壁を破る鉄則は
確信の祈りだ。
地道な励ましだ。
不撓不屈の挑戦だ。
大成長の歴史を刻め!
上野殿御返事 P1539
『大魔のつきたる者どもは一人をけうくんしをとしつればそれをひつかけにして多くの人をせめをとすなり』
◇希望の明日へ
美しい自然、美しい姿、美しい人生、美しい家庭−−。人間だれしも美しいものに憧れるが、それは自分の中に閉じこもっていては得られない。自分だけを見つめていてもつくれない。人との"よりよいお付き合い"、地域や社会との"心豊かな交流"、自然との"優しい関係"。それらに向かって努力する中に、自分もまた美しく成長していくのである。
『主婦と生活』平2・1月号
☆女性に贈ることば 二月三日
挑戦なきところに青春はない。あくなき挑戦の気概にこそ、青春は脈動する。
☆今日のことば 二月三日
思想や人生観は、その人の人生行路を決定づける。容姿とか、財産とか、家庭の境遇とかに自信をなくして、卑屈な人生観を持てば、すべて世のなかが、ゆがんだ鏡に映されるように、曲がってみえてしまうものだ。
☆100文字の幸福抄
問題や苦労のない家庭など、
どこにも存在しない。
すべて満ち足りているならば、楽かもしれない。
しかし、そこには、人間としての成長も
本当の幸福もない。
どんな悩みも、たくましい楽観主義で、
悠々と人生を切り開いていけばよい。
☆希望の大空へ〜わが愛する王子王女に贈る〜第10回 「自分がやる!」という人に
新しい一年がスタートして、1ヵ月がたちました。みんな元気ですか。寒い日が続いていますが、風邪をひいていませんか。
いよいよ2月。創価学会は「伝統の2月」といって、この月を大事にしています。
私は、この寒い寒い2月が大好きです。
それは2月11日が、私の恩師である戸田城聖先生のお誕生日だからです。私と妻は、この日になると、毎年、お赤飯をたいて、お祝いしてきました。
先生への感謝を込め、私は若き日、このお誕生の月である2月に、それまでの拡大の壁を破る、新たな挑戦の歴史を残しました。そこから「伝統の2月」と呼ぱれるまでになったのです。私の青春の誉れです。
どうか、みなさんも、寒さに負けず、勉強に、読書に、クラブ活動などに、たくましく挑戦していってください。
戸田先生は、青年に、よく言われました。
「広宣流布は、この戸田がする。君たちも手伝いたいか!」
先生は、「やってくれ」とは言いませんでした。すべて自分でやると決めておられたからです。その先生に、私たち弟子は、「お手伝いをさせてください!」と誓って続いたのです。
一切の責任は私かもつ!」−−これが、広宣流布の指導者の心です。
私は、この人生の師匠から、「責任感」という「心の宝」を受けつぎました。自分が立ち上かって、世界の平和と人類の幸福という広宣流布を成しとげてみせると決めて生きてきました。
「だれがやらなくても、自分がやる」
この心の宝を、未来の偉大な指導者である少年少女部のみなさんも、自分の中に、はぐくんでいってください。
それは、決してむずかしいことではありません。その第一歩として、身の回りの「かたづけ」に挑戦してみよう。
「うーん、それは、ちょっと苦手だなあ」と思う人も多いかもしれません。
「かたづけ」とは「自分のことは自分ですること」です。このクセをつけていくと、心の中に「責任感」を、大きく、はぐくんでいくことができます。
ドイツには、「人生の半分は整理整とん」という、ことわざがあります。それくらい「かたづけ」を大事にしているのです。
そもそも、かたづけは、何のためにするのでしょうか。
それは、「次に使う時、すぐ取り出せるようにする」ためです。食事の時に使った食器も、また、みんなが着た服も、きれいに洗ったあとは、もとの場所にもどさないと、次に使う時に、さがさなければなりません。「かたづけ」とは、決まった場所にもどすことなのです。
みなさんの先輩の「かたづけ名人」が、アドバイスしてくれたことがあります。
一つは、物の置き場、つまり「指定席」を決めておくことです。散らかるのは、帰る場所のない物が、いろいろな場所に"置きっぱなし"になっているからです。
また、指定席を決めたら、何を置く場所なのか、そこに書いて分かるようにしておくことです。「学校のもの」「習いごと」「おもちゃ」「思い出の品」などと、棚や引き出し、箱が分かるようにしておけば、とても便利です。
そして、「かたづけ」が苦手な人は、「かたづけタイム」を決めておくのもいいでしょう。まとめてやろうとせずに、毎日少しの時間でいいので「かたづけ」をするとかんたんだし、いつもきれいにすごせます。学校に、あす持っていく物のチェックもできます。
学校にも、「そうじ」の時間があります。これは、日ごろ使っている校舎や教室への感謝をこめて、きれいにするとともに、かたづけができる人になっていく練習をしているともいえます。
私も、小学生の時に身につけた「そうじ」の習慣が、社会に出てからも大いに役立ちました。