2012年12月7日金曜日

2012.12.07 わが友に贈る

愛する北海天地には
燃える開拓魂がある!
いかなる吹雪も烈風も
打ち破る同志がいる!
師弟の三代城よ勝て!

一生成仏抄 P384
『此の旨を深く信じて妙法蓮華経と唱へば一生成仏更に疑あるべからず、故に経文には「我が滅度の後に於て応に斯の経を受持すべし是の人仏道に於て決定して疑有る事無けん」とのべたり、努努不審をなすべからず』

◇希望の明日へ
"朗らかに"人生を生きぬいていただきたい。簡単なようで、じつはそこに信心の一つの要諦がある。幸福を呼び寄せる大切な秘訣がある。"朗らか"のなかには、強さがある。賢明さがある。豊かな心情もある。"芯"の通った人格の輝きもある。幸・不幸を決めるのは、環境ではない。人間である。自分自身の境涯である。弱き人は、幸福そのもののような環境でも不幸を感じる場合がある。強き人は、不幸そのもののような悩みの境遇のなかから、金剛のごとき幸福を打ち鍛え、つくり出すことができる。そして信仰とは最高に"強く"生きぬくことである。悩みも圧迫もすべてをはね返し、ねじり伏せ、わが「精神の王国」には一歩たりとも寄せつけない。すべてを希望への薪とし、幸福へのエネルギーとしていける−−それが王者である。「朗らか王」である。かけがえのない人生である。同じ生きるならば、楽しく生きていきたい。人をも幸福にさせていきたい。そして学会員こそ"金剛宝器戒"を持った「金剛の境涯」の人である。
平2・11・28

☆100文字の幸福抄
世界でたった一つしかない、
自分の命を使って、
どのような人生を生きるか。
この一点を外して、「何のため」という
大目的を見失ったまま、
いかなる富や名声を手にしてもむなしい。
使命とは「命を使う」と書く。

☆我らの勝利の大道No.090「乱世を勝ち抜く」
◇「仏法勝負」の時
この「炭労事件」に続いて起きたのが「大阪事件」であった。
七月三日、私は事実無根の冤罪で拘束され、二週間後に出獄した。身の潔白と正義の証明は、法廷闘争に移ることになった。
七月十七日、中之島の中央公会堂で行われた大阪大会で、私は烈々と叫んだ。
「正しい仏法が、必ず勝つという信念でやろうではありませんか!」──これは、今もなお、私と関西同志の共戦の誓いである。
三ヵ月後の初公判の翌日(十月十九日)、私は同志と京都の宇治川を訪れた。
源平合戦などの"先陣争い"の舞台として名高い、その流れを見つめつつ、関西の友と拝してきた一節をあらためて心肝に染めた。
『今まで生きて有りつるは此の事にあはん為なりけり、此れこそ宇治川を渡せし所よ・是こそ勢多を渡せし所よ・名を揚るか名をくだすかなり』(P1451)
仏法は勝負だ。今この時この場所で、生命を赤々と燃やして戦える。それは、わが人間革命の一世一代の晴れ舞台となるのだ。

いずこの地であれ、勇んで立ち上がる「一人」が、どれほど大切な存在か。
『其の国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ』(P1467)
地域に根差し、決然と「法旗」を掲げて戦う同志を励まされた御金言である。
今、まさに、この通りに地域社会の「柱の人」「宝の人」が、日本中、世界中に躍り出ている。
「地域の幸福責任者」との使命に燃えて、郷土の繁栄を願い、友の幸福を祈りながら、誠実に社会貢献の行動に徹しておられる。
東日本大震災の苦難の被災地にあっても、人びとを励まし、心の絆を結びながら、復興・再生の使命に献身してくださっている。
大聖人も、「貴方が一人立つことが勝利なのだ!」
「貴女がここの広宣流布を担う責任者なのですよ!」と、どれほど御賞讃くださっていることだろうか。
民衆自身が、幸福と平和の強靭なる連帯を、地域から社会へ、世界へ広げていく。ここに、「立正安国」の実像もあるのだ。
『我日本の柱とならむ』(P232)──私の胸には、日蓮大聖人の師子吼が轟いてやまない。
わが弟子だちよ、今いる場所で、師子となって立ち上がれ! 地域の信頼と希望の灯台となって、乱世の闇を照らせ! 威風も堂々と、民衆の幸福と安穏の柱となって、栄光の金字塔を
築きゆこうではないか!

乱世にて
 君も私も
  不屈なる
 闘魂光らせ
  常勝絵巻を。