2011年12月2日金曜日

2011.12.02 わが友に贈る

冬の寒さが本格化。
外出する際などには
十分な防寒対策を。
体調管理を万全に
健康第一の日々たれ!

富木殿女房尼御前御書 P990
いのちはつるかめのごとくさいはいは月のまさりしをのみつがごとくとこそ法華経にはいのりまいらせ候へ

◇希望の明日へ
仏といっても特別な存在ではない。戦い続ける心が仏、行動し続ける姿が仏である。魔と戦い切る人が仏なのである。釈尊の菩提樹の下での悟り、末法では日蓮大聖人の竜の口での発迹顕本−−別しては、そういう姿があるが、それも人間としての究極の姿である。決して人間でなくなられたわけではない。凡夫即極が仏法の真髄なのである。そして総じては、仏道修行に励み、広宣流布へ真正面から戦っていく−−その人の信心にこそ仏の姿がある。

☆豊島、台東、墨田、目黒区合同総会「真の人間組織こそ宗教の基盤」S62.12.12
◇あたたかな春の慈愛で友をつつめ
最後に話は変わるが、

もういくつねると お正月
お正月には 凧あげて
こまをまわして 遊びましょう
はやく来い来い お正月

これは、楽しい正月を指折り数えて待つ少年の心を、滝廉太郎作曲のメロディーにのせて歌った、懐かしい童謡である。
次元はまったく異なるが、弘安三年(一二八〇年)「師走」の十二月十六日、御年五十九歳の日蓮大聖人が、正月の待ちどおしさをつづられた御抄がある。それは、四条金吾の妻・日眼女に送られたお手紙で、そのなかで大聖人は次のようにふれられている。
歳もかた(傾)ぶき候・又処は山の中・風はげしく庵室はかご(篭)の目の如し、うちしく物は草の葉・きたる物は・かみぎぬ身のひゆる事は石の如し、食物は冰(こおり)の如くに候へば此の御小袖給候て頓(やが)て身をあたたまらんと・をもへども・明年の一日と・かかれて候へば迦葉尊者の●(けい)足山にこもりて慈尊の出世・五十六億七千万歳をまたるるも・かくや・ひさしかるらん』(P1195)
──今年も暮れとなり、押し詰まってきました。ここ身延は山の中なので風が激しく、しかも庵室はすき間だらけなので、まるでカゴの目のように風が吹きぬけていくのです。下に敷いているものは草の葉、着ているものは紙の衣、体は冷えきって石のようです。食べものも氷のように冷たい──。
戸田先生は、この御文を拝されるたびに、厳冬の身延の大聖人の御生活をしのばれて、いつも涙しておられた。
──ですから、あなた(日眼女)からいただいたこの小袖を、すぐにも身につけ体をあたためようと思ったのですが、お手紙には"これは明年の一日(元旦)に着てください"と書いてありました。この小袖を着られる元旦が本当に待ちどおしい。それはたとえば、迦葉尊者(釈尊の十大弟子の一人)が、ケイソクセンという山に入って、弥勒菩薩の出現を五十六億七千万歳もの間ずっと待たれたのも、今の私と同じように待ちどおしかったのではないかと思われるほどです──と。
このお手紙は、日眼女が白小袖一枚と綿を御供養したことに対して、大聖人が御礼を述べられたものである。
小袖とは、もともと肌着(下着)のことであったが、鎌倉時代のころからしだいに表着としても着用されるようになった。いわゆる"きもの(和服)"のルーツとなったものである。
四条金吾夫人の日眼女は、女性らしい心づかいから、大聖人に正月(元朝)の晴れ着として、真新しい、そして純白な小袖を着ていただきたいと思ったのであろう、そのままの気持ちを添え書きしてさし上げた。
いささか皮肉な見方をすれば、添え書きに"ひとこと多かった"のかもしれない。婦人部の皆さま方も、ひとことでなくして、ふたこと、みこと多い場合があるかもしれない。厳寒の中におられる大聖人には、正月といわず、そくざに身につけてあたたまっていただければよかったのである。
しかし、大聖人は、一枚の白小袖に託して、新年をお祝いしようとする日眼女の精いっぱいの真心を、あますところなく、くみとっておられる。あなたの言われるとおり、がまんして大切にとっておきますよ、新しい小袖が着られるお正月が楽しみですよ、と感謝の思いをこめて「心」の琴線にふれる語りかけをされている。
短い御文ではあるが、身延山中の厳寒が痛いほど身に迫ってくる。とともに、いかなる寒風も奪いさることのできない"心のぬくもり"が伝わってくる。
大聖人が門下一人一人との「心」のふれあいを、どれほど大切にしておられたか──数々の大難にも負けなかった大聖人一門の強さの源泉が、ここにもあったことがうかがえるのである。
大聖人の仏法は、厳冬に向かう富士のごとく峻厳である。とともに、春のようなあたたかな"慈愛"と"人間性"に満ちみちた世界である。冷たい権威に支配されたり、難解な論理だけに貫かれた世界でもない。また、要領や策で成長できる世界でもないのである。
どうか、広布のリーダーである幹部の皆さま方は"透徹した信心"と"あたたかき春の心"の光を放ったお一人お一人であっていただきたいと申し上げ、本日のスピーチとしたい。
(昭和62年12月12日 創価文化会館)