2010年12月24日金曜日

2010.12.24 わが友に贈る

死にものぐるいで
頑張り抜く人に
不可能の壁はない。
苦労は人生の宝だ。
全力で挑み勝て!

兵衛志殿御返事 P1090
此れより後もいかなる事ありともすこしもたゆむ事なかれ、いよいよはりあげてせむべし、設ひ命に及ぶともすこしもひるむ事なかれ

◇希望の明日へ
御書の仰せを、そのまま心から確信すれば、自身の境涯は広々と開けてくる。歓喜も出る。自信も出る。感謝の思いもわく。さらに、使命感が込み上げ、自身の無上の歴史をつづる原動力となる。ここに仏法の偉大さがある。反対に、確信なく、つねに他の言葉や権威に紛動されたり、また自身の倣りにとらわれている人は、自分の苦悩の因をつくっているようなものである。自分に負けているからである。指導者は何よりもまずは、"自分に勝つ"人でなくてはならない。

▽韓国・建陽(コニャン)大学からSGI会長に名誉博士号。「人類の教育と文化振興に貢献」と

☆随筆 我らの勝利の大道 「青年よ 快活に対話の波を」
折伏の根本は「祈り」である。そのうえで、友に仏法を語り、幸せの種を植えていく折伏行の中で大事な点を幾つか確認したい。

第一に「勇気」である。
折伏を実践すれば、一人の生命と真摯に向き合い、一人の人生に関わらざるをえない。長年にわたり、大勢の人を折伏してきた人でも、新しき友情を広げゆく対話には勇気がいる。
勇気がないと、その弱い心が壁になる。しかし、まず、相手の人の幸福を真剣に祈る。これほど強いことはない。折伏の闘士は「慈悲の祈り」という勇気の出し方を知っているから、決して負けないのだ。
戸田先生は語られた。
「仏法の真髄は慈悲であるが、凡夫においては、勇気をもって仏法を実践していくことが慈悲に通じる。
仏は『慈悲』で、凡夫は『勇気』で人を救っていくのだ」
と。
ゆえに、相手がすぐに理解できなくとも、確信ある声の響きで、希望の哲学を語り切っておくことだ。
ドイツの哲学者ヘーゲルは、「人間は自分が何であるかを自分の声で現わす」と指摘していた。
折伏の声は、最高の「仏事(仏の仕事)」を為す仏の声なのである。