2015年6月29日月曜日

2015.06.29 わが友に贈る

◇今週のことば
女子部の希望の新出発。
楽しく華のスクラムを!
明るく陽光の励ましを!
「心の財」を積みながら
歓喜と充実の青春たれ。
2015年06月29日

諸法実相抄 P1360
『釈迦仏多宝仏十方の諸仏菩薩虚空にして二仏うなづき合い、定めさせ給いしは別の事には非ず、唯ひとへに末法の令法久住の故なり』

◇人生の座標
良書を読むことは、自分自身の中の命を啓発することになるのです。それは、一生の財産となる。
古典の良書は古くならない。いつまでも新しい。二十一世紀にも色あせないでしょう。

☆こころに響く言葉
善と美こそ女性の願い

善と美こそ、女性の大いなる願いではないだろうか。醜、悪との戦い、これが女性の一生の一次元であろう。
孤独や絶望のふちをさまよう者に、希望と励ましを贈り、生きる力を奮い起こしていく力強い行為——
それこそが善であるといえよう。真の美は、"生きて歓び、和して楽しむ"ヒューマニティーな建設的体験のなかにこそある。
美は人にせよ、自然にせよ、対象を謙虚に尊重して、
善意を持って共感するところにある。これは人間の深い共通感情に温かく呼びかけることによってのみ、
はじめて創り出されるものである。

☆名誉会長と共に新時代を駆ける 第21回 行学の二道こそ 幸福の大道
全国各地で「教授補登用講座」が開催されている。求道の心輝くリーダーを最大に讃えたい。
秋には「青年部教学試験1級」「教学部任用試験」が行われる。教学は大仏法の研鑽運動であり、究極のエンパワーメント(内発的な力の開花)に通じよう
海外でも教学試験に、たくさんの友が挑戦している。合否を超えて、学ぶ喜びがあふれ、生きる希望が湧き、新しい人生が開かれた——そういう声も聞かれる。尊い限りだ
「行学の二道」こそ、世界広布の道である。幸福の大道であり、人材育成の王道だ。
御書には『行学たへなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ』(P1361)と仰せである。
最極の生命哲学を学び実践してつかんだ、ありのままの感動を友に語っていけば、それが折伏である。心の垣根を取り払い、苦楽を分かち合いながら、伸びやかに平和への友情を広げていきたい。

女子部の伝統光る教学運動も素晴らしい。人の幸不幸は一生を通して見なければ分からない。だからこそ青春時代に福運を積み、何があっても負けない智慧と力を身につけることだ。
大確信に立つ、聡明な女性の祈りに勝るものはない。あらゆる苦難をはねのけ、信頼と賞讃を集めるブラジルも、婦人部の深き祈りがあった。皆の合言葉は「ムイト・マイス・ダイモク(もっと題目を)!」である。ボリビアも同じである。
一番大変な時に、勇敢に戦えば、未来の大発展の一因ができる。
戸田先生はよく語られていた。「妙法は活の法門である。全ての体験を活かしていけるのだ。何ひとつ、塵も残さず、無駄なことはない。これが信心の大功徳です」
人間革命の大哲学で、悲しみさえも喜びへと転じゆく幸福勝利の劇を、あの友この友と飾りゆこう!

2015年6月28日日曜日

2015.06.28 わが友に贈る

よく話を聴く中で
心の扉は開かれる。
相手の状況や悩みを知り
「誠実」「情熱」で
幸福への語らいを!

御義口伝巻上 P737
『今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は与如来共宿の者なり、傅大士の釈に云く「朝朝仏と共に起き夕夕仏と共に臥し時時に成道し時時に顕本す」と云云』

◇人生の座標
本物の文学のなかには、四季があり、波瀾万丈の歴史がある。世界の大文学を読むことによって、もっと奥の深い世界に入っていくことができる。そういう世界を知らないと、人生、本当に損をします。大海を知らないで、川の浅瀬だけが世界だと思っているようなものだ。

☆こころに響く言葉
人生の迷子にならぬために

人生の迷子にならぬために
私は明瞭なる指標にと
確固たる信仰を持ったのだ]

☆勝利の人間学 第76回 青年の行動が"時"を創る
◇広布拡大の先駆者たれ
御聖訓には、『一闇浮提にひろまらせ給うべき瑞相に日蓮さきがけしたり、わたうども二陣三陣つづきて』(P910)と仰せである。
日蓮仏法の魂は、「さきがけ」の勇気だ。
この勇気に燃えて、「二陣三陣」と、創価の青年が立ち上がったからこそ、日本中、世界中に、大法弘通の波動が広がってきた。
これが、変わらざる拡大の方程式である。
まず自分が、決然と一人立つことだ。思い切って行動を起こすことだ。
先陣の苦労は大きい。しかし、その分、大きく人間革命できる。必ず諸天に守られる。
「我、広布拡大の先駆者なり!」と誇りに胸張り、人材の流れを開いていってくれ給え。

◇社会の平和と安穏のため
平和な社会、安穏な地域を築くためには、生命尊厳の正しき思想を打ち立てることだ。
大聖人は、絶え間ない三災七難を深く憂い、『結句は勝負を決せざらん外は此の災難止み難かるべし』(P998)と断言なされた。
正義が勝ち栄え、正法が興隆することが、民衆の幸福と、国土の繁栄に連動していく。  その推進力が「立正安国」の対話である。伸び伸びと信仰の歓喜を語ればよい。信心していて良かったことを伝えればよい。
確信に満ちた朗らかな声は、相手の生命の奥底に、必ず響いていくものである。

◇創価の哲学を時代精神に
創価の父・牧ロ常三郎先生は、人類の歴史が、軍事的、政治的、経済的競争の時代から、人道的競争の時代へ移行すると展望された。それは、国や文化の違いを超え、触発し合い、人類への貢献を競い合う時代といえる。
キーワードは「友情」である。主役は「青年」である。「仲良くしよう」という心を広げ、新たな"時"を創るのだ。
青年が自らの行動で、青年を糾合するのだ。
目の前の友と語らい、友情を結ぶ。最も地道で最も確実な平和の王道が、ここにある。

2015年6月27日土曜日

2015.06.27 わが友に贈る

毎日が出発であり
新たな建設の戦いだ。
わが目標へ向かって
たゆまぬ挑戦を!
黄金の自分史を綴れ!

可延定業書 P986
『きわめてまけじたまし(不負魂)の人にて我がかたの事をば大事と申す人なり』

◇人生の座標
文学を知れば、千変万化する万華鏡のような人間模様と心理を、ありのままに観てとることができる。また、踊る無数の波の奥深くに、大いなる生命の大海を見抜くこともできるのです。

☆こころに響く言葉
溌剌たる生命の泉

私の生命は枯れない
常に原点の地底からの根を
張りめぐらした新鮮な信仰に
生き抜いているカらだ

☆ブラジル創価学園新校舎起工式へのメッセージ
待ちに待った、ブラジル創価学園の新校舎の起工式、誠におめでとうございます!
本日は、ご多忙のところ、来賓の皆様方にご臨席いただき、心より深く御礼申し上げます。かくも多くの方々が温かく祝福くださり、創立者としてこれほどの喜びはございません。
教育機関の建物の建設に際し、あのフランスの大文豪ビクトル・ユゴーは、それは「希望」であり、「未来」であると語りました。
まさしく、ここに建設されゆく、ブラジル創価学園の新校舎は、21世紀の「希望の光」そのものであります。
この希望の学舎から、更なる偉大な輝く「未来」が限りなく創造されゆくことを、私は信じてやみません。
教育は、人間が人間として"最も人間らしく生きていく"ために、真っ先に取り組まねばならない最重要の事業であります。
私自身、牧口常三郎先生、戸田城聖先生という、平和の信念の教育者の精神を受け継ぎ、これからも、このブラジル創価学園とともに、全力で人材の育成に尽くしてまいる決心であります。
わが愛する学園生が、この英知の学園で、日々、喜びにあふれ、誇りに燃えて、学び、鍛えながら、世界の大空へ飛翔していく晴れ姿を思うと、私の心は躍ります。     あらゆる困難に負けない勇気をもって、ブラジルのために、人類のために、立派に活躍されゆくことを心から期待しております。
すばらしい新校舎の完成を祈念するとともに、関係者のご尽力に、厚く感謝申し上げます。
ブラジル創価学園、万歳!
ブラジルの希望の未来、万歳!

2015年6月26日金曜日

2015.06.26 わが友に贈る

「不安」や「諦め」を
「希望」と「勇気」に!
友の一念を変えるのは
大生命力の励ましだ。
個人指導に全力を!

食物三徳御書 P1598
『食には三の徳あり、一には命をつぎ二にはいろをまし三には力をそう』

◇人生の座標
世界の舞台では、にじみ出てくる教養、人格がなければ、ほかのことがどんなに優秀でも尊敬されません。
読書が人間を「人間」にするのです。単なる技術屋であってはならない。
どんな立場の指導者であれ、世界的な長編小説も読んでいないのでは、立派な指導者になれるわけがない。

☆こころに響く言葉
恐ろしい精神的危機

私の最も恐ろしいのは
精神的危機であると
知ったが故に
勇気ある信仰を堅持する

☆「生きる」とは戦うこと 第3回
連載「生老病死を見つめて」では、創価学会員が信心を根本に、生老病死という「四苦」を乗り越えてつかんだ信仰の確信と仏法の哲理をルポ形式で紹介する。
「『生きる』とは戦うこと」の第3回は、家族の度重なる病魔に挑む婦人の奮闘を追う。

◇「心の財第一」との基準
本連載の取材を重ねる中で、記者が実感していることがある。
それは、学会員の「心の強さ」である。
3回にわたる悪性リンパ腫を乗り越えた壮年や、幼い娘を亡くしながらも悲嘆を乗り越えて同志に希望を送る婦人、末期がんでありながら朗らかに生き抜く青年など、取材を通して信仰を持った人間の″強さ″に何度も驚き、目頭を熱くしてきた。
取材中、″もし自分が同じ立場だったら、乗り越えられるだろうか?″と自問自答することも多い。心が折れてもおかしくないような苦境に直面しても、学会員は決して諦めない。また、くじけない。実はそのこと自体が、この信仰の最大の特長ではないかと思う。
日蓮大聖人は『蔵の財よりも身の財すぐれたり身の財より心の財第一なり』(P1173)と仰せである。
「蔵の財」とは、金銭やモノなどの財産。「身の財」とは体のことであり、肉体的な健康や、自分の身に付けた技能なども入る。
これに対して「心の財」とは、いかなる試練にも負けない生命の強さや輝きであり、人間性の豊かさともいえる。
さらには「心の財」を積むことで、「自他共の幸福」を願う生命が呼び覚まされる。
この「心の財」こそ、人生において最も重要であるとの価値基準を、大聖人は明確に示されているのだ。
「心の財」は、さまざまな言葉で言い換えることができる。その一つが、何かあっても「負けない」ということではないだろうか。

◇19年にわたる夫の介護
今回取材した茨城県日立市在住の沢畠久美子さん(63)=日立大城圏副婦人部長=は、夫・一夫さん(63)=副本部長=を介護して19年になる。
1996年(平成8年)、大手電機メーカーに勤めていた一夫さんは自宅で倒れ、救急車で病院に運ばれた。夫は当時、44歳。突然の脳梗塞だった。
幸い一命を取り留めたが、夫は右の手足にまひが残り、言語障がいも患う。入院生活は1年半に及び、その後、在宅介護が始まった。
沢畠さんは25歳で結婚し、3人の子宝に恵まれた。
しかし、三男・直輝さん(31)=男子部員=の知的障がいが分かってからは、直輝さんにかかり切りの生活となっていた。92年には、同居していた義母が脳梗塞となり、重度の認知症に。2年半にわたる介護と入院生活の末、義母をみとる。夫の病は、義母の死から1年後の出来事だった。
「集中治療室で変わり果てた夫の姿を見たとき、涙が止まりませんでした。なぜ、夫がこんな目に……。夢であってほしいと、現実を受け入れるまで、何度もそう思いました」
当初は自身の境遇を恨んだ。次々と襲いかかる苦難。
現実を直視することはつらかった。
在宅介護による負担は大きく、経済的問題や将来への不安も頭から離れなかった。その中で心の支えとなったのは、池田名誉会長をはじめ地域の同志の励ましたった。
ある時、名誉会長の指針が目に留まった。
「妙法を弘めゆく、われら 学会員は、『如来の使い』であり、『大聖人の分身』である。したがって、いかなる時代の荒波の中にあろうと、仏に等しい皆さまが絶対に不幸になるわけがない。困難に負けるわけがない。ゆえに皆さまは、何があっても、朗らかに、前へ前へ進んでいただきたい」
その瞬間、沢畠さんはフッと心が軽くなったという。
「自分が仏と等しいと知り、さらに、その仏と等しい自分が不幸になることは絶対にないとの断言に勇気をもらいました。苦難が競い起こっても、自分が負けない限り幸せになれる?そう確信できるようになったのです」

◇仏とは「難をよく忍ぶ人」
沢畠さんは言う。
「当然、つらい時はありましたし、逃げ出したい気持ちに襲われることもあります。
でも、唱題すると、試練に立ち向かおう、苦難に挑もうという気持ちが湧いてくるんです。また、自分以上につらい思いをしているのは、夫なのだと思えるようになりました。『法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず』(P1335)との御文を心に刻んで、目の前の課題に挑戦する中で、気付けば介護も19年が過ぎていました」
夫の介護を続けながら、沢畠さんは広布のりリーダーとして奮闘。週3回のデイサービスを活用しながら、地域友好にも率先して取り組んできた。昨年は、友人への弘教も実らせている。
なぜ、そこまで頑張ることができたのか?
記者が尋ねると沢畠さんはこう語った。
「信仰への確信とともに、″絶対に乗り越える″という強い意志や使命感があったからだと思います。現状を嘆いているだけでは何も変わらない。でも、祈っていけば必ず前に進めることを、学会の同志の姿から学びました。困難に耐えながら、一歩でも1ミリでも、前に進んだ分だけ人生は開けると、池田先生は教えてくださっています」
大聖人は『此の世界をば娑婆と名く娑婆と申すは忍と申す事なり・故に仏をば能忍と名けたてまつる』(P935)と仰せである。
娑婆世界で、法華経を身で読み、難をよく忍ぶ人のことを仏という。苦難に耐えながら、少しでも前へと進む。実はその一歩こそが、大いなる未来を開いていく。仏とは 「負けない人」の異名とも言えるだろう。
沢畠さん自身、夫の介護を始めた当初は、無我夢中で、「″絶対に今の状況を変えて"みせる″という決意だけで行動してきた」と笑う。
「でも最近になって思うんです。夫の状況は19年たっても変わっていないし、子どものことで今も悩みます。それでも、家族がそろって暮らしていけること自体、とても幸せなことなんだって。苦しいことや、つらいことがある分、小さなことに喜びを見いだせて、幸せを強く感じられます。だから、何かあっても前に進み、負けないことが大事なんだと思います」

2015年6月25日木曜日

2015.06.25 わが友に贈る

「賢者はよろこび
愚者は退く」御聖訓。
壁にぶつかった時こそ
成長のチャンスだ!
大確信で勇み立て!

日女御前御返事 P1243
『爰に日蓮いかなる不思議にてや候らん竜樹天親等天台妙楽等だにも顕し給はざる大曼荼羅を末法二百余年の比はじめて法華弘通のはたじるしとして顕し奉る』

◇人生の座標
見ることは「刹那的」であり、読むことは「永続性」がある。見るだけでは「受け身」になる。読むには努力が必要です。自分で努力し、自分で想像をめぐらし、一字一字、一行一行、一頁一頁、読んでいくしかない。
大変だが、大変な分、自分で自分の心と頭脳を耕している。だから、読書している人は、顔つきまで違ってくる。

☆こころに響く言葉
価値判断の最上のもの

いくら挑発されても
私はそれにのらない
私は思索の中核に
信仰という価値判断の
最上を持っているからだ

☆「生きる」とは戦うこと 第2回
連載「生老病死を見つめて」では、創価学会員が信心を根本に、生老病死という「四苦」を乗り越えてつかんだ、信仰の確信と仏法の哲理をルポ形式で紹介する。「『生きる』とは戦うこと」の第2回は、ステージ4の「大腸がん」と闘う青年の″今″を追う。

◇「5年生存率」は13.2%
昨年末、棚野総合青年部長から「末期がんと闘いながら、周囲に希望を送り続ける男子部員がいる」との連絡を受けた。
聞けば、インターネット交流サイト「フェイスブック」で、自身の闘病生活や真情を綴っているという。その文章を読んだ記者は3月、大阪府豊中市へ向かった。

◇「遠い所ようこそ!」
恰幅のよい体を揺らしながら、力強い握手で迎えてくれた水谷尊幸さん(40歳、大阪・常勝豊中県・清風荘支部、男子地区リーダー)。
2013年(平成25年)11月8日、水谷さんは38歳で、医師から「ステージ4の大腸がん」と告知された。
その後の手術で大腸のがん細胞は切除したが、リンパに99個のがん細胞が見つかり、肝臓には数え切れないほどのがん細胞があることが判明。医師からは、「手術は不可能で抗がん剤治療しか方法はない」と告げられた。

◇「5年生存率は13.2%」
これが水谷さんに突き付けられた現実である。あの日から1年5ヵ月?。がんとの闘いは今も続いている。
毎月2回、抗がん剤治療を受けるが、1回の治療は5時間にも及ぶ。その後、2日間は抗がん剤を携帯しながらの生活を送るという。副作用の強い抗がん剤治療だが、これまで治療を延期したことは一度もない。主治医や看護師も驚く強靭な精神力と、周囲を笑顔にさせる朗らかさを、なぜ持ち続けられるのか?
記者は、それが知りたかった。

◇「諸難ありとも疑う心なく」
「がんの宣告を受けた直後、病院の駐車場で呆然と立ち尽くしました。迫りくる死の恐怖、ぶつけようのない疑問……。″なぜ、自分なんだ″と泣きました。
でも、ひとしきり泣いた後は、自宅の御本尊の前に座っていました」
18歳でバイク事故を起こし、九死に一生を得た。結婚と離婚を経験し、33歳の時には脳梗塞、拡張型心筋症、さらにはネフローゼ症候群を患う。そうした病を乗り越え、長距離トラックの運転手として働く中で判明した末期がん。「私自身が本気で信心するために、この病が必要だったのだと思います」と水谷さんは言う。
幼いころ、水谷さんは毎日、両親と勤行した後、必ず御書の一節を拝読していた。その御文が『我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくは自然に仏界にいたるべし』(P234)との「開目抄」の一節だった。
「『何かあれば御本尊に祈ろう』 『この信心は絶対だ』この点だけは揺るぎませんでした。『死』という現実を前に、祈らずにはいられなかったのです」
「戦い続ける人」を仏と言い、「戦い続ける生命」を仏界というのだ。
学会の同志もすぐに駆け付けてくれた。これほどまで自分を心配し、励ましてくれる人がいるという事実に心から感動した。
「実は、がんになって『死』を意識したことで、初めて自分の生き方を見つめ直しました。死を見つめることは、今をどう生きるかを考えることでもあります。そこで、自分が学会員であることのありがたさを実感したのです。死は突然、私たちの前にやってきて恐怖に陥れる。そうした死の恐怖を打ち破るのは『題目の利剣』しかありません」
病が判明してから、大きく変化したことがある。それが、毎日の御書拝読だ。
「ある時、池田名誉会長の『生死一大事血脈抄講義』が目に留まったんです。今まで御書の研鑽はしていなかったし、読んでも難しくて分からなかった。でも、講義を2回、3回と読み返す中で、今の自分に必要なことが、御書にあると思ったのです。『三世の生命』『一生成仏』の法理、自分自身が南無妙法蓮華経の当体であり、生命そのものが仏であるという事実?その全てが新鮮で、感動でした」

◇広宣流布に生き抜く喜び
水谷さんの話には悲壮感がない。話を聞いていると、がん患者である事実を忘れてしまう。記者は思わず、「死を意識することはないのですか?」と尋ねてみた。
「もちろん、死の恐怖はあります。毎日、3時間の唱題に挑戦していますが、ふとした瞬間に、死を意識します。でも、それ以上に大事なのは『心が病気に負けない』ことだと思うのです。また、死を見つめたことで、自分の命が続く限り、自分にしかできない使命を果たそうと、心の底から思うようになりました」
重ねて、水谷さんは言う。「昔は『いいバイクに乗りたい』『金が欲しい』『裕福な暮らしを送りたい』ということばかり考えていた。でも病気になって、そうしたことが全く意味のないものに思えてきた。むしろ、限りある『生』を病や困難で苦しむ人々のために、広宣流布のために使えるということが、本当にうれしくて、うれしくて。そうなると、なぜか毎日が楽しくなってきたのです。病気になって池田先生の指導や御書の一節が、自身の心にびんびん響いてきます」
日蓮大聖人は『一切衆生・南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり』(P1143)と仰せである。
仏法で説く「遊楽」とは、財産や地位、名声、技能などがあり、健康であるといった相対的なものではなく、自らの生命の奥底からわき出る充実と歓喜であり、絶対的幸福境涯である。水谷さんの姿は、病が決して人の幸不幸を決めるのではないということを教えてくれる。
昨年12月17日、水谷さんは自身の思いをフェイスブックに投稿している。その言葉に、水谷さんの″今″が詰まっている。最後に原文のまま紹介したい。
「朝起きて、今日も生きれる事の歓び、感謝!! 今日もカー杯生きるぞ!!ってなってくると、今度は生きてる事が楽しくて、楽しくて! 余命はわずかかもしれない、でも余命はかんがえない! それは、みんな一緒なんです! 今、生きてる自分は『無限』ではなくて『有限』なんです!
38年間、そんなこと考えて生きてこなかったです。だからこそ、自分のできる精一杯を生き抜いてやる!!それを教えてくれたのは、末期ガンなんです!
他から見れば、『最悪』の出来事なんかも知れない。でも人間はどんな事からでも、自分の生きてる『価値』を『創る』事ができるんやと思います」

2015年6月24日水曜日

2015.06.24 わが友に贈る

広布の城を支える
「守る会」の友に感謝!
暑い日は水分補給など
熱中症の対策を万全に。
どうか健康第一で!

上野殿御返事 P1561
『とにかくに死は一定なり、其の時のなげきはたうじのごとし、をなじくはかりにも法華経のゆへに命をすてよ、つゆを大海にあつらへちりを大地にうづむとをもへ』

◇人生の座標
人間主義、人間原点の社会をつくるには、指導者が本格的な大文学を読んでいかなければならない。これは非常に重要なことなのです。海外の人は、よく読んでいます。日本人は「読んだふり」をしているだけの人が多い。

☆こころに響く言葉
私には絶望がない

私にはけっして絶望がない
無限に開く
信仰があるからだ

☆「生きる」とは戦うこと 第1回
池田名誉会長は綴っている。「人生には、困難も波瀾もある。病に倒れることもあれば、仕事のうえでの行き詰まりもある。職場、地域、家庭での人間関係で悩むこともある。生きることは戦いであり、人生は戦場である」(小説『新・人間革命』第26巻 「法旗」の章)と。連載「生老病死を見つめて」では、今回から「『生きる』とは戦うこと」をテーマに、病や苦難にも屈しない学会員の「心の強さ」について考察していきたい。

◇突然の「宣告」に動揺
突然の病を宣告された時、人はその事実を受け人れられず、驚き、呆然としてしまう。
″なぜ、自分が?″″家族は、仕事はどうするのか?″……。
不安や恐怖などの感情が入り交じる中で、「死」という現実が迫ってくるのも、この時だ。こうした苦難に直面した時にこそ、人間の真価は現れる。現実を受け入れて病に挑むのか、それとも、諦めて逃げるのか???。

今回、取材した中嶋保富さん(兵庫・東神戸総県副総県長、66歳)は、2001年(平成13年)、「悪性リンパ腫」と診断された。 病状は、全身のリンパ節が「がん細胞」に侵されていて末期状態だった。医師からは「生存率は低く、手術ができないため、抗がん剤治療しか方法はない」と説明されたが、その言葉は途中から耳に入ってこなかった。

1963年(昭和38年)に入会した中嶋さんは、「高等部1期生」の誇りを胸に、71年から小学校の教員に。その後、妻・房子さん(総兵庫婦入部副総合長)と結婚し、1男1女に恵まれた。病気が判明した当時、学会では区長を務め、職場では教頭として多忙な日々を送っていた。
「健康にだけは人一倍、自信があったので、ショックでした。主治医の説明を聞きながら、『なんで自分が?』との疑問が浮かんできました。『このまま死んでたまるか』と思う半面、『職場はどうしよう』といった不安が交錯し、しばらく混乱状態でしたね」

◇病気は仏のお計らい
病気は、一般的には悪い状況と捉えられがちである。しかし、日蓮大聖人は『この病は仏のお計らいだろうか。そのわけは、浄名経、涅槃経には、病がある人は仏になると説かれている。病によって仏道を求める心は起こるものである』(P1480、通解)と仰せである。
病気を患うことによって、人間は人生の意味を見つめ、生命の尊厳に目覚め、充実した人生を歩むきっかけにしていくことができる。それが、この信心の偉大さでもある。
医師からの宣告後、中嶋さんは自宅に戻って妻と唱題に励んだ。しかし、不安や疑問は完全には拭いされなかった。そんな時、先輩幹部から指導を受ける機会があった。
先輩は先の御文を通して、病気になった「意味」を語ってくれた。さらに病を乗り越え、宿命転換していく祈りの観点を教えてくれたという。
「第1に、『転重軽受への感謝の題目』 第2に、『過去世の謗法に対する懺悔の題目』。第3に、『生涯、広宣流布のために戦うという誓願の題目』です。
さらに先輩は、『″広布に戦うため、健康で福運ある人生を歩ませてください″ ″広布を阻む一切の障魔を打ち破り、わが身から病魔よ出ていけ!″と、強い祈りを込めた題目を唱えていこう』と励ましてくれました」
病になって感謝する−本来、これほど矛盾する話はない。中嶋さんも、「『感謝の題目』と言われた当初は、意味がよく分からなかった」と振り返る。
だが、祈りが深まるにつれて、「病気になったことも、全て転重軽受なのだ」と思えるようになり、「病気になったことが不幸ではない」と思い始めた。
「唱題を続ける中で、自身の来し方を見つめ直し、自分がいかに多くの同志に支えられてきたのかを実感しました。また、信心に巡り合えた喜びと感謝が勇き起こってくると同時に、教育者として広布に生き抜くという使命を果たすためには、『絶対に負けられん』『死ぬわけにいかない』と腹が決まったのです」

◇「必ず生き抜く」と決意
抗がん剤治療では不思議と副作用はなく、3ヵ月で退院できた。その後は、自宅療養と通院治療をしながら、完治を祈り続けた。
中嶋さんの病を機に長女・華子さん(関西女子部主任部長)と長男・光弘さん(男子部部長)も、これまでにない唱題に挑戦。「一家で信心に励めるようになったのも、病のおかげかもしれません」と中嶋さんは語る。
入院から半年後には、医師から「寛解」との診断が。さらに翌年、中嶋さんは教頭として新たな職場に復帰。その後、校長に昇進することもできた。

実は、がんなどの闘病で、精神的なショックが大きいのは「再発」だといわれる。
中嶋さんが校長になって2年目の冬、恐れていた再発が分かった。この時は5日間の入院で済み、通院しながら抗がん剤治療を続け、寛解を勝ち取った。
2度目の再発は、2007年12月、定年まで残り1年という状況で、大腸に新たな腫瘍が発見された。それでも中嶋さんの心に、動揺はなかったという。
「使命の自覚は人を強くします。最初の宣告で、あれほど心が乱れたのに、再発の時は冷静でした。とにかく、『病に立ち向かっていこう』『使命を果たすために生き抜こう』という気持ちだけで、死の恐怖はありませんでした」

一方、妻・房子さんはこう振り返る。
「正直言って、2度目の再発はショックでした。同時に″宿命との戦いは、簡単には終わらないのだ″と実感しました。だから、病に打ち勝つまで祈り抜き、戦い抜こうと決意したのです」
幸い、大腸の腫瘍は、これまで同様のリンパがんであると分かり、抗がん剤治療に取り組んだ。
時を同じくして、池田名誉会長からは「生き抜けや/断固生き抜け/勝ち抜けや/一家の幸福/我も祈らむ」との和歌が届き、大きな心の支えとなった。
2度目の再発から7年。現在、中嶋さんは元気に広布の第一線を歩き、同じ病で悩む友に、自身の体験を通して励ましを送る。仕事も定年まで校長を務め上げ、その後は児童館館長などを歴任。今も、子どもたちの育成に全力で取り組んでいる。
「闘病の中で、私は人生で一番大事な『感謝の心』を学びました。信心の素晴らしさや学会と共に生き抜くすごさを、あらためて実感したのも、全て病のおかけです。病が私自身の人生を変え、わが使命を教えてくれたのだと思います」

2015年6月23日火曜日

2015.06.23 わが友に贈る

家族のため地域のため
奮闘する壮年部よ
いつもありがとう!
理想と誓いに生き抜く
誉れの黄金柱たれ!

華果成就御書 P900
『よき弟子をもつときんば師弟仏果にいたりあしき弟子をたくはひぬれば師弟地獄にをつといへり、師弟相違せばなに事も成べからず』

◇人生の座標
古典を熟読吟味することが、どれほど自分の精神世界を豊かに、分厚いものにしてくれるか−−優れた精神的遺産を"宝の持ち腐れ"にしておいては、もったいない限りであります。
何十年、何百年という時間の淘汰作用を経て生き延びてきた古典や名作には、必ず"何か"が含まれているはずです。

☆こころに響く言葉
深く強い負けじ魂

暗い日があっても
悩める日があっても
私は現実の生活を逃避しないで
信仰と言う深く強い負けじ魂で
人生を生きぬく

☆ボリビアで新時代第1回総会 SGI会長がメッセージ
ボリビアSGIの世界広布新時代第1回総会が15日の午前と午後(現地時間)、サンタクルス市のボリビア文化会館で晴れやかに開催された。
これには、池田博正SGI副会長をはじめとする南米訪問団が、ボリビアSGIのタケノ理事長、ササキ婦人部長らと出席。
池田SGI会長は祝福のメッセージを寄せ、平和と友情の連帯を築きゆく同志の奮闘を最大に賞賛した。
(中略)
本年は、同国SGIの支部結成から53周年。新時代を勝ち開く希望の総会に、SGI会長は万感のメッセージを贈った。
「わがボリビアSGIは、模範と輝く堂々たる広宣流布の大発展を、見事に成し遂げてきました。その歓喜の波動が、中米へ、南米へ、世界へ広がり、大きなうねりを起こしてくれ、これほどうれしいことはありません。ありがとう! 本当にありがとう!」
慈愛と真心の励ましに拍手が高鳴る。笑顔がはじける。目頭を熱くする婦人らの姿もあった。
続けてSGI会長は、広布の誓願には「不撓不屈の力」「無限の勇気」が湧いてくると強調。
心から信頼するボリビアの同志に「世界で最も強い師子吼の題目を、日々、朗々と響かせながら、わが誓いの舞台で、偉大なる人間革命の勝利のドラマを、自他共ににぎやかに、はつらつと演じていってください」「全世界の同志が仰ぎ見る、世界広布の理想郷を、愛するボリビアに築き上げていこう」と呼び掛けた。
そして最後に、第一にも、第二にも、異体同心の団結で、世界一仲良く朗らかな前進をと念願。『異体同心なれば万事を成し同体異心なれば諸事叶う事なし』(P1463、「異体同心事」)の御金言を拝し、メッセージを結んだ。

2015年6月22日月曜日

2015.06.22 わが友に贈る

◇今週のことば
折伏を行ずる人は
御本仏の使いである。
ゆえに臆するな!
「いまだこりず候」と
胸を張って語りゆけ!
2015年06月22日

佐渡御書 P956
『此文は富木殿のかた三郎左衛門殿大蔵たうのつじ十郎入道殿等さじきの尼御前一一に見させ給べき人人の御中へなり、京鎌倉に軍に死る人人を書付てたび候へ』

◇人生の座標
人間の心の葛藤を表現しょうとしているのが、文学なのです。だから、人間主義者として一生を生きるならば、文学を読まなければならない。

☆こころに響く言葉
生死の永遠の勝利のために

いかなる人間も
厳しく死に直面せざるをえない
故に私は
生死の永遠の勝利のために
最高の宗教を選ぶ

☆未来部首都圏部長研修会 名誉会長がメッセージ
未来部の首都圏部長研修会が14日、東京・八王子市の創価大学で開催。1都3県から新任の部長・副部長約800人が参加した。
これには、池田名誉会長が万感のメッセージを贈り激励。「英知を輝かせる学びの道」「賢く朗らかな友情の道」「正義を貫き通す勝利の道」の三つの道を示し、「我等の時代の柱」と胸張り、何ものにも負けない力をつけてほしいと念願した。

2015年6月21日日曜日

2015.06.21 わが友に贈る

「小事つもりて大事」
日々の小さな勝利が
歓喜の大勝利を開く。
一歩でも半歩でも前へ!
今日の自分に勝て!

春初御消息 P1585
『過去の仏は凡夫にておはしまし候いし時五濁乱漫の世にかかる飢えたる法華経の行者をやしなひて仏にはならせ給うぞとみえて候へば法華経まことならば此の功徳によりて過去の慈父は成仏疑なし』

◇人生の座標
本物の文学のなかには、四季があり、波瀾万丈の歴史がある。世界の大文学を読むことによって、もっと奥の深い世界に入っていくことができる。そういう世界を知らないと、人生、本当に損をします。大海を知らないで、川の浅瀬だけが世界だと思っているようなものだ。

☆こころに響く言葉
無知

われわれは、生活のなかで常に、幸不幸という問題に直面しているのだが、
そのくせ、その実体については、きわめて無知なのである。

☆随筆民衆凱歌の大行進 第23回� 幸の教養博士 万歳!
婦人部の五指針には、「地域と社会を大切に」とも掲げられている。
婦人部の地域社会への貢献こそ、時代を照らす光である。今月、「部の日」を迎える団地部、また地域部、農漁光部、離島部にあっても、女性の活躍が目覚ましい。
地域の身近な隣人たちと「立正安国」の対話をたゆまず繰り広げる主役も、婦人部の友である。
グループ単位での婦人部総会がいよいよ始まっている。この少人数の集いこそ、地域社会の共生と共栄の直道であり、世界平和の縮図である。
文豪ゲーテも、互いの行動と体験を共有する、楽しい談話によって「ことばはそれだけひときわ実りゆたかなものとなり、精神を高めるものとなる」と訴えていた。
苦難を越えた母たち、女性たちの体験から紡ぎ出される言葉には、勇気を呼び覚ます力がある。

五指針の最後には「生き生きと体験を語る」と示されている。
聖教新聞や大白蓮華に対して、読者から特に大きな反響が寄せられるのも、体験談である。
東北の岩手県久慈市に、90歳になる婦人がおられる。
貧乏、家族の死……沢山、辛苦を味わった。だが断じて負けなかった。
"宿命に泣き流されてはいけねんだ。朗らかに挑戦していけば、どんな宿命も転換されていくものでねすか"——
幾十星霜、試練を一つ一つ乗り越え、生命の財と輝かせてきた"多宝の哲人"の至言である。母の姿は友の安心と希望の灯火となっている。
何があっても、たじろがない。嘆かない。たとえ、今が悔し涙の連続であろうと、無敵の祈りは、一切を栄光の歴史に昇華してゆくのだ。

重い障がいのある娘を育てつつ、『母の肖像』『大地』等の名作を世に問い、平和運動に邁進したアメリカの女性作家パール・バックは叫んだ。「最も悲しみに満ちた行路を歩んでいる間に、人の精神はすべて尊敬に値することを知りました」
最も深い悲しみから立ち上がった人は、最も深い哲学を学んだ、最も深い慈悲の人だ。
最も大きな苦しみを乗り越えた人は、最も大きな境涯を開き、最も大きな幸福を広げゆく人だ。
この人間革命の体験を友に語り、分かち合う、母たちの行動が「幸福と平和と勝利の道」を創り開くのである。
「広宣流布は、女性の力で成し遂げられる!」
恩師のこの確信は、私の胸にも、絶対の確信として輝き渡っている。
母の祈りは、皆の心を動かさずにはおかない。母の言葉は、友の胸を揺さぶらずにはおかない。
世界の女性リーダーの方々も、私たちの宝の友として連帯されている。
サイフェルト博士からは、つい先日も、「創価の婦人部との交流を通して学び合っていけることは、大きな喜びです」との伝言が届けられた。
インドネシアの故ワヒド元大統領夫人のシンタ・ヌリヤさんも、今回の婦人部総会に真心の祝福を寄せてくださった。
夫人は"女性は国の柱である"等の英知の言葉を紹介されるとともに、「すべての人は母から生まれてきます。その人たちが人類を救っていくのです。母がいるからこそ平和になれるのです」と語られている。
さあ、強く朗らかに、また堂々と、自身の体験を、創価の正義を、語り抜こうではないか!
偉大なる幸の教養博士よ、万歳! 人間世紀の母たちよ、万歳!

幸福の
 博士と生き抜け
  恐れなく
 希望の智慧で
  友を照らして

2015年6月20日土曜日

2015.06.20 わが友に贈る

妙法の力は無限だ!
「祈りとして
叶わざるなし」
破れぬ壁はない。
大確信で進みゆけ!

四条金吾殿御消息 P1114
『法師品に云く「則遣変化人為之作衛護」疑あるべからず、安楽行品に云く「刀杖不加」普門品に云く「刀尋段段壊」此等の経文よも虚事にては候はじ』

◇人生の座標
文学を知れば、千変万化する万華鏡のような人間模様と心理を、ありのままに観てとることができる。また、踊る無数の波の奥深くに、大いなる生命の大海を見抜くこともできるのです。

☆こころに響く言葉
結果としてあるもの

幸福は追い求めるものではなく、ついてくるものである。
幸福は結果としてあるものであって、その人がどう人生を生き切ったかの総体の表現である。

☆随筆民衆凱歌の大行進 第23回� 幸の教養博士 万歳!
太陽は
 創価の母の
  異名なり
 幸と平和の
  光いやまし

本当に教養ある人とはどのような人だろうか。
スイスの哲学者ヒルティの答えは明快だった。
それは「常にあらゆる善に対して感激と熱意とを持っている」人なりと。
私には、創価の女性たちの姿と重なり合う。
来る日も来る日も、友の幸福と社会の平和という「大善」に向かい、感激と熱意を持って行動を貫いているからだ。
生命尊厳の仏法を源泉として、皆が仲良く希望に生きるための智慧を発揮し、価値を創造しゆく女性たちこそ「幸の教養博士」とはいえまいか。
今月の10日、結成64周年の記念日を迎える婦人部の皆様に、私たちは、感謝を込めて、万歳を轟かせたいのだ。

"新たな地球文明のリーダーを育成する大学"として高い評価を得ている、わがアメリカ創価大学(SUA)では、先月、第11回の卒業式が晴れやかに行われた。
平和を願う世界中の母たちの期待に応え、皆、眩しいばかりに成長し、羽ばたいてくれている。
このSUAのキャンパスには、"アフリカの環境の母"マータイ博士の名を冠したイチジクの木が、みずみずしい緑の葉を茂らせる。
10年前、来日中のマータイ博士とお会いした折、私が植樹を提案させていただいた木である。
マータイ博士は、ケニアで活躍する創価同窓の女性リーダーに、「世界中のどこに行っても、創価の人たちが一番、幸せそうですね」と語られていた。また生き生きとしたメンバーの表情に、「どうしたら、こんなに素晴らしい笑顔になるのですか」とも質問しておられたそうだ。
世界中を魅了した「マータイ・スマイル」の持ち主がこよなく愛されたのは、「創価の女性の笑顔」だったのである。
わが婦人部の「実践の五指針」には、「わが家は和楽の前進」「後継の人材を伸ばす」とある。
皆様の輝く笑顔ありてこそ、家庭にも、地域にも和楽が広がり、人材が育っていくのだ。

「実践の五指針」には、「祈りからすべては始まる」ともある。
日蓮大聖人は『ただ心こそ大切なれ』(P1192、「四条金吾殿御返事」)と仰せである。
心は、目に見えない。だが、その心一つで、目に見える現実も大きく動かしていける。妙法という生命の大法則に合致した、一人の心の革命によって、自分の人生も、社会も、国土も必ず変えていくことができる。
そう説き明かしたのが、日蓮仏法の「一念三千」の法理である。
自他共の幸福を祈る信心の発露のすべてが、『我が一念に納めたる功徳善根』(P383、「一生成仏抄」)となる。全部「心」で決まる。
このことを証明する気高き劇を、それぞれが希望のヒロインとなって演じてくれているのが、婦人部の皆様方である。
「意志あるところ、必ず道あり」とは、オーストリアの声楽家サイフェルト博士のモットーである。
博士は、最愛のご主人を亡くされるなど、つらく悲しい経験をご自身の成長の糧とされながら、人びとに勇気と歓喜の歌声を届けてこられた。
大聖人は、一人の母に『軍には大将軍を魂とす』(P1219、「乙御前御消息」)と、強盛な信心の志に立つよう励まされた。
祈りとは、"断じて為す"という意志であり、誓願である。それが母の胸にある限り、栄光の未来への大道は、必ず開かれゆくことを忘れまい。

サイフェルト博士が、私との対談の折、感動をもって語ってくださったことがある。
それは、ご自身の音楽の師と共演したいという長年の"夢"が叶った喜びであった。
師と弟子が同じ舞台に立つ。その感激はいかばかりか。いかなる分野でも、師弟の道は限りない向上の道となる。
戸田先生の薫陶なくして、今の私はない。ゆえに私は、"恩師の夢を実現すること"を、わが生涯の夢としてきた。師への報恩とは、師の夢を叶え、師に喜んでいただくことだ——そう心に固く決めてきた。
戸田先生が先師・牧口先生の心を心として、強く願われていたことは、「すべての女性が幸福をつかむこと」であった。
戦争で最も犠牲になり、最も苦しめられた女性が、最も幸福になれる平和な社会を!
その悲願を懸けて、戸田先生は、第2代会長就任の直後に婦人部を結成されたのである。
さらに女子部を結成された戸田先生は、常々、「女子部は教学で立て!」と励まされていた。
今月4日、記念の佳節を刻んだ日本中、世界中の華陽姉妹は、「華陽会御書30編」読了運動を推進しながら、明るく、伸び伸びと、ロマン薫る対話に挑戦している。
"婦女一体"の麗しき前進に、恩師も、そして6日に生誕144周年を迎えた先師も、会心の笑顔で拍手を送っておられるに違いない。

2015年6月19日金曜日

2015.06.19 わが友に贈る

誠実に話せば
必ず心は通じる。
正義の語らいには
必ず信頼が輝く。
さあ人間の中へ!

法華初心成仏抄 P553
『なにしにか仏は強いて法華経を説いて謗ずるも信ずるも利益あるべしと説き我不愛身命とは仰せらるべきや、よくよく此等を道心ましまさん人は御心得あるべきなり』

◇人生の座標
世界の舞台では、にじみ出てくる教養、人格がなければ、ほかのことがどんなに優秀でも尊敬されません。
読書が人間を「人間」にするのです。単なる技術屋であってはならない。
どんな立場の指導者であれ、世界的な長編小説も読んでいないのでは、立派な指導者になれるわけがない。

☆こころに響く言葉
けわしい尾根にいどむ自分のなかに

幸福は、けっして山の彼方にはない。自分自身の内にある。しかし、
坐して安閑としている自分ではなく、あくまで、彼方にあるものを目ざして、
けわしい尾根に挑戦し、障害を一歩一歩、克服して進んでいる
"戦う自分"の生命の躍動の内にあるのだ。

☆日中青年平和友好フォーラム 名誉会長のメッセージ
青年の対話こそ、明日ヘの希望の音律です。
青年の友情こそ、平和の連帯の要です。
ゆえに、青年の熱情あふるる交流がある限り、一切の障壁を超えて、永遠の友好の本流が流れ通っていきます。
青年をこよなく愛された周恩来総理と�頴超(とうえいちょう)先生も、本日のフォーラムを、どれほどお喜びでありましょうか。
中日友好の未来は明るいと安心して、見つめてくださっていることと、私は確信してやみません。
今、私は、小説『新・人間革命』で、1978年(昭和53年)9月、第4次訪中の歴史を「革心」(心を革める)の章と題して、書き綴っております。「革心」とは、ご承知の通り、貴大学に学ぶ周総理が、�先生たちと共に掲げた偉大な信念であります。
本年は、日本軍が貴国を蹂躙した残酷な戦争の終戦より70年。また、日本が理不尽な「対華二十一カ条要求」を突きつけてより、100年を刻む年でもあります。
1919年(大正8年)5月4日、貴国の勇敢なる学生たちは悠然と立ち上がりました。「中国革命」の淵源となる不滅の「五・四運動」であります。
当時、21歳の周総理も、留学先の桜花薫る日本から急遽、天津に舞い戻り、革命に身を投じられました。
やがて周総理ら天津の男女各十人の代表が、学生組織「覚悟社」を結成。その中に、15歳の乙女の�先生もおられたのです。
若き革命児・周青年や、女性リーダー�先生たちの目指したものは、何であったか。
その一つは、「革新」——あらゆる悪を打ち破り、社会を一新していくことでありました。
そして、そのために、もう一つの「革心」——自らの思想と精神の革命を強調されたのであります。
周青年たちは、討論会や学習会で新しい思想を貪欲なまでに吸収し、小冊子「覚悟」を発刊し、正義の言論戦を勇敢に繰り広げていきました。
この「覚悟社」の俊英の大情熱が伝播し、中国全土の若人たちが澎湃と立ち上がっていったのです。
人類史に轟きわたる偉大な青春讃歌であります。
そして、この先人たちの熱と力を受け継がれて、周池会の皆様は、平和友誼の精神を生き生きと広げてくださっております。
皆様が刊行されている「金橋(金の橋)」を、私も毎号、楽しみに読ませていただいております。
光栄にも、「金橋」の最新刊では、周総理と私との会見40周年を特集してくださいました。
忘れ得ぬ一期一会の会見の折、周総理が私に、"今後、私たちは世々代々でいきましょう"と呼び掛けてくださったことが、鮮やかに蘇ってまいります。
永遠の世々代々の友好と平和へ、「革心」という周総理、�先生の希望の哲学を胸に刻み、新たな金の橋を築いていきたいと思うのであります。
貴・南開大学は、日本軍の侵略の中、災禍を逃れるために昆明に拠点を移し、北京大学、清華大学とともに西南連合大学として、学究を全うして、「学府北辰」と言われたことは有名な歴史です。
いかなる苦難の状況にあっても、不動の北辰(北極星)のごとく、世を照らす英知の光を放ち、綺羅星のごとき人材を送り出していかれたのであります。
周総理は、力強く叫ばれました。「共通の積極的な発展目標があれば、消極的な気持ちや不満の対立感情をのりこえることができる」(中共中央文献編集委員会『周恩来選集』)と。
青年が大情熱に燃えて、平和友好の対話を貫いてくれる限り、何も恐れるものはありません。
若人らしく胸襟を開き、闊達に「未来に向かう友誼の心」を語り合いながら、21世紀の世界を照らす北辰(北極星)を輝かせてくださることを心から念願し、私のメッセージといたします。

2015年6月18日木曜日

2015.06.18 わが友に贈る

雨天時の車の運転は
くれぐれも注意!
視界が悪くなり
スリップの危険も。
油断を排し無事故で!

諸法実相抄 P1359
『たえて弘めん者をば衣を以て釈迦仏をほひ給うべきぞ、諸天は供養をいたすべきぞかたにかけせなかにをふべきぞ大善根の者にてあるぞ』

◇人生の座標
見ることは「刹那的」であり、読むことは「永続性」がある。見るだけでは「受け身」になる。読むには努力が必要です。自分で努力し、自分で想像をめぐらし、一字一字、一行一行、一頁一頁、読んでいくしかない。
大変だが、大変な分、自分で自分の心と頭脳を耕している。だから、読書している人は、顔つきまで違ってくる。

☆こころに響く言葉
生命の燃焼のなかに

幸福は自分自身のなかにある、ということは、現在の自己のなかにあるということである。
それはけっして、幻想の未来にあるのではない。現実の生活は、苦悩や悲しみに満ちているかもしれない。
そのなかにあって精いっぱい努力し、そこに自己の生命を燃焼していく。その人生のなかに、
実は無上の幸福があることを、知っていただきたいのである。

☆名誉会長と共に新時代を駆ける 第20回 唱題は万代の幸を築く
友のため、平和社会の建設のために進みゆく、わが同志の心意気は、すがすがしい。列島各地で婦人部総会も、たけなわである。青年を先頭に、弘教も目を見張る勢いだ。
創価の女性に幸福あれ、全同志に勝利あれと祈って、私は12日、妻と共に恩師記念会館で勤行・唱題した。
御聖訓には『悦しきかなや・楽かなや不肖の身として今度心田に仏種をうえたる』(P286、「撰時抄」)と仰せである。
妙法を持った私たちは、わが生命に仏種を植えた。信心を貫き通せば、必ず仏果が実る。何と楽しく、うれしいことか、
自身の幸福の大樹を育てながら、友の心田に希望の種を蒔いていく。自他共に大歓喜にあふれる我らの人生なのである。

「愚痴は福運を消し、感謝の唱題は万代の幸を築く」
私の妻が胸に刻み、友に贈ってきた指針である。
昭和54年5月、妻が婦人部総会に参加した神奈川の地でも、友は功徳の実証を光らせ、後継のリーダーが活躍していると伺った。ご長寿の多宝会のお母様をはじめ、福運に満ちた素晴らしいお写真も拝見した。
10年、20年、30年と、不退転の心で進めば、わが生命は常楽我浄の薫風に包まれる。一家も栄え、地域に万代に崩れぬ幸福の楽土を築いていけるのだ。
母は太陽だ。朗らかな広布の母ありて、壮年部も青年部も未来部も明るく前進していける。何かと多忙で大変でしょうけれども、『陰徳あれば陽報あり』(P1178、「陰徳陽報御書」)と仰せの通り、その分、功徳と栄光は計り知れません。
創価の太陽・婦人部の皆様、どうか、お元気で!

世界一
 誇る われらの
  婦人部は
 福徳ゆたかに
  使命も尊く

2015年6月17日水曜日

2015.06.17 わが友に贈る

青年部が弘教に奮闘!
壮婦も一体となって
真心の励ましを!
創価家族の団結こそ
広布拡大の原動力なり!

新池殿御消息 P1437
『諸経は随他意なり仏一切衆生の心に随ひ給ふ故に、法華経は随自意なり一切衆生を仏の心に随へたり、諸経は仏説なれども是を信ずれば衆生の心にて永く仏にならず、法華経は仏説なり仏智なり一字一点も是を深く信ずれば我が身即仏となる』

◇人生の座標
人間主義、人間原点の社会をつくるには、指導者が本格的な大文学を読んでいかなければならない。これは非常に重要なことなのです。海外の人は、よく読んでいます。日本人は「読んだふり」をしているだけの人が多い。

☆こころに響く言葉
胸中の大空に希望の太陽を

幸福というものは、けっしてほかから与えられるものではない。
自己の生命の内に築いていくものである。人生には嵐の日もあり、
だが、自己の胸中の大空には常に希望の太陽が輝き、
青空が美しく広がっていればよいのである。

☆北京山花プロジェクト慈善基金会「名誉国際顧問」称号授与式 名誉会長が謝辞
中国の山間地帯の子どもたちを支援する「北京山花(さんか)プロジェクト慈善基金会」(高占祥名誉理事長)が、池田大作名誉会長を「名誉国際顧問」に迎えた。
授与式は10日午前、北京市内の国家オリンピック体育センターで挙行され、同基金会の韓�(かんいく)理事長、王冰(おうひょう)副理事長が出席。日中友好青年交流団団長の橋元青年部長に、証書が託された。

「山花プロジェクト」は、中華文化促進会の高占祥主席(同基金会名誉理事長)が、中国国内の山間地帯で貧困に苦しむ子どもたちを支援したいと、2006年にスタートさせた。
これまで、数十カ所の山間地帯で3000人を超える児童に教育の機会を与え、各界から称賛の声が高まっている。
授与式が行われた国家オリンピック体育センターは、北京オリンピックの競技会場となった場所。世界の賓客を招いた優美な貴賓室で、授与式は執り行われた。
授与式では、同プロジェクトの中心的な支持者である、北京電影学院の兪剣紅(ゆけんこう)副学長があいさつ。日本と中国は歴史、文化、地理的にも一衣帯水の隣国であると述べ、「その関係を発展させるためには両国間の民間交流が重要である」と強調。「特に私たちは、創価学会と連携を深め、中国の教育に貢献していきたいと願い、全会一致で、池田名誉会長を『名誉国際顧問』にお迎えすることを決定したのです」と語ると、会場は大きな拍手に包まれた。
さらに兪副学長は、名誉会長が平和提言で提唱した"東アジアのレジリエンス(回復力)交流の強化"に賛意を示し、特に防災教育の分野において日中両国はより協力していけると語った。
続いて、名誉会長の謝辞を橋元青年部長が読み上げた。
謝辞の中で、池田名誉会長は、1979年に中華全国青年連合会(全青連)の代表団団長として来日した高占祥主席と共に、周恩来総理夫妻を顕彰する、「周夫婦(めおと)桜」を創価大学に植樹した友誼の歴史を述懐した。
続いて、「ああ! わが親愛なる祖国よ。 汝の土地は、いずこも花の故郷である」「一千群の花には、千の美しき夢がある。その一つ一つが、私に力を与えてくれる」との高主席の言葉を紹介。
その上で、名誉会長は、繁栄の花が爛漫と咲き競う中国社会にあって、ひときわ心を打つのが、いまだ夢の花を開ききれていない山間地域の子どもに眼差しを向ける同プロジェクトである。幼少期から貧窮の中で刻苦精励してきた体験の上に今、高主席が行っている教育支援こそ、「何よりも美しき『夢』を咲かせゆく聖業」であると語った。
さらに、"(山花プロジェクトは)中国の革命や解放に貢献し、今日の大発展の礎となった山間地域に対する「報恩」である"という高主席の信念に触れつつ、「報恩の心は、最も崇高なる人間性の光です。報恩の心は、人間の無窮の力を引き出す源泉です」「中国との平和友好を祈り、行動してきた私の胸にあったのも、仏教をはじめ文化の大恩深き貴国への報恩の一念でありました」と述べた。
ここで名誉会長は、中国の大教育者・陶行知(とうこうち)が自ら創立した学校に「智慧の眼を修練せよ/金剛の嘴(くちばし)を磨きあげよ/畏れるものなき翼を羽ばたかせよ」「狂風暴雨の闇夜に立つ人類のために照らせよ」(齋藤秋男著『新中国教師の父・陶行知』)との校歌を送った史実に言及。「幾多の難問に直面する今日の地球社会にあって、最優先されるべきは教育であります」と力説した。
最期に「21世紀の貴国を担いゆかれる青年と共に、そしてまた、私の心を携えて貴国の皆様方と万代の友情を結びゆく青年たちと共に、未来の宝の少年少女たちが生きる、平和で、調和に満ちた、希望輝く世界を築くために、さらに新たな道を開きゆく決心であります」と述べ、同プロジェクトに携わる全ての人々の幸福と栄光、勝利を念願した。

2015年6月16日火曜日

2015.06.16 わが友に贈る

決意即実践だ。
「さあやろう!」
そう決めた瞬間から
勢いよく行動を!
断じて時を逃すな!

阿仏房御書 P1304
『多宝如来の宝塔を供養し給うかとおもへばさにては候はず我が身を供養し給う我が身又三身即一の本覚の如来なり、かく信じ給いて南無妙法蓮華経と唱え給へ、ここさながら宝塔の住処なり』

◇人生の座標
古典を熟読吟味することが、どれほど自分の精神世界を豊かに、分厚いものにしてくれるか−−優れた精神的遺産を"宝の持ち腐れ"にしておいては、もったいない限りであります。
何十年、何百年という時間の淘汰作用を経て生き延びてきた古典や名作には、必ず"何か"が含まれているはずです。

☆こころに響く言葉
仮面の幸福

平凡な一隅の幸福。それは誰もが夢みる幸福で、庶民の権利である。
しかし、充実感のない幸福とは、仮面にすぎない。

☆希望の虹〜世界の偉人を語る〜 第15回 万能の天才レオナルド・ダ・ビンチ
6月は、雨が多い季節です。雨のなかでも、明るく咲いているのがアジサイの花です。
アジサイには「元気な女性」という花言葉があります。花々が生き生きと仲良く集まった姿は、いつも元気なお母さんたちのようだね。
アジサイの花の色は、何色に見えますか? 白、青、むらさき、赤……どれも正解です。アジサイには、たくさんの種類があるし、「七変化」といわれるほど、花の色が何度も変わっていくのです。
よく見ると、身近なところに、ふしぎなこと、おもしろいことがいっぱいあります。
「なぜ、鳥は飛べるの?」「川の水は、どうして流れるんだろう?」——今から500年以上も前に、そうした疑問をもち、学び続けた人がいます。イタリアの大芸術家レオナルド・ダ・ビンチです。
レオナルドは、画家であり、彫刻家であり、また科学者、技術者、哲学者としても有名です。何でもできたので、「万能の天才」と呼ばれています。レオナルドのかいた名画「モナ・リザ」は、世界中の人々の心をひきつけています。
わが創価大学の本部棟では、レオナルドのブロンズ像が学生たちの成長を見守っています。
今、八王子市の東京富士美術館では、「レオナルド・ダ・ヴィンチと『アンギアーリの戦い』展」が開催されています。イタリアの国宝が日本で初めて公開され、注目されています。
きょうは、レオナルドが「万能の天才」となったひみつを、いっしょに学んでいきましょう!

レオナルド・ダ・ビンチは、1452年4月15日、イタリアの小さな村に生まれました。両親は身分がちがうため、正式に結婚できず、レオナルドは、お父さんに引き取られました。お母さんに会えず、仕事の都合で、お父さんともはなれてくらしたので、すいぶん、さびしい思いをしました。
そんなレオナルドを、おじいさんとおばあさんが、大切に育ててくれました。しかし、同じ年ごろの子どもたちとは、なかなか、うまく遊べなかったようです。
それでも、レオナルドには、友だちがたくさんいました。
自然豊かな野山を歩き回って、"友だち"をいっぱいつくったのです。風にゆれる花々、流れる川、走る馬、はばたく鳥、岩かげにかくれるトカゲや小さな虫たち……みんな、友だちでした。動いていました。いのちを持っていました。レオナルドは、心の中で、話しあうことだって、できました。
こうした友だちを、レオナルドは、こまかいところまで、ていねいにスケッチしました。そんな彼のかいた絵は、いまにも動き出しそうだったというのです。
絵が大好きだったため、レオナルドは10代の半ば、花の都フィレンツェの有名な芸術家のもとで修行を始めることになりました。そこでは絵画や彫刻など、さまざまな美術品がつくられていました。
なかでも、レオナルドが最も大切にしたのは、デッサン(下がき)をかくことでした。そのため、建物や風景、人物など、目に入るものを次々と、時には何日もかけてスケッチブックにかきうつしていきました。数年たつと、師匠の先生より絵が上手になったといわれています。
レオナルドは言っています。
"画家の心は、鏡に似るように願わなければなりません"
"自然が生み出す、いろんな形をまねてかける万能な先生にならなければ立派な画家になれない"
つまり、よく見て、ありのままにかくということです。いろんなものを、まねてかいてみることです。
日本語の「学ぶ」という言葉のもとは「まねぶ」。「まねる」という意味です。勉強は、「まねてみる」ことから始まります。
字がきれいになりたかったら、上手な字をまねしてかいてみよう。野球やサッカーがうまくなりたかったら、大活躍している選手のまねをしてみよう。勉強も、できる人のまねをすれば、絶対にできるようになります。これが夢への第一歩です。
いいことは、どんどん、まねてみる。自分でできるまで、何度も何度もくり返す。それを「努力」というのです。
レオナルドは、生涯、努力を忘れませんでした。よく見て、かきうつすたびに、新しい発見と喜びがあったからです。
鳥をかいてみると、あのように空を飛びたいと夢を広げました。そして、どうしたら自分が飛べるのだろうかと考え抜きました。
こうして思いついたアイデアや学んだことを、どんどんノートにかき残していきました。
残っているデッサンだけでも600枚、ノートは8000ページもあります。実際は、その何倍もかいたといわれます。そこから、新たな作品や新しい技術・考え方が生まれていきました。
飛行機のアイデアも、そこに記されていました。それは、ライト兄弟が飛行機を作って空を飛ぶ400年近くも前のことです。

1994年6月、世界最古の伝統をほこるイタリアのボローニャ大学にお招きいただき、私は「レオナルドの眼と人類の議会」と題して講演しました。
そのあと、イタリアのミラノで、レオナルドが部屋一面にかいた天井画と壁画を見ました。そこには、枝を茂らせ伸びゆく樹木がえがかれていました。そして、おどろくべきことに、その木の「根っこ」が力強くかかれていたのです。
目に見える美しい「花」をかく人はいても、土の中にあって見えない「根っこ」をかく人はいないでしょう。しかし彼は、「目に見えるもの」が「目に見えないもの」によって、できあがっていることに気づいていました。両方かいてこそ、レオナルドにとって「木」の絵は完成するのでした。
今でも、忘れらない光景です。
私の大好きなレオナルドの言葉があります。
"大きな悩みもない中では、どんな才能も完成させることはできない"と。
大きな悩みが、自分の才能を大きく開花させるのです。目に見えない努力が「根っこ」となって、夢という「花」を咲かせるのです。
レオナルドの人生も、悩みの連続でした。仲間はずれにされたり、上の学校に行かなかったため、バカにされたりしたこともあったといわれます。しかし、彼はあえて自分を「無学の人(教育を受けていない人)」と呼び、だれよりも、ねばり強く学びの挑戦をしました。自分で努力して、生きた学問を学んでいくとを喜びとしました。あらゆる分野の本も読みました。
いろんな才能を開花させた「万能の天才」は「努力の天才」でした。いろんなものから「学ぶ天才」でした。よく見て、よく学びということに「徹した天才」でした。
私には、「21世紀のレオナルド」となりゆく少年少女部のみなさんのがんばる姿と、重なるように感じられてなりません。
レオナルドはきっと、この世界は、おもしろいことでいっぱいだと、わくわくしながら、学びの目を向けていったことでしょう。
みなさんも、本や自然など、いろいろなところへ、学びの目を、広々と向けてみてください。
きょうも、この世界を、よく見つめて、楽しく学ぼう。その先に、自分のかがやく未来が見えてくるはずだよ!

2015年6月15日月曜日

2015.06.15 わが友に贈る

新聞休刊日

種種御振舞御 P911
『さりし程に念仏者持斎真言師等自身の智は及ばず訴状も叶わざれば上郎尼ごぜんたちにとりつきて種種にかまへ申す』

◇人生の座標
人間の心の葛藤を表現しょうとしているのが、文学なのです。だから、人間主義者として一生を生きるならば、文学を読まなければならない。

☆こころに響く言葉
生命に迫る確かな手ごたえ

生きることの喜びは、その生きていること自体に確かな手ごたえがある——
ということにほかならない。人はその手ごたえを求めるものである。
映画を見て感動するのも、音楽を聞いて楽しむのも、
生命に迫ってくる確かな手ごたえにほかならないであろう。
苦労しても、苦労の中に手ごたえがある場合には、その手ごたえこそ、
幸福感そのものであるまいか。

☆ブラジルでラテンアメリカ教学研修会 SGI会長がメッセージ
世界広布新時代第2回ラテンアメリカ教学研修会が4日から6日(現地時間)、ブラジル・サンパウロ市のブラジル池田文化会館で盛大に行われた。
ブラジルをはじめ、アルゼンチン、ウルグアイ、エクアドル、コロンビア、チリ、ドミニカ共和国、パラグアイ、ベネズエラ、ペルー、ボリビアの中南米11カ国の代表が喜々として集った。
池田SGI会長はメッセージを寄せ、「世界広布の偉大な行学練磨の伝統を築きゆく」教学研修会の開催を心から祝福。
次いで、日蓮大聖人直結の仏意仏勅の団体である創価学会が世界192カ国・地域に広がった事実は、「御本仏・日蓮大聖人の御心にかなった時の必然」であり、「創価の大河の勢いは、もはや誰も止めることはできません」と力説した。そして「諸法実相抄」の一節『日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし、是あに地湧の義に非ずや』(P1360)を贈り、世界広宣流布も「現実の一対一の誠実な対話」から始まると強調。
「いよいよ仏法を徹して学び、信心の確信を深め、慈悲の対話の波を起こして、『二人・三人・百人』と希望の仏縁を広げていってください」と念願した。

2015年6月14日日曜日

2015.06.14 わが友に贈る

◇今週のことば
人間革命は会うことから
広宣流布は語ることから
皆が幸福をつかむ
創価家族の世界へ
一人でも多くの友を!
2015年06月14日

富木殿御書 P969
『夫れ賢人は安きに居て危きを歎き佞人は危きに居て安きを歎く』

◇人生の座標
読書は、旅のようなものです。東へ西へ、南へ北へ、見知らぬ人たち、見知らぬ風景に出会える。
しかも、時間の制約もない。アレキサンダーとともに遠征したり、ソクラテスやユゴーとも友達になれる。
『徒然草』の吉田兼好も、「ひとり、燈のもとに文をひろげて見ぬ世の人を友とする」と表現しています。こんな喜びを知らないとは、何ともったいないことか。宝の山を前にしながら、何もとらないで帰ってしまうようなものだ。

☆こころに響く言葉
人生の充実感が幸福の内容

人は、必ずしも、日常のあらゆる行動において、
自分が幸福を求めて行動しているのだなどと意識しているわけではない。
ほとんどの場合、ただ当面の自己の目標を何とか実現しようと、希望を持ったり、
苦しんだりしながら、努力しているにすぎないであろう。
だが、それらの行動を、一歩深く掘りさげて考えていったとき、それらはみな、
人生の充実を求めての行動であることに気づく。この人生の充実こそが、幸福というものの内容である。
人間は、一日たりとも空虚ではいられないものである。
三日間も、孤独で空虚な、あたかも白壁に囲まれたような状況のもとで生活していると、
耐えられないであろう。芸術家が創作にうち込むのも、学者が研究に没頭するのも、
結局は、その世界における自己の充実を求めていると言えるのではなかろうか。

☆名誉会長と共に新時代を駆ける 第19回 師子王の心で大仏法を語れ
6月6日は、牧口初代会長の生誕144周年であった。創価の大連帯が平和への光となって五大州に広がる様子を、どれほどお喜びであろうか。戦時中、厳しき弾圧にも屈せず、正義を貫いて殉教された尊いご生涯を偲び、私は東京牧口記念会館で勤行・唱題した。
「初代会長牧口常三郎先生顕彰室」には、当時、使われていた牧口先生の「御書」が展示されていた。至るところに線が引かれ、書き込みがあり、峻厳な研鑽の姿が胸に迫る。
日蓮大聖人が大難の中で認められた佐渡御書の一節『師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし』(P957)にも朱線が引かれている。
君よ、師子王の心で進め! そう呼び掛けているようだ。

57歳の年に入信された牧口先生は北海道、東北、関東、信越、関西、中国、九州、さらに静岡と、全国へ弘教の歩みを運ばれた。
「人生に関する問題は、対話でなくては相手に通じない。『立正安国論』も、問答の形式ではないか」
こう先生は語られていた。
軍部に投獄されても、看守や取り調べの検事に対して、堂々と仏法を語り、折伏された。
絶筆となった獄中からの書簡には「カントノ哲学ヲ精読シテ居ル」との言葉とともに「三障四魔ガ紛起スルノハ当然デ、経文通リデス」と記されている。
恐れなき勇気——これこそ、崇高なる創価の魂である。先師のごとく堂々と、我らも仏法を語りたい。大切な友に「あなたの生命に仏界があるのですよ」「題目は宇宙につながる根本法則です」「妙法は生命力の根源なのですよ」と、体験を、確信を、喜びを伝えよう。
きょうという日は二度と来ない。楽しく心広々と、出会いの劇を繰り広げようではないか!

偉大なる
 師匠もちたる
  幸せは
 万代までも
  我らの誉れと

2015.06.13 わが友に贈る

未来部の育成に全力を!
「真心」「誠実」の姿は
若き胸に深く刻まれる。
温かな触れ合い通し
全員を後継の人材に!

南条兵衛七郎殿御書 P1494
『たとへば朝につかふる人の十年二十年の奉公あれども君の敵をしりながら奏もせず私にもあだまずば奉公皆うせて還つてとがに行はれんが如し』

◇人生の座標
一冊の良書は、偉大な教師に巡り合ったのと同じです。読書は「人間だけができる特権」であり、いかなる動物も読書はできない。
自分の人生は一回きりだが、読書によって、何百、何千のほかの人生に触れることもできるし、二千年前の賢者と話もできる。

☆こころに響く言葉
幸福感にひたるとき

映画を見るのも、テレビを見て楽しむのも、スポーツやダンスに熱中するのも、
ことごとく、生命の充実を求めての行動であると言ったらいいすぎであろうか。
人びとは、この充実を求めて生き、充実が得られないときに不幸を感じ、
得られたときには幸福感にひたるのである。

☆四国新聞特別寄稿 「『わたしと宇宙展』香川展に寄せて」
懐かしい『竹取物語』で、かぐや姫は「讃岐造(さぬきのみやつこ)」と呼ばれる翁とオウナに育まれました。詩情豊かな詩国・讃岐の香川県では、今も、かぐや姫にちなんだ催しが行われると伺いました。
「かぐや」とは「輝く」であり、この姫のいる所、喜びの光が広がります。
さかのぼれば、人の体の元素は、大宇宙の星々のかけらからできています。私には、子どもたちの命は、星の光を帯びて、地球に生まれてくるように思えてなりません。どの子も、未来を明るく照らしてくれる宝だからです。その命の輝きを大事に育むのは、私たち大人の責務でしょう。
満月の日・6月3日より高松市のサンメッセ香川で「わたしと宇宙展」が開催されます。
現代の「讃岐造」たる香川の父母(ちちはは)と、「かぐや」の命の若人に、宇宙の妙なるロマンの光彩を楽しく感じ取っていただく機会となれば、うれしい限りです。

宇宙展では、人類初の月面着陸(アポロ計画)の際に持ち帰った「月の石」や、月面車のレプリカなども展示されます。
わたしは、明治の世に一世紀後の月旅行を展望していた志国・讃岐の大志の先人を思い起こすのです。讃岐鉄道、四国新道を開設し、四国と本州の架橋を提唱した大久保ジン(=ごんべんに甚)之丞(三豊市出身)その人です。
香川用水も構想した、この先覚者は、嘲笑に屈せず謳い上げました。
「笑わしゃんすな 百年先は 財田(さいた)の山から川舟出して 月の世界へ往来する」と。
宇宙にまで飛び出していくほどの気概で、困難な大事業に挑んだのです。とともに、その胸には、愛情豊かに育んでくれた乳母など郷土の人々への恩返しの心が溢れていたといいます。
宇宙を友とする大いなる志と、人間の絆を大切にする深き志。いずれも香川の大地に熱く受け継がれてきたといってよいでしょう。

江戸時代、高松藩の天文測量方だった久米通賢(東かがわ市出身)は、自ら天体望遠鏡「星眼鏡」や、航海用の天体高度測定器具「ヲクタントフ」を制作。月食、日食、彗星の観測を行った偉業で知られます。
そうした進取の探究は、香川大学が推進してきた衛星開発プロジェクト「STARS」など、若き知性によって継承され、天高く飛翔を遂げています。
隕石で知られる国分寺町を拠点に、日本宇宙少年団の尊い活動も活発です。
さぬき市では、画期的な天体望遠鏡博物館の計画が進められています。
「宇宙教育」は、挑戦の勇気も贈ってくれます。
私が親しく語り合った、女性初の宇宙飛行士テレシコワさんは言われました。
「夢に向かって全身全霊でぶつかっていけば、必ず実現できると信じます」

1978年の冬、私は青年たちと庵治町で、瀬戸の天空を鮮烈に走る流星を仰いだ思い出があります。
四国新聞では、「酷寒の夜空に火球」と報じられた大きな流星の一つでした。
「日月・衆星も己心にあり」とは、青年と共に学び合った先哲の至言です。
天座の光は、私たちに内なる情熱の太陽を、英知の月光を、希望の星を輝かせゆくことを呼びかけます。そして天体の精確な調和ある運行は、人類がたゆまず仲良く平和と共生の軌道を進みゆくことを促します。
この宇宙展を機に、愛する讃岐の天地から、輝く生命の讃歌が一段と轟くことを私は祈ってやみません。

2015年6月12日金曜日

2015.06.12 わが友に贈る

創価の座談会には
信心の触発がある。
和楽の喜びがある。
皆で朗らかに集い
爛漫たる対話の花を!

椎地四郎殿御書 P1448
『此の経を一文一句なりとも聴聞して神(たましい)にそめん人は生死の大海を渡るべき船なるべし』

◇人生の座標
読書というのは、ある意味で、山に登るようなものだ。山には高い山もあれば、低い山もある。高い山に登るのは大変です。そのかわり、登りきったときの感動は大きい。視界も大きく開けてくる。はるか遠くまで見わたせる。見おろしながら、ほかの山や丘の低さも、全部わかる。大変な分だけ、偉大な栄養になるのです。

☆こころに響く言葉
現実を生き抜く歓喜と充実感

何の苦労もない白紙のような状態のなかに、幸福があるのではけっしてない。
詮ずるところ、厳しい現実のなかで、自分らしく精いっぱい努力し、
生き抜いていく一瞬一瞬に、生命の奥底からわき出てくる歓喜、充実感こそ、
幸福の実体なのではないかと考える。

2015年6月11日木曜日

2015.06.11 わが友に贈る

女子部の活躍こそ
広布新時代の希望なり。
自他共の幸福へ
ロマン薫る語らいを!
励まし讃え合って前進!

呵責謗法滅罪抄 P1132
『何なる世の乱れにも各各をば法華経十羅刹助け給へと湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり』

◇人生の座標
古今の文学は、人間の「心から心へ」差し伸べられた橋です。どれだけ橋を渡るかで、自分の心の中身が決まっていくのです。

☆こころに響く言葉
何のために生きるのか

一生の大部分を、生きるために費やした時代から——生きている時間を、
何のために活用するかと、思索するべき時代に入りはじめている。
自身の欲望を満たすことを目的に、絶え間ない発展をとげてきた結果、
人類は、かえって新しい不幸の様式を生み出すことになってしまった。
欲望の充足によって感ずる幸福は常に他者に依存し、他者によって左右されるものであるから、
これは、"相対的な幸福"と言うべき、いつでも崩される、もろい幸福感である。
これに対して、理想や目的を達成するために、自ら行動し、積極的にとり組んでいる場合は、
そこに生命の充実感がある。こうして勝ちとった喜びは、一時の感覚ではなく、
自己の生命のうえに刻まれた栄光の記録であり、不滅の炎のごとく、永久に残っていくことであろう。

2015年6月10日水曜日

2015.06.10 わが友に贈る

「仏になるみちは
善知識にはすぎず」
善き友こそ人生の宝だ。
互いを高め合う同志と
黄金の歴史を築きゆけ!

同生同名御書 P1115
『人の身には同生同名と申す二のつかひを天生るる時よりつけさせ給いて影の身にしたがふがごとく須臾もはなれず、大罪小罪大功徳小功徳すこしもおとさずかはるかはる天にのぼて申し候と』

◇人生の座標
今、なぜ読書なのか。第一にそれは、読書経験が、ある意味で人生経験の縮図を成しているからです。
また、その第二の意義として、蓄えられた読書経験は、巷にあふれ返るバーチヤル・リアリティー(仮想現実)のもたらす悪影響から魂を保護するバリアー(障壁)となってくれるでしょう。

☆こころに響く言葉
長続きしない幸福感

おいしいものを食べたい、すばらしい車を手に入れたい、広い家がほしい等々の欲望が満たされたとき、
そこに人びとは幸福を感ずる。しかし、それは必ず、その対象によって決定される幸福である。
しかも、その幸福感は、けっして永続するものではない。
一つの欲望が達せられると、そこでまた新しい欲望がわいてきて、その追求のために、
あくせくと努力を重ねることになる。

2015.06.09 わが友に贈る

高温多湿の時季。
天候の急変にも注意し
万全な体調管理を!
賢明な生活を心掛け
健康と幸福を勝ち開け!

妙心尼御前御返事 P1480
『このやまひは仏の御はからひかそのゆへは浄名経涅槃経には病ある人仏になるべきよしとかれて候、病によりて道心はをこり候なり』

◇人生の座標
語学の実は、やがてその人を世界の空へと導くだろう。それはまた自身の心の空を広げ、異なる文化を理解してゆく、またとないパートナーになるに違いない。
−−以前とは、比べものにならないくらい「いじめ」が深刻化している現代にあって、語学を通じての心の国際化は、"異質なるもの"を認める契機ともなる。そして宿病の"壁"を超えてゆく、一つのキー・ポイントになるのではないかとも思う昨今である。

☆こころに響く言葉
欲望追求のプラス面

欲望の追求は必ずしも悪くない。それは、人間の本性であるとともに、
人類文化の進歩と発展の原動力でもあるからだ。ただ、それのみを究極の目標としていく人生は、
けっして、本当の幸福を得ることができない、と言いたいのである。

☆御書とともに� 第59回 友の幸福を祈り抜く
『人是を用ひず機に叶はずと云へども強いて法華経の五字の題名を聞かすべきなり、是ならでは仏になる道はなきが故なり』(法華初心成仏抄、P552)

◇通解
人が用いず、機根に合わないといっても、強いて法華経の五宇の題名を聞かせるべきである。これでなくては、仏になる道はないからである。

◇同志への指針
ただ一筋に、友の幸福を祈り、仏法の素晴らしさを語る。「誰もが皆、仏なり」とは、我らの揺るぎなき哲学であり、信念である。一人一人の生命の可能性を信じ、開いていく、その心こそが「仏の心」なのである。
その時は反発したとしても必ず友の仏性を薫発する「縁」となる。この最も地道で、最も忍耐強い実践の中にこそ、仏への大直道があるのだ。

2015年6月8日月曜日

2015.06.08 わが友に贈る

◇今週のことば
リーダーは最前線へ!
慈悲とは抜苦与楽だ。
「宿命」を「使命」に
「絶望」を「希望」に
目の覚める激励を!
2015年06月08日

松野殿御返事 P1381
『末世には狗犬の僧尼は恒沙の如しと仏は説かせ給いて候なり、文の意は末世の僧比丘尼は名聞名利に著し上には袈裟衣を著たれば形は僧比丘尼に似たれども内心には邪見の剣を提げて我が出入する檀那の所へ余の僧尼をよせじと無量の讒言を致す、余の僧尼を寄せずして檀那を惜まん事譬えば犬が前に人の家に至て物を得て食ふが、後に犬の来るを見ていがみほへ食合が如くなるべしと云う心なり、是くの如きの僧尼は皆皆悪道に堕すべきなり』

◇人生の座標
語学は「世界を結ぶ力」となるものといえましょう。世界の人々の生活を知り、価値観の違いを学び、同じ人間として心を交わしていく−その道を大きく開く"武器"となるのが語学です。

☆こころに響く言葉
他に左右されない幸福

自己に立ちかえり、自己の成長と内的充実を目指す生き方、そして、
生命の内奥からあふれる幸福感は、他によって左右されることはない。
これを、私は、"絶対的幸福"と呼びたい。

☆名誉会長と共に新時代を駆ける 第18回 一人を大切に 感激の集いを
鹿児島県・口永良部島の噴火で避難された皆様方に、心からお見舞いを申し上げます。皆様のご無事とご健康、そして一日も早く安穏な生活を取り戻せますよう、懸命に祈っております。

いよいよ、平和の太陽が輝く婦人部の記念月間が始まる。全国の津々浦々でグループ単位の総会が開催される。日頃の感謝を込めて、大成功を皆で祈ろう。
心通う少人数の集いを大事にする。これが学会の伝統だ。
牧口先生は座談会となれば、自分が真っ先に行かれた。1人が来ると、その1人とじっくり語り合う。2人目が来れば2人と、3人来れば3人と語り合う。そうやって懇切丁寧に希望の人間学を話していかれた。
戸田先生も、よく言われた。
「ただ一人でもいい。その一人の人に全力で法を説き、体験を語り、広布のこと、人生のことを心から話し合っていけばよいのだ」
出会いを結ぶ一人一人が、感激し合って帰る。「来てよかった」「元気になった」「本当に楽しかった」と喜び合える、励ましの集いこそが、仏法の会座なのである。
法華経に「当起遠迎、当如敬仏」(当に起って遠く迎うべきこと、当に仏を敬うが如くすべし)とある。法を求める人を、仏様を迎える心で最大に尊敬し大切にすることだ。

悩みのない人生などありえない。栄華を極めても『夢の中のさかへ・まぼろしの・たのしみ』(P386、「主師親御書」)であると、日蓮大聖人は仰せだ。
幸福は、いかなる試練があろうとも、決して負けない心に光る。その心を磨くのが、仏道修行である。
信仰を持った人間が、どれほど強く尊いか。自らが苦難に打ち勝つ姿を通して、悩める友に勇気と希望を贈っていける。今世の使命を果たし切るまで、共に祈り、語り、進み抜こう!

2015年6月7日日曜日

2015.06.07 わが友に贈る

「父母に孝あるべし」
報恩の人生は美しい。
君よ親孝行の人たれ!
自らの成長と
勝利の実証で光れ!

陰徳陽報御書 P1178
『わどのの正直の心に主の後生をたすけたてまつらむとをもう心がうじやうにしてすれんをすすればかかるりしやうにもあづからせ給うぞかし此は物のはしなり大果報は又来るべしとおぼしめせ』

◇人生の座標
人間が凶暴なインベーダー(侵略者)として、地球環境を破壊してしまったのが二十世紀だとすれば、二十一世紀を担う子どもたち、若者たちを育てる教育には、自然との触れ合い、コミュニケーションをどう保全するかという視点は、絶対に欠かせません。

☆こころに響く言葉
宗教の必要性

はたして、絶対的幸福というものは、実現できるのだろうか。
そこに、私は人生の根本とも言うべき大宗教の必要を痛感するのである。

☆中国・広東外語外貿大学池田思想シンポジウム 名誉会長のメッセージ
広東省の尊き教育と学術のネットワークは、アジアへ、世界へ、常に新鮮な英知の旭光を放ってこられました。
本日は、懐かしき広州の天地に、尊敬する先生方が集われてのシンポジウムの開催に、感謝と連帯のメッセージを送らせていただきます。
会場として迎えてくださった広東外語外貿大学をはじめ、ご尽力いただいている関係の先生方に、心から御礼を申し上げます。
今回の大テーマは、「幸福を創造する力」と伺いました。簡明でありながら、何と深遠な命題でありましょうか。
全ての人間社会の営みは、哲学や宗教はもちろん、学問や科学も、ひいては政治や経済も、つきつめれば一人一人の幸福のために、そして、人類の幸福の創造のために存在するといっても過言ではありません。
ここにこそ、私たちが絶えず立ち返るべき原点があります。
ここにこそ、胸襟を開き、自らの専門分野を超えて各界の知性と対話を重ねるとともに、現実社会に勇んで飛び込み、市井の友と苦楽を分かち合いながら、共に探究していくべき主題があります。
その意味において、今回のシンポジウムは、21世紀の世界の在り方と人類の進路を、最も普遍的な次元から問い直す、誠に意義深き試みであり、碩学の先生方の真摯な挑戦に、私は最大の敬意を表するものであります。
私も、先生方とご一緒に参加し、討議に連なる思いで、簡潔に3点、所感を申し述べさせていただきます。

第一に、「幸福を創造する力は、人間生命への信頼から湧き出ずる」ということであります。
私は「人間は幸福になるために生まれてきた」と信ずる一人です。
幸福とは、恩寵として外から与えられるものではありません。自らが内面から創造していくものであります。
そのための力が万人の生命に厳然と具わっていることを、中国をはじめ東洋の先哲たちは明確に論じ、示してこられました。
貴国の6世紀の大哲人・天台大師智�(ちぎ)は、大乗仏典の精髄である「法華経」に基づいて「一念三千」の生命論を完成されました。その端的な説明として、「摩訶止観」では、「華厳経」の一節である「心如工画師」——心は工なる画師の如し——が引かれています。
卓越した画伯が自在の境地で優れた名画を縦横無尽に描き出すように、人間は、この心、この生命から、ありとあらゆる価値を創り出していくことができると、明かされているのであります。
仏法では、さらにわかりやすく『さいわいは心よりいでて我をかざる』(P1492、「十字御書」)とも説かれております。
外の環境に左右されるのではありません。汝自身の内なる生命にこそ、尽きることのない幸福の源泉があります。
この幸福の源泉に目覚めていくことは、一人一人に生きる喜びをもたらし、苦難に挑みゆく勇気と希望と自信を引き出してくれます。難問が山積し、不安と不信が渦巻く時代だからこそ、こうした人間教育の励ましの啓発を一段と強めていきたいと思うのであります。
ともあれ、人類の探究は、これからますます外なる大宇宙の実像を解明し、新たな英知の世界を広げていくでありましょう。その解明と相まって、大宇宙を包みゆく内なる人間生命により深く光を当てて、一切を幸福の創造へと生かし連動せしめていく智慧の湧現が、いよいよ求められているのではないでしょうか。
本シンポジウムは、まさに、その重要な一歩であります。

第二に申し上げたいのは、「幸福を創造する力は、他者との共生・連帯によって輝き光る」ということであります。
私が語らいを重ねた文豪・巴金先生は、こう綴っておられました。
「地上のすべての人は平等なのだ。およそ自分の幸福を他人の苦しみの上に築き、あれこれ方法を使ってその幸福を維持しようとする者は長生きできない」〈山口守訳『リラの花散る頃』〉と。
あえて厳しい表現で、幸福の正道を表現しておられます。
かつて私も、関西創価学園の開学にあたり、創立者として、新入生へ「他人の不幸のうえに自分の幸福を築くことはしない」との指針を贈りました。
自らの幸福だけを追い求めても、結局、崩れざる幸福をつかむことはできない。自他共の幸福を祈り、他者の幸福のために尽くして行動する。
そこに真の充実があり、自ずと幸福がついてくるからであります。
私の恩師である戸田城聖先生は、戦時中、日本の軍国主義と対峙し、2年間の投獄にも屈しなかった平和の闘士でありました。
恩師は、孔子の「己の欲せざる所を人に施す事なかれ」との教訓を踏まえつつ、青年に「他を利するものを汝は施せ」と教えました。そして、戦後の荒廃した社会の中で、率先して民衆奉仕の模範を貫くとともに、東西冷戦下にあって「地球民族主義」という平和と共生のビジョンを掲げたのであります。
今、世界は、持続可能な地球社会を創造するために、環境やエネルギー問題はもとより、人間の安全保障のための幅広い分野での連帯と協働が喫緊の課題となっております。
と同時に、自他共の幸福を創造する青年世代の命の熱と力を、いやまして高めゆく教育が要請されているといってよいでありましょう。
来月からは、貴国の中国人民対外友好協会、上海文化発展基金会、上海歌舞団と、私の創立した民音〈民主音楽協会〉が共同制作した舞劇「朱鷺」のツアー公演も日本全国で開催される運びとなっております。
中国と日本の友好の象徴である朱鷺をモチーフに、自然と人間の共生、人類の平和の心の継承を、見事に謳い上げた圧巻の舞台であります。
「青年たちの幸福」という一点を見つめ、いかなる差異も超えて大同団結して、教育と文化の交流を粘り強く促進していくところに、必ずや人間主義の共生と連帯は拡大していくことを、私は確信してやみません。

そして第三に、「幸福を創造する力と、平和な未来を創造する力は一体不二である」と確認し合いたいのであります。
ここ広東省に誕生し、広州を起点に歴史回転の大業を果たされた孫文先生は、『大学』の「格物」「致知」「誠意」「正心」「修身」「斉家」「治国」「平天下」の8条目に即して、「一人の人間を内から外へと発展させ、一人の人間の内部からはじめて『平天下』にまでおしおよぼすものである」と説かれておりました。
一人一人の幸福なくして世界の平和は勝ち取れません。また、世界の平和なくして、一人一人の誠の幸福もあり得ないでしょう。
打ち続く試練にも断じて怯まぬ実践の中で、孫文先生が「人間革命による幸福の創造」と「社会の変革による平和の創造」との連動を一貫して追求されていたことに、私はあらためて感銘を禁じ得ません。
その根底には、「善は栄え、悪は滅びる」という天の法則にのっとる限り、必ず正義は成就するという孫文先生の揺るぎない信念がありました。
今、私は、小説『新・人間革命』に、孫文先生の大闘争のご生涯を綴りながら、世界の友へエールを送っております。
孫文先生は、広東省の若人に語られました。
「道路の開削に譬うれば余は荊を披き棘を斬る者で、諸君等は橋梁を架し石をたたむ者であるから、諸君の責任の重きこと、遥に余に過ぐるものがあるのである」と。
この孫文先生の精神を真っすぐに受け継いでおられるのが、今日、お集まりの知性と人格の教育指導者であります。
私も、先生方と共々に、「明天会更好(明日はもっと良くなる)」との不屈の楽観主義で、世界平和の金の橋を架け、民衆の幸福の大道を開きゆく決心であります。
最後に、今回のシンポジウムに参加された全ての方々のさらなるご健勝と栄光を心よりお祈り申し上げ、メッセージとさせていただきます。
謝謝(シェシェ)! (中国語で「ありがとうございました!」)

2015.06.06 わが友に贈る

皆が主役と輝く
小さな集いが大切だ。
宝の友と朗らかに
語り 励まし合って
歓喜の人生を共に!

転重軽受法門 P1000
『修利槃特と申すは兄弟二人なり、一人もありしかばすりはんどくと申すなり、各各三人は又かくのごとし一人も来らせ給へば三人と存じ候なり』

◇人生の座標
"人を育てる"という意味での「教育」は、本来、学校現場だけでなく社会全体で担うべき使命であります。
私たちは今一度、「子どもたちの幸福」という原点に立ち返って、社会のあり方と自らの生き方を問い直す必要があります。

☆こころに響く言葉
内に築き社会に反映

真実の幸福は、自己の生命の内に築き、生活の上に、
また社会の上に反映させていくものだ。これを私は"絶対的幸福"と名づけたのである。

☆中国・佛山科学技術学院「名誉教授」称号授与式 名誉会長の謝辞
今、私の胸に蘇る、壮麗な光景があります。
それは41年前の5月、私が初めて中国にお招きいただき、広東省から第一歩を踏み出した折のことです。
豊かな緑の大地を走り、広州・白雲空港へ向かう頃、西の空には深紅の夕日が鮮やかな光を放っていました。
明日の晴天を約束する、美しい夕焼け空のもとに広がっていた街こそ、貴・佛山市だったのです。
ここ八王子も、童謡に歌われた"夕焼けの里"として知られています。
本日は、忘れ得ぬ友好の原点の天地より、曾崢理事会主席をはじめ、人間教育の偉大な太陽の先生方をお迎えでき、私は感慨無量であります。
私たちは、万雷の拍手をもって、熱烈に歓迎申し上げようではありませんか!

1400年近い歴史が光る佛山市は、諸の宝の往来の中枢とされ、「中国四大名鎮」の一つと仰がれてきた、文化の都であります。
そして改革開放以来、省都・広州市とともに、大中国の昇龍の大発展をけん引してこられました。市民の幸福指数においても、広東省随一を誇っておられます。
この新時代をリードする大拠点にあって、「教育は建設の柱、科学研究は強校(学校強化)の道、人材は発展の鍵」との建学の理念を高らかに掲げて、珠江の流れのごとく、滔々たる教育の大河、科学の大河、人材の大河を創り起こしてこられたのが、貴・佛山科学技術学院であられます。
私は、尽きせぬ感謝を込めて、貴・学院の名誉ある一員とさせていただきます。誠に誠に、ありがとうございます。

間もなく、私たち「創価教育」の創始者であり、平和の信念に殉じた牧口常三郎先生の生誕の日・6月6日を迎えます。
私は、本日の栄誉を、この誉れの先師に捧げつつ、希望みなぎる英知の大城たる貴・学院から、3点の教育力を学び合いたいのであります。
その第一は、「新たな創造の道を開く教育力」であります。
「名は必ず体(たい)にいたる徳あり」と言われます。
「佛山(仏の山)」とは、何と素晴らしい意義とロマンを湛えた地名でありましょうか。
大乗仏典の精髄である「法華経」には、仏の異名として「開道者(道を開く者)」とあります。
民衆の幸福のため、社会の繁栄のため、世界の平和のため、立ちはだかる試練に怯まず、新たな価値創造の道を開き続けていく——これが、仏の実像です。その力を、万人の生命から解き放っていくのが、仏法の本義であります。
この仏法の精神は、貴・学院の校歌に——
「明徳博学にして、人格磨き、修養を積む」
「知行合一にして、鍛えに鍛えて鋼となる」
——と謳い上げられた人間教育の真髄とも、深く響き合っております。
なかんずく、独創性に富む貴・学院におかれましては、「新しいものを作り出す力を持った人材の育成モデル」を果敢に探究され、「創業精神」と「実践能力」を併せ持ったリーダーの養成を進めておられます。
私の胸には、曾崢主席が学生たちに呼びかけておられる言葉が迫ってくるのであります。
「確固たる理想を持ち、祖国のために尽力し、発奮して学び、新しい道を切り開こうとする勇気を持ち、積極かつ進取に、困難に立ち向かってくれ給え」と。
今、私は小説『新・人間革命』で、第4次訪中の歴史を「革心」の章と題して、書きつづっております。
「革心(心を革める)」とは、私たちが敬愛してやまない周恩来総理が、若き日に掲げられた精神であります。
わが創大生、短大生、留学生の皆さんも、この「革心」の息吹に燃えて、人類史の前人未到の山に挑み、新たな創造の道を開いていっていただきたいのであります。

第二に確認したいことは、「未来へ『平和の連帯』を広げる教育力」であります。
佛山市ゆかりの科学者に、中国の"鉄道の父"として名高い�天佑先生がいます。
ある鉄道路線の建設に際し、計画の不一致から、若き技術者たちが別々に作業を行っていたことがありました。
その折、�先生は、一人一人が貴重な人材であることを訴えながら、明快に教えられたといいます。
「団結こそが成功の秘訣なのだ」と。
あらゆる差異を乗り越え、互いに尊重し合い、大目的へ一致団結して、力と知恵を合わせていくところに、一切の成功があり、躍進があります。
この点、貴・学院は、国際交流と国際協力を重視され、世界の諸大学と学術交流、共同研究も活発に力強く行っておられます。
とともに、佛山市は兵庫県伊丹市と、佛山市の三水区は兵庫県の多可町と、友好都市として、平和交流、文化交流を推進されています。
私は、今年の年頭の平和提言において、中国と韓国と日本の3カ国における、青年交流の拡大、自治体同士での姉妹交流の倍増を呼びかけました。
本日の喜びを、縁深き兵庫の同志とも、分かち合わせていただきたいのであります。
今年は、創価大学が、両国の国交正常化後、新中国から初の正式な留学生を受け入れて40年となります。先日の周桜観桜会の折にも、最初の留学生の方々が、母校に帰って来てくださいました。
今後、貴国と創価大学の教育の往来は、いよいよ勢いを増していくことでありましょう。
「異体同心」とは、中国の方々と私たちが、深く共有する勝利の方程式であります。
いかなる時代の風波にも左右されず、未来の平和を揺るぎなく築き上げるために、「異体同心」なる教育の連帯を、私たちは一段と深め、広げていきたいと思うのであります。

第三に「父母と民衆への報恩を果たす教育力」であります。
本日の式典に当たり、私と妻は、中国と日本の友好の扉を開いてくださった廖承志先生ご一家のことをあらためて偲び、追善させていただきました。
と申しますのも、廖承志先生を育み、「世界の母性の手本」と讃えられた母君の何香凝先生の故郷が、佛山だったからであります。
何先生は、夫である廖仲�先生と一緒に、中国革命の夜明けの時代に、孫文博士と行動を共にされました。廖仲�先生が暗殺された際も、何先生は自宅の門に「精神不死(精神は死なない)」との横幕を掲げて抗議されております。
廖承志先生の「承志」とは、両親が「革命の志の承継を」と願ってつけられた名前です。廖承志先生は、この父母の心に応え、投獄などの迫害にも屈せず、信念の大闘争を貫き通されました。
曾主席は、常々、学生たちに「報恩感謝」の心と振る舞いの重要性を示されています。
貴・学院が、学問の成果を還元しようと、企業駐在、農村駐在の特派員を派遣し、地域発展のために貢献しておられることも、特色ある実績です。
自らを育んでくれた父母、そして民衆という大地への感謝を忘れず、報恩を果たしゆかんとする時、青年は最も気高く、最も強く、最も大きくなれます。
ここにこそ、今一度、立ち返るべき人間教育の原点があるとは、いえないでしょうか。

佛山育ちの康有為先生は、広東に「万木草堂」と呼ばれる学舎を開設して、詠じられました。
「万木は森々として万玉鳴り
隻鱗片羽にも万人驚く
更に将て人間世に散布し
身を万億に化して光明を発せん」(坂出祥伸著『中国の人と思想11 康有為』)と。
私たちは、貴・学院の先生方と手を携えて、世界のあらゆる舞台で「英知の光明」「希望の光明」「平和の光明」を、より鮮烈に発しゆくことを、ここに決意し合いたいと思うのであります。
終わりに、源遠流長なる貴・学院の無窮のご隆盛を心よりお祈り申し上げ、私の謝辞とさせていただきます。謝謝(シェシェ)!(中国語で「ありがとうございました!」)

2015年6月5日金曜日

2015.06.05 わが友に贈る

謙虚さを忘れない人が
豊かな心の持ち主だ。
周りの支えに感謝し
常に他者から学ぶ。
そこに無限の向上が!

生死一大事血脈抄 P1337
『金は大火にも焼けず大水にも漂わず朽ちず鉄は水火共に堪えず賢人は金の如く愚人は鉄の如し貴辺豈真金に非ずや法華経の金を持つ故か』

◇人生の座標
どの国も、どの社会も、教育が最大の焦点です。教育に成功した社会は繁栄し、全体が幸福の方向へと進んでいく。次代を担う青少年の育成に失敗した社会は、下り坂であり、悲劇です。

☆こころに響く言葉
悠然と生きる

あさはかな、蜃気楼のような、幻影の幸福であってはならない。
確固たる主体性を確立し、環境に左右されず、宿命にもしばられず、
どんな苦難をも克服し、人生を力強く、悠然と生きることが、
それ自体、本当の幸福である。

☆勝利の人間学 第75回 心に太陽を!朗らかに進め
◇リーダーは笑顔で励ませ
笑顔には、不思議な力がある。
日蓮大聖人は、日に二、三度、親に笑顔を見せるだけでも親孝行になるのだと、青年に教えられた(P1527『趣意)。
笑顔は笑顔を生む。聡明な振る舞いが幸福を広げるのだ。
御書には、「笑う」ことを「咲う」とも書かれている。自分らしく前進し向上する精神の充実が、笑顔の花と咲き表れるのだ。
もちろん、無理をする必要はない。苦しい時は苦しいままに、題目を唱えながら、ありのままの生命を輝かせていけばよい。
リーダーの皆さんは、行くところ向かうところで、皆がそれぞれの希望の花を咲かせていける励ましをお願いしたい。

◇自分も、周囲も、元気に
大変だからこそ、「朗らかにいこう!」と決めることだ。その人は、すでに勝利しているからだ。
うまくいかない時は、原点に戻ればよい。
たとえ、職場の雰囲気が暗くギスギスしていたとしても、「自分がもっといい職場にしよう」と思えばよいのだ。自分が太陽になれば、やがて暗い影は消え去っていく。
若き日に詠(よ)んだ私の一詩を贈リたい。
「青年は/真剣に目的に進む時/最も尊く最も気高い/—されど決して/微笑
を忘れてはならぬ/常に快活であれ/中天の太陽のように—」

◇君よ嘆くな、強くあれ
真剣と深刻とは違う。勇敢と悲壮とは違う。
勇気の人は明朗である。確信の人は冷静である。知性の人は余裕がある。
大聖人は、竜のロの法難にお供する四条金吾を、『これほどの悦びをば・わらへかし』(P914)と励まされた。
仏法は、誰もが強く明るく生き抜くためにある。君よ、嘆かず、恐れず、仏の頑健な生命力を発揮して、1日1日を勝ち切ろう!

2015年6月4日木曜日

2015.06.04 わが友に贈る

苦労を人生の宝に!
悲しみを励ましの力に!
全てを価値へと
転換しゆくのが仏法だ。
断じて負けるな!

新池御書 P143
『うれしきかな末法流布に生れあへる我等かなしきかな今度此の経を信ぜざる人人』

◇人生の座標
人間同士のコミュニケーションと同じく、テレビの映像などを通したバーチャル・リアリティー(仮想現実)の世界ではなく、大自然と直に触れ合う機会をできるだけ増やしていくべきです。そのコミュニケーションから培われる瑞々しい生命感覚、大地や草木、動植物を友とし、彼らと同じ空気を吸い、同じ陽光を浴びながら生々躍動しゆく生命空間の巧まざる広がりは、バーチャルな世界のそれとは、似て非なるものであるはずです。

☆こころに響く言葉
強い自己を築く姿のなかに

ある場面で無残な敗北を喫したとき、そこで屈することなく、次の成功への因に転換していくためには、たくましい生命力と、すぐれた英知、そして忍耐力が要請される。
この強い自己を建設すること、それ自体が、人生の最も大切な課題と言える。"絶対的幸福"ということも、具体的にはこうした姿のなかに、あらわれるものではないだろうか。

☆大白蓮華2015年6月号 青年よ、不退の根を張れ!
青年の勇気は無敵だ。それは何も恐れない。
青年の勇気は無限だ。それは決して諦めない。
「人生とは闘争であり、立ち向かう勇気を示すべき場である」と、アメリカ・ルネサンスの詩人ソローは快活に叫んだ。
若者が新たな挑戦の勇気を持てない社会であれば、停滞し衰退する。自ら率先して挑み、後継の友を勇気づけていく。これがリーダーの責任てあろう。
法華経には、地涌の菩薩は『其の心に畏るる所無く忍辱の心は決定し』(法華経P472)と説かれる。
この地涌の心を、広布の父母から受け継ぎながら、わが創価の青年は、人間革命と広宣流布のチャレンジを繰り広げてくれている。何と頼もしいことか。
正しき信仰とは、人間を限りなく強く、賢く、朗らかにする大勇である。
日蓮大聖人は、圧迫の中、戦う青年・南条時光へ、『どのようなことがあっても、嘆いてはならない。きっぱりと思い切って、自分の思いと違うことが起こったならば、いよいよ、これこそ悦びと言い切っていきなさい』(P1542、趣意)と打ち込まれている。
誰しも、「こんなに頑張っているのに、なぜ自分だけが」といった無念にかられる時がある。実は、その時こそ、大きく境涯を開くチャンスなのである。
1人で悩まず、良き先輩に相談することだ。御書を拝し、題目を唱え、青年らしく思い切ってぶつかっていくのだ。打開できない壁など、絶対にない。
わが師・戸田城聖先生の青年への励ましが蘇る。
「信心に、学歴や財産など関係ない。宇宙を変化させる南無妙法蓮華経という根源の力が、自分の生命にある。その力を開き現し、すべてを望む方向へと変え、開花させていけるんだよ」と。
座談会には、尊い体験を通して、「絶対に大丈夫!」「自分も変われる。現実も変えられる」等と語ってくれる先輩たちの大確信の笑顔が光っている。
創価家族が築き上げてきた、民衆の、民衆による、民衆のための、励ましの世界こそ、青年を支え守り、仲ばす希望の大地だ。抜苦与楽の慈悲に満ちた、この心の安全地帯に、さらに青年を糾合していきたい。
そこに、国土・社会の蘇生の活力も漲るからだ。
5月3日を祝賀して、韓国では、2万人の青年が躍動する見事な平和フェスティバルが挙行された。
その陰で、壮年部のアボジ(父)たち、婦人部のオモニ(母)たちが、新入会の友をはじめ青年部・未来部のメンバーを、わが子の如く1人ひとり大切に激励し、応援してくださったことを、私は忘れない。
御聖訓には、『我等衆生・法華経を信じ奉るは根をつけたるが如し』(P827)と仰せである。
「因果倶時」の妙法を行ずることは、たとえ結果が目に見えないようであっても、日々、幸福の根、功徳の根、勝利の根を揺るぎなく張っているのだ。
「じっとこらえて今に見よ」。これが学会精神だ。
若き地涌の友よ、たくましく天を突く大樹と育て!

乱世で
 揺るがぬ誓いの
  君なれば
 巌と根を張れ

2015年6月3日水曜日

2015.06.03 わが友に贈る

学生部の成長は
未来を照らす希望だ。
世界広布の要だ。
君よ行学二道の
偉大な青春の日々を!

御義口伝巻上 P750
『末法に於て今日蓮等の類いの修行は妙法蓮華経を修行するに難来るを以て安楽と意得可きなり』

◇人生の座標
現在、日本と比較する形でアメリカの大学の教育水準の高さが指摘されますが、私はこの"活力"を生んでいる源泉こそ、さまざまな国々から教員や学生を受け入れる「多様性」と、「自由」を尊重する風土にあると考えます。

☆こころに響く言葉
喜怒哀楽に振り回されない

絶対的幸福といっても、何も苦しみや悩みがまったくない、いわば真空状態をいうのではけっしてない。
楽しいことばかりが続く夢の世界でも、もとよりない。生きている人間である以上、喜怒哀楽があるのは、当然である。
だが、喜怒哀楽に振り回され、支配されるのみではなく、波乗りを楽しむように、これを楽しんでいける境涯を"絶対的幸福"というのである。

◎「100文字の幸福抄」は昨日で終了、今日からは「こころに響く言葉」を連載します(^^♪

2015年6月2日火曜日

2015.06.02 わが友に贈る

「日夜朝暮に
又懈らず磨くべし」
題目をあげ抜く人には
誰人もかなわない!
弛まぬ信心を貫け!

御義口伝巻上 P751
『今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱え奉る者は皆地涌の流類なり』

◇人生の座標
そもそも教育は、子どものためのものであり、"国家の専有物"であってはならない。教科書検定や、学習指導要領を含め、国家が教育内容の細部に至るまで深く関与する制度のもとでは、学校や教員の自律性だけでなく、子どもの個性や創造性を育む土壌も育ちません。

☆100文字の幸福抄
人は限られた生を自覚するからこそ
「よりよき人生」「より価値ある人生」を
真摯に求めることができる。
文豪にあらずとも、
誰でも残せるものがある。
「わが人生」という名の生命の奇跡。
それは何ものにも決して侵されない。

☆アメリカ創価大学第11回卒業式へのメッセージ
私の無上の宝であり、人類の希望と輝く、アメリカ創価大学(SUA)第11期生の皆さん方、晴れのご卒業、誠におめでとう!
真摯に学び抜き、同期のスクラムも固く、堂々と新たな建学の歴史を刻んでくれた皆さんに、私は最大の敬意と感謝を捧げたいのであります。
ありがとう!本当にありがとう!
立派に成長されたお子さま方を見守っておられるご家族の方々、また、今日の喜びを分かち合われるご友人方にも、心よりお祝いを申し上げます。
昼夜を分かたず学生を励まし、温かく育んでくださった教員・職員の方々、誠にありがとうございます。
さらに、本日の式典には、偉大な教育者であり、平和活動家であられるジョディ・ウィリアムズ氏はじめ、多くのご来賓方をお迎えすることができ、創立者として厚く厚く御礼を申し上げます。
本日の門出に、私は三つのエールを贈ります。

第一に、「友誼の旗を高らかに勝利の10年を走りゆけ!」と申し上げたい。
21世紀の開幕とともに、アリソビエホの丘に誕生したSUAから、2005年に第1期生が巣立ってより、はや10年——。
今や、わがSUAは、リベラルアーツ・カレッジとして、多くの分野で全米の上位に選ばれるなど、高い評価を受けております。
のみならず、世界の多くの一流の識者が、このキャンパスに漲る、麗しい人間教育の気風と崇高な価値創造への挑戦に、絶賛の拍手を送ってくださっております。これも、卒業生の一人一人が、「若き創立者」との誇りを胸に、世界に躍り出て、社会の各界で、道なき道を切り開いてくれたからです。
嬉しいことに、本日も、誉れの同窓の代表が、青春の母校へ祝福に駆け付けてくれております。
今日、旅立つ、わが11期生の皆さんは、この限りなく伸びゆく世界市民の英知の大城に学んだ誇りを胸に、自らの使命の舞台で、まずは10年を目標に挑戦し、走り進んでいってください。
私の師・戸田城聖先生も、社会に羽ばたく青年を、"10年間は修行と心を定めて忍耐強くあれ"と励ましておられました。
私も恩師に10年、お仕えし、薫陶を受けたことが、人生の一切の礎となっております。
いかなる試練や逆境に遭おうとも、皆さん方には、ここSUAで築いた友誼の連帯があります。
かのドイツの文豪ゲーテと劇作家のシラーも「この上なくすばらしい紐帯」(エッカーマン著・山下肇訳『ゲーテとの対話』)で結ばれ、共々に切磋琢磨しながら、偉大な創造を成し遂げていきました。
シラーが晩年に完成させた世界的名作に「ウィリアム・テル」があります。スイスの伝説の英雄を題材にしたこの物語では、舞台とされる湖岸の風景や天候が、じつに、こまやかに生き生きと描写されています。
しかし、シラー自身は、病を患っていたこともあり、その場所を訪れたことはありませんでした。それでは、なぜ、スイスの舞台を見事に描写することができたのか——。
そこには、親友ゲーテの存在がありました。実際に、スイスを旅行したゲーテが、その情景を語り、シラーが聞き手となって、作品を完成させたといわれています。
その中で、シラーはこう綴りました。「どんな艱難も危険もわれわれを離すことはない」(桜井政隆・桜井国隆訳『ヴィルヘルム・テル』)と。
どうか、わが11期生の皆さんも、創価教育の理想を共に掲げる同窓生と、励まし、支え合いながら、人生の大いなる勝利のドラマを創造していっていただきたいのであります。

第二に、「勇敢に一人立て!平和建設の連帯を広げよ」と申し上げたい。
本日、ご講演いただくジョディ・ウィリアムズ氏は、ご存じの通り、対人地雷の製造・使用の禁止を目指す「地雷禁止国際キャンペーン」の初代コーディネーターとして活躍され、「対人地雷全面禁止条約」(オタワ条約)の成立に大きな貢献を果たされました。
当初は不可能と思われていた対人地雷の禁止条約を、なぜ、あれほど多くの世界の世論の支持を集めて、ついに成立させることができたのか——。
その意義について、私も多くの識者と語り合ってきました。
SUAにも来学してくださったロートブラット博士は、私との対談の中で、「連帯すれば、世界を変えていけるのです。それは時間がかかるかもしれませんが、長い目で見れば、最後には、民衆が勝利するのです」(『地球平和への探究』潮出版社)と強調されました。
"私たち一人一人には、ものごとを変える力がある"とは、博士の忘れ得ぬ師子吼でありました。

ウィリアムズ氏は、まさしく、勇気をもって一人立ち上がり、世界に平和の連帯の輪を広げてこられた、偉大な平和の変革者であられます。
地雷廃絶への運動を始めた当初は、誰もが皆、冷たい反応で、無理解の壁にぶつかったと伺っております。しかし氏には、父君、母君や祖父君から受け継いだ、不屈の精神が輝いていました。
氏は言われています。
「『ノー』は、可能性の終わりではなく、乗り越えるべき困難です」『行動なくして変革を叫ぶことなど、私には全く無関係です」と。
創価教育の真髄もまた、民衆に尽くしゆく、「勇気ある行動」にあります。勇気ある一歩が、人々が想像もしなかったような、新たな人間の可能性を未来に開いていくのです。
尊き民衆立の大学である、SUAのキャンパスで学ばれた皆さんは、誰よりも民衆の心を知り、民衆のために勇敢に行動しゆく、世界のリーダーに成長していっていただきたい。
そして、慈悲と智慧を具えた、創価の誉れの勇者として、平和建設の連帯を創り、広げていっていただきたいのであります。

第三に申し上げたいことは、「希望を生み出せ!わが生命の無限の可能性を信じよ」という点であります。
私がSUAの歌「希望の光」の作成を始めたのは、11期生の皆さんが入学する年の5月でした。その歌詞に託した思いのままに、この4年間、「探究の坂」を昇り切ってくれたのが、11期生の皆さんです。
逆境を打ち破り、苦悩の闇を照らす「希望の光」の光源は、皆さん一人一人の心の中にあります。全員が、わが生命に無限の可能性を秘めております。
ゆえに断じて、自らを卑下してはならない。また、自身の無限の可能性を疑ってはならない。
これからの人生の途上に、どんな困難や試練があろうとも、私は、永遠に皆さんの味方であり、皆さんの応援団です。そして、皆さんの成長を生涯、見守り続けてまいります。

混迷の度を増す世界にあって、皆さんには民衆の幸福、平和の建設へと寄与する、かけがえのない使命があります。時代の呼び掛けに応じて、いよいよ勇敢に、「平和の大道」を開きゆく一人一人であっていただきたい。
SUAが、世界に誇る学風——それは、他者をどこまでも思いやり、共に苦楽を分かち合いながら、自他共の可能性を開いていく伝統です。ここに、SUAがSUAたる所以もあります。
卒業生の皆さんが、この生命尊厳の哲学の旭日を、新しき挑戦の舞台で輝かせゆくことを、心より念願しています。
結びに大切な、大切な誉れの11期生に、健康あれ!幸福あれ!栄光勝利あれ!——と申し上げ、私のメッセージといたします。

2015年6月1日月曜日

2015.06.01 わが友に贈る

◇今週のことば
世界一の婦人部総会に
皆で感謝のエールを!
輝く笑顔の集いから
幸と希望の花の輪が。
平和の太陽、万歳!
2015年06月01日

四条金吾殿御返事 P1194
『多くの月日を送り読誦し奉る所の法華経の功徳は虚空にも余りぬべし』

◇人生の座標
教育は、個性を埋没させるのではなく、伸ばしていくものでなくてはならない。政治も科学も文化も、基本中の基本は、個性の尊重の中にある。それを「人権」という。個性の尊重といい、人権と言っても、名前が変わっているだけである。

☆100文字の幸福抄
誰が見ていなくとも、一つ一つ積み上げる。
これは、人生の誇りであり、宝である。
自分の決めた道を、
営々黙々と歩む人が、
最後は勝つし、尊いのだ。
最後の最後に、自分の人生に
審判を下すのは、自分自身である。

☆少年少女部の基本的指針
1.勤行をしっかりする
2.勉強をしっかりする
3.学校にきちんと行く
4.親に心配をかけない
5.正しく明るい毎日を送る

2015.05.31 わが友に贈る

広布に走る同志を
全力で応援しよう!
「君ならできる!」
「一緒に頑張ろう」
共に祈り 共々に前進!

三沢抄 P1487
『たとひ明師並に実経に値い奉りて正法をへたる人なれども生死をいで仏にならむとする時にはかならず影の身にそうがごとく雨に雲のあるがごとく三障四魔と申して七の大事出現す』

◇人生の座標
文化の力は、地味かもしれないが、人の「心」を変える。ゆえに根本的である。政治・経済は、ニュースにもなりやすく、派手かもしれないが、時代の底流をつくっていくのは文化・教育の力なのである。

☆100文字の幸福抄
人生とは劇である。
「喜劇」と「悲劇」の違いは、
「結末が幸福なら喜劇、
結末が不幸なら悲劇」である。
途中がどうあれ、最後がよければ喜劇となる。
人生もまた、喜びで締めくくるために、
「これからの自分」が大切なのである。

☆名誉会長が贈る壮年への指針
「男の力」は、最後まで「師子王の心」で攻め抜く勇気と執念である。日蓮大聖人は叫ばれた。
『各各師子王の心を取り出して・いかに人をおどすともをどす事なかれ、師子王は百獣におぢず・師子の子・又かくのごとし、彼らは野干のほうるなり日蓮が一門は師子の吼るなり』(P1190)と。
牧口先生、戸田先生は、戦時中の弾圧下、この仰せのままに戦い抜かれた。(中略)師子は走る! 師子は吼える! 師子は断じて勝つ!
大聖人の「師子の心」は、創価の師弟にのみ流れ通ってきた。わが壮年部、男子部、学生部は、この直系の師子だった。何も臆さず、断固と師子吼していくのである。正義と真実は倦まず撓たゆまず語り抜くのだ。
大聖人は男性門下の鑑たる四条金吾に『始中終すてずして大難を・とをす人・如来の使いなり』(P1182)と打ち込まれた。
途中で何があろうが、最後の最後まで戦い抜く創価の丈夫が、日本中、世界中に勝利と栄光のを輝かせゆかれることを、私は祈る。共に堂々と、人間王者の勝鬨を上げようではないか!
「随筆 我らの勝利の大道」創価の丈夫が共に!

2015.05.30 わが友に贈る

地域貢献に励む友に
心からの称賛を!
「仏法即社会」だ。
日々の振る舞いで
信頼の絆を広げよう!

上野殿御返事 P1540
『あはれ法華経のよきかたきよ、優曇華か盲亀の浮木かとおぼしめしてしたたかに御返事あるべし』

◇人生の座標
社会や自然と直にコミュニケートしていくには、どうすればよいか−−。昨今の論議の中で、子どもたちにボランティアなどの活動を経験させる必要性を訴える意見も出ています。私は、これを「体験学習」のような単発的なものに終わらせず、継続性を持った内発的な活動として行っていくべきと考えます。

☆100文字の幸福抄
一生を何に捧げるのか。
それによって人生の価値も深さも決まる。
その人の真実は
人生の最終章に結晶されるものである。
ごまかしはきかない。
善も悪も正も邪も、人間の晩年は鏡のごとく
その人の生涯の軌跡を映し出す。

☆池田SGI会長指導選集 「幸福と平和を創る智慧」
仏法は、宿業を自らが「地涌の菩薩」として立てた誓願ゆえの悩みと捉え、宿命を使命に変える「一念の転換」の重要性を教えています。
戸田先生も、「初めから立派過ぎたのでは人々の中に入いっていけないから、われわれは仏法を弘めるためにわざわざ貧乏や病気の姿をとって生まれてきたんだよ」「人生は芝居に出ているようなものだよ」と、しばしば言われていた。
また、「戸田は妻を失い、娘まで亡くした。事業も失敗した。そういう苦悩を知っているからこそ、創価学会の会長となったのだ」とも言われていた。
苦労もない、悩みもないというのでは民衆の心が分かるわけがない。人生の辛酸をなめた人であってこそ、人々を救うことができるのです。
自分の苦しみを「業」ととらえるだけでは、後ろ向きになる。それを、あえて「使命のために引き受けた悩みなのだ」
「これを信心で克服することを自分が誓願したのだ」と、とらえるのです。
願兼於業は、この「一念の転換」を教えている。宿命を使命に変えるのです。自分の立てた誓願ゆえの悩みであるならば、絶対に乗り越えられないはずがない。
インドの国父、マハトマ・ガンジーは言っています。
「私がもし生まれてくるとしたら、不可触民として生まれてきたい。悲しみや苦悩や彼らに与えられた侮辱を分かちあい、みずからと不可触民をその悩める境遇から救い出すよう努めるために」
この心は「願兼於業」に通じると思う。慈悲です。「ともに生きる」ということです。
いちばん苦しんでいる人の中に、生まれてくるのです。
いちばん苦しんでいる人の中に、仏はいるのです。
いちばん苦しんでいる人を、いちばん幸福にするために仏法はあるのです。