リーダーは声で決まる。
温かく確信をもって
友に安心と励ましを!
その真剣な努力が
自らの人格を磨くのだ。
三三蔵祈雨事 P1468
『されば仏は善知識に値う事をば一眼のかめの浮木に入り梵天よりいとを下て大地のはりのめに入るにたとへ給へり』
◇希望の明日へ
世間の多くは、自身の利害と打算によって動いている。経済的に、また、立場上、得になるかどうか。名誉になるかどうか。美名の裏の心は、あまりにも卑しく、勘定高い場合が多い。こうした社会の常識からみるとき、信仰の世界は、おそらく想像もできないほど、純粋で無私であり、真心と献身の世界である。ゆえに周囲の人々からは理解されがたい世界であるように見えるかもしれない。純粋なるがゆえに利用されたり、圧迫されたり、侮辱される場合もある。残念であるけれども、これが現実である。しかし学会員は、尊き清らかな信仰の世界を、絶対に守っていかなければならない
昭63・6・26
☆女性に贈ることば 二月二十日
人間の最も美しい姿のひとつは、真剣に仕事に打ち込んでいる姿である。
仕事に着任をもって、はつらつと取り組んでいる女性は、若さを失わない。
☆今日のことば 二月二十日
大自然は、つぶさに観察すれば、するほど、その精巧さに驚嘆せずにはいられないような、複雑、微妙で、しかも壮大な生命の環を構成している。まさしく、宇宙の大芸術であるといってよい。昔から、人間の英知は、自らがその環のひとつであることを察知し、巧みに生きる術を考え出してきた。
☆100文字の幸福抄
太陽は毎日、
自らの軌道を繰り返し昇る。正確に進む。
そして、生きとし生けるものすべてに
慈光を贈り育んでいる。
日々の生活も、同じ行動の繰り返しかもしれない。
しかし、その中にのみ、
真実の幸福は創り上げられていくのである。
☆新時代第63回本部幹部会で紹介されたスピーチ
終戦のとき(1945年〈昭和20年〉8月15日)、私は17歳。
わが家もまた、例に漏れず、あの戦争に苦しめられた一家でした。
戦時中、私の4人の兄は次々と戦地に召集された。
一家の柱の父も病気がちで、母の苦労は並大抵ではなかった。
その母を助けたいと思い、私は小学校6年生の時から3年間、新聞配達もしました。
昭和20年に入ると、わが家は強制疎開で取り壊され、新しい家も空襲で直撃を受け、灰燼に帰した。
どん底の中のどん底でした。本当に苦しみました。
だから私は、戦争反対です。戦争が僧い。
初代会長の牧□先生は、誤った思想を奉じて戦争を遂行した軍部政府に、真っ向から反対して投獄され、獄死されました。
第2代会長の戸田先生も、牧口先生にお供して、2年間の獄中生活を強いられました。
この獄中で、牧口先生の死を知らされた戸田先生は、独房の中で、ただ一人、涙にかきくれました。
そして、「必ずや牧口先生の仇を討つ!」と心に誓い、出獄後、平和への大闘争に立ち上がっていかれたのです。
ここに創価学会の師弟の原点があります。
ゲーテは、わが青春の魂の友であります。
私は、読んで読んで読みまくりました。
ゲーテというと、やはり戸田先生のことを思い出す。
一流の教育者であり、何もかもご存じの天才的な指導者であられた。
軍国主義に抵抗し、断じて信念を曲げなかった先生は、「牢獄で2年間、勉強したよ」ともおっしゃっていた。
どんな場所でも勉強できる、大境涯を開いていける−−そのことを身をもって示された。立派な、不世出の先生でした。虚偽を見破る鋭さは、怖いほどでした。
ゲーテは"優れた師に学び、さらに発展させよ"と教えた。ゲーテ自身も、そうでした。
彼は"偉大な師匠を見つけよ。その人に学ぶことが、一番大事なのだ"と示唆しております。
この賢人ゲーテの励まし通り、私は師弟の道を走り抜いてまいりました。
そして広宣流布を進め、世界中に仏法を広めました。
世界の各地に、未来への"第一歩"を印したのです。
私たちは、「常楽我浄」の生命哲学の旗を高く掲げたい。
生き生きと、若々しく進もうではないか!−−そう呼びかけるゲーテの声が、私の胸に響いてならない。
結びに、懐かしいゲーテの詩の一節を朗読して、御礼のあいさつといたします。
「わたしはいつも人間のよろこびを謳う
ただしい道をそれぬかぎり/人間は実にうつくしく/永遠に人間は偉大である」 (大山定一訳「しろがねの真昼は・・・」、「ゲーテ全集第1巻」所収)
悲しみの道ではなく、喜びの道を、そして正しい道を、まっすぐに進むのだ。
そしてまた−−
「臆することなく起って進め、/世の人々はためらい惑うとも。/気高い者が明知と勇気をもって事にあたれば、/すべてのことは成就するのだ」(手塚冨雄訳『ファウスト』)
ダンケ! ダンケ!(ドイツ語で「ありがとうございました!」)
誠にありがとうございました。