関東の誇り高き友よ!
我らの敢闘精神とは
執念の祈りと行動だ!
異体同心の突破力だ!
堂々たる創価の旗を。
開目抄上 P192
『仏法を学せん人知恩報恩なかるべしや、仏弟子は必ず四恩をしつて知恩報恩をいたすべし』
◇希望の明日へ
仏典に"人のため灯をともせば、自分の前も明るくなる"とある。他の人のために、生命の火を燃やしていけば、自分も温かくなり、明るくなっていく。内側から輝いてくる。その人が教養のある人である。幸せな人である。死や老いを前にしても、たじろがない勇気をもてる人である。
『主婦と生活』平3・1月号
☆100文字の幸福抄
よき友人をもっている人は
強力な「補助エンジン」をつけているようなものだ。
苦しい坂でも励まし合って
力強く進んでいける。
友情は互いに刺激し合い、
人生を向上させ、彩りを宰える。
友人のいる人は「豊かな人」なのだ。
☆我らの勝利の大道No.091 広布大願に走る
◇戦いの中で強くなれ!
「生きるということは、人間の中で生きることだ。人間の中で生きるということは、戦うということだ」
この言葉は、フィリピンの英雄ホセ・リサールの大闘争の雄姿を彷彿させる。
人生は戦いだ。自然界も、社会も、あらゆる次元で戦いの連続である。
戦うからこそ、生命の飛躍がある。発光がある。
光栄にも、今回、この英雄の精神を継承するリサール協会から「ゴールデンハー卜賞」を授与いただき、フィリピンSGIの同志と共に拝受した。
「ゴールデンハート」つまり「黄金の心」である。
それは、何ものにも壊されず、決して朽ち果てることのない、「真金」の魂ともいえよう。
日蓮大聖人は、『金は・やけば真金となる』(P1083)と仰せである。
試練に遭うごとに、いよいよ強くなり、いよいよ輝きを増す。これが、我らの「黄金の心」だ。
誓願を
共に果たさむ
師弟不二
「御義口伝」に宣わく、
『大願とは法華弘通なり』(P736)と。
昭和二十六年(一九五一年)の晴れやかな五月三日、第二代会長就任式で、わが師・戸田城聖先生は、「七十五万世帯の折伏」を師子吼された。
多くの友は"夢物語"と聞いたかもしれない。
◇師弟共戦の呼吸で
しかし私は、師の誓願を全身で受け止め、わが誓いとして燃え上がらせた。
翌年(昭和二十七年)の初め、思うように弘教が進まないなか、師が言われた。
「大作、君が立ち上がってくれないか」
「わかりました。先生がびっくりするような折伏の攻勢に転じてご覧にいれます。先生はゆっくりと見ていてください」
この深き師弟共戦の呼吸から、蒲田支部で1ヵ月の弘教二百一世帯という拡大の歴史も始まったのだ。
蒲田の「二月闘争」を起点に、東京、北海道、関西、中国と、拡大の潮流は、うねりをあげていった。
大躍進の姿に、戸田先生の喜びは、ひとしおであった。師の喜ぶ顔ほど、最高の勲章はない。
そして、昭和三十二年(一九五七年)の十二月、師の誓願であり念願であった、偉大なる七十五万世帯の金字塔は、遂に堂々と打ち立てられたのである。
あれから、五十五星霜。この厳寒の師走も、わが友は、広宣流布の誓願に燃え、"師と共に"と走り抜いてくれている。こんなに嬉しく、有り難いことはない。
大聖人は、相模国(現在の神奈川県)を主戦場とした、「立正安国」の法戦の中で述懐なされている。
『但偏に国の為法の為人の為にして身の為に之を申さず』(P35)
国土の安穏、正法正義の興隆、そして民衆の幸福。ここに、御本仏の「毎自作是念」(毎(つね)に自ら是の念を作(な)す)があられた。
この御一念に、そのまま直結して行動し抜いているのが、創価の師弟である。
だから強い。だから何ものにも屈しない。
たとえ権力や人気があろうが、いかに外面を飾ろうが、その心根が卑しい一身の我利我欲であれば、いずれ庶民の賢者から鋭く見破られ、歴史の厳しい審判を免れないであろう。
そうした浅ましい名聞名利の姿を悠然と見下ろしながら、我らは、どこまでも民衆と共に生き抜く。
最も誇り高音「人間の王道」を、宇宙で無上の「生命の正道」を、堂々と進み切っていくのだ。