2013年3月29日金曜日

2013.03.28 わが友に贈る

原点をもつ人は強い。
行き詰まらない!
絶対に負けない!
我が誓いを胸に
未来へ羽ばたけ!

下山御消息 P349
『余法華経の第五の巻の勧持品を拝見したてまつれば末代に入りて法華経の大怨敵三類あるべし其の第三の強敵は此の者かと見畢んぬ、便宜あらば国敵をせめて彼れが大慢を倒して仏法の威験をあらはさんと思う』

◇希望の明日へ
いかなる団体、また、いかなる人生であれ、"順風"ばかりが続くことはありえない。激しい嵐の日もあれば、冷たい雪の日もある。苦悩のあまり、心を消耗しつくすこともあるかもしれない。しかし、逆境に耐え、それを乗り越えてこそ、何にも揺るがぬ"本物"が生まれてくる。いわば"苦しみ"が価値ある人生の"母"であり、栄光を築く源泉である。
昭62・11・18

☆女性に贈ることば 三月二十八日
智慧は慈悲から生まれる。
慈悲は勇気から生まれる。
勇気が慈悲に通じ、さらに智慧に通ずるのだ。

☆今日のことば 三月二十八日
優柔不断を 包容と錯覚してはならぬ
卓越した決断力が
 そこにあってこそ
  独自の光輝を発するからだ

☆100文字の幸福抄
病気と闘うからこそ、
深く人生の苦楽がわかる。
不屈の精神力も鍛えられる。
また、闘ったぶんだけ強くなる。
健康な生命になれるのである。
健康に対する正しい知識と哲学をもって、
価値ある人生を生ききっていきたい。

☆名誉会長と共に 今日も広布へ No.012 まず腹を決めよ!
◇まず、腹を決めよ。決まったら、勇ましく進め!
今、最も大事なのは、時代がどう変化しようが、民衆の幸福の城である学会を強くすることだ。広宣流布の勝利を開く人材を育てることだ。これが根本である。
広布へ戦う土で、遠慮など必要ない。
どんな立場でもよい、信心の一念、師弟の一念があれば、その人の生命は、仏の大境涯に通じていく。
学会のため、同志のために、自らの持てる力を、思う存分、発揮していくのだ。

創価学会は、正義の人の集まりである。人生の英雄の集まりである。
法華経の魂を持って、最高の人生を勝ち抜いていく使命のある人だ。
神力品には、"太陽と月の光明が、もろもろの闇を除くことができるように、この人は世間の中で行動して、衆生の闇を滅することができる"と説かれている。
この日蓮大聖人に連なる、無上の誇りと使命を胸に、粘り強く進んでいくのだ。

人生は戦いだ。友情こそ宝だ。親友と力を合わせて進むのだ。「絶対に勝ち抜く」という魂を持つことである。
戸田先生は教えられた。
「指導者は、皆の命を預かっているのだ。ゆえに、断じて愚かであってはならぬ!」
「人の何倍も苦労し、力をつけよ!。そして、同志の幸福を祈り抜いていけ!」
わが友が健康・無事故であるように、皆、功徳を受けられるように、リーダーは懸命に祈り、全力で戦うことだ。

2013年3月28日木曜日

2013.03.27 わが友に贈る

「時間革命」に挑戦!
会合や打ち合わせは
要点を整理し
賢明に時間厳守で。
深き祈りで価値創造を!

御義口伝巻上 P725
『此の信の字元品の無明を切る利剣なり』

◇希望の明日へ
人生には運命の試練が必ずある。順調のみの人生のなかに、真の勝利は生まれないし、成功もない。逆境を、また運命の試練をどう乗り越えて、大成していくかが人生である。逆境こそ、成長と前進への最大の道であり、そのなかにこそ、本当の人生の偉業が成し遂げられる。
昭62・10・11

☆女性に贈ることば 三月二十七日
地上にひとつの太陽が昇れば、万物はエネルギーを受けることができる。
同じように、家族のなかで、自分が太陽となれば、その光で周囲を照らしていくことができる。

☆今日のことば 三月二十七日
人間の奥行きと広がり、これを別の観方からいえば、その人の世界といい得るであろう。その人の持ち合わせている世界の境界線が、どれほどの奥行きと、広がりをもっているか−−ここに人間の魅力の最も根本的な要因があるように思われるのである。

☆100文字の幸福抄
老いを、衰えの時期と見るのか、
人生の完成へ向けての総仕上げの時ととらえるのか。
同じ時間を過ごしても
人生の豊かさは天と地の違いとなる。
他人と比べる必要はない。
自らの目的に向かって、
たゆまず歩み続けることである。

☆我らの勝利の大道No.100 「3.16」は永遠なり
今、福島県の富岡町から、原発事故の後、横浜市に避難されている、今年八十五歳になる多宝の壮年も、あの日、夜行の鈍行列車に揺られて「三・一六」の儀式に駆け付けた一人である。私と同年代であり、往時からよく存じ上げている。
戸田先生の「学会は宗教界の王者」との叫びを誇りとし、同志と共に東北広布に人生を懸けてきた。
今も、避難先で苦労している友を手紙で励まし、夫妻で聖教新聞の拡大にも奮闘されている。
「『三・一六』を忘れず、青年の心で戦っています」と語る、意気軒昂な不屈の人間王者である。
こうした真実の共戦の同志が、私には日本中、世界中にいる。ゆえに、私は最高の幸福者と思っている。
また彼岸に際し、広布途上に逝いた縁深き同志と先祖代々の諸精霊に、懇ろに追善の題目を捧げている。

◇地涌の力を社会で
私たちの日々の勤行・唱題には、「虚空会の儀式」に連なりゆく意義がある。
大聖人は、『是全く日蓮が自作にあらず多宝塔中の大牟尼世尊分身の諸仏すりかたぎ(摺形木)たる本尊なり』(P1243)と仰せの如く、御本尊は「虚空会の儀式」が顕されている。
御本尊への真剣な祈りの中で、広宣流布の誓願を立て、現実社会に飛び込んでいく。その誓いがあるからこそ、「地涌の菩薩」としての限りない力用が湧くのだ。勇気が、そして智慧が漲っていくのだ。
私が広布を開きます!
今日はこう戦います!
必ず勝利に導きます!
私は、御本尊の前に端座するたびに、御本仏・日蓮大聖人、そして現代に地涌の陣列を呼び出された恩師への誓いを深くしてきた。
この五十五年間、毎日が「三・一六」である。永遠に決意の日であり、断固と勝利へ出発する日なのだ。
法華経には、地涌の菩薩の使命が説かれる。
「太陽と月の光明が諸々の闇を除くことができるように、この人〈仏滅後に法華経をよく持つ人〉は世間の中で行動して、衆生の闇を滅することができる」
現代社会には、深い闇が覆っている。だからこそ、大聖人の「太陽の仏法」を実践する我らの出番なのだ。
後継の創価の師子王よ、走れ! 確信の祈り、勇気の行動、そして正義の声の力で、民衆を、人類を明々と照らし晴らしゆくのだ!

わが弟子よ
 断固と進め
  不二の道

2013年3月27日水曜日

2013.03.26 わが友に贈る

時代を動かすのは
生命力みなぎる声だ。
「どんな人にも
理解を広げてみせる」
その烈々たる気迫だ。

最蓮房御返事 P1341
『日蓮末法の初の五百年に生を日域に受け如来の記文の如く三類の強敵を蒙り種種の災難に相値つて身命を惜まずして南無妙法蓮華経と唱え候は正師か邪師か能能御思惟之有る可く候』

◇希望の明日へ
"苦難が、眠れる力、新しい力を呼びさまし、発揮させるチャンスとなる"ことは、古今東西の歴史に広く見られる。また、現在のいかなる会社や組織、さらには個人にあっても、あてはまる一つの真理といえよう。妙法を持った青年たちの人生、広布の舞台にあっても例外ではない。いわんや妙法こそ、苦難を成長・飛躍へのバネとしゆく最大の原動力である。困難と労苦の時こそ、新たな向上と成長への好機ととらえ、前進していただきたい。
昭62・7・21

☆女性に贈ることば 三月二十六日
恩を知り、恩に報いていくことが、人間の歩むべき道である。
親を愛し、親に心の底から感謝できるようになっていくことが、人間としての深まりであり、成長の証と言ってよい。
そのように人間として成長していってこそ、自らもよい親となり、和楽の家庭を築いていける。そうした心が、子育てにも大きな影響を与えていく。

☆今日のことば 三月二十六日
たとえ苦手な科目があったとしても、自分の輝かしい未来を築くための勉強、財産だと思って、真剣に取り組んでいくことが大切です。

☆100文字の幸福抄
老いを、衰えの時期と見るのか、
人生の完成へ向けての総仕上げの時ととらえるのか。
同じ時間を過ごしても
人生の豊かさは天と地の違いとなる。
他人と比べる必要はない。
自らの目的に向かって、
たゆまず歩み続けることである。

☆我らの勝利の大道No.100 「3.16」は永遠なり
式典当日、戸田先生は、モーニング姿であったが、足元はスリッパ。既に革靴が履けないほど、体は衰弱されていたのである。
それでも青年のもとへ!
最後まで青年と共に!
これが師の心であった。万代のために指揮を執られる大将軍の英姿であった。
私は、ただ戸田先生の体調だけが心痛であった。
先生に安心して動いていただけるよう、手作りの「車駕」の製作を進めた。
念頭にあったのは、あの三国志の「五丈原の戦い」で、病篤き大英雄・諸葛孔明が車に乗って指揮を執った故事である。
青年部の有志が、私の心を心として、全力で、立派に車駕を作り上げてくれた。
先生に御覧いただくと、厳しい叱責が飛んだ。
「大きすぎる。これでは、戦闘の役には立たぬ!」
冷ややかに笑うだけの先輩幹部もいた。
けれども、私には、先生のお心が痛いほど、わかった。本当は涙が出るほど喜ばれていたのである。
だが、それでは訓練にならない。あえて「こんな重いものを担ぐ青年がかわいそうではないか。軽くて、どこへでも飛んでゆけるものが必要なんだ」と言われ、最後まで厳愛で将軍学を教えてくださったのである。
私がお詫びして、「弟子が真心で作ったものです。どうか、お乗りください」と申し上げると、先生は、にっこり頷いて乗ってくださった。
式典後にも、「体が良くなったら、あの車駕に乗って全国を回りたいな」と、語られる先生であった。

歴史的な式典で、恩師は烈々と師子吼された。
「創価学会は、宗教界の王者である!」
御書には、一切経の王・法華経は『地走る者の王たり師子王のごとし・空飛ぶ者の王たり鷲のごとし』(P1310)とある。
まさしく、師の叫びは、この偉大な仏法を行じゆく誇りを胸に、全人類に希望を送る「人間の王者」たれとの大宣言であった。
そして「不惜身命」「死身弘法」という炎のバトンを託してくださった。
ただただ「広宣流布の誓願」に生きる、直系の青年に託されたのだ。
この師匠と共に、生涯、広宣流布へ!──青年たちの顔は燃え輝いていた。
午前中、春霞で頂を隠していた富士も、午後二時半、戸田先生が車駕で会場を後にされる時、その堂々たる姿を現していた。
あの秀麗な富士は、瞼に焼き付いて離れない。

◎きょうから希望の明日へは「苦難」です。

2013.03.25 わが友に贈る

誉れのブロック長
白ゆり長に感謝!
皆様の地道な奮闘こそ
一切の勝利の原動力だ。
共に元気に進もう!

妙法比丘尼御返事 P1415
『法華経の中に仏説かせ給はく我が滅度の後後の五百歳二千二百余年すぎて此の経閻浮提に流布せん時、天魔の人の身に入りかはりて此の経を弘めさせじとて、たまたま信ずる者をば或はのり打ち所をうつし或はころしなんどすべし、其の時先さきをしてあらん者は三世十方の仏を供養する功徳を得べし』

◇今週のことば
進学・就職・転居など
新出発の友にエールを!
変化はチャンスだ。
妙法を持つ創価家族は
決して行き詰まらない。
2013年03月25日

◇希望の明日へ
醜い心で和楽を壊す人がいる。"皆が楽しんでいる"その姿を妬み、破壊しようとする人がいる。その人は、不幸である。心の病気というか、人が楽しんでいるのを壊して喜ぼうとする。真の仏法者は、いつでも和楽の方向へ、皆が楽しめる方向へ、だれもが幸せになれる方向へと、心をくだき、率先してリードしていくべきである。
平5・9・26

☆女性に贈ることば 三月二十五日
大事なのは、忙しさに負けないこと。心が負けないことです。

☆今日のことば 三月二十五日
独創的才能をもち、無限の英知をもつことができたとしても、身体が健康でなかったならば、その人生は無に帰してしまう。未来のどんな苦難にも耐えうる、怒濤を越え山をも抜くだけの身体を鍛えてもらいたい。

☆100文字の幸福抄
自分が録する人を、
心から慈しみ大事にしていく。
この現実生活での振る舞いに、
本当の慈悲は光ってくる。
どれだけの人から幕われ希望を贈り、
どれだけの人の心に深く細まれていくか。
人生の真価は、ここにあるといってよい。

☆我らの勝利の大道No.100 「3.16」は永遠なり
◇青年が師のもとへ。
五十五年前の昭和三十三年(一九五八年)三月十六日──。この日、折伏の大師匠・戸田先生は、青年たちに"広宣流布の模擬試験"ともいうべき式典を挙行してくださった。
第二代会長として「七十五万世帯の折伏」の願業は既に達成されていた。だが恩師には、もう一つの誓願があった。それこそ、青年に広宣流布の一切の後事を託しゆくことであった。
「三・一六」は、先生ご自身の総仕上げ、総決算の儀式であったのだ。
式典の舞台は富士を仰ぐ静岡の天地。先生が逝去される十七日前である。
師匠から弟子ヘ──。
この大儀式には、法華経に説かれる付嘱の儀式に通ずる意義がある。私は、そう深く心中に期していた。
仏の滅後末法に、誰が正法を弘めるのか──このテーマのもとに進められる「虚空会の儀式」では、釈尊の呼びかけに応じ、六万恒河沙という膨大な数の「地涌の菩薩」が現れる。
師匠が待っておられる!──「三・一六」の式典も、この一点で青年たちが万難を排して集い合った。
開催は急きょ決まった。男女青年部には、式典当日の五日前から迅速に結集の連絡が徹底されていった。
ある友は、貸し切りバスで。ある友は、夜行列車に飛び乗った。
三月十六日、電光石火で、師のもとに馳せ参じた若人の数、六千人──。たとえ身なりは質素であっても、虚空会の会座に雲集した「地涌の菩薩」の如く、皆の心は輝き渡っていた。
法華経涌出品には、地涌の菩薩の姿を讃え、「一心に精進して無上慧を求む」「昼夜に常に精進す 仏道を求めんが為めの故に」と説かれている。
ひたすらに精進しゆく、この求道心。まさに、純粋一途な創価の青年たちの姿そのものではないか。

2013年3月25日月曜日

2013.03.24 わが友に贈る

さあ友情拡大の春!
外出時は戸締まり
火の元の確認を!
くれぐれも無事故で。
語らいの花を爛漫と!

松野殿御返事 P1389
『命終りなば三日の内に水と成りて流れ塵と成りて地にまじはり煙と成りて天にのぼりあともみえずなるべき身を養はんとて多くの財をたくはふ、此のことはりは事ふり候ぬ但し当世の体こそ哀れに候へ』

◇希望の明日へ
一生は短い。しかし、生命は永遠である。短い今世の戦いによって、永遠の福徳を積むことができる。ゆえに決して、今世の法戦に悔いを残してはならない。人生に悔いを残しては、何のための信心か。お金がある。暇もある。しかし空虚だ−−それでは人生は不幸である。反対に、たとえ、お金がなく、暇がなくても、充実感に満ちた人生は幸福である。この幸福の実像を最大限に得るのが信仰である。妙法である。広布に生きる人生は多忙である。苦労も多いかもしれない。しかし、普通の人生の十倍、百倍の価値ある人生を生きているのである。大聖人の仰せの通り、永遠の栄光につつまれた人生であることを確信していただきたい。
平5・4・13

☆女性に贈ることば 三月二十四日
子どもは本来、伸びよう、成長しよう、という生命の勢いをもっている。何かのきっかけで、ぐんぐん伸びていくときの子どもの成長の速さは、まことに目覚ましい。
子育てとは、基本的には、この子どもの生命力の流れを正しく導き、成長をはばむものを取り除いてあげることではないだろうか。

☆今日のことば 三月二十四日
公平な人になりたい。いや、陰の人、淋しい人、悲しんでいる人の味方でありたい。

☆100文字の幸福抄
長い人生、体調を崩して一休みする時もある。
思うようにいかぬことが幾つも重なる時もある。
それでも少しずつ前へ、
「春遠からじ」と自分自身を信じて進む。
一歩また一歩と!
その地道にして不屈の歩みそのものが
「幸福の道」である。

☆我らの勝利の大道No.100 「3.16」は永遠なり
新時代
 導く力の
  王者にと
 君の成長
  天も待つらむ

三月十五日の朝、学会本部・接遇センター前の青年桜が、二輪、咲いた。
「昨年より十四日も早い初開花です! 青年桜も『三・一六』五十五周年を寿ぐかのような勢いです」
常日頃から丹精込めて手入れをしてくださっている尊き"桜守"のご夫妻から、嬉しい報告を伺った。
青年桜は風雪を越え、まさに"生涯青春"の息吹を湛えている。来る年来る春、近隣の方々を、そして来館される友を歓待する如く、命を燃やして、爛漫と花を咲かせてくれるのだ。
今、全国各地で、わが友、わが青年が、尊貴な生命の創価桜を咲き薫らせながら、地域に、社会に、貢献の対話を広げている。
私の胸には、桜花に包まれた、恩師・戸田城聖先生の会心の笑顔が浮かぶ。

天保十一年(八四〇年)二月十三日──つまり新暦の三月十六日、埼玉の地に生まれた日本の近代経済の父・渋沢栄一翁は訴えた。
「青年に理想がなかったならば、青年としての存在の意義をなさない」「元気の横溢しているという事は、青年第一の特色とする所であって、青年の生命とも言い得られるだろう」と。
青年には、未来がある。
青年には、希望がある。
そして──
青年とは、挑戦者だ。
青年とは、先駆者だ。
青年とは、建設者だ。
いかなる国も団体も、未来の盛衰を決するのは、理想を抱き、元気溌剌と実現しゆく青年である。ゆえに、志高き青年を信じて、徹して励ましを送り続ける限り、永遠に発展がある。

2013.03.23 わが友に贈る

学会活動の基本は
「真剣な勤行・唱題」
「対話拡大への挑戦」
「地道な人材の育成」
信心の模範と輝け!

単衣抄 P1514
『三十二より今年五十四に至るまで二十余年の間或は寺を追い出され或は処をおわれ或は親類を煩はされ或は夜打ちにあひ或は合戦にあひ或は悪口数をしらず或は打たれ或は手を負う或は弟子を殺され或は頚を切られんとし或は流罪両度に及べり、二十余年が間一時片時も心安き事なし』

◇希望の明日へ
朗らかなところに人は集まる。楽しいところに人々は集う。明るい集いに、歓喜がわく。喜びの信心に福徳は、いやます。勢いの強いところに勝利もある。ゆえに、朗らかに、また仲良く、同志は生きぬいていきたい。
平4・l・5

☆女性に贈ることば 三月二十三日
意欲的に社会生活に参加している人は、年齢よりはるかに若々しい。また、ささいなことにも感謝の心をもてる人、人のために尽くそうとする人は、すがすがしく若々しい。

☆今日のことば 三月二十三日
青春は人生の華である。若さの躍動であり、清純さの結晶である。激流のごとき熱情、未来をかける夢、絶対に妥協を許さぬ潔癖性----青春とはなんと魅力にあふれていることか。またなんと光輝に満ちみちていることか。限りなき未来を包む青春、一生は青春のなかにその花を開き、また生涯を飾りゆく基盤ができあがる。

☆100文字の幸福抄
時に、華やかな脚光を浴びている人と比べて、
現実に追われる自分に
落ち込むこともあるかもしれない。
しかし、虚栄や見栄は一時の幻に過ぎない。
平凡こそ偉大である。
地道こそ勝利である。
自分らしく輝いていくことである。

☆勝利の人間学第26回 人間革命の劇を綴れ
◇仏法は『幸福になる源泉』
青春は、悩みとの連続闘争だ。
前進しているからこそ、悩みがある。
悩みがあるからこそ、成長できる。
御義口伝には、『煩悩の薪を焼いて菩提の慧火現前するなり』(P710)と説かれる。
すなわち、悩みを消し去るのではない。むしろ、悩みをエネルギーとして、「人間革命」の智慧の炎を明々と燃え上がらせていくのだ。その一切の原動力が、題目なのである。
妙法は「生き抜く力」であり、「幸福になる源泉」である。「何かあっても勝っていける力」である。ゆえに、御本尊に祈り切り、希望をもって勇敢に立ち向かっていくのだ。

◇青年は光り鐸く存在に
若き日、私は恩師の事業の苦境を打開する
ため、朝から夜中まで阿修羅の如く働いた。疲れ果ててアパートに戻り、靴も脱げずに、そのまま倒れ込んでしまったこともあった。
しかし、戦い続けたからこそ、道が開けた。今の自分がある。健康にもなった。
日蓮大聖人は、『賢者はよろこび愚者は退く』(P1091)と仰せである。
大目的に向かって喜び勇んで戦う青年の命は、光っている。忙しいかもしれない。苦労も絶えないだろう。だが、どんな悪戦苦闘の姿であろうとも、その魂は誇り高く輝いていくめだ。そこに、真の青春の勝利がある。

◇「社会で人々に尽くす使命」に生きよ
我らは広宣流布のため、この世に出現した尊い地涌の菩薩である。現実の悪世の中で、生命尊厳の仏法を弘め、人々の幸福と平和に尽くすという、最も偉大な使命をもっている。
使命とは「命」を「使う」と書く。大切な若き命を何に使うか。妙法を唱え、人のため、地域のため、社会のため、わが命を使う一日一日は、大宇宙のリズムと合致して、究極の正しい生命の軌道に入っていくのである。
いかなる試練が襲いかかってきても、必ず変毒為薬して、自分自身が人間革命できる。そして「宿命」をも「使命」に転じて、多くの人々を励まし、リードしていけるのだ。

2013年3月23日土曜日

2013.03.22 わが友に贈る

仕事に奮闘する友よ
今いる場所で勝て!
大変な時こそ
信頼を築く好機だ!
人間革命の王者たれ!

開目抄上 P191
『外典三千余巻の所詮に二つあり所謂孝と忠となり忠も又孝の家よりいでたり、孝と申すは高なり天高けれども孝よりも高からず又孝とは厚なり地あつけれども孝よりは厚からず』

◇希望の明日へ
だれが見ていようと、見ていまいと、つねに人間として正しい行動を貫いている。いっさいに恥ずるところがない。ゆえに心は青空のごとく晴ればれとし、悠々としていられる。これも、優れた人物に共通する楽しみであり、また誇りである。
平3・5・5

☆女性に贈ることば 三月二十二日
部屋を片付けないと「なんて、だらしのない子!」 と言う。言うたびに、そういう否定的な自画像が子どもに刷りこまれてしまう場合がある。むしろ、「あなたなら、きれいにできるよ」と励ましてあげたい。

☆今日のことば 三月二十二日
第一にも確信
第二にも確信
第三にも確信をもって
朗らかに逞しく すべてを建設していこう

☆100文字の幸福抄
年をとるにしたがって
内奥から輝き出る美しさを発揮する人こそ、
本当の美人というものだろう。
そうした自分なりの美しさを知り、
それを存分に強調していくことが、
清々しい身だしなみの
ポイントではなかろうか。

☆千葉日報特別寄稿 「千葉は希望満開!」
「花は試練の時を堪える忍耐を教えてくれる」。未曾有の被害をうけた東日本大震災から1年。
いまだ震災の生々しい記憶を心に残しながらも、明日に向かって歩み続ける人々に語りかける池田大作名誉会長からの特別寄稿。今回は生命の象徴である「花」をテーマに、千葉と花の深い関わり、花がもたらした勇気や希望、人とのつながりなどを紹介しながら、春の訪れを待つ人々にメッセージを送る。「希望の春は、もう始まっている」

◇花のごとく強く朗らかに
「今や冬去り春来り、梅も咲き、桜も笑わん」
房総が生んだ文豪・国木田独歩は、厳寒を勝ち越えた命の喜びを詠いました。
花は、試練の時を堪える忍耐を教えてくれます。
花は、自分らしく咲き切る誇りを示してくれます。
花は、皆を朗らかにする笑顔を広げてくれます。
「花の都」千葉には、人々の心を明るく力強く照らす光が宿っています。
苦難の時代だからこそ、大好きな千葉に満ちる、この「希望の光」を、私は大切にしたいと思う一人です。

◇「千」の戦いで勝つ
東日本大震災から1年。千葉の各地にも、深い被災の爪跡が残されました。
大災害にも怯まず、力強く復興を進めてこられた方々の尊き努力に、私は感動を禁じ得ません。
かつて、松戸や勝浦などを訪れ、千葉の風土を愛した歌人の与謝野晶子の詩が胸に迫ります。
関東大震災の翌年、自らの決意を託した「春の歌」です。
「新しく生きる者に
日は常に元日、
時は常に春。
百の禍も何ぞ、
千の戦いで勝とう」
県名に「千」の字を冠する千葉には、「百」の災禍にも「千」の応戦で勝ち越えゆく、不屈の負けじ魂が、なんと雄々しく脈打っていることでしょうか。

館山市から南房総市に続く「房総フラワーライン」は、鮮やかな花々に彩られた夢の街道です。
この房総の花の発祥地として名高い和田町(現・南房総市)で、わが郷土の発展を願って、花卉栽培を始めたのは、若き間宮七郎平です。創意を凝らして、日本で最初にストックの花の温室栽培を試み、新品種も育てました。花作りは町興しの大いなる力となって定着したのです。
ところが、戦争がすべてを一変させました。花畑を農地に変えるために、花卉栽培禁止令が出されて、花を作る人は「国賊」と見なされ、花の種や苗は焼却が命じられたのです。
しかし、花を愛で、平和を願う庶民の熱情までは消せませんでした。
戦争が終わると、和田の人々は、ひそかに取り置いていた球根や種を持ち寄って、再び間宮七郎平を中心に花の栽培に挑戦し、不死鳥のごとく「花の町」を再生していったのです。
私の妻が知る、館山市の花卉栽培農家のお母さんも、40年以上、房総の道を飾ってこられました。
若くして夫に先立たれ、3人の幼子を女手一つで育てながら、雨の日も、風の日も、畑に立ちました。「今年も頑張ろうね」と、種に、新芽(しんめ)に、蕾に、励ましの言葉をかけながら、尊き汗を流してきたのです。
昨年、大震災で出荷は激減しました。その分、夏の手入れから再起を期し、今、例年を上回る早生の出荷で賑わうと聞きました。
この母は微笑み、語ります。「花は、心を映す鏡です。笑顔を送り続ければ、笑顔を見せてくれ、悲しみを乗り越えた時には、凛とした強さで応えてくれます」
房総の花の街道は、何ものにも負けない母たちの「幸福平和の街道」です。

◇信頼と励ましの絆を
千葉市・検見川(現・花見川区)で発見された「オオガハス」の種が、2千年の眠りから開花して、今年で60年です。
大賀一郎博士による「世紀の発見」も、思うにまかせぬ労作業の連続でした。
しかし、米が配給制の時代にあって、泊まり込みで発掘する作業者たちに食事を振る舞ってくれる母がいました。掘り出した土を篩にかけて手伝ってくれる小・中学生もいました。さらに、弱気になる大賀博士に"続けよう"と背中を押す友もいました。
2千5百人にも広がった麗しき連帯があればこそ、2千年の眠りから、命の光が蘇生したのです。
安房に誕生された賢哲は、人間自身の心の中に、最も強く最も清らかな生命が具わっていることを、「蓮は清きもの泥よりいでたり」と譬えました。
生命尊厳の希望の哲理に生きれば、泥沼のごとき現実社会であっても、信頼と励ましの絆を広げ、皆の心に蓮華の花を朕かせていけると示されています。

◇皆が力を合わせて喜び光る故郷の春を
市民が結束して、逆境に立ち向かう。この千葉の連帯力を支える頼もしき翼は「女性」と「青年」です。
甚大な液状化の被害を受けた浦安市では、女性たちが手を携えて行政にも働きかけ、「被災者生活再建支援法」の適用に尽くしました。このボランティア活動に取り組んだ女性は清々しく語っています。
「目の前の一人のために、必ずできることがあります。大変な時こそ、皆が一つになれるチャンスだと思います」と。
浦安市では、再生可能エネルギーなどを活用した「環境共生都市」の構想も、各界の力を結集して推進されていると伺いました。
大津波に襲われた旭市をはじめ各地で、私が見守ってきた青年たちも、風評被害などと闘いながら、命を守り支える農漁業の復興に挑んでくれています。
希望は、若い世代です。
千葉の教育者の友人が、「全国体力・運動能力調査で、わが県の中学校は日本一です」と、健やかな成長ぶりを伝えてくれました。
千葉日報社では、今年から、県内の大学生が記者となり、紙面を創る「チバユニバーシティプレス」の企画を開始されています。
「メディア最前線の新聞づくりから人材育成につなげていきたい」との尊き志に、敬意を表します。

千葉は、アルファベットで「CHIBA」です。
千葉を愛する青年たちと、この五文字で、故郷の人間力をどう表現できるか、語り合ったことがあります。
一つの答えとして、
「Creative=創造的」
「Honert=誠実」
「Inteligent=知性的」
「Brave=勇敢」
「Amicable=友好的」
と挙げられました。
わが敬愛する千葉の友人たちの誇り高き心です。
千葉の子どもたちとも深い交流を結んだアフリカの環境の母ワンガリ・マータイ博士は、呼びかけられていました。
──どんな状況でも精いっぱい、咲き誇る花のように、人問も希望に生きよう!
一人一人が変化を起こせるし、皆で力を合わせれば、不可能も可能にできる、と。
この2月、いすみ市で、国際宇宙ステーション「きぼう」で保管されていた「宇宙菜の花」の種子が、黄金の花を咲かせました。
我らの千葉の大地から、創造の花、誠実の花、知性の花、勇気の花、そして、平和友好の花が、いよいよ咲き広がる希望の春は、もう始まっています。

2013年3月22日金曜日

2013.03.21 わが友に贈る

我ら創価家族は
妙法の絆で結ばれた
三世永遠の同志なり。
広宣流布の大理想へ
さあ心一つに前進!

清澄寺大衆中 P894
『此れを申さば必ず日蓮が命と成るべしと存知せしかども』

◇希望の明日へ
『此の御本尊も只信心の二字にをさまれり』(P1244)−−この御本尊も、ただ信心の二字に収まっている−−と仰せである。御本尊への"無二の信心"に、仏界がある。七宝で荘厳された仏の世界があり、福無量の"真如の都"がある。この御本仏の仰せを確信すれば、何ものも恐れることはない。堂々たる王者の喜びがわいてくる。わが生命に永遠に崩れざる「歓喜の都」を築きながら、わが国土もまた、「平和の都」「安穏の都」へと輝かせていくことの、何とうれしいことか。まさに、幸の王者の人生である。
平3・2・12

☆女性に贈ることば 三月二十一日
前へ! また断固として、前へ進むのだ! 眼前の現実に勇敢に挑みゆくのだ!
その人が、最高の勝利の人である。尊き女性なのである。
誰がなんと言おうが、誰人がなんと思おうが!

☆今日のことば 三月二十一日
余裕ある行動
自信ある行動
そして 明朗なる行動たれ

☆100文字の幸福抄
高齢社会は、
幸せ光る「幸齢」社会でありたいと願う。
素晴らしい夕日は、明日の晴天を約束する。
最後の最後まで、未来を照らす
勇気の太陽を燃え上がらせたい。
人生はいつも、いくつになっても
「さあ、これから」だ。

☆我らの勝利の大道No.099 福光燦たる東北(下)
◇総仕上げを頼む!
今、東北青年部が父母たちと一体で推進する真剣な弘教によって、この妙法を唱える地涌の若人が着実に増えていることは、何と大いなる希望であろうか。
また本年秋、宮城の石巻文化会館で、新時代第一回「世界農漁村青年会議」を開催するという嬉しいニュースも発表された。
現代を、そして未来を開きゆく人類の指標は、東北の皆様方の不屈なる価値創造の一日一日にあるのだ。
東北の春! それは全国の同志の春である。
そして、全世界百九十二力国・地域のSGI(創価学会インタナショナル)の友へ、限りない力と喜びを贈る地涌の凱歌である。
どんなに苦しみに乾いた土であっても、励ましの水が注がれ、地中の水が涸れさえしなければ、必ず根は栄え、必ず花は咲く。
『各各思い切り給へ此の身を法華経にかうるは石に金をかへ』(P910)と、蓮祖大聖人は教えてくださっている。
この仰せのままに、忍耐と勇気の東北の英雄たちは、不惜身命の心で生き抜いてこられた。一歩も引かずに勝ち抜いてこられた。
この崇高なる一生成仏の修行は、我らの生命を根底から劇的に革命し、金剛不壊の燦然たる「宝塔」へと輝かせていくことは間違いない。
これが、創価学会だ。
これが、創価の団結だ。
これが、師弟の強さだ。
私は、東北の友を絶対に信ずる。苦楽を分かち合う共戦の同志として、未来永遠に離れることはない。
君よ、あなたよ!
わが最愛の青年たちよ!
久遠の縁を今世で結び、そして来世にも結びゆく誉れの弟子たちよ!
元初の太陽を、共に生命に燃やしゆく家族よ!
誇りも高き東北健児の手で、広宣流布の総仕上げを断固として成し遂げてくれ給え!

嵐をも
 恐れぬ我が身
  東北の
 健児の舞は
  朝日あびたり

2013年3月21日木曜日

2013.03.20 わが友に贈る

大胆に動けば
勢いが出る!
まず自分から!
率先の行動こそ
日蓮仏法の魂だ。

◇希望の明日へ
つねに朗らかに、頭を上げて生きる人生であっていただきたい。不幸のただ中にも微笑みを忘れず、強く生きぬく青春であっていただきたい。その人は幸福である。青春の勝者である。まして御書には『南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり』(P788)と仰せである。広宣流布に生きる学会員こそ、もっとも大きな歓喜を胸に、人生を闊達に歩むことができる。そして、困難と戦えば戦うほど、わが生命には、すばらしき歓喜が躍動してくるのである。
平3・1・15

☆女性に贈ることば 三月二十日
家庭がつねに明るく健康であるためには、たゆまざる価値創造が必要だと思う。一曲の音楽が、家庭を楽しい音楽会場にもするし、子どもの描いた一枚の絵が、家庭を美しい展覧会場にもする。

☆今日のことば 三月二十日
宗教は、単に個人の「心」の枠に閉じ込められたものではない。広く社会に流布した宗教は、それ自体、すでに社会の基盤を形成しているのだ。

☆100文字の幸福抄
どの家にも、愛する家族との別れがある。
しかし、いつまでも悲しんでいれば、
故人も悲しんでしまう。
大事なことは、故人の志を受け継いで
果たしていく決意である。
"悲しみの遺族"から
"希望の後継者"へと踏み卸すことである。

☆我らの勝利の大道No.099 福光燦たる東北(下)
◇共々に「この道」を
日蓮大聖人は、試練と闘い抜いた健気な母の報告を聞かれて、仰せになられた。
『春のはじめ御喜び花のごとくひら(開)け……』(P1575)と。
それは、夫を亡くし、十六歳の我が子を失って、その悲しみの淵から立ち上がってきた、南条時光のお母さんへの御文である。
厳しき宿命の冬を勝ち越え、どこまでも、どこまでも、広布のために師弟の道を歩み抜く「この道」こそ、東北の母たちの「人間勝利の春への道」なのだ。

◇生き抜く姿に光が
福島の地で生きる、一人の壮年は語っておられた。
「(震災や原発事故の記憶の)風化を防ぐといっても、防戦一方では無理です。風化は、現地からの発信力が弱くなった時にも進む。最も大事な発信は、私たち一人ひとりの生きざまではないでしょうか」と。
この「人間王者」の雄姿を見よ! 今月、「壮年部結成の月」を迎えた、不屈の創価の黄金柱たちの「人間革命」は、勇気と希望の何よりの光源なのだ。
どこにいても、誰であろうとも、それぞれに可能な復興への一歩がある。人間革命の偉大な道がある。
戸田城聖先生は、誰もが絶望に打ちひしがれていた敗戦の日本に一人立って、弟子たちを励まされた。
「五年、七年、十年と信仰を続けていくうちには、必ずや人間革命でき、よくもあんなに立派になったものと言われるだろう」
軍部政府による二年間の投獄という法難を堪え忍ばれた師の結論は、一人の人間における偉大な人間革命こそ、一切の苦難を乗り越える真の「福光」だということにほかならない。
英国の大歴史家トインビー博士は、私に語られた。
「新しい文明を生み出し、それを支えていくべき未来の宗教というものは、人類の生存をいま深刻に脅かしている諸悪と対決し、これらを克服する力を、人類に与えるものでなければならない」
今ほど「人間革命」の光−−共に強く賢く生きる力をい人類に贈る哲理が渇望されている時はない。
御書には記されている。
『一度妙法蓮華経と唱うれば一切の仏・一切の法・一切の菩薩・一切の声聞・一切の梵王・帝釈・閻魔・法王・日月・衆星・天神・地神・乃至地獄・餓鬼・畜生・修羅・人天・一切衆生の心中の仏性を唯一音に喚び顕し奉る功徳・無量無辺なり』(P557)
妙法は、ありとあらゆる人びとから、そして、ありとあらゆる環境から、仏性を呼び起こし、'一切を蘇生せしめていく音律である。

2013年3月20日水曜日

2013.03.19 わが友に贈る

子どもの幸福に尽くす
教育本部の皆様の
尊き汗に最敬礼!
その慈愛の行動こそ
社会を照らす太陽だ。

寺泊御書 P953
『日蓮此の経文に当れり汝等何ぞ此の経文に入らざる』

◇希望の明日へ
凡夫である一人一人も、御本尊に照らされた生活は、根底的には、すべて成仏へ、絶対的な幸福へと向かう一日一日であることを疑うまい。ゆえに、信心の眼で見るならば、すべてに意味がある。信心があるかぎり、そのときはわからなくとも、必ずや自分自身の最高の人生を築く勝利へのバネとなり、一里塚となっている。このことを確信するならば、学会員の一生は、根本的に大歓喜の人生である。
平2・10・10

☆女性に贈ることば 三月十九日
観念だけでは、真に人間を育てることはできません。実際に体を動かし、汗を流し、ともに泣き、ともに笑い−−そうした人間同士の打ちあいのなかでこそ、人は磨かれていくものです。

☆今日のことば 三月十九日

物事がわけがわからなくなったときには、原点にもどって、素朴に素朴にと考えれば、意外と本質が明らかになるものです。それを入れ物の小さい頭で、溢れているのも気づかずに、更に詰め込んで考えようとするから、みんな問題の本質がどこかへ逃げていってしまうのだ。

☆100文字の幸福抄
過去にとらわれて悩んだり、
未来の不安に苦しんだりするのは愚かである。
大事なことは、
「きょう」という一日を、
いかに価値あるものとするかである。
そのために一生懸命に、
そして、丁寧に生ききることである。

☆我らの勝利の大道No.099 福光燦たる東北(下)
◇全ては「一人」から
作家の徳冨蘆花は「一は無窮の始ぞや」と言った。
全ては「一」から始まる。「一」には無限の可能性が秘められている。
象徴的にいえば、「辛(シン・つらい)」という字も、「一」を加えれば「幸(コウ・しあわせ)」に変わる。
「もし私が一人の生命の苦しみをやわらげ/一人の苦痛をさますことができるなら/気を失った駒鳥を/勢にもどすことができるなら/私の生きるのは無駄ではない」
これは米国の詩人エミリ・ディキンスンが詠った、私も大好きな詩である。
どこまでも「一人」を大切にし、誠実に、苦悩の友の命を希望の光で照らしゆく東北の同志こそ、偉大な「福光の英雄」なのである。

東北が一つになって、共に生き、共に進むことを約し合うため、毎月十一日を「福光・前進の日」に定められたと伺った。
あまりにも重い現実を眼前に、「前進」という言葉自体が負担に感じられる時もあるだろう。
だが、それでも、あえて自身に「一歩前進」と言い聞かせながら、前へ踏み出し続けている父たち母たちを、私は知っている。片時も忘れたことはない。
「誓いとは、前進への秘訣である」と、非暴力の行進を貫き通したマハトマ・ガンジーは語っている。
これまでも、秋田の友は、月々の十一日に「負げでらんね」との思いを込めて、幾度となく、真剣な祈りを捧げ、被災した友に熱いエールを送ってこられた。大雪にも怯まず、集い合った日もあるという。
阪神・淡路大震災を乗り越えてきた兵庫県西宮市のある地区の同志は、聖教新聞で、岩手県の陸前高田市にも、同じ名前を冠した地区があることを知った。それをきっかけに連携を取り、心通う交流を重ね、兄弟姉妹のように、励まし合ってこられたという。
東日本大震災で甚大な被害を受けた千葉県や茨城県はじめ関東の同志たちも、言い知れぬ瑕難を堪えながら、深き大きな連帯の心で、東北と一体不二で復興の歩みを進めてこられた。

◇その人の歩幅で
私たちは、「信心」という、最も強く、最も美しい人間の絆で結ばれた「創価家族」である。
大聖人は、「(衆生を救う)慈悲の極理は唯法華経にのみとどまれり」(御書九ページ)と仰せである。
創価家族の励ましの交流には、この慈悲の精神が生き生きと脈打っている。
だからこそ、決して焦らなくともいい。前を見て、今を生き抜くこと、今を歩むこと、それ自体が尊く、偉大なことなのだ。
一人ひとり、自分の歩幅がある。その歩みの傍らには、広宣の同志が、いつもいてくれる。共に歩み、声をかけ、一緒に涙を流してくれる。私も厳然と祈り、見守り続けている。

春が巡ってくる。希望の春の足音が聞こえてくる。
私は、大震災が発生した年(二〇一一年)の九月から十一月にかけて、小説『新人間革命』に「福光」の章の連載を続けた。
私は幾多の広布の歴史を刻んできた福島、東北を、そして健気にして勇敢な、縁深き同志を思いながら、第一回の冒頭に綴った。
「春を告げよう!
新生の春を告げよう」
「民衆の凱歌轟く、勝利の春を告げよう!」と。
来る年来る年、厳冬を耐え抜き、苦難の風雪を乗り越えようと、逞しく立ち上がる民衆の輪が広がるところ、笑顔輝く「福光の春」は必ず訪れる。

◎千葉県総会、おめでとうございます!
お詫び:昨日の「福光燦たる東北」は一昨日とダブってしまい、すみません。

2013年3月19日火曜日

2013.03.18 わが友に贈る

全員が人材だ。
相手の「仏性」を
どこまでも信じ抜き
粘り強い励ましを!
新しい力を引き出せ!

忘持経事 P977
『国国皆飢饉し山野に盗賊充満し宿宿粮米乏少なり我身贏弱所従亡きが若く牛馬合期せず峨峨たる大山重重として漫漫たる大河多多なり』

◇今週のことば
友好拡大の春が来た!
動けばドラマが生まれる。
語れば歓喜が広がる。
「心の財」を積みながら
対話の花を爛漫と!
2013年03月18日

◇希望の明日へ
"正義は楽し"である。笑顔で朗らかに正義の道を生きぬいていきたい。朗らかさを失ったり、悲壮になっては、悪を喜ばせるだけである。
平3・l・15

☆女性に贈ることば 三月十八日
岩にさえぎられた苗木は、まっすぐに伸びることはできない。かといって、温室で育てたものは、早く生長するが、風雪に対する抵抗力が弱いものである。
伸び伸びと、自由な空気のなかで、しかも、自然な試練のなかに、鍛えられていくことが、子どもにとつて幸せな道ではないだろうか。

☆今日のことば 三月十八日
今日の目標は
 その日のうちに必ず達成することだ
それがまた
 明日の戦いへの勝利の因である

☆100文字の幸福抄
人生の年輪が増すごとに、
創造の輝きを
一段と強く放ちゆく人には、「老い」はない。
「生きる」ということは、
生涯をかけて学ぶことである。
まさに「人生とは、私たち自身がつくるもの」
なのである。

☆我らの勝利の大道No.099 福光燦たる東北(下)
◇三世に輝く生命の幸福王者
新生の春 人間革命の希望の春へ!
創価家族の絆も強く 一歩また一歩と

生命は
 三世にわたる
  旅なれば
 幸福王者と
  晴れて生まれむ

東日本大震災から満二年に際し、犠牲になられた、全ての方々のご冥福を祈り、全国・全世界の同志と共々に、懇ろに追善回向の勤行・唱題を捧げさせていただいた。
さらに、被災なされた。全ての皆様方の安穏を願い、ひたぶるに題目を送らせていただいている。
「総勘文抄」には、三世の諸仏に包まれ、諸天善神に護られた生命は、亡くなっても『滞りなく最高の寂光世界への往生を遂げ、たちまちのうちに、九界の生死の夢のなか、すなわち、人の世に帰って来る』(P574、通解)と仰せである。
この御聖訓に照らして、亡くなられたご家族も、同志の方々も、題目の光に満ちて、必ずや広宣流布の陣列に、幸福の王者として舞い戻ってこられることを、私は深く確信する。

◇儀典部の尊き使命
この場をお借りして、私は、全国の儀典部の同志に、満腔の御礼を申し上げたい。
葬儀(友人葬・家族葬)や法事(年忌法要等)など様々な儀典において、皆様方の存在が、どれほど大切か、どれほど有り難いか、計り知れない。
儀典部の皆様方の誠実で真心こもる姿に、ご家族、ご親族から、また、ご友人や地域の方々からも、深い深い信頼と感謝の声が寄せられている。
日蓮大聖人は、できることならば御自身で足を運ばれて、亡くなられた門下の墓前で、自我佃を読誦して差し上げたいとの御真情を記してもおられる。
その御心を体した儀典部の皆様方の献身は、尊き「仏事」、まさに「仏の仕事」なのである。
仏法の人間主義といっても、突き詰めれば『人の振舞』(P1174)のなかにこそ躍動する。
強盛なる信心と聡明なる心配りが相侯って、仏縁が結ばれる。内外を問わず、三世永遠の妙法に連なり、絶対の安心・安穏の世界に入ることができるのだ。
我ら創価の儀典は、今日の時代の要請に応える最先端でもある。儀典部の皆様方の清々しき貢献とともに、身近な地域共同体の麗しい人間の絆が、ますます強まり、広がっていくことを、私は祈りたい。

2013年3月18日月曜日

2013.03.17 わが友に贈る

新しい友との対話は
貴重な自身の財産だ。
我らは永遠に開拓者。
心弾む出会いを!
皆で仏縁を広げよう!

華果成就御書 P900
『常にかたりあわせて出離生死して同心に霊山浄土にてうなづきかたり給へ』

◇希望の明日へ
大聖人門下として広布に邁進することは、霊山浄土であえて願い求めてきたことであり、その結果、末法の五濁悪世に生まれ、それぞれ使命の国土に躍り出てきたのである。ゆえに、今いる天地こそ、全宇宙のなかでも、一人一人にとって、最高の使命の舞台である。またそう自覚したとき、生命は欣喜雀躍し、最大の生きがいを燃やすことができる。
昭64・1・6

☆女性に贈ることば 三月十七日
学歴や財産は、それ自体、人生の目的ではない。ゆえに、そのことで人をうらやんだり、自分を卑下したりするのは愚かである。
貴女自身がすべての宝であることを忘れないで、毅然と生き抜くことだ。

☆今日のことば 三月十七日
「人生とは、闘争の異名なり」と、叫んだ哲人がいる。まさしく、人生は、戦争の如く、厳しく、目まぐるしい感を抱く。何も知らなかった少年時代が、懐かしい。だが、一歩も、退くことは、許されぬ。

☆100文字の幸福抄
長い間、
苦楽の道程を共にしてきた夫婦の間には、
何ものも断ち切ることのできない、
強い絆がつちかわれているものだ。
それは、愛情という言葉でも
覆いつくすことのできない、
深く広い運命共有の力である。

☆我らの勝利の大道No.099 福光燦たる東北(下)
◇三世に輝く生命の幸福王者
新生の春 人間革命の希望の春へ!
創価家族の絆も強く 一歩また一歩と

生命は
 三世にわたる
  旅なれば
 幸福王者と
  晴れて生まれむ

東日本大震災から満二年に際し、犠牲になられた、全ての方々のご冥福を祈り、全国・全世界の同志と共々に、懇ろに追善回向の勤行・唱題を捧げさせていただいた。
さらに、被災なされた。全ての皆様方の安穏を願い、ひたぶるに題目を送らせていただいている。
「総勘文抄」には、三世の諸仏に包まれ、諸天善神に護られた生命は、亡くなっても『滞りなく最高の寂光世界への往生を遂げ、たちまちのうちに、九界の生死の夢のなか、すなわち、人の世に帰って来る』(P574、通解)と仰せである。
この御聖訓に照らして、亡くなられたご家族も、同志の方々も、題目の光に満ちて、必ずや広宣流布の陣列に、幸福の王者として舞い戻ってこられることを、私は深く確信する。

◇儀典部の尊き使命
この場をお借りして、私は、全国の儀典部の同志に、満腔の御礼を申し上げたい。
葬儀(友人葬・家族葬)や法事(年忌法要等)など様々な儀典において、皆様方の存在が、どれほど大切か、どれほど有り難いか、計り知れない。
儀典部の皆様方の誠実で真心こもる姿に、ご家族、ご親族から、また、ご友人や地域の方々からも、深い深い信頼と感謝の声が寄せられている。
日蓮大聖人は、できることならば御自身で足を運ばれて、亡くなられた門下の墓前で、自我佃を読誦して差し上げたいとの御真情を記してもおられる。
その御心を体した儀典部の皆様方の献身は、尊き「仏事」、まさに「仏の仕事」なのである。
仏法の人間主義といっても、突き詰めれば『人の振舞』(P1174)のなかにこそ躍動する。
強盛なる信心と聡明なる心配りが相侯って、仏縁が結ばれる。内外を問わず、三世永遠の妙法に連なり、絶対の安心・安穏の世界に入ることができるのだ。
我ら創価の儀典は、今日の時代の要請に応える最先端でもある。儀典部の皆様方の清々しき貢献とともに、身近な地域共同体の麗しい人間の絆が、ますます強まり、広がっていくことを、私は祈りたい。

2013年3月16日土曜日

2013.03.16 わが友に贈る

創価の偉大な歴史は
「青年」が開いた!
「師弟」で勝った!
さあ出発だ。さあ前進だ。
人類史の希望の朝へ!

上野尼御前御返事 P1580
『法華経と申すは手に取れば其の手やがて仏に成り口に唱ふれば其の口即仏なり』

◇希望の明日へ
人生にあって、本物の人物と会う喜びは何ものにもかえがたい。なかでも文学者との出会いは、文学を愛する一人として、深い喜びである。
昭63・10・9

☆女性に贈ることば 三月十六日
師弟というのは、師匠に弟子が仕えきっていくことだ。弟子が力をつけ、立派になり、偉くなって、師匠にお応えするのだ。
そして師匠に勝利を報告するのだ。

☆今日のことば 三月十六日
友情は、善悪共に通ずることも知らなくてはならない。悪友は得やすく、善友は得がたい。ほんとうの善友とは、ときに自分の欠陥や、誤りを、厳しく指摘してくれる人である。偽り親しむのは、かえって身を滅ぼす悪友である。

☆100文字の幸福抄
私は「生涯青春」という言葉が好きである。
いわゆる若さとは、
年齢によって機械的に
決まるものではない。
むしろ、自らの目標に向かって、
たくましく生き抜く情熱の炎によって
決定されていくと、私は確信している。

☆我らの勝利の大道No.098 福光燦たる東北(上)
◇わが使命をここで。
福島県の浪江町から干葉県に避難されている婦人部の友がおられる。原発事故によって、家族と離れ離れになり、娘さんとの二人暮らしになった。
不慣れな環境のなかで、言うに言われぬ孤独を抱えながらも、このお母さんは「同じように苦しむ人のために何かできないか」と、千葉へ避難している同郷の方々に呼びかけて、十数人のささやかなお茶飲みの催しを行った。
その後も、お会いした方々のもとへ足を運んでは、悩みを聞き、寄り添い続けている。
「大したことは何もできないんですけど」と言われながら、自分にできる取り組みを見つけ出して、全力を尽くしておられる。そこから、一人また一人と、元気を蘇らせ、希望の挑戦が連鎖している。
先行きが見えないなかにありながらも、このお母さんは毅然と語っていた。
「この地を自分の使命の場所と決めて、思う存分、楽しく頑張りたい! 『今』という時を精いっぱい、輝かせていきます!」と。
頭を上げて胸を張る、この地涌の賢者たちの「心の財」にまさる輝きが、いずこにあろうか。

◇勇気凛々と前へ。
七百五十年前の弘長三年(一二六三年)三月にお認めとも伝えられる「持妙法華問答抄」には、仰せである。
『寂光の都ならずは何くも皆苦なるべし本覚の栖を離れて何事か楽みなるべき』(P467)
苦悩の渦巻く悪世の社会である。しかし、この現実の場所を離れて、仏の国土はどこにもない。
ゆえに、日々どこまでも題目を唱え抜きながら、自らの生命の仏界を涌現し、勇気凛々と眼前の環境を切り開いていくのだ。
希望の方へ、成長の方へ、団結の方へ、さらに勝利の方へ、変えていくのだ。
そして人間の一念の偉大さを、「今ここ」で、断固と証明していくのである。

幾度も東北に足を運び、苦楽を分かち合ってきた婦人部のリーダーが、感動を込めて報告してくれた。
−−最愛の長女と実母、祖母の三人を大津波で失った悲しみから気丈に立ち上がってきた、福島・相馬のお母さんがおられる。
女子部の乙女たちを我が娘の如く慈しみ、多宝の先輩方を我が母、我が祖母の如く守りながら、健気に戦い抜いて、今回の本部幹部会・東北総会を迎えられた。
その心境を、こう語っておられたというのである。
「大震災の後、ここ福島で、このような会合が行われるようになるとは、夢にも想像できませんでした。しかし、それが二年で見事に実現しました。
だから、私たちは、これからも、今は想像できないくらい、もっともっと幸福になれると
かくしん確信できます。いえ、必ず皆で幸福になります!」
と−−。
そうだ! その通りだ!
私か共に対談集を発刊したブラジルの天文学者モウラン博士の言葉が蘇る。
「私の夢は、絶望や闇から立ち上がる人間の魂や精神が、空で最も明るく輝くシリウスのように、最も強く輝いてほしいということです。そうすることによって、私たちの地球という世界が、今とは違ったものになるかもしれないからです」と。
この東北総会を「新生」の原点として、私たちは、いやまして一人ひとりが最も明るい「生命尊厳の宝塔」として輝き、地域に、社会に、世界に、未来に、広大無辺な福光を燦々と贈
っていくのだ。

この一生
 東北家族と
  総仕上げ

2013.03.15 わが友に贈る

転入・転出する友に
丁寧に対応していこう。
青年・未来部にも激励を。
皆が大切な創価家族だ。
新出発を爽やかに!

撰時抄 P289
『現に勝れたるを勝れたりという事は慢ににて大功徳なりけるか』

◇希望の明日へ
"生命の歓喜"は、何よりさまざまな嵐と真正面から戦っていくなかでこそ、清列に、ほとばしり出てくる。あとからあとから、限りなく満ちあふれてくる。平穏な、何の波もないなかでは、深い信心の歓喜を味わうことはできない。障害に挑み、強盛にして不屈の信心を燃やしぬいていってこそ、わが身が不壊の歓喜の当体へと磨かれていくのである。
昭63・6・19

☆女性に贈ることば 三月十五日
子どもは、いつか、独り立ちしていかなくてはならない。
「子どもを『幸福にすること』と『甘やかすこと』を混同してはいけない」とはフランスの思想家ルソーの言葉です。
子どもを幸福にするために大切なのは、どんな試練にあっても、それに負けない強さと勇気を育んでいくことではないでしょうか。

☆今日のことば 三月十五日
絶望といい、不幸といい、それをそうと決めるのは、所詮、その人の心のしわざである。してみれば、希望というものは、まず自分自身の悲哀を克服したところに生まれるものだ。

☆100文字の幸福抄
人生には、「自分がやりたいこと」がある。
また、「自分がやらねばならないこと」も
「自分でなければできないこと」もある。
この「夢」と「責任」と「使命」を見つめ、
「今、自分ができること」を
誠実にやり抜いた時に、
才能や可能性は必ず開花する。

☆我らの勝利の大道No.098 福光燦たる東北(上)
◇希望の種を皆様が
東日本大震災以後、私たちは、世界の知性から数々の真心のお見舞いの言葉を頂戴した。あらためて感謝を申し上げたい。
米国のエマソン協会のワイダー元会長は、東北の友を熱く讃えておられる。
「あの大震災を経験された東北の皆様ほど、励ましの大切さを実感されている方はいないでしょう。皆様こそ、地球の未来に、希望の種を植えているのです」
ブラジルが誇る音楽家ビエイラ氏からも、勇気のメッセージをいただいた。
「全国各地から、人間主義に基づく全精魂こもるエンカレッジ(励まし)が、すさまじい勢いで東北地方へ発信され、人びとの苦難を克服させる"勇気のヒューマンエネルギー"の光として、一人ひとりの心を照らしました」
さらに、中国教育学会の顧明遠会長は、「多難興邦」という言葉で、宮城県の女性教育者を直接、励ましてくださった。国土が多事多難であるほど、人びとは奮起して国土に興隆をもたらすことができる、という中国の金言である。
まさに、この二年間の激闘は、世界が瞳目し、世界の良識と心を通わせながらの復興の歩みであったといってよい。

◇よくぞ生き抜いて
東日本大震災という未曽有の大災害が奪っていったものは、この宇宙の全ての宝に匹敵するほど、尊いものばかりであった。
想像を絶する多くの方々が犠牲になられた。愛してやまない家族、強い絆で結ばれた同志や友人、そして懐かしく麗しき郷土……、取り戻せるものなら、取り戻したいと、誰もが願わずにいられない。
震災の直後、私は胸をかきむしられる悲痛の念を堪えながら、被災地の同志に、仏法の厳たる法理の上から、"心の財は絶対に壊されない!"と申し上げさせていただいた。
今も、私は思う。
よくぞ、今日まで生き抜いてくださった。よくぞ、歯を食いしばって頑張り抜いてくださった、と。
こうして生きて、生き抜いている−−それ自体が、あまりにも尊く、不思議な使命の方々であられる。
亡くなられた方も、皆様方が生きておられるからこそ、生死を超えて、皆様方の胸中で、共に生きていくことができるのだ。
日蓮大聖人は厳然と仰せである。
−−自分についても他人についても、その生死はわからないけれども、重々に心して、あなたの御臨終の際、今世の生を終えた後には、日蓮が必ず迎えにまいるであろう−−と(P1558、通解)。
大聖人は、誉れ高く生き抜いた一人ひとりを、そして亡くなられた尊き同志たちを、御本仏の慈眼で見守ってくださっている。一人ももれなく断固と擁護してくださっている。
生も、死も、大聖人と御一緒に!−−これが、永遠不滅の妙法を持つ、我らの常楽我浄の旅なのである。

広宣流布とは、特別な「大きなこと」をすることではない。今の自分にできる「小さなこと」を、地道に粘り強く一つ一つ行っていくことである。
目の前の「一人」に同苦し、励ます。今できる「一つ」の行動に、誠実に、張り切って取り組む−−それは、誰もが直ちに実践できることなのだ。

◎希望の明日へは「歓喜・喜び」になります!(^^)!

2013年3月14日木曜日

2013.03.14 わが友に贈る

「いかなる病
さはりをなすべきや」
題目の師子吼は無敵!
大確信で強盛に祈り
断じて病魔に打ち勝て!

如説修行抄 P501
『夫れ以んみれば末法流布の時生を此の土に受け此の経を信ぜん人は如来の在世より猶多怨嫉の難甚しかるべしと見えて候なり』

◇希望の明日へ
人間は"人の間"と書くように、一人で生きることはできない。友人が大切である。また真の同志は宝である。孤独な人は、生きているうちも不幸であり、死ぬ時も孤独である。死は来世への出発であり、孤独な死は、来世の孤独にも通じていく。それに対し、学会員は、生も死も、同志の唱題につつまれている。楽しく、にぎやかに、守られながら進んでいる。十方の諸仏、諸菩薩とともに、幸福の旅を送っていけるのである。これ一つとっても、学会員であることはすばらしい。
平5・5・16

☆女性に贈ることば 三月十四日
勇んで労苦を引き受け、友と同苦し、人びとに、社会に、奉任しゆく人生であれ!
大きく悩んだ牢光きし郵猷が郎がる。

☆今日のことば 三月十四日
文明は権力 武力を用いず
幸せへ民衆を化す運動である

☆100文字の幸福抄
大事なことは、毎日を、
どう「掛り」を持って生きるかである。
心豊かな人は、体が衰えても、
その分、心が澄み、色々なことが見えてくる。
日々、「喜び」と「希望」を見出し、
前進していく。
人生は、最後の総仕上げが大切である。

☆我らの勝利の大道No.098 福光燦たる東北(上)
◇「心の財」抱きて常楽我浄の旅を!
目の前の一人を大切に!
今できる行動を真剣に!

初めに、この度の北日本の暴風雪に対して、心よりお見舞いを申し上げます。
例年にない厳しい風雪が続いていますが、どうか、安全第一、健康第一でと、題目を送っております。

福光の
 希望を放ちて
  東北城
 負けるな勝ち抜け
  万柔の功徳を

今月三日、福島の天地を中心に、「新生・東北総会」の意義を込めて、本部幹部会のメーン行事が意気軒昂に開催された。
この日を楽しみに待っておられた東北の皆様と同じ心で、全国の母たち、同志たちも、真剣に大成功を祈念してくれていた。
冬から春へ、新しき東北の世紀を開く青年の躍動!
私も大好きな東北の歌
「青葉の誓い」の歌声!
そして、福島と結ばれた、強き絆の宮城、岩手、青森、秋田、山形の各会館には、不撓不屈の民衆王者たちが「東北は一つ」と、勇み集われた。
仰ぎ見よ! 日本第一の聖教拡大の歴史を築かれた東北の父母のスクラムを!
誠実な対話と勇気の弘教の天晴れな金字塔を打ち立てた東北の若き連帯を!
東日本大震災から二年。
あれほどの苦難に遭いながら、東北の「凱歌の人々」は断じて屈しなかった。
誇り高き「人間の勝利の道」「生命の尊厳の道」を歩み続けてくださった。
一番苦労した人が、一番幸福になる。そして不滅の勝利の喜びを味わい、誰よりも希望の福光を放つ権利と使命があるのだ。
私は「万歳! 万歳!」と叫びながら、東北健児を抱きしめ、みちのくの誉れの家族と固い握手を交わす思いであった。
私の胸には、熱い感動と感涙が込み上げてくる。
これが、東北の底力だ!
これが、わが創価の師弟の威風堂々の行進だ!
これが、人類史に赫々と輝き渡る「人間革命」の大連帯だ!──と。

「熱望の燃える火で 燈りをつけよう!………闇のなかで むなしく時を過ごしてはならない。おまえの生命で 愛の燈火に灯をともすのだ」
インドの詩聖タゴールは、名詩『ギタンジャリ』で、こう詠った。
関東大震災の翌年の一九二四年には、三度目の来日を果たし、復興への努力にエールを贈ってくれた。
タゴールは語っている。
「われわれが重要とみなすのは、人間の善性の真性である」
わが愛する東北の同志は、自ら被災しながらも、究極の善性を発揮し、苦悩に沈む「一人」のために、どれほど尽くし抜いてこられたことか。どれほど、無数の励ましの灯をともしてこられたことか。
その崇高な行動を、三世十方の仏菩薩が、御本仏・日蓮大聖人が、全て御照覧であることは間違いない。
この方々こそ、永遠に、創価の鑑となり、人類の模範となって、未来を照らしていくのだ。

2013年3月13日水曜日

2013.03.13 わが友に贈る

体調管理を万全に!
激しい寒暖差に注意。
うがい、手洗いを励行し
服装等にも心配りを。
健康第一で進め!

乙御前御消息 P1219
『犬は師子をほうれば腸くさる修羅は日輪を射奉れば頭七分に破る』

◇希望の明日へ
人間にとって、死がどれほどの苦痛であることか。いかに金持ちでも、地位や権力があっても、死を前にしては夢のように空しい。幻のように、はかない。皆、これがわからない。それを、広布のために苦労することによって、自身の宿業を転換し、最高に安楽な死即次の人生への出発を迎えられるのが、この仏法である。その実証を、学会は先輩や同志の姿に多く見てきた。この一点だけでも、正法の功徳は偉大である。ゆえに、正法を教えてくれた学会の恩にどれほど感謝してもしきれない。
平5・4・13

☆女性に贈ることば 三月十三日
こうすれば、どう見られるか、どうなるか−−そういうことだけを考えて、人によく思われるように、うまく泳いでいく。それは楽なように見えて、あまりにもわびしい生き方である。状況に翻弄され、なんの価値も残さず、時代とともに色あせていく人生であってはならない。
わが人生は、自分自身への最高の贈り物なのである。

☆今日のことば 三月十三日
自分は死を恐れない
 という人を聞くが
  私は そんな人間になりたくない
死を恐れるが故に
 生きることへの歓びが深まり
  野蛮と文明との 分岐点があるからだ

☆100文字の幸福抄
どんな時代を生きようとも、
その人には、その人にしか歩めない
人生の道がある。
ありのままの心の発露でいい。
ささやかに見える目標でも、
そこに近づこうと努力することが、
自分にしか歩めない充実の道となる。

2013年3月12日火曜日

2013.03.12 わが友に贈る

「友のために」と
勇気の行動を貫けば
わが生命が光る!
その積み重ねが
崩れざる「心の財」に。

新池御書 P1439
『かかる悪所にゆけば王位将軍も物ならず獄卒の呵責にあへる姿は猿をまはすに異ならず、此の時は争か名聞名利我慢偏執有るべきや』

◇希望の明日へ
生まれ、老い、病み、死ぬという四つは人生の根本的な苦しみである。しかし釈尊は、「方便現捏磐」と説いた。浬磐(死)といっても、再び、はつらつと生き始めるための方便(手段)であって、眠りにつくようなものであると。また、宇宙のリズムと合致した人生を生きゆくならば、愛する人と一緒に生まれることもできる。夫婦でも、子どもでも、友人でも、深い愛情で結ばれた人と未来永遠にわたって、ともに生きぬいていける−−。これが仏法の教えである。
平4・11・12

☆女性に贈ることば 三日十二日
女性の場合、決して、いわゆる青春時代のみが花なのではない。若い時代にどんなに華やかであっても、その幸福は浅いものだし、また一生続く保証もない。
長い目で見た時には、心にしっかりした芯をもっている人は、時とともに、輝いていくものだ。

☆今日のことば 三月十二日
人の悪口、批判……。
する場合もある。される場合もある。
互いに人格を尊重していくべきだ。常に自己を磨くことだ。
自己を磨くことを忘れての悪口は、批判は、互いに愚かである。

☆100文字の幸福抄
女性の一生という、
広い視野に立ってみれば、
美しさというものも、
決して短距離競走ではない。
最期の一瞬まで続くマラソンなのである。
そのために生涯、燃え続けてゆく
美しさの基盤が、大切となろう。

☆名誉会長と共に 今日も広布へ No.010 今世の使命を果たし抜け
戸田先生は言われた。
「大闘争心が広布の大精神である。これがまた、学会の精神なのだ。
日蓮大聖人から最大に賞讃され、大功徳を受ける資格のある人は、この大勇猛心の決意で進んだ人である」
自分自身の今世の使命を徹して果たしていく。生きて生きて生き抜いて、自らが決めた目的を達成していく。
どんなことがあっても、信念に殉ずる。
どんなことがあっても、広宣流布していく。
この信念、決意こそが信心である。

皆が幸福になり、平和を築くための我らの前進だ。
仏法は勝負である。人生は戦いしかない。広宣流布に生き抜いていくことだ。
「断じてやろう」と決意すれば、元気になる。健康にもなる。
戦いに停滞は許されない。
わが信念を、一生涯、貫き通していこう!
信心とは、『以信代慧(信を以って慧に代う)』と説かれるように、最高の「智慧」の働きをする。
いくらでも、価値創造できる。道を開いていける。行き詰まりは絶対にない。
無限に智慧が出るのが、妙法の信心なのである。

広宣流布のための学会の組織である。
その中で頑張っている人が、本物である。
御聖訓には『法自ら弘まらず人・法を弘むる故に人法ともに尊し』(P856)と明快に仰せである。
地道な最前線の学会員こそが、一番、偉い。
広宣流布の組織に生きて、徹し抜いた人が、最も偉大なのである。

2013年3月11日月曜日

2013.03.11 わが友に贈る

悲しみは優しさに
苦労は強さに
宿命は使命になる。
それが仏法の真髄の力。
幸福の種は わが胸中に!

立正安国論 P17
旅客来りて嘆いて曰く近年より近日に至るまで天変地夭飢饉疫癘遍く天下に満ち広く地上に迸る

◇今週のことば
「妙とは蘇生の義なり」
活力みなぎる座談会を!
来られない友へも
激励をこまやかに!
リーダーは足を運ぼう。
2013年03月11日

◇希望の明日へ
死は、万人に平等に訪れる。臨終の善し悪しは、社会的な位や名声、財産などとは無関係である。自身の生命そのものの勝負である。内面の境涯がためされる場である。その意味で、死には、地位等にとらわれない、究極の民主主義があるといえるかもしれない。その人生の総決算に勝利できた人が、本当の勝利者である。真実の幸福の人である。そして学会員は最高の生命の凱歌、「歓びの歌」をもって、次の生へ、新しい"幸福の旅路"の出発をしていくことができる。そのためにも、現世で勝つことである。何があっても妙法の信仰を貫くことである。これが、仏法の生死観の一つの結論となろう。
平2・11・16

☆女性に贈ることば 三月十一日
自己の成長を願わず、目先の楽しみだけを追い求める人生の、どこが幸福であろうか。
「成長しよう」と努力する女性は、人生のどんな時をも、最高に輝かせていける。

☆今日のことば 三月十一日
夢を実現し、理想を達成するために、最も大事なことは、自己との厳しい対決に勝っていくことである。つまり、自分が今やらねばならぬことに、全能力、全情熱を、傾けていくことこそ、未来に生きる人生の、真実偉大な姿なのである。

☆100文字の幸福抄
たとえ今は苦しくとも、「希望」を見つめ、
苦労の坂を一歩一歩のぼり、
少しずつ、自分の力で
自分の夢を実現していく。
その人こそ、本当の
「深い喜び」を知る人である。
ここに、人間としての「美しい人生」がある。

☆未来対話 第11回「使命の翼を広げよう!」
−−間もなく、戸田先生から池田先生に師弟のバトンが継承された3・16「広宣流布記念の日」を迎えます。

名誉会長 1958年(昭和33年)の3月16日。戸田先生のもとに6000人の青年部員が集い、広宣流布の後継の式典が行われました。今年で55周年になります。そこには皆さんと同じ、未来部の世代の同志も集ってくれました。
この師弟の厳粛な式典は、"広宣流布の主体者は青年である"という大宣言でもあったのです。ずっと側にお仕えしていた私には、師の心が痛いほど分かりました。
この戸田先生の心を受け継いで、自身の使命に目覚めた青年たちが、「人間革命」の大潮流を起こしていったのです。
戸田先生のために、先生が願われた広宣流布のために、私たちは、どんな迫害にも負けず、どんな困難も勝ち越えてきました。これが、我らの人生の誉れです。
御書には、『二陣三陣つづきて』(P911)と仰せです。
これからの本格的な世界広宣流布を担い立つのは、君たち、あなたたちです。
私は、今この時に、師弟の魂のバトンを、未来部の皆さんに厳然と託していきます。

−−池田先生は、かつて未来部に、「自らの使命を自覚した時、才能の芽は、急速に伸びる」との言葉を贈ってくださいました。

名誉会長 使命とは「命を使う」と書く。生きている限り、わが命を何に使うか。追い続け、求め続け、決め続けていくのです。
それは、遠くにあるのではない。目の前の課題に全力で挑戦していけば、いつか、自分にしかない使命が、必ず見つかる。必ず、「自分の使命は、これだ!」と分かる。だから、焦ることはありません。
皆さんの生命には、もともと限りない前進の力、幸福の力、勝利の力が備わっています。
だから、自身の課題に思い切って挑戦し、学び、鍛えてほしい。若い力を出し切ってほしい。
誰が何と言おうと、私は君を、あなたを信じています。信じ抜いています。心配や不安に押しつぶされそうになったら、ありのままの自分で御本尊に祈ろう。
もし君自身が、「もう、だめかもしれない」とあきらめそうになっても、私は絶対にあきらめません。私自身が、あきらめないで、戦い抜いてきたからです。今も戦い続けているからです。
ゆえに、たとえ、君が、あなたが、どんな状況であっても、私はこう呼びかけるのです。
「君なら、あなたなら、必ずできる!」

2013年3月10日日曜日

2013.03.10 わが友に贈る

大自然と格闘する
農漁光部の友に感謝。
皆様こそ地域の太陽!
わが使命の天地で
福徳と勝利の舞を!

富木尼御前御返事 P975
『設い業病なりとも法華経の御力たのもし、阿闍世王は法華経を持ちて四十年の命をのべ陳臣は十五年の命をのべたり』

◇希望の明日へ
人生を山に例えれば、臨終は山頂といえよう。山頂からは、広々とした下界が見渡せる。死の頂から見て初めて、生涯の幸・不幸の光景も、勝利と敗北の実相も見えてくる。また死後すなわち来世という新しい出発を望むこともできる。荘厳な大光につつまれた山頂もあろう。噴火口のような地獄への山頂もあろう。さまざまであるが、必ずそこにいたることだけは、間違いない。人生は、この頂への登攀である。ゆえに山頂(死)を見つめずに歩む人は、目的地から目をそらして山登りするようなものであり、道に迷うのはむしろ当然かもしれない。ここに死の解決を教えゆく正しき信仰が必要となる一つの理由がある。
平2・11・16

☆女性に贈ることば 三月十日
生きることは戦いである。人生は、自分自身との戦いである。負ければ、この人生を存分に生きたとの喜びはない。悔いと苦悩と不幸を残すだけである。
私は、私らしく勝ったと、自分に胸を張れる人生でありたい。

☆今日のことば 三月十日
瞬間々々 時は流れる
過去 現在 未来へと----
創造と建設
敗退と惰性
その人 その国に
さまざまな運命 歴史を
渦巻きながら----

☆100文字の幸福抄
どの子も、幸福になるために
生まれてきた。
どの子も、人生に勝利するために
生まれてきた。
子どもたちに、どんな試練も勝ち越えて
幸せになる力を贈ってくれるのが、
母の真剣な心であり、深き愛情である。

☆未来対話 第11回「使命の翼を広げよう!」
−−「自分から大きな役割を担うのは気が引けるし、自由を奪われる気がする」「責任を負うのは重い」という人もいるようです。

名誉会長 たしかに、「責任」と言われると、重く感じてしまうかもしれない。
でも実は、「責任」を担った時こそ、自分自身のカラを破る最高のチャンスなんだ。
皆さんは、実業家の松下幸之助さんを知っているかな。「松下電器産業株式会社(現・パナソニック)」の創業者で、「経営の神様」と呼ばれました。私も何度もお会いしました。会えば4時間、5時間と、人生の万般にわたって語り尽くしたことが懐かしい。共に対談集も発刊しました。
松下さんは、人を育てる名人でした。
こんなエピソードがあります。昭和の初め、電気アイロンは便利なものでしたが、庶民には手の届かない高級品でした。そこで松下さんは、一人の若い技術者を呼んで、こう言われました。
「できるだけ安いアイロンをつくり、その恩恵に誰もが浴せるようにしたい」
若い技術者は、賛成した上で、「しかし、誰がそれを担当するのでしょうか」と尋ねます。
「君だよ。君ひとつ、このアイロンの開発を、ぜひ担当してくれたまえ」
若い技術者は、アイロンをつくるのに必要な電熱関係の知識や経験がありませんでした。そこで、「私一人では、とても無理です」と断ってしまった。
すると間髪を入れず、松下さんは、こう言い切ったのです。
「いや、できるよ。君だったら必ずできる」
この松下さんの期待に応え、青年は懸命に創意工夫を重ねていった。そして、これまでの性能を落とさず、価格を下げたアイロンを完成させたのです。「国産優良品」にも指定されるほどの高品質の製品です。

−−若き技術者の力を、松下さんは見抜いていたのですね。

名誉会長 その通りです。それは、技術者自身も気づいていなかった「自分の中に秘められた力」だったんだ。
のちに、この技術者は会社の重責を担うリーダーになりました。
そして、あの日の松下さんとのやりとりについて、「あの『君ならできるよ』という小さな言葉が、私の心に火をつけたのです」と回想されています。
松下さんは、青年を信じて使命を託した。その信頼が、若き心の中の「責任感」に火をつけた。
青年は、「自分がやる。必ずやり遂げてみせる」と腹を決めることだ。一念が定まれぱ、自分自身も気づかなかった力が、どんどん湧いてくる。
今回は、この松下さんの言葉を、皆さんに贈りたい。
「"失敗するかもしれない"とか"おそらくできないだろう"ということでなく、"やれば必ずできる""もし転んでも、そこに転がっているものをつかんでやり直そう"という積極性、根性をもつ」
「成功するためには、成功するまで続けることである」
松下さん自身、何度も経営の危機に陥ったが、そのたびに立ち上がった。事業は人で決まると考え、仕事を託すなかで、粘り強く人を育てた。体が弱かったが、あきらめなかった。会社のため、そこで働く人や、その家族のため、さらに、日本と世界の繁栄のために−−。
責任感とは、「自覚」と「執念」の異名なのです。

−−松下幸之助さんは、創価大学にも、関西創価学園にも、来られました。

名誉会長 教育に力を入れておられました。私より30歳も年長で、わが師・戸田城聖先生と同世代の方です。私は恩師をお迎えする思いで、ご案内しました。
関西創価学園では、歓迎演奏が終わると、満面の笑みで鼓笛隊に歩み寄り、温かな関西弁で、「よろしゅうおますなあ−−。ほんまにおおきに」と何度も言われていた。
学園生たちと交流した後、松下さんが、かみ締めるように語られた言葉が忘れられません。
「きょうは、10歳も20歳も若返りました。青春の若さをもう一度得られるなら、自分は全財産を投げ出してもいいと思うてます。でも、それはできません。かわりに学園生の皆さんから、若さのエネルギーをいただきました」
皆さんは、何ものにも勝る「青春の若さ」という財宝をもっています。若いということは、それだけで素晴らしいのです。何も恐れる必要はありません。
戸田先生も、心から青年を愛してくださいました。
理想へ向かうまっすぐな純粋さ、正義を貫く大情熱、そして、無限に成長しゆく未来性を絶対的に信じてくださったのです。

2013年3月9日土曜日

2013.03.09 わが友に贈る

広宣流布に停滞なし!
月月・日日に前進だ。
断じてやると決意すれば
無限に智慧が湧く。
必ず道を開いていける。

一代聖教大意 P401
『人の不成仏は我が不成仏、人の成仏は我が成仏』

◇希望の明日へ
仏法の眼で見れば、生死は不二である。死を嫌い、悲しむのは当然の"人情"かもしれない。しかし、仏法に説く「三世永遠」の生命観からいえば、「死」は新たな「生」への旅立ちである。明日の活力を得るために睡眠をとり、"リフレッシュ"し"充電"する。それに似て、死は次のすばらしき人生への飛翔となる。
平3・3・12

☆女性に贈ることば 三月九日
幸福というも、地獄というも、骨、自分自身の胸のなかにある。心のなかにある。

☆今日のことば 三月九日
人生には反省も必要であろう。反省のない人に向上はあり得ない。だからといって、反省が自己嫌悪になっては無価値となる。それはあくまでも、明日への向上のためのものでなければならないのだ。

☆100文字の幸福抄
友の悲嘆に自分も泣き、
友の喜びに自分も心を躍らせる−−。
わが子の教育を真剣に考えるならば、
友人をつくり、大事にすることを示していきたい。
この家庭での教育こそが、
社会に開かれた
本物の人格を形成していく起点となる。

☆未来対話 第11回「使命の翼を広げよう!」
池田名誉会長 春3月は、旅立ちの月、希望の出発の月です。
私にとって、未来部の皆さんが見違えるように成長して、新たな一歩を踏み出していく姿ほど、心躍るものはありません。

−−メンバーは、この1年、「未来対話」を学び、池田先生と心で語らいながら、前進してきました。私たち担当者のほうが、未来部員から師弟の息吹を教わっています。

名誉会長 うれしいね!
未来部の皆さんも、担当者の皆さん方も、春夏秋冬、いつも私と心は一緒です。
勉学や読書、クラブ活動、友情、親孝行、未来部の活動など、それぞれの挑戦を重ねてきたみんなの活躍は、毎日、報告をもらいました。全員が、努力の勝利者です。
晴れの卒業を迎える皆さん、おめでとう! 3年間、本当によく頑張ったね!
とりわけ、東日本大震災から2年、あらゆる困難を乗り越えてきた被災地の皆さんを、私は最大に讃えたい。どうか、これからも、家族や友人と支え合い、励まし合って、勝ち越えていってください。私は、一生涯、皆さんの人生の幸福と栄光と勝利を祈り、見守っていきます。

−−女子高等部の卒業生は、晴れて女子部の「池田華陽会」の第6期生になります。

名誉会長 世界中に、皆さんの仲間がいます。すごい時代です。
卒業する皆さんが、どこに羽ばたいていっても、私たちの心の絆は絶対に切れません。
これからも、明るく健やかに、自分らしく思う存分、若き生命を伸ばしてください。
3月は「弥生」ともいいます。弥生とは、草木が「いよいよ生い出る」という意味の「いやおひ」が語源だと言われています。
冬を越えた若芽のように!
春を告げる花々のように!
これから広がる新たな舞台へ、「いよいよ」の勢いで飛び出していこうよ!

−−卒業生の中には「せっかく仲良くなった友達と別れるのが、さびしい」という人もいます。

名誉会長 そうかもしれない。でも、よき友情は、一生涯を通して育てていくものです。たとえ、進む道が違っても、いくらでも励まし合える。お互いに若いのだから、共に未来を見つめて、カラッと明るく進んでいくんです。
今まで以上に、たくさんの新しい出会いも待っています。
センチメンタルな気持ちに流されず、朗らかに聡明に、よき縁を大切にし、心豊かな青春としてください。
とりわけ、卒業は"自分は周りに支えてもらっている"と、人のありがたさを再認識する機会です。人間関係をいっそう深めるチャンスです。
ご両親や家族、学校の恩師、友達や先輩・後輩、さらに地域の創価家族の方々などに、すがすがしく感謝の言葉を伝えてほしい。

−−最高学年になる在校生からは、部活や生徒会の活動などで、「先輩たちのようにできるか、心配です」との声が届いています。高等部の部長や副部長になる友からも、「皆をどう引っ張っていけばよいでしょうか」との質問が寄せられています。

名誉会長 大丈夫! 誰だって、最初は不安なのが当たり前です。
それは、リーダーとして、皆のことを真剣に考えている証拠だし、クラブや生徒会、わが部の今後に責任を感じているからでしょう。それ自体、素晴らしい指導者の心じゃないか。偉大な人間修行です。
ただ、君は君、あなたはあなたです。先輩と同じようにはできないし、そうする必要もない。よき伝統は引き継ぎつつ、どこまでも自分らしく、誠実にベストを尽くしていけば、必ず道は開けます。
ましてや、妙法を持っている皆さんです。朗々と題目を唱えて、苦労も喜びに変えながら、信頼される先輩、力あるリーダーに成長できないわけがない。

2013年3月8日金曜日

2013.03.08 わが友に贈る

良き人間関係は
人生の宝だ!
一つ一つの
出会いを大切に。
自ら友情を広げよう!

上野殿御返事 P1560
『大通結縁の者は三千塵点劫久遠下種の人の五百塵点劫生死にしづみし此等は法華経を行ぜし程に第六天の魔王国主等の身に入りてとかうわづらわせしかばたいしてすてしゆへにそこばくの劫に六道にはめぐりしぞかし』

◇希望の明日へ
なるほど、死ほど確実なものは何もない。昼の次に夜が、秋のあとに冬が、青春のあとに老年が来るということよりも確実である。夜がきた時、困らないように、冬がきた時、苦しまないように、老後に辛い思いをせぬように、人は準備をする。しかし、もっと確実な死がきた時、困らないように準備をする人は少ない。
平2・11・3

☆女性に贈ることば 三月八日
雨が降ろうが、風が吹こうが、寒さにふるえようが、または傷つき敗れても、家庭に帰って、母の温かい生命に触れさえすれば、心身の傷は癒える。

☆今日のことば 三月八日
ほんとうの世界平和は、政治家同士が、結ぶ条約、経済人同士の提携によって、もたらされるのではない。生命と生命との間に結ばれた、信頼のきずなによってこそ、実現されるものだ。

☆100文字の幸福抄
子どもにとって、
家庭は「最初の学校」であり、
母は「最初の教師」であろう。
人間としての基本を身につけさせる。
そこに大きな使命がある。
当たり前の、平凡な約束事を
自然にできるようにすることといってよい。

☆勝利の人間学第25回 "勝利の女王"白蓮グループ
◇学会と同志を守る「創価の花」に!
学会の会館を訪れる同志や友人の方々を、さわやかに出迎えてくれる。誰の目にふれなくとも誠実を尽くし、帰る方にも温かな声をかけて気づかい、無事故を呼びかけてくれる。
白蓮の乙女の清々しい振る舞いに、皆が「来てよかった」「学会は素晴らしい」と感嘆する。私と妻も、いっも感謝合掌している。
御義口伝には、『必ず仏の如くに法華経の行者を敬う可し』(P781)と仰せである。
この御聖訓そのままに実践する乙女たちに、偉大なる妙法の功徳の花が咲き薫らないわけがない。いな、その生命こそが、最も美しく気高き「白蓮華」の当体なのである。

◇幸のスクラム広げる「福智の舞」を!
あの「3・16」の大儀式の折、女子部の有志が自発的に案内や清掃を行ってくれたことが、白蓮グループの原点の歴史である。
誇り高き「自発」ど「率先」の行動が、白蓮グループの魂である。
"白蓮の心"を体現した福智豊かな女性は、職場でも、家庭でも、地域でも、いずこにあっても、百万言を費やすより、生き生きと信仰の素晴らしさを伝えられる。
今いるその場で"白蓮精神"を発揮して、友情と信頼を楽しく広げ、平和と幸福の笑顔のスクラムを築いていっていただきたい。

◇広布の未来を開く「希望の光」たれ!
わが恩師・戸田先生は、女子部に語られた。
「地涌の菩薩としての使命に生ききることが、最高の青春であり、人生である」と。
一日また一日、一生の幸福の土台を創っているのが、白蓮グループの皆さんである。
御書には、『浄き事・蓮華にまさるべきや』(P1109)と記されている。泥沼の中でも汚れることなく、凛然と咲く白蓮の花の如く、末法の濁世にあって、強く清らかな心で、人々に尽くす乙女たちこそ希望の光である。
貴女の真剣な祈りが、貴女たちの明るい前進が、広宣流布の未来を限りなく開くのだ。
この青春の生命錬磨があればこそ、必ずや自他共に福徳に満ちた人生が輝きわたることを、深く深く確信していただきたい。

2013年3月7日木曜日

2013.03.07 わが友に贈る

聖教の拡大は
仏縁の拡大なり。
広宣流布の要たる
新聞長の皆様に感謝!
誉れの名指揮を頼む!

開目抄上 P189
『一念三千の法門は但法華経の本門寿量品の文の底にしづめたり、竜樹天親知つてしかもいまだひろいいださず但我が天台智者のみこれをいだけり』

◇希望の明日へ
人生には、さまざまな苦悩がある。病の時もある。また死も必ずやってくる。しかし、仏法の眼を開いて見れば、本有(生命にもともとそなわっていること)の病であり、本有の死である。本有の苦悩である。何も嘆く必要はない。すべて、三世にわたる"幸福の大旅行"の一コマであり、妙法を持つ人は、すべての風景を悠々と楽しみきっていける。死も「方便現捏柴(方便もて淫楽を現ず)」と説かれるように、苦しい敗北や地獄の死ではなく、次の使命の人生への荘厳なる晴れの出発である。夜、疲れをとるために安眠し、朝、はつらつと起きるように、目覚めれば、すぐに楽しき来世である。
平2・10・23

☆女性に贈ることば 三月七日
強くあれ!
強くなれ!
希望は未来の勝利の旭日
幸福は自分自身の権利なり

☆今日のことば 三月七日
諸君は今、はなばなしいことはできないかもしれない。コツコツ勉強しなさい。遊んでもいい。何をやってもいい。青年らしく少年らしく、自由奔放にやっていけばいい。

☆100文字の幸福抄
母の、そして父の、
よき思い出をもつ人は幸福である。
心に刻んだ幸せな思い出は、生涯の宝である。
人生のさまざまな場面で
どれほど励ましとなることか。
孤独の時には友となり
苦難の時には支える力となるだろう。

☆新時代第64回本幹へのメッセージ
一、今、私は、込み上げる感動をもって、誉れの東北の同志を見つめております。
なんと明るく、なんと気高い、そして、なんと堂々たる、「地涌の正義」の陣列でありましょうか!
55年前(昭和33年)の3月16日、わが師・戸田城聖先生は、波瀾万丈の大闘争の勝ち鬨として、"創価学会は精神界の王者なり"と叫ばれました。
仏法では、まことの王者とは、「天」と「地」と「人」を貫いて、少しも揺るがない存在である。
さらに、民を親のごとく大切に敬い尽くしていく存在であると示されております。
誇り高き東北の同志たちは、あれほどの大災害に見舞われながら、断じて負けなかった。決して屈しなかった。
一人一人の学会員が、友の支えとなり、地域の要となり、社会の柱となって、どれほど勇猛に、どれほど誠実に、どれほど忍耐強く、奮闘し抜いてこられたことか。
ある時は風雪をじっとこらえ、ある時は悔し涙を流し、また、ある時は汗と泥にまみれながら、法のため、人のため、立正安国のため、戦い続けてきた同志の顔は、あまりにも神々しく輝きわたっています。
私は、愛する皆様方の頭に、一人も残らず、「人間の王者」「民衆の王者」「生命尊厳の王者」の王冠をかぶせて讃嘆したい。
いな、すでに三世十方の仏菩薩が大喝采しながら、皆様一人一人に大福運の宝冠を授与されているに違いないと、確信するのであります。
一、御本仏・日蓮大聖人は『い(生)きてをはしき時は生の仏・今は死の仏・生死ともに仏なり』(P1504)と断言されております。
亡くなられたご家族やご友人方も、必ずや力強い追善回向の題目の光に赫々と包まれ、守られていることは、絶対に間違いありません。
後継の皆様が仲良く朗らかに、何ものも恐れずに勝ち進んでおられる、この晴れ姿こそ、亡き家族・亡き同志が見事に成仏なされている最大の証明なのであります。

◇一人の生命には宇宙大の可能性
一、今日、わが敬愛し、信頼してやまない福島の同志、大東北の創価家族と一緒に、声高らかに宣言したいことがあります。
それは──
「我らは福光(福の光)の宝塔(宝の塔)なり」ということです。
法華経には、巨大にして荘厳な「宝塔」が出現します。
この「宝塔」は、一体、何を表しているのか。
大聖人は、北国の門下・阿仏房の質問に明快に答えられております。
『末法に入って法華経を持つ男女の・すがたより外には宝塔なきなり』『南無妙法蓮華経と・となうるものは我が身宝塔』(P1304)なり、と仰せであります。
そして「阿仏房さながら宝塔・宝塔さながら阿仏房」と結論されている。
つまり、あなたの生命が、そのまま、宝塔なのですよ、と。
一人の生命は、か弱く無力なものではない。まさに、宇宙大の可能性を秘めております。この生命の宝塔は、どんな苦難が襲いかかろうとも、揺るがない。誰人たりとも、壊すことなどできないのであります。
一、大聖人は、我らの生命の宝塔は「生老病死」の苦悩も、「常楽我浄」という四つの福徳に転じて、自らを荘厳できると明かされております。
いうなれば、生まれ出ずる悩みも生き抜く喜びに変え、老いゆく佗しさも後継を育てる張り合いに変え、病の苦しみも境涯を開く転機に変え、死の悲しみさえも永遠に轟く凱歌に変えていける。
ここに、「人間革命」「広宣流布」という最極の幸福と平和の道があります。
いずこであれ、題目を唱え弘める闘士が、胸を張って立ち上がれば、そこに宝塔が涌現します。わが身も宝塔であり、あの友この友も宝塔です。
生命尊厳の宝塔の林立によって、地域を、社会を、世界を、寂光土へ、仏国土へ、必ず輝かせていくことができるのであります。

◇人間とはかくも強く偉大なり!
一、どうか、何かあっても題目を唱え抜き、「元初の太陽」がいかなる闇も打ち払うように、今いるその場所で、わが生命から無限の福光を放っていってください。
一番厳しい冬を耐え抜いた人こそが、一番幸せな、歓喜と栄光の春を勝ち開くことができるのです。
さあ、共々に、「東北を見よ! 創価の師弟を見よ! 人間は、かくも強く、かくも偉大になれる」と、世界に希望と勇気の光を広げながら、晴れ晴れと「勝利」の金字塔を打ち立てていこうではありませんか!
一、結びに、全国の意気軒高なる青年部と壮年部の大会に寄せて、「人生は強気でいけ!」との恩師の師子吼を贈ります。
そして、「心の財」光る「農漁村ルネサンス大会」を祝し、東北はじめ日本全国のますますの豊作・豊漁を、深き感謝を込めて、お祈り申し上げ、私のメッセージといたします。

2013年3月6日水曜日

2013.03.06 わが友に贈る

真剣な人には
誰もかなわない。
まず自分が変わる!
誠実な行動を貫く!
勝利の道はここに!

御義口伝巻上 P737
『今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は与如来共宿の者なり、傅大士の釈に云く「朝朝仏と共に起き夕夕仏と共に臥し時時に成道し時時に顕本す」と云云』

◇希望の明日へ
仏法の視点からいうならば、試練の最後は、まさに死にゆく時である。そこでは、これまでの生き方のすべてが白日の下にさらされる。戦いきった人は戦ったままに、臆して逃げた人はそのままに、すべてがありのままに表れてくる。どのような死を迎えるか、そして来世はどうなるか、そこには厳しい因果の法則が横たわっている。
平2・6・8

☆女性に贈ることば 三月六日
正義に生きる女性の魂ほど、尊く強く美しく、不滅のものはない。

☆今日のことば 三月六日
獅子は猛獣に立ち向かっても、蟻の子一匹に向かっても、変わることなく猛然と三歩前進しては一歩退き、しかる後に決然と満身の力で獲物に襲いかかっていくという。それは絶対に過つことがない動作だ。

☆100文字の幸福抄
裕福になってほしい。
偉くもなってほしい。
そう思うのは、当然の親心であろう。
しかし、いくら財産を手に入れ、
高い地位についても、
「人のために役立とう」という心の光がなければ、
人間として真の輝きはない。

2013年3月5日火曜日

2013.03.05 わが友に贈る

「挑戦」あるところ
希望があり幸福があり
わが生命の躍動がある!
ゆえに今日も一歩を。
朗らかに日々前進だ!

撰時抄 P266
『日蓮は閻浮第一の法華経の行者なり此れをそしり此れをあだむ人を結構せん人は閻浮第一の大難にあうべし』

◇希望の明日へ
生死、生死と永遠に繰り返していく生命。その「生死の二法」からはだれ人も免れない。この生と死を貫く大法が妙法である。ゆえに妙法を持ち続ける人は、自身も三世にわたって幸福である。また先祖をも救っていくことができる。反対に、妙法の世界を破壊しようとすることは、そのまま自身の生命を破壊することに通ずる。ゆえに生死、生死と、永遠に苦悩の極限の境涯となる。
平1・9・15

☆女性に贈ることば 三月五日
命にはかぎりがある。だからこそ、何に命を使うかが重要です。
人間を育てることは、最高に尊いことではないだろうか。

☆今日のことば 三月五日
友よ 強く雄々しく立てよ
僕が信ずる 君が心を
苦しい仕事 深夜の勉強
これも修行だ 苦は楽し
君が信念 情熱を
仏は じっとみているぞ

友よ 負けるな希望を高く
僕が信ずる 君が心を
努力 努力 また努力

あの日の誓い忘れるな
君の意気と若さとで
断じて進め あくまでも

友よ 忘るな微笑を
僕が信ずる 君が心を
清らかに 夢みつつ
進みゆく君が心の美しさ
ああ わが友よ強く
君が友よ

☆100文字の幸福抄
子どもはいつも親を見ている。
たとえテレビに熱中しながらも、じっと見ている。
その鋭い子どもの目に対して、
親が自らの生き方を、
自信をもって示していけるかどうか。
そこに、家庭における
教育の根本のカギがある。

☆名誉会長と共に 今日も広布へ No.009「あきらめない勇気を」
◇未来部の友へ
私の一番大切な、そして大好きな未来部の皆さん、お元気ですか? 担当者の皆様も、いつもいつも、ありがとうございます。
アメリカのマーチン・ルーサー・キング博士は、「人間の平等」という夢に向かって、不当な人種差別と命をかけて戦い抜いた偉大な指導者です。
今年は、キング博士が「私には夢がある」との歴史的な演説を行ってより、50年になります。
キング博士は、なぜ、偉大なのか。
博士と一緒に戦った同志である、歴史学者のハーディング博士は、私に、こう語っておられました。
「(キング博士が)『断じて成し遂げる』との自らの誓いに、絶対、背を向けなかったことは、彼の勇気の偉大な証明です」と。
そうです! 大事なのは、勇気です。
大いなる夢をかなえるには、「一歩また一歩、前へ進む勇気」「負けない勇気」、そして「あきらめない勇気」を持つことです。
人間として最も正しく、最も強い勇気を出す源は、題目です。日蓮大聖人は、『南無妙法蓮華経は師子吼の如し』(P1124)と仰せです。
何があっても題目を唱えていけば、どんな悩みや苦しみも勝ち越えていける勇気が湧き、必ず勝利の道を歩んでいけるのです。
愛する皆さん一人一人の健康と成長を、私はこれからも真剣に祈っていきます。
皆、絶対に無事故で、風邪をひかないように! さあ。きょうも勇気凛々と、明るく朗らかに進みゆこう!

2013年3月4日月曜日

2013.03.04 わが友に贈る

妙法とは
変毒為薬の法門だ。
断じて負けない!
一切を成長の糧とし
絶対に最後に勝つのだ。

松野殿御返事 P1382
『悪の因に十四あり一に?慢二に懈怠三に計我四に浅識五に著欲六に不解七に不信八に顰蹙九に疑惑十に誹謗十一に軽善十二に憎善十三に嫉善十四に恨善なり』

◇今週のことば
躍進の「3・16」へ!
青年のスクラムを
明るく にぎやかに!
創価後継の魂は
拡大そして勝利なり。
2013年03月04日

◇希望の明日へ
仏法では、死を「方便現捏磐(方便もて捏磐を現ず)」とも説いているが、朝の目覚めから一日が始まり、疲れた体を休めるために睡眠をとる。そして生き生きとした次の日の目覚めがある−−というように、因果の理法にのっとって生と死を繰り返しながら、生命は永遠に続いていく。しかも、個々の生命は、宇宙の大生命と律動しており、宇宙の大法別にのっとって、蘇生と希望のリズムを奏でていくことができる。これが仏法の生死観であり、生命観である。
平1・7・10

☆女性に贈ることば 三月四日
大切なことは、相手に同情する−−あわれむ−−ということではなくて、わかってあげることです。理解することです。人問は、自分のことをわかってくれる人がいる、それだけで生きる力がわいてくるものです。

☆今日のことば 三月四日
最後の勝利者が
 真の勝利者というならば
  君の今日の労苦は
   栄光の第一歩と思うことだ

☆100文字の幸福抄
本当に自分のためを思って
叱ってくれる親を、
子どもは嫌ったりしない。
生命の奥で愛情を感じ取っていくからである。
むしろ、殻を破り、大きく成長していくために、
親が自分と向き合い、
真剣にかかわってくれるよう求めているのだ。

☆我らの勝利の大道No.097 前進!希望の春へ(下)
日本では、今月下旬から四月上旬にかけて、全国で「白蓮グループ」の入卒式が行われていく。「地区リーダー」とともに、新たに誕生した「華陽リーダー」からも、フレッシュな人材が登用され、明るい希望に満ちている。
私の妻は、幼い時から母に迎れられて、座談会に出席する牧口常三郎先生を駅までお迎えに行った。
女子部では、自ら折伏に奔走するとともに、地域の会剔である自宅で、たえまなく来訪する同志を温かく欲待し、"未来部"のメンバーの激励にも当たった。
地方指導に行かれる戸田先生のお見送り、お出迎えも欠かさず、先生から「送迎部長」との記別を頂いた。いうなれば、草創の白蓮グループ一期生である。
「白蓮乃碑」が設置された琵琶湖畔の滋賀研修道場で、私は、関西の婦人部、女子部の友に指針を認めて贈ったことがある。
「今日一日を 汝自身に勝つ それが十年先の 勝利の人生であるからだ」
「青春時代に 深き決意と誓いを 持ちたる貴女たちは 三世の幸の女王になることは間違いない」
婦人部の「香城会」の皆様も、この通りの人生を歩まれている。
ともあれ、私は、世界の創価の女性たちが、幸福と勝利の生命の花を輝かせゆく人生たれと、妻と真剣に祈る日々である。

久遠より
 この時咲けと
  白蓮華

◇張り切って前へ!
まだ寒さは厳しくとも、『冬は必ず春』(P1253)へと、季節は巡る。
「如月」二月から「弥生」三月ヘ──。
この「弥生」とは「いやおい」、つまり「(草木が)いよいよ生い茂る」ことだ。しかも、「弥」の字には、「弓」がある。
渾身の力で弓を引き絞って矢を放つように、いよいよ強く、いよいよ勢いよく、躍り出ていくのだ。
日蓮大聖人は、繰り返し門下に呼びかけられた。
『いよいよ強盛に大信力をいだし給へ』(P1192)
『いよいよ強盛の御志あるべし』(P1222)
『いよいよ・はげまして法華経の功徳を得給うべし』(P1448)
我らの勇猛心には、限りはない!
我らの行動にも、限界はない!
そう命に定め、広布の大理想を描いて前へ進めば、我らの勝利は無限に開かれるのだ。
さあ、我らのたゆみなき前進は、二月闘争から三月闘争へ! 「いよいよ」の決意と情熱を燃やし、希望の月を、張り切って先駆けしようではないか!

満々と
 信力行力
  弓を張り
 君が一念
  勝利を射貫けや

2013年3月3日日曜日

2013.03.03 わが友に贈る

生命を育む
女性の慈愛は
平和創出の源泉!
家庭に社会に
励ましの光を送れ!

御義口伝巻上 P720
『今日蓮が唱うる所の南無妙法蓮華経は末法一万年の衆生まで成仏せしむるなり』

◇希望の明日へ
長い長い人生である。時には、病に倒れたり、事故にあうこともあろう。まただれ人も、死は避けえない。"生老病死"は人の常であり、大なり小なり生死の苦悩があるのは、むしろ、当然といってよい。大切なのは、それらに直面した時、どう信心で乗り越えていくかである。信心さえしっかり貫いていくならば、妙法の絶対の力用によって、必ず自身をもっともよい方向へと向けていくことができるのである。
平1・1・21

☆女性に贈ることば 三月三日
躾や教育に、こうでなければならないという決めつけは禁物である。
「桜梅桃李」−−桜は桜、梅は梅の言葉通りに、それぞれの子どもの長所を伸ばし、特性に合った生き方を選ばせてあげられるような環境を、できるかぎり用意してあげたいものである。

☆今日のことば 三月三日
美しい女性の本質は、個性よりにじみ出た品格にある。また、言葉をかえると、清楚な化粧と、心豊かな価値創造に富む教養をそなえた女性に最大の美を感ずる。

☆100文字の幸福抄
「自分は愛されている」
「自分は必要とされている」
という実感がないと、
子どもの心は不安定になってしまうものだ。
幼いうちに注がれた愛惜が、
その子の「生きる力」となって、
一生を支えていくのである。

☆我らの勝利の大道No.097 前進!希望の春へ(下)
◇弥生3月「いよいよ」の心に燃えて!
アタイデ総裁は、私に語ってくださった。
「私たちは、この崇高なる『言葉』を最大の武器として、戦いましょう」
嬉しかった。言論で戦う先達、不屈の戦友がここにいたからだ。
日蓮大聖人は『声仏事を為す』(P708)、
『音も借まず』(P504)と、言葉の重要性や偉大な声の力を繰り返し教えてくださっている。
広宣流布とは、大聖人の御在世も、現代も、そして未来も、永遠に「言論戦」である。生命を燃やした「声の戦い」である。
どこまでも、相手の心を揺さぶる確信の励まし、時代と社会の闇を破る正義の声で、我らは戦い、勝っていくのだ。

◇人間革命の道開く
あの南米訪問の日々は、私が聖教新聞で続けていた小説『人間革命』の連載の最終盤と重なっていた。
リオデジャネイロに滞在中の二月十一日──恩師・戸田城聖先生のお誕生日に新聞連載は最終回を迎え、その日、私は師への万感の感謝を込めて「あとがき」を綴ったのである。
その文中に私は記した。
「(戸田)先生の御生涯は、そのまま一個の人間の偉大なる人間革命の軌跡であり、それを書き残すことによって、万人に人間革命の道を開くことが可能になると確信していた」
今や、この師弟共戦の「人間革命の道」を、世界中の地涌の同志が勇み進んでくれている。
どれほど戸田先生が喜ばれていることか。不二の弟子として、これ以上の誉れはない。
この南米訪問では、各国の同志が底抜けに明るく、また勝利の姿をもって、私を迎えてくれた。皆の笑顔また笑顔は、今も胸中から離れない。
私の訪問に合わせ、日本各地から交流団が派遣され、東京、大阪、北海道、秋田、山形、岩手、京都、広島、そして信越の友と一緒に、世界広布の旅の歴史を刻んだことも懐かしい。

◇2月闘争が世界で
二月に戦おう! 二月に晴れ晴れと師弟勝利の新たな歴史を勝ち開こう!
この「二月闘争」の精神で、今、世界の同志が意気軒昂に前進している。
南米ではSGI訪問団が今月訪れたブラジルも、ボリビア、パラグアイも、大発展を遂げている。
また、同じ南米のアルゼンチンでも、ペルー、チリ、コロンビアでも、広布の大願を掲げて弘教拡大への活躍は目覚ましい。
南米のベネズエラ、エクアドル、ウルグアイ、中米のメキシコ、グアテマラ、ホンジュラス、エルサルバドル、ニカラグア、コスタリカ、パナマ、ドミニカ共和国、ハイチ、キューバなど、ラテンアメリカ地域のいずこにあっても、宿縁深きわが同志は元気いっぱいだ。
ブラジルのタグチ議長の出身地でもある東京・荒川は、今月二十日が、誉れの「区の日」であった。
このほか東京では今月、中野、港、葛飾、渋谷が「区の日」、世田谷、大田、新宿、町田は「婦人部の日」「女性の日」、目黒、練馬は「青年部の日」を飾った。
全国でも、沖縄、岡山、干葉の友が記念日を祝賀。そして、九州や北陸(喜多国)、静岡、埼玉、茨城、栃木、長野、宮崎などでも、さらに海外のチリ、ブラジル、アメリカでも、"女性の日"をにぎやかに迎えた。
韓国では今月、婦人部を中心に「二月闘争」を走り抜き、美事なる広布拡大の金字塔を打ち立ててくださった。祈り、励まし、対話する──この誠実な人間主義の中に仏法はあるのだ。
そして、ここ韓国でも、婦女一体−婦人部と女子部の女性のスクラムで、美しき国花・無窮花(ムグンファ)の如く、尽きせぬ幸福とと希望の花々を咲かせている。
あの国でも、この地域でも、いよいよ大勝利の突破口を開こうと、わが同志が総立ちになっている。
六十一年前(一九五二年)、師弟の誓願に燃えて、決然と一人立った背年が起こした「二月闘争」は、まさに「世界の二月闘争」となったのだ。

2013年3月2日土曜日

2013.03.02 わが友に贈る

「仏になるみちは
善知識にはすぎず」
支えてくれる人を大切に。
自らも支える人に。
学会は善き友の集いだ。

太田入道殿御返事 P1012
『書は言を尽さず言は心を尽さず事事見参の時を期せん』

◇希望の明日へ
自身の死を見つめ、それに対峙できるのは、ただ自分だけである。死は、決してごまかしのきかぬ人生の総決算であり、赤裸々な"一生"の証である。仏法者の立場から見れば、価値ある生を生ききったか否か。妙法流布という至上の生き方を貫いたかどうか。それは、例外なく、臨終の姿に如実に現れる。ゆえに、信心だけは、まじめに、真剣に実践していく以外にない−−。それが、数千、数万の死の現実に触れてきた、偽らざる実感であり、結論である。
昭63・11・11

☆女性に贈ることば 三月二日
母は、わが家の太陽である。いな、世界の太陽である。
いかに暗く厳しい状況になっても、母がいれば、笑顔満開の光が消えることはない。

☆今日のことば 三月二日
家庭の平和は、千金に勝る。一国の指導者というものは、家庭の幸福を築き、与えてゆくものでなくては、その資格はない。

☆100文字の幸福抄
一つの言葉から、人生は大きく動き始める。
忙しい日々だからこそ、
家族に思いやりの心を響かせ、
よき言葉をかけていきたい。
「育児」は「育耳」と青われる。
子どもの耳に豊かな言葉を
聞かせることが成長の力になる。

我らの勝利の大道No.097 前進!希望の春へ(下)
◇寒風の2月 創価の友が躍動

いついつも
 南無し感謝の
  創価班

「創価班」の友が、寒風にも怯まず、着任してくれる場所。それは、華やかな檜舞台ではない。
しかし日々、同志のため、学会を護るために、不二の道を決然と歩んでくれている。その陰の奮闘は、すべて仏天が御照覧である。自身の生命に福徳として厳然と刻まれている。
私も、一人ももれなく見守り、一生涯、題目を送り続けていきたい。これが、偽らざる決心である。

あな嬉し
 若き地涌の
  牙城会

この二月は、愛する「牙城会」の結成の月である。
私は数多くの厳護の丈夫たちを思い出す。正義に生き抜く青年たちのことは、忘れることはできない。
そのなかに、関西牙城会の委員長を務めた快男児がいた。私も楽しみに見つめていたが、十数年前、不慮の事故に遭い、彼は家族を残して帰らぬ人となった。私は直ちに、彼の追善回向をさせていただいた。
その後、男の子三人を抱えて奮闘していた夫人を、私と妻は関西を訪れた折に直接、励ましたのである。
「今日は、あなたに会うために来ました」──こう申し上げて、息子さんに宛てた手紙を託した。
「大好きなお父さんは、君の心の中に生きている。大切な大切な、お父さんは、お母さんの心の中に生きている。断じて負けるな! 絶対に負けるな! お父さんは御本尊様の中から、君を毎日、見ている」と。
後継の一家が希望に燃えて勝ち栄えていくことが、必ずや亡き父の勝利の証しとなり、親子一体の栄光になっていくのだ。
そのお母さんは今、関西で婦人部のリーダーとして活躍され、三人の息子さんも、私が創立した関西創価学園に学び、父にも勝る俊英と育ってくれている。
我ら創価家族の絆は、生死を超えて永遠に、「常楽我浄」という希望と勝利の劇を創造していくのだ。
さらに今、青年部時代に中核として戦い、壮年部に進出した精鋭たちが、「王城会」となり、若き「牙城会」とスクラムを組んで、法城の厳護に当たってくれている。私は、金剛不壊の大城を仰ぎ見る思いだ。

天晴れて
 勝利の柱の
  王城会

明日で生誕四百八十周年となるフランスの思想家モンテーニュは、名著『エセー』の中で綴った。
「言葉はわれわれの意志や思想を伝える唯一の手段であり、われわれの心の代弁者である。これがなければ、われわれはもはや互いに結び合うことも、知り合うこともできない」。
心から言葉が生まれる。その心を乗せた言葉が人の心に響き、人と人とを結びつける。言葉を発していかなければ、思いは伝わらない。
だからこそ、私は一対一の対話を、何よりも大事にしてきた。

2013年3月1日金曜日

2013.03.01 わが友に贈る

青年が躍動する
師弟の月がスタート!
いよいよの決意で
わが人間革命の劇を!
誓いの「3・16」を飾れ!

大悪大善御書 P1300
『大悪をこれば大善きたる、すでに大謗法国にあり大正法必ずひろまるべし、各各なにをかなげかせ給うべき、迦葉尊者にあらずともまいをもまいぬべし、舎利弗にあらねども立つてをどりぬべし』

◇希望の明日へ
これまで、数えきれぬほどの人々の生と死のドラマを見守ってきた。幾千、幾万の臨終の姿を見、また報告も受けてきた。その経験に照らして、断言できることは、たとえ一見、短命のように見えたとしても、必ず「更賜寿命(更に寿命を賜え)」(法華経P四八五)の経文のままの功徳の実証が、何らかの形で厳然と現れているということである。いわゆる世間の眼や肉眼だけではわからない。信心の眼から見るとき、そのことは、おのずから感じられるものである。
昭63・11・3

☆女性に贈ることば 三月一日
若い時に安逸を余り、苦労しないのは、不幸な青春である。
自分では自由なつもりでいて、結局、最後は不自由な敗北者となってしまう。
苦労すべき時に苦労し、勉強すべき時に勉強するのが、幸福な青春である。それが、一生涯の幸福の礎となる。

☆今日のことば 三月一日
いかなる場合でも積極的に発言すべきである。そう明にして要をえた言々は、黄金であり沈黙は銀である。

☆100文字の幸福抄
人間の能力を引きだすのは自信である。
その自信を子どもに与えるのが、
心からの褒め言葉であり、
温かい励ましである。
母親は、体ばかりか、心も産む。
才能の芽は、母親の愛情で、
どこまでも大きく広がっていくのである。

☆我らの勝利の大道No.096 前進!希望の春へ(上)
◇青春の川越講義
昭和二十八年(一九五三年)二月──。約一年半にわたって続けた埼玉・川越地区での最後の御書講義に、私は臨んだ。
埼玉は、私が青春時代から何度も何度も足を運んだ、あまりにも懐かしき思い出の天地だ。
あれから六十年になる。
私がこの時、五十数人の受講者と共に学んだのは、大難の渦中に認められた「佐渡御書」であった。
その末尾には、『此文を心ざしあらん人人は寄合て御覧じ料簡候て心なぐさませ給へ』(P961)と記されている。
同志が集い合い、一文一句でも一緒に拝し合う大切さを強調されているのだ。
ここにこそ、人材育成の要諦があるといってよい。
当時、私は、日記に書き留めた。東西冷戦という世界分断の不幸に終止符を打つ日が、必ず到来すると確信しつつ──。
「次第に、人材、人物が、哨出して来た様子。
共産主義国対自由主義国、世界の二大陣営の激突に苦悩する。
吾々の前進が、その第一段階の橋渡しか。…………
時を待て。時を待て。同志よ。民衆よ。人類よ」
学会が「貧乏人と病人の集まり」と侮蔑されていた時代である。しかし、庶民が立ち上がることが、歴史を転換していくのだ。
何よりも、共に生命尊厳の極理を学び合った、埼玉をはじめ各地から、平和と友情の懸け橋となり、世界を結びゆく若き人材群が躍り出ると信じていたのだ。
それから二十年後の昭和四十八年(一九七三年)の二月十二日。
私は、川越市で行われた埼玉県幹部会に出席した。会合の直前、青年と懇談し、陸続と育ちゆく後継の姿を頼もしく見つめた。
この日の会合で、私は呼びかけた。
団結と雄弁の埼玉たれ!
歌を口ずさむ埼玉たれ!
全員が人材の埼玉たれ!
この心のままに埼玉には今、鉄桶の団結も固き、世紀を担う大人材たちが、ここかしこと育っている。
勝利、勝利の前進──それが、私の祈りである。

◇青年が福光の更新
「青年学会 勝利の年」の本年、わが後継の青年部は、五十五周年となる「三・一六」を拡大で荘厳しようと、「大躍進月間」を胸張り奮闘している。
二月には「創価青年セミナー」や、各地で有意義な対話の集いを開き、正義と幸福の陣列を広げてきた。青年の逞しい挑戦こそ、創価の未来である。
東北をはじめ、厳寒の雪深き北国でも、壮年部・婦人部の先輩方が、自ら模範を示しながら、わが地域の男子部・女子部・学生部と一体になって、新たな拡大のうねりを起こしてくれている。
何と尊く、麗しい福光の行進であろうか。
あらゆる苦難をはね返し、堂々と勝ち越えゆく、誇り高き青年の大躍進と、民衆の大連帯を見よ!
この大切な、大切な創価の同志の皆様方が、一人も残らず、人間勝利の模範の勇者として、三世永遠に仰がれゆくことを、私は確信してやまない。