ヤング・ミセスの友よ!
「何があっても
絶対に負けない」
それが創価の母なり!
四条金吾殿御返事 P1151
『だんなと師とをもひあわぬいのりは水の上に火をたくがごとし』
◇希望の明日へ
捏磐経には、有名な「依法不依人」(法によって、人によらざれ)の文がある。仏法は、あくまでも法が根本である。仏の教えをいっさいの規範にしていかねばならない。それ以外の言葉は、しょせん、あてにならない。いわんや、深き"哲学"も"慈愛"もないエゴの人間の無責任な言動に、振り回されることは、あまりにも愚かである。移ろいやすい人心に動かされていちいち右を見、左を見ているようでは、結局、確たる"自分"がなくなってしまう。それでは最後にみじめになるのは自分自身である。
☆随筆 我らの勝利の大道 「青年よ 快活に対話の波を」
会う人ごとに、「あなた方を敬います、あなた方は皆、菩薩道を行じて必ず成仏するからです」と深く礼拝した不軽菩薩は、皆から猛反発を受け、悪口罵詈、杖木瓦石を浴びせられた。
相手を敬っているのに、反発される。生命の大地を破って眠れる仏性を呼び覚ます精神改革には、それだけ根強い抵抗があるのだ。
しかし、最初は反発があっても、偉大な妙法を説き聞かせたことは、必ず仏性を薫発する縁となる。相手の成仏の因を作ったのである。これが「毒鼓の縁」という法理である。
広宣流布の戦いに無駄なものなど、何一つない。友人の反応に一喜一憂し、前進を止めてしまうことこそが、無慈悲である。
『仏種は縁によって起る是の故に一乗を説くなるべし』(P1467)との御聖訓通り、縁を結んだ分だけ、広宣流布の裾野は広がるのだ。
「友のために」と真剣に悩む、その心こそ仏の心である。それ自体、大いなる人間革命の光なのである。