「不安」や「諦め」を
「希望」と「勇気」に!
友の一念を変えるのは
大生命力の励ましだ。
個人指導に全力を!
食物三徳御書 P1598
『食には三の徳あり、一には命をつぎ二にはいろをまし三には力をそう』
◇人生の座標
世界の舞台では、にじみ出てくる教養、人格がなければ、ほかのことがどんなに優秀でも尊敬されません。
読書が人間を「人間」にするのです。単なる技術屋であってはならない。
どんな立場の指導者であれ、世界的な長編小説も読んでいないのでは、立派な指導者になれるわけがない。
☆こころに響く言葉
恐ろしい精神的危機
私の最も恐ろしいのは
精神的危機であると
知ったが故に
勇気ある信仰を堅持する
☆「生きる」とは戦うこと 第3回
連載「生老病死を見つめて」では、創価学会員が信心を根本に、生老病死という「四苦」を乗り越えてつかんだ信仰の確信と仏法の哲理をルポ形式で紹介する。
「『生きる』とは戦うこと」の第3回は、家族の度重なる病魔に挑む婦人の奮闘を追う。
◇「心の財第一」との基準
本連載の取材を重ねる中で、記者が実感していることがある。
それは、学会員の「心の強さ」である。
3回にわたる悪性リンパ腫を乗り越えた壮年や、幼い娘を亡くしながらも悲嘆を乗り越えて同志に希望を送る婦人、末期がんでありながら朗らかに生き抜く青年など、取材を通して信仰を持った人間の″強さ″に何度も驚き、目頭を熱くしてきた。
取材中、″もし自分が同じ立場だったら、乗り越えられるだろうか?″と自問自答することも多い。心が折れてもおかしくないような苦境に直面しても、学会員は決して諦めない。また、くじけない。実はそのこと自体が、この信仰の最大の特長ではないかと思う。
日蓮大聖人は『蔵の財よりも身の財すぐれたり身の財より心の財第一なり』(P1173)と仰せである。
「蔵の財」とは、金銭やモノなどの財産。「身の財」とは体のことであり、肉体的な健康や、自分の身に付けた技能なども入る。
これに対して「心の財」とは、いかなる試練にも負けない生命の強さや輝きであり、人間性の豊かさともいえる。
さらには「心の財」を積むことで、「自他共の幸福」を願う生命が呼び覚まされる。
この「心の財」こそ、人生において最も重要であるとの価値基準を、大聖人は明確に示されているのだ。
「心の財」は、さまざまな言葉で言い換えることができる。その一つが、何かあっても「負けない」ということではないだろうか。
◇19年にわたる夫の介護
今回取材した茨城県日立市在住の沢畠久美子さん(63)=日立大城圏副婦人部長=は、夫・一夫さん(63)=副本部長=を介護して19年になる。
1996年(平成8年)、大手電機メーカーに勤めていた一夫さんは自宅で倒れ、救急車で病院に運ばれた。夫は当時、44歳。突然の脳梗塞だった。
幸い一命を取り留めたが、夫は右の手足にまひが残り、言語障がいも患う。入院生活は1年半に及び、その後、在宅介護が始まった。
沢畠さんは25歳で結婚し、3人の子宝に恵まれた。
しかし、三男・直輝さん(31)=男子部員=の知的障がいが分かってからは、直輝さんにかかり切りの生活となっていた。92年には、同居していた義母が脳梗塞となり、重度の認知症に。2年半にわたる介護と入院生活の末、義母をみとる。夫の病は、義母の死から1年後の出来事だった。
「集中治療室で変わり果てた夫の姿を見たとき、涙が止まりませんでした。なぜ、夫がこんな目に……。夢であってほしいと、現実を受け入れるまで、何度もそう思いました」
当初は自身の境遇を恨んだ。次々と襲いかかる苦難。
現実を直視することはつらかった。
在宅介護による負担は大きく、経済的問題や将来への不安も頭から離れなかった。その中で心の支えとなったのは、池田名誉会長をはじめ地域の同志の励ましたった。
ある時、名誉会長の指針が目に留まった。
「妙法を弘めゆく、われら 学会員は、『如来の使い』であり、『大聖人の分身』である。したがって、いかなる時代の荒波の中にあろうと、仏に等しい皆さまが絶対に不幸になるわけがない。困難に負けるわけがない。ゆえに皆さまは、何があっても、朗らかに、前へ前へ進んでいただきたい」
その瞬間、沢畠さんはフッと心が軽くなったという。
「自分が仏と等しいと知り、さらに、その仏と等しい自分が不幸になることは絶対にないとの断言に勇気をもらいました。苦難が競い起こっても、自分が負けない限り幸せになれる?そう確信できるようになったのです」
◇仏とは「難をよく忍ぶ人」
沢畠さんは言う。
「当然、つらい時はありましたし、逃げ出したい気持ちに襲われることもあります。
でも、唱題すると、試練に立ち向かおう、苦難に挑もうという気持ちが湧いてくるんです。また、自分以上につらい思いをしているのは、夫なのだと思えるようになりました。『法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず』(P1335)との御文を心に刻んで、目の前の課題に挑戦する中で、気付けば介護も19年が過ぎていました」
夫の介護を続けながら、沢畠さんは広布のりリーダーとして奮闘。週3回のデイサービスを活用しながら、地域友好にも率先して取り組んできた。昨年は、友人への弘教も実らせている。
なぜ、そこまで頑張ることができたのか?
記者が尋ねると沢畠さんはこう語った。
「信仰への確信とともに、″絶対に乗り越える″という強い意志や使命感があったからだと思います。現状を嘆いているだけでは何も変わらない。でも、祈っていけば必ず前に進めることを、学会の同志の姿から学びました。困難に耐えながら、一歩でも1ミリでも、前に進んだ分だけ人生は開けると、池田先生は教えてくださっています」
大聖人は『此の世界をば娑婆と名く娑婆と申すは忍と申す事なり・故に仏をば能忍と名けたてまつる』(P935)と仰せである。
娑婆世界で、法華経を身で読み、難をよく忍ぶ人のことを仏という。苦難に耐えながら、少しでも前へと進む。実はその一歩こそが、大いなる未来を開いていく。仏とは 「負けない人」の異名とも言えるだろう。
沢畠さん自身、夫の介護を始めた当初は、無我夢中で、「″絶対に今の状況を変えて"みせる″という決意だけで行動してきた」と笑う。
「でも最近になって思うんです。夫の状況は19年たっても変わっていないし、子どものことで今も悩みます。それでも、家族がそろって暮らしていけること自体、とても幸せなことなんだって。苦しいことや、つらいことがある分、小さなことに喜びを見いだせて、幸せを強く感じられます。だから、何かあっても前に進み、負けないことが大事なんだと思います」