2010年12月31日金曜日

2010.12.31 わが友に贈る

新聞休刊日

富木尼御前御返事 P975
やのはしる事は弓のちからくものゆくことはりうのちから、をとこのしわざはめのちからなり

◇希望の明日へ
人生において、何がすばらしいか。最高の哲学を知ること以上のすばらしさはない。強さはない。そして勉強はやはり、若いときにしておいたほうが得である。私も青年時代から地道に研鑽した。主な御書は暗記するぐらい真剣であった。全部、自分のためである。教学を怠ると、将来、必ず後悔する。自分も根底で自信がもてないし、人にも尊敬されない。若い人は今、学びに学んで「御書の利剣」で、仏敵のいっさいの詭弁やウソを論破する、"教学の勇者"になってほしい。

☆全国最高協議会へのメッセージ
この創立80周年、学会は見事なる大勝利の歴史を残すことができた。
全同志の深き信心と勇敢なる行動、そして、他のどこの世界にもない麗しき異体同心の団結があればこそである。

創立100周年への第一歩をしるす2011年は、創価学会にとって幾重にも重要な節目である。
第一に、初代・牧口常三郎先生の生誕140周年(6月)、第2代・戸田城聖先生の会長就任60周年(5月)である。
両先生に、さらにさらに喜んでいただける慈折広宣流布の拡大と勝利を成し遂げたい。
また、婦人部の結成60周年(6月)である。広布の母たちを、これまで以上に大切にし、宣揚していく一年としたい。
さらに、男女青年部の結成60周年(7月)である。
60年とは、再生・新生の節である。
未来部も、「創価学会後継者の日(5月5日)」制定から35周年である。
不思議なリズムで、新たな「創価青年学会」の成長の時を迎えている。
なお、壮年部も、結成45周年(3月)であることを明記し、意気軒高に進みたい。
聖教新聞も、創刊60周年(4月)である。

◎創立80周年の年は、本当に色々なことがありました。いや、あり過ぎました。先生の言われた通り、「八とは開く義なり。師弟共戦の祈りで境涯•友情•勝利をはつらつと開きゆけ!」を身を持って体験した年でした。
どんなに悲しいことや辛いこと、逆に嬉しいことや楽しいことがあっても、時間は流れて変化していきます。明年は、「我が家族、わが地域、全学会員に諸天善神が入り守護し給え!」とより一層強い祈りを込めて、前進していきましょう!
「創価完勝・青年躍進の年」のご愛読に感謝して!(^^)!

2010年12月30日木曜日

2010.12.30 わが友に贈る

新聞休刊日

上野殿御返事 P1539
日蓮が弟子にせう房と申しのと房といゐなごえの尼なんど申せし物どもはよくふかく心をくびやうに愚癡にして而も智者となのりしやつばらなりしかば事のをこりし時たよりをえておほくの人をおとせしなり

◇希望の明日へ
学会の指導は、御書が根本である。その指導通りに実践したときに、広宣流布は、大きく前進する。幹部は、勝手な私見や、自分の感情を交えて、学会指導を壊してはならない。中心と、ぴったり"心"を合わせたときには、今の十倍の力が出る。

☆全国最高協議会へのメッセージ
リーダーが心を合わせ、呼吸を一致させて、真摯に未来への協議を行うことが、どれほど大切か。
古代ギリシャの格言がある。
「賢者たる者は後で考えるのではなくて前もって考えておかねばならない」(「ドリース喜劇」)
学会も、これまで万事にわたってスピーディーに、先手先手を打ってきた。だから勝った。
時代は目まぐるしく動いている。ますます、この賢者の「真剣さ」が大事になっていると申し上げたい。

わが師・戸田城聖先生は、指導者を常に厳しく戒められた。
その厳しさは慈悲であった。
先生は、「人生は、ちょっとのところで決まる。ちょっとのところで、いい加減になったり、横柄になったり、油断して崩れてしまう」と。
仏法は、永遠に魔との大闘争である。
ゆえに心を引き締め、新たな広宣流布の前進を、勇躍、開始したい。

◇新・人間革命 厳護18
伸一は、十一月二日、男子部長らと語り合った折、一枚のメモ用紙にペンを走らせながら言った。そこには、「創価班」と書かれていた。
「男子部から、いろいろ名称の案が出されたが、『輸送班』に代わる新しい人材育成機関の名称は、『創価班』にしたいと思う。そして、『輸送班大学校』も、『創価班大学校』としよう。
この名前の意味は、創価学会の精鋭中の精鋭として、学会のすべてを運営し、広宣流布の一切を推進していくということだ。そして、一にも、二にも、十にも、ともかく学会を守っていくんだ。その意味から、学会の名前をそのまま冠して、『創価班』としたんだよ。名は体を表すからね。
これからは、『創価班』が中心となって、新しい時代を開いていくんだ。」

2010年12月29日水曜日

2010.12.29 わが友に贈る

尊き配達員の方々
新聞長をはじめ
支えてくださった
すべての皆様に感謝!
明年も共々に勝利を!

松野殿御返事 P1390
日月は地におち須弥山はくづるとも、彼の女人仏に成らせ給わん事疑いなし、あらたのもしやたのもしや

◇希望の明日へ
大聖人は、あくまでも経文中心である。経文に照らしてどうか。いっさいの基準はそこにあった。学会もまた、末法の経典である御書根本に進んできた。大聖人に真っすぐに連なる正道を歩みきっている。

☆随筆 我らの勝利の大道「青年よ 快活に対話の波を」
まさしく地涌の菩薩たちが、全地球を舞台に、威風堂々と、対話の大波を起こしゆく時代となった。
広布の新時代は、未来を生き抜く青年が創るのだ。青年が照らし、晴れ晴れと勝ち開くのだ。
ドイツの思想家ニーチェ
「おまえはおまえ自身をのりこえて登らなければならない。−−上へ、上方へ、おまえがおまえの星々をも眼下に見下ろすようになるまで!」
青年よ、我が対話の英雄たちよ、勇んで民衆の大地へ飛び込め!友情光る対話の旋風を起こしゆけ!

2010年12月28日火曜日

2010.12.28 わが友に贈る

「友にあふて礼あれ」
古い友情を大切に
新しい仏縁を結べ!
誠実な声と振る舞いで
有意義な年末年始を!

新池御書 P1439
うれしきかな末法流布に生れあへる我等かなしきかな今度此の経を信ぜざる人人

◇希望の明日へ
御書といっても広宣流布に向かいゆく信心がない者にとっては、現実には価値を生まない。御者は末法の広宣流布のために過された御本仏の経典である。

▽お世話になった方に一年のお礼を。「ありがとう」の一言は心温まる贈り物

☆随筆 我らの勝利の大道「青年よ 快活に対話の波を」
この「竜門の滝」には、多くの魚が集まって登ろうとする。だが、激しい水の抵抗や、鳥や漁師からも狙われ、容易に登り切ることができない。しかし、その困難を突き抜けて登り切った魚は竜となる。
「登竜門」の語源となった話である。
この故事を通し、大聖人は、成仏がいかに困難かを示してくださった。
堅忍不抜の執念を持ち、戦い続ける人、信心し切った人こそ、真実の勝利を手にできることを、若き門下に教えられたのであろう。
学会の組織は、この大聖人の仰せ道りに、皆が一生成仏の信心を全うするためにある。最高の善知識だ。
大聖人は、時光に対し、『たがふ事あらば・いよいよ悦びとこそおもひて』(P1542)とも仰せである。
思うようにいかないことがあればあるほど、悦び勇んで立ち向かっていくのだ。何があっても強気で、思い切り戦い抜いていくのだ。これが創価の青年である。学会精神である。
ひとたび、戦いを起こしたからには、「能忍(能く忍ぶ)」という仏の大力を発揮して、勝利するまで、前へ前へと進むのだ。
明年で青年部の結成より六十周年。いやまして切磋琢磨し合いながら、"青春の登竜門"を堂々と勝ち登っていただきたい。

2010年12月27日月曜日

2010.12.27 わが友に贈る

「悪は多けれども
一善にかつ事なし」
正義こそ学会の魂だ。
尊き創価の大行進を
大聖人が御賞讃!

経王殿御返事 P1124
師子王は前三後一と申してありの子を取らんとするにも又たけきものを取らんとする時もいきをひを出す事はただをなじき事なり

◇今週のことば
我らは勝った!
この一年ありがとう!
福智は無量に光る。
さあ 師弟は一緒に
明年も戦い勝とう!
2010年12月27日

◇希望の明日へ
世間の波音がいかに騒がしくとも、問題ではない。根幹となるのは、御書に照らしてどうか、経文に照らしてどうかである。この確固とした基準に立ち、いっさいを悠然と見おろしながら、強き信心で進んでいくことである。そこに、正邪を見ぬく知恵がわく。悪と戦う勇気がわく。あらゆる問題を解決し、幸福を勝ち取る力がわいてくる。この"仏法の眼""信心の眼"を忘れ、世間の風評などに惑わされれば、結局、魔に紛動され、屈服してしまうことになる。

☆随筆 我らの勝利の大道「青年よ 快活に対話の波を」
戸田先生の青年訓
「奮起せよ! 青年諸氏よ。
 戦おうではないか! 青年諸氏よ」
「班長に告ぐ」の謄写版で刷ったワラ半紙は、青年の手から手に、津波のように渡っていった。
二年後に入会した新潟のあり青年は、そのワラ半紙を手に一人立ち上がった。
「撰時抄」に曰く−−
日蓮が法華経を信じ始めしは日本国には一�・一微塵のごとし・法華経を二人・三人・十人・百千万億人・唱え伝うるほどならば妙覚の須弥山ともなり大涅槃の大海ともなるべし仏になる道は此れよりほかに又もとむる事なかれ』(P288)
広宣流布とは、一人から一人への「対話拡大」「仏縁拡大」に実質がある。
戸田先生は言われた。
「われ自ら南無妙法蓮華経なりと決めきって、妙法を流布していくんだよ」
わが青年部諸君よ、私と共にもう一度、"青年学会"を創るのだ。さらにさらに強く大きく、広宣流布を推し進めていただきたい。
未来は青年の「熱」と「力」で決まる。いや、断固として決めるのだ!

2010年12月26日日曜日

2010.12.26 わが友に贈る

青年に対しては
春風の如く暖かく!
「自分よりもずっと
偉大になる人だ」と
尊敬の心で接するのだ。

法華証明抄 P1587
鬼神めらめ此の人をなやますは剣をさかさまにのむか又大火をいだくか、三世十方の仏の大怨敵となるか

◇希望の明日へ
道理に外れた無法を行っている人には、道理を守っている人の方が曲がって見える。首を傾けて見ていて、それが真っすぐだと信じている人のようなものである。周囲の人が間違っているのではない。自分が、正しい"基準"を失っているのである。こういう人にだまされてはいけない。従ってはいけない。学会はどこまでも変わらない。どこまでも御本尊が根本、御書が根本であり、基準である。この不変の軌道を歩んでいけばよい。

▽偉い人とは「皆を偉くする人」「皆を敬う人」恩師 人材・躍進へリーダーが先駆

☆随筆 我らの勝利の大道 「青年よ 快活に対話の波を」
第三に「団結」である。
創価学会ほど、人間味あふれる温かな心の世界はない。その世界にふれて、皆、発心できるのである。
折伏に懸命に戦う友を、皆で応援していきたい。異体同心の団結ありてこそ、広宣流布の折伏は進む。

ブロックや地区、支部をあげて、青年の挑戦を全力で応援し、皆で祈り、励ましていく。そこに、青年学会が一回りも二回りも、大きく広がる道がある。

2010年12月25日土曜日

2010.12.25 わが友に贈る

子どもたちの話に
じっくりと耳を傾け
心温まる冬休みを!
創立100周年の主役達に
宝の思い出を贈ろう。

開目抄下 P235
我並びに我が弟子諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護なき事を疑はざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ

◇希望の明日へ
善知識とは御書に、『一向・弟子にもあらずある事なり』(P202)−いっこうに師でもない。いっこうに弟子でもないのであると仰せのごとく、正しき信仰への善縁を言う。しかし、師匠ではない。それが、あいまいになってくると、どこかに狂いが生ずるものだ。仏法の根本の師匠は日蓮大聖人であられる。ゆえに、どこまでも御書を深く拝さねばならない。教学を徹底して深めていくことである。

▽見えない所で活躍する人に激励を−恩師。創価は一人を大切にして大興隆
▽御書『いよいよ悦びとこそおもひて』。逆境こそ成長の時。強く祈り勝て

☆随筆 我らの勝利の大道 「青年よ 快活に対話の波を」
第二に「真心」である。
十九歳で信心した私もそうだったが、広大深遠なる仏法を完璧に理解して入会する人などいない。
「宿命転換」等の哲理を語る学会員の言葉の端々に溢れる確信に、心を動かされた人もいる。何よりも、紹介者の誠実な振る舞いへの信頼や、自分を思ってくれる真心への感動に、背中を押されるものだ。
近年、興味がない、悩みがないなどと、無関心で無気力な反応をする若者も多いといわれる。だが、その人を思う、こちらの真心は必ず伝わっていく。

「閉ざされた心」を開くのは、相手の幸せを願う「開かれた心」である。
開かれた心で率直に語る−−その力は実に大きい。

2010年12月24日金曜日

2010.12.24 わが友に贈る

死にものぐるいで
頑張り抜く人に
不可能の壁はない。
苦労は人生の宝だ。
全力で挑み勝て!

兵衛志殿御返事 P1090
此れより後もいかなる事ありともすこしもたゆむ事なかれ、いよいよはりあげてせむべし、設ひ命に及ぶともすこしもひるむ事なかれ

◇希望の明日へ
御書の仰せを、そのまま心から確信すれば、自身の境涯は広々と開けてくる。歓喜も出る。自信も出る。感謝の思いもわく。さらに、使命感が込み上げ、自身の無上の歴史をつづる原動力となる。ここに仏法の偉大さがある。反対に、確信なく、つねに他の言葉や権威に紛動されたり、また自身の倣りにとらわれている人は、自分の苦悩の因をつくっているようなものである。自分に負けているからである。指導者は何よりもまずは、"自分に勝つ"人でなくてはならない。

▽韓国・建陽(コニャン)大学からSGI会長に名誉博士号。「人類の教育と文化振興に貢献」と

☆随筆 我らの勝利の大道 「青年よ 快活に対話の波を」
折伏の根本は「祈り」である。そのうえで、友に仏法を語り、幸せの種を植えていく折伏行の中で大事な点を幾つか確認したい。

第一に「勇気」である。
折伏を実践すれば、一人の生命と真摯に向き合い、一人の人生に関わらざるをえない。長年にわたり、大勢の人を折伏してきた人でも、新しき友情を広げゆく対話には勇気がいる。
勇気がないと、その弱い心が壁になる。しかし、まず、相手の人の幸福を真剣に祈る。これほど強いことはない。折伏の闘士は「慈悲の祈り」という勇気の出し方を知っているから、決して負けないのだ。
戸田先生は語られた。
「仏法の真髄は慈悲であるが、凡夫においては、勇気をもって仏法を実践していくことが慈悲に通じる。
仏は『慈悲』で、凡夫は『勇気』で人を救っていくのだ」
と。
ゆえに、相手がすぐに理解できなくとも、確信ある声の響きで、希望の哲学を語り切っておくことだ。
ドイツの哲学者ヘーゲルは、「人間は自分が何であるかを自分の声で現わす」と指摘していた。
折伏の声は、最高の「仏事(仏の仕事)」を為す仏の声なのである。

2010年12月23日木曜日

2010.12.23 わが友に贈る

信心の指導とは
御本尊の偉大さを
伝えることだ。
自らの体験の上から
大確信で語ることだ。

御義口伝巻上 P734
日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は一同に皆共至宝処なり、共の一字は日蓮に共する時は宝処に至る可し不共ならば阿鼻大城に堕つ可し云云

◇希望の明日へ
御書を拝し、御書の通りに行動していけばよいのである。御者を学び、御書を信じての信心が大切である。創価学会は、これまでも、いっさい、御書の通りに前進し、純粋な広宣流布への活躍をしてきた。ゆえに迫害があり、発展もあった。つまり、世間には誤解や無認識な評論も多々ある。しかし仏法者は仏法者らしく、御聖訓の通りに歩んでいけばよい。その行動の究極は、最後には必ず勝利の人生となっていくのである。

▽人材の要件は
(1)勇気
(2)努力
(3)勝利
恩師。共に我が地区を盤石な創価城に

☆随筆 我らの勝利の大道 「青年よ 快活に対話の波を」
法華経を一字一句も唱え又人にも語り申さんものは教主釈尊の御使なり』(P1121)
「使命の華」と舞いゆく青春は、なんと尊く、美しく、そして明るいことか。
我もいたし人をも教化候へ』(P1361)−−真剣に題目を唱え、一人、また一人と仏縁を結ぶ。この偉大で崇高な乙女の信心が、幸福と希望のスクラムを広げているのだ。

2010年12月22日水曜日

2010.12.22 わが友に贈る

尊き使命の道を歩む
ヤング・ミセスの友よ!
「何があっても
絶対に負けない」
それが創価の母なり!

四条金吾殿御返事 P1151
だんなと師とをもひあわぬいのりは水の上に火をたくがごとし

◇希望の明日へ
捏磐経には、有名な「依法不依人(法によって、人によらざれ)の文がある。仏法は、あくまでも法が根本である。仏の教えをいっさいの規範にしていかねばならない。それ以外の言葉は、しょせん、あてにならない。いわんや、深き"哲学"も"慈愛"もないエゴの人間の無責任な言動に、振り回されることは、あまりにも愚かである。移ろいやすい人心に動かされていちいち右を見、左を見ているようでは、結局、確たる"自分"がなくなってしまう。それでは最後にみじめになるのは自分自身である。

☆随筆 我らの勝利の大道 「青年よ 快活に対話の波を」
会う人ごとに、「あなた方を敬います、あなた方は皆、菩薩道を行じて必ず成仏するからです」と深く礼拝した不軽菩薩は、皆から猛反発を受け、悪口罵詈、杖木瓦石を浴びせられた。
相手を敬っているのに、反発される。生命の大地を破って眠れる仏性を呼び覚ます精神改革には、それだけ根強い抵抗があるのだ。
しかし、最初は反発があっても、偉大な妙法を説き聞かせたことは、必ず仏性を薫発する縁となる。相手の成仏の因を作ったのである。これが「毒鼓の縁」という法理である。
広宣流布の戦いに無駄なものなど、何一つない。友人の反応に一喜一憂し、前進を止めてしまうことこそが、無慈悲である。
仏種は縁によって起る是の故に一乗を説くなるべし』(P1467)との御聖訓通り、縁を結んだ分だけ、広宣流布の裾野は広がるのだ。
「友のために」と真剣に悩む、その心こそ仏の心である。それ自体、大いなる人間革命の光なのである。

2010年12月21日火曜日

2010.12.21 わが友に贈る

陰で支える友ありて
学会は盤石なり!
諸天も諸仏も大喝采!
その尊き労苦に
感謝と勝利の宝冠を。

王舎城事 P1138
法華経の敵となりし人をば梵天帝釈日月四天罰し給いて皆人にみこりさせ給へと申しつけて候

◇希望の明日へ
学会員は信仰者である。信仰者である以上、「法華経の文」そして「御聖訓」に照らして、どうであるのか。いっさいを、大法を根本の基準として見極め、正しく行動していくべきである。そこに信仰者としての"証"がある。また信仰者ならではの"誇り"があり、"喜び"がある。かりにも無認識な悪口などを、判断の基準にしたり、いささかでも紛動されることがあれば、厳しくいえば、その瞬間から、もはや正しき信仰者とはいえない。

☆随筆 我らの勝利の大道 「青年よ 快活に対話の波を」
御聖訓
末法に入て今日蓮が唱る所の題目は前代に異り自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり』(P1023)
この一年、我が青年部は題目を朗々と唱えながら、"友のために! 地域のために!"と動きに動いた。語りに語り抜いた。
なかでも、創価班、牙城会、また白蓮グループ、さらに音楽隊、鼓笛隊、合唱団の皆さんは、拡大の対話に勇んで先駆したと伺っている。
友人と真剣な対話を重ねても、感情的に反発されたり、なかなか仏法を理解してもらえないと悩む友もいるだろう。
折伏は、御書に仰せ通りの如説修行であり、"難事中の難事"である。そして正法を聞かせる「聞法下種」も、相手が決意する「発心下種」も、功徳は同じである。最高に尊い「如来の事」を行じているのだ。
たとえ、思うような結果が出なくとも、くよくよする必要は全くない。
私も同じであった。どうすれば思いが伝わるのか、相手の心に届くのか−−その繰り返しだった。
ある時には、誠意を尽くして書いた友への手紙が、全部、送り返されてきたこともあった。唇を噛んだ悔しさも、今は懐かしい。
心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱え他をも勧めんのみこそ今生人界の思出なるべき』(P467)との仰せは、人生の年輪とともに深く強く拝される。
祈って動いた一日一日は、もがくような葛藤でさえも、すべて自分自身を鍛える、最高の生命練磨である。胸中に燦然と輝く"信心の土台"となる。

2010年12月20日月曜日

2010.12.20 わが友に贈る

多忙な年の瀬。
火災や事故や犯罪を
断じて寄せ付けるな!
信心しているからこそ
百千億倍の用心を!

高橋殿御返事 P1467
大悪は大善の来るべき瑞相なり、一閻浮提うちみだすならば閻浮提内広令流布はよも疑い候はじ

◇今週のことば
年末年始だからこそ
会える人がいる。
年賀状で心を結べる。
楽しく仏縁を広げ
友情と境涯の拡大を!
2010年12月20日

◇希望の明日へ
どこまでも真剣に御聖訓を拝し、御聖訓のままに行動していくことが、創価学会の永遠の規範である。

☆随筆 我らの勝利の大道 「青年よ 快活に対話の波を」
人間は、対話の中でこそ、真の人間に成長する。
対話とは、相手から学ぶことである。そこには相手への尊敬がある。だから語り合う言葉が生まれる。
相手から学べば、自分も豊かになる。だから豊かな対話には喜びがある。幸福がある。平和がある。
対話それ自体が、人間勝利の証なのだ。

2010年12月19日日曜日

2010.12.19 わが友に贈る

会場提供者の皆様
一年間ありがとう!
近隣の方々にも深謝!
地域の安心の宝城を
皆で大切に守れ!

松野殿女房御返事 P1394
女人の御身としてかかる濁世末代に法華経を供養しましませば、梵王も天眼を以て御覧じ帝釈は掌を合わせてをがませ給ひ地神は御足をいただきて喜び釈迦仏は霊山より御手をのべて御頂をなでさせ給うらん

◇希望の明日へ
幹部が話をする際も、"今、皆は何を望んでいるのか""何を聞きたいのか"と、参加者の心が基準になければならない。皆が疲れているときには温かな励ましを送り、新たな前進の進路を知りたいときは明確な目標、指針を示していける、賢明なリーダーであってほしい。

☆随筆 我らの勝利の大道 「青年よ 快活に対話の波を」
病気や家庭、人間関係等で悩む友もいる。
しかし、若々しい生命は負けない力を持っている。
仏法は「本因妙」だ。現在から未来を開いていくダイナミックな宗教である。試練をはね返す逞しい心のバネを持てるのだ。

誰人であれ、自分の人生のターニングポイント(転換点)がある。いかなる逆境にあっても、「今ここ」を、新たな自分の躍進勝利への「スタートライン」にすることができる。
仏法の「変毒為薬」の法理に則るならば、いかなる苦難の現実に直面しようが、悠然たる楽観主義で挑んでいける。
大悪をこれば大善きたる』(P1300)と達観して進めばよい。
混沌と揺れ動く社会だからこそ、堂々と胸を張り、「私はこう生きる」と、自身の信念と正義の道を貫くことだ。ここにこそ、日蓮仏法を持つ、誇り高き生き方がある。

◎昨日は、寺井副会長をお呼びしての座談会、今日は野口総千葉少年部長を招いての少年少女部員会と、週末の大きな会合を無事に乗り越えることができました。
いま、ホッと一段落して、これから「わが友」を送ります。

2010年12月18日土曜日

2010.12.18 わが友に贈る

友の幸福を祈る
強き一念は
必ず伝わる!
希望の大哲学を
勇気で語り抜け!

衆生身心御書 P1595
設いこうをいたせどもまことならぬ事を供養すれば大悪とはなれども善とならず

◇希望の明日へ
指導は、言うまでもなく"信心指導"が根本であるが、そのうえで、ただ"信心すれば何とかなる"と教えるのは指導ではない。相手の立場に立って、よく話を聞いてあげ、自分のわからないことは、わかる人を教えてあげたり、その人がどうすればよいのか、具体的に示してあげる必要がある。信心根本の、常識的かつ、細やかな指導−これが本当の指導である。

▽人の価値は人々の善心を育むかどうかで決まる−アインシュタイン。創価の友は模範

☆随筆 我らの勝利の大道 「青年よ 快活に対話の波を」
フランスの哲人デカルトの『方法序説』
「行動せよ、そして希望を持て」
今、創価の我らは、新しい歴史の扉を開け、希望に燃えて出発した。
創立80周年から百周年へ! さらには民衆勝利の万年へ!

マサチューセッツ大学ボストン校のモトリー学長
「皆さんがいる限る、私たちの未来は明るい。一人ひとりが自分の持つ力を最大限に発揮することが、社会への最大の贈り物になります」
わが後継の青年たちを、世界の識者が讃え、心から期待してくださる。これに勝る喜びと誉れはない。
百周年への私たちの出発は、「青年の成長」という未来への大いなる希望からスタートしたといってよい。

牧口先生が線を引かれて大切にされた御聖訓には、『深く信ずる者は満月の闇夜を照らすが如し』(P1501)と仰せである。
わが創価の同志が、いやまして円融円満の智慧と歓喜と和楽の大光に包まれゆくことを、私は祈りたい。

未来のために尽くす人は未来と共に生き続ける。
青年のために尽くす人は青年と共に生き続ける。
ゆえに、創価の世界は、常に若く、不滅である。

2010年12月17日金曜日

2010.12.17 わが友に贈る

多忙な年末
価値創造の一日は
朝の深き祈りから!
満々たる生命力で
悔いなき自分史を!

新池御書 P1440
始より終りまで弥信心をいたすべしさなくして後悔やあらんずらん、譬えば鎌倉より京へは十二日の道なり、それを十一日余り歩をはこびて今一日に成りて歩をさしをきては何として都の月をば詠め候べき

◇希望の明日へ
指導者は指導力がなければ指導者ではない。リーダーはどんな状況にあっても、皆が心から納得し、心に掛りをもって進めるよう、力をつけていかねばならない。自分が成長することである。自分が学ぶことである。尊大な人は、必ず行き詰まる。自分を磨きぬいた人が勝つのである。

2010年12月16日木曜日

2010.12.16 わが友に贈る

人材は必ずいる!
見つけ出すのだ。
励まし育てるのだ。
一人一人の才能を
開花させる名指揮を!

乙御前御消息 P1220
古への御心ざし申す計りなし其よりも今一重強盛に御志あるべし、其の時は弥弥十羅刹女の御まほりもつよかるべしとおぼすべし

◇希望の明日へ
指導者は一人一人の人生を、そして全体を勝利へと導くのが使命である。そのために指導もある。そのポイントは、相手の一念を変えるところにある。一念が変われば祈りが変わり、行動が変わる。一念三千と説かれるように、目に見えない一念の微妙な変化が、すべてを大きく変えていく。その転換をさせていくのが名指導者である。

▽宇宙は刻々と変化。皆も生まれ変わるのだ−恩師青年学会の息吹で前進。
▽御書「いつも・たいせず信ずるなり」朗々と朝の勤行を。持続が勝利の力

☆人材育成の要諦
1.訓練=トレーニング
2.擁護=サポート
3.指導=ガイダンス
4.教授=ティーチング

2010年12月15日水曜日

2010.12.15 わが友に贈る

わが地区から
大歓喜の題目を!
地涌の人材を!
勝利の旗を!
3指針で壁を破れ。

四条金吾殿御返事 P1118
法華経の信心をとをし給へ火をきるにやすみぬれば火をえず、強盛の大信力をいだして法華宗の四条金吾四条金吾と鎌倉中の上下万人乃至日本国の一切衆生の口にうたはれ給へ

◇希望の明日へ
一人の人間の生命を揺さぶり、動かしながら、正しい成仏の軌道へと、導いていく−これが折伏の道であり、学会の指導の本義である。

▽会館を厳護する牙城会・王城会・宝城会に感謝!無事故への祈り、我らも
▽『心の思いを響かして声を顕す』御書。親子の心通う語らいで信心継承を

☆随筆 人間世紀の光 「絶対勝利の信心」 2004.02.23
一個の人間が、己心の善悪の闘争に勝つか、負けるか。その勝負が、やがて国家や文明の命運をも左右する。この一点を深く知るべきだ。
ゆえに、善は悪に勝たねばならない。勝てば人間は幸福であり、負ければ不幸だ。
昨年十二月、学会の「永遠の指針」の一つとして、「絶対勝利の信心」を掲げた理由もここにある。
私は、会員の皆様に、一人残らず幸せになっていただきたい。その心は、師匠・戸田先生と全く同じである。
 「一家和楽の信心」
 「各人が幸福をつかむ信心」
 「難を乗り越える信心」
——先生が最初の三指針を全同志に贈られたのは、悲願の七十五万世帯の達成に沸き返った、昭和三十二年十二月の本部幹部会のことであった。
当時、大半の学会員は信仰歴も浅く、これからが人生の本当の勝負だった。
その長い前途を思い、先生は、「何のための信心」か、明確な指標をくださったのだ。
今回、弟子の私は、これまでの三指針に、
 「健康長寿の信心」
 「絶対勝利の信心」
の二項目を加えさせていただいた。

「永遠の五指針」は、恩師と私の、師弟不二の"合作"となったのである。

2010年12月14日火曜日

2010.12.14 わが友に贈る

寒さ増す朝を走る
無冠の友に感謝!
早めの就寝を心掛け
どうか絶対無事故で。
周囲も最大の配慮を!

報恩抄 P293
畜生すらかくのごとしいわうや人倫をや

◇希望の明日へ
"聞く""耳を傾ける"ことが、いかに大切であるか。信仰の同志に対しては真撃に耳を傾け、言いたいことを聞いてあげることが、激励・指導の出発点である。ただガーガーとしゃべってばかりいて、いっこうに人の言葉を開かない幹部は、すでにリーダーとして失格である。

☆随筆 人間世紀の光 「世界を照らせ 千葉の旭日」 2004.06.20
日蓮大聖人の御聖誕の意義深き聖地ともいうべき千葉県にあって、皆様は、断固と広宣流布の先頭に立ってこられた。
胸を張り、あらゆる絶望も乗り越えて、一生涯の勝利のために戦いゆく尊き姿よ!
「日本一」そして「世界一」の「わが千葉の勝利」が合言葉である。
眩しき太陽の下で、また星の煌めく夜空の道で、親しみ深き友と友と、千葉の天地の隅々まで目を凝らしながら、粘り強く戦ってくれ給え!
もう一度、わが大使命に目覚めよ!
旭日の千葉の同志よ!
一人ももれなく、この一生をば、勝利と栄誉で飾ってくれ給え!

そこには、悔いなき君に、栄光の正義の冠と、名誉ある勝利の花を、皆が、そして諸天善神が掲げて、祝福してくれるであろう。

2010年12月13日月曜日

2010.12.13 わが友に贈る

新聞休刊日

四条金吾殿御返事 P1193
何となくとも殿の事は後生菩提疑なし、何事よりも文永八年の御勘気の時既に相模の国竜の口にて頚切られんとせし時にも殿は馬の口に付いて足歩赤足にて泣き悲み給いし事実にならば腹きらんとの気色なりしをばいつの世にか思い忘るべき

◇今週のことば
明るく清々しく
新年へ出発の座談会だ。
仏法は「人の振舞」なれば
会場の御家庭に感謝を!
近隣へ深き心配りを!
2010年12月12日

◇希望の明日へ
軽度の心の痛の人は、いよいよ増加している。そういう人には強烈な激励は逆効果になる場合が多い。むしろ粘り強く、静かに話をよく聞いてあげ、同苦していく包容力がポイントとなる。たとえば何か相談すると、話もろくに聞かずにいつも「とにかく題目をあげればいいんだ!」では、やりきれない。たとえ真実ではあっても、相手が納得できなければしかたがない。"真理である"ことと"説得力がある"ことは違う。その人にどう"信心の力""唱題の力"を確信させ、発心させていくか。そこまでに至る力が指導力である。

☆新・人間革命 厳護5
牙城会
 君達ありて
  創価城
 栄え 勝ちなむ
  広宣流布へと

創価の師子を育てようと、学会本部をはじめ、会館の警備にあたる青年たちの人材育成機関として「牙城会」が結成されたのは、一九七一年(昭和四十六年)の二月であった。
その十年ほど前から、男子部などが、学会本部や会館の警備にあたり、戸締まりや火の元などの点検も行ってきた。
山本伸一は、陰で黙々と、本部、会館を守ってくれているメンバーに、深く感謝し、折々に激励を重ねてきた。
「見える処より 見えない処に」とは、作家の武者小路実篤の言である。
"陰の力"に徹し、広宣流布を支え、学会を守るなかにこそ、最も尊い仏道修行の姿がある。伸一は、その精神を、男子部の永遠の精神とし、継承していく意味から、会館警備のメンバーを正式に定め、全国的な人材育成機関としていく必要性を感じていた。

2010年12月12日日曜日

2010.12.12 わが友に贈る

「人類の宝」を育む
使命会、育成部長に
心からの賞讚を!
尊き陰の奮闘は
未来を創る聖業!

顕謗法抄 P452
後世を願はん人は一切の悪縁を恐るべし一切の悪縁よりは悪知識ををそるべしとみえたり

◇希望の明日へ
会員がかかえる問題は、つねに具体的で現実的な答えを必要としている。いくら抽象的な指導をしても、それでは問題の解決とはならない。その意味で、友の苦しみをわが苦しみとし、ともに行動するなかで、心から納得できる指導をしていくべきである。

☆第19回全国青年部幹部会 1990.01.08
さて、「未来の社会」「これからの地球」といっても、その実像はどこにあるのか——。それはすべて未来を担いゆく若き君達の胸中にある。仏法の「一念三千」「因果倶時」の法理では、そのように捉えることができる。
今、諸君の心にどのような未来が、どのような希望が描かれているのか——ここに、すべてがかかっているといってよい。
その意味で21世紀は、もう始まっている。諸君の胸の中で刻々と育まれ、胎動している。
ゆえに私は、広宣流布の大いなる「明日」を開くために、全魂を込め、諸君の胸中の"21世紀"に向かって語りかけたいのである。
21世紀はどんな時代になるのか。それは、若き諸君自身が決めていく以外にない。「どうなるか」ではなく、「どうするか」である。

◎MinnieLove's blog(http://pub.ne.jp/MinnieLove/) 祝100,000アクセス! 「持続は力なり」これからも、これまで以上に!

2010年12月11日土曜日

2010.12.11 わが友に贈る

さあ今日も
勇んで友のもとへ!
会合に出られない
人にこそ励ましを!
皆が宝の創価家族!

立正安国論 P17
旅客来りて嘆いて曰く近年より近日に至るまで天変地夭飢饉疫癘遍く天下に満ち広く地上に迸る

◇希望の明日へ
人生の転機にあって、経験豊かな先輩の一言が、どれほど貴重か。また、苦しみのドン底にあって、頼れる先輩の存在ほどありがたいものはない。多くの人たちがそう痛感した体験があるに違いない。また、身近な人の中にも、人生の苦難につまずき、生命の病に悩む人が数多くいるであろう。そのギリギリの苦悩にいる人たちに対し、人生の先輩として、確信ある指導・激励をしていくことは、いかに尊いことか。そのことをよくよくわきまえ、いっそうの慈愛の実践に邁進していただきたい。

☆若き日の日記 昭和29年12月27日(月)快晴
昨日、先生宅に、お歳暮にお伺いする。
先生より、泰山も裂けんが如く、叱咤さる。
厳父の怒り、先生の激烈なる大音声に、身のすくむ思いなり。

嗚呼、われ過てり。先生の仰せどおりなり。
人生の落伍者にならぬためへの厳愛。敗戦の将軍とならざるための訓戒。
ここ数日、自己の罪業、宿命をみつめ、泣き、憤り、思索して、先生のご期待に応えんと決意する。

先生の力、仏力の如し。先生の眼、仏眼の如し。真実の師弟の情、今ここに肺腑につきささる。お許しを乞い、生命を賭して、更に広布の先陣に立つのみ。

一日中、木枯らし吹く、寒き日であった。
わが胸臆と同じ暗さで——。

○総千葉の明年の新スローガン
「創価の太陽−−青年躍進の千葉! 勝利・勝利の師弟の痛快劇を!!」

◎そういえば、昨日の創価班の首都圏委員長会議の写真に、わが松戸総県のザ・たっちの2人が載ってましたね!おめでとう!(^^)!

2010年12月10日金曜日

2010.12.10 わが友に贈る

会館や自宅など
身の回りの総点検を!
慣れや油断を排し
火の元 火災に
厳重注意せよ!

四条金吾殿御返事 P1169
吾方の人人をば少少の事をばみずきかずあるべし

◇希望の明日へ
心というものは絶えず揺れ動いている。放っておけば、いつしか悪道のほうへと引きずられていってしまう。幹部は、その心をいかに確固として定め、成仏への最極の軌道から外れないようにリードしていくか、ここに信心指導の精髄があるといってよい。

▽御書「いよいよ強盛の御志あるべし」。苦難は境涯革命の絶好機!祈り勝て

☆第22回本部幹部会 1989.10.24
今はテレビ時代。このテレビとともに生きてきた世代を「"どう見えるか"の世代である」と言った人がいる。つまり何にせよ、その「内実がどうか」というよりも、「どう見えるか」を基準にしてしまう傾向が強い、というわけである。
確かに「どう見えるか」を気にする。「どう、いい格好をしようか」「どう自分を飾ろうか」との思いは、青年たちの心に強いかもしれない。もちろん、それは若い世代だけのことではない。人間の常であるといってもよい。
また「どう見えるか」が大事な場合も世の中にはあろう。だが、信心の世界だけは、「心こそ大切なれ」と仰せのごとく、「心が一切を決める」世界である。「一念三千」の法理で、「一念」つまり「心」が、「三千の諸法」——一切の現象を決めていく。
ゆえに「どう見えるか」という、自分を飾った「虚像」ではなく、自分の心が「どうあるか」という、自分自身の内実、「実像」が大事なのである。
私どもの青年時代を、現代の青年たちと、一概に比較できない面もあるが、草創の青年部は"どう見えるか"とか、外見など一切関係なかった。"創価学会とともに、どう人生を生きるか""どう広宣流布に戦うか"との一途の思いで進んできた。いわば殉教の精神であった。その決心でやってきた。
どんなに会合で上手に話をしたり、立派そうに見えても、それは成仏には結びつかない。信心とはまったく無縁のものである。そんな格好や、表面的な姿で信心が決まるものではない。
大事なのは、その人の「心」がどうかであり、一個の人間としての「振る舞い」「修行」が、どうかである。

2010年12月9日木曜日

2010.12.09 わが友に贈る

地域友好に尽くす
模範の友に最敬礼!
「仏法即社会」だ。
大誠実で心を結ぶ
信頼の賢者たれ!

観心本尊抄 P254
天晴れぬれば地明かなり法華を識る者は世法を得可きか

◇希望の明日へ
人を魅了するような話は、そう簡単にできるものではない。題目をあげぬいて、深き使命感と慈愛の心に徹して初めて、心を打つ指導・激励が可能となる。広宣流布への透徹した責任感こそ、何より重要である。

▽地区が「人材・躍進の年」の主戦場。リーダーは一人一人に光を。全力で激励を
▽未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ。一日一日、勝利の日記を

☆新・人間革命 宝塔43
題目をしばらく唱え、鈴を叩いて御観念文に入ろうとすると、伸一の背中に、ゴツンと後ろにいた青年の頭が当たった。
視覚に障害があることから、伸一との距離がつかめなかったのである。
頭をぶつけた青年は、慌てて後ずさりし、恐縮して小さくなっていた。
伸一は、メンバーの苦労を深く感じ取った。そして、皆が一人ももれなく、信心を根本に強く生き抜き、なんとしても幸福な人生を勝ち取ってもらいたいと、ひたぶるに祈念するのであった。
一つの事柄から、何を感じ取るか。人の苦悩に対して想像力を広げることから、「同苦」は始まるのである。配慮とは、人を思いやる想像力の結晶といえよう。

2010年12月8日水曜日

2010.12.08 わが友に贈る

「南無妙法蓮華経は
師子吼の如し」
病魔に負けるな!
大確信で祈りで
生命力を奮い起こせ!

種種御振舞御書 P917
釈迦如来の御ためには提婆達多こそ第一の善知識なれ、今の世間を見るに人をよくなすものはかたうどよりも強敵が人をばよくなしけるなり

◇希望の明日へ
"行動の人"
"正義の人"
"先駆の人"
に、迫害は、つきものである。これは歴史の示す方程式である。学会に対しても、さまざまな、いわれなき迫害がある。私は、それらを一身に受け、すべての矢面に立ってきた。何百万という人々を守りぬくために−。仏法を正しく行ずる人に、魔が吹き荒れるとは、大聖人の仰せである。

☆第22回本部幹部会 1989.10.24
真の「人材」とは何か、「人材」を見る基準は何か、を述べておきたい。
それは、結論していえば「信・行・学」があるか、ないかである。社会的地位がある。有名である。人気がある——そんなものは信心とは関係ない。そんなことにとらわれて、人を判断しては絶対にならない。
あくまでも「信・行・学」が深いか浅いか。「法」のため、「広布」のために、どこまで戦っているかである。もっと具体的にいえば、一人の信仰者、修行者として、現実にどれだけ「折伏・弘教」をしたか。行学に励んでいるか。新聞啓蒙などによって、信心の理解を広げたか。また人々の激励にどこまで行動したか。その「力」こそが、真の広布の人材の「力」なのである。
根本の「信・行・学」を基準として、その上でさまざまな個性や特長を尊重していく。そこに社会的に活躍している人も、すべて生かされていくのである。しかし、「才能」や「学識」だけでは、広宣流布はできない。いわゆる"個性的な面白さ"だけでも、法は弘まらない。広宣流布は、そんなに簡単なものではない。
また、「人」をうまく動かす人を見て"あの人は力がある""人材だ"という人もいる。だが、根本の「信・行・学」を無視して、要領よく「組織」や「人」を動かし、それをもって、広布の"人材"と考えることは、大いなる誤りである。そういう人は、必ずといってよいほど、「人」を「人間」として見なくなり、「組織」の上にあぐらをかくようになる。そして、みずみずしい信心を失って、堕落と退転の道を歩むことになる。ゆえに「人を使う」ことだけがうまい幹部であっては絶対にならない。「組織」の長の立場にある皆さまは、この点をよくよく心に刻んでいただきたい。
人間を、その人の人間としての実力、人格、内実以外の基準で見ていくのは、根底は「人間」をバカにしていることになる。と同じく、「人材」を「信・行・学」以外の基準を根本として見ていくのは、信心と仏法、更には学会をバカにする心である。信仰者として、これは許されることではない。

2010年12月7日火曜日

2010.12.07 わが友に贈る

リーダーの成長が
組織の発展の根本。
「私から変わる!」
「今から始める!」
突破口は自ら開け!

新池御書 P1439
かかる悪所にゆけば王位将軍も物ならず獄卒の呵責にあへる姿は猿をまはすに異ならず、此の時は争か名聞名利我慢偏執有るべきや

◇希望の明日へ
創価学会は、つねに逆境に真っ向から立ち向かってきた。ゆえに大発展した。進歩への不動の道ができあがったのである。逆境がなく、戦いがなかったならば、決して盤石な建設はできなかったであろう。この道は、生命発展の法則であり、学会の永遠の軌道である。

☆第36回本部幹部会 1973.12.16
よく発想の転換ということが言われる。人類の進歩は、絶えず発想の転換、もしくは新しい着眼点を発見しつつ、それを起点としてなされてきたといってよいと思う。
科学の世界においても、近世においても天動説から地動説へと変転したのも、また20世紀においてアインシュタインの相対性理論が生まれたのも、そこには大きな発想の転換がありました。
人間というものは、とかく既存の枠の中に生きようとする習性のようなものがあります。そして、その習性は頑として心の奥に根をおろしていて、いったんそこから脱皮しようとすると、ものすごい勢いで引き止めようとする。これは個人においても、また社会のメカニズムにおいても、同じようなことが言えそうであります。
日本という社会は、とかくこれまで、日本から世界を見てまいりました。個人においても、自分を中心に据えて他人を見ようとするものですが、他人の目をもって自分を見るということも、大切なことであります。これは、地球を中心として考えた天動説から、太陽という他の天体を中心として地球を見直した発想の転換に通ずるものがあります。日本を中心にして世界を見るのではなく、世界の客観的な目で日本を見つめ直すという発想の転換が、いまほど必要な時はないと、私は考える。
発想の転換とは、的確にいうならば「人間の一念の転換」であります。この生命の一念の狂いが、実は日本をこれほどまでに駄目にしてしまった。いったい誰の一念であったのか——ある人は派閥と私利私欲の葛藤に明け暮れ、ある人は学問の権威の座に坐して民衆を嘲笑し、ある人は経済的利益のみを追い求めて諸外国のひんしゅくを買い、ある人は評論家と称してもっともらしい言葉で自分を粉飾し、ある人はエリートという気位に立って弱き人々をいじめ抜いてきたのであります。この一切のエゴの激突のルツボと化した日本の姿を、再び鏡に照らして見直すべきではないかと思うのであります。
"昭和元禄"と呑気に構えていた脆弱な一念が昨今にいたって、脆弱な精神構造として白日の下にさらけ出されてしまったといってよい。
ともあれ、あらゆる指導者たちが、正しい一念に転換することが、今ほど緊急な時代はありません。しかし、それは単なる反省とか意識変革などで変わり得るものではない。思想を支配するものが生命の働きである以上、もっと根源的ななにものかを必要とするのであります。それを私どもは知っている。現代の最も正鵠な一念は、仏法の真髄による生命哲学に帰着しなければならないと思うのであります。

2010年12月6日月曜日

2010.12.06 わが友に贈る

我らの地区部長
地区婦人部長を
皆で守り支えよ!
共に祈り 讃え合い
功徳の花を満開に!

上野殿御返事 P1540
かたうどなるやうにてつくりおとして、我もわらひ人にもわらはせんとするがきくわいなるによくよくけうくんせさせて人のおほくきかんところにて人をけうくんせんよりも我が身をけうくんあるべしとてかつぱとたたせ給へ

◇今週のことば
未来部の勝利月間だ。
担当者の献身に感謝。
宝の人材の成長を
皆で真剣に祈ろう!
受験生に暖かく激励を!
2010年12月06日

◇希望の明日へ
学会が大難を受けている時に、それを他人事としてとらえている人間には、まったく功徳はない。偉くもない。信心もない。自分自身が難を受けているのだと決意して戦う人が、偉大な信仰者である。たとえ二十年、牢に入ろうが、三十年、牢につながれようが、死ぬまで信心を貫き通す。その人が真の仏法者であり、大聖人直結の革命児である。

☆第24回本部幹部会 1989.12.20
一人ひとりの「個人」は小さな存在かもしれない。しかし、それぞれが成長しながら、連帯と信頼の輪を結んでゆく時、個々の力は絶大なパワーとなり、信じられないような爆発力となってゆく。
ゆえに団結が大切でる。とともに、それ以上に、"最初の一滴"が大切なのである。"最初の一滴"がなければ、連帯も、拡大も決して生まれ得ないからだ。
ガンジスの大河も、源の一滴に始まる。広大な広布の流れも、日蓮大聖人御一人から始まった。戦後の学会が戸田先生お一人からスタートしたことは、ご承知の通りである。「一人」こそ「万人」の基であり、一切の根本である。
ともあれ、自分という「一人」には、それだけの「使命」と「力」と「責任」があることを知らねばならない。

2010年12月5日日曜日

2010.12.05 わが友に贈る

目標は明確に。
祈りは具体的に。
一念の力は無限だ!
勝利のために
心を合わせよ!

報恩抄 P297
小失なくとも大難に度度値う人をこそ滅後の法華経の行者とはしり候はめ

◇希望の明日へ
安穏でないことが、妙法を正しく行じ、弘めていることの証明である。反対に、正法を持っているように見せながら、何の迫害もなく、安穏を余る姿は、広宣流布に戦っていないという証拠である。この道理は、今も、またこれからも変わらない。

☆新時代第45回本部幹部会/全国地区部長・地区婦人部長大会/池田華陽会大会へのメッセージ
◆わが地区から大歓喜の題目を! 地涌の人材を! 勝利の旗を!

地区こそ広宣の大地
共に祈り励まし合い幸福の花を満開に!

皆様方の「勇気ある信心」と「真剣な努力」によって、わが創価家族は、この1年も大勝利で飾ることができました。
広宣流布のために「忍辱の鎧」を着て、粘り強く戦い抜いてくださっている皆さんを、日蓮大聖人は涙され讃えておられるでありましょう。ありがとう!

世界20カ国・地域の同志の皆さん、ようこそお越しくださいました。
欧州の青年部の皆さん、台湾の皆さん、シンガポールの皆さん、そして韓国の皆さん、寒い中の尊き研修、本当に本当にご苦労さまです。
御聖訓には『一切の草木は地より出生せり、是を以て思うに一切の仏法も又人によりて弘まるべし』(P465)と仰せであります。
まさしく、創価学会の「地区」こそ、広宣流布にとって一番大切な大地であります。
きょうは、全国の地区部長・地区婦人部長大会、本当におめでとう!

新たな100周年への出発に当たり、私は3点、申し上げたい。
第1に、「わが地区から大歓喜の題目を!」と確認し合いたい。
今、経済苦と闘う同志もいる。病魔に立ち向かう友もいる。しかし、『南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さはりをなすべきや』(P1124)であります。
一遍の題目にも、どれはどの力があるか。題目は「歓喜の中の大歓喜」の音律であり、大宇宙の根源の法則であります。
学会には、自行化他の題目を唱え抜いてきた大福運が満ちています。

苦しい時も辛い時も題目を朗々と唱え、共に励まし合いながら、地区に大功力を漲らせ、変毒為薬の体験の花を満開に咲かせていってください。

◆一人また一人と
第2に、「わが地区から地涌の人材を!」と申し上げたい。
約60年前、戸田先生が第2代会長に就任して、75万世帯の大折伏を宣言された時、皆、夢物語と聞いていた。しかし23歳の私は、師匠の誓願を実現するために、自らの地区から猛然と拡大の炎を燃え上がらせました。
地区の全員が、偉大な使命を帯びた地涌の菩薩です。
地区は、一人また一人、地涌の菩薩を現実に呼び出していく最も尊い会座です。

地球上のいずこにも、地涌の菩薩は未来永遠に二人・三人・百人と次第に(P1360)必ず躍り出る。これは御本仏の揺るぎない御約束であります。

◆勝つための信心
第3に、「わが地区から勝利の旗を!」と決意し合いたい。
仏法と申すは勝負をさきとし』(P1165)です。仏法は勝負。人生も勝負。絶対に勝つための信心です。正義が勝つことが広宣流布です。
私も、戸田先生の弟子として闘諍言訟の末法を戦い抜いて、世界に勝利の旗を打ち立てました。師弟は不二なる故に、全地区にこの「絶対勝利の信心」を奮い起こして、「人材・躍進の年」を痛烈に勝って勝って勝ちまくっていただきたい。
私は妻と共に、世界192カ国・地域の全同志の幸福勝利を、いやまして強盛に祈り抜いてまいります。

◆女子部を讃えよ
きょうは「池田華陽会」の大会も、おめでとう!
「女子部、万歳!」と、皆で最大に讃えたい。白蓮グループも、いつも、ありがとう!
白蓮グループ、そして創価班、牙城会の誉れの歴史を、私は、『新・人間革命』の「母の詩」に続く「厳護」の章で書き残していきます。
終わりに、「勇気の道が創価の道」と申し上げ、私のメッセージといたします。
どうか、最高に晴れ晴れと、よいお年をお迎えください。

★地区部長への和歌
使命ある
 君よ 勝ち抜け
  勝ちまくれ
 広宣流布の
  大城を担いて

尊き地区の
 大発展と勝利を祈りつつ

★地区婦人部長への和歌
幸福と
 正義の道を
  朗らかに
 勝利で飾れや
  貴女の歴史を

尊き 広宣流布に
 笑顔で 真剣に
  はつらつと 進みゆく
   大切な婦人部に感謝

◎最近、ちょっとサボってました!(^^)!。そこで、少しでも前に進むため、先生の過去の指導を勉強し直しています。今週はその中より抜粋してお贈りしますね!

2010年12月4日土曜日

2010.12.04 わが友に贈る

広布に走る同志を
最大にほめ讃えよ!
友を励ませる人に
幸福と勝利は光る。
「心こそ大切」で進め!

十字御書 P1492
蓮はきよきもの泥よりいでたり、せんだんはかうばしき物大地よりをいたり、さくらはをもしろき物木の中よりさきいづ

◇希望の明日へ
世の中が曲がっていれば、正義の人が迫害されるのは当然である。迫害されないのは悪を黙認し、正義を曲げている証拠とさえいえる。

▽ブラジル アマゾナス教育科学技術連邦大学から池田SGI会長夫妻に大学初の「名誉博士号」(203番目)

◇「新・人間革命」母の詩52
広宣流布は一人立たねばできない。と同時に、互いに励まし合い、共に進もうという団結なくしては、広宣流布の広がりはない。
戸田は、その大聖業を果たしゆく創価学会という教団は、「創価学会仏」であると宣言した。
総じて日蓮が弟子檀那等・自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり』(P1337)
つまり、水魚の思いをもって、心を一つにして信心に励む時、生死一大事の血脈、すなわち、妙法の血脈が流れ通うのだ。
ゆえに、「創価学会仏」たる根本条件は、広宣流布への異体同心の団結にある。したがって、戸田城聖のこの歌は、全同志が永遠に心に刻むべき指針となるのだ。

☆名字の言 2010.12.02
"人材の城を築け"——学会の三代会長が叫び続けてきた所以である。創価の人材育成は、広宣流布の深い使命感に基づいた、最高の将軍学だ。
明「人材・躍進の年」の意義も、そこにある。

2010年12月3日金曜日

2010.12.03 わが友に贈る

我ら民衆こそ
歴史を創る主人公。
「よし、やるぞ!」と
今日も一歩前へ!
共々に喜び勇んで。

祈祷経送状 P1357
法華経の行者は信心に退転無く身に詐親無く一切法華経に其の身を任せて金言の如く修行せば、慥に後生は申すに及ばず今生も息災延命にして勝妙の大果報を得広宣流布大願をも成就す可きなり

◇希望の明日へ
学会は絶対に正しいゆえに、難を受ければ受けるほど、
"楽しい"
"功徳が出る"
"掛り合いがある"
"朗らかになる"
"団結していく"
−−−こんな団体は宗教史上にないであろう。

▽栄光の100周年へ出発する幹部会。師弟不二の心で鉄壁の青年学会をつくれ
▽80周年を飾る地区部長・婦人部長の奮闘に感謝!尊き献身は不滅の福徳に

◇「新・人間革命」母の詩51
牧口先生は、秋霜の獄舎で亡くなられた。しかし、その死は、正法のための誉れある殉教であり、その境地は、絶対的幸福境涯でありました。どうか諸君は、地位や名誉、財産などといったことに紛動される人生ではなく、信仰の王道を、わが人生の使命の道を、堂々と進んでいっていただきたい。
さらに、大聖人は、このあとに、『而も此の経は如来の現在すら猶怨嫉多し況や滅度の後をや』との経文を引かれ、常に諸難が競い起こることを確認されている。
広宣流布の道に難があるのは当然です。学会の前途は、怒濤の連続でしょう。しかし、諸君は、仏子の集いである学会を守り抜き、ひとたび決めた使命の道を、敢然と歩み通していってください」

2010年12月2日木曜日

2010.12.02 わが友に贈る

勝利は強き一念から!
「湿れる木より
火を出し」
大確信の祈りで
逆境に打ち勝て!

開目抄下 P236
若し善比丘法を壊る者を見て置いて呵責し駈遣し挙処せずんば当に知るべし是の人は仏法の中の怨なり

◇希望の明日へ
妙法ゆえの大難は、むしろ"最高の誉れ"である。愚人にはめられることこそ、最大の恥ではないか−。これが御本仏の教えであり、永遠の学会精神である。

☆随筆 我らの勝利の大道 栄光の創立80周年 万歳!
◆創立100周年へ出発
ロマン・ロランは、名作『獅子座の流星群』の最後に、希望の言葉を掲げた。
「我々は大きな旅を始めるのだ」
創立八十周年は到達点ではない。新たな民衆凱歌の旅への出発点である。
さあ、わが友よ!共戦の同志よ!今日から始めよう。永遠なる創価の師弟の旅を!人間革命の勝利と栄光の旅を!
今再び、広宣流布の誓願を燃やして出発だ!
希望に輝く、「創価青年学会」の創立百周年の連峰に向かって!

いざや立て
 いざや征かなむ
  共々に
 勝利の人生
  断じて勝ちとれ

2010年12月1日水曜日

2010.12.01 わが友に贈る

本年の悼尾を飾る
12月がスタート!
勤行・唱題を根本に
リズム正しい日々を!
絶対無事故を祈る。

諸法実相抄 P1359
されば余りに人の我をほむる時は如何様にもなりたき意の出来し候なり

◇希望の明日へ
混迷の時代であり、悪しき社会であればあるほど、時代変革のク先駆者”正義の人”には、妬みの風と迫害の策動が襲いかかってくる。嵐の大きさが偉大さの証明である。

▽「一人もかけず仏に成る」御書。絶対勝利の妙法だ。喜びに燃えて対話を拡大

☆随筆 我らの勝利の大道 栄光の創立80周年 万歳!
◆総本部は質実剛健
創立八十周年の十一月十八日付の聖教新聞に、世界広宣流布の新たな本陣となる「総本部」の基本構想と外観イメージが発表された。
早速、多くの歓びと決意の声を頂戴した。嬉しい。
全部、わが同志のためであり、広布の未来のためである。学会員が誇りをもって、安心して信心に励めるように、万般に盤石な土台を築いておきたいのだ。
学会本部は、三類の強敵をはじめ、ありとあらゆる魔軍と戦いながら、正義の広宣流布を遂行する「戦う本陣」である。
ゆえに、本部は実質第一でいけ!どこまでも質実剛健でいけ!これが恩師の厳命であられた。
寄せられた声の中には「正面は、あのGHQ(連合国軍総司令部)のビルを彷彿させますね」という感想もあった。
私には、戸田先生との忘れ得ぬ思い出が蘇った。
GHQのビルといえば、約六十年前、皇居のお堀端を戸田先生と一緒に歩いていた時、急に雨が降ってきたことがあった。傘はない。タクシーも来ない。先生の事業が、苦境のどん底の時であった。
「二人で雨に濡れていこう」と歩き始めると、先生は「あそこにマッカーサーがいるんだ」と指さされた。その先にGHQ本部が入っている第一生命館が、そびえ立っていた。
当時、学会には、車もない。まして大きな建物などなかった。だが、私は申し上げた。
「私が働いて、働いて、いい車を用意します。必ず立派なビルを幾つも建ててみせます!先生、ご安心ください」
今、全国各地にも、新たな会館が続々と誕生している。戸田先生が「全部、大作の言った通りになったな!」と喜んでくださっていると、私は確信する。
「偉大な建築は、人間の偉大さの、最も偉大な立証である」と、アメリカの近代建築の巨匠フランク・ロイド・ライトは語った。
創価の建築は、まさしく師弟の金城であり、鉄壁の結合の象徴といってよい。
あの十五年前(一九九五年)の阪神・淡路大震災の折、関西各地の会館は、微動だにしなかった。厳然とそびえ立ち、被災された方々の避難所となったことは、ご存じの通りだ。
私の心を心として、安全第一の堅固な会館を建設してくださっている関係の方々に、私はいつも感謝している。
アメリカの詩人ロングフェローは歌った。
「建ててゆけ汝の城を高く美しく造れ」
わが友が、家庭でも、職場でも、地域でも、汝自身の堂々たる勝利の城を創り上げていかれることを、私も妻も祈る日々である。