2011年12月31日土曜日

2011.12.31 わが友に贈る

新聞休刊日

十字御書 P1491
此れをもてなす人は月の西より東をさしてみつがごとく日の東より西へわたりてあきらかなるがごとくとくもまさり人にもあいせられ候なり

◇希望の明日へ
正法を説き、大義のために奔走していたように見えても、心は名聞名利で退転し、民衆のため社会のためという尊い精神を失っていった者がいた。また、正義を演じっつも、じつは名声と富を貧らんがためにのみ行動する者もいた。それは、まさに"形は人でも、本質は畜生"という醜悪な餓鬼の姿にはかならない。出家であれ、在家であれ、言説たくみに法を利用し、法のためをよそおって、自身のみの繁栄を図っていく者は、要するに法を食いものにする邪心の徒であり、食法餓鬼といわざるをえない。仏法は峻厳である。地位や名誉のために法を勝手に悪用した者が、厳罰を受け、やがて悪道の苦海に沈むことは必然であり、これほど恐ろしいことはない。また、敷衍(ふえん)していえば、社会にあって政治や社会事業、学問や芸術、医学等に携わり、本来、社会の進歩や民衆の幸福に貢献すべき立場にありながら、善意の庶民を食いものとし、自己の営利栄達のみに腐心するのも、広義の食法餓鬼といえよう。


☆我らの勝利の大道No.64 創価家族の誇り
青年学会は、何かあっても満々たる生命力で戦い、威風堂々と進み続ける!
それは、なぜか──。
第一に、我らの崇高なる大使命のゆえに、である。
御書には、地涌の菩薩の英姿を『巍巍堂堂として尊高なり』(P211)と示されている。
「巍巍」とは、山々が高くそびえることだ。あたかもヒマラヤの峰々を仰ぐような堂々たる偉容である。
それは、久遠の仏の真実の弟子として、濁世末法に妙法を弘め、人類の平和と幸福を実現しゆく、誓願の大きさの象徴といえよう。
「この世で果たさん 使命あり」と自覚すれば、何を恐れることがあろうか。
第二に、広宣流布という正義の前進には、三類の強敵をはじめ、幾多の嫉妬の迫害が必ず起こる。だから威風堂々と戦うのだ。
経文に、「猶多怨嫉。況滅度後」等とある。正しいゆえに、怨嫉され、悪口罵詈される。難こそ、正義の証しなのである。
なればこそ、『大難来りなば強盛の信心弥弥悦びをなすべし』(P1448)と仰せの如く、昂然と頭を上げ、胸を張るのだ。
厳しい試練があればあるほど、いよいよ威風堂々と強く打って出るのだ!

これが、学会精神である。
この正しき信心と、不撓不屈の実践があったからこそ、学会は強くなり、大発展したのである。
二十世紀の大音楽家で、アルゼンチン・タンゴの巨匠ピアソラは語った。
「何度も何度も壁にぶつかり、何度も何度も立ち上がってきたからこそ、今の私があるのだ」

恩師・戸田城聖先生は言われた。
「宇宙の変むの大もとである南無妙法蓮華経を自身の胸中に涌現させるのが、この大仏法である。ゆえに自分の望む方向に、一年また一年、よりよく変化し、必ず勝利していけるのだ」
わが親愛なる同志の皆様、この一年、本当にご苦労様でした!
皆、どうか体を大切に、創価家族と共に、満々たる希望の新年を!
そして幸福と多宝の勝利の人生を!

青春の
 心を持ちたる
  人生は
 三世に栄ゆる
  極理の道かな