2013年2月16日土曜日

2013.02.16 わが友に贈る

乾燥による火災に注意!
可燃物の放置や
たこ足配線は禁物だ。
火の元の点検など
百千万億倍の用心を!

如説修行抄 P502
『所詮仏法を修行せんには人の言を用う可らず只仰いで仏の金言をまほるべきなり』

◇希望の明日へ
高い地位や名声をもつ人ほど卑しい権力の虜となり、いつまでも立場や権益に執着しがちである。まことに醜いかぎりである。
昭63・5・5

☆女性に贈ることば 二月十六日
本当に自分のことを理解してくれる人がいるかぎり、安心して力を出すことができる − それぐらい、心の絆は重要です。
親子の絆、教師と生徒の絆、師弟の鮮と、さまざまな鮮があるが、人生の年給を重ねれば重ねるほど、そのありがたみがわかるようになる。

☆今日のことば 二月十六日
怜悧な、利害打算の多い世の中にあって、もっと無償の行為があってよいのではないかと思う。だまされまいとするあまり、人間らしい善意の芽ばえすらつみ取ってしまっては、味気なさすぎる。

☆100文字の幸福抄
偽ったり、飾ったりしようとすると、
そこにいきおい無理が生ずる。
どんなに高位高官につき、
栄耀栄華を極めても、
虚飾があるかぎり、心からの幸福は味わえぬ。
人間は、ありのままに生きることが
最も楽しいものだ。

☆我らの勝利の大道No.095 幸福の太陽・婦人部(下)
御書には、『一切の法は皆是れ仏法なり』(P566)と明確に説かれている。
ありとあらゆる煩雑な悩みや葛藤が渦巻く、この現実の生活を離れて、「人間革命」もなければ、「一生成仏」もないのである。
時には、「どうして自分ばかりが……」とグチをこぼしたくなることもあるかもしれない。しかし、煩わしい試練と、祈り戦うからこそ、仏の力を出せる。泥が深ければ深いほど、やがて美事な幸福勝利の大輪を咲かせていけるのが、「如蓮華在水」の妙法である。
大聖人が富木尼御前(富木常忍夫人)を労われた一節が、私は思い起こされる。
「(貴女の夫である)富木殿が語られていました。
『このたび、母が亡くなった嘆きのなかにも、その臨終の姿がよかったことと、尼御前(妻)が母を手厚く看病してくれたことのうれしさは、いつの世までも忘れられない』と、(富木殿は)喜んでおられましたよ」(P957、通解)
富木尼は、自らも病気と闘いながら、九十代の高齢の姑を介護していた。
大聖人は、そうした辛労をすべて見通されて、夫である富木殿の感謝の心まで、こまやかに伝えてくださっている。
婦人部の皆様方の日々の奮闘も、御本仏が全てを御照覧であられる。
ゆえに、何かあっても、一切を御本尊に祈念して、一喜一憂せず、淡々と題目を唱え抜いていくことだ。必ず道は開かれる。
そして、その尊い体験こそが、あとに続く後輩たちへ、何よりの希望の励ましとなっていくのである。

◇未来を信じる勇気
アメリカの未来学者ヘンダーソン博士が、ご自身のお母様に捧げた詩の一節を婦人部の皆様に贈りたい。
「本当の勇気とは/日々、人のために働くこと。
本当の勇気とは/見返りも賞讃も求めずに/未来を信じ続けること」
未来を創るのは、今だ。
だからこそ、「信心の炎」をいよいよ燃え上がらせ、勇気凛々、思い切って、この一日を、この一ヵ月を、この一年を、走り抜こう!
私も"創価の母"である婦人部の皆様と共に、創立百周年の未来を盤石にするため、"今再びの常勝の陣列を!"と祈り、幸福勝利へ励ましの春風を送り続けていく決心である。
日々、世界を照らしゆく、新鮮なる「幸福の太陽」と輝く婦人部、万歳!
私と共に、苦労を喜びに変えて、今日も、明日も、朗らかに、勝利、勝利、また勝利の人生を!

妙法の
 無量無辺の
  功徳をば
 浴びたる貴女の
  生命は健やか