苦労を人生の宝に!
悲しみを励ましの力に!
全てを価値へと
転換しゆくのが仏法だ。
断じて負けるな!
新池御書 P143
『うれしきかな末法流布に生れあへる我等かなしきかな今度此の経を信ぜざる人人』
◇人生の座標
人間同士のコミュニケーションと同じく、テレビの映像などを通したバーチャル・リアリティー(仮想現実)の世界ではなく、大自然と直に触れ合う機会をできるだけ増やしていくべきです。そのコミュニケーションから培われる瑞々しい生命感覚、大地や草木、動植物を友とし、彼らと同じ空気を吸い、同じ陽光を浴びながら生々躍動しゆく生命空間の巧まざる広がりは、バーチャルな世界のそれとは、似て非なるものであるはずです。
☆こころに響く言葉
強い自己を築く姿のなかに
ある場面で無残な敗北を喫したとき、そこで屈することなく、次の成功への因に転換していくためには、たくましい生命力と、すぐれた英知、そして忍耐力が要請される。
この強い自己を建設すること、それ自体が、人生の最も大切な課題と言える。"絶対的幸福"ということも、具体的にはこうした姿のなかに、あらわれるものではないだろうか。
☆大白蓮華2015年6月号 青年よ、不退の根を張れ!
青年の勇気は無敵だ。それは何も恐れない。
青年の勇気は無限だ。それは決して諦めない。
「人生とは闘争であり、立ち向かう勇気を示すべき場である」と、アメリカ・ルネサンスの詩人ソローは快活に叫んだ。
若者が新たな挑戦の勇気を持てない社会であれば、停滞し衰退する。自ら率先して挑み、後継の友を勇気づけていく。これがリーダーの責任てあろう。
法華経には、地涌の菩薩は『其の心に畏るる所無く忍辱の心は決定し』(法華経P472)と説かれる。
この地涌の心を、広布の父母から受け継ぎながら、わが創価の青年は、人間革命と広宣流布のチャレンジを繰り広げてくれている。何と頼もしいことか。
正しき信仰とは、人間を限りなく強く、賢く、朗らかにする大勇である。
日蓮大聖人は、圧迫の中、戦う青年・南条時光へ、『どのようなことがあっても、嘆いてはならない。きっぱりと思い切って、自分の思いと違うことが起こったならば、いよいよ、これこそ悦びと言い切っていきなさい』(P1542、趣意)と打ち込まれている。
誰しも、「こんなに頑張っているのに、なぜ自分だけが」といった無念にかられる時がある。実は、その時こそ、大きく境涯を開くチャンスなのである。
1人で悩まず、良き先輩に相談することだ。御書を拝し、題目を唱え、青年らしく思い切ってぶつかっていくのだ。打開できない壁など、絶対にない。
わが師・戸田城聖先生の青年への励ましが蘇る。
「信心に、学歴や財産など関係ない。宇宙を変化させる南無妙法蓮華経という根源の力が、自分の生命にある。その力を開き現し、すべてを望む方向へと変え、開花させていけるんだよ」と。
座談会には、尊い体験を通して、「絶対に大丈夫!」「自分も変われる。現実も変えられる」等と語ってくれる先輩たちの大確信の笑顔が光っている。
創価家族が築き上げてきた、民衆の、民衆による、民衆のための、励ましの世界こそ、青年を支え守り、仲ばす希望の大地だ。抜苦与楽の慈悲に満ちた、この心の安全地帯に、さらに青年を糾合していきたい。
そこに、国土・社会の蘇生の活力も漲るからだ。
5月3日を祝賀して、韓国では、2万人の青年が躍動する見事な平和フェスティバルが挙行された。
その陰で、壮年部のアボジ(父)たち、婦人部のオモニ(母)たちが、新入会の友をはじめ青年部・未来部のメンバーを、わが子の如く1人ひとり大切に激励し、応援してくださったことを、私は忘れない。
御聖訓には、『我等衆生・法華経を信じ奉るは根をつけたるが如し』(P827)と仰せである。
「因果倶時」の妙法を行ずることは、たとえ結果が目に見えないようであっても、日々、幸福の根、功徳の根、勝利の根を揺るぎなく張っているのだ。
「じっとこらえて今に見よ」。これが学会精神だ。
若き地涌の友よ、たくましく天を突く大樹と育て!
乱世で
揺るがぬ誓いの
君なれば
巌と根を張れ