2013年2月16日土曜日

2013.02.15 わが友に贈る

誠実な語らいは
「信頼」を残す。
友のために祈り動けば
「境涯」が広がる。
それが広布の道だ。

上野殿御返事 P1537
『欲界第六天の魔王無量の眷属を具足してうち下り、摩竭提国の提婆阿闍世六大臣等の身に入りかはりしかば形は人なれども力は第六天の力なり』

◇希望の明日へ
これまでも"なぜあの人が、あのまじめそうな人が、退転したり、反逆するのか"と、人々が思うような場合もあった。しかし、その本質を見ていくと、大なり小なり"慢心"と"見栄"と"不知恩"の者であった。力もないのに、周囲から、学歴や社会的地位、あるいは幹部の子弟であることなどの理由から、"あの人は特別だ"と甘やかされ、自分中心の考えしかできなくなってしまった。ここに不思議にも、退転者や反逆者に共通する、一つのパターンがある。
昭63・4・24

☆女性に贈ることば 二月十五日
世界の人びととの友好も大事であるが、隣近所との友好はもつと大事である。友好・友情こそ、人生の宝である。

☆今日のことば 二月十五日
青春は一生の土台を築く時代である。土台が、立派に仕上がっていなければ、その上に何を積み重ねても崩れてしまう。将来の、大きな花を咲かせるために、その土台を建設している時代だと思えば、勉強も、仕事も、すべてが有意義にならないわけがない。
利己主義のみでなく、つねに社会に目を開き、社会のなかで、自分を大きく成長させようという人生は、もっとも充実した、青春といえよう。

☆100文字の幸福抄
子どもの成長と共に、
親も成長していきたい。
子どもの成長と共に、
互いに尊敬し、支え合う夫婦愛も
磨きがかかっていくべきであろう。
それが、そのまま美しい家庭環境を
築き上げていくことになるからだ。

☆我らの勝利の大道No.095 幸福の太陽・婦人部(下)
◇同苦こそ創価の心
あの「阪神・淡路大震災」から、一月十七日で、十八年を迎えた。あらためて、亡くなられた全ての方々に題目を送り、懇ろに追善回向をさせていただいた。
「負けたらあかん」と復興の槌音を響かせ、不死鳥の如く街を蘇らせた大関西の母たちの崇高な年輪に、ただただ感謝合掌である。
先日、聖教新聞の連載の"福光新聞"に掲載された兵庫県の地区婦人部長の体験を、妻も目頭を熱くしながら拝読していた。震災でご主人と二人の娘さんを亡くされながら、健気に信心を貫き、頑張り抜いてこられた偉大な母である。
彼女のことを思い、あえて厳しい激励の言葉も掛けた信心の先輩も、何と慈悲深き女性であることか。
慈悲の根底には、共に苦しみ、共に泣き、共に祈る仏の「同苦」の心がある。
眼前の悩める友、苦しむ同志と心を結び、励まし合って、どんな絶望の闇も照らし晴らしていく−−これこそ、私たちが経文通りに「悪口罵詈」されながらも築き上げてきた、創価学会である。まさしく、現代における民衆の奇跡の団体なのである。

宮城県に住むある若き母は、東日本大震災で、可愛い盛りの五歳の長男を奪われた。胸が締めつけられる悲しみである。
周囲の励ましに、再起しようと思うが、なかなか前に進めない……。その暗闇に光を点してくれたのが、先ほどの兵庫県の地区婦人部長をはじめとする関西の婦人部との交流であった。
この十八年間、妙法を抱きしめ、一番深い悲しみを乗り越えてきた常勝の母。その姿に、東北の母は不屈の勇気をもらい、前を向くことができた。
そして、"心にいる息子"と共に生き抜き、共に進みゆく思いで、地域のヤング・ミセスのリーダーとして走り抜かれていると伺っている。

◇必ず道は開かれる
『南無妙法蓮華経と申す女人の・をもう子に・あわずという事はなし』(P1576)
日蓮大聖人は、十六歳の息子を亡くした上野殿母尼御前と共に悲しまれ、嘆かれた。そして、母尼の胸中に「信心の炎」が再び燃え盛るまで激励を続けられたのである。その「信心の炎」を受け継いだのが、兄の南条時光であり、時光もまた赤誠の信心を生涯貫き通した。
生死は不二である。亡くなった家族は、わが心の中にいつも一緒にいる。瞬時も離れることなく、生命は一体である。ゆえに、この生命に妙法の力をみなざらせ、法のため、人のため、広宣流布のために行動することが、そのまま亡き家族をも『歓喜の中の大歓喜』(P788)で包む光明となるのだ。
ともあれ、真剣な「励まし」の連続が、必ず蘇生のドラマの連鎖を生む。これが創価の世界である。