創価のスクラムは
永遠に異体同心で前進!
新時代を開くのは
我らの決定した一念だ。
勇猛果敢に打って出よ!
撰時抄 P265
『教主釈尊記して云く末代悪世に法華経を弘通するものを悪口罵詈等せん人は我を一劫が間あだせん者の罪にも百千万億倍すぎたるべしととかせ給へり』
◇希望の明日へ
草創の先輩は、長年ともに戦ってきた同志のためにも、自分自身が"幸福の春"を勝ち取らねばならない。後輩の人が、その姿を見て、ああよかった、信心を続けた人はあんなに立派になり、幸福になるのだと、喜んでいかれるだけの歴史を示していかなければならない。
平2・4・29
☆100文字の幸福抄
心は不思議である。心は微妙である。
こちらが悪い感情を抱いていると、
相手にもそれが伝わっている。
こちらが笑顔の思いで提すれば、
相手にも微笑みの心が宿る。
相手はいわば、
自分にとっての鏡のような存在である。
☆我らの勝利の大道No.089 「創立」の原点に誓う
◇広布の大願へ 勇猛精進で!
大輪の
菊花満開
創価かな
十一月十八日「創立の日」を迎える学会本部は今、全国の同志から届けられた菊の花で輝いている。
東京の足立、山梨、茨城の土浦・筑波、京都の友らが丹精込めた菊花が眩い。山科王朝グループの創作屏風も華やかだ。
さらに大阪の泉州総県、また、文化本部の「菊花グループ」等の方々からの真心の大輪も香しい。
日蓮大聖人は仰せになられた。
『菊は草の後に仙草と見へて候、代のおさまれるには賢人見えず代の乱れたるにこそ聖人愚人は顕れ候へ』(P1095)
他の草が秋になって枯れても、菊は咲いているため「仙草」(妙なる草の意)と呼ばれた。同じように、"世の中が乱れている時にこそ、聖人と愚人は明らかになる"と示されている。
試練の時にこそ、人間の真価は光る。ゆえに、苦難にも胸を張り、朗らかに自分らしく開花しゆくのだ。
菊で思い出すのは、昭和五十三年(一九七八年)の「創立の月」、私が大阪・泉佐野市の泉州文化会館を初訪問した時のことである。
この折、会館は千二百鉢を超す菊に彩られていた。わが同志が、一年前から育ててくださったものだ。
どんな時も、寄り添う。温かく、粘り強く励まし続ける。菊作りの労作業は、人材育成にも通じようか。
美事な菊花は、今や地域の名物ともなっている。
この泉州をはじめ大関西の人材城からは、先輩方の熱い激励に包まれ、「負けたらあかん」との常勝の心を継ぐニューパワーの青年が陸続と育っている。
先日、泉州の天地には、新たな宝城・高石文化会館も堂々と誕生した。
わが愛する関西の同志の菊花満開の笑顔が、私には何よりの喜びである。
◇偉大な母に感謝!
泉州文化会館で、妻と共に、一人のご婦人と語り合ったことも懐かしい。
その方は、若くして夫を亡くされ、女手一つで三人のお子さんを育ててこられた。夫が営んでいた会社を継ぎ、自らが社長に就いた。仕事や育児に加え、広布の活動も、一歩も引かずに頑張っておられた。
偉大な母の奮闘を聞き、私は、すぐさま提案した。
「明日、ご主人の法要を行いましょう」
翌日、会館に集ってこられたお子さんに、私は、「日本一のお母さんだよ」と心から讃えた。
人類の幸福といっても、母を大切にすることから始まる。母を大切にする社会は、必ず勝ち栄えていく。
今、ご長男は会社を継ぎ、立派に親孝行の道を歩まれ、錦宝会(多宝会)となられた母も、ますます意気軒昂で、地域広布のために歩かれていると伺っている。
大聖人は、病と闘う富木尼を励まして言われた。
『末法の今の女性が、法華経を信受して、寿命を延ばすことは、秋に稲が実り、冬に菊の花が咲くようなもので、誰が驚くでしょうか』(P985、通解)と。
いかなる宿命も必ずや転換し、人生の四季を「常楽我浄」という生命の実りと彩りで最高に充実させていくために、妙法はあるのだ。
大聖人は、『願わくは、日天、月天よ、尼御前の命に代わって助けられよ』(P978、通解)とまで強く祈られていた。
この御本仏のお心を深く拝し、私と妻も、わが久遠の創価家族の皆様方のご健康とご長寿を、ひたぶるに祈る日々である。
ともあれ、日本、いな世界には、「清浄」「高潔」との菊の花言葉の如き、尊い広布の母が無数におられる。だからこそ、学会は強い。
私たちは、気高き婦人部に心から感謝を捧げたい。