに、力を貸してくれて……。本当にありがたかった」と述懐する。
感謝の思いを胸に、どんな時も前向きに生きる二人の姿に触れ、一昨年、親戚と息子の妻が入会。熊代さん夫妻は地域に恩返しをしようと心に期し、励ましの輪を広げる。
◇支え合う心で新たな価値を
みなべ町の沖合に静かに浮かぶ鹿島。「『みなべ』という地名は、一説によれば、鹿島が三つの鍋を伏せたように見える『三鍋』が由来とされているんです。鹿島は、町のシンボルとして親しまれています」
教えてくれたのは、社会福祉協議会で常務理事を務める川口富士夫さん(支部長)。10年ほど前から、ボランティアでアルコール依存症に悩む人の支援を行ってきた。「話を聞くと、多くの方は孤独を感じていました。だから、まずは自分が友人になろうと思ったんです」
「はあとカフェ」と銘打ち、保健師やケースワーカーなどの講師を招き、喫茶店で懇談会を実施。また依存症で悩む人と共に、折あるごとに、たこ焼きや焼き鳥などの露店を出店。「利用者さんたちの表情が明るくなってきたことがうれしい」と笑みを浮かべる。
町のためになればと、社会福祉士や介護福祉士のほか、調理師免許や大型バスの運転免許など、これまで数々の資格を取得してきた。「最初は人助けのつもりでしたが、振り返れば、皆さんのおかげで自分の可能性を大きく開くことができました。感謝の心を忘れず、悩みを抱える方に寄り添っていきたい」
◇好評の「歌う紙芝居」
同町では、多くの学会員が地域に尽くす。その一人が久保三千代さん(地区婦人部長)である。高校卒業後、保育士に。12年間、勤めた後、結婚を機に退職。みなべ町に転居し、3人の子宝に恵まれた。
3年前、知人に頼まれ、小学校で絵本の読み聞かせボランティアを開始。その時、親しくなったのが芦硲宏仁さんだった。久保さんの夫の友人でもあり、意気投合。ピアノ教室を開いていた芦硲さんの発案で、デュオ「ひろみっちょ」を結成した。
芦硲さんの作詞・作曲した歌をもとに、久保さんが紙芝居を制作。それを歌いながら披露している。「保育士時代によくイラストを描いたことが今、生きています」。これまで「うめぼしおにぎりのうた」「ぼくは びんちょうたん」など、町の魅力を伝える作品を作り、保育所や幼稚園、介護施設などで披露。今月は、南部梅林の特設ステージで野外コンサートも行った。
芦硲さんは、久保さんについて「家族思いで、とても優しい人。まるで自分の家族のように信頼しています」と話す。
子育て、学会活動、ボランティアと充実した毎日を送る久保さん。「地域の皆さんと協力して、未来を担う子どもたちを育んでいきたい」
◇愛する郷土に希望の春を
みなべ町の町民憲章の一つに「交流の輪を広げ 互いに支えあうまちをつくります」とある。
小谷芳正町長は語る。「南高梅は自家受粉ができません。そのため、他種の梅を近くに植え、その花粉で受粉させているのです。人間も梅と同じ。皆それぞれ考えや生き方も違いますが、隣近所が支え合うことで地域が栄えます。町内に住む学会員の皆さんも誠実で明るく、なくてはならない人たちです。皆さんと手を取り合いながら、町民の健康と幸せのために、力を尽くしてまいります」
◇
かつて、池田先生はつづった。「たとえ今、試練の冬にあろうとも、心は閉じこもりはしない。一歩、北風に踏み出す勇気に、戦う力、負けない力が湧き上がる。その心には、もう勝利の春が始まっているのだ。『冬の中に春を生む』梅花のように」
みなべの同志もまた、梅花のように、愛する郷土に"希望の春"を爛漫と広げゆく。
2020年2月23日日曜日
2020.02.23 わが友に贈る
揺るがぬ信心こそ
幸福を築く力だ!
歓喜と確信の体験は
百万言の理論に勝る。
納得と共感の対話を!
上野殿御返事 P1546
『又念仏は無間地獄に堕つると申す事をば経文に文明なるをばしらずして皆人日蓮が口より出でたりとおもへり、天はまつげのごとしと申すはこれなり、虚空の遠きとまつげの近きと人みなみる事なきなり』
【通解】
また、念仏は無間地獄に堕ちる業因というのは、経文に明らかであるのを知らないで、皆人は日蓮が口から出たことと思っている。天は睫毛のようなもである、というのはこのことである。虚空のような遠いものと、睫毛のような近いものは、人には皆見ることができないのである。
名字の言 Jリーグ現役最年長・カズの信念 2020年2月23日
サッカーのJリーグ1部(J1)が開幕し、28年目のシーズンを迎えた。注目を集めているのが、13年ぶりにJ1昇格を決めた横浜FCの"カズ"こと、三浦知良選手だ▼今月26日で53歳。ブラジルでキャリアをスタートさせ、今年で35年目のプロ生活となる。昭和、平成、令和と目まぐるしい変化を続けるサッカー界で走り続けてきた▼Jリーグ現役最年長の三浦選手は今、親子ほど年齢差がある若手選手たちと共に、さらなる高みを目指す。プロの信念として、昨日までの実績は「過去」のものであり、重要なのは、今日からまた「新しい自分をつくる」ために「新しい現実と戦い続ける」ことである、と強調する(『カズのまま死にたい』)。自分自身が"変わり続けている"からこそ、どの舞台でも輝いていけるのだろう▼社会の変化のスピードはすさまじく、たじろいでしまうこともあろう。だが、変化を恐れてばかりでは進めない。むしろ、あらゆる変化を自身の飛躍の好機と捉えて、人生を充実させる"追い風"としていきたい▼池田先生は、変化の時代に重要なことは「自分自身をつくり変え続けていくこと」と。広布に生きる人生も毎日が変化の連続だ。常に"今できることは何か"を考え、みずみずしい決意で新たな挑戦を開始しよう。(差)
寸鉄 2020年2月23日
問題解決しながら発展させるのが価値創造—恩師今しかできぬ事を着実に
九州婦人部の日。混迷の時こそ同志に励ましを!先駆の太陽は明るく強し
山光男子部の日。広布に一人立つ若人は陸続と。君らの挑戦こそ郷土の光
免疫力を高めるのも有効な感染症対策。バランス良く食事。十分な睡眠も
核戦争の脅威深刻で終末時計は残り100秒と。民衆の結束益々。平和の砦を
☆男子部大学校生入卒への池田先生のメッセージ 2020年2月21日
◇広布の大願を立てて新たな挑戦の歴史を
凜々しき男子部大学校の入卒、誠におめでとう!
卒業する2期生の諸君は、皆、勇敢に戦い、新時代の大学校の素晴らしい金の歴史を創ってくれた。
私は一人一人の人間革命の劇を最大にたたえつつ、大拍手を送っています。本当にありがとう!
使命深き3期生の諸君は、勇んで、尊き誓願の青春に挑みゆく自分自身を誇りとし、胸を張ってもらいたい。そして、よき先輩、よき同志と励まし合いながら、勢いよく、新たな挑戦と開拓の前進を開始してくれたまえ!
大聖人は「かかる者の弟子檀那とならん人人は宿縁ふかしと思うて日蓮と同じく法華経を弘むべきなり」(御書903ページ)と仰せになられました。
日蓮仏法は世界第一の生命尊厳の大哲理であり、青春勝利の大哲学です。この太陽の仏法を実践し弘めているのは、創価学会だけです。なかんずく、その若き旗手こそ諸君です。諸君は、一人も残らず、世界の希望と輝く偉大な哲人なのです。
ゆえに、勇気を出して、一人また一人と語り、仏縁を広げていくことです。語った分だけ、相手の生命の奥深くに不滅の幸福の種となって植えられます。たとえ、すぐに信心をしなくとも、未来に必ず花開いていきます。
そして、自身の生命にも、ますます大いなる福運が積まれ、歓喜と生命力が湧き、自分に勝ち、社会で勝ちゆく境涯を開いていけるのです。広宣流布のための努力に、一切、無駄はありません。
どうか、広布と人生の大願を立て、眼前の試練を、一つまた一つ、忍耐強く乗り越えながら、一人ももれなく、生活でも職場でも社会でも、断固として勝利者となっていってください。
そして、「前進・人材の年」に、地域の同志からも、世界中の同志からも、「君の戦いに勇気と希望をもらった」と仰がれ、波動を起こしていくような、若き師子王の前進を頼みます。
聡明に無事故、健康第一で、家族を大切に、価値創造の日々であってください。愛する大学校生、全員の栄光勝利を、私は祈り抜いていきます。
幸福を築く力だ!
歓喜と確信の体験は
百万言の理論に勝る。
納得と共感の対話を!
上野殿御返事 P1546
『又念仏は無間地獄に堕つると申す事をば経文に文明なるをばしらずして皆人日蓮が口より出でたりとおもへり、天はまつげのごとしと申すはこれなり、虚空の遠きとまつげの近きと人みなみる事なきなり』
【通解】
また、念仏は無間地獄に堕ちる業因というのは、経文に明らかであるのを知らないで、皆人は日蓮が口から出たことと思っている。天は睫毛のようなもである、というのはこのことである。虚空のような遠いものと、睫毛のような近いものは、人には皆見ることができないのである。
名字の言 Jリーグ現役最年長・カズの信念 2020年2月23日
サッカーのJリーグ1部(J1)が開幕し、28年目のシーズンを迎えた。注目を集めているのが、13年ぶりにJ1昇格を決めた横浜FCの"カズ"こと、三浦知良選手だ▼今月26日で53歳。ブラジルでキャリアをスタートさせ、今年で35年目のプロ生活となる。昭和、平成、令和と目まぐるしい変化を続けるサッカー界で走り続けてきた▼Jリーグ現役最年長の三浦選手は今、親子ほど年齢差がある若手選手たちと共に、さらなる高みを目指す。プロの信念として、昨日までの実績は「過去」のものであり、重要なのは、今日からまた「新しい自分をつくる」ために「新しい現実と戦い続ける」ことである、と強調する(『カズのまま死にたい』)。自分自身が"変わり続けている"からこそ、どの舞台でも輝いていけるのだろう▼社会の変化のスピードはすさまじく、たじろいでしまうこともあろう。だが、変化を恐れてばかりでは進めない。むしろ、あらゆる変化を自身の飛躍の好機と捉えて、人生を充実させる"追い風"としていきたい▼池田先生は、変化の時代に重要なことは「自分自身をつくり変え続けていくこと」と。広布に生きる人生も毎日が変化の連続だ。常に"今できることは何か"を考え、みずみずしい決意で新たな挑戦を開始しよう。(差)
寸鉄 2020年2月23日
問題解決しながら発展させるのが価値創造—恩師今しかできぬ事を着実に
九州婦人部の日。混迷の時こそ同志に励ましを!先駆の太陽は明るく強し
山光男子部の日。広布に一人立つ若人は陸続と。君らの挑戦こそ郷土の光
免疫力を高めるのも有効な感染症対策。バランス良く食事。十分な睡眠も
核戦争の脅威深刻で終末時計は残り100秒と。民衆の結束益々。平和の砦を
☆男子部大学校生入卒への池田先生のメッセージ 2020年2月21日
◇広布の大願を立てて新たな挑戦の歴史を
凜々しき男子部大学校の入卒、誠におめでとう!
卒業する2期生の諸君は、皆、勇敢に戦い、新時代の大学校の素晴らしい金の歴史を創ってくれた。
私は一人一人の人間革命の劇を最大にたたえつつ、大拍手を送っています。本当にありがとう!
使命深き3期生の諸君は、勇んで、尊き誓願の青春に挑みゆく自分自身を誇りとし、胸を張ってもらいたい。そして、よき先輩、よき同志と励まし合いながら、勢いよく、新たな挑戦と開拓の前進を開始してくれたまえ!
大聖人は「かかる者の弟子檀那とならん人人は宿縁ふかしと思うて日蓮と同じく法華経を弘むべきなり」(御書903ページ)と仰せになられました。
日蓮仏法は世界第一の生命尊厳の大哲理であり、青春勝利の大哲学です。この太陽の仏法を実践し弘めているのは、創価学会だけです。なかんずく、その若き旗手こそ諸君です。諸君は、一人も残らず、世界の希望と輝く偉大な哲人なのです。
ゆえに、勇気を出して、一人また一人と語り、仏縁を広げていくことです。語った分だけ、相手の生命の奥深くに不滅の幸福の種となって植えられます。たとえ、すぐに信心をしなくとも、未来に必ず花開いていきます。
そして、自身の生命にも、ますます大いなる福運が積まれ、歓喜と生命力が湧き、自分に勝ち、社会で勝ちゆく境涯を開いていけるのです。広宣流布のための努力に、一切、無駄はありません。
どうか、広布と人生の大願を立て、眼前の試練を、一つまた一つ、忍耐強く乗り越えながら、一人ももれなく、生活でも職場でも社会でも、断固として勝利者となっていってください。
そして、「前進・人材の年」に、地域の同志からも、世界中の同志からも、「君の戦いに勇気と希望をもらった」と仰がれ、波動を起こしていくような、若き師子王の前進を頼みます。
聡明に無事故、健康第一で、家族を大切に、価値創造の日々であってください。愛する大学校生、全員の栄光勝利を、私は祈り抜いていきます。
2020年2月22日土曜日
2020.02.22 わが友に贈る
「法妙なるが故に
人貴し」御聖訓。
妙法を持つ皆様は
世界第一に尊貴なり。
共々に大福徳の道を!
法蓮抄 P1045
『現在に眼前の証拠あらんずる人此の経を説かん時は信ずる人もありやせん』
【通解】
今世に眼前の証拠を現した人がこの法華経を説かれる時には、信じる人もいるであろう。
名字の言 桜が開花の力にするものは? 2020年2月22日
俳句で「花」といえば「桜」を指す。「花を待つ」と詠めば「桜の開花を待つ」ことを意味するという▼「待つ花や藤三郎が吉野山」と松尾芭蕉が詠んだのは、奈良の桜の名所のことだった。紀行文『奥の細道』で知られる俳聖の足跡は、東北だけでなく京都や奈良、滋賀から兵庫まで関西各地にも及ぶ。春を待ち、開花を喜ぶ歌が少なくない。京都は特に"桜の都"ともいうべき様相だったようで、芭蕉もその光景を愛でる俳諧を残している▼吹きさらしの裸木を眺めると、春をただ待っているだけのように見えるが、そうではない。桜の花芽は冬の寒さにさらされることで、眠っている状態から目覚める。よく知られた「休眠打破」である。ある桜守が言っていた。「桜は、敢えて寒さを受け入れて開花の力に変える。冬は耐えるというより、一人戦う季節なんです」▼日蓮大聖人はある年の冬、門下への手紙に「さくら(桜)はをもしろき物・木の中よりさきいづ」(御書1492ページ)と記された。苦難が打ち続く中にあって、"あのゴツゴツした木からも、やがて美しい花が咲くではないか"と励まされたのである▼「花を待つ」は春の季語。喜びの季節を確信し、自らができる挑戦を重ねる人の心には、すでに勝利の春が訪れている。(之)
寸鉄 2020年2月22日
「四表の静謐を祷らん者か」御書。社会の安穏こそ仏法者の誓い。祈り深く
「学会の組織は安全地帯」戸田先生。真心の励ましで希望と勇気を同志へ!
鳥取広布原点の日。師の初訪問から60周年。民衆勝利の大城は山光に厳然
世界のプラごみ年3億トン1兆円超の損害と。身近な事から皆で着実に削減
地域の避難所、市区町村95%が改善必要。災害は忘れた頃に。取組加速を
☆勇気の旗高く 池田先生が栃木の友に贈る指針 強さこそ幸福の源泉 2020年2月17日
◇初の地方闘争
〈栃木広布の原点は、戸田先生が出獄からわずか1年後に行った、栃木指導にある。2003年(平成15年)の随筆には、その様子がつづられている〉
民衆の多くが戦災に疲れ果て、心身共に苦しめられていた一九四六年(昭和二十一年)の九月、わが師・戸田先生は、買い出し客で満員の列車に揺られながら、戦後初の地方指導に向かわれた。
広布史に輝くその第一歩の天地こそ、栃木であった。
あの時、先生を動かしたのは、女子部員の一途な声であったのだ。
疎開先である、父の故郷の村で折伏を始めたが、信心する人は誰もいない。悩み、思いあまって八月に上京し、戸田先生に指導を受けた。
「わかった、よくわかった。行ってあげよう!」
健気な女子部員は、勇んで栃木に帰るや、家族と小躍りしながら、折伏の炎を燃やし、師の来訪を待った。
時代が時代である。彼女たち一家は、先生が来られるのは来年か再来年だと思っていた。ところが、ほどなくして、戸田先生を総大将に総勢七人で訪問するとの手紙が届いて驚いた。
"こんなに早く!"
何事にも、時がある。今、何をするか。今、何ができるか。その時を逃さぬ迅速な行動こそが広布を開く力であることを、師は身をもって教えてくれたのだ。
また、先生は、世間から嘲笑され、悪口を言われながら、懸命に折伏に奮闘している、わが弟子たちを、一時も早く、応援し、励ましたかったのだ。
「まず幹部が、自ら先頭に立つことだ!」「一番、苦労している最前線の同志を励ませ!」——それが、戸田先生のご精神であった。
はるかに山々に囲まれた那須地方の村で、先生は、まことに地味で、小さな庶民の集いに飛び込んでいった。
一粒種の一家が村中を奔走して開いた法華経講演会のあと、そのお宅で、ささやかな座談会となった。顔と顔を向き合った、この真摯な対話のなかで、入会希望者が生まれたのである。
〈那須にある栃木研修道場には、この歴史をとどめる「座談会の碑」が立つ。栃木の友は、"座談会の栃木"との誇りも高く、座談会運動を活発に繰り広げている。
戸田先生の地方指導から5年後、くしくも、池田先生も地方闘争の初陣を、栃木の小山に飾る。1999年(平成11年)の随筆で、当時を振り返っている〉
一九五一年(昭和二十六年)の五月、わが師が、第二代会長に就任された三週間後、私も満を持して、初めての地方折伏に飛び出した。
緑光る山河を思い、胸の躍る感慨のゆえか、私は、出発の前夜には、日記にこう書いている。
「……吾人の、地方闘争への初陣である。嬉しき哉」
それが栃木方面であった。私も、恩師と同じく、民衆の大地・栃木から、新しき広宣の火蓋を切ったのである。
◇広布源流の誉れ
〈栃木には"日本最古の学校"と称される足利学校がある。広布の舞台においても、御書を拝し、『新・人間革命』などを教材に信心を磨く「人材大学校」の取り組みを、全国に先駆けて行ったのが、栃木だった。
1975年(昭和50年)12月、関東総合研修所(現・栃木研修道場)の落成記念勤行会の席上、池田先生が「栃木人材学校」の設置を発表。現在も、「栃木池田大学校」として、新たなリーダー育成の場となっている。
88年(同63年)の長編詩でも、人材光る栃木をたたえた〉
栃木はまた 学問の風土あり
かつて 四方より
かの足利学校に
向学の士は集いたる
その学徒三千人——
戦乱の世にあっても
読書の声は絶えることなく
共に研学に打ち励む
広布の人材学校は
この地より始まる
世界の目は栃木を
瞠目しゆくに違いない
使命と情熱の豊かなる水脈は
新たなるうねりとなって
必ずや 必ずや
人間と人間の曠野を
創り 潤す
その誉れの名は
地涌の栃木城
〈広布源流の天地・栃木は、先駆が使命である。89年(平成元年)9月、池田先生は栃木研修道場で呼び掛けた〉
広宣流布は言論戦だ。戸田先生は日本中、世界中の人に聖教新聞を読ませたいと言われていた。私も同じです。
聖教新聞の拡大は、折伏に通じ、大きな功徳がある。
「聖教先駆の栃木」でいきましょう。リーダー自らやろう。私もやります!
〈以来、栃木は「聖教先駆」を合言葉に前進。この指導から30周年となる昨年は、関東、全国をけん引する聖教拡大を成し遂げた〉
◇諸天を動かす
〈"栃木は日本一人柄が良い"——池田先生は折に触れて、語ってきた。
89年9月の指導の際、「人柄の良さの上に、あらゆる意味で『強さ』を備えていくことが、今後の大いなる発展につながる」と強調。栃木の同志が生命に刻む指針となった〉
幸福には「強さ」が必要である。勝利には「強さ」が不可欠である。個人も家庭も、団体や国家も、強くまた強くあってこそ、堂々と胸を張って、幸福と繁栄の道を進める。弱ければみじめである。
強い人のみが、人々を守ることができる。自分も楽しい。皆も安心である。弱さは後退と敗北に通じる。頼りないリーダーには人もつかない。仏子を守りゆく使命も果たせない。
「道理」の上に立っての透徹した「強さ」。そこに信心の現れもある。真実の信仰者の姿がある。学会も経文と御書の仰せのままに、何ものも恐れず、「強く」「賢明に」戦ったからこそ"奇跡"ともいわれる発展を実現できたのである。
〈99年(同11年)2月の本部幹部会は、栃木県総会の意義も込められた。冒頭、池田先生は、悔いのない人生をどう生きるかについて語った〉
御聖訓に「一生空しく過して万歳悔ゆること勿れ」(御書970ページ)と。
不滅の御言葉である。
人生の目的にまっすぐに向かい、本源的幸福の追求を完璧になしゆく人間、すなわち「広宣流布に邁進する勇者」には、悔いはない。
悔いのない人生——それを教えてくださったのが日蓮大聖人である。その「最高の人生」を教えているのが創価学会である。
この「喜び」と「確信」と「勇気」をもって進みましょう!
仏法には、一つもむだがない。仕事も、生活も、全部の歩みが仏法である。信心根本ならば、すべて功徳となる。
お集まりの皆さまのなかにも、多忙な方や、さまざまな状況をかかえた方もおられるにちがいない。
しかし、こうして仏法の集いに来られたのだから、功徳は大きい。「最高の法」の軌道に乗っている。
広宣流布の労苦は、むだのように見えても、大変であっても、苦労した分だけ、すべてを生かしながら、「善」の方向へ、自分が向かっていく。それが信心の力である。
私どもは、「大聖人に直結」して生きる。自分自身に生ききってゆく。
人がどうとか、世間がどうとか、評判がどうとか、小さなことである。
人が同情してくれない、理解してくれない——あまりにも、ちっぽけなことである。
正々堂々と、汝自身に生きぬき、決然たる祈りと行動で、この人生を飾っていただきたい!
諸天善神を堂々と揺り動かしていく自分自身になっていただきたい!
人貴し」御聖訓。
妙法を持つ皆様は
世界第一に尊貴なり。
共々に大福徳の道を!
法蓮抄 P1045
『現在に眼前の証拠あらんずる人此の経を説かん時は信ずる人もありやせん』
【通解】
今世に眼前の証拠を現した人がこの法華経を説かれる時には、信じる人もいるであろう。
名字の言 桜が開花の力にするものは? 2020年2月22日
俳句で「花」といえば「桜」を指す。「花を待つ」と詠めば「桜の開花を待つ」ことを意味するという▼「待つ花や藤三郎が吉野山」と松尾芭蕉が詠んだのは、奈良の桜の名所のことだった。紀行文『奥の細道』で知られる俳聖の足跡は、東北だけでなく京都や奈良、滋賀から兵庫まで関西各地にも及ぶ。春を待ち、開花を喜ぶ歌が少なくない。京都は特に"桜の都"ともいうべき様相だったようで、芭蕉もその光景を愛でる俳諧を残している▼吹きさらしの裸木を眺めると、春をただ待っているだけのように見えるが、そうではない。桜の花芽は冬の寒さにさらされることで、眠っている状態から目覚める。よく知られた「休眠打破」である。ある桜守が言っていた。「桜は、敢えて寒さを受け入れて開花の力に変える。冬は耐えるというより、一人戦う季節なんです」▼日蓮大聖人はある年の冬、門下への手紙に「さくら(桜)はをもしろき物・木の中よりさきいづ」(御書1492ページ)と記された。苦難が打ち続く中にあって、"あのゴツゴツした木からも、やがて美しい花が咲くではないか"と励まされたのである▼「花を待つ」は春の季語。喜びの季節を確信し、自らができる挑戦を重ねる人の心には、すでに勝利の春が訪れている。(之)
寸鉄 2020年2月22日
「四表の静謐を祷らん者か」御書。社会の安穏こそ仏法者の誓い。祈り深く
「学会の組織は安全地帯」戸田先生。真心の励ましで希望と勇気を同志へ!
鳥取広布原点の日。師の初訪問から60周年。民衆勝利の大城は山光に厳然
世界のプラごみ年3億トン1兆円超の損害と。身近な事から皆で着実に削減
地域の避難所、市区町村95%が改善必要。災害は忘れた頃に。取組加速を
☆勇気の旗高く 池田先生が栃木の友に贈る指針 強さこそ幸福の源泉 2020年2月17日
◇初の地方闘争
〈栃木広布の原点は、戸田先生が出獄からわずか1年後に行った、栃木指導にある。2003年(平成15年)の随筆には、その様子がつづられている〉
民衆の多くが戦災に疲れ果て、心身共に苦しめられていた一九四六年(昭和二十一年)の九月、わが師・戸田先生は、買い出し客で満員の列車に揺られながら、戦後初の地方指導に向かわれた。
広布史に輝くその第一歩の天地こそ、栃木であった。
あの時、先生を動かしたのは、女子部員の一途な声であったのだ。
疎開先である、父の故郷の村で折伏を始めたが、信心する人は誰もいない。悩み、思いあまって八月に上京し、戸田先生に指導を受けた。
「わかった、よくわかった。行ってあげよう!」
健気な女子部員は、勇んで栃木に帰るや、家族と小躍りしながら、折伏の炎を燃やし、師の来訪を待った。
時代が時代である。彼女たち一家は、先生が来られるのは来年か再来年だと思っていた。ところが、ほどなくして、戸田先生を総大将に総勢七人で訪問するとの手紙が届いて驚いた。
"こんなに早く!"
何事にも、時がある。今、何をするか。今、何ができるか。その時を逃さぬ迅速な行動こそが広布を開く力であることを、師は身をもって教えてくれたのだ。
また、先生は、世間から嘲笑され、悪口を言われながら、懸命に折伏に奮闘している、わが弟子たちを、一時も早く、応援し、励ましたかったのだ。
「まず幹部が、自ら先頭に立つことだ!」「一番、苦労している最前線の同志を励ませ!」——それが、戸田先生のご精神であった。
はるかに山々に囲まれた那須地方の村で、先生は、まことに地味で、小さな庶民の集いに飛び込んでいった。
一粒種の一家が村中を奔走して開いた法華経講演会のあと、そのお宅で、ささやかな座談会となった。顔と顔を向き合った、この真摯な対話のなかで、入会希望者が生まれたのである。
〈那須にある栃木研修道場には、この歴史をとどめる「座談会の碑」が立つ。栃木の友は、"座談会の栃木"との誇りも高く、座談会運動を活発に繰り広げている。
戸田先生の地方指導から5年後、くしくも、池田先生も地方闘争の初陣を、栃木の小山に飾る。1999年(平成11年)の随筆で、当時を振り返っている〉
一九五一年(昭和二十六年)の五月、わが師が、第二代会長に就任された三週間後、私も満を持して、初めての地方折伏に飛び出した。
緑光る山河を思い、胸の躍る感慨のゆえか、私は、出発の前夜には、日記にこう書いている。
「……吾人の、地方闘争への初陣である。嬉しき哉」
それが栃木方面であった。私も、恩師と同じく、民衆の大地・栃木から、新しき広宣の火蓋を切ったのである。
◇広布源流の誉れ
〈栃木には"日本最古の学校"と称される足利学校がある。広布の舞台においても、御書を拝し、『新・人間革命』などを教材に信心を磨く「人材大学校」の取り組みを、全国に先駆けて行ったのが、栃木だった。
1975年(昭和50年)12月、関東総合研修所(現・栃木研修道場)の落成記念勤行会の席上、池田先生が「栃木人材学校」の設置を発表。現在も、「栃木池田大学校」として、新たなリーダー育成の場となっている。
88年(同63年)の長編詩でも、人材光る栃木をたたえた〉
栃木はまた 学問の風土あり
かつて 四方より
かの足利学校に
向学の士は集いたる
その学徒三千人——
戦乱の世にあっても
読書の声は絶えることなく
共に研学に打ち励む
広布の人材学校は
この地より始まる
世界の目は栃木を
瞠目しゆくに違いない
使命と情熱の豊かなる水脈は
新たなるうねりとなって
必ずや 必ずや
人間と人間の曠野を
創り 潤す
その誉れの名は
地涌の栃木城
〈広布源流の天地・栃木は、先駆が使命である。89年(平成元年)9月、池田先生は栃木研修道場で呼び掛けた〉
広宣流布は言論戦だ。戸田先生は日本中、世界中の人に聖教新聞を読ませたいと言われていた。私も同じです。
聖教新聞の拡大は、折伏に通じ、大きな功徳がある。
「聖教先駆の栃木」でいきましょう。リーダー自らやろう。私もやります!
〈以来、栃木は「聖教先駆」を合言葉に前進。この指導から30周年となる昨年は、関東、全国をけん引する聖教拡大を成し遂げた〉
◇諸天を動かす
〈"栃木は日本一人柄が良い"——池田先生は折に触れて、語ってきた。
89年9月の指導の際、「人柄の良さの上に、あらゆる意味で『強さ』を備えていくことが、今後の大いなる発展につながる」と強調。栃木の同志が生命に刻む指針となった〉
幸福には「強さ」が必要である。勝利には「強さ」が不可欠である。個人も家庭も、団体や国家も、強くまた強くあってこそ、堂々と胸を張って、幸福と繁栄の道を進める。弱ければみじめである。
強い人のみが、人々を守ることができる。自分も楽しい。皆も安心である。弱さは後退と敗北に通じる。頼りないリーダーには人もつかない。仏子を守りゆく使命も果たせない。
「道理」の上に立っての透徹した「強さ」。そこに信心の現れもある。真実の信仰者の姿がある。学会も経文と御書の仰せのままに、何ものも恐れず、「強く」「賢明に」戦ったからこそ"奇跡"ともいわれる発展を実現できたのである。
〈99年(同11年)2月の本部幹部会は、栃木県総会の意義も込められた。冒頭、池田先生は、悔いのない人生をどう生きるかについて語った〉
御聖訓に「一生空しく過して万歳悔ゆること勿れ」(御書970ページ)と。
不滅の御言葉である。
人生の目的にまっすぐに向かい、本源的幸福の追求を完璧になしゆく人間、すなわち「広宣流布に邁進する勇者」には、悔いはない。
悔いのない人生——それを教えてくださったのが日蓮大聖人である。その「最高の人生」を教えているのが創価学会である。
この「喜び」と「確信」と「勇気」をもって進みましょう!
仏法には、一つもむだがない。仕事も、生活も、全部の歩みが仏法である。信心根本ならば、すべて功徳となる。
お集まりの皆さまのなかにも、多忙な方や、さまざまな状況をかかえた方もおられるにちがいない。
しかし、こうして仏法の集いに来られたのだから、功徳は大きい。「最高の法」の軌道に乗っている。
広宣流布の労苦は、むだのように見えても、大変であっても、苦労した分だけ、すべてを生かしながら、「善」の方向へ、自分が向かっていく。それが信心の力である。
私どもは、「大聖人に直結」して生きる。自分自身に生ききってゆく。
人がどうとか、世間がどうとか、評判がどうとか、小さなことである。
人が同情してくれない、理解してくれない——あまりにも、ちっぽけなことである。
正々堂々と、汝自身に生きぬき、決然たる祈りと行動で、この人生を飾っていただきたい!
諸天善神を堂々と揺り動かしていく自分自身になっていただきたい!
2020年2月21日金曜日
2020.02.21 わが友に贈る
「以信代慧」の信心だ。
題目の師子吼を轟かせ
深き智慧を湧き出そう。
豊かな創意工夫で
確かな前進の一歩を!
女人成仏抄 P471
『心地観経に云く「有情輪回して六道に生ずること猶車輪の始終無きが如く或は父母と為り男女と為り生生世世互いに恩有り」等云云』
【通解】
心地観経には「有情が輪廻して六道に生ずることは、ちょうど車輪に始めと終わりが無いようなもので、ある時には父母となり、ある時には男女となり、生々世々に互いに恩があるのである」といっている。
名字の言 香港SGIがSARSの経験に学んだこと 2020年2月21日
「あの経験があったからこそ私たちの絆は強くなり、創価の"負けじ魂"をより深く心に刻むことができました」。香港SGIの友が語っていた言葉を思い出す。"あの経験"とは、2003年に香港などで猛威を振るったSARS(重症急性呼吸器症候群)である▼当時、香港では2カ月間、全く会合を開けない日が続いた。そこでメンバーが考えたのが日々、各自で行う「1・2・3運動」。1日「1時間」の唱題、「20分」の御書や池田先生の指導の研さん、「3人」の友への励ましである▼会合がなくなり、個人の時間が多くなったことで、普段会えない同志や友人とも、じっくり話す機会を増やせた。これまで以上に心が通い合い、苦難に立ち向かう力が湧いたという▼新型コロナウイルスの感染が国内外で拡大している。大切なのは基本的な予防対策に努めつつ、正しい情報に基づき、適切な行動を取ることだ。学会活動の在り方も同じである。自他共の健康を祈ることを根本に、状況に応じて、できることは必ずある▼いつ何が起きるか分からない時代。だからこそ、支え励まし合う"心のつながり"を強めていきたい。電話やメール、SNSも活用できる。何ものにも負けない「希望」を広げること——そこに我らの使命がある。(仁)
寸鉄 2020年2月21日
「妙法蓮華経の五字を唱うる功徳莫大」御書。確信の祈りで自他の幸福開け
友情は魂の中の魂である—劇作家。友の心に安心送る励まし対話、今こそ
定年後のイメージ「明るい」24%—調査。価値創造の道進む多宝会こそ希望
確定申告の時期は還付金詐欺が頻発。甘い話は罠だ。寄せ付けぬ声掛けを
スマホ等による安易な借り入れなどで自己破産が増加傾向と。堅実第一で
☆心に御書を 第21回 幸福を創る源泉は「心」
〈御文〉
『わざわいは口より出でて身をやぶる・さいわいは心よりいでて我をかざる』(十字御書、1492ページ)
〈通解〉
災いは、口から出て身を破る。幸いは、心から出て自身を飾る。
〈池田先生が贈る指針〉
幸福の源泉は「心」だ。聡明な心は希望を創り、連帯を広げる。強き心は困難を乗り越える。
この「心」を磨くのが、日々の題目である。行学の実践である。
信心という「太陽の心」で、家庭も地域も社会も、明々と照らしていこう! 誠実な言葉、励ましの言葉、勇気の言葉を大切に、負けない力を漲らせながら。
題目の師子吼を轟かせ
深き智慧を湧き出そう。
豊かな創意工夫で
確かな前進の一歩を!
女人成仏抄 P471
『心地観経に云く「有情輪回して六道に生ずること猶車輪の始終無きが如く或は父母と為り男女と為り生生世世互いに恩有り」等云云』
【通解】
心地観経には「有情が輪廻して六道に生ずることは、ちょうど車輪に始めと終わりが無いようなもので、ある時には父母となり、ある時には男女となり、生々世々に互いに恩があるのである」といっている。
名字の言 香港SGIがSARSの経験に学んだこと 2020年2月21日
「あの経験があったからこそ私たちの絆は強くなり、創価の"負けじ魂"をより深く心に刻むことができました」。香港SGIの友が語っていた言葉を思い出す。"あの経験"とは、2003年に香港などで猛威を振るったSARS(重症急性呼吸器症候群)である▼当時、香港では2カ月間、全く会合を開けない日が続いた。そこでメンバーが考えたのが日々、各自で行う「1・2・3運動」。1日「1時間」の唱題、「20分」の御書や池田先生の指導の研さん、「3人」の友への励ましである▼会合がなくなり、個人の時間が多くなったことで、普段会えない同志や友人とも、じっくり話す機会を増やせた。これまで以上に心が通い合い、苦難に立ち向かう力が湧いたという▼新型コロナウイルスの感染が国内外で拡大している。大切なのは基本的な予防対策に努めつつ、正しい情報に基づき、適切な行動を取ることだ。学会活動の在り方も同じである。自他共の健康を祈ることを根本に、状況に応じて、できることは必ずある▼いつ何が起きるか分からない時代。だからこそ、支え励まし合う"心のつながり"を強めていきたい。電話やメール、SNSも活用できる。何ものにも負けない「希望」を広げること——そこに我らの使命がある。(仁)
寸鉄 2020年2月21日
「妙法蓮華経の五字を唱うる功徳莫大」御書。確信の祈りで自他の幸福開け
友情は魂の中の魂である—劇作家。友の心に安心送る励まし対話、今こそ
定年後のイメージ「明るい」24%—調査。価値創造の道進む多宝会こそ希望
確定申告の時期は還付金詐欺が頻発。甘い話は罠だ。寄せ付けぬ声掛けを
スマホ等による安易な借り入れなどで自己破産が増加傾向と。堅実第一で
☆心に御書を 第21回 幸福を創る源泉は「心」
〈御文〉
『わざわいは口より出でて身をやぶる・さいわいは心よりいでて我をかざる』(十字御書、1492ページ)
〈通解〉
災いは、口から出て身を破る。幸いは、心から出て自身を飾る。
〈池田先生が贈る指針〉
幸福の源泉は「心」だ。聡明な心は希望を創り、連帯を広げる。強き心は困難を乗り越える。
この「心」を磨くのが、日々の題目である。行学の実践である。
信心という「太陽の心」で、家庭も地域も社会も、明々と照らしていこう! 誠実な言葉、励ましの言葉、勇気の言葉を大切に、負けない力を漲らせながら。
2020年2月20日木曜日
2020.02.20 わが友に贈る
若き後継の青年よ
十年一剣を磨きゆけ!
真の"自分らしさ"は
限界まで挑んだ先に
初めて輝いてくる。
如説修行抄 P502
『万民一同に南無妙法蓮華経と唱え奉らば吹く風枝をならさず雨壤を砕かず、代は羲農の世となりて今生には不祥の災難を払ひ長生の術を得、人法共に不老不死の理顕れん時を各各御覧ぜよ現世安穏の証文疑い有る可からざる者なり』
【通解】
すべての人々が一同に南無妙法蓮華経と唱えるならば、吹く風は穏やかで、枝を鳴らさず、降る雨も土壌を砕かず、代は羲農(昔の中国における伏羲や神農)の時代のような理想社会となり、人々は今生には不幸な災難を払い、長生きできる方法を得て、人法ともに不老不死であるという道理がはっきりとあらわれてくるのである。その時をおのおの見てごらんなさい。「現世安穏」という証文の正しさは疑いないのである。
名字の言 環境への意識を啓発する大学祭での企画 2020年2月20日
三重県内の大学祭を訪れた時のこと。ある教室の中央には、海を模したブルーシートの上に、ボール紙で作られた魚が泳ぐ。それを来場者が囲み、針の代わりに磁石の付いたさおで釣っては、歓声を上げていた。だが、よく見ると人々が狙っているのは魚ではない。その周りに浮かぶ"ごみ"だ▼この大学に学ぶ学生部の有志が、国連の定めた「持続可能な開発目標(SDGs)」をテーマに実施した展示の一つ。実際、大学近くの浜辺には時折、さまざまなごみが打ち上げられる。環境への意識を啓発する企画は、身近な現実を見つめる中で生まれたものだった▼地球的問題群の解決へ、一人一人が足元から行動を起こす必要性が叫ばれている。その取り組みの鍵は、周囲の問題を"人ごと"ではなく、いかに"自分のこと"として捉えられるかだろう▼昨年行われた気候変動枠組み条約の第25回締約国会議(COP25)で、国連のグテーレス事務総長は地球温暖化に警鐘を鳴らし、「変化を望むなら、私たち自身が変わらなければなりません」と力説した▼御書に「汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を祷らん者か」(31ページ)と。地球環境と関係のない人など一人もいない。未来のために、自分にできる"挑戦"を見つけ、一歩を踏み出そう。(当)
寸鉄 2020年2月20日
人一倍後輩を育てなさい—戸田先生。一対一の励ましで自分以上の人材に
東京「荒川の日」。皆が仰ぎ見る不滅の民衆城。師弟共戦の闘魂は脈々と
幅広い分野の読書をする児童ほど学力向上—調査親子で挑戦!まず"1冊"
国連「世界社会正義の日」今こそ人類共生の道を。地球民族主義の旗を掲げ
死亡事故の歩行者6割が無理な横断等、法令違反。私は大丈夫の油断排して
☆新時代を築く 「太陽の仏法」の光を人類へ 2020年2月16日
御本仏が御聖誕され、恩師が誕生された2月——。
「かかる者の弟子檀那とならん人人は宿縁ふかしと思うて日蓮と同じく法華経を弘むべきなり」(御書903ページ)
この御聖訓のまま、若き日、私は折伏の波を起こし、2月を師恩への感謝の月とした。
今、私の心を心として、わが創価家族は、広宣流布の拡大に勇んで大前進してくれている。
新たな地涌の友が続々と誕生している歓喜の波動こそ、日蓮大聖人、また戸田先生への何よりの報恩にほかならない。
尊き共戦の勇士へ届けと、私は妻と総本部の恩師記念会館で勤行・唱題した(7日)。
会館の一角に、昭和33年の3月1日、戸田先生と私で学会歌の不二の指揮を執った写真があった。
師弟の懐かしき語らいが、あふれるように蘇ってくる。先生はしみじみと言われた。
「大聖人の仏法は、逆境にある人が必ず幸せになれる宗教である。信心で苦難を勝ち越えた人こそ、すごい力が出るのだ。その人こそが、本当に不幸な人々の味方になれるのだよ」と。
さまざまな悩みを抱えながらも、法のため、友のため、社会のため、奮闘する健気な同志に、無量無辺の功徳あれと祈りに祈っている。
* * *
大聖人は、世界で最も広大な太平洋のほとりに「民の子」として誕生された。
この大聖人の世界性を、いち早く洞察されていたのが、20世紀を代表する歴史学者トインビー博士である。
小説『人間革命』の英語版(1972年)に寄せてくださった序文では、大聖人のお心が「日本の海岸線」に限定されるものではなく、「全ての場所の人間の仲間を救済する」ことを願われたと指摘されている。そして、「創価学会は、人間革命の活動を通し、その日蓮の遺命を実行しているのである」と結ばれた。私との対談でも、幾度となく語ってくださった真情である。
地球規模の難題や、降りかかる危機を乗り越えるには、人類は一つの大家族として結束せねばならない。そして、試練という挑戦に偉大な応戦の智慧と力を発揮するのだ——この信念に立つ博士が私たちに託されたのが、人類を結ぶ平和の対話なのである。
* * *
トインビー博士の先見の通り、大聖人の民衆仏法は世界宗教として、いよいよ光彩を増している。
明年は、御本仏の御聖誕800年の大佳節を迎える。
まさしく末法万年尽未来際へ、令法久住の大道を限りなく開きゆく不思議な時が、学会創立100周年への十年なのだ。
「太陽の仏法」の大光を、一人一人が「信心即生活」「仏法即社会」の舞台で、思う存分、放ちゆこうではないか!
十年一剣を磨きゆけ!
真の"自分らしさ"は
限界まで挑んだ先に
初めて輝いてくる。
如説修行抄 P502
『万民一同に南無妙法蓮華経と唱え奉らば吹く風枝をならさず雨壤を砕かず、代は羲農の世となりて今生には不祥の災難を払ひ長生の術を得、人法共に不老不死の理顕れん時を各各御覧ぜよ現世安穏の証文疑い有る可からざる者なり』
【通解】
すべての人々が一同に南無妙法蓮華経と唱えるならば、吹く風は穏やかで、枝を鳴らさず、降る雨も土壌を砕かず、代は羲農(昔の中国における伏羲や神農)の時代のような理想社会となり、人々は今生には不幸な災難を払い、長生きできる方法を得て、人法ともに不老不死であるという道理がはっきりとあらわれてくるのである。その時をおのおの見てごらんなさい。「現世安穏」という証文の正しさは疑いないのである。
名字の言 環境への意識を啓発する大学祭での企画 2020年2月20日
三重県内の大学祭を訪れた時のこと。ある教室の中央には、海を模したブルーシートの上に、ボール紙で作られた魚が泳ぐ。それを来場者が囲み、針の代わりに磁石の付いたさおで釣っては、歓声を上げていた。だが、よく見ると人々が狙っているのは魚ではない。その周りに浮かぶ"ごみ"だ▼この大学に学ぶ学生部の有志が、国連の定めた「持続可能な開発目標(SDGs)」をテーマに実施した展示の一つ。実際、大学近くの浜辺には時折、さまざまなごみが打ち上げられる。環境への意識を啓発する企画は、身近な現実を見つめる中で生まれたものだった▼地球的問題群の解決へ、一人一人が足元から行動を起こす必要性が叫ばれている。その取り組みの鍵は、周囲の問題を"人ごと"ではなく、いかに"自分のこと"として捉えられるかだろう▼昨年行われた気候変動枠組み条約の第25回締約国会議(COP25)で、国連のグテーレス事務総長は地球温暖化に警鐘を鳴らし、「変化を望むなら、私たち自身が変わらなければなりません」と力説した▼御書に「汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を祷らん者か」(31ページ)と。地球環境と関係のない人など一人もいない。未来のために、自分にできる"挑戦"を見つけ、一歩を踏み出そう。(当)
寸鉄 2020年2月20日
人一倍後輩を育てなさい—戸田先生。一対一の励ましで自分以上の人材に
東京「荒川の日」。皆が仰ぎ見る不滅の民衆城。師弟共戦の闘魂は脈々と
幅広い分野の読書をする児童ほど学力向上—調査親子で挑戦!まず"1冊"
国連「世界社会正義の日」今こそ人類共生の道を。地球民族主義の旗を掲げ
死亡事故の歩行者6割が無理な横断等、法令違反。私は大丈夫の油断排して
☆新時代を築く 「太陽の仏法」の光を人類へ 2020年2月16日
御本仏が御聖誕され、恩師が誕生された2月——。
「かかる者の弟子檀那とならん人人は宿縁ふかしと思うて日蓮と同じく法華経を弘むべきなり」(御書903ページ)
この御聖訓のまま、若き日、私は折伏の波を起こし、2月を師恩への感謝の月とした。
今、私の心を心として、わが創価家族は、広宣流布の拡大に勇んで大前進してくれている。
新たな地涌の友が続々と誕生している歓喜の波動こそ、日蓮大聖人、また戸田先生への何よりの報恩にほかならない。
尊き共戦の勇士へ届けと、私は妻と総本部の恩師記念会館で勤行・唱題した(7日)。
会館の一角に、昭和33年の3月1日、戸田先生と私で学会歌の不二の指揮を執った写真があった。
師弟の懐かしき語らいが、あふれるように蘇ってくる。先生はしみじみと言われた。
「大聖人の仏法は、逆境にある人が必ず幸せになれる宗教である。信心で苦難を勝ち越えた人こそ、すごい力が出るのだ。その人こそが、本当に不幸な人々の味方になれるのだよ」と。
さまざまな悩みを抱えながらも、法のため、友のため、社会のため、奮闘する健気な同志に、無量無辺の功徳あれと祈りに祈っている。
* * *
大聖人は、世界で最も広大な太平洋のほとりに「民の子」として誕生された。
この大聖人の世界性を、いち早く洞察されていたのが、20世紀を代表する歴史学者トインビー博士である。
小説『人間革命』の英語版(1972年)に寄せてくださった序文では、大聖人のお心が「日本の海岸線」に限定されるものではなく、「全ての場所の人間の仲間を救済する」ことを願われたと指摘されている。そして、「創価学会は、人間革命の活動を通し、その日蓮の遺命を実行しているのである」と結ばれた。私との対談でも、幾度となく語ってくださった真情である。
地球規模の難題や、降りかかる危機を乗り越えるには、人類は一つの大家族として結束せねばならない。そして、試練という挑戦に偉大な応戦の智慧と力を発揮するのだ——この信念に立つ博士が私たちに託されたのが、人類を結ぶ平和の対話なのである。
* * *
トインビー博士の先見の通り、大聖人の民衆仏法は世界宗教として、いよいよ光彩を増している。
明年は、御本仏の御聖誕800年の大佳節を迎える。
まさしく末法万年尽未来際へ、令法久住の大道を限りなく開きゆく不思議な時が、学会創立100周年への十年なのだ。
「太陽の仏法」の大光を、一人一人が「信心即生活」「仏法即社会」の舞台で、思う存分、放ちゆこうではないか!
2020年2月19日水曜日
2020.02.19 わが友に贈る
苦難の時こそ
飛躍のチャンスだ。
仏法に無駄はない。
強盛に祈り抜き
一切を変毒為薬しよう!
御義口伝巻下 P779
『一切衆生は一眼の亀なり栴檀の浮木とは法華経なり』
【通解】
一切衆生は大海をさまよい続ける一眼の亀である。一眼の亀が求める栴檀の浮木とは法華経である。
名字の言 喜びや感謝の言葉がもたらすもの 2020年2月19日
幼い息子が口にする言葉の数が、どんどん増えていくことが楽しみで仕方がない様子の父親。先日も「発音は少し怪しいのですが、最近、『うれしい』という単語を発するようになりました」と笑顔で報告してくれた▼この家庭では夫婦そろって、ささいなことでも「うれしい」「ありがとう」と喜びや感謝の思いを口に出す。きっと息子は両親の口癖を日頃から聞いて覚えたのであろう▼親子でなくとも、心根の美しい人の喜びの声は、聞く人の心に残り、幸せな思いまで共有できるもの。そんなことを感じる出来事があった。白内障の手術を受けた婦人部員に術後の体調を尋ねると、こんな答えが返ってきた。「色鮮やかな世界が戻りました。何より御本尊に向かった時、文字がとても濃く見えて感動しました」▼「墨痕鮮やか」と形容できるほど、はっきりと御本尊の文字が見えたのは、視界が鮮明になったという理由だけではないだろう。彼女の曇りのない信心の眼によるものでもあると思えてならない▼喜びと感謝の心は、幸福の歩みを加速させる。唱題を根本として、わが生命に「歓喜の中の大歓喜」の太陽を昇らせ、自他共に輝いていく。この大歓喜の連帯を、今いる場所で自分らしく広げることが広宣流布である。(白)
寸鉄 2020年2月19日
何のために生きるかを得られるのが学会の良さ—識者。広布は人生の指標
第2宮城総県の日。福光の春開く励ましの連帯。皆様の前進は地域の希望
御書を拝して境涯をもう一歩開くのだ—戸田先生心肝に染める習慣今こそ
若い世代ほど自分に活力感じないと。真剣な題目で命は躍動。実験証明を
新型肺炎が拡大。「不要不急の外出控えて」と政府。人混み避けるなど賢明に
☆師とつづる幸福の劇 小説「新・人間革命」と共に
仏道修行は"己心の魔"との戦いであるといえる。"魔"はあらゆる手段を弄して、健気に信心に励もうとする人の意欲を奪い、心を破ろうとする。(中略)だが、御本尊は、すべてご存じである。生命の因果の理法に照らし、仏法のために苦労すればするほど、大福運を積んでいくのだ。(第26巻「法旗」の章、165〜166ページ)
熊本 中央区・坪井支部 南洋子さん(支部婦人部長)
◇仏法のための苦労は誇り
熊本総県婦人部では現在、「グループ学習・懇談」で小説『新・人間革命』を学び合っています。
最前線での研さんが充実した内容になるようにと、グループ長の皆さんと共に、支部単位で勉強会を開催。毎月1章ずつ、池田先生と対話する思いで小説を手にしています。昼間に働いている方も多くいますが、"師の心を胸に刻もう"と、家事や育児との両立にも挑戦しながら参加する姿に、私自身が勇気をもらっています。
◇
私は1977年(昭和52年)5月に入会しました。数年前に学会員になった姉が、喜々として学会活動に励む姿に触れ、"私も変わりたい"と思うようになったのがきっかけです。
入会を決意した、まさにその日。熊本文化会館(当時)に来館されていた池田先生と、出会いを結ぶことができました。
"人生にはいろんなことがあるけれど、信心を10年、20年、30年と続けていくんだよ"
先生が語ってくださった言葉を胸に、女子部の活動にまい進。結婚し、4人の子育てに追われていた時も、夫が知人の連帯保証人となり、膨大な借金を背負った時も、先生の指導を抱き締め、信心を貫いて、弘教拡大に挑んできました。
2007年(平成19年)、夫が肝臓がんに襲われました。この『新・人間革命』の一文は、夫を支えながら、地区婦人部長として一歩も引かず学会活動に走っていた時に出あった指導です。以来どんな時も、"己心の魔"に打ち勝つため、唱題根本で進んできました。
夫は8年間の闘病の末、霊山へと旅立ちました。この時ほど、創価家族の温かさを感じたことはありません。同志の皆さまの支えがあったからこそ、わが家は、前を向いて歩むことができました。
夫は生前、長年にわたってボランティア活動を続けていました。活動の中で出会った友人たちに、夫の遺志を継ぐ思いで対話。一昨年には、3人のボランティア仲間に、弘教を実らせることができました。
今は、13人の孫に囲まれ、広布後継の子どもたちと共に戦えることに、幸せをかみ締めています。先生に教えていただいた通りに信心を続けてきた功徳を実感する毎日です。これからも、この仏法で乗り越えてきた体験を語りながら、地域に希望のスクラムを広げていきます。
飛躍のチャンスだ。
仏法に無駄はない。
強盛に祈り抜き
一切を変毒為薬しよう!
御義口伝巻下 P779
『一切衆生は一眼の亀なり栴檀の浮木とは法華経なり』
【通解】
一切衆生は大海をさまよい続ける一眼の亀である。一眼の亀が求める栴檀の浮木とは法華経である。
名字の言 喜びや感謝の言葉がもたらすもの 2020年2月19日
幼い息子が口にする言葉の数が、どんどん増えていくことが楽しみで仕方がない様子の父親。先日も「発音は少し怪しいのですが、最近、『うれしい』という単語を発するようになりました」と笑顔で報告してくれた▼この家庭では夫婦そろって、ささいなことでも「うれしい」「ありがとう」と喜びや感謝の思いを口に出す。きっと息子は両親の口癖を日頃から聞いて覚えたのであろう▼親子でなくとも、心根の美しい人の喜びの声は、聞く人の心に残り、幸せな思いまで共有できるもの。そんなことを感じる出来事があった。白内障の手術を受けた婦人部員に術後の体調を尋ねると、こんな答えが返ってきた。「色鮮やかな世界が戻りました。何より御本尊に向かった時、文字がとても濃く見えて感動しました」▼「墨痕鮮やか」と形容できるほど、はっきりと御本尊の文字が見えたのは、視界が鮮明になったという理由だけではないだろう。彼女の曇りのない信心の眼によるものでもあると思えてならない▼喜びと感謝の心は、幸福の歩みを加速させる。唱題を根本として、わが生命に「歓喜の中の大歓喜」の太陽を昇らせ、自他共に輝いていく。この大歓喜の連帯を、今いる場所で自分らしく広げることが広宣流布である。(白)
寸鉄 2020年2月19日
何のために生きるかを得られるのが学会の良さ—識者。広布は人生の指標
第2宮城総県の日。福光の春開く励ましの連帯。皆様の前進は地域の希望
御書を拝して境涯をもう一歩開くのだ—戸田先生心肝に染める習慣今こそ
若い世代ほど自分に活力感じないと。真剣な題目で命は躍動。実験証明を
新型肺炎が拡大。「不要不急の外出控えて」と政府。人混み避けるなど賢明に
☆師とつづる幸福の劇 小説「新・人間革命」と共に
仏道修行は"己心の魔"との戦いであるといえる。"魔"はあらゆる手段を弄して、健気に信心に励もうとする人の意欲を奪い、心を破ろうとする。(中略)だが、御本尊は、すべてご存じである。生命の因果の理法に照らし、仏法のために苦労すればするほど、大福運を積んでいくのだ。(第26巻「法旗」の章、165〜166ページ)
熊本 中央区・坪井支部 南洋子さん(支部婦人部長)
◇仏法のための苦労は誇り
熊本総県婦人部では現在、「グループ学習・懇談」で小説『新・人間革命』を学び合っています。
最前線での研さんが充実した内容になるようにと、グループ長の皆さんと共に、支部単位で勉強会を開催。毎月1章ずつ、池田先生と対話する思いで小説を手にしています。昼間に働いている方も多くいますが、"師の心を胸に刻もう"と、家事や育児との両立にも挑戦しながら参加する姿に、私自身が勇気をもらっています。
◇
私は1977年(昭和52年)5月に入会しました。数年前に学会員になった姉が、喜々として学会活動に励む姿に触れ、"私も変わりたい"と思うようになったのがきっかけです。
入会を決意した、まさにその日。熊本文化会館(当時)に来館されていた池田先生と、出会いを結ぶことができました。
"人生にはいろんなことがあるけれど、信心を10年、20年、30年と続けていくんだよ"
先生が語ってくださった言葉を胸に、女子部の活動にまい進。結婚し、4人の子育てに追われていた時も、夫が知人の連帯保証人となり、膨大な借金を背負った時も、先生の指導を抱き締め、信心を貫いて、弘教拡大に挑んできました。
2007年(平成19年)、夫が肝臓がんに襲われました。この『新・人間革命』の一文は、夫を支えながら、地区婦人部長として一歩も引かず学会活動に走っていた時に出あった指導です。以来どんな時も、"己心の魔"に打ち勝つため、唱題根本で進んできました。
夫は8年間の闘病の末、霊山へと旅立ちました。この時ほど、創価家族の温かさを感じたことはありません。同志の皆さまの支えがあったからこそ、わが家は、前を向いて歩むことができました。
夫は生前、長年にわたってボランティア活動を続けていました。活動の中で出会った友人たちに、夫の遺志を継ぐ思いで対話。一昨年には、3人のボランティア仲間に、弘教を実らせることができました。
今は、13人の孫に囲まれ、広布後継の子どもたちと共に戦えることに、幸せをかみ締めています。先生に教えていただいた通りに信心を続けてきた功徳を実感する毎日です。これからも、この仏法で乗り越えてきた体験を語りながら、地域に希望のスクラムを広げていきます。
2020年2月18日火曜日
2020.02.18 わが友に贈る
感染症対策を油断なく!
寒暖差も大きい時期だ。
入念な手洗い・うがい
マスク着用の励行で
健康管理を万全に!
上野殿御返事 P1540
『千丁万丁しる人もわづかの事にたちまちに命をすて所領をめさるる人もあり、今度法華経のために命をすつる事ならばなにはをしかるべき、薬王菩薩は身を千二百歳が間やきつくして仏になり給い檀王は千歳が間身をゆかとなして今の釈迦仏といはれさせ給うぞかし、さればひが事をすべきにはあらず、今はすてなばかへりて人わらはれになるべし』
【通解】
千町・万町を治める人でも些細なことにたちまちに命を捨て、その所領を取り上げられてしまう人もいる。このたび、法華経のために命を捨てるということならば、何が惜しいことがあろうか。
薬王菩薩は身体を千二百歳が間、焼き尽くして仏になられ、須頭檀王は千年の間、身を床として今の釈迦仏といわれるようになったのである。したがって、心得違いをなすべきではない。今、信心を捨てたならば、かえって人に笑われることになるであろう。
名字の言 精神科医が勧める三つの上手な聴き方 2020年2月18日
「人は、言葉によって成長します」。そう語るのは、精神科医でカウンセラーの育成・教育に携わる高橋和巳氏だ▼例えば乳幼児期の"嫌だ"は、他人(親)とは違う自分を発見しているから。思春期の"放っておいて"は、精神的な自立の始まり。子どもは新しい言葉で表現することによって、新しい自分を見いだす。大人も、そうした"新しい言葉"を見つけることができれば、人生は劇的に変わり得ると氏は強調する▼そこで重要になるのが、聴き手の姿勢。氏は、三つの上手な聴き方として「賛成して聴く」「黙って聴く」、そして「世界を代表して聴く」を挙げる。大げさに感じるかもしれないが、自分の気持ちや悩みを語る時、人は必ず相手を選んでいる。「その時、聴き手は話し手にとって、『世界を代表する人』として選ばれているのです」(『精神科医が教える聴く技術』ちくま新書)▼相談は、相手からの信頼の証し。忙しい日々の中でも一人一人、心を込めて向き合いたい。法華経に説かれる観世音菩薩は、人々の悩みや苦しみの声を聴き、それに合わせて33の姿を現じて法を説く。あらゆる苦悩を救う力があり、大慈悲心の体現者とされる▼全ては「聴くこと」から始まる。"観世音の心"で、友の声にじっと耳を傾けよう。(誼)
寸鉄 2020年2月18日
腹を決めよ!決まったら勇ましく進め—戸田先生誓願の友に破れぬ壁なし
「九州壮年部の日」。誠実の振舞で信頼結ぶ広布の黄金柱。先駆こそ誉れと
火災多発。暖房使用時は確認また確認。ストーブなどは完全消火を絶対に
75歳以上の運転による死亡事故が依然深刻。「人命第一」で懸命な判断を
成田空港で覚醒剤の密輸摘発が過去最多と。人生狂わす魔物だ。断固、根絶
☆戸田城聖先生 生誕120周年 記念特集
◇元初の誓い貫いた妙法の巌窟王
戸田先生が生まれたのは、1900年(明治33年)2月11日。二つの世界大戦に象徴される激動の20世紀を生きた恩師は、「この地球上から悲惨の二字をなくしたい」と願い、妙法流布に一人立ち上がった。ここでは、池田先生がかつて、戸田先生の生涯について言及した三つのテーマをもとに、恩師の足跡を紹介する。
◇広布の大願に一人立つ
今から120年前の1900年(明治33年)2月11日、戸田先生は石川県・塩屋村(現・加賀市塩屋町)で生まれた。
その後、北海道・厚田村(現・石狩市厚田区)へ移り、20年(大正9年)に上京するまで北海道で暮らした。
厚田の尋常高等小学校で学んでいた時のこと。成績優秀で、よく読書にも励んでいた戸田先生には、意外な"あだ名"があった。
「ナポレオン」である。
世界史の授業の折、教師がフランスの英雄・ナポレオンについて説明したが、その中に間違いがあった。戸田先生が誤りを指摘し、教師に代わって講義したことから付けられた。
戸田先生の胸には、ナポレオンのごとく、必ず何かを成し遂げるとの情熱が赤々と燃えていた。16歳の時に詠んだ歌には、当時の大きな志が表れている。
「太平洋 我漕ぎ出でん 小舟にて 決心かたし 岩石よりも」
戸田先生は、尋常高等小学校を首席で卒業した。だが、家計を助けるため、進学を断念。札幌にある雑貨問屋に年季奉公に出た。朝から夜遅くまで働きながら、寸暇を惜しんで勉学に打ち込んだ。
17年(同6年)に尋常小学校准教員の検定試験に合格。真谷地(現・夕張市内)の尋常小学校に奉職した。
19歳の時に上京した戸田先生は、生涯の師となる牧口常三郎先生と出会う。戸田先生の母は、旅立つわが子に、「どんな苦しいことがあっても、これを着て働けば、何でもできるよ」と、夜を徹して縫い上げたアツシのはんてんを贈った。母の慈愛がこもった織物は、先生の生涯の宝となったのである。
�師弟
◇「報恩の誠」を尽くし抜く
池田先生は、戸田先生の生誕110周年の折、恩師の生涯について、三つの視点で言及した。
1点目は「師弟」である。
創価学会の創立記念日は11月18日。1930年(昭和5年)11月18日、『創価教育学体系』の発刊が淵源である。
牧口先生の教育学説を集約した『創価教育学体系』出版のために、戸田先生は原稿の整理や資金の提供を申し出た。完成した『創価教育学体系』の表紙の題字と牧口先生の著者名は、金文字で飾られた。そこには、師の学説を宣揚しようとする、戸田先生の弟子としての赤誠が込められていた。
28年(同3年)、牧口先生と戸田先生は、日蓮仏法に帰依している。当初、2人の師弟は教育改革をもって、人々の幸福、社会の繁栄と平和の実現を目指していた。しかし、「教育革命」の根底には、真実の仏法がなければならないことを自覚して、「宗教革命」への道を進んだ。
だが、やがて軍部政府が思想統制を強めていく。迫害を恐れた日蓮正宗の宗門は43年(同18年)6月27日、牧口先生、戸田先生らを呼びつけ、「神札を受けてはどうか」と迫った。牧口先生は言下に拒否し、同年7月6日、牧口先生と戸田先生は、治安維持法違反と不敬罪の容疑で逮捕された。
過酷な獄中闘争の中、戸田先生は一日1万遍の唱題を重ね、法華経の精読を始めた。そして、44年(同19年)春、「仏とは生命なり」と覚知する。さらに、獄中での唱題が200万遍に達しようとしていた同年の11月中旬、「われ地涌の菩薩なり」との悟達を得る。
この恩師の「獄中の悟達」について、池田先生は小説『新・人間革命』第22巻「新世紀」の章に、こうつづった。
「創価学会の確信の精髄は、戸田城聖の『獄中の悟達』にある」
「『われ地涌の菩薩なり』との悟達こそが、学会の魂である。その戸田という師に連なる時、学会は広宣流布を使命とする『創価学会仏』たり得るのである」
戸田先生は、法悦に身を震わせながら、「これでおれの一生は決まった。今日の日を忘れまい。この尊い大法を流布して、おれは生涯を終わるのだ!」と、「地涌の菩薩」の使命に生涯を捧げることを決めた。元初の誓願に一人立ったのである。
この年の11月18日、牧口先生は獄中で生涯を閉じた。45年(同20年)1月8日、その事実を知らされた戸田先生は、心に誓った。
"よし、いまにみよ! 先生が正しいか、正しくないか、証明してやる。もし自分が別名を使ったなら、巌窟王の名を使って、なにか大仕事をして、先生にお返ししよう"
同年7月3日、生きて獄門を出た戸田先生は、広布の大願に一人立った。師への報恩の誠を尽くす誓いの炎は生涯、燃え続けた。
牧口先生の三回忌法要の席上、戸田先生は語った。
「あなたの慈悲の広大無辺は、わたくしを牢獄まで連れていってくださいました」
ここに、学会の師弟の真髄がある。師弟とは、弟子の自発的な意志があってこそ成立する「魂の結合」なのである。
�民衆
◇苦労した人の味方となれ
2点目は「民衆」である。
戸田先生は常に、民衆の中に飛び込んでは、一人一人が抱える悩みに耳を傾けた。会合や御書講義の折には質問会を持ち、信心への確信を呼び覚ました。
第2代会長に就任した後、東京・市ケ谷にあった学会本部の分室には、恩師の指導を求め、多くの会員が訪れるようになった。
ある日、農業を営む壮年が「幸せになれそうもありません」と打ち明けた。対話に歩いても歩いても、誰一人として聞いてくれないという。戸田先生は語った。
「折伏ということは、難事中の難事だと大聖人もおっしゃっている。生命力を強くして、焦らず、弛まず、やらなければならない仏道修行なんです。2、3カ月で落胆するようでは、生涯にわたる信仰者の態度とはいえない。しかし、あなたは、もう既に折伏を実践しているではないか。それだけでも大したことなんです」
だが壮年は、うなだれたままだった。長年、出自による、いわれなき差別を受けていたのである。壮年が苦悩を明かすと、戸田先生は抱きかかえるように励ました。
「世間が、どんなにあなたを迫害しようが、創価学会には、そんな差別は絶対にありません。戸田は、あなたの最大の味方です。また困ったことがあったら、いつでも私のところに来なさい」
病苦や経済苦、子どもの非行など、悩みは千差万別であった。時には、学会のリーダーの姿もあった。戸田先生は、どんな人であれ悩みがあって当然だと、大きく包容した。
戸田先生自身、幾多の辛酸をなめてきた。24歳の時には、生後7カ月の長女を亡くした。
そのつらさを知る先生は、子どもを亡くした東北の同志に手紙を送り、「可愛さのため死んだ子を夫婦で抱いて寝た時の悲しみと苦しみは、今なお胸の中に生きている。さぞ君も悲しかろう。殊に奥様の心を思えば、なんとなぐさめて上げてよいか解らない」と、深く寄り添っている。
学会本部の分室の個人指導は、本来は午後2時から午後4時まで。だが、午後5時を回るのが常だった。
連日のように、戸田先生は3時間を超す真剣勝負の個人指導を続けた。それは、激しい疲労を伴った。まさに自らの生命を削って、一人一人に"希望の光"を届けたのである。
恩師が個人指導に力を注いだことを通し、池田先生は小説『新・人間革命』第26巻「勇将」の章に、こう記している。
「幹部の皆さんの、会合での指導と、個人指導の比率は、八対二ぐらいではないかと思う。しかし、二対八を目標にしていけば、もっと人材が育ちます。学会も強くなっていきます」
苦しむ人の味方となり、立ち上がるまでエールを送り続ける——この「励ましの世界」こそが創価学会であることを、戸田先生は示したのである。
�青年
◇偉大な弟子を育てた
3点目は「青年」である。
「新しき世紀を創るものは、青年の熱と力である」
この「青年訓」を戸田先生が発表したのは、男女青年部が結成された2カ月後の1951年(昭和26年)9月である。
当時、男子部の班長だった池田先生は、恩師の言々句々を心に刻みつけた。同年11月、学会の第6回総会の席上、池田先生は「青年の確信」と題して発表した。
「じつにじつに宗教革命の道のいかに苦難であるかは、覚悟のうえです」
その宣言は、「青年訓」に対する弟子としての"報恩の決意"にほかならなかった。
翌52年(同27年)、蒲田支部の支部幹事の任命を受けた池田先生は、2月に一支部で「201世帯」という日本一の弘教を達成。戸田先生の生涯の願業である「75万世帯の弘教」の突破口を開いた。
この月、戸田先生は青年部の教学研さんの成果を競う第1回「研究発表会」に出席し、全人類が一つの地球民族であるという「地球民族主義」の理念を提唱した。
また、57年(同32年)9月8日、横浜・三ツ沢の競技場で開催された「若人の祭典」では、青年への「遺訓の第一」として、「原水爆禁止宣言」を発表した。
「地球民族主義」も、「原水爆禁止宣言」も、戸田先生が発表の場に選んだのは、青年部の集いであった。その恩師の思想を、池田先生は世界に宣揚し続けてきた。
戸田先生が青年に強く望んだのは、広布に「一人立つ」ことである。54年(同29年)に発表した「国士訓」で、「青年よ、一人立て! 二人は必ず立たん、三人はまた続くであろう」と訴えた。
この一人立ち上がった青年こそ、池田先生である。恩師が心血を注いで薫陶した不二の弟子は、文京、札幌、大阪、山口など、各地で勝利の金字塔を打ち立てた。
58年(同33年)3月16日、6000人の青年が集い、広宣流布の記念式典が挙行された。戸田先生は「未来は、君たちに任せる。頼むぞ、広宣流布を!」と、池田先生をはじめとする青年たちに、後事の一切を託した。
同年4月2日、元初の誓いを貫いた恩師の崇高な生涯は、58年で幕を閉じた。この日、池田先生は日記に「われは立つ」と書きとどめている。「妙法の巌窟王」の精神を継いだ、池田先生の不惜身命の闘争によって、創価の人間主義の連帯は今、世界192カ国・地域へと広がった。
小説『新・人間革命』第2巻「先駆」の章につづられている。
「"後継"と"後続"とは異なる。後方の安全地帯に身を置き、開拓の労苦も知らず、ただ後に続く"後続の人"に、"後継"の責任を果たすことなどできようはずがない。"後継の人"とは、勝利の旗を打ち立てる"先駆の人"でなければならない」
広宣流布は「一人立つ」青年から始まる——いかに時代が変わろうとも、この方程式は不変である。
寒暖差も大きい時期だ。
入念な手洗い・うがい
マスク着用の励行で
健康管理を万全に!
上野殿御返事 P1540
『千丁万丁しる人もわづかの事にたちまちに命をすて所領をめさるる人もあり、今度法華経のために命をすつる事ならばなにはをしかるべき、薬王菩薩は身を千二百歳が間やきつくして仏になり給い檀王は千歳が間身をゆかとなして今の釈迦仏といはれさせ給うぞかし、さればひが事をすべきにはあらず、今はすてなばかへりて人わらはれになるべし』
【通解】
千町・万町を治める人でも些細なことにたちまちに命を捨て、その所領を取り上げられてしまう人もいる。このたび、法華経のために命を捨てるということならば、何が惜しいことがあろうか。
薬王菩薩は身体を千二百歳が間、焼き尽くして仏になられ、須頭檀王は千年の間、身を床として今の釈迦仏といわれるようになったのである。したがって、心得違いをなすべきではない。今、信心を捨てたならば、かえって人に笑われることになるであろう。
名字の言 精神科医が勧める三つの上手な聴き方 2020年2月18日
「人は、言葉によって成長します」。そう語るのは、精神科医でカウンセラーの育成・教育に携わる高橋和巳氏だ▼例えば乳幼児期の"嫌だ"は、他人(親)とは違う自分を発見しているから。思春期の"放っておいて"は、精神的な自立の始まり。子どもは新しい言葉で表現することによって、新しい自分を見いだす。大人も、そうした"新しい言葉"を見つけることができれば、人生は劇的に変わり得ると氏は強調する▼そこで重要になるのが、聴き手の姿勢。氏は、三つの上手な聴き方として「賛成して聴く」「黙って聴く」、そして「世界を代表して聴く」を挙げる。大げさに感じるかもしれないが、自分の気持ちや悩みを語る時、人は必ず相手を選んでいる。「その時、聴き手は話し手にとって、『世界を代表する人』として選ばれているのです」(『精神科医が教える聴く技術』ちくま新書)▼相談は、相手からの信頼の証し。忙しい日々の中でも一人一人、心を込めて向き合いたい。法華経に説かれる観世音菩薩は、人々の悩みや苦しみの声を聴き、それに合わせて33の姿を現じて法を説く。あらゆる苦悩を救う力があり、大慈悲心の体現者とされる▼全ては「聴くこと」から始まる。"観世音の心"で、友の声にじっと耳を傾けよう。(誼)
寸鉄 2020年2月18日
腹を決めよ!決まったら勇ましく進め—戸田先生誓願の友に破れぬ壁なし
「九州壮年部の日」。誠実の振舞で信頼結ぶ広布の黄金柱。先駆こそ誉れと
火災多発。暖房使用時は確認また確認。ストーブなどは完全消火を絶対に
75歳以上の運転による死亡事故が依然深刻。「人命第一」で懸命な判断を
成田空港で覚醒剤の密輸摘発が過去最多と。人生狂わす魔物だ。断固、根絶
☆戸田城聖先生 生誕120周年 記念特集
◇元初の誓い貫いた妙法の巌窟王
戸田先生が生まれたのは、1900年(明治33年)2月11日。二つの世界大戦に象徴される激動の20世紀を生きた恩師は、「この地球上から悲惨の二字をなくしたい」と願い、妙法流布に一人立ち上がった。ここでは、池田先生がかつて、戸田先生の生涯について言及した三つのテーマをもとに、恩師の足跡を紹介する。
◇広布の大願に一人立つ
今から120年前の1900年(明治33年)2月11日、戸田先生は石川県・塩屋村(現・加賀市塩屋町)で生まれた。
その後、北海道・厚田村(現・石狩市厚田区)へ移り、20年(大正9年)に上京するまで北海道で暮らした。
厚田の尋常高等小学校で学んでいた時のこと。成績優秀で、よく読書にも励んでいた戸田先生には、意外な"あだ名"があった。
「ナポレオン」である。
世界史の授業の折、教師がフランスの英雄・ナポレオンについて説明したが、その中に間違いがあった。戸田先生が誤りを指摘し、教師に代わって講義したことから付けられた。
戸田先生の胸には、ナポレオンのごとく、必ず何かを成し遂げるとの情熱が赤々と燃えていた。16歳の時に詠んだ歌には、当時の大きな志が表れている。
「太平洋 我漕ぎ出でん 小舟にて 決心かたし 岩石よりも」
戸田先生は、尋常高等小学校を首席で卒業した。だが、家計を助けるため、進学を断念。札幌にある雑貨問屋に年季奉公に出た。朝から夜遅くまで働きながら、寸暇を惜しんで勉学に打ち込んだ。
17年(同6年)に尋常小学校准教員の検定試験に合格。真谷地(現・夕張市内)の尋常小学校に奉職した。
19歳の時に上京した戸田先生は、生涯の師となる牧口常三郎先生と出会う。戸田先生の母は、旅立つわが子に、「どんな苦しいことがあっても、これを着て働けば、何でもできるよ」と、夜を徹して縫い上げたアツシのはんてんを贈った。母の慈愛がこもった織物は、先生の生涯の宝となったのである。
�師弟
◇「報恩の誠」を尽くし抜く
池田先生は、戸田先生の生誕110周年の折、恩師の生涯について、三つの視点で言及した。
1点目は「師弟」である。
創価学会の創立記念日は11月18日。1930年(昭和5年)11月18日、『創価教育学体系』の発刊が淵源である。
牧口先生の教育学説を集約した『創価教育学体系』出版のために、戸田先生は原稿の整理や資金の提供を申し出た。完成した『創価教育学体系』の表紙の題字と牧口先生の著者名は、金文字で飾られた。そこには、師の学説を宣揚しようとする、戸田先生の弟子としての赤誠が込められていた。
28年(同3年)、牧口先生と戸田先生は、日蓮仏法に帰依している。当初、2人の師弟は教育改革をもって、人々の幸福、社会の繁栄と平和の実現を目指していた。しかし、「教育革命」の根底には、真実の仏法がなければならないことを自覚して、「宗教革命」への道を進んだ。
だが、やがて軍部政府が思想統制を強めていく。迫害を恐れた日蓮正宗の宗門は43年(同18年)6月27日、牧口先生、戸田先生らを呼びつけ、「神札を受けてはどうか」と迫った。牧口先生は言下に拒否し、同年7月6日、牧口先生と戸田先生は、治安維持法違反と不敬罪の容疑で逮捕された。
過酷な獄中闘争の中、戸田先生は一日1万遍の唱題を重ね、法華経の精読を始めた。そして、44年(同19年)春、「仏とは生命なり」と覚知する。さらに、獄中での唱題が200万遍に達しようとしていた同年の11月中旬、「われ地涌の菩薩なり」との悟達を得る。
この恩師の「獄中の悟達」について、池田先生は小説『新・人間革命』第22巻「新世紀」の章に、こうつづった。
「創価学会の確信の精髄は、戸田城聖の『獄中の悟達』にある」
「『われ地涌の菩薩なり』との悟達こそが、学会の魂である。その戸田という師に連なる時、学会は広宣流布を使命とする『創価学会仏』たり得るのである」
戸田先生は、法悦に身を震わせながら、「これでおれの一生は決まった。今日の日を忘れまい。この尊い大法を流布して、おれは生涯を終わるのだ!」と、「地涌の菩薩」の使命に生涯を捧げることを決めた。元初の誓願に一人立ったのである。
この年の11月18日、牧口先生は獄中で生涯を閉じた。45年(同20年)1月8日、その事実を知らされた戸田先生は、心に誓った。
"よし、いまにみよ! 先生が正しいか、正しくないか、証明してやる。もし自分が別名を使ったなら、巌窟王の名を使って、なにか大仕事をして、先生にお返ししよう"
同年7月3日、生きて獄門を出た戸田先生は、広布の大願に一人立った。師への報恩の誠を尽くす誓いの炎は生涯、燃え続けた。
牧口先生の三回忌法要の席上、戸田先生は語った。
「あなたの慈悲の広大無辺は、わたくしを牢獄まで連れていってくださいました」
ここに、学会の師弟の真髄がある。師弟とは、弟子の自発的な意志があってこそ成立する「魂の結合」なのである。
�民衆
◇苦労した人の味方となれ
2点目は「民衆」である。
戸田先生は常に、民衆の中に飛び込んでは、一人一人が抱える悩みに耳を傾けた。会合や御書講義の折には質問会を持ち、信心への確信を呼び覚ました。
第2代会長に就任した後、東京・市ケ谷にあった学会本部の分室には、恩師の指導を求め、多くの会員が訪れるようになった。
ある日、農業を営む壮年が「幸せになれそうもありません」と打ち明けた。対話に歩いても歩いても、誰一人として聞いてくれないという。戸田先生は語った。
「折伏ということは、難事中の難事だと大聖人もおっしゃっている。生命力を強くして、焦らず、弛まず、やらなければならない仏道修行なんです。2、3カ月で落胆するようでは、生涯にわたる信仰者の態度とはいえない。しかし、あなたは、もう既に折伏を実践しているではないか。それだけでも大したことなんです」
だが壮年は、うなだれたままだった。長年、出自による、いわれなき差別を受けていたのである。壮年が苦悩を明かすと、戸田先生は抱きかかえるように励ました。
「世間が、どんなにあなたを迫害しようが、創価学会には、そんな差別は絶対にありません。戸田は、あなたの最大の味方です。また困ったことがあったら、いつでも私のところに来なさい」
病苦や経済苦、子どもの非行など、悩みは千差万別であった。時には、学会のリーダーの姿もあった。戸田先生は、どんな人であれ悩みがあって当然だと、大きく包容した。
戸田先生自身、幾多の辛酸をなめてきた。24歳の時には、生後7カ月の長女を亡くした。
そのつらさを知る先生は、子どもを亡くした東北の同志に手紙を送り、「可愛さのため死んだ子を夫婦で抱いて寝た時の悲しみと苦しみは、今なお胸の中に生きている。さぞ君も悲しかろう。殊に奥様の心を思えば、なんとなぐさめて上げてよいか解らない」と、深く寄り添っている。
学会本部の分室の個人指導は、本来は午後2時から午後4時まで。だが、午後5時を回るのが常だった。
連日のように、戸田先生は3時間を超す真剣勝負の個人指導を続けた。それは、激しい疲労を伴った。まさに自らの生命を削って、一人一人に"希望の光"を届けたのである。
恩師が個人指導に力を注いだことを通し、池田先生は小説『新・人間革命』第26巻「勇将」の章に、こう記している。
「幹部の皆さんの、会合での指導と、個人指導の比率は、八対二ぐらいではないかと思う。しかし、二対八を目標にしていけば、もっと人材が育ちます。学会も強くなっていきます」
苦しむ人の味方となり、立ち上がるまでエールを送り続ける——この「励ましの世界」こそが創価学会であることを、戸田先生は示したのである。
�青年
◇偉大な弟子を育てた
3点目は「青年」である。
「新しき世紀を創るものは、青年の熱と力である」
この「青年訓」を戸田先生が発表したのは、男女青年部が結成された2カ月後の1951年(昭和26年)9月である。
当時、男子部の班長だった池田先生は、恩師の言々句々を心に刻みつけた。同年11月、学会の第6回総会の席上、池田先生は「青年の確信」と題して発表した。
「じつにじつに宗教革命の道のいかに苦難であるかは、覚悟のうえです」
その宣言は、「青年訓」に対する弟子としての"報恩の決意"にほかならなかった。
翌52年(同27年)、蒲田支部の支部幹事の任命を受けた池田先生は、2月に一支部で「201世帯」という日本一の弘教を達成。戸田先生の生涯の願業である「75万世帯の弘教」の突破口を開いた。
この月、戸田先生は青年部の教学研さんの成果を競う第1回「研究発表会」に出席し、全人類が一つの地球民族であるという「地球民族主義」の理念を提唱した。
また、57年(同32年)9月8日、横浜・三ツ沢の競技場で開催された「若人の祭典」では、青年への「遺訓の第一」として、「原水爆禁止宣言」を発表した。
「地球民族主義」も、「原水爆禁止宣言」も、戸田先生が発表の場に選んだのは、青年部の集いであった。その恩師の思想を、池田先生は世界に宣揚し続けてきた。
戸田先生が青年に強く望んだのは、広布に「一人立つ」ことである。54年(同29年)に発表した「国士訓」で、「青年よ、一人立て! 二人は必ず立たん、三人はまた続くであろう」と訴えた。
この一人立ち上がった青年こそ、池田先生である。恩師が心血を注いで薫陶した不二の弟子は、文京、札幌、大阪、山口など、各地で勝利の金字塔を打ち立てた。
58年(同33年)3月16日、6000人の青年が集い、広宣流布の記念式典が挙行された。戸田先生は「未来は、君たちに任せる。頼むぞ、広宣流布を!」と、池田先生をはじめとする青年たちに、後事の一切を託した。
同年4月2日、元初の誓いを貫いた恩師の崇高な生涯は、58年で幕を閉じた。この日、池田先生は日記に「われは立つ」と書きとどめている。「妙法の巌窟王」の精神を継いだ、池田先生の不惜身命の闘争によって、創価の人間主義の連帯は今、世界192カ国・地域へと広がった。
小説『新・人間革命』第2巻「先駆」の章につづられている。
「"後継"と"後続"とは異なる。後方の安全地帯に身を置き、開拓の労苦も知らず、ただ後に続く"後続の人"に、"後継"の責任を果たすことなどできようはずがない。"後継の人"とは、勝利の旗を打ち立てる"先駆の人"でなければならない」
広宣流布は「一人立つ」青年から始まる——いかに時代が変わろうとも、この方程式は不変である。
2020年2月17日月曜日
2020.02.17 わが友に贈る
◇今週のことば
「一文一句なりとも
かたらせ給うべし」
声が仏の仕事を為す。
誇りと自信をもって
希望の大哲学を語れ!
2020年2月17日
同生同名御書 P1115
『人の身には同生同名と申す二のつかひを天生るる時よりつけさせ給いて影の身にしたがふがごとく須臾もはなれず、大罪小罪大功徳小功徳すこしもおとさずかはるかはる天にのぼて申し候と仏説き給う、此の事ははや天もしろしめしぬらん、たのもししたのもしし』
【通解】
人の身には、同生と同名という二人の使いを、天は、その人が生まれたときからつけておられ、(この二人の神は)影が身に随うように、寸時も離れず、その人の大罪・小罪・大功徳・小功徳を少しもおとさず、かわるがわる天に昇って報告していると、仏は説いておられます。このこと(=日眼女が夫の四条金吾を佐渡までつかわせたこと)は、すでに天も知っていることでありましょう。まことに、頼もしいことです。
名字の言 飛行機が飛べるようになったのは、なぜ? 2020年2月17日
上空に小さく見えるジェット機。なぜ、あんなに重そうな"機械"が空を飛べるのか不思議に思うことがある。ライト兄弟の有人動力飛行から117年。考えてみれば、人類史のほとんどで、人は空を飛べないのが"常識"だった▼有史以来、多くの人が空に挑んでは失敗し、嘲笑された。ライト兄弟の"成功"に対しても、飛行距離の短さや目撃証人の少なさから、当時の科学者やマスコミは"機械が空を飛ぶことは科学的に不可能"と冷淡だったという▼こうした歴史を踏まえ、神戸大学の中屋敷均教授は、理論的に飛行が可能だったから人が飛行機を造ったのではない、と強調する。「『分からないこと』を含んだまま、人は飛んだのだ」「人は飛べるから飛んだのではない。飛びたいから、飛んだのである」(『科学と非科学』講談社現代新書)▼先人の飽くなき努力を思うとともに、不可能を可能にする人の共通点に気付く。それは、困難の壁を前にしたとき、"突破できるかどうか"ではなく、"突破するにはどうするか"と考えていること。その胸には、やむにやまれぬ情熱が燃えている▼広布の道もまた、創価の師弟が誓願の祈りで、不可能を可能にしてきた歴史。まず"壁を破る"と決めて祈り、ダイナミックに行動しよう。(文)
寸鉄 2020年2月17日
本当の決意込めた題目を—戸田先生。壁破る秘訣ここに。必ず勝つと決め
男子部大学校・白蓮Gが各地で入卒式。新しい力の台頭。共に拡大に挑戦
農漁光部の日。食を支え、命を守る同志に最敬礼。健康・長寿・大福徳を祈る
流感と同様の対策が新型肺炎の感染防ぐ—専門家手洗い等励行。小事から
東京五輪を復興五輪に—期待の声高まる。東北と共に不撓不屈の心を発信
☆2月度「御書講義」の参考 諸法実相抄
◇人を救う使命に立てば勇気も湧くし力も出る
2月度の「御書講義」では「諸法実相抄」を学びます。拝読範囲は「いかにも今度・信心をいたして法華経の行者にてとをり、日蓮が一門となりとをし給うべし……釈迦仏・多宝仏・十方の諸仏菩薩・虚空にして二仏うなづき合い、定めさせ給いしは別の事には非ず、唯ひとへに末法の令法久住の故なり」(御書1360ページ6行目〜13行目、編年体御書549ページ6行目〜13行目)です。ここでは、学習の参考として、本抄の背景と大意、さらに理解を深めるための解説を掲載します。
◇背景と大意
本抄は、文永10年(1273年)5月、流罪地・佐渡で著され、最蓮房に与えられたお手紙とされています。
また、最蓮房については、天台宗の学僧でしたが、何かの理由で佐渡に流され、そこで日蓮大聖人と出会い、弟子になったと伝えられています。
追申に「日蓮が己証の法門等かきつけて候ぞ」(御書1362ページ)と記されているように、大聖人の仏法の肝要の法門が示されているのが本抄です。
はじめに、法華経方便品第2に説かれる「諸法実相」の法理に関して、"地獄界から仏界までの十界のあらゆる衆生と、その衆生の住む世界"(諸法)が、そのまま、ことごとく「妙法蓮華経」(実相)の姿であることが述べられています。
続いて、末法にあって、地涌の菩薩の上首(リーダー)である上行菩薩が弘通すべき妙法を、大聖人が弘め、御本尊を顕したことが示され、御自身が「地涌の菩薩のさきがけ」(同1359ページ)であると述べられます。
更に、大聖人と同じ心に立って、自行化他にわたる唱題の実践に励む人は皆、地涌の菩薩であり、「二人・三人」と妙法が弘まっていく「地涌の義」によって、必ず広宣流布が実現することは間違いないとの確信を示され、どこまでも法華経に身を任せていくよう促されます。
最後に「信・行・学」が仏道修行の根本であることを述べられ、信心強盛に行学の二道に励んでいくよう勧められて本抄を結ばれています。
◇参考1 地涌の菩薩
「地涌の菩薩」とは、どういう菩薩なのでしょうか。
法華経の従地涌出品第15で、突然、地から涌出した無数の立派な菩薩のことです。
涌出品で、説法の場に居た無数の菩薩が、"仏の滅後に、娑婆世界で法華経を弘通したい"と、釈尊に請います。
しかし釈尊は、"止めなさい。あなたたちに、この法華経を護持させるわけにはいかない"と、その願いを退けました。
そして"この娑婆世界には、私の滅後に法華経を説く、無量の菩薩がいる"と、末法に弘通を託すべき本物の弟子である菩薩がいることを宣言します。
そして、大地から立派な姿で涌出した菩薩が、「地涌の菩薩」です。
それぞれが六万恒河沙という無量の眷属(仲間)を率いています。
これらの無数の地涌の菩薩の上首(リーダー)が上行・無辺行・浄行・安立行という四菩薩です。
「地涌の菩薩」とは、仏滅後、なかんずく末法に妙法流布の使命を担い、この世に出現した尊い存在なのです。
◇参考2 難問答に巧み
なぜ釈尊は、他の菩薩に、滅後の弘通を託さなかったのでしょう。
それは、仏の滅後に法華経を受持することが、難事中の難事だからです。ゆえに釈尊は、自ら教化してきた直弟子の「地涌の菩薩」に末法悪世の弘通を託したのです。
法華経には「地涌の菩薩」の特質が記されています。「志が固い」「偉大な忍耐力がある」「蓮華が泥水に染まらずに咲くように、濁世にあって世俗に染まらない」「種々の法を説いて畏れる心がない」「難問答に巧みである」……。
悪世末法にあって、本抄に説かれるように「地涌の義」を現実にできるのは、これらの特質を具えた「地涌の菩薩」だからです。
法華経で妙法流布を託された通りに、末法の初めに出現して、南無妙法蓮華経を万人に説き、御本尊を顕され、不惜身命で弘通されたのが、末法の御本仏である日蓮大聖人です。
この意義から、大聖人御自身こそ「地涌の菩薩」、なかんずく上行菩薩に当たります。
さらに「日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか」(御書1360ページ)と仰せの通り、大聖人と同心で戦う同志も「地涌の菩薩」なのです。
◇参考3 仏と師弟不二
仏の願いは、「令法久住」、つまり未来永遠にわたって妙法が伝えられるようにすることです。
池田先生は語っています。
「仏という『一人』から『全民衆』への正法広宣流布を担うのは、いかなる国土であってもつねに『地涌の菩薩』なのです。
それはなぜか。『地涌の菩薩』とは、内証の境涯が『仏』と同じでありながら、しかも、どこまでも『菩薩』として行動していくからです。いわば『菩薩仏』です。
境涯が『仏』と師弟不二でなければ、正法を正しく弘めることはできない。しかも現実の濁世で、世間のなかへ、人間群のなかへと同化して入っていかなければ広宣流布はできない。この両方の条件を満たしているのが『地涌の菩薩』なのです」(『法華経の智慧』普及版<下>)
「地涌の菩薩」として、三世にわたる師弟の宿縁を自覚した時、宿命を使命と輝かせることができます。
どこまでも民衆の中に入って、目の前の一人に同苦し、救わんと奮闘する生命に、仏界が涌現するのです。
◇池田先生の指針から
1、同じ心で戦う人
日蓮大聖人は仰せです。
——このたび、信心をしたからには、いかなることがあろうとも、「法華経の行者」として生き抜き、「日蓮が一門」との最高の誉れの人生を歩み通していきなさい、と。
私たちは、ひとたび決めたこの道を、誇り高く厳然と進んできました。
そして「日蓮と同意」、すなわち大聖人と同じ心で広宣流布に戦う人は「地涌の菩薩」であり、「釈尊久遠の弟子」にほかなりません。
私どもも、何ものも断ち切ることのできない、永遠の生命の絆で結ばれた宿縁の師弟として、共に広宣流布の誓いに生き抜く同志であります。
まさに創価学会は、「日蓮と同意」のままに、大聖人の御遺命である広宣流布実現へ、不惜の行動を貫いてきました。
しかも、妙法五字を弘める地涌の大使命にあっては、「男女はきらふべからず」(御書1360ページ)と仰せのごとく、男女の分け隔てなど、いかなる差別もなく、万人が平等に尊い地涌の活躍の舞台を現出してきたのです。
2、なんと偉大な誓願
「時」をいえば悪世末法、その「国土」をいえば娑婆世界が、地涌の菩薩の使命の舞台です。一番大変な条件を選んで、一番苦しんでいる民衆のために"今ここで戦う"と立ち上がったのです。
仏法は「願兼於業」を説きます。
人々を救うために自ら願って困難なところに生まれたのであると、受動的な人生から、自発能動の人生に転換するのです。自らの誓願で「宿業を使命に変える」のです。
久遠の使命の自覚によって、新たな自分に生まれ変わる。自身の発迹顕本をして、本当の自分の力を解き放つのです。
地涌の生命に目覚めた人に、何も恐れはありません。多くの人を救う使命に立てば、勇気も湧くし、力も出る。
なんと不思議な宿縁でしょうか。
なんと偉大な誓願でしょうか。
◇ ◇ ◇
地涌の使命は、あまりにも大きい。あまりにも崇高です。民族や人種、国籍や性別など一切の差異を超え、生命の大地の奥深くに広がる大いなる創造的生命——人類共通のルーツに基づく使命といってもよい。それに気づくことを「地涌」というのです。
いかなる人も尊極の生命の当体です。互いに励まし合い、尊敬し合いながら、今この地上に生きる仲間として、自他共の無限の可能性を開き、幸福と平和という価値を創造する底力がある。偉大な使命があるのです。
その使命に生きることを誓って現実社会に躍り出たのが、私たちなのです。
(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第17巻)
「一文一句なりとも
かたらせ給うべし」
声が仏の仕事を為す。
誇りと自信をもって
希望の大哲学を語れ!
2020年2月17日
同生同名御書 P1115
『人の身には同生同名と申す二のつかひを天生るる時よりつけさせ給いて影の身にしたがふがごとく須臾もはなれず、大罪小罪大功徳小功徳すこしもおとさずかはるかはる天にのぼて申し候と仏説き給う、此の事ははや天もしろしめしぬらん、たのもししたのもしし』
【通解】
人の身には、同生と同名という二人の使いを、天は、その人が生まれたときからつけておられ、(この二人の神は)影が身に随うように、寸時も離れず、その人の大罪・小罪・大功徳・小功徳を少しもおとさず、かわるがわる天に昇って報告していると、仏は説いておられます。このこと(=日眼女が夫の四条金吾を佐渡までつかわせたこと)は、すでに天も知っていることでありましょう。まことに、頼もしいことです。
名字の言 飛行機が飛べるようになったのは、なぜ? 2020年2月17日
上空に小さく見えるジェット機。なぜ、あんなに重そうな"機械"が空を飛べるのか不思議に思うことがある。ライト兄弟の有人動力飛行から117年。考えてみれば、人類史のほとんどで、人は空を飛べないのが"常識"だった▼有史以来、多くの人が空に挑んでは失敗し、嘲笑された。ライト兄弟の"成功"に対しても、飛行距離の短さや目撃証人の少なさから、当時の科学者やマスコミは"機械が空を飛ぶことは科学的に不可能"と冷淡だったという▼こうした歴史を踏まえ、神戸大学の中屋敷均教授は、理論的に飛行が可能だったから人が飛行機を造ったのではない、と強調する。「『分からないこと』を含んだまま、人は飛んだのだ」「人は飛べるから飛んだのではない。飛びたいから、飛んだのである」(『科学と非科学』講談社現代新書)▼先人の飽くなき努力を思うとともに、不可能を可能にする人の共通点に気付く。それは、困難の壁を前にしたとき、"突破できるかどうか"ではなく、"突破するにはどうするか"と考えていること。その胸には、やむにやまれぬ情熱が燃えている▼広布の道もまた、創価の師弟が誓願の祈りで、不可能を可能にしてきた歴史。まず"壁を破る"と決めて祈り、ダイナミックに行動しよう。(文)
寸鉄 2020年2月17日
本当の決意込めた題目を—戸田先生。壁破る秘訣ここに。必ず勝つと決め
男子部大学校・白蓮Gが各地で入卒式。新しい力の台頭。共に拡大に挑戦
農漁光部の日。食を支え、命を守る同志に最敬礼。健康・長寿・大福徳を祈る
流感と同様の対策が新型肺炎の感染防ぐ—専門家手洗い等励行。小事から
東京五輪を復興五輪に—期待の声高まる。東北と共に不撓不屈の心を発信
☆2月度「御書講義」の参考 諸法実相抄
◇人を救う使命に立てば勇気も湧くし力も出る
2月度の「御書講義」では「諸法実相抄」を学びます。拝読範囲は「いかにも今度・信心をいたして法華経の行者にてとをり、日蓮が一門となりとをし給うべし……釈迦仏・多宝仏・十方の諸仏菩薩・虚空にして二仏うなづき合い、定めさせ給いしは別の事には非ず、唯ひとへに末法の令法久住の故なり」(御書1360ページ6行目〜13行目、編年体御書549ページ6行目〜13行目)です。ここでは、学習の参考として、本抄の背景と大意、さらに理解を深めるための解説を掲載します。
◇背景と大意
本抄は、文永10年(1273年)5月、流罪地・佐渡で著され、最蓮房に与えられたお手紙とされています。
また、最蓮房については、天台宗の学僧でしたが、何かの理由で佐渡に流され、そこで日蓮大聖人と出会い、弟子になったと伝えられています。
追申に「日蓮が己証の法門等かきつけて候ぞ」(御書1362ページ)と記されているように、大聖人の仏法の肝要の法門が示されているのが本抄です。
はじめに、法華経方便品第2に説かれる「諸法実相」の法理に関して、"地獄界から仏界までの十界のあらゆる衆生と、その衆生の住む世界"(諸法)が、そのまま、ことごとく「妙法蓮華経」(実相)の姿であることが述べられています。
続いて、末法にあって、地涌の菩薩の上首(リーダー)である上行菩薩が弘通すべき妙法を、大聖人が弘め、御本尊を顕したことが示され、御自身が「地涌の菩薩のさきがけ」(同1359ページ)であると述べられます。
更に、大聖人と同じ心に立って、自行化他にわたる唱題の実践に励む人は皆、地涌の菩薩であり、「二人・三人」と妙法が弘まっていく「地涌の義」によって、必ず広宣流布が実現することは間違いないとの確信を示され、どこまでも法華経に身を任せていくよう促されます。
最後に「信・行・学」が仏道修行の根本であることを述べられ、信心強盛に行学の二道に励んでいくよう勧められて本抄を結ばれています。
◇参考1 地涌の菩薩
「地涌の菩薩」とは、どういう菩薩なのでしょうか。
法華経の従地涌出品第15で、突然、地から涌出した無数の立派な菩薩のことです。
涌出品で、説法の場に居た無数の菩薩が、"仏の滅後に、娑婆世界で法華経を弘通したい"と、釈尊に請います。
しかし釈尊は、"止めなさい。あなたたちに、この法華経を護持させるわけにはいかない"と、その願いを退けました。
そして"この娑婆世界には、私の滅後に法華経を説く、無量の菩薩がいる"と、末法に弘通を託すべき本物の弟子である菩薩がいることを宣言します。
そして、大地から立派な姿で涌出した菩薩が、「地涌の菩薩」です。
それぞれが六万恒河沙という無量の眷属(仲間)を率いています。
これらの無数の地涌の菩薩の上首(リーダー)が上行・無辺行・浄行・安立行という四菩薩です。
「地涌の菩薩」とは、仏滅後、なかんずく末法に妙法流布の使命を担い、この世に出現した尊い存在なのです。
◇参考2 難問答に巧み
なぜ釈尊は、他の菩薩に、滅後の弘通を託さなかったのでしょう。
それは、仏の滅後に法華経を受持することが、難事中の難事だからです。ゆえに釈尊は、自ら教化してきた直弟子の「地涌の菩薩」に末法悪世の弘通を託したのです。
法華経には「地涌の菩薩」の特質が記されています。「志が固い」「偉大な忍耐力がある」「蓮華が泥水に染まらずに咲くように、濁世にあって世俗に染まらない」「種々の法を説いて畏れる心がない」「難問答に巧みである」……。
悪世末法にあって、本抄に説かれるように「地涌の義」を現実にできるのは、これらの特質を具えた「地涌の菩薩」だからです。
法華経で妙法流布を託された通りに、末法の初めに出現して、南無妙法蓮華経を万人に説き、御本尊を顕され、不惜身命で弘通されたのが、末法の御本仏である日蓮大聖人です。
この意義から、大聖人御自身こそ「地涌の菩薩」、なかんずく上行菩薩に当たります。
さらに「日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか」(御書1360ページ)と仰せの通り、大聖人と同心で戦う同志も「地涌の菩薩」なのです。
◇参考3 仏と師弟不二
仏の願いは、「令法久住」、つまり未来永遠にわたって妙法が伝えられるようにすることです。
池田先生は語っています。
「仏という『一人』から『全民衆』への正法広宣流布を担うのは、いかなる国土であってもつねに『地涌の菩薩』なのです。
それはなぜか。『地涌の菩薩』とは、内証の境涯が『仏』と同じでありながら、しかも、どこまでも『菩薩』として行動していくからです。いわば『菩薩仏』です。
境涯が『仏』と師弟不二でなければ、正法を正しく弘めることはできない。しかも現実の濁世で、世間のなかへ、人間群のなかへと同化して入っていかなければ広宣流布はできない。この両方の条件を満たしているのが『地涌の菩薩』なのです」(『法華経の智慧』普及版<下>)
「地涌の菩薩」として、三世にわたる師弟の宿縁を自覚した時、宿命を使命と輝かせることができます。
どこまでも民衆の中に入って、目の前の一人に同苦し、救わんと奮闘する生命に、仏界が涌現するのです。
◇池田先生の指針から
1、同じ心で戦う人
日蓮大聖人は仰せです。
——このたび、信心をしたからには、いかなることがあろうとも、「法華経の行者」として生き抜き、「日蓮が一門」との最高の誉れの人生を歩み通していきなさい、と。
私たちは、ひとたび決めたこの道を、誇り高く厳然と進んできました。
そして「日蓮と同意」、すなわち大聖人と同じ心で広宣流布に戦う人は「地涌の菩薩」であり、「釈尊久遠の弟子」にほかなりません。
私どもも、何ものも断ち切ることのできない、永遠の生命の絆で結ばれた宿縁の師弟として、共に広宣流布の誓いに生き抜く同志であります。
まさに創価学会は、「日蓮と同意」のままに、大聖人の御遺命である広宣流布実現へ、不惜の行動を貫いてきました。
しかも、妙法五字を弘める地涌の大使命にあっては、「男女はきらふべからず」(御書1360ページ)と仰せのごとく、男女の分け隔てなど、いかなる差別もなく、万人が平等に尊い地涌の活躍の舞台を現出してきたのです。
2、なんと偉大な誓願
「時」をいえば悪世末法、その「国土」をいえば娑婆世界が、地涌の菩薩の使命の舞台です。一番大変な条件を選んで、一番苦しんでいる民衆のために"今ここで戦う"と立ち上がったのです。
仏法は「願兼於業」を説きます。
人々を救うために自ら願って困難なところに生まれたのであると、受動的な人生から、自発能動の人生に転換するのです。自らの誓願で「宿業を使命に変える」のです。
久遠の使命の自覚によって、新たな自分に生まれ変わる。自身の発迹顕本をして、本当の自分の力を解き放つのです。
地涌の生命に目覚めた人に、何も恐れはありません。多くの人を救う使命に立てば、勇気も湧くし、力も出る。
なんと不思議な宿縁でしょうか。
なんと偉大な誓願でしょうか。
◇ ◇ ◇
地涌の使命は、あまりにも大きい。あまりにも崇高です。民族や人種、国籍や性別など一切の差異を超え、生命の大地の奥深くに広がる大いなる創造的生命——人類共通のルーツに基づく使命といってもよい。それに気づくことを「地涌」というのです。
いかなる人も尊極の生命の当体です。互いに励まし合い、尊敬し合いながら、今この地上に生きる仲間として、自他共の無限の可能性を開き、幸福と平和という価値を創造する底力がある。偉大な使命があるのです。
その使命に生きることを誓って現実社会に躍り出たのが、私たちなのです。
(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第17巻)
2020年2月16日日曜日
2020.02.16 わが友に贈る
「折伏」とは
幸福への最極の道。
世界平和の最短距離だ。
慈悲を勇気に代えて
朗らかに挑み抜こう!
開目抄下 P235
『我が弟子に朝夕教えしかども疑いををこして皆すてけんつたなき者のならひは約束せし事をまことの時はわするるなるべし』
【通解】
わが弟子に朝に夕に教えてきたが、難にあって疑いを起こし、みな退転してしまったようである。愚かな者の習いは、約束したことをまことの時には忘れてしまうという事であろう。
名字の言 知ってますか?「がん哲学外来」 2020年2月16日
多くのがん患者が、そこを訪れると笑顔になるという。医学的な治療ではなく、「対話」によって患者や家族を支援する交流の場「がん哲学外来」。今、各地で開かれ、注目を集めている▼この活動のモットーは「偉大なるお節介」を焼くこと。担当医は、時に自分の時間や用事より優先してでも、心を込めて利用者に寄り添う。意識を集中して相手の話をじっくり聴き、一緒に使命や希望を見いだしていく。それこそが「偉大なるお節介」▼逆に、一方的にしゃべったり、自分の思いを押し付けたりすると、相手は心を閉ざしてしまいがち。それでは「余計なお節介」になる(樋野興夫著『がん哲学外来へようこそ』)▼多宝会の先輩が、励ましの秘訣を教えてくれた。一つは「あえて暇そうにすること」。誰しも、忙しそうにしている人に心を開いての会話はしづらい。次に「相手の話を最後まで聴く。そして話が一区切りついたと思っても、しばらく待つこと」。一番言いたいことや本音は、語り終えた後に出てくることが多いからという▼悩んでいる友は、具体的な助言以上に、気持ちを受け止めてほしいと願っているもの。だからこそ忍耐強く耳を傾け、真剣に寄り添うよう努める——人を励まし、共に成長するために、その姿勢を貫きたい。(実)
寸鉄 2020年2月16日
日蓮と同じく—この法華弘通の魂は学会に脈々。大聖人御聖誕日に心新た
千葉の日。さあ皆で勇敢に拡大へ!新時代の勝利の旭日を有縁の天地から
広宣流布といっても要は人材の城をつくることだ—恩師。励まし、幾重にも
職場で挫折克服した人ほど仕事でやりがい感じる—調査。苦難は宝と前へ
ヘルプマークの認知度が向上。見掛けたら配慮を。その善意が共助社会の力
☆明日を照らす テーマ:仏法は勝負 2020年2月11日
「御書を拝することは、御本仏の魂に直接、触れることだ。仏の生命を湧き出し、いかなる試練も必ず乗り越えていける。教学は、希望の大光なり。教学は、励ましの泉なり。教学は、破邪顕正の剣なり」(『池田大作先生が贈る 青春勝利の大道』)
新連載「明日を照らす」では、日蓮大聖人の御聖訓を拝しながら、私たちの正しき人生の航路を示す光源となる仏法の法理を学んでいきます。初回のテーマは「仏法は勝負」。日々のあらゆる局面を勝ち越えるための、勇気と智慧を胸に刻んでいきましょう。
◇御文
『夫れ仏法と申すは勝負をさきとし、王法と申すは賞罰を本とせり、故に仏をば世雄と号し王をば自在となづけたり』(四条金吾殿御返事、1165ページ)
◇"必ず勝つ"と一念を定め
【通解】そもそも、仏法というのは勝負を第一とし、王法というのは賞罰を根本としている。故に、仏を世雄と号し、王を自在と名づけるのである。
"正しい仏法は必ず勝つ"との日蓮大聖人の御確信が込められた一節です。
本抄を頂いた四条金吾は、幕府の有力な一族である江間氏に仕えた武士です。
極楽寺良観の信奉者であった主君・江間氏を折伏したため不興をかった金吾は、建治3年(1277年)には、同僚の讒言を信じた江間氏から"法華経の信仰をやめなければ所領を没収する"と迫られました。
金吾はこれを敢然と拒否し、不退転の決意を大聖人に報告します。そうした中、苦境の弟子を励ます書信に認められたのが、この御文です。
当時の中世武家社会では主従関係が重んじられ、武士たちの命運を左右するのは、主君による「賞罰」でした。よって、王法(世法)においては"賞罰を根本としている"と仰せられていると拝されます。
ところが、大聖人は、"仏法においては勝負こそが第一である"と仰せになりました。これは、主君による弾圧という苦難を「賞罰」という世間の表面的な次元から捉えるのではなく、信心の眼で仏と魔との「勝負」として捉え、"絶対に負けてはならない"と励まされているのです。
渾身の激励を受けた金吾は、その後、主君の信頼を勝ち取り、以前の3倍の所領を与えられたのでした。
ある意味で、人生は困難の連続であるからこそ、信心を根本に一つ一つの課題を勝ち越えることで自身が鍛えられ、幸福をつかんでいけるのです。
何よりもまず、奥底の一念を"断じて勝つ"と定めることが勝利の因となることは間違いありません。
◇御文
『師子王は前三後一と申して・ありの子を取らんとするにも又たけきものを取らんとする時も・いきをひを出す事は・ただをなじき事なり』(経王殿御返事、1124ページ)
◇弛まず全力を尽くす
【通解】師子王は前三後一といって、蟻の子を取ろうとする時にも、また、猛々しいものを取ろうとする時にも、その飛びかかる勢いは、全く同じである。
師子王はどんな相手にも全力で挑み、打ち破ると仰せです。
本抄を頂いた門下には病を抱える子どもがいました。日蓮大聖人は、仏の大生命力を師子王の振る舞いに譬えられ、病魔を打ち破るための、強盛な信心や確信の祈りについてつづられています。
ある年頭、池田先生はこの御文を拝して語りました。
「小事が大事である。広布の活動のうえでも、仕事のうえでも、家庭も人生も、すべて油断なく、知恵をしぼり、努力を重ねて、堂々たる栄光の一年を勝ち取っていただきたい」
地道な日々の"勝利"なくして、人生の"大勝利"はつかめません。努力を怠っていながら、立派な成果を求めるのは夢物語にすぎないのです。
"これくらいなら"と手を抜く油断や、"誰も気付かないだろう"といった慢心に敗北の原因が潜んでいます。
信心の眼で見れば、最も注意すべきは環境ではなく、自身の心の隙だといえます。
ゆえに、小さなこと、簡単に思えることを軽んじることなく、全魂を傾けて挑戦していくことが肝要です。
本抄で示されたように、どんな小さなことも御本尊に強盛に祈念する——そうすれば諸天善神の働きで必ず守られていきます。また、仏界の生命を開いて、どんな苦難にも勇気を奮い起こして挑んでいくことができるのです。
一日一日を焦らず、弛まず勝ちゆく先に、自身の幸福境涯が築かれることを確信して前進していきましょう。
幸福への最極の道。
世界平和の最短距離だ。
慈悲を勇気に代えて
朗らかに挑み抜こう!
開目抄下 P235
『我が弟子に朝夕教えしかども疑いををこして皆すてけんつたなき者のならひは約束せし事をまことの時はわするるなるべし』
【通解】
わが弟子に朝に夕に教えてきたが、難にあって疑いを起こし、みな退転してしまったようである。愚かな者の習いは、約束したことをまことの時には忘れてしまうという事であろう。
名字の言 知ってますか?「がん哲学外来」 2020年2月16日
多くのがん患者が、そこを訪れると笑顔になるという。医学的な治療ではなく、「対話」によって患者や家族を支援する交流の場「がん哲学外来」。今、各地で開かれ、注目を集めている▼この活動のモットーは「偉大なるお節介」を焼くこと。担当医は、時に自分の時間や用事より優先してでも、心を込めて利用者に寄り添う。意識を集中して相手の話をじっくり聴き、一緒に使命や希望を見いだしていく。それこそが「偉大なるお節介」▼逆に、一方的にしゃべったり、自分の思いを押し付けたりすると、相手は心を閉ざしてしまいがち。それでは「余計なお節介」になる(樋野興夫著『がん哲学外来へようこそ』)▼多宝会の先輩が、励ましの秘訣を教えてくれた。一つは「あえて暇そうにすること」。誰しも、忙しそうにしている人に心を開いての会話はしづらい。次に「相手の話を最後まで聴く。そして話が一区切りついたと思っても、しばらく待つこと」。一番言いたいことや本音は、語り終えた後に出てくることが多いからという▼悩んでいる友は、具体的な助言以上に、気持ちを受け止めてほしいと願っているもの。だからこそ忍耐強く耳を傾け、真剣に寄り添うよう努める——人を励まし、共に成長するために、その姿勢を貫きたい。(実)
寸鉄 2020年2月16日
日蓮と同じく—この法華弘通の魂は学会に脈々。大聖人御聖誕日に心新た
千葉の日。さあ皆で勇敢に拡大へ!新時代の勝利の旭日を有縁の天地から
広宣流布といっても要は人材の城をつくることだ—恩師。励まし、幾重にも
職場で挫折克服した人ほど仕事でやりがい感じる—調査。苦難は宝と前へ
ヘルプマークの認知度が向上。見掛けたら配慮を。その善意が共助社会の力
☆明日を照らす テーマ:仏法は勝負 2020年2月11日
「御書を拝することは、御本仏の魂に直接、触れることだ。仏の生命を湧き出し、いかなる試練も必ず乗り越えていける。教学は、希望の大光なり。教学は、励ましの泉なり。教学は、破邪顕正の剣なり」(『池田大作先生が贈る 青春勝利の大道』)
新連載「明日を照らす」では、日蓮大聖人の御聖訓を拝しながら、私たちの正しき人生の航路を示す光源となる仏法の法理を学んでいきます。初回のテーマは「仏法は勝負」。日々のあらゆる局面を勝ち越えるための、勇気と智慧を胸に刻んでいきましょう。
◇御文
『夫れ仏法と申すは勝負をさきとし、王法と申すは賞罰を本とせり、故に仏をば世雄と号し王をば自在となづけたり』(四条金吾殿御返事、1165ページ)
◇"必ず勝つ"と一念を定め
【通解】そもそも、仏法というのは勝負を第一とし、王法というのは賞罰を根本としている。故に、仏を世雄と号し、王を自在と名づけるのである。
"正しい仏法は必ず勝つ"との日蓮大聖人の御確信が込められた一節です。
本抄を頂いた四条金吾は、幕府の有力な一族である江間氏に仕えた武士です。
極楽寺良観の信奉者であった主君・江間氏を折伏したため不興をかった金吾は、建治3年(1277年)には、同僚の讒言を信じた江間氏から"法華経の信仰をやめなければ所領を没収する"と迫られました。
金吾はこれを敢然と拒否し、不退転の決意を大聖人に報告します。そうした中、苦境の弟子を励ます書信に認められたのが、この御文です。
当時の中世武家社会では主従関係が重んじられ、武士たちの命運を左右するのは、主君による「賞罰」でした。よって、王法(世法)においては"賞罰を根本としている"と仰せられていると拝されます。
ところが、大聖人は、"仏法においては勝負こそが第一である"と仰せになりました。これは、主君による弾圧という苦難を「賞罰」という世間の表面的な次元から捉えるのではなく、信心の眼で仏と魔との「勝負」として捉え、"絶対に負けてはならない"と励まされているのです。
渾身の激励を受けた金吾は、その後、主君の信頼を勝ち取り、以前の3倍の所領を与えられたのでした。
ある意味で、人生は困難の連続であるからこそ、信心を根本に一つ一つの課題を勝ち越えることで自身が鍛えられ、幸福をつかんでいけるのです。
何よりもまず、奥底の一念を"断じて勝つ"と定めることが勝利の因となることは間違いありません。
◇御文
『師子王は前三後一と申して・ありの子を取らんとするにも又たけきものを取らんとする時も・いきをひを出す事は・ただをなじき事なり』(経王殿御返事、1124ページ)
◇弛まず全力を尽くす
【通解】師子王は前三後一といって、蟻の子を取ろうとする時にも、また、猛々しいものを取ろうとする時にも、その飛びかかる勢いは、全く同じである。
師子王はどんな相手にも全力で挑み、打ち破ると仰せです。
本抄を頂いた門下には病を抱える子どもがいました。日蓮大聖人は、仏の大生命力を師子王の振る舞いに譬えられ、病魔を打ち破るための、強盛な信心や確信の祈りについてつづられています。
ある年頭、池田先生はこの御文を拝して語りました。
「小事が大事である。広布の活動のうえでも、仕事のうえでも、家庭も人生も、すべて油断なく、知恵をしぼり、努力を重ねて、堂々たる栄光の一年を勝ち取っていただきたい」
地道な日々の"勝利"なくして、人生の"大勝利"はつかめません。努力を怠っていながら、立派な成果を求めるのは夢物語にすぎないのです。
"これくらいなら"と手を抜く油断や、"誰も気付かないだろう"といった慢心に敗北の原因が潜んでいます。
信心の眼で見れば、最も注意すべきは環境ではなく、自身の心の隙だといえます。
ゆえに、小さなこと、簡単に思えることを軽んじることなく、全魂を傾けて挑戦していくことが肝要です。
本抄で示されたように、どんな小さなことも御本尊に強盛に祈念する——そうすれば諸天善神の働きで必ず守られていきます。また、仏界の生命を開いて、どんな苦難にも勇気を奮い起こして挑んでいくことができるのです。
一日一日を焦らず、弛まず勝ちゆく先に、自身の幸福境涯が築かれることを確信して前進していきましょう。
2020年2月15日土曜日
2020.02.15 わが友に贈る
令和の「二月闘争」も
いよいよ後半戦。
自ら定めた誓いを胸に
「強盛の大信力を致して」
悔いなき一日一日を!
顕仏未来記 P507
『爾りと雖も仏の滅後に於て四味三教等の邪執を捨て実大乗の法華経に帰せば諸天善神並びに地涌千界等の菩薩法華の行者を守護せん』
【通解】
しかしながら、如来滅後五五百歳において、四味・三教への邪な執心を捨てて実大乗教である法華経に帰依するならば、諸天善神ならびに地湧千界等の菩薩が必ず法華経の行者を守護するであろう。
名字の言 名将・野村克也氏の指導者論とは 2020年2月15日
名捕手として一時代を築き、監督としてもヤクルトスワローズを3度の日本一に導いた名将・野村克也氏。先日、84歳で亡くなった▼こうした実績もさることながら、氏が未来へ残した最大のものは「人材」であろう。教え子たちは今、球界を代表する指導者に。訃報に接した彼らが「野球のイロハを教えてもらった」と口々に感謝を語る姿が印象的だった▼野村氏が指導者として心掛けていたのは「つねに自分がレベルアップしていくこと」。「組織はリーダーの器以上には大きくならない」との信念で"この指導方法でいいのか"と自身に問い続けた。氏がこだわった「考える野球」は、選手に触発を与え、彼らの可能性を次々と開花させた(『野村再生工場』KADOKAWA)。氏の哲学は、教え子たちの手でさらに輝いていくに違いない▼人材育成で問われるのは、常に"育てる側"の姿勢であろう。相手の可能性を引き出すためには、"自身を磨き続ける"以外にない。自分の生命が澄んだ"鏡"のようになれば、必ず相手の長所も見えてくる▼その"鏡"を磨く確かな実践が信心といえよう。広宣流布の運動も、未来へ限りない人材の流れを創る絶えざる挑戦である。自分が成長した分だけ、広布のフィールドは広がっていく。(差)
寸鉄 2020年2月15日
難に負けない信心が永遠の幸福の城を築く—戸田先生。逆境こそ成長の時
「当に仏を敬うが如く」が最上第一の相伝。皆に使命。幹部は心して走れ
正義を守ること、これが人の務め—文豪。若師子よ破邪顕正の闘魂燃やせ
高齢者運転の死亡事故、最多要因は「操作の誤り」と。絶対に無事故第一で
四国で春一番。季節の変わり目は体調管理賢く。リズム正しい生活が根本
☆心に御書を 第20回 病は永遠の幸福への転機
〈御文〉
『日蓮此の業障をけしはてて未来は霊山浄土にまいるべしと・おもへば種種の大難・雨のごとくふり雲のごとくに・わき候へども法華経の御故なれば苦をも苦ともおもはず』(四条金吾殿御書、1112ページ)
〈通解〉
日蓮は、この業障(餓鬼道に堕ちる悪業)を消し果てて、未来は霊山浄土へ行くことができると思っているから、種々の大難が雨のように降り、雲のようにわいても、法華経のゆえであるので、苦をも苦とは思わない。
〈池田先生が贈る指針〉
御本仏は、度重なる大難も悠然と勝ち越える姿を示してくださった。
妙法には、重き宿業を軽く受けて消滅させる大功力がある。病も、自身と家族が永遠に幸福になるための転機なのだ。一番大変な時に、一番大きく境涯を変えられる。
広布誓願の題目の師子吼で、断固と変毒為薬し、偉大な使命の勝利劇に転じゆくのだ!
☆対話のツボ 【問い】偏った考えに陥りたくない 2020年2月11日
新連載「対話のツボ」では、日蓮仏法を語るうえで、信仰の大切さをより深めていくポイントを取り上げていきます。
【問い】偏った考えに陥りたくない
宗教に抵抗があるという人から、こんな言葉を聞いたことがあります。
"宗教を信じることで本来の自分を失い、自由が束縛されるなど、望まない自身に変わってしまうのではないか不安だ"と。
また宗教に対して、"信者を狂信的にさせ、家庭や社会からも隔絶してしまう"といった偏頗なイメージを抱いている人も少なくありません。
しかし、日蓮大聖人の仏法は、各人の生き方や自由を束縛するものではありません。
私たち創価学会員は、どこまでも自発性の発露で信仰に励み、それぞれの課題に挑戦しています。また、信仰で磨いた人間性を発揮し、豊かな人間関係を育む場として、家庭や社会を大切にしています。
こうした信仰の実践を通して、本来の自分らしさが存分に生かされる智慧が湧き、思ってもみなかった充実した人生を歩んでいけるのです。
信仰の歓喜と宗教的使命感の自覚のもと、互いの個性や違いを尊重することで、多様な会員同士の団結も生まれます。仏法を学んだり、他者の信仰体験を聞いたりすることで、「考えが偏る」どころか、視野が広がり、幸福の土台を築く必要性を実感するでしょう。
その豊かな幸福の土台こそ日蓮大聖人の仏法です。よって、この仏法を持つことを安易に「偏った考えに陥る」と評するのは、「どの宗教も同じ」という宗教観をうのみにしているにすぎません。
現代に生きる、本当に勝れた宗教にこそ目を開いてほしいと念願します。
いよいよ後半戦。
自ら定めた誓いを胸に
「強盛の大信力を致して」
悔いなき一日一日を!
顕仏未来記 P507
『爾りと雖も仏の滅後に於て四味三教等の邪執を捨て実大乗の法華経に帰せば諸天善神並びに地涌千界等の菩薩法華の行者を守護せん』
【通解】
しかしながら、如来滅後五五百歳において、四味・三教への邪な執心を捨てて実大乗教である法華経に帰依するならば、諸天善神ならびに地湧千界等の菩薩が必ず法華経の行者を守護するであろう。
名字の言 名将・野村克也氏の指導者論とは 2020年2月15日
名捕手として一時代を築き、監督としてもヤクルトスワローズを3度の日本一に導いた名将・野村克也氏。先日、84歳で亡くなった▼こうした実績もさることながら、氏が未来へ残した最大のものは「人材」であろう。教え子たちは今、球界を代表する指導者に。訃報に接した彼らが「野球のイロハを教えてもらった」と口々に感謝を語る姿が印象的だった▼野村氏が指導者として心掛けていたのは「つねに自分がレベルアップしていくこと」。「組織はリーダーの器以上には大きくならない」との信念で"この指導方法でいいのか"と自身に問い続けた。氏がこだわった「考える野球」は、選手に触発を与え、彼らの可能性を次々と開花させた(『野村再生工場』KADOKAWA)。氏の哲学は、教え子たちの手でさらに輝いていくに違いない▼人材育成で問われるのは、常に"育てる側"の姿勢であろう。相手の可能性を引き出すためには、"自身を磨き続ける"以外にない。自分の生命が澄んだ"鏡"のようになれば、必ず相手の長所も見えてくる▼その"鏡"を磨く確かな実践が信心といえよう。広宣流布の運動も、未来へ限りない人材の流れを創る絶えざる挑戦である。自分が成長した分だけ、広布のフィールドは広がっていく。(差)
寸鉄 2020年2月15日
難に負けない信心が永遠の幸福の城を築く—戸田先生。逆境こそ成長の時
「当に仏を敬うが如く」が最上第一の相伝。皆に使命。幹部は心して走れ
正義を守ること、これが人の務め—文豪。若師子よ破邪顕正の闘魂燃やせ
高齢者運転の死亡事故、最多要因は「操作の誤り」と。絶対に無事故第一で
四国で春一番。季節の変わり目は体調管理賢く。リズム正しい生活が根本
☆心に御書を 第20回 病は永遠の幸福への転機
〈御文〉
『日蓮此の業障をけしはてて未来は霊山浄土にまいるべしと・おもへば種種の大難・雨のごとくふり雲のごとくに・わき候へども法華経の御故なれば苦をも苦ともおもはず』(四条金吾殿御書、1112ページ)
〈通解〉
日蓮は、この業障(餓鬼道に堕ちる悪業)を消し果てて、未来は霊山浄土へ行くことができると思っているから、種々の大難が雨のように降り、雲のようにわいても、法華経のゆえであるので、苦をも苦とは思わない。
〈池田先生が贈る指針〉
御本仏は、度重なる大難も悠然と勝ち越える姿を示してくださった。
妙法には、重き宿業を軽く受けて消滅させる大功力がある。病も、自身と家族が永遠に幸福になるための転機なのだ。一番大変な時に、一番大きく境涯を変えられる。
広布誓願の題目の師子吼で、断固と変毒為薬し、偉大な使命の勝利劇に転じゆくのだ!
☆対話のツボ 【問い】偏った考えに陥りたくない 2020年2月11日
新連載「対話のツボ」では、日蓮仏法を語るうえで、信仰の大切さをより深めていくポイントを取り上げていきます。
【問い】偏った考えに陥りたくない
宗教に抵抗があるという人から、こんな言葉を聞いたことがあります。
"宗教を信じることで本来の自分を失い、自由が束縛されるなど、望まない自身に変わってしまうのではないか不安だ"と。
また宗教に対して、"信者を狂信的にさせ、家庭や社会からも隔絶してしまう"といった偏頗なイメージを抱いている人も少なくありません。
しかし、日蓮大聖人の仏法は、各人の生き方や自由を束縛するものではありません。
私たち創価学会員は、どこまでも自発性の発露で信仰に励み、それぞれの課題に挑戦しています。また、信仰で磨いた人間性を発揮し、豊かな人間関係を育む場として、家庭や社会を大切にしています。
こうした信仰の実践を通して、本来の自分らしさが存分に生かされる智慧が湧き、思ってもみなかった充実した人生を歩んでいけるのです。
信仰の歓喜と宗教的使命感の自覚のもと、互いの個性や違いを尊重することで、多様な会員同士の団結も生まれます。仏法を学んだり、他者の信仰体験を聞いたりすることで、「考えが偏る」どころか、視野が広がり、幸福の土台を築く必要性を実感するでしょう。
その豊かな幸福の土台こそ日蓮大聖人の仏法です。よって、この仏法を持つことを安易に「偏った考えに陥る」と評するのは、「どの宗教も同じ」という宗教観をうのみにしているにすぎません。
現代に生きる、本当に勝れた宗教にこそ目を開いてほしいと念願します。
2020年2月14日金曜日
2020.02.14 わが友に贈る
生命の輝きは
「声」に表れる。
皆をパッと明るくする
豊かな声を響かせよう!
幸福を願う心を込めて!
唱法華題目 P7
『悪知識と申すは甘くかたらひ詐り媚び言を巧にして愚癡の人の心を取つて善心を破るといふ事なり』
【通解】
悪知識というのは、甘い言葉で語りかけ、いつわり、こび、言葉巧みに、愚かな人の心を取って、善心(仏道修行に励もうとする心)を破るということである。
名字の言 NHKラジオ「うたのおばさん」が生み出した名曲 2020年2月14日
「めだかの学校」「ぞうさん」「とんぼのめがね」——今も歌い継がれるこれらの童謡はNHKのラジオ番組から生まれた▼日曜を除く午前8時45分から15分間、1949年から15年にわたり放送された「うたのおばさん」。作詞・作曲家らと共に多くの名曲を生み出したのが、番組ディレクターの武井照子さんだ▼番組を通して出会った人々の中でも、特に詩人のまど・みちお氏の言葉が忘れられないという。「自分の目で見て、感じたことを言葉にするしか、出来ないのですよ」。控えめに語る詩人に、武井さんは自らを省みてハッとした。「当たり前のことなのだが、今それが出来なくなっている」と。「まどさんの詩を読むと、難しい言葉はないし、すっと体に入ってくる」「平明で易しい言葉なのに、天地を感じる」(『あの日を刻むマイク』集英社)▼感じたことを率直に語る——簡単なようで、これほど難しいことはないかもしれない。私たちの対話にも通じよう。あれこれ思い悩んだ時には、今、自分が感じていることをそのまま伝える方が相手の心に届くものだ▼池田先生は「見栄を張ったり、無理に飾る必要はない。どこまでも自分らしく、わが信念を誠心誠意、語っていくのだ」と。きょうも心を結ぶ対話を、繕わず、ありのままの言葉で。(誼)
寸鉄 2020年2月14日
我らの座談会は語らいの花咲く生命のオアシス。全幹部が総力で励ましを
岡山の日。希望の春呼ぶ勇気の対話拡大。友の心に師弟共戦の炎は赤々と
新入会者が各地で誕生。皆、尊極な地涌の菩薩だ。共に学び動き共に成長!
花粉飛散、例年より早く。先手先手の予防で症状が緩和と。賢く健康第一で
南極で18・3度、観測史上の最高気温。事実直視し気候変動対策を加速せよ
☆信行錬磨の春季フリー研修 3月25日から29日まで全国15会場で実施
伝統の「春季フリー研修」が3月25日から29日まで、全国15の会館・研修道場等で実施される。
自由なスケジュールで各会場を訪問することができ、勤行・唱題のほか、敷地内の見学や散策などが楽しめる。
期間中、各会場では、午前11時からと午後1時半からの2回、勤行会が行われる。また、実施会場ごとに、来館記念のスタンプやしおり、記念撮影用の看板等が用意されている。
各地の広布史に触れ、幸と希望の語らいを広げる絶好の機会となろう。
【実施会場・連絡先・所在地・主要交通機関】
東京戸田記念講堂
電話 03-5567-1711
東京都豊島区巣鴨2-10-21
JR山手線または都営地下鉄三田線の巣鴨駅下車、徒歩3分
大田池田文化会館
電話 03-5741-7211
東京都大田区下丸子4-22-1
東急多摩川線の下丸子駅または鵜の木駅下車、徒歩10分
神奈川文化会館
電話 045-640-4500
神奈川県横浜市中区山下町7-1
みなとみらい線の元町・中華街駅下車、1番出口から徒歩3分
埼玉文化会館
電話 048-862-7111
埼玉県さいたま市桜区西堀5-14-10
JR埼京線の中浦和駅下車、徒歩20分。またはJR武蔵野線の西浦和駅下車、徒歩15分
関西文化会館
電話 06-6766-3055
大阪府大阪市天王寺区餌差町10-44
JR大阪環状線、地下鉄、近鉄各線の鶴橋駅または近鉄の大阪上本町駅下車、徒歩10分
京都国際文化会館
電話 075-253-1900
京都府京都市中京区八町目532(東堀川通竹屋町下ル)
地下鉄東西線の二条城前駅下車、2番出口から北へ徒歩7分
兵庫池田文化会館
関西国際文化センター
電話 078-265-0700
兵庫県神戸市中央区浜辺通6-3-16
JR三ノ宮駅、阪急・阪神の神戸三宮駅、地下鉄の三宮駅下車、徒歩12分
東北文化会館
電話 022-783-9406
宮城県仙台市宮城野区苦竹3-2-1
JR仙石線の苦竹駅下車、徒歩15分。またはJR仙台駅からタクシーで約15分
新潟池田文化会館
電話 025-257-1400
新潟県新潟市中央区長潟2-26-1
JR新潟駅南口から南部営業所行きバス(S6長潟線)で「北谷内」下車、徒歩10分
北陸研修道場
電話 0767-66-2911
石川県七尾市中島町小牧セ部1
のと鉄道の能登中島駅からタクシーで10分
広島池田平和記念会館
電話 082-506-4111
広島県広島市東区光町1-15-39
JR広島駅から徒歩8分
四国研修道場
電話 087-869-9111(四国池田文化会館直通)
香川県高松市庵治町157-1
JR高松駅から「ことでんバス」庵治温泉行きで「舟かくし」下車、徒歩1分
福岡研修道場
電話 092-327-1131
福岡県糸島市志摩師吉1423-1
JR筑前前原駅からタクシーで約15分
宮崎研修道場
電話 0985-55-4141
宮崎県宮崎市大字加江田字松添7351-2
宮崎空港からタクシーで15分。またはJR日南線の子供の国駅下車、徒歩5分
沖縄研修道場
電話 098-982-3030
沖縄県国頭郡恩納村字谷茶1172
那覇市内から名護行きバス(名護西線)で「谷茶の丘」下車、徒歩10分
※上記の連絡先は、期間中のみの対応となります。
【実施期間】
3月25日(水)から29日(日)まで。開館時間は、午前10時から午後4時まで。
【参加方法】
�参加希望者は、壮年部の本部長に申し込み、本部長が署名・押印した全国共通の「フリー研修参加証」を受け取ってください。
�1枚の「参加証」で家族も参加できます(未入会家族も含む)。また、期間中であれば、実施会場の会館・研修道場等を何カ所でも訪問できます。
�交通機関や宿泊等の手配は、各自で行ってください。
※沖縄研修道場では、春季フリー研修のほかに、「研修道場自由見学会」が実施されています。
〈沖縄研修道場〉
自由見学会の実施期間は、年末年始を除く通年。開館時間は、午前10時から午後4時まで。休館日は毎週火曜。年末年始の休館期間については直接、研修道場にお問い合わせください。
※なお、函館研修道場(北海道)、長野青年研修道場(霧ケ峰)での「研修道場自由見学会」は、春季は実施しません。詳しくは、創価学会公式ホームページ「SOKAnet」(www.sokanet.jp)でご確認ください。
「声」に表れる。
皆をパッと明るくする
豊かな声を響かせよう!
幸福を願う心を込めて!
唱法華題目 P7
『悪知識と申すは甘くかたらひ詐り媚び言を巧にして愚癡の人の心を取つて善心を破るといふ事なり』
【通解】
悪知識というのは、甘い言葉で語りかけ、いつわり、こび、言葉巧みに、愚かな人の心を取って、善心(仏道修行に励もうとする心)を破るということである。
名字の言 NHKラジオ「うたのおばさん」が生み出した名曲 2020年2月14日
「めだかの学校」「ぞうさん」「とんぼのめがね」——今も歌い継がれるこれらの童謡はNHKのラジオ番組から生まれた▼日曜を除く午前8時45分から15分間、1949年から15年にわたり放送された「うたのおばさん」。作詞・作曲家らと共に多くの名曲を生み出したのが、番組ディレクターの武井照子さんだ▼番組を通して出会った人々の中でも、特に詩人のまど・みちお氏の言葉が忘れられないという。「自分の目で見て、感じたことを言葉にするしか、出来ないのですよ」。控えめに語る詩人に、武井さんは自らを省みてハッとした。「当たり前のことなのだが、今それが出来なくなっている」と。「まどさんの詩を読むと、難しい言葉はないし、すっと体に入ってくる」「平明で易しい言葉なのに、天地を感じる」(『あの日を刻むマイク』集英社)▼感じたことを率直に語る——簡単なようで、これほど難しいことはないかもしれない。私たちの対話にも通じよう。あれこれ思い悩んだ時には、今、自分が感じていることをそのまま伝える方が相手の心に届くものだ▼池田先生は「見栄を張ったり、無理に飾る必要はない。どこまでも自分らしく、わが信念を誠心誠意、語っていくのだ」と。きょうも心を結ぶ対話を、繕わず、ありのままの言葉で。(誼)
寸鉄 2020年2月14日
我らの座談会は語らいの花咲く生命のオアシス。全幹部が総力で励ましを
岡山の日。希望の春呼ぶ勇気の対話拡大。友の心に師弟共戦の炎は赤々と
新入会者が各地で誕生。皆、尊極な地涌の菩薩だ。共に学び動き共に成長!
花粉飛散、例年より早く。先手先手の予防で症状が緩和と。賢く健康第一で
南極で18・3度、観測史上の最高気温。事実直視し気候変動対策を加速せよ
☆信行錬磨の春季フリー研修 3月25日から29日まで全国15会場で実施
伝統の「春季フリー研修」が3月25日から29日まで、全国15の会館・研修道場等で実施される。
自由なスケジュールで各会場を訪問することができ、勤行・唱題のほか、敷地内の見学や散策などが楽しめる。
期間中、各会場では、午前11時からと午後1時半からの2回、勤行会が行われる。また、実施会場ごとに、来館記念のスタンプやしおり、記念撮影用の看板等が用意されている。
各地の広布史に触れ、幸と希望の語らいを広げる絶好の機会となろう。
【実施会場・連絡先・所在地・主要交通機関】
東京戸田記念講堂
電話 03-5567-1711
東京都豊島区巣鴨2-10-21
JR山手線または都営地下鉄三田線の巣鴨駅下車、徒歩3分
大田池田文化会館
電話 03-5741-7211
東京都大田区下丸子4-22-1
東急多摩川線の下丸子駅または鵜の木駅下車、徒歩10分
神奈川文化会館
電話 045-640-4500
神奈川県横浜市中区山下町7-1
みなとみらい線の元町・中華街駅下車、1番出口から徒歩3分
埼玉文化会館
電話 048-862-7111
埼玉県さいたま市桜区西堀5-14-10
JR埼京線の中浦和駅下車、徒歩20分。またはJR武蔵野線の西浦和駅下車、徒歩15分
関西文化会館
電話 06-6766-3055
大阪府大阪市天王寺区餌差町10-44
JR大阪環状線、地下鉄、近鉄各線の鶴橋駅または近鉄の大阪上本町駅下車、徒歩10分
京都国際文化会館
電話 075-253-1900
京都府京都市中京区八町目532(東堀川通竹屋町下ル)
地下鉄東西線の二条城前駅下車、2番出口から北へ徒歩7分
兵庫池田文化会館
関西国際文化センター
電話 078-265-0700
兵庫県神戸市中央区浜辺通6-3-16
JR三ノ宮駅、阪急・阪神の神戸三宮駅、地下鉄の三宮駅下車、徒歩12分
東北文化会館
電話 022-783-9406
宮城県仙台市宮城野区苦竹3-2-1
JR仙石線の苦竹駅下車、徒歩15分。またはJR仙台駅からタクシーで約15分
新潟池田文化会館
電話 025-257-1400
新潟県新潟市中央区長潟2-26-1
JR新潟駅南口から南部営業所行きバス(S6長潟線)で「北谷内」下車、徒歩10分
北陸研修道場
電話 0767-66-2911
石川県七尾市中島町小牧セ部1
のと鉄道の能登中島駅からタクシーで10分
広島池田平和記念会館
電話 082-506-4111
広島県広島市東区光町1-15-39
JR広島駅から徒歩8分
四国研修道場
電話 087-869-9111(四国池田文化会館直通)
香川県高松市庵治町157-1
JR高松駅から「ことでんバス」庵治温泉行きで「舟かくし」下車、徒歩1分
福岡研修道場
電話 092-327-1131
福岡県糸島市志摩師吉1423-1
JR筑前前原駅からタクシーで約15分
宮崎研修道場
電話 0985-55-4141
宮崎県宮崎市大字加江田字松添7351-2
宮崎空港からタクシーで15分。またはJR日南線の子供の国駅下車、徒歩5分
沖縄研修道場
電話 098-982-3030
沖縄県国頭郡恩納村字谷茶1172
那覇市内から名護行きバス(名護西線)で「谷茶の丘」下車、徒歩10分
※上記の連絡先は、期間中のみの対応となります。
【実施期間】
3月25日(水)から29日(日)まで。開館時間は、午前10時から午後4時まで。
【参加方法】
�参加希望者は、壮年部の本部長に申し込み、本部長が署名・押印した全国共通の「フリー研修参加証」を受け取ってください。
�1枚の「参加証」で家族も参加できます(未入会家族も含む)。また、期間中であれば、実施会場の会館・研修道場等を何カ所でも訪問できます。
�交通機関や宿泊等の手配は、各自で行ってください。
※沖縄研修道場では、春季フリー研修のほかに、「研修道場自由見学会」が実施されています。
〈沖縄研修道場〉
自由見学会の実施期間は、年末年始を除く通年。開館時間は、午前10時から午後4時まで。休館日は毎週火曜。年末年始の休館期間については直接、研修道場にお問い合わせください。
※なお、函館研修道場(北海道)、長野青年研修道場(霧ケ峰)での「研修道場自由見学会」は、春季は実施しません。詳しくは、創価学会公式ホームページ「SOKAnet」(www.sokanet.jp)でご確認ください。
2020年2月13日木曜日
2020.02.13 わが友に贈る
わが地区・ブロックを
世界一の人材城に!
強き祈りを根本に
真心あふれる励ましを!
一人残らず使命の人だ。
曾谷殿御返事 P1064
『飢渇は大貪よりをこりやくびやうはぐちよりをこり合戦は瞋恚よりをこる』
【通解】
飢渇は大貪欲の心から起こり、疫病は愚癡の心から起こり、戦争は瞋恚の心から起こる。
名字の言 "ミスター・ラグビー"平尾誠二さん。母校の監督の教えとは? 2020年2月13日
"ミスター・ラグビー"と称された平尾誠二さんが選手だった当時の伏見工高ラグビー部は、ほぼ無敵だった。ある試合でのこと。手を抜いても大差をつけて前半を終えたハーフタイムで、監督は選手たちを厳しく戒め、こんな話をした▼今ある力を10とする。それを出し切れば地力は10・001くらいになる。次の試合でそれを出し切れば10・002になる。力は全てを発揮してこそ増えていく。逆に余力を残せば減っていく、と(『プロフェッショナル100人の流儀』致知出版社)▼ある婦人部リーダーは病の影響で握力がひどく低下した。懸命なリハビリの割にわずかな握力しか戻らない。「ここまで来れば十分だよ」との友の励ましに感謝しつつも、彼女はよしとしなかった▼彼女の本当の目標は、最低限の日常生活を取り戻すことより遥か先。再びペンを持ち、同志に手紙を書くことだった。再び車のハンドルを握り、同志の激励に走ることだった。そしてついに病気になる前よりも強い握力をつけた。支えてきた友は握手した際、「痛い痛い!」と言いながら、うれし涙を流した▼人生の勝負は突き詰めれば、自分自身の弱さとの戦いである。うまずたゆまず、諦めず、一歩一歩と向上の道を歩む中に人間革命と絶対勝利の直道がある。(城)
寸鉄 2020年2月13日
『新・人間革命』は価値創造を促す目覚めの書—識者。研鑽し、向上の道を
東京・葛飾の日。仲良き連帯で対話拡大。愛する地域を人間共和の模範に
「病ある人仏になるべき」御書。変毒為薬の妙法だ。題目の師子吼は最高の剣
4人に1人が特殊詐欺の電話を経験と。在宅でも留守電が有効。油断せず
話したくなる相手、1位は「話を否定しない」と。聞き上手こそ心結ぶ一歩
☆忘れ得ぬ瞬間 創大生・短大生に創立者が贈った言葉 ウラル国立大学「名誉博士号」授与式 2020年2月2日
<2006年1月23日、ロシアの名門・ウラル国立大学(現・ウラル連邦大学)から、池田先生に対する「名誉博士号」の授与式が、創価大学の本部棟で行われた。
1920年に創立された同大学は、ロシアの作家ゴーリキーが、その設立に深く関わっている。
先生は式典で、自身も若き日に愛読した文豪の言葉を数多く引用し、創大生、短大生にエールを送った>
◇「知恵」と「誠実」で進みゆけ
貴大学の壮麗な本館には、意義深き胸像が厳かに設置されていることは有名です。
それは、20世紀のロシア文学の巨星と輝くゴーリキー、その人です。
私も、青春時代、名作『どん底』『母』、そして『私の大学』などを愛読し、鮮烈な感動を覚えた一人です。
32年前、吹き荒れる無理解な反対と圧迫のなか、私は、貴国へ"第一歩"をしるしました。<1974年9月8日>
「宗教者が、なぜ宗教否定の国に行くのか!」という悪意の批判も浴びました。
そのとき、私は、はっきりと、こう申し上げた。
「そこに人間がいるから、行くのです!」
今、私の胸には、文豪ゴーリキーの壮大なる呼びかけが響いてまいります。
すなわち、「人間をおもうよろこび——ひとびとがそれを味うことはじつに稀なのだが、これこそ地上最大のよろこびなのである」(『追憶』湯浅芳子訳、岩波文庫)と。
原点は人間です。
この地上には、さまざまな学問があり、思想があり、主義主張がある。
しかし、すべては人間がつくったものです。その根本の人間を思う心を謳い上げた忘れ得ぬ言葉です。
さらに文豪は喝破しました。
「(われわれは)人間が真に世界を変革する力として自分自身を自覚する時代に生きている」(「ソヴェト文学について」石山正三・和久利誓一訳、『定本ゴーリキー選集』5所収、青木書店)
つまり、人間こそが、真に世界を変える原動力である。その自覚をもって生きる時代が来たというゴーリキーの"人間讃歌"であります。
これは、文豪と同時代を生きた、創価教育の父である牧口初代会長の信念とも深く共鳴していました。
1921年、厳寒の1月、ゴーリキーは、貴大学の学生たちに語りかけています。
"青年よ、知恵と誠実さを身につけよ!"
この「誠実」があまりに欠落した日本になってしまった。こう憂える人は多い。私も心を痛めています。
頭がいいとか、学歴が高いとか、そういう面だけがもてはやされて、その知識を何のために使うのかという目的を教えない。そこに、根本の狂いがあるのです。
人を苦しみから救っていく。また、自分も幸福になり、他者の幸福にも尽くしていく。そうしたともに生きゆく知恵を呼び起こすための知識です。
いわば、「知識」とは、無限の「知恵の水」を汲み上げるポンプとも言えるのではないでしょうか。
さらに文豪は、青年に万感の期待を込めて訴えました。
「精神の自由と思想を守る勇気ある闘士となって、この英知の殿堂から巣立つために学びゆけ!」
この熱き獅子の叫びを、私はそのまま、わが愛する創大生、短大生に伝えたい。頼むよ!
◇師弟の道を歩む
<式典には、ウラル国立大学のウラジーミル・トレチャコフ総長が出席。池田先生は、「学生第一」に徹し、「創立の精神」を守り抜いてきたトレチャコフ総長の逸話を紹介しつつ、「師弟の道」を歩むことこそが一流の人生であると訴えた>
トレチャコフ総長は、ご自身が貴大学に入学した若き日、教職員も、先輩方も、「新入生こそ最重要人物である」という「人間味あふれる真心の波」をもって歓迎してくれたと、振り返っておられます。
総長は、その青春の原点を宝とされながら、誉れある貴大学の「学生第一の伝統」を厳護し、さらに発展させてこられたのです。
時代が激しく揺れ動いているからこそ、「創立の精神」を高らかに掲げ、「良き伝統」をつねに活性化していくところが勝つ。
わが創価大学も、そうでなければならない。
思えばゴーリキーも、「驕り高ぶった者」が、その懲罰として、皆から見捨てられ、追い払われ、居場所がなくなる姿を、その作品に描いておりました。
傲慢の末路には、敗北が待っている。
だからこそ、学問でも、芸術でも、人生でも、一流の次元においては、「師弟の道」を謙虚に歩みぬくことが求められるのであります。
総長は、貴大学の名誉博士であられる大学者クラソフスキー先生を、師匠と仰いでこられました。
貴大学で制定された学術賞が最初に贈られたのは、総長とクラソフスキー先生との、画期的な共同研究に対してでした。まことに神々しい歴史です。
今もなお、総長は、いささかも変わらない心で師匠を大切にしておられる。師の偉大さを、誠心誠意、宣揚しておられる。
「師弟」と言っても、「弟子」で決まる。
すばらしき師弟の勝利と栄光に、私たちは最大の敬意を表したいと思います。
◇「何のため」を問う
<「何のために、学ぶのか」——先生は、この問いに対する、文豪の力強い答えを示しつつ、学生たちの勝利と栄光を願い、スピーチを結んだ>
ゴーリキーには、「人間」と題する、私の大好きな詩があります。暗記するほど、何度も読みました。
そこには、いかなる虚偽や嫉妬にも断じて負けないで、真実と正義に生きぬく「人間の尊厳」が、誇り高く謳い上げられています。
この詩のなかで、ゴーリキーは、勇壮に宣言しました。
「英知を持って生まれしは、古きもの、窮屈なもの、汚れたもの、悪しきものすべてを倒し、崩し、踏み潰すため。そして、英知によって解き放たれた、自由と美と尊敬という揺るがぬ基盤の上に、新しきものを創造するためなり!」
英知を磨くのは、何のためか。
何のために、学ぶのか。
何のために、学問はあるのか。
「何のため」という問いに、重要な意義があります。
それは、悪と戦い、滅するためである。そして、新たな創造のためであるというのです。
本日の式典に参加してくださった先生方、いつもいつも、創価大学の建設のために、ありがとうございます。
また、学生の皆さんが、一人ももれなく、健康で、長寿で、成功者となり、社会のために尽くし、人によっては歴史に残る人物になるようにと、何十年もの間、願い続けてきたことも、この席をお借りし、伝えさせていただきます。
世界一の人材城に!
強き祈りを根本に
真心あふれる励ましを!
一人残らず使命の人だ。
曾谷殿御返事 P1064
『飢渇は大貪よりをこりやくびやうはぐちよりをこり合戦は瞋恚よりをこる』
【通解】
飢渇は大貪欲の心から起こり、疫病は愚癡の心から起こり、戦争は瞋恚の心から起こる。
名字の言 "ミスター・ラグビー"平尾誠二さん。母校の監督の教えとは? 2020年2月13日
"ミスター・ラグビー"と称された平尾誠二さんが選手だった当時の伏見工高ラグビー部は、ほぼ無敵だった。ある試合でのこと。手を抜いても大差をつけて前半を終えたハーフタイムで、監督は選手たちを厳しく戒め、こんな話をした▼今ある力を10とする。それを出し切れば地力は10・001くらいになる。次の試合でそれを出し切れば10・002になる。力は全てを発揮してこそ増えていく。逆に余力を残せば減っていく、と(『プロフェッショナル100人の流儀』致知出版社)▼ある婦人部リーダーは病の影響で握力がひどく低下した。懸命なリハビリの割にわずかな握力しか戻らない。「ここまで来れば十分だよ」との友の励ましに感謝しつつも、彼女はよしとしなかった▼彼女の本当の目標は、最低限の日常生活を取り戻すことより遥か先。再びペンを持ち、同志に手紙を書くことだった。再び車のハンドルを握り、同志の激励に走ることだった。そしてついに病気になる前よりも強い握力をつけた。支えてきた友は握手した際、「痛い痛い!」と言いながら、うれし涙を流した▼人生の勝負は突き詰めれば、自分自身の弱さとの戦いである。うまずたゆまず、諦めず、一歩一歩と向上の道を歩む中に人間革命と絶対勝利の直道がある。(城)
寸鉄 2020年2月13日
『新・人間革命』は価値創造を促す目覚めの書—識者。研鑽し、向上の道を
東京・葛飾の日。仲良き連帯で対話拡大。愛する地域を人間共和の模範に
「病ある人仏になるべき」御書。変毒為薬の妙法だ。題目の師子吼は最高の剣
4人に1人が特殊詐欺の電話を経験と。在宅でも留守電が有効。油断せず
話したくなる相手、1位は「話を否定しない」と。聞き上手こそ心結ぶ一歩
☆忘れ得ぬ瞬間 創大生・短大生に創立者が贈った言葉 ウラル国立大学「名誉博士号」授与式 2020年2月2日
<2006年1月23日、ロシアの名門・ウラル国立大学(現・ウラル連邦大学)から、池田先生に対する「名誉博士号」の授与式が、創価大学の本部棟で行われた。
1920年に創立された同大学は、ロシアの作家ゴーリキーが、その設立に深く関わっている。
先生は式典で、自身も若き日に愛読した文豪の言葉を数多く引用し、創大生、短大生にエールを送った>
◇「知恵」と「誠実」で進みゆけ
貴大学の壮麗な本館には、意義深き胸像が厳かに設置されていることは有名です。
それは、20世紀のロシア文学の巨星と輝くゴーリキー、その人です。
私も、青春時代、名作『どん底』『母』、そして『私の大学』などを愛読し、鮮烈な感動を覚えた一人です。
32年前、吹き荒れる無理解な反対と圧迫のなか、私は、貴国へ"第一歩"をしるしました。<1974年9月8日>
「宗教者が、なぜ宗教否定の国に行くのか!」という悪意の批判も浴びました。
そのとき、私は、はっきりと、こう申し上げた。
「そこに人間がいるから、行くのです!」
今、私の胸には、文豪ゴーリキーの壮大なる呼びかけが響いてまいります。
すなわち、「人間をおもうよろこび——ひとびとがそれを味うことはじつに稀なのだが、これこそ地上最大のよろこびなのである」(『追憶』湯浅芳子訳、岩波文庫)と。
原点は人間です。
この地上には、さまざまな学問があり、思想があり、主義主張がある。
しかし、すべては人間がつくったものです。その根本の人間を思う心を謳い上げた忘れ得ぬ言葉です。
さらに文豪は喝破しました。
「(われわれは)人間が真に世界を変革する力として自分自身を自覚する時代に生きている」(「ソヴェト文学について」石山正三・和久利誓一訳、『定本ゴーリキー選集』5所収、青木書店)
つまり、人間こそが、真に世界を変える原動力である。その自覚をもって生きる時代が来たというゴーリキーの"人間讃歌"であります。
これは、文豪と同時代を生きた、創価教育の父である牧口初代会長の信念とも深く共鳴していました。
1921年、厳寒の1月、ゴーリキーは、貴大学の学生たちに語りかけています。
"青年よ、知恵と誠実さを身につけよ!"
この「誠実」があまりに欠落した日本になってしまった。こう憂える人は多い。私も心を痛めています。
頭がいいとか、学歴が高いとか、そういう面だけがもてはやされて、その知識を何のために使うのかという目的を教えない。そこに、根本の狂いがあるのです。
人を苦しみから救っていく。また、自分も幸福になり、他者の幸福にも尽くしていく。そうしたともに生きゆく知恵を呼び起こすための知識です。
いわば、「知識」とは、無限の「知恵の水」を汲み上げるポンプとも言えるのではないでしょうか。
さらに文豪は、青年に万感の期待を込めて訴えました。
「精神の自由と思想を守る勇気ある闘士となって、この英知の殿堂から巣立つために学びゆけ!」
この熱き獅子の叫びを、私はそのまま、わが愛する創大生、短大生に伝えたい。頼むよ!
◇師弟の道を歩む
<式典には、ウラル国立大学のウラジーミル・トレチャコフ総長が出席。池田先生は、「学生第一」に徹し、「創立の精神」を守り抜いてきたトレチャコフ総長の逸話を紹介しつつ、「師弟の道」を歩むことこそが一流の人生であると訴えた>
トレチャコフ総長は、ご自身が貴大学に入学した若き日、教職員も、先輩方も、「新入生こそ最重要人物である」という「人間味あふれる真心の波」をもって歓迎してくれたと、振り返っておられます。
総長は、その青春の原点を宝とされながら、誉れある貴大学の「学生第一の伝統」を厳護し、さらに発展させてこられたのです。
時代が激しく揺れ動いているからこそ、「創立の精神」を高らかに掲げ、「良き伝統」をつねに活性化していくところが勝つ。
わが創価大学も、そうでなければならない。
思えばゴーリキーも、「驕り高ぶった者」が、その懲罰として、皆から見捨てられ、追い払われ、居場所がなくなる姿を、その作品に描いておりました。
傲慢の末路には、敗北が待っている。
だからこそ、学問でも、芸術でも、人生でも、一流の次元においては、「師弟の道」を謙虚に歩みぬくことが求められるのであります。
総長は、貴大学の名誉博士であられる大学者クラソフスキー先生を、師匠と仰いでこられました。
貴大学で制定された学術賞が最初に贈られたのは、総長とクラソフスキー先生との、画期的な共同研究に対してでした。まことに神々しい歴史です。
今もなお、総長は、いささかも変わらない心で師匠を大切にしておられる。師の偉大さを、誠心誠意、宣揚しておられる。
「師弟」と言っても、「弟子」で決まる。
すばらしき師弟の勝利と栄光に、私たちは最大の敬意を表したいと思います。
◇「何のため」を問う
<「何のために、学ぶのか」——先生は、この問いに対する、文豪の力強い答えを示しつつ、学生たちの勝利と栄光を願い、スピーチを結んだ>
ゴーリキーには、「人間」と題する、私の大好きな詩があります。暗記するほど、何度も読みました。
そこには、いかなる虚偽や嫉妬にも断じて負けないで、真実と正義に生きぬく「人間の尊厳」が、誇り高く謳い上げられています。
この詩のなかで、ゴーリキーは、勇壮に宣言しました。
「英知を持って生まれしは、古きもの、窮屈なもの、汚れたもの、悪しきものすべてを倒し、崩し、踏み潰すため。そして、英知によって解き放たれた、自由と美と尊敬という揺るがぬ基盤の上に、新しきものを創造するためなり!」
英知を磨くのは、何のためか。
何のために、学ぶのか。
何のために、学問はあるのか。
「何のため」という問いに、重要な意義があります。
それは、悪と戦い、滅するためである。そして、新たな創造のためであるというのです。
本日の式典に参加してくださった先生方、いつもいつも、創価大学の建設のために、ありがとうございます。
また、学生の皆さんが、一人ももれなく、健康で、長寿で、成功者となり、社会のために尽くし、人によっては歴史に残る人物になるようにと、何十年もの間、願い続けてきたことも、この席をお借りし、伝えさせていただきます。
2020年2月12日水曜日
2020.02.12 わが友に贈る
「一華を見て春を推せよ」
寒風に咲き誇る一輪は
皆に希望と歓喜を送る。
さあ凜として一人立ち
友情の花園を広げよう!
上野殿御返事 P1565
『しばらくの苦こそ候ともついにはたのしかるべし、国王一人の太子のごとしいかでか位につかざらんとおぼしめし候へ』
【通解】
しばらく苦しみが続いたとしても、最後には必ず楽しい境涯になる。たとえば、国王のたった一人の王子のようなものである。どうして国王の位につかないことがあるだろうかと、確信していきなさい。
名字の言 下積み時代の長かった作家・浅田次郎氏のこだわり 2020年2月12日
新人賞の落選は30回、初めて本を出版したのは39歳の時。ベストセラー作家の浅田次郎氏も、長い下積み時代を経験した▼今、氏は複数の文学賞の選考委員を務める。一つの賞につき、多くの応募作を読まねばならず、その労力は並大抵ではない。だが、氏は「この仕事には気合が入る。一行もおろそかにしてはならぬと思う」と。なぜなら「(新人賞を)三十回も落ちたのは何かのまちがいだったと、今でも信じているから」(『つばさよつばさ』集英社文庫)▼仮に氏が"とんとん拍子"で大成していれば、こうした思いは生まれなかったかもしれない。書き手の奮闘に思いをはせつつ、応募作に真剣勝負で向き合う。氏の作品にもまた、日々を懸命に生きる人々への温かなまなざしがある▼苦悩を味わった人でなければ、見えないものや気付かないことがある。池田先生は「自分が苦労した人は、他人の苦労も分かってあげられる。自分が努力したからこそ、他人の努力の尊さが分かるのである」と。悩みとの戦いは、自分自身のためであり、誰かを勇気づけるためでもある▼"自分を分かってくれる人がいる"と思えば、人は何度でも立ち上がれる。広布の労苦を無上の誇りとし、励まし合いながら、共に人間蘇生のドラマをつづろう。(値)
寸鉄 2020年2月12日
創価の人間主義こそ平和建設に欠かせない—市議我らの真心の振舞で拡大
「志有らん人人は互に之を語れ」御書。決意語らう座談会から壁破る前進を
友の為に悩むことは仏の悩みに通ず—恩師。毅然と地涌の使命に生き抜け
各国で偽ニュース対策に本腰。拡散で悪意は蔓延。送信前に必ず情報源確認
傲慢は常に没落の寸前に現れる—哲人。信者激減の宗門。民衆蔑視の末路
☆現代と仏法 第18回 「経済に不可欠な要素」
神戸学院大学教授 中村亨さん
経済学が専門の私は一昨年、研究で英国を訪れ、アダム・スミスが人生の大半を過ごしたカーコーディやグラスゴーなどに滞在しました。そして、なぜスミスが大著『国富論』『道徳感情論』を世に送り出すことができたのかを思索しました。
経済学の礎は、言うまでもなくスミスが築いたものです。しかし、スミスの「自己利益」や「利己心」のみが強調され、"自己利益の追求は、神の見えざる手に導かれるかのように社会全体の利益にもなる"との概念が経済学の中心に据えられてしまったのは、彼の両著を誤読したことから起こったものでしょう。
スミスは道徳・哲学の教授であり、彼が本当に重視したのは自己利益などではなく、シンパシー(共感)でした。
人を思いやる心——それが個々人に脈打ってこそ社会は発展していけると訴えたのです。
◇格差社会の原因は自己利益の追求
近年、彼のそうした観点に注目する学者もいます。ノーベル経済学賞を受賞したアマルティア・センも、その一人。センは、人間は他者の窮状に共感する心を持つとし、自己利益のみを追求する人間像を「合理的な愚か者」と批判しました。
最新の経済学は、さまざまな相手と"対等な契約関係"を結ぶことを考察し、首尾よく回る経済・社会を立案しています。しかし、現実には、世界の富裕層1%の持つ資産が残り99%の資産の合計を上回るという深刻な格差社会と持続不可能な環境悪化を招きました。
それは、スミスが指摘したような共感がないために、自己利益のみが優先され、"対等な契約関係"を結べないところ、すなわち"人の共感に頼るしかない領域"でほころびが出ていることが原因ではないでしょうか。
考えてみると、現代社会を揺るがす難問の多くは、ここに集中します。
環境問題の根源的な困難さは、資源を乱費する現在の世代と、温室効果や資源不足といった損失を被る将来世代との間で対等な契約を結べないところにあります。無力な幼児と虐待する親、学校でいじめに遭う子どもといじめる側との関係も同じでしょう。
もし、ここに「相手がどう思うか」「自分がその人の立場なら」と思いをはせ、少しでも共感する心が芽生えれば、一人一人の行動も変わり、結果は違うものになるはずです。社会がうまく回るためには、良い制度やシステムが大切なのはもちろんですが、それとともに、一人一人の共感の心を、いかに高めていけるかが不可欠なのです。
◇徹底して相手に寄り添う同苦の心
日蓮大聖人は「一切衆生の異の苦を受くるは悉く是れ日蓮一人の苦なるべし」(御書758ページ)と仰せの通り、あらゆる人々の苦悩に同苦するところに仏法の魂があると教えられています。ここでいう同苦とは、上から見下ろす哀れみでもなければ、表面的な同情でもありません。徹底して相手に寄り添い、共に悩み、相手が自分の力で立ち上がっていけるよう、関わり続けていく挑戦です。
また、法華経には「如我等無異(我が如く等しくして異なること無からしめん)」(法華経130ページ)という言葉があります。"一切衆生を自分と同じ境涯にまで高めたい"というのが仏の誓願であり、そこに私たちの使命もあることを示されているのです。
◇仏法の思想に世界を変えるヒント
こうした仏法の思想には、人々を思いやる"共感の心"があり、誰も置き去りにしない"真に対等な世界"を築くヒントがあるのではないでしょうか。その思想を自らの生き方とする創価のスクラムは、創立90周年を迎える今、世界192カ国・地域に広がりました。まだまだ世界の人口から見れば、その数は少ないかもしれませんが、こうした生き方が広がっていけば、世界は変わると思えてなりません。
寒風に咲き誇る一輪は
皆に希望と歓喜を送る。
さあ凜として一人立ち
友情の花園を広げよう!
上野殿御返事 P1565
『しばらくの苦こそ候ともついにはたのしかるべし、国王一人の太子のごとしいかでか位につかざらんとおぼしめし候へ』
【通解】
しばらく苦しみが続いたとしても、最後には必ず楽しい境涯になる。たとえば、国王のたった一人の王子のようなものである。どうして国王の位につかないことがあるだろうかと、確信していきなさい。
名字の言 下積み時代の長かった作家・浅田次郎氏のこだわり 2020年2月12日
新人賞の落選は30回、初めて本を出版したのは39歳の時。ベストセラー作家の浅田次郎氏も、長い下積み時代を経験した▼今、氏は複数の文学賞の選考委員を務める。一つの賞につき、多くの応募作を読まねばならず、その労力は並大抵ではない。だが、氏は「この仕事には気合が入る。一行もおろそかにしてはならぬと思う」と。なぜなら「(新人賞を)三十回も落ちたのは何かのまちがいだったと、今でも信じているから」(『つばさよつばさ』集英社文庫)▼仮に氏が"とんとん拍子"で大成していれば、こうした思いは生まれなかったかもしれない。書き手の奮闘に思いをはせつつ、応募作に真剣勝負で向き合う。氏の作品にもまた、日々を懸命に生きる人々への温かなまなざしがある▼苦悩を味わった人でなければ、見えないものや気付かないことがある。池田先生は「自分が苦労した人は、他人の苦労も分かってあげられる。自分が努力したからこそ、他人の努力の尊さが分かるのである」と。悩みとの戦いは、自分自身のためであり、誰かを勇気づけるためでもある▼"自分を分かってくれる人がいる"と思えば、人は何度でも立ち上がれる。広布の労苦を無上の誇りとし、励まし合いながら、共に人間蘇生のドラマをつづろう。(値)
寸鉄 2020年2月12日
創価の人間主義こそ平和建設に欠かせない—市議我らの真心の振舞で拡大
「志有らん人人は互に之を語れ」御書。決意語らう座談会から壁破る前進を
友の為に悩むことは仏の悩みに通ず—恩師。毅然と地涌の使命に生き抜け
各国で偽ニュース対策に本腰。拡散で悪意は蔓延。送信前に必ず情報源確認
傲慢は常に没落の寸前に現れる—哲人。信者激減の宗門。民衆蔑視の末路
☆現代と仏法 第18回 「経済に不可欠な要素」
神戸学院大学教授 中村亨さん
経済学が専門の私は一昨年、研究で英国を訪れ、アダム・スミスが人生の大半を過ごしたカーコーディやグラスゴーなどに滞在しました。そして、なぜスミスが大著『国富論』『道徳感情論』を世に送り出すことができたのかを思索しました。
経済学の礎は、言うまでもなくスミスが築いたものです。しかし、スミスの「自己利益」や「利己心」のみが強調され、"自己利益の追求は、神の見えざる手に導かれるかのように社会全体の利益にもなる"との概念が経済学の中心に据えられてしまったのは、彼の両著を誤読したことから起こったものでしょう。
スミスは道徳・哲学の教授であり、彼が本当に重視したのは自己利益などではなく、シンパシー(共感)でした。
人を思いやる心——それが個々人に脈打ってこそ社会は発展していけると訴えたのです。
◇格差社会の原因は自己利益の追求
近年、彼のそうした観点に注目する学者もいます。ノーベル経済学賞を受賞したアマルティア・センも、その一人。センは、人間は他者の窮状に共感する心を持つとし、自己利益のみを追求する人間像を「合理的な愚か者」と批判しました。
最新の経済学は、さまざまな相手と"対等な契約関係"を結ぶことを考察し、首尾よく回る経済・社会を立案しています。しかし、現実には、世界の富裕層1%の持つ資産が残り99%の資産の合計を上回るという深刻な格差社会と持続不可能な環境悪化を招きました。
それは、スミスが指摘したような共感がないために、自己利益のみが優先され、"対等な契約関係"を結べないところ、すなわち"人の共感に頼るしかない領域"でほころびが出ていることが原因ではないでしょうか。
考えてみると、現代社会を揺るがす難問の多くは、ここに集中します。
環境問題の根源的な困難さは、資源を乱費する現在の世代と、温室効果や資源不足といった損失を被る将来世代との間で対等な契約を結べないところにあります。無力な幼児と虐待する親、学校でいじめに遭う子どもといじめる側との関係も同じでしょう。
もし、ここに「相手がどう思うか」「自分がその人の立場なら」と思いをはせ、少しでも共感する心が芽生えれば、一人一人の行動も変わり、結果は違うものになるはずです。社会がうまく回るためには、良い制度やシステムが大切なのはもちろんですが、それとともに、一人一人の共感の心を、いかに高めていけるかが不可欠なのです。
◇徹底して相手に寄り添う同苦の心
日蓮大聖人は「一切衆生の異の苦を受くるは悉く是れ日蓮一人の苦なるべし」(御書758ページ)と仰せの通り、あらゆる人々の苦悩に同苦するところに仏法の魂があると教えられています。ここでいう同苦とは、上から見下ろす哀れみでもなければ、表面的な同情でもありません。徹底して相手に寄り添い、共に悩み、相手が自分の力で立ち上がっていけるよう、関わり続けていく挑戦です。
また、法華経には「如我等無異(我が如く等しくして異なること無からしめん)」(法華経130ページ)という言葉があります。"一切衆生を自分と同じ境涯にまで高めたい"というのが仏の誓願であり、そこに私たちの使命もあることを示されているのです。
◇仏法の思想に世界を変えるヒント
こうした仏法の思想には、人々を思いやる"共感の心"があり、誰も置き去りにしない"真に対等な世界"を築くヒントがあるのではないでしょうか。その思想を自らの生き方とする創価のスクラムは、創立90周年を迎える今、世界192カ国・地域に広がりました。まだまだ世界の人口から見れば、その数は少ないかもしれませんが、こうした生き方が広がっていけば、世界は変わると思えてなりません。
2020年2月11日火曜日
2020.02.11 わが友に贈る
会合の参加者を
「仏の如く互に敬うべし」
真心で迎えよう!
笑顔あふれる集いから
和楽の前進は始まる。
種種御振舞御書 P917
『釈迦如来の御ためには提婆達多こそ第一の善知識なれ、今の世間を見るに人をよくなすものはかたうどよりも強敵が人をばよくなしけるなり』
【通解】
釈迦如来のためには、提婆達多こそ第一の善知識であった。今の世間を見ると、人を良くするものは、味方よりも強敵が人をよく成長させるのである。
名字の言 生け花の醍醐味とは? 2020年2月11日
友人夫妻の自宅を訪ねるたび、居間に季節の花が飾られている。先日は凜としたスイセンが迎えてくれた。夫人は生け花をたしなんでいるという▼華道は草木に「命」を見るという。みずみずしい若葉や花だけではない。虫食い葉や枯れ枝も全て、"命が現れた姿"と捉えて用い、美を見いだす心が大事だと彼女は教えてくれた。「草木の命を支えているのは『根』です。目には見えない『根』の力をどう見せるかが、生け花の醍醐味なんです」▼根源、根幹、根本……何らかの"おおもと"を意味する熟語には、「根」の字を含むものが多い。フランスの作家サン=テグジュペリの『星の王子さま』(岩波書店)にある「かんじんなことは、目に見えないんだよ」(内藤濯訳)との一節が思い浮かぶ▼仏法では人間の一身を草木に例える。頭から足までが茎、手足が枝、毛は葉。そして根とは「心法」、すなわち心の働きであると説く。日蓮大聖人は「法華経を信じ奉るは根をつけたるが如し」(御書827ページ)と仰せだ。妙法を信じ行じることとは、生命の大地に強く豊かな心の根を張って、生活の上に勝利と幸福の花を咲かせていく営みといえよう▼心は見えない。だがその心で人生は決まる。「ただ心こそ大切なれ」(同1192ページ)である。(之)
寸鉄 2020年2月11日
戸田先生の生誕120周年。不二の弟子ありて師の夢は実現。連なる誇り胸に
国際部結成の日。学会が飛躍する今こそ使命大。世界広布の原動力たれ!
法華経を説いて謗ずるも信ずるも利益あるべし—御書。臆さず堂々と語れ
創造的活動に人生の本質—詩人。昨日よりも今日。挑戦また挑戦が創価の魂
免疫力を高める鍵は運動・睡眠・食事。聡明に健康管理を。根本は深き祈り
☆随筆「人間革命」光あれ 恩師の生誕百二十周年 2020年2月7日
◇いざ往かん 師弟共戦の広布旅
青年の歌声こそ、希望の暁鐘である。
いかなる吹雪の闇夜も越え、新たな黎明を決然と告げゆく響きなのだ。
この一月、欧州の青年たちが届けてくれた、素晴らしい歌声を聴いた。
ドイツのフランクフルトに三十五カ国の代表が集った欧州広布サミットの際、男女青年部の友が披露した新しい愛唱歌「トーチベアラーズ(松明を持つ人)」である。
「私たちは正義の松明を持つ人 正義のために立つ」「勇気の松明を持つ人 光り輝くために戦う」「自由の松明を持つ人 全人類のために」と、誇り高く謳われている。
作詞に当たり、青年たちは、恩師・戸田城聖先生が法難を戦い越える中で作られた「同志の歌」を学び合ったという。
「旗持つ若人」よ「競うて来たれ」という恩師の熱願に呼応して、一人ひとりが「仏法の人間主義の旗」「広布大願の松明」を持つ若人たらんとの決意を込めたのだ。
その心を戸田先生に届ける思いで、私は何度も何度も聴いた。
一九〇〇年(明治三十三年)に戸田先生が誕生されてより、この二月十一日で満百二十年——。
先生が呼び出された地涌の陣列は、今、地球を大きく包み始めた。
恩師が願ってやまなかった人類史の平和と人道の黎明を、若き創価の世界市民の歌声が告げてくれているのである。
◇足元から突破口
「いざ往かん
月氏の果まで
妙法を
拡むる旅に
心勇みて」
この和歌を、戸田先生が詠まれたのは、一九五二年(昭和二十七年)の一月であった。
さらに、「地球民族主義」という先見を提唱されたのは、翌二月。男女合同の青年部研究発表会の席上である。
朝鮮戦争(韓国戦争)の痛ましい悲劇が打ち続く中で、アジアと世界の民衆の苦悩を、いかに打開するか、妙法流布と人類共生の未来を見つめて、先生の頭脳はフル回転していたのだ。
青年に遠大なビジョンを示されながら、日々、先生が精魂を注がれたのは、目の前の一人を救うことであった。
つまり一対一の励ましであり、折伏である。
御本仏は——
「一切衆生の同一苦は悉く是日蓮一人の苦」(御書五八七ページ)
「一切衆生の異の苦を受くるは悉く是れ日蓮一人の苦」(同七五八ページ)と仰せである。
この大聖人のお心を体し、現実に渦巻く病苦や経済苦、家庭不和など、あらゆる庶民の苦悩に、先生は真っ向から挑まれた。人類の「宿命転換」も、一人の「人間革命」から始まるからだ。
当時、先生は弟子たちに語られた。
「みなさんは、幸福になりなさい」
そして「信心と折伏をもって、戸田の一門として通しなさい」と。
しかし、折伏は難事中の難事である。
先生が願業とされた七十五万世帯への道のりはあまりにも遠かった。
直弟子として二十四歳の私は、ただただ報恩の一念で一人立った。
宿縁深き地元の蒲田支部の同志と、拡大の突破口を開く「二月闘争」を開始したのである。
◇伝統の二月 まず一人立とう 一人を励まそう 心のギア合わせ
蒲田支部の私たちは、祈りに祈った。歩きに歩いた。語りに語った。
学会歌を一緒に口ずさみながら、もう一人、あと一軒と、対話に向かったことも思い出深い。
御義口伝には、「妙法蓮華経」の五字を人間の身に配して、「足は経なり」(同七一六ページ)と明かされている。法のため、友のために「自ら動く」こと、「足を運ぶ」ことから、妙法の福徳は大きく広がる。
わが同志は、日々の生活を必死にやりくりしながら、勝利の実証を示さんと奮闘した。無理解な悪口を浴びても、相手の幸福を祈り、仏縁を忍耐強く育み広げていった。
何とけなげな、何と尊い方々であるか。
折伏ができずに悩む。それは、まさに「仏の悩み」そのものではないか。
「いまだこりず候」(同一〇五六ページ)と、皆で励まし合った。一日また一日、勇気と誠実の対話に挑み抜き、"戸田先生に勝利の報告を!"と走り切った。そして当時、どの支部も破れなかった壁を破り、一カ月で二百一世帯という弘教を成し遂げたのである。
師匠の大願に、弟子が「心のギア」をがっちりとかみ合わせ、異体同心で戦えば、計り知れない仏の力と功徳が出る。必ず勝利できるのだ。
この信心の極意を全学会に示したのが、二月闘争であるといってよい。
激戦の中、私は、一生涯、いな永遠に、共戦の友の人生の勝利を祈り続けることを誓った。
その方々の地涌の家族と眷属が、日本はもとよりアメリカをはじめ世界へ広がり、広布後継の道を歩まれていることは、何よりの喜びである。
アメリカでは先月、フロリダ、ニューヨーク、ロサンゼルスで婦人部の研修会や幹部会が明るく賑やかに行われた。その笑顔満開の映像を、妻と共に嬉しく拝見した。
そこには、結成四十五周年を迎えた「SGI」発足の原点の地であるグアムからも、代表が勇んで参加されていた。懐かしい歴代の全米婦人部長と女子部長たちも、元気に集われていた。
「年は・わか(若)うなり福はかさなり候べし」(同一一三五ページ)の素晴らしいスクラムに、妻は拍手を送り続けていた。
◇二人の「巌窟王」
二月闘争の渦中に恩師が教えてくださった「地球民族主義」は、私の対話を貫く信条である。
それは、人種差別撤廃へ生涯を懸けたネルソン・マンデラ氏との語らいでも共鳴を広げた。
思えば、この"人権の巌窟王"が獄窓二十七年半もの苦難を耐え抜き、出獄されたのは、三十年前(一九九〇年)の二月十一日である。
奇しくも戸田先生の生誕九十周年の日であり、先生の小説『人間革命』で、自らをモデルとした作中人物を"妙法の巌窟王"の意義から「巌九十翁」と命名されたことが、私には偲ばれた。
この年の秋、初来日したマンデラ氏を青年たちと歓迎したことは、忘れ得ぬ思い出である。五年後、新生・南アフリカ共和国の大統領として再び来日した折も、再会を喜び合った。
マンデラ氏は、獄中で看守など何人もの迫害者を対話によって友人に変えながら、「反アパルトヘイト」(人種差別撤廃)の勝利へ、たゆまぬ波を起こしていかれた。
その力の源泉は、どこにあったのか。
どんな人間にも「けっして消えない良識の核があるということ、心に触れる何かがあれば、その核が人間を変えてくれるものだ」——この人間信頼の確信がカギとなったと氏は回想されている。
法華経に説かれる不軽菩薩が「人を敬う」振る舞いに徹し抜いたのも、「万人に仏性あり」との揺るがぬ大確信に立っていたからである。
今、不軽菩薩さながら創価の若人が、生命の尊厳と平等の連帯を、地球社会に組み広げている。
戸田先生とご一緒に、マンデラ氏も、巌窟王の笑みで見守っておられるように思えてならない。
◇地球に何か善を
中国の周恩来総理をはじめ世界の指導者と対話を重ねる中で、「ああ戸田先生と同世代の方だ」と不思議な感慨を覚えたことが、幾たびかある。
アメリカの大実業家・アーマンド・ハマー氏もそうであった。
ハマー氏と親しくお会いしたのは、マンデラ氏釈放のニュースに沸く一九九〇年二月、ロサンゼルスであった。当時、氏は九十一歳であられた。
東西冷戦終結へ道筋をつくったレーガン=ゴルバチョフの米ソ首脳会談を実現させた、立役者の一人である。
この首脳会談の舞台裏については、四カ月後、創価大学にお迎えした折、語ってくださった。
氏の行動を支えてきたのは、「この豊かな地球に自分の力でさらに何かを加え、すべての人々とともに、人生の"美しさ"と"歓び"を分かち合いたい」という願いだ。
ハマー氏ら、私が縁を結んだ恩師と同世代の巨人たちが最晩年、揃って未来への希望を託してくださったのが、わが創価学会であり、SGIなのである。
◇不二の命で前進
恩師と拝した忘れ得ぬ御聖訓に、「仏の寿命・百二十まで世にましますべかりしが八十にして入滅し、残る所の四十年の寿命を留め置きて我等に与へ給ふ恩」(御書九三八ページ)とある。
学会は恩師が"命より大切な組織"と留め遺された仏勅の教団である。生誕百二十年の師の御命は、創価の和合僧に厳然と脈打っている。不二の我らが大法弘通慈折広宣流布の大願へ、異体同心の団結で進む中で、無限の智慧と力が満々と漲りわたるのだ。
「伝統の二月」、寒風にも凜然と先駆けの梅花がほころび始めた。
さあ、誓いの友と勇気に燃えて前進だ。妙法の大功力を社会に世界に薫らせ、歓喜の「春の曲」を奏でようではないか!
「仏の如く互に敬うべし」
真心で迎えよう!
笑顔あふれる集いから
和楽の前進は始まる。
種種御振舞御書 P917
『釈迦如来の御ためには提婆達多こそ第一の善知識なれ、今の世間を見るに人をよくなすものはかたうどよりも強敵が人をばよくなしけるなり』
【通解】
釈迦如来のためには、提婆達多こそ第一の善知識であった。今の世間を見ると、人を良くするものは、味方よりも強敵が人をよく成長させるのである。
名字の言 生け花の醍醐味とは? 2020年2月11日
友人夫妻の自宅を訪ねるたび、居間に季節の花が飾られている。先日は凜としたスイセンが迎えてくれた。夫人は生け花をたしなんでいるという▼華道は草木に「命」を見るという。みずみずしい若葉や花だけではない。虫食い葉や枯れ枝も全て、"命が現れた姿"と捉えて用い、美を見いだす心が大事だと彼女は教えてくれた。「草木の命を支えているのは『根』です。目には見えない『根』の力をどう見せるかが、生け花の醍醐味なんです」▼根源、根幹、根本……何らかの"おおもと"を意味する熟語には、「根」の字を含むものが多い。フランスの作家サン=テグジュペリの『星の王子さま』(岩波書店)にある「かんじんなことは、目に見えないんだよ」(内藤濯訳)との一節が思い浮かぶ▼仏法では人間の一身を草木に例える。頭から足までが茎、手足が枝、毛は葉。そして根とは「心法」、すなわち心の働きであると説く。日蓮大聖人は「法華経を信じ奉るは根をつけたるが如し」(御書827ページ)と仰せだ。妙法を信じ行じることとは、生命の大地に強く豊かな心の根を張って、生活の上に勝利と幸福の花を咲かせていく営みといえよう▼心は見えない。だがその心で人生は決まる。「ただ心こそ大切なれ」(同1192ページ)である。(之)
寸鉄 2020年2月11日
戸田先生の生誕120周年。不二の弟子ありて師の夢は実現。連なる誇り胸に
国際部結成の日。学会が飛躍する今こそ使命大。世界広布の原動力たれ!
法華経を説いて謗ずるも信ずるも利益あるべし—御書。臆さず堂々と語れ
創造的活動に人生の本質—詩人。昨日よりも今日。挑戦また挑戦が創価の魂
免疫力を高める鍵は運動・睡眠・食事。聡明に健康管理を。根本は深き祈り
☆随筆「人間革命」光あれ 恩師の生誕百二十周年 2020年2月7日
◇いざ往かん 師弟共戦の広布旅
青年の歌声こそ、希望の暁鐘である。
いかなる吹雪の闇夜も越え、新たな黎明を決然と告げゆく響きなのだ。
この一月、欧州の青年たちが届けてくれた、素晴らしい歌声を聴いた。
ドイツのフランクフルトに三十五カ国の代表が集った欧州広布サミットの際、男女青年部の友が披露した新しい愛唱歌「トーチベアラーズ(松明を持つ人)」である。
「私たちは正義の松明を持つ人 正義のために立つ」「勇気の松明を持つ人 光り輝くために戦う」「自由の松明を持つ人 全人類のために」と、誇り高く謳われている。
作詞に当たり、青年たちは、恩師・戸田城聖先生が法難を戦い越える中で作られた「同志の歌」を学び合ったという。
「旗持つ若人」よ「競うて来たれ」という恩師の熱願に呼応して、一人ひとりが「仏法の人間主義の旗」「広布大願の松明」を持つ若人たらんとの決意を込めたのだ。
その心を戸田先生に届ける思いで、私は何度も何度も聴いた。
一九〇〇年(明治三十三年)に戸田先生が誕生されてより、この二月十一日で満百二十年——。
先生が呼び出された地涌の陣列は、今、地球を大きく包み始めた。
恩師が願ってやまなかった人類史の平和と人道の黎明を、若き創価の世界市民の歌声が告げてくれているのである。
◇足元から突破口
「いざ往かん
月氏の果まで
妙法を
拡むる旅に
心勇みて」
この和歌を、戸田先生が詠まれたのは、一九五二年(昭和二十七年)の一月であった。
さらに、「地球民族主義」という先見を提唱されたのは、翌二月。男女合同の青年部研究発表会の席上である。
朝鮮戦争(韓国戦争)の痛ましい悲劇が打ち続く中で、アジアと世界の民衆の苦悩を、いかに打開するか、妙法流布と人類共生の未来を見つめて、先生の頭脳はフル回転していたのだ。
青年に遠大なビジョンを示されながら、日々、先生が精魂を注がれたのは、目の前の一人を救うことであった。
つまり一対一の励ましであり、折伏である。
御本仏は——
「一切衆生の同一苦は悉く是日蓮一人の苦」(御書五八七ページ)
「一切衆生の異の苦を受くるは悉く是れ日蓮一人の苦」(同七五八ページ)と仰せである。
この大聖人のお心を体し、現実に渦巻く病苦や経済苦、家庭不和など、あらゆる庶民の苦悩に、先生は真っ向から挑まれた。人類の「宿命転換」も、一人の「人間革命」から始まるからだ。
当時、先生は弟子たちに語られた。
「みなさんは、幸福になりなさい」
そして「信心と折伏をもって、戸田の一門として通しなさい」と。
しかし、折伏は難事中の難事である。
先生が願業とされた七十五万世帯への道のりはあまりにも遠かった。
直弟子として二十四歳の私は、ただただ報恩の一念で一人立った。
宿縁深き地元の蒲田支部の同志と、拡大の突破口を開く「二月闘争」を開始したのである。
◇伝統の二月 まず一人立とう 一人を励まそう 心のギア合わせ
蒲田支部の私たちは、祈りに祈った。歩きに歩いた。語りに語った。
学会歌を一緒に口ずさみながら、もう一人、あと一軒と、対話に向かったことも思い出深い。
御義口伝には、「妙法蓮華経」の五字を人間の身に配して、「足は経なり」(同七一六ページ)と明かされている。法のため、友のために「自ら動く」こと、「足を運ぶ」ことから、妙法の福徳は大きく広がる。
わが同志は、日々の生活を必死にやりくりしながら、勝利の実証を示さんと奮闘した。無理解な悪口を浴びても、相手の幸福を祈り、仏縁を忍耐強く育み広げていった。
何とけなげな、何と尊い方々であるか。
折伏ができずに悩む。それは、まさに「仏の悩み」そのものではないか。
「いまだこりず候」(同一〇五六ページ)と、皆で励まし合った。一日また一日、勇気と誠実の対話に挑み抜き、"戸田先生に勝利の報告を!"と走り切った。そして当時、どの支部も破れなかった壁を破り、一カ月で二百一世帯という弘教を成し遂げたのである。
師匠の大願に、弟子が「心のギア」をがっちりとかみ合わせ、異体同心で戦えば、計り知れない仏の力と功徳が出る。必ず勝利できるのだ。
この信心の極意を全学会に示したのが、二月闘争であるといってよい。
激戦の中、私は、一生涯、いな永遠に、共戦の友の人生の勝利を祈り続けることを誓った。
その方々の地涌の家族と眷属が、日本はもとよりアメリカをはじめ世界へ広がり、広布後継の道を歩まれていることは、何よりの喜びである。
アメリカでは先月、フロリダ、ニューヨーク、ロサンゼルスで婦人部の研修会や幹部会が明るく賑やかに行われた。その笑顔満開の映像を、妻と共に嬉しく拝見した。
そこには、結成四十五周年を迎えた「SGI」発足の原点の地であるグアムからも、代表が勇んで参加されていた。懐かしい歴代の全米婦人部長と女子部長たちも、元気に集われていた。
「年は・わか(若)うなり福はかさなり候べし」(同一一三五ページ)の素晴らしいスクラムに、妻は拍手を送り続けていた。
◇二人の「巌窟王」
二月闘争の渦中に恩師が教えてくださった「地球民族主義」は、私の対話を貫く信条である。
それは、人種差別撤廃へ生涯を懸けたネルソン・マンデラ氏との語らいでも共鳴を広げた。
思えば、この"人権の巌窟王"が獄窓二十七年半もの苦難を耐え抜き、出獄されたのは、三十年前(一九九〇年)の二月十一日である。
奇しくも戸田先生の生誕九十周年の日であり、先生の小説『人間革命』で、自らをモデルとした作中人物を"妙法の巌窟王"の意義から「巌九十翁」と命名されたことが、私には偲ばれた。
この年の秋、初来日したマンデラ氏を青年たちと歓迎したことは、忘れ得ぬ思い出である。五年後、新生・南アフリカ共和国の大統領として再び来日した折も、再会を喜び合った。
マンデラ氏は、獄中で看守など何人もの迫害者を対話によって友人に変えながら、「反アパルトヘイト」(人種差別撤廃)の勝利へ、たゆまぬ波を起こしていかれた。
その力の源泉は、どこにあったのか。
どんな人間にも「けっして消えない良識の核があるということ、心に触れる何かがあれば、その核が人間を変えてくれるものだ」——この人間信頼の確信がカギとなったと氏は回想されている。
法華経に説かれる不軽菩薩が「人を敬う」振る舞いに徹し抜いたのも、「万人に仏性あり」との揺るがぬ大確信に立っていたからである。
今、不軽菩薩さながら創価の若人が、生命の尊厳と平等の連帯を、地球社会に組み広げている。
戸田先生とご一緒に、マンデラ氏も、巌窟王の笑みで見守っておられるように思えてならない。
◇地球に何か善を
中国の周恩来総理をはじめ世界の指導者と対話を重ねる中で、「ああ戸田先生と同世代の方だ」と不思議な感慨を覚えたことが、幾たびかある。
アメリカの大実業家・アーマンド・ハマー氏もそうであった。
ハマー氏と親しくお会いしたのは、マンデラ氏釈放のニュースに沸く一九九〇年二月、ロサンゼルスであった。当時、氏は九十一歳であられた。
東西冷戦終結へ道筋をつくったレーガン=ゴルバチョフの米ソ首脳会談を実現させた、立役者の一人である。
この首脳会談の舞台裏については、四カ月後、創価大学にお迎えした折、語ってくださった。
氏の行動を支えてきたのは、「この豊かな地球に自分の力でさらに何かを加え、すべての人々とともに、人生の"美しさ"と"歓び"を分かち合いたい」という願いだ。
ハマー氏ら、私が縁を結んだ恩師と同世代の巨人たちが最晩年、揃って未来への希望を託してくださったのが、わが創価学会であり、SGIなのである。
◇不二の命で前進
恩師と拝した忘れ得ぬ御聖訓に、「仏の寿命・百二十まで世にましますべかりしが八十にして入滅し、残る所の四十年の寿命を留め置きて我等に与へ給ふ恩」(御書九三八ページ)とある。
学会は恩師が"命より大切な組織"と留め遺された仏勅の教団である。生誕百二十年の師の御命は、創価の和合僧に厳然と脈打っている。不二の我らが大法弘通慈折広宣流布の大願へ、異体同心の団結で進む中で、無限の智慧と力が満々と漲りわたるのだ。
「伝統の二月」、寒風にも凜然と先駆けの梅花がほころび始めた。
さあ、誓いの友と勇気に燃えて前進だ。妙法の大功力を社会に世界に薫らせ、歓喜の「春の曲」を奏でようではないか!
2020年2月10日月曜日
2020.02.10 わが友に贈る
新聞休刊日
佐渡御勘気抄 P891
『いたづらにくちん身を法華経の御故に捨てまいらせん事あに石に金をかふるにあらずや、各各なげかせ給うべからず』
【通解】
むなしく朽ちるであろうこの身を法華経のために捧げることは、ちょうど石を金に替えるようなものではないか。あなた方は嘆いてはならない。
◇社説 2020・2・9 11日は「恩師の生誕120周年」
座談会から「二月闘争」の勝利を
ほのかに漂う磯の香り。潮騒が時折、心地よく耳に響く。石川県の最西端に位置する加賀市塩屋町。古くは、日本海を往来した「北前船」の寄港地として、大いに活況を呈した。
1900年(明治33年)2月11日、創価学会第2代会長の戸田城聖先生は、この地(当時は塩屋村)で生まれた。
幼年期に、一家で新天地を求めて北海道・厚田村(当時)に移住。その後、苦学に苦学を重ねて尋常小学校准教員の検定試験に合格し、夕張の真谷地に赴任した。大志を抱いた戸田青年は19歳で上京。牧口常三郎先生と、運命的な師弟の出会いを結ぶことになる。
度重なる病魔や経済苦、妻子との死別……戸田先生の青春時代は、悪戦苦闘の連続だった。特に、家族の死に相次いで直面して以来、「絶えず道を求めてきた」と真実の信仰を希求し、牧口先生に続いて日蓮仏法に帰依した。
戸田先生は後年、草創期を振り返りつつ、"座談会が何といっても中心だ。私もそこから立ち上がったんだから"と語っている。少人数の座談会が、戸田先生にとっても原点だったといえよう。
思えば、19歳の池田大作先生が初めて戸田先生と出会ったのも、大田区内の座談会(1947年8月14日)。「201世帯」の金字塔を樹立した蒲田支部の「二月闘争」(52年2月)でも、やはり小単位の座談会が連日各地で活発に開催され、爆発的な拡大の原動力となった。
一人と会い、一人と語らい、一人と友情を結ぶ。心通う"少人数の集い"を大事にする。これが、学会創立以来の伝統であり、未来永遠に変わらぬ広布伸展の方程式であろう。
人間関係の希薄化や孤立化が憂慮される現代社会にあって、創価の座談会運動の意義は、時とともに、いやまして希望の光彩を放つ。今、国内外の数多くの識者が高い評価を寄せている。
ジャーナリストの田原総一朗氏も、その一人。"学会を発展せしめている要因は、座談会にある"と洞察する。氏は実際、何度も足を運び、取材を重ねた上で、「座談会に出ると気持ちが前向きになる」「何でも話せる。心から信頼できる相手がいる。これが大きい」とも。
恩師の生誕120周年に迎える今年の「二月闘争」も中盤戦に入る。
"戸田先生の誕生月を広布拡大でお祝いしよう!"——若き池田先生の師子奮迅の激闘と、それに呼応した草創の友の「壁を破る」戦いに学び、各人が「令和初の二月闘争」を勝ち飾りたい。
生命を潤すオアシスであり、歓喜が歓喜を呼ぶ座談会で、勝利のリズムを刻みながら——。
☆世界写真紀行 パラグアイ川の夕日 93年、池田先生は大河のほとりに立った 2020年2月4日
◇真面目な人が最後に勝つ
南米パラグアイの首都アスンシオンは「森と水の都」とうたわれる。
その近郊を滔々と流れる南米有数の大河・パラグアイ川は、ひときわ美しい。
パラグアイ広布の礎を築いたのは戦後、移住した日系人である。
彼らは、原生林から木を切り出し、自分たちで家を建てるところから始めなければならなかった。
その大半のメンバーは移住地に渡ってから学会に入会。皆、貧しかった。病と闘う友も多かった。
それでも、御本尊を抱き締めるように祈り、仏法を語り歩いた。彼らにとって、創価の哲学は、唯一の希望の光だった。
草創のパラグアイ広布に生き抜いたマツタロウ・ナガサワさんの思いを、長女のユウコ・クリタさん(総合婦人部長)は、こう述懐している。
「私が13歳の時に一家で移住しました。財産も、保障もなく、あるのは苦労ばかり……。わが家の生活は、父が折伏を受け、家族で入会してから、少しずつ、良い方向に変化していきました」
父は、子どもたちに「勇気の信心」さえあれば、道は開けることを教えた。口数は決して多くなかったが、真面目に信心に励む父の背中は、子どもたちの心に刻まれた。
こうした草創の同志の奮闘があり、広布の水かさは増していった。皆が功徳を受け、その歓喜が友から友へと広がったのである。
池田先生が、この地を訪問したのは、1993年2月のこと。
滞在期間は2月20日から23日までの4日間だった。
先生は、過密な日程の合間をぬって、何度もパラグアイ川のほとりに立ち、カメラを向けた。パラグアイ総会(2月21日)の席上、その心情を語っている。
「私はパラグアイ川を金色に染めながら地平線に沈みゆく荘厳な夕日を見た。
いじらしいほど真面目に信心を貫いているパラグアイの皆さま方が、その太陽のごとく、堂々たる勝利の人生を飾りゆかれることは、絶対に間違いない」
「信仰という、最高に赫々たる太陽を燃やしながら、『私は勝った』と言いきれる一生を、生き抜いていただきたい」
総会には、ナガサワさんをはじめ草創のメンバーの姿があった。"堂々たる勝利の人生は、間違いない"——師の言葉に皆、目頭を熱くした。
ナガサワさんが50年前にアスンシオンで始めた小さな食料品店は、やがてスーパーマーケットに拡充。地域の人気店として、住民から広く親しまれている。
2002年、ナガサワさんは79歳で尊い生涯を閉じた。亡くなったその日は、パラグアイ川に沈みゆく夕日が美しかったという。茜色に染まる空を見つめて、ユウコさんは亡き父に語り掛けた。
「お父さん、パラグアイに連れてきてくれて、ありがとう。私たちは、パラグアイに連れてきてもらったことを、誇りに思います。こんなに素晴らしい場所はありません。ここが、私たちの故郷です」
ナガサワさん一家は、全員が広布のリーダーとして活躍し、その孫たちも、広布後継の道を歩んでいる。
御書には「大木の下の小木、大河のほとりの草は、大木が受ける雨の恵みを直接、身に受けず、大河の水を直接、得ることはないけれども、(自然のうちに)伝わる露を得、水気を得て、栄えていく」(1170ページ、通解)と仰せである。
広布に生きる人は、生命力の「大樹」であり、「大河」の存在である。
「一人立つ信心」がある限り、必ずや、一家を照らし、地域社会をも潤していける。ここに、広宣流布の不変の原理があろう。
来る日も来る日も、人のため、地域のために、尽くし抜いた広布の足跡は、荘厳な夕日のごとく、永遠に色あせることはない。
父母から子や孫、ひ孫へ——滔々と流れるパラグアイ川と共に、後継の人材の大河が築かれている。
佐渡御勘気抄 P891
『いたづらにくちん身を法華経の御故に捨てまいらせん事あに石に金をかふるにあらずや、各各なげかせ給うべからず』
【通解】
むなしく朽ちるであろうこの身を法華経のために捧げることは、ちょうど石を金に替えるようなものではないか。あなた方は嘆いてはならない。
◇社説 2020・2・9 11日は「恩師の生誕120周年」
座談会から「二月闘争」の勝利を
ほのかに漂う磯の香り。潮騒が時折、心地よく耳に響く。石川県の最西端に位置する加賀市塩屋町。古くは、日本海を往来した「北前船」の寄港地として、大いに活況を呈した。
1900年(明治33年)2月11日、創価学会第2代会長の戸田城聖先生は、この地(当時は塩屋村)で生まれた。
幼年期に、一家で新天地を求めて北海道・厚田村(当時)に移住。その後、苦学に苦学を重ねて尋常小学校准教員の検定試験に合格し、夕張の真谷地に赴任した。大志を抱いた戸田青年は19歳で上京。牧口常三郎先生と、運命的な師弟の出会いを結ぶことになる。
度重なる病魔や経済苦、妻子との死別……戸田先生の青春時代は、悪戦苦闘の連続だった。特に、家族の死に相次いで直面して以来、「絶えず道を求めてきた」と真実の信仰を希求し、牧口先生に続いて日蓮仏法に帰依した。
戸田先生は後年、草創期を振り返りつつ、"座談会が何といっても中心だ。私もそこから立ち上がったんだから"と語っている。少人数の座談会が、戸田先生にとっても原点だったといえよう。
思えば、19歳の池田大作先生が初めて戸田先生と出会ったのも、大田区内の座談会(1947年8月14日)。「201世帯」の金字塔を樹立した蒲田支部の「二月闘争」(52年2月)でも、やはり小単位の座談会が連日各地で活発に開催され、爆発的な拡大の原動力となった。
一人と会い、一人と語らい、一人と友情を結ぶ。心通う"少人数の集い"を大事にする。これが、学会創立以来の伝統であり、未来永遠に変わらぬ広布伸展の方程式であろう。
人間関係の希薄化や孤立化が憂慮される現代社会にあって、創価の座談会運動の意義は、時とともに、いやまして希望の光彩を放つ。今、国内外の数多くの識者が高い評価を寄せている。
ジャーナリストの田原総一朗氏も、その一人。"学会を発展せしめている要因は、座談会にある"と洞察する。氏は実際、何度も足を運び、取材を重ねた上で、「座談会に出ると気持ちが前向きになる」「何でも話せる。心から信頼できる相手がいる。これが大きい」とも。
恩師の生誕120周年に迎える今年の「二月闘争」も中盤戦に入る。
"戸田先生の誕生月を広布拡大でお祝いしよう!"——若き池田先生の師子奮迅の激闘と、それに呼応した草創の友の「壁を破る」戦いに学び、各人が「令和初の二月闘争」を勝ち飾りたい。
生命を潤すオアシスであり、歓喜が歓喜を呼ぶ座談会で、勝利のリズムを刻みながら——。
☆世界写真紀行 パラグアイ川の夕日 93年、池田先生は大河のほとりに立った 2020年2月4日
◇真面目な人が最後に勝つ
南米パラグアイの首都アスンシオンは「森と水の都」とうたわれる。
その近郊を滔々と流れる南米有数の大河・パラグアイ川は、ひときわ美しい。
パラグアイ広布の礎を築いたのは戦後、移住した日系人である。
彼らは、原生林から木を切り出し、自分たちで家を建てるところから始めなければならなかった。
その大半のメンバーは移住地に渡ってから学会に入会。皆、貧しかった。病と闘う友も多かった。
それでも、御本尊を抱き締めるように祈り、仏法を語り歩いた。彼らにとって、創価の哲学は、唯一の希望の光だった。
草創のパラグアイ広布に生き抜いたマツタロウ・ナガサワさんの思いを、長女のユウコ・クリタさん(総合婦人部長)は、こう述懐している。
「私が13歳の時に一家で移住しました。財産も、保障もなく、あるのは苦労ばかり……。わが家の生活は、父が折伏を受け、家族で入会してから、少しずつ、良い方向に変化していきました」
父は、子どもたちに「勇気の信心」さえあれば、道は開けることを教えた。口数は決して多くなかったが、真面目に信心に励む父の背中は、子どもたちの心に刻まれた。
こうした草創の同志の奮闘があり、広布の水かさは増していった。皆が功徳を受け、その歓喜が友から友へと広がったのである。
池田先生が、この地を訪問したのは、1993年2月のこと。
滞在期間は2月20日から23日までの4日間だった。
先生は、過密な日程の合間をぬって、何度もパラグアイ川のほとりに立ち、カメラを向けた。パラグアイ総会(2月21日)の席上、その心情を語っている。
「私はパラグアイ川を金色に染めながら地平線に沈みゆく荘厳な夕日を見た。
いじらしいほど真面目に信心を貫いているパラグアイの皆さま方が、その太陽のごとく、堂々たる勝利の人生を飾りゆかれることは、絶対に間違いない」
「信仰という、最高に赫々たる太陽を燃やしながら、『私は勝った』と言いきれる一生を、生き抜いていただきたい」
総会には、ナガサワさんをはじめ草創のメンバーの姿があった。"堂々たる勝利の人生は、間違いない"——師の言葉に皆、目頭を熱くした。
ナガサワさんが50年前にアスンシオンで始めた小さな食料品店は、やがてスーパーマーケットに拡充。地域の人気店として、住民から広く親しまれている。
2002年、ナガサワさんは79歳で尊い生涯を閉じた。亡くなったその日は、パラグアイ川に沈みゆく夕日が美しかったという。茜色に染まる空を見つめて、ユウコさんは亡き父に語り掛けた。
「お父さん、パラグアイに連れてきてくれて、ありがとう。私たちは、パラグアイに連れてきてもらったことを、誇りに思います。こんなに素晴らしい場所はありません。ここが、私たちの故郷です」
ナガサワさん一家は、全員が広布のリーダーとして活躍し、その孫たちも、広布後継の道を歩んでいる。
御書には「大木の下の小木、大河のほとりの草は、大木が受ける雨の恵みを直接、身に受けず、大河の水を直接、得ることはないけれども、(自然のうちに)伝わる露を得、水気を得て、栄えていく」(1170ページ、通解)と仰せである。
広布に生きる人は、生命力の「大樹」であり、「大河」の存在である。
「一人立つ信心」がある限り、必ずや、一家を照らし、地域社会をも潤していける。ここに、広宣流布の不変の原理があろう。
来る日も来る日も、人のため、地域のために、尽くし抜いた広布の足跡は、荘厳な夕日のごとく、永遠に色あせることはない。
父母から子や孫、ひ孫へ——滔々と流れるパラグアイ川と共に、後継の人材の大河が築かれている。
2020年2月9日日曜日
2020.02.09 わが友に贈る
我らの信仰体験こそ
社会の希望の光だ。
「屢談話を致さん」
対話の花咲く座談会から
広布と人生の春を!
最蓮房御返事 P1343
『我等が居住して一乗を修行せんの処は何れの処にても候へ常寂光の都為るべし、我等が弟子檀那とならん人は一歩を行かずして天竺の霊山を見本有の寂光土へ昼夜に往復し給ふ』
【通解】
私たちが住んで、法華経を修行する所は、どんな所であれ、常寂光の都となるであろう。私たちの弟子檀那となる人は、一歩も歩むことなくして、天竺の霊鷲山を見、本有の寂光土へ昼夜に往復されるのである。
名字の言 子母沢寬の小説『大道』と戸田先生 2020年2月9日
江戸時代の初期、土佐藩で執政に就いた野中兼山は、新田開発や産業振興などで民の暮らしを豊かにした。しかし策略によって失脚し、汚名を着せられた▼子母沢寛の小説『大道』は、野中を描いた作品で、週刊誌で発表された。子母沢は北海道厚田村(当時)の出身。感銘を受けた同郷の戸田城聖先生は、単行本として世に出したいと伝え、1940年、大道書房を設立した▼『大道』は短編ながら印象深い場面が多い。小説は、野中の言葉で終わる。「俺は人間の大道を歩いてきた。命がけで真面目に信念の上を歩き、誠実の上を歩いて来た」「大道を歩いて来たものは強い」。戸田先生の「不惜身命」の信念と重なる。先生が出版を強く望んだのもうなずけよう▼道にもいろいろある。本道と枝道、正道と邪道、王道と覇道……。牧口常三郎先生と共に軍部政府の弾圧に抗して獄中闘争を貫き、戦後ただ一人、創価学会の再建に立った戸田先生には、我こそ大道を征くとの自負があった。その心を継いだ池田先生によって、世界広布の大道は今、洋々と開ける▼11日は戸田先生の生誕120周年。「地球上から悲惨の二字をなくしたい」――畜生道の地球を、平和と共生の菩薩道の地球に変えたいとの恩師の叫びに応えることが、私たちの進むべき道である。(芯)
寸鉄 2020年2月9日
何のために―この目的観で人生の価値は決まる。勇み自他共の幸福のため
たえて弘めん者をば衣を以て釈迦仏をほひ給う―御書。語った分、功徳は大
民音の日。人々結ぶ文化交流で平和世紀を!推進委員の皆様の献身に感謝
運動不足で死亡リスクは増加と。今日も友の元へ。学会活動に心身共の健康
急ハンドル、急加速など雪道や凍結路では「急」が付く運転は禁物。用心を
☆勇気の旗高く 池田先生が徳島の友に贈る指針 わが胸の信念を語れ!
◇反転攻勢の烽火
<本年は、池田先生の徳島初訪問から60周年。1960年(昭和35年)12月6日、先生は大阪から船で小松島の港に入り、徳島支部の結成大会に出席した。以来、60星霜――。徳島の同志は、苦難を乗り越えるたびに、師弟の絆を強めてきた。第1次宗門事件の余燼がくすぶる81年(同56年)11月には、先生は悪侶に苦しめられてきた徳島を訪れ、反転攻勢の烽火を上げた>
この信仰だけは、勇気をもってやり抜いてください。信心の根本は、御本尊と自分との関係につきます。枝葉のことに紛動されることなく、決して負けないで、勇気ある信心をしてください。勇気のなかに一切が含まれてきます。福運も慈愛も無事故・安全も含まれてきます。
人生には行き詰まりがある。その行き詰まりを全部打開するのが題目なんです。御本尊に祈ることです。生老病死の問題も、子どもの将来も、考えればきりがないでしょう。その中で、題目だけは生涯、永遠に行き詰まりがない。だから信心しかないのです。
徳島ここにあり、というものを日本中に示したいですね。徳島に行ってみたいな、徳島は生き生きしているな、徳島の人に会ってみたいな、と言われること自体が、依正不二で、皆さんの勝利なのです。大福運を積んでいる証拠なのです。その意味で、私は、徳島を応援したいのです。
◇開拓は一人から
<73年(同48年)に行われた徳島県幹部総会。池田先生は、新たな開拓が常に「一人」から始まることを強調した>
しょせん、新しきものの建設や開拓というものは、小さくとも大きくとも、全面的に個人の力に負うものであります。あくまでも、個人が原点である。集団というものは、それを応用し実用化していくことしかできません。
昔から、新しい真理や法則というものの発見は、全て、ただ一人の個人に負っています。当然それは、数多くの人々の努力の結晶とか、伝統とか、構築というものの歴史的背景はあると思いますが、背景は背景としましても、例えば、万有引力の法則は、ニュートン一人の発見であった。相対性原理は、かのアインシュタイン一人の発見であります。皆が寄ってたかって、つくりあげたものではない。
このように、新しいなんらかの創造というものは、常に個人の手によっている。皆さん方も「これだけ大勢いるからだれかがなんとかやる」というのでは、自分自身の"本有無作の当体の生命の輝き"にはならない。自分というものをどうするかが問題です。組織は手段といってよい。あくまでも自分が原点である。そこに仏道修行の、また人間の最高の生きがいの核心というものがあるのです。
◇開かれた心
<徳島は、日本で初めてベートーベンの「第九」(歓喜の歌)が演奏されたといわれる地。第1次世界大戦で捕虜となったドイツ兵が、徳島の収容所で演奏した。先生はその背景に、徳島の人々の「開かれた心」があったと洞察する>
なぜ、この徳島で日本最初の「第九」の演奏が行われたのか?
その理由として、第九を演奏した「板東俘虜収容所」の松江豊寿所長が立派な人格者であったこと、また人々のドイツ文化を愛する心が深く強かったことなど、さまざまな理由が挙げられている。
そのうえで、ただ一点、歴史上、私が強調しておきたいのは、その背景に徳島の人々の「開かれた心」があったということである。
徳島の清らかな心の庶民は、異国の捕虜に対しても傲慢に見下すことはなかった。反対に、臆病に敬遠することもなかった。そして、捕虜の人々の進んだ生活技術や教養を、謙虚に素直に学ぼうとしたという。よい意味の好奇心、探求心をもっていた。
エンジンなどの機械の技術、ジャガイモ、トマトなどの野菜の栽培、サッカーなどのスポーツ等々、徳島の純朴な村人たちはドイツの捕虜から生き生きと学んだ。
捕虜たちは、どこに行っても、村の子どもたちから、ドイツ語で「グーテン・モルゲン(おはよう)!」と声をかけられたと回想している。すごいことである。
こうした麗しい触れ合いのなかから、あの「第九」の演奏会も、自然な盛り上がりのなかで実現していったと考えられる。
ドイツの捕虜の一人は、この徳島の民衆との交流の喜びを、ゲーテの大作『ファウスト』の一節に託して書き残している。
「はやくも村人のどよめきが聞こえてくる、
ここは民衆のほんとの天国だ。
大人も子供も大満足で、歓声がしきり、
ここでこそ私も人間、私は人間でいられるぞ!」(山下肇訳『ゲーテ全集』3所収、潮出版社)
これが徳島の人々である。まさに人格に「徳」が輝いておられる。徳島が、また四国が、どれほど素晴らしき理想の天地であることか――。
◇歓喜の連鎖を
<池田先生は随筆の中で、「歓喜の歌」を高らかに歌いつつ前進する徳島の友に、万感の期待を寄せた>
本来、「第九」は、天界の喜びの花々に包まれて誕生したわけでは、決してない。
当時の社会を見れば、ナポレオン戦争が終わったあとの、反動的な権力政治が自由を圧迫した暗黒時代であった。自由を愛する共和主義者として知られたベートーベンには、常時、警察の監視がついていたし、一度などは、実際に留置されたこともあったようだ。
彼自身も、病苦やスランプや親族の悩みに悶えていた。
「喜びは、苦悩の大木にみのる果実」(アンドレ・モロワ著、辻昶・横山正二訳『ヴィクトール・ユゴーの生涯』新潮社)とは、文豪ユゴーの名言である。
ベートーベンは、懊悩の溶鉱炉から、永遠なる歓喜の宝光を輝かせていく。
今こそ、重き苦悩の雲を吹き払え! 鉄の鎖を断ち切れ!
断固として、夜明けの光を、新しき希望の歌声を!
彼は叫んだ。
――もっと快い、もっと歓びに満ちたものを歌い出そうではないか!
苦悩を突き抜けて歓喜へ!
「わが心は本来、仏なり!」「我ら広布の大使命に生まれたり!」と自覚することこそ、無上最高の喜びである。
それを、大聖人は、「歓喜の中の大歓喜」(御書788ページ)と仰せである。
「煩悩即菩提」である。試練に負けず、勇気をもって苦難に打ち勝つ、その時、自分らしい「歓喜の歌」が、わが生命の青空に轟き渡るのだ。
ベートーベンは、「心より来る! 願わくは更に心へと赴かんことを!」(原田義人訳『ベートーヴェンの言葉』創元社)と祈った。
「歓喜」もまた、心の奥からあふれ出し、心から心へ、友から友へ、飛び火していく。
歓喜は、勇気の火花であり、雄々しき戦いの閃光である。
わが胸の信念を語れ! 正義と真実を叫び抜け! 自由の炎で邪悪な壁を焼き尽くせ!
文豪ロマン・ロランは「フランス大革命は『歓喜』から発した」(「第九交響曲」蛯原徳夫・北沢方邦訳『ロマン・ロラン全集』25所収、みすず書房)と洞察した。
我らの妙法の広宣流布は、生命の「歓喜の中の大歓喜」に発して、全人類待望の「人間革命の世紀」「人間勝利の世紀」の無上の扉を開いていく行動である。
自分が存在するその場所で、断固として、正義の旗、栄光の旗を打ち立てながら!
徳島、万歳!
社会の希望の光だ。
「屢談話を致さん」
対話の花咲く座談会から
広布と人生の春を!
最蓮房御返事 P1343
『我等が居住して一乗を修行せんの処は何れの処にても候へ常寂光の都為るべし、我等が弟子檀那とならん人は一歩を行かずして天竺の霊山を見本有の寂光土へ昼夜に往復し給ふ』
【通解】
私たちが住んで、法華経を修行する所は、どんな所であれ、常寂光の都となるであろう。私たちの弟子檀那となる人は、一歩も歩むことなくして、天竺の霊鷲山を見、本有の寂光土へ昼夜に往復されるのである。
名字の言 子母沢寬の小説『大道』と戸田先生 2020年2月9日
江戸時代の初期、土佐藩で執政に就いた野中兼山は、新田開発や産業振興などで民の暮らしを豊かにした。しかし策略によって失脚し、汚名を着せられた▼子母沢寛の小説『大道』は、野中を描いた作品で、週刊誌で発表された。子母沢は北海道厚田村(当時)の出身。感銘を受けた同郷の戸田城聖先生は、単行本として世に出したいと伝え、1940年、大道書房を設立した▼『大道』は短編ながら印象深い場面が多い。小説は、野中の言葉で終わる。「俺は人間の大道を歩いてきた。命がけで真面目に信念の上を歩き、誠実の上を歩いて来た」「大道を歩いて来たものは強い」。戸田先生の「不惜身命」の信念と重なる。先生が出版を強く望んだのもうなずけよう▼道にもいろいろある。本道と枝道、正道と邪道、王道と覇道……。牧口常三郎先生と共に軍部政府の弾圧に抗して獄中闘争を貫き、戦後ただ一人、創価学会の再建に立った戸田先生には、我こそ大道を征くとの自負があった。その心を継いだ池田先生によって、世界広布の大道は今、洋々と開ける▼11日は戸田先生の生誕120周年。「地球上から悲惨の二字をなくしたい」――畜生道の地球を、平和と共生の菩薩道の地球に変えたいとの恩師の叫びに応えることが、私たちの進むべき道である。(芯)
寸鉄 2020年2月9日
何のために―この目的観で人生の価値は決まる。勇み自他共の幸福のため
たえて弘めん者をば衣を以て釈迦仏をほひ給う―御書。語った分、功徳は大
民音の日。人々結ぶ文化交流で平和世紀を!推進委員の皆様の献身に感謝
運動不足で死亡リスクは増加と。今日も友の元へ。学会活動に心身共の健康
急ハンドル、急加速など雪道や凍結路では「急」が付く運転は禁物。用心を
☆勇気の旗高く 池田先生が徳島の友に贈る指針 わが胸の信念を語れ!
◇反転攻勢の烽火
<本年は、池田先生の徳島初訪問から60周年。1960年(昭和35年)12月6日、先生は大阪から船で小松島の港に入り、徳島支部の結成大会に出席した。以来、60星霜――。徳島の同志は、苦難を乗り越えるたびに、師弟の絆を強めてきた。第1次宗門事件の余燼がくすぶる81年(同56年)11月には、先生は悪侶に苦しめられてきた徳島を訪れ、反転攻勢の烽火を上げた>
この信仰だけは、勇気をもってやり抜いてください。信心の根本は、御本尊と自分との関係につきます。枝葉のことに紛動されることなく、決して負けないで、勇気ある信心をしてください。勇気のなかに一切が含まれてきます。福運も慈愛も無事故・安全も含まれてきます。
人生には行き詰まりがある。その行き詰まりを全部打開するのが題目なんです。御本尊に祈ることです。生老病死の問題も、子どもの将来も、考えればきりがないでしょう。その中で、題目だけは生涯、永遠に行き詰まりがない。だから信心しかないのです。
徳島ここにあり、というものを日本中に示したいですね。徳島に行ってみたいな、徳島は生き生きしているな、徳島の人に会ってみたいな、と言われること自体が、依正不二で、皆さんの勝利なのです。大福運を積んでいる証拠なのです。その意味で、私は、徳島を応援したいのです。
◇開拓は一人から
<73年(同48年)に行われた徳島県幹部総会。池田先生は、新たな開拓が常に「一人」から始まることを強調した>
しょせん、新しきものの建設や開拓というものは、小さくとも大きくとも、全面的に個人の力に負うものであります。あくまでも、個人が原点である。集団というものは、それを応用し実用化していくことしかできません。
昔から、新しい真理や法則というものの発見は、全て、ただ一人の個人に負っています。当然それは、数多くの人々の努力の結晶とか、伝統とか、構築というものの歴史的背景はあると思いますが、背景は背景としましても、例えば、万有引力の法則は、ニュートン一人の発見であった。相対性原理は、かのアインシュタイン一人の発見であります。皆が寄ってたかって、つくりあげたものではない。
このように、新しいなんらかの創造というものは、常に個人の手によっている。皆さん方も「これだけ大勢いるからだれかがなんとかやる」というのでは、自分自身の"本有無作の当体の生命の輝き"にはならない。自分というものをどうするかが問題です。組織は手段といってよい。あくまでも自分が原点である。そこに仏道修行の、また人間の最高の生きがいの核心というものがあるのです。
◇開かれた心
<徳島は、日本で初めてベートーベンの「第九」(歓喜の歌)が演奏されたといわれる地。第1次世界大戦で捕虜となったドイツ兵が、徳島の収容所で演奏した。先生はその背景に、徳島の人々の「開かれた心」があったと洞察する>
なぜ、この徳島で日本最初の「第九」の演奏が行われたのか?
その理由として、第九を演奏した「板東俘虜収容所」の松江豊寿所長が立派な人格者であったこと、また人々のドイツ文化を愛する心が深く強かったことなど、さまざまな理由が挙げられている。
そのうえで、ただ一点、歴史上、私が強調しておきたいのは、その背景に徳島の人々の「開かれた心」があったということである。
徳島の清らかな心の庶民は、異国の捕虜に対しても傲慢に見下すことはなかった。反対に、臆病に敬遠することもなかった。そして、捕虜の人々の進んだ生活技術や教養を、謙虚に素直に学ぼうとしたという。よい意味の好奇心、探求心をもっていた。
エンジンなどの機械の技術、ジャガイモ、トマトなどの野菜の栽培、サッカーなどのスポーツ等々、徳島の純朴な村人たちはドイツの捕虜から生き生きと学んだ。
捕虜たちは、どこに行っても、村の子どもたちから、ドイツ語で「グーテン・モルゲン(おはよう)!」と声をかけられたと回想している。すごいことである。
こうした麗しい触れ合いのなかから、あの「第九」の演奏会も、自然な盛り上がりのなかで実現していったと考えられる。
ドイツの捕虜の一人は、この徳島の民衆との交流の喜びを、ゲーテの大作『ファウスト』の一節に託して書き残している。
「はやくも村人のどよめきが聞こえてくる、
ここは民衆のほんとの天国だ。
大人も子供も大満足で、歓声がしきり、
ここでこそ私も人間、私は人間でいられるぞ!」(山下肇訳『ゲーテ全集』3所収、潮出版社)
これが徳島の人々である。まさに人格に「徳」が輝いておられる。徳島が、また四国が、どれほど素晴らしき理想の天地であることか――。
◇歓喜の連鎖を
<池田先生は随筆の中で、「歓喜の歌」を高らかに歌いつつ前進する徳島の友に、万感の期待を寄せた>
本来、「第九」は、天界の喜びの花々に包まれて誕生したわけでは、決してない。
当時の社会を見れば、ナポレオン戦争が終わったあとの、反動的な権力政治が自由を圧迫した暗黒時代であった。自由を愛する共和主義者として知られたベートーベンには、常時、警察の監視がついていたし、一度などは、実際に留置されたこともあったようだ。
彼自身も、病苦やスランプや親族の悩みに悶えていた。
「喜びは、苦悩の大木にみのる果実」(アンドレ・モロワ著、辻昶・横山正二訳『ヴィクトール・ユゴーの生涯』新潮社)とは、文豪ユゴーの名言である。
ベートーベンは、懊悩の溶鉱炉から、永遠なる歓喜の宝光を輝かせていく。
今こそ、重き苦悩の雲を吹き払え! 鉄の鎖を断ち切れ!
断固として、夜明けの光を、新しき希望の歌声を!
彼は叫んだ。
――もっと快い、もっと歓びに満ちたものを歌い出そうではないか!
苦悩を突き抜けて歓喜へ!
「わが心は本来、仏なり!」「我ら広布の大使命に生まれたり!」と自覚することこそ、無上最高の喜びである。
それを、大聖人は、「歓喜の中の大歓喜」(御書788ページ)と仰せである。
「煩悩即菩提」である。試練に負けず、勇気をもって苦難に打ち勝つ、その時、自分らしい「歓喜の歌」が、わが生命の青空に轟き渡るのだ。
ベートーベンは、「心より来る! 願わくは更に心へと赴かんことを!」(原田義人訳『ベートーヴェンの言葉』創元社)と祈った。
「歓喜」もまた、心の奥からあふれ出し、心から心へ、友から友へ、飛び火していく。
歓喜は、勇気の火花であり、雄々しき戦いの閃光である。
わが胸の信念を語れ! 正義と真実を叫び抜け! 自由の炎で邪悪な壁を焼き尽くせ!
文豪ロマン・ロランは「フランス大革命は『歓喜』から発した」(「第九交響曲」蛯原徳夫・北沢方邦訳『ロマン・ロラン全集』25所収、みすず書房)と洞察した。
我らの妙法の広宣流布は、生命の「歓喜の中の大歓喜」に発して、全人類待望の「人間革命の世紀」「人間勝利の世紀」の無上の扉を開いていく行動である。
自分が存在するその場所で、断固として、正義の旗、栄光の旗を打ち立てながら!
徳島、万歳!
2020年2月8日土曜日
2020.02.08 わが友に贈る
宝の未来部を大切に。
「応援しているよ!」
との励ましの声こそ
大樹と育ちゆく滋養。
成長を信じ抜こう!
教行証御書 P1282
『日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず』
【通解】
日蓮の弟子等は、臆病であってはならない。
名字の言 森繁久彌さんの舞台での痛恨の思い出 2020年2月8日
ミュージカル「屋根の上のヴァイオリン弾き」で主役を演じた俳優の森繁久彌さんには、痛恨の思い出があった。地方公演でのこと。客席の前列に座った少女がずっと下を向き、居眠りしている様子。不快になった森繁さんたちは、彼女のそばでわざと声を張り上げ、床を強く踏み鳴らし、"起きろ"と言わんばかりの芝居をした▼芝居が全て終わった時、やっと顔を上げた少女。その両目は閉じられていた。居眠りに見えたのは、盲目ゆえに、神経を耳に集めて聞き入っていたから。"なぜ気付けなかったんだ"。森繁さんは自らを恥じ、心で泣いた(『人師は遭い難し』)▼ある地区の座談会。いつも来ている女子部員の姿がない。"あら?"。気になった地区婦人部長が、座談会を終えた足で女子部員が暮らすアパートへ。すると部屋で一人、ふさぎ込んでいた。仕事で失敗し、苦しかったという▼地区婦人部長は懸命に激励した。女子部員は「すぐに駆け付けてくれた真心がうれしくて」と涙。そして笑顔を取り戻した▼友が発する言葉、しぐさ、表情、行動……。その小さな変化に大きな意味が隠されていることがある。だからこそ、絶えず一人一人の幸福を祈り、心のアンテナを広く張り、励ましを送りたい。皆が人材、皆が宝なのだから。(誠)
寸鉄 2020年2月8日
腹を据えよ。何があっても戦うとの心が一番大事—恩師。まずは祈りから
きょう沖縄の日。模範の友好広げる広宣の同志よ勇気の対話で勝利の舞を
偉大な精神は偉大な精神で形成—詩人。広布の組織は己磨く善知識の集い
"脱プラ"の取組が拡大。エコバッグ、マイボトル等、できることから実践
各地でひったくり頻発。鞄は建物側、自転車には防犯網を。絶対無事故で
☆心に御書を 第19回 苦難に揺るがぬ大境涯を
〈御文〉
『今日蓮等の類いの修行は妙法蓮華経を修行するに難来るを以て安楽と意得可きなり』(御義口伝、750ページ)
〈通解〉
今、日蓮と門下が妙法蓮華経を修行するのに、難が襲ってくることをもって、安楽であると心得るべきである。
〈池田先生が贈る指針〉
若き日、日記に書き留めた一節である。男子部大学校や白蓮グループなどで奮闘する尊き後継の若人に贈りたい。
青春時代の鍛錬は一生の財宝だ。なかんずく、どんな苦難にも揺るがない仏の大境涯を築きゆけるのが仏道修行である。
創価の道を最高の同志と恐れなく! 無上の充実と永遠の福徳を勝ち開いてくれ給え!
☆2月度座談会拝読御書 諸法実相抄
拝読御文
『行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ、行学は信心よりをこるべく候、力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし』(御書全集1361ページ11行目〜13行目)
◇[池田先生の指針から] 自らの全力を尽くす
信・行・学の大道を、喜び勇んで前進したい。そのなかで、新しい人材を育てていきたい。折伏は、難事中の難事である。たとえ、思うような結果がすぐには出なくとも、くよくよする必要は、まったくない。
戸田先生は、厳然と断言なされていた。
「苦しみにあえぐ民衆を、永遠に根本から救うことは、平凡な動機などでは考えられぬ大事業だ。これ以上の大事業がどこにあるのか!」
最極の仏の聖業を成し遂げていく誇りに燃えて、伸び伸びと、また朗らかに、そして自信に満ち満ちて、「幸福」と「希望」と「平和」の対話を、幾重にも広げてまいりたい。
(『池田大作全集』第100巻所収、婦人部代表幹部協議会でのスピーチ)
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
牧口先生は、この「諸法実相抄」の「行学の二道」が示された御書のページに、二重丸を付けられていました。
戸田先生も、御書全集の「発刊の辞」で「創価学会は初代会長牧口常三郎先生之を創設して以来、此の金言を遵奉して純真強盛な信心に基き、行学の二道を励むと共に如説の折伏行に邁進して来たが、剣豪の修行を思わせるが如きその厳格なる鍛錬は、学会の伝統・名誉ある特徴となっている」と、つづられています。
学会に、大聖人の峻厳なる精神が流れ通ってきたのは、ひとえに「行学の二道」に邁進してきたからです。
◇ ◇ ◇
自行化他にわたる行学の実践こそ仏法の魂です。
宗教とは、自分だけが信仰すればいいというものではありません。自分だけが覚り、あとの人のことは知らないという、自分勝手な仏などいない。仏の智慧は、どこまでも全民衆を幸福に導くためのものだからです。
牧口先生・戸田先生の獄中での行学の実践こそ、創価学会が大聖人直結である、明確なる証です。わが学会は、この御文の通りに永遠に「実践の教学」の団体です。
「行学は信心よりをこるべく候、力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし」とも仰せです。「信」は、行学という具体的な実践に現れます。
「力あらば」とは、力があるとか、ないとかなどではありません。「力の限り」という意味です。自らの全力を尽くすのです。
教学が苦手だからと、臆する必要もない。自分が御書を拝し感動したこと、仏法を実践して学んだことでよいのです。「信心は楽しい」「願いは絶対に叶う信心です」等と、一言でもいいから、語っていくことです。(『信仰の基本「信行学」』)
◇「信心は楽しい」と一言でも語ろう
◇[キーワード1]行学錬磨で前進
信心の実践にあっては、信行学が基本です。
その中でも御本尊を信じる「信」がその根本です。「信」が大事であるといっても、形として目で見ることはできません。だからこそ「信」を日々、強く、深くしていく具体的な修行が大切なのです。
大聖人は本抄で、"行学の二道の実践がなければ信心ではない"と、具体的な修行の大切さを訴えています。
行学といっても、信心の発露として現れるものです。
その上で、自行化他にわたる唱題行、そして教学の研さんに励む中で、身をもって妙法の偉大さ、正しさを知り、信心を深化していくことができます。
さらに、信が深まれば、"もっと唱題に励みたい""教学を学びたい""あの人に信心の話をしよう"と、行学実践の勢いが増します。
このように、信から行学の実践が生まれ、その修行によって信が深まり、深まった信によって修行への情熱がわくのです。
信行学という基本に徹する時、私たちは信心を常に磨き輝かせていくことができるのです。それは常に人間革命し、成長していく姿に他なりません。
行学錬磨に励む人は、日々、前進の人です。ゆえに、あらゆる障魔を打ち破り、明るく朗らかに、輝いていくことができるのです。
◇[キーワード2]大聖人直結の生き方
今回拝する「力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし」は、本抄の末尾の一節で、門下に弘教の実践を促している箇所です。
「力あらば」とは、私たちの信心の実践で拝せば、力の限り、全力を尽くすという意味です。随力演説であり、随力弘通です。一人一人が持てる力を奮って語りに語っていくのです。
"そんな力は私にはない"と思う人もいるでしょう。大聖人は他の御書で、「師子王の心を取り出して」(1190ページ)と仰せです。だれもが汲めども尽きぬ仏の智慧と力を具えています。生命から力を取り出すカギは、大聖人直結の信心です。
本抄の追伸で大聖人は、「日本国の男女を・みちびかんとおもへばなり」(御書1361ページ)と、民衆救済の慈悲心から筆を執られたと述べられます。
さらに「まことに宿縁のをふところ予が弟子となり給う」(同1362ページ)と仰せです。大聖人の弟子であることは、深き縁で結ばれているのです。
大聖人直結の信心とは、この師弟の宿縁に目覚め、大聖人と同じように慈悲の心で、妙法を自分の持てる力の限り、語り抜いていく菩薩の生き方に脈打つのです。
現代にあっては、全民衆の幸福と世界の平和を願い、広宣流布に邁進する学会の同志こそが、大聖人直結の生き方を貫いていることは間違いありません。
「応援しているよ!」
との励ましの声こそ
大樹と育ちゆく滋養。
成長を信じ抜こう!
教行証御書 P1282
『日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず』
【通解】
日蓮の弟子等は、臆病であってはならない。
名字の言 森繁久彌さんの舞台での痛恨の思い出 2020年2月8日
ミュージカル「屋根の上のヴァイオリン弾き」で主役を演じた俳優の森繁久彌さんには、痛恨の思い出があった。地方公演でのこと。客席の前列に座った少女がずっと下を向き、居眠りしている様子。不快になった森繁さんたちは、彼女のそばでわざと声を張り上げ、床を強く踏み鳴らし、"起きろ"と言わんばかりの芝居をした▼芝居が全て終わった時、やっと顔を上げた少女。その両目は閉じられていた。居眠りに見えたのは、盲目ゆえに、神経を耳に集めて聞き入っていたから。"なぜ気付けなかったんだ"。森繁さんは自らを恥じ、心で泣いた(『人師は遭い難し』)▼ある地区の座談会。いつも来ている女子部員の姿がない。"あら?"。気になった地区婦人部長が、座談会を終えた足で女子部員が暮らすアパートへ。すると部屋で一人、ふさぎ込んでいた。仕事で失敗し、苦しかったという▼地区婦人部長は懸命に激励した。女子部員は「すぐに駆け付けてくれた真心がうれしくて」と涙。そして笑顔を取り戻した▼友が発する言葉、しぐさ、表情、行動……。その小さな変化に大きな意味が隠されていることがある。だからこそ、絶えず一人一人の幸福を祈り、心のアンテナを広く張り、励ましを送りたい。皆が人材、皆が宝なのだから。(誠)
寸鉄 2020年2月8日
腹を据えよ。何があっても戦うとの心が一番大事—恩師。まずは祈りから
きょう沖縄の日。模範の友好広げる広宣の同志よ勇気の対話で勝利の舞を
偉大な精神は偉大な精神で形成—詩人。広布の組織は己磨く善知識の集い
"脱プラ"の取組が拡大。エコバッグ、マイボトル等、できることから実践
各地でひったくり頻発。鞄は建物側、自転車には防犯網を。絶対無事故で
☆心に御書を 第19回 苦難に揺るがぬ大境涯を
〈御文〉
『今日蓮等の類いの修行は妙法蓮華経を修行するに難来るを以て安楽と意得可きなり』(御義口伝、750ページ)
〈通解〉
今、日蓮と門下が妙法蓮華経を修行するのに、難が襲ってくることをもって、安楽であると心得るべきである。
〈池田先生が贈る指針〉
若き日、日記に書き留めた一節である。男子部大学校や白蓮グループなどで奮闘する尊き後継の若人に贈りたい。
青春時代の鍛錬は一生の財宝だ。なかんずく、どんな苦難にも揺るがない仏の大境涯を築きゆけるのが仏道修行である。
創価の道を最高の同志と恐れなく! 無上の充実と永遠の福徳を勝ち開いてくれ給え!
☆2月度座談会拝読御書 諸法実相抄
拝読御文
『行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ、行学は信心よりをこるべく候、力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし』(御書全集1361ページ11行目〜13行目)
◇[池田先生の指針から] 自らの全力を尽くす
信・行・学の大道を、喜び勇んで前進したい。そのなかで、新しい人材を育てていきたい。折伏は、難事中の難事である。たとえ、思うような結果がすぐには出なくとも、くよくよする必要は、まったくない。
戸田先生は、厳然と断言なされていた。
「苦しみにあえぐ民衆を、永遠に根本から救うことは、平凡な動機などでは考えられぬ大事業だ。これ以上の大事業がどこにあるのか!」
最極の仏の聖業を成し遂げていく誇りに燃えて、伸び伸びと、また朗らかに、そして自信に満ち満ちて、「幸福」と「希望」と「平和」の対話を、幾重にも広げてまいりたい。
(『池田大作全集』第100巻所収、婦人部代表幹部協議会でのスピーチ)
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
牧口先生は、この「諸法実相抄」の「行学の二道」が示された御書のページに、二重丸を付けられていました。
戸田先生も、御書全集の「発刊の辞」で「創価学会は初代会長牧口常三郎先生之を創設して以来、此の金言を遵奉して純真強盛な信心に基き、行学の二道を励むと共に如説の折伏行に邁進して来たが、剣豪の修行を思わせるが如きその厳格なる鍛錬は、学会の伝統・名誉ある特徴となっている」と、つづられています。
学会に、大聖人の峻厳なる精神が流れ通ってきたのは、ひとえに「行学の二道」に邁進してきたからです。
◇ ◇ ◇
自行化他にわたる行学の実践こそ仏法の魂です。
宗教とは、自分だけが信仰すればいいというものではありません。自分だけが覚り、あとの人のことは知らないという、自分勝手な仏などいない。仏の智慧は、どこまでも全民衆を幸福に導くためのものだからです。
牧口先生・戸田先生の獄中での行学の実践こそ、創価学会が大聖人直結である、明確なる証です。わが学会は、この御文の通りに永遠に「実践の教学」の団体です。
「行学は信心よりをこるべく候、力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし」とも仰せです。「信」は、行学という具体的な実践に現れます。
「力あらば」とは、力があるとか、ないとかなどではありません。「力の限り」という意味です。自らの全力を尽くすのです。
教学が苦手だからと、臆する必要もない。自分が御書を拝し感動したこと、仏法を実践して学んだことでよいのです。「信心は楽しい」「願いは絶対に叶う信心です」等と、一言でもいいから、語っていくことです。(『信仰の基本「信行学」』)
◇「信心は楽しい」と一言でも語ろう
◇[キーワード1]行学錬磨で前進
信心の実践にあっては、信行学が基本です。
その中でも御本尊を信じる「信」がその根本です。「信」が大事であるといっても、形として目で見ることはできません。だからこそ「信」を日々、強く、深くしていく具体的な修行が大切なのです。
大聖人は本抄で、"行学の二道の実践がなければ信心ではない"と、具体的な修行の大切さを訴えています。
行学といっても、信心の発露として現れるものです。
その上で、自行化他にわたる唱題行、そして教学の研さんに励む中で、身をもって妙法の偉大さ、正しさを知り、信心を深化していくことができます。
さらに、信が深まれば、"もっと唱題に励みたい""教学を学びたい""あの人に信心の話をしよう"と、行学実践の勢いが増します。
このように、信から行学の実践が生まれ、その修行によって信が深まり、深まった信によって修行への情熱がわくのです。
信行学という基本に徹する時、私たちは信心を常に磨き輝かせていくことができるのです。それは常に人間革命し、成長していく姿に他なりません。
行学錬磨に励む人は、日々、前進の人です。ゆえに、あらゆる障魔を打ち破り、明るく朗らかに、輝いていくことができるのです。
◇[キーワード2]大聖人直結の生き方
今回拝する「力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし」は、本抄の末尾の一節で、門下に弘教の実践を促している箇所です。
「力あらば」とは、私たちの信心の実践で拝せば、力の限り、全力を尽くすという意味です。随力演説であり、随力弘通です。一人一人が持てる力を奮って語りに語っていくのです。
"そんな力は私にはない"と思う人もいるでしょう。大聖人は他の御書で、「師子王の心を取り出して」(1190ページ)と仰せです。だれもが汲めども尽きぬ仏の智慧と力を具えています。生命から力を取り出すカギは、大聖人直結の信心です。
本抄の追伸で大聖人は、「日本国の男女を・みちびかんとおもへばなり」(御書1361ページ)と、民衆救済の慈悲心から筆を執られたと述べられます。
さらに「まことに宿縁のをふところ予が弟子となり給う」(同1362ページ)と仰せです。大聖人の弟子であることは、深き縁で結ばれているのです。
大聖人直結の信心とは、この師弟の宿縁に目覚め、大聖人と同じように慈悲の心で、妙法を自分の持てる力の限り、語り抜いていく菩薩の生き方に脈打つのです。
現代にあっては、全民衆の幸福と世界の平和を願い、広宣流布に邁進する学会の同志こそが、大聖人直結の生き方を貫いていることは間違いありません。
2020年2月7日金曜日
2020.02.07 わが友に贈る
「いつも・たいせず
信ずるなり」御聖訓。
地道な実践を貫く人が
最後は必ず勝つ。
弛みなき前進の日々を!
立正安国論 P26
『蒼蠅驥尾に附して万里を渡り碧蘿松頭に懸りて千尋を延ぶ』
【通解】
小さな青バエも駿馬の尾につかまって万里を行くことができ、葛は大きな松の木にかかって千尋に伸に伸びることができる。
名字の言 小よく大を制す——炎鵬の心意気 2020年2月7日
武道の世界では「小よく大を制す」という言葉が使われる。人気力士・炎鵬は、その代名詞であろう▼幕内力士の平均体重が160キロを超える中、最軽量の99キロの体から繰り出す多彩な技で相手を翻弄する。初場所では4場所連続の勝ち越しを決めた▼大学時代に世界相撲選手権・軽量級で2連覇。だが"自分の体格でプロは無理"と思い、一般就職するつもりだった。そんな彼の素質に注目していたのが横綱・白鵬である。角界入りした炎鵬は、"相撲人生を完全燃焼する"と決め、入門直後から横綱との、ぶつかり稽古を懇願。"横綱に向かっていけば強くなれる"と、何百回、何千回、倒されても挑み続けた。こうして磨き上げた"強さ"が今、土俵の上で発揮されている▼あえて厳しい環境に飛び込み、自らを磨く。この精神は我らの実践にも通じる。御書に「法華経の行者」を「求羅」という伝説上の虫に譬えた箇所が。「求羅」の身は極めて小さいが、風を受けると、それを食べて非常に大きくなる。この「求羅」を倍増させる風とは"大難"であると、日蓮大聖人は示されている▼大いなる目標に挑むことが、大いなる自分への一歩となる。困難の壁にも、思い切ってぶつかる心の強さから、不可能を可能にする勝利が開けていく。(差)
寸鉄 2020年2月7日
会長は仏教の最善の側面を高め人間主義を拡大—名誉教授。共生社会の光
男子部大学校生が対話に挑戦。"若さ"には無限の力が!情熱を込めて語れ
うんと苦労してこそ人間は偉大に—恩師。弱き心に祈り勝ち、境涯を開け
新成人の半数が「未来は明るくない」と。希望紡ぐ創価の青年運動の使命大
受験生はマスク着用を—大学、予備校が呼び掛け。健康第一で栄光の春へ!
☆心に御書を 第18回 折伏は報恩感謝の大道
〈御文〉
『日蓮は・うけがたくして人身をうけ・値いがたくして仏法に値い奉る、一切の仏法の中に法華経に値いまいらせて候、其の恩徳ををもへば父母の恩・国主の恩・一切衆生の恩なり』(千日尼御前御返事、1311ページ)
〈通解〉
日蓮は、受け難い人身を受け、値い難い仏法に値うことができた。一切の仏法の中でも法華経に値うことができたのである。その恩徳を考えてみれば、父母の恩、国主の恩、一切衆生の恩である。
〈池田先生が贈る指針〉
二月闘争で私は呼び掛けた——弘教の大波で、御本仏の御聖誕、恩師の誕生の月を飾ろう!と。 青年の一念に皆が呼応してくれた。
受けがたき人身を受け、値いがたき妙法を持った我らだ。宿命を使命に転じ、友の幸福を祈る。この地涌の歓喜を語り抜こう! ここに最極の報恩があり、仏法者の本懐があるからだ。
☆心大歓喜——紅燃ゆる志の天地・四国 四国教学部長 高橋浩之☆
今回の「心大歓喜——紙上講義で学ぼう」には、高橋四国教学部長が登場。「乙御前御消息」の御文を拝し、広宣流布の闘志が赤々と燃える師弟求道の「志国」の誇りと使命について、つづってもらいます。
= 御文 =
『鎌倉に候いし時は念仏者等はさてをき候いぬ、法華経を信ずる人人は志あるも・なきも知られ候はざりしかども・御勘気を・かほりて佐渡の島まで流されしかば問い訪う人もなかりしに・女人の御身として・かたがた御志ありし上・我と来り給いし事うつつならざる不思議なり』(乙御前御消息、1220ページ1行目〜3行目)
= 通解 =
(私が)鎌倉にいた時には、念仏者等はさておいて、法華経を信ずる人たちは、だれが信心があるのか、ないのか、分かりませんでした。
しかし、御勘気(幕府による処罰)を受けて佐渡の島まで流されると、問い訪れてくる人もなかったのに、あなたは女性の身で、さまざまに信心の御志を示されたうえ、自ら(佐渡まで)来られたことは、現実とは思えないほど不思議なことです。
◇広布の闘志をたぎらせ師弟勝利の大叙事詩を
四国は、客船「さんふらわあ7」号で、障魔の波濤を越えて、師の待つ神奈川へと向かった"師弟求道の航海"から40周年の佳節を勝利で飾ることができました。紅のごとく燃ゆる"師を求める志"が、正義の「志国」の誇りであり、勝利の原点です。
今回拝する「乙御前御消息」は、再びの蒙古襲来が予期され、社会が騒然とする中、娘の乙御前と共に師弟の道を貫き通した母に、いよいよ強盛の信心に励むことを教えられた御書です。
「志あるも・なきも知られ候はざりしかども」(御書1220ページ)と仰せの通り、大聖人が鎌倉におられた時には、だれが信じる心を持っているのか分かりませんでした。しかし、大聖人が流罪され、門下にも迫害が及んだ大難の時、本物の信心かどうか、真正の弟子かどうかが明らかになったのです。
乙御前の母は女性でありながら、鎌倉から佐渡まで足を運ばれました。その志を「うつつならざる不思議なり」(同ページ)と、最大にたたえられたのです。
仏法を破壊しようとする障魔は、大聖人を流罪にすることで、師弟の絆を引き裂こうとしたとも言えます。
しかし、求道心に燃える乙御前の母の信心は、いささかも揺らぐことはありませんでした。私たち四国の同志と池田先生の師弟の絆も、だれも断ち切ることのできない三世の宿縁です。
計3度に及んだ"求道の航海"の翌年(=1981年<昭和56年>)、四国の青年部は、"池田先生の真実を示そう"と、先生の平和・文化・教育の行動を紹介する展示を開催することにしました。
識者との会見や行動をつぶさに調べ、分野別、年代別などに分類していきました。その資料は膨大な数になり、"一人の人間がここまでできるのか"と、師の偉大さを痛感しました。
手作りの展示は、同年10月3日から1カ月にわたって四国研修道場で開催され、6万1000人が観賞。真実の前では誹謗や中傷も無力で、"だれが何を言おうが、自分たちの師匠は池田先生しかない"と、皆が歓喜しました。
その直後の11月、先生が電撃的に四国を訪問。「もう一度、私が指揮を執らせていただきます!」「私の心を知ってくださる方は、一緒に戦ってください!」と師子吼され、反転攻勢の火ぶたを切られたのです。さらに「桂冠詩人」の称号が贈られて最初の作品「紅の歌」を作ってくださったのです。
本抄で「問い訪う」(御書1220ページ)とは、師匠の元に足を運ぶことですが、それは「志をかさぬれば」(同1221ページ)と仰せの通り、どこまでも師匠を求め抜くことであり、わが心を師匠の心に合致させていくことでもあります。あの"行動展"で、師匠を求めたからこそ、師匠と弟子の心が合致することができたのです。
その後も先生は、"師の詩心を宣揚したい"との青年たちの熱き思いをくみ取られ、さまざまな提案等をしてくださいました。こうした師弟の共同作業の結晶である"桂冠詩人展"は、91年に始まり、多くの識者が訪れ、感動の声を寄せてくださっています。
忘れられないのは、池田先生と対談集を編まれたキルギス共和国が誇る文豪チンギス・アイトマートフ氏です。
氏は、先生が四国の同志に贈られた「純白の/心に大雪/思い出と/アジアの交流/果たせし嬉しさ」のお歌について、次のように語ってくださいました。
「雪は非常に不便だし、寒いし、また、この詩がつくられたのは、大雪のために飛行機が飛ばなくて、あやうく移動できなかった折のことと聞いております。私だったら早く溶ければいい、こんなのは邪魔だ、と思うでしょう。しかし、池田先生という詩人は、それを自然の永遠性の表れであると"本質"を見抜かれたんだと思います」
私もこのお歌で、心がパッと晴れ渡りました。先生の詩心は、あらゆる差異を超えて、人間をより強く、幸福にしていく力があるのです。
池田先生は、四国を「志国」「詩国」「師国」とたたえてくださっています。
広宣流布の闘志が真っ赤に燃える「志国」。人間讃歌をつづりゆく「詩国」。師弟共戦の歴史を開く「師国」——を築き上げることこそ、弟子の私たちの使命です。
「万葉の詩 ともどもに」と、師と共に、同志と共に、人間革命の勝利の大叙事詩をつづりゆきましょう。
★池田先生の指針から——
何事も勝つことである。
勝つことは喜びであり、功徳であり、幸福である。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
私は、四国の地から、四国の同志とともに、反転攻勢の指揮を執り始めた。そして今日までの、世界広宣流布の大道を勝ち開いてきたのである。
原点は四国である。
その前年、昭和55年の1月には、四国の千人の同志が、横浜にいる私のもとへ、はるばる船で駆けつけてくださった。これも、広布の歴史に永遠に残りゆく光景である。
四国は、私とともに「正義」の歴史を創り、「闘争」の歴史を残し、そして「勝利」の歴史を開いてきた。そのことを明言しておきたい。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
信仰とは「精神の強さ」である。人間としての「生きる力」の泉である。弱い信仰は、本当の信仰ではないのである。
強き人には、"苦悩の烈風"さえも"歓喜の春風"に感じられる。
弱き人は、すべてが地獄の苦しみとなる。それでは敗北者の姿である。
「友のために」「広宣流布のために」——悪と戦い、一切の苦悩をも楽しみながら、悠然と前進してまいりたい。
(2001年1月、第1回四国総会でのスピーチ、『池田大作全集』第92巻所収)
信ずるなり」御聖訓。
地道な実践を貫く人が
最後は必ず勝つ。
弛みなき前進の日々を!
立正安国論 P26
『蒼蠅驥尾に附して万里を渡り碧蘿松頭に懸りて千尋を延ぶ』
【通解】
小さな青バエも駿馬の尾につかまって万里を行くことができ、葛は大きな松の木にかかって千尋に伸に伸びることができる。
名字の言 小よく大を制す——炎鵬の心意気 2020年2月7日
武道の世界では「小よく大を制す」という言葉が使われる。人気力士・炎鵬は、その代名詞であろう▼幕内力士の平均体重が160キロを超える中、最軽量の99キロの体から繰り出す多彩な技で相手を翻弄する。初場所では4場所連続の勝ち越しを決めた▼大学時代に世界相撲選手権・軽量級で2連覇。だが"自分の体格でプロは無理"と思い、一般就職するつもりだった。そんな彼の素質に注目していたのが横綱・白鵬である。角界入りした炎鵬は、"相撲人生を完全燃焼する"と決め、入門直後から横綱との、ぶつかり稽古を懇願。"横綱に向かっていけば強くなれる"と、何百回、何千回、倒されても挑み続けた。こうして磨き上げた"強さ"が今、土俵の上で発揮されている▼あえて厳しい環境に飛び込み、自らを磨く。この精神は我らの実践にも通じる。御書に「法華経の行者」を「求羅」という伝説上の虫に譬えた箇所が。「求羅」の身は極めて小さいが、風を受けると、それを食べて非常に大きくなる。この「求羅」を倍増させる風とは"大難"であると、日蓮大聖人は示されている▼大いなる目標に挑むことが、大いなる自分への一歩となる。困難の壁にも、思い切ってぶつかる心の強さから、不可能を可能にする勝利が開けていく。(差)
寸鉄 2020年2月7日
会長は仏教の最善の側面を高め人間主義を拡大—名誉教授。共生社会の光
男子部大学校生が対話に挑戦。"若さ"には無限の力が!情熱を込めて語れ
うんと苦労してこそ人間は偉大に—恩師。弱き心に祈り勝ち、境涯を開け
新成人の半数が「未来は明るくない」と。希望紡ぐ創価の青年運動の使命大
受験生はマスク着用を—大学、予備校が呼び掛け。健康第一で栄光の春へ!
☆心に御書を 第18回 折伏は報恩感謝の大道
〈御文〉
『日蓮は・うけがたくして人身をうけ・値いがたくして仏法に値い奉る、一切の仏法の中に法華経に値いまいらせて候、其の恩徳ををもへば父母の恩・国主の恩・一切衆生の恩なり』(千日尼御前御返事、1311ページ)
〈通解〉
日蓮は、受け難い人身を受け、値い難い仏法に値うことができた。一切の仏法の中でも法華経に値うことができたのである。その恩徳を考えてみれば、父母の恩、国主の恩、一切衆生の恩である。
〈池田先生が贈る指針〉
二月闘争で私は呼び掛けた——弘教の大波で、御本仏の御聖誕、恩師の誕生の月を飾ろう!と。 青年の一念に皆が呼応してくれた。
受けがたき人身を受け、値いがたき妙法を持った我らだ。宿命を使命に転じ、友の幸福を祈る。この地涌の歓喜を語り抜こう! ここに最極の報恩があり、仏法者の本懐があるからだ。
☆心大歓喜——紅燃ゆる志の天地・四国 四国教学部長 高橋浩之☆
今回の「心大歓喜——紙上講義で学ぼう」には、高橋四国教学部長が登場。「乙御前御消息」の御文を拝し、広宣流布の闘志が赤々と燃える師弟求道の「志国」の誇りと使命について、つづってもらいます。
= 御文 =
『鎌倉に候いし時は念仏者等はさてをき候いぬ、法華経を信ずる人人は志あるも・なきも知られ候はざりしかども・御勘気を・かほりて佐渡の島まで流されしかば問い訪う人もなかりしに・女人の御身として・かたがた御志ありし上・我と来り給いし事うつつならざる不思議なり』(乙御前御消息、1220ページ1行目〜3行目)
= 通解 =
(私が)鎌倉にいた時には、念仏者等はさておいて、法華経を信ずる人たちは、だれが信心があるのか、ないのか、分かりませんでした。
しかし、御勘気(幕府による処罰)を受けて佐渡の島まで流されると、問い訪れてくる人もなかったのに、あなたは女性の身で、さまざまに信心の御志を示されたうえ、自ら(佐渡まで)来られたことは、現実とは思えないほど不思議なことです。
◇広布の闘志をたぎらせ師弟勝利の大叙事詩を
四国は、客船「さんふらわあ7」号で、障魔の波濤を越えて、師の待つ神奈川へと向かった"師弟求道の航海"から40周年の佳節を勝利で飾ることができました。紅のごとく燃ゆる"師を求める志"が、正義の「志国」の誇りであり、勝利の原点です。
今回拝する「乙御前御消息」は、再びの蒙古襲来が予期され、社会が騒然とする中、娘の乙御前と共に師弟の道を貫き通した母に、いよいよ強盛の信心に励むことを教えられた御書です。
「志あるも・なきも知られ候はざりしかども」(御書1220ページ)と仰せの通り、大聖人が鎌倉におられた時には、だれが信じる心を持っているのか分かりませんでした。しかし、大聖人が流罪され、門下にも迫害が及んだ大難の時、本物の信心かどうか、真正の弟子かどうかが明らかになったのです。
乙御前の母は女性でありながら、鎌倉から佐渡まで足を運ばれました。その志を「うつつならざる不思議なり」(同ページ)と、最大にたたえられたのです。
仏法を破壊しようとする障魔は、大聖人を流罪にすることで、師弟の絆を引き裂こうとしたとも言えます。
しかし、求道心に燃える乙御前の母の信心は、いささかも揺らぐことはありませんでした。私たち四国の同志と池田先生の師弟の絆も、だれも断ち切ることのできない三世の宿縁です。
計3度に及んだ"求道の航海"の翌年(=1981年<昭和56年>)、四国の青年部は、"池田先生の真実を示そう"と、先生の平和・文化・教育の行動を紹介する展示を開催することにしました。
識者との会見や行動をつぶさに調べ、分野別、年代別などに分類していきました。その資料は膨大な数になり、"一人の人間がここまでできるのか"と、師の偉大さを痛感しました。
手作りの展示は、同年10月3日から1カ月にわたって四国研修道場で開催され、6万1000人が観賞。真実の前では誹謗や中傷も無力で、"だれが何を言おうが、自分たちの師匠は池田先生しかない"と、皆が歓喜しました。
その直後の11月、先生が電撃的に四国を訪問。「もう一度、私が指揮を執らせていただきます!」「私の心を知ってくださる方は、一緒に戦ってください!」と師子吼され、反転攻勢の火ぶたを切られたのです。さらに「桂冠詩人」の称号が贈られて最初の作品「紅の歌」を作ってくださったのです。
本抄で「問い訪う」(御書1220ページ)とは、師匠の元に足を運ぶことですが、それは「志をかさぬれば」(同1221ページ)と仰せの通り、どこまでも師匠を求め抜くことであり、わが心を師匠の心に合致させていくことでもあります。あの"行動展"で、師匠を求めたからこそ、師匠と弟子の心が合致することができたのです。
その後も先生は、"師の詩心を宣揚したい"との青年たちの熱き思いをくみ取られ、さまざまな提案等をしてくださいました。こうした師弟の共同作業の結晶である"桂冠詩人展"は、91年に始まり、多くの識者が訪れ、感動の声を寄せてくださっています。
忘れられないのは、池田先生と対談集を編まれたキルギス共和国が誇る文豪チンギス・アイトマートフ氏です。
氏は、先生が四国の同志に贈られた「純白の/心に大雪/思い出と/アジアの交流/果たせし嬉しさ」のお歌について、次のように語ってくださいました。
「雪は非常に不便だし、寒いし、また、この詩がつくられたのは、大雪のために飛行機が飛ばなくて、あやうく移動できなかった折のことと聞いております。私だったら早く溶ければいい、こんなのは邪魔だ、と思うでしょう。しかし、池田先生という詩人は、それを自然の永遠性の表れであると"本質"を見抜かれたんだと思います」
私もこのお歌で、心がパッと晴れ渡りました。先生の詩心は、あらゆる差異を超えて、人間をより強く、幸福にしていく力があるのです。
池田先生は、四国を「志国」「詩国」「師国」とたたえてくださっています。
広宣流布の闘志が真っ赤に燃える「志国」。人間讃歌をつづりゆく「詩国」。師弟共戦の歴史を開く「師国」——を築き上げることこそ、弟子の私たちの使命です。
「万葉の詩 ともどもに」と、師と共に、同志と共に、人間革命の勝利の大叙事詩をつづりゆきましょう。
★池田先生の指針から——
何事も勝つことである。
勝つことは喜びであり、功徳であり、幸福である。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
私は、四国の地から、四国の同志とともに、反転攻勢の指揮を執り始めた。そして今日までの、世界広宣流布の大道を勝ち開いてきたのである。
原点は四国である。
その前年、昭和55年の1月には、四国の千人の同志が、横浜にいる私のもとへ、はるばる船で駆けつけてくださった。これも、広布の歴史に永遠に残りゆく光景である。
四国は、私とともに「正義」の歴史を創り、「闘争」の歴史を残し、そして「勝利」の歴史を開いてきた。そのことを明言しておきたい。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
信仰とは「精神の強さ」である。人間としての「生きる力」の泉である。弱い信仰は、本当の信仰ではないのである。
強き人には、"苦悩の烈風"さえも"歓喜の春風"に感じられる。
弱き人は、すべてが地獄の苦しみとなる。それでは敗北者の姿である。
「友のために」「広宣流布のために」——悪と戦い、一切の苦悩をも楽しみながら、悠然と前進してまいりたい。
(2001年1月、第1回四国総会でのスピーチ、『池田大作全集』第92巻所収)
2020年2月6日木曜日
2020.02.06 わが友に贈る
仕事や体調等の理由で
会合に出られない人に
温かな声を掛けよう!
徹底して一人を大切に!
これが仏法の精神だ。
上野殿御返事 P1557
『とにかくに法華経に身をまかせ信ぜさせ給へ、殿一人にかぎるべからず信心をすすめ給いて過去の父母等をすくわせ給へ』
【通解】
ともかくも法華経に身をまかせて信じていきなさい。あなた一人だけが信ずるだけでなく、信心をすすめて、過去の父母等を救っていきなさい。
名字の言 子どもの絵が荷台に描かれたトラックを見たことがありますか? 2020年2月6日
車体の背面や側面に子どもが描いた絵を印刷したトラックを街でよく目にする。そんな車が並ぶ運送会社の従業員に話を聞くと「大切な家族を背負っていると思うと、運転も優しくなるなあ」と笑った▼この運送会社では、絵を施して以来、交通事故はゼロ、業績も上向きになったという。絵を見た後続車の運転手も、安全運転を意識するだろう。得意先も、無事故の会社に仕事を頼むに違いない。そう思えば合点がいく▼ある壮年部員は、息子が小学生の時に書いた絵日記を宝物にしている。あるページには「パパとごんぎょうをしました。みらいぶいん会にも行きました。楽しかったです。また行きたいです」とあった▼息子の無垢な心を力に、壮年は幾つもの試練を乗り越えてきた。大病も克服。失職した際も「心配するな」と言い、アルバイトを掛け持ちして息子の学費を工面。その後、好待遇での再就職を果たした▼池田先生は詠んだ。「子々孫々 末代までの 功徳をば 父たる あなたの 因果の土台で」。俗に「二八」(2月と8月)は商売が振るわないといわれる。仕事などで苦難の渦中の壮年もいるだろう。だが負けるまい。さまざまな試練に遭うほど、広布の父の心には"創価家族を守り抜く"との誓願の炎がいや増す。(代)
寸鉄 2020年2月5日
「地涌の菩薩の皆さん、やろうではないか」戸田先生。勇んで対話拡大へ
「師とをもひあわぬいのり」は叶わないと御書に。報恩の心が広布の原動力
ささやかな一言が人間を善く変えられる—詩人。出会い一つに真心込めて
付きまとわれた等、怖い目に遭った児童は70人に1人。保護者が意識強く
SNSを長く使う人ほど孤独を感じやすい—調査会って語るが心結ぶ基本
☆SGI発足45周年 当時から現在、そして未来を語る
1975年1月26日、アメリカ・グアムの国際貿易センタービルに、世界51カ国・地域の代表158人が集い、第1回「世界平和会議」が開かれた。
席上、世界平和の建設を目指す国際的機構として「SGI(創価学会インタナショナル)」が発足。池田先生がSGI会長に就任した。
この日の参加者は皆、"後世に残る重大な記録"として、署名を行うことになっていた。ペンを手にした先生は、国籍を記す欄に「世界」と。恩師・戸田城聖先生の「地球民族主義」という言葉を胸に、"世界を祖国とし、世界の人々のために尽くし抜く"との誓いが込められていた。
◇"平和の種"を蒔く尊い一生を共に!
この日、池田先生は訴えた。
「全世界に妙法という平和の種を蒔いて、その尊い一生を終わってください。私もそうします」
出席した各国のリーダーは"広布の開拓者"との誇りに燃え、わが使命の地に平和を広げゆくことを誓った。
この原点から45星霜——先生の不惜身命の闘争と、師と心一つに"良き市民"として自他共の幸福を開く友の奮闘によって、創価の人間主義の連帯は、192カ国・地域へと発展した。
ここでは、第1回「世界平和会議」の運営に携わったアメリカSGIの友、グアム準州議会のジュディ・ウォンパット元議長、そしてグアム青年部の代表の声を紹介する。
〈当時を語る〉世界平和会議の事務局長 ジェリー・ホールさん
◇後世に輝く重要な一歩
45年前の1月、私は第1回「世界平和会議」の事務局長を担い、代表で「平和宣言」を読み上げさせていただきました。直接、池田先生のスピーチを聞き、"世界広布が現実のものとなっている"と確信したことを鮮明に覚えています。
しかし当時は、会議を円滑に進めることに集中していたので、この一歩がこれほど後世に輝く歴史になるとは考えもしませんでした。この時の自分自身は、"小さな一歩が踏み出された"くらいに感じていたのかもしれません。しかし後で振り返った時に、ここから歴史がつくられていったのだと痛感させられます。
だからこそ、今の青年部の皆さんには、いかなる広布の戦いも、皆さんが今感じているより、ずっと大きく重要な意義があり、その価値は後になって必ず分かる時が訪れるということを訴えたいのです。
SGI発足の会合の後、各国に戻っていった友は、死身弘法の精神で妙法流布に駆け巡り、師との誓願を果たそうと"平和の種"を蒔き続けました。その結果、今日の192カ国・地域に広がる堂々たる創価の連帯が構築されたのです。こうした点から、池田先生は、「世界平和会議」の参加者に"平和は必ず実現できる!"との"確信の種"を蒔いてくださったと思えてなりません。
私自身、人類の平和と幸福のために戦う師匠と同じ方向を向いて、生涯、広布に生き抜いてまいります。
〈現在を語る〉グアム準州議会 ジュディ・ウォンパット元議長
◇学会の地域貢献に共感
これまで私たちは、島の教育者や異なる宗教組織の代表らを交え、「平和の文化」の促進を巡るフォーラムを開催したり、グアム大学で「世界の子どもたちのための平和の文化の建設」展や「ガンジー・キング・イケダ——平和建設の遺産」展を行ったりするなど、地元SGIの方々と協力しながら、島の人々と共生の哲学を共有してきました。
こうした活動を通して、異文化間の相互理解を進め、地域に貢献しようと尽力するSGIメンバーに対して、多くの人々が共感を寄せています。"グアムのSGIの運動こそ、太平洋地域全体の平和への出発点だ"と語る島民もいます。
私たちグアムの島民は、長年にわたり、戦争と侵略の歴史に耐え抜いてきました。苦難を経験してきたからこそ、島民一人一人が幸せに暮らしていけるような社会を構築したいと、強く念願します。
グアムは、小さな島かもしれません。しかし、個人の幸福と平和をつくる哲理を地域社会に確立していけば、その影響力は、世界に波動を起こしていけると確信しています。
〈未来を語る〉地元グアムの男子部本部長 パトリック・サラスさん
◇原点胸に弟子の陣列を
SGIが結成された第1回「世界平和会議」で、池田先生は、「皆さん方は、どうか、自分自身が花を咲かせようという気持ちでなくして、全世界に妙法という平和の種を蒔いて、その尊い一生を終わってください。私もそうします」と呼び掛けられました。
グアムでは、皆がこの原点をわが指針と定め、生命尊厳の仏法哲学を根幹とした人生を歩もうと、努力を重ねています。
毎月の青年部座談会や御書学習会を通して、信心の素晴らしさを心に刻みながら、友人との対話に挑戦。また7年前からは、不戦の誓いを次代に継承させるとの意義を込めて、地域住民や行政関係者らと共に「ラッテ平和祭」を共催するなど、信頼の輪を広げる取り組みを続けています。
意義深き本年、グアム青年部は、「6000人の青年の拡大」を目指す、アメリカSGIの戦いをけん引するとの決意で、新任のベラ・ファゴタ女子部本部長と心一つに、弘教に励んでいます。
明年初頭には、SGI発足の集いが行われた国際貿易センタービルのほど近い地に、待望の新「グアム会館」が完成予定です。
同会館の建設のつち音が鳴り響く今、私たちは"世界平和の電源地"で広布に走る誇りを胸に、各部一体で師の万感の期待に応えゆく、弟子の陣列を築いてまいります。
会合に出られない人に
温かな声を掛けよう!
徹底して一人を大切に!
これが仏法の精神だ。
上野殿御返事 P1557
『とにかくに法華経に身をまかせ信ぜさせ給へ、殿一人にかぎるべからず信心をすすめ給いて過去の父母等をすくわせ給へ』
【通解】
ともかくも法華経に身をまかせて信じていきなさい。あなた一人だけが信ずるだけでなく、信心をすすめて、過去の父母等を救っていきなさい。
名字の言 子どもの絵が荷台に描かれたトラックを見たことがありますか? 2020年2月6日
車体の背面や側面に子どもが描いた絵を印刷したトラックを街でよく目にする。そんな車が並ぶ運送会社の従業員に話を聞くと「大切な家族を背負っていると思うと、運転も優しくなるなあ」と笑った▼この運送会社では、絵を施して以来、交通事故はゼロ、業績も上向きになったという。絵を見た後続車の運転手も、安全運転を意識するだろう。得意先も、無事故の会社に仕事を頼むに違いない。そう思えば合点がいく▼ある壮年部員は、息子が小学生の時に書いた絵日記を宝物にしている。あるページには「パパとごんぎょうをしました。みらいぶいん会にも行きました。楽しかったです。また行きたいです」とあった▼息子の無垢な心を力に、壮年は幾つもの試練を乗り越えてきた。大病も克服。失職した際も「心配するな」と言い、アルバイトを掛け持ちして息子の学費を工面。その後、好待遇での再就職を果たした▼池田先生は詠んだ。「子々孫々 末代までの 功徳をば 父たる あなたの 因果の土台で」。俗に「二八」(2月と8月)は商売が振るわないといわれる。仕事などで苦難の渦中の壮年もいるだろう。だが負けるまい。さまざまな試練に遭うほど、広布の父の心には"創価家族を守り抜く"との誓願の炎がいや増す。(代)
寸鉄 2020年2月5日
「地涌の菩薩の皆さん、やろうではないか」戸田先生。勇んで対話拡大へ
「師とをもひあわぬいのり」は叶わないと御書に。報恩の心が広布の原動力
ささやかな一言が人間を善く変えられる—詩人。出会い一つに真心込めて
付きまとわれた等、怖い目に遭った児童は70人に1人。保護者が意識強く
SNSを長く使う人ほど孤独を感じやすい—調査会って語るが心結ぶ基本
☆SGI発足45周年 当時から現在、そして未来を語る
1975年1月26日、アメリカ・グアムの国際貿易センタービルに、世界51カ国・地域の代表158人が集い、第1回「世界平和会議」が開かれた。
席上、世界平和の建設を目指す国際的機構として「SGI(創価学会インタナショナル)」が発足。池田先生がSGI会長に就任した。
この日の参加者は皆、"後世に残る重大な記録"として、署名を行うことになっていた。ペンを手にした先生は、国籍を記す欄に「世界」と。恩師・戸田城聖先生の「地球民族主義」という言葉を胸に、"世界を祖国とし、世界の人々のために尽くし抜く"との誓いが込められていた。
◇"平和の種"を蒔く尊い一生を共に!
この日、池田先生は訴えた。
「全世界に妙法という平和の種を蒔いて、その尊い一生を終わってください。私もそうします」
出席した各国のリーダーは"広布の開拓者"との誇りに燃え、わが使命の地に平和を広げゆくことを誓った。
この原点から45星霜——先生の不惜身命の闘争と、師と心一つに"良き市民"として自他共の幸福を開く友の奮闘によって、創価の人間主義の連帯は、192カ国・地域へと発展した。
ここでは、第1回「世界平和会議」の運営に携わったアメリカSGIの友、グアム準州議会のジュディ・ウォンパット元議長、そしてグアム青年部の代表の声を紹介する。
〈当時を語る〉世界平和会議の事務局長 ジェリー・ホールさん
◇後世に輝く重要な一歩
45年前の1月、私は第1回「世界平和会議」の事務局長を担い、代表で「平和宣言」を読み上げさせていただきました。直接、池田先生のスピーチを聞き、"世界広布が現実のものとなっている"と確信したことを鮮明に覚えています。
しかし当時は、会議を円滑に進めることに集中していたので、この一歩がこれほど後世に輝く歴史になるとは考えもしませんでした。この時の自分自身は、"小さな一歩が踏み出された"くらいに感じていたのかもしれません。しかし後で振り返った時に、ここから歴史がつくられていったのだと痛感させられます。
だからこそ、今の青年部の皆さんには、いかなる広布の戦いも、皆さんが今感じているより、ずっと大きく重要な意義があり、その価値は後になって必ず分かる時が訪れるということを訴えたいのです。
SGI発足の会合の後、各国に戻っていった友は、死身弘法の精神で妙法流布に駆け巡り、師との誓願を果たそうと"平和の種"を蒔き続けました。その結果、今日の192カ国・地域に広がる堂々たる創価の連帯が構築されたのです。こうした点から、池田先生は、「世界平和会議」の参加者に"平和は必ず実現できる!"との"確信の種"を蒔いてくださったと思えてなりません。
私自身、人類の平和と幸福のために戦う師匠と同じ方向を向いて、生涯、広布に生き抜いてまいります。
〈現在を語る〉グアム準州議会 ジュディ・ウォンパット元議長
◇学会の地域貢献に共感
これまで私たちは、島の教育者や異なる宗教組織の代表らを交え、「平和の文化」の促進を巡るフォーラムを開催したり、グアム大学で「世界の子どもたちのための平和の文化の建設」展や「ガンジー・キング・イケダ——平和建設の遺産」展を行ったりするなど、地元SGIの方々と協力しながら、島の人々と共生の哲学を共有してきました。
こうした活動を通して、異文化間の相互理解を進め、地域に貢献しようと尽力するSGIメンバーに対して、多くの人々が共感を寄せています。"グアムのSGIの運動こそ、太平洋地域全体の平和への出発点だ"と語る島民もいます。
私たちグアムの島民は、長年にわたり、戦争と侵略の歴史に耐え抜いてきました。苦難を経験してきたからこそ、島民一人一人が幸せに暮らしていけるような社会を構築したいと、強く念願します。
グアムは、小さな島かもしれません。しかし、個人の幸福と平和をつくる哲理を地域社会に確立していけば、その影響力は、世界に波動を起こしていけると確信しています。
〈未来を語る〉地元グアムの男子部本部長 パトリック・サラスさん
◇原点胸に弟子の陣列を
SGIが結成された第1回「世界平和会議」で、池田先生は、「皆さん方は、どうか、自分自身が花を咲かせようという気持ちでなくして、全世界に妙法という平和の種を蒔いて、その尊い一生を終わってください。私もそうします」と呼び掛けられました。
グアムでは、皆がこの原点をわが指針と定め、生命尊厳の仏法哲学を根幹とした人生を歩もうと、努力を重ねています。
毎月の青年部座談会や御書学習会を通して、信心の素晴らしさを心に刻みながら、友人との対話に挑戦。また7年前からは、不戦の誓いを次代に継承させるとの意義を込めて、地域住民や行政関係者らと共に「ラッテ平和祭」を共催するなど、信頼の輪を広げる取り組みを続けています。
意義深き本年、グアム青年部は、「6000人の青年の拡大」を目指す、アメリカSGIの戦いをけん引するとの決意で、新任のベラ・ファゴタ女子部本部長と心一つに、弘教に励んでいます。
明年初頭には、SGI発足の集いが行われた国際貿易センタービルのほど近い地に、待望の新「グアム会館」が完成予定です。
同会館の建設のつち音が鳴り響く今、私たちは"世界平和の電源地"で広布に走る誇りを胸に、各部一体で師の万感の期待に応えゆく、弟子の陣列を築いてまいります。
2020年2月5日水曜日
2020.02.05 わが友に贈る
冬の厳しさを知る人が
春の喜びを味わえる。
試練に立ち向かう君よ
断じて負けるな!
絶対勝利の信心なれば!
上野殿御返事 P1574
『人のものををしふると申すは車のおもけれども油をぬりてまわりふねを水にうかべてゆきやすきやうにをしへ候なり、仏になりやすき事は別のやう候はず、旱魃にかわけるものに水をあたへ寒冰にこごへたるものに火をあたふるがごとし』
【通解】
人がものを教えるというのは、車が重かったとしても油を塗ることによって回り、船を水に浮かべて行きやすくするように教えるのである。仏に成りやすい道というのは特別なことではない。干ばつの時に喉の渇いた者に水を与え、寒さに凍えた者に火を与えるようにすることである。
名字の言 『宮本武蔵』に描いた吉川英治の求道の精神 2020年2月5日
ファンにとって吉報だろう。来館者の減少などを理由に昨春、閉館した「吉川英治記念館」の再開が、このほど決まった▼同館が立つのは東京・青梅市にある吉川英治氏の自宅跡。代表作の一つ『宮本武蔵』(講談社)の「はしがき」(旧序抄)の結びには、「昭和二四・二月 於、吉野村」と記されている。青梅市の旧地名だ。同館を所有・運営していた財団法人が市に寄付したことで、文豪ゆかりの遺産が引き継がれる。本年9月に再オープンの予定だという▼池田先生は1987年、同館を訪問している。氏が書きとどめた「我以外皆我師」との言葉に触れた感慨を後年、つづった。「『生涯求道』ともいうべき深き探求の心を感じとった」と▼作中に描かれた武蔵は剣術を究めようとする孤高の人ではなかった。時に農民と共に鍬を振るい、書や絵にも親しんだ。市井の人々や楽器の構造一つからも何かを学び取ろうとした。「どこまで自分を人間として高めうるか」との求道心で、あらゆるものを師と捉えた。宿敵・佐々木小次郎が自らの武を誇り、どこか他人を侮る姿に描かれたのとは対照的である▼青梅市の花は「梅」。花言葉の一つは「澄んだ心」という。青年のようなみずみずしい心で謙虚に自身を磨く人は、"生涯前進"の輝きに満ちている。(之)
寸鉄 2020年2月5日
「地涌の菩薩の皆さん、やろうではないか」戸田先生。勇んで対話拡大へ
「師とをもひあわぬいのり」は叶わないと御書に。報恩の心が広布の原動力
ささやかな一言が人間を善く変えられる—詩人。出会い一つに真心込めて
付きまとわれた等、怖い目に遭った児童は70人に1人。保護者が意識強く
SNSを長く使う人ほど孤独を感じやすい—調査会って語るが心結ぶ基本
☆四季の励まし 「生命の力」に限界なし 2020年2月2日
冬は、鍛えの季節である。
試練に負けないで
力をつける時だ。
草花や木々たちも、
動物や昆虫たちも、
凍てつく
寒さに耐えながら、
春を迎えるために、
一生懸命に
準備をしている。
未来に、どのような
才能の芽を伸ばし、
そして勝利の花を
咲かせていくか。
そのための芽生えは、
自分自身の心の中にある。
「自分には無理だ」などと
決めつけては
絶対にいけない。
生命には
宇宙大の力がある。
それを引き出すのが
妙法である。
「必ずできる!」と
固く心に決めるのだ。
一心不乱の祈りと行動が、
限界の壁をつき破る。
苦労しているから、
人に寄り添える。
悲哀に負けないから、
嘆きの友を励ませる。
悩める人を
幸福にするために、
自らが悩みを乗り越え、
勝利の実証を!——
これが広布に生きる
師弟の誓願である。
「自分のことを
思ってくれる人がいる」
——その手応えが、
苦悩の人の生命空間を、
すっと広げてくれる。
他人や世界と
"共にある"という
実感があれば、
必ず
立ち上がることができる。
それが
生命のもっている力だ。
強盛な祈りで立ち上がれ!
題目は師子吼だ。
滾々と勇気が湧き、
満々と生命力が漲る。
さあ、いよいよ、
これからだ!
人間の中へ、
民衆の中へ、
勇んで飛び込み、
大誠実の力で、
我らは勝利していくのだ。
春の喜びを味わえる。
試練に立ち向かう君よ
断じて負けるな!
絶対勝利の信心なれば!
上野殿御返事 P1574
『人のものををしふると申すは車のおもけれども油をぬりてまわりふねを水にうかべてゆきやすきやうにをしへ候なり、仏になりやすき事は別のやう候はず、旱魃にかわけるものに水をあたへ寒冰にこごへたるものに火をあたふるがごとし』
【通解】
人がものを教えるというのは、車が重かったとしても油を塗ることによって回り、船を水に浮かべて行きやすくするように教えるのである。仏に成りやすい道というのは特別なことではない。干ばつの時に喉の渇いた者に水を与え、寒さに凍えた者に火を与えるようにすることである。
名字の言 『宮本武蔵』に描いた吉川英治の求道の精神 2020年2月5日
ファンにとって吉報だろう。来館者の減少などを理由に昨春、閉館した「吉川英治記念館」の再開が、このほど決まった▼同館が立つのは東京・青梅市にある吉川英治氏の自宅跡。代表作の一つ『宮本武蔵』(講談社)の「はしがき」(旧序抄)の結びには、「昭和二四・二月 於、吉野村」と記されている。青梅市の旧地名だ。同館を所有・運営していた財団法人が市に寄付したことで、文豪ゆかりの遺産が引き継がれる。本年9月に再オープンの予定だという▼池田先生は1987年、同館を訪問している。氏が書きとどめた「我以外皆我師」との言葉に触れた感慨を後年、つづった。「『生涯求道』ともいうべき深き探求の心を感じとった」と▼作中に描かれた武蔵は剣術を究めようとする孤高の人ではなかった。時に農民と共に鍬を振るい、書や絵にも親しんだ。市井の人々や楽器の構造一つからも何かを学び取ろうとした。「どこまで自分を人間として高めうるか」との求道心で、あらゆるものを師と捉えた。宿敵・佐々木小次郎が自らの武を誇り、どこか他人を侮る姿に描かれたのとは対照的である▼青梅市の花は「梅」。花言葉の一つは「澄んだ心」という。青年のようなみずみずしい心で謙虚に自身を磨く人は、"生涯前進"の輝きに満ちている。(之)
寸鉄 2020年2月5日
「地涌の菩薩の皆さん、やろうではないか」戸田先生。勇んで対話拡大へ
「師とをもひあわぬいのり」は叶わないと御書に。報恩の心が広布の原動力
ささやかな一言が人間を善く変えられる—詩人。出会い一つに真心込めて
付きまとわれた等、怖い目に遭った児童は70人に1人。保護者が意識強く
SNSを長く使う人ほど孤独を感じやすい—調査会って語るが心結ぶ基本
☆四季の励まし 「生命の力」に限界なし 2020年2月2日
冬は、鍛えの季節である。
試練に負けないで
力をつける時だ。
草花や木々たちも、
動物や昆虫たちも、
凍てつく
寒さに耐えながら、
春を迎えるために、
一生懸命に
準備をしている。
未来に、どのような
才能の芽を伸ばし、
そして勝利の花を
咲かせていくか。
そのための芽生えは、
自分自身の心の中にある。
「自分には無理だ」などと
決めつけては
絶対にいけない。
生命には
宇宙大の力がある。
それを引き出すのが
妙法である。
「必ずできる!」と
固く心に決めるのだ。
一心不乱の祈りと行動が、
限界の壁をつき破る。
苦労しているから、
人に寄り添える。
悲哀に負けないから、
嘆きの友を励ませる。
悩める人を
幸福にするために、
自らが悩みを乗り越え、
勝利の実証を!——
これが広布に生きる
師弟の誓願である。
「自分のことを
思ってくれる人がいる」
——その手応えが、
苦悩の人の生命空間を、
すっと広げてくれる。
他人や世界と
"共にある"という
実感があれば、
必ず
立ち上がることができる。
それが
生命のもっている力だ。
強盛な祈りで立ち上がれ!
題目は師子吼だ。
滾々と勇気が湧き、
満々と生命力が漲る。
さあ、いよいよ、
これからだ!
人間の中へ、
民衆の中へ、
勇んで飛び込み、
大誠実の力で、
我らは勝利していくのだ。
2020年2月4日火曜日
2020.02.04 わが友に贈る
信用を築く根本は
約束を必ず守ること。
時間に遅れないこと。
「小事」が「大事」。
誠実一路の道を歩もう!
白米一俵御書 P1597
『法華経はしからず月こそ心よ花こそ心よと申す法門なり』
【通解】
法華経はそうではなく、「月がそのまま心、花がそのまま心」という法門なのである。
名字の言 巨匠たちが語るジャズの真髄とは? 2020年2月4日
ジャズの巨匠アート・ブレイキー氏がかつて、民音の招聘に応え、日本で公演したことがある。その折、音楽教室を開催し、学会の音楽隊・鼓笛隊にドラムの打ち方などを指導した。「形式や、型で打つのではない。心で打つのだ!」と▼ジャズの最大の特徴は「即興」にある。自らが発する音に他の奏者が反応し、他の奏者の音に自分も応えていく。その一音一音は奏者の心に湧き上がるもの。ゆえに一流のジャズ奏者であればあるほど、「心で演奏する」ことを強調するのだ▼ブレイキー氏とバンドを組んでいたウェイン・ショーター氏は語る。「自己を全面的にさらけ出し、心と心、本質と本質でぶつかり合う——それがジャズなのです」。いわばジャズは「楽器を通した対話」の芸術だ。心が響き合うほどにハーモニーは美しく研ぎ澄まされ、人の胸を打つ▼実際の対話も、共鳴し、高め合うところに醍醐味がある。小説『新・人間革命』第26巻「法旗」の章に「対話——それは、人間の心の扉を開く魂の打ち合いであり、良心の共鳴音を生み出すことができる生命の音楽である」とある▼「令和」に入り、初の「伝統の2月」。「令和」の英訳「ビューティフル・ハーモニー」のように、心を結ぶ"対話のハーモニー"をあの地この地で奏でよう。(澪)
寸鉄 2020年2月4日
個人主義の仏はいない—牧口先生。徹底して一人を励ます実践が広布の要
「東洋哲学研究所の日」。仏法の智慧で文明間・宗教間の架橋を—使命深く
中野の日。大東京に光る妙法の人材山脈。絶対できる!弾む心で対話拡大
「力は活動を止めた瞬間に消える」思想家。人生の栄冠は進み続ける人に
iPS細胞の活用で再生医療の発展加速と。価値ある生き方の探求も更に
☆第45回SGI提言� 日本で「気候変動と防災」の国連会合を
気候変動を巡る問題に焦点を当て日本で国連の防災会合を
◇災害の発生件数が10年で5倍に増加
第三の提案は、気候変動と防災に関するものです。
気候変動を巡って取り組みが迫られているのは、温室効果ガスの削減だけではありません。異常気象による被害の拡大を防止するための対応が待ったなしとなっています。
先月、スペインのマドリードで行われた気候変動枠組条約の第25回締約国会議(COP25)でも、この二つの課題を中心に討議が進められました。
COP25に寄せてNGOのオックスファムが発表した報告によると、気候変動による災害の発生件数は過去10年間で5倍にまで増加しているといいます。
世界全体でみると、地震などの災害や紛争よりも、気候変動が原因で避難した人数が圧倒的に多い状況が生じているのです。
そこで私は、「気候変動と防災」に関するテーマに特に焦点を当てた国連の会合を日本で行うことを提唱したい。
国連防災機関では、各国の政府代表や市民社会の代表などが参加する「防災グローバル・プラットフォーム会合(防災GP会合)」を、2007年から開催してきました。
2年ごとに会合を重ねる中で、2015年には仙台で行われた第3回「国連防災世界会議」をもってその開催に代えられたほか、昨年5月にスイスのジュネーブで会合が行われた際には、182カ国から4000人が参加して討議が進められました。
今後は3年ごとに開催される予定となっており、2022年に行われる防災GP会合を日本で開催して、異常気象による被害の拡大防止と復興の課題について集中的に討議していってはどうかと思うのです。
5年前の国連防災世界会議で採択された仙台防災枠組(※注5)では、災害の被災者を2030年までに大幅に減少させるなどの目標が打ち出されました。
これまで積み上げてきた各国の経験を生かしながら、異常気象による災害についても早急に対策を強化していくことが求められるのではないでしょうか。
すでにインフラ(社会基盤)の整備については、インドの呼び掛けで「災害に強いインフラのための連合」が昨年9月に発足しています。
これまで重点が置かれてきた地震などの災害への対応だけでなく、気候変動の影響にも強いインフラの構築を目指すグローバルな枠組みで、技術支援や能力開発に関する国際的な連携を進めるものです。
異常気象による被害が相次ぐ日本もこの連合に参加しており、インドをはじめ他の加盟国と協力しながら、防災GP会合でこの分野における国際指針のとりまとめをリードしていくことを提案したい。
また、防災GP会合の中心議題の一つとして、気候変動と防災に関する自治体の役割をテーマに取り上げ、その連携を大きく広げる機会にしていくべきだと思います。
現在、国連防災機関が「災害に強い都市の構築」を目指して進めるキャンペーンには、世界の4300を超える自治体が参加しています。そのなかには、モンゴルやバングラデシュのように、すべての市町村がキャンペーンに参加している国も出てきました。
キャンペーンが始まってから本年で10年になりますが、今後は異常気象への対応に特に重点を置く形で自治体間の連携を進めることが大切になると思います。
世界の人口の4割は海岸線から100キロ以内に住んでおり、その地域では気候変動の影響によるリスクが高まっています。
日本でも人口の多くが沿岸地域で暮らしています。中国や韓国をはじめ、アジアの沿岸地域の自治体と、「気候変動と防災」という共通課題を巡って互いの経験から学び、災害リスクを軽減するための相乗効果をアジア全体で生み出していくべきだと考えるのです。
本年6月には、アジア太平洋防災閣僚級会議がオーストラリアで行われます。会議を通じて自治体間の連携に関する議論を深め、2022年の防災GP会合でその世界的な展開につなげることを目指していってはどうでしょうか。
誰も置き去りにしない社会へレジリエンスの強化を推進
◇障がいのある人を取り巻く状況
加えて、次回の防災GP会合の開催にあたって呼び掛けたいのは、気候変動で深刻な影響を受ける人々を置き去りにしないための社会づくりについて、重点的に討議を行うことです。
男女平等と社会的包摂の促進を掲げた昨年のジュネーブでの会合では、登壇者の半数と参加者の4割を女性が占めたほか、120人以上の障がいのある人が参加しました。
SDGsのアドボケート(推進者)の一人で、会合に出席した南アフリカ共和国のエドワード・ンドプ氏は、災害時の社会的包摂への思いをこう述べました。
「障がい者は世界人口の15%を占める最大のマイノリティー(社会的な少数派)ですが、一貫して存在が忘れられてきました」
「(災害時に)障がい者を物理的に置き去りにしてしまう行為と、日常生活において排除が障がい者にもたらす極めて現実的な影響とは、つながりがあるのです」と。
脊髄性筋萎縮症を2歳の頃から患ってきたンドプ氏は、災害が起きた時に最も危険にさらされる人々に対する「社会的な態度の再構築」が必要となると訴えていたのです。
私は、防災と復興を支えるレジリエンス(困難を乗り越える力)の強化といっても、この一点を外してはならないと思います。
普段の生活の中で「共に生きる」というつながりを幾重にも育む土壌があってこそ、災害発生時から復興への歩みに至るまで、多くの人々の生命と尊厳を守る力を生み出し続けることができるからです。
また、ジュネーブ会合での災害とジェンダーを巡る討議でも、"目に映らない存在にされてきた人々"を"目に見える存在"にすることが大切になるとの指摘がありました。
日常生活において女性が置かれている状況は、社会的な慣習や差別意識などによって当たり前のように見なされることが多いために、本当に助けが必要な時に置き去りにされる恐れが強いことが懸念されます。
例えば、異常気象の影響で避難が必要になった時、女性は家を出るのが最後になることが多いといわれます。男性が離れた場所で働いている場合には、子どもたちや高齢者や病気の家族の世話をする必要があるため、家を出るのが遅れがちになるからです。
しかしその一方で、災害が起きた時に、地域で多くの人々を支える大きな力となってきたのは女性たちにほかなりませんでした。
◇昼間の星々の譬え
この点に関し、UNウィメン(国連女性機関)も、次のように留意を促しています。
被災直後から発揮されるリーダーシップや、地域でのレジリエンスの構築に果たす中心的役割など、防災における女性たちの実質的な貢献とともに、潜在的な貢献は、大きな可能性を持つ社会資産であるにもかかわらず、あまり注目されてこなかった——と。
明らかに存在するのに見過ごされがちになるという構造的な問題について考える時、私は大乗仏教の経典に出てくる"昼間の星々"の譬えを思い起こします。
天空には常に多くの星々が存在し、それぞれが輝きを放っているはずなのに、昼間は太陽の光があるために、星々の存在に意識が向かなくなることを示唆したものです。
日常生活においても災害時においても、地域での支え合いや助け合いの要の存在となってきたのは、女性たちであります。
地震などの災害に加えて、異常気象への対応策を考える上でも、あらゆる段階で女性の声を反映させることが、地域のレジリエンスの生命線になるのではないでしょうか。
本年は、ジェンダー平等の指針を明確に打ち出した第4回世界女性会議の「北京行動綱領」が採択されて25周年にあたります。
そこには、こう記されています。
「女性の地位向上及び女性と男性の平等の達成は、人権の問題であり、社会正義のための条件であって、女性の問題として切り離して見るべきではない。それは、持続可能で公正な、開発された社会を築くための唯一の道である」と。
このジェンダー平等の精神は、防災においても絶対に欠かせないものです。
その意味から言えば、災害にしても、気候変動に伴う異常気象にしても、インフラ整備などのハード面での防災だけでは、レジリエンスの強化を図ることはできない。
ジェンダー平等はもとより、日常生活の中で置き去りにされがちであった人々の存在を、地域社会におけるレジリエンスの同心円の中核に据えていくことが、強く求められると訴えたいのです。
私どもSGIも、信仰を基盤にした団体(FBO)として、災害時における緊急支援や、被災地の復興を後押しする活動に取り組む一方で、防災GP会合をはじめとする国際会議に継続して参加してきました。
2017年のメキシコでの防災GP会合では、「FBOによる地域主導の防災——仙台防災枠組の実践」と題するシンポジウムを行ったほか、キリスト教やイスラム教などさまざまな宗教的背景を持つFBOと協力して共同声明をまとめ、昨年のジュネーブ会合でも引き続いて共同声明を発表してきました。
また2018年3月に、他のFBOの4団体と連携して「持続可能な開発のためのアジア太平洋FBO連合(APFC)」を結成し、同年7月にモンゴルで開催されたアジア防災閣僚級会議に共同声明を提出しました。
そこには、私たち5団体の共通の決意を込めて、こう記しています。
「FBOの使命の根幹にあるのは、社会的な弱者を生む根本原因に対処する意志であり、社会の片隅に置かれた人々に希望と幸福をもたらすことである」
「信仰を基盤にした団体は、防災とレジリエンスの構築と人道的な行動を地域で進める上で重要な役割を果たしている」と。
今後も、この精神を他のFBOと共有しながら、すべての人々の尊厳を守るための社会的包摂のビジョンを掲げて、レジリエンスの強化を後押ししていきたいと思います。
☆第45回SGI提言� 「教育のための国際連帯税」を創設
「教育のための国際連帯税」を創設し人道危機下の子どもたちを支援
◇紛争や災害での心の傷を癒やす
最後に第四の提案として述べたいのは、紛争や災害などの影響で教育の機会を失った子どもたちへの支援強化です。
持続可能な地球社会を目指すといっても、次代を担う子どもたちの人権と未来を守ることが要石となると考えるからです。
本年9月に発効30周年を迎える、子どもの権利条約は、今や国連の加盟国数よりも多い196カ国・地域が参加する、世界で最も普遍的な人権条約となりました。
教育の権利の保障も明記される中、条約の発効時には約20%に及んでいた、小学校に通う機会を得られていない子どもの割合は、今では10%以下にまで減少しました。
しかしその前進の一方で、紛争や災害の影響を受けた国で暮らす子どもたちの多くが深刻な状況に直面しています。
例えば、紛争が続く中東のイエメンでは240万人の子どもたちが学校に通うことができず、学校施設も攻撃を受けてひどく損傷していたり、軍事拠点や避難場所に使用されたりしている所が数多くあります。
また、気候変動の影響による災害が続くバングラデシュでは、多くの家族が貧困や避難生活に追い込まれる中で、子どもたちの健康が危ぶまれているほか、教育の機会が失われている状態が広がっています。
世界では、こうした紛争や災害の影響で教育の機会を失った子どもや若者の数は1億400万人にも及んでいますが、人道支援の資金の中で教育に配分されるのは2%ほどにとどまってきました。
食糧や医薬品などの物資の支援と比べて、"人命には直接関わらない"といった理由で、緊急事態が起きた直後の期間のみならず、復興に向けた歩みが始まった時期以降も、後回しにされがちになってきたからです。
しかし、ユニセフ(国連児童基金)が強調するように、子どもたちにとって学校の存在は、日常を取り戻すための大切な空間にほかなりません。学校で友だちと一緒の時間を過ごすことは、紛争や災害で受けた心の傷を癒やすための手助けにもなります。
こうした問題を踏まえて、4年前の世界人道サミットで設立をみたのが、ユニセフが主導するECW(教育を後回しにはできない)基金でした。
緊急時の教育に特化した初めての基金であり、現在まで、人道危機に巻き込まれた190万人以上の子どもや若者たちに教育の機会を提供する道を開いてきました。
緊急時の教育支援は、人道危機が長期化した場合の教育支援とともに、子どもたちが安心と希望を取り戻し、将来の夢を思い描いて前に進むためのかけがえのない基盤となるだけでなく、地域や社会にとっても平和と安定をもたらす源泉となるものです。
ECW基金のヤスミン・シェリフ事務局長は、こう述べています。
「もし、その社会の市民と難民の人々が、読み書きができず、論理的な思考ができず、教師や弁護士や医師もいない場合、どうやって社会経済的に発展可能な社会を築くことができるというのでしょうか」
「教育は、平和と寛容と相互尊重を促進するための鍵です。女の子と男の子が教育に平等にアクセスできた場合には、暴力や紛争が発生する確率は37%も減るのです」と。
◇「失われた世代」を生み出さない
国連のSDGsで"すべての子どもたちに質の高い教育を"との目標が掲げられる中、紛争や災害の影響を受けた国で暮らす子どもたちが、「失われた世代」として置き去りになるようなことは、決してあってはならない。
ECW基金が設立された2016年の時点での推計では、人道危機に見舞われた7500万人の子どもたちに基礎教育を提供するには毎年85億ドル、1人あたりで年間113ドルが必要になると見込まれていました。
現在、その対象人数は1億400万人に及び、必要額も増えているものの、世界全体の1年間の軍事費である1兆8220億ドルのほんの一部に相当する資金を国際的な支援などで確保できれば、厳しい状況にある多くの子どもたちが、希望の人生を歩み出すきっかけを得られるのです。
その意味で私は、誰もが尊厳をもって安心して生きられる持続可能な地球社会を築くための挑戦の一環として、ECW基金の資金基盤の強化を図り、緊急時の教育支援を力強く進めていくことを呼び掛けたい。
かつて私は2009年の提言で、国連が当時進めていた「ミレニアム開発目標」の達成を後押しするために、国際連帯税などの革新的資金調達メカニズムの導入を促進することを提唱したことがあります。
SDGsの推進において、その必要性はさらに増しており、「教育のための国際連帯税」の創設をはじめ、資金基盤を強化するための方策を検討すべきではないでしょうか。
これまで連帯税としては、フランスなどの国々が導入している航空券連帯税(※注6)があり、エイズや結核やマラリアの感染症で苦しむ途上国の人々を支援するための国際的な資金に充てられてきました。
また5年前からは、発育阻害に苦しむ子どもたちを支援する国連の「ユニットライフ」の枠組みが進められています。
日本も昨年、開発のための革新的資金調達メカニズムのあり方を討議するリーディング・グループの議長国を務める中、7月に行われたG7(主要7カ国)開発大臣会合で、国際連帯税を含む革新的資金調達を活用する必要性について言及しました。
これまで日本は、内戦が続く中東のシリアで、ユニセフと連携して約10万人の小学生のために教科書を配布し、約6万2000人の子どもたちに文房具と学校用のカバンを支給してきました。またアフガニスタンでも、支援が不足しがちだった地域で70校の学校を建設し、約5万人の子どもたちが学習にふさわしい環境で授業を受けられるようになっています。
私は、教育分野の支援において豊かな実績を持つ日本が、「教育のための国際連帯税」をはじめ、さまざまなプランを検討する議論をリードしながら、ECW基金の資金基盤を強化するための枠組みづくりで積極的な役割を担うことを強く呼び掛けたいのです。
避難した先で教育の機会を得ることが、子どもと家族の心にどれだけ希望を灯すのか。
その一つの例を国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が紹介しています。
——中米のニカラグアで2人の子どもと暮らしていたある母親は、情勢不安が続く中、葛藤を抱きながら隣国コスタリカへの避難を決めた。「学校を辞めさせ、避難することは苦しい決断でした。でも、これ以上危険な目にあわせるわけにはいかなかった」と。
学校に在学証明書を取りに行くのも危険な中、小さなカバン一つで避難しなければならなかったため、子どもたちは避難先で学校に通うことができるだろうかと胸を痛めていたところ、コスタリカではすべての子どもに無償の初等教育が保障されていた。
特に、避難民がいるコスタリカ北部の小学校の多くでは、公的な書類がなくても入学でき、避難で学習が遅れてしまった子どものために補習などのシステムまで用意されていた。
そのおかげで、2人の子どもたちも教育の機会を取り戻すことができた。
14歳の兄は、「今一番うれしいことは勉強できること。将来はお医者さんになりたい」と目を輝かせ、10歳の妹と手をつないで元気に学校へ通うようになった。
学校の教員も、「故郷を離れなければならなかった子どもたちが、学校を家のように感じられるようになれば」との思いで迎え入れている——と。(UNHCR駐日事務所のウェブサイトを引用・参照)
人道危機によって教育の機会を失った1億400万人という膨大な数字の奥には、一人一人の子どもの存在があり、人生の物語があります。
この子どもたちにも同様に教育の機会が確保されれば、彼らが生きる希望を取り戻し、夢に向かって進むための足場となるに違いないと訴えたいのです。
「創価教育学体系」に脈打つ牧口会長と戸田会長の精神
◇ランプの絵柄に込められた思い
私どもSGIも、社会的な活動の三つの柱として、平和や文化とともに教育に力を入れ、「民衆の民衆による民衆のためのエンパワーメント(内発的な力の開花)」の取り組みを、世界192カ国・地域で進めてきました。
その精神の源流を象徴するような絵柄が、ともに教育者だった牧口初代会長と戸田第2代会長の師弟の絆によって、今から90年前(1930年11月18日)に発刊された『創価教育学体系』の扉に描かれています。
ランプの先に灯された火が光を放つ姿をイラストにしたもので、その絵柄はケースにも描かれ、本の表紙にも刻印されていました。
社会が大きな混乱や脅威で覆われた時、その嵐に容赦なくさらされ、激しい波に特に翻弄されるのは、常に子どもたちです。
その状況に胸を痛めた牧口会長は、小学校という教育の最前線に立ち続け、子どもたちの心に希望を灯すことに最大の情熱を注ぐ一方で、幸福な人生を切り開く力を養うための人間教育のあり方を探求し、『創価教育学体系』という大著に結晶させていったのです。
牧口会長は30代の頃、日露戦争の最中にあって、日本で立ち後れていた女性教育の普及のために力を注いだ経験がありました。しかも、戦争で父親が亡くなったり、傷病を負ったりしたことで経済的に困窮する家庭が増える中で、授業料の全額免除や半額免除の制度まで設けていました。
また40代には、貧困家庭のために特別に開設された小学校で校長を務め、病気の子どもの家に見舞いに行って自ら世話をしたほか、食事が満足にできない子どもたちのために学校給食を実施していたのです。
いずれも、牧口会長自身が家庭的な事情で十分に教育を受けられなかった時期があり、その辛さが身に染みていたからこその行動だったのではないかと思えてなりません。
そして50代の時には、関東大震災(1923年)で罹災したために転校を余儀なくされた子どもたちを受け入れ、学校として学用品を用意したほか、教え子たちの置かれた状況が心配で、かつて校長を務めた小学校のある地域にまで足を運んでいたのです。
弟子である戸田会長も、戦時体制下の1940年以降の時期に、子どもたちのために35冊に及ぶ学習雑誌を発刊していました。
軍部政府の思想統制が強まる中で牧口会長とともに投獄され、牧口会長が獄中で生涯を閉じた後も、子どもたちの幸福を願う思いは消えることはなかった。
2年に及ぶ獄中生活にも屈することなく、出獄をした翌月に終戦を迎えた時、即座に立ち上げたのも子どもたちのための通信教育でした。戦後の混乱で十分に機能しない学校が多い中で、教育の機会を途切れさせないために率先して道を開こうとしたのです。
このように牧口会長と戸田会長の胸中には、"いかなる状況に置かれた子どもたちにも、教育の光を灯し続けたい"との信念が脈打っていました。創価学会の創立の原点でもある『創価教育学体系』の扉に描かれたランプの灯火には、そうした二人の先師の誓いと行動が込められている気がしてならないのです。
ランプの姿がいみじくも物語るように、教育の光は誰かの支えがなければ途切れてしまうものです。情熱を注ぎ続ける人々の存在があり、その人々を支える社会があってこそ輝き続けるものにほかなりません。
私も先師の思いを受け継いで、東京と関西の創価学園や創価大学をはじめ、アメリカ創価大学やブラジル創価学園などの教育機関を創立するとともに、各国の教育者との対話を重ねながら、子どもたちの尊厳と未来を支える「教育のための社会」を建設する挑戦を半世紀以上にわたって続けてきました。
今後もSGIは、「教育のための社会」の重要性を訴える意識啓発に努めるとともに、気候変動をはじめとする地球的な課題に取り組む連帯を広げるために、「民衆の民衆による民衆のためのエンパワーメント」を力強く推進していきたいと思います。
約束を必ず守ること。
時間に遅れないこと。
「小事」が「大事」。
誠実一路の道を歩もう!
白米一俵御書 P1597
『法華経はしからず月こそ心よ花こそ心よと申す法門なり』
【通解】
法華経はそうではなく、「月がそのまま心、花がそのまま心」という法門なのである。
名字の言 巨匠たちが語るジャズの真髄とは? 2020年2月4日
ジャズの巨匠アート・ブレイキー氏がかつて、民音の招聘に応え、日本で公演したことがある。その折、音楽教室を開催し、学会の音楽隊・鼓笛隊にドラムの打ち方などを指導した。「形式や、型で打つのではない。心で打つのだ!」と▼ジャズの最大の特徴は「即興」にある。自らが発する音に他の奏者が反応し、他の奏者の音に自分も応えていく。その一音一音は奏者の心に湧き上がるもの。ゆえに一流のジャズ奏者であればあるほど、「心で演奏する」ことを強調するのだ▼ブレイキー氏とバンドを組んでいたウェイン・ショーター氏は語る。「自己を全面的にさらけ出し、心と心、本質と本質でぶつかり合う——それがジャズなのです」。いわばジャズは「楽器を通した対話」の芸術だ。心が響き合うほどにハーモニーは美しく研ぎ澄まされ、人の胸を打つ▼実際の対話も、共鳴し、高め合うところに醍醐味がある。小説『新・人間革命』第26巻「法旗」の章に「対話——それは、人間の心の扉を開く魂の打ち合いであり、良心の共鳴音を生み出すことができる生命の音楽である」とある▼「令和」に入り、初の「伝統の2月」。「令和」の英訳「ビューティフル・ハーモニー」のように、心を結ぶ"対話のハーモニー"をあの地この地で奏でよう。(澪)
寸鉄 2020年2月4日
個人主義の仏はいない—牧口先生。徹底して一人を励ます実践が広布の要
「東洋哲学研究所の日」。仏法の智慧で文明間・宗教間の架橋を—使命深く
中野の日。大東京に光る妙法の人材山脈。絶対できる!弾む心で対話拡大
「力は活動を止めた瞬間に消える」思想家。人生の栄冠は進み続ける人に
iPS細胞の活用で再生医療の発展加速と。価値ある生き方の探求も更に
☆第45回SGI提言� 日本で「気候変動と防災」の国連会合を
気候変動を巡る問題に焦点を当て日本で国連の防災会合を
◇災害の発生件数が10年で5倍に増加
第三の提案は、気候変動と防災に関するものです。
気候変動を巡って取り組みが迫られているのは、温室効果ガスの削減だけではありません。異常気象による被害の拡大を防止するための対応が待ったなしとなっています。
先月、スペインのマドリードで行われた気候変動枠組条約の第25回締約国会議(COP25)でも、この二つの課題を中心に討議が進められました。
COP25に寄せてNGOのオックスファムが発表した報告によると、気候変動による災害の発生件数は過去10年間で5倍にまで増加しているといいます。
世界全体でみると、地震などの災害や紛争よりも、気候変動が原因で避難した人数が圧倒的に多い状況が生じているのです。
そこで私は、「気候変動と防災」に関するテーマに特に焦点を当てた国連の会合を日本で行うことを提唱したい。
国連防災機関では、各国の政府代表や市民社会の代表などが参加する「防災グローバル・プラットフォーム会合(防災GP会合)」を、2007年から開催してきました。
2年ごとに会合を重ねる中で、2015年には仙台で行われた第3回「国連防災世界会議」をもってその開催に代えられたほか、昨年5月にスイスのジュネーブで会合が行われた際には、182カ国から4000人が参加して討議が進められました。
今後は3年ごとに開催される予定となっており、2022年に行われる防災GP会合を日本で開催して、異常気象による被害の拡大防止と復興の課題について集中的に討議していってはどうかと思うのです。
5年前の国連防災世界会議で採択された仙台防災枠組(※注5)では、災害の被災者を2030年までに大幅に減少させるなどの目標が打ち出されました。
これまで積み上げてきた各国の経験を生かしながら、異常気象による災害についても早急に対策を強化していくことが求められるのではないでしょうか。
すでにインフラ(社会基盤)の整備については、インドの呼び掛けで「災害に強いインフラのための連合」が昨年9月に発足しています。
これまで重点が置かれてきた地震などの災害への対応だけでなく、気候変動の影響にも強いインフラの構築を目指すグローバルな枠組みで、技術支援や能力開発に関する国際的な連携を進めるものです。
異常気象による被害が相次ぐ日本もこの連合に参加しており、インドをはじめ他の加盟国と協力しながら、防災GP会合でこの分野における国際指針のとりまとめをリードしていくことを提案したい。
また、防災GP会合の中心議題の一つとして、気候変動と防災に関する自治体の役割をテーマに取り上げ、その連携を大きく広げる機会にしていくべきだと思います。
現在、国連防災機関が「災害に強い都市の構築」を目指して進めるキャンペーンには、世界の4300を超える自治体が参加しています。そのなかには、モンゴルやバングラデシュのように、すべての市町村がキャンペーンに参加している国も出てきました。
キャンペーンが始まってから本年で10年になりますが、今後は異常気象への対応に特に重点を置く形で自治体間の連携を進めることが大切になると思います。
世界の人口の4割は海岸線から100キロ以内に住んでおり、その地域では気候変動の影響によるリスクが高まっています。
日本でも人口の多くが沿岸地域で暮らしています。中国や韓国をはじめ、アジアの沿岸地域の自治体と、「気候変動と防災」という共通課題を巡って互いの経験から学び、災害リスクを軽減するための相乗効果をアジア全体で生み出していくべきだと考えるのです。
本年6月には、アジア太平洋防災閣僚級会議がオーストラリアで行われます。会議を通じて自治体間の連携に関する議論を深め、2022年の防災GP会合でその世界的な展開につなげることを目指していってはどうでしょうか。
誰も置き去りにしない社会へレジリエンスの強化を推進
◇障がいのある人を取り巻く状況
加えて、次回の防災GP会合の開催にあたって呼び掛けたいのは、気候変動で深刻な影響を受ける人々を置き去りにしないための社会づくりについて、重点的に討議を行うことです。
男女平等と社会的包摂の促進を掲げた昨年のジュネーブでの会合では、登壇者の半数と参加者の4割を女性が占めたほか、120人以上の障がいのある人が参加しました。
SDGsのアドボケート(推進者)の一人で、会合に出席した南アフリカ共和国のエドワード・ンドプ氏は、災害時の社会的包摂への思いをこう述べました。
「障がい者は世界人口の15%を占める最大のマイノリティー(社会的な少数派)ですが、一貫して存在が忘れられてきました」
「(災害時に)障がい者を物理的に置き去りにしてしまう行為と、日常生活において排除が障がい者にもたらす極めて現実的な影響とは、つながりがあるのです」と。
脊髄性筋萎縮症を2歳の頃から患ってきたンドプ氏は、災害が起きた時に最も危険にさらされる人々に対する「社会的な態度の再構築」が必要となると訴えていたのです。
私は、防災と復興を支えるレジリエンス(困難を乗り越える力)の強化といっても、この一点を外してはならないと思います。
普段の生活の中で「共に生きる」というつながりを幾重にも育む土壌があってこそ、災害発生時から復興への歩みに至るまで、多くの人々の生命と尊厳を守る力を生み出し続けることができるからです。
また、ジュネーブ会合での災害とジェンダーを巡る討議でも、"目に映らない存在にされてきた人々"を"目に見える存在"にすることが大切になるとの指摘がありました。
日常生活において女性が置かれている状況は、社会的な慣習や差別意識などによって当たり前のように見なされることが多いために、本当に助けが必要な時に置き去りにされる恐れが強いことが懸念されます。
例えば、異常気象の影響で避難が必要になった時、女性は家を出るのが最後になることが多いといわれます。男性が離れた場所で働いている場合には、子どもたちや高齢者や病気の家族の世話をする必要があるため、家を出るのが遅れがちになるからです。
しかしその一方で、災害が起きた時に、地域で多くの人々を支える大きな力となってきたのは女性たちにほかなりませんでした。
◇昼間の星々の譬え
この点に関し、UNウィメン(国連女性機関)も、次のように留意を促しています。
被災直後から発揮されるリーダーシップや、地域でのレジリエンスの構築に果たす中心的役割など、防災における女性たちの実質的な貢献とともに、潜在的な貢献は、大きな可能性を持つ社会資産であるにもかかわらず、あまり注目されてこなかった——と。
明らかに存在するのに見過ごされがちになるという構造的な問題について考える時、私は大乗仏教の経典に出てくる"昼間の星々"の譬えを思い起こします。
天空には常に多くの星々が存在し、それぞれが輝きを放っているはずなのに、昼間は太陽の光があるために、星々の存在に意識が向かなくなることを示唆したものです。
日常生活においても災害時においても、地域での支え合いや助け合いの要の存在となってきたのは、女性たちであります。
地震などの災害に加えて、異常気象への対応策を考える上でも、あらゆる段階で女性の声を反映させることが、地域のレジリエンスの生命線になるのではないでしょうか。
本年は、ジェンダー平等の指針を明確に打ち出した第4回世界女性会議の「北京行動綱領」が採択されて25周年にあたります。
そこには、こう記されています。
「女性の地位向上及び女性と男性の平等の達成は、人権の問題であり、社会正義のための条件であって、女性の問題として切り離して見るべきではない。それは、持続可能で公正な、開発された社会を築くための唯一の道である」と。
このジェンダー平等の精神は、防災においても絶対に欠かせないものです。
その意味から言えば、災害にしても、気候変動に伴う異常気象にしても、インフラ整備などのハード面での防災だけでは、レジリエンスの強化を図ることはできない。
ジェンダー平等はもとより、日常生活の中で置き去りにされがちであった人々の存在を、地域社会におけるレジリエンスの同心円の中核に据えていくことが、強く求められると訴えたいのです。
私どもSGIも、信仰を基盤にした団体(FBO)として、災害時における緊急支援や、被災地の復興を後押しする活動に取り組む一方で、防災GP会合をはじめとする国際会議に継続して参加してきました。
2017年のメキシコでの防災GP会合では、「FBOによる地域主導の防災——仙台防災枠組の実践」と題するシンポジウムを行ったほか、キリスト教やイスラム教などさまざまな宗教的背景を持つFBOと協力して共同声明をまとめ、昨年のジュネーブ会合でも引き続いて共同声明を発表してきました。
また2018年3月に、他のFBOの4団体と連携して「持続可能な開発のためのアジア太平洋FBO連合(APFC)」を結成し、同年7月にモンゴルで開催されたアジア防災閣僚級会議に共同声明を提出しました。
そこには、私たち5団体の共通の決意を込めて、こう記しています。
「FBOの使命の根幹にあるのは、社会的な弱者を生む根本原因に対処する意志であり、社会の片隅に置かれた人々に希望と幸福をもたらすことである」
「信仰を基盤にした団体は、防災とレジリエンスの構築と人道的な行動を地域で進める上で重要な役割を果たしている」と。
今後も、この精神を他のFBOと共有しながら、すべての人々の尊厳を守るための社会的包摂のビジョンを掲げて、レジリエンスの強化を後押ししていきたいと思います。
☆第45回SGI提言� 「教育のための国際連帯税」を創設
「教育のための国際連帯税」を創設し人道危機下の子どもたちを支援
◇紛争や災害での心の傷を癒やす
最後に第四の提案として述べたいのは、紛争や災害などの影響で教育の機会を失った子どもたちへの支援強化です。
持続可能な地球社会を目指すといっても、次代を担う子どもたちの人権と未来を守ることが要石となると考えるからです。
本年9月に発効30周年を迎える、子どもの権利条約は、今や国連の加盟国数よりも多い196カ国・地域が参加する、世界で最も普遍的な人権条約となりました。
教育の権利の保障も明記される中、条約の発効時には約20%に及んでいた、小学校に通う機会を得られていない子どもの割合は、今では10%以下にまで減少しました。
しかしその前進の一方で、紛争や災害の影響を受けた国で暮らす子どもたちの多くが深刻な状況に直面しています。
例えば、紛争が続く中東のイエメンでは240万人の子どもたちが学校に通うことができず、学校施設も攻撃を受けてひどく損傷していたり、軍事拠点や避難場所に使用されたりしている所が数多くあります。
また、気候変動の影響による災害が続くバングラデシュでは、多くの家族が貧困や避難生活に追い込まれる中で、子どもたちの健康が危ぶまれているほか、教育の機会が失われている状態が広がっています。
世界では、こうした紛争や災害の影響で教育の機会を失った子どもや若者の数は1億400万人にも及んでいますが、人道支援の資金の中で教育に配分されるのは2%ほどにとどまってきました。
食糧や医薬品などの物資の支援と比べて、"人命には直接関わらない"といった理由で、緊急事態が起きた直後の期間のみならず、復興に向けた歩みが始まった時期以降も、後回しにされがちになってきたからです。
しかし、ユニセフ(国連児童基金)が強調するように、子どもたちにとって学校の存在は、日常を取り戻すための大切な空間にほかなりません。学校で友だちと一緒の時間を過ごすことは、紛争や災害で受けた心の傷を癒やすための手助けにもなります。
こうした問題を踏まえて、4年前の世界人道サミットで設立をみたのが、ユニセフが主導するECW(教育を後回しにはできない)基金でした。
緊急時の教育に特化した初めての基金であり、現在まで、人道危機に巻き込まれた190万人以上の子どもや若者たちに教育の機会を提供する道を開いてきました。
緊急時の教育支援は、人道危機が長期化した場合の教育支援とともに、子どもたちが安心と希望を取り戻し、将来の夢を思い描いて前に進むためのかけがえのない基盤となるだけでなく、地域や社会にとっても平和と安定をもたらす源泉となるものです。
ECW基金のヤスミン・シェリフ事務局長は、こう述べています。
「もし、その社会の市民と難民の人々が、読み書きができず、論理的な思考ができず、教師や弁護士や医師もいない場合、どうやって社会経済的に発展可能な社会を築くことができるというのでしょうか」
「教育は、平和と寛容と相互尊重を促進するための鍵です。女の子と男の子が教育に平等にアクセスできた場合には、暴力や紛争が発生する確率は37%も減るのです」と。
◇「失われた世代」を生み出さない
国連のSDGsで"すべての子どもたちに質の高い教育を"との目標が掲げられる中、紛争や災害の影響を受けた国で暮らす子どもたちが、「失われた世代」として置き去りになるようなことは、決してあってはならない。
ECW基金が設立された2016年の時点での推計では、人道危機に見舞われた7500万人の子どもたちに基礎教育を提供するには毎年85億ドル、1人あたりで年間113ドルが必要になると見込まれていました。
現在、その対象人数は1億400万人に及び、必要額も増えているものの、世界全体の1年間の軍事費である1兆8220億ドルのほんの一部に相当する資金を国際的な支援などで確保できれば、厳しい状況にある多くの子どもたちが、希望の人生を歩み出すきっかけを得られるのです。
その意味で私は、誰もが尊厳をもって安心して生きられる持続可能な地球社会を築くための挑戦の一環として、ECW基金の資金基盤の強化を図り、緊急時の教育支援を力強く進めていくことを呼び掛けたい。
かつて私は2009年の提言で、国連が当時進めていた「ミレニアム開発目標」の達成を後押しするために、国際連帯税などの革新的資金調達メカニズムの導入を促進することを提唱したことがあります。
SDGsの推進において、その必要性はさらに増しており、「教育のための国際連帯税」の創設をはじめ、資金基盤を強化するための方策を検討すべきではないでしょうか。
これまで連帯税としては、フランスなどの国々が導入している航空券連帯税(※注6)があり、エイズや結核やマラリアの感染症で苦しむ途上国の人々を支援するための国際的な資金に充てられてきました。
また5年前からは、発育阻害に苦しむ子どもたちを支援する国連の「ユニットライフ」の枠組みが進められています。
日本も昨年、開発のための革新的資金調達メカニズムのあり方を討議するリーディング・グループの議長国を務める中、7月に行われたG7(主要7カ国)開発大臣会合で、国際連帯税を含む革新的資金調達を活用する必要性について言及しました。
これまで日本は、内戦が続く中東のシリアで、ユニセフと連携して約10万人の小学生のために教科書を配布し、約6万2000人の子どもたちに文房具と学校用のカバンを支給してきました。またアフガニスタンでも、支援が不足しがちだった地域で70校の学校を建設し、約5万人の子どもたちが学習にふさわしい環境で授業を受けられるようになっています。
私は、教育分野の支援において豊かな実績を持つ日本が、「教育のための国際連帯税」をはじめ、さまざまなプランを検討する議論をリードしながら、ECW基金の資金基盤を強化するための枠組みづくりで積極的な役割を担うことを強く呼び掛けたいのです。
避難した先で教育の機会を得ることが、子どもと家族の心にどれだけ希望を灯すのか。
その一つの例を国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が紹介しています。
——中米のニカラグアで2人の子どもと暮らしていたある母親は、情勢不安が続く中、葛藤を抱きながら隣国コスタリカへの避難を決めた。「学校を辞めさせ、避難することは苦しい決断でした。でも、これ以上危険な目にあわせるわけにはいかなかった」と。
学校に在学証明書を取りに行くのも危険な中、小さなカバン一つで避難しなければならなかったため、子どもたちは避難先で学校に通うことができるだろうかと胸を痛めていたところ、コスタリカではすべての子どもに無償の初等教育が保障されていた。
特に、避難民がいるコスタリカ北部の小学校の多くでは、公的な書類がなくても入学でき、避難で学習が遅れてしまった子どものために補習などのシステムまで用意されていた。
そのおかげで、2人の子どもたちも教育の機会を取り戻すことができた。
14歳の兄は、「今一番うれしいことは勉強できること。将来はお医者さんになりたい」と目を輝かせ、10歳の妹と手をつないで元気に学校へ通うようになった。
学校の教員も、「故郷を離れなければならなかった子どもたちが、学校を家のように感じられるようになれば」との思いで迎え入れている——と。(UNHCR駐日事務所のウェブサイトを引用・参照)
人道危機によって教育の機会を失った1億400万人という膨大な数字の奥には、一人一人の子どもの存在があり、人生の物語があります。
この子どもたちにも同様に教育の機会が確保されれば、彼らが生きる希望を取り戻し、夢に向かって進むための足場となるに違いないと訴えたいのです。
「創価教育学体系」に脈打つ牧口会長と戸田会長の精神
◇ランプの絵柄に込められた思い
私どもSGIも、社会的な活動の三つの柱として、平和や文化とともに教育に力を入れ、「民衆の民衆による民衆のためのエンパワーメント(内発的な力の開花)」の取り組みを、世界192カ国・地域で進めてきました。
その精神の源流を象徴するような絵柄が、ともに教育者だった牧口初代会長と戸田第2代会長の師弟の絆によって、今から90年前(1930年11月18日)に発刊された『創価教育学体系』の扉に描かれています。
ランプの先に灯された火が光を放つ姿をイラストにしたもので、その絵柄はケースにも描かれ、本の表紙にも刻印されていました。
社会が大きな混乱や脅威で覆われた時、その嵐に容赦なくさらされ、激しい波に特に翻弄されるのは、常に子どもたちです。
その状況に胸を痛めた牧口会長は、小学校という教育の最前線に立ち続け、子どもたちの心に希望を灯すことに最大の情熱を注ぐ一方で、幸福な人生を切り開く力を養うための人間教育のあり方を探求し、『創価教育学体系』という大著に結晶させていったのです。
牧口会長は30代の頃、日露戦争の最中にあって、日本で立ち後れていた女性教育の普及のために力を注いだ経験がありました。しかも、戦争で父親が亡くなったり、傷病を負ったりしたことで経済的に困窮する家庭が増える中で、授業料の全額免除や半額免除の制度まで設けていました。
また40代には、貧困家庭のために特別に開設された小学校で校長を務め、病気の子どもの家に見舞いに行って自ら世話をしたほか、食事が満足にできない子どもたちのために学校給食を実施していたのです。
いずれも、牧口会長自身が家庭的な事情で十分に教育を受けられなかった時期があり、その辛さが身に染みていたからこその行動だったのではないかと思えてなりません。
そして50代の時には、関東大震災(1923年)で罹災したために転校を余儀なくされた子どもたちを受け入れ、学校として学用品を用意したほか、教え子たちの置かれた状況が心配で、かつて校長を務めた小学校のある地域にまで足を運んでいたのです。
弟子である戸田会長も、戦時体制下の1940年以降の時期に、子どもたちのために35冊に及ぶ学習雑誌を発刊していました。
軍部政府の思想統制が強まる中で牧口会長とともに投獄され、牧口会長が獄中で生涯を閉じた後も、子どもたちの幸福を願う思いは消えることはなかった。
2年に及ぶ獄中生活にも屈することなく、出獄をした翌月に終戦を迎えた時、即座に立ち上げたのも子どもたちのための通信教育でした。戦後の混乱で十分に機能しない学校が多い中で、教育の機会を途切れさせないために率先して道を開こうとしたのです。
このように牧口会長と戸田会長の胸中には、"いかなる状況に置かれた子どもたちにも、教育の光を灯し続けたい"との信念が脈打っていました。創価学会の創立の原点でもある『創価教育学体系』の扉に描かれたランプの灯火には、そうした二人の先師の誓いと行動が込められている気がしてならないのです。
ランプの姿がいみじくも物語るように、教育の光は誰かの支えがなければ途切れてしまうものです。情熱を注ぎ続ける人々の存在があり、その人々を支える社会があってこそ輝き続けるものにほかなりません。
私も先師の思いを受け継いで、東京と関西の創価学園や創価大学をはじめ、アメリカ創価大学やブラジル創価学園などの教育機関を創立するとともに、各国の教育者との対話を重ねながら、子どもたちの尊厳と未来を支える「教育のための社会」を建設する挑戦を半世紀以上にわたって続けてきました。
今後もSGIは、「教育のための社会」の重要性を訴える意識啓発に努めるとともに、気候変動をはじめとする地球的な課題に取り組む連帯を広げるために、「民衆の民衆による民衆のためのエンパワーメント」を力強く推進していきたいと思います。
2020年2月3日月曜日
2020.02.03 わが友に贈る
◇今週のことば
新しい人に光を当て
新しい力を引き出そう。
「ほむれば弥功徳まさる」
真心の励ましの波動を!
人材を育む真の人材たれ
2020年2月3日
上野殿御返事 P1537
『欲界第六天の魔王無量の眷属を具足してうち下り、摩竭提国の提婆阿闍世六大臣等の身に入りかはりしかば形は人なれども力は第六天の力なり』
【通解】
欲界の第六天の魔王が量り知れないほどの眷属を引き連れて打ち下り、摩竭提国の提婆達多や阿闍世王や六大臣等の身に入り替わったので、形は人間であっても力は第六天の魔王の力であった。
名字の言 小さな目標達成の積み重ね——心理学の「スモールステップの原理」とは? 2020年2月3日
男子部の小単位の集いに参加した時のこと。一人の大学校生が「唱題と読書がなかなかできなくて……」と不安顔。先輩が言った。「まず、"これならできる"という目標を決め、挑戦してみよう」▼1週間後の集い。「朝晩5分ずつ唱題を実践し、小説『人間革命』を毎日2ページ読みました!」と大学校生。"一歩前進"の報告に、拍手と笑顔が広がった▼その後、少しずつ目標を上げていった彼は、1年間で100万遍の題目を唱え、小説『人間革命』全12巻を読了。さらに友人に弘教を実らせた。「毎週の"できた!"という喜びが自信になりました。次もみんなに報告しようと思うと、頑張り抜くことができたんです」▼心理学には「スモールステップの原理」という考え方がある。高い目標を目指すために、小さな目標を段階的に達成していくことが重要というもの。それによって意欲が高まり、行動が持続する。臨床心理士の黒澤礼子さんは本紙で「ちょっと努力したら越えられそうな小さな目標を設定して、上手にできたら褒める(スモールステップ)といった地道な努力が大切」と語った▼広布拡大の挑戦は、人と比べるものではない。"昨日の自分"を越えたかどうか。一人一人の"きょうの一歩"を皆でたたえ合い、朗らかに前進しよう。(叶)
寸鉄 2020年2月3日
さあ勇敢に楽しく戦おうじゃないか—戸田先生。痛快なる拡大の劇を皆と
「法華経は随自意なり」御書。相手を思う誠意は通じる。堂々と語り抜け
笑顔忘れぬ人は本番にも強いと。受験本番。鳳雛よ悔いなく。実力出し切れ
防災地図の認知度は3割—調査。地域に潜む危険を知る。これ命守る一歩
金融機関4割にサイバー攻撃が。不審なメールは開かない等、警戒我らも
☆第45回SGI提言� 「核兵器禁止条約」の本年中の発効を
◇核兵器禁止条約を早期に発効し被爆地で「民衆フォーラム」を開催
続いて、誰もが尊厳をもって安心して生きられる「持続可能な地球社会」の建設に向けて、4項目の具体的な提案を行いたい。
第一の提案は、核兵器禁止条約に関するものです。
広島と長崎への原爆投下から75年にあたる本年中に、核兵器禁止条約を何としても発効に導き、"核時代と決別する出発年"としていくことを強く呼び掛けたい。
2017年7月の採択以来、これまで80カ国が署名し、35カ国が批准を終えました。条約発効に必要となる「50カ国の批准」を早期に実現するために、参加国の拡大の勢いを増していくことが求められます。
こうした中、アメリカとロシアの間で核軍縮の礎石となってきた中距離核戦力(INF)全廃条約(※注4)が失効するなど、核軍拡競争が、今再び激化しようとしています。
国連軍縮研究所のレナタ・ドゥワン所長が「核兵器が使われるリスクは第2次世界大戦後で最も高い」と警告するような状況に直面しており、核兵器禁止条約の発効をもって明確な楔を打ち込むことが急務であると思えてなりません。
◇世界の方向性を形づくる国際規範
現在のところ、核兵器禁止条約には核保有国や核依存国は加わっていませんが、発効によって打ち立てられる"いかなる場合も核兵器の使用を禁止する"との規定には、非常に大きな歴史的意義があります。
そこには何より、広島と長崎の被爆者をはじめ、核開発や核実験による被害を受けた世界のヒバクシャが抱き続けてきた"二度と同じ苦しみを誰にも経験させたくない"との誓いが凝縮されています。
その上、国連のグテーレス事務総長が核兵器の完全な廃絶は「国連のDNA」であると強調しているように、1946年に初開催された国連総会での第1号決議で核兵器の廃絶が掲げられて以来、核問題の解決を求める決議が何度も積み重ねられる中で、ついに実現をみたのが核兵器禁止条約だったからです。
また、核兵器禁止条約への署名と批准の広がりは、50年前(1970年3月)に発効した核拡散防止条約(NPT)と比べても、さほど変わるものではありません。
NPTの発効時の署名国は97カ国で、批准国は47カ国にすぎませんでした。
それでも、NPTを通じて"核兵器の拡散は許されない"との規範意識が次第に定着していく中で、核兵器の保有を検討していた国の多くが非核の道を選び取ったほか、南アフリカ共和国のように、一時は核兵器を開発して保有しながらも自発的に廃棄を果たし、NPTの枠組みに加わった国まで現れました。
核兵器の拡散防止も、NPTが発効するまでは「理想」の段階にとどまっていた。しかし、ひとたび条約が発効し、批准国が拡大することで、世界のあり方を大きく規定する「現実」へと変わっていったのです。
このように、最初の段階で締約国が十分な広がりを見せていなかったとしても、条約の発効には世界の新しい方向性を明確に形づくる影響力があるといえましょう。
新たな国際規範を設けることの意義について論じた興味深い考察があります。
核兵器禁止条約に先駆けて、核廃絶を実現するための草案としてモデル核兵器条約を97年に起草した、メラフ・ダータン氏とユルゲン・シェフラン氏は、論考の中でこう述べています。
「国際法と国際関係との領域の区分が、理想と現実とのギャップを示しているとすれば、モデル核兵器条約は理想を形にしたもので、NPTは現実を表しているといえよう」
「核兵器禁止条約は、この理想と現実の両方を体現したものだ。核兵器国の署名がまだないために理想ともいえるが、条約が存在するという点において現実である」と。
その上で両氏は、「条約への反対や軍縮への抵抗が実際にあるとしても、規範の価値とその発展を打ち消すものではない」と強調していますが、私も深く同意するものです。
今後の焦点となるのは、条約の発効によって打ち立てられる"いかなる場合も核兵器の使用を禁止する"との規定に対し、どの国であろうと揺るがすことのできない重みを帯びさせることではないでしょうか。
ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)の国際運営団体の一つである「ノルウェー・ピープルズエイド」の昨年の報告書によると、核兵器禁止条約を支持する国々は135カ国にのぼるといいます。
加えて各国の自治体の間でも、条約の支持を表明する動きが広がっています。
2年前に始まった「ICANシティーズ・アピール」には、核保有国のアメリカ、イギリス、フランスをはじめ、核依存国のドイツ、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、イタリア、スペイン、ノルウェー、カナダ、日本、オーストラリアのほか、スイスの自治体が加わっています。
その中には、核保有国の首都であるワシントンDCやパリに加え、核依存国の首都であるベルリン、オスロ、キャンベラも含まれているのです。
また昨年10月には、すべての国に核兵器禁止条約への加盟を求める「ヒバクシャ国際署名」が国連に提出されました。
広島と長崎の被爆者の呼び掛けで4年前に始まった活動で、創価学会平和委員会も運営団体として参画してきましたが、核保有国や核依存国を含む多くの国から1051万人の署名が寄せられたのです。
このようにさまざまな形で表れているグローバルな民意を、さらに力強く結集する中で、"核兵器の禁止の規範化"を大きく前に進めることが重要ではないでしょうか。
◇どの国の民衆にも惨害を起こさない
そこで提案したいのは、核兵器禁止条約の発効後に行われる第1回締約国会合を受ける形で、世界のヒバクシャをはじめ、条約を支持する各国の自治体やNGO(非政府組織)の代表らが参加しての「核なき世界を選択する民衆フォーラム」を、広島か長崎で開催することです。
「核なき世界を選択する民衆フォーラム」の開催を提案したのは、"どの国の民衆にも核兵器の惨害を起こしてはならない"との共通認識に基づく議論を民衆自身の手で喚起することが、核兵器の禁止を「グローバルな人類の規範」として根付かせるために欠かせないと考えるからです。
唯一の戦争被爆国である日本が、核兵器の非人道性を巡る国際的な議論をさらに深めるための努力を重ね、核保有国と非保有国の橋渡しの役割を担うことを切に望むものです。
過去70年以上にわたって厚い壁に覆われ続けていた、核兵器禁止条約の交渉開始への突破口を開いたのは、2013年から3回にわたって開催されてきた「核兵器の人道的影響に関する国際会議」でした。
そこでの議論を通じて浮かび上がったのが、次のような重要な観点です。
�いかなる国も国際機関も、核爆発によって引き起こされた直接的被害に適切に対処し、被害者を救援するのは困難であること。
�核爆発の影響は国境内に押しとどめることは不可能で、深刻で長期的な被害をもたらし、人類の生存さえ脅かしかねないこと。
�核爆発による間接的な影響で社会・経済開発が阻害され、環境も悪化するために、貧しく弱い立場に置かれた人々が最も深刻な被害を受けること。
このように、「核兵器で守ろうとする国家の安全」ではなく、「核兵器の使用によって被害を受ける人間」の側から問題の所在が明らかにされていく中で、核兵器禁止条約の交渉開始のうねりが高まっていったのです。
◇人権法の中核をなす「生命に対する権利」
核兵器禁止条約の採択後も、2018年10月に国連の自由権規約委員会が、"核兵器の威嚇と使用は「生命に対する権利」の尊重と相容れない"と明記した一般的意見を採択するという動きがありました。
「生命に対する権利」は、市民的及び政治的権利に関する国際規約(自由権規約)において、緊急事態であっても例外なく守られなければならない"逸脱できない権利"として位置付けられており、国際人権法の中でも際立って重要とされているものです。
国際人権法の中核をなす権利との関係において、核兵器の威嚇と使用の重大な問題性が明確に指摘されたことの意義は、誠に大きいと思えてなりません。
私の師である戸田第2代会長が1957年9月に発表した「原水爆禁止宣言」で何よりの立脚点にしていたのも、世界の民衆の生存の権利を守る重要性にほかなりませんでした。
核兵器禁止条約の第1回締約国会合の開催を受ける形で、「核なき世界を選択する民衆フォーラム」を行い、この「生命に対する権利」に特に焦点を当てながら、人権の観点から核兵器の非人道性を浮き彫りにする議論を深めていってはどうかと思うのです。
◇母と子が安心して暮らせる世界を!
また、民衆フォーラムの開催を通して、核兵器の禁止によって築きたい世界の姿について、互いの思いを分かち合う場にしていくことを呼び掛けたい。
核兵器禁止条約の制定にあたって、これまで核問題とは結びつけられてこなかったジェンダーの視座が盛り込まれたのも、長らく見過ごされてきた被害の実相を浮かび上がらせた女性の声がきっかけでした。
2014年12月に行われた第3回の「核兵器の人道的影響に関する国際会議」で、メアリー・オルソンさんが、核兵器使用による放射線の有害性が男性よりも女性に顕著に表れる事実を明確に示したことを機に議論が深まる中で、核兵器禁止条約の前文に次の一文が明記されるようになったのです。
「女性及び男性の双方による平等、十分かつ効果的な参加は、持続可能な平和及び安全を促進し及び達成することにとり不可欠な要素であることを認識し、女性の核軍縮への効果的な参加を支援しかつ強化することを約束する」と。
これは、核兵器の禁止を通して目指すべき世界のビジョンの輪郭を、ジェンダーの視座から照らし出したものといえましょう。
創価学会が長年にわたって発刊してきた広島と長崎の被爆証言集にも、多くの女性たちの体験が収録されています。
このうち4年前に発刊した『女性たちのヒロシマ』では、14人の女性による証言を通し、被爆の影響による後遺症などへの不安を抱える中で、結婚や出産をはじめ、女性であるがゆえに強く受けてきた偏見や苦しみが綴られています。
しかし、そのメッセージは"同じ悲劇を誰にも経験させたくない"との被爆者としての強い実感にとどまるものではありません。
副題が「笑顔かがやく未来(あした)へ」となっているように、"母と子が安心して平和に暮らせる世界を共に築きたい"との誓いが脈打っているのです。
核兵器禁止条約の普遍性を高めるためには、「人間としての実感」に根差した思いを多くの人々の間で分かち合うことが、重要な意味を持ってくるのではないでしょうか。
平和や軍縮に関心を持つ人だけでなく、ジェンダーや人権の問題、さらには家族や子どもたちの未来に思いを馳せる人たちをはじめ、国や立場の違いを超えた多くの民衆の支持が結集されてこそ、核兵器禁止条約は「グローバルな人類の規範」としての力を宿していくに違いないと確信するのです。
☆第45回SGI提言� 保有5カ国による核軍縮交渉を開始
◇新STARTの延長を基盤に保有5カ国で核軍縮条約を
◇NPT再検討会議で実現すべき合意
次に第二の提案として、核軍縮を本格的に進めるための方策について述べたい。
具体的には、4月から5月にかけてニューヨークの国連本部で行われるNPT再検討会議で、「多国間の核軍縮交渉の開始」についての合意と、「AI(人工知能)などの新技術と核兵器の問題を巡る協議」に関する合意を最終文書に盛り込むことを呼び掛けたいと思います。
一つ目の合意については、アメリカとロシアとの新戦略兵器削減条約(新START)の延長を確保した上で、多国間の核軍縮交渉の道を開くことが肝要となると考えます。
新STARTは、両国の戦略核弾頭を1550発にまで削減するとともに、大陸間弾道ミサイルや潜水艦発射弾道ミサイルなどの配備数を700基にまで削減する枠組みで、明年2月に期限を迎えます。
5年間の延長が可能となっていますが、協議は難航しており、INF全廃条約に続いて新STARTの枠組みまで失われることになれば、およそ半世紀ぶりに両国が核戦力の運用において"相互の制約を一切受けない状態"が生じることになります。
この空白状態によって生じる恐れがあるのは、核軍拡競争の再燃だけではありません。
今後、小型の核弾頭や超音速兵器の開発が加速することで、局地的な攻撃において核兵器を使用することの検討さえ現実味を帯びかねないとの懸念の声も上がっています。
ゆえに、新STARTの5年延長を確保することがまずもって必要であり、NPT再検討会議での議論を通して、核兵器の近代化に対するモラトリアム(自発的停止)の流れを生み出すことが急務だと訴えたい。その上で、「次回の2025年の再検討会議までに、多国間の核軍縮交渉を開始する」との合意を図るべきではないでしょうか。
50年にわたるNPTの歴史で、核軍縮の枠組みができたのはアメリカとロシアとの2国間だけであり、多国間の枠組みに基づく核軍縮は一度も実現していません。
NPTはすべての核兵器国が核軍縮という目標を共有し、完遂を誓約している唯一の法的拘束力のある条約であることを、今一度、再検討会議の場で確認し合い、目に見える形での行動を起こす必要があります。
具体的な進め方については、さまざまなアプローチがあるでしょうが、私はここで一つの試案を提示しておきたい。
それは、「新STARTの5年延長」を土台にした上で、アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国の5カ国による新たな核軍縮条約づくりを目指し、まずは核軍縮の検証体制に関する対話に着手するという案です。
これまでアメリカとロシアが実際に行ってきた検証での経験や、多くの国が参加して5年前から継続的に行われてきた「核軍縮検証のための国際パートナーシップ」での議論も踏まえながら、5カ国で核軍縮を実施するための課題について議論を進めていく。
その上で、対話を通じて得られた信頼醸成を追い風にして、核兵器の削減数についての交渉を本格的に開始することが望ましいのではないかと思います。
◇共通の安全保障の精神を顧みる
多国間の核軍縮の機運を高めるために重要な鍵を握ると考えるのは、冷戦終結の道を開く後押しとなった「共通の安全保障」の精神を顧みることです。
1982年6月に行われた国連の第2回軍縮特別総会に寄せて、スウェーデンのパルメ首相らによる委員会が打ち出したもので、"核戦争に勝者はない"との認識に基づいて、次のような意識転換が促されていました。
「諸国家はもはや、他国を犠牲にして安全性を追求することはできない。すなわち相互協力によってしか、安全は得られない」(『共通の安全保障』森治樹監訳、日本放送出版協会)と。
私もその時、第2回軍縮特別総会に向けた提言で、「膨大な核戦力が対峙している以上、いかに軍事力を増強させようと、とうてい真の平和は保ちえない」と訴えていただけに、深く共感できる考え方でした。
その前年(81年)、アメリカとソ連の関係が厳しさを増す中で、レーガン大統領は対決姿勢を鮮明にし、ヨーロッパでの限定核戦争もあり得るとまで発言していました。
当時の心境について、レーガン大統領はこう記しています。
「われわれの政策は、力と現実主義に基づいたものでなければならない。私が望んだのは力を通じての平和であって、一片の紙切れを通じての平和ではなかった」(『わがアメリカンドリーム』尾崎浩訳、読売新聞社)と。
しかし、欧米諸国の市民による反核運動の高まりがあり、核兵器の使用がもたらす壊滅的な被害に対する認識も深めるにつれて、レーガン大統領は"核戦争を起こしてはならない"との思いを強めていった。
また、核兵器で対峙するソ連の人々がどんな気持ちを抱いているかについて思いを馳せる中で、ソ連のチェルネンコ書記長に手紙を送った時のことを回想し、こう綴っていました。
「チェルネンコへの手紙の中で私は、直接的、かつ内密に交信することはわれわれ双方にとって利益があると思っている、と述べた。そして俳優時代になじんだ感情移入のテクニックを使うように努めた」「そしてソ連国内の一部の人は、わがアメリカを本当に恐れているようだと私は理解している、と続けた」(同)
こうした想起を通して、相手側の不安と自国側の不安とが"鏡映し"であることを実感したレーガン大統領が、ソ連との対話を模索する中で実現したのが、85年11月にジュネーブで行われたゴルバチョフ書記長との首脳会談だったのです。
同じく核問題の解決の必要性を強く認識していたゴルバチョフ書記長と、胸襟を開いた対話を続けた結果、両首脳による共同声明として世界に発信されたのが、「核戦争に勝者はなく、また、核戦争は決して戦われてはならない」との有名なメッセージでした。
そこには「共通の安全保障」に通じる考え方が脈打っており、それが87年12月のINF全廃条約の締結へとつながり、冷戦を終結させる原動力ともなっていったのです。
時を経て再び、核兵器を巡る緊張が高まり、"新冷戦"とまで呼ばれる状況に世界が直面する今、「共通の安全保障」の精神を呼び覚ますことが大切ではないでしょうか。
ゆえに私は、NPT発効50周年を迎えるにあたり、「核戦争に勝者はなく、また、核戦争は決して戦われてはならない」との宣言を、NPTの締約国の総意として今回の再検討会議の最終文書に明記することを提案したい。
国連が2018年5月に発表した軍縮アジェンダでも、「人類を救うための軍縮」との視座が打ち出されていました。作成に携わった国連の中満泉・軍縮担当上級代表は、その発表翌日に行ったスピーチで、軍縮と安全保障との関係について、こう述べています。
「軍縮は、国際平和と安全保障の原動力であり、国家の安全保障を確保するための有用な手段である」
「軍縮はユートピア的な理想ではなく、紛争を予防し、いついかなる時、場所であれ、紛争が起こった際に、その影響を緩和するための具体的な追求である」と。
自国の安全保障を確保するための「有用な手段」として核軍縮の交渉を進め、他の国々が感じてきた脅威や不安を取り除くことで、自国が他国から感じてきた脅威や不安を取り除いていく——。
NPT第6条が求める核軍縮の誠実な履行を、こうした互いが勝者となる"ウィンウィンの関係"を基盤として、今こそ力強く推進していくべきであると訴えたいのです。
◇核運用におけるAI導入やサイバー攻撃の禁止が急務
◇新技術の発達が兵器に及ぼす影響
また私がもう一つ、NPT再検討会議で目指すべき合意として特に求めたいのは、「核関連システムに対するサイバー攻撃」や「核兵器の運用におけるAI導入」の危険性に対する共通認識を深め、禁止のルールづくりのための協議を開始することです。
インターネットなどのサイバー空間やAIに関する新技術は、社会に多くの恩恵をもたらしてきた一方で、それを軍事的な目的に利用しようとする動きが進んでいます。
昨年3月、こうした新技術に伴う問題を巡る会議がベルリンで行われました。
EU(欧州連合)やNATO(北大西洋条約機構)の国々をはじめ、ロシア、中国、インド、日本、ブラジルの政府代表が参加した会議で焦点となったのは、ロボット兵器の通称で呼ばれる自律型致死兵器システム(LAWS)の問題に加えて、新技術の発達が核兵器などの多くの兵器に及ぼす影響についてでした。
その上で、ドイツとオランダとスウェーデンの外相による政治宣言として、「技術的に進化した軍事能力がいかにして戦争の性格を変え、世界の安全保障に影響を与えるかについて、共通の理解を構築する必要がある」(IDN—InDepthNews 2019年3月17日配信)との問題提起がされていたのです。
核兵器に安全保障を依存してきた国などからも懸念が示されるほど、新技術の発達のスピードは速く、私は、緊急性が増す核兵器と新技術を巡る討議をNPTの枠組みで早急に開始することを提案したい。
1995年にNPTの無期限延長が決まった時、条約の再検討では、過去の合意の達成状況の精査だけでなく、将来において進展が図られるべき分野と、そのための手段を特定する重要性が提起されていました。
核兵器と新技術の問題は、緊急性と被害の甚大さを踏まえると、まさに最優先で取り上げるべき分野ではないかと思うのです。
まずサイバー攻撃に関して言えば、核兵器の指揮統制だけでなく、早期警戒、通信、運搬など多岐にわたるシステムに危険が及ぶ恐れがあります。
いずれかのシステムに対して、サイバー攻撃が実行されることになれば、単なる不正侵入にとどまらず、最悪の場合、核兵器の発射や爆発を引き起こす事態を招きかねません。
この問題に関し、国連のグテーレス事務総長も警鐘を鳴らしていました。
「国連憲章を含め、国際法がサイバー空間にも適用されるというコンセンサスはすでに存在しています。しかし、実際に国際法がどのように適用されるのか、また、国家が法律の枠内で悪意ある、または敵対的な行為にいかに対応できるのかについては、コンセンサスはありません」(国連広報センターのウェブサイト)と。
その基盤をつくる意味でも、「核関連システムに対するサイバー攻撃」の禁止をNPTの枠組みを通して早急に確立し、核リスクの低減を図るべきではないでしょうか。
◇不安や猜疑心を強める危険
同じく、「核兵器の運用におけるAI導入」も、多くの危険を引き寄せかねないものです。
ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)が昨年5月に発表した報告書では、その問題点を詳しく分析しています。
それによると、核保有国にとってのAI導入のメリットは、人間の場合には避けられない疲労や恐怖を排除できることに加え、深海や極地といった厳しい生存環境や危険が伴う場所での任務を無人の装置で代替できることなどが挙げられるといいます。
しかし、AIへの依存度を強めれば強めるほど、核兵器の運用を不安定にする要素が増え、かえって核使用のリスクを高める方向に働きかねないと警告しているのです。
そこでは、従来の核抑止論の基盤をなしてきた相手の出方に関する心理学的な認知が通用しなくなることが指摘されています。
AIが主要な役割を担うようになれば、状況判断の過程がブラックボックス化して、相手の出方がますます読めなくなり、不安や猜疑心がさらに募る状態を招くからです。
報告書は、こう記しています。
「冷戦中、アメリカとソ連は互いの戦略システムと行動を研究するために多大な時間と努力を費やし、国防関係の代表は、必ずしも生産的というわけではなかったにせよ、頻繁に会っていた」と。
心理学的な認知といっても、直接の出会いを重ねる実体験が伴っていたからこそ、相手の出方をある程度予測できる関係を築くことができていたのではないでしょうか。
また冷戦時代、誤った情報や装置の誤作動で、他国から核ミサイルの発射があったとの警報が出る事態が何度も起きました。
その時に、危機を未然に防いだのは、監視画面に表示された情報をうのみにせず、情勢的にそれはあり得ないとの健全な懐疑心を働かせて、対抗措置としての核攻撃の中止を進言した人々の存在だったのです。
まして現在は、サイバー攻撃による「ハッキング」や「なりすまし」の危険にもさらされており、AIの導入が進めば、誤った情報に対してだけでなく、偽の情報に対する脆弱性も増すことになりかねません。
もちろん、AIへの依存度がどれだけ強まったとしても、核兵器の発射の最終判断は、人間の手を離れることはまずないでしょう。
しかし、AIの導入競争が核保有国の間で進むことが、深刻なジレンマをもたらす危険性に目を向ける必要があります。
AIの導入は自国が優位に立つための"軍事行動のスピード化"につながるかもしれませんが、一方でそれは、1962年のキューバ危機の際にケネディ大統領やフルシチョフ書記長が直面したようなジレンマを、少しの猶予も許さずに迫るものとなるからです。
世界を震撼させた危機の教訓を顧みて、ケネディ大統領はこう述べました。
「核保有国は、相手国に対して、屈辱的な退却か核戦争かを強いるような対決を避けなければなりません」(『英和対訳ケネディ大統領演説集』長谷川潔訳注、南雲堂)と。
そのジレンマがどれほど薄氷を踏むものだったのか、悔恨がにじみ出ている言葉ですが、それでも当時の両首脳には"13日間"という熟議を重ねる時間がありました。
ところが、スピード化の競争が進めば、相手に先を越されることへのプレッシャーが一層強まって、熟議に基づく判断の介在する余地がそれだけ失われることになります。
この点、SIPRIの報告書でも、「より速く、より賢く、より正確で、より多目的な兵器を探求することは、不安定な軍拡競争をもたらす可能性がある」と指摘しています。
核兵器とAIとの結びつきは先制攻撃を促す方向に働くことはあっても、核戦争を止める力にはなりえないと強く訴えたいのです。
NPTの前文に刻まれているように、核戦争の危険を回避するためにあらゆる努力を払うことが、条約を貫く精神だったはずです。
その一点を全締約国の共通の土台としながら、サイバー攻撃やAIの導入を巡る協議を今後進める中で、核兵器に安全保障を依存し続けることの意味についても問い直していくことが、肝要ではないでしょうか。
新しい人に光を当て
新しい力を引き出そう。
「ほむれば弥功徳まさる」
真心の励ましの波動を!
人材を育む真の人材たれ
2020年2月3日
上野殿御返事 P1537
『欲界第六天の魔王無量の眷属を具足してうち下り、摩竭提国の提婆阿闍世六大臣等の身に入りかはりしかば形は人なれども力は第六天の力なり』
【通解】
欲界の第六天の魔王が量り知れないほどの眷属を引き連れて打ち下り、摩竭提国の提婆達多や阿闍世王や六大臣等の身に入り替わったので、形は人間であっても力は第六天の魔王の力であった。
名字の言 小さな目標達成の積み重ね——心理学の「スモールステップの原理」とは? 2020年2月3日
男子部の小単位の集いに参加した時のこと。一人の大学校生が「唱題と読書がなかなかできなくて……」と不安顔。先輩が言った。「まず、"これならできる"という目標を決め、挑戦してみよう」▼1週間後の集い。「朝晩5分ずつ唱題を実践し、小説『人間革命』を毎日2ページ読みました!」と大学校生。"一歩前進"の報告に、拍手と笑顔が広がった▼その後、少しずつ目標を上げていった彼は、1年間で100万遍の題目を唱え、小説『人間革命』全12巻を読了。さらに友人に弘教を実らせた。「毎週の"できた!"という喜びが自信になりました。次もみんなに報告しようと思うと、頑張り抜くことができたんです」▼心理学には「スモールステップの原理」という考え方がある。高い目標を目指すために、小さな目標を段階的に達成していくことが重要というもの。それによって意欲が高まり、行動が持続する。臨床心理士の黒澤礼子さんは本紙で「ちょっと努力したら越えられそうな小さな目標を設定して、上手にできたら褒める(スモールステップ)といった地道な努力が大切」と語った▼広布拡大の挑戦は、人と比べるものではない。"昨日の自分"を越えたかどうか。一人一人の"きょうの一歩"を皆でたたえ合い、朗らかに前進しよう。(叶)
寸鉄 2020年2月3日
さあ勇敢に楽しく戦おうじゃないか—戸田先生。痛快なる拡大の劇を皆と
「法華経は随自意なり」御書。相手を思う誠意は通じる。堂々と語り抜け
笑顔忘れぬ人は本番にも強いと。受験本番。鳳雛よ悔いなく。実力出し切れ
防災地図の認知度は3割—調査。地域に潜む危険を知る。これ命守る一歩
金融機関4割にサイバー攻撃が。不審なメールは開かない等、警戒我らも
☆第45回SGI提言� 「核兵器禁止条約」の本年中の発効を
◇核兵器禁止条約を早期に発効し被爆地で「民衆フォーラム」を開催
続いて、誰もが尊厳をもって安心して生きられる「持続可能な地球社会」の建設に向けて、4項目の具体的な提案を行いたい。
第一の提案は、核兵器禁止条約に関するものです。
広島と長崎への原爆投下から75年にあたる本年中に、核兵器禁止条約を何としても発効に導き、"核時代と決別する出発年"としていくことを強く呼び掛けたい。
2017年7月の採択以来、これまで80カ国が署名し、35カ国が批准を終えました。条約発効に必要となる「50カ国の批准」を早期に実現するために、参加国の拡大の勢いを増していくことが求められます。
こうした中、アメリカとロシアの間で核軍縮の礎石となってきた中距離核戦力(INF)全廃条約(※注4)が失効するなど、核軍拡競争が、今再び激化しようとしています。
国連軍縮研究所のレナタ・ドゥワン所長が「核兵器が使われるリスクは第2次世界大戦後で最も高い」と警告するような状況に直面しており、核兵器禁止条約の発効をもって明確な楔を打ち込むことが急務であると思えてなりません。
◇世界の方向性を形づくる国際規範
現在のところ、核兵器禁止条約には核保有国や核依存国は加わっていませんが、発効によって打ち立てられる"いかなる場合も核兵器の使用を禁止する"との規定には、非常に大きな歴史的意義があります。
そこには何より、広島と長崎の被爆者をはじめ、核開発や核実験による被害を受けた世界のヒバクシャが抱き続けてきた"二度と同じ苦しみを誰にも経験させたくない"との誓いが凝縮されています。
その上、国連のグテーレス事務総長が核兵器の完全な廃絶は「国連のDNA」であると強調しているように、1946年に初開催された国連総会での第1号決議で核兵器の廃絶が掲げられて以来、核問題の解決を求める決議が何度も積み重ねられる中で、ついに実現をみたのが核兵器禁止条約だったからです。
また、核兵器禁止条約への署名と批准の広がりは、50年前(1970年3月)に発効した核拡散防止条約(NPT)と比べても、さほど変わるものではありません。
NPTの発効時の署名国は97カ国で、批准国は47カ国にすぎませんでした。
それでも、NPTを通じて"核兵器の拡散は許されない"との規範意識が次第に定着していく中で、核兵器の保有を検討していた国の多くが非核の道を選び取ったほか、南アフリカ共和国のように、一時は核兵器を開発して保有しながらも自発的に廃棄を果たし、NPTの枠組みに加わった国まで現れました。
核兵器の拡散防止も、NPTが発効するまでは「理想」の段階にとどまっていた。しかし、ひとたび条約が発効し、批准国が拡大することで、世界のあり方を大きく規定する「現実」へと変わっていったのです。
このように、最初の段階で締約国が十分な広がりを見せていなかったとしても、条約の発効には世界の新しい方向性を明確に形づくる影響力があるといえましょう。
新たな国際規範を設けることの意義について論じた興味深い考察があります。
核兵器禁止条約に先駆けて、核廃絶を実現するための草案としてモデル核兵器条約を97年に起草した、メラフ・ダータン氏とユルゲン・シェフラン氏は、論考の中でこう述べています。
「国際法と国際関係との領域の区分が、理想と現実とのギャップを示しているとすれば、モデル核兵器条約は理想を形にしたもので、NPTは現実を表しているといえよう」
「核兵器禁止条約は、この理想と現実の両方を体現したものだ。核兵器国の署名がまだないために理想ともいえるが、条約が存在するという点において現実である」と。
その上で両氏は、「条約への反対や軍縮への抵抗が実際にあるとしても、規範の価値とその発展を打ち消すものではない」と強調していますが、私も深く同意するものです。
今後の焦点となるのは、条約の発効によって打ち立てられる"いかなる場合も核兵器の使用を禁止する"との規定に対し、どの国であろうと揺るがすことのできない重みを帯びさせることではないでしょうか。
ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)の国際運営団体の一つである「ノルウェー・ピープルズエイド」の昨年の報告書によると、核兵器禁止条約を支持する国々は135カ国にのぼるといいます。
加えて各国の自治体の間でも、条約の支持を表明する動きが広がっています。
2年前に始まった「ICANシティーズ・アピール」には、核保有国のアメリカ、イギリス、フランスをはじめ、核依存国のドイツ、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、イタリア、スペイン、ノルウェー、カナダ、日本、オーストラリアのほか、スイスの自治体が加わっています。
その中には、核保有国の首都であるワシントンDCやパリに加え、核依存国の首都であるベルリン、オスロ、キャンベラも含まれているのです。
また昨年10月には、すべての国に核兵器禁止条約への加盟を求める「ヒバクシャ国際署名」が国連に提出されました。
広島と長崎の被爆者の呼び掛けで4年前に始まった活動で、創価学会平和委員会も運営団体として参画してきましたが、核保有国や核依存国を含む多くの国から1051万人の署名が寄せられたのです。
このようにさまざまな形で表れているグローバルな民意を、さらに力強く結集する中で、"核兵器の禁止の規範化"を大きく前に進めることが重要ではないでしょうか。
◇どの国の民衆にも惨害を起こさない
そこで提案したいのは、核兵器禁止条約の発効後に行われる第1回締約国会合を受ける形で、世界のヒバクシャをはじめ、条約を支持する各国の自治体やNGO(非政府組織)の代表らが参加しての「核なき世界を選択する民衆フォーラム」を、広島か長崎で開催することです。
「核なき世界を選択する民衆フォーラム」の開催を提案したのは、"どの国の民衆にも核兵器の惨害を起こしてはならない"との共通認識に基づく議論を民衆自身の手で喚起することが、核兵器の禁止を「グローバルな人類の規範」として根付かせるために欠かせないと考えるからです。
唯一の戦争被爆国である日本が、核兵器の非人道性を巡る国際的な議論をさらに深めるための努力を重ね、核保有国と非保有国の橋渡しの役割を担うことを切に望むものです。
過去70年以上にわたって厚い壁に覆われ続けていた、核兵器禁止条約の交渉開始への突破口を開いたのは、2013年から3回にわたって開催されてきた「核兵器の人道的影響に関する国際会議」でした。
そこでの議論を通じて浮かび上がったのが、次のような重要な観点です。
�いかなる国も国際機関も、核爆発によって引き起こされた直接的被害に適切に対処し、被害者を救援するのは困難であること。
�核爆発の影響は国境内に押しとどめることは不可能で、深刻で長期的な被害をもたらし、人類の生存さえ脅かしかねないこと。
�核爆発による間接的な影響で社会・経済開発が阻害され、環境も悪化するために、貧しく弱い立場に置かれた人々が最も深刻な被害を受けること。
このように、「核兵器で守ろうとする国家の安全」ではなく、「核兵器の使用によって被害を受ける人間」の側から問題の所在が明らかにされていく中で、核兵器禁止条約の交渉開始のうねりが高まっていったのです。
◇人権法の中核をなす「生命に対する権利」
核兵器禁止条約の採択後も、2018年10月に国連の自由権規約委員会が、"核兵器の威嚇と使用は「生命に対する権利」の尊重と相容れない"と明記した一般的意見を採択するという動きがありました。
「生命に対する権利」は、市民的及び政治的権利に関する国際規約(自由権規約)において、緊急事態であっても例外なく守られなければならない"逸脱できない権利"として位置付けられており、国際人権法の中でも際立って重要とされているものです。
国際人権法の中核をなす権利との関係において、核兵器の威嚇と使用の重大な問題性が明確に指摘されたことの意義は、誠に大きいと思えてなりません。
私の師である戸田第2代会長が1957年9月に発表した「原水爆禁止宣言」で何よりの立脚点にしていたのも、世界の民衆の生存の権利を守る重要性にほかなりませんでした。
核兵器禁止条約の第1回締約国会合の開催を受ける形で、「核なき世界を選択する民衆フォーラム」を行い、この「生命に対する権利」に特に焦点を当てながら、人権の観点から核兵器の非人道性を浮き彫りにする議論を深めていってはどうかと思うのです。
◇母と子が安心して暮らせる世界を!
また、民衆フォーラムの開催を通して、核兵器の禁止によって築きたい世界の姿について、互いの思いを分かち合う場にしていくことを呼び掛けたい。
核兵器禁止条約の制定にあたって、これまで核問題とは結びつけられてこなかったジェンダーの視座が盛り込まれたのも、長らく見過ごされてきた被害の実相を浮かび上がらせた女性の声がきっかけでした。
2014年12月に行われた第3回の「核兵器の人道的影響に関する国際会議」で、メアリー・オルソンさんが、核兵器使用による放射線の有害性が男性よりも女性に顕著に表れる事実を明確に示したことを機に議論が深まる中で、核兵器禁止条約の前文に次の一文が明記されるようになったのです。
「女性及び男性の双方による平等、十分かつ効果的な参加は、持続可能な平和及び安全を促進し及び達成することにとり不可欠な要素であることを認識し、女性の核軍縮への効果的な参加を支援しかつ強化することを約束する」と。
これは、核兵器の禁止を通して目指すべき世界のビジョンの輪郭を、ジェンダーの視座から照らし出したものといえましょう。
創価学会が長年にわたって発刊してきた広島と長崎の被爆証言集にも、多くの女性たちの体験が収録されています。
このうち4年前に発刊した『女性たちのヒロシマ』では、14人の女性による証言を通し、被爆の影響による後遺症などへの不安を抱える中で、結婚や出産をはじめ、女性であるがゆえに強く受けてきた偏見や苦しみが綴られています。
しかし、そのメッセージは"同じ悲劇を誰にも経験させたくない"との被爆者としての強い実感にとどまるものではありません。
副題が「笑顔かがやく未来(あした)へ」となっているように、"母と子が安心して平和に暮らせる世界を共に築きたい"との誓いが脈打っているのです。
核兵器禁止条約の普遍性を高めるためには、「人間としての実感」に根差した思いを多くの人々の間で分かち合うことが、重要な意味を持ってくるのではないでしょうか。
平和や軍縮に関心を持つ人だけでなく、ジェンダーや人権の問題、さらには家族や子どもたちの未来に思いを馳せる人たちをはじめ、国や立場の違いを超えた多くの民衆の支持が結集されてこそ、核兵器禁止条約は「グローバルな人類の規範」としての力を宿していくに違いないと確信するのです。
☆第45回SGI提言� 保有5カ国による核軍縮交渉を開始
◇新STARTの延長を基盤に保有5カ国で核軍縮条約を
◇NPT再検討会議で実現すべき合意
次に第二の提案として、核軍縮を本格的に進めるための方策について述べたい。
具体的には、4月から5月にかけてニューヨークの国連本部で行われるNPT再検討会議で、「多国間の核軍縮交渉の開始」についての合意と、「AI(人工知能)などの新技術と核兵器の問題を巡る協議」に関する合意を最終文書に盛り込むことを呼び掛けたいと思います。
一つ目の合意については、アメリカとロシアとの新戦略兵器削減条約(新START)の延長を確保した上で、多国間の核軍縮交渉の道を開くことが肝要となると考えます。
新STARTは、両国の戦略核弾頭を1550発にまで削減するとともに、大陸間弾道ミサイルや潜水艦発射弾道ミサイルなどの配備数を700基にまで削減する枠組みで、明年2月に期限を迎えます。
5年間の延長が可能となっていますが、協議は難航しており、INF全廃条約に続いて新STARTの枠組みまで失われることになれば、およそ半世紀ぶりに両国が核戦力の運用において"相互の制約を一切受けない状態"が生じることになります。
この空白状態によって生じる恐れがあるのは、核軍拡競争の再燃だけではありません。
今後、小型の核弾頭や超音速兵器の開発が加速することで、局地的な攻撃において核兵器を使用することの検討さえ現実味を帯びかねないとの懸念の声も上がっています。
ゆえに、新STARTの5年延長を確保することがまずもって必要であり、NPT再検討会議での議論を通して、核兵器の近代化に対するモラトリアム(自発的停止)の流れを生み出すことが急務だと訴えたい。その上で、「次回の2025年の再検討会議までに、多国間の核軍縮交渉を開始する」との合意を図るべきではないでしょうか。
50年にわたるNPTの歴史で、核軍縮の枠組みができたのはアメリカとロシアとの2国間だけであり、多国間の枠組みに基づく核軍縮は一度も実現していません。
NPTはすべての核兵器国が核軍縮という目標を共有し、完遂を誓約している唯一の法的拘束力のある条約であることを、今一度、再検討会議の場で確認し合い、目に見える形での行動を起こす必要があります。
具体的な進め方については、さまざまなアプローチがあるでしょうが、私はここで一つの試案を提示しておきたい。
それは、「新STARTの5年延長」を土台にした上で、アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国の5カ国による新たな核軍縮条約づくりを目指し、まずは核軍縮の検証体制に関する対話に着手するという案です。
これまでアメリカとロシアが実際に行ってきた検証での経験や、多くの国が参加して5年前から継続的に行われてきた「核軍縮検証のための国際パートナーシップ」での議論も踏まえながら、5カ国で核軍縮を実施するための課題について議論を進めていく。
その上で、対話を通じて得られた信頼醸成を追い風にして、核兵器の削減数についての交渉を本格的に開始することが望ましいのではないかと思います。
◇共通の安全保障の精神を顧みる
多国間の核軍縮の機運を高めるために重要な鍵を握ると考えるのは、冷戦終結の道を開く後押しとなった「共通の安全保障」の精神を顧みることです。
1982年6月に行われた国連の第2回軍縮特別総会に寄せて、スウェーデンのパルメ首相らによる委員会が打ち出したもので、"核戦争に勝者はない"との認識に基づいて、次のような意識転換が促されていました。
「諸国家はもはや、他国を犠牲にして安全性を追求することはできない。すなわち相互協力によってしか、安全は得られない」(『共通の安全保障』森治樹監訳、日本放送出版協会)と。
私もその時、第2回軍縮特別総会に向けた提言で、「膨大な核戦力が対峙している以上、いかに軍事力を増強させようと、とうてい真の平和は保ちえない」と訴えていただけに、深く共感できる考え方でした。
その前年(81年)、アメリカとソ連の関係が厳しさを増す中で、レーガン大統領は対決姿勢を鮮明にし、ヨーロッパでの限定核戦争もあり得るとまで発言していました。
当時の心境について、レーガン大統領はこう記しています。
「われわれの政策は、力と現実主義に基づいたものでなければならない。私が望んだのは力を通じての平和であって、一片の紙切れを通じての平和ではなかった」(『わがアメリカンドリーム』尾崎浩訳、読売新聞社)と。
しかし、欧米諸国の市民による反核運動の高まりがあり、核兵器の使用がもたらす壊滅的な被害に対する認識も深めるにつれて、レーガン大統領は"核戦争を起こしてはならない"との思いを強めていった。
また、核兵器で対峙するソ連の人々がどんな気持ちを抱いているかについて思いを馳せる中で、ソ連のチェルネンコ書記長に手紙を送った時のことを回想し、こう綴っていました。
「チェルネンコへの手紙の中で私は、直接的、かつ内密に交信することはわれわれ双方にとって利益があると思っている、と述べた。そして俳優時代になじんだ感情移入のテクニックを使うように努めた」「そしてソ連国内の一部の人は、わがアメリカを本当に恐れているようだと私は理解している、と続けた」(同)
こうした想起を通して、相手側の不安と自国側の不安とが"鏡映し"であることを実感したレーガン大統領が、ソ連との対話を模索する中で実現したのが、85年11月にジュネーブで行われたゴルバチョフ書記長との首脳会談だったのです。
同じく核問題の解決の必要性を強く認識していたゴルバチョフ書記長と、胸襟を開いた対話を続けた結果、両首脳による共同声明として世界に発信されたのが、「核戦争に勝者はなく、また、核戦争は決して戦われてはならない」との有名なメッセージでした。
そこには「共通の安全保障」に通じる考え方が脈打っており、それが87年12月のINF全廃条約の締結へとつながり、冷戦を終結させる原動力ともなっていったのです。
時を経て再び、核兵器を巡る緊張が高まり、"新冷戦"とまで呼ばれる状況に世界が直面する今、「共通の安全保障」の精神を呼び覚ますことが大切ではないでしょうか。
ゆえに私は、NPT発効50周年を迎えるにあたり、「核戦争に勝者はなく、また、核戦争は決して戦われてはならない」との宣言を、NPTの締約国の総意として今回の再検討会議の最終文書に明記することを提案したい。
国連が2018年5月に発表した軍縮アジェンダでも、「人類を救うための軍縮」との視座が打ち出されていました。作成に携わった国連の中満泉・軍縮担当上級代表は、その発表翌日に行ったスピーチで、軍縮と安全保障との関係について、こう述べています。
「軍縮は、国際平和と安全保障の原動力であり、国家の安全保障を確保するための有用な手段である」
「軍縮はユートピア的な理想ではなく、紛争を予防し、いついかなる時、場所であれ、紛争が起こった際に、その影響を緩和するための具体的な追求である」と。
自国の安全保障を確保するための「有用な手段」として核軍縮の交渉を進め、他の国々が感じてきた脅威や不安を取り除くことで、自国が他国から感じてきた脅威や不安を取り除いていく——。
NPT第6条が求める核軍縮の誠実な履行を、こうした互いが勝者となる"ウィンウィンの関係"を基盤として、今こそ力強く推進していくべきであると訴えたいのです。
◇核運用におけるAI導入やサイバー攻撃の禁止が急務
◇新技術の発達が兵器に及ぼす影響
また私がもう一つ、NPT再検討会議で目指すべき合意として特に求めたいのは、「核関連システムに対するサイバー攻撃」や「核兵器の運用におけるAI導入」の危険性に対する共通認識を深め、禁止のルールづくりのための協議を開始することです。
インターネットなどのサイバー空間やAIに関する新技術は、社会に多くの恩恵をもたらしてきた一方で、それを軍事的な目的に利用しようとする動きが進んでいます。
昨年3月、こうした新技術に伴う問題を巡る会議がベルリンで行われました。
EU(欧州連合)やNATO(北大西洋条約機構)の国々をはじめ、ロシア、中国、インド、日本、ブラジルの政府代表が参加した会議で焦点となったのは、ロボット兵器の通称で呼ばれる自律型致死兵器システム(LAWS)の問題に加えて、新技術の発達が核兵器などの多くの兵器に及ぼす影響についてでした。
その上で、ドイツとオランダとスウェーデンの外相による政治宣言として、「技術的に進化した軍事能力がいかにして戦争の性格を変え、世界の安全保障に影響を与えるかについて、共通の理解を構築する必要がある」(IDN—InDepthNews 2019年3月17日配信)との問題提起がされていたのです。
核兵器に安全保障を依存してきた国などからも懸念が示されるほど、新技術の発達のスピードは速く、私は、緊急性が増す核兵器と新技術を巡る討議をNPTの枠組みで早急に開始することを提案したい。
1995年にNPTの無期限延長が決まった時、条約の再検討では、過去の合意の達成状況の精査だけでなく、将来において進展が図られるべき分野と、そのための手段を特定する重要性が提起されていました。
核兵器と新技術の問題は、緊急性と被害の甚大さを踏まえると、まさに最優先で取り上げるべき分野ではないかと思うのです。
まずサイバー攻撃に関して言えば、核兵器の指揮統制だけでなく、早期警戒、通信、運搬など多岐にわたるシステムに危険が及ぶ恐れがあります。
いずれかのシステムに対して、サイバー攻撃が実行されることになれば、単なる不正侵入にとどまらず、最悪の場合、核兵器の発射や爆発を引き起こす事態を招きかねません。
この問題に関し、国連のグテーレス事務総長も警鐘を鳴らしていました。
「国連憲章を含め、国際法がサイバー空間にも適用されるというコンセンサスはすでに存在しています。しかし、実際に国際法がどのように適用されるのか、また、国家が法律の枠内で悪意ある、または敵対的な行為にいかに対応できるのかについては、コンセンサスはありません」(国連広報センターのウェブサイト)と。
その基盤をつくる意味でも、「核関連システムに対するサイバー攻撃」の禁止をNPTの枠組みを通して早急に確立し、核リスクの低減を図るべきではないでしょうか。
◇不安や猜疑心を強める危険
同じく、「核兵器の運用におけるAI導入」も、多くの危険を引き寄せかねないものです。
ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)が昨年5月に発表した報告書では、その問題点を詳しく分析しています。
それによると、核保有国にとってのAI導入のメリットは、人間の場合には避けられない疲労や恐怖を排除できることに加え、深海や極地といった厳しい生存環境や危険が伴う場所での任務を無人の装置で代替できることなどが挙げられるといいます。
しかし、AIへの依存度を強めれば強めるほど、核兵器の運用を不安定にする要素が増え、かえって核使用のリスクを高める方向に働きかねないと警告しているのです。
そこでは、従来の核抑止論の基盤をなしてきた相手の出方に関する心理学的な認知が通用しなくなることが指摘されています。
AIが主要な役割を担うようになれば、状況判断の過程がブラックボックス化して、相手の出方がますます読めなくなり、不安や猜疑心がさらに募る状態を招くからです。
報告書は、こう記しています。
「冷戦中、アメリカとソ連は互いの戦略システムと行動を研究するために多大な時間と努力を費やし、国防関係の代表は、必ずしも生産的というわけではなかったにせよ、頻繁に会っていた」と。
心理学的な認知といっても、直接の出会いを重ねる実体験が伴っていたからこそ、相手の出方をある程度予測できる関係を築くことができていたのではないでしょうか。
また冷戦時代、誤った情報や装置の誤作動で、他国から核ミサイルの発射があったとの警報が出る事態が何度も起きました。
その時に、危機を未然に防いだのは、監視画面に表示された情報をうのみにせず、情勢的にそれはあり得ないとの健全な懐疑心を働かせて、対抗措置としての核攻撃の中止を進言した人々の存在だったのです。
まして現在は、サイバー攻撃による「ハッキング」や「なりすまし」の危険にもさらされており、AIの導入が進めば、誤った情報に対してだけでなく、偽の情報に対する脆弱性も増すことになりかねません。
もちろん、AIへの依存度がどれだけ強まったとしても、核兵器の発射の最終判断は、人間の手を離れることはまずないでしょう。
しかし、AIの導入競争が核保有国の間で進むことが、深刻なジレンマをもたらす危険性に目を向ける必要があります。
AIの導入は自国が優位に立つための"軍事行動のスピード化"につながるかもしれませんが、一方でそれは、1962年のキューバ危機の際にケネディ大統領やフルシチョフ書記長が直面したようなジレンマを、少しの猶予も許さずに迫るものとなるからです。
世界を震撼させた危機の教訓を顧みて、ケネディ大統領はこう述べました。
「核保有国は、相手国に対して、屈辱的な退却か核戦争かを強いるような対決を避けなければなりません」(『英和対訳ケネディ大統領演説集』長谷川潔訳注、南雲堂)と。
そのジレンマがどれほど薄氷を踏むものだったのか、悔恨がにじみ出ている言葉ですが、それでも当時の両首脳には"13日間"という熟議を重ねる時間がありました。
ところが、スピード化の競争が進めば、相手に先を越されることへのプレッシャーが一層強まって、熟議に基づく判断の介在する余地がそれだけ失われることになります。
この点、SIPRIの報告書でも、「より速く、より賢く、より正確で、より多目的な兵器を探求することは、不安定な軍拡競争をもたらす可能性がある」と指摘しています。
核兵器とAIとの結びつきは先制攻撃を促す方向に働くことはあっても、核戦争を止める力にはなりえないと強く訴えたいのです。
NPTの前文に刻まれているように、核戦争の危険を回避するためにあらゆる努力を払うことが、条約を貫く精神だったはずです。
その一点を全締約国の共通の土台としながら、サイバー攻撃やAIの導入を巡る協議を今後進める中で、核兵器に安全保障を依存し続けることの意味についても問い直していくことが、肝要ではないでしょうか。
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