2012年12月1日土曜日

2012.12.01 わが友に贈る

正義の魂燃ゆる
東海道の同志よ!
旭日の大生命力で
平和の楽土を築け!
総仕上げの時は今!

三沢抄 P1487
『仏法をがくする者は大地微塵よりをほけれどもまことに仏になる人は爪の上の土よりもすくなし』

◇希望の明日へ
立場や民族を超えた友情を築けるかどうか。それが人類の未来を決する。友情が、二十一世紀のキーワードである。もちろん人間であるかぎり、永遠に、何らかの対立や相克、意見の違いはある。しかし、それで憎しみ合ったり、殺し合いをしたりする必要は絶対にない。皆、地球という「共通の家」に住んでいる人類家族である。
平5・6・22

☆100文字の幸福抄
清々しい声の人でありたい。
声には、その人の真の姿がそのまま表れる。
私がお会いしてきた一流の人物は
例外なく立派な声をされていた。
声は人格である。
声は心である。
ゆえに、心を磨き、声を大切にしてほしい。

☆大白蓮華巻頭言12月号「信仰とは不屈の旗なり」

恐れるな
 蓮華の法は
  何ものも
 乗り越え楽しく
  境涯長者と

人生は早い。月日の経つスピードは、年齢を重ねるごとに、加速していくように感じられるものだ。
日蓮大聖人は、『命限り有り惜む可からず遂に願う可きは仏国也』(P955)と仰せになられた。
大聖人と御一緒にとの思いで、私たちは一日一日を大切に丁寧に、広宣流布の大願に生き抜いていきたい。
誰人にも、月月・日日に、越えねばならない坂があるであろう。
どんなに険しい坂であっても、我らは題目を唱え、同志と励まし合い、断固と上り切っていくのだ。また、必ず上り切ることができる。そして一年の棹尾に、「今年も断じて負けなかった!」「来年も絶対に勝ってみせる!」と不屈の旗を掲げるのだ。これが、「人間革命」の年輪となる。
師・戸田城聖先生の叫びが蘇る。
「つまずき倒れれば、大地を踏みしめて立つように、何度でも立ち上がれる力こそ、信心だよ。何があろうと、びくともするな!」と。
経済苦や病気、また人間関係など、深い悩みに直面する友を、先生は抱きかかえるように励まし続けた。
「難が大きい分、必ず大きく勝ち切れる。今の苦労を糧に、大勢め人を救いゆく大境涯を開いて、常楽我浄の人生を何千回、いな何億回と、楽しく繰り返していけるんだよ!」
妙法に照らして、永遠という次元から見れば、今世の試練は、すべて自他共に金剛不壊の幸福境涯を勝ち取っていくための現象である。
その変毒為薬の実証を示す「心の財」の長者の方々が、日本中、世界中に光っておられるではないか。
ある年の瀬、大聖人は上野尼御前の真心に感謝され、こう記された。
『此の御志は・いかんがせんと・うれしくをもひ候ところに・両眼より・ひとつのなんだを・うかべて候』(P1583)
私には、さながら尊き多宝の母である学会婦人部の皆様方への讃嘆と拝されてならない。
また、この母の信心に続く娘(重須殿女房)へ贈られたのが、正月の御文として有名な十字御書である。
『法華経を信ずる人は・さいわいを万里の外よりあつむべし』(P1492)とは、絶対の約束であられる。
「先駆」の誉れも高き北九州に、夫を戦争で奪われ、郵便配達をしながら、娘を育て上げた女性がいる。戦時中、非国民呼ばわりされても、捕虜の敵兵たちに飲み水を汲んであげた慈愛と信念の母であった。
戦後、平和を願い、広宣流布のため、愛娘と全身全霊で奔走された。悪口罵詈にも怯まず、愛する郷土に立正安国の対話を広げ抜いた。
最晩年は、後継の友たちの何より嬉しい勝利の晴れ姿を見届け、「大九州、万歳!」「創価学会、万歳!」と声高らかに叫び切って、所願満足の人生を飾っていかれたのである。
あまりにも崇高な父母たちが命を賭して築き上げた創価の人材城に、いよいよ民衆凱歌の万歳を轟かせていくのが「青年学会 勝利の年」だ。
古代ローマの哲人セネカは「王者とは、何も恐れぬ者」と結論した。
我らは妙法と共に、恐れなき人間王者、信仰王者の心で、境涯を開き、仏縁を結び、新たな栄光の旗を打ち立てようではないか!

堂々と
 また晴れ晴れと
  この人生
 勝ち抜け断固と
  王者の如くに