2015年6月16日火曜日

2015.06.16 わが友に贈る

決意即実践だ。
「さあやろう!」
そう決めた瞬間から
勢いよく行動を!
断じて時を逃すな!

阿仏房御書 P1304
『多宝如来の宝塔を供養し給うかとおもへばさにては候はず我が身を供養し給う我が身又三身即一の本覚の如来なり、かく信じ給いて南無妙法蓮華経と唱え給へ、ここさながら宝塔の住処なり』

◇人生の座標
古典を熟読吟味することが、どれほど自分の精神世界を豊かに、分厚いものにしてくれるか−−優れた精神的遺産を"宝の持ち腐れ"にしておいては、もったいない限りであります。
何十年、何百年という時間の淘汰作用を経て生き延びてきた古典や名作には、必ず"何か"が含まれているはずです。

☆こころに響く言葉
仮面の幸福

平凡な一隅の幸福。それは誰もが夢みる幸福で、庶民の権利である。
しかし、充実感のない幸福とは、仮面にすぎない。

☆希望の虹〜世界の偉人を語る〜 第15回 万能の天才レオナルド・ダ・ビンチ
6月は、雨が多い季節です。雨のなかでも、明るく咲いているのがアジサイの花です。
アジサイには「元気な女性」という花言葉があります。花々が生き生きと仲良く集まった姿は、いつも元気なお母さんたちのようだね。
アジサイの花の色は、何色に見えますか? 白、青、むらさき、赤……どれも正解です。アジサイには、たくさんの種類があるし、「七変化」といわれるほど、花の色が何度も変わっていくのです。
よく見ると、身近なところに、ふしぎなこと、おもしろいことがいっぱいあります。
「なぜ、鳥は飛べるの?」「川の水は、どうして流れるんだろう?」——今から500年以上も前に、そうした疑問をもち、学び続けた人がいます。イタリアの大芸術家レオナルド・ダ・ビンチです。
レオナルドは、画家であり、彫刻家であり、また科学者、技術者、哲学者としても有名です。何でもできたので、「万能の天才」と呼ばれています。レオナルドのかいた名画「モナ・リザ」は、世界中の人々の心をひきつけています。
わが創価大学の本部棟では、レオナルドのブロンズ像が学生たちの成長を見守っています。
今、八王子市の東京富士美術館では、「レオナルド・ダ・ヴィンチと『アンギアーリの戦い』展」が開催されています。イタリアの国宝が日本で初めて公開され、注目されています。
きょうは、レオナルドが「万能の天才」となったひみつを、いっしょに学んでいきましょう!

レオナルド・ダ・ビンチは、1452年4月15日、イタリアの小さな村に生まれました。両親は身分がちがうため、正式に結婚できず、レオナルドは、お父さんに引き取られました。お母さんに会えず、仕事の都合で、お父さんともはなれてくらしたので、すいぶん、さびしい思いをしました。
そんなレオナルドを、おじいさんとおばあさんが、大切に育ててくれました。しかし、同じ年ごろの子どもたちとは、なかなか、うまく遊べなかったようです。
それでも、レオナルドには、友だちがたくさんいました。
自然豊かな野山を歩き回って、"友だち"をいっぱいつくったのです。風にゆれる花々、流れる川、走る馬、はばたく鳥、岩かげにかくれるトカゲや小さな虫たち……みんな、友だちでした。動いていました。いのちを持っていました。レオナルドは、心の中で、話しあうことだって、できました。
こうした友だちを、レオナルドは、こまかいところまで、ていねいにスケッチしました。そんな彼のかいた絵は、いまにも動き出しそうだったというのです。
絵が大好きだったため、レオナルドは10代の半ば、花の都フィレンツェの有名な芸術家のもとで修行を始めることになりました。そこでは絵画や彫刻など、さまざまな美術品がつくられていました。
なかでも、レオナルドが最も大切にしたのは、デッサン(下がき)をかくことでした。そのため、建物や風景、人物など、目に入るものを次々と、時には何日もかけてスケッチブックにかきうつしていきました。数年たつと、師匠の先生より絵が上手になったといわれています。
レオナルドは言っています。
"画家の心は、鏡に似るように願わなければなりません"
"自然が生み出す、いろんな形をまねてかける万能な先生にならなければ立派な画家になれない"
つまり、よく見て、ありのままにかくということです。いろんなものを、まねてかいてみることです。
日本語の「学ぶ」という言葉のもとは「まねぶ」。「まねる」という意味です。勉強は、「まねてみる」ことから始まります。
字がきれいになりたかったら、上手な字をまねしてかいてみよう。野球やサッカーがうまくなりたかったら、大活躍している選手のまねをしてみよう。勉強も、できる人のまねをすれば、絶対にできるようになります。これが夢への第一歩です。
いいことは、どんどん、まねてみる。自分でできるまで、何度も何度もくり返す。それを「努力」というのです。
レオナルドは、生涯、努力を忘れませんでした。よく見て、かきうつすたびに、新しい発見と喜びがあったからです。
鳥をかいてみると、あのように空を飛びたいと夢を広げました。そして、どうしたら自分が飛べるのだろうかと考え抜きました。
こうして思いついたアイデアや学んだことを、どんどんノートにかき残していきました。
残っているデッサンだけでも600枚、ノートは8000ページもあります。実際は、その何倍もかいたといわれます。そこから、新たな作品や新しい技術・考え方が生まれていきました。
飛行機のアイデアも、そこに記されていました。それは、ライト兄弟が飛行機を作って空を飛ぶ400年近くも前のことです。

1994年6月、世界最古の伝統をほこるイタリアのボローニャ大学にお招きいただき、私は「レオナルドの眼と人類の議会」と題して講演しました。
そのあと、イタリアのミラノで、レオナルドが部屋一面にかいた天井画と壁画を見ました。そこには、枝を茂らせ伸びゆく樹木がえがかれていました。そして、おどろくべきことに、その木の「根っこ」が力強くかかれていたのです。
目に見える美しい「花」をかく人はいても、土の中にあって見えない「根っこ」をかく人はいないでしょう。しかし彼は、「目に見えるもの」が「目に見えないもの」によって、できあがっていることに気づいていました。両方かいてこそ、レオナルドにとって「木」の絵は完成するのでした。
今でも、忘れらない光景です。
私の大好きなレオナルドの言葉があります。
"大きな悩みもない中では、どんな才能も完成させることはできない"と。
大きな悩みが、自分の才能を大きく開花させるのです。目に見えない努力が「根っこ」となって、夢という「花」を咲かせるのです。
レオナルドの人生も、悩みの連続でした。仲間はずれにされたり、上の学校に行かなかったため、バカにされたりしたこともあったといわれます。しかし、彼はあえて自分を「無学の人(教育を受けていない人)」と呼び、だれよりも、ねばり強く学びの挑戦をしました。自分で努力して、生きた学問を学んでいくとを喜びとしました。あらゆる分野の本も読みました。
いろんな才能を開花させた「万能の天才」は「努力の天才」でした。いろんなものから「学ぶ天才」でした。よく見て、よく学びということに「徹した天才」でした。
私には、「21世紀のレオナルド」となりゆく少年少女部のみなさんのがんばる姿と、重なるように感じられてなりません。
レオナルドはきっと、この世界は、おもしろいことでいっぱいだと、わくわくしながら、学びの目を向けていったことでしょう。
みなさんも、本や自然など、いろいろなところへ、学びの目を、広々と向けてみてください。
きょうも、この世界を、よく見つめて、楽しく学ぼう。その先に、自分のかがやく未来が見えてくるはずだよ!