2010年12月7日火曜日

2010.12.07 わが友に贈る

リーダーの成長が
組織の発展の根本。
「私から変わる!」
「今から始める!」
突破口は自ら開け!

新池御書 P1439
かかる悪所にゆけば王位将軍も物ならず獄卒の呵責にあへる姿は猿をまはすに異ならず、此の時は争か名聞名利我慢偏執有るべきや

◇希望の明日へ
創価学会は、つねに逆境に真っ向から立ち向かってきた。ゆえに大発展した。進歩への不動の道ができあがったのである。逆境がなく、戦いがなかったならば、決して盤石な建設はできなかったであろう。この道は、生命発展の法則であり、学会の永遠の軌道である。

☆第36回本部幹部会 1973.12.16
よく発想の転換ということが言われる。人類の進歩は、絶えず発想の転換、もしくは新しい着眼点を発見しつつ、それを起点としてなされてきたといってよいと思う。
科学の世界においても、近世においても天動説から地動説へと変転したのも、また20世紀においてアインシュタインの相対性理論が生まれたのも、そこには大きな発想の転換がありました。
人間というものは、とかく既存の枠の中に生きようとする習性のようなものがあります。そして、その習性は頑として心の奥に根をおろしていて、いったんそこから脱皮しようとすると、ものすごい勢いで引き止めようとする。これは個人においても、また社会のメカニズムにおいても、同じようなことが言えそうであります。
日本という社会は、とかくこれまで、日本から世界を見てまいりました。個人においても、自分を中心に据えて他人を見ようとするものですが、他人の目をもって自分を見るということも、大切なことであります。これは、地球を中心として考えた天動説から、太陽という他の天体を中心として地球を見直した発想の転換に通ずるものがあります。日本を中心にして世界を見るのではなく、世界の客観的な目で日本を見つめ直すという発想の転換が、いまほど必要な時はないと、私は考える。
発想の転換とは、的確にいうならば「人間の一念の転換」であります。この生命の一念の狂いが、実は日本をこれほどまでに駄目にしてしまった。いったい誰の一念であったのか——ある人は派閥と私利私欲の葛藤に明け暮れ、ある人は学問の権威の座に坐して民衆を嘲笑し、ある人は経済的利益のみを追い求めて諸外国のひんしゅくを買い、ある人は評論家と称してもっともらしい言葉で自分を粉飾し、ある人はエリートという気位に立って弱き人々をいじめ抜いてきたのであります。この一切のエゴの激突のルツボと化した日本の姿を、再び鏡に照らして見直すべきではないかと思うのであります。
"昭和元禄"と呑気に構えていた脆弱な一念が昨今にいたって、脆弱な精神構造として白日の下にさらけ出されてしまったといってよい。
ともあれ、あらゆる指導者たちが、正しい一念に転換することが、今ほど緊急な時代はありません。しかし、それは単なる反省とか意識変革などで変わり得るものではない。思想を支配するものが生命の働きである以上、もっと根源的ななにものかを必要とするのであります。それを私どもは知っている。現代の最も正鵠な一念は、仏法の真髄による生命哲学に帰着しなければならないと思うのであります。