2015年6月1日月曜日

2015.05.30 わが友に贈る

地域貢献に励む友に
心からの称賛を!
「仏法即社会」だ。
日々の振る舞いで
信頼の絆を広げよう!

上野殿御返事 P1540
『あはれ法華経のよきかたきよ、優曇華か盲亀の浮木かとおぼしめしてしたたかに御返事あるべし』

◇人生の座標
社会や自然と直にコミュニケートしていくには、どうすればよいか−−。昨今の論議の中で、子どもたちにボランティアなどの活動を経験させる必要性を訴える意見も出ています。私は、これを「体験学習」のような単発的なものに終わらせず、継続性を持った内発的な活動として行っていくべきと考えます。

☆100文字の幸福抄
一生を何に捧げるのか。
それによって人生の価値も深さも決まる。
その人の真実は
人生の最終章に結晶されるものである。
ごまかしはきかない。
善も悪も正も邪も、人間の晩年は鏡のごとく
その人の生涯の軌跡を映し出す。

☆池田SGI会長指導選集 「幸福と平和を創る智慧」
仏法は、宿業を自らが「地涌の菩薩」として立てた誓願ゆえの悩みと捉え、宿命を使命に変える「一念の転換」の重要性を教えています。
戸田先生も、「初めから立派過ぎたのでは人々の中に入いっていけないから、われわれは仏法を弘めるためにわざわざ貧乏や病気の姿をとって生まれてきたんだよ」「人生は芝居に出ているようなものだよ」と、しばしば言われていた。
また、「戸田は妻を失い、娘まで亡くした。事業も失敗した。そういう苦悩を知っているからこそ、創価学会の会長となったのだ」とも言われていた。
苦労もない、悩みもないというのでは民衆の心が分かるわけがない。人生の辛酸をなめた人であってこそ、人々を救うことができるのです。
自分の苦しみを「業」ととらえるだけでは、後ろ向きになる。それを、あえて「使命のために引き受けた悩みなのだ」
「これを信心で克服することを自分が誓願したのだ」と、とらえるのです。
願兼於業は、この「一念の転換」を教えている。宿命を使命に変えるのです。自分の立てた誓願ゆえの悩みであるならば、絶対に乗り越えられないはずがない。
インドの国父、マハトマ・ガンジーは言っています。
「私がもし生まれてくるとしたら、不可触民として生まれてきたい。悲しみや苦悩や彼らに与えられた侮辱を分かちあい、みずからと不可触民をその悩める境遇から救い出すよう努めるために」
この心は「願兼於業」に通じると思う。慈悲です。「ともに生きる」ということです。
いちばん苦しんでいる人の中に、生まれてくるのです。
いちばん苦しんでいる人の中に、仏はいるのです。
いちばん苦しんでいる人を、いちばん幸福にするために仏法はあるのです。