陽報あり」
広布の労苦に
一切の無駄はない!
努力の人に大功徳が!
四条金吾殿女房御返事 P1135
『三十三のやくは転じて三十三のさいはひとならせ給うべし、七難即滅・七福即生とは是なり、年は・わかうなり福はかさなり候べし』
◇四季の語らい
逆境をバネに、より一層、強くなり、より一層、大きく勝利してみせる−−そういう心をもつかどうかである。成功すれば妬まれるし、失敗すれば馬鹿にされ、たたかれる。これが人間の世界の実相である。前途には思いがけない悲しみや悩みがあるかもしれない。
しかし、その時こそ、絶対に負けてはならない。
あきらめてはならない。
後退してはならない。
◇今日のことば365
現実から逃げ出したからといって、そこに幸福があるわけではない。要は、われわれをとりまく、いっさいの環境をわれわれが支配していくか、逆に支配されるかである。人生の幸不幸の分かれ目は、ここにある。
★貧乏について
質問:信心をして、一番救いがたいのは貧乏であると聞きましたが、その理由を教えてください。
貧乏というのは、すぐ治らないのです。時間がかかるということだけなのです。信仰してすぐ金ができてしまったら、だれでも信心します。時間がかかる間、待てというだけなのです。
早くいえば、下種というでしょう。種を植えて、植えたらすぐに稲でもなんでも次の日すぐできたら、これはおかしなものではないですか。そういうことは世の中にないでしょう。
柿の木は八年、桃は三年、リンゴの木も八年です。米だって半年かかります。野菜だって三か月ぐらいかかるのです。そういうものではありませんか。
種を植えたのです。種を植えたのに次の日、すぐに金持ちになるなどとは贅沢です。そのようなことはありえません。
ただ病気は本人が苦しむでしょう。だから本人を苦しめないために、治りが早いのです。
金欠病は、これは時間がかかります。種を植えたのだから、八年も待ったら大丈夫です。
よく私は「あなたは信心して、何年になる」と聞くのです。三年とか二年とかいいます。それで「まだ病気で困っている」と聞くと、私はそんなバカなことあるかと言う。それは信心していないと私は言うのです。断じてそんなことはありません。そんなバカなことあるものですか。病気などというものは、簡単に治るのです。
ただ金欠病というのは、前世から背負ってきたものだから、これは時間がかかるのです。
あるお婆さんが、いつも話すことだけれども、「先生、何年くらいやったら大丈夫ですか」「七年やりなさい」「そんなに待っていられません」、それは、その気持ちはよくわかります。
その気持ちはよくわかりますけれども、これは待ってもらわなければなりません。木が育たなくてはなりません。育ったらもう大丈夫です。もうお金などは降るように入ってきます。
本当に気の毒な人には金をやりたいと思うけれども、僕なんかは、金をやった人で成功した人はありません。やはり自分で育てなくてはならないのです。
よくこういう手紙がくる。今月の末に三十万円なければ破産するから、先生貸してください。そんなの返事なんかだすなという。そんなものに二十万や三十万の金をやっても成功しません。
三十万なり二十万は損するに決まった運命をもっているのです。ですから、自分で打開していく以外にないでしょう。そうではないでしょうか。それならやってもしようがありません。
ある男が蒲田支部におりました。夜逃げしたのです。それまで、いつも私のところへきていたのです。いろいろなことをいって聞きにきていました。ところが、いつのまにか居なくなってしまいました。
あいつどうしたと聞いたら、四年くらい前の話です。「先生、もう電話をひいて、新しい家を建ててやっている」というのです。冗談ではないよといったのです、夜逃げした人が。
そういうものです。そういう人は沢山います。
ですから、それは信心を全うしていきなさい。金ができないということがあるものですか。そんなもの、世の中に六千何百億という金が、ごうごうと流れているのです。
ちょっとここに千円札の入る穴さえあれば、すーっと入ってくるのです。その穴をあけるのに時間がかかるのです。だから金は必ずできます。
まじめな信心をきちんとしていなさい。金は必ずできます。できない訳があるものですか。
そうは言っても、小判が欲しいと言ってもそれは無理です。ないのですから。お札だもの、紙で印刷したものだもの、それに流れているのだもの、入ってこない訳がありません。
それが入ってこないなら、大御本尊様に文句を言いなさい。七年間も真面目に信心して、戸田は七年と言ったと、まだ入ってこないと、けしからんと、あんた嘘つきかと、御本尊様に談判しなさい。次の日から入ってくるから。それは嘘ではありません。
私などは貧乏のし通しだったのだから、質屋の軒をくぐったのは、何べんかわからないのです。
私は金時計を昔持っていました。それを質屋へ持っていくと、いつも裏をあけて、そして本当の金かどうか番頭が削ってみるのです。筋が何本もついてしまったのです。
恥ずかしくて人の前に出せないのです。とうとう戦争で供出ということになって、それで皮だけは質屋へやりました。
その時、とても嬉しかったのです。みな金時計を持っていないのだから、持っていなくてもいいのだから。
それほどの貧乏をしてきて、今そう金には困らないのです。沢山は持っていないけれども、二百円や三百円は持っています。
だが、二百円、三百円で困らなければ、これで金持ちです。
どうです、何万円なくても僕はいいのだもの。二百円あれば大丈夫なのです。あとは困らないのです。こうなれば金持ちのうちでしょう。
嘘だと思ったら、いっぺん千円札一枚みせてやろうか。千円か二千円持っていたら、僕は大金持ちでいるつもりなのです。だって使わないもの、金なんか。
だから金持ちです。本当です。あなた方も早くそういうふうになりなさい。