2015年6月19日金曜日

2015.06.19 わが友に贈る

誠実に話せば
必ず心は通じる。
正義の語らいには
必ず信頼が輝く。
さあ人間の中へ!

法華初心成仏抄 P553
『なにしにか仏は強いて法華経を説いて謗ずるも信ずるも利益あるべしと説き我不愛身命とは仰せらるべきや、よくよく此等を道心ましまさん人は御心得あるべきなり』

◇人生の座標
世界の舞台では、にじみ出てくる教養、人格がなければ、ほかのことがどんなに優秀でも尊敬されません。
読書が人間を「人間」にするのです。単なる技術屋であってはならない。
どんな立場の指導者であれ、世界的な長編小説も読んでいないのでは、立派な指導者になれるわけがない。

☆こころに響く言葉
けわしい尾根にいどむ自分のなかに

幸福は、けっして山の彼方にはない。自分自身の内にある。しかし、
坐して安閑としている自分ではなく、あくまで、彼方にあるものを目ざして、
けわしい尾根に挑戦し、障害を一歩一歩、克服して進んでいる
"戦う自分"の生命の躍動の内にあるのだ。

☆日中青年平和友好フォーラム 名誉会長のメッセージ
青年の対話こそ、明日ヘの希望の音律です。
青年の友情こそ、平和の連帯の要です。
ゆえに、青年の熱情あふるる交流がある限り、一切の障壁を超えて、永遠の友好の本流が流れ通っていきます。
青年をこよなく愛された周恩来総理と�頴超(とうえいちょう)先生も、本日のフォーラムを、どれほどお喜びでありましょうか。
中日友好の未来は明るいと安心して、見つめてくださっていることと、私は確信してやみません。
今、私は、小説『新・人間革命』で、1978年(昭和53年)9月、第4次訪中の歴史を「革心」(心を革める)の章と題して、書き綴っております。「革心」とは、ご承知の通り、貴大学に学ぶ周総理が、�先生たちと共に掲げた偉大な信念であります。
本年は、日本軍が貴国を蹂躙した残酷な戦争の終戦より70年。また、日本が理不尽な「対華二十一カ条要求」を突きつけてより、100年を刻む年でもあります。
1919年(大正8年)5月4日、貴国の勇敢なる学生たちは悠然と立ち上がりました。「中国革命」の淵源となる不滅の「五・四運動」であります。
当時、21歳の周総理も、留学先の桜花薫る日本から急遽、天津に舞い戻り、革命に身を投じられました。
やがて周総理ら天津の男女各十人の代表が、学生組織「覚悟社」を結成。その中に、15歳の乙女の�先生もおられたのです。
若き革命児・周青年や、女性リーダー�先生たちの目指したものは、何であったか。
その一つは、「革新」——あらゆる悪を打ち破り、社会を一新していくことでありました。
そして、そのために、もう一つの「革心」——自らの思想と精神の革命を強調されたのであります。
周青年たちは、討論会や学習会で新しい思想を貪欲なまでに吸収し、小冊子「覚悟」を発刊し、正義の言論戦を勇敢に繰り広げていきました。
この「覚悟社」の俊英の大情熱が伝播し、中国全土の若人たちが澎湃と立ち上がっていったのです。
人類史に轟きわたる偉大な青春讃歌であります。
そして、この先人たちの熱と力を受け継がれて、周池会の皆様は、平和友誼の精神を生き生きと広げてくださっております。
皆様が刊行されている「金橋(金の橋)」を、私も毎号、楽しみに読ませていただいております。
光栄にも、「金橋」の最新刊では、周総理と私との会見40周年を特集してくださいました。
忘れ得ぬ一期一会の会見の折、周総理が私に、"今後、私たちは世々代々でいきましょう"と呼び掛けてくださったことが、鮮やかに蘇ってまいります。
永遠の世々代々の友好と平和へ、「革心」という周総理、�先生の希望の哲学を胸に刻み、新たな金の橋を築いていきたいと思うのであります。
貴・南開大学は、日本軍の侵略の中、災禍を逃れるために昆明に拠点を移し、北京大学、清華大学とともに西南連合大学として、学究を全うして、「学府北辰」と言われたことは有名な歴史です。
いかなる苦難の状況にあっても、不動の北辰(北極星)のごとく、世を照らす英知の光を放ち、綺羅星のごとき人材を送り出していかれたのであります。
周総理は、力強く叫ばれました。「共通の積極的な発展目標があれば、消極的な気持ちや不満の対立感情をのりこえることができる」(中共中央文献編集委員会『周恩来選集』)と。
青年が大情熱に燃えて、平和友好の対話を貫いてくれる限り、何も恐れるものはありません。
若人らしく胸襟を開き、闊達に「未来に向かう友誼の心」を語り合いながら、21世紀の世界を照らす北辰(北極星)を輝かせてくださることを心から念願し、私のメッセージといたします。