2012年12月20日木曜日

2012.12.20 わが友に贈る

多忙な年の瀬。
火災や交通事故に注意!
リーダーの声掛けが
皆の心を引き締める。
最高の総仕上げを共に!

女人成仏抄 P471
『経文には一人一日の中に八億四千念あり念念の中に作す所皆是れ三途の業なり等云云』

◇希望の明日へ
現実を離れて仏法はない。また幸福もない。"平凡な""身近な"なかにこそ、人生の本当の幸福もある。また、そういう現実生活に幸福の花を咲かせていくのが仏法であり、「創価(価値創造)」なのである。
平4・7・3

☆100文字の幸福抄
過去に生きる人は、
後ろばかり振り返って、新鮮な魂の輝きがない。
今を生きる女性は、
常に何かに貢献しょうと努力している。
その魂は生き生きとして光っている。
今を生きる女性は、
毎日、力強く、前進する。

☆教学論苑「後継の人材の育成」(2012/08/21)
"民衆と共に戦う陣列に 真の仏法の精神が脈動"
大乗仏教の精髄である法華経。万人成仏を説く法華経における最重要テーマの一つが、"釈尊入滅後の未来に、この法華経を誰が弘めるのか"であった。
「如我等無異」(我が等しくして異なること無からしめん 法華経)。あらゆる人を仏である自分と同じ幸福境涯に、という法華経の精神を未来永劫にわたり流れ通わせることが、日蓮大聖人直結の団体である創価学会の使命であることは論をまたない。ここでは、広宣流布を永遠たらしめるために何よりも大切な「後継の人材の育成」について考えてみたい。

◇原点となった師との出会い
52年前の1960年(昭和35年)3月、中学3年生の時であった。当時、総務であった池田先生が高崎に、いらっしゃると聞き、会場に駆けつけた。
先生は、自作の詩を通して、ご自身の若き日の苦闘や青年の生き方について語ってくださった。
「希望に燃えて 怒涛に向かい たとい貧しき 身なりとも
  人が笑おが あざけよが じっとこらえて今に見ろ」
後になってこの詩が、池田先生が19歳で戸田先生にお会いした直後に読まれた「希望に燃えて」であることを知ったが、「じっとこらえて 今に見ろ」の一節がストレートに私の命に突き刺さり、自らの"生きる力"となった。
2カ月後に第3代会長に就任された池田先生は、以来、全国各地で、そして全世界で、未来へ使命を分かち持つ後継の青年を陸続と育てられた。
その積み重ねによって、人材の流れは大河となり、今日の192カ国・地域に広がる創価学会の大発展が築かれたのである。

◇仏教がインドでなぜ滅んだのか
池田先生が範を示されている「後継の人材の育成」こそ、法華経見宝塔品に説かれる「令法久住」を永遠たらしめる要諦である。
その中で釈尊は、「自分はもうすぐ亡くなるので、この法華経を誰かに託したい」「ここに無数の仏が集まったのも、同じく令法久住のためである」と語るのである。
日蓮大聖人は「顕仏未来記」の中で、"仏教発祥の地・インドにはもはや仏法はなく、中国には大乗経がわずかに残るのみで、実態は形骸化している"ことを指摘されている。そして、仏法を持ち、伝えていく人がいないので、あたかも木石の像が法衣を着、鉢を持っているようなもので、なんの役にも立っていない、と述べられている。

池田先生とインドを代表する知性であるロケッシュ・チャンドラ博士との対談集『東洋の哲学を語る』の「なぜ仏教はインドで滅んだか」との一項は、示唆に富んでいる。
「インドでは、仏教は主として哲学的な機能にとどまりました」「仏教自体が限られた一部の上流階級のものになってしまいました」と語るチャンドラ博士。
それを受けて、池田先生は、インドのネルー初代首相の「『人間の生き方』を身をもって説いた釈尊が、人間を超えた"神"のように権威化されたために、仏教は滅んだ」との言葉を紹介し、日蓮大聖人の仏法が、"人間の実生活から遊離した仏教を人間に取り戻すことを教えたもの"であることに言及。創価学会の運動について「釈尊や大聖人の歩いた『人間の道』を受け継ぐものであり、そのために、仏を権威化して人間を手段にしているものとは、徹して戦うのです」と語られている。
人間を離れたところに、仏法の精神が脈打つことはない。いくら経典が残ろうと、現実に、民衆の中に生き、民衆と共に戦う後継の人材を陸続と育てていくことなくして、広宣流布の運動の永続性はないことを、私たちは知らなければ成らない。
さらに、この教学論苑では、未来部を育む同志に感謝、広布のバトンを親から子へ孫へとのタイトルで広布後継の育成に言及されています。