◇今週のことば
勇気をもって語る。
友を心から励ます。
「声仏事を為す」だ。
一日一日の勝利を重ね
大勝利の5月3日を!
2015年04月06日
四条金吾殿御返事 P1183
『いかにわろくともわろきよし人にも又上へも申させ給うべからず候、よきところよきところと申し給はば又かさねて給はらせ給うべし』
◇人生の座標
「千里の道も一歩から」。その「一歩」とは、「一人の友との語らい」にほかならない。
☆100文字の幸福抄
問題や苦労などない家庭など、
どこにも存在しない。
すべて満ち足りているならば、楽かもしれない。
しかし、そこには、人間としての成長も
本当の幸福もない。
どんな悩みも、たくましい楽観主義で、
悠々と人生を切り開いていけばよい。
☆大白蓮華巻頭言 2015年4月 創価桜の道ひらけ!
毎日毎朝、私の心に響いてくる足音がある。
それは、日本列島のあの道この道で、聖教新聞の配達の歩みを進めてくださっている、尊き「無冠の友」の足音である。
その一歩一歩が、友に今日一日の前進の力を贈り、無量無辺の「心の財」を積み、広げているのだ。
日蓮大聖人は、日女御前を励まされた。
「大空には鳥の飛ぶ跡がある。人間には見えない。大海には魚の道がある。人間には見えない」
「同じように、あなた日女御前の御身の内には、『宝塔品』が厳然とあるのである。凡夫には見えなくとも、釈迦仏・多宝如来・全宇宙の諸仏はご覧になっている」(P1250、趣意、「日女御前御返事」)と。
たとえ誰が見ていなくとも、御本仏が厳然と御照覧くださっている「生命の道」がある。これこそ、自他共に生命の「宝塔」を輝き光らせていく、自行化他の仏道修行の「道」なのである。
この娑婆世界には、御書に「冥きより冥きに入る」(P560、「三世諸仏総勘文教相廃立」)と喝破されているように、悪縁に引きずられて深い闇から闇へ彷徨う不幸が、あまりに多い。
その悪道の流転を押し止めて、生きる喜びの道へ、希望の光の道へ、共に進みゆく哲理が、妙法である。
ここに、「一生成仏」を勝ち開きゆく直道がある。また、「父母を扶くる道」(P223、「開目抄」)という真実の孝養の道もある。そして万人を、これ以上ない幸福の境涯へとリードしていける「無上道」があるのだ。
現実の道には、荊も生い茂る。壁も立ちはだかる。出口の見えない、長いトンネルのような道もある。
しかし、古代ローマの哲人セネカは、「ごつごつした道こそ、崇高の頂に達する道です」と言った。
題目は、険難の坂も勇敢に上りゆくエンジンだ。
知多半島の多宝の父母は、伊勢湾台風の被災にも、悪意や偏見にも、不退の心で、「我等の決めた」この道を切り開いてきた。同志と共に、走り、語り、愛する郷土の三変土田のため、今も戦い続ける。
「悪口されると、余計に『よし、勝つぞ!』と燃えました。今、すべてが仏縁と信頼の道に変わりました。学会は、人を救う地涌の菩薩の団体です。友と会えば、すぐに歓喜の対話の道が広がります」と。
苦難の中を、もがき、苦しみながらも、法のため、人のため、社会のため、前へ踏み出した一足一足は、黄金の足跡となって、決して消えない。あとに続く人々に、限りない希望の道標と輝いていくのだ。
わが師・戸田城聖先生は叫ばれた。
「山道を大きな石がふさいで前に進めない。しかし、どうしても行かなくてはいけない。どうするか。その時こそ、『勇気』を奮い起こし、『智慧』を発揮していくところに、信心の本当の深さがある」と。
我らは、広宣流布の正道、立正安国の大道を開くことを誓い願って生まれてきた。
「新たな友よ、集い来れ!」と声をかけながら、今日も強く朗らかに、創価桜のこの道を征こう!
師弟して
誓いの道を
晴ればれと
創価桜の
満開勝利で