2022年10月29日土曜日

2022.10.29 わが友に贈る

理想の社会を創るのは
全て一人の変革から!
これが広布の方程式だ。
友の心に希望を送る
勇気の実践を"私"から!

当体義抄送状 P519
『経に云く「世間の法に染まらざること蓮華の水に在るが如し地より而も涌出す」云云、地涌の菩薩の当体蓮華なり』

【通解】
法華経従地涌出品に「地涌の菩薩は、世間の法に染まらないこと、あたかも蓮華が泥水の中にありながら、清浄であるのと同じである。しかも、この菩薩は大地から涌き出た」と説かれている。これは、まさしく地涌の菩薩が当体蓮華であることを示している。

名字の言 最高峰エベレストを一望できるロッジを建てた女性部員 2022年10月29日
ネパールから写真が届いた。標高4000メートルほどの丘に立つ石造りの建物で、山小屋風の宿泊施設だった。山荘から見える風景を撮った別の写真に、目を見張った。世界の最高峰エベレスト(サガルマータ)が気高くそびえていた▼「エベレストを一望できる場所にロッジを建てよう」。こう心を定めた一人の女性の強い思いが写真からも伝わってきた。1989年に完成したロッジは今、現地の人々や多くの登山者にとって"なくてはならない友好の広場"となっている▼建てた女性は今年91歳。40年以上、日本とネパールの民間交流に尽くす。ネパールに何度も足を運び、来日した留学生を親身になって面倒を見てきた。今秋から、ネパールの教育を支援する新たなプロジェクトを本格的に開始。「年がいもなく見えますが、私が決めた人生ですから」▼約50年前、国際部(現在の国際本部)が結成された71年に決意した。「生涯、青春。生涯、求道。生涯、報恩」。この誓いを忘れないからだろう。体の無理は利かない年齢になっても、心は生き生きと輝いている▼「精神面の若さをささえるものは、"偉大なる道"を求める、真摯な求道心」と池田先生。最高峰の哲学を持ち、最高峰の人生を歩む先輩に続きたい。

寸鉄 2022年10月29日
全国各地で「ユースフェスタ」に向け青年が疾駆。伸びゆく宝友を皆で応援
青森県女性部の日。輝く新時代の"人材の大森林"地域に励ましの大波を!
「今は謗ぜし人々も唱え給うらん」御書。大確信で真実と正義を語り抜け(新1711・全1241)
秋の読書推進月間。本には人生観変える力がある—識者。まず1頁繙こう
気候変動は人類の課題。熱波等の死者、20年間で7倍と。世界一体で応戦

〈社説〉 2022・10・29 「世界の識者との対話」開始55年
◇「黄金」の言葉で平和の道開こう
冷戦、核戦争の危機、環境問題——。池田先生が"世界との対話"を始めた1967年、地球規模の課題は山積みだった。
平和を求める賢人の中には、解決の道を大乗仏教に見いだし、日蓮仏法を根本に進む創価学会の運動に注目する人々がいた。
現在のEU(欧州連合)の基礎を築き、「ヨーロッパ統合の父」と称されるリヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー伯爵もその一人だった。
氏は学会を「世界最初の友愛運動である仏教のよみがえり」と評価。67年10月30日、先生との出会いが実現した。
3年後に再会し、対話は「核廃絶」「青年論」など多岐にわたり、計10時間を超えた。
氏は創価学園で講演し、建設中の創価大学を訪れるなど、先生と各界識者の教育交流の先駆けに。2人の語らいは72年、『文明・西と東』として結実。先生の約80冊に及ぶ対談集の1冊目となった。
以来、先生はさまざまな差異の壁を超え、対話の力で世界を結んできた。特に仏教の世界と遠い西欧の思想家と対話を続けた理由の一つを次のように記している。
——どんな宗教であれ、創始者が初めて真理を語った時には輝きを放っていた言葉も、時代が変われば古びて聞こえるようになっていってしまう。
「しかし、その言葉の中に秘められた真理は、けっして古びたり衰えたりしてはいない。黄金は、どんなに埃をかぶっても、やはり黄金なのである。ただ、それが黄金であることを人びとに納得させるためには、その表面をおおっている埃を取りのぞかなければならない」「この点について自分でも納得したい」(ルネ・ユイグ氏との対談集『闇は暁を求めて』の序文)
ゆえに先生は、第一級の知性との対話を通して「仏教」にまつわる固定観念や偏見といった「埃」を吹き払い、「幸福とは」「生命とは」「人はいかに生きるべきか」を探り続けてきたのである。
『文明・西と東』で先生は訴えた。「いかなる対立や、相克であっても、力によるのでなく、人間の英知によって、新しい解決の道を求めるべきである」と。
私たちは今、感染症、戦争をはじめ多くの危機に直面している。今こそ、師がよみがえらせた「黄金」の言葉、不変の真理に親しみたい。そして学会活動の現場で新たな智慧、新たな表現を生み出し、平和の道を開いていきたい。

☆勇気の源泉 御書と共に 「耳根得道」の国
『この娑婆世界は耳根得道の国なり。(中略)これを耳に触るる一切衆生は功徳を得る衆生なり。』(一念三千法門、新363・全415)

【通解】この娑婆世界は耳根得道の国である。(中略)妙法蓮華経を耳に触れる一切衆生は功徳を得る衆生である。

耳根は仏法で説く六根(目・耳・鼻・舌・身・意)の一つ。耳根得道の国とは、仏法を「聞く」ことで成仏へと至る国土である。
人間の「耳」は、誕生前から臨終まで、常に開いているという。目や口は閉じることができるが、何かでさえぎらない限り、耳を閉ざすことはできない。
池田先生は『法華経の智慧』で、耳は「生命の窓」であると語り、「命の奥底にまっすぐに入っていける『魂への門』」と。
例えば、会合で体験を聞いて感動する。SOKAチャンネルなどで先生の指導を胸に刻む。同志の励ましによって元気になる——。主に「耳」を通して言葉を伝えることで、心が変革されていくといえよう。
そして仏法で「聞く」ことが重要なのはそのまま、「語る」ことが重要ということでもある。
法華経には「五十展転」の法理が説かれている。法を「聞いて」歓喜した人が、別の人に「語る」。それを聞いた人がまた歓喜し、さらに次の人に語る。このようにして50番目に伝え聞いた人の功徳も絶大だとされる。
この御文を通し先生は関西の友に訴えた。
「勇気をもって正義を語りきることです。『声の力』が人々の心を変える。功徳の華を広げる。国土も大きく変革していく」
歓喜の語らいに勇み立ち、自他共の幸福を開いていきたい。

☆小説「新・人間革命」に学ぶ 言葉のちから 坂元信行北陸長
◇自身を築く
地区の協議会で、さまざまな意見が出て、それをうまくまとめられなかったと責任を感じた壮年部の友。同じく協議会で、活躍するメンバーの姿を見て、なかなか勇気を出せないでいる自分は、ずるいのではないかとまで深く考えてしまった壮年部の同志。それぞれに話をお聞きし、私なりの考えを述べさせていただきました。
すぐに答えは出せなくとも、誠実に「聞き役」に徹してみることや、御書に「随力弘通」とあるように、自分らしく広宣流布を進めること自体が尊いことなど。そして、小説『新・人間革命』にも、ヒントになりそうな箇所があります。
「壮年の一人が、伸一に尋ねた。
『私には、人に信心を教えるような経験も、実力もありません。これから、支部の幹部として、みんなから相談をもちかけられた場合、どうすればよいでしょうか』
真摯な質問であった。伸一は微笑んだ。
『経験は、これから積めばいいんです。学会は指導主義です。指導は、教授とは違う。自分が習得したものを人に教えるのが教授ですが、指導というのは、進むべき道を指し示し、ともに進んでいくことです。したがって、御書にはこう仰せである、学会ではこう教えていると、語っていけばいいんです。そして、一緒に、その人の幸せを祈ってあげることです。これは、誰にでもできることだが、人間として最も尊い行為です。自分のために、祈ってくれる同志がいるということほど、心強いことはありません。それが、最大の力になり、激励になります』」(第1巻 336ページ)
「指導主義」が大切ということと、その人の幸福を祈っていくことが、相手の何よりの支えになることを忘れないでいたいですね。

◇"自分への指導"と胸に刻み
ともあれ、私たちの信心の姿勢として心がけたいことは、日蓮大聖人や師匠の指導を、自分に頂いた言葉として、「その通りだ」と確信し、実践することだと思います。その「求道心」こそが、自分で自分を養うのではないでしょうか。
池田先生は、かつて「四条金吾殿御返事」を講義され、「『衆生』のうちに貴殿もれ給うべきや。『所』とは、一閻浮提なり。日本国は閻浮提の内なり。『遊楽』とは、我らが色心・依正ともに一念三千・自受用身の仏にあらずや」(新1554・全1143)との御文を通して、こう語られました。
「この(法華経の「衆生所遊楽」という)経文は、あなた自身のことなのですよ、と。凡夫の悲しさで、どんなに経文を読み、御書を拝しても、『自分は別だ』と思ってしまう。
特に、苦しい嵐が吹きつけているとき、悲しみで心が張り裂けそうなとき、『自分の苦しみだけは救われない』と思ってしまうものです。
そうではないのですよ、というのが、ここの御文です。(中略)
『自受法楽』とあるように、最高の幸福境涯である仏界から、すべてを見下ろしていける自分自身を築き上げることが根本です。そうなるためには、題目を唱え抜いていく以外にないと仰せなのです。
また『色心依正ともに』と仰せのように、仏法は『心』だけの観念論ではない。『自分(正報)』だけの主観論でもない。心の福徳は、目に見える『物質面(色法)』にも表れ、『環境(依報)』にも表れる。目に見えない信心の『一念』が、色心依報ともに、一切を幸福の方向へ、所願満足の方向へ、一番いい方向へ、怒濤のごとく変化させていくのです。それが『自受用身の仏』です」
「もしも、心のどこかに『自分だけは幸福になれない』『自分だけは人材になれない』『この悩みだけは解決できない』と決めつける一念があれば、その一念の分だけ、功徳を塞き止めてしまうのです。ですから、この御文は、苦難の中にある金吾に対し、『あなたも必ず、この経文通りになるのですよ』と念を押されているところです。大聖人の慈愛です」と。
御本仏・日蓮大聖人と池田先生の言葉を、自分への指導なのだと深く胸に刻んで、人間革命の道を歩み続けましょう。

◇主体的、能動的に
さて、この「言葉のちから」の連載に、多くの方から感想を頂戴しました。その言葉に、私のほうが励ましていただき、心から感謝しています。何より、うれしいのは、皆さんと共に大聖人の御金言に触れ、池田先生の指導を学び合う機会を持てたことです。
ありがとうございました。
最後に、小説『新・人間革命』の言葉を確認し、終わりたいと思います。
「受け身ではなく、御本尊に巡り合い、一生成仏できることへの感謝と歓喜をもって、主体的、能動的に、勇んで信心に取り組んでいくことです。その時に、御本尊の大功徳を享受していくことができるんです。今、この時に人間として生まれ、御本尊を受持したこと自体、大変なことなんですよ」(第28巻 175ページ)