2015年4月30日木曜日

2015.04.29 わが友に贈る

朝晩の勤行・唱題から
規則正しい
生活リズムを!
満々たる生命力で
充実の一日一日に!

祈祷抄 P1351
『大地はささばはづるるとも虚空をつなぐ者はありとも潮のみちひぬ事はありとも日は西より出づるとも法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず』

◇人生の座標
戦前の富国強兵であれ、戦後の経済大国であれ、欧米先進国を目標に追いつけ追いこせという"キャッチ・アップ"を至上命題としてひた走ってきた近代日本のあり方、そして常にその目標達成のために、教育はいかにあるべきかという観点からの位置づけを強いられてきた明治以来の教育のあり方は、明らかに行き詰まっており、工業化から情報化時代への変貌とともに、軌道修正を余儀なくされている。

☆100文字の幸福抄
子どもは親の背に学ぶという。
しかし、親の方は、自分の背が見えない。
見るための鏡が子どもである。
その意味では、
子どもは自分を磨いてくれる、
ありがたい存在であり、
「子育て」は「自分育て」でもある。

☆随筆民衆凱歌の大行進 第21回� 負けじ魂 朗らかに
ともあれ、実際に仕事に就いてみると、こんなはずではなかったと思うことも多いだろう。
戸田先生は、そのような時、「へこたれてはいけない」と励まされた。
「自分の今の職場で全力を挙げて頑張ることだ。『なくてはならない人』になることだ」
「御本尊に祈りながら努力していくうちに、必ず最後には、自分にとって『好きであり、得であり、しかも社会に大きな善をもたらす』仕事に到着するだろう」と。
そして、どんな労苦も、無駄にならない。貴重な財産として、一切、生かし切っていくことができる。それが、仏法の力であると、教えてくださったのだ。
御聖訓には、『金(こがね)は・やけば真金となる』(P1083、「兄弟抄」)と仰せである。
妙法受持の生命は「金」である。どこにあっても、題目を唱えて、一つ一つ変毒為薬し、「真金」の光を放っていける。
その誠実一路の行動を見てくれている人は必ずいる。正義の青年を応援する諸天の働きは、厳として現れるものだ。

若き日、仕事に、学会活動に奔走する中、御書で"負けじ魂"という言葉を拝した新鮮な感動を私は思い起こす。
日蓮大聖人が『きわめて・まけじたましの人』(P986、「可延定業書」)と讃えられたその門下は、四条金吾である。
御文では、金吾のことを『我がかたの事をば大事と申す人なり』(同P、「可延定業書」)と付記されている。味方、同志を大切にし、守り抜くために、負けじ魂で戦ってくれる勇者なり、と。
金吾は、門下の旗頭として、決して負けるわけにはいかなかった。
『強盛の大信力をいだして法華宗の四条金吾・四条金吾と鎌倉中の上下万人乃至日本国の一切衆生の口にうたはれ給へ』(P1118、「四条金吾殿御返事」)
この仰せ通りに、勝ち抜いてみせたのである。
学会精神も同じだ。
わが創価の負けじ魂の友は、どんなに苦しい局面にあっても、「信心即生活」「仏法即社会」の法理に則り、一歩も退かず前進してきた。
「仏法は勝負」である。
この信念で、断固として勝利の実証を示し切ってきた。これからも悪口罵詈など弾き飛ばして、揺るぎない信頼を勝ち開いていくのだ。
これが「立正安国」の王道である。「広宣流布」の大道である。

今、社会では人間力が求められている。仕事上の能力だけでなく、直面した難局に、いかに挑み、いかに価値を創造するかが、問われる。
だからこそ、辛抱強いことが大切なのだ。歯を食いしばって、一歩また一歩、前へ踏み出すしかない。不屈の負けじ魂で勝ち進むのだ。
若さには希望があり、未来がある。無限の力がある。失敗を恐れず、体当たりしていく中で、その可能性を開き、自分の壁を破って飛躍することができる。
我らには、最極の信念たる信仰がある。
強盛な祈りで、立ち上がれ! 題目は師子吼だ。滾々と勇気が湧き、満々と生命力が漲る。
さあ、いよいよ、これからだ! 人間の中へ、民衆の中へ、勇んで飛び込み、大誠実の力で、我らは勝利していくのだ。
新しい一日、新しい挑戦、新しい出会いの舞台へ躍り出よう。
負けじ魂、朗らかに!

負けるなと
 今日も祈らむ
  わが友の
 不屈の力と
  晴れの勝利を