「賢者はよろこび
愚者は退く」御聖訓。
壁にぶつかった時こそ
成長のチャンスだ!
大確信で勇み立て!
日女御前御返事 P1243
『爰に日蓮いかなる不思議にてや候らん竜樹天親等天台妙楽等だにも顕し給はざる大曼荼羅を末法二百余年の比はじめて法華弘通のはたじるしとして顕し奉る』
◇人生の座標
見ることは「刹那的」であり、読むことは「永続性」がある。見るだけでは「受け身」になる。読むには努力が必要です。自分で努力し、自分で想像をめぐらし、一字一字、一行一行、一頁一頁、読んでいくしかない。
大変だが、大変な分、自分で自分の心と頭脳を耕している。だから、読書している人は、顔つきまで違ってくる。
☆こころに響く言葉
価値判断の最上のもの
いくら挑発されても
私はそれにのらない
私は思索の中核に
信仰という価値判断の
最上を持っているからだ
☆「生きる」とは戦うこと 第2回
連載「生老病死を見つめて」では、創価学会員が信心を根本に、生老病死という「四苦」を乗り越えてつかんだ、信仰の確信と仏法の哲理をルポ形式で紹介する。「『生きる』とは戦うこと」の第2回は、ステージ4の「大腸がん」と闘う青年の″今″を追う。
◇「5年生存率」は13.2%
昨年末、棚野総合青年部長から「末期がんと闘いながら、周囲に希望を送り続ける男子部員がいる」との連絡を受けた。
聞けば、インターネット交流サイト「フェイスブック」で、自身の闘病生活や真情を綴っているという。その文章を読んだ記者は3月、大阪府豊中市へ向かった。
◇「遠い所ようこそ!」
恰幅のよい体を揺らしながら、力強い握手で迎えてくれた水谷尊幸さん(40歳、大阪・常勝豊中県・清風荘支部、男子地区リーダー)。
2013年(平成25年)11月8日、水谷さんは38歳で、医師から「ステージ4の大腸がん」と告知された。
その後の手術で大腸のがん細胞は切除したが、リンパに99個のがん細胞が見つかり、肝臓には数え切れないほどのがん細胞があることが判明。医師からは、「手術は不可能で抗がん剤治療しか方法はない」と告げられた。
◇「5年生存率は13.2%」
これが水谷さんに突き付けられた現実である。あの日から1年5ヵ月?。がんとの闘いは今も続いている。
毎月2回、抗がん剤治療を受けるが、1回の治療は5時間にも及ぶ。その後、2日間は抗がん剤を携帯しながらの生活を送るという。副作用の強い抗がん剤治療だが、これまで治療を延期したことは一度もない。主治医や看護師も驚く強靭な精神力と、周囲を笑顔にさせる朗らかさを、なぜ持ち続けられるのか?
記者は、それが知りたかった。
◇「諸難ありとも疑う心なく」
「がんの宣告を受けた直後、病院の駐車場で呆然と立ち尽くしました。迫りくる死の恐怖、ぶつけようのない疑問……。″なぜ、自分なんだ″と泣きました。
でも、ひとしきり泣いた後は、自宅の御本尊の前に座っていました」
18歳でバイク事故を起こし、九死に一生を得た。結婚と離婚を経験し、33歳の時には脳梗塞、拡張型心筋症、さらにはネフローゼ症候群を患う。そうした病を乗り越え、長距離トラックの運転手として働く中で判明した末期がん。「私自身が本気で信心するために、この病が必要だったのだと思います」と水谷さんは言う。
幼いころ、水谷さんは毎日、両親と勤行した後、必ず御書の一節を拝読していた。その御文が『我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくは自然に仏界にいたるべし』(P234)との「開目抄」の一節だった。
「『何かあれば御本尊に祈ろう』 『この信心は絶対だ』この点だけは揺るぎませんでした。『死』という現実を前に、祈らずにはいられなかったのです」
「戦い続ける人」を仏と言い、「戦い続ける生命」を仏界というのだ。
学会の同志もすぐに駆け付けてくれた。これほどまで自分を心配し、励ましてくれる人がいるという事実に心から感動した。
「実は、がんになって『死』を意識したことで、初めて自分の生き方を見つめ直しました。死を見つめることは、今をどう生きるかを考えることでもあります。そこで、自分が学会員であることのありがたさを実感したのです。死は突然、私たちの前にやってきて恐怖に陥れる。そうした死の恐怖を打ち破るのは『題目の利剣』しかありません」
病が判明してから、大きく変化したことがある。それが、毎日の御書拝読だ。
「ある時、池田名誉会長の『生死一大事血脈抄講義』が目に留まったんです。今まで御書の研鑽はしていなかったし、読んでも難しくて分からなかった。でも、講義を2回、3回と読み返す中で、今の自分に必要なことが、御書にあると思ったのです。『三世の生命』『一生成仏』の法理、自分自身が南無妙法蓮華経の当体であり、生命そのものが仏であるという事実?その全てが新鮮で、感動でした」
◇広宣流布に生き抜く喜び
水谷さんの話には悲壮感がない。話を聞いていると、がん患者である事実を忘れてしまう。記者は思わず、「死を意識することはないのですか?」と尋ねてみた。
「もちろん、死の恐怖はあります。毎日、3時間の唱題に挑戦していますが、ふとした瞬間に、死を意識します。でも、それ以上に大事なのは『心が病気に負けない』ことだと思うのです。また、死を見つめたことで、自分の命が続く限り、自分にしかできない使命を果たそうと、心の底から思うようになりました」
重ねて、水谷さんは言う。「昔は『いいバイクに乗りたい』『金が欲しい』『裕福な暮らしを送りたい』ということばかり考えていた。でも病気になって、そうしたことが全く意味のないものに思えてきた。むしろ、限りある『生』を病や困難で苦しむ人々のために、広宣流布のために使えるということが、本当にうれしくて、うれしくて。そうなると、なぜか毎日が楽しくなってきたのです。病気になって池田先生の指導や御書の一節が、自身の心にびんびん響いてきます」
日蓮大聖人は『一切衆生・南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり』(P1143)と仰せである。
仏法で説く「遊楽」とは、財産や地位、名声、技能などがあり、健康であるといった相対的なものではなく、自らの生命の奥底からわき出る充実と歓喜であり、絶対的幸福境涯である。水谷さんの姿は、病が決して人の幸不幸を決めるのではないということを教えてくれる。
昨年12月17日、水谷さんは自身の思いをフェイスブックに投稿している。その言葉に、水谷さんの″今″が詰まっている。最後に原文のまま紹介したい。
「朝起きて、今日も生きれる事の歓び、感謝!! 今日もカー杯生きるぞ!!ってなってくると、今度は生きてる事が楽しくて、楽しくて! 余命はわずかかもしれない、でも余命はかんがえない! それは、みんな一緒なんです! 今、生きてる自分は『無限』ではなくて『有限』なんです!
38年間、そんなこと考えて生きてこなかったです。だからこそ、自分のできる精一杯を生き抜いてやる!!それを教えてくれたのは、末期ガンなんです!
他から見れば、『最悪』の出来事なんかも知れない。でも人間はどんな事からでも、自分の生きてる『価値』を『創る』事ができるんやと思います」