2012年12月11日火曜日

2012.12.11 わが友に贈る

志燃える四国こそ
平和革命の電源地だ!
勇敢に一人立て!
真実の魂の叫びは
必ず万波と広がる!

上野殿御消息 P1527
『生落されて乳をのむ事一百八十余石三年が間は父母の膝に遊び人となりて仏教を信ずれば先づ此の父と母との恩を報ずべし』

◇希望の明日へ
どんな状況にあっても、"楽しみ"をつくっていける−−その人こそ、幸福である。そうなれるための信仰である。
平3・1・23

☆100文字の幸福抄
桜は桜、梅は梅と、
そのままの姿で最高に美しい。
人間も同じで、誰一人として使命のない人はいない。
希望さえ失わなければ、
その人でしか、もちえない、
最高の輝きを放ちながら、
自分らしい人生を送ることができる。

☆太陽の励まし 池田名誉会長と誓いの同志No.12 会おう!今しかない 千葉
◇君の故郷に行くよ
「野田は、非常に活気のある街です」。名誉会長が、そう言って話し始めた。
72年3月10日、千葉・野田市を初訪問。同市は日本最大のしょうゆの生産地として知られ、工場や物流拠点の誘致、宅地化も進み、急速な発展を続けていた。
「野田にもいよいよ、皆さん方の春がやってきた」
「仲良く、微動だにしない信心で、和合の地域を築いていってください」「明るく伸び伸びと、地域の人々に信頼され、尊敬されながら、新たな自覚で進んでください」
"広布即地域貢献"の方程式を教えたのである。
名誉会長を迎えた市内の会場。その最前列には、当時、創価高校1年生の櫻田秀樹さん、母・ヤヱ子さん、祖母・徳栄さんが並んでいた。
"やっぱり先生は約束を守ってくださった"ーー秀樹さんは感激でいっぱいだった。
"約束"は、68年(昭和43年)12月21日にさかのぼる。
そうか学園の英香料で、中学・高校1期の寮生を囲み、創立者の名誉会長との懇談会が開かれた。
野田市の実家を離れ、寮生活を送っていた中学1年の秀樹さんは、会場となった食堂の最前列左側にいた。
懇談が終わり。全員で外に出ようとする時、席を立った名誉会長が偶然、目の前に。
桜田さんは思い切って言った。「池田先生、皆がお待ちしていますから、野田に来てください!」
そう言葉が口について出たのには、訳がある。
小学校の教員を務めながら、女で一つで育て、学園に送り出してくれた母・ヤヱ子さんの苦労は、よく分かっていた。何度も激励してくれ、合格を喜んでくれた未来部の担当者や、地域の同志のことも、頭から離れなかった。
名誉会長は秀樹さんに行った。「いつか君の故郷を訪れて、君を育ててくれたお母さんの労苦を、心からねぎらいたい」「必ず行くよ!」
野田訪問には、一人の少年との"約束"を果たす意味も込められていたのである。
野田への滞在中、天空に美しい七色の虹がかかった。
名誉会長は詠んだ。
「栄光の 虹かかりけり 野田の友」
その後、櫻田さんの母・ヤヱ子さんは小学校の校長に。
秀樹さんも教員の道を選び、親子2代で小学校の校長。総県教育部長を務める。教育者の一人として、名誉会長の「励ましの哲学」を、ひしひしと、かみしめている。
「3時間かけても何も生まれないことがあれば、先生のように、たった5分で、人生を決めるような出会いを結ぶこともできます。
信じ、受け止め、励まし、心を結ぶ。先生に教えていただいたことを、自分の立場でやり続けたいと思います」
名誉会長は、千葉の友に呼び掛けたことがある。
「時は帰らない。時は矢の如く飛び去る。ゆえに、一日一日が連続的な真剣勝負と、自覚すべきであろう」
その思いで、師匠は、千葉の天地に広布の足跡をしるしていった。
今、使命深き同志も、同じ決心で走る。創価栄光の旭日を仰ぎ見るために!