2011年12月25日日曜日

2011.12.25 わが友に贈る

友好を深める時。
さあ行動だ!
一通の手紙でも
一本の電話でも
幸せを願う「心」は届く。

十字御書 P1491
正月の一日は日のはじめ月の始めとしのはじめ春の始め此れをもてなす人は月の西より東をさしてみつがごとく日の東より西へわたりてあきらかなるがごとくとくもまさり人にもあいせられ候なり

◇希望の明日へ
若くして高い立場について、それを自分の力と錯覚し、堕落していった人もいる。それでは、何のための信仰か、わからない。転倒の人生である。期待し、信頼してきた多くの民衆を裏切る罪は大きい。悪い僧侶については、言うまでもない。

☆質問20 生と死の意味を考えています。
どんな人にも必ず使命が!
生きて生き抜け! 一日一日が「かけがえのない宝」

どんな人にも必ず「使命」がある。使命があるから生まれてきたのです。
だから、何があろうと、生きて生きて生きぬかなければならない。
使命──何に「命」を「使」うか。
なぜ自分は生まれてきたのか。それを探求するのが青春です。
あきらめずに挑戦していけば、必ず、自分にしかできない自分の使命がわかってくる。

題目の音声は、死後の生命にも厳然と届いていく。
死後の生命をも救っていけるのです。
戸田先生も若いころ、子どもさんを亡くしたのです。こう言われていた。
「私は、年二十三で『ヤスヨ』という子どもをなくしました。女の子であります。
一晩、私は死んだ子を抱いておりました。そのころ、まだ御本尊様を拝みませんから、もう悲しくて、抱いて寝ていました。
そして別れて、私はいま、五十八歳です。彼女がおれば、当時三歳でありましたから、そうとうりっぱな婦人となっていることと思いますけれども、今世で会ったといえるか、いえないか……。それは信心の感得の問題です。私はその子に会っております。
今生で会うというのも、来世で会うというのも、それは信心の問題です」

これは、子どもを早く亡くした人への励ましとして話されたのです。「今世で、あの子と、また親子の縁が結べますか」という質問に答えての言葉です。

戸田先生は、娘さんの後、奥さんも亡くされた。
子どもや奥さんに先立たれて、苦しみぬいたが、そうやって、ありとあらゆることで苦しんだからこそ、今、大勢の人を励ませるのだ、大衆のリーダーとして、人の心がわかる人間になれたのだと言っておられた。
全部、意味があるのです。その時は悲しくて、苦しんで、やりきれなくても、負けないで生きぬいていけば、あとから「ああ、こういう意味があったんだ」とわかります。それが信心の力です。また、それが人生の真髄です。
どんな苦しいことがあろうと、最後の最後まで生きぬき、戦いぬき、勝たねばならない。
最後に勝てば、その人が「人生の勝者」です。途中で決まるのではない。最後に勝てば、それまでのすべてが「意味があった」と言える。

諸君は二十一世紀を、断じて「平和の世紀」とするために、「生命の尊厳」の哲学を学び、広げていってほしいのです。
正しき生死観を学び、実践し、一日一日を「かけがえのない宝」として大切にして生きてほしい。
そして、この一生で、何百年分もの価値を創り、永遠に輝きわたるような「不滅の人生」を築き上げてほしいのです。
(『青春対話2』から)