◇今週のことば
人間革命は会うことから
広宣流布は語ることから
皆が幸福をつかむ
創価家族の世界へ
一人でも多くの友を!
2015年06月14日
富木殿御書 P969
『夫れ賢人は安きに居て危きを歎き佞人は危きに居て安きを歎く』
◇人生の座標
読書は、旅のようなものです。東へ西へ、南へ北へ、見知らぬ人たち、見知らぬ風景に出会える。
しかも、時間の制約もない。アレキサンダーとともに遠征したり、ソクラテスやユゴーとも友達になれる。
『徒然草』の吉田兼好も、「ひとり、燈のもとに文をひろげて見ぬ世の人を友とする」と表現しています。こんな喜びを知らないとは、何ともったいないことか。宝の山を前にしながら、何もとらないで帰ってしまうようなものだ。
☆こころに響く言葉
人生の充実感が幸福の内容
人は、必ずしも、日常のあらゆる行動において、
自分が幸福を求めて行動しているのだなどと意識しているわけではない。
ほとんどの場合、ただ当面の自己の目標を何とか実現しようと、希望を持ったり、
苦しんだりしながら、努力しているにすぎないであろう。
だが、それらの行動を、一歩深く掘りさげて考えていったとき、それらはみな、
人生の充実を求めての行動であることに気づく。この人生の充実こそが、幸福というものの内容である。
人間は、一日たりとも空虚ではいられないものである。
三日間も、孤独で空虚な、あたかも白壁に囲まれたような状況のもとで生活していると、
耐えられないであろう。芸術家が創作にうち込むのも、学者が研究に没頭するのも、
結局は、その世界における自己の充実を求めていると言えるのではなかろうか。
☆名誉会長と共に新時代を駆ける 第19回 師子王の心で大仏法を語れ
6月6日は、牧口初代会長の生誕144周年であった。創価の大連帯が平和への光となって五大州に広がる様子を、どれほどお喜びであろうか。戦時中、厳しき弾圧にも屈せず、正義を貫いて殉教された尊いご生涯を偲び、私は東京牧口記念会館で勤行・唱題した。
「初代会長牧口常三郎先生顕彰室」には、当時、使われていた牧口先生の「御書」が展示されていた。至るところに線が引かれ、書き込みがあり、峻厳な研鑽の姿が胸に迫る。
日蓮大聖人が大難の中で認められた佐渡御書の一節『師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし』(P957)にも朱線が引かれている。
君よ、師子王の心で進め! そう呼び掛けているようだ。
57歳の年に入信された牧口先生は北海道、東北、関東、信越、関西、中国、九州、さらに静岡と、全国へ弘教の歩みを運ばれた。
「人生に関する問題は、対話でなくては相手に通じない。『立正安国論』も、問答の形式ではないか」
こう先生は語られていた。
軍部に投獄されても、看守や取り調べの検事に対して、堂々と仏法を語り、折伏された。
絶筆となった獄中からの書簡には「カントノ哲学ヲ精読シテ居ル」との言葉とともに「三障四魔ガ紛起スルノハ当然デ、経文通リデス」と記されている。
恐れなき勇気——これこそ、崇高なる創価の魂である。先師のごとく堂々と、我らも仏法を語りたい。大切な友に「あなたの生命に仏界があるのですよ」「題目は宇宙につながる根本法則です」「妙法は生命力の根源なのですよ」と、体験を、確信を、喜びを伝えよう。
きょうという日は二度と来ない。楽しく心広々と、出会いの劇を繰り広げようではないか!
偉大なる
師匠もちたる
幸せは
万代までも
我らの誉れと