2010年12月21日火曜日

2010.12.21 わが友に贈る

陰で支える友ありて
学会は盤石なり!
諸天も諸仏も大喝采!
その尊き労苦に
感謝と勝利の宝冠を。

王舎城事 P1138
法華経の敵となりし人をば梵天帝釈日月四天罰し給いて皆人にみこりさせ給へと申しつけて候

◇希望の明日へ
学会員は信仰者である。信仰者である以上、「法華経の文」そして「御聖訓」に照らして、どうであるのか。いっさいを、大法を根本の基準として見極め、正しく行動していくべきである。そこに信仰者としての"証"がある。また信仰者ならではの"誇り"があり、"喜び"がある。かりにも無認識な悪口などを、判断の基準にしたり、いささかでも紛動されることがあれば、厳しくいえば、その瞬間から、もはや正しき信仰者とはいえない。

☆随筆 我らの勝利の大道 「青年よ 快活に対話の波を」
御聖訓
末法に入て今日蓮が唱る所の題目は前代に異り自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり』(P1023)
この一年、我が青年部は題目を朗々と唱えながら、"友のために! 地域のために!"と動きに動いた。語りに語り抜いた。
なかでも、創価班、牙城会、また白蓮グループ、さらに音楽隊、鼓笛隊、合唱団の皆さんは、拡大の対話に勇んで先駆したと伺っている。
友人と真剣な対話を重ねても、感情的に反発されたり、なかなか仏法を理解してもらえないと悩む友もいるだろう。
折伏は、御書に仰せ通りの如説修行であり、"難事中の難事"である。そして正法を聞かせる「聞法下種」も、相手が決意する「発心下種」も、功徳は同じである。最高に尊い「如来の事」を行じているのだ。
たとえ、思うような結果が出なくとも、くよくよする必要は全くない。
私も同じであった。どうすれば思いが伝わるのか、相手の心に届くのか−−その繰り返しだった。
ある時には、誠意を尽くして書いた友への手紙が、全部、送り返されてきたこともあった。唇を噛んだ悔しさも、今は懐かしい。
心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱え他をも勧めんのみこそ今生人界の思出なるべき』(P467)との仰せは、人生の年輪とともに深く強く拝される。
祈って動いた一日一日は、もがくような葛藤でさえも、すべて自分自身を鍛える、最高の生命練磨である。胸中に燦然と輝く"信心の土台"となる。