「南無妙法蓮華経は
師子吼の如し」
強き生命力で
宿命転換の劇を!
上野殿後家尼御返事 P1506
『故聖霊は此の経の行者なれば即身成仏疑いなし、さのみなげき給うべからず、又なげき給うべきが凡夫のことわりなり、ただし聖人の上にもこれあるなり、釈迦仏御入滅のとき諸大弟子等のさとりのなげき凡夫のふるまひを示し給うか』
◇今週のことば
年末年始を
心を結ぶ対話で飾ろう!
「仏種は縁に従って起る」
誠実な挨拶や年賀状で
友情と仏縁の拡大を!
2011年12月19日
◇希望の明日へ
信仰者にとって一番の恥は退転である。いかなる理由をつけて弁解しょうとも、一人の人間として、これほど、情けない、恥ずかしいことはない。信念は最後まで貫いてこそ信念である。信仰を持った以上、途中で道をそれるのでは、見せかけだけのニセ物の信仰であった証拠である。
質問18 大学進学について悩んでいます。
「自分への挑戦」に勝った人が勝利者
人の何倍も学び抜け! 努力こそ青春の勲章
出た学校によって、自分の一生が、すべて決まるわけではない。
むしろ、自分が「どのように生きるか」という強さ、深さが大事です。その強さ、深さの分だけ、満足と充実の人生を生きていけるものです。
終戦後の混乱期、私か勤めていた戸田先生の会社は、破産状態だった。
しかし、ある先輩が「どんな事態に直面しても、『人生、当たって砕けろ』の精神で行け!」と言ったことが、頭に残っている。
単純な言葉のようだが、人生の大事な真実を教えている。
「当たって砕けろ」という勇気があれば、必ず何らかの道が開けるものです。
「出身校で決まる」のではない。「自分という人間」で決まる。有名校に行ったから幸福か。そうは絶対に言えない。
また、いわゆる二流、三流校に行ったから敗北者か。そんなことは絶対に言えない。小学校を出ただけで偉くなった人は、いっぱいいる。
要するに、「自分への挑戦」に勝った人が勝利者であり、幸福になれるのです。
これが根本です。
だから今、「勉強ができない」「成績が悪い」からといって、受験に挑戦しないというのは、情けないことです。
挑戦する「心」が、挑戦する「人間」をつくる。
そして、その挑戦がどんな結果になろうが、そこに残った「充実感」を誇りとしていきなさい。
大学に行きたいのなら、夜学に行ってもいいし、通信教育もあるし、あとは自分の努力しだいです。
アルバイトをして自分で学費をかせいで大学に行ってもよい。人生には、さまざまな交錯した事情がある。思いどおりにいかないこともある。社会もまた同じである。要は、それに負けないことだ。
長い人生です。希望どおりにいくとはかぎらない。願いどおりにいかない場合が多いのが現実でしょう。
だからこそ、そこに「人生の戦い」があり、「自分との葛藤」がある。
いかにして自分として満足できる「栄光の山」に、たどり着くか。その挑戦が人生です。
今は奨学金の制度もある。頑張れば、さまざまな奨学制度を利用することもできる。
行きたいのであれば、勉強をしなさい。勝つためには努力が必要だ。人の何倍も勉強をしなさい。遊びや空想ではない。
「ああ、一晩たったら、英語を話せるようになっていたらな」とか、「遊びながら秀才になる方法」なんて、絶対にない。努力なくして偉大な業績は残せない。「学問に王道なし」です。皆が驚くほど勉強しなさい。これが根本の考え方です。そして、その努力が、青春時代の尊い、充実した思い出として残るでしょう。それが青春の勲章です。
(『青春対話2』から)