「今生人界の思出」を
共々に築きゆこう!
総仕上げの12月を
悔いなく勝ち飾れ!
御義口伝巻下 P764
『法華の題目は獅子の吼ゆるが如く余経は余獣の音の如くなり』
◇希望の明日へ
"生きているうちに仏になる"とは、どういうことか。大聖人は「法華経を、よく持つ人は、仏身を持つ」と仰せである。大事なのは"よく持つ"ことである。すなわち、何があっても御本尊を離さない。まっすぐに広宣流布の世界に生き抜く。戦い続ける。自行と化他の両方に励んでいく。そこに信心の心が固まっていく。その鍛え上げられた信心にこそ、仏界はある。
☆豊島、台東、墨田、目黒区合同総会「真の人間組織こそ宗教の基盤」S62.12.12
◇時代を見通した戸田第二代会長の先見
さて現代では、良きにつけ悪しきにつけ、宗教も、政治的動向、また「組織化」と無縁の存在ではありえなくなっている。それは現代のように、あらゆる面で政治化や組織化が進められている社会では、宗教にとっても、逃れることのできない宿命的なものとなっている。
少々むずかしい話になって申しわけないが、とくに将来の広布のリーダーである青年部の諸君は、政治的にも社会的にもさまざまな次元から広布の組織について思索し、知っておいていただきたいのである。
その意味で、政治学者の丸山真男氏が、著書『増補版現代政治の思想と行動』(未来社)のなかで論じている"宗教の組織化"についての見解を紹介しておきたい。この点について、丸山氏は次のように述べている。
「政治の本質的な契機は人間の人間に対する統制を組織化することである」。これに対して「人格的内面性を最も本来の棲家とするのは、言うまでもなく宗教である」「現代のこうした圧倒的な政治化と集団的組織化傾向に対して、人間の内面性に座を占める学問や芸術や宗教の立場が殆ど反射的に警戒と反撥の身構えを示すのは理解出来ないことではない」と。
そのうえで、丸山氏は「しかしながら同時にわれわれは古典的な近代国家におけるように私的内面的なものと公的外部的なものとを劃然と分離しうる時代には既に生きていない」と指摘している。
そして「従って今日は内面性に依拠する立場自体が、好ましがらざる政治的組織化に対抗して自主性を守り抜くがためには必然にまた自己を政治的に組織化しなければならぬというパラドックスに当面している。その際政治的なものの範型──効果本位とか、対立の単純化(敵・味方の二分法)とかいったような──に、ある程度まではどうしても我が身をはめ込むことを余儀なくされる。もしこの煉獄を恐れて、あらゆる政治的動向から無差別に逃れようとすれば、却って最悪の政治的支配を自らの頭上に招く結果となろう」と語っている。
つまり、宗教といっても、人間の心の次元のみに閉じこもっているわけにはいかない。もし、精神世界のみに安住し、社会に無関心であれば、すべてをみずからの利益のための手段として利用しようとする権力に、たちまちにとりこまれてしまうだろう。ゆえに確固たる内面性をよりどころとしながら、あえて組織をつくり、自主性を守りぬくために戦っていかねばならないのである。
戸田先生が、戦後再建にあたってつくられた学会の組織は、まさに、この趣旨をふまえたものであった。ここに、広宣流布の成就のために、時代と社会を見とおして組織づくりをされた戸田先生の偉大さがあった。
戸田先生は巻頭言「信仰と組織」のなかで、次のように述べられている。私は、この指導を暗記するぐらい読み、胸に刻んできた。
「わが創価学会は、その信仰の中心に、絶対唯一の御本尊を有し、その組織の根源に七百年にわたる歴史を有して、これを現代化し、科学的にし、今日のりっぱな組織ができあがったのである。この力は、世の模範であるとともに、世の驚異である」と。
これだけの学会の急激な発展は、現代の奇跡といってよい。これも戸田先生がつくられた組織があったゆえである。ゆえに、絶対に邪な権力や悪しき心の者に利用されてはならないし、破壊されてもならない。もし、そうなれば、それは広宜流布と、平和、幸榴への"希望"の破壊であり、消滅であるといっておきたい。
さらに戸田先生は「さて、できあがった組織の発展力を、しみじみ見るのに、この組織を運営し、活発化するものは、信心ある人によることはいうまでもない。これを簡明にいうならば、組織は人によって作られ、人によって運営せられ、人によって有終の美を納めるものである」と述べられている。
結局、「組織」は「人」で決まる。「広布の組織」は、「信心のある人」によるのである。
すぐれたパイロットが、多くの乗客を安全に、快適に目的地まで運ぶことができるように、広布の組織は信心の深き人によってこそ、幸福への航路を墜落も爆破もなく、正しく"飛行"ができるのである。
決して優秀な学校を出たとか、組織の運営能力や弁舌がたくみであるからなどと、錯覚してはならない。すべての根本は中心者の信心の厚薄、浅深によることを、リーダーである皆さま方は忘れないでいただきたい。