青年の熱と力で
広宣流布は大躍進!
本当にありがとう!
皆が新しい決意で
新しい未来へ出発!
佐渡御書 P960
『日蓮を信ずるやうなりし者どもが日蓮がかくなれば疑ををこして法華経をすつるのみならずかへりて日蓮を教訓して我賢しと思はん僻人等が念仏者よりも久く阿鼻地獄にあらん事不便とも申す計りなし』
◇希望の明日へ
信心は何のためにするのか。それは一人残らず幸福になるためである。広布の組織も、そのためにある。この妙法を持ちきった人は、絶対に不幸にはならない。その確信の一念が大切である。大確信が大福運を開いていく。
平4・2・2
☆100文字の幸福抄
結婚を「ゴールイン」というのは
必ずしも適切ではないと思う。
むしろ結婚は新しい「スタート」と
考えてはどうだろうか。
夫は、妻と家庭に対する責任、
妻は、夫と家庭に対する責任を
それぞれ背負ったレースといえる。
☆教学論苑「広宣流布の大願」(2112/10/23)
「我いま仏の 旨をうけ 妙法流布の 大願を 高くかかげて 独り立つ 味方は少なし 敵多し」
1972年(昭和47年)9月7日、霧島の九州研修道場で、池田先生と友にキャンプファイアを囲みながら「同志の歌」を歌った日のことが忘れられない。とりわけ、「妙法流布の大願」との一節を思い起こすたびに、「戸田先生、池田先生の師弟の陣列に連なって、不惜身命で広布に生きる決意を新たにしてきた。
ここでは、法華経化城喩品に説かれる「師弟の因縁」を通して、師と共に広宣流布の大願に生き抜くことこそ無上の人生であることを確認したい。
"「救われる人」から「救う人」へ 師弟共戦の中に自他共の幸福が"
◇「在在諸仏土常与師倶生」
「師弟の因縁」について、化城喩品第7には次のように説かれている。
−−三千塵点劫もの昔、私(釈尊)は大通智勝仏という仏の16番目の王子として活動していた。仏と同じく法華経の教えを広め、民衆を救ってきた。今、私の教えを聞いているあなた方は、遠い過去に私と因縁を結んできたのである−−。
声聞たちは「在在諸仏土常与師倶生」との教えを聞くことで、"三世にわたって、師匠である釈尊と共に戦う使命があるのだ"という「師弟の因縁」を知ることができたのである。
日蓮大聖人は、佐渡の地で弟子となった最蓮房にあてたお手紙の中で次のように綴られている。
「過去の宿縁追い来たって今度日蓮が弟子と成り給うか・釈迦多宝こそ御存知候らめ、『在在諸仏土常与師倶生』よも虚事候はじ」(P1338)
大聖人と最蓮房の過去からの宿縁の深さについて述べた上で、「在在諸仏土常与師倶生」の文を引用し、三世に及ぶ師弟の強い絆を強調されたのだ。
曽谷殿や秋元殿に送られたお手紙の中でも、大聖人はこの一節を引用して、門下の心に希望の明かりをともしておられる。
今世で師と共に妙法流布に生きる人生がどれほど尊いものなのか。
「師壇となる事は三世の契り」(P1070)ーー三世にわたって師と共に戦うことのできる使命の大きさと歓喜があらためて胸に迫ってくる。
◇思い起こした「深心の本願」
法華経化城喩品で「師弟の因縁」を知った声聞たちの歓喜はいかばかりであったであろう。続く五百弟子受記品第8で「唯だ仏世尊のみ能く我れ等が深心の本願を知ろしめせり」と述べるのである。
この「深心の本願(最も深い過去世からの願い)」について、池田先生は次のように語られている。
「法華経では、声聞たちが無量の過去から、『無上の悟りを得たい』『一切衆生を救いたい』という『深心の本願』を持っていたことが明かされます。いわば、声聞たちは、はるかな過去世以来の大願を思い起こすことで、師と同じ菩薩の修行をしていた自分を"発見"し、"自覚"するのです」
"一切衆生の救済"という「深心の大願」を思い起こさせてくれるーー。仏法の実践において師匠の存在が大切である理由がここにあり、師と共に妙法流布の戦いに立ち上がる中に真の弟子の道があるのだ。
法華経に説かれる「戦う師弟の精神」を現代によみがえらせたのが、創価学会である。
「創価学会の確信の精髄は、戸田城聖の「獄中の悟達」にある。法華経に説かれた『在在諸仏土常与師倶生』の文を生命で読んだ戸田の、『われ地涌の菩薩なり』との悟達こそが、学会の魂である」(小説『新・人間革命』第22巻・新世紀の章)
創価三代の師弟に連なる「弟子の道」こそ、成仏の直道にほかならないのだ。
◇自身の宿命が使命に変わる
自分の悩みの克服のみを願う人生から、自他共の幸福の実現のために戦う人生へ。民衆の救済という大願に目覚めたとき、自らがおかれている境遇や取り巻く環境の意味も大きく変わってくる。
「衆に三毒有りと示し 又た邪見の相を現ず 我が弟子は是の如く 方便も衆生を度す」(法華経)
釈尊自身が声聞に対して「自ら貧・瞋・癡の三毒に侵されている姿を示すのも、邪見にとらわれている姿を現すもの全て人々を救うための方便である」と教えているのだ。
『法華経の智慧』で先生は「勝つために自分があえてつくった苦悩なのだから、勝てないわけがない。負けるはずがないのです。『大願』を自覚すれば、つまり『我、本来仏なり』と自覚すれば、自身の宿命すら使命に変わるのです。多くの人々と同じように『悩める民衆』の姿で生まれ、どこまでも『民衆と友に』幸福になっていくーーそれが私どもの使命のドラマなのです」と述べられている。
何の苦悩も葛藤もない平穏な日々を送っているだけでは、人間的な成長は望めない。友の心の痛みの分かる人になることもない。
現実社会の中で苦労を重ねた分だけ境涯が広がり、苦しむ友の心に寄り添い、同苦し、一緒に立ち上がって行ける。草創以来、自身の使命に目覚めた多くの学会員が「人間革命」の挑戦の中でこのことを実感してきた。
◇御本仏の精神をよみがえらせる
日蓮大聖人は、門下に対して「願わくば我が弟子等・大願ををこせ(中略)をなじくは・かりにも法華経のゆへに命をすてよ、つゆを大海にあつらへ・ちりを大地にうづむとをもへ」(P1561)と叫ばれた。
法華経に説かれている「民衆救済の大願」に生き抜けば、「つゆ」や「ちり」が「大海」「大地」と一体化するように、私たち一人一人も、永遠に朽ちることのない仏の境涯を開くことができるのだ。
この御本仏の民衆救済の精神を現代によみがえらせたのが、創価3代会長であり、師と共に広宣流布に戦ってきた無数の創価学会員であることはいうまでもない。
池田先生はかつて詩「青年の譜」でこう綴ってくださった。
「われには われのみの使命がある 君にも 君でなければ 出来ない使命がある」
師匠は教えてくださっている。「全ての人に、その人にしかない使命がある」ことを。
総本部完成の明2013年は、鹿児島の同志にとって、牧口先生の初来訪75周年、池田先生の初来訪55周年の佳節でもある。師と共に戦うことが出来る使命を自覚した全同志と共に広宣流布に邁進し、圧倒的な拡大の結果をもって、「青年学会 勝利の年」を荘厳する決意である。
(鹿児島総県総合長 松元耕一郎副会長)